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環境のための音楽か。環境についての音楽か。前者はブライアン・イーノが定義した最初期のアンビエント・ミュージック、対して後者はフィールド・レコーディングやさざまなサウンドのマテリアルを駆使したサウンドスケープを展開する現代的な音響作品であると仮定してみたい。
スウェーデン出身でアムステルダムを拠点とするサウンド・アーティストのBJ・ニルセン(BJ Nilsen)は後者にあたるといってよい。彼は90年代〜00年代以降、いくつかの名義を駆使して、さまざまな音響作品を作り続けてきたアーティストである。 ニルセンは環境音をベースに、細やかかつ大胆な電子音響ノイズをレイヤーさせる手法によって、都市空間とノイズの関係を考察/再考するようなサウンドスケープを創出してきた。近年はノルウェーとロシアの北極圏などにおける都市の音響領域と産業地理の問題を音響の側面から追及しているという(ニルセンには『The Acoustic City』という著作もあり、音とテキストの両面から活動をしているアーティストでもある)。
フィールド・レコーディングの手法による空間意識の自覚化・聴取という意味で、フランシスコ・ロペスの系譜にもあるともいえるが、とうぜん作風は違う。ニルセンはサウンドの融解を実践しているように思う。その意味ではロペスの次の世代のサウンドアートの発展に大きく尽力してきたアーティストのひとりといえる。
BJ・ニルセン、本名をベニー・ジョナス・ニルセン(Benny Jonas Nilsen)という。1975年生まれの彼は90年代はMorthound名義で活動を行い、インダストリル・ノイズ・レーベルの〈Cold Meat Industry〉などからアルバムをリリースした。00年代初頭はヘイザード(Hazard)を名乗り、〈Malignant Records〉、〈Ash International〉などからいくつかのアルバムをリリースする。
BJ・ニルセン名義としては、2004年に〈Touch〉から『Fade To White』をリリースして以降、多くのアルバムをソロ、コラボレーション問わず、コンスタントに発表してきた。ニルセンのアルバムは、いわば彼の音響研究の報告書、著作といった側面もある。聴取するたびに、世界と音響に関する思考に触れるような感覚を得ることができた。そして何より音響作品としてサウンドの質感や構成など、非常に美しい仕上がりでもある。
ニルセンの作品数は非常に多いのだが、それでもあえて代表作を選ぶとすれば2007年の『The Short Night』、2009年の『The Invisible City』、2013年の『Eye Of The Microphone』だろうか。個人的にはアートワークも含めて『The Invisible City』をおすすめしたい。見知らぬ街への旅先、その夜の空気のような音響空間がとにかく素晴らしいのだ。ちなみにこれらのアルバムはすべて〈Touch〉からリリースされた。
コラボレーション作品も充実している。2006年に〈Touch〉から発表したクリス・ワトソンとの『Storm』、2007年に〈iDEAL Recordings〉から出たZ'EVとの『22' 22"』あたりがよく知られている。私としては2014年に発表されたヨハン・ヨハンソンとの共作『I Am Here』をお奨めしたい。
ともあれ彼は多作である。ゆえにそのアルバムは00年代以降の電子音響作品を考える意味で重要な指針となってもいる。特に〈Touch〉というエクスペリメンタル・ミュージックの牙城ともいえるレーベルを中心にリリース活動をしたことの意味は大きい(もちろん〈Touch〉以外からのリリースも多くあるのは前提だが)。00年代中期以降の環境音と電子音響のレイヤーという〈Touch〉のレーベル・カラーをとてもよく象徴していたからだ。
そのBJ・ニルセンがもうひとつのエクスペリメンタル・ミュージックの老舗であり牙城ともいえる〈Editions Mego〉からアルバム『Massif Trophies』をリリースしたのが今から4年前の2017年である。思えばこのアルバムのリリースが今作『Irreal』の布石になっていた。今回取り上げる『Irreal』もまた〈Editions Mego〉からの作品である。
『Massif Trophies』はイタリアの高山であるグラン・パラディゾ山の登山時の環境音が用いられていたアルバムだったが、『Irreal』はオーストリア、ロシア、韓国、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクなど世界各国で録音された環境音がベースになっている音響作品である。世界各国の音の記憶が旅の記憶のように展開し、そこに高密度の電子音響がレイヤーされていく。
『Irreal』には長尺の曲が全3曲が収録されている。1曲め“Short circuit of the conscious thought”が15分20秒、2曲め“Motif mekanik”が12分50秒、3曲め“Beyond pebbles, rubble and dust”に至っては38分28秒にも及ぶ。どのトラックもじっくりとその音響空間に浸れる構成・構造となっている。
サウンドも環境音と電子ノイズやドローンのレイヤーが強靭かつ大胆に展開し、これまでのBJ・ニルセンの集大成ともいえる仕上がりだ。硬質な響きには聴覚の遠近法を変えるような「強さ」がある。しかもときにベースラインらしき音が低音部になるというこれまでにない試みも実践されていた。いわばエクスペリメンタルな音響作品のむこうにかすかに鳴るテクノの痕跡のような聴取感を得ることもできるのである。
アルバムを代表するトラックは38分を超える“Beyond pebbles, rubble and dust”だろう。この長い時間のサウンドを聴きいっていると、まるで洞窟の中に迷い込むような、もしくは氷河の音響を聴くような感覚になってくる。都市のサウンドスケープがやがて自然の極限のような状態へと変化する感覚とでもいうべきか。
都市と自然、空間と世界。満ちる音の波と音の集積、交錯と接続、融解と持続。『Irreal』の音響空間は、われわれに「環境」と「音」の関係性を意識させてくれる。ここにある音とそこにある音。聴こえる音と消える音。ニルセンは音をつなぎとめて、つないで、加工して、還元して、長い音響の持続を作る。
この『Irreal』は彼の最高傑作だろう。おそらくはレーベルである〈Editions Mego〉もそれを承知していた。マスタリングをシュテファン・マシュー、アートワークをスティーブン・オマリーが手がけるという最高の布陣で送り出された。そして今作がレーベル・オーナーのピタとBJ ニルセンとのおそらくは最後の仕事になった。
〈Editions Mego〉を主宰する電子音響作家ピタことピーター・レーバーグは、2021年7月23日に他界した。悲しい出来事である。「追悼」するには若すぎる年齢だ。彼が電子音響、グリッチ、エレクトロニカに残した功績の大きさを痛感することにもなってしまった。
レーベル側のアナウンスによると、ピタがリリースを手がけていたアルバムまでは確実に送り出されるとのこと。そしてピタがレーベル・オーナーとして関わっていた最後のアルバムのリリースをもって、レーベル最後のリリースになるという。とはいえ〈Ideologic Organ〉、〈Recollection GRM〉、〈Portraits GRM〉などの充実したサブ・レーベルは存続し、フランスの〈Shelter Press〉がリリースを担っていくという。ピタと〈Editions Mego〉の功績の大きさはこれからもより深く継承され、考察され、ピタ/メゴの意志や遺伝子は受け継がれていくに違いない。
この BJ・ニルセン『Irreal』は、レーベル・オーナーとしてのピタが早すぎた晩年に送り出した電子音響作品の傑作になってしまったわけだが、今は、この研ぎ澄まされた音響空間に没入しつつ、〈Editions Mego〉によって牽引されてきた90年代以降、00年代、10年代、20年代の電子音響/グリッチ/エレクトロニカなどのエクスペリメンタル・ミュージックの進化=深化に思いを馳せたい。
デンシノオト