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Arcade Fire

Arcade Fire

Reflektor

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木津 毅   Nov 01,2013 UP

 「アメリカには住みたくない」……ウィン・バトラーは歌っていた。2007年のことだ。そしておそらく、この頃アーケイド・ファイアははじめのピークにいた。LCDサウンドシステムが「オレたち北米のクズ」と歌っていた2007年、ポール・トーマス・アンダーソンがアプトン・シンクレアの社会主義小説『石油!』を映画『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』においてアメリカの大地に眠る血の物語として翻案し、フランク・ダラボンが『ミスト』でスティーヴン・キングの小説の結末を改変してまで反米を表明し、コーエン兄弟がコーマック・マッカーシーの小説を映画化した『ノーカントリー』でアメリカの倫理の崩壊を描いていた2007年、ブルックリンは実験とトライバルと非アメリカを目指し、M.I.A.を筆頭に非西欧のビートが鳴り響いていた2007年……。そのアルバム、『ネオン・バイブル』はあまりにも時代と合致していた。戦時下において「爆弾がどこに落ちるか教えてくれ」と言うのはそれ以上ないほど政治的な振る舞いだったが、しかしながら、アルバムのエモーションの出口は「アメリカには住みたくない」の続きにこそあった。「わたしたちは、飛行機が行かない場所を知っている/わたしたちは、船が行かない場所を知っている/わたしたちは、車が行かない場所を知っている」……疾走するビートとともにそう告げる“ノー・カーズ・ゴー”はまさに、アンセムだった。そこは「光がまたたき、夢が始まる場所」で、そして彼らは、「おんなこども」に向けて、「行こう!」と叫んだのだった。

 その脱出宣言があまりにも鮮烈だったため、政権交代を挟んだ2010年作『ザ・サバーバス』で彼らが――とりわけウィン・バトラーが――生まれ育った郊外へと幾分メランコリックに立ち返ったことは、なんだか後ろ向きな所作に思えたのが正直なところだった。テキサスで生まれ育ち、そして本当にアメリカを「脱出した」バトラーが、アメリカの変化を国外から眺めてノスタルジックな気分になったのだろうかと疑ったし、何より、郊外というテーマそのものがいかにもアメリカ的で、それこそインディペンデント映画では2000年前後にすでに一斉に取り組まれた題材でもあった。自分が子どものころに育った地区の住所を入力するとその辺りの風景が映し出される「インタラクティヴな」ヴィデオもアイデアとしては面白かったが、アメリカン・ロックにかなりの部分で取り組んだサウンドとも相まって、ぐるぐると自分の家の近所の景色が回るその映像を見ながら何とももどかしい気持ちになったのだった。そのアメリカとの愛憎の深さこそが、アーケイド・ファイアの業であり、生々しさだったとしても。

 LCDサウンドシステム、そして〈DFA〉のプロデューサーであるジェームズ・マーフィを新作でプロデューサーに迎えると聞いたときも、期待半分、不安半分といったところだった。サウンド面でのチャレンジとしての起用は間違いなかったが、彼とて一時代を築いて自ら表舞台を降りた人間である。それ以上に、新たなインディ・スターとなったヴァンパイア・ウィークエンドの今年の新作が決定的だった。なんて軽快なんだろう……そう思った。自分たちがいる場所に宗教対立や格差や政治的な問題があるとして、それをじゅうぶん踏まえた上で、軽やかに楽しんでしまおうとするその態度こそ、現代的でスマートな知性に思えたのだ。アーケイド・ファイアのある種の悲壮さというものはつまり、暗い時代(それはある意味、わかりやすく暗い時代、ということだが……いまとなっては)に召喚される宿命だったのではないか……と。イラク戦争がはじまって間もない2004年の『フューネラル(葬式)』での登場がそもそも、出来すぎていたのだ。

 しかしそれでも、アーケイド・ファイアは世界中の期待を背に還ってきた。2013年、アーケイド・ファイアはどこにいるのだろう。アメリカではスティーヴン・スピルバーグが『リンカーン』においてそれでもオバマ政権支持を匂わせ、ニール・ブロムカンプが『エリジウム』で格差社会とその世界での「国民皆保険」を夢想し、世論がシリアと戦争をさせなかった2013年に……。
 驚くべきことに、アーケイド・ファイアは中米ハイチのカーニヴァルにいる。あるいは、70年代のディスコに。かと思えば80年代のニューウェーヴが煌く英国に、70年代後半のボウイがいたヨーロッパに……。バロック・ポップと呼ばれる彼らの徴となったスタイルも、あるいは大陸的なアメリカン・ロックの要素もかなり後退している。ダブル・アルバムとなった『リフレクター』はアーケイド・ファイアがリズムにおいて、そしてその音楽性において、大胆な変身に成功したアルバムだ。そして何より、雑多なジャンルをまたぐこの無国籍な佇まいは、彼らをついにアメリカを巡る物語の呪縛から開放しているように聞こえる。
 リード・トラック“リフレクター”がまず、ジェームズ・マーフィとのタッグの成功を高らかに宣言する。バウンシーなハウス・ビートと重くならないベースのグルーヴ、指先のタッチでジャンプする鍵盤と、息がたっぷり吹き込まれるブラス。そのディスコ・トラックはバンド史上もっともセクシーに響く。“ウィー・イグジスト”はR&Bとニューウェーヴが合体したかのようで、“ノーマル・パーソン”にはトーキング・ヘッズもウェルヴェット・アンダーグラウンドもいる。ビートがモータウン調に跳ねる“ユー・オールレディ・ノウ”にしても、シンセが反復する“アフターライフ”にしても、聴きどころの中心はリズムにある。2枚目はとくに内省的なムードがあるものの、全体としてはダンス・アルバムと言っていいだろう。
 なかでも象徴的なのは、ハイチをはじめとする中南米のカーニヴァルからインスピレーションを受けているだろう“ヒア・カムズ・ザ・ナイト・タイム”だ。このトラックは猥雑な街のざわめきからはじまり、スチール・パンとパーカッションとシンセがゆったりとしたグルーヴを演出するが、4分30秒を過ぎた辺りで打楽器が連打されて怒涛のダンス・タイムに突入する。「気をつけろ、夜がやって来る」……しかしその警告は、同時に祝祭の宣言だ。本作のイメージには映画『黒いオルフェ』が繰り返し引用されているが、そのカーニヴァル・シーンを思い出しもする(舞台はブラジルだ)。

 アーケイド・ファイアは何を祝っているのだろう? 歌詞に目を通せば、相変わらず死について触れるモチーフが散見されるし、あるリレーションシップにおけるすれ違いや誤解が歌われているようだ。けれども、自分たちを無視しようとする者たちに対して「でも僕たちは存在している」と実存を主張する“ウィ・イグジスト”や、「普通のひと」の不気味さを抽象的に描写する“ノーマル・パーソン”が印象に残る。それは彼らが、「おんなこども」に向けて呼びかけていたことを僕に思い出させる。
 『リフレクター』は、世界中に散らばったダンス・サウンドの断片をかき集めることによってある種の「祭」を出現させるアルバムだ。それはあの日、あのエクソダスを信じた人間たちを集めて繰り広げられるカーニヴァルに違いない。アーケイド・ファイアは現れたときからすでに死とともにあったが、しかし葬式を祭典と解釈したのは他ならぬ彼らだった。死からはじまるダンス。黒いオルフェは悲恋の末に無残な死を迎える。だが、映画の終わり、子どもたちは新たなオルフェの再来を確信している。そしてまた、季節はカーニヴァルのはじまりを告げるだろう。

木津 毅