「Noton」と一致するもの

Double Virgo - ele-king

 去年、24年の5月にバー・イタリアのライヴを見たあの日のことをいまだに思い出す。まるで時代がかった音楽ドキュメンタリー映画が目の前で展開されているかのような音と視覚の共演。ステージの上の照明はずっと明かりがついたまま。それは黄色と白が混じったスクリーンの光のようで、赤や青などカラフルな照明に切り変わることなどなかった。黒い横長のサングラスの男が右に、黒髪のカーリーヘアで眼鏡をかけた男が左に、そうしてドレスの女が真ん中で踊り続ける。フロントの3人のその姿はいつか見た映画の場面そのもので、やたらと奥行きがあるスクリーンのリアルな世界に自分が存在しているような気分になった。スクリーンのなかの、観客として僕らも映画のなかにいる。もしかしたら当時、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやテレヴィジョンのライヴの現場にいた人もこんな気持ちだったのかもしれない。そうしてそこで理解した、バー・イタリアはスタイルなのだと。スタイル、あるいは哲学と言ってもいいような、貫かれる美意識、だから何をしても様になる。もう少し言えば様になるようにアクションを起こしている。その選択にしびれ続けているのだ。

 そしてそれはそのままダブル・ヴァーゴの美意識でもある。バー・イタリアから中央の女性、ニーナ・クリスタンテを抜いた、サム・フェントンとジェズミ・タリック・フェフミのダブル・ヴァーゴ。不遜にそして彼ららしく『Greatest Hits』と名付けられたこれまでの曲を集めたコンピレーション・アルバム、というかほぼデモみたいなラフな感触のアルバムがまた素晴らしいのだ。90年代US風のスラッカーなギター・ロック、ちょっとメランコリックで、思いのほかポップな唄メロを持っていて、なんてことのないような曲なのにさりげないフックが繰り出され頭のなかで尾を引くように綺麗な線を残していく。フェントンひとりの弾き語りのようなアイデアの “Splashy” にもう一本のギターが所在なさ気に入ってきてフェフミの違う歌声とからむ。そうしてまたいつの間にかフェントンひとりに戻っていき、気まぐれに声が合わさりエンディングに向かって音が抜かれていく。シンプルな、たったこれだけのことなのに、頭のなかでこの曲が日常に消えていく名曲だって判断される。それは90年代USオルタナ風の曲 “hardcore hex” や “Bingentinking” にしても同様で、ここに至りこの魔法のフックは曲の良さもさることながらフェントンとフェフミの唄い継ぎによるものなのではないかという考えが頭に浮かんでくる。これ見よがしなところはいっさいない憂いを帯びた低体温のヴォーカル、気怠くぼそぼそと小さなメロディを唄う声が聞こえてくるかと思いきやふっと消え、いつの間にか同じような、しかし別のメランコリーな唄に変わっている。それはソファーに寝そべり、壁に寄りかかったふたりの間で気怠く交わされる映画のなかの会話のようで、なんとなくジャン・ユスターシュの『ママと娼婦』の「わるい仲間」ヴァージョンみたいな光景が頭のなかに浮かんでくる。でもあそこまで長くはない。長くても3分半、大半は2分かそこらの短い時間の「長回し」で、だからこそ飽きることなくこれをアンニュイな時間としてそのまま受け取ることができるのだろう。こうした選択こそがまさにダブル・ヴァーゴのセンスだ。ギラついたものではない鈍い光がダウナーに進む時間のなかで放たれる。美しい倦怠、無為に消えていく時間、ダブル・ヴァーゴはポップ・ミュージックのフィールドのなかで自身の美学を素晴らしく示している。
 アンコールにシングル・ヒットした曲を演奏しなければならないことを思い出したみたいな “No smoking in the hallway” のような異彩を放つ曲もあるが(そのタイミングで演奏される曲がたいていそうであるのと同じようにこの曲もまた疾走感に溢れた素晴らしい曲だ)アルバムの全体の雰囲気はアンニュイで心地よい空気を味わわさせてくれるものだ。

 それにしてもフェントンとフェフミは多作だ。バー・イタリアとして23年に『Tracey Denim』『The Twits』という素晴らしいアルバムを2枚出したかと思えば、同じ年にダブル・ヴァーゴとして『hardrive heat seeking』と名付けた36の未発表曲を世に放つ。そしてここに『Greatest Hits』がある。夜中にひとり、小さな音でこのアルバムを聞いていると、なんだか将来、再発見されるであろうバンドの曲を先取りして聞いているみたいな気分になる。シーンや時代の流れというものから離れ、SNS上の存在をほとんど示さないミステリアスなバンドの、掘り出された音源。ヴィーガンのレーベル〈PLZ Make It Ruins〉からリリースされたEP「Eros In The Bunker」のようなパッケージングされたオリジナル・アルバムを出して欲しいという思いもあるのだが、いやしかしダブル・ヴァーゴはこれでいいという思いもある。時代の波にさらされた後のような、わずらわしさから離れたローファイでタイムレスな小品たちが放つ気怠さのなかにいつまでも浸っていたい。そうやってこの『Greatest Hits』は誰かのベッドルームのなかで特別になっていくのだ。

Saint Etienne - ele-king

 18歳のあの夏の日、もっとも重要だったのは、つまずいてしまったぼくが一緒に歩いていた彼女の白いブラウスの胸に思い切りコーラをこぼしてしまったことだった──これはあくまで喩えだが、長い人生におけるほんのわずかなこの瞬間、しかしもう二度と再現はされないこの出来事、あるいは失恋の切ない経験だけで、ポップおよびロックは何万曲もの名曲を生み出してきた。おそらくそれは戦争に反対した歌よりもずっと多く、表現力の質においても豊かなヴァリエーションがあるに違いない。ボブ・スタンレーはコーラをこぼした少年(少女)から広がるポップスをいまも愛しているひとりである。ポップス研究家でレコード・コレクターでもある彼は、いまならチャーリーXCXが最高だと言える人で、10代のときに初めてポップス(かつてのロックンロール)を聴いたときの胸がうずくような感覚をずっと追い求めている、というのは言いすぎだが(彼はもっと幅が広い方なので)、でもぼくは彼のそうした気質を100%ではないにせよある程度は共有できるし、共有したいと思う。
 スタンレーはセイント・エティエンヌの頭脳かもしれないが、だからといってバンドはスタンレーのソロ・プロジェクトではない。セイント・エティエンヌは、サラ・クラックネルとピート・ウィッグスの2人を加えた3人の個性の集合体で、とりわけ前作と今作においてはヴォーカルのサラの存在の大きさをぼくは感じている。前作『アイヴ・ビーン・トライング・トゥ・テル・ユー』では、彼女の、いわゆる“エーテル”系のヴォーカル/ヴォイスがバンドの新境地となったムーディーなダウンテンポの魅力を増幅させていることはたしかで、バンドにとって初のアンビエント作となった今作においても、言葉少なめの彼女の声は“レス・イズ・モア”なサウンド効果となっている。
 セイント・エティエンヌがアンビエントをやることは、彼らがそもそも90年代初頭のダンス・カルチャーの突出したエネルギーに大いに触発されたバンドだったことを思えば意外ではないし、アンビエントがポップの領域にまで浸透した昨今の状況を考えれば当然の成り行きと言える。また、本人たちがザ・KLFの『チルアウト』のようなアルバムを作りたかったという意図もまったく理解できる。『チルアウト』はもちろん独特のムードを持った名盤で、アルバム全体には、アンビエントにありがちな学際的な言説の代わりに、自分をいかにも頭良さげに見られようとはしない、あのころの英国インディ・ミュージックならではの風味がある。また、セイント・エティエンヌにとっては、『チルアウト』と同様にサンプリングは制作においてもっとも重要な作業/手法である。スコット・ウォーカーの誇張された悲しみ、エンニオ・モリコーネのロココ調のバラード……じっさいサウンドとして使われているかどうかはわからないが、本作『ザ・ナイト』がちまたのアンビエント・ポップと一線を画しているのは、ここにはそうした他にはないテイストやアプローチ、ともすればブロードウェイ・ミュージカルめいた陶酔もあり、セイント・エティエンヌ独自のポップス主義と混合術が効いて、夜のサウンドトラックとしての魅惑的な薄明かりを創出している。
 『ザ・ナイト』はきわめてムーディーで親密な夜の音楽だが、アルバムのはじまりには前作から続くセイント・エティエンヌの永遠のテーマが組まれている。それはこんな風に。

  20歳か21歳であれば
  信念は揺るぎなく、エネルギーは満ち溢れている
  それが黄金か? 私の運命を教えて
  時は飛び滑り落ち、すべての道はここに続く

 サラのモノローグは、いかようにも解釈できる。前作における18歳であることの美しさを、ぼくは後から稲垣足穂の「彼等」と重ねてみた。長い人生において誰もが若く美しい、しかしそれはほとんど一瞬にして消える儚いもの、計らずともセイント・エティエンヌも足穂も「若さ」を同じような感覚で表現している。そして今作においても失われた「若さ」はアルバムに通底する意味深い主題となっている。

  あなたが若かった頃
  私たちが過ごした時間、あなたが言ったこと
  私たちが過ごした時間、あなたが言ったこと
  それらはまだ私の頭のなかにある

 ボブ・スタンレーは、少しアンドリュー・ウェザオールと似ているところがあって、どちらも10代の音楽=ロックンロールやロカビリーを愛している。ニール・ヤングの若さゆえに生まれた名失恋ソング “オンリー・ラヴ・キャン・ブレイク・ユア・ハート” の歌詞をウェザオールも好きだったに違いないが(彼は同曲の最初のリミキサーである)、彼らのように、若さゆえにクリエイトできた文化を若くなくなってからも愛することは、若く見られようと薄い髪をごまかすこととは意味が違うということをここで断っておこう。
 傷つきやすい10代の恋心は、大人になるとフィリー・ソウルになり、それがディスコの土台になった。それからずいぶんときを経て、郷愁を慈しむ大人の夜が、いまここにアンビエントを生んだ。この音楽はスピってもいなければ枯れてもいないが、ときに悲しく、冷たい。遊び心があって敷居も低いが、前作と同様、初期の楽天性は遠い昔の話である。それでもこれはリスナーに寄り添っているインディ・ミュージックであって、あの夏の日のことを歌ったポップ・ソングをいまでも忘れられない大人たちが作ったアンビエントなのだから、孤独だけれどドリーミーで、そして音楽に依存してきたぼくのような人間にとっては貴重な癒やしになるのだった。
(いや、自分もこの年になって、ふたたびセイント・エティエンヌを聴くようになるとは思わなかったです)

Terry Riley - ele-king

 誕生からちょうど60年。去る7月、清水寺で演奏された “In C” の音盤化は、2024年暮れの小さくはないトピックのひとつだった。「私は “In C” を引退します」とは、紙エレ最新号の巻頭インタヴューで高橋智子さんが山梨在住のテリー・ライリー本人から引き出したことばだけれど、この絶好のタイミングで1968年に初めて録音された “In C” が日本の〈ソニー〉からリイシューされている。しかも、ライリーのもうひとつの代表曲 “A Rainbow In Curved Air” とのカップリングで、手にとりやすい廉価盤だ。
 いうまでもないことかもしれないが、すでに “In C” はさまざまな奏者たちによりたくさんのヴァージョンが録音されている。個人的に気に入っているのはデイモン・アルバーンが立ちあげたアフリカ・エキスプレスのヴァージョン(2015)だ。ライリーが属する西洋クラシック音楽の文脈にアフリカなど非西洋圏で培われた文化がみごと合流を果たしたそのサウンドは聴くたびに新たな発見があるのだけれど、68年盤 “In C” の録音にも参加していたジョン・ハッセルが(ブライアン・イーノとともに)ミックスに立ちあったワン・ヨンジー+上海フィルム・オーケストラのヴァージョン(1989)もまた歴史的意義のある1枚といえるかもしれない。
 とまあそんなふうにクラシック音楽としては異例の波及のしかたをみせる “In C” だが、その楽曲上のあれこれだったり、まだ知られていない秘密だったりについてはぜひ紙エレ最新号をお読みいただくとして、ここでは同曲が音楽文化にもたらした意味について考えてみたい。
 53のフレーズを奏者それぞれが任意に繰り返す “In C” のポイントのひとつは、やはりまずその一回性ないし偶然性ということになるだろう。参加人数にも使用楽器にも制約がなく各フレーズを繰り返す回数も決められていないこの曲は、当然ながら演奏されるたびに新たなヴァージョンが生み出されるわけで、まだ人力とはいえ自動生成的な音楽のプロトタイプともいえる。
 もうひとつの大きなポイントは、参加メンバーがクラシック音楽のプロの演奏家でなくとも構わない点だ。ストラスヴァリウスを買ったり高い謝礼をセンセイに払ったりできる裕福な家庭に育ち、幼いころから毎日8時間も10時間も練習を繰り返さなければ獲得することのできないハイレヴェルな技術がなくとも、独創的な “In C” を生み出すことはできる──これは、少なくとも1964年の初演時点ではそうとう画期的だったはずだ(似たアイディアをもつコーネリアス・カーデューのスクラッチ・オーケストラが結成されるのは1969年、ギャヴィン・ブライアーズによるポーツマス・シンフォニアの結成は1970年)。
 こうした「民主的」ないし「大衆的」アプローチをライリーは政治活動としてではなく、あくまで音楽、作曲の方法として実践している。それは、彼が同曲を生み出した60年代という時代がまとっていた空気とも無縁ではない。もうひとつの代表作『A Rainbow In Curved Air』(1969)のアートワークでライリーは、戦争の終結、ペンタゴンの倒壊、核兵器の解体、労働の遺棄といったオリジナル・ヒッピーの理想主義を詩のようにつづっている。ハイ・カルチャーであり難解だと思われていたクラシック音楽をカウンター・カルチャーに接続したという点でもテリー・ライリーは重要なのだ。たとえばザ・フーはライリー賛歌とも呼ぶべき “Baba O’Riley” をつくっているし、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、カン、イーノなどなど、これほどまでにポップ・ミュージックに影響を与えた実験音楽は(ラ・モンテ・ヤングを除けば)ないだろう。
 嬉しいことに、その『A Rainbow In Curved Air』のA面曲もまた、この〈ソニー〉のリイシュー盤には併録されている。1968年に録音された “A Rainbow In Curved Air” は、電子オルガンから打楽器まですべての楽器をライリー本人が演奏し多重録音、テープループも用いたこれまた画期的な1曲だ。ここにはフリップ&イーノの青写真も『E2-E4』の萌芽も出揃っている。こんにちアンビエントやクラブ・ミュージック、エレクトロニカと呼ばれる音楽のアイディアの根幹、そのほとんどすべてがここには詰まっているのだ。
 自動生成もエレクトロニック・ミュージックも当たり前になったいまだからこそ、あらためてその原点のひとつを訪ねてみるのも一興ではないだろうか。

 今年の正月は、例年にないほど惨めなモノだった。年末から身体のだるさは感じていたけれど、まあ、なんとかなるでしょ! と楽観的な姿勢を崩さずやり過ごす算段だった……のだが……元旦の昼過ぎから体調は悪化し、夜に熱を計れば38度。これはやばいと、翌日、開業中の病院を探し行ってはみたものの、待合室に入りきれない30人ほどの患者たちが野戦病院さながら道ばたでうずくまっているではないですか。なすすべなく2時間ほど待って診てもらい、その夜は39度まで上がった。
 というわけで、じつを言うといまもまだ本調子にはほど遠いのです。咳は出るし身体はだるい。体調はいっこうに優れないのでありますが、編集部コバヤシからの情け容赦ないプレッシャーがこうして文字を綴らせている、というわけではありません。正月のあいだずっと寝ていたので、リハビリがてら書いてみようと思う。

 音楽ファンにとってのここ数十年の年末年始の風物といえば、各メディアの「年間ベスト・アルバム」だ。昔と違っていまはネットで多くのメディアのベスト50なりベスト100なりを見ることができるので、ぼくもご多分の漏れず、(『レジデント・アドヴァイザー』と『ミックスマグ』以外の)いろんなメディアのいろんな順位を楽しんでいる。順位を決めるは、それぞれのメディアの考え/姿勢/好みだろうし、それぞれのリストを見ながら聴いていなかった作品を聴いてみたり、順位の意味を読み解いたりするのがぼくには面白かったりする。
 こうした、いろんなメディアのいろんな年間ベストの時代は、ネットによって1950年代から1990年代まで続いた大衆音楽の生態系が破壊されたことによって現出している(*)。だから当初は、このような状態が良きことなのかどうなのか、正直なところ懐疑的だった。昔なら、日本在住者が『ガーディアン』をチェックすることなどなかった。そして昔なら、『NME』が2年連続で年間アルバムの1位をパブリック・エネミーにしたことは音楽ファンにとってその後何年も語りつがれる大事件だった。1989年にはストーン・ローゼズのデビュー・アルバムではなくデ・ラ・ソウルを1位に選んだことも洞察力に富んだ順位として記憶されている。
 昔は読むメディアも限られていた。順位に対するメディアと読者の緊張感/思い込みに関して言えば、年齢的なこともあったのだろうけれど、いまとは比較にならない。自分が好きなアルバムの順位が低かったりすると、本気で頭にきていたものだったよなぁ……と、そんなことを回想しながら、思いはさらに昔へと飛ぶ。
 ぼくが音楽を好きになったのは、小学4年生以降に夢中になったラジオに原因がある。あの頃──1970年代なかば以降の日本のラジオ放送では「チャート」番組のようなものがいくつかあって、ぼくはそんなものをよく聴き漁っていたのだ。とくに「全米ポップス・チャート」みたいな番組が好きで、お恥ずかしい話だが、中学生になるとノートにその週の順位を記録するようにもなった(*2)。自分にとってはすべてが新しい世界に思えたのだろう。

 そしていま、デジタルな世界におけるいろんなメディアのいろんな年間ベストを、「うーん」、「なるほどなぁ」、「そうかぁ?」、「やっぱりなぁ」、「これは聴いてなかったなぁ」、なんて独り言をつぶやきながら見ているのである。たとえば、 『ピッチフォーク』がシンディ・リーを1位にしたのは予想通りだった。まあ、これはこれでいい。これは同メディアの原点回帰だと解釈している。そんなことよりぼくにとっての問題は、チャーリーだ。多くのメディが賞賛する『brat』だが、そもそもぼくはチャーリーXCXがどうも苦手であることもここに白状しておこう。ポップ・ミュージックにおけるハイブリッド性とその展開、嫌いな話ではない。しかも彼女は、大枠で言えばクラブ系エレクトロニック・ミュージック。それでも『brat』を素直に楽しめないのは、古典的なポップのナルシズムを逆手に取った、PC Music以降のポスト・モダニズムな感性を理解できないからではないと思う。これはもう、単にぼくが年老いているからだ。ぼくのような老兵にはブリトニー・スピアーズのデビュー・アルバムで充分だし、もっと言えば、それをいまさら聴き直したいとも思わない。(しかしなんでもまた近年になってマライア、ブランディ、ブリトニーなのかという話はまたいつか)
 セイント・エティエンヌのメンバーで、音楽ライターであり音楽史研究家でもあるボブ・スタンレーの著書『Let's Do It- The Birth of Pop Music- A History』には、この世界にポップが誕生したときの、じつに象徴的な逸話が紹介されている。

『ニューヨーク・イブニング・ポスト』紙の45歳の批評家ヘンリー・T・フィンクはワーグナーの信奉者であった。彼は大衆音楽やサロン・ソング、あるいは街角での口笛さえも好まなかったが、1900年2月、彼は来るべき世紀について、辛辣ではあるが悲観的な見解を示した。「ある日の午後、裏庭の花に水を撒いていると、通りすがりの少年が、それまで聞いたことのない曲を口笛で吹いた」。フィンクは目を細めてその「不快な下品さ」に顔をしかめながらも、「夏のあいだ、1000回は耳にするだろう」と感じていた。そして、彼の予言は真実を言い当てた。1、2週間も経つと、街中の少年たちがその曲を口笛で吹き、他の男たちは鼻歌で口ずさみ、10人に1人の女性がピアノで弾いていた」。フィンクは「まるで伝染病のようだった」と吐き捨てた。彼が耳にした曲は数か月間は地元でも全国でも避けられないものとなるほど、「ヒット」したのだ。

 そう、かつては自分も外で口笛を吹く少年のひとりとしてロックやパンクを聴き、ハウスやテクノを聴いたのであった。間違っても、「不快な下品さ」に顔をしかめるフィンクではなかった。だがねコバヤシ君、生態系崩壊後において事態はそう単純なものではなくなったのだよ。今日では、笛を吹く少年たちも進化している。細分化もしているし、彼らがいる街角は、昔のようにひとつではない。フィンクのほうも、1900年とは違っていまではずいぶん物わかりが良くなっていることだろう。
 また、ポップであることを拒否した音楽(モダン・ジャズ、ポスト・パンクなど)に惹かれていたりすると、別の情熱も高まったりするものなのだ。自分はポップ・ミュージックから音楽に入った人間だが、ポップでない音楽がどんどん好きになっている。でも、自分がどこから来ているのかはわかっている。だから、こうしていまも21世紀の末裔たちの、いろんなメディアのいろんな順位を気にしているんだと思う。
 平均的に高順位だったアルバムのなかで自分が聴いていなかった1枚に、ジェシカ・プラットの新作がある。サウンド面で言えば聴きやすいメロディックなフォーク・ロックで、ノスタルジックに感じられる。これは否定ではない。シンディ・リーのアルバムにも、60年代のガールズ・グループ、たとえばザ・シュレルズやザ・ジェイネッツなんかを彷彿させるロマンティックな曲がいくつかある。ぼくが昨年好きだったピープル・ライク・アスは、前衛的手法で60年代のこの手の、いわゆるブリル・ビルディング系ポップスをサンプリングして夢の世界を描いていた。ていうことは……なんだぁ、みんな同じようなことを思っていたんだなぁ。ポップの世界では、大人が新しいものに警戒心を抱き、若者が過去を甘美に思うとき、こうしたトレンドがたびたび生まれているのである。
 でも待てよ、そう考えるとチャーリーはどうだろうか? 未来的なのだろうか? いや、彼女こそ、後ろを見ながら前を向いている典型でもある。この、後ろを見ながら前に進むというのは、ポップの世界では何度も繰り返されてきている。既述のストーン・ローゼズのデビュー・アルバムがまさにそれだ。 “アイアム・ザ・リザレクション” は60年代モータウンのリズムとメロディをハウスのテンポに落とし込み、独自の言葉が歌われている。彼らは同郷のハッピー・マンデーズと違ってダンス・シーンとほとんど関係がなかったが、 “フールズ・ゴールド” でボビー・バードの “ホット・パンツ” をループさせたりしているうちに、セカンド・サマー・オブ・ラヴを象徴するバンドになった。そして、それにもかかわらず、当時の『NME』(アシッド・ハウスを大いに扱っていたメディア)は、1989年のベスト・アルバムの1位を、ほとんどすべてにおいて新しかった『3フィート・ハイ&ライジング』に決めたのだった。

 ポップ・ミュージックにおける実験性は、ときに気まぐれだ。遊び心ゆえに形式的な境界線を飛び越える。また、1976年の作品でいみじくもカンが記したように、「偽物」であることは逆説的な「真実」でもある。往々にして「偽物」がおもしろいポップを創出したりもするし、そしてすぐに廃れもする(*3)。ぼくの机のうえのパソコンからは、いまも『brat』が流れている。つい先ほど、すぐにそれに反応した松島君がやって来て、彼の昨年のDJセットでは同アルバムからエディットしたものをかけていることを教えてくれた(なるほど、じゃあ松島君のDJのなかで聴いたら印象が変わるかもね)。ほかにもチャーリーに関して彼は一家言あるみたいだが、彼のマシンガントークの相手をする体力がいまのぼくにはない。ただ、松島君が言うように、同作は良くも悪くも洗練され過ぎてもいる。ぼく的に言えば、ちょっと過去を尊重し過ぎているかな……という話はもうどうでもいい。よしわかった、音楽には時代を知る手がかりがある。2025年は後ろを見ながら前に進めばいいのだな。
 では最後にもういちど確認しておこう。優れたポップ・ソングとは、順位や人気が決めることではない。その曲が、あなたの人生についてより多くを語っているとあなたが思っているかどうか、これがひとつの基準である。古くても新しくてもいい。2025年、そんな曲と出会えたらいいよね。

(2025年1月9日)


(*)
 若者文化が形成され、7インチEPが普及、ラジオがそれを流し、英国で『NME』が創刊されたのが50年代のこと。おおよそ我々がざっくり思うところのポップ・ミュージック業界はその頃にカタチが生まれ、60年代から70年代にかけて成長し、1990年代まで続いた。
 さて、そもそもポップ・ミュージックとは、主観的に使われる言葉ではあるが、ここではまず売るために作られた音楽を指している。つまりセックス・ピストルズもホアン・アトキンスもポップ音楽。だから、スタンレーが言うように地元の酒場で仲間内で歌っている歌はポップにはならない。ポップ・ミュージックとはもちろんポピュラー・ミュージックの略で、スタンレーの長年の研究によれば、この言葉が世に出たのは、1901年の英国の演劇業界紙『The Stage』に掲載された広告においてだった。「マネージャー募集。世界最大の優良図書館であるロンドン音楽貸出図書館にすぐ応募のこと。最新のポップ・ミュージックばかり。アルジャーノン・クラーク経営、ロンドン・ロード18番地、バーンズSW13」。ちなみに1900年当時の英国おける最大のポピュラー・ミュージックといえばミュージック・ホール。歌手と作家、興行主も労働者階級という、大戦前まで栄華をほこった大衆芸術。
 ともかく最初の「ポップ・ミュージック」は、限りある広告スペースに適当すべく短縮された言葉だった。そして、やや遅れてアメリカでは当時の新しい音楽形式、ラグタイムが誕生し、これをもって、より広い社会の枠組みにおけるポップ・ミュージック業界はスタートする。19世紀末に生まれたラグタイムとは、アメリカらしい、もっとも古いブラック・ポップ・ミュージックで、つまりビートがあり、シンコペーションがあった。たちまち踊り出したくなるようなミニマルな音楽で、とくにルールはなく、楽譜を必要としなかった。ラグタイムのピアノが弾けたら女性にもてたし、スコット・ジョプリンという売れっ子もいた。当初は安酒場や売春宿といったアンダーグラウンドでしか聴けなかったが、それがスタジオで録音され、最終的にはシェラック盤(78回転の10インチ)になる。ティン・パン・アレーはラグタイムを簡素化し、注文に応じて大量生産されるポピュラー音楽としてこのスタイルをさらに売った。そしてその人気の高まりにおいて、こりゃまあ、たんなる騒音、穀物倉庫の音楽だな、などという批判も噴出した。
 こんな話を書いていると、ブロンクスでヒップホップ、シカゴでハウスが生まれていったことと、最近ではジュークが生まれていったことと同じようなことが120年前には起きていたんだなぁとしみじみと思う。決定的な違いは、1900年当時の世界にはまだ「若者」という概念も存在もなかったことだ。「英国では15歳も50歳も同じように土曜の夜に給料をはたいて同じ演目を観に同じミュージック・ホールに通っていた」とスタンレーは書いている。世界史に「若者文化」が登場するのは、第二次大戦後のことである。

(*2)
 ぼくがラジオ少年としてチャート番組を聴いていた70年代なかば以降は、あとから考えてみると、悲しいかな、アメリカの売れ線ポップスのほとんどが低調だった時代と一致している。たとえば、ドゥービー・ブラザーズにジョン・デンバー、リンダ・ロンシュタット(オリジナルより遙かに気迫を欠いた “ヒートウェイヴ”) 、イーグルス(富裕ヒッピーの憂鬱)……70年代ポップスの発信地としての西海岸(通称ローレル・キャニオン)衰退期におけるカントリー・ポップ、じゃあ英国はどうだったかと言えば、ベイ・シティ・ローラーズにクイーン……、デイヴィッド・ボウイの『ロウ』を好きになるにはあと数年必要だったし、ドナ・サマーを楽しむには若すぎた。70年代なかばの、たとえばスタイリスティックスの “愛がすべて”やスリー・ディグリーズ の “天使のささやき” ような素晴らしいポップスとぼくが出会うのは、ずっと先の話になる。というわけで、AMラジオの深夜放送で聞いたRCサクセションのほうがよほどがつんときたし、ローレル・キャニオン系末期の感覚にうんざりしたぼくが、たとえばニール・ヤングの『トゥナイツ・ザ・ナイト』のようなアルバムと出会うには、オルタナ・カントリーの回路が必要だった。とはいえ、1978年以降、つまりパンク以降のニューウェイヴの時代にはたくさんの優れたポップ・チューンが生まれている。しかしその頃にはぼくはもうラジオ少年ではなかった。

(*3)
 歴史を振り返れば、たとえばブームタウン・ラッツやポリスのような、リアルタイムでは人気も評価もあったバンドが、いつしか時間のなかでほとんど愛されなくなっていくという事例や、ザ・KLFの一連のヒット曲のように瞬発力こそ凄かったが数年後には飽きられていった曲も少なくない。それとは対照的に、売れてはいたけれど評価はされていなかった曲が、いつしか時間のなかで評価を高めていった事例も、ほとんどのディスコ・ミュージックをはじめ数多くある。

Satan Club - ele-king

 まるで手帳に書き留められた日々のスケッチのような音楽だ。ひんやりとした輪郭をもって風にゆれる草木、時間とともに様相を変える空、さえずる鳥の声、目の前に広がる景色を手のひらの中の小さな世界に作りだそうとするかのような音楽。言葉によらない表現で彼は目の前の世界を描き出そうとした。ロンドンのスロウコア・バンド、デスクラッシュのギタリスト、マシュー・ワインバーガーのソロ・プロジェクト、サタン・クラブ。その2ndアルバムの時間は優しく静かに流れている。

 「世界が僕らに合うように変化した」これはデスクラッシュの1stアルバムのリリース前にワインバーガーがインタヴューで残した言葉だが、サタン・クラブはその変化した後の世界の姿を静と動、轟音の狭間で揺れ動くデスクラッシュとは違うやり方で描き出そうとしている。安価なふたつのマイクと、ポータブルレコーダーを持って田園地帯の小屋で、部屋の中、洞窟で、電車で、自然の中での録音を試みた。この2ndアルバムでアンビエントとフォークを融合させたかったのだと彼は言うが、ジョン・フェイヒィのギターに影響されたような最初のアルバムの骨格を残したまま、フィールド・レコーディングした音やサンプリングで作ったシンセサイザーを重ね、紙の上に色を置くようにして世界を描き出していく手法が見事にハマっている。つまびかれるアコースティックギターの音、その背後に薄く重なるテープループが空気の温度を表現し、ピアノは滴り落ちる水音や、ひんやりとした石の触感を思わせ、かすかに聞こえる物音が気配を伝える。そんな音楽を聞いているとまるで誰かの頭の中にある思い出の風景を見ているような気分になる。それは穏やかでたまらなく優しく、ノスタルジックで時間の感覚を忘れさせてくれるものなのだ。

 イングランドのサルフォーク・ハーテストの人里離れた小屋の朝、恋人が部屋の中で寝ている間に屋外でマイクを立てて録音したという “Hartest” でアコースティック・ギターの印象的なリフが響く。一本のマイクは凍える指先をとらえるくらいに近くに、もう一本のマイクは小屋の周りを旋回する鳥の鳴き声や急降下する気配を感じるほど遠くに置かれた。そうしてそれらが合わさった音楽が音の景色として提示される。ラフな録音なのがかえってイメージと結びつき曖昧で柔らかな記憶の中の風景へと変わっていくのだ。あるいはそれは音楽的な印象派とも言えるようなやり方なのかもしれない。

 “Cave Car Synth” でのそれはさらにユニークだ。その名の通り洞窟と車のシンセサイザーの音楽。カセットレコーダーを持ってコーンウォールの洞窟の中を探検し、滴れる海水の音を録音していたときに湾の反対側で車が動き出した。それが洞窟に反響し水音の中にごうごうとした音を鳴り響かせた。その音をサンプリングしてメインのシンセのラインを作ったのだという。そうしてそこに刻み繋ぎ合わせ反転させたピアノとサンプリングのバンジョーの倍音を重ねた。全ての音が再利用されたものから来ているにもかかわらず自然で水っぽい感じに仕上がったのが気に入っている、そうワインバーガーは記しているがこの曲を聞くとなんとも不思議な感覚に陥る。淡い水色の石英に囲まれた空間を彷徨い歩いているかのような感覚。洞窟を通り抜ける風のようなシンセサイザーの音色がそのイメージを連れてきて、反響するピアノの音が水が滴る道を手探りで進んでいるような気分にさせる。

 ほんの少しだけ恐ろしく、どこか厳かで、ひだまりのように優しい世界の記録、『Home Recordings』という名のアルバムに収められた屋外の音楽は聞く者の頭の中に遠いどこかの風景を浮かべさせる。懐かしくて新鮮な、サタン・クラブの音楽は記憶の中の風景を描くのだ。水色の下地の上に描かれたアートワークの絵にしても、四角く区切られたそれらは繋がっているようで繋がっていない。それぞれが異なった表情を見せまるで違った印象を残す。きっとそれは世界をどのように見て、どんなふうにとらえるかにかかっているのだろう。ヘッドフォンを付け、カセットレコーダーを手に旅をする、マシュー・ワインバーガーはそんなふうにして世界の姿を書き留める。この風景の音楽は柔らかな刺激に包まれている。

松永拓馬 - ele-king

 デコンストラクテッド・クラブがいつしかSNSやパーティの隅での雑談で「デコクラ」といういかにも日本的な略称で呼称されはじめたのを目に/耳にして以降、実験的な試みというのは必ずいつかどこかのタイミングで形骸化や飽和といったフェーズに向かってしまうものなのかもな、となんとも言えない気持ちになった。「さまざまな枠組みを片っ端から脱構築したら面白いかも?」という素朴な空想がいつしかありふれたテンプレートになってしまっていることに気づき、そのタイミングでオーセンティックな表現やトラッドなジャンルの持つ大樹のような強固さを再発見し、新鮮味に欠ける印象だった過去の作品群が突如として極彩色の輝きを放ちはじめるように見えてくる……といったような、いわば守破離の破と守を取り違えたような価値観の変化を、僕はここ数年で幾度となく繰り返した。

 もっともこれはパンデミック世代(コロナ禍になんらかの表現活動に取り組みはじめ、初期衝動のままにそれを前進させていったすべての人びと)の多くが内包する共通項のようなものだと(勝手に)考えていて、スターダムへ駆け上がることを目指す(あるいはそうせざるをえない)人も、ひたすら表現を深化させ続けていきたいだけの人も、どちらにせよこのタイミングでようやくオーセンティシティに目を向けるようになる、というのがいまの一般的な感覚だろうと思う。

 しかしながら、松永拓馬は最初からそういった感覚とは別のところにいた。たまたま一時の混乱とともにそうした同世代と交わっていたにすぎず、彼のまなざしはどのようなコミュニティと接していても “ちがうなにか” へ向けられていたようにいまは思える。

 今年の春先にも「ポスト・クラウド・ラップ」というテーマで取り上げた松永拓馬のアルバム『Epoch』が、このたび〈P-VINE〉よりヴァイナル/CD/カセットテープの3形態でフィジカル・リリース。記念品やファン・グッズとしてではなく、仮に自身の存在が消えたとしても残るものとして世に作品を送り出す、というスタンスひとつとってもポスト・コロナの新世代の刹那的な動き方とは対極に位置する遠大な時間感覚が伝わってくるし、そもそも本作のマスタリング・エンジニアにはダブ・プレートのカッティングで世界的な支持を集めるWax Alchemyがクレジットされていることからも、1年、1ヶ月、1日、1時間、1分といったタイム感では伝わらずとも長い時間をかけて真意を届けたい、という意思が込められているように思える。

 そんな『Epoch』の制作中、松永拓馬とMiru Shinodaは徹底的に音楽の聴取体験や制作におけるセット/セッティングや、それらを実行する前の心身のチューニングに強い意識を向けていたことをQetic掲載のインタヴューで明かしている。全編にわたってアナログ・シンセサイザーのProphet-10とデジタル・シンセサイザーのSUPER6がフィーチャーされており、アナログとデジタルが、モノラルとステレオという対極的な概念を山中でのパーソナルな遊び(インタヴュー内では「2人レイヴ」と称している)などを重ねることで互いに溶解させ、マスタリング時には実作業前に和ろうそくを見つめながら茶を囲んだという。
 インスタントにあらゆる情報をいつでも過剰摂取でき、サンプル・パックのように音楽を消費財として扱えてしまう時代の影響を露骨に受けてDJをはじめた自分にとっては、ちょっと背筋の伸びるエピソードだった。その上で、現行のオルタナティヴ・ラップやアンダーグラウンドでいまユースが紡いでいる熱気とも、直接的に交わらずとも感覚をうっすら共鳴させている。そのような点をとっても、本年リリースされた日本の音楽作品のなかでは一際輝くアルバムだったと思う。

 改めて『Epoch』をオフィスや喫茶店、電車、遠征先、公園、寝室、クラブ、とさまざまな場所で聴いたりプレイしたりすると、毎回のように違った印象が後に残る。騒々しい街なかで聴けばクラウド・ラップ的な新しいスワッグの気配が色濃く感じられるし、静かな郊外で聴けば音の細かな粒立ちに陶酔させられるし、クラブのサウンド・システムでプレイすればサウンドスケープの深淵さが恐ろしくもなる。自然のなかで再生すれば彼らのセッティングの一端にごくわずかながら触れることができるし、寝室で天井を眺めながら聴けばあるときには無感動で抽象的に感じられたはずのリリックが切実なものとして胸を刺す。

 松永拓馬が目指しているだろう、新しいオーセンティシティをゼロから築き上げるという並大抵ではない挑戦を軽やかに実行していくには、人と人の自然な交歓が欠かせない。その交歓を推し進めるのは、結局のところ動物的な直感がお互いに呼応し合うかどうかが決め手になるわけで、間違いなく『Epoch』に収録された8つの楽曲はそれぞれが独立しつつもひとつのまとまりとして、聴き手のセッティングに応じて姿を変え、個々人の奥底に横たわる根源的ななにかに訴えかけるはずだ。僕もあなたも「でかいなにかの一部」だとTr.8 “いつかいま” で松永拓馬もそう語りかけている。

Jabu - ele-king

 日本のリスナーにとってブリストル・サウンドが夢を約束してくれる音楽だとしたら、ジャブーの最新アルバムはお薦めだ。あるいは、こうも言える。音楽を夢想の入口として楽しんでいるリスナーにとって、ジャブーにはその扉が確実にある。コクトー・ツインズ、A.R.ケイン、エイフェックス・ツインの『Selected Ambinent Workd Vol.2』、マッシヴ・アタックの “Teardrop” 、ボーズ・オブ・カナダ……こうした音楽を好んでいる人にとっては必聴盤と言っていいだろう。
 アモス・チャイルズ、アレックス・レンダル、ジャスミン・バットの3人からなるジャブーが10年代ゴシックの牙城〈Blackest Ever Black〉から最初のアルバムを出したのは2017年だが、3人ともヤング・エコー集団のメンバー(あるいはKilling Sound、O$VMV$Mなど)でもあるので、2010年代初頭より活動している。初期は地元の〈No Corner〉〔※シーカーズも出したレーベル〕から数枚の7インチを出していたが、セカンド以降は自分たちのレーベル〈Do You Have Peace?(あなたに平和はある?)〉を立ち上げ、リリースしている。

 ブリストル・サウンドというレッテルは、90年代、当事者たちが迷惑していた呼称だったが(当たり前だが、ブリストルにはロックも実験音楽もあり、ポーティスヘッドとマッシヴ・アタックとではアプローチが異なる)、ひとつ言えるのは、70年代末のポスト・パンク時代のブリストルの重要な影響源にはJBやパーラメントがあって、80年代末からのクラブ時代にはヒップホップとニュージャック・スウィングがあったように、ジャマイカから輸入されたレゲエ/ダブを除けば、彼らの混合成分表にはかなりの分量でその時代のアメリカの黒人音楽からの影響があった。
 ヤング・エコー一派にも現行のUSブラックとの繋がりがあるにはあるが、グライムやドリルほど強くはない。2010年代以降の、ベース・ミュージックを通過したその一派は、ダークなサウンドシステム文化における混合主義を継承してはいたが、90年代的ブリストルの亡霊の、ある意味闇雲な引き伸ばし作業のようでもあった。アモス・チャイルズはその中心人物のひとりで、ジャブーにおいては拡張よりも音楽の没入感に重点を置いている。早い話が、こちらのほうが入りやすい。

 ダークかつダウナーなR&Bからドリーミーなそれへと展開したのが前作で、しかし新作『A Soft and Gatherable Star(柔らかく、集めることができる星)』ではR&Bの要素は後退し、コクトー・ツインズの領域に近づきシューゲイザーめいてもいる。メランコリックなメロディはリヴァーブの霧に包まれて、実験性はあるものの、ティルザの1枚目/2枚目のアルバムにも隣接する親密さをもっている。いにしえのブリストルのオルタナティヴ、初期フライング・ソーサー・アタックにも通じる幻想的な雰囲気はローファイな音響へと注がれているが、グルーパーにも似たムードある歌がアルバム全体のトーンを優しくする。世界はぼやけ、滲んでいる。これは、2024年の嬉しいドリーム・ポップ・アルバムだ。

People Like Us - ele-king

 このアルバムはじつに反時代的だ。明るいし、狂っている。それは人の人生に似ているのかもしれない。細部では大なり小なり錯乱しているが、全体としてはなんとかなっているように見えてしまう。しかしそれはやはり狂っているのだろう。「目を閉じれば生きるのは楽。だって目に見えるのは間違いばかり」とジョン・レノンが歌ったように。ピープル・ライク・アスことヴィッキー・ベネットの新作はおそろしく明るいサイケデリアで、“ストロベリーフィールズ・フォーエヴァー”と『ファンタズマ』を純度の高いリゼルギーにシェイクしてもこの万華鏡から聴こえる奇妙な楽天性にはまだまだ何かが足りていない。

 ヴィッキー・ベネットは、いまやコラージュ音楽の大家だ。彼女の音楽だけ聴いていると、ベネットが少女時代にソフト・セルに感化され、ジェネシス・P・オリッジと知り合い、そしてナース・ウィズ・ウーンドの影響を受けたこと、コイルの手伝いをしていたことなどはなかなか想像しにくいかもしれないが、TGのルーツにサイケデリック文化があったことを思い出して欲しい。さらに彼女のコラージュ音楽の師匠には、政治的混乱をもてあそぶネガティヴランドもいて、ベネットは現にアメリカまでネガティヴランドのマーク・ホスラーを訪ねている。また彼女は、彼女と同じくサンプルデリックの使徒、マトモスとも仲良しで、共作もしているし彼らの作品に参加している(今作にもマトモスは参加)。
 ベネットは、ピープル・ライク・アス名義として90年代初頭から作品を発表しているベテラン、アーティストとして映像作品やインスタレーションの展示などで幅広く活動している。彼女の母国英国では、ここ10年は展覧会をやっては評判になっていて、ヴィジュアル・アーティストとしての確固たる評価がある人だ。音楽アルバムで言えば、近年ではマトモスおよびジョナサン・ライデッカー(ネガティヴランドのメンバーで、ディター・メビウスやサースト・ムーアとのコラボレイター)との共作『Wide Open Spaces』(2003)、そして『The Mirror』(2018)によって広くアピールし、昨年は自ら手がけたラジオ番組(ネガティヴランドがやったことのひとつ、ラジオ番組そのものをコラージュの世界にする)を『ペットサウンズ』をパロディにしたジャケットの『ウェットサウンズ』として無料リリースしている

 そもそもコーラジュとは何か。既存の素材を再配置/再編集してあらたな文脈を作ること、意味から解放されること。伝統的な概念への挑戦。哲学的に言えばそれは枠組みの相対化や問い直しで、音楽的に言えばそれは「原作」が思ってもいなかったことを表現できること、予期せぬ結果が得られること。ドイツのロック・グループ、カンは自分たちの土台にあるのはコーラジュだと何度も主張している。70年代初頭のマイルス・デイヴィスはテオ・マチェロの協力にもとジャズの堅苦しい曲の構造を解体し、コラージュ技術によってあらたな作品を作った。ブラック・ミュージックにコラージュ技術を持ち込んだヒップホップはポップの王座に居続けている。ヴェイパーウェイヴも流行ったし、デジタル技術によるコラージュ加工が当たり前になった現代においては、むしろ時代がカンやベネットに追いついたと言うべきなのだが、ぼくが「反時代的」だと言うのは、ジェントリフィケートされた現代のデジタル加工が失っている、コーラジュ芸術が本来持っているはずのある種の幻覚作用が彼女の表現には生きているからだ。繰り返すが、いまどきここまで眩いサイケデリックなコラージュ・ポップ作はない。

  これは、ポップ・ミュージックによるシュルレアリスムだ。パーシー・フェイスの“夏の日の恋” が聞こえる1曲目、そして “星に願いを” やスキータ・デイヴィスの歌声、『オズの魔法使い』、バカラックにモータウンといった、50年代/60年代の古きポップスがあたり構わず、無邪気にコラージュされている。作品が意図した「時代を超えたつながりの表現」としてのポップ・ミュージック、「ポップ・カルチャーへのラヴレター」としてのコラージュ作品、アルバム全体がポップの万華鏡であり白昼夢だ。コーネリアスの“霧中夢”は、途中で夢から覚めるようリスナーをうながすが、このアルバは、その逆だ。最後のほうでジョン・レノンが言うように「リアルなものなど何もない」。
 このまぶしい輝きは、悪いジョークなのだろうか。ぼくにはこのアルバムが、晩年のマーク・フィッシャーの言葉を借りるなら「自由になりえたかもしれない世界の亡霊」に思える。つまり、我々が目を逸らされてしまっているものにもういちど振り向かせようとしているもの。すなわち苦しい思いを強いるリアルを否定する能動的夢想は、現代の音楽の潮流からいえば反時代的である、が、それゆえに素晴らしい。

工藤冬里『何故肉は肉を産むのか』 - ele-king

 『供花 町田町蔵詩集』が現代詩に特化した版元・思潮社から発売になったのは1992年、『それから 江戸アケミ詩集』は93年だった。アンダーグラウンドなロック・ミュージックから音を排して詩だけを抽出することに意味があるのか。現代詩として陳列することはどうなのだろうか。意味ということで言えば、文学の言葉の意味を解体するからこそロックなのではないか。反対の立場から言えば、それは一体現代詩なのかどうかといったサジェスチョンが当時ほのかにあったことを思い出す。ヒカシューの巻上公一が先ごろの大岡信賞を受賞したが、90年代初頭から考えると隔世の感がある。

 静岡で活動する詩人、さとう三千魚主催の工藤冬里のライヴは年一回、今年で四回目となった。さとう三千魚が運営するネット上の詩のサークル、浜風文庫に工藤冬里が詩を寄せていて、その書き溜めれた詩をさまざまな演奏方法で朗読するという詩と音楽の会である。毎回長い詩をコンスタントに載せているので、たった一人のライヴでそれらを一度に読むことは実際問題とても体力のいる大変な作業なのだが、八面六臂見ていて胸のすくような精力的なライヴが展開されている。

 最初の会では、バックトラックに朗読を載せるというやり方で、ぼくの受け取りだが、一人ヴェルベッド・アンダーグラウンド、久方ぶりのロックな世界であった。それ以降、ネット上ズーム機能を使って遠くにいるミュージシャンとのコラボであったり、パソコン上の音源と電話を通した少し時差のある声・ことばでの朗読であったり、もちろんギターやピアノの演奏もあり、さまざまな趣向を凝らしてきた。歌うのではなく詩を読むという、音楽家にとっては大きなペナルティーのあるライヴをどのように作っていくのかということを工藤冬里自身が模索している、その模索がこちらに伝わってくると俄然たのしい。マヘル・シャラル・ハシュ・バズでいっしょに演奏をするたくさんのミュージシャンたちがその共同作業のなかで感ずるであろうことにはかなわないだろうが、観客として空間を共にすることも少しは参加することになるのだろうか。

 工藤冬里とともにA-MUSIKに参加をした竹田賢一の『地表に蠢く音楽ども』(月曜社)に、若き工藤さんたちが吉祥寺マイナーにてフリー・ミュージックのライヴやワークショップ等の試行をされていた様子が描かれているが、それはちょうど日本のパンク・ロックの勃興期でもあった。音楽スタイルは違うものの、フリー・ミュージックとパンクは互いに影響をしあい、日本独自のアンダーグラウンドな音楽の土壌をつくってきた(町蔵もじゃがたらもかかわり合ったはずだ)。それから何十年もたった現在、いくらでも「それらしく」(フリー・ジャズらしく、現代音楽らしく)できることの「それらしさ」を悠々と外して、その都度一回きりの音に賭けるようなパフォーマンスはまことに清冽である。

 一昨年・昨年、台湾とヨーロッパのツアーを行い精力的に活動をされているアルトサックス奏者・望月治孝のオープニング・アクトで幕を開ける。3年前にさとう三千魚が上梓した詩集『貨幣について』からの詩のリーディングとアルトサックスの演奏である。ゆっくりゆっくり言葉の文節を区切るように放たれる一つ一つの粒立った音、ツアーで鍛えられたであろう強度をえた音が胸に刺さる。「詩」と「音」が拮抗する。この翌日から彼はまたヨーロッパのツアーに出たとのこと。


国際舞台でも活躍するアルトサックス奏者・望月治孝

 今回の工藤さんのライヴではこれまでとは違い、浜風文庫に載せた詩と、そこに載らなかった詩(つまり皆がまだ未読)が発表された。デトロイトのミュージシャンからコラボ作品を依頼され、その送られてきた音源・バックトラックに詩と演奏をのせるという一時間のライヴであった。

 東京から山本恭子(トランペット)、静岡在住の渡邉直美(クラリネット)が当日急遽参加することが決まり、ライヴ直前にあわただしく打ち合わせているのをみた。マヘルでの共同作業の経験からこのような自由なコラボレーションがあるのだろうか。音源のポップさもあり、今回のライヴは以前よりも聴きやすいものだったが、二人の演奏が加わることでより深みのある音になった。


工藤冬里、そしてサポートする山本恭子と渡邉直美

 一番最初の文に戻る。もうロック詩と現代詩を区別する必要はないのかもしれないが、しかし工藤冬里の書くどこかひりつき尖った詩は現代詩には収まりきらないものだ。

 ロック詩とは意味よりもスタイルを追求したもので、しかしいつまでたってもそれではバカっぽいので、皆ビート詩やフランス文学を読んだりしながら言葉をみがいてきた。間章の絶対零度的な文体があり、「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」(早川義男)という転換点があってかっこいいことの多様性が生まれ、パンク以降さらにさまざまに細分化して現在に至る。工藤冬里の書く詩には、その初期のロック詩が持つかっこよさも、そしてその後の世代の多様化してゆくスタイルを持つロック詩までをも網羅しているように見える。当日読んだ詩では、先日亡くなった反日武装戦線の霧島聡=うーやん(ノンセクト・ラジカルの最後尾)へのシンパシーが叫ばれるし、打ち上げの席で望月治孝が工藤冬里の詩と鮎川信夫の詩の近似性について話していたが、戦後第一世代の現代詩の影響もあるのかもしれない。ニヒリズムとダジャレ、歴史性と現在の時事ネタ=若者言葉が等価に横溢しているし、叙情に流されない叙情性さえ湛えている。古いもの、新しいものを切り捨てないで表現をし続けること。しかも百科事典的な提示ではなく、その一つ一つと向き合い切り取りそれらと対峙する。

 詩が自らの内面と社会との関係にあるのなら、やはりロックの言葉は少しだけ社会の方に内面がはみ出していくような感覚を持つのではないだろうか。だから常に今が、現在が詩に表現される。工藤冬里の詩は〝現在詩〞といっていいのかもしれない。

 主催のさとう三千魚は現代詩のフィールドのなかにいながらどうしても居心地の悪さを感じてしまうような稀有な詩人であり、だからこそ毎年工藤冬里を招聘しているのだろう。普通のライヴよりもちょっとだけ詩にフォーカスを当てる、詩のことに少し比重をのせて考えることのできるこの会はたのしい。あまり体験できないようなライヴなのである。

Tyler, The Creator - ele-king

 世のなかには、ラップしかできないがゆえに人びとを惹きつける人間がいるいっぽうで、ラップするだけが能ではない人間もいて、そういうタイプに関心を示すぼくのような人間もいる。強引ながら敢えてこの二分法に従えば、タイラー・ザ・クリエイターは後者だ。もっともタイラーも、ここでまた過去をほじくり返すのは良くないが、デビュー時は酷いもので、彼の女性蔑視や意味のない罵詈雑言がわからずサウンドのみで面白がっていたぼくのような人間は大いに反省を迫られた、という話は以前にも書いた。ただ、それでもタイラーの、ストゥージズをやってしまうようなセンス(2015年の『チェリー・ボム』というアルバム)が嫌いにはなれず、昔、N*E*R*D の『In Search Of...』を好んで聴いていた古株として言えば、その系譜にいるひとりはタイラーだと思うし、実際の話、『スカム・ファック・フラワー・ボーイ』(2017)以降の彼のアルバムはどんどん洗練されていって、ある意味『ゴブリン』時代の汚名を倍にして返上し、いまや押しも押されもしないアーティストとして広く知られていることは周知の通りである。

 彼にはおそらく、文化的破壊者の側面もあるのだろうけれど、ディレッタント的な側面もある。新作『クロマコピア』、このウィットに富んだ見事なアートワーク──60年代前半のソウル系のジャケットを彷彿させるレトロなイラスト、軍服と黒い仮面──からもその才がうかがえる(前作のジャケットではボードレールを引用していたよね)。要するに、タイラーは自らのなかから何か新しいものを生み出すタイプではなく(そんなタイプは滅多にいないのだが)、ダイアレクトのレヴューで編集部コバヤシが記述した、 “コラージュ” 的なセンスにおいて卓越していることを意味する。サウンド・デザインの巧さ、言うなれば、いろんなところからいろんなものを持ってきてそれでひとつのモノを作り上げるのがうまい。まあ、そもそもヒップホップはそういう音楽なわけだし。

 『クロマコピア』の最初の4曲を聴いてもそれがわかる。1曲目“St. Chroma”(feat. ダニエル・シーザー)は囁き声とマーチのリズムの催眠効果にアンビエント風シンセサイザーが入って、ゴスペルの断片、場面をぶった切るようにダンス・ビートとラップが舞台に上がってジャズ・ピアノが鳴る。この展開力と編集のうまさ、見事だ。続く2曲目 “Rah Tah Tah” ではダークサイドを変異したトラップ・ビートが走って、シンセサイザーをバックにラップする。これもまた格好いいんだよなぁ。ザンビアのロック・バンドのサンプリングが話題になった3曲目 “Noid” は、タイラーのロック趣味が出た曲で、まあ、派手でキャッチーな曲だ。何語かわからないがアフリカのイントネーションを強調したラップが入ることで、曲にエキゾティズムを加味している。そして、これに続く4曲目“Darking, I” (feat. ティーゾ・タッチダウン)のメロディアスなソウルがロックの熱狂を甘ったるい気持ちへと導いていく……この曲がぼくにとっては本作におけるベストだが、たんにこれは好みの問題だ。『クロマコピア』には、こうした佳作が多くある。どれを好きになるかは、人それぞれだろう。

 レトロなリズムボックスの音色を活かし、70年代フュージョン風のストリングスが背後で流れる“Hey Jane”、プリミティヴなパーカッションの上をギターや声の細切れの断片がカットインされる“I Killed You”(feat. チャイルディッシュ・ガンビーノ)、アコースティック・ギターの弾き語りめいたスローテンポの“Judge Judy”にも微細な音素材がエディットされている。賑やかなサイケデリア“Sticky”(feat. GloRilla、セクシー・レッド、リル・ウェイン)、ピアノとブラス、ゆったりとしたドラムと美しいコーラスから成る見事なプロダクション“Take Your Mask Off”(feat. ダニエル・シーザー、ラトーヤ・ウィリアムズ)、アシッド・フォーク調にはじまる“Tomorrow”、パーカッションとトランペットの妙技による愉快な“Thought I Was Dead”(feat. スクールボーイ ・Q 、サンティゴールド)……(以下、略)。

 かように、ぼくはサウンドを楽しんでいる。とくに今回は意識的にそうすることにした。いちいち歌詞を吟味する時間もなかったし、そもそも、やはり、外国語圏の自己言及型ミュージシャンについて語るのは、どうにも自分自身すっきりしないところがある。ことに海外メディアにおける本作のレヴューのほぼすべてが「タイラーが何をラップしているか」に焦点が当てられていて、モノによっては作家の新刊紹介に近い内容になってきている。それだけ言葉が面白いのだろうし、アートワークにある「仮面」というのは、往々にしてペルソナのメタファーであり、ブラック・カルチャーにおいては引き裂かれた自己、意識の二重構造のメタファーとして使われることも多いわけだから、本作にアイデンティティの問題や内的な葛藤ないしは内省が込められていることを察することはできる。数々の海外レヴューによれば、自己発見があり、(いまアメリカで大問題の)中絶をテーマにした楽曲もあるが、それも身の上話のようで、アメリカ社会における辛い人生に関しての言及はないようだ。33歳にもなってバカはできないと思ったのか、あるいは、ここ数年アメリカのラップ界やセレブリティに顕著な「自分語り/身内話」という時流にタイラーも乗っているのだろう。

 それをわかった上で、自分の英語聞き取り能力の欠如が、サウンド・デザイナーとしてのタイラーをわりとダイレクトに受け入れていることを思えば、これはこれでまたひとつの受容の仕方として良いかと思ったりもする、とくに今回のタイラーのように、その洗練されたセンスをもって魅了する作品の場合は。前作『Call Me If You Get Lost』に収録された“Wilshire” という曲における彼の切ない女性関係についての告白に関してぼくはいまいち、いや、自分がもうそういう歳でもないので、ピンとこないわけだが、かといってDJシャドウの“Midnight In A Perfect World” と同じサンプル素材を使っていることがクールだと主張したいわけではない……けど、自分のナードな部分がそこに反応してしまうのもたしか。音楽ライターとしてこれは自慢できる話ではない、間違いなくないそれはないが、タイラーにもその気質はあるでしょう。

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