「IR」と一致するもの

Low - ele-king

 ロックはもはや若い音楽形態ではない。幼少期、不機嫌な十代、反抗的な青年期に中年の危機などを経て、そのパワーの大部分が、サウンド、コード、習慣やダイナミクスなどの馴染み深いものからきている。ロック・ミュージックのエモーショナルなビートは、私たちの中に焼き付けられており、簡単かつ快適に反応してしまうのだ。ロック・ミュージックを聴くことは帰郷することに似ている。

 しかし、ロックのパワーの多くは、驚き、スリル、そして衝撃を与えるなどの能力からもきている。そのため、ロックで経験する親しみやすさは、常に陳腐になりやすいという脅威にさらされてもいる。つまり、ロック・ミュージックのどこかの一角は、常に自己破壊と再構築の過程にあり、自分を見失い、手探りしながら家路を辿り、馴染み深い形に行き着き、思わぬ方法や新鮮な角度から新しい意味を見出しているのだ。

 Lowの2018年のアルバム『Double Negative』では、色々なことがとりあげられていたと思うが、そのひとつが、ロック・ミュージックがそれ自身を見失い、壊されていくということだった。かつての、穏やかで死者を悼むかのような哀愁のメロディやハーモニーは、デジタル・ディストーションの猛吹雪の中で聴かれようともがき、ヴォーカルは遠く不明瞭で、焦点からずれたり、消えたりしながら、曲たちはひとつにまとまろうとしつつ、その形は絶えずカオスの中に溶け込んでいった。

 その歪んだパレットが『Hey What』の出発点となり、オープニング・トラックの“White Horses”が不快な紙やすりのような唸りで幕を開けるが、ディストーションはすぐに短い、鋭く突くパーカッシヴな音に転換し、くっきりとしたクリアなハーモニーで、「Still, white horses takes us home(それでも、白馬が私たちを家に連れ帰ってくれる)”」と宣言する。『Double Negative』ではまとまりにくかった曲たちが『Hey What』では確実にノイズとディストーションの統制がとれており、それらを大胆でパワフルなアレンジの武器として配備しているのだ。

 Lowはこれまでにも、2002年の『Trust』の控えめなゴシック・グランジから〈サブ・ポップ〉からのデビュー盤となった激しく意気揚々としたロックの『The Great Destroyer』への移行のように、似たようなサイクルを繰り返してきた。これらのアルバムでは、ほとんどギター・ロックという馴染み深いパレットの枠組みのなかで操作されてきたが、2021年のLowは、楽器のサウンドの原形をとどめないほど、歪ませながらも、馴染みのロック風の結末のためにこれを利用している。SIDE Aは7分に及ぶ “Hey” で締めくくられるが、ここでは、脈打つ海底のノイズの壁が、反復する単一のヴォーカル・フックを包み込み、金目当ての制作者の手にかかれば、アメリカのティーンエイジャーのドラマのモンタージュのサウンドトラックとしても使えるようなものになっていたかもしれない。
 SIDE Bは“Days Like These”のヴォーカルのハーモニーとシンプルなオルガンではじまり、いまでは馴染みとなったノイズが打ち付けると、腹のなかで雷が鳴り響き、拳を振りあげる勢いで着地する。ほとんど安っぽくきこえてしまうが、それはやむを得ない。ロックの動きだからだ──観客は、イントロが始まると、銃を構えたロックンロール・バンドのギタリストがリフを繰り出すためにステージ上をうろつくのを待っている。Lowはその期待に応え、ロックのショーマンとして、正確にタイミングを計っているのだ。“More”ではそれがさらに顕著となり、いまではデュオとなった彼らの、ねじれた機材を通じてスコールのように合成される歪んだリフで聴衆に襲いかかる。

 『Double Negative』は、よくトランプ時代に渦巻くカオスとアメリカの国境を遥かに超えて広がる、すべてが崩壊していく無力感を表現しているといわれた。そのような破壊的な力に直面しても美しい何かを守り抜こうと苦闘する彼らの遠方の声には慰めがあり、『Hey What』はある意味、次のステップのように感じられる。ある種の解放感やカオス、敗れたというよりも利用されたこと、そして再びコントロールする能力を取り戻すという感覚だ。それをポジティヴととらえるのは、あまりにも単純すぎる──暗闇、悲しさ、絶望、不確かさに喪失感が歌詞に深く通底しており、音楽のもっとも鋭利な部分をもすり切れさせている──だが、少なくとも、馴染み深いロックのパワーが、未知で混乱した、刺激的な方向から新たに形作られていることがわかり、少し希望が持てるような気分になる。

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Rock is no longer a young musical form. It has been through its childhood, stroppy teenage years, rebellious youth and midlife crisis, and a major part of its power comes from familiarity — of its sounds, chords, conventions and dynamics. The emotional beats of rock music are baked into us and we respond easily, comfortably to its manipulations. Listening to rock music is like coming home.

But a lot of rock’s power also comes from its ability to startle, thrill and electrify — experiences that rock’s ever-present familiarity always threatens to undermine in the form of cliché. This means that some corner of rock music is always in the process of destroying itself and reconstructing, losing itself and feeling its way back home, reaching those familiar shapes in unexpected ways or from fresh angles, giving them new meanings.

Low’s 2018 album Double Negative was probably about many things, but one thing it was about was rock music losing itself, being broken down. Melodies and harmonies that would have been gentle and mournful in the past here struggled to be heard amid blizzards of digital distortion, vocals distant and indistinct, fading in and out of focus as the songs struggled to hold themselves together, their forms constantly dissolving in the chaos.

That distorted palette is the jumping off point for Hey What, with opening track White Horses kicking the album off with a harsh sonic sandpaper growl, but the distortion quickly resolves itself into short, sharp, percussive stabs, the vocals kicking in in crisp, clear harmonies declaring “Still, white horses take us home”. Where the songs on Double Negative fought to hold themselves together, Hey What has a much more assured rein on the noise and distortion, deploying them as weapons in the service of bold, powerful arrangements.

Low have been through similar cycles before, with the transition from the subdued gothic grunge of 2002’s Trust to the explosive rock swagger of their Sub Pop debut The Great Destroyer. Where those albums operated mostly within the familiar palette of guitar rock, the Low of 2021 have twisted the sounds of their instruments out of all recognition, but they are still using it to recognisable and familiar rock ends. Side A closes on the seven-minute Hey, which wraps its pulsing wall of submarine noise around a single, repeated vocal hook that in more mercenary production hands could have soundtracked a sentimental montage sequence in an American teen drama. The second side then kicks off with the vocal harmonies and simple organ of Days Like These, and when the now-familiar noise storm finally hits, it lands with a thunder rumble in the gut and a fist-in-the-air rush. It feels almost cheesy, but that’s because it is: it’s a rock move — the audience knows it’s coming, like watching the gunslinger guitarist of a rock’n’roll band prowling the stage as an intro builds, waiting for him to drop the riff. Low play with these expectations, timing the moment of release with rock showmen’s precision. They’re even more explicit on More, assaulting the listener with gnarled riffs delivered through the synthetic squall of the now-duo’s twisted machinery.

Double Negative was often described as articulating the spiralling chaos of the Trump era and the broad sense extending far beyond America’s borders of feeling powerless as everything falls apart. There was comfort in those distant voices struggling to hold together something beautiful in the face of destructive forces, and Hey What feels in a way like a next step: a sense of release and of the chaos, if not defeated, rather harnessed, a sense of control regained. To describe it as positive would be an oversimplification — darkness, sadness, desperation, uncertainty and loss run deep through the lyrics and still fray even the music’s most confident edges — but it feels at least a little hopeful, finding the familiar power of rock shapes anew from a strange, disorientating and stimulating direction.

グソクムズ - ele-king

 いま少しずつ注目を集めているバンドがいる。吉祥寺を拠点に活動する彼らの名はグソクムズ。たなかえいぞを(Vo, Gt)、加藤祐樹(Gt)、堀部祐介(Ba)、中島雄士(Dr)からなる4ピースのバンドだ。はっぴいえんどや高田渡、シュガーベイブなどの音楽から影響を受けているという。
 結成は2014年。これまでに『グソクムズ的』(2016)、『グソクムズ風』(2018)、「グソクムズ系」(2019)などのミニ・アルバムやEPを発表、昨年は「夢が覚めたなら」「夏の知らせ」「冬のささやき」と立て続けにシングルを送り出し、この夏に配信で発表した「すべからく通り雨」がラジオなどで話題を呼んだ。
 そしてこのたび、その爽やかな曲「すべからく通り雨」が限定7インチ・シングルとして11月10日(水)にリリースされる。店舗限定とのことで、取り扱い店は下記をチェック。

"ネオ風街"と称される東京・吉祥寺の新星"グソクムズ”が、心の中をブリーズが通り抜けるような爽快感が心地良い激キラー曲「すべからく通り雨」を超限定7インチシングルにてリリース! ミュージックビデオも公開!

"ネオ風街"と称される東京・吉祥寺の4人組バンド"グソクムズ”。POPEYEの音楽特集への掲載やTBSラジオで冠番組を担当するなど、幅広い層からの注目を集める中、心の中をブリーズが通り抜けるような爽快感が心地良い激キラー曲「すべからく通り雨」の超限定7インチシングルを11/10(水)にリリースします。

印象的なジャケットはカネコアヤノ『よすが』のアーティスト写真/ジャケット写真で注目を集める小財美香子が担当。また本作のリリースに伴い松永良平(リズム&ペンシル)からのコメントが到着。

併せてNOT WONKやHomecomingsの作品等で知られる佐藤祐紀が監督を務めるミュージックビデオを公開します。

・グソクムズ - すべからく通り雨 (Official Music Video)
https://youtu.be/TE-rqPUvyuM

通り雨の街で

 傘がない、と50年くらい前に誰かが歌っていたけれど、今は雨がちょっとでも降ってきたらみんな傘をひらく。それも大きなビニール傘。いつ頃からだろう、自分だけはぜったい濡れたくないという気持ちが強くなりすぎて、傘だけどんどんデカくなる。相合傘道行き、と歌っていた人もいたっけ、やっぱり半世紀くらい前。あの愛すべきロマンチックな憂鬱はとっくに消え失せたのかも。
 すべからく、通り雨。グソクムズは2021年にそう歌う。いまどきの雨だから、きっとその雨は大雨だ。1時間に100ミリ超え。記録的短時間大雨情報。だから駆け出す。雨は手のひらにいっぱい。つつがなく通り過ぎ、さした夕日が憎たらしいね、と彼らは歌を続ける。
 ずぶ濡れの耳にも、雨に追われて息も切れるほど走ったあとでも、確かに届く街角の音を、グソクムズがやっている。雨宿りしている目の前を、情けない叫び声を上げながらこの曲が全力で駆け抜けていくのが見えた。音楽が、絵に描いたような街の景色じゃなく、彼らが生きてる現代の武蔵野の街そのままを一緒に連れてくるのを感じた。
 彼らのバンド・サウンドを、古さや新しさで測るつもりはない。通り雨に打たれたことがある者なら、髪から滴るしずくや水溜りの反射に映る汚れた街が美しく見える瞬間をご褒美に感じたことがあるだろう。その感覚は、今も昔も変わらないはず。そして、グソクムズの音楽は、直感的にその本質をつかんでいると思う。

──松永良平(リズム&ペンシル)

またパワープレイにも続々と決定しています。
2021年、快進撃を続けるグソクムズをお見逃しなく。

[パワープレイ情報]
グソクムズ「すべからく通り雨」
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・NACK5 11月度前期パワープレイ
https://www.nack5.co.jp/power-play
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・AIR-G'エフエム北海道「11月度POWER PLAY」
https://www.air-g.co.jp/powerplay/
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・α-STATION「11月HELLO!KYOTO POWER MUSIC」
https://fm-kyoto.jp/info_cat/power-play/
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・エフエム滋賀 「キャッチ!」11月マンスリーレコメンドソング
https://www.e-radio.co.jp/
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・J-WAVE (81.3FM)「SONAR TRAX」
期間:2021/8/1~8/15
https://www.j-wave.co.jp/special/sonartrax/
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・TBSラジオ「今週の推薦曲」
期間:7/26~8/1
https://www.tbsradio.jp/radion/
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[商品情報]
アーティスト:グソクムズ
タイトル:すべからく通り雨
レーベル:P-VINE
品番:P7-6290
フォーマット:7インチシングル
価格:¥990(税込)(税抜:¥900)
発売日:2021年11月10日(水)

■トラックリスト
A. すべからく通り雨
B. 泡沫の音

■取扱店舗
タワーレコード:渋谷店 / 新宿店 / 吉祥寺店 / 梅田大阪マルビル店 / オンライン
HMV:HMV record shop 渋谷 / HMV&BOOKS online
ディスクユニオン
FLAKE RECORDS
JET SET

[プロフィール]
グソクムズ:
東京・吉祥寺を中心に活動し、"ネオ風街"と称される4人組バンド。はっぴいえんどを始め、高田渡やシュガーベイブなどから色濃く影響を受けている。
『POPEYE』2019年11月号の音楽特集にて紹介され、2020年8月にはTBSラジオにて冠番組『グソクムズのベリハピラジオ』が放送された。
2014年にたなかえいぞを(Vo/Gt)と加藤祐樹(Gt)のフォークユニットとして結成。2016年に堀部祐介(Ba)が、2018年に中島雄士(Dr)が加入し、現在の体制となる。
2020年に入ると精力的に配信シングルのリリースを続け、2021年7月に「すべからく通り雨」を配信リリースすると、J-WAVE「SONAR TRAX」やTBSラジオ「今週の推薦曲」に選出され話題を呼ぶ。その「すべからく通り雨」を11月10日に7inchにて発売することが決定した。
HP:https://www.gusokumuzu.com/
Twitter:https://twitter.com/gusokumuzu
Instagram:https://www.instagram.com/gusokumuzu/

D.A.N. - ele-king

 早々と振り返ってみると今年は一段と歌詞のない音楽を聴いている。なぜかはまだ整理できていないけれど、そういう気分だった。世の中に物申すエネルギーを音楽ないし歌詞に込めることは大いに結構だと思うし、ときにそんなロック・スターかのような態度も好きではあるのだが、他方では、年々そういう音楽が少しずつ窮屈だな、と思うようにもなってきている。そんなことを言ったら、もはや「音楽に向いてない」とでも指摘されそうだが、そうなのだから仕方ない。しかしかといって、僕は四六時中アンビエントやニューエイジだけを聴いている変わり者ではないし、言葉を持たないハウスやテクノなどの音楽は大好きだが、それでもずっと聴いていればさすがに疲れてしまうのだ。ああ、困った。

 しかし、そんな気分において、D.A.N.のサード・アルバム『No Moon』を自宅のスピーカーから流したとき、これは僕の心を満たしてくれる数少ない作品だと、半ば確信めいた気持ちにさせられてしまった。「ジャパニーズ・ミニマル・メロウ」を標榜しているこの3人組は、日本語で歌うことに明確にこだわるが、そこに僕を強迫的な気持ちにさせる強い言葉はないように見えるし、あくまで歌詞は全体のサウンドスケープを織りなすひとつとして、その他さまざまな具体音と一緒くたの波となって、僕の耳に届く。ちなみに「ジャパニーズ・ミニマル」は、オウガ・ユー・アスホールが自らを表すフレーズとして先立って使った表現であり、そこにD.A.N.は、「メロウ」を付することで自らのオリジナリティを表現したそうだが、確かにメロウという感覚に彼らの唯一無二性があるように思える。「俺の言葉を聴け」と映画の主人公然とした態度は取らない。それはドライやクールと取れるかもしれないが、しかし他方で、彼らの音楽から熱気あふれる高揚感やエネルギーは確実に感じる。ただひんやりと冷たいだけではない、あくまで彼らはメロウに──片意地張らずにキメているということなのだろう。

 アルバムの注目すべき点として、“The Encounters” では tamanaramen(玉名ラーメン)と MIRRROR の Takumi を招聘し、ラップを入れている点がまず挙げられる。客演のみならず、メンバーの櫻木大吾もときにラップめいた手法を取り入れており、D.A.N.を特徴づけるささやくかのようなファルセットと混在させつつ、より充実したヴォーカル・ワークを聴かせてくれる。かねてより、メンバーはグライムなどのUKラップへの関心を公言していたが、ラップの導入は『No Moon』の新機軸と言えよう。ちなみに個人的なベスト・トラックは “Aechmea” で、アルバム中で最も長い曲であり、ピッチ・ベンドされたヴォーカル・サンプルにはじまるこの曲の後半からの展開は、もはやサイケでありプログレである。これもラップの導入とはまた別の点で、彼らの新機軸を打ち出しているように思える。もうひとつ注目すべきは、前作の『Sonatine』では鳴りを潜めていた小林うてなによるスティール・パン、そしていまにも何か召喚されてしまいそうな彼女の宗教的なコーラスが再び聴けることで、それは “Floating In Space” で大きくフィーチャーされている。スティール・パンは言わずもがな素晴らしい響きで、ところどころに聴こえる空間系のエフェクトを存分に使ったギターのサウンドと合わせると、まるでジェイミー・XXないしはジ・XXの作品を聴いているかのようなメランコリックな要素も感じさせる。しかし同時に、彼女のシャーマニックなコーラスは、ベリアル以降の「Sad Boy」的メランコリックを有した有象無象のフォロワーに収まることを拒むかのようで、あくまでD.A.N.というバンドが常に新しい音を貪欲に突き詰めていることが伺える。

 『No Moon』は古きを訪ねつつ、新しきを知ることをやってのけており、それは、この作品がD.A.N.のキャリアにおいて最も密度の濃いアルバムであることを示している。現に曲数も12曲で時間は56分にも及ぶ長大な作品に仕上がっており、ファースト『D.A.N.』、続く『Sonatine』も1曲ごとには長いが、ここまでアルバム単位としての重厚さを感じさせるのは初ではないだろうか。曲ごとに良いのは相変わらずで、作品としてのつながりやまとまりという俯瞰的な視点で聴いても、明らかに『No Moon』は最高の地点にいる。これは確実に名盤になるサード・アルバムであり、つまりオアシスにおける『Morning Glory』からの『Be Here Now』ではなく、レディオヘッドにおける『The Bends』からの『OK Computer』のような、バンドとしての大きな飛躍を感じさせるような作品だ。

 9月4日、イギリス海軍が建造した史上最大で最強の航空母艦、HMS(女王陛下の)クイーン・エリザベス号が横須賀港に寄港した。アルマダの海戦でスペインの無敵艦隊を沈めた16世紀の女王の名を冠したこの船は、旧大英帝国がかつて足を踏みならしたシンガポールにも停泊しており、象徴性と政治性を存分に誇示したアジア・ツアーを敢行したわけだ。イギリスは、この巨大な新しい船を使って軍事力を見せつけた。まるで年老いた男が、ブリティッシュ・シー・パワーのグレイテスト・ヒッツを演奏するかのように。

 そのひと月前、バンド、British Sea Power(ブリティッシュ・シー・パワー)は、バンド名をより合理的なSea Power (シー・パワー)に縮めることを発表した。彼らは慎重に言葉を選びながら、“ブリティッシュ”を切ることは、イギリスそのものへの嫌悪を意味することではないと強調し、イギリスに限らず世界的な流れとしての、“ある種のナショナリズムの台頭による孤立主義や、敵対的なナショナリズムと混同されるリスクを回避したい”ということを理由にあげた。
 実際、そのようなナショナリズムの傾向は、イギリスでも明らかに問題となっている。「21世紀のヨーロッパのフェスティヴァルに参加した若者がプログラムを見て、“パワー”という言葉の横に“ハンガリアン”とか“ロシアン”という言葉を含むバンド名を目にした時に、どのようなことを連想するのかを考えてみてほしい」という彼らの問いかけは、“ブリティッシュ”という言葉も同じように不愉快で、暴力的なイメージを呼び覚ましてしまうかもしれない可能性を示唆している。イギリスのストリートや報道機関の多くが、ヨーロッパや外国人全体に対して敵意をむき出しにする雰囲気を増長させ、ポスト・ブレグジットに拍車をかけてしまっているのだ。

 20年前、バンドがブリティッシュ・シー・パワーという名前を選んだときには、それは道理に反してはいるが、コミカルなばかばかしさとして受け止められていたことは明らかだ。“ブリティッシュ・シー・パワー”は、侵略者に対する英雄的な戦いや、過ぎ去りし日の帝国の華やかな虚栄の古い物語だった。彼らのファースト・アルバム『ザ・ディクライン・オブ・ブリティッシュ・シー・パワー』(2003)は、取返しがつかぬほど変わってしまった場所から過去を振り返る、ノスタルジックで皮肉な声明だった。
 そのアルバムには、ある意味、戦後の大英帝国の衰退と、その誕生の際の産声がロックンロールだった新しいイギリスとが交錯していた。ザ・ビートルズの1964年の映画、『A Hard Day's Night (ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!)』では、彼らと同じ鉄道の車両に乗り合わせて閉じ込められた男が、「私はお前たちのような人種のために戦争で戦ったんだ」と叫び、敬意を要求したが、「でも勝利を後悔しているだろう?」とリンゴに反撃されている。その数年後には、ビートルズは『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』で、イギリス軍の過去のイメージをとりあげ、ノスタルジーと時代錯誤的なばかばかしさを混ぜ合わせて、サイケデリックの領域に攻め込み、ザ・フーは、イギリス国旗とRAF(英国空軍)のラウンデル(円形の紋章)をポップ・アート・デザインのモチーフにしてしまった。

 ザ・キンクスは、アルバム『アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡』(1969)で、新世代ブリティッシュ・ロックの消えゆく過去への陶酔を、あからさまに、力強く表現した。一方、1990年代初頭には、ブラーなどのブリットポップ・バンドが過去のイギリスの皮肉でセンティメンタルなイメージ(シングル「フォー・トゥモロー」のジャケットに描かれたスピットファイア戦闘機や、アルバム『モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ』(1993)の蒸気機関車など)を利用し、60年代のブリティッシュ・ロックの栄光の日々と同時に、大英帝国の過去に対するブリティッシュ・ミュージックの奇妙に相反する、ノスタルジックでシニカルな姿勢の両方を描いてみせた。ブリティッシュ・シー・パワーというバンド名は、まさにこの壮大さ、喪失感、プライドと自虐的でドライなユーモアを想起させるのだ。

 しかし、このイメージが物語っているのは、内向きな、白人世界のイギリスの姿に過ぎない。1990年代はブリットポップの時代であったかもしれないが、同時にトリップホップ、コーナーショップのようなバンドやドラムンベースなど、イギリスの植民地時代の過去に連なる移民の2世や3世が、さまざまな経験や異なる文化的な視点から、イギリスらしさを再構築していたのだ。

 ブリットポップが使用していたノスタルジックで愛国的なイメージは、もとは社会批判が発端となっていたかもしれないが、すぐに、人びとが過去の大英帝国の郷愁に浸り、その皮肉が暗示する意味合いを完全には受け入れずにすむ、保護膜のような働きをした。やがてそのイメージがナショナリズムの象徴として常態化し、列車のなかの尊大な男が、ビートルズの騒々しいロックンロールを忌み嫌ったように、多文化の共生する現代国家に憤る人びとの、称讃の的となった。その結果、ブリティッシュ・シー・パワーのような名前に込められていた皮肉は効力を失ったのだ。ナショナリストたちは皮肉には取り合わないし、若者は皮肉を偽善的な行為を覆い隠すものとして疑ってかかる傾向が強まっている。

 そのような時代において、かつて帝国が支配した海を、国旗を振りかざしながら巡回し、何世紀にもわたる軍の戦いに敬意を表して付けられた名を持つ軍艦とは異なる種類のパワーを、バンドがEP「Waving Flags」(2008)のように定義しなおしたことは、正しかったのだろう。イギリスのように、どこにいても海岸から100キロ以内しか離れていないような場所では、海が強力な必然性を持ち、国民は天気や気候を左右する気まぐれな海に翻弄されて生活している。海は潮の入り江を行き来し、餌を与えたり、打ち付けたり、唸ったり宥めたりしながら、一定の島のシンフォニーを奏でているのだ。それは、国を世界から切り離すものであると同時に、どことでも繋がるものであり、その意味では、“Sea Power”は“Britain”(ブリテン=イギリス)という言葉で騒ぎ立てることを、ほんの小さな心配事にしてみせることに成功している。


'The changing meanings of "British Sea Power"'


Ian F.Martin

On September 4th, the aircraft carrier HMS Queen Elizabeth, the largest and most powerful warship ever constructed for Britain’s Royal Navy, docked at the port of Yokosuka. Named after the 16th Century queen whose navies sank the Spanish Armada, the ship had earlier stopped at the old British Empire stomping grounds of Singapore, so there was plenty of symbolism and politics on display in this Asian tour. Britain was using this huge new ship to flex its military muscles: an old man performing the greatest hits of British sea power.

A month earlier, the band British Sea Power had announced that their name would be shortened to the more streamlined Sea Power. They were very careful in their choice of words, stressing that cutting “British” didn’t signify any dislike of Britain itself, and placing their reasons in the global context of “a rise in a certain kind of nationalism in this world – an isolationist, antagonistic nationalism that we don’t want to run any risk of being confused with” rather than anything specific to the UK.

And yet those nationalist trends clearly are a problem in the UK. When the band ask us to imagine “a youngster at a European festival in the 21st century looking at the programme and seeing a band name including the word ‘Hungarian’ or ‘Russian’ alongside ‘Power’” and then think about what sort of images and associations might run through their head, they’re implying that the word “British” could raise similarly uncomfortable and possibly violent images — ones that the increasingly hostile atmosphere on some of Britain’s streets and in most of its press towards Europe and foreigners in general will have only encouraged post-Brexit.

When the band chose the name British Sea Power twenty years ago, it seemed obvious that the name was comically absurd: “British sea power” was an old story of heroic battles against invaders and the pomp of an imperial past long gone. Their first album title, “The Decline of British Sea Power” was a statement both nostalgic and ironic, looking back at the past from a place that had irrevocably changed.

In a way, the postwar decline of the British Empire is intertwined with a new Britain whose birth screams were the sound of rock’n’roll. “I fought the war for your sort,” was the pompous demand for respect of a man trapped in a railway carriage with The Beatles in their 1964 movie A Hard Day’s Night, only for Ringo to fire back, “I bet you’re sorry you won.” A couple of years later, they used Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band to take military-edged imagery from Britain’s past and push its mix of nostalgia and anachronistic absurdity into the realm of the psychedelic, while The Who turned the national flag and Royal Air Force military roundels into pop-art design motifs.

The Kinks expressed the rising generation of British rock’s fascination with the fading past most explicitly and powerfully in their album Arthur (Or the Decline and Fall of the British Empire). Meanwhile, in the early 1990s, Britpop bands like Blur seized on ironically sentimental images of Britain’s past (the Spitfire fighter planes on the cover of their For Tomorrow single, the steam train painting on the cover of the album Modern Life is Rubbish) in a way that both both referenced the glory days of 60s British rock and the peculiarly ambivalent attitude of British music to the nation’s imperial past, both nostalgic and cynical. The band name British Sea Power evokes just this mix of grandeur, loss, pride and self-effacing dry humour.

But it’s still an inward-looking and distinctly white version of Britain that this imagery speaks to. The 1990s may have been the generation of Britpop, but it was also the era of trip-hop, bands like Cornershop, drum’n’bass — music born from second- and third-generation immigrants with connections to Britain’s colonial past, that was reshaping Britishness once more out of a very different set of experiences and cultural reference points.

The nostalgic and patriotic images that Britpop had used may have begun with an edge of social criticism, but that irony soon became a protective coating that allowed people to bask in the nostalgia of an imperial past without accepting its full implications, and eventually the imagery became normalised as nationalistic symbols, celebrated in a way every bit as resentful of the multicultural modern nation as the pompous man in the train carriage was to the noisy rock’n’roll of The Beatles. As a result, the irony embedded in a name like British Sea Power loses its bite: Nationalists don’t deal in irony or nuance, and young people seem increasingly suspicious of irony as a cloak for insincerity.

In such times, perhaps the band are right in framing a different sort of sea power — one removed from warships named in honour of centuries-old military battles “Waving Flags” on a tour through seas the Empire once ruled. In a place like Britain, where you are never more than a hundred kilometres from the coast, the sea is a powerful inevitability and the nation lives subject to its whims, defining the weather and climate, as it rushes back and forth up tidal inlets, feeding and battering, roaring and soothing in a constant island symphony. It’s both what cuts the country off from the rest of the world but also what connects it to everywhere, and in that sense, “Sea Power” makes any fuss over a word like “Britain” rather a small concern.

Local World x Foodman - ele-king

 夏に新作『Yasuragi Land』を〈Hyperdub〉からリリースした食品まつり。当初は8月・9月に予定されていたものの延期となってしまっていたリリース・パーティが、あらためて開催されることがアナウンスされた。
 11月13日、同日営業再開となる下北沢 SPREAD と HANARE にて開催。計12時間にもおよぶ特大のパーティとなる。前売特典はオリジナルのサウナ・タオル。100枚限定のようなのでお早めに。

Local World x Foodman - Yasuragi Land - Tokyo 2021

世界で最もピースな電子音楽家Foodmanの〈Hyperdub〉からの最新アルバム『Yasuragi Land』を祝し、Local Worldとのデイとナイトを合わせた計12時間に及ぶ特大コラボ・パーティへ変更&開催。
リリース記念品として前売特典にオリジナル・サウナ・タオルが付いてきます!

土着、素朴、憂い(潤い)をテーマに南は長崎、北は北海道、これまでFoodmanにまつわるアーティスト含む全国各地からフレッシュな全20組が集まる、デイのコンサートとサウナと水風呂の2会場のフロアに別れたクラブ・ナイトの2部構成、計12時間に及ぶロングラン・リリース・パーティ。

The world's most peaceful electronic musician Foodman's release party featuring his latest album "Yasuragi Land" from UK's finest label Hyperdub will be held at SPREAD Tokyo as a collaboration with Local World, a club and mode adventure party. With the themes of Indigenous, honesty and melancholy, the event, a total 12 hours long-running release party will consist of two parts: a daytime concert and club night divided into two venue floors, a sauna and a water bath with a total of 20 fresh artists and DJs from all over Japan from Nagasaki in the south to Hokkaido in the north including artists related to Foodman. A limited original sauna towel will be given as a special gift for ADV ticket purchasers.

Local World x Foodman - Yasuragi Land - Tokyo 2021
SAT 13 NOV 18:00 - 06:00 12H at SPREAD + HANARE
ADV ¥2,850+1D@RA w/ special gift: Yasuragi Land sauna towel *LTD100
DOOR ¥3,000+1D / U23 ¥2,000+1D

[前売リンク] https://jp.ra.co/events/1474555

DAY CONCERT@SPREAD 18:00 -

LIVE:
7FO
cotto center
Foodman
NTsKi
Taigen Kawabe - Acoustic set -

DJ:
noripi - Yasuragi Set -

18:00 (60) noripi - Yasuragi set -
19:00 (20) cotto center LIVE
19:20 (20) Taigen Kawabe LIVE
19:40 (15) set change noripi - Yasuragi set -
19:55 (30) NTsKi LIVE
20:25 (30) 7FO LIVE
20:55 (15) set change noripi - Yasuragi set -
21:10 (30) Foodman LIVE
21:40 END

CLUB NIGHT - SAUNA FLOOR@SPREAD 23:00 -

LIVE:
Foodman
JUMADIBA & ykah
NEXTMAN
Power DNA

DJ:
Baby Loci [ether]
D.J.Fulltono
HARETSU
Midori (the hatch)
バイレファンキかけ子

23:00 (60) バイレファンキかけ子
24:00 (60) Midori (the hatch)
01:00 (60) JUMADIBA & ykah LIVE & DJ
02:00 (20) Power DNA LIVE
02:20 (20) NEXTMAN LIVE
02:40 (30) Foodman LIVE
03:10 (50) Baby Loci
04:00 (50) HARETSU
04:50 (70) D.J.Fulltono
06:00 END

CLUB NIGHT - COLD BATH FLOOR@HANARE* 22:00 -

LIVE:
hakobune [tobira records]
Yamaan
徳利

DJ:
Akie
Takao
荒井優作

22:00 (50) Yamaan LIVE
22:50 (30) 徳利 LIVE
23:20 (80) 荒井優作
24:40 (80) Akie
02:00 (50) hakobune LIVE
02:50 (70) Takao
04:00 END

artwork: ssaliva

- 前売特典*100枚限定: やすらぎランド・サウナ・タオル *会場にて受け渡し / ADV special gift *Limited to 100: Yasuragi Land sauna towel *pick up at the venue
- 再入場可 *再入場毎にドリンク代頂きます / A drink ticket fee charged at every re-entry
- HANARE *東京都世田谷区北沢2-18-5 NeビルB1F / B1F Ne BLDG 2-18-5 Kitazawa Setagaya-ku Tokyo

食品まつり a.k.a foodman

名古屋出身の電子音楽家。2012年にNYの〈Orange Milk〉よりリリースしたデビュー作『Shokuhin』を皮切りに、〈Mad decent〉や〈Palto Flats〉など国内外の様々なレーベルからリリースを重ね、2016年の『Ez Minzoku』は、海外はPitchforkのエクスペリメンタル部門、FACT Magazine、Tiny Mix Tapesなどの年間ベスト、国内ではMusic Magazineのダンス部門の年間ベストにも選出された。その後Unsound、Boiler Room、Low End Theoryに出演。2021年7月にUKのレーベル〈Hyperdub〉から最新アルバム『Yasuragi land』をリリース。Bo NingenのTaigen Kawabeとのユニット「KISEKI」、中原昌也とのユニット「食中毒センター」としても活動。独自の土着性を下地にジューク/フットワーク、エレクトロニクス、アンビエント、ノイズ、ハウスにまで及ぶ多様の作品を発表している。

《最新作リリース情報》食品まつり a.k.a foodman - Yasuragi land [Hyperdub / Beatink]
https://open.spotify.com/album/1160ly60lfUV9CpGOKLVhI?si=K2HictdARNuA9tfsvs5hxw&dl_branch=1

Local World

2016年より渋谷WWWをホームに世界各地のコンテンポラリーなエレクトロニック/ダンス・ミュージックのローカルとグローバルな潮流が交わる地点を世界観としながら、多様なリズムとテキスチャやクラブにおける最新のモードにフォーカスし、これまでに25回を開催。

Local 1 World EQUIKNOXX
Local 2 World Chino Amobi
Local 3 World RP Boo
Local 4 World Elysia Crampton
Local 5 World 南蛮渡来 w/ DJ Nigga Fox
Local 6 World Klein
Local 7 World Radd Lounge w/ M.E.S.H.
Local 8 World Pan Daijing
Local 9 World TRAXMAN
Local X World ERRORSMITH & Total Freedom
Local DX World Nídia & Howie Lee
Local X1 World DJ Marfox
Local X2 World 南蛮渡来 w/ coucou chloe & shygirl
Local X3 World Lee Gamble
Local X4 World 南蛮渡来 -外伝- w/ Machine Girl
Local X5 World Tzusing & Nkisi
Local X6 World Lotic - halloween nuts -
Local X7 World Discwoman
Local X8 World Rian Treanor VS TYO GQOM
Local X9 World Hyperdub 15th
Local XX World Neoplasia3 w/ Yves Tumor
Local XX0 World - Reload -
Local XXMAS World - UK Club Cheers -
Local World x ether

https://localworld.tokyo

SUPER DOMMUNE Presents「DJ IN THE MIRROR WORLD 3」 - ele-king

 もうすぐ投票日だ。同10月31日はハロウィーンでもある。今年も渋谷区は「バーチャル渋谷」への参加を呼びかけている。「バーチャル渋谷」って何? それは、「cluster」というプラットフォームで体験することができる “ミラーワールド”。簡単に言ってしまえば、現実の渋谷をスキャンすることによって生み出された仮想世界だ。
 ということで、昨年のハロウィーンから「DJ IN THE MIRROR WORLD」という刺激的な試みを実践してきた “メタヴァースの使徒” SUPER DOMMUNE が今年もスペシャルな企画を用意してくれた。
 第1回ではエレン・エイリアン、サージョン、ケン・イシイ、ダーシャ・ラッシュが、第2回ではニーナ・クラヴィッツ、Rebekah、Licaxxx が出演している同企画だが、今回の「3」では、なんと、満を持して石野卓球が登場! 石野卓球がアヴァターとなり仮想のスクランブル交差点でDJ、これはかつてないイヴェントになるだろう。
 ちなみに10月29日発売の『ele-king臨時増刊号 仮想空間への招待──メタヴァース入門』では、SUPER DOMMUNE を主宰する宇川直宏氏のインタヴューを掲載しています。めちゃくちゃおもしろい内容のインタヴューですので、ぜひそちらもチェックしていただけると嬉しいです。
 10月31日、投票を済ませたら「バーチャル渋谷」へGO(参加方法などは下記を)。

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DJ IN THE MIRROR WORLD 3
実 施 概 要

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名 称:SUPER DOMMUNE Presents「DJ IN THE MIRROR WORLD 3」
日 時:2021年10月31日(日)22:30-24:00
DJ:石野卓球(電気グルーヴ)
VJ:DEVICEGIRLS
VRDJ:DJ SHARPNEL
VR STREAMING:UKAWA NAOHIRO(DOMMUNE)

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バーチャル渋谷 au 5G ハロウィーンフェス 2021
実 施 概 要

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名 称:バーチャル渋谷 au 5G ハロウィーンフェス 2021
日 程:2021年10月16日(土)~10月31日(日)
場 所:渋谷区公認配信プラットフォーム「バーチャル渋谷」
主 催:KDDI株式会社、一般社団法人渋谷未来デザイン、一般財団法人渋谷区観光協会
後 援:渋谷区
協力パートナー:東急株式会社、東急不動産株式会社、東京メトロポリタンテレビジョン株式会社、株式会社SHIBUYA109エンタテイメント、株式会社 ローソンエンタテインメント、ChargeSPOT、アドビ株式会社

公式サイト:https://vcity.au5g.jp/shibuya/halloween2021
公式SNS:<Twitter>‎@shibuya5g
<Instagram>@shibuya5g
<YouTube>渋谷5Gエンターテイメントプロジェクト

参加方法:
バーチャル渋谷は、VRデバイス、スマートフォン、PC/Macからご参加いただけます。
clusterの無料アカウント作成と、ご利用されるデバイス用のclusterアプリのインストールが必要です。
clusterアカウント作成:https://cluster.mu/
clusterアプリダウンロード:https://cluster.mu/downloads

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石野卓球(電気グルーヴ)
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1989年にピエール瀧らと"電気グルーヴ"を結成。1995年には初のソロアルバム『DOVE LOVES DUB』をリリース、この頃から本格的にDJとしての活動もスタートする。1997年からはヨーロッパを中心とした海外での活動も積極的に行い始め、1998年にはベルリンで行われる世界最大のテクノ・フェスティバル"Love Parade”のFinal Gatheringで150万人の前でプレイした。1999年から2013年までは1万人以上を集める日本最大の大型屋内レイヴ"WIRE"を主宰し、精力的に海外のDJ/アーティストを日本に紹介している。2012年7月には1999年より2011年までにWIRE COMPILATIONに提供した楽曲を集めたDisc1と未発表音源などをコンパイルしたDisc2との2枚組『WIRE TRAX 1999-2012』をリリース。2015年12月には、New Orderのニュー・アルバム『Music Complete』からのシングルカット曲『Tutti Frutti』のリミックスを日本人で唯一担当した。そして2016年8月、前作から6年振りとなるソロアルバム『LUNATIQUE』、12月にはリミックスアルバム『EUQITANUL』をリリース。2017年12月27日に1年4カ月ぶりの最新ソロアルバム『ACID TEKNO DISKO BEATz』をリリースし、2018年1月24日にはこれまでのソロワークを8枚組にまとめた『Takkyu Ishino Works 1983~2017』リリース。現在、DJ/プロデューサー、リミキサーとして多彩な活動をおこなっている。
https://takkyuishino.com

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DOMMUNE
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現代日本のアートシーンの中でも際立った存在感を放つ宇川直宏が、ソーソャルストリームの時代を見据えた新たな文化の発信拠点として、2010年に開局させた日本初のライブストリーミングスタジオ『DOMMUNE』!! SNSの夜明けと言われた時代に「ファイナルメディア」として忽然として現れ、百花繚乱のライブストリーミング番組の中でも、圧倒的な番組の質とビューワー数を誇り、開局以来、世界各国から様々なゲストが来日のたびに出演する唯一無二の文化プラットフォームとして存在し続けている。あのロンドンを拠点とするミュージックチャンネルBOILER ROOMにも影響を与え、BOILER ROOM TOKYOの日本支局もDOMMUNEが担当している。このように『DOMMUNE』は現在世界に溢れているサウンド&アートストリーミング、また、カルチャーストリーミングのほとんど全ての雛形を作ったと言っても過言ではない。現在まで9年間にわたって配信した番組は約4000番組 / 約7000時間 / 150テラ、トータル視聴者数一億を超え、従来の「放送」や「出版」そして「広告」という概念やそのフォーマットが破綻していく現代において、ライブにおける動画配信の実験を重ね、新たな視覚コミュニケーションの可能性を日夜革新的に炙り出し続けている。今もなおその影響力は衰えず、開局10周年を第二章とし、最前衛テクノロジーと共にUPDATEを図り、ファイナルメディア『DOMMUNE』の進化形態『SUPER DOMMUNE』へと展開した。2021年、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
https://www.dommune.com/

BJ Nilsen - ele-king

 環境のための音楽か。環境についての音楽か。前者はブライアン・イーノが定義した最初期のアンビエント・ミュージック、対して後者はフィールド・レコーディングやさざまなサウンドのマテリアルを駆使したサウンドスケープを展開する現代的な音響作品であると仮定してみたい。
 
 スウェーデン出身でアムステルダムを拠点とするサウンド・アーティストのBJ・ニルセン(BJ Nilsen)は後者にあたるといってよい。彼は90年代〜00年代以降、いくつかの名義を駆使して、さまざまな音響作品を作り続けてきたアーティストである。 ニルセンは環境音をベースに、細やかかつ大胆な電子音響ノイズをレイヤーさせる手法によって、都市空間とノイズの関係を考察/再考するようなサウンドスケープを創出してきた。近年はノルウェーとロシアの北極圏などにおける都市の音響領域と産業地理の問題を音響の側面から追及しているという(ニルセンには『The Acoustic City』という著作もあり、音とテキストの両面から活動をしているアーティストでもある)。
 フィールド・レコーディングの手法による空間意識の自覚化・聴取という意味で、フランシスコ・ロペスの系譜にもあるともいえるが、とうぜん作風は違う。ニルセンはサウンドの融解を実践しているように思う。その意味ではロペスの次の世代のサウンドアートの発展に大きく尽力してきたアーティストのひとりといえる。

 BJ・ニルセン、本名をベニー・ジョナス・ニルセン(Benny Jonas Nilsen)という。1975年生まれの彼は90年代はMorthound名義で活動を行い、インダストリル・ノイズ・レーベルの〈Cold Meat Industry〉などからアルバムをリリースした。00年代初頭はヘイザード(Hazard)を名乗り、〈Malignant Records〉、〈Ash International〉などからいくつかのアルバムをリリースする。
 BJ・ニルセン名義としては、2004年に〈Touch〉から『Fade To White』をリリースして以降、多くのアルバムをソロ、コラボレーション問わず、コンスタントに発表してきた。ニルセンのアルバムは、いわば彼の音響研究の報告書、著作といった側面もある。聴取するたびに、世界と音響に関する思考に触れるような感覚を得ることができた。そして何より音響作品としてサウンドの質感や構成など、非常に美しい仕上がりでもある。
 ニルセンの作品数は非常に多いのだが、それでもあえて代表作を選ぶとすれば2007年の『The Short Night』、2009年の『The Invisible City』、2013年の『Eye Of The Microphone』だろうか。個人的にはアートワークも含めて『The Invisible City』をおすすめしたい。見知らぬ街への旅先、その夜の空気のような音響空間がとにかく素晴らしいのだ。ちなみにこれらのアルバムはすべて〈Touch〉からリリースされた。
 コラボレーション作品も充実している。2006年に〈Touch〉から発表したクリス・ワトソンとの『Storm』、2007年に〈iDEAL Recordings〉から出たZ'EVとの『22' 22"』あたりがよく知られている。私としては2014年に発表されたヨハン・ヨハンソンとの共作『I Am Here』をお奨めしたい。
 ともあれ彼は多作である。ゆえにそのアルバムは00年代以降の電子音響作品を考える意味で重要な指針となってもいる。特に〈Touch〉というエクスペリメンタル・ミュージックの牙城ともいえるレーベルを中心にリリース活動をしたことの意味は大きい(もちろん〈Touch〉以外からのリリースも多くあるのは前提だが)。00年代中期以降の環境音と電子音響のレイヤーという〈Touch〉のレーベル・カラーをとてもよく象徴していたからだ。

 そのBJ・ニルセンがもうひとつのエクスペリメンタル・ミュージックの老舗であり牙城ともいえる〈Editions Mego〉からアルバム『Massif Trophies』をリリースしたのが今から4年前の2017年である。思えばこのアルバムのリリースが今作『Irreal』の布石になっていた。今回取り上げる『Irreal』もまた〈Editions Mego〉からの作品である。
  『Massif Trophies』はイタリアの高山であるグラン・パラディゾ山の登山時の環境音が用いられていたアルバムだったが、『Irreal』はオーストリア、ロシア、韓国、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクなど世界各国で録音された環境音がベースになっている音響作品である。世界各国の音の記憶が旅の記憶のように展開し、そこに高密度の電子音響がレイヤーされていく。
 『Irreal』には長尺の曲が全3曲が収録されている。1曲め“Short circuit of the conscious thought”が15分20秒、2曲め“Motif mekanik”が12分50秒、3曲め“Beyond pebbles, rubble and dust”に至っては38分28秒にも及ぶ。どのトラックもじっくりとその音響空間に浸れる構成・構造となっている。
 サウンドも環境音と電子ノイズやドローンのレイヤーが強靭かつ大胆に展開し、これまでのBJ・ニルセンの集大成ともいえる仕上がりだ。硬質な響きには聴覚の遠近法を変えるような「強さ」がある。しかもときにベースラインらしき音が低音部になるというこれまでにない試みも実践されていた。いわばエクスペリメンタルな音響作品のむこうにかすかに鳴るテクノの痕跡のような聴取感を得ることもできるのである。
 アルバムを代表するトラックは38分を超える“Beyond pebbles, rubble and dust”だろう。この長い時間のサウンドを聴きいっていると、まるで洞窟の中に迷い込むような、もしくは氷河の音響を聴くような感覚になってくる。都市のサウンドスケープがやがて自然の極限のような状態へと変化する感覚とでもいうべきか。
 都市と自然、空間と世界。満ちる音の波と音の集積、交錯と接続、融解と持続。『Irreal』の音響空間は、われわれに「環境」と「音」の関係性を意識させてくれる。ここにある音とそこにある音。聴こえる音と消える音。ニルセンは音をつなぎとめて、つないで、加工して、還元して、長い音響の持続を作る。
 この『Irreal』は彼の最高傑作だろう。おそらくはレーベルである〈Editions Mego〉もそれを承知していた。マスタリングをシュテファン・マシュー、アートワークをスティーブン・オマリーが手がけるという最高の布陣で送り出された。そして今作がレーベル・オーナーのピタとBJ ニルセンとのおそらくは最後の仕事になった。
 
 〈Editions Mego〉を主宰する電子音響作家ピタことピーター・レーバーグは、2021年7月23日に他界した。悲しい出来事である。「追悼」するには若すぎる年齢だ。彼が電子音響、グリッチ、エレクトロニカに残した功績の大きさを痛感することにもなってしまった。
 レーベル側のアナウンスによると、ピタがリリースを手がけていたアルバムまでは確実に送り出されるとのこと。そしてピタがレーベル・オーナーとして関わっていた最後のアルバムのリリースをもって、レーベル最後のリリースになるという。とはいえ〈Ideologic Organ〉、〈Recollection GRM〉、〈Portraits GRM〉などの充実したサブ・レーベルは存続し、フランスの〈Shelter Press〉がリリースを担っていくという。ピタと〈Editions Mego〉の功績の大きさはこれからもより深く継承され、考察され、ピタ/メゴの意志や遺伝子は受け継がれていくに違いない。

 この BJ・ニルセン『Irreal』は、レーベル・オーナーとしてのピタが早すぎた晩年に送り出した電子音響作品の傑作になってしまったわけだが、今は、この研ぎ澄まされた音響空間に没入しつつ、〈Editions Mego〉によって牽引されてきた90年代以降、00年代、10年代、20年代の電子音響/グリッチ/エレクトロニカなどのエクスペリメンタル・ミュージックの進化=深化に思いを馳せたい。

Grouper - ele-king

 Shade=物陰、リズ・ハリスらしいタイトルだ。彼女の音楽はつねに、太陽より月光、月光より月影、そして石よりも水、外的ではなく内的な動きにおけるさまざまなヴァリエーションだった。ハリスの作品は、ぼくがこの10年、ずっと追いかけている音楽のひとつで、今朝、待ち焦がれていたその新作がようやく届いた。先行発表されていた2曲を何度も聴いていたので、いつものこととはいえ今回のアルバムもきっと素晴らしいだろうと思っていた。で、いざじっさい聴いてみるとやはり間違いなかった。
 
 2005年の自主リリースされたCDrがリズ・ハリスの最初の作品だった。タイトルの「Grouper」とは、彼女が育ったサンフランシスコの、ゲオルギー・グルジェフに影響されたカルト・コミューンの名前から取られている。突然両親が変わることさえあったという「Grouper」では、子供はいわば実験対象だった。カルト内では虐待や抑圧も多々あったというが、こうした特殊な生い立ちがハリスの音楽にまったく影響していないと考えるほうが不自然だろう。
 ハリスは、彼女の自我に深く傷を残したであろうそのコミューン名をしかし自らのプロジェクト名とし、2008年にUKの〈Type〉からリリースされた『死せる鹿を丘に引きずりながら(Dragging a Dead Deer Up a Hill)』によって一躍脚光を浴びた。これは彼女の出自がまだ知られていなかった頃の話で、エーテル状の音楽性からコクトー・ツインズと比較されたそのアルバムのスリーヴには、魔女めいた服装をした少女時代のハリスがいる(ぼくは長年別の人物と思っていたのだが、どうやら本人らしい。本当かな?)。それはともかく、音楽はいわゆるゴシックでもシューゲイザーでもない。フォークがその基盤にあることはたしかだが、それは人間の攻撃性をいっきに解除するかのような、繊細でどこまでも静的なフォークなのだ。
 それからハリスは、2011年に自身のレーベル〈Yellow Electric〉から連作『 A I A : Alien Observer』と『 A I A : Dream Loss 』をリリースする。これらはより実験色が強く、歌としての輪郭は滲むようにぼやけ、洞窟の奥深くで演奏しているかのようなその独特な響きゆえにドローン・フォーク/アンビエント・フォークなどと形容された作品だった。ぼくがグルーパーのファンになったのもこの2枚から
 
 繰り返そう。グルーパーの音楽は、どんな作品であれ、極めて静的で、言葉が主張するものではない(彼女は言っている。「歌は、言葉がわからなくても伝えることができる」と)。が、これほど強く、みごとと言っていいほど「ひとり」を感じる音楽をぼくはほかに知らない。たとえ夕刻時の銀座線のホームの人混みのなかであろうと、イヤフォンを通じてこの音楽がぼくの鼓膜を振動させた途端に、ぼくは瞬く間に「孤独」になる。それは不快ではないが快感でもない。憂鬱でも不幸でもない。ただただ、そうなることを知覚する。2013年の『ボートで死んだ男(The Man Who Died In His Boat)』、そして「政治的な怒りと感情的な残骸のドキュメント」と彼女自身が説明した2014年『Ruins』にも、ハリスにしか表現できないその独特な感覚から広がる音響工作のヴァリエーションが試みられている。
 こうした流れとは異なる路線を見せたのが、2018年の『Grid Of Points』だった。ここでは、それまで頻繁に採用していたフィールド・レコーディングや抽象的なエレクトリック・ノイズなどの音響実験を排して、シンプルにピアノをバックに歌っている。最新作の『Shade』もその延長にあるわけだが、作品でフィーチャーされている楽器はピアノではなくギターで、前作以上に飛び抜けてシンプルなフォーク・アルバムとなっている。グルーパー史上、もっともポップな作品と言ってもいい。

 オレゴン州のポートランドで長年暮らしてきたハリスは、昨年は同地のブラック・ライヴズ・マターに積極的に関わっていたが、いろんな事情があって引っ越したようだ。最近のWireに掲載されたインタヴューによれば、彼女が精神不安を抱えているとき、いまもポートランドに住んでいる友人のマリサ・アンダーソンから言われた「水を探しなさい」という言葉を頼りに、ハリスは太平洋沿いの海の近くに移住した。録音の半分はカリフォルニアのタマルパイス山という海から離れた場所でおこなわれているが、作品は、ハリスの説明によれば、いま住んでいる土地の海岸の風景と繋がっている。たしかに、アルバムの冒頭は“海を追って(Followed The Ocean)”とある。それはホワイト・ノイズがミックスされ、過剰にエフェクト処理された昔ながらのグルーパー・サウンドで、この曲が終わって2曲目の“Unclean Mind”がはじまると、どこか別の世界に瞬間移動したかのように場面はいっきに変わる。以降の曲のほとんどは、おおよそアコースティック・ギターと歌だけで構成されている。しかもメロディや歌よりもギター演奏の運指の音量のほうが大きいという、いままで以上に静的な瞬間がたびたびある。また、10年前の作品からにじみ出ていたような不安と悲しみは、この新作のどこかにはあるのかもしれないけれど、しかし『Shade』には、なにかしら清々しさが混ざっているように感じるのだ。もちろん、いまこの作品を聴いているぼくは「ひとり」だ。しかし同時に、心のざわめきには風通しのよい、そう、たしかに水を見つけたときのささやかな喜びがある。
  アンビエントめいた音響実験に関しては、2019年から着手したNivhek名義にて、今後も継続されていくのだろう。

Interview with Phew - ele-king

 ツアー先の英国で手渡された一枚のメモをきっかけに生まれた『Vertigo KO』は既発の電子音楽作品を編んだ、いわば単独者=Phewの集成ともいえるものだった。そこにはアンビエントな風情のエレクトロニック・ミュージックの傍らに本家を漂白したかのようなレインコーツのカヴァーがあるかと思えば、幽玄の境地にあそぶ電子音とヴォイスによる山水画のごとき作品もあった。この多彩さは2014年の『A New World』を皮切りに、2017年の『Voice Hardcore』、翌年のレインコーツのアナとの共演による『Islands』とつづくPhewのソロ時代が、いかにひろがりをもつかの証でもある。あるはいその起点を、小林エリカ、ディーター・メビウスとのProject Undark名義の『Radium Girls 2011』にみるなら、東日本大震災の翌年にリリースのしたこのアルバムからそろそろ10年の月日がたとうとしている。
 十年紀をひとつのサイクルとして、そこに意味をみいだすことに私たちはなれきっている。とはいえ体感をもって俯瞰可能な時間の厚みは事後的な気づきをうながしもする。『Vertigo KO』から間を置かずとどいたPhewの新作のタイトルが『New Decade』と知ったとき、私は来たるべき十年紀への無根拠な楽観より、いままさに終わろうとする時代への透徹したまなざしを感じたのだった。むろんこのことは『New Decade』が後ろ向きだということではない。電子音楽という、いささかクラシカルな用語が、テクノロジーをさすばかりか、私たちの身体のかかわりを問い直すことで新たな展開をみせてきたように、Phewはこの新作で最初のいち音が導く過程をたどってエレクトロ-アコースティックの新領域に達している。電子音だけでなく、そこには声があり、ギターとノイズがあり、リズムがあり、言語と意味の切断線が走っている。聴覚的な快楽とも観念的自足ともちがう、Phewの新十年紀を問うた。

まず構想とかコンセプトから離れるということがおおきかったです。ひとつの音を出してその音に導かれて次の音が出てくるみたいなつくり方でみんな録音しています。最初に構想を立てるのではなく、なにもないところでまず音を出し最初の音が次の音を呼んでく。

『New Decade』の制作は去年の秋口にははじまっていましたよね。

Phew:自主制作でね。松村さんに、音源ができてもいないのにライナーをお願いしましたよね。

それもあってトラフィックの中村さんにご連絡いただいてちょっとおどろきました。

Phew:今年に入ってから、1月あたりに中村さんからご連絡をいただき、私もびっくりしたというか、それはすごくうれしいおどろきだったんですけど。

偶然ですか。

Phew:偶然です。私は自主で出すつもりでいろいろすすめていたので。

そもそも自主で出そうと思ったのはいつで、きっかけはなんだったんですか。私が拝聴したのは『Vertigo KO』が出てまもない時期だったと記憶しています。

Phew:このアルバムはそもそも『Voice Hardcore』を録音し終えたあと、次のステップのつもりで、ずっと温めていました。家で録音はしていたんですが、一昨年録りためたものはこれはダメだということ全部捨てたんです。

どこがダメだったんですか。

Phew:聴いてこれはダメだと(笑)。アルバムにつながるものではないということですよね。(『Voice Hardcore』と)同じところで足踏みしている作品だと思ったといいますか、これはいっぺんゼロにしてイチからはじめたのが2019年です。その年は海外のツアーが多かったです。

『Vertigo KO』は海外ツアーの結果生まれたアルバムともいえますよね。

Phew:レーベル(Disciples)に未発表音源をおくって、曲を選んだのが2019年の暮れでした。そこから選曲が終わった時点で次のアルバムということで、制作、録音を再開したときは2020年になっていました。

『Voice Hardcore』の続編の位置づけとなると、その要素は――

Phew:電子音とヴォイスということですね。

じっさい『New Decade』はその感触ですよね。途中で制作を断念したものの『Voice Hardcore』のながれは生きていたんですね。

Phew:ながれは継続しているんですけど、いっぺん録りためたものを2019年で全部チャラにして、新たにつくろうと思ったのは2019年のツアーから帰ってきた12月、もしくは2020年あけた直後ですね。

2020年の秋口に私は1曲だけ、いま“Into the Stream”になっている楽曲の音源を拝聴しましたが、最初に手がけられた楽曲でしょうか?

Phew:そうです。『Vertigo KO』の最後の曲、ヴォイスだけの短い曲(“Hearts And Flowers”)のつづきからできた感じです。キーも同じだと思います。

“Hearts And Flowers”から“Into The Strom”ができた、と?

Phew:そうです。

ということは『Voice Hardcore』だけでなく『Vertigo KO』からのながれをふまえていた?

Phew:はい。

ギターは弾いたというよりは鳴らした――がちかいかな(笑)。ギターの音は好きでね、ここにギターの音があれば、と思って、やむをえず自分で弾いたんですが、こうしたい、でもできないというギャップは楽しかったですよ(笑)。

よくある質問ですが、『New Decade』を制作するにあたっての構想はなんだったんですか?

Phew:そうね、まず構想とかコンセプトから離れるということがおおきかったです。ひとつの音を出してその音に導かれて次の音が出てくるみたいなつくり方でみんな録音しています。最初に構想を立てるのではなく、なにもないところでまず音を出し最初の音が次の音を呼んでく。そのうえで“Into The Stream”などは途中にハイチのヴードゥっぽいリズムがほしい、と頭のなかでそれが鳴りはじめるようなことがあった、でも最初から決めていたわけじゃない。

電子音と声という枠組みはあっても内実は出たこと勝負だったということですか?

Phew:自分が出した音がどこに連れて行ってくれるかなということですよね。だけど、それを1枚のアルバムにするときに、ちょっと行き詰まったといいますか。とくに2020年にパンデミックになったじゃないですか。ずっと家にいて、出てくる音が閉所恐怖症的なものになると、自分で聴いていてもしんどいんですよ(笑)。中村さんにご連絡をいただいたのが2020年の1月で、その時点でアルバムにするだけの長さはあったんですけど、それで1枚にするのは私はいいとしても、聴くほうはヌケ感がなくてしんどいかもしれない。そんなことを考えていた今年1月、アルバムの制作も終盤にさしかかっていたころ、rokapenisこと斉藤洋平さんがANTIBODIES Collectiveの東野祥子さんの映像を撮るということで音楽の依頼があったんです。映像作品の場合、音楽をつけてはみたものの、うまくいかなくてボツテイクになるトラックがあるじゃないですか。それをアルバムにあてはめてみるとすごく解放感をおぼえた。その結果できたのが2曲目の“Days Nights”です。第三者の視点といいますか、あれはおおきかったですよ。第三者の依頼がなければ、ああいうリズムボックスの曲はできなかったですよ。

リズムのニュアンスから次の“Into The Stream”の露払い的なイメージでしたが、関連はなかったんですね。

Phew:後から並べてみた結果でした。

東野祥子さんは京都ですよね。

Phew:そう聞いています。

お会いして相談されたわけではなさそうですね。

Phew:全部メールとZoomです。斉藤さんはライヴのVJをやってもらったり、これまでご一緒させてもらったこともあるんですけど、東野さんはANTIBODIESの公演はみたことはありますけど、お話したことはなくて、いまはみんなそういう感じですすんでいくから実感がないですよね。

たしかに私も『Vertigo KO』のときもオンラインで、今回もそうですから、Phewさんとお話はしてもお会いしてないですもんね。

Phew:誰とも会ってないですよ。2日ぐらい前にひさしぶりに録音があって、そこに生きている人間がいるだけでベタベタさわりたくなっちゃいました(笑)。

わからなくもないですけど、では生活はたんたんと変わらず、といった感じでしょうか?

Phew:もともと積極的に外に出て行くほうではないので、ずっとうちにいるのは苦にはならないんですけど、それって選択じゃないですか。どこにでも行けるけど私は家にいるというのと、家に居ざるをえないというのはぜんぜんちがいますよ。

作品を音楽的な要素に分解して分類するのが正しいかはわかりませんが、『New Decade』を聴くと、電子音と声のほかに打楽器音が耳につきます。それとギターがあります。今回Phewはギターを弾かれたとうかがいました。

Phew:弾いたというよりは鳴らした――がちかいかな(笑)。ギターの音は好きでね、ここにギターの音があれば、と思って、やむをえず自分で弾いたんですが、こうしたい、でもできないというギャップは楽しかったですよ(笑)。

2000年代以降のアナログシンセのリヴァイヴァルはギター・サウンドの退潮とパラレルだったと思うんですね。アンチギター・ミュージックとして電子音といいますか。

Phew:だってギターは弾けなきゃはじまらないですか。電子音楽は(鍵盤楽器が)弾けなくてもできてしまう。パンクのとき、みんな楽器をもったことなくてバンドをはじめたということになっていますよね。でもやっぱり弾いているんですよ。スリーコードであってもコードを押さえているしドラムも稚拙とはいえエイトビートを叩いている、その点でパンクのなかでいちばんパンクだったのはモリ・イクエさんですよね。

私もDNAを思い出していました。

Phew:なにがもっともパンクかといえばDNAのモリさんのドラムですよ。だってね、パンクといってもみんなリズムを刻んで、どんなにズレていてもフィルインを入れたりしますよね。だけど、モリさん、DNAは曲の途中でドラムが止まったんですよ。これはすごいと強烈に思いました。ドラムはリズムを刻む楽器だという役割からこのひとは自由なのだと。『No New York』では、私は圧倒的にモリ・イクエさんのドラムとマーズですね。DNAはギターで語られることが多いじゃないですか。

アートさんのギターの革新性はよく話題になりますよね。

Phew:ちがいます(笑)。新しかったのはモリ・イクエさんのドラムです。ギターも好きですけど、新しいとか新鮮というのはちょっとちがう。ご本人はとくに意識していなくて、やりたいようにやった結果だと思いますが。逆説的にいうと、ほとんどのパンク・バンドは制度から自由じゃなかった。最低限のことはできるように練習はしましたから。

Phewさんも当時練習されました?

Phew:私はヴォーカルだから(笑)。ギターがヘタだとかいわれつつも、ちゃんと練習はしていたし巧い。今回ギターを演奏してみてギターをやっているひとはみんなすごいなと思った。Fがね。

何年音楽をやっているひとと話しているかわからなくなりますが、家にギターがあってもPhewさんはふだんギターを手にとることはなかったわけですね。

Phew:定期的にさわってはいたんですけど、コードという時点で止めちゃうんですね。かといってデタラメに弾いておもしろいことってそんなにないというか、すぐあきてしまう。弾けないと自由にあつかえないというかおもしろいことができるようになかなかならない。

そこまでわかっていてもギターの音がほしかったからつかってみたということですね。

Phew:頭のなかでピーンっという音、単音なんですが弦を弾いて出る音が鳴ったんですね。その弦の感じがほしかったんです。

“Into the Stream”にもその音がありますね。

Phew:ギターのノイズっぽい音がはいっていますね。

最初にとりかかった“Into the Stream”にギターがはいっているということは、ギターも音色のパレットの上に最初からあったということですね。

Phew:極一部ですけどね。それとB面の1曲目。CDだと4曲目の“Feedback Tuning”です。

最初につくったのが“Into the Stream”で最後“Days And Nights”だと、のこりの順番はボーナストラックの“In The Waiting Room”をのぞくとどうなりますか?

Phew:2作目が“Snow and Pollen”。3月で雪が降っていて花粉症と雪が一緒に来たということを歌っていたんですけど――

私はライナーで東日本大震災をひきあいに出しましたが、ひとつの考えということでおゆるしいただくとして、では3作目に手がけた楽曲は?

Phew:“Feedback Tuning”ですね。それから“Doing Nothing”~“Flash Forward”とつづきます。

そして最後が“Days And Nights”がくるわけですね。曲が出そろって最後に曲順を考えたということですか?

Phew:録りためた曲を並べつつ確認していたので、“Flash Forward”も最後のほうで撮ったんですよ。今年にはいってすぐくらいかな。全体的にあまりにも声がうるさいというかね(笑)。情報量のない曲が必要だと判断したんですね。

『Voice Hardcore』や『Vertigo KO』でも声はそれなりの比重を占めていたと思いますが、それらとはちがうんですか?

Phew:活字の情報をいっぱい調べていて、情報つかれが去年、今年とあると思うんですね。

「意味」ということですよね。

Phew:「ひとのことば」ですね。「意味」のないことをいっていても、人間の声はそこにあるだけで耳をそばだたせてしまう。私たちは意味があろうとなかろうと、声から情報をとろうとするが習慣になっている。それは自分の声だけじゃなくてひとの声もそうです。それがしんどい。どうしてもしゃべっているひと、声を出したひとのなにかが伝わってしまう。

私などは習性的にそこに意味を読もうとする傾向がつよいのかもしれません。Phewさんのおっしゃるとおり、2曲目や5曲目に疎らな空間があることでくりかえし聴けるポイントになったと思います。

Phew:この感覚っていまが最初ではなくて、震災後は歌を聴くのがしんどかったですよね。どうしようもないことが起こっていて、現にひとが進行形で死んでいて、それはどうすることもできない状況で、そんなときに音楽、歌って……というのと似ている気がしますよね。

それもあって震災から10年目にあたる今年世に問わなきゃいけないと考えたのではないか、とライナーで述べた気がします。

Phew:世に問うつもりはなかったですが、つながった気がしてすごく助かりました。でも自主制作じゃなくて中村さんから声をかけてもらって、外の世界とつながりができたのが、生き延びさせられてもらった感じがします。

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人間の声はそこにあるだけで耳をそばだたせてしまう。私たちは意味があろうとなかろうと、声から情報をとろうとするが習慣になっている。それは自分の声だけじゃなくてひとの声もそうです。それがしんどい。どうしてもしゃべっているひと、声を出したひとのなにかが伝わってしまう。

外の世界とのつながりであるとともに、『New Decade』のリリース元に〈Mute〉が名を連ねていることを考えると、過去とのつながりでもあると思います。

Phew:たしか92年だったと思いますが、『Our Likeness』というアルバムが〈Mute〉から出たのは来日した元DAFのクリスロ・ハースが私を探しあててくれたからなんです。

そうなんですか!?

Phew:はい。彼が私を捜しあててアルバムをつくりたいといってくれたんです。クリスロがドイツのコニーズ・スタジオでのレコーディングも〈Mute〉のダニエル・ミラーとのあいだもつなげてくれたんです。ダニエル・ミラーはクリスロをすごく買っていたというかファンだったんですね。クリスロがダニエル・ミラーに話して〈Mute〉からのリリースにこぎつけた。クリスロは80年代だったかな。コニーズ・スタジオに行ったときに見学に来ていたんです。クリスロは80年にコニーズ・スタジオに行ったときに見学に来ていたんです。

ああPhewさんのファーストのときですね。

Phew:当時私は彼のことは知らなかったんですけど、その直後にDAFの2枚目『Die Kleinen Und Die Bösen』(1980年)が〈Mute〉から出て、再会のときはなんとなく憶えていました。結局はコニーズ・スタジオでの録音がずっと尾を引いているということですよね。

クリスロ・ハースはなにかの仕事で来日していたんですか?

Phew:当時のパートナーが日本人だったんです。プライベートにちかかったと思います。

92年あたりだとPhewさんも東京にいらっしゃいましたよね。

Phew:そうですね。

知り合いつてでたどりついたということでしょうか?

Phew:前後の経緯は憶えていないんですけど、パートナーのひととクリスロと会って話がどんどんすすんでいきました。クリスロのパートナーはエツコさんというんですけど、ノイバウテンのメンバーとも親しくて、それでアレクサンダー・ハッケも参加することになったんですよ。

ということは『Our Likeness』ではクリスロさんがバンマス的な役割をはたしていたということになりますね。

Phew:そうですね。それとコニーズ・スタジオのクリスタ・ファスト、コニーのパートナーのクリスタと私はずっと友だちだったんですけど、彼女の尽力も大きかった。ふたりとも故人ですけどね。

クリスロさんは2004年に他界されました。

Phew:眠るように亡くなったと、クリスタから連絡をもらいました。『Our Likeness』はクリスロのおかげですよ。たしかそのときにダニエル・ミラーともロンドンで会いました。日本ではアルファ・レコードから出たのかな。

Phewさんのファーストと『Our Likeness』はディス・ヒートのファーストとセカンドの関係にちかい気がしますけどね。

Phew:そんな(笑)、ありがとうございます。ジャケットとかもぜんぜん知らなくて、ドイツのほうでみんなつくってくれました。

縁があったんですね。

Phew:さいきんアレクサンダー・ハッケとダニエレ・ド・ピシェット(Danielle de Picciotto)というハッケのパートナーから連絡があって、いまコラボレーションしているんですよ。ダニエレはラヴ・パレードのファウンダーのひとりで、ハッケ・ド・ピチェットというバンドもやっていて〈Mute〉から11月に出る予定です。

当時Phewさんは初期のDAFとかリエゾン・ダンジェルーズとかがお好きだったんですよね。

Phew:DAFの最初の2枚は大好き。ヴァージンに移ってからも好きですけどね。

Phewさんの音楽にクリスロさんからの影響があるとしたら、どういったところでしょう。

Phew:ヴァージンがアイドルとしてDAFを売り出すにあたってクリスロはDAFを追い出されましたよね。余計なメンバーを排除したわけです。そのときコニー・プランクがクリスロにはものすごく才能があるといって、Korgのシンセをあげたんですよ。これをやるから音楽をやれ、と。そのシンセを、『Our Likeness』の録音のとき遊びで弾いているのをみてびっくりしました。私はクリスロの演奏している場面はコニーズ・スタジオのレコーディングではじめて目にしたんですが、およそシンセで出そうにもない音を出している。音楽的な影響というのではないかもしれないですけど、音楽家はこうあるべきだという姿勢を、私はクリスロから学んだのはたしかです。影響というよりお手本かもしれないですね。彼のことはいつも頭にありますよ。当時彼に未発表音源を聴かせてもらったんですけど、すばらしかった。世には出ていないですけど、ほんとうにすごい。それはまわりにいたひと、アレクサンダー・ハッケなんかは口をそろえていうことです。でも彼は出さなかった。レコーディングでもすごく的確でした。なにかの音が足りないと思ったら、クリスロのアイデアで、コントラバスのちょっとした音をくわえてみる、すると途端に曲がよくなったりするんです。ミュージシャンが誰かのソロ・アルバムに参加する場合、いわゆる「演奏者」になりがちですが、クリスロはおおきな視点でみられる、捉えられるひとでした。リエゾン・ダンジェルーズなどは彼の才能のほんの一部で、あれだけのひとが自分の力を発揮できなかった音楽業界に対する不信感――みたいなものはやっぱりありますよね。

たしかに『New Decade』制作時のお話をうかがうと共通する構えのようなものを感じますね。ところで『New Decade』の全部のレコーディングが手離れしたのはいつだったんですか?

Phew:今年の3月の頭ぐらいだったかな。2月終わりか3月頭ですね。

即興といえば即興なのかもしれないですけど、いわゆる即興演奏ではないですよね。私は絵は描けませんが、絵を描いていると次はこういう色というのが描いていると出てくると思う、それにちかいんじゃないかな。

ボーナス・トラックの“In The Waiting Room”は未発表音源ですか、それとも新録ですか。

Phew:これは新たにつくりました。ちょうど〈Longform Editions〉というデジタル・レーベルから20分以上のトラックを提供してくれという依頼をずいぶん昔にうけていて、ずっととりかかれなれないでいたんですが、そのための作品としてつくっていた音源で、CDの最後にいれるのにふさわしい曲という両面から考えてあの曲になりました。

“In The Waiting Room”の曲名が次作への布石を思わせますが、すでになにか構想されているんですか?

Phew:次はね、考えてはいるんですけど、1枚のアルバムはひとの時間を奪うということじゃないですか。

はい、ひじょうにPhewさんらしいご意見だと思います(笑)。

Phew:出す側は1枚とおして聴いていただくことを念頭に置いていているんですね。じっさいそういう聴き方はあまりされないのでしょうけど、1枚分、40分なりの時間を奪わないアルバムということを考えています(笑)。まだぼんやりとした段階ですけど。だってね、3分や4分のMVが動画共有サイトにあげても、平均視聴時間を調べると全部みているひとってほとんどいないんですよ。何十秒、長くて1分。みんな時間を奪われたくないんだと思ったんですね。それでも音楽は時間にかかわってしまう。それを考えていて“In The Waiting Room”という曲ができたんです。20分以上の時間のなかでも、たとえば絵の展示ならひとが好きなように視線をめぐらせることができますよね。あのトラックは音のそういうあり方を考えてつくりました。次につながるかもしれないし、そうならないかもしれない。まあでももうつくっていますよ、いろいろ。4、5曲ありますよ。

どんなスタイルですか?

Phew:電子音です。わりといまはだた音を出しているのが楽しいですね。

それこそ10年という周期のなかで、Phewさんの純粋なソロの作品でも、最初は電子音だったものがちょっと変わってきていると思うんですね。ギターも、もちろん声もあります。だんだん変わっている、その総括としての「New Decade」の表題かなとも思ったんですけどね。

Phew:それはちょっと大袈裟かもしれないですけど(笑)、そういう部分もあるかもしれない。

アナログシンセを中心とした音づくりというよりは、ご自分のほしい音を追求するスタンスに変わったということでしょうか?

Phew:(作品が)完成するまでの段階に作為は必要ですが、つくる前にそういうことを考えるのはいっさいよそうと思っているんですよね。

“Feedback Tuning”などではひとの声をふくめた具体音を使用されています。それらの音も電子音やギターの弦を弾く音と同列ということになりますか?

Phew:あれはフリー素材なんですけど、なんとなくああいう音、ウッという声がほしいけど、それは自分のウッではないということで素材をつかったんですよね(笑)。それこそプロセスが導くんですね、そしてそれがおもしろい。

とはいえ即興ともまたちがう思考方法ですね。

Phew:即興といえば即興なのかもしれないですけど、いわゆる即興演奏ではないですよね。私は絵は描けませんが、絵を描いていると次はこういう色というのが描いていると出てくると思う、それにちかいんじゃないかな。

その喩えはわかりやすいです。

Phew:“In The Waiting Room”はそういう感じだったんです。待合室にいろんな退屈なものが並んでいる。お医者さんの尾待合室はすごく退屈じゃないですか。そのさい時計やかかっている絵なんかに視線をめぐらせる、そんな感じ。

ただ現代は退屈をことのほか敵視しますからね。待合室でもきっとスマホみていると思うんですよ。

Phew:よいわるいじゃなくて、でもそういうふうに変わってきているともいえるわけですよね。

現状を追認するばかりでも仕方ないとも思いますし、無視をきめこむと理解をえられないのかもしれないですね。その点でPhewさんの次作以降もすごく楽しみなんですが、MVについてもうかがっておきたいです。“Into The Stream”のMVはそれこそスマホでも視聴できますが、どういういきさつで撮影することになったのでしょう。

Phew:“Into The Stream”は青木理沙さんという『Vertigo KO』のときも映像を制作してくれた方にやっていただいたんですね。『Vertigo KO』のときはロケーションなどを私が提案したんですが、今回は青木さんにおまかせしました。

「Feedback Tuning」など、今回のアルバムには映像喚起的な楽曲もありますよね。Phewさんご自身がこんご映像を手がけられる予定はありますか?

Phew:7~8年前にやりかけていたんですけどね。

いまはなきスーデラ(SuperDelux)で拝見したことがあります。よかったですよね。

Phew:やりたいんですよ。映像って機材の問題があるんですよ。

いつも機材の話をされている気がしますね(笑)。

Phew:(笑)映像はデータが重いんですよ。自分のもっているパソコンだと編集ソフトが動かなくて、放ったらかしになっているんですけどね。

スーデラのときPhewさんのつくった映像がすごく印象にのこっていて、『Voice Hardcore』を聴いたとき、Phewさんのあの映像が頭で再生した憶えがあります。

Phew:今回は「Days Nights」のMVも塩田さんにつくっていただいたんですよ。はじめての映像作品みたいですよ。

ジャケットも塩田さんですよね。ジャケットのヴィジュアルのコンセプトを教えてください。

Phew:表1の写真は塩田さんが〈目から〉というタイトルで撮りためているなかから選ばせてもらいました。カーブミラーの写真です。

選んだポイントは?

Phew:まなざしですね。自分以外のまなざし、それが全部みている。そういうイメージです。抽象的ですけど、音に導かれて次の音が出て来て一枚のアルバムができた、そこに自分以外のまなざしというか、自分以外のものがあることが大切だったんですね。またこのジャケットがね、CDもLPも、こんな凝ったことムリだろうと思うくらい、とても贅沢なスペシャルな仕様なんですよ。実現できてすごくうれしかった、ぜひ実物を手にとってもらいたいです。

Abstract Mindstate - ele-king

 今夏に Kanye West が立ち上げたレーベル、〈YZY SND〉(=Yeezy Sound)の第一弾アーティストとして登場した、Olskool Ice-Gre と E.P. da Hellcat という男女デュオによるヒップホップ・グループ、Abstract Mindstate。実は2001年に 1st アルバム『We Paid Let Us In!』でデビューしており、さらに何枚かのシングルやミックステープを発表するものの、2000年代半ばにはすでにグループとしての活動を停止していた。知る人ぞ知るというよりも、実際はシカゴ以外ではほぼ無名の存在の彼らだが、『We Paid Let Us In!』にもプロデューサーとして参加していた Kanye West の提案により、約15年ぶりに本作『Dreams Still Inspire』にて復活することとなった。

 プロデュースも Kanye West が全曲手がけているのだが、ほぼ同じタイミングでリリースされた Kanye West の最新作『Donda』とのサウンド面での違いにまずは驚かされる。サンプリングを軸としたノスタルジックなプロダクションは2000年代半ばにリリースされた Kanye West の最初の2作『The College Dropout』、『Late Registration』を彷彿させるものだが、過去に作られた楽曲を引っ張り出してきたわけではなく、全て Kanye West が新たに制作したビートが使用されているという。アルバム・タイトルからも伝わってくるように、Olskool Ice-Gre と E.P. da Hellcat のスタイルはストレートなコンシャス・ラップで、イントロ的な一曲目 “Salutations” から長いブランクを経て復活した自らの状況をポジティヴに捉えたリリックが展開されている。例えるならば Kanye West もプロデューサーとして参加していた『Be』の頃の Common とも非常に近い匂いというか、40代以上のヒップホップ・リスナーであればあの時代のシカゴ・ヒップホップの空気感を思い出す人も少なくないだろう。

 ある意味、いまのヒップホップのトレンドとは全く逆行している作品でもあるわけで、アメリカでの評価は高くないというか、一部ではむしろ酷評すらされており、Spotify での再生回数も『Donda』の1000分の1以下だ。筆者自身も古臭さを感じないわけではないが、このアルバムにはどうしても惹かれてしまっている部分があるのは否めない。“I Feel Good” のようにシンプルに鳴り響くドラム・サウンドと2MCの安定感あるラップの組み合わせは純粋に格好良いし、先行シングルともなった “A Wise Tale” の多少説教臭いような内容のリリックも、声ネタを巧みに用いた Kanye West ならではのセンスの効いたトラックによって、良い意味でポップに仕上がっている。

 Abstract Mindstate を新レーベルの第一弾アーティストとして選んだのは、単なる Kanye West の気まぐれなのかもしれないが、いまなお革新的なヒップホップ・サウンドに取り組み続けている彼のルーツを改めて再確認するという意味でも、非常に興味深い作品だ。

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