「AY」と一致するもの

インディ・シーン団結しようぜ! - ele-king

 いま音楽にできることは何だろう? ことインディと呼ばれるシーンにできることは……どんなに小さくとも、そこに人が複数いればシーンだ。小さいシーンほど政府がアテにできないのはもうわかっている。だからといって白旗を揚げるのは冗談じゃない。自分たちのコミュニティが破壊されようとしているんだから。おたがい支え合うことがまず重要だ。
 これまで多くの刺戟的なアクトを輩出してきたイアン・F・マーティン主宰のレーベル〈Call And Response Records〉が、新型コロナウイルスの影響で危機に瀕している地元のシーンを支援すべく、日々サウンドクラウドなどに動画や音源をアップ、高円寺の音楽スポットを支援するための寄付金を募っている。
 日本のインディ・シーンはこのように無数の小規模なスペースや有志たちの手によって成り立っているもので、そのような全国のスポットにびっくりするくらい足を運んでいる猛者がイアンであり、この国のインディの状況をもっともよく理解している者のひとりである。彼による声明はわたしたちにとって大きなヒントを含んでいるので、以下に掲げておくが、これは現時点でのひとつの解ともいえるアクションではないだろうか。
 そもそも音楽がどういうところから生まれてくるものなのか──すでに被害が甚大な欧米の『ガーディアン』などメディアでは、来年秋頃まですっきりしない感じが長引くのではないかとも言われている現在、それを思い出しておくのはたいせつなことだろう。政府に補償を要求するのもたいせつなことだけれど、DIY精神やコミュニティへの眼差しを忘れずに行動していくことも、とっても重要なことである。(それは高円寺だろうが静岡だろうが京都だろうが)
 インディ・シーン、団結しようぜ!

キャンペーン・ページ:https://callandresponse.jimdofree.com/help-our-local-music-spots-地元の音楽スポットに救いを/
キャンペーン・ステイトメント:https://callandresponse.jimdofree.com/help-our-local-music-spots-地元の音楽スポットに救いを/campaign-statement/

地元のインディー音楽スポットに救いの手を!
(ENGLISH TEXT BELOW)
イアン・マーティン(Call And Response Records)

突如世界的なパンデミックが巻き起こり、世界中の多くの人々は現状を受け止めることが困難な状況にあります。いま私にできることは、微力ながらも自分のコミュニティのために何ができるかを考えることです。

Call And Response Records は、東京のライブミュージックシーン、その中の高円寺周辺から生まれました。高円寺は私たちのホームです。日本でコロナウイルス危機の対応が遅れさらに悪化するにつれて、ミュージックバーやライブ会場はますます困難な立場に置かれています。

私は幸運にも家に居ることができ、自分の部屋から執筆作業をすることができます。しかし、東京の独立した小さな音楽スポットのオーナーにとって、補償がないのでこれは簡単なことではありません。彼らは自分たちの生計を立てるために残され、皆にとっては恐ろしくて不安定な状況です。現状は誰もサポートをしないので、彼らの力になりたいです。店を開ければ批判と個人への誹謗中傷に直面し、店を閉めれば生計を立てられなくなり倒産へ追いやられてしまいます。

この危機を乗り越える為に正式な支援を求める運動をして居る方々がいらっしゃるので、今後少なくとも政府はこの問題を認識することを願います。取り急ぎ、できる限り早く、少なくとも Call And Response Records を支援してくれたいくつかの小さな会場・お店を助けたいと思います。

今、世界は混乱しており、おそらくあなた自身も問題を抱えているでしょう。Call And Response は、それを理解しています。しかし、これまで音楽に関わる活動を楽しんできた皆さんのために、私たちのコミュニティが集い、成長させる場所を与えてくれた、私たちの周りの音楽会場や音楽スポットについて考えてみてください。

また、ライブビデオと無料DL音源をこのページに集めて、人々が自由楽しめるようにする予定です。

そしてもし可能なら、少しのお金を支払うことで彼らを助けてください。

地元のインディー音楽スポットに救いの手を!

募金の寄付先については以下の3つのライブ会場、バーです。レーベルと私たちのコミュニティにとって、ここ最近で重要な場所となっている3つの小さなインディースポットにフォーカスしました。今後状況を見て、このページも随時アップデートしていきます。

Help us support our local independent music spots

By Ian Martin (Call And Response)

Seeing the massive devastation the global pandemic is causing to so many people’s lives around the world is overwhelming and difficult to process. The only way I can get through each day is by thinking small and thinking about what I can do for my own community.

Call And Response Records was born out of the live music scene in Tokyo, and the neighbourhood of Koenji in particular. It’s our home. But as Japan’s experience of the Coronavirus crisis drags on and gets worse, music bars and live venues are increasingly in a difficult position.

I am lucky enough that I can stay at home and do writing work from my room. But without support, that isn’t so easy yet for the owners of small, independent music spots in Tokyo. They have been left to fend for themselves, trying to stop their livelihoods falling apart in a situation that’s scary and uncertain for everyone. They face criticism and personal danger if they open, bankruptcy and the end of their livelihoods if they close.

There are people campaigning for formal support to help the music scene get through the crisis, so at least the government is being made aware of the problem. In the meantime, though, I want to at least help some of the places that have helped Call And Response Records if I can.

The world is in a mess right now, and you probably have your own problems. We at Call And Response understand that. But for those of you who enjoy what we do, just take a moment to think about the venues and music spots around us that have given us a place to gather and grow our community. We plan to upload live videos and free downloads, gathering them all on this page for people to take and enjoy freely. And if you can, please drop a bit of money to help.

With any donations we receive on this page, we’re focusing for now on three small, independent spots that have become important places to the label and the community around us in recent years. We will keep an eye on the situation as it changes and make any of our own changes if they seem appropriate (updates posted here).

Courtney Barnett - ele-king

 ぼくにだってロック少年だった時期がある、というのは去年のインタヴューでも書いたことだけれど、そのころ抱いていた世の中の見方、世界も社会も人間もすべてクソであり、例外はない──という明確に中二病的な、しかし歳を重ねたいまとなってはつい忘れがちになってしまう、きわめて重要な初心、それを思い出させてくれる点において、コートニー・バーネットはぼくにとってたいせつな音楽家である。
 そんな彼女がかの「MTVアンプラグド」に出演──と聞いて最初に思い浮かべたのは、だから、やはり、まあたぶん大多数のひとがそうだとは思うけど、10代のころ熱中していたニルヴァーナだった(むろんリアルタイムではなく後追いです)。ふだん重苦しいサウンドを奏でていたトリオがアコギの響きを活用し、まるでまったくべつのバンドであるかのような擬態を披露するという、そのメタモルフォーゼに当時は素直に感心した覚えがある(しかしこの90年代に販促の一手法として確立したアンプラグドなるスタイルって、ポスト・プロダクションにこそ活路を見出した同時代のポストロックとは真逆の発想だよね)。

 とそのような感慨にふけりつつ本盤を聴きはじめることになったわけだが、もともとアコースティックな側面の強かった “Depreston” は、チェロの際立つヴァージョンへと生まれ変わっている。続く “Sunday Roast” も同様で、弦が栄えるのはやっぱりアンプラグドの醍醐味だろう。叙情的なピアノが支配権を握る “Avant Gardener” でも、原曲における過激なギター・ノイズのパートをチェロが代用していて、かの弦楽器がノイズ発生装置としても活躍できることをあらためて思い出させてくれる。あるいは “Nameless, Faceless” のピアノなんかも、同曲のこれまでにない性格を引き出していておもしろい。
 まあここまではお約束というか、まずはそんなふうに既存の楽曲の変化をチェックするのがアンプラグドの楽しみ方だけれど、カート・コベインの歌うボウイやレッドベリーがそうだったように、カヴァー曲もまたアンプラグドの醍醐味のひとつだ。今回ボウイにあたるのが最後のレナード・コーエンのカヴァー “So Long, Marianne” だとすると、レッドベリーにあたるのは “Charcoal Lane” だろう。オーストラリアの大物シンガーソングライターであるポール・ケリーを招いて歌われるこの曲は、かの地の先住民の血を引く歌手アーチー・ローチによって書かれたものだ。

 この「一緒に並んで歩く」「一緒に話したり/一緒に笑ったり」というリリックは、オーストラリアなる国家の成り立ち=先住民の殺戮を踏まえて聴くと、マーティン・ルーサー・キング的なユナイトの欲望、すなわちかつての被害者と加害者の子孫たちがおなじテーブルにつくという素敵なドリームを想起させる。と同時に、このパンデミック下の状況ではまた新たな意味を伴って響いてくるから二重にせつない。
 思えばコートニーは今回のアンプラグドをなじみのバンド・メンバーたちと一緒に演奏している(完全に単独でやっているのは新曲の “Untitled” くらい)。チェリストだっているし、ゲストもポール・ケリーのほかにふたりいる。先日の木津くんのU.S.ガールズじゃないけれど、ここにはひとが集まって近距離でなにかをやることの素朴なよろこびがある。
 一緒に歩いたり、一緒に話したり、一緒に笑ったり。そんな「平常」が戻ってくるにはまだまだ時間がかかりそうだけど、二ヶ月前まではあたりまえすぎてつい忘れがちになってしまっていた、でもきわめて重要な初心、それを思い出させてくれる点において、このアルバムもまたきっとぼくにとってたいせつな1枚となることだろう。

KURANAKA & 秋本 “HEAVY” 武士 × O.N.O - ele-king

 今年でなんと25周年(!)を迎える KURANAKA a.k.a 1945 主催のパーティ《Zettai-Mu》が、4月25日(土)にストリーミングにてライヴ配信を敢行する。題して「Zettai-At-Ho-Mu」。もともと24日に開催される予定だった NOON でのパーティに代わって開催されるもので、秋本 “HEAVY” 武士 と O.N.O によるスペシャル・セッションもあり。これはすばらしい一夜になること間違いなしでしょう。なお視聴は無料の予定とのことだが、投げ銭のような仕組みも試験的に導入されるそうなので、アーティストや運営・製作に携わる人たちをサポートしよう。

[4月23日追記]
 上記の「Zettai-At-Ho-Mu」ですが、開催が5月23日(土)に延期となりました。詳しくはこちらをご確認ください。

 今ほど、人々が財政に関心を持った瞬間があっただろうか。


 日本政府と為政者のあまりの無能さに、多くの人が「日本ヤバい」と感じ始めているのではないだろうか。コロナウィルスの感染拡大とともに広がる経済的な災禍を前に、人々の積極財政を求める声が日増しに大きくなっている。

 前回、拙コラムでお伝えしたように、公務員数やその人件費、国立感染研や保健所の施設数や予算、病院のベッド数を削減し続け、危機に脆弱な社会構造にしてきた犯人は緊縮財政であったことは明らかだ。しかし、政府はこの期に及んでも病院の統廃合を促し、ベッド数を10%以上も減らす予算案を閣僚折衝で合意、一方では、前維新代表で元大阪府知事・大阪市長の橋下徹氏は「僕の改革で今、現場が疲弊している」としながらも「無駄は要らない」と居直る傍若無人ぶりだ。ネオリベ改革の狂気をまざまざと見せつけられては、人々の批判の声が止むこともない。

 4月7日に発表された政府の経済対策の事業規模は、GDPの20%に相当する108兆円規模になるという。しかしこの大本営発表は、最大限控えめに表現しても「ウソ」である。真水と言われる政府の新規支出額はわずか16.8兆円であった。日本政府は常に実体を大きく見せる誇大広告のトリックを使うが、この事業規模とは、政府支出により拡大する民間の投資額も含めた数字なのだ。追加の財政支出とされた29.2兆円の内訳は、昨年12月に閣議決定された事業規模26兆円の経済対策の未執行分や貸付拡大枠、財政投融資や徴税徴収の猶予なども加えるというセコい手を駆使した結果だ。国民を欺こうとする意図が透けて見えるどころか、隠そうともしない姿勢には閉口せざるを得ない。



出典;れいわ新選組・山本太郎代表のツイッターより「令和二年度 補正予算概要」

 実際の補正予算は上図のようになるが、我々国民が、竹やりだけ(マスク2枚)を持たされて本土決戦を迎えようとしている状況に、同日のツイッターでは「#ドケチ政権」がトレンド入りしていた。実際に、安倍首相が示した方針の中における各施策も、いわば、まさに、目を覆いたくなる酷さだ。政府は、「お肉券」「お魚券」があまりにも不評だったため、今度は旅行と飲食に使えるクーポンを発行することを決めた。幼稚なネーミングが批判対象になったと勘違いしたからか、「Go to Travel, Go to Eat」と名付けたクーポン券にするらしい。大喜利でもやっているつもりだろうか。

 また、日本政府は「コロナは戦後最大の経済危機」と見立て、子ども1人当たり1万円を給付する方針でもあるという。しかも6月にたった一回に限って支給するという、戦後最大の経済危機への対策がおこづかい程度の1万円とは、絶望しか感じえないだろう。

 他にも政府肝入りの対策として発表された「30万円の現金給付」、「雇用助成金制度」、「持続化給付金」も、中身を紐解けば酷いものだった。大本営の大々的な宣伝とは実態は大きく異なり、給付要件を厳しく設定し、対象も狭めるような、誇大広告に他ならない内容だった。消費者庁に通報して良いレベルだろう。

 忘れてはならないのが、1月23日に武漢が閉鎖された翌日の1月24日に、安倍首相は中国人観光客に対し、わざわざ春節ウェルカムメッセージを公開し、感染者の国内流入を後押ししたことだ。その自らの失政と緊急事態宣言により、営業休止に追い込まれた飲食店等への個別補償も「バランスを欠く」として否定しているのだから、批判を免れようはずもない。

 政府は給付対象を限定し、そして例え申請したとしても多くが給付されない制度の立て付けにした。給付要件を複雑にするのは、給付希望者を役所に来る前段階でふるいにかける為だろう。どうしてもお金を払いたくないから、事前に諦めさせようとする作戦であろうと思われる。さらに言えば、給付対象者自身が市区町村の窓口などに申請する自己申告制とし、申請時に所得が減少したことを示す資料の提出を求めているが、ただでさえ忙しい市町村の役所に、申請者が押し寄せることは不可避である。役所が感染クラスター化して機能不全に陥る可能性も想像もできない政府のあまりの無能さには頭がクラクラする。

 「日本政府のヤバさ」は他国の経済対策と比べると、より際立つ。国公労連の雑誌「KOKKO」編集者・井上伸氏は4月2日に、ツイッターで「IMFの調べ」として以下のように報告している。

 アメリカでは先週の失業数が660万を超え、僅か3週間で1600万人に達した。我が国でも緊急事態宣言が発せられた今、多くの人々が仕事を失うというのだから対岸の火事ではないが、そのアメリカでは先般議会審議を通過した2.2兆ドル(=240兆円・金融の流動性担保の4250億ドル=46.75兆円の予算を抜いたとしても193兆円))規模の経済対策に加え、さらに220兆円の財政出動、合計して総額460兆円規模の対策が予定されている。

 アメリカの240円規模の支出案に関しては、筆者のブログで詳細を報告しているのでぜひ参考にしてもらいたいところが、先日のれいわ新選組・山本太郎代表の配信番組でも取り上げてもらったことから、その重要性もご想像いただけるだろう。とにかく、アメリカは想定されうるありとあらゆるものに予算をつけているのだ。(リンク先の食料供給危機に対する米国の予算や国連・WHOの報告、先進各国の対策についてもぜひ注目いただきたい)


出典:筆者が複数のメディア情報を元に作成


 アメリカの支出案には年収約1000万円以下の、全ての国民に対する一律現金給付13万円(子供には約6万円・夫婦二人世帯なら26万円・年収約850万円以上は減額)という施策も含まれるが、世界各国でも同じような策を講じている。日本政府による「休業要請はするが補償はしない」とするわけのわからない休業補償・現金給付案とは大違いだ。

 早くから国民への一律現金給付を決めた香港(約14万円)、シンガポール(約24万円)の対策は広く知られるところだが、イギリス、フランス、ドイツの経済対策にも注目してみよう。EUではすでに、三月中から安定成長条約(SGP)といわれる財政健全化策が停止され、柔軟な財政政策を組むことが可能となって、各国が巨額の支出策を予定している。

 イギリスでは、3,915億ポンド(約52.4兆円)の経済対策を講じる。企業への220億ポンドの給付パッケージの支払いもすでに始まっていて、中小企業は2万5000ポンド(約330万円)の助成金を受け取り始めたという。

 労働者の給料の最大80%、ひと月あたり最大2500ポンド(約33万円)を補償する計画も進行している。この施策には自営業者の95%が対象とされるというが、これらの雇用維持のための費用は3ヶ月間で300~400億ポンドに膨らむとも予想される。

 また、企業の付加価値税(消費税)支払いを6月末まで猶予し、中小企業への無利子融資、家賃補償には10億ポンドの予算もつけ、三カ月間の住宅ローンの猶予する数々の施策も用意する。財政措置のほかには300億ポンドの税金の猶予措置、3310億ポンドの金融流動性措置もあげられる。

 フランスの緊急支援措置は5,592億ユーロ(約66兆円)にのぼる。企業が労働者に総給与の70%(最低賃金労働者には100%)を支払うことを二か月間補償するために85億ユーロ、収益が半減した中小企業に約60億ユーロ、税金や社保料の減免に320億ユーロ、債務返済モラトリアムに1,800億ユーロ、公共料金(ガス、電気、水道)や家賃の猶予に350億ユーロ、国民保健システムに20億ユーロ、その他の企業への金融流動性とローン保証措置に3,020億ユーロなどの予算を予定している。

 また、国民生活に必要な食料を販売するスーパーマーケットの従業員には1000~2000ユーロ(約11万7000円~23万4000円)のボーナスも提案されているという念の入りようだ。苦境にある小規模事業所・自営業者・フリーランスには、第1段階として1500ユーロ(約18万円)を即時支給したともいう。

 ドイツでは憲法で巨額な負債を禁止しているが、それを一時的に外し対応にあたる。当面の財政支出として計上した2,360億ユーロ(27兆8500億円)をはじめ、納税猶予や金融流動性の担保等を含めて2兆600億ユーロ(242.8兆円)の措置を予定している。

 予算の内訳は、企業支援に1,850億ユーロ、零細企業・個人事業主への直接助成金が500億ユーロ、法人税等の減免・延滞費として5,000億ユーロ、児童手当や所得支援などに77億ユーロ、健康保険会社に50億ユーロ、医療緊急対策に35億ユーロ、その他の企業への金融流動性とローン保証措置に1兆3220億ユーロなどとなっている。

 また、中小企業は面倒な審査なしに、まずは1回限りの5000ユーロ(約65万円)の援助が受けられ、子育て世帯には直接給付があり、在宅せざるを得ない親に所得の67%が保障されている他、住居費や公共料金の支払い猶予などの措置も定められているようだ。

 ほかにもスペインではベーシック・インカムが導入される予定で、経済大臣が恒久化も見越していると発言、カナダでは緊急対策手当として仕事や収入を失った人に毎月2000ドルを最大4ヶ月給付することを発表している。

 さて、このように日本と他の先進各国との経済対策をつぶさに比較すると、改めて嫉妬とも憤怒とも絶望ともつかない感情が沸き上がるのではないだろうか。世界の先進国が同じ課題に取り組む機会は多くは無いが、今回のコロナ対策では残酷なほど指導者の力量の差が出ている。あのトランプやボリス・ジョンソンですら国民と真剣に向き合い、適格な疫病・経済対策を打とうとしているのだ。我が国の首相の無能さを改めて論じる必要もないだろう。

 ゴールドマン・サックスによると、完全な都市封鎖もなく、まだ感染爆発も起こっていない日本のGDP成長率(4-6月期/同期比年率)が、マイナス25%と予想された。同社は米国の同期GDPをマイナス24%と予想しているが、米国では死者が1万5000人にも迫る大惨事となっている違いを忘れてはならない。

 また、OECDは「もし都市封鎖が3か月続き、(有効な対策を取るなどの)相殺する要素がなかった場合、一時的にGDP総額の20-25%、年間のGDP成長率で4-6%押し下げる」と報告していて、最も影響を受けるG20の国は日本(GDP総額でマイナス30%以上)であると位置づけている。残念ながら、日本政府が有効な対策を取れているようには思えない。OECDの予測する筋書きを歩む可能性も十分にありうる。


出典:松尾匡・立命館大学教授「そろそろ左派は経済を語ろう」より

 この惨禍が、政府の愚策のおかげであることすら知ることなく、自ら命を絶つ人も増えるだろう。絶望の中、我々は、コロナと、そして政府とたたかわなければならない。しかし、我々国民には財政主権がある。困っている人を助けるためにこそこの財政主権を使わなくて、いつ使うというのだ。

 緊縮財政の優等生ドイツでさえ、憲法にある均衡財政のくびきを断ち切って、人々の生活を支えようとしている。それほど、自国に生きる人々の基本的人権、生存権や幸福追求権を守らなければならないと奮起したからだろうし、それは民主主義国家であれば当然のことだ。国民国家は、国民がいなくなれば国家が成り立たないのだから。

 外国の政策担当者が「今は戦時中だ」というような言葉を発するのを聞くことも多い。ドイツのメルケル首相は「第二次世界大戦以来最大の危機」と発し、フランスではマクロン大統領が「戦争状態だ」と宣言している。フランスは来る食料供給不足を見越して、休業中の人を農業労働にマッチングさせる「農業部隊」政策を始めた。戦時下では、生き残るために必要な分野に労働力を移動させ、需給バランスをコントロールしなければならないのだ。

 ケインズは1939年に「How To Pay For The War(戦費調達論)」と題した短い書籍で、どのように平時の産業構造から戦争の為の産業構造に切り替え、国債や租税の力も借りながら、人々の消費と貯蓄、そして物価をコントロールすることで、その戦費を調達し後に返済するかを論じた。そのなかでは低所得者には減税し、より多くの報酬を払うようにと強調されている。

 公共投資により需要を創出するという、「一般理論」における彼の主張は、皮肉にも戦争という公共投資によってその正しさが証明されることとなった。ケインズの言葉を引用しよう。

もし我々が、軍備という無駄な目的のために失業を解決し得るならば、平和と言う生産的な目的のためにもそれを解決できるはずだ。 ジョン・メイナード・ケインズ

 今回のコロナ禍の影響もあり、残念ながら大統領選から撤退してしまったサンダース大統領候補の経済顧問で、MMTの創設者でもあるステファニー・ケルトン教授は「How to pay for the war」について、以下のように語る。

有名なケインズの「戦費調達論(How To Pay For The War)」は、過度なインフレを起こさずして、どのように 消費財の生産を中心とした経済から戦争をするための生産を中心とした経済へと転換させるかが書かれていましたが、ここで重要な点は(それと逆のことをやっても)物価がコントロールできるということです。 ステファニー・ケルトン教授

 言うまでもなく、物価は需給の増減により決定づけられる。ケインズ主義やMMTの真髄とは「需給のコントロール」により、いかにして完全雇用を実現するかだ。現在のような非常事態においては、まずは命を守るための国費の投入が、そして人々を失業から守ること必要だが、需要に対して供給能力の足りなくなった医療・物流・食糧・保険分野などには、労働力を投入しその供給を支えなければならない。今こそ政府が社会的共通資本に資金を投じて強固な国づくりをすべきだろう。

 一時話題となった布マスク二枚が全国に郵送され始めたようだ。政府は、やろうと思えば即時に郵送で国民に物資を届けることができるということだ。であれば、米国のように政府小切手を郵送することも可能である。これこそ、MMTで語られる内生的貨幣供給論と言われる信用創造そのものではないか。実態経済市場に新たに通貨を創造させることになり、コロナが去った後には需要を生むことにもなるだろう。

 さあ、我々が何をなすべきかわかってきた。財政主権を手に、政府に語りかけよう。

Aphex Twin - ele-king

 先日この緊急事態における注意喚起のメッセージをポストし、その後 user18081971 名義でいくつかのトラックを公開し続けていたエイフェックス・ツインが、急遽、本日4月10日の18時にライヴ・ストリーミングをおこなうことになった(ロンドン時間、日本時間では4月10日の26時=4月11日の深夜2時)。配信されるのは昨年の9月に録音された「ウェアハウス・プロジェクト」のフル・セットで、ユーチューブフェイスブックのページをとおして共有される。映像は彼の相棒としてすっかり定着した感のあるワイアードコアが担当。今週末はお部屋でブレインダンス!

 以下は、最近サウンドクラウドにアップロードされた6曲。

いまやキャラクターとして全国の音楽ファンで知らぬ者なき『レコスケくん』を生み出した本秀康、待望の最新画集発売決定!


『WORLD RECORD』のジャケを、どうしても本さんに描いてもらいたくて会いに行った。(本誌対談より)
──髙城晶平(cero)

本さんが僕に気づいてくれて、「おお、なんか始まったぞ」って感じがした。(本誌対談より) ──前野健太
本さんはめっちゃわたしのなかにバーン!っていますよ。(本誌対談より) ──カネコアヤノ


ファースト画集『ハロー・グッドバイ』から20年、セカンド『MOTO book ~本本~』から12年(干支ひとまわり)。

そして今回のサードは、ルーツロックからアジアン・ポップス、日本インディーまで、古今東西の音楽をこよなく、かつ偏愛し続けてきた本秀康ならではの「ミュージシャンと音楽」に徹底的にこだわったセレクト!

自身で主宰する7インチ・レーベル、雷音(ライオン)レコードのジャケットの原画をはじめ、この12年に本秀康が手がけた数々のジャケット、表紙、グッズデザインなどに使用された作品の原画をほぼ初出しで掲載します!

カネコアヤノ、前野健太、髙城晶平(cero)との特別対談も掲載!

本秀康、初めての全部音楽の画集!

デザイン:岡田崇

本秀康 (MOTO, Hideyasu)
1969年(ロックの年)京都生まれ。イラストレーター/漫画家/7inchレコードレーベル「雷音レコード」主宰。著書に『レコスケくん』(ミュージック・マガジン)、『あげものブルース』(亜紀書房)、『ワイルドマウンテン』(小学館)、『たのしい人生 完全版』(青林工藝舎)などがある。


オンラインにてお買い求めいただける店舗一覧

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disk union (通常版、オリジナル特典あり)
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紀伊國屋書店
丸善/ジュンク堂書店/文教堂/戸田書店/啓林堂書店/ブックスモア

R.I.P. Krzysztof Penderecki - ele-king

  クラスターなる文言をはじめて意識したのはもちろんこのたびのコロナ騒動ではなく、じつはメビウスとレデリウスによるクラウトロックの大看板であるあのクラスターでもなく、ペンデレツキだった──かもしれない、といささかぼんやりした文末になったのは私は音楽にのめりこみだしたのは十代のころ愛聴したNHK FMの『現代の音楽』だったのは以前にも述べたが、ある日いつものように夜更かしの友のラジオに耳を傾けているとスピーカーのむこうから耳慣れない単語が聞こえてきた。現代の音楽にはトーン・クラスターと呼ばれる技法があり、切れ目なく、五線紙上の一定の領域をぬりつぶすかのような音(トーン)の塊(クラスター)は聴感上つよいインパクをのこすと番組司会者は述べられ、例にあげた作曲家のなかにペンデレツキの名前もあった。記憶はさだかではないが、おそらく東欧の作曲家を特集していたのであろう、ペンデレツキというツンデレした名前とともに消えのこったトーン・クラスターのことばの響きのかっこよさに中学生だった私はころりとまいった。前衛的な音楽に興味はめばえていたとはいえ、譜面上でくりひろげる難解な方法を理解できるはずもなく、そもそも譜面どころかその手のレコードが入ってくる気配さえないシマの一画にあってはトランジスタラジオがキャッチするヒットなナンバーがたよりで、それとて音の断片や片言隻句を跳躍台に想像の翼を広げなければ歴史に眠る音楽の鉱脈の尻尾はつかめない、そのような環境でトーン・クラスターの方法は名は体をあらしてわかりやすく、ロックもジャズも、1980年代なかごろだったので当時すでにラップもチャートにあがっていたが、雑駁にそれらを聴取する中坊には訴えかけるなにかがあった。
 ブレスのない稠密な音の帯はつよさにおいてはノイズを、時間のながさではドローンを想起させ現象する音楽の前衛性を担保する。私ははじめてトーン・クラスターを認識したのは80年代なかばだったと書いた。当時の楽壇の趨勢はさておき、ミニマリズムをひとつの境に、このときすでにモダニティを体現するものとしての前衛はその歴史的役目を終えた観なきにもあらず、前衛らしい前衛といえば、万博のパビリオンがそうであるようにおおぶりでそのぶんかさばる感じがあった。そのような印象は作品に重厚なオーラをまとわせる反面音楽の顔つきをいかめしくもする。西ヨーロッパと北米という西洋音楽の中心地では音楽の前線の担い手は前衛から実験へと移っていた。前衛と実験の相違点については、私は幾度となく述べ、単純に腑分けできない両義性を前提に、作品の結果が予測できるか否かという基本的見地ひとつとっても、楽理の領域をひろげるほど新しくありながら細部までコントロールの利いた(結果が予測できる)音楽作品、いうなれば「全体音楽」としての前衛は、私がはじめてペンデレツキの音楽にふれたころには機能不全におちいりかけていた。とはいえときはいまだ1980年代なかば、共産圏と資本主義が対立した冷戦構図は人々の世界認識の土台をなし、ペンデレツキの故国ポーランドは東側の大国だった。むろんそこには歴史的な経緯がある、ポーランドのたどった数奇な命運はおのおので調べられたいが、前世紀二度の大戦に翻弄されたかの国の歴史は1933年生まれで、3歳年長の野坂昭如いうところの焼け跡世代にあたる作曲家の作品にも消せない影をおとしている。ポーランドでは戦後、ペンデレツキのみならず、ポーランド楽派の始祖ルトスワフスキをはじめ、作曲家集団グループ49の面々や同世代のグレツキをふくむ前衛派が台頭するが、その趣きは独仏伊と英米をのぞく欧州周辺およびスラブ地方に散発的に興った往年の国民楽派とかさなるものがあった。民俗と風土、すなわち国民国家を背景におくものとしての音楽。20世紀中葉のポーランドの作曲家たちの肥沃な作品の数々をこのことばに集約するのは乱暴だとしても、私が彼らに惹かれた理由のひとつにはピカピカにポストモダン化した西側諸国の失った翳りのようなものにあったのはまちがいない。それこそレトロスペクティヴの記号ではないかとおっしゃられると返すことばもないが、モダニズムの旨味も往々にしてそのような影の下にかくれているもの。前衛とは王道の影であるからこそ、ときに彼方まで伸張するのである(逆に短くもなったりするが)。
 2020年3月29日日曜日、ポーランド南部のクラクフ、生地でもあるこの町の近郊で86年の天寿をまっとうしたクシシトフ・ペンデレツキがその前衛ぶりを歴史に刻印したのはなんといっても他界する60年前、26歳のころの“広島の犠牲者に捧げる哀歌 Tren ofiarom Hiroszimy”であろう。この10分にみたない激越な哀歌は冒頭で述べたトーン・クラスターのお手本でもある。
 編成はヴァイオリン24艇、以下ヴィオラ10、チェロ10、コントラバス8の52の弦楽器群。それらがそれぞれの最高音や最低音を爪弾き弓で擦り叩き、場合によっては駒の後ろ側を弾いたりボディを打ちつけたりする、ペンデレツキはそれらの音を審美艇に空間に配置するというより一本の糸のように撚り合わせ、すると密集する音は塊(クラスター)となり意思をもつかのようにうねりはじめる。各楽器群は少数の班にわかれ、冒頭ではそれらにより音響をつみあげる書法をとるが、数秒後には退潮し、弱音から音の遠近を強調した空間性の高い表現へ、さらにまた音塊化した音まで、自在に闊達に変化する、にもかかわらず、全体に重力のようなものを感じるのは束になった弦の音がくっきりした輪郭を空間に描くからであろう。アヴァンギャルドクラシック──というのも語義矛盾だが──の名に恥じない名曲であり、未聴の方はなるたけ大音量でお聴きいただきたいが、“広島の犠牲者に捧げる哀歌”はペンデレツキという作家のもうひとつの特徴もひじょうにうまくいいあらわしている。ご承知のとおり、この曲の題名は第二次世界大戦時の広島への原爆投下による犠牲者を哀悼する曲であることを意味している。ところがペンデレツキがこの曲をわずか2日(!)で書きあげたとき、最初につけた題名は曲の長さを示す“8分37秒”とそっけないものだった。ケージの代表曲(?)“4分33秒”の向こうをはるかのごときそこはかとない野心も感じさせる題名だが、それが数度の国際コンクールへの出展を経て、私たちがよく知る当のものになった。その理由を、ペンデレツキは広島の原爆投下にまつわるドキュメンタリーをみたことにもとめ、そこに彼自身の戦争体験と共鳴するものをみとめたがゆえの変更だったと述べる一方でかならずしも政治的な見解を示すものではないと注意もうながしている。このことは“広島”がなんらかの言語的な主題(文学性)をもった標題音楽ではなく、真逆であることを意味する。と同時に、いちどでも意味を付与したものはもはやそれなしで語れないということばと事物の意味作用における厄介な関係性を暗示する好例でもある。むろんそこにはペンデレツキの音楽の映像を喚起する力をみなければならないのだが。あるいは大きな物語を記しうる最後の時代の国民作曲家が代弁する集合無意識とでもいえばよいか、いずれにせよこのような音楽とイメージのポジとネガが反転するような関係はポーランド楽派の重鎮にもうひとつの顔をあたえもした。
 すなわち映画音楽の分野である。彼の名をサウンドトラックをとおして耳にされた方もすくなくないであろう。フリードキンの1973年の『エクソシスト』はじめ、キューブリックの『シャイニング』(1980年)、リンチ作品では1990年の『ワイルド・アット・ハート』や2017年放映のテレビ版『ツイン・ピークス』にも、名だたる監督の歴史的名作がサウンドトラックにその楽曲を収めている、その点でペンデレツキは映画音楽の作曲家でもある。もっともスクリーンにながれる彼の音楽はもともと映画のために書きおろしたものではない。たとえばキューブリックの『シャイニング』、ジャック・ニコルソン演じる主人公ジャックが冬のあいだホテルの管理人の職にありついたのを妻に電話で知らせるシーン。超能力をもつ息子ダニーはやがてむかえる惨劇を予知し、ホテルのエレベーターホールを血の海が満たすヴィジョンをいだく。この映像にキューブリックはペンデレツキの1974年の“ヤコブの夢/ヤコブの目覚め”をあわせるのだが、題名からおわかりのとおりこの曲の材料は聖書である。むろん教典はかならずしも現代人の人倫にかなうことばかりではないのでこれをもって瀆神的とはいえないし、禍々しさは美しさの陰画なのかもしれない。オラトリオの一種だとすると、1965年の合唱曲“ルカ受難曲”の緊張感の高さ、調性感の薄さこそ、ペンデレツキの作品にあらわれる宗教観なのではないか。そもそも私たちは“広島”について述べたさいに標題がもたらす錯覚に留意すしといっていなかった——などといった堂々めぐりにおちいりがちなのも、ペンデレツキの音楽の多面性に由来するであろう。『エクソシスト』のサウンドトラックがおさめる名曲「オーケストラとテープのためのカノン」(1962年)になぞえらえるなら、ペンデレツキは音と意味(言語)のカノンが通用した時代、モダニズム(前衛)の最良の時代を体現したひとりであり、70年代後半以の保守化の波にのみこまれた点でも前衛らしい道行きたどった作曲家だった。晩年は病の床に伏せていたというが、YouTubeには「Polymorphia」(この曲も『エクソシスト』のサントラに入ってます)をみずから振る元気なペンデレツキの動画があがっている。ご覧いただくと、作曲家がいかにして弦楽器から多様な響きをひきだしたか、苦心の一端がかいまみえよう。“広島”のころはこんな弾き方すると楽器がいたむからと楽団に演奏を拒まれたこともあったという。いまではそれが現代の音楽を代表する一曲となり、世界各地の舞台にかかりつづけている。私は読者諸兄には機会があれば“広島”の譜面を手にとっていただきたい。音楽があらわすものの奥行きと広がりを視覚的に理解するとともに、そこにいたる課程に思いを馳せれば、前衛とは発明の異名でありその道ははてしないとおわかりいただけるであろう。ざんねんながら、クシシトフ・ペンデレツキの前衛の道は2020年3月29日をもって途切れた、いや途切れたかにみえて、20世紀音楽の歴史のピースとして、恐怖をよびおこすフィルムのいちぶとして私たちの日々に潜在し、凡庸な響きにあきあきした耳を未聴の領野や誘いだそうと働きかけることはおそらくまちがいない。

Guided By Voices - ele-king

 ガイデッド・バイ・ヴォイシズはもうアルバムを作らなくなっている。というか、少なくとも一般的な意味での「アルバム」は作らない。だが、ガイデッド・バイ・ヴォイシズはそもそも通念的な「ロック・バンド」ではないわけで、したがってそうなっても不思議はないのかもしれない。
 いつ頃からこの状態になったかははっきりと特定しにくい。1980年代のオハイオ州デイトンで、中心人物にして全活動期間通して参加している唯一のメンバーであるロバート・ポラード宅の地下室にふらりとやって来たほとんど雑多と言っていい顔ぶれからはじまった彼らは、ある意味普通に言うところの「バンド」だったためしはなかったのだから。そこから彼らの生み出したボロくくたびれたローファイな傑作群は、USインディ界のオリジン・ストーリーのひとつに型破りでときに困惑させられもする奇妙な背景をもたらしていった。それでも、バンド初期にあたる80年代からもっとも長い散開期に入った2004年までの間に彼らの放出した作品の多くは、ユニークかつしばしば特筆に値する内容を誇る一連の作品群として熱く聴きこめる。これらのアルバムは、ひっきりなしに変化を潜っていたこのバンドがそのときそのときの状況に応じて発した反応をくっきり刻んだものとして理解し消化できると思う。

 そうなった理由として、レコード・レーベル側のプロモーションおよび作品流通スケジュールという縛りは部分的に影響していたかもしれない。ゆえにガイデッド・ヴォイシズというブランド名が発する作品は1年か2年に1作程度に絞られることになり、ポラードは氾濫する膨大なソングライティングの流れをソロ作や数多のサイド・プロジェクトへと向けることになった。実際、2004年に起こったガイデッド・バイ・ヴォイシズの「終結」以来(註1)、ポラードは自らのレーベルを通じ、復活したガイデッド・バイ・ヴォイシズのふた通りのラインナップも含む多種多様な自己プロジェクトで実に50枚以上(数えてみてほしい!)のアルバムを発表してきた。折りに触れてでたらめにすごい勢いで時間の裂け目から流れ出し現在に漂着する、忘れられていたガレージ・パンクの古いヒットやレア曲の尽きることのない泉か何かのように。
 では2020年のいま、ガイデッド・バイ・ヴォイシズのようなバンドをどうとらえればいいのだろう?
 1994年に丁寧に歌の形で提示してくれたように(註2)、ロバート・ポラードにはじつは4つの異なる顔がある。まず彼は、作品を通じて自らを検証し理解するという意味で科学者だ。また彼はロック・ヒストリーに対する意識が非常に強く、ゆえに彼の音楽はよくロックの伝統やインディ音楽ファンのライフスタイルに対する一種の間接的な解説になってもいて、その意味では記者ということになる。自分自身のために音楽を作っているだけではなく、それが聴き手のくそったれな日常への癒しを処方薬のように振り出すことになってもいる意味で、彼は薬剤師でもある。そして彼は迷える魂でもある――彼に自由をもたらす唯一の径路を約束してくれるものの、やればやるほど彼をつまはじきにしていく、このインディ・ミュージック界というものにますます深くはまって自らを窮地に陥れているという意味で。もっと平たく言えば、ポラードの音楽は常に内省とポップ感覚とのバランスをとってきたし、かつそのオタクな起源に対する自覚とひたむきな傾倒とのつり合いも見事に保ってきた、ということだ。
 さまざまな要素が複雑に絡まったこれと同様のバランスは、ガイデッド・バイ・ヴォイシズのファン連中がなかば皮肉混じりに、しかし同時に心底からの思いで彼らを「現代最高のロック・バンド」だのそれに近い表現で賞賛する様にも表れている。そうした形容は、バンドの誇る否定しようのないパフォーマンスおよび作曲技巧の熟練ぶりを褒め称えるとともに、じつにマニアックでニッチな居場所におさまって満足している何かに対してそれこそスタジアム・ロック・バンドを祭り上げるような大袈裟なフレーズを投げかけている、彼らファン自身を自ら笑い飛ばすものでもある。その意味で、ガイデッド・バイ・ヴォイシズはオルタナティヴとインディの気風に内在する、直観に反するあまのじゃくな核を代表するバンドと言える。パワフルな共有体験で人びとをひとつにしようとする一方で、彼らはまたメインストリーム側に定義された「普遍的な体験」なる概念をあえて覆そうとしてもいるのだから。
 というわけで、『Surrender Your Poppy Field』に話を移そう。ローファイな地下室レコーディングの美学とプログレのスケール感、崇高なポップ錬金術とガタついたポスト・パンクの無秩序とが楽しげにぶつかり合うこの作品は、それらすべてをドクドク鼓動するロックンロールのハートに備わった救済のパワーに対する真摯で子供のように純真な、衰え知らずの情熱的な信頼でもって演奏している。
 ここでまた、ガイデッド・バイ・ヴォイシズから滔々と流れ出す音楽を果たして「アルバム」のように不連続なフォーマットで区切ることはこれ以上可能なのだろうか? という本稿冒頭の疑問が頭をもたげてくる。現行ラインナップになってからわずか3年の間に、彼らは既にアルバムを7枚発表し(うち2作は2枚組)、3枚は2019年に登場している。読者の皆さんがこのレヴューを読む機会に行き当たる前に、また別の作品を発表してしまっている可能性だって大いにあり得る。そうした意味でこの最新作のことは、彼らにとっておなじみのさまざまな影響群・テーマ・創作アプローチの数々をミックスしたものを再び掘り下げ調合し直す、その休みなくえんえんと続くプロセスのもっかの到達点として理解した方がいいだろう。いずれにせよ、本作は見事な名人芸を聴かせてくれる。『Zeppelin Over China』(2019)での威勢のいいガレージ・ロック、『Warp and Woof』(2019)の抑制されたローファイな実験性および脱線ぶり、『Sweating the Plague』(2019)でのプログレへの野心を組み合わせた上で、それらすべてが1枚の誇らしく、タイトに洗練されたレコードとしてまとまっている。1990年代および2000年代初期の〈マタドール・レコーズ〉在籍時以来、ガイデッド・バイ・ヴォイシズの最良作かもしれない。

 “Physician”やアルバム1曲目“Year of the Hard Hitter”のような曲はまったく脈絡のなさそうな別の曲の断片の合間をきまぐれかつスリリングに行き来するが、そのどれもにロックなリフの生々しい調子がみなぎっている。この点に関しては、1997年から2004年までの間(この時期のハイライトとして『Mag Earwhig!』、『Isolation Drills』、『Speak Kindly of Your Volunteer Fire Department』、『Half Smiles of the Decomposed』がある)ポラードとともにバンドを牽引した後、現在の新体制ガイデッド・バイ・ヴォイシズに返り咲いたギタリストのダグ・ギラードの貢献が大きいのはまず間違いないだろう。彼が顔を出すと必ずと言っていいほどキャッチーでヘヴィなハード・ロック/グラム・ロック調のギター・リフが前面に出てくるし、ここでそのリフはポラードのもっとも喜びに満ちて楽しげな、ゴングやジェネシスが残響したかと思えばXTCやワイアーを彷彿させることも、という具合に敏捷に変化するソングライティングとの対比を生んでいる。
 ガイデッド・バイ・ヴォイシズのベストな作品がどれもそうであるように、バンドがロックの伝統相手に繰り広げる支離滅裂かつアナーキックなおもちゃの兵隊ごっこの全編を通じて、このアルバムにもアンセミックで思わずこぶしを突き上げたくなるロックな歓喜のピュアなハートが脈打っている。それがもっとも顕著なのは途方もなくビッグな2曲目“Volcano”であり、ガレージ・ロックの金塊(ナゲッツ)を凝縮したような一聴カジュアルな響きの“Cul-De-Sac Kids”や“Always Gone”、“Queen Parking Lot”にも繰り返し浮上する。聴いていると、1990年代に極まった、ガイデッド・バイ・ヴォイシズのローファイな壮麗さという混沌の中に混じっていた“My Son Cool”や“Gold Star for Robot Boy”といった名曲を発見した際の思いがけない喜びが再燃する。
 ガイデッド・バイ・ヴォイシズのようなバンドの体現する、途切れなく続く爆発的なクリエイティヴィティから受け取るめまいのするほどの歓喜。それをその果てしない作品の流れを感知していない人間相手に伝えようとすると、どうしたって狂信的なファンのように思われてしまうのは仕方がない。とはいえ結局のところ、いちばんのアドヴァイスとしては、ピッチフォークのアルバム評がやるような理性派もどきで冷静なアート・ギャラリー型の言葉(とレヴューに科学的/客観的な気取りを添えている例の採点システム)で新しい音楽を考えようとしてしまうあぶなっかしい思考回路の一部を、まずいったん振り捨ててもらうことだろう。そうしたところでこの変化し続け、つねに歩調がずれている、いつ果てるとも知れない恍惚に満ちたカオスに悔いなく身を投じてみてもらいたい。あなたの内に潜んでいるマニアックな面を受け入れよう。僕らの仲間に加わろうじゃないか。

訳註1――ガイデッド・バイ・ヴォイシズは2004年にいったん解散したことがあり、同年正式に「さよならツアー」もおこなった。
訳註2――以下に続く「Scientist/Journalist/Pharmacist/Lost soul」は“I Am a Scientist”の歌詞の引用。同曲はガイデッド・バイ・ヴォイシズのもっとも有名なアルバム『Bee Thousand』(1994)収録。

Ian F.Martin


Guided By Voices don’t really make albums anymore. At least not in a conventional sense. But then Guided By Voices aren’t really a rock band in a conventional sense either, so maybe that’s to be expected.
Since when this has been the case isn’t entirely clear. In a sense, they’ve never been a normal band, with their roots as an almost random collection of people drifting through the band’s central figure and sole consistent member Robert Pollard’s Dayton, Ohio basement in the 1980s, creating ragged lo-fi masterpieces that formed an offbeat and sometimes bewildering background to the origin tale of indie rock in the United States. Still, much of their output, from their early days in the ‘80s through to their most extended split in 2004, can be absorbed as a series of unique and often striking works — albums that can be understood and processed as distinctive responses to their own unique circumstances at a rapidly changing time for the band.
Partly, this might be down to the restraining influence of record label promotion and distribution schedules, limiting the Guided By Voices brand to one release every year or two, with Pollard directing his songwriting overflow into solo releases and side projects. Indeed, since the 2004 “end” of Guided By Voices, Pollard has used his own labels to release more than 50 (count them!) albums from various of his projects, including two resurrected Guided By Voices lineups, like an endless stream of lost garage-punk hits and oddities flowing through cracks in time and landing in haphazard, explosive bursts in the here and now.

So how do we make sense of a band like Guided By Voices in 2020?
As he helpfully laid out for us in song form back in 1994, Robert Pollard is four different things at heart. He is a scientist, in the sense that he uses his work to examine and understand himself. He is a journalist in the sense that he is extremely conscious of rock history, and his music often forms a sort of oblique commentary on rock’s own traditions and the indie music fan lifestyle. He is a pharmacist, not only making music for himself but also packaging out morsels of comfort to ease his listeners’ fucked up lives. And he is a lost soul: digging himself ever deeper into this indie rock world that only isolates him ever further, even as it promises his only route to freedom. Put more simply, Pollard’s music has always balanced introspection and pop sensibility, as well as self-awareness of and deep dedication to its geeky provenance.
The same interrelated balance of elements is expressed in a way by Guided By Voices fans’ half- ironic yet at the same time deeply sincere celebration of them as “the greatest rock band of the modern era” and similar praise — lines that celebrate the band’s undeniable mastery of performance and song-craft at the same time that they laugh at themselves for piling such stadium rock superlatives on something so comfortable in its maniac niche. In that sense, Guided By Voices represent the counterintuitive core of the alternative and indie ethos: they seek to bring people together in a powerful shared experience, while at the same time deliberately seeking to undermine the notion of a universal experience as defined by the mainstream.
Which brings us to Surrender Your Poppy Field: a joyous collision of lo-fi basement recording aesthetics and prog rock grandeur, sublime pop alchemy and fractured post-punk anarchy, all delivered with the earnest, wide-eyed and ever-passionate belief in the power for salvation that lies in the beating heart of rock’n’roll.
It also brings us back to the question of whether it is even possible to divide the flow of music that comes out of Guided By Voices into something as discrete as an album anymore. The current lineup of the band has only been together for three years and has already released seven albums (including two double-albums), with three of them coming out in 2019. It’s entirely possible that the band will have released another before you even get a chance to read this review. In that sense, this latest is better understood as a progress marker in a process of constant re- exploration and re-formulation of the band's familiar cocktail of influences, themes and creative approaches. Either way, it’s a masterful one, combining the garage rock swagger of Zeppelin Over China (2019), the pared-down lo-fi experimentations and excursions of Warp and Woof (2019) and the progressive rock ambition of Sweating the Plague (2019) in a way that melds them all into one glorious, tightly-refined record — possibly Guided By Voices’ finest since their Matador Records days back in the ‘90s and early 2000s.

Songs like Physician and the opening Year of the Hard Hitter ricochet capriciously and thrillingly between what feel like fragments of entirely different songs, all equally rich in raw veins of rock riffage. For this, a lot of credit must surely go to guitarist Doug Gillard, returned to this new GBV fold after co-navigating with Pollard the years 1997-2004 (highlights include Mag Earwhig, Isolation Drills, Speak Kindly of Your Volunteer Fire Department and Half Smiles of the Decomposed). Gillard’s presence always flags up the presence of catchy, heavy, hard rock/glam riffs, which here are set against Pollard’s songwriting at its most joyously playful, skating between echoes of Gong and Genesis just as easily as it recalls XTC and Wire.
Like all Guided By Voices at their best, there is a pure heart of anthemic, fist-pumping rock elation running through the whole scrappy, anarchic game of toy soldiers with rock traditions that the band are playing. Most obviously on display in the monumental second track Volcano, it also surfaces again and again in casual-seeming miniature garage-rock nuggets like Cul-De-Sac Kids, Always Gone and Queen Parking Lot, in a way that rekindles some of the unexpected joy of discovering tracks like My Son Cool or Gold Star for Robot Boy bursting out of the chaos of Guided By Voices’ at the peak of their 1990s lo-fi pomp.
Communicating the dizzy joy of the constant, explosive creativity a band like Guided By Voices embody to anyone not plugged into the endless stream without coming across as insane is always a challenge. In the end, though, the best advice is to throw off that treacherous part of your mind that thinks of new music in the faux-rational art gallery terms of a Pitchfork album review (complete with the scientific affections of a numerical grade) and cast yourself into the ever-evolving, always out-of-step, never-ending ecstatic chaos without regrets. Embrace your inner maniac. Join us.

Mura Masa - ele-king

 いつの時代を語るにも、その時代を象徴するアーティストの存在は欠かせないものだ。クラシック界の巨匠、誰もが憧れるロックスター、カリスマ的歌姫、伝説のラッパー……と、様々なアーティストたちの功績が時代とともに語り継がれている。そんな彼らの存在はかつての時代だけでなく、来るべき時代にも多くの影響を与えていった。そして2020年という新時代を迎えたいま、これからの時代を象徴するアーティストになりゆく存在のひとりとして挙げたい人物が Mura Masa だ。

 自身の名を冠したデビュー・アルバム『MURA MASA』で、新進気鋭の若手トラックメイカーからトップ・アーティストとしての地位を確立した Mura Masa。イギリス海峡の孤島出身ながらも、多彩なかつキャッチーなサウンドで世界中を魅了し、確固たる人気を獲得した。わずか3年ものあいだに一躍有名となった彼が、2020年の幕開けとともに発表したセカンド・アルバム『R.Y.C』はリリースから約2か月経ったいまでも記憶に新しく、鮮烈な印象を放ち続けている。

 ポップでトロピカルなエレクトロニック・サウンドが詰まった前作とは一転、本作にはノイジーで歪んだギター・サウンドが取り込まれている。まるでぼんやりと世界中を覆っている混沌のようなグレーカラーの塗りつぶしに、タイトルを模したオレンジのスマイルマークと前作とは対照的なデザインのアートワークも印象的だ。本作の布石としてシングル・リリースされた収録曲 “I Don’t Think I Can Do This Again” では、VSCO ガールのアイコンとしても人気を誇るベッドルーム・ポップ・アーティスト Clairo のフィーチャリングと作風の変化で話題を呼んだ。

 その後、“Deal Wiv It” “No Hope Generation” などアルバム収録曲の一部先行リリースが続いた。A$AP RockyCharli XCXDemon Albarn など前作でも燦燦たる顔ぶれのアーティストが客演に参加したが、今回は前述の Clairo をはじめ、slowthai、Wolf Alice の Ellie Rowsell など話題のアーティストを起用。期待値をじわじわと高めたのち、2020年1月17日に待望のフル・アルバムをリリース。アルバムのタイトルと同名の楽曲 “Raw Youth Collage” から順々と、すでに先行リリースで注目を集めた楽曲が前半に並び、“Vicarious Living Anthem” で興奮はピークを迎える。そして後半の “In My Mind” “Today” ではだんだんノスタルジーを醸し出し、“Teenage Headache Dreams” では、清々しいフィナーレのような高揚感とどこかザラついた切なさを彷彿させる。これまでのイメージを覆した『R.Y.C』は、最高潮まで高まったリスナーの期待を裏切ることなく、彼の多面性を提示する一作となった。

 現在23歳の Mura Masa は、希望のない時代を歩んできた若者だ。彼と同じ1996年生まれはわりと悲惨な世代である。物心がつく前にミレニアムを迎え、少しずつ世界を捉えられるようになった頃に 9.11 が勃発。小学校に通い社会は何たるかを学び始めた矢先にリーマンショックが起き、将来に希望を抱くことは無意味であると悟った。日本ではこの世代を「さとり世代」と揶揄し、バブル時代の恩恵を受けたテレビのコメンテーターが「もっとしっかりしろ、車を買え、年金を払え、俺らを敬って社会の発展に貢献しろ」と皮肉った。高校入学前には東日本大震が発生、成人するタイミングで選挙権の年齢引き下げが施行。ひとりの人間として社会に羽ばたきはじめると同時に増税を喰らい、若者の未来はますます暗くなった。そして現在、新型ウイルスのパンデミック対策により世界は分断され、ついに人びとは踊ることすら許されなくなってきている。

 世界中から希望が薄れていくなかリリースされたこのアルバムは、ただの悲惨な若者が世を憂いているだけの作品ではない。“No Hope Generation” では「I need help (助けが必要)」と繰り返し、「Everybody do the no hope generation (誰もが希望のない時代を生きている)」と歌っているが、決して希望を持つことを諦めたわけではないのだ。同作品のMVに出演する人々は目が死んでいるものの、全員が色鮮やかなハイテクウェアに身を包み、踊ることを諦めない。軽快でありながらもメッセージ性の強いリリックからは、混乱に陥った世を糾弾するわけでも冷笑するわけでもなく、若者のみならずいまの時代を生きるすべての人が直面している問題と未来に向き合っていく意志を表しているように感じられる。

 昨年末、来日公演の直前インタヴューで Mura Masa は「ツァイトガイスト(Zeitgeist、ドイツ語で時代精神)」を本作で表現していると語っている。時代精神とは、ある時代を特徴づける共通理念や意識のことだ。これらはその時代の普遍的な意識のみを表すだけでなく、過去の文脈と新たに生まれた要素が混ざり合って形成される。その発言通り、かつての時代の懐古に浸るだけでなく、憂いがちな現在から未来をどう見据えていくかという姿勢を、ノスタルジックながらもクロスオーバーしていく昨今のシーンを混ぜ込んだサウンドに映しだした。まさに2020年を代表する時代精神のひとつとしてリリースされたこのアルバムは、Mura Masa が時代を象徴するアーティストになりゆく道への一歩と言えるであろう。

第1回 奪われた余韻と電動シェーバー - ele-king

“また、おまえの中では、立琴をひく者、歌を歌う者、笛を吹く者、ラッパを吹き鳴らす者の楽の音は全く聞かれず、あらゆる仕事の職人たちも全く姿を消し、また、ひきうすの音も、全く聞かれない” - ヨハネの黙示録18章22節

 雨が降っている。
 屋根を叩く雨の音がスピーカーから流れる Throbbing Gristle の乾いたサウンドに潤いを与えている。飯島直樹Genesis P-OrridgeGabi Delgado が立て続けにこの世を去り、私の精神からは渇きも潤いも少しだが確実に失われた。巨人たちの喪失に加え出演予定だったイベントは立て続けにキャンセルになり、先の見通しが全く立たたない中で私は日々精神をすり減らしていた。そんな中、ele-king編集部から連絡をもらい、このコラムを始めることにした。タイトルは宇川さんの言葉を借りて「Post-Pandemic Memories」に。月に一度ぐらいのペースで書くことを目指そうと思う。このコラムはパンデミック後の世界を生きる一人のミュージシャンの手記となるだろう。

 今日は2020年の4月1日。自主隔離に入ってからおおよそひと月が経過した。もともと自主隔離のような時間を好む性格だった私は日々の過ごし方について大して心配はしていなかったが、いまは友人の存在や、大音量の音楽に包まれるという事、そしてそれらが完備されたパーティーという場のことを思い出しては、それが日常から失われたことに憂鬱になる日々を送っている。なぜかウエルベックの『ある島の可能性』の世界が頭をよぎってそんな気分に拍車をかける。ダニエル並みに寝起きは悪い。ベッド脇に情調オルガンがあるリックが羨ましい。毎朝とりあえず NTS をつけて、ロンドンから届いた音楽が身体にベッドから離れるための推進力を与えるのを待っている。(Sade が流れてきた! 最高だ。起きよう!)そして巨大サウンドシステムでステッパーをかけてオーディエンスの体毛や眼球を震わせる白昼夢を見ながら周りに転がる雑多な仕事を片付けている。

 その白昼夢を再び現実のものとするべく、私は有志数名と共に #SaveOurSpace という運動を始めた。COVID-19 の感染拡大を防いでなるべく早く収束させるために全ての人が集まる場所を閉鎖し、クラスタとなるのを防ぐために助成金を求めるアクションだ。助成金がなければ閉鎖の先には経済的な死が待っていて、閉鎖しなければバッシングと感染リスクが待っている。助成金が出れば経済的な死も、感染リスクになることも防ぐことができ、多くの命が救われる。先週末にこれを始めてから5日。本当にめまぐるしい日々だった。結果的に30万人を超える署名が集まり、現在の文化施設が置かれている状態に危機感を感じている人が多数いることが可視化された。しかし、情報は伝播すればするほど子細な部分が失われ意図が伝わらなくなってしまう。メディアが切り取るという声をよく聞くが、それ以上に人は文章を読まない。案の定、広がりに比例して誹謗中傷の数も増えていった。
 安倍のことを呼び捨てにするような人がやってるからダメだ。というようなコメントも送られてきた。キリストもニーチェも呼び捨てにしている私が安倍を呼び捨てにしない理由はない。まあ私の地元では芋に敬称をつけるが。ここで Slowthai の “Nothing Great About Britain” の歌詞から次の一節を送ろうと思う。

“I'd tell you how it is, I will treat you with the utmost respect. Only if you respect me a little bit, Elizabeth, you cunt.”

 Elizabeth のところを適当な名前に変えて読んでもらいたい。私のこういうアグレッシブな性格が褒められたものではない事はわかっているし、#SaveOurSpace で動いている他の人たちの中にこんなクソ野郎はいないハズだから安心してほしい。

 そういえば今日はエイプリルフールだった。
 今日に限った話じゃないが世間に目を向ければ悪い冗談としか思えないようなことで溢れている。思わず頭脳警察の “ふざけるんじゃねえよ” を再生したが、再生後に流れる広告がこの虚無感をより一層深いものにしてしまった。ふざけるんじゃねえよ。この奪われた余韻とブラウンの電動シェーバーのCMは全く釣り合わない。

 アカウントの性別や年齢と紐づいたターゲティング広告だろうが、私はこのターゲティング広告というものが反吐が出るほど嫌いだ。ターゲティング広告によって人々は選択の自由を奪われ、放棄し、肥え太った巨大資本に餌をやり続けている。無意識のうちに選択の幅を限定され誘導されてゆく事はとても恐ろしい。しかし、思考し選択する行為そのものを放棄する事で楽になれるのもまた確かだ。その安楽死を求める人は多いだろう。
 そしていまこのウイルスの恐怖に包まれた世界で、その安楽死を選択する人々は確実に増えている。権力が恐怖を利用し、人々が思考することを放棄した時、そこに広がるのがどういう世界なのか、私たちは歴史から学んで警戒し続けなければならない。

 ラップトップに向かってこのコラムを書いているうちに随分と体温が下がってきてしまった。体が冷えている。これは窓を打つ雨のせいだけではないだろう。そしてこの精神的に隔離された日々を凍えながら過ごしているのは私だけではないだろう。大音量でお気に入りの音楽をかけろ。鍋いっぱいに湯を沸かせ。パスタを茹でてソースを温めろ。食後にはお茶かコーヒーをつけろ。心と身体を養え。君/私という存在をかけた戦いのフロントラインに君/私は立っている。


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