「UR」と一致するもの

Lucrecia Dalt - ele-king

 コロンビア出身、ベルリン在住の音楽家ルクレシア・ダルトの新作を繰り返し聴いている。この幽霊的な魅惑に取り憑かれてしまったようだ。夢の迷宮に入り込んでいくかのごとき魅惑に満ちている。
 前作『No Era Sólida』と作風がまったくことなっていたので最初こそやや戸惑ったものの、そのアヴァン・ラテン・ミュージックとでも形容したいような妖しくも深淵なムードと曲にしたたかに打ちのめされてしまった。まるでかすかな光をたよりに闇のなかをヒタヒタと彷徨うような聴取体験であった。
 ルクレシア・ダルトにとって音楽の「深淵さ」は、見かけの表面上の形式ではなく、その音が放つムードに他ならない。だからこそルクレシア・ダルトは、『No Era Sólida』などにあったような幽霊的な音像のエクスペリメンタルな作風から、ノイズ・エクスペリメンタル作家のアーロン・ディロウェイとの共作、さらには低予算映画のサントラからHBO制作のシリーズ作品の劇伴まで多様に手がけつつも(そしてその都度、音のフォームを変幻させながらも)、音のムードがまったく揺らいでいないのだと思う。
 それはラテン・ミュージックのリズムと曲調を全面的に取り入れた本作でも変わらない。近作との関係でいえば本年リリースされた低予算映画『The Seed』の映画音楽と、HBOのドラマシリーズ『The Baby』の劇伴という、サントラ二作からのフィードバックもあるように感じられた。また2014年という初期のEP「Lucrecia Dalt」にもじつはこのアルバムにあるようなムードがあった。
 ともあれ『¡ay!』を聴いて、その魅力に取り憑かれてしまった方で、このサントラ二作を未聴の方はぜひとも聴いて頂きたい。

 アルバムは全10曲が収録されている。曲調は先に書いたように彼岸からのラテン音楽のような不可思議にして魅惑的な音楽が、アルバム一枚にわたり展開されていく。ボレロからマンボ、さらにはサルサやメレンゲまでさまざまな音楽的要素が、彼女の声とモジュラーシンセなどと交錯して、独創的な音楽世界を構築しているのだ。どうやら彼女が子どものときに接した音楽(の記憶?)がベースとなっているようである。まさに記憶を遡るかのように、音楽が展開されているのだ。
 じじつ、アルバム冒頭の “No tiempo” はまるで60年代、70年代のムード音楽で鳴っていたようなオルガンの音からはじまる。彷徨するようなベース・ラインに牽引されるように楽曲は進む。ルクレシアのヴォーカルもシルキーでいながらもどこか彼岸からの声のような幽霊的な質感で聴くものを掴んで離さない。続く “El Galatzó”、“Atemporal” もまた怪しい魅力に満ちた音楽性といえる。
 様相が変化してくるのは、5曲目 “Contenida” からである。静謐なアンビエンスのなか、黄泉の国から聴こえるラテン・ミュージックとでもいうような奇妙にして深淵な音楽を奏でるのだ。電子音による真夜中のカーテンのような音響処理には『No Era Sólida』の影もちらついてくる。リヴァーブの強い音響処理が耳に刺激的だ。
 続く6曲目 “La desmesura” から9曲目 “Enviada” は、リズムの音色もいささか金属的に強調され、不可思議な音楽性へと変化を遂げていく。ルクレシアの声が異界への案内人のように響くだろう。
 アルバム最終曲 “Epílogo” は、1曲目 “No tiempo” のオルガンのような音を反復する。それは円環というより、螺旋階段のようにぐるぐると回っていく感覚に近い。

 このアルバムの世界に浸っていると、この音楽はいつの時代の音楽なのか、いつの時代をモデルにしているのか、しだいにわからなくなってくる。現在か。過去か。その交錯か。実に不思議な魅力に満ちているアルバムだ。
 リリースは『No Era Sólida』と同様に、ブルックリンを拠点とする〈RVNG Intl.〉だ。このレーベルがニューエイジやアンビエントの文脈に収まりきれない本作のような作品をリリースするようなレーベルに変化を遂げている点も、2022年現在のエクスペリメンタル/インディペンデントな音楽を考える上で、とても重要なことではないかと思った。

Salamanda - ele-king

「あ、畜生、夢かよ。」

 アンビエント・デュオ、Salamandaのレギュラー・アルバム第三作目となる『ashbalkum』。この得体不明なタイトルはいわゆる「夢オチ」展開を指すネット・ミームを発音ごと英字化したものだ。いや、なんで? 確かにリード・シングルでオープナー “Overdose” のビートはだんだん深海のように変わっていく周りの響きと合って、まるで階段を降りていく脚の動きのように聞こえて、夢に入り込むイメージがきちんと浮かぶ。けど、ただ夢うつつに落ちる(もしくは起きる)のでなく、なぜ「畜生」な状態なのか? 正直いまでもこのアルバムを、いや、彼女らの音楽を前にするたび、ますますわからなくなるばかりだ。
 SalamandaのメンバーであるUman Therma (a.k.a. Sala)とYetsuby (a.k.a. Manda)のDJふたり組は、10年代末からソウルのアンダーグラウンドなクラブやイベントで活発にDJingをしている。そしてプロデューサーとしても個人・チーム両方にかけて持続的に良質な作業の結果を出すことで、ローカルのアングラ界隈だけでなく、世界のレフトフィールド・ファンからも注目を集めている。個人名義の活動はより電子的なダンス・ミュージックに近い様子だ。彼女らの運営する小規模のダンス・レーベル・プロジェクト〈Computer Music Club〉のコンピレーション・シリーズを見ると、Umanは打撃強めで波形の尖ったテクノ曲を中心に提出する。クラシックを専攻して電子音楽に移ったと言われるYetsubyも同じく〈CMC〉と唯一のソロ・アルバム『Heptaprism』(2019)などでサンプルとグリッチの複雑な絡み合いを得意に見せる。
 このようにダンスフロア・ミュージックを中心に奏でる彼女らがチームSalamandaとして見せる音楽は、ミニマル/アンビエント色がさらに濃くなる。この激変(?)に関してふたりは即興演奏(improvisation)への興味などで意気を統合し、生活のなかの騒音を活かしたミニマル音楽のマスターピースを作りたいという目標を共有すると明かす。ガチャガチャとする土俗的なリズムの運用がさらに強調されてなおチームの色として成り立つと私は感じている。が、ダンサブルな感覚を捨てるわけではない。本作の場合、“Rumble Bumble”でアフロなビートの逆再生と見られるレコードは、まるでヒップホップのようにも聞こえる。“Coconut Warrior”の規則的なリズム、“Hard Luck Story”の分厚いベースはまさにバンガーと言っても良いくらいだ。
 今作を前作群から区分づけられるところは、アルバム全曲にかけて「声」を利用することである。全曲にかけて、だ。エレクトロニック楽曲でヴォイス・サンプルを使うことはごく自然なことだが、作法そのものをコンセプト化するのは確かに興味深い。その特徴が最も突出するところは“Mad Cat Party”で猫—Ringo the Cat—の鳴き声を用いる様子だろう。このリンゴ・ザ・キャット公の声に魅入っていると、いつのまにか遠景からはファンファーレを知らせるシンセ音が通り過ぎていく。
 『Pitchfork』誌のフィリップ・シャーバーンが記したように、“Coconut Warrior”と“Catching Tails”の赤子じみた声のサンプルはボーズ・オブ・カナダを連想させるし(BoCもサンプルデリア的ヒップホップとみなせることを踏まえるとさらに興味深い)、同題材をシェアする“Melting Hazard”と“Living Hazard”がパーカッションを排除して、それぞれブライアン・イーノ的、エイフェックス・ツイン的なアンビエント質感のなか、オルガンや声で宗教的な残響を奏でる意味深なシーケンス、そしてフィールド・レコーディングからはじめて声をグリッチのようにばら撒く“Kiddo Caterpillar”と実際にグリッチを使って声みたいに演出する“Stem”の対比的反復など、これまた何かしらコンセプチュアルだ。
 これら全てを「夢みたい」と一言で片付けるのは簡単だ。私も早くそうさせたいし、実際そうするつもりだ。そして未来から聞こえてくる読者の声、「おい、こん畜生、まーた夢オチかよ!」 
 夢オチがミームな理由は、物語内で論理的に完結しないままこれまで積んできた物語の展開を無効化する虚しさによるもので、何より夢オチはもう陳腐になってしまい、そこから意義を見出しづらいからだ。
 アルバムというメディアから人びとはだんだん何らかの統一性・凝集性を求めるようになった──私もそのひとりだ──が、一次的に意味を発さない音を紡いでナラティヴを貫通させるのは決して簡単な作業ではないだろう。特に言語を載せなかったりそれが主ではないジャンルに関してはなおさらだ。『Tonplein』誌のチョ・ジファン(조지환)はSalamandaの『Our Lair』(2019)の評にて「反復中の変形を方法論として多彩な印象を時々刻々と新しく塗り加えていく」と描写し、「勤勉に動くアルバム」だと評した。本作においても、言える言葉はあまり変わらないだろう。そう、変わらないのだ。
 だからこそ私はここでコンセプトに注目する。本作は声をサンプリングする作法を軸に、はっきりと約束された意味が通用しない音の動きを一作品として凝集し、かつ前作たちと差別化を図る。「あまり変わらない」音を使って、だ。陳腐性を逆利用するそのアイデアに感嘆し、また本作を流してみる。畜生、わかった気でいたのに、夢かよ。

Special Interest - ele-king

 これほど歌詞を知りたくなるバンドはそうそういない。絶賛ばかりの英語圏のレヴューを読めば読むほど、いったいどんなことを歌っているのか気になってくる。そのダンサブルなパンク・サウンドだけでも十分ひとを惹きつけるスペシャル・インタレストの新作『Endure(耐える/存続する)』は、大変なことがつぎつぎと起こる2022年にこそふさわしい、きわめて時代的なアルバムになった。

 彼らの音楽はひと言でいえば、パンクの鋭利さをディスコやハウスの歓喜へと接続するものだ。両者を結びつけるスペシャル・インタレストのセルフ・プロデュース能力は、この3枚めのアルバムにおいてかつてない高みに達している。
 冒頭の “Cherry Blue Intention” とつづくシングル曲 “(Herman's) House” の昂揚はそうとうなもので、とりわけアリ・ログアウトのヴォーカリゼーションは素晴らしく、(おもにノイズを担当するギターにかわって)メロディアスにグルーヴを紡ぎだすベースは、それぞれの曲で決定的な役目を果たしている。
 パンクとエレクトロニックなダンス・ミュージックの結合それ自体は新しいものではない。ポスト・パンクの時代からあった発想だし、LCDサウンドシステムが注目を集めた、00年代前半に起こったリヴァイヴァルを思い出すひともいるかもしれない。『Loud and Quiet』が指摘しているように、スペシャル・インタレストの特別さは──パンクやハウスが既存の支配的な価値観に対抗的だったように──ストレートに、今日の世のなかに対してメッセージを発しているところにある。

 クィアネスは彼らの音楽の要素のひとつだ。けれども彼らはそれを表看板として掲げることはない。多様性の称揚が企業にとって都合のいいものであること、アイデンティティ・ポリティクスが資本主義を補完するものであるかもしれないことに、彼らは気づいている。『Endure』とは、このきつい時代をなんとか生き延びようということであって、言いたいことを我慢することでなないのだ。彼らは、冷静なまなざしで、現代社会が抱えるさまざまな問題に容赦なく切りこんでいく。
 うまく歌詞が聞きとれているわけではないので間違っているかもしれないが、ぼくがリサーチしたかぎりにおいては、たとえばパンク・チューンの “Foul” は低賃金労働者の惨状を歌っていたり、“Kurdish Radio” はアメリカと中東の非対称な関係を浮き彫りにしたりしているようだ。上述の “(Herman's) House” は冤罪で40年以上も収監されていたブラック・パンサー党員についてのものだし、BLM蜂起の直後に書かれたという “Concerning Peace” では、おなじく元ブラック・パンサーのストークリー・カーマイケルや思想家のフランツ・ファノンが参照されたり、殺される人間よりも割れた窓ガラスを気にする良識派が揶揄されたりしているらしい。

 ともすれば重くなってしまいがちなメッセージを搭載しつつ、しかしスペシャル・インタレストは誰の耳にも親しみやすいサウンドとして飛翔する。彼らの音楽は、ポップ・ミュージックとしての吸引力も持っている。朝の6時にクラブを出ても孤独を感じている女性に捧げた、ラッパーのミッキー・ブランコをフィーチャーした曲 “Midnight Legend” は、クラブ・カルチャーの痛々しいリアルな場面への愛の籠もったオマージュである。
 闇雲に怒り狂うのでもなく、ペシミスティックにふさぎこむのでもなく、喜びに満ちた時間を演出する──無実の罪で放りこまれたハーマン・ウォレスが獄中にあっても活動をつづけたように、スペシャル・インタレストもまた前向きに、現代社会の「外部」を探求しているのではないか。別の世界を想像することはまだ十分可能なのだと、そして──パンクやいくつかのダンス・ミュージックがそうであるように──ポップ・ミュージックのなかにもラディカルな可能性が潜んでいるのだと、そう彼らは素朴に、心から信じているのだろう。
 状況が困難であればあるほど、絶望するのはたやすい。スペシャル・インタレストがやっているのはその絶望を踏まえたうえで明日を生きる活力を醸造し、ぼくたちがついつい忘れがちになってしまう「前向きになること」を思い出させてくれる。

The Residents - ele-king

 「1億年前、ルイジアナ州の中心部からやや南に空から大きな岩が落ちてきた。そう、その時はまだルイジアナとは呼ばれてないけどね。岩が落ちた衝撃で大きなくぼみができ、少しずつそのくぼみは埋まっていったものの、くぼみは依然としてくぼみのままだった。そこに水が溜まり、クーチー・ブレイクと呼ばれる沼になったんだ。この沼は海とは繋がっていなかった。このことに意味があった。その沼はペルシャ湾から200マイル離れていて、そこにいれば世界情勢には無縁でいられた。ローカルというのは常にそういうものだけど。沼では起きるはずのない不思議なことがよく起きていた。何人かの若者がクーチー・ブレイクでキャンプをしていて、彼らはそこにはあるはずがない花崗岩の大きな塊を見つけて登ってみた。彼らは洞窟を発見し、キクの花の陰に運命が潜んでいると考えた。大事なことは彼らがそこにじっと座り続け、クーチー・ブレイクの声に耳を傾けたことだった。彼らは成長してザ・レジデンツになった。彼らの音楽は記憶だけでできている。クーチー・ブレイクを覆う怪しい霧と不気味な形、そして意表をつく音の記憶で」
(Sonidos De La Noche『Coochie Brake』より)

 ザ・レジデンツがソニドス・デ・ラ・ノーチェ(=夜のサウンド)名義で11年にリリースした『Coochie Brake』はバンドの成り立ちを題材にしたもので、これが契機となってザ・レジデンツの構成メンバーや彼らがルイジアナ出身であることが明らかになっていく。ヴォーカルのランディ・ローズが親の介護でバンドを離れていたため、曲はチャールズ・ボバックとボブが3ピース・バンドの振りをして録音。ギターとキーボード、そしてドラムだけの演奏にもかかわらず(1人2役のふざけたクレジットが笑える)、プレス・プラドーを思わせるマンボやエキゾチック・サウンドのダークサイドを掘り当てたサウンドがこれでもかと繰り広げられた。電子音がほとんど鳴らないのに、しっかりとザ・レジデンツ・サウンドに聞こえるのは不思議だったけれど、翌年からボバックはドローンをメインにソロ活動を活発化させ、ボブことノーラン・クックもデス・メタルのバンドに時間を割くようになる。チャールズ・ボバックことハーディ・ウィンフレッド・フォックス・ジュニアはそして、「医者がさっき薬物を投与した(笑)」とSNSに投稿して脳腫瘍であることを明かし、翌18年に他界。現在はボブとランディ・ローズの2人でザ・レジデンツを名乗り、『Leftovers Again?!』や『A Nickle If Your Dick’s This Big 1971ー1972』など主に未発表音源のアーカイヴをカタログに付け加えている。

 ランディ・ローズが復帰し、ボバックが亡くなるまでの間に3人は自分たちの辿った軌跡を題材にした3本の大掛かりなツアーを行った。『ザ・ランディ、チャック&ボブ3部作(the Randy, Chuck & Bob Trilogy)』と名付けられたこれらのツアーは幽霊と死をテーマにした「Talking Light」(2010ー2011)、愛と性をテーマにした「The Wonder of Weird」(2013)、生と再生と輪廻と臨死体験をテーマにした「Shadowland」(2014ー2016)で、ボバックは体力が続かずに「Shadowland」ツアー中にグループを脱退。『So Long Sam 1945-2006(さよならアメリカ 1945-2006)』は「Talking Light)」ツアー中にキャバレー・ショーという体裁でバークレー美術館で行った「Sam’s Enchanted Evening(アメリカの魅惑的夕べ)」のライヴを記録したもので、2010年に4曲入りシングルとして限定配信されていたものの完全版。コンセプトはアメリカでヒットしたメジャー曲のカヴァー集となり、CD1はヴァイオリン2台とキーボードにアコーディオン、そして、ヴォーカルとパーカションという室内楽編成、CD2はそのリハーサル・デモ(=つまりスタジオ・テイク)を収録。『Meet The Residents』や前述の『Coochie Brake』と同じく基本的にはエレクトロニクスを重用しないザ・レジデンツのアコースティック・サイドである。

 ステージの雰囲気はランディ・ローズに負うところが大きく、とにかく情熱的。畳み掛けられるダミ声のシャウトは80年代にパルコで観たライヴのそのままが蘇る。フィールド録音のフィリップ・パーキンスを正式メンバーに加えて録音された『The American Composer's Series』やエルヴィス・プレスリーを題材にした『The King & Eye』といったコンセプト・アルバムの類いとは異なり、好きな曲を気ままに取り上げたカヴァー大会の様相を呈し、MCも全部拾っているためにアット・ホーム感に満ちている。オーディエンスの反応もとても暖かい。“September Song”や“Mack the Knife”など演劇的な要素のあるミュージシャンならば気合が入るのも当然なクルト・ヴァイルの曲はやはり真骨頂。対照的に『ティファニーで朝食を』の主題歌“Moon River”やボビー・ジェントリー“Ode To Billie Joe”といった映画にちなんだ曲も説得力がある。ルイジアナ州の雰囲気が濃厚に漂うとされる“Ode To Billie Joe”はBサイドに回された曲ながらビルボード1位になった自殺の歌で、10年後に映画化されるまでビリー・ジョー・マッカリスターが自殺する前日に河に何を投げたのかという議論が絶えなかった曲でもある。ザ・レジデンツの音楽的ルーツのひとつなのだろう。

 全体に60年代に対するノスタルジーが強く、ブライアン・イーノやブロンディーもカヴァーしたジョニー・キャッシュ“Ring of Fire”やドアーズからジーザス&メリー・チェインなどのカヴァーで知られるロック・クラシックのボー・ディドリー“Who Do You Love?”といった王道が手堅く取り上げられる。バート・バカラック作は2曲あり、ジーン・ピットニー“True Love Never Runs Smooth”とディオンヌ・ワーウィック“Walk On By”はどれも原曲に恐怖を吹き込み、不安を煽るアレンジが実にザ・レジデンツらしい。これらを聴いているとシクスティーズの能天気さにヨーロッパ流の悲壮感を植えつけていくというのがザ・レジデンツの基本的なアイディアをなしているということがよくわかる。意表を突かれたのはミシェル・ルグラン“The Windmills of Your Mind(風のささやき)”で、これも原曲のセンチメンタルなテイストは取り払われ、不安しかないザ・レジデンツ仕上げ。『池袋ウエストゲートパーク』の着メロでおなじみステッペン・ウルフ“Born to Be Wild”を室内楽にアレンジしたものはペンギン・カフェを思わせるところがあり、ロックからアンビエントへ移行したイーノのミッシング・リンクを聴いているかのよう(イーノが『Commercial Album』に参加していたことも最近になって明かされた)。77年にはライヴで演奏され、『Dot.Com』などにも収録されているローリング・ストーンズ“Paint It Black”も圧巻。これはもうかなり年季が入っていることが窺えて言うことなし。

 ライヴ本編の締めくくりはやはり69年のクィックシルヴァー・メッセンジャーズ“Happy Trails”で、60年代にとらわれているわけではないと言いたいのか(タイトルも『1945-2006』だし)、中盤では郷ひろみ“Goldfinger'99”の元曲であるリッキー・マーティン”Livin’ La Vida Loca”もピック・アップ。それなりによくできているけれど、むしろ70年代以降は見事に空白だということが目立つばかり。これでエミネム“Lose Yourself”でも取り上げていれば現代にも目を配っているバンドに見えたかもしれないけれど、さすがにそこまでのキャパシティはなかった。彼らのモダンさはここが限界だったのかなと思うのはCD2のみに収録されているドナ・サマー“Mac Arthur Park”(78)のカヴァーで、17分を超える組曲を7分弱にまとめてディスコビートを抜いた弦楽中心のホラー・ドローンに仕上げている。これはアンチ・ディスコという意味ではなく、“Mac Arthur Park”からどれだけヨーロッパ的な感性を引き出せるかという試みなのだろう。ザ・レジデンツには“Diskomo”やイビサ・クラシックとなった“Kaw-Liga”といったディスコ・ナンバーがあり、ボバックは脳腫瘍を公表する時に『Freak Show』で声優を務めたスティーヴン・クローマンと結婚していることも公にし、ザ・レジデンツがゲイ・カルチャーと共にあったことも伝えている。“Mac Arthur Park”のドローン風カヴァーは、僕にはドイツのファウストとダブって見える。前々から僕は『Meet The Residents』とファウストの初期衝動は似ていると思っていて、クルト・ヴァイルの演劇的な感性を軸に諧謔性と悲壮感を同居させるためにアメリカからアプローチしたのがザ・レジデンツなら、ヨーロッパのインプロヴィゼーションに諧謔性を塗り込めたファウストが結果的に似たものになったのではないかと。60年代の熱気をエレクトロニクスに変換させることで80年代のオルタナティヴとなったザ・レジデンツに対して、ディスコ~レイヴ・カルチャーがひと段落してようやく90年代末に復活するファウストが共に00年代にそれなりの存在感を示したこともなんとなく符号に感じるところである。

Crack Cloud - ele-king

文:小林拓音

 まもなく来日を控えるクラック・クラウド。いまのインディ・シーンにおいてとても重要なバンドだと思うのでこれを機に紹介しておきたい。
 ぼくが彼らの存在を知ったのは最近のことだけれど、カナダのカルガリーで始動した彼らについて、イギリスのメディアは4年前の2018年から賛辞をもって注目している。2枚のEPを合体した編集盤『Crack Cloud』が世に出たタイミングでもあった。まずは大手『ガーディアン』が「いかにして彼らはパンクを活用し薬物中毒を治療したか」との見出しで、まだ駆け出しのこのカナダのバンドのインタヴューを掲載。翌年には『クワイエタス』がバンドのさらなる背景に迫るインタヴューを敢行し、大きくフィーチャーしている。以下、それらの情報をもとに彼らの来歴をたどっておこう。

 いわゆるフロントマン的なポジションを担うドラマー兼ヴォーカルのザック・チョイは、中国人の父とウェールズ人の母のもとカナダで生を受ける。11歳のとき、父を亡くした悲しみから酒に溺れ、ほかのドラッグにも手を出すようになった。依存症から脱するきっかけになったのは、おなじく父の遺したレコード・コレクションだったという。
 なかでも大きかったのはブライアン・イーノだったようだ。その穏やかさに触れた彼は、イーノの「非音楽家」なるアイディアに惹きつけられる。おそらく、専門的な訓練を受けていなくても音楽はできるという考え方に勇気づけられたのだろう。かくして誕生したのがクラック・クラウドというわけだ。

 メンバーは一応7人ということになっている。けれども表に立つ彼ら以外にも映像作家やデザイナーなど、クラック・クラウドには多数の人間が関わっている。アート表現と日常生活が一体になったその活動は、家であると同時にスタジオでもありヴェニューでもある、アルバータ州カルガリーのスペースではじまり、その後ヴァンクーヴァーのイーストサイド──アナキズムの歴史がある一方、ドラッグや貧困などの問題も根強かった地域──で継続されることになった(Casanova S.氏の情報によれば、そのイーストサイドもジェントリフィケイションによって破壊され、現在メンバーたちはばらばらに暮らしているらしい)。
 このように彼らは──音楽性は異なるが、ゴッドスピード・ユー!ブラック・エンペラーのように──たんなるバンドというよりも、生活をともにする共同体という意味でのコミュニティなのだ。そのあり方は、カネとSNSのつながりだけが人間関係であるかのように見える現代において、じっさいにひととひとが助け合いながら生きていくこと、その可能性を模索するある種の運動だともいえるかもしれない。アナキストたちが自治を獲得しているコペンハーゲンのコミューン、「クリスチャニア」を彼らが訪れていることも、見逃すべきではないポイントだろう。

 なんて部分ばかりを強調すると、なにやら過激な政治集団のように思われるかもしれないが、クラック・クラウドの核にあるのは「薬物依存症からの回復」と「メンタルヘルスのケア」だ。じっさい、クラック・クラウドのまわりには元ドラッグ中毒者だった者たち、あるいは現在その状態にある人びとを助ける仕事に携わっている者たちが集まっている。
 たとえばキーボードのアリ・シャラール。パンジャブ系移民の親を持つ彼は、DVと人種差別を経験し、自殺願望にさいなまれ、チョイ同様ドラッグの深みにはまった過去を持つ。シャラールが「ぼくらはアート学生じゃない」と発言しているように、バンドをやることが生きていくことと同義であるような、ぎりぎりの場所から彼らは音楽を鳴らしているのだ。
 そのことは、ファースト・アルバム『痛みのオリンピック(Pain Olympics)』(2020)のタイトルにもあらわれている。初期の特徴だったギャング・オブ・フォー的ポスト・パンク・サウンドをある程度は引き継ぎつつ、コーラスや電子ノイズの導入などにより音楽性の幅を広げた同作は、大いに称賛を受けることとなった。

 それから2年。チョイの亡き父、すなわちバンド立ち上げのきっかけになった人物のことばからはじまるセカンド・アルバムは、音楽的にさらなる飛躍を遂げている。コーラス、管楽器、鍵盤の三つが重要な役割を担い、ほとんどの曲が起伏に富んだ展開を見せている。アーケイド・ファイアを引き合いに出しているメディアもあるが、初期のシンプルなスタイルからここまでアレンジの幅を広げたことは驚嘆に値するだろう。
 ブラスが特徴的なサード・シングル “Costly Engineered Illusion” にせよ、女性の合唱ときらきらのギター、ラップ寄りの歌がうまい具合に調和する “Please Yourself” にせよ、ドラム・スティックが印象的な表題曲にせよ、とにかく祝祭性にあふれている。ぼくの英語力ではちゃんと歌詞を聴きとれないのが残念だけれど(対訳付きの日本盤を希望)、少なくともサウンドのみにフォーカスするかぎり、このアルバムはポジティヴな感覚にあふれている。きっと、共同生活とともに追求してきた「回復」の結果が本作なのだろう。
 精神的に追いこまれ薬漬けになることは、けっして自己責任に帰せられるような個人の問題ではない。原因は、資本主義をはじめとする社会のほうにある。そこからの脱却の可能性を、コミュニティの実践をとおして垣間見せるクラック・クラウドの音楽は、すさんだ現代を生きるぼくたちにとって大いなるヒントとなるにちがいない。

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文:Casanova S.

 クラック・クラウドは集団である。カナダ、ヴァンクーヴァーの同じ家に暮らし、共同生活を送る中で彼らは音楽を制作し、映像を生みだし、衣装を作り、アートを通し世界と向き合った(ヴィジュアル・アーティストにダンサー、フィルムメーカー、ありとあらゆるクリエイターがクッラク・クラウドの中には存在する)。別働隊、N0V3L、ミリタリー・ジーニアス、ピース・コードをその身に宿し、クラック・クラウドは牙を向く。ギャング・オブ・フォー、あるいはワイヤーのようなヒリヒリとした感触を持った2018年のセルフ・タイトルの編集盤『Crack Cloud』で話題になり、セリーヌのエディ・スリマンのショーの音楽に起用されるなどするなか、彼らの牙はずっとアンダーグラウンドで研がれ続けていた。

 2020年のデビュー・アルバム、『Pain Olympics』はシニカルでダークなアルバムだった。相対する世界への抗い、蔓延するオピオイド依存の危機、エコーチェンバー、社会の腐敗、そのなかでもがく自己。直線的だった『Crack Cloud』からより複雑に音が組み合わされまるでSFのドラマ・シリーズのように世界が語られる。効果音のように響くシンセサイザー、腐敗した世界のなかで生まれた希望を祝福するかのように鳴り響くホーン、SF世界のアート・パンク、それを描いた『Pain Olympics』は紛うことなく傑作だった。

 それから2年がたち状況がだいぶ変わった。『Pain Olympics』が書かれた家はヴァンクーヴァーの再開発による住宅事情によって取り壊され、同じ場所に住んでいたメンバーはそれぞれヴァンクーヴァー、モントリオール、ロサンゼルスに離れて暮らすようになり、プロジェクトの節目ごとに集まるようになった。
 そのなかでパンデミックが起こった。クラック・クラウドのドラム/ヴォーカルであり中心メンバーのザック・チョイはロックダウンの時期を他のメンバーと切り離されて過ごすことになったという。この孤立した時期について彼は同時に解放されたような気分を味わえた時期だったとも語っている。子どもの頃に戻ったような気分だったと。アートとの関係、家族との関係、自分自身との関係、強制的に活動のほとんどを止められたために外的なプレッシャーを感じることもなく、自分自身と深く向き合うことができたというのだ。

 あるいはそれがこの 2nd アルバム『Tough Baby』の出発点だったのかもしれない。このアルバムの温度や色や質感は 1st アルバムとはだいぶ変わった。1st アルバム同様にささくれだってはいるが、世界が色づいたようにカラフルになり、その手に構えられていた武器も下ろされているようなそんな気配が漂う(朝日が昇った後、ピアノ、トランペット、サックス、メロトロン、コーラス・ワーク、それは様々な楽器に彩られた世界だ)。1st アルバムが抗いの物語だとしたら、この 2nd アルバムで描かれる物語は、抗い生き残った後の世界でどう生きるのかということをテーマにしているのではないかというように感じられる。それはザック・チョイの内面に潜るような物語だ。

 最初の曲、壁に囲まれた部屋のなかで響くテープの音声、“Danny's Message” に収められたその声はザック・チョイの父親の声だ。29歳のときに白血病で亡くなったダニー・チョイ、彼の声は告げる。「これから私が伝えることから、みながたくさんのことを学んでくれると願っている」「音楽は怒りを吐き出す最良の方法だ、全てを紙に書いてしまうんだ」。家族に向けて残されたメッセージの間に別の声のカウントが挿入される。テープの前の人間の声、そんなふうにして息子の物語の幕が開く。なめらかになだれ込む “The Politician” のザック・チョイの声は物憂げに優しく響き、ジリジリと進むベースがストーリーのラインを作り上げていく(そこで唄われるのは29歳のザックが生きるパンデミック以降の世界だ)。
 あるいは “Criminal” の記憶の再生のようなサウンド処理のなかでその思い出はもっと直接的に唄われる。「彼はここにいない/俺が9つのとき死が彼を迎えに来たから/それ以来俺の心はひどくシニカルだ」。子どもの頃の思い出と成長するまでの出来事が入り交じり、過去と未来が行き来する。それはまるで物語の途中に挟まれる回想シーンのように曲のなか、アルバムのなかで展開していく。「結局のところ骨格はいつもクローゼットのなかにある」。インタヴューでザックが語ったこの言葉通り、そしてレコードに封入されているザック・チョイのメッセージの通りにこのアルバムは自己を形成してきた過去を受け入れ、向き合うということがテーマになっているのだろう。そうしてそれが癒やしとなり理解となり、やがて希望へと形を変えていくのだ。

 こうしたテーマを扱った作品をザック・チョイ個人の活動ではなくクラック・クラウドという集団でやるということに大きな意味があるのではないかと私は思う。クラック・クラウドの音楽、とりわけアルバムはとても映画的/映像的で、曲をシーンとして捉えているような節がある。サウンド・コラージュを駆使し断片をつなげ、そうやってイメージを物語にしていく。そこで鳴っている音はカメラワークであってセリフであって、音楽ジャンル、さらには媒体の枠を越え展開していく(たとえばその断片はビデオのなかでおこなわれるダンスに、あるいはその世界観に形を変え広がっていく)。個人の体験を元に集団のなかで物語が作られて、つなぎ合わされたイメージの断片に因果関係が生じる。そうやってイメージが共有され自己を離れた客観視された物語ができ上がる。それは他者の物語で、そうしてその物語を通し自らの内面を理解する。それがクラック・クラウドの言う「セラピーとしてアート活動」ということなのではないだろうか。

 あるいは “Please Yourself” のビデオとそのビデオに寄せられたメッセージこそがこのクラック・クラウドの考えを象徴するものなのかもしれない。2nd アルバムのジャケットにも使われているビデオのメッセージでクラック・クラウドは言う。

「子どもの頃、私のベッドルームは祭壇のようでした。壁に貼られたイメージは私がいかにそれらに憧れ、目標としていたかを示しています。このようなポップ・カルチャーの神格化は、たとえそれがでっち上げられたものであっても、自分自身の物語の感覚を強くしてくれました」

 ベッドルームの壁に神格化された過去と未来(それは訪れなかった未来も含まれる)が張り巡らされ、その部屋の周りで映像と現実の世界の間にいる半実体の集団クラック・クラウドが踊り、音楽が奏でられる。それがジャケットに写る彼女の、そしてクラック・クラウドの音楽を求める私たちの周りにあるものだ。不安を抱く心を理解してくれるようなサブ・カルチャーとの連帯、それは誰かの物語で本物ではないが、しかしリアルを感じられる。それこそが心の支えになるものなのだ(だからこそ “Please Yourself” の声が合わさるその瞬間に心が震える)。

 だが同時にクラック・クラウドはそれがメディア・インダストリーをパラドックスに陥らさせているとも言う。

「それは人びとのインスピレーションの源であると同時に、作られた幻想でもあります」

 人生を救うエンジニアード・イリュージョン、そのパラドックスのなかにクラック・クラウドは生き、答えを探す。自分たちは何者であるのか、そして何者でありたいと願っているのか。

「アートとは、癒やしと発見のためのメカニズムです。アートから学び、成長する、私たちの文化ではアートを数値化し、認可し、製造する傾向にあります。しかしその根底にあるものは、人生を探求する形なのです。自分自身をより理解するために、人生の深淵を解き明かす方法を学ぶのです。そしてお互いに理解しあえることを」

 「Tough Baby」と名付けられたこのアルバムはアートを通しクラック・クラウドがいかに生き、そしていかに理解への冒険を進めているのかを示している。不安が意味するもの、恐怖がもたらすもの、物語、音楽、映像を通しそれらを文脈化し、理解していく。理解への欲望、人生への探求、生きるということ、クラック・クラウドの音楽は断片化された世界を繫ぎ、連帯する人間の物語を感じさせてくれるのだ。

Björk - ele-king

 ビョークの傑作と誉れ高い『ホモジェニック』のなかのもっとも重要な曲、“Joga”については、これまで何度か書いてきた。当時の彼女はプライヴェートで想像を絶する苦難(ストーカーによる殺害未遂と自殺映像)があったため、ロンドンを離れスペインで録音し、故郷アイスランドを思い作ったその曲において、ぼくがとくに心奪われたのは同曲のMVである。海沿いの丘陵地帯や草原、地殻がずれてマグマが見える(*アイスランドは火山の国)広漠とした風景のなかにひとり立ちつくしているビョークは、映像の最後で、クローネンバーグよろしく胸の中央に開いた黒い穴をがっと広げ、しかしその穴のなかに人工物ではなくあらたにまた自然(島)を映し出す。言うなれば、自然と一体化したその様は、その後のビョークのコンセプトにおける重要な道筋となった。
 “Joga”は、ビョークの音楽性においてもひとつの出発点にもなっている。子どものころにクラシックを学んだ経験があるという彼女は、この時点でエレクトロニカとクラシックとの融合を試みているし、のちの名曲“All is Full of Love”にも繋がっている。近年で言えば、フルートと鳥のさえずりの前作『ユートピア』が、テーマ的にも音楽的にもまさにその傾向を強調した作品だった。アイスランドで制作された本作『フォソーラ』もまたしかり。

 先行で公開された“Atopos”の、グロテスク(*)なMVを見れば話が早い。きのこに触発されたビョークの10枚目のスタジオ録音盤は、クラリネットの重奏とバリ島のカバー・モードゥス・オペランディによるレゲトン風のビートではじまる。立体的で、位相に凝ったミキシングで、音響的にもユニークだ。“Ovule”では、トロンボーンのそよ風がベース・ミュージックと一体化する。それからビョークが自らの声をサンプリングし、変調させ、プログラミングした“Mycelia”があって、アイスランドの合唱団による“Sorrowful Soil(哀しみの土)”が続く。菌類から名付けられたという前者は、手法的にはジュリアナ・バーウィックを思い出すかもしれないが、曲の構成は変則的で、反復はせず菌糸のように絡み合い、しかも音数は少ない。後者は、ほんのわずかにベースが入るものの、ほとんど合唱のみで構成されている。つまり、手法も趣も異なった“声”による2曲が連なっていると。そして、その後に続くのは、本作の目玉のひとつ、贅沢な弦楽器の重奏を配置した“Ancestress(祖先)。クラシックとエレクトロニカの融合という観点でも見事だし、ビョークのヴォーカルはメロディアスで力強い。
 これら序盤の見せ場において、“Sorrowful Soil”と“Ancestress”の2曲には、環境活動家でもあった母の死に寄せた哀しみが関わっているという。と同時に、前作同様、ビョークの女性への思いが本作にも通底していることが仄めかされている。しかしながら、ビョークはリベラル主流派の代弁者ではない。ぼくがポップ・カルチャーに期待するのは、リベラル主流派さえもあきれかえるほどの異なる声だったりする。ぼくのような凡人には思いも寄らないような声を出すことは、監視し合い、萎縮した社会では難しかろうが、ビョークはいまもそれをやっているのだ。きのこになりきった彼女は、まさにウィアード(**)な存在で、彼女の音楽のなかにはオルフェウス的なるものがあることを確信させる。
 ギリシャ神話におけるオルフェウスはいわば古代の音楽家だが、動物や木々さえも魅了する特異な音楽家だった。そればかりか、死者を蘇らせることだって彼には可能だったのだ。ここから導き出せるひとつの見解は、音楽には人が思っている以上に何かものすごい力があるということで、オルフェウスはだから八つ裂きにされるのだった。のちに歴史上、多くの芸術家のモチーフとなったオルフェウスを、合理主義のなれの果てである今日の社会に対峙させることは、詩人の直感としては間違っていないだろう。
 異なる声は、我々のちっぽけな正義の臨界を超えたところから聞こえるものだ。『フォソーラ』は、これまでのビョークのカタログのなかでもっとも奇妙なアルバムで、ぼくの理解を超えている作品だ。気むずかしさはないが実験作だし、よくわからないが、もっていかれる。
 フルートと声の“Allow”は前作録音時の曲という話だが、本作のある種異様な流れのなかにしっかりハマっている。森のなかを彷徨う“Fungal City(きのこ都市)”に次いではじまる“Trölla-Gabba”では、前情報にあったガバのリズムが曲の終盤に少しだけ出てくる。ロッテルダム・ハードコアのようなサウンドをやるのかと早合点したのはぼくだけではないと思うけれど、そのリズムをマッチョの欠片もない菌類の世界で鳴らす試みは、まあ、面白いといえば面白い。タイトル曲ではやはり曲の終盤に、今度はより大胆にガバのリズムを鳴らしている。アルバムを締めくくる子守歌のような“Her Mother's House”では、本作のテーマである「母系制」を確認するかのように、19歳の娘といっしょに母について歌っている。とどのつまり彼女は、家父長制にはなんの未来がないことを念を押すように言いたいのだ。

 無神論者であるビョークはこの20年家族の礼拝にも出席せず、母親がニューエイジやスピリチュアルに心酔したときも逆らったと、ピッチフォークの最新インタヴュー記事(***)に書かれている。本作の詩的なるものも、決して論理性と相反するものではないとぼくは思っている。きのこ/菌糸類は本作におけるメタファーだというのが、すでに定説になっているが、それがなんのメタファーかといえば、答えはひとつではないし、リスナー各々が想像すればいいだろう。女性的な何かとリンクしているかもしれないし、より広義にしぶとい生命力であるとか、サイケデリックな扉かもしれないがただしこれは幻覚でも夢でもない。妖精物語でもファンタジーでもないし、クラブでもポップ・ソング集でもない。そんなように、いまひとつとらえどころがなく謎めいたこの作品には、だからこそ人間を人間たらしめているものが潜んでいるように思えてならないのだった。

(*)宣伝をかねていうと、現在絶賛作業中のマーク・フィッシャーの遺作となった『奇妙なものとぞっとするもの』の翻訳(訳者は五井健太郎)、同書においてフィッシャーは、ザ・フォール(マーク・E・スミス)を引き合いに出し、グロテスクなる言葉の意味について「古代ローマ期の人間や動物や植物が混ざりあった装飾的な模様」に由来すると説明している。

(**)さらにもう一発宣伝。『奇妙なものとぞっとするもの』とは「奇妙なもの」=「ウィアード(weird)なもの」とはいったい何なのかを彼の博覧強記をもって分析している本。12月2日刊行予定です。どうぞ、よろしくお願いします!!

(***)余談だが、このインタヴューで、ビョークが(『ストレンジャー・シングス』でリヴァイヴァルしている)ケイト・ブッシュへのシンパシーについて言及しているが、たしかにいま『Hounds of Love』を聴くと、同作が20年先を走っていたことを思い知らせれるし、最近のビョークにもっとも近しいアーティストのようにも思える。「ストレンジャー・シングス」で知った人も、聴いてみてください。

interview with Special Interest - ele-king

 パンクは何度も死んで何度も生き返っている、ということはパンクは死なないということか、スペシャル・インタレストはその最新版のひとつ。ニューオリンズのこのパンク集団は、なんらかの理由でギリギリのところを生きている疎外者たちのために、いま、パンクにレイヴを混ぜ合わせて未来に向かっている。

 文化的な文脈において彼らをマッピングするなら、以下のようになるだろう。1970年代後半の、アメリカ西海岸のパンク・ロックのそのもっとも初期形態のザ・スクリーマーズには2人のゲイが、彼らの影響下に生まれたデッド・ケネディーズには黒人が、そしてザ・ジャームスにはゲイと女がいたことが象徴的なように、そこは人種的にもジェンダー的にもマイノリティーの坩堝だった。ことにバンド内におけるこうしたミクスチャーは西海岸の初期パンクの特異な点で、未来的な特徴だった。クィア・パンクとブラック・パンクが共存するスペシャル・インタレストは、その良き継承者である。
 そう考えると、70年代の西海岸のパンクと併走するカタチで、NYにおいて人種的にもジェンダー的にもマイノリティーのユートピーとして成り立っていたアンダーグラウンド・クラブ・カルチャーがパンクと結託するのも時間の問題だったと言える。そもそもパンクのライヴの、そこにいる誰もが好き勝手に踊るというところもレイヴっぽかった。

 スペシャル・インタレストの3枚目のアルバム『Endure』は楽曲も多彩だが、曲のテーマもいろいろで、えん罪で刑務所に投獄された黒人革命家についての曲があるかと思えば「午前6時にクラブを出て行く女の子たちへのラヴ・ソング」もあって、また別の曲ではアメリカなんかくそ食らえと叫んでいる。猛烈な勢いをもって現代のパンク・バンドは逆境を生きている(Endureしている)人たちを励ましている。ジョン・サヴェージは、パンクとは、marginal(欄外/隅っこ/ギリギリ)を生きる勇敢な人たちのためにあると言った。素晴らしいことに、いまここに真性のパンクがある。注目して欲しい。


メンバー:アリ・ログアウト(Alli Logout)、マリア・エレーナ(Maria Elena)、ネイサン・カッシアーニ(Nathan Cassiani)、ルース・マシェッリ(Ruth Mascelli)

日本のみんなには、曲を聴いて、日本ではどんなことが起こっているのかを考えてみてほしい。自分たちの周りにいる人びとが何と戦っているのか、私たちはどのようにお互いを大切にすることができるかをね。

この度は、取材を受けてくれてありがとうございます。『The Passion Of』から聴いていますが、スペシャル・インタレストのバックボーン、コンセプトにとても興味があります

アリ:今日はアメリカでのショーの初日で、いまみんなでショーの前にカフェでコーヒーを飲んでるところなんだ。だから、みんなで一緒に質問に答えるね。

スペシャル・インタレストの原型は、マリアさんとアリさんがニューオリンズに移住し、最初は2人ではじめたそうですね。で、ルースさんとネイサンさんと出会った。何を目的として4人組のバンドとして始動したのかを教えてください。

アリ:そう。最初は私とマリアの2人で、ギターとドラムマシンとパワードリルからはじまった。テキサスではじまったんだけど、ニューオリンズのフェスに出るために2人で曲を作るようになったことがそもそもの出発点だね。で、テキサスからニューオリンズに引っ越したときに、マリアが2人のイタリア人の友だちを集めてくれたというわけ(笑)。ルースとネイサンは私たちよりもずっと前からニューオリンズに住んでいて、彼らとはニューオリンズに引っ越してきてから出会った。

ルース:ぼくは、以前マリアがいたバンドの大ファンで、彼女らのためにTシャツをデザインしたことがあって、マリアとはそれをきっかけに知り合った。

マリア:私はネイサンのバンドの大ファンだったから、彼らのショーをテキサスでブッキングしたりしていた。じつは私がルイスとネイサンに声をかけたのは、ザ・スクリーマーズ(**)みたいなバンドをやりたかったからなんだけど、でも結果的には、スクリーマーズみたいなバンドとはほど遠いバンドになってしまった(笑)。

なぜニューオーリンズに移住したのでしょう? 

アリ:さっき言ったマリアと一緒にフェスで演奏するためにニューオリンズに行ったんだけど、そこでたくさんのクールなクィアの人びとに出会ったんだよ。もうひとつの理由は、ニューオリンズのオーサ・アトーっていう人が作っていたジンの大ファンだったから。『Shotgun Seamstress』という黒人を取り上げたジンなんだけど、それを読んだとき、すごくエキサイティングな気持ちになって、この街だったら私らしくいられるなって思った。

バンド誕生の背後にはいろんな思いがあったと思いますが、そのなかのひとつに憤怒があったとしたら、それは何に対しての憤怒だったのでしょうか?

ルース:なにか特別な憤怒があったというより、もっといろいろな感情があった。

マリア:むしろ物事のあり方について意見を持たずに生活することのほうが、すごく難しいと思うんだよね。それはつまり、物事のあり方について語らないアートを作ることのほうが難しいということでもある。だから、アートを作っている限り、自分が思っていることが表現されるのは、ある意味避けられないことなんだよ。それが憤怒かもしれないし、ほかの何かかもしれない。

アリ:私自身は、計画的に音楽を作ることはあまりない。自分の周りではいろいろなことが起きていて、自分がそれに対していま何を思うかが自然に出てくる。サウンドや歌詞は、それが作られる時間や場所で変わってくるんだ。

マリア:面白いことに、私たちはインタヴューで、「なぜ歌詞が政治的なんですか?」って訊かれることはあっても、「どうして政治的じゃないんですか?」って訊かれることはないんだよね。歌は常に欲望によって書かれているものだっていう仮定は、どうして成立してるんだろう。そして、その欲望がセックスや愛についてのことだけに限られているっていうのも、考えてみたらおかしな話だよね。

そうですよね、音楽には、もっと多様なトピックはあるだろうと。ちなみにスペシャル・インタレスト結成前から、すでにみんな音楽活動をしていた?

ルース:ぼく以外は、みんなバンドをやっていたよね。

ネイサン:ぼくはニューオリンズで、Mystic InaneとPastyというふたうつのバンドで演奏していた。その活動を通じてアリとマリアとルースに出会った。

マリア:ネイサンのバンドって、めちゃくちゃかっこよかったんだよ。ネイサンが入ってたバンドは、お遊びじゃなくて本物のバンドだった(笑)。

アメリカにおいて、クィア・パンクやブラック・パンクのシーンというのは、いまどのようなカタチで発展しているのでしょうか? 

アリ:局所的に発展してると思う。

マリア:アメリカってすごく大きいから、他の国々に比べるとシーンが地区で分かれているんだよね。それって過去のアンダーグラウンドのアートの世界もそうだったと思う。

ルース:前よりも、そういったシーンにアクセスしやすくなってきているというのもあるんじゃないかな。インターネットもあるし。

アリ:マリアが言った通り、アメリカってすごく大きいから、シーンが州や街で分かれていると思う。でもここ10年で、アメリカのアンダーグラウンドのクィアの音楽シーンではすごく面白いことが起こっている。とくにニューヨークはそうだよ。ハウス・オブ・ラドーシャとか、ジュリアナ・ハクスタブルとか、いろんなクールなアーティストが出てきてるし。正直カリフォルニアはわからないけど。少なくとも、ここ10年では私が面白いと感じた音楽はカリフォルニアにはないように思う。でも、ニューオリンズにも本当に美しくて奇妙なアート・パンク・シーンが存在しているし、そのなかでスペシャル・インタレストが成長できたのもシーンの広がりがあったからこそなんだ。ここ数年のアメリカのアンダーグラウンド・シーンはかなりすごいよ。さまざまな地域でシフトして、どんどん広がっている。

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面白いことに、私たちはインタヴューで、「なぜ歌詞が政治的なんですか?」って訊かれることはあっても、「どうして政治的じゃないんですか?」って訊かれることはないんだよね。

音楽面でとくに参照にしたバンドや作品はありますか?

ルース:ぼくたちは、本当にたくさんの種類の音楽に影響を受けているんだ。それをぶつけたり、混ぜ合わせてサウンドを作っているから、たくさんいすぎて誰から答えたらいいのかわからない。何か面白いものを作っているよういう点で影響を受けているのは誰か挙げるとすれば、ポーラ・テンプルかな。彼女のプロダクションは参考にしてる。あとは、アジーリア・バンクスのファースト・アルバム。“Yung Rapunxel”のドラムサウンドなんかはすごくカッコイイと思うから。それ以外だと、外でたまたま聴いて、ずっと頭に残っているようなサウンドからインスピレーションをもらったりもするよ。

アリさんは、 アサタ・シャクール(**)の自伝を読んで曲を書くようになったとある取材で話しています。過激なテロリストであった彼女の何があなたの情熱に火を付けたのでしょうか?

アリ:歌詞を書いていた最初の頃に読んでいたのがその本だった。私が(精神を病んで)病院に入院していた時期だったんだけど、本のなかには彼女が病院(
女性矯正施設)で警察から苦しめられていたストーリーが書いてある。自分が同じ空間にいたから、その部分にとくに心を動かされたんだよね。彼女の人生のストーリーは、すごく大きなインスピレーションになった。

デビュー・アルバム『Spiraling』の冒頭の“Young, Gifted, Black, In Leather”は、Quietusのインタヴューにおいて、アリさんのなかの「ブラックネスとクィアネスが交差する唯一の瞬間」だと説明されています。パンクやグラムに多大な影響を受けたスペシャル・インタレストの音楽面にテクノやハウスのようなダンス・ミュージックを取り入れた理由も、そこに「ブラックネスとクィアネスが交差する瞬間」があるからということも大きいのでしょうか? 

アリ:あえて意識したわけではなかったけど、自分たちがいままで聴いてきた音楽、演奏してきた音楽がそういった音楽だった。だから、自分たちの音楽がよりダンサブルになるのは時間の問題だったんだと思う。私たちのサウンドは、ドラムマシンや使う楽器を変化させることで、どんどんスケールを広げているし。それに、あらゆるジャンルの音楽はブラック・ミュージックから派生し、発展している。そういうものに影響されているわけだから、クィア・ミュージックのなかにもその要素があると思う。
 でも、自分たちがブラックネスとクィアネスが交差する瞬間のようなサウンドを作るということを目標に真っ直ぐ進んでいるとは思えない。私にとっては、自分たちの音楽はまだまだ変化している途中の段階にいるように感じるし、まだぶらついているように感じるんだよね。これからもずっと今回のようなサウンドを作り続けていくのかはわからないな。

いまの質問と重なるかもしれませんが、『Endure』は、1曲目の“Cherry Blue Intention”、それに続く“(Herman's) House”から、じつにパワフルなダンス・サウンドが続きます。そして、3曲目にはパンキッシュな“Foul”。この流れはバンドの真骨頂に思いましたが、あなた方からみて、パンクとダンス・ミュージックの共通点は何なんでしょうか? 

ルース:音楽の歴史のなかで、レイヴやテクノやハウス・ミュージックもアンダーグラウンド・ミュージックだった。そして、人びとはそういった音楽を使って自分たちのシーンを作り上げてきた。パンクもダンス・ミュージックも、みんなで楽しみを共有する音楽であるというところが共通点だと思う。サウンドを聴くことももちろん楽しいけれど、ショーの現場で、複数の人たちが一緒にその音楽を経験するということが、どちらのジャンルの音楽にとってもいちばんの醍醐味なんじゃないかな。みんなで音楽を楽しみながら、その場でエナジーが生まれることは、共通点のひとつだと思うね。

先行で発表された“Midnight Legend”も、とても良い曲で、音楽的にはスペシャル・インタレストの新境地だと思いました。攻撃性だけに頼るのではなく、ハウシーで、ポップな回路を見せたと思いますが、ミッキー・ブランコをフィーチャーしてのこうした新しい試みは、スペシャル・インタレストにとってどのような意味があってのことなのでしょうか?

アリ:その曲は、すごく自然に生まれた。私は、あの作品はハウシーでポップというよりは、よりシネマティックなサウンドに仕上がったと思う。“Midnight Legend”を聴いて新境地だと思うのはまだまだ早いよ(笑)。私たちは、次のシングルを聴いてみんなを驚かせるのが楽しみでしょうがないんだよね(笑)。次に来るのは“Herman’s House”なんだけど、あれを聴いたら、スペシャル・インタレストはいったいどこに進もうとしているんだ!?ってさらに混乱すると思う(笑)。でも、どの変化も計算したわけじゃなくて、すべて自然に起こったことなんだよ。今回のアルバムは、そうやって出来上がったたくさんの種類のサウンドが詰まってる。そのひとつとして、このポップっぽい曲をまず人びとに聴かせるのは、みんながびっくりして面白くなるだろうなって思ったんだよね(笑)。新しいように感じるけど、いろいろな要素が混ざって音楽ができてるっていう点では、じつはすごく私たちらしいんだ。

ルース:それは本当に自然の流れで、ぼくたち自身、10曲も似たような曲を連続で聴きたくはない(笑)。だから、ヴァラエティ豊富なサウンドが出来上がっていったんだと思う。

Endureって、じつは未来に向かって突き進んでいることを意味していると思うんだよね。何かに向かう前向きな姿勢。

私たち日本人にはリリックがわからないのが歯がゆいのですが、今作の歌詞に込められたメッセージで、とくにこれだけは日本のリスナーに知ってほしいという言葉(ないしはテーマやコンセプトなど)があれば教えてください。

アリ:すごくディープな質問だね。答えるのが難しい。スペシャル・インタレストはアメリカ人であることについて、すごくユニークでありながらもリアルな視点を持っているバンドだと思うんだよね。アメリカのなかでクィアである自分たち、そして黒人である自分の視点を持っている。私たちが互いに求めることができるのは、耳を傾け、自分の状況を理解することだと思うんだ。私たちは、みんな苦労をたくさん経験しているけれど、その苦労の仕方は人それぞれ違うし、持っている能力だってみんな違うから。だから、お互いのストーリーを聞いて、みんながそれを聞き合って、世のなかどこでもいいことばかりじゃないんだということを理解し合える。
 日本のみんなには、曲を聴いて、日本ではどんなことが起こっているのかを考えてみてほしい。自分たちの周りにいる人びとが何と戦っているのか、私たちはどのようにお互いを大切にすることができるかをね。『Endure』は、いろいろな悲しみを理解し、それを表現しているアルバムだよ。日本のみんなには、アルバムを聴くことで日本のストリートで起こっていることを知ろうとし、それを理解し、それに共感してもらえたら嬉しいな。

アルバムは後半、“My Displeasure”〜“Impuls Control” 〜“Concerning Peace”と、非常にハードに展開します。この構成にはどんな意図があるのでしょうか?

マリア:このアルバムはパンデミックのあいだに書かれたから、その期間の経験や状態がそのまま形になっているんだ。深呼吸をするような瞬間や、深い喜びを感じる瞬間、じっと耐える瞬間。そういった経験が、アルバムのなかで展開しているんだよ。

なぜ「Endure=不快さや困難を耐える/持ちこたえる」という言葉をタイトルにしたのでしょうか?

アリ:endureという言葉には、文字通りすべてが含まれていると思う。私たちは自分の感情を感じなければならないし、それを乗り越えていかなければならないし、そこから成長していかなければならない。endureって、じつは未来に向かって突き進んでいることを意味していると思うんだよね。何かに向かう前向きな姿勢。

ネイサン:じつはぼくたちは、ボツにしたけど“Endure”というタイトルの曲も作っていたし、endureって言葉は“Herman’s House”(***)にも出てくる。

ルース:バンドが成長を続けるって意味にも感じられるし、ぼくはendureって言葉が好きなんだよね。この言葉からは耐えるという意味だけじゃなくて、進化の可能性を感じる。

とくに尊敬しているハウスやテクノのDJ/プロデューサーを教えてください。

アリ:私たち、これからジェフ・ミルズと同じフェスに出る予定なんだけど、それが楽しみでしょうがないんだ。それが本当に起ころうとしているなんて信じられない。

ルース:ジェフ・ミルズは最高。ジェフはもちろんだし、デトロイト・テクノって本当に刺激的だよね。DIY精神が感じられるし、自分の目の前で起こっていることに向き合って、未来を見ている感じ。

アリ:ドレクシアもそのひとり。あと、私たち全員が大ファンなのはポーラ・テンプル。それから、グリーン・ヴェルヴェット。まだまだたくさんいるけど、いすぎていまは答えられないな。

質問は以上です。どうも、ありがとうございました!

アリ:ありがとう。日本には本当に行ってみたいから、来年行けますように。

(*)ザ・スクリーマーズ(The Screamers)は、パンク前夜の1975年にLAに登場したプレ・パンク・バンド。ギターなしの、シンセサイザーとドラムによるテクノ・パンクの先駆者で、バンドの2人の主要メンバーはゲイだった。

(**)アサタ・シャクール(Assata Shakur)は、60年代のブラック・パワー・ムーヴメントにおいて、米国政府との武力闘争を辞さない黒人解放軍(BLA)の元メンバーで、銀行強盗や市街の銃撃戦によってFBIの最重要指名手配テロリストのリストに載った最初の女性であり、トゥパック ・シャクールの義理の叔母でもある。

(***)“Herman’s House”は、ルイジアナ州立刑務所に41年間独房で監禁されたアンゴラ スリーとして知られる、黒人革命家の一人、ハーマン・ウォレスへの頌歌。

Born Under A Rhyming Planet - ele-king

 なんというか今夏はコレばかり。デムダイク・ステアのふたりが率いるレーベル〈DDS〉よりリリースされた、1990年代の知られざるテクノ・アーティストのすばらしい未発表音源集。ボーン・アンダー・ア・ライミング・プラネットはシカゴ出身のジェイミー・ホッジのプロジェクト。1990年代中頃、当時のトップ・レーベルであるリッチー・ホウティンの〈PLUS 8〉からリリースしていたとはいえ、この名義自体も3枚ほどのシングルをリリースしているだけで、決して、その名前だけでこのようなアンソロジーが組まれるタイプのアーティストでもなく……やはり本作は〈DDS〉の賛美眼による、すばらしい発掘仕事としても評価すべきではないでしょうか。

 なかなかおもしろいキャリアを持つ人で、〈DDS〉の公式資料とも言うべき Boomkat の作品紹介ページによれば、シカゴのジャズ・シーンにそのルーツを持つアーティスト。デヴィッド・グラブスとバンディ・K・ブラウンと懇意になり、ガスター・デル・ソルのファースト・レコーディング時にも居合わせたという人物(一時期〈ヘフティ〉傘下にレア・グルーヴ系の発掘レーベル〈Aestuarium〉をやっていたり)。

 その傍らで〈PLUS 8〉の1991年のコンピ『From Our Minds To Yours Vol.1』を友人に聴かされテクノに開眼、シカゴのレイヴ・シーンに通い詰め、自身でも楽曲制作を開始、そして母親の車で東海岸の大学見学へと赴いた際に、直接リッチーにデモを渡し、上記のリリースに至ったのだという(当時17歳)。ボーン・アンダー・ア・ライミング・プラネットの当時のリリースは、その後のハーバート作品のようにミニマル・ハウスの出現を予期させる楽曲があったり、本作にも通じるIDM作があったりと、本作の視座から聴き直すと驚く作品ではないでしょうか。その後はドイツへとおもむき、ムーヴ・Dことデヴィッド・モウファン周辺と意気投合。こうしてジャズやテクノを経た彼は、当時のキャリアを昇華したようなプロジェクト、コンジョイント(Conjoint)を、デヴィッドおよびヨナス・グロッスマン(デヴィッドとともにディープ・スペース・ネットワークとして活躍するジャーマン・テクノ・シーンのベテラン)、さらにはふたりのジャズ・ミュージシャンと結成します。いわゆるドイツのエレクトロニックなフューチャー・ジャズと呼ばれたシーンの先鞭をつけるように1997年にアルバムをリリース。そしておそらく本作のきっかけになったであろうコンジョイントのセカンド『Earprints』を2000年にリリースします。1990年代後半、ドイツのいわゆるフューチャー・ジャズ~ラウンジーなダウンテンポ、例えばトゥ・ロココ・ロットあたりのサウンドから、2000年代に入ったヤン・イェリネックのようなチルなグリッチ・ダウンテンポの中間にありつつ、どこかトータス『TNT』への回答とも言えそうなサウンドの『Earprints』。これが2018年に同じく〈DDS〉からリリースされていて、本作のリリースに繋がったのではないでしょうか。またデヴィッドとはよりディープ・ハウス、ダウンテンポに寄った、Studio Pankow 名義でも2005年に『Linienbusse』(今回恥ずかしながらはじめて聴いたのですがこちらも名盤)をリリースしています。

 そして本作は上記の〈PLUS 8〉からドイツ・コネクションへの移行時期の作品(いくつかの曲は〈PLUS 8〉からリリースされる話もあったらしい)とのことで、基本的にDAW以前のアナログ機材で制作された楽曲が中心とのこと。当時のマテリアルから編まれた作品ですが、ある意味で同名義での初のアルバムとも言えるでしょう。こうした流れで整理をすると、本作は、1990年代中頃のデトロイト・フォロワーらによるリスニング・テクノ──アンビエント・テクノを経て、やがてはIDMと呼ばれるもの──や、その後グリッチ系の作品へと展開する直前の、エレクトロニックなダウンテンポ作品(ブレイクビーツ系ともまた別の、シンプルな電子音が主体のもの)と言えるのではないでしょうか。
 〈DDS〉のふたりによってエデットを施された、円環的な “Intro” と “Outro” 以外はほぼ当時のマテリアルを使用しているということで、驚愕の完成度というか、シンプルな電子音の滋味がじんわりと広がり、何度でも聴ける作品になっています。イントロから、Studio Pankow と同じ座組で作られたダウンテンポ “Siemansdamm” を経て、ディープ・ハウス路線の “Handley”、IDMなダウンテンポ “Hyperreal” “Skyway”、またはエクスペリメンタルなビートもの “Intermission” “Traffic” あたりに躊躇ですが、そのダブ処理感も彼の作品の魅力ではないでしょうか。このあたりはトゥー・ローン・スウォーズメン初期のハウス、またデトロイト・エスカレーター・カンパニーなどの作品も想起させる感覚もありつつ、また前述の初期のシングルにも通じるミニマル・ハウスな “Avenue” と、“Menthol” や “Fete” あたりは、上記のラウンジーなダウンテンポ路線(この辺はちょいとハーバート/ドクター・ロキットを彷彿とさせますね)、さらには圧巻のドローン・サウンドを聴かせる “Interstate” ではまたそれぞれ別の表情をみせていて、その才覚の振れ幅に驚かされるばかりです。シンプルかつ抑制されたクリアなエレクトロニック・サウンド、ダブ処理、ときに見せるメランコリックなサウンドは、わりと作品全体に通底していて、やはりそこに彼のサウンドに対する美学が現れているのではないでしょうか。

 曲の長さから、恐らく楽曲として完成させるというよりもスケッチの段階で録りためていた楽曲もありそうですが、やはり本作はジェイミーの作品としての品質はもちろん、〈DDS〉の発掘師としての卓越した能力も感じさせる作品です。今春リリースの、フエアコ・Sの『Plonk』あたりとも共振しそうな、時代を超えたスタイルを持っている感覚もあり、そのあたりも含めて、出るべくしていまここにリリースされた作品と思わざるを得ない、そんなすばらしい作品ではないでしょうか。

Black Moon & Smif-N-Wessun - ele-king

 90年代アンダーグラウンド・ヒップホップのクラシック2作がピクチャー・ヴァイナルとなって蘇る。
 どちらもブート・キャンプ・クリック関連で、ひとつはブルックリンのブラック・ムーンによる93年のファースト・アルバム『Enta Da Stage』。もうひとつは、スミフン・ウェッスンによる95年のファースト『Dah Shinin’』。いずれも90年代のハードコア・ムーヴメントを代表するアルバムだ。
 さらに、それぞれのアルバム収録曲を組み合わせた7インチ3枚を同梱したボックスセットもリリース。詳しくは下記より。

’90s東海岸を代表するHIPHOP CLASSICSな2作品、ブラック・ムーン『Enta Da Stage』とスミフン・ウェッスンの『Dah Shinin’』が2枚組ピクチャーヴァイナル仕様でリリースとなり、各3枚の7EPも同時リリース! またその全てをコンパイルした各ボックス・セットの販売も決定!

 NY・ブルックリン出身のブラック・ムーンが1993年にリリースしたファースト・アルバムにして問答無用のクラシック『Enta Da Stage』。その『Enta Da Stage』にもフィーチャーされて注目を集めたユニット、スミフン・ウェッスンが1995年にリリースしたファースト・アルバムにして90年代の決定的名盤『Dah Shinin’』。アーリー’90sのNYハードコア・ムーヴメントから生まれたこの歴史的なアルバム2作がオフィシャルの2枚組ピクチャー・ヴァイナル仕様で世界初のアナログ化! また両タイトルから名曲を組み合わせた7インチもピクチャー・ヴァイナル仕様でそれぞれ3枚カット! この全てピクチャー・ヴァイナル仕様でリリースされたアナログをBOXにまとめて販売します。VGAの独占かつ超限定での販売になりますのでお早めにどうぞ。

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タイトル:Dah Shinin'
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タイトル:DAH SHININ’ - PICTURE DISC BOX

・Dah Shinin' 2LP・Bucktown / Let's Git It On 7inch
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¥15,000(With Tax ¥16,500)

BLACK MOON / SMIF-N-WESSUN -VGA BOXセット予約ページ
https://vga.p-vine.jp/exclusive/vga-5009-10/

Burial - ele-king

 今年頭、ひさびさの長尺作品となる「Antidawn」をリリースし話題をさらったベリアル。本日10月21日、また新たな音楽が発表されている。「Streetlands」と題された3曲入りのEPで、レーベルはおなじみの〈ハイパーダブ〉。ビートはほとんどなく、どうやら「Antidawn」の続編的な位置づけの作品のようだ。年明け1月27日にはヴァイナルも予定されているとのこと。

artist: Burial
title: Streetlands
label: Hyperdub
release: 21st October, 2022

tracklist
1. Hospital Chapel
2. Streetlands
3. Exokind

https://hyperdub.net/products/burial-streetlands

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