オリヴァー・コーツが話題となった2018年の『Shelley's On Zenn-La』以来のアルバムを〈RVNG Intl.〉からリリースする。先行で公開されているMVもなかなか良いので、これは期待できそう。
新作のタイトルは『skins n slime』で、リリースは10月16日。(収益の一部はダウン症候群スコットランドに寄付される)日本盤は〈PLANCHA〉より30分を越えるボーナストラック付きです。
オリヴァー・コーツが話題となった2018年の『Shelley's On Zenn-La』以来のアルバムを〈RVNG Intl.〉からリリースする。先行で公開されているMVもなかなか良いので、これは期待できそう。
新作のタイトルは『skins n slime』で、リリースは10月16日。(収益の一部はダウン症候群スコットランドに寄付される)日本盤は〈PLANCHA〉より30分を越えるボーナストラック付きです。
時代が悪くなるとアートは面白くなる。昔からよく言われる言葉で、20世紀においてもっとも重要な芸術運動であるダダイズムは第一次世界大戦中に起きている。そのダダイズムの拠点から名前を取ったバンド、キャバレー・ヴォルテール(通称キャブス)が11月に26年ぶりの新作を出す。
1970年代のUKはシェフィールドで結成されたキャブスは、UKで失業者が急増した時代におけるポストパンクの重要バンドのうちのひとつで、音楽的に言えば、感情を抑えたドイツ実験派(カン、クラフトワーク、ノイ!ら)からの影響とウィリアム・S・バロウズ仕込みのカットアップ(ミュージック・コンクレートともサンプリングとも言えるのだろうが)、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのノイズとミニマリズム、そしてジャマイカのダブやなんかが電子的に入り混じった状態で、レーガン時代の右傾化を予見した『Voice Of America』や中東の政治情勢を題材にした『Red Mecca』など政治性もはらみながら、彼らはディスコやハウス、デトロイト・テクノといったダンス・カルチャーとも積極的にリンクしていったし、初期〈Warp〉にとっての精神的な支柱でもあった。
そんな大物の復活作、タイトルは『Shadow of Fear』(恐怖の影)という。公開されたばかりの曲“Vesto”を聴きながら11月を待とう。

Cabaret Voltaire
Shadow Of Fear
Mute/トラフィック
発売日:2020年11月20日(金)
昨年の『Analog Fluids Of Sonic Black Holes』から、いったいどれだけ作品を出し続けているんだ。
ムーア・マザー名義で知られるCamae Ayewaは、あのアルバム以降、メンバーとして参加しているフリージャズ集団Irreversible Entanglementsのアルバム『Who Sent You? 』を発表、Mental Jewelryとの共作、パンク的展開の『True Opera』のリリース、電子音響家Yattaとの共作『Dial Up』……、そしてジャズ系フルート奏者Nicole Mitchellとのライヴ盤『Live at Le Guess Who』を発表したかと思えば、先月はゲスト参加したNYのヒップホップ・グループ、Armand Hammerのアルバム『Shrines』がリリースされたり、今月に入ってからは『FREE JAZZ FOR THE FREE DOOMED』と、コロナ禍において毎月のように彼女絡みの新作を聴いているような気がする。
で、ここにまたニュー・シングルのリリース。今度は〈Sub Pop 〉からの「Forever Industries」。A面はスウェーデン出身のビートメイカー、Olof Melanderとの共作。B面はMental Jewelryとの共作。
ジャンルを横断しながら、彼女の快進撃はまだまだ続くと……。
※別冊エレキング最新号『ブラック・カルチャーに捧ぐ』はムーア・マザー表紙。彼女のロング・インタヴューが掲載されています。
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先般 ele-king books から『小さな演劇の大きさについて』を刊行したばかりの佐々木敦が、新たに著書『批評王──終わりなき思考のレッスン』を8月26日に刊行する。氏にとって31冊目の単独著作となる同書は、音楽、映画、演劇、アート、文芸、思想を縦横無尽に行き来した、528ページにもおよぶ大著に仕上がっている(ジャンル別でも時系列順でもなく、批評文のタイプによって分類された全78編収録のアンソロジー)。目次には「プリンス」「ヴェイパーウェイヴ」など、気になるキイワードが多数並んでいるが、凝られたブック・デザインにも注目です。
なお氏は今年ほかにも『これは小説ではない』(新潮社)を刊行しており、さらに『絶体絶命文学時評』(書肆侃侃房)、『それを小説と呼ぶ』(講談社)も控えている。

佐々木敦
『批評王──終わりなき思考のレッスン』
工作舎
四六判ソフトカバー
528ページ
ISBN: 978-4-87502-519-1
2020年8月26日刊行
本体2,700円+税
【目次】
批評王の「遺言」 (序)
第1章 批評の絶体絶命 (「批評」という営み/試みの危機におけるマニフェスト)
第2章 批評の丁々発止 (批評対象およびそのコンテクストとの渡り合い)
第3章 批評の虚々実々 (虚構の中の真実、現実の中の仮構、その見通しと処理)
第4章 批評の右往左往 (迷子の快楽/迷路の至福、書くことによる発見)
第5章 批評の荒唐無稽 (意味や意図を摑まえようとする思考との追走)
第6章 批評の反射神経 (考えるよりも前に書く、書き終えたあとに考えたことを知る)
批評王の追伸 (あとがき)
【著者】
佐々木 敦(ささき・あつし)
文筆家。1964年、愛知県名古屋市生まれ。ミニシアター勤務を経て、映画・音楽関連媒体への寄稿を開始。1995年、「HEADZ」を立ち上げ、CDリリース、音楽家招聘、コンサート、イベントなどの企画制作、雑誌刊行を手掛ける一方、映画、音楽、文芸、演劇、アート他、諸ジャンルを貫通する批評活動を行う。
2001年以降、慶應義塾大学、武蔵野美術大学、東京藝術大学などの非常勤講師を務め、早稲田大学文学学術院客員教授やゲンロン「批評再生塾」主任講師などを歴任。2020年、小説『半睡』を発表。同年、文学ムック『ことばと』編集長に就任。
批評関連著作は、『この映画を視ているのは誰か?』(作品社、2019)、『私は小説である』(幻戯書房、2019)、『アートートロジー:「芸術」の同語反復』(フィルムアート社、2019)、『小さな演劇の大きさについて』(Pヴァイン ele-king books、2020)、『これは小説ではない』(新潮社、2020)他多数。
ニューヨークで閉店した飲食店の6割はアフリカ系の経営する店だったという(白人の経営する店舗は2割弱、ほかはアジアやヒスパニック系)。ニューヨークで新型コロナウイルスの犠牲になるのは圧倒的に黒人だという報道が流れはじめた当時、僕はついエイドリアン・マシューズ著『ウィーンの血』(ハヤカワ文庫)を思い出してしまった。2026年のウィーンを舞台に新聞記者が殺人事件の真相を調べていると、同じような死因で亡くなる人がさらに増え(以下、ネタばれ)特定の人種だけを殺すウイルスがばらまかれていたことが判明するという理論物理ミステリーである(ヒトラーのユダヤ殲滅思想はウイーン起源という説を下敷きにしている)。実際にはバーニー・サンダーズも激昂していたようにゲットーでは水道が止められていて手も洗えなかったとか、住宅が密集していて人との距離が取れず、エッセンシャル・ワーカーが多かったという社会的条件による制約が黒人の多くを死に追いやったことは追加報道の通りなのだろう。ニューヨーク文化といえば、人種の坩堝であることが活力の源であり、とりわけダンス・ミュージックが多種多様な生成発展を繰り返してきた要因をなしてきたと思うと実に悲しい話である。アフリカ系とヒスパニック系の出会いがヒップホップを誕生させた話は有名だし、2000年代にはジェントリフィケーションに反対してジャズからハウスまで、エレクトロクラッシュを除くすべてのダンス世代がデモ行進を行ったことも記憶に新しい。ニューヨークの音楽地図はこの先、どうなってしまうのだろうか。この3月から〈Towhead Recordings〉が『New York Dance Music』というアンソロジーをリリースしはじめ(現在4集まで)、スピーカー・ミュージック『Black Nationalist Sonic Weaponry』にも参加していたエースモー(AceMo)や飯島直樹氏が年間ベストにあげていたJ・アルバート(J. Albert )など無名の新人がダンス・ミュージックの火を絶やすまいとしている。ジョーイ・ラベイヤ(Joey LaBeija)やディーヴァイン(Deevine)といったニューヨークらしい外見のDJたちも健在である。そう、途絶えてしまうことはないにしても、しかし、何かが大きく変わってしまうことは避けられない気がする。
クイーンズ区に住むアトロポリスはシェイドテックの〈Dutty Artz〉から2010年にデビュー。ホームページを開くと1行目に書いてあるのが「多様性に対する情熱が自分をインドやガーナ、コロンビアやメキシコ、そして南アフリカなどのミュージシャンとの仕事に導いてくれた」という趣旨のこと。そして、彼は自分の音楽がどれだけ多様性に満ちているかをくどくどと説明しだす(https://www.atropolismusic.com/about)。実際、彼の音楽は水曜日のカンパネラ以上にルーツのわからない雑種志向の産物で、初めて聞いたときはカリブ海出身だろうと思ったし、まさかギリシャ系キプロス人だとは予想もしなかった(ギリシャ人の音楽はもっと堅苦しいイメージがあったので)。テクノポリスならぬアトロポリスというネーミングもギリシア由来で、グランジ都市(国家)という意味になるらしく、ギリシアとカリブ海の共通点といえば海に近いことぐらいだった(レバノンの爆発はキプロス島まで振動が伝わったという)。久々となる新作もチャンチャ・ヴィア・シルクイトやノヴァリマなど南米のミュージシャンや日本のDJケンセイなどをアメリカに紹介するニコディーマスのレーベルからで、げっぷが出るほど多様性の嵐(失礼)。先行シングルはレゲトンのMC、ロス・ラカス(Los Rakas)をフィーチャーした“Gozala”。これがウイルスとか多様性とかがどうでもよくなるほど夏に涼しいさわやかモードだった。
クンビアやレゲトンを基調としつつ『Time of Sine』は全体にシンプルで、ほとんど間抜けと呼びたくなるほど隙間の多いサウンドを、柔らかく、透き通るようにアコースティックなサウンドで聞かせてくれる。力が入るところがまったくなく、水曜日のカンパネラがフィッシュマンズをカヴァーしたら、こんな感じになるのかな。違うな。とにかく涼しい。そのひと言だけでいいかもしれない。ニューヨークに浸透したカリビアン・サウンドは様々にあるだろうけれど、そのなかで最も気が抜けているんじゃないだろうか。そよ風を音楽にしたようなもの。石原慎太郎が湾岸に高層建築を建てられるようにするまでは東京でも夜になると海から内陸に吹いてきた涼しい風。日中の気温は同じでも、東京の夜も昔は東北と同じく涼しかった。そんな人工的ではない涼しさを思い出す。後半には“Funk”などというタイトルの曲もあるけれど、汗が飛び散るようなファンクではなく、ガムランやアラビアン・ナイトの怪しげな響きがトライバル・ドラムを引き立てるだけ。ブラス・セクションが入っても涼しさは損なわれず、水の音が流れ、どの曲も見せてくれる景色がとにかく涼しいとしか言えない。言いたくない。涼しい、涼しい、広瀬……いや。
ここ数ヶ月、これまでアフロ・ハウスと呼び習わしてきたものをオーガニック・ハウスとタグ付けを変えていく動きがあり、それはアフロと称しながらまったくポリリズミックではないことに気がついたからなのか、環境問題と親和性を持たせようとしているからなのか、それともニュー・エイジやスピリチュアルがマーケットをもっと低俗な方向に移動させようとしているからなのか、そのすべてのような気がするなか、呼び方だけが変わった「オーガニック・ハウス」をアルバムにして10枚分ほど聴いてみた結果、95%はクズでしかなかった(マイコルMPやキンケイドなど、ちょっとは面白いものがあるのが逆にやっかい)。「オーガニック・ハウス」自体は〈Nu Groove〉の時代からジョーイ・ニグロやトランスフォニックにヒット曲があり、北欧ハウスの始まりを告げたゾーズ・ノーウェジアンズ『Kaminzky Park』(97)や日本のオルガン・ランゲージ『Organ Language』 (02)などすでに傑作と呼べる作品はいくらでもあるものの、いわゆるムーヴメントと呼べるほど大きな波になったことはなかった。たぶん、『Bercana Ritual』『Sounds of Meditation』『Don’t Panic – It’s Organic』『Continuous Transition of Restate』と立て続けにコンピレーションが編まれ、アリクーディやレイ-Dがアルバム・デビューしている現在が「最高潮」である。さらにはダウンテンポやプログレッシヴ・ハウスもこの流れにまとめられはじめたようで、南アのゴムのなかにも4つ打ちはナシという基本からはみ出したものがこれに加算され、僕にはオーガニック・ハウスというものがただの「その他」のようにしか思えなくなってきた。しかし、「オーガニック・ハウス」を最初に聴こうと思ったとき、その言葉から期待していたものがすべて流れ出してきたのが『Time of Sine』だった。
メンバーみずから「最高傑作」と説明しているらしい。勝井祐二、山本精一、芳垣安洋、益子樹らから成るバンド、ROVOが4年ぶりのアルバムをリリースする。タイトルもずばり『ROVO』とのことで、これは相当気合いが入っている模様。外で踊るのが難しいこの時期に、彼らはいったいどんなダンス・ミュージックを打ち鳴らすのか? 発売は9月9日、要チェック。
ROVO、4年振り12作目となるアルバム『ROVO』を9月9日発売決定!
ROVO結成24年目、 4年振りに12作目となるニュー・アルバム『ROVO』を9月9日発売することが決定した。自らのバンド名がアルバムタイトルについていることからも伺い知れるが、「ROVO結成24年目にしてバンドの意思と楽曲と演奏が完全に一体化した最高傑作」とメンバーが説明するほどの手応えを感じる1枚となっている。5月の配信ライブでは “家から宇宙へ” というコンセプトを掲げたROVOだが、今作もまさに宇宙空間へとトランスレートさせるダンスミュージック作品となっている。
そして、今回ジャケットのアートワークも発表となったが、メンバーの山本精一(Gt.)監修のもと、ROVOのVJを務めていた迫田悠がひさしぶりにデザインを担当し、壮大な仕上がりとなっている。
また、今作について勝井祐二(Vln.)がコメントを寄せている。「新型コロナウィルス感染拡大の前に録音したアルバムが、ウィルスの影響で自分と世界の置かれている状況が激しく変化している渦中で、何度も聞き返しているうちに不思議と聞こえ方や意味合いが違って来たように思います。世界と音楽との距離感がこれからも変化して行くであろう2020年に発表する事になったのはとても感慨深いです。その意味で僕らにとって特別なアルバムになったと思います。」
今年後半のROVOは、アルバム発売ともに活発化する予定なので、今後の情報にも、是非着目してほしい。
[アルバム情報]

アーティスト名:ROVO
タイトル:ROVO
品番:WGMPCI-071
価格:¥2,700 (税抜価格)+税
仕様:CD / 2面デジパック /全6曲収録
■収録曲
1. SINO RHIZOME
2. KAMARA
3. ARCA
4. AXETO
5. NOVOS
6. SAI
クロアチアのロバート・メルラクの新作『Finomehanika』は2020年における電子工業音楽/インダストリアル・アンビエントを象徴するような音を構築している。
それはすなわち多層性だ。ここにあるのは単純な工業社会への批評・批判意識ではない。むしろ自然と工業とコンピューターと人間が同居する時代における「多層的な世界観としてのインダストリアル/IDM」を生成しているのだ。
2020年、世界はレイヤー化されている。あれとこれ、それとこれ、こととものとが複雑に、無限に折り重なり、人の時間と行動と感覚と感情を分断する。あたかも世界と時間のコラージュのように。
だがそれは00年代~10年代初頭の電子音響のようにスマートで緻密なレイヤー感覚だけを意味しない。もっと歪で、手作りのようなコラージュ感覚である。情報が増大化した結果、われわれの感覚レイヤーは、かつてよりいささか大雑把になった。本作のアートワークのように。だがこれこそ現代の感覚ではないか。
ロバート・メルラクは、クリアチアのポップ・グループ Marinada のメンバーでもある。ソロとしては Tu M’ やキット・クレイトンなどのリリースで知られるIDMレーベル〈Phthalo〉から1998年に『Icepick Tracks』、2000年に『Albumski』をリリースしてきた。
この『Finomehanika』は、00年代以降のオウテカ、90年代~00年代の頃のヴラディスラフ・ディレイを思わせもするIDM/ミニマル・ダブ的なサウンドに加えて、00年代のエレクロニカ・レーベルを代表する〈12k〉を思わせるナチュアルなムードと、10年代以降、〈Modern Love〉などの現行インダストリアル・ミュージックと、オリジンともいえるスロッビング・グリッスル『The Second Annual Report』の音響工作を継承するようなインダストリアルなサウンドへと変貌を遂げていた。
いわば20世紀の残骸を、クロアチアの海と太陽のもとで再蘇生したかのごとき音とでもいうべきか。その音は鉄のように硬く、乾いている。しかし同時に伸縮し、まるでオウテカを原初的にしたような音が蠢いてもいる。マシンでありオーガニック、硬質でもあり流動的、コンピューター生成の精密さと手作りの素朴さ。これらの相反する要素が混在する実に不思議な感触を持った電子音楽である。
リリース・レーベルは『Electro Music Union, Sinoesin & Xonox Works 1993 - 1994』などレアなダンス・ミュージックのトラックを送り出すUKの〈Cold Blow〉、そのサブレーベル〈SWIMS〉だ。〈SWIMS〉はアンビエント、ドローン、コンクレートなどエクスペリメンタルに特化したキュレーションを実践していて、この『Finomehanika』は、2019年にリリースされた Roméo Poirier 『Plage Arrière』と Electric Capablanca 『Puzzles & Studies』につづく3作目の作品となっている。
レーベル前2作のアルバムは清涼感と透明感に満ちたエレクトロニカ/IDM系のサウンドだったが、本作はまるで「70年代末期~80年代のインダストリアルと90年代IDMと00年代エレクトロニカ」をミックスさせたようなサウンドを展開しているのだ。
アルバムには全8曲を収録。まず1曲め “Pao MD” は乾いた音の反復に、郷愁すら感じさせてくれる旋律が遠くから音のカーテンがなびくように聴こえてくるトラックで、そこにプリミティヴな電子音がレイヤーされていく。続く2曲め “Pogled iz sobe” も淡い電子音に水の音のようなサウンドがレイヤーされるが決して癒しのエレクトロニカにはならず、どこか白昼夢の光景のような不穏さを感じさせるサウンドスケープを展開する。
3曲め “Obrazi, dio drugi” は硬質な電子音に、不安定なリズムが交錯し、インダストリアルなムードが満ちてくるトラック。4曲め “Majka” は1曲め “Pao MD” のような素朴なリズムの反復に、ときおり鳥の声のようなサウンドがミックスされていく曲。続く5曲め “Bilo jednostavno” は細かなリズムを中心としたトラックで、そこに伸縮するような電子音/ノイズが連鎖される。途中からリズムがミュートされ、原初的な電子音が鳴り始め、うっすらと旋律と響と声が聴こえてくる点も巧妙な構成に思えた。
そして6曲め “Bijeli VAZ” も電子音のミニマルなレイヤーに、水の音が弾けるサウンドがレイヤーされ、そのむこうに記憶の反復のような微かなアンビエンスで旋律の欠片のごとき響きが聴こえてくる。7曲め “Udah i led i izdah” は一転して無機質な電子音の高周波を基調としてウルトラ・ミニマルな曲だ。ラスト8曲め “Skele” は引き続き静謐な電子音とマテリアルな質感のノイズが静かに交錯するインダストリアル/アンビエント。この曲をもってアルバムは澄んだ空気の中で音響が蒸発するように終る。アルバム全曲、なんというかマシンの残骸が太陽の陽光のもとにしだいに錆びていき、自然の光や風と交錯するようなサウンドなのだ。
インダストリアル、IDM、ミニマル・ダブ、エレクトロニカの系譜。それは無機質な鉄と機械の音の響き、残響、壊れたリズムの不安定な反復と逸脱の系譜でもある。それらに加えて本作独特のどこか海の風を感じさせるサウンドスケープがミックスされていく。ひとつからふたつへ、固定からゆらぎへ、その両極を行き来する塩梅が絶妙なサウンドスケープが生まれている。
確かにフォームとしての新しさはないかもしれない。しかし電子音響、IDM、そして世界の「いま」を象徴するようなアルバムだ。いまの時代の空気を「聴く」ように、何度も聴取したくなる絶妙な音響空間がここにある。
いま我々はとんでもなく奇妙な……なんともおかしな時期を潜っているものだね。この疫病のおかげで自宅に閉じ込められているわけだし……。エレクトロニクス関連の性能が上がり、放送の方法も変化し、ディジタルといった新しいことも存在していて……うん、これは非常にパワフルな転換点だろうね、いまのこの世界を「第四世界」と呼ぶタイミングとして。
作曲家/トランペット奏者ジョン・ハッセルの2年ぶりのニュー・アルバム『Seeing Through Sound』が登場した。前作『Listening To Pictures』は“Pentimento Vol.1”なるサブ・タイトルが付いていたが、今作は“Pentimento Vol.2”、つまり続編である。また、前作同様、自身で設立したレーベル〈Ndeya〉からのリリースだ。
1937年3月生まれ(米テネシー州メンフィス)だから、現在83才。ミュージシャンとしてのキャリアも半世紀以上になるジョン・ハッセルの名が一般的に知られるようになったのは、ブライアン・イーノとの共同名義で発表したアルバム『Fourth World Vol. 1 - Possible Musics』(80年)からだが、そこで彼が提唱した「第四世界」なるコンセプトや独創的サウンドはいまなお若い音楽家たちに影響を与え続けている。たとえばワンオートリックス・ポイント・ネヴァーやヴィジブル・クロークス、フエルコ・S.等々の作品を聴けば、ハッセルの音楽的ヴィジョンが現在の先端シーンといかに密接につながっているのかがよくわかるだろう。2017年にはグラスゴウのDJデュオ、オプティモのJD・トゥイッチが運営する〈Optimo Music〉から、『Miracle Steps:Music From The Fourth World 1983-2017』という「第四世界」をテーマにしたコンピレーション・アルバムもリリースされている。
「ジョン・ハッセルは、この50年間でもっとも影響力のある作曲家の一人だ。彼が〈第四世界音楽〉と呼ぶものを発明したことで、世界中の他の文化の音楽をより深く尊敬し、新鮮な目で見る道が開かれた」。これは、イーノがハッセルについて語った最近の言葉だ。
誤解を恐れずに大雑把に言うと、ジョン・ハッセルの音楽は以下の4大元素から形成された。シュトックハウゼン、ミニマリズム、インド音楽、そしてマイルズ・デイヴィスである。
ニューヨークの名門イーストマン音楽学校でトランペットや作曲などを学んだ後クラシックのオーケストラでトランペット奏者としてキャリアをスタートさせたハッセルたったが、セリエリズムや電子音楽、サウンド・コラージュなど当時の現代音楽の最先端モードに魅せられて、60年代半ばの2年間、独ケルンでカールハインツ・シュトックハウゼンの下で更に学んだ。当時、同じクラスで学んだ仲間には、後にカンを結成するイルミン・シュミットやホルガー・シューカイもいた。
ケルンからNYに戻ったハッセルが次に出会ったのは、米現代音楽の新潮流として注目を集めつつあったミニマリズムの先駆者たち、ラ・モンテ・ヤングやテリー・ライリーたちだ。ハッセルは、ヤングの主宰するミニマル/ドローン・プロジェクト「永久音楽劇場」に参加するなどこのサークルと親しく交流しながら、ミニマリズムの手法も消化していく。ハッセルがトランペット・プレイヤーとして初めてレコーディングに参加したのは、テリー・ライリーの歴史的傑作『In C』(68年)であり、その次が、ラ・モンテ・ヤング/マリアン・ザズィーラ『The Theatre Of Eternal Music:Dream House 78'17"』(74年)だ。また、この70年前後の数年間にハッセルは、エレクトロニクスを用いた実験音響作品をいくつも作り、美術館などで発表している。
ヤングやライリーとの交流は、ミニマリズム以外にもうひとつの新しい扉をハッセルに開いた。民族音楽である。米ミニマリズムは元々、アフリカやインド、インドネシアなどいわゆる第三世界の民族音楽を重要なインスピレイション源にしていたわけで、実際ヤングやライリーは、インド音楽の声楽家パンディット・プラン・ナートに師事してインド声楽も学んでいる。そしてハッセルも、彼らのインドでの声楽修業に同行したのだった。つまりハッセルは、70年前後の段階で、セリエリズムや電子音楽、サウンド・コラージュやミニマリズムといった最先端の現代音楽を習得し、更に第三世界民族音楽にも入れ込んでいたわけである。
そしてもうひとつ、ビートニク世代のトランペッターとしてハッセルが並々ならぬ関心を寄せていたのがジャズの新しい潮流、とりわけマイルズ・デイヴィスの動向だ。この70年前後は、マイルズが強力にエレクトリック化を推し進めていた時期であり、彼を中心にジャズ・ロックという新様式が注目を集めていた。電子音や不協和音、エスニック・エレメントまでを取り込んだマイルズの作品群――『In A Silent Way』(69年)から『Get Up With It』(74年)あたり――の斬新なサウンド・プロダクションがハッセルにいかに多大な影響を与えたのか……それは、77年に出たハッセルの初ソロ・アルバム『Vernal Equinox』や2作目『Earthquake Island』(78年)を聴けばよくわかるだろう。こうしたキャリアを経て80年に世界を驚かせたのが、件の『Fourth World Vol.1 - Possible Musics』だったわけである。以後ハッセルは20枚ほどのソロ・アルバムを発表する傍ら、トーキング・ヘッズやデイヴィッド・シルヴィアン、ピーター・ゲイブリエル、ライ・クーダー、エクトール・ザズー、ハウイー・Bなどさまざまな音楽家たちの作品にも参加し、“第四世界音楽の導師”として不動の地位を築いてきた。ドイツ時代の仲間ホルガー・シューカイとも、『Alchemy - An Index Of Possibilities』(85年)や『Words With The Shaman』(85年)といったデイヴィッド・シルヴィアンの作品で共演している。
というわけで、今回のジョン・ハッセル電話インタヴューでは、新作に関することだけでなく、これまでのキャリアや独創的音楽哲学についても語ってもらった。が、老齢に加え、コロナ・パンデミック下における体調不全も相俟ってか、対話はかなり混沌としたものになった。前の質問を引きずって同じことを繰り返したり、ややこしい話になると途中で思考や説明を投げ出したりと、脱線や蛇足、辻褄のあわない問答がいくつかある。そしてそのなかでしばしば放たれる恐ろしいほどの明晰さ……。当初は、明確な整合性を考慮して問答をわかりやすく編集しようと考えたのだが、しかし、この朦朧とした世界、輪郭のぼやけた世界こそがジョン・ハッセルらしいとも思えてきて、編集は最小限に抑えることにした。通訳の坂本麻里子さんとのなにげないやりとりなども、できるだけそのまま生かしてある。時間的制約のため、ブライアン・イーノとの関わりのことや、70年代前半の活動のことなどを聴けなかったのが残念ではあるが…、ハッセルの作品をBGMにしつつ“第四世界”からの声を楽しんでいただきたい。
というわけで、「音楽を垂直に聴く」というのは、自分自身に質問を発しながら聴くという意味であって、おそらくそれがもっともよく当てはまるのは、そうだなあ……連続していくピースで、しかしそれが常に変化している、そういうものだろうね。シュトックハウゼン作品がいい例だろう。
■取材をはじめさせていただいてよろしいでしょうか?
ジョン・ハッセル(JH):ああ。ただし、ひとつだけ注意させてもらうと、いまはまだ回復期にあってね。この取材を今日受けるってことも思い出したばかりだし……というのも、昨日医者に診てもらい、MRI検査他を受けてね。だから取材のタイミング等について少し混乱させられてしまったけれども……うん、取材をやろう。できるだけがんばって答えるから。
■2018年の『Listening to Pictures』と、今回の新作『Seeing Through Sound』は、どちらも「ペンティメント Pentimento」シリーズの作品として発表されましたが、この「ペンティメント」というコンセプトについて、改めて説明していただけますか。
JH:うん、あれは……(何かに気づいて)ありゃなんだ? ちょっと待って、窓の外に誰かいるぞ……冗談だろう? 庭掃除してるのか? (電話越しに人の話し声がかすかに聞こえる)やれやれ、まったく……しょうがないな、ちょっと待ってくれるかい? あの連中から離れるから……(と、窓のそばから移動した模様)。これでよし、と。
さて……まあ、辞書を引いてみれば、「ペンティメント」は「塗られたもの」に由来する絵画用語だと説明されている。ある絵画の一部の要素の上に他の絵が塗り重ねられた状態のことで、そこからあのタイトルの「Seeing Through(表面からその下にあるものを見透かす)」的な意味合いが生じてくる。というのも、アーティストにとっては間違いであり、上から塗って変更したものを、滝のような絵の具のほとばしりや一群の色彩の連続を透かして見ることができるわけで。このタームはまだ音楽的に使われたことがなかったと思うし。というわけで……上にかぶされた変化というか、様々な変更を加えていくうちに、ついにはその人間の探していたものが現れてくることを指している……こんな説明でいかがだろう(笑)?
■なるほど。絵画の修復作業とは違うんですね。あの場合のペンティメントは、ある作品の下に描かれたのは何か、そのオリジナルを見つけるということだと思います。そうではなく、このシリーズの場合は歳月によって絵画が古びたり絵の具が剥げて変化していくという意味に近いのかな。と。
JH:まあ……一般的な意味でのペンティメント、本来の意図とここでの私の意図は異なるわけだ。そういった修復行為は概して過去の名作、巨匠の作品に関わってきたんだと思うけれども、その下にあるものを見つけようとする、というのはわたしには適切なメタファーとは思えない……そうだな、うん、何かを再び用いて、それを新たな文脈のなかに置く、ということじゃないかと。
■あなたは以前から「垂直の音楽」という独自の視点について語ってきましたが、今回の「ペンティメント」というコンセプトとの関係について説明していただけますか?
JH:フム、そうだな。ああ〜(苦笑)……通話にフィードバックが起きているな。何秒かの間隔でディレイがあって自分の声が戻ってくる……どうしたものか。自分の声が反響するのを聴いているとどうも混乱するんだ。困ったな。君の側で何か手を打てるかい? わたしが自分の声を聴かなくてもすむように、何かできる?
■試しに改めて電話をかけ直してみましょうか? それくらいでは解決しないかもしれませんが。
JH:よし、じゃあトライしてみようよ。
(かけ直す)
■先ほどの通訳ですが。
JH:フム……今度は君の声が非常に遠くなったな。すごくぼやっとしていて声がほとんど聞こえないくらいだよ。
■それは困りましたね……こちらははっきりと聞こえるんですが。
JH:ちょっと待って、こちらで少しいじってみるから……(と何かやっている)うん、イエス! これでどうだい? よく聞こえる?
■ええ、こちらははっきり聞こえます。
JH:そうか、よしよし。いや、家の周りでいろんなことが起きていてね。まったく! 庭掃除でガーデン・ブロワーを使っているんだよ(笑)。大変うるさいし、しかもたまたま電話取材を受けている悪いタイミングで作業がはじまったという……
■(苦笑)
JH:それはともかく。うん、電話で話すのに向いたスペースを見つけたし、これでお互いクリアに聞こえそうだな。
マイルズ(・デイヴィス)は彼の絵画をいくつかジャケットに使ったが、あれは視覚と音響とをひとつに合わせるやり方だったわけだ。要するに、「この絵画が君に語ろうとしているのは何か」という。あの絵と音楽の間に働く(苦笑)エロティックな連想について疑問の余地はないし、でもそれと同時に宗教的な連想もあって。とにかくそうやって、物事の間にある区分を打ち壊している。
■はい。というわけで質問に戻ります。「垂直の音楽」と「ペンティメント」との関連についての話だったんですが……
JH:ああ、まあ、非常に広い意味でつながっている、ということじゃないのかな? だから……音楽を垂直に聴く行為は、「自分がいま耳を傾けているこれは何なんだろう?」という根本的な質問を自分自身に問うことを意味していてね。どういうことかと言えば、いわゆる普通の聴き方とは逆に、「なるほど、いまここでこういうことが起きているぞ。そして次の瞬間は……」という具合に一瞬一瞬をつぶさに聴いていく、みたいなことで。思うに、シュトックハウゼン作品のいくつかだとかが、そういう聴き方を求めてくるんじゃないかと……いや、それよりももっと一般的に話を進めようかな。
だから、水平ではなく垂直に音楽を聴くプロセスというのが本当に当てはまるのは──いくつかの音楽は、音楽の近年の歴史において、ある意味新たな発想だったわけだろう? というのも、聴き手は本当に耳にすることを、音の層を見透かしながら(see through)聴くことを求められるわけで……(新作のアルバム・タイトルと同じ表現であることに気づいて苦笑しながら)……まあ、はっきりした意味はこれだと説明したくはないんだが……要するに、聴き手は毎秒ごとに「これは何だ? 自分がいま耳にしているのは何だろう?」と自問することを求められる、という。「垂直に聴く」広い意味での概念、コンセプトはそういうものだけれども、私としては君の側に時間を無駄にして欲しくないというか………だから、聴いていて感情の面で君に何らかの反応を起こすものが得られていれば、そこでいちいちこの私の思考はどうなのだろうとか、意識したくはないだろうし。そこはあまり重要ではないんだよ。というのもどちらの発想も、それそのものはほとんどずっとと言っていいくらい存在してきたわけだから。
とにかく、あるアイディアに集中する、自分の聴いているものに光を照らしてはっきりさせる、みたいなことであって……そうは言っても、モーツァルトをそういうやり方で聴く意味はほとんどないけれどね。あれはまったく違うタイムラインにおいて、異なるコンセプトのもとに作られた音楽だから。というわけで、「音楽を垂直に聴く」というのは、自分自身に質問を発しながら聴くという意味であって、おそらくそれがもっともよく当てはまるのは、そうだなあ……(考えながら)連続していくピースで、しかしそれが常に変化している、そういうものだろうね。シュトックハウゼン作品がいい例だろう。ただまあ、やろうと思えば何にでも当てはまるんだけどね。だから、「自分は何を聴いているんだろう」と考えること、自分の心の中を過っているのはどんな絵か、そしてそれが起きるのはなぜか? を考えることは何であれ可能なわけで。もちろん、これらは結局のところアイディアに過ぎないけれども。だから別に一切用いなくても構わない、これらのアイディアを聴くときに常に当てはめる必要はないんだ。これは純粋に音楽的に聴く、あるいはエモーショナルに感じとるのではなく、音楽を聴きながら理知的に考えを巡らせる行為を自らに課すということだから。
■質問者は15年前にあなたにメール・インタヴューしましたが…
JH:おお、そうだったんだね。
■で、そのときあなたは「いつか、画家のマティ・クラーワイン(Mati Klarwein)の作品をモティーフにしたアルバムを作りたい」と言ってました。『Listening To Pictures』のインナー・スリーヴの献辞であなたはマティのことを「不朽の我がブラザー」と形容していましたが、これら2作品がまさにそれなんですね?
JH:ああ。あれはある意味、とにかく違うものを……聴く側にツールのようなものをもたらそう、ということで。音楽の中で何が起きているかを考える、それをやるための違う手段をね。いくつかの音楽は、それがやりにくいから。たとえば、シュトックハウゼンのエレクトロニックな作品とかね。15年前の発言や、『Listening To Pictures』のスリーヴでのコメントは、聴き手が耳にしているのはどんなものか、そしてそれを頭のなかでどうやってある種絵画的に形容するか、その手がかり/ヒントになるものなんだ。少しだけ、それを忘れにくくするためのツール、とでも言っておこうか(笑)。イメージに置き換えることによってね。聴く者は音楽という名の抽象のなかを動いていくわけだし、移動する間にその標本をつかみとり、それを眺めて考えをめぐらせ、「さて、いま自分の聴いているこれはいったい何だろう?」と自らに問いかけていく。「どうしてこれは他の何かとは違うんだろう?」とね。で、それらの判断は瞬間的に下されていくものだし、ゆえに聴いているものを実際に楽しむための妨げにもなりかねない。けれども一方でまた、新たな聴き方をおこなうための刺激材料にもなり得るんだよ。
■これら2枚はあなた自身が設立したレーベル「インディア(NDEYA)」からのリリースですが、つまり、マティ・クラーワインへのトリビュート作品を出すために、わざわざ自分のレーベルを作ったと考えてもいいでしょうか?
JH:ひとつだけ、言わせてもらってもいいかい? レーベルの名前だけれども、正しくは「インデイヤ」と読むんだ。この名称はマティ・クラーワインの受けていたインスピレイションに由来いている。私はスペインのマヨルカ島のデイアでしばらく彼と一緒に暮らしたこともあったんだ(註:マティ・クラーワインは2002年に亡くなるまで、マヨルカ島北西部にある村デイア=Deia で暮らしていた)。そこでマティがどういう風に作品に取り組んでいたか、彼の受けた影響はどんなものだったか、彼があれらの絵画──わたしにとって非常に大きなものであるあれらの世界を生み出していく過程で聴いていたのはどんな音楽なのかを私は知っていった。彼が亡くなる前にあの地で一緒に過ごした経験は私にとって本当に素晴らしいものだった。だから、このレーベル名はマティ・クラーワインの芸術に対するオマージュなんだ。
[[SplitPage]]黒人音楽はたしかにわたしの最初の音楽体験だった。私はティーンエイジャーだった頃にトランペットの教師について学んでいたし、そうした教師はほぼ誰もがジャズあるいはポップ畑の出身だった。それにもちろん、メンフィスで育った限り、あの「ブルースのフレイヴァー」が身体の一部にしみ込まずにいるのは無理な話であって。わかるだろう?
■マティ・クラーワインの絵のなかにある哲学とあなたの音楽のなかにある哲学はどのようにクロスしているのでしょうか。あるいは、マティの作品はあなたにどのようなインスピレイションを与えてきたのでしょうか。
JH:そうだなあ、結局、あの島がもたらしたインスピレイション、ということになるだろうね。あの、地中海に浮かぶ島の。とにかく、彼の霊感がどこから発していたのかを自分も目にしたわけで。彼の絵画作品には長い歴史があり、そこでは原始的なものと未来的なイメージが混ざり合っている。だから、私は彼の作品から他とはかなり違うものを学んだんだ。それに彼は根っからの音楽好きだったし、いろんなことに興味のある人で。おかげで私たちは、パーソナル面とアーティスティック面の両方で交換し合う素晴らしい関係を結べたんだ。
■エレクトロニクスを駆使し、さまざまなエスニック・エレメントを取り入れた近年の音楽作品には、あなたの子供や孫のような作品が少なくありません。若い音楽家たちに対する自分の影響力について、あなた自身はどのように認識し、どう感じていますか。
JH:まあ、そうやってお世辞を言われるけれどもね。私のやった何かから出てきたものを興味深いと思ってくれる人がこれまでにいた、と。で、まあ……こういう見方をしてみたらどうだろう? たとえば視覚や聴覚といった感覚機能を組み合わせていくと、わかってくるものなんだ。そこには相当な……そうだな、マティ・クラーワインの絵画作品を見てみるとしようか。実際の話、彼の絵はよくマイルズ・デイヴィスや、マイルズのレコーディング作品と結びつけて考えられている。というのも、何作かのジャケットにマティの絵が使われているから(註:『Bitches Brew』、『Live-Evil』など。その他、マティが描いたアルバム・ジャケット作品を集めた画集「Mati And The Music:52 Record Covers」も出版されている)。君はマティの手がけたマイルズ作品は知っているかな?
■はい。
JH:マイルズは彼の絵画をいくつかジャケットに使ったが、あれは視覚と音響とをひとつに合わせるやり方だったわけだ。要するに、「この絵画が君に語ろうとしているのは何か」という。あの絵と音楽の間に働く(苦笑)エロティックな連想について疑問の余地はないし、でもそれと同時に宗教的な連想もあって。とにかくそうやって、物事の間にある区分を打ち壊している。ある意味、許可を与えられた というか……だから、「セクシーなジャケットのJ・S・バッハ作品のレコード」を見かけることはまずないだろう?
■(笑)ええ。
JH:(笑)まあ、人によってはセクシーに映るジャケットだ、ということもあるかもしれないが。ただ、彼がマイルズ作品のために描いたなかでもっとも最近の絵画を眺めてみれば、そこに見てとれると思うよ、インデイヤという概念を備えた世界を。つまり、私はそのなかに入ったことがあるわけだ。実際インデイヤ(デイア)に行ったことがあり、マティとも親しかったし、彼の音楽の趣味がどれだけ幅広くて雑食型だったかも知っている。とにかくそうやって、あのアート間の結びつきを、視覚芸術と音響芸術の間の結びつきを作ろうとする、ということなんだよね。そこはかなりユニークなところだと私は思っている。
■あなたは77年のソロ・デビュー作『VernalEquinox』から Eventide社のハーモナイザー「H910 Harmonizer」を使い、83年の『Aka / Darbari / Java』からはフェアライトも導入しましたよね?
JH:ああ。
■新しい機器との出会いは、往々にして、新しい表現を生み出しますが、あなたは常に楽器やイフェクター、あるいはテクロノジーの進化に目を配っていますか。
JH:幸い私はこれまで、とても多くのいろんな類いのミュージシャンたちと関わってこられたし、その面で恵まれていた。おかげで、何が起きているのか、かなり広い視点から捉えられているよ、グラフィック面においてね。そして、それが実際にどう関連しているか……音楽とその音楽の叙述――おそらくそれは音楽をグラフィックとして代弁したもの、と言っていいだろうけれども、それらのふたつがいかに関わり合っているかも知っている。それはわたしにとって非常に重要な点であり続けてきたし、マティは……基本的に彼はわたしの兄弟分だったわけだ。少なくともスピリチュアルな兄弟と言っていい。
インド音楽には西洋音楽よりもはるかに古い音楽的伝統があるからね。もっと、ずっと、ずっと、ずっとディープなものだ。その全体像については、いわゆる「ラーガの宇宙」とでも言っておこうかな。それは途方もなく繊細、かつ美しいものだ。
■あなたの初期の作品には、1970年前後のマイルズ・デイヴィスの音楽からの強い影響を感じます。あなたにとってもっとも重要なマイルズの作品はどれでしょうか。
JH:フーム(考え込んでいる)……そうだな……ぱっと思い浮かぶのは『Live-Evil』だな。というのも、あのジャケットはマティによるものだから。あのアートワークは、ひとつの面は一種のパラダイスの図であって、そこにはエロティックな要素が含まれている。対してジャケットの別の面はこの、まったくの……フーッ、あれはどう形容すればいいのかな……完全なる退廃、および醜悪さ、醜さを描いていてね。一方はエクスタシーの図であり、かたやもう一方は嘆かわしいある種の地獄図で、けれどもそのどちらもマイルズである、という。
■『Live-Evil』は音楽的にもあなたにとって重要でしょうか。
JH:そうなんだが……ここであの作品が浮かんだのは、私には彼の絵との繫がりがあるわけだし、ある意味彼の過去の作品とのつながりを強調するため、というか。彼の作品は、わたしが今回用いたように、これからも再生利用が可能だと思う。
■メンフィスで生まれ、黒人音楽に囲まれて育ったことは、あなたの表現にどのような影響を与えたと思いますか。
JH:黒人音楽はたしかにわたしの最初の音楽体験だった。私はティーンエイジャーだった頃にトランペットの教師について学んでいたし、そうした教師はほぼ誰もがジャズあるいはポップ畑の出身だった。それにもちろん、メンフィスで育った限り、あの「ブルースのフレイヴァー」が身体の一部にしみ込まずにいるのは無理な話であって。わかるだろう? とにかくそれが存在しているんだ。というわけで……ここで君の訊きたいことは、ざっくり言えば「南部で育ったこと、そしてそのブルースの世界がどれだけわたしに影響したか?」ということだと思うけれども、だとしたら、その答えは「強かった」になる。そうは言っても、多くの人間が様々なやり方でブルースをやっていたし、だからきっと、そこからわたしの受けた影響やどうそれを活かすかも、ちょっととらえ難くて微妙なものなんだよ。それはつまり、「10代にトランペットを習っていた頃に受けた初期の影響の数々と、ジャズのパフォーマーたちの影響とをあなたはどうやって溶け合わせたのでしょうか」と質問するようなものであって……それらは間違いなく、重要なエレメントだった。
■あなたは世代的にはビートニク世代だと思いますが……
JH:ああ、そうなんだろうね。
■これまでの人生で、自分自身の中にビートニク性を感じたことはありましたか。
JH:ハハハハハッ! まあ、君がどう解釈するのか私にはよくわからないし……君がどう考えているのか、ビートニクというタームに対する君の態度/志向を知らないから。なので、その質問は、また別の機会に改めて訊いてもらう方がいいと思う。その方が自分もいい回答ができると思う。
■わかりました。あなたは60年代半ばにシュトックハウゼンの下で2年ほど学びましたが、そこでの最大の収穫は何だったと思いますか。
JH:もちろん、現代音楽を学ぶ過程でアーノルト・シェーンベルクとセリエル音楽の到来があったわけで、そこでは数値が……(苦笑)すまないね、どうも誰かが家に来たらしくて、そっちに気を取られてしまった。おかげで気が散って答えに集中しにくくて。で、ええと……質問は、そう、シュトックハウゼンについてだった! OK。シュトックハウゼン、彼は非常に……理論的なタイプの人物だった。けれどもそればかりではなく、彼が初期に書いた作品には子供合唱団の、子供たちの声のエコーから成るものもあった。つまり、彼の幅はかなり広かったということであり……彼はドイツのケルンで育ったはずだし、そこからきていたんだろうね。それから、前衛の探究が始まり、十二音階システムへと方向を変えたわけだ。シェーンベルクがはじめた十二音技法へとね。シェーンベルクも、そのカテゴリーのなかで、いくつか美しい作品を残しているが……まあ、その質問に対する答えはどこかにあるんだろうけど(苦笑)……すまないが、そのためには非常に多くの話をしなくてはならないから、このへんで。
■わかりました。
JH:とにかくまあ、シェーンベルクとシュトックハウゼンのやったことはエモーショナルであり……そして美しい、というのに尽きるね。あの当時に使えた主な編成はオーケストラだけだったわけだが、彼らはこの十二音技法、セリエリズムのコンセプトをオーケストラに移し替えようとしていた。セリエリズムが意味するのは、出てきたもの次第で最終的な解決が変化するということだが、それは音響スペクトルを操作することによって生み出されるものであり、かつ、あの当時の欧州音楽の歴史と何らかのつながりも維持しようとしていたわけだ。つまり、伝統を完全に放棄することなしにおこなわれていたから、かなりクラシック音楽調な、美しいものをそのなかで聴き取ることができる。
■あなたと一緒にシュトックハウゼンの下で学んだイルミン・シュミットとホルガー・シューカイは、その後カンを結成しました。70年代半ばまでのカンの作品はいまなお高く評価されていますが、当時あなたは、カンの音楽についてどう思っていましたか。あるいは、何らかのインスピレイションを受けたことはありましたか。
JH:ああ、シュトックハウゼンの授業を一緒に受けたサークル内において、彼らとは親しい間柄だった。シュトックハウゼンは非常にオープンな人でね。十二音技法というアイディアの協和音の範囲のなかですらそうだった、という意味で。そこでは十二音の細かなリズムがコンスタントに入れ替わっていくわけだが、となると何らかの形での調律を取り入れ、そして美しさを生み出す方法をあのシステムの中から作っていかなければならない。で、あのシステムそのものはとても……ある面でメカニカル、かつ厳格なものだし、そこに何かを付け加える必要がある。十二音技法に取り組んでいたグループの面々は、自分たちの音楽的伝統から完全に離れようとしたわけではないんだよ。たとえばアントン・ヴェーベルン……あの一派(十二音技法〜セリエリズム)の作曲家たちのなかで私がもっとも好きな人だが、彼は丘に放牧された羊のサウンドのエコーを使った音楽、みたいなものをやったことがあった。ということは、シェーンベルクの十二技法を用いつつ、そこにそうしたアイディアを盛り込んでもいいということで。そうした要素をどう変えていけるか試してみるのは間違いなく素晴らしいことだ。たとえ、あれだけ厳格なシステムを使っていても、そこから何か美しいもの、アルプスの山麓で羊飼いの鳴らすベルの音色に耳を傾ける時のように心をとらえインスパイアしてくれる何かを作り出すことができるという……ああ、で、カンについて言えば……彼らが何をやっていたかは、実はちゃんとフォローしていなかったんだ。だからあの時点では、彼らがグループを結成したのは私にとって大きな驚きだった。でも、元クラスメイトとして彼らに対しては強い思いを抱いているし、ああして学んだことから彼らがどこに向かうことを選択したのか、いかにして自分たちの表現したいことを決めていったのか、そこにも感じるところは大きい。
■ラ・モンテ・ヤングやテリー・ライリーと共に、インドでパンディット・プラン・ナートにも師事しましたが、インド音楽と西洋音楽の最も大きな違いは何だと思いますか。
JH:まあ……インド音楽には西洋音楽よりもはるかに古い音楽的伝統があるからね。もっと、ずっと、ずっと、ずっとディープなものだ。その全体像については、いわゆる「ラーガの宇宙」とでも言っておこうかな。それは途方もなく繊細、かつ美しいものだ。だから本当に深く、じっくりと学ばなくてはならないものだと思う。テリー・ライリーが実践したようにね。あの長い、長い、実に長い歴史と何らかの形で連携を持つためには、深く学ばなくてはならないんだ。さまざまな構成要素を持つその歴史は何百年も前にまでさかのぼるわけだから。ラーガにはそれぞれ特定の意味もあるしね。たとえば、ある種のラーガは朝にだけ歌われたり演奏されるし、あるいは夜にだけ演奏されるものもある。雨の日にだけ演じられるラーガもあれば、雨の降らない日のためのラーガもある。ラーガというのは非常に環境と密接に繫がったアートの形式であり、とても機微に富んでいる。テリー・ライリーは西洋世界におけるそのマスターになっていて、私は彼の下でも学んだんだ。インド音楽もまた、私の受けた教育や影響の中の、別の、非常に重要な要素のひとつだった。
■70年代末期にあなたが提唱した「第四世界(Fourth World)」というニュー・コンセプトは、すでに70年代初頭からあなたの頭のなかにあったと何かで読みましたが、このコンセプトはどういう経緯やきっかけで生まれたのでしょうか。
JH:そのコンセプトについて考える際には、あの当時の世界がどんな状況にあったのか、昔の文脈に思考を移してもらう必要がある。だから……ええと…(ひとりごとのようにつぶやきつつ)すまないね、質問の最後の部分は何だったかな? ああ、そうだ、世界についてだった……ある特定のサウンドによって「朝」や「夕方」、あるいは「雨降り」や「雨の降っていない状態」といった感覚を喚起することのできるこの感性、それはとても古い時代に起きた現象だったわけだよ。それが起きた場を実際に味わい、寺院の屋根に上がってそこで師匠と一緒に音楽の練習をするというのは……本当に、本当に素晴らしいことだった。部分的に「垂直な音楽」とも被るけれども、こちらはもうちょっと広範なもので……つまり、古代から伝わる形式からの影響を現代のフォルムにもたらすということだった……いや、そうじゃないな…もっとシンプルな話、「追加」のようなものだったんだ。あの当時、世界は分割されていた。第三世界、一般的にはより貧しい国々と考えられていた世界と、先進国側とにね。で、その頃、さまざまな楽器やエレクトロニク・サウンドのもたらす可能性などが登場した。そこで私は思ったんだよ。じゃあ、ここにもうひとつ付け加えたらどうだろう、と。自分がその宣伝マンになればいいじゃないか、とね。
で、その「第四世界」が意味するものはいったい何だろう? 我々も知っていたわけだよね、第一世界というのは西洋社会の持つ経済的なパワー云々のことであり、対して第三世界は「持たざる者たち」のことで、かつそこに暮らす人々はさまざまな苦難を味わっている、と。ところが彼ら第三世界の人びとは、つらい目に遭いながらも、この非常に古代的に思える音楽をまだ演奏していたわけだよ。では、純粋にコンセプトとして、そこに第四世界というものを付け加えてみたらどうだろう? その世界はどんなものだろうか? と。そうやって私は、第四世界があったらそれはどんなものだろうかという想像力を広げてみたわけだ。第三世界は「貧困」や「後進」と同義語だったわけだが、その下に第四世界というものを足してみたらどうだろう、と。いまの我々にはさまざまなテクノロジーがあるんだし、それをその発想に含めたらどんな組み合わせが生まれるだろうか? と考えたんだ。
■なるほど。だから『Fourth World Vol. 1』には「Possible Musics(起こり得る音楽)」なるサブ・タイトルが付いていたわけですね。
JH:あー、うん、まあ、そういう捉え方もひとつとしてあるね、うん。
■もう予定時間も過ぎていますし、ここで終わりにします。
JH:OK。
■今日は、お時間をいただいて、本当にありがとうございました。どうぞ、お体にはお気をつけください。コロナがまだ蔓延していますし、用心ください。
JH:(笑)ああ〜、うんうん、もちろん用心するよ! いま我々はとんでもなく奇妙な……なんともおかしな時期を潜っているものだね。この疫病のおかげで自宅に閉じ込められているわけだし……
■ですね。
JH:(うん、実に奇妙な時代だ。エレクトロニクス関連の性能が上がり、放送の方法も変化し、ディジタルといった新しいことも存在していて……うん、これは非常にパワフルな転換点だろうね、いまのこの世界を「第四世界」と呼ぶタイミングとして。
2020年を象徴するヒップホップ・アルバム
大前至
90年代半ば以降のUSアンダーグラウンド・ヒップホップ・シーンを牽引した Company Flow のメンバーである El-P と、アトランタ出身で Organized Noize や Outkast が中心となって結成された Dungeon Family の流れを組みながら、バーニー・サンダースへの支援など政治的な発言も活発的に行なう活動家でもある Killer Mike によるヒップホップ・デュオ、Run The Jewels。ジョージ・フロイド事件以降、アメリカ国内で「Black Lives Matter」ムーヴメントが再燃するなか、その盛り上がりに呼応するようにリリース日を前倒しして発表されたのが、彼らの4枚作目となるアルバム『RTJ4』だ。
まるでドラムがマシンガンのように連打するオープニング曲 “yankee and the brave (ep. 4)” に象徴されるように、本作は全てが攻撃的かつ怒りに満ち溢れている。前作『Run The Jewels 3』がリリースされたのが2016年、そして本作に関する最初のアナウンスが2018年秋ということで、当然、ジョージ・フロイド事件が起こる、もっと以前の段階でアルバム自体は完成していたわけだが、結果的にいまの時代の流れに完全にリンクした作品になっている。そういう意味で、このアルバムを象徴する一曲としてまず挙げられるのが “walking in the snow” だ。フックを務めた Gangsta Boo の存在感も素晴らしいこの曲だが、警察官による暴力行為を含む人種差別について El-P と Killer Mike が強い声明を放ち、曲の後半では Killer Mike のリリックにある(ジョージ・フロイド氏も発していた)「I can't breathe」という言葉が胸を強く打つ。Pharrell Williams と Zack de la Rocha (Rage Against The Machine)というゲストの組み合わせもかなりサプライズなシングルカット曲 “JU$T” は本作のメインを飾る1曲だが、現在も続く人種差別の元凶と言われているアメリカ合衆国憲法の修正第13条(詳しくは YouTube で無料配信されているドキュメンタリー映画『13th 憲法修正第13条』を参照)についても触れるなど、豪華メンバーによって綴られているコンシャスかつ政治的なメッセージは実に強烈だ。
ここまでコンシャスな作品でありながら、本作は説教臭さというものはほとんど感じられず、ヒップホップ作品として純粋な格好良さがストレートに表現されている。それは El-P と Killer Mike のある意味、ダーティなスタイルのラップもひとつの要因であるが、やはりプロデューサーとしてアルバム全曲のトラックを手がける El-P の手腕に依る部分も非常に大きい。Company Flow 時代から常に異端とも言えるヒップホップ・サウンドを貫きながら、それが結果的にフォロワーをも生んでいた El-P だが、ベース・ミュージックやエレクトロ、さらにロック、ハードコアなどもミックスさせた彼のスタイルは、本作でも最大限の力を発揮している。また最先端に突き進むだけでなく、一方でオールドスクール回帰な要素もあり、例えば Nice & Smooth の Greg Nice とスクラッチで DJ Premier がゲスト参加している “ooh la la” もそのひとつであるが、個人的に衝撃を受けたのが 2 Chainz をフィーチャした “out of sight” だ。この曲でのトラックとリリック両面での The D.O.C. “It's Funky Enough” の引用は、彼らの原曲への愛情と El-P のプロデュース・センスの高さを強く感じさせ、Run The Jewels の優れた部分が最も現れた曲のひとつだとも思う。
前述したように、時代とのリンクという部分も含めて、本作は2020年を象徴するヒップホップ・アルバムとして、今後も語り継がれる作品になるのは間違いない。
[[SplitPage]]ブロック・パーティの歓喜と高揚
二木信
金を燃やし、暴れ、踊り、酒を飲み、その場は人びとの笑顔と喜びに満ちている。上空ではヘリが飛び、ストリートは人で埋め尽くされている。アトランタ市長との会見で、いまは自分たちのホームを燃やすときではないと涙ながらにピープルに自制を求めるスピーチを行なった活動家のキラー・マイクもここでは楽しそうに巨体をゆっさゆっさと揺らしながらラッパーとして歌い、ダンスしている。サングラス越しながらも、でっかい酒瓶をラッパ飲みするエル・Pのニヒルで、不敵な笑みも窺える。いろんな人種が集まりとにかく楽しそうだ。これは、そう、言うまでもなく、ラン・ザ・ジュエルズ(以下、RTJ)の “Ooh LA LA” のMVである。そして当然のことながら私たちは、コロナ・パンデミックが発生する数週間前に撮影されたこのMVからBLMのデモや蜂起を連想するわけだ。が、実はその読みは間違いではないが、ちょっと外れている。というのも、これは長い階級闘争の終結した日の祝祭を描いているからだ。それでみんなして財布やクレジット・カードやドル札を路上にまき散らし、炎のなかに投げ入れている。階級闘争が終わった日を描くとは、なんてロマンチックな発想だろうか。「まず第一に、法律なんてクソくらえだ。俺たちは生身の人間だ」、キラー・マイクはそうかましている。
今回4枚目となるアルバムを発表したRTJは決して流行のモードのヒップホップをやっているわけではない。4枚ともその点で一貫している。共に1975年生まれのエル・P(ブルックリン出身)とキラー・マイク(アトランタ出身。ちなみに彼はキング牧師が通ったモアハウス・カレッジに入学している)はキャリアの分岐点に差し掛かっていた10年代初頭ころ、アダルト・スイムのディレクターを介して知り合った。そして、キラー・マイクの『R.A.P. Music』(2012年)をエル・Pが全面的にプロデュースするところから関係がスタートする。出発地点でRTJの青写真は明確だった。それは、アイス・キューブがボム・スクワッド(パブリック・エネミーのサウンド・プロダクションで知られる)と組んで完成させたソロ・デビュー作にして、ヒップホップ・クラシックである『アメリカズ・モスト・ウォンテッド』の現代版だ。いわば騒々しくも緻密にアレンジされたノイズの美学――それがRTJである。
“Ooh LA LA” のサウンドは言ってしまえばキックとスネアがドカドカしたNYの硬派なブーム・バップの伝統に忠実である。が、リズムはすこしもたついているだろう。さて、そこで、RTJはアイス・キューブとボム・スクワッドのコンビと何が違ったのか。それは、エル・Pのインダストリアルとキラー・マイクのサザン・スタイルを融合させたことだ。つまり、NYと南部のヒップホップの結合を実現させた。“JU$T” なんていい例だ。もちろん、キラー・マイクのラップがサザン・スタイルというのもあるが、エル・Pと共同プロデューサーが作り上げたビートからニューオリンズ・バウンスやマイアミ・ベースといった南部ヒップホップの享楽を感じ取ることができないか。
エル・Pとキラー・マイクのふたりは厳密な政治/社会意識に基づき表現活動をしている。故に、RTJは考えることを促す音楽でもある。実際、“JU$T” でもキラー・マイクは黒人の抑圧された状況と資本主義について切りこみ、客演で参加したファレル・ウィリアムスは、エイヴァ・デュヴァーネイ監督が 「現代の奴隷制」としての監獄制度の実態を克明に描き出したドキュメンタリー『13th -憲法修正第13条-』(13th)と同様の問題意識に立って修正第13条に言及している。
だから、すべてのリリックを理解できるに越したことはないし、それによって作品や表現への理解は深まる。彼らもそれを望んでいるだろう。が、一方でバカ騒ぎを肯定するヒップホップでもあるし、ステイプル・シンガーズの一員としても活躍した、リズム&ブルース/ゴスペルのベテラン歌手、メイヴィス・ステイプルズが深い憂いを帯びた歌声を披露する “pulling the pin” からプログレッシヴな展開をみせる “a few words for the firing squad (radiation)” へ向かうクライマックスもユニークだ。『ジーニアス』を読み込むのもいいが、まずは音に向き合うことをおすすめする。
“Ooh LA LA” のラップもビートもMVも、その反骨精神もヒップホップのブロック・パーティの歓喜と高揚とダンスと結びついている。歓喜と高揚そのものが支配者を恐れさせる。それは、ブロック・パーティの時代までさかのぼる、ヒップホップのポジティヴなパワーだ。だから、まずはRTJを聴いて、踊れ。考えるのはちょっとあとでも大丈夫。そして、金を燃やせ。
ロンドンの新進ジャズ・ピアニストとして注目を集めるドミニク・J・マーシャル。今年はソロ・アルバムの『ノマドズ・ランド』が素晴らしい出来栄えだったが、それとは別のプロジェクトでもアルバムを発表した。デヴィルズ・オブ・モコという名前のピアノ・トリオだが、もともと組んでいたドミニク・J・マーシャル・トリオ(DJMトリオ)を発展させたもので、メンバーはDJMトリオ時代のサム・ガードナー(ドラムス)と、アフリカのコンゴ出身のムレレ・マトンド(ベース)による組み合わせとなる。
ドミニクとサム・ガードナーはリーズ音楽大出身で、そのときの学友にはやはりDJMトリオのサム・ヴィッカリーがいたほか、サウス・ロンドンを代表するピアニストのアシュリー・ヘンリーもいて、両サムはアシュリーの処女作にも参加していた。サム・ガードナーはセプタビートという人力ドラムンベース・ユニットもやっていて(以前執筆したドミニク・J・マーシャルの原稿では別人と認識していたが、どうやらサム・ガードナーとセプタビートは同一人物のようである)、タイプ的にはリチャード・スペイヴンあたりに近いドラマーだ。ほかにもサマディ・クインテットという、インド音楽や中南米音楽とコンテンポラリー・ジャズを結び付けたグループも率いるが、ここにはドミニク・J・マーシャルとサム・ヴィッカリーも参加していて、つまり彼らは昔からの友人で、日頃から親密な関係性を持つミュージシャンなのである。
そのリーズ音楽大時代に開かれたアフリカ音楽のアンサンブルのワークショップに、コンゴからイギリスに移住してきたムレレ・マトンドが参加して、デヴィルズ・オブ・モコの原型は作られたと言える。ムレレ・マトンドはコンゴ・ディア・ントティラという、アフリカ音楽にジャズやブルース、ファンク、レゲエ、ラテンなどの要素をミックスしたグループをやっていて、昨年アルバム『360°』を〈プッシーフット〉からリリースした。〈プッシーフット〉はハウィー・Bによる伝説的なレーベルで、1990年代にはスペイサーやサイ、ドビーなどトリップホップ~アブストラクト・ヒップホップ~ダウンビート作品をリリースしていた。当時はコールドカットによる〈ニンジャ・チューン〉やジェイムズ・ラヴェルの〈モー・ワックス〉などと並ぶ存在だったが、2000年代に入ってからは活動が鈍化していた。最近になって再びリリースも活発になってきたが、アーティストや作品傾向もかつてのトリップホップ時代とは随分と変わってきているようだ。そして、このコンゴ・ディア・ントティラの繋がりで、デヴィルズ・オブ・モコのファースト・アルバム『ワン』は〈プッシーフット〉からリリースされることになった。
もともとアフリカ音楽のサークルから始まったデヴィルズ・オブ・モコだが、メンバーがそれぞれいろいろな活動をする中で音楽性も徐々に変化していき、現在はコンテンポラリー・ジャズにヒップホップ、ロック、クラブ・サウンドなどの要素を融合したものとなっている。ゴーゴー・ペンギンあたりに近いピアノ・トリオと言えるだろう。ただし “ヴァタ” “ザンバ” “ゾジンボ” など曲名にはアフリカの言葉が多く使われていて、根底にはアフリカ音楽からの影響が流れている。たとえばアフロビートのようなわかりやすい形でアフリカ音楽を取り込むのではなく、スワヒリ語で夢を意味する “ンドト” のようにポリリズミックなサムのドラムスや、どこかアフリカン・ハープのコラを想起させるドミニクのピアノにより、モダンに進化したアフリカ音楽とジャズの融合を見せてくれる。
基本的にメンバー3人の生演奏によるアルバムだが、“アルゴリズム” や “サンダイアル” や “ホーム” に見られるようにドミニクはグランド・ピアノに加えて随所でシンセも用い、アコースティック・サウンドに巧みにエレクトリク・サウンドも織り交ぜたものとなっている。“スペース” のトリッキーで複雑なリズム・パターンや、“ホエアズ・ジ・ワン” のスリリングなベース・ランニングもいまの新世代ジャズらしいものだ。“オリヴィア” はヒップホップ経由のメロウなジャズ・ファンクといった趣で、“ゾジンボ” のビートはドラムンベースを咀嚼したものとなっている。ジャズの洗練されたインテリジェンスにクラブ・サウンドに代表される現代的なモチーフを忍ばせ、そして土着性や民族性と切り離した形でアフリカ音楽の要素も融合したのがデヴィルズ・オブ・モコの音楽である。