「ZE」と一致するもの

Julianna Barwick - ele-king

 昔から……、といってもたかだか数十年の話だが、ある言い伝えに、ポップ・ミュージックの20周期説がある。ポップのモードは20年で一週するので20年ぐらい前が新しく、10年ぐらい前がいちばん古く感じるというわけだ。この説を鵜呑みするわけではないけれど、ここ最近のシーンの動きで面白くなりそうだなと思っているひとつはインプロヴィゼーションで、これは『The Wire』の寄稿者ジェイムズ・ハットフィールドからグラスゴーのStill House Plantsを教えてもらって、やや確信に近づいている。70年代のカンタベリー・シーンの系譜におけるもっとも先鋭的だったアート・ベアーズをUKにおける即興の先駆AMMと交差させながら、ポストパンクのフラスコのなかで蒸留させたかのようなサウンドは、20年前のフリー・フォークを思い出させる。(そしてSHPのほかにも興味深いアクトがいくつかいる)

 そうなると、およそ10年前に登場したジュリアナ・バーウィックは現時点においては古い音楽になるわけだが、どうだろう。うん、たしかに懐かしいかもしれないし、自分の時間感覚もだいぶ狂っているので、もうよくわからないというのが正直なところだ。
 『The Magic Place』はよく聴いたし、ノー・ニューヨーク一派のひとり、イクエ・モリとの共作も忘れがたいアルバムだ。この当時は、おお、こんなユニークで美しい、しかも喜びに満ちたエレクトロニック・ミュージックを作る人がブルックリンから出て来たとずいぶん感動したと記憶している。
 そしてバーウィックが喜びであるなら、まるで同じカードの表裏のようにポートランドには憂鬱なグルーパーがいた。このふたりは、まず自分の声にリヴァーブをかけ、それを抽象的なレヴェルで使うという点で似ている。ロングトーンを多用したメロディもじつは似ている。が、そよ風に揺れる新緑のバーウィックと廃墟でひとり佇むグルーパーとでは、その音楽の色味や性格は正反対のように見えがちである。ノートパソコンのバーウィックとギターのグルーパー。ぼくがその後熱心に聴き続けたのは、言うまでもなく後者のほうだった。
 
 これは半分笑い話というか、日本人の適当さにも依拠する話だが、初来日が品川の教会だったバーウィックと上野方面の禅寺だったグルーパーというのも、まあ、象徴的ではある。グルーパーの禅寺というのは、これはしかしたまたまというか、いや、あまり深く考えずに、ホントにたまたまそうなっただけなのだろうが、バーウィックの教会というのはバーウィックだからそうなったのだろう。
 わからなくはない。彼女の音楽には神聖さがある。それは宗教的ということではない。ある種の清らかさということである。だいたい本人は、先日掲載したインタヴューにあるように、けっこう気さくな方だったりするし。

 昨年のDAZEDに掲載された彼女のインタヴューの最後の発言に、こんな言葉がある──「できる限り、地球の現状と悪に対抗する方法を考える必要がある。そして人生を楽しむこと。人生はいまでもほんとうに素晴らしく、ほんとうにそうなんだから」
 まるで大島弓子の『バナナブレッドのプティング』の主人公が物語の最後につぶやく言葉のようじゃないか。そうかぁ、なるほどなぁ、わかってきたぞ。バーウィックとはつまり、たとえどんな苦難があろうとも最終的には「人生は素晴らしい」と言えるのであって、だから彼女の音楽からは喜びが聴こえるのだろう。それは逞しさと言えるものかもしれない。

 新作『ヒーリング・イズ・ア・ミラクル』は、彼女がブルックリンからLAに引っ越して作った作品で、通算4枚目のアルバムとなる。階層化されたループを基調とする彼女のコンポジションは、ベルリンのベーシック・チャンネルのミニマル・ダブと同様にひとつの発明だ。グルーパーもそうだが、最初から彼女は自分の“サウンド”、自分の“型”を持っていた。3人のゲスト(ハーブ奏者のメアリー・ラティモア、シガー・ロスのヨンシ―、LAビートメイカーのノサッジ・シング)が参加しているものの、基本的には『The Magic Place』の頃と大きな変化はない。音数は最小限で、声が電子的に加工され、そよ風のような音響が展開されている。ただ、その音響の階層にある隙間はより広く、空間的で、より心地良く、清々しくもある。しかもその音響は、ぼくが思うに『The Magic Place』の頃よりもグルーパーに近づいている。そう思えてならない。
 4年前にThe Quietusで、彼女のオールタイム・フェイヴァリット・アルバムを紹介する記事があった。そのなかで彼女は、アニマル・コレクティヴからの影響を語り、ビュークやホイットニー・ヒューストンやニュー・オーダーのファンであることを明かし、また、アーサー・ラッセルやスフィアン・スティーヴンについて話し、そしてグルーパーへの惜しみない讃辞を述べている。「私はこれまで彼女が出した作品すべてを持っている」、バーウィックは話をこうはじめると「素晴らしい、まったく素晴らしい」と手放しに誉めつつ、「彼女には部屋を静かに破壊する術がある。(略)彼女のパンクの美的表現が好きだし、それはとてもクール」だと言う。

 そのときようやくわかった。彼女がイクエ・モリと共演したのも、たまたまではなかったと。ぼくはジュリアナ・バーウィックを聴き直さなければならない。それは古くはなく、いや、それどころかこれから必要とされるであろう、パンクの美的表現の一種として。

Roedelius - ele-king

 1973年のことである。69年よりベルリンを拠点に、エレクトロニック・ミュージックにおいてフリー・ジャズにも似たアプローチで、名状しがたい嵐のような抽象的な音楽(ないしは非音楽、ないしはインダストリアル・ドローン)をやっていた元Kluster/Clusterのふたり──ハンス・ヨアヒム・レデリウスとディター・メビウスは活動の場を西ドイツの片田舎、ヴェーザー高地のフォルスト村へと移した。グリム童話にちなんだ土地とも遠くはない。クラスターの『Sowiesoso』のジャケットにあるような、ドイツの田舎らしいロマンティックで美しいところなのだろう。とにかくふたりはその村にあった家をスタジオに改築し、そこから数々の名作を録音することになる。ハルモニアのアルバムがそうだし、よく知られるようにアンビエントを志したイーノがまず訪ねたのも森のなかの彼らのスタジオだった。つまりクラスター&イーノが生まれ、そして最初のレデリウスのソロ・アルバム(ないしは『Selbstportrait』の2枚の音源)も録音されている。クラスターにとっての黄金期はフォルスト時代である。
 本作『Tape Archive Essence 1973-1978 』は、タイトルがいうように黄金期におけるレデリウスのいままで表に出さなかった個人的な記録であり、音のスケッチ集で、それらはRevox-A77のテープマシン、Farfisaオルガン、エコー装置とシンセサイザー、4トラックのレコーダーによって描かれている。
 また、じつをいえば本作は、2014年に同レーベルから3枚組のボックスで限定リリースされた未発表音源集のダイジェスト盤なのだが、CANのそれと同様、本作はコアファン向けの商品なんかではない。オリジナル作品と並べても何の遜色ないどころか、ヘタしたらこっちのほうがいいのではないかと思えるほどの内容になっている。

 牧歌的で、穏やか(ピース)で切なく(メランコリックで)、控え目な実験と遊び心がある──レデリウスの作品の特徴を要約すればそんなところだが、しかしそうした陳腐な説明を越えたところに彼の音楽はある。モダン・クラシカルの先駆者なんていう評価もあるようだが、ぼくが彼の音楽を聴き続けているのは理由がある。極めて個人的な理由だが、ぼくはレデリウスによってシラフでいることの素晴らしさ、気持ちよさを教えられたと言っていい。まあ、これも陳腐な表現か(笑)。
 いいや、先に進めよう。このアルバム、1曲目“Nachtens in Forst'”の神秘的な静寂からして相当なものだ。そして2曲目には、彼らしい遊び心あるピアノ曲“Springende Inspiration”が待っている。
 レデリウスの音楽は甘ったるくもなく、また夢幻的なところもない。それはリズムの入った“Lied Am Morgen”にも通じる。田園風で、曲はメロディアスなのだが、音楽はこの現実からどこにも連れていかない。エレクトロニックな反復であっても、クラフトワークのようにトランスさせることはない。口当たりばかりが良いニューエイジとも違う。それでいてこの音楽は、リスナーの気分を良くするのである。
 現在80代もなかばにいるレデリウスは、自らの音楽をいみじくも「荒れ狂う平和(A Raging Peace)」と形容している。戦争を経験し、壁が作られる直前に東から西へと身を移し、戦後ドイツの混乱のなかで貧困を経験し、さまざまな職(マッサージ師や看護師など)を長い間やりながら、運命というか何というか、よりによって天才コンラッド・シュニッツラーの導きによって音楽の世界に入っている。Klusterをはじめたとき、彼はすでに30代半ばである。
 そんな彼のタフな人生経験からすれば、穏やかさにはつねに痛みが隣接しているのだろう。楽天的ではあってもイージーではない感覚が、彼の牧歌的な音楽には通底している。
 “Rokkokko”はクラスターがもっともポップに接近した『Zuckerzeit』の頃の音源だろうか、ミニマルなピアノフレーズに無機質なリズムボックスがフィーチャーされているが、それでもこの曲が描くのはドイツのカントリーサイドであり、生い茂る緑や透き通った空気、こころ踊る田舎道だ。アルバム中盤の“Skizze 4 Von 'By This River'”と最後に収められている“Skizze 3 Von 'By This River'”は、『Sowiesoso』の写真で見られるような田園を流れる川へのオマージュだろう。そしてすべての音響には、当時の録音による独特のこもり具合の温かみがある。(アルバムのインナーにはフォルスト村の写真、そして当時の使用機材の写真も掲載されている)

 芸術の都ケルンのネルフェニッヒ城をスタジオにしたCAN、商業都市デュッセルドルフにおけるクラフトワークのクリングクラング・スタジオ、そして、ヴェーザー高地の田園のなかの一軒家を拠点としたクラスター。場と音楽性はやはり関係しているのだろう。エイフェックス・ツインの『セレクテッド・アンビエント・ワークス85-92』がコーンウォールの彼の実家の部屋で作られたように、クラスターひいてはレデリウスは、エレクトロニック・ミュージックとは必ずしも工業都市や都会の音である必要はないという道を開拓した。

 (追記)なお、1934年生まれのこの長寿のエレクトロニック・ミュージシャンは、同時にまったくの新作『Selbstportrait Wahre Liebe』も発表しているが、これもまたお茶目で、穏やかで、切なく、しかし悲しくはない。

Aru-2 - ele-king

 ビートメイカーとしてキャリアをスタートし、ビートテープのリリースやプロデューサーとして様々なアーティストへのトラックを提供する一方で、Notology という名義でヴォーカル作品も発表し、さらに昨年11月にはラッパー/ビートメイカーの NF Zessho とジョイント・アルバム『AKIRA』をリリースするなど、実に多彩な活動を繰り広げてきた Aru-2。そんな彼がビートとヴォーカルという、自らのふたつの武器を見事に駆使して作り上げたのがこのアルバム『Little Heaven』だ。

 Aru-2 の作り出すサウンドはシンセ/キーボードが軸となって空気感を作り出し、さらに下地となるビートは実に不規則なパターンを描き、彼にしか作り得ない独特なグルーヴが完成している。また全体を通して、アナログ的なザラザラした感触が保たれる中で、音数も決して多くはなく、どこか引き算の美学というのも強く感じとれる。ジャンル的にはヒップホップというフィールドにいるのは間違いないのだが、ヒップホップという音楽だけを聴いていたら決して生まれないサウンドであり、それは彼のヴォーカル・スタイルにも共通している。ヴォーカルも楽器のひとつとして、他の楽器と見事に混ざり合い、心地良く耳に響いてくる。先行リリース曲の “Sen” などはその典型とも言えるが、曲の中でシンセとヴォーカルが並列に存在し、見事なアンサンブルを奏でている。そんな中、“Hentai NIpponjin” という曲に関しては、彼の言葉が実にダイレクトに届き、少々異彩を放つ。シンセベースが実にファンキーに響くトラックに乗って「現代日本人はみんな変態」というシンプルなメッセージにニヤリとさせられながらも、どこかふっと腑に落ちるような曲でもあり、不思議な魅力に包まれている。

 本作のもうひとつの目玉は、Aru-2 とも繋がりの深いラッパーのゲスト参加だろう。乗りこなすのは決して容易ではない Aru-2 のトラックであるが、全員がそれぞれスタイルの異なるビートに自らの個性をストレートにぶつけ、曲のグルーヴ感を最大限に引き出している。完成度が高いのは曲の構成が一番作り込まれ、展開も見事な JJJ とのタイトル曲 “Little Heaven” であるが、KID FRESINO、Campanella との “Go Away”、ISSUGI との “Bye My Bad Mind” も、甲乙つけがたい強い存在感を放っており、Aru-2 のヴォーカルとのコンビネーションも実に聞き応えがある。少々贅沢な願いかもしれないが、Aru-2 のビート&ヴォーカルを駆使した上で、さらにもっといろんなラッパーとの組み合わせによる楽曲を聞いてみたい。そんなことさえ思わせてくれる、無限の可能性を感じさせるアルバムだ。

Yunzero - ele-king

 コロナがもしもゾンビだったら。そんなことあるわけないと早々に逃げ遅れて死ぬのが安倍やトランプ。いち早く危機を察知して助かるのがアーダーンやメルケル。そんなもの叩き潰してやるといって向かっていくのがボルソナロやルカシェンコ。僕の母親の家族は5000人以上の死者や行方不明者を出した伊勢湾台風の時に「こっちに逃げろ」と行政が指導した方向とは逆の方向に逃げたら助かったそうで、行政の指示に従った人たちは全滅だったという。そう、リーダーの指導力がソンビ映画の脇役と同程度だと判明してしまった国の人々はマジでどんよりとするしかない。コロナ禍を受けたイギリス人のジョークに「ニュージーランドに宣戦布告をしてすぐに降伏し、アーダーンに英連邦を支配・統治してもらいたい」というのがあったけれど、日本も……いや。イタリアですらスペランツァ保健相がこの25日に危機的状況は脱したという認識を示したというのに……だらだらと……いつまでも……

 長引くステイホームがもたらしたものは、そして、IDMの充実だったかもしれない。ベッドルームが活気づけばIDMが勢いを増すか、子どもが生まれるか。それはつまり「新たな非日常」をどう構築するかということで、それはそれで異様なテンションに包まれていたのかもしれない。

 モスクワのinFXがまずは秀逸だった。オウテカをカジュアルにしてフレッシュにしたようなデビュー作『Consume Your Own Identity』〈Klammklang Tapes〉は思い切りよく叩きつけるビートが気持ちよく、ヒステリックな音使いが閉塞感とは対極にあった。マイナー・サイエンス『Second Language』〈Whities〉のデビュー・アルバムも期待通り。ベルリンのアンガス・フィンレイソンがボーズ・オブ・カナダをダンスフロアに引きずり出そうとして、そのアイディアをカール・クレイグに横取りされたようなサウンドはいまさら〈ワープ〉の「アーテフィシアル・インテリジェンス」シリーズに加えてもおかしくはない1枚と言える。アルカもポップになり、ローレル・ヘイローの弟子たち(?)が集まったらしき『Fossilized Air Bubbles Popped Themusicfire』〈CAMP Editions〉も聴き応えがあった。そして誰よりもメルボルンのジム・セラーズによる『Blurry Ant』である。ユーチューブやインターネットから集めてきた音で、つまり、本人いわく「家に居ながらにしてフィールド・レコーディングが可能だった素材」を元にグルーヴィーな現代音楽が窒息しそうな勢いで並べられている。冒頭からエレクトロアコースティックをスラップスティックにねじ上げ、つかみはOK。

 バックグラウドがどうにも見えづらい音楽だけれど、まあ、その方が当分、楽しめるともいえる。リズム・パートとドローンを自在に行き来し、既成のフォームよりも混沌とした世界観を優先し、「僕はそう簡単には汚れない(I Didn’t Smudge So Easily )」などというタイトルをつけてきやがる。で、確かにどこかピュアな感覚は保たれていて、何度聴いても嫌なところがない。デビュー作『Ode to Mud』〈.jpeg Artefacts〉よりも全体にかなり複雑で、ここ数年、ちらちらと見かけるようになったイルビエント・リヴァイヴァルにも分類される音響。イルビエントいうのは開放感のないダブというのか、DJスプーキーが『Songs Of A Dead Dreamer』(96)で編み出した都会の袋小路を表現したサウンドで、ケヴィン・マーティンやハイプ・ウイリアムズもその系譜に位置している。彼らに共通しているのは最初はわかりにくいけれど、キャリア的には長持ちしているということ。『Blurry Ant』にもそのようなポテンシャルはびしびし感じられる。

 リリース元はこれまでにスパークリング・ワイド・プレッシャーやエンジェル-1、最近ではテキサスのモア・イーズや日本のイナー・サイエンスをリリースしてきたレーベルで、収益のすべてを警察の暴力に抗議するシカゴの「Assata's Daughters」に寄付されるそうです。例の「こぶし」マークの団体で、アサタというのはブラック・パンサーのアサタ・シャクール。2パックの叔母さんです。

interview with Laraaji - ele-king


Laraaji
Sun Piano

All Saints/ビート

Ambient

beatink

 一昨年の圧倒的な来日公演も記憶に新しいララージ。エレクトリック・ツィターを駆使した幻惑的なサウンドは近年のニュー・エイジ・リヴァイヴァルにも大きな影響を与えてきたわけだが、今回の新作ではなんとツィターは一切使われていない。『Sun Piano』なるタイトルどおり、生ピアノだけを演奏した作品なのだ。でも、心配ご無用。天上から降り注ぐ光のようなイメージはそのままに、あのララージ的世界をさらに拡張したものになっている。ここでは、新作の内容のみでなく、ピアノとツィター、ピアノと自身の関係についても詳しく語ってもらった。

ピアノというのは、非常に肉体的な打楽器だ。肉体的に、リズミカルに自己表現する楽器。ハーモニーと音色で表現する楽器。さまざまな楽器のなかでも、触れ合うのが純粋に楽しいと思う楽器なんだ。

元々ピアノを勉強していたあなたが、今回ソロ・ピアノのアルバム『Sun Piano』を発表したのはとても納得のいくことですが、同時に、これだけピアノ演奏が達者なあなたが、なぜこれまで一度もピアノ作品を作らなかったのか、改めて不思議に感じました。まずは、このアルバム制作の背景、経緯を教えてください。

ララージ:ピアノは私の人生のなかで、重要な位置を占めている楽器だからね。人生の薬のようなものさ。ピアノは常に私の表現の軸にある楽器だが、これまで私は主にエレクトリック・サウンドの実験を進めてきた。そんななかで、近年のアルバムのレコーディングを見てきていたプロデューサーのマシュー・ジョーンズ(Matthew Jones)に言われたんだ。「そろそろピアノでソロ・アルバムを作る頃だろう」って。それが、この新作を作ることにした理由さ。自分のなかで、その助言がとてもしっくりときた。ピアノはずっと好きだったから、時が来たんだね。私の中で、このタイミングでピアノ・アルバムを作るというのはとても自然なことだったんだ。これまでほとんど弾いたことのなかったグランドピアノを使ったりもして、そういう部分でも純粋に楽しかった。ピアノの前に座って、弾くことを素直に楽しむ時間が幸せだったよ。作業にとりかかり始めたのは2018年の頭で、その年の12月に録音を開始した。

ピアノだけのアルバム制作に際し、なにか戸惑ったり難しかったことはありますか。

ララージ:ピアノだからといって、難しいということはなかったよ。だた、物理的な面で大変だったことがひとつあって……レコーディング途中で、エンジニアのジェフ・ジーグラー(Jeff Zeigler)が拠点を移したんだ。スタジオを引っ越したのさ。それで、ミキシングが途中で止まるなど、作業が遅々と滞ってしまったのが大変だったね。あとは、コロナ・ウイルスの関係でスケジュールの変更もいろいろとあったし。それ以外にはとくに問題はなかった。

カート・ヴァイルやメアリー・ラティモアなどとの仕事で知られるジェフ・ジーグラーが録音/ミキシング・エンジニアを担当した経緯は? また、録音に際し、ジェフとはどのような対話がありましたか。

ララージ:ジェフとは、ダラス・アシッド(Dallas Acid)とのコラボレーションの際に知り合った。ニューヨークのブルックリンでね。2年前にLaraaji/Arji Oceananda/Dallas Acid 名義のコラボ・アルバム『Arrive Without Leaving』を出した時のことだ。ジェフ・ジーグラーとダラス・アシッドと私を繋げてくれたのは、『Arrive Without Leaving』でエグゼクティヴ・プロデューサーを務めたクリント・ニューサム(Clint Newsome)だ。私とジーグラーは初対面の日から2日間、一緒にスタジオで過ごした。彼は今、私のライヴの際にもシステム・エンジニアを務めてくれている。サウンドのクオリティにこだわる人で、仕事をする上でとても頼もしいよ。レコーディング中に彼と話したことは…そうだな……「どうしたら椅子がきしむ音を消せるか」ということと、「今日のランチはどこにするか」ということぐらいかな(笑)。真面目な話、私たちは、感情の面で偏りが出ないようには気をつけていた。穏やかな面と、攻撃的な面とのバランスをちゃんと持っている作品にしたかったんだ。

自宅ではこれまでもずっとピアノを弾いてきたのですか。

ララージ:毎日弾くよ。夜はいつもイヤホンを付けて弾いている。ピアノというのは、非常に肉体的な打楽器だ。肉体的に、リズミカルに自己表現する楽器。ハーモニーと音色で表現する楽器。さまざまな楽器のなかでも、触れ合うのが純粋に楽しいと思う楽器なんだ。音程もたくさんあって、強弱も幅広くつけられるから。

若い頃は、大学でクラシック・ピアノを学びつつ、趣味でジャズ・ピアノを弾いていたと一昨年の日本での取材時に言ってましたが、いま自宅で好んで弾くのはたとえばどういう音楽ですか。

ララージ:自宅では、即興演奏しかやらないんだよ。だから、いつも新しい曲を弾いているんだ。ジャズのような、エネルギッシュなものをフリー・フォームで弾いたりはするが、楽譜を見てクラシックの曲を弾いたりは、もうしないね。即興が楽しすぎて、それどころではないから(笑)。

伝承曲“シェナンドー(Shenandoah)"以外の『Sun Piano』収録曲もすべて即興なんですか。

ララージ:うん、すべて即興だよ。楽譜は書かない。まずはテーマとなるハーモニーを見つける。そしてそのテーマに従って、肉付けの部分の作曲を即興で進めていくんだ。

作品全体がイノセンスな輝きに満ちていますが、本作を作る際、あなたの頭のなかにはどのようなイメージ(情景)がありましたか。

ララージ:ある時は、深呼吸を頭のなかで想像する。そうすると穏やかな、リラックスできる曲になる。ある時は、楽しく踊る脚を想像する。そうすると踊り出したくなるような曲になる。そしてある時は、雲の上の高いところでダンスをする、天使や妖精みたいな、想像上の生き物を想像する。それが、君が言ったような「イノセンスな輝き」につながっているのかもしれないね。

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太陽は、自然界のなかでも私がとくに好きな存在だ。自らのエネルギーを放出して、世界を明るく照らす。私はそんな太陽からインスピレーションをもらって、自分の芸術を表現している。活気とエネルギーがあって、光を分け与えられるようなものとしてね。このアルバムを『Sun Piano』というタイトルにしたのも、それが理由だ。


Laraaji
Sun Piano

All Saints/ビート

Ambient

beatink

伝承曲“シェナンドー"には何か特別な思い入れや想い出があるのでしょうか。

ララージ:これはアメリカン・フォークのなかでもとくにお気に入りの曲なんだ。そこから着想を得てグランドピアノで即興をするのも面白いかなと思ってね。実は、これまでも長いこと“シェナンドー"をベースにしていろいろと即興をしていたんだよ。それをたまたまこの新作に入れてみようかなという気になってね。今回は大きな教会のグランドピアノで演奏したから、反響で自分らしい音が聴こえるんだ。そういう、自己満足のようなものだね。一度やってみたかったっていう。大学で合唱の時にこの曲を歌ったり、アメリカに実際にあるシェナンドーという場所に行ったことがあったりと、いろんな思い出のある曲なんだよ。

長年ツィターを演奏してきたことは今作でのピアノ演奏にも何らかの影響を与えているはずだと思いますが、もしそうだとしたら、具体的にはどのような影響でしょうか。

ララージ:私がツィターを使いはじめたのは1974年だ。ツィターはむきだしのミニチュア・ピアノのようなものだが、ピアノではできないことができる。ハンマーを使って演奏することもできるし、ピアノよりもメロディーの幅が広がるんだ。だから、ツィターでの実験を通して発見したことを逆にピアノでできないかなと模索することなんかがあるし、そこからさらに新たな発見に出会うこともある。私がツィターと初めて出会ったのは、当時お金が必要で、ギターを売ろうと思って訪れた楽器の質屋だった。ブルックリンのね。でもお金に替えるかわりに、そこにあったツィターと交換してしまった。神に導かれるようだった。そんな出会からこの楽器をいじり始め、いろいろと面白い音を見つけ、それを人前で披露できるまでになった。きっと運命だろうね。

ヨーロッパ近代社会や思想と結びついた平均律(equal temperament)ピアノの音は、雲や虹のようなあなたの世界とは相容れないのでは……などと想像しがちですが、あなたのなかでは何の違和感もありませんでしたか。

ララージ:これまでずっとツィターで音楽的な実験を続けてきて、今回はそれを活かしたいと思ったんだ。長い間使ってきたツィターだから、これまでの経験を活かしてあげないとと思ってね。私にとっては、まずはそこが重要だった。ただ、今回のアルバムのようにピアノを使
うとなった時に、例えばピアノを違う周波数に調律して弾くのは違和感があるよね。たとえば純正律とか。そもそもピアノとツィターでは奏でられる旋律にも違いがあるし。純正な音程ではない平均律は、音色としてはいわゆる不協和音をはらんでいるが、一方でそれは、他楽器との調和に役立つ。つまりここでは、ツィターで培ってきた旋律の構成手法を活かすための平均律なんだ。

本作は3部作の第1弾であり、次作は『Moon Piano』だとすでにアナウンスされています。『Sun Piano』と『Moon Piano』の違いや関係について説明してください。

ララージ:『Sun Piano』は明るく、楽しく、燦然と輝く、アグレッシヴなリズムを奏でるアルバムだ。これから出る他の2枚に比べ、オープンなんだ。『Moon Piano』はより女性的で、柔らかく、内省的で、そして静か。この2作品に関しては、同じ即興セッションのなかから生まれた。使ったピアノも同じだが、感情の世界の別の面が表現されている。穏やかな面と、攻撃的な面とね。そして3枚目は『Through Illumines Eyes』というタイトルだ。そのアルバムでは、エレクトリック・ツィターとピアノを同時に演奏している。感情の面では、とても明るく、燦々と輝いており、まぶしいくらいだ。イメージとしては、グランドピアノとエレクトリック・ツィターの間だね。ピアノとツィターを、自分で同時に演奏しているから。私はピアノを両手で弾きながら、途中からピアノを伴奏にして右手でツィターを弾くこともできるし、ツィターのループをかけながらピアノを重ね
ることもできる。ドラマーみたいな感じだね。

あなたは常に時代の空気を意識してきたと以前語ってくれましたが、今回のソロ・ピアノ作品はいまの時代とどのように共振すると考えていますか。

ララージ:太陽は、自然界のなかでも私がとくに好きな存在だ。自らのエネルギーを放出して、世界を明るく照らす。私はそんな太陽からインスピレーションをもらって、自分の芸術を表現している。活気とエネルギーがあって、光を分け与えられるようなものとしてね。このアルバムを『Sun Piano』というタイトルにしたのも、それが理由だ。音楽を聴くことで、聴き手はそこに平穏を見つけられると思う。落ち着くことができる。それは、静かな曲だけではなくて、元気な曲にも言えることだと思っているんだ。いまの世のなかで起こっていることを考えて、不安で気持ちがざわざわしている時にでも、音楽を聴けば自分のなかにバランスを見つけることができる。今回の3部作を聴くことで、一旦落ち着いて、リラックスし、状況を客観的に観察し、そしてもう一度平穏を取り戻せるような感情の世界に自分を導いてくれれたらと思っている。

このアルバム制作を通し、ピアノという楽器に関して新たに発見したこと、気づいたことはありましたか。

ララージ:今回は教会で演奏したんだが、音の反響があるから、これまで聴こえていなかった音が聴こえた。ピアノの音の奥深さと、ハーモニーの広がりを感じたよ。グランドピアノ自身が奏でる豊かな音色が聴こえてきた。それから、ピアノの椅子が鳴らすキーキーという音にもリスペクトを払うようにしようと気づけた(笑)。ピアノに没頭しているときに鳴る音だからね。ジェフ・ジーグラーとのレコーディングがあったからこそ、これまで気づいていなかったピアノの音を発見できたというのもあるね。

INFORMATION

オフノオト
〈オンライン〉が増え、コロナ禍がその追い風となった今。人や物、電波などから距離を置いた〈オフ〉の環境で音を楽しむという価値を改めて考えるBeatinkの企画〈オフノオト〉がスタート。
写真家・津田直の写真や音楽ライター、識者による案内を交え、アンビエント、ニューエイジ、ポスト・クラシカル、ホーム・リスニング向けの新譜や旧譜をご紹介。
フリー冊子は全国のCD/レコード・ショップなどにて配布中。
原 摩利彦、agraph(牛尾憲輔)による選曲プレイリストも公開。
特設サイト:https://www.beatink.com/user_data/offnooto.php

Sun Araw - ele-king

 これはめでたい。ユーモラスな電子音と独特のパーカッション、ギター、ヴォーカルが織り成すポリリズミックな宇宙ファンク・サウンド、2020年のベストな作品のひとつ、LAのキャメロン・スタローンズことサン・アロウによる最新作がめでたく日本盤化。7月15日に発売される。歌詞・対訳も封入されるので、要チェックです。

現代最高のサイケデリック・サウンド・クリエイター、キャメロン・スタローンズ=サン・アロウ最新アルバム、その名も『ロック経典』。途方もない恍惚感と酩酊感に満ちあふれた、中毒性たっぷりの経典。危険すぎる!

SUN ARAW 『ROCK SUTRA』
サン・アロウ/ロック・スートラ
PCD-25301
定価:¥2,500+税
Release Date: 2020.07.15
●米 Sun Ark / Drag City 原盤
●解説/歌詞・対訳付

TRACKLIST
1. ROOMBOE (9:29)
2. 78 SUTRA (10:59)
3. CATALINA BREEZE (7:41)
4. ARRAMBE (12:12)

CAMERON STALLONES: MIDI-GUITAR, SYNTHESIZERS, VOCALS
JON LELAND: V-DRUMS, PERCUSSION, CONGAS
MARC RIORDAN: SYNTHESIZERS
ALL RECORDED LIVE-TO-MIDI AT SUN ARK STUDIOS

CAN の名盤とさえ言える未発表曲集『Unlimited Edition』とサン・アロウの『ロック経典』を交互に聴いているのだが、1974年と2020年の作品は時空を越えて繋がっていることが確認できる。──野田努(ele-king)

ジャマイカの伝説的ヴォーカル・グループ、コンゴスとの共演盤や、ニューヨークのこれまた伝説的パーカッション奏者/電子音楽家、ララージとの共演盤も話題となった、カリフォルニア州ロングビーチを拠点とする現代最高のサイケデリック・サウンド・クリエイター、キャメロン・スタローンズ=サン・アロウによる最新スペース・ロック・アルバム。バンドとの生演奏をMIDIで録音したはじめてのアルバムで、これまでになくポリリズミックな展開がじつに刺激的だ。“Arrambe” では、CAN やホルガー・シューカイのアフリカ音楽解釈を彷彿させる。ファンクとロック、ダブの間を行き来する、エクスペリメンタルでありつつもどこかユーモラスな極上のトリップ・ミュージック。傑作。

vol.128:迷惑な花火ブーム? - ele-king

 7月4日はアメリカの独立記念日。本来なら野外でBBQし、ビーチではライヴショー、元気いっぱいのパレード、ネイサンズのホットドッグの早食いコンテスト(104回目)、恒例メーシーズの花火を楽しむところだが、今年はショーはなし、早食いコンテストは未公開の場所でオーディエンスなし、メーシーズの花火は6日前の6月29日からはじまっていた。今年は大きな花火を一回にドカンと上げるのではなく、毎日夜9時から10時の間の5分間、場所を変え数日かけて上げるという、コロナ・パンデミックを意識して行われたものだった。グランドフィナーレの7月4日は、この美しい花火を見て(例えオンラインでも)、心が救われた人は多かったはず。

https://gothamist.com/arts-entertainment/macys-july-4th-fireworks-light-empire-state-building-illegal-fireworks-explode-citywide

 なのだが、私がいたブッシュウィックのルーフトップではメーシーズの花火がどれだったかわからないくらい、違法花火が上がりまくっていた。夜の8時頃から深夜3時過ぎまで、花火がずっと上がり続けるのだ。一度に50箇所ぐらいたくさんの場所で上がるので、どこを見たら良いのか。
 ニューヨークでは花火は違法なのだが、6月あたりから毎日のように花火が上がり続けている。ペットたちは怯えるし、人は夜、騒音で眠れないと苦情も絶えない。花火は好きだが、こんなに毎日見ているとありがたみも無くなってしまう。アパートの前のプレイグラウンドで花火を上げている人もいたし、隣のルーフから花火を上げている人もいたし、間違ってこっちに飛んでこないかとビクビクしていた。なぜこんなに花火がNYにあるのだろう。こんなに間隔もなく上げれるのは、かなりの量の花火を持っているということだが、今年はエンターテイメントもないのでその反動なのか。
 リッジウッドの住人は、彼女のアパートから外を見ていたとき、ひとりの男性が交差点で花火に火をつけ、そのまま車で走り去ったというし、知り合いは抗議活動のときにランダムな人から花火をあげると言われたらしい。この日すべての花火を使い尽くし、次の日から花火のないNYになればと切実に思う。

https://gothamist.com/news/nearly-two-dozen-arrested-nyc-illegal-fireworks-guns-alligator-carcasses

 NYでは7月6日から第3段階:レストラン、飲食サービス、ホテルがオープンする。レストランの中での飲食は延期されたが、引き続きアウトドアでの飲食は大丈夫ということで、レストランやバーの前はテーブルと椅子、パラソルなどが置かれ、歩行者天国状態になっている。マンハッタンはまだまだゴーストタウン状態だし、アメリカでの感染率は増えている。
 ショーもまだまだだが、レストランで食事ができるのが切実に嬉しいし、NYは再オープンに向けて着実に進んでいる。まだ、家にいる時間が長いが、花火でストレスを解消するのではなく、違うことに目を向けてほしいものである。この夏、ライヴストリーミングからアウトドアショーに移行できることを期待して。

【編注】トランプ大統領も、独立記念日の演説でど派手に花火の打ち上げを強行しました。

Boris - ele-king

 本日7/3の日本時間16時、Boris が完全自主制作によるニュー・アルバム『NO』をbandcampでリリースしている。

 これまで灰野敬二、メルツバウ、SUNN O)))、栗原ミチオ(ex. ホワイ・ヘヴン)らとのコラボレーションを含め、ドゥーム/ストーナーにとどまらない懐の深い音楽性を披露してきた彼らだが、今作は広島のハードコア・レジェンド、愚鈍(GUDON)のカヴァー “Fundamental Error” (ソルマニア/ex. OUTO/ex. シティ・インディアンの KATSUMI が参加)や、MVが先行公開された “Anti-Gone” など2~3分台のファスト・ナンバーを多数収録。バンド史上屈指のハードコア・パンク作品となっている。この怒りに満ちたサウンドをライヴで浴びる日を心待ちにしよう。

『NO』
https://boris.bandcamp.com/album/no
7/3リリース(0:00 US standerd time. 16:00 japan time)

01. Genesis
02. Anti-Gone
03. Non Blood Lore
04. Temple of Hatred
05. 鏡 -Zerkalo-
06. HxCxHxC -Parforation Line-
07. キキノウエ -Kiki no Ue-
08. Lust
09. Fundamental Error
10. Loveless
11. Interlude

Takeshi: Vocals, Guitar & Bass
Wata: Vocals, Guitar & Echo
Atsuo: Vocals, Percussion & Electronics

Guest Guitar: Katsumi on Track 09
Recording: Fangsanalsatan at Sound Square 2020
Mix & Mastering: Koichi Hara (koichihara-mix.com)

“Fundamental Error” Originally Perfomed by GUDON

Logo Type: Kazumichi Maruoka
Design: Fangsanalsatan

FAS-023

Speaker Music - ele-king

三田格

 ニューヨークのアパレル・メーカー「HECHA / 做」が攻めまくっている。プロジェクト1は2018年の9月にウェブ上で行ったオール・デイ・ストリーミング。プロジェクト2は2019年のベルリン国際映画祭でジェシー・ジェフリー・ダン・ロヴィネリ(Jessie Jeffrey Dunn Rovinell)によるクィアー映画『ソー・プリティ』の上映。プロジェクト3は「黒いテクノを取り戻す(Make Techno Black Again)」(トランプのパロディです、念のため)というキャンペーン用キャップの発売。この時にテーマ曲をつくったのがスピーカー・ミュージックことディフォーレスト・ブラウン・ジュニア(以下、DBJ)という音楽ライター。プロジェクト4はオンライン・ショップの開設とポップ・アップ・イヴェントと続き、これらはすべて共感によってドライヴされるビジネス・モデル(Empathy-driven business model)を標榜するルス・アンジェリカ・フェルナンデスとティン・ディンという2人の女性が企画・推進している。プロジェクト7は「テクノは誰のもの?(Who Does Techno Belong to?)」と題された討論会の開催で、商品化され、商業化したテクノについてゲストを交えて語り合うなど、テクノに対するこだわりがハンパない。彼らの頭にあるのはとにかくデトロイト・テクノの継承と発展である。EDMのかけらもない。そして、Project10として〈プラネット・ミュー〉からリリースされたスピーカー・ミュージックのセカンド・アルバム『Black Nationalist Sonic Weaponry』はまさに「黒いテクノを取り戻」し、「HECHA / 做」の主張を具体化した素晴らしい内容となった。〈プラネット・ミュー〉も今年、最も重要なリリースになると大きな声を上げている。何も知らずに1曲目を聴いた僕も叫びそうになった。すごい。すごいよ!!マサルさん。セクシーコマンドー。いやいや。

 ベース・ミュージックとフリー・ジャズの出会い。そんな生易しい次元ではないかもしれない。1曲目にフィーチャーされているのは詩人のマイア・サナア(Maia Sanaa)で、付録としてついている45ページのブックレットは彼女の書いた理論や詩を集めたものらしい(これは未見)。DBJ自身もアミリ・バラカが提唱し、黒人音楽の歴史をまったく新しい視点で読み直したとされる批評家ツィツィ・エラ・ジャジ(Tsitsi Ella JajiI)が連帯のために提唱したステレオモダニズム理論をアルバム全体に応用したそうで、それはアメリカ産のブラック・ミュージックを読み解くためにセネガルとガーナと南アフリカの音楽を研究した成果らしい。どこがどうだかはもちろんよくわからない。わかるのは躓くように叩かれるスタッタリング・ドラムがとにかくカッコいいということと、3曲目の“Techno Is A Liberation Technology(テクノは解放のテクノロジー)”でジョン・ハッセルばりのトランペットが最初のピークをつくり出すこと。この緊張感には圧倒される。ドリルン・ベースなんて子どもの遊びだったじゃん……(いや、それはそれでいいんだけど)。続いて“Black Secret Technology Is A Traumatically Manufactured And Exported Good Necessitated By 300 Years Of Unaccounted For White Supremacist Savagery In The Founding Of The United State(野蛮な白人至上主義の上に築かれたアメリカのために300年も輸出が必要とされ、精神的な外傷を負わされてきた黒い秘密景気)”で同じく極端なスタッタリング・ドラムの背後で粒子の細かい電子音が縦横無尽に飛び回り、“A Genre Study Of Black Male Death And Dying(黒人男性の「死んだ」と「死んでいる」の調査)”ではドラムがトライバルな響きにガラッと変わり、延々と警察無線がサンプリングされる。複数のパーカッションが入り乱れる瞬間はまさしく何かが起きた感じ。

 不協和音を連打するピアノにリードされた“Of Our Spiritual Strivings(私たちの精神的努力)”はザ・ポップ・グループをベース・ミュージックに変換したかのようであり、メロウなサックスとノイズで構成された“Black Industrial Complex - Automation Repress Revolution In The Process Of Production, And Intercontinental Missiles Represent A Revolution In The Process Of Warfare(黒い複合産業 - オートメイションは生産方法を劇的に変えることを抑止し、大陸間弾道ミサイルは戦争を進化させていく)”でようやく一息つける(つけないかな)。“Super Predator(他人を犠牲にして利益を得る者)”で再び強烈なスタッタリング・ドラムが復活し、“American Marxists Have Tended To Fall Into The Trap Of Thinking Of The Negroes As Negroes, i.​e. In Race Terms, When In Fact The Negroes Have Been And Are Today The Most Oppressed And Submerged Sections Of The Workers​.​.​.(アメリカのマルクス主義者たちは黒人のことを人種的タームとして考える罠に陥りやすく、実際に黒人たちはかつても、そして、いまも抑圧され、労働者としてどっぷり社会の底に沈められている)”ではストイックなドラミングに不穏なシンセサイザーの波が押しては返すスリリングな展開。ラストはアルバム全体の余韻を先取りするようにジェフ・ミルズのコード進行を思わせるクールな“It Is The Negro Who Represents The Revolutionary Struggles For A Classless Society(階級なき社会のための革命の闘争を象徴するのはニグロである)”。物悲しいサックスの響きはマッド・マイクのそれとはあまりに対照的。デトロイト・テクノの優美なメロディやパワフルな面しか見えていないフォロワーは思いっきり反省すべきだろう。

 深南部からニューヨークに出てきたというDBJは、以前は本人名義で実験音楽に多くの時間を割いてきた。どちらかというと活動はアート寄りで、2017年にスザンヌ・フィオール・キュレイトリアル・フェローシップの奨励を得るとMoMAの別館など様々な場所で作品を発表し、ヒートシックなどの名義で〈パン〉からリリースがあるスティーヴ・ウォーウィックとの共作「E-M」などですぐにも知名度を上げていく。DJなどではヒップホップやテクノを扱うこともあったDBJは、しかし、自分で作曲するとなるとフィールド・レコーディングや延々とスピーチを続けているものがメインで、昨年末に〈プラネット・ミュー〉からリリースされたスピーカー・ミュージックとしてのデビュー作『Of Desire, Longing』もゴソゴソとしたドローンの変形サウンドが46分36秒にわたって持続するだけ。いわゆるダンス・ミュージックではまったくない(あ、安倍晋三の言い回しがうつった!)。『Black Nationalist Sonic Weaponry』の前哨戦となったのはケプラ(Kepla)とのコラボレイト・アルバム『The Wages Of Being Black Is Death』(19)で、控え目だけれど、パーカッション・サウンドが取り入れられ、『Black Nationalist Sonic Weaponry』の青写真がここには確実に描かれている。言葉とサウンドの比重が逆転し、「メイク・テクノ・ブラック・アゲイン」を自らが実行に移した感じだろう。“Sunken Place in Reverse...a Cancelled Future, a Horizon of a Pipe Dream(逆さに沈没した場所……キャンセルされた未来、空想の地平線)”から『Black Nationalist Sonic Weaponry』まではあと一歩である。“Sophisticated Genocide - American Industrialized Culture is Designed to Flush Out Non-performing/Non-conforming Black Male Bodies(洗練された大量虐殺 - アメリカの産業文化は役に立たない黒人男性の肉体を追い出すようにつくられている)”で組み合わされたリズムとドローンのコンビネイションもDBJが助走段階に入っていることを告げ知らせている。さらに『Black Nationalist Sonic Weaponry』と2日違いでリリースされたDBJ名義『Further Expressions Of Hi-Tech Soul』は1時間に及ぶスタッタリング・ドラムにマッド・マイクを思わせる雄大なシンセサイザーがやや重々しく被せられていくスタイルで、彼の作品にしては言葉がまったく使用されず、この試みもまたテクノを新たな次元に持ち上げたものといえる。タイトルはマッド・マイクを意識したものではなく、耐久と適応を強いられてきた黒人の歴史とその肉体を表すものだという。

 シリアからオマール・スレイマンが飛び出し、ウクライナからヴァクラが頭角を現したように、紛争が起きることを察知して優れた音楽がその予兆を奏でることはままあることだろう。アメリカでブラックライヴズマターが再び拡大する直前、僕はピンク・シイフ(Pink Siifu)によるパンク・ラップにいささか慄いていた。ここまでアナーキーなヒップホップ・サウンドはそうそうない。しかし、録音時期から考えて、それをも上回る音楽的な爆発を起こしていたのはDBJだった。19日に配信が開始されたということは、各曲のタイトルはブラックライヴズマターを受けて考えられたものに違いない。厳密にいうとブラックライヴズマター以後につくられた最初の作品とは言えないだろうけれど、そのような時間的な境界線上にあったことを考えれば、『Black Nationalist Sonic Weaponry』をブラックライヴズマター後に現れた最初の音楽作品として考えてかまわないのではないだろうか。〈プラネット・ミュー〉からのステートメントは「(『Black Nationalist Sonic Weaponry』は)野蛮な新自由主義を超克し、白人のテクノ・ユートピアが描き出す架空の経済成長に負うことがない未来へと歩み出す作品だ」と結ばれている。また、『Black Nationalist Sonic Weaponry』の収益はすべて「Black Emotional and Mental Health (BEAM) 」と「the Movement 4 Black Lives」に寄付される。

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野田努

デトロイト・テクノはアメリカのポップ・カルチャーから欠落し、反メディア的であるために、国のスキャン・システムから完全に抜け落ちてしまっている。(略)アメリカのメディア風景全体を補強しているエンパワーメントの論理からテクノは脱退する。それらすべての指令から逃れて可視化するために、あるいは人びとの声を聞くために、人びとの歴史を語るために。──コドウォ・エシュン『More Brilliant Than The Sun』(高橋勇人訳)

 娘がまだ幼稚園に通っていたとき、いっしょに近所を歩いていたら、自転車に乗った警官が2名ぼくたちの前を通り過ぎた。傍らにいた娘を見ると、思い切り敬礼している。「なにやってんだよ?」と訊くと「おまわりさんと仲良くなれれば、何かあったときに助けてくれるじゃん」と答えた。たしかにこの社会では最初、そう教えられるものである。おまわりさんはみんなを守ってくれると。
 その娘もいま11歳となって、アメリカで警官が黒人をとっちめている映像をいっしょに見ている。このリアルは、彼女が学校では教えられていないリアルだ。時間はかかるだろうが、これから彼女に“黒い物語”を話さなければならない。すなわち信じ込まされていた話が必ずも正しくはなかったということを。ブラックライヴズマターに若い白人が多いのは、彼ら・彼女らが子どもの頃に教えられたリアル(歴史、社会)が欺瞞的だったことに腹を立てているからだろう。

 「地球人を飼いならす平凡な視聴覚プログラムは、人びとの心を濁らせて人種間に壁を作る」とはかつての、30年前のデトロイトのURなるアーティストがレコードに印刷した言葉だが、時代が変わるときはいっきに変わるものだ。NYのスピーカー・ミュージック(ディフォレスト・ブラウン・ジュニア)なる黒人青年は、いま、山頂で空気で肺をめいっぱい膨らませるかのようにデトロイト・テクノとフリー・ジャズを我が身に吸い込み、そして更新しようとしている。ディフォレスト・ブラウン・ジュニア(DeForrest Brown Jr.)名義でリリースしたアルバム『Further Expressions Of Hi-Tech Soul(ハイテック・ソウルのさらなる表現)』のアートワークは、エシュンの『More Brilliant Than The Sun』を読んでいる彼自身の姿である。そして、“Hi-Tech Soul”とはデリック・メイの造語であり、そのコンセプトの重要性をDBJは1週間前に出たばかりのスピーカー・ミュージック名義のアルバムに併せて作ったブックレット(フリーでDLできる)のなかで解説している。
 ブックレットにおいては、URの『インターステラー・フュージティヴ』のアルバムのアートワークが紹介され、そしてドレクシアの『ザ・クエスト』のCD版に掲載された奴隷貿易という西欧社会の歴史(学校では教えられることのない)が再掲されている。それがこれからスピーカー・ミュージック(DBJ)を聴こうとする人たちへのひとつヒントだが、しかし、彼のサウンドには、21世紀のフットワークやベース・ミュージックを通過した斬新なリズム──ディスコとは切り離されたエレクトロニック・アフリカン・パーカッション──がある。リズムは彼の武器だが、さらにフリー・ジャズのエッセンスを融合させ、そう、URの“ファイナル・フロンティア”を30年分のアップデートに成功させている。それが、スピーカー・ミュージックのセカンド・アルバム『Black Nationalist Sonic Weaponry』の最後の曲、“It Is The Negro Who Represents The Revolutionary Struggles For A Classless Society (階級なき社会のための革命の闘争を象徴するのはニグロである)”だ。ちなみにニグロとは、黒人が主体的に自らを呼んだ言葉ではない、植民主義における白人が彼らをそう呼んだのであって、問題の根源は植民主義を生んでしまった思想なり文明なりにあると。
 スピーカー・ミュージックはサウンドの発展のさせ方もさることながら、コンセプトの研磨においても抜かりがない。今回の抗議運動は歴史的モニュメントの破壊にまでことが及んでいるが、ブラックライヴズターが反人種人差別にとどまらず、それ(=奴隷制度や植民主義)が黒人ではなく白人の歴史から来ていることを若い世代の白人が声を出していることに未来があるとは言えないだろうか。人びとの声は、DBJがブックレットの最初に引用したアミリ・バラカ(リロイ・ジョーンズ)の1967年の言葉「我々はポスト・アメリカの形態を欲する」とリンクしている。そして、連帯(solidarity)を呼びかけているこの音楽は、パブリック・エナミー〜UR以来の、確信的なポリティカル・ブラック・ミュージックと言えよう。(彼はいま『黒いカウンター・カルチャーの結集』なる著書を準備中だとか)

 ディフォレスト・ブラウン・ジュニアは、革命前史として、サン・ラ、アーチー・シェップ、アルバート・アイラー、ミルフォード・グレイヴス、ノア・ハワード、クリフォード・ソーントンといったアーティストたちの作品をリストアップしている。そう、ジャズなのである。これら60年代末〜70年代前半のフリー・ジャズと90年代のデトロイト・テクノとの溝を埋めようというのがDBJの企みであろう。
 また、インスピレーションのひとつに状況主義にも影響を与えたフランスの思想家アンリ・ルフェーヴルの名も挙げているが、大それた固有名詞が並んでいるからといって、身構える必要はない。テクノは、音を感じるところからはじまる。まずは何よりも、ここにはサウンドの強度がある。能書きをすっ飛ばして聴いても充分にカッコいい。アーチー・シェップのアルバムのように。ただひとつだけ言いたいのは、世のなかには「いま聴かなくていつ聴くのよ」という音楽があり、これはまさにいま聴く音楽だ、ということ。世界が“黒い物語”を必要としているまさにいまこのときに、である。

interview with Akira Rabelais - ele-king

 米シカゴ在中の異才アキラ・ラブレー(作曲家、ソフトウェア開発者)にはじめて会ったのは、2007年、デヴィッド・シルヴィアン欧州ツアーに参加した際立ち寄ったドイツ・ケルンでのこと。ツアー中盤、いまだ捉えどころのないデヴィッドから「紹介したいアーティストがいる」と言われ、その「アキラ」という名前の人と––詳細不明のまま––演奏会場に隣接したカフェで落ち合った。「この人とは酒が飲めそう!」と出会い頭に思い、開口一番ツアー中のこと日本でのことなど私事を捲し立ててしまった。アキラさんはその笑止千万な話しをひとしきり聞いてくれた後、ウィットで生き生きとした音楽やイメージを物腰穏やかに語ってくれた。私はその革新的なアイディアに興奮しつつ自分が恥ずかしくなった……。
 別れ際、彼は1枚のカードを手渡してくれた。ツアーバスに戻ってから、その魔術的な抽象画と古代文字が添えられたカードを眺め続けた。プラハに向かう深夜のハイウェイは闇に包まれていて、国境上空では怪鳥が鳴いている。私はその護符(カード)を大切に保管した。
 それから十数年近い歳月が過ぎて、私は偶然、大阪のNEWTONEレコードでアキラさんの再発盤レコードを入手した。その夢幻の響きはときを超えてまったく色褪せることなく、活き活きと私の前に立ち現れてきた。早速アキラさんに手紙を書いた。

 以来、機会ある都度にアキラさんとやり取りをしてきましたが興味が尽きないので、ele-king 野田さんに直談しインタヴューを行いました。ジョージ・フロイドさんが白人警官によって殺害された事件を期に起こった抗議活動が全米のみならず世界に広がりをみせる中、2回に分けて取材しました。以下その全文です。

これは本当に驚くべきアルバムです。一聴しただけでは制作プロセスがまったく推測できません。(渡邊琢磨)
作業プロセスは、トラックのヴァリエーションをいくつか作って、それを数日間、再生し続けて自分の潜在意識に浸透させ……それから調和的な修正を加えるというものだった。(アキラ・ラブレー)

音楽のみならず、開発されたソフトウェアも謎めいた魅力に満ちており、あなたの音楽的バックグランドを推し量ることは容易ではありません。

Akira Rabelais(以下、A):音楽の初仕事は、あるオペラ作品のためにパート譜を作成することだった。最初の給料で彼女にシルクのパジャマを買ったので、そのときのことはよく憶えているよ……音楽やアートとのつながりは、私がテキサス南部育ちということと関係がある。私は人里離れた競走馬の牧場で育った。ハイウェイの中途から挨拶するのに立ち寄るような場所だ。私は牧場で自然を声帯模写した。コヨーテ、鳥、馬と一緒に歌った。母はアーティストで、バッハ、サティやブラームスを弾いていた。私の最初の楽器は農場を取り囲んでいた有刺鉄線を射撃用の鉄の板に打ち付けることによって即興的に作り出したものです。

広漠とした大自然の記憶ですね。一方であなたは、ミュージック・テクノロジーやコーディングの卓越した技術をお持ちです。こうした技術や知識も音楽を始めた頃に習得していったのでしょうか?

A:いや、私がコンピュータを使いはじめるのはもっと後になってからだよ。大学生の頃、DMCS(註1)を使いはじめて、そのソフトを覚えることに夢中で何百時間もラボで過ごした。仲間の学生が私のやっていることに気づいて、電子音楽をやってみたらと勧めてくれた。それで、“Max”や“KYMA”(音楽やマルチメディア向けのビジュアルプログラミング言語)を使いはじめるようになったんだ。

それから、あなたは大変独創的なソフトウェア「Argeïphontes Lyre」を開発されました。このソフトに関してご説明いただけますか? またこのソフトはご自身の作曲ツールでもあるのでしょうか?

A:最初に開発した「Argeïphontes Lyre」(以下:AL)は、私のカルアーツ(カルフォルニア芸術大学の通称)の修了制作だった。「AL」は、トム・エルベ(註2)の下で学んだ結果生まれた。私が独自のオーディオ・フイルターの着想を得たのはアニメーションのクラスでのことだった。友人に、Blender(3DCG制作ソフトウェア)のアニメーション部分をプログラミングした人がいて、彼のアニメーションソフトはスイッチをオンにするとキャラクターが四方八方に飛び出てくるのだけど、そのソフトに触発されて「自分も同じことを音でやらなければ」と考えたんだ。そしてそれが結果として、“Eviscerator Reanimator”(「Argeïphontes Lyre」に包摂されているオーディオ・フィルターの一種)になった。いまの「AL」は、6ヴァージョン目です。それは、DSP・フィルター、ジェネレーター、オーデイオ、ヴィデオ、そしてテキスト合成の集合体のようなもので、私はそれをC言語、オブジェクティブC、C++で書いていて、再結合、変異、歪み、たたみ込み、対称性という概念を主体としている。最初のヴァージョンでは視覚情報の合成 ( 音声から映像への変換、映像の編集等々)を伴っていたが断念してしまった。直近ではカオス理論にハマっていて、どうやってそれを取り込もうか研究中。「AL」は私の庭のようなものです。私は庭仕事が好きで、雑草を抜いたり、収穫したり、新しいことを見つけたり、そのアイデアをまるで花のように育て……ときに、「AL」は道具として使える詩のようでもあります。ほとんどの私のアルバムで"AL”を使っています。「AL」は、僕のウェブサイトから無料でダウンロードできます。(註3)

あなたが大学時代にトム・エルベに師事していたとは驚きです。私も“SoundHack"のいくつかのプラグインを使ったことがあります。

A:彼は大学院時代の恩師です。彼がカルアート時代に唯一(研究室で)指導した生徒が私です。彼はいま、カルフォルニア大学のサンディエゴ校にいますよ。そして大学時代の師は、ビル・ディクソンでした。彼のことは君も知っているだろう。フリー・ジャズの演奏家で……

え! トランペッターのビル・ディクソンですか! セシル・テイラーとの共演盤を持っていますよ!

A:はい。私は彼の即興演奏のアンサンブルで、3年間演奏していました。話しは変わるけど、君のプロジェクト(註4)のために“緊縛美”というフィルターを書いたよ。オーディオストリームが縄や糸の束のように、ねじり合わさって結び目をつくるというイメージが“緊縛美”になったんだ。君に送ったオーディオ・ファイルの中で、そのフィルターを聴くことができると思う。

はい、たしかに。原音にあまり干渉しない有機的なフィルターですね。この“緊縛美”について、もう少し説明してもらえますか? これも「Argeïphontes Lyre」から派生したフィルターの一種なのでしょうか?

A:そうです。「AL」のなかで試せますよ。女性の身体の周りに結び締め付けられたような縄のようなサウンドチャンネルという、ただの思いつきなんだけどね。

あなたは開発したソフトウェアを無料でシェアされていますね。近年、音楽に限らず大手メーカーのソフトウェアやアプリケーションが軒並み月額制、サブスクリプション化されました。私的にはフリーソフトにはいまだ想像的で、なかには使い勝手すらも(有償ソフトよりも)良いものがあります。これはシステムの問題だけではないと思うのですが。

A:君の言いたいことはよくわかるよ……個人もしくは少人数で開発するフリーソフトにはたいがい、創造的なスピリットがある。お金や必要以上の意見は創造的な表現をブロックしがちだ。私はサブスクリプションのファンではない。だからPro Toolsを使うのをやめたんだ。

そうした変遷を経て、あなたはいまやクラシックとなった名盤 『Spelle-wauerynsherde』(Boomkat Editions : BKEDIT015-COL)を生み出します。
これは本当に驚くべきアルバムです。一聴しただけでは制作プロセスがまったく推測できません。この作品が作られた経緯、制作過程を教えていただけますか?

A:『Spellewauerynsherde』は三つの言葉なんだ。つまり、Spell(呪文)、Wavering(揺らぎ)、Shard(破片)という。私は大学でラッキー・モスコヴィッツという作曲家、指揮者に学んだ。彼は、60年代後半にバックパックひとつでアイスランド中を旅しながら、失われゆくアートフォームであった哀歌の独唱などをアンペックス製のリールテープに次々とドキュメントしていった。彼は帰国後そのテープをクローゼットに片付けたまま忘れてしまった。それを、30年後に私が発見したんだけどテープの状態はとても酷かった。私はそれを慎重に修繕してハードディスクに保存し、ラッキー自身や学校の図書館、そして私自身用にコピーを作った。彼は悲劇的な人だった。酒の問題を抱え、私が大学を卒業した2年後に夭逝してしまった。このアルバムを作りはじめたのは彼が亡くなってまもなくの頃だった。
 彼の収集した音を20分程度使って制作をし、1年後に作品は完成した。このアルバムをリリースしてくれるレーベルを数年、探して回ったけどなかなか見つからなかった。そんな折に突然、デヴィッド・シルヴィアンから彼がスタートする新レーベル〈Samadhisound〉から何かリリースしないかという手紙を受け取ったんだ。デヴィッドは、このアルバムを気に入ってくれて承諾してくれた。それからさらに18ヶ月かけて、ジャケットデザインを探し求めたが、ようやくLia Nalbantidouというフォトグラファーの写真を見つけ、アルバムは2014年にリリースされた。
このアルバムの技術的な点を説明しておくと、たいはんの楽曲は、“タイム・ドメイン・ミューテーション”および、“コンボリューション”(という技術で)構築されている。“ミューテーション”は、トム・エルベから学んだテクニックだ。私のコンボリューションは、トムの“SoundHack”に基づくものではあるけれど、タイム・ドメインの部品を追加した。このアルバムでは基になった音を再文脈化しているけれど、その音の本質にある有機性は保たれていると思う。その作業プロセスは、トラックのヴァリエーションをいくつか作って、それを数日間、再生し続けて自分の潜在意識に浸透させ……それから調和的な修正を加えるというものだった。

註1:DMCS(Deluxe Music Construction Set)は、86年に制作された初期の音楽制作ソフト。
https://en.wikipedia.org/wiki/Deluxe_Music_Construction_Set

註2:米国の電子音楽の重鎮でコンピューターミュージック会社”SoundHack”の代表。

註3:「Argeïphontes Lyre」は、下記リンクよりフリーダウンロード可。
https://www.akirarabelais.com/o/software/al.html

註4:アキラ・ラブレーと渡邊琢磨は“Soundtrack recomposed project”という企画でコラボレーションを行なっている。同作には(仏)のアーティト、 フェリシア・アトキンソンも参加している。7月下旬、渡邊主催レーベルより配信限定リリース予定。

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コロナウィルスによって世界が激変しました。あなたの生活や表現にどのような影響を及ぼしましたか?(渡辺琢磨)
願わくば、人びとが少し内省的になってもらえたらと。これからどのように生きたいか、どういう影響を世界に与えているのかを考えてもらえたらと思います。(アキラ・ラブレー)

ご友人の作曲家が収集したヒストリックな音とオープンリールが時代を越えてあなたの作品に生成変化したということでしょうか。あなたの作品はパーソナルでありつつ、出来事や他者との関わりから生まれた作品も多いような気がします。コラボレーションに関して考えをお聞かせください。とくにハロルド・バッドとの共作に関して個人的に興味があるのですが……

A:私にとってコラボレーションは常に難題です。自分のやり方がハードルを上げてしまうのです。去年リリースした『cxvi』(Boomkat Editions : BKEDIT018)ではコラボレーション作品に取り組みました。完成まで10年かかりましたが、結果には満足しています。ハロルド(バッド)は、素晴らしい人です。彼が自作の”Avalon Sutra”で作業をしていた時に、デヴィッド(シルヴィアン)が私たちを結びつけた。それで友達になりました。彼の場合一緒に作業するのはとても楽でしたよ。

そういえば、私もデヴィッドを介してあなたとドイツでお会いしましたね。話しは変わりますが、コロナウィルスによって世界が激変しました。あなたの生活や表現にどのような影響を及ぼしましたか? また、こういった厳しい状況をどう捉えていますか? よろしければ教えてください。

A:パンデミックが表現にどのように影響するか説明するのは難しいですね。私はというと、作業する時間が増えました。願わくば、人びとが少し内省的になってもらえたらと。これからどのように生きたいか、どういう影響を世界に与えているのかを考えてもらえたらと思います。

ありがとうございます。全米では、ジョージ・フロイドさんが白人警官によって殺害された事件を期に大規模なプロテストが起こっており、この抗議デモはいまや世界中に広がっています。あなたが住んでいるエリア(イリノイ州シカゴ)での状況を教えていただけますか。

A:私は、シカゴのダウンタウンから電車で北に一駅のところに住んでいるので、デモが自宅のあたりまで来ます。数千人のプロテストの参加者が通り過ぎていくのを見ました。私が目撃したデモはとても穏やかで、まるでパレードのようでした。残念なことに一部の地域はとても危険な状況で、ニュースでも見ましたが衝撃的でした。

ドナルド・トランプは事件発生当初は傍観し、後に差別や暴力を煽るような発言をまたしてもツイッターやメディアで繰り返しています。このことは世界的に報道されています。

A:彼や彼の支持者が合衆国に対して行なってきたことは悲しく、恥だと感じています。意図的に無視することや、悪意のある不寛容を賞揚し正当化することは容認できません。

日本ではアーティストやセレブリティーの政治発言は敬遠される傾向があります。これは米国の状況とは異なると思いますが、アーティストが政治に言及することについてどう思われますか。

A:思うに、私は誰からも学ぶことができる……キム・カーダシアン(※著名なモデル)から何か学べるだろうか? わかりません。アートとアーティストは同じではないということを憶えておくのは大事だと思う。ヒーローに実際会ってみるとたいてい、幻滅しますからね。

あなたは過去に何度か日本を訪れていますね?

A:日本は好きです。素晴らしい瞬間の記憶がたくさん残っています……舞踏の先生と一緒に踊ったり、新宿で道に迷ったり、新幹線でコーヒーとカツサンドを食べたりしたこと。福岡の小さなレストランで友人と“タクシードライバー”の酒を飲んだこと、日本の風呂、東京でカラスと歌ったこと、誰もいない山形のホテルのバーでマンハッタンを飲みながら雪が降ってくるのを眺めたこと、神社で節分のキャンディーをキャッチしたこと。こうした瞬間、というより、やはり人なんですよ。

その“タクシードライバー”のお酒のラベルは知人のアートディレクター、映画ライターの高橋ヨシキさんによるデザインですよ。

A:そうなのか!? ワオ、それは最高だね。


 アキラ・ラブレーと音のやり取りをしていると──ピアノや弦の音が変調するように──生活時間は“歪み"、日常も“変異"していく一方、均質化された思考や審美性、価値観等は解体されていく。蝋燭の炎のように小さくゆらゆらと持続/変化する音が、現実を明るみに出していくような行程は「内」から「外」を求めつづけた暗澹たる日々の羅針盤のように作用した。パンデミック後、最初のメールではお互いの国のこと、見えている景色のこと、国政等々についてやり取りし、美味しいお茶の淹れ方を(何の脈絡も無く)教えていただいた。ソフトウェアやコードは書く人つくる人次第で、詩にもなるし、社会問題を提起することもできる。(ele-king booksから出版されている『ガール・コード』も是非ご参照ください。)私もC言語の勉強を再開しましたが……早くも挫折寸前です……。アキラ・ラブレーとの音の往来は、7月下旬リリース予定の染谷将太監督『まだここにいる』recomposed project に収蔵されています。詳細は適時こちらから(https://www.ecto.info/

 

アキラ・ラブレー(Akira Rabelais)
テキサス南部で生まれ。作曲家、ソフトウエア設計者、著述家。ビル・ディクソンに作曲、および編曲を学び、カリフォルニア芸術大学では 電子音楽のリーダーであるモートン・スボトニックおよびトム・エルベに師事し修士を修める。幼少期、彼は農場を囲んでいた有刺鉄線を金属板に打ち付けることによって最初の楽器を作り出した。 その後、音や映像を巧みに歪めたりノイズ を加えるなどの操作ができる独自のソフトウェア「Argeïphontes Lyre」を開発。彼は自身のソフトウェアを書くことを詩を書くことになぞらえる。数あるフィルターは形骸化蘇生法、ダイナミックFM音源、時間領域 変異、そしてロブスターカドリールなど独特な言葉で綴られているように。

Akira Rabelais official https://www.akirarabelais.com/
bandcamp https://akirarabelais.bandcamp.com/

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