Home > Reviews > Album Reviews > deathcrash- Return
リターン、曲を聞きながらこのアルバムのタイトルについてずっと考えていた。
ロンドンのバンド、デスクラッシュのデビュー・アルバム、どうして最初のアルバムなのに『Return』なんてタイトルをつけたんだろう? スロウコアのような曲が流れるなかで最初に頭に浮かぶのはやっぱりモグワイ(そのなかでも特に『Come on Die Young』)だけど、デスクラッシュはいわゆる轟音に足を踏み入れることはない。音が太くなり、ヴォリュームが上がっていく、でもその手前でデスクラッシュは立ち止まる。突き抜けないで同じ場所をいったり来たり、それが刺激になって脳の柔らかい場所をくすぐり続ける。それは痛みを伴った緩やかな快感で、大きな波ではなくて小さな快感がずっと続く。
“American Metal” というタイトルのアメリカン・メタルっぽくない曲(それは彼らの “Punk Rock” なのかもしれない)が架空の思い出を思い起こさせるように優しく頭を揺らす。そうして僕は理解する、あぁだから『Return』なのかと。つまりこれは記憶の音楽なのだ。
デスクラッシュはケンブリッジ大学で出会ったギター/ヴォーカルのティエナン・バンクスとベーシストのパトリック・フィッツジェラルドが2016年にベッドルームで一緒に録音しようと試みたところからはじまったバンドだ。2018年にデスクラッシュという名前がつけられギターのマット・ワインバーガー、ドラムのノア・ベネットが後に加入した。パトリック・フィッツジェラルドはソーリーがフィッシュを名乗っていたころのベーシストでもあり、ティエナン・バンクスはフェイマスの元メンバーでもある。シーンのバンドという感じはあまりしないけど、デスクラッシュは興隆を誇っていたサウスロンドンのシーンと無関係というわけでもない(フェイマスにはブラック・カントリー・ニュー・ロードのアイザック・ウッドがお手本だったと語るジャースキン・フェンドリックスもいた)。なかでも2020年に一緒にツアーを回ったブラック・カントリー・ニュー・ロードはデスクラッシュから影響を受けたことを公言しており、メンバーのタイラー・ハイドは昨年の『the Quietus』のインタヴューで「当たり前かもしれないけど、極端に静かな部分と大きな部分を使い分けることで、曲の中で物語的な構造を生み出して進行できるってこと、非常にソフト、もしくは静かに演奏することで違った楽器を横断することを(デスクラッシュから)学んだんだ」と語っていて、その言葉の通りそれはブラック・カントリー・ニュー・ロードの2ndアルバム『Ants From Up There』に生かされている。だからなのかデスクラッシュの『Return』とブラック・カントリー・ニュ・ーロードの『Ants From Up There』の根底に同じ空気が流れているような感じがするのだ。同じようにそこに漂う記憶や思い出を呼び覚まし、ブラック・カントリー・ニュー・ロードはそれを現在と対比させ、デスクラッシュはその中をずっと彷徨っているようなそんな印象を受ける。
ドラムの静かなカウントからはじまるオープンニング・トラックの “Sundown”、ギターの音は優しくゆっくりと記憶を呼び覚ますように進み、響き渡るスネアの音が空気を引き締めノスタルジックなだけで終わらせない緊張感をもたらす。ペダルの踏まれたギターは心地よさを感じる痛みを与え、ベースが記憶に質量を加える。ゆっくりとささやくようなティエナン・バンクスのヴォーカルは自分自身に語りかけ、問題を理解しようとしているかのように響き、なおさらに内面世界への歩みを進ませる。8分近いスローテンポの曲にまったく長さを感じないのは、曲が展開する中で頭の中にいくつかのイメージが浮かんでは消えてということを繰り返しているせいなのかもしれない。
“Matt's Song” のつま弾かれるギターの向こう側でかすかに会話が聞こえてくる。それはベッドでまどろんでいるときに聞こえてくる声のように心地よい不明瞭さをもたらして、“Metro 1” においてのラジオDJのような声、“What To Do” に挿入されるインタヴューの音声(これはスパークルホースのインタヴューだ。彼らはマーク・リンカスが亡くなった後にスパークルホースを知ったのだという)が湧き上がって来るイメージの方向を定める。こうした手法はそれこそモグワイの『Come on Die Young』でも印象的に用いられていたような手法だが、過去との対話を試みているようなデスクラッシュの音楽においてのそれはより一層の郷愁を誘う。それはいつか起こったことなのだ、だから誰かの記憶を覗いているようなそんな気分になる。
“American Metal” は失われてしまったものに対する虚無や悲しみが時間を経て変化し柔らかなメランコリーとして語られた後、中盤で展開する。「もしあなたが自らの死を選んだのだとしても/マイ・ブルー・ヘブン/僕にただ精一杯やったと言ってくれたことに感謝したい」。そんな言葉の後にヴォーカルが消え、感情がインストゥルメンタルにゆだねられる。それはキャラクターの心理描写を音楽を通しておこなう映画のようで、心の痛みがギターによって表現される。この曲はもしかしたらティエナン・バンクスの21歳で自殺したというおじの存在がモチーフになっているのかもしれない。自身のメンタルヘルスについて語った『ラウダー・ザン・ウォー』のインタヴューのなかでバンクスはこのアルバム『return』とep「people thought my windows were stars」が書かれた時期のことを振り返り、亡くなったミュージシャンや悲しい曲を書くミュージシャンに過剰に同調し、おじや母、友人の苦しんでいる部分に強いシンパシーを感じているようなところがあったと話している。曲の中心に自分を据えることをさけ、インスピレーションを得るために自分の大切な人たちに目を向ける。「いま思うと、自分自身を見るために彼らを覗いていたんだと思います」。そう語るバンクスの言葉通りに、心の内面を覗くようなデスクラッシュの楽曲は聞いているものにある種のイメージを与える。もしかしたらイメージとはその隙間に入りこむものなのかもしれない。穏やかな部分と激しくなる部分の、音のその隙間に、うまく処理の出来ない感情が入り込みそれがぼんやりと形になって現れるのだ。
「世界が僕たちの音楽に合うように変化した」。ギタリストのマット・ワインバーガーは2020年の『ラウド・アンド・クワイエット』のインタヴューでそんな言葉を残したが、それは確かにそうなのだろう。パンデミックが起こり、外界から強制的に切り離された時代のなかで人びとは立ち止まり自分自身や社会と向き合い考えることを求められた。そんななかでしっくり来るのは攻撃的で性急なポストパンクの音よりも、もっとスピードを落とした自身の内面に深く潜れるような音楽だったのかもしれない。事実、ブラック・カントリー・ニュー・ロードはスリリングなポストパンクの1stアルバムとはまったく違うサウンドの穏やかで優しく慈しむような2ndアルバムを作り上げた。先日素晴らしいデビュー・アルバムを発表したキャロラインにしても広く受け入れられるようになったのはこの影響があったはずだ(実際僕はそうだった。その存在を知ってはいたがキャロラインの良さに気がついたのはロックダウンのときに作られた内省的な音楽を日常的に聞くようになった後だった)。ソーリーのベーシストでブラック・キャット・ホワイト・キャットの主宰であるキャンベル・バウム(つまりパトリック・フィッツジェラルドの後にソーリーに加入したベーシストだ)がロックダウン時に立ち上げたトラッド・フォークのプロジェクト、ブロードサイド・ハックスにしてもこの影響下にあったのかもしれない。アウトプットとして表面に出てくる音は違ってもロンドンのこれらのバンドはそこに流れる空気を共有している、それがなんとも面白い。
実際にインタヴューのなかでデスクラッシュのティエナン・バンクスはブラック・カントリー・ニュー・ロードの2ndアルバムが出た二日後にベーシストであるタイラー・ハイドと共演したこと、キャロラインのレコードが出ることを楽しみにしていることを語っている。「今年(2022年)はいろんなものが出てきて本当にいい感じだよ。キャロラインのレコードがもうすぐ出るしね。ロンドンのシーンのこの繰り返しが本当に好きなんだ」。そうしてインタヴュアーのどんなところが好きか? という質問に「競争心がないところ」と答える。負けないというライバル心ではなくて、ただ純粋にこれらのバンドが何をやっているかに興味がある、それはきっとブラック・ミディやスクイッドにしてもそうで、だからきっと彼らは変化を恐れずに変わっていけるのだろう。お互いがお互いに影響を与えて、そうして変化し進んでいく、ロンドンのシーンのこの反復のサイクルはとても魅力でそういう部分に僕は強く心を惹かれる。
だから2022年の近い時期に続けて、ブラック・カントリー・ニュー・ロードの2ndアルバム、キャロラインのデビュー・アルバム、そしてこのデスクラッシュのアルバムが出たということは新しい流れを象徴するような出来事なのではと思えるのだ。表面上のジャンルを越えて共鳴するバンドの、このデスクラッシュのアルバムもまた振り返ったときに2022年を表すようなそんなアルバムにきっとなるはずだ。
『Return』、過去にあった出来事が反映された、記憶のなかから希望を見いだしたこのアルバムから、再び何かがはじまりそうなそんな気配がする。
Casanova.S