実存的な不安と戦いながら、根拠のない希望と根拠のある怒りを失わず、時代の波に乗ってやろう、尖ってやろうというパッションを持ったインディ・ロック、知性とユーモアと冒険心を持ったロック・バンドはいまどこにいるのだろうか? あ、いた。UKのファット・ホワイト・ファミリーのようにゴミ箱から這い上がってきたような連中を知るとちょっと安心する(笑)。
彼らには、アウトサイダー、放蕩者、変人、ホームレス、元ドラッグ中毒者などなど……いかにもロックなエピソードがすでに多くある。それはいまどきオールドスクールでレトロ風味の伝説なのか、それとも、時代に風穴を開けることができるポテンシャルを意味しているのか。なにかと風紀委員化する日本という国にはとてもおさまりそうにない。が、こんな連中の音楽に、イギリスが世界にほこる『ガーディアン』をはじめ、あるいは本国の音楽メディアはかねてより共感と期待を寄せている。アークティック・モンキーズで有名な〈ドミノ〉レーベルは、ここ数年でもっともエキサイティングなロック・バンドだと評価し、彼らの新作をリリースすることにした。それが通算の3枚目の『サーフス・アップ!』である。
ファット・ホワイト・ファミリーは、破天荒なバンドのようだが、音楽的にはじつに豊かで、じつに多彩だ。彼らのサウンドには、70年代初頭のソウルから70年代後半のポストパンク、サイケデリックからインダストリアル、クラウトロックからビーチ・ボーイズ、いろんなものの影響がミックスされている。歌はメロディアスで親しみやすく、ハーモニーがあり、アイデアの詰まった演奏とのバランスをうまく取っている。というか、基本どの曲もキャッチーだ。さあ、注目しよう、彼らはインディ・ロックの救世主か? ヴォーカリストであるリアス・サウジ、鍵盤担当のネイサン・サウジの兄弟ふたりにそれぞれ話を訊いた。最初はやはり、どうしてもブレグジットの話から──
俺たちは小さなグループで、俺たちのことを好きな連中は周りにほとんどいなかった。だから俺たちのほうも向こうとは関係を持たずに、ある意味孤立してたんだよ。で、向こうは……よくわかんないけど、モダンなインディ・ミュージックなんかを聴いてて、俺たちはそんなのクソじゃん、って思ってた。そういうんじゃなく、すごいのはブルース・スプリングスティーンだ! とか(笑)。
■ブレグジットのことですが、UKっていまけっこうカオスじゃないですか?
ネイサン:誰にとってもよくわからないよ。混乱してる。なんていうか……右翼のリーダーたち、っていう小さなマイノリティが引き起こしたことが、大ごとになってる。いい気分はしないね。ある意味、絶望的でもある。まるでみんなが終末に向けて投票したみたいで。というか、人びとは何かしらの変化を求めて投票したのに、それはより悪い方向への変化だった。だから、『国民がそう投票したんだから、実現させろ』っていうのが合ってるとは俺には思えない。わからないけどね。
リアス:まあ、いま何が起こっているのか、何が起ころうとしているのか誰もがわかっていない状態ではある。イギリスってずっと昔からふたつの国がひとつの国に存在しているし、つねにカオスなんだけどね。あと、階級差が激しくて、ごく一部がディズニーランドみたいな生活をしていて、残りは労働者階級。俺の場合、親父はアルジェリア人の移民で、お袋は北アイルランド出身。だから、移民と移民を嫌う地域の中間で育ったんだ(笑)。
でもまあ、いまUKがとくにカオスとは思わない。世界のいたる場ところで様々な出来事が起きているしね。お互いに耳を傾けることをしない状態が長く続いたんだろうな。自分の世界にこもって、狭い世界観のなかで皆が長い時間を過ごしすぎたんだと思う。いま、そのガタが来てるんだよ。トランプの当選だってその表れさ。彼も最低だけど、彼を選んだ人がそれだけいたということだからね。労働者階級の人びとの声がいま形になって見えてるんだ。ここまで表に出てきたんだから、もう目を背けることは出来ない。そういうカオスがいま起きているけど、それはいつだって起こりうること。生きていれば、そういうことは起こるのさ。
■「Whitest Boy On The Beach」では、ジャケットもスロッビング・ギリッスルのパロディでしたが、そのサウンドにもそのPVにもTGの影がちらついています。と同時に、この曲においても“白人”ということがからかいの対象になっていますよね?
ネイサン:俺と兄のリアスとサウル(・アダムチェウスキー)の3人で、バルセロナに行ったんだ。バンドから抜けるって決めたときにバルセロナに行って、3人でビーチにいた。で、兄貴もサウルもかなり色白で、痩せてたんだよ。で、リアスがビーチ全体を眺めて、14歳くらいのやつでも自分たちより体もデカいし、日焼けしてる、って言ったんだ。「あいつらの方がずっとデカくていい体してる」って。ま、基本的に自虐的なギャグだったんだけど。『ヒョロヒョロの白人男がビーチにいる』って。まわりのラティーノのキッズはずっと健康的なのにね(笑)。そこから来てるんだ。つまり、俺たちはルーザーだ、っていうのから。
■そもそもあなたがたの世代でロック・バンドをやろうなんて人はそれほど多くはないと思うんですけど、たとえば高校時代、音楽の話で気が合う友人はいましたか?
ネイサン:ていうか、俺たちは小さなグループで、俺たちのことを好きな連中はまわりにほとんどいなかった。だから俺たちのほうも向こうとは関係を持たずに、ある意味孤立していたんだよ。で、向こうは……よくわかんないけど、モダンなインディ・ミュージックなんかを聴いてて、俺たちはそんなのクソじゃん、って思ってた。そういうんじゃなく、すごいのはブルース・スプリングスティーンだ! とか(笑)。だから俺たちだけで孤立してた。
ただ、ギター・バンドっていう話だけど、それっていちばん普通の楽器だよね? 最初に手に取る楽器って、大抵はギターだろ? で、「うわ、これなんだ? どうする? 何ができる?」って感じで。そこからサウンドを探っていって、レコードももっと聴いて、「この楽器はなんだ?」とか思うようになる。それで「あ、これなかなかいいじゃん」っていうのを見つけていくんだ。うん、鉄板焼き食べに行くときと同じ(笑)。最初はモヤシとか、ちょっとしたものからはじめるんだけど、だんだん「向こうのあいつが食べてるの、試してみよう」って、ナスを食べてみたり。好奇心ってやつだよ。
原口:まわりがそういう音楽を聴かず、バンドもいないなか、どうやってそういった音楽を発見したんですか? どんな音楽を聴いていましたか?
リアス:ボブ・ディラン、ジョニー・キャッシュ、レナード・コーエン。あとはちょっとだけどクラッシュとか。あの場所に住んでいたから、そういった音楽が、俺にとっては外の世界と繋がって入れる手段だった。兄貴がそういう音楽を聴いていて、俺に聴かせてくれたんだよ。それが大きかった。あとは、当時のガールフレンドの父親がでっかいレコード・コレクションを持ってて、彼もいろいろとおしえてくれたな。
■あなたがたの音楽は雑食性が高く、たとえば“Fringe Runner”なんかのリズムはタックヘッドみたいだし、必ずしも約束通りのロックではないとは思います。ただ、形態はロック・バンドだし、やはりまわりのみんなはR&Bやラップ・ミュージックに夢中だったと思います。どうしてロック・バンドなどという、経済的にも人間関係的にも苦労するであろう表現形態を選んだのでしょうか?
ネイサン:それはいま言ったとおり、いちばんありふれてたから。それが結果的にどうなるとか、選んだわけでもなかった。それと、俺が聴く音楽はヒットしたやつだけなんだ。ゴールデン・ヒットってやつ。ジャンルは問わない。なんでもありなんだよ。ほんと、なんだっていい。その音楽がマジでファッキン・グッドであるかぎりは(笑)。昨日の夜はレギュレーターズを聴いてた。で、そこからヒプノティック・タンゴを聴いて、ソフト・セルを聴いて、エルヴィス・プレスリーを聴いて、締めにビートルズなんかを聴いたり。つまり、なんでもありなんだ。俺はバッハとか、クラシック音楽も聴くしね。セックスするときはいつも、なるべくクラシック音楽を流すようにしてる。五感が喜ぶような気がするからね。俺のお気に入りはヴィヴァルディとバッハだな。それに、ジャズでもなんでも……いいものは、なんでもいい! 音楽にはふたつのタイプがあるんだと思う。いい音楽と、悪い音楽。それだけだよ。
■「アイ・アム・マーク・E・スミス」をやったのは、純粋に彼へのリスペクトもあったと思いますが、同時に、彼のことをよく知らないあなたと同世代のリスナーへのメッセージでもあったんでしょうか?
リアス:当時、俺がザ・フォールの真似をしているだけという批評があった。それへのレスポンスが「アイ・アム・マーク・E・スミス」。俺は、自分はある意味マーク・E・スミス(オールドスクールな)だと思ってる。たくさん彼の音楽を聴いてきたから、俺のなかにはマーク・E・スミスが強く存在している。俺はあの作品で、彼のキャラクターを演じたかった。あのタイミングでそれに挑戦するということは、俺にとってリスクだったけどね。ザ・フォールのファンに批判されるかもしれないし。でも俺は、あれを作って皆に封筒を差し出したんだ。
[[SplitPage]]いまの若くて貧乏な連中には、そういうアートを探るチャンスが与えられてない。金もゼロ、サポートもゼロ、方向性みたいなものもゼロだと、人が一番に求めるのは何かしらの安全、セキュリティになる。アートみたいなものは顧みなくなるんだ。
■たとえばいまUKにはマーク・E・スミスのような人がいないことをあなたがたはどのように考えていますか? ひとつの解釈としては、労働者階級出身の良いロック・ミュージシャンが昔のようにはいなくなっているということがあると思いますし、もう昔のようにロックそれ自体が反抗の音楽でもないという考え方もあるんじゃないでしょうか?
ネイサン:どうかな……わからないけど、むしろ経済状況と関係してるんじゃないかな。いまの若くて貧乏な連中には、そういうアートを探るチャンスが与えられてない。金もゼロ、サポートもゼロ、方向性みたいなものもゼロだと、人がいちばんに求めるのは何かしらの安全、セキュリティになる。アートみたいなものは顧みなくなるんだ。すごく悲しいことだけど。とくに都市周辺はもともと物価が高いし、才能やマテリアル、すべての素晴らしいものへのアクセスにものすごく金がかかる。それに貧乏だと、金よりもまず、アートなんかかける時間がないんだよ。生活のなかにそのための時間がない。で、結局どんどんミドルクラスの連中が全部取りすることになるんだ。でも、ミドルクラスの連中が音楽を通じて表そうとするものは……なんていうか、多くの場合、そこには他の人びとに対して自分は何を意味するのか、みたいなものが欠けてるんだよね。本能的なもの、衝動みたいなものが。いまはほんと、そういうのばっかりで。それに対して俺が何を感じるかっていうと……失望だな。ロンドンとかで部屋を借りるのなんて、もう無理なんだよ。金がない連中はスクワットしてたけど、もう俺たちが最後くらいじゃないかな。残念な話だ。
■そう、南ロンドンのペッカムって、なんかファッショナブルで、ちょっといまハイプになってきている感じもするんですけど、そんな場所であなたがたはスクウォットしていたという話を読みました。現代のロンドンは、物価も家賃も高くて、再開発されていて、もう貧乏人は住めない街で、昔のようにスクウォッターなんていない街だと思っていたので、意外に思ったのですが、ロンドンには、あなたがたのような生き方をしている人もまだいるってことですね?
ネイサン:いまはもうスクワットなんて無理だね。不可能だ。まあ、全部そういうもんなんだろうけど。浮き沈みがある。だろ? 都市が進化することもあれば、その進化ってやつが馬鹿馬鹿しかったり。まあ、俺としてはいい気分はしないよ。俺はもうロンドンじゃ部屋を借りる金なんてないし、まわりの友だちもみんなそうだし。
リアス:ここ何年かで、どんどん変わってきている。ニューヨークやベルリンと違っ、ロンドンにはレント・コントロールがないからね。どんどん高層ビルが建てられて、中国人の億万長者が建てているビルだから、建っても誰も住んでない。新しい建物が建っても、労働者階級の人びとは、そこに住めるわけがないんだ。そういう現象は起こっているけど、それでも南ロンドンは良い街だとは思う。俺たちももうブリクストンには住めないけどね。ブリクストンに遊びには行けるけど、住めはしないな。でも、遊びに行くには良い街だし、南ロンドンはいまも面白いと思うよ。
全裸なのは俺(笑)。しばらくやってたけど、やっぱトラブルになったから最近はやってない。俺はアートとして裸体に興味があるんだ。自分なりにGGアリンのライヴ・パフォーマンスを分析しているというか、そんな感じ。逮捕されたこともあるけどね(笑)。
■メンバーに全裸の人がいますが、それって、ある種の開き直りというか、隠しごとなんてないからどこからでもかかってこい的な気持ちのあらわれだったりするのでしょうか?
リアス:全裸なのは俺(笑)。しばらくやってたけど、やっぱトラブルになったから最近はやってない。俺はアートとして裸体に興味があるんだ。自分なりにGGアリンのライヴ・パフォーマンスを分析しているというか、そんな感じ。逮捕されたこともあるけどね(笑)。
ネイサン:兄貴はただ、人から反応を引き出すのが好きなんじゃないかな。昔からああだったし。子どもの頃から、学校の教室でいきなり服を脱いで、机の上に立ってた。裸で他のキッズを見下ろしてね(笑)。だから、ずっとそうだったんだよ! まあ、どういう理由でやってるのか知りたかったら、きっとリアスと膝つき合わせて、あいつの精神分析をしないといけないだろうな。本当に本当の意味を知りたければ(笑)。ま、俺からすると、他人のリアクションを見るのが好きなんだと思う。あれがリアス的な人生の楽しみ方なんだよ。
■『サーフス・アップ!』というタイトルが痛快でいいですね。この言葉を選んだのはなぜでしょうか?
ネイサン:サーフ(surf)っていうのは、いま、現在ってこと。で、いまって世界中で右翼ポピュリズムのムーヴメントが起きてる。で、人びとが共鳴して立ち上がってるんだけど、それこそが人びとをさらに抑えつけ、ひどい状況に引きずり込むものだっていう。あのタイトルはちょっとそれに言及してるんだ・
リアス:労働者階級がもっと自由になるために伸び上がるっていうのを表現したのがあの言葉。ブレグジット、トランプ、そういった現代の問題を総括したものがこのタイトルなんだ。ビーチ・ボーイズのアルバムをもじったと思われがちだけど、そうじゃない。たまたまそうなっただけだよ。
■アルバムのアートワーク、これはいったい何なんでしょうか?
リアス:あれは、ニーチェ(※マーク・E・スミスのお気に入りの哲学者でもある)の”力への意志”と、スーパーマンのアイディアを表したものなんだ。ドイツのヒロイズム(※英雄的資質)。あとは、俺たちのお気に入りのバンド、ライバッハへの同意でもある。最終的に、俺たちは皆愛すべき利己主義者なんだよ。
ネイサン:俺たちはヨーロッパ的で古い感じの、自然のイメージが欲しかったんだ。どこか神話的なイメージ。何か誇れるような、いいものがね。でも必ずしも……うん、そういうイメージを好きになるのに、ナショナリストである必要はない。美しいものを誇りにしたっていいんだ。たしかに自然主義的な絵画、イメージを右翼は好んできたし、左寄りだとそういうイメージを使っちゃいけないことになってるのかもしれないけど、「なんでいけないんだ?」ってこと。誰だって使っていいんだよ。シンボルそのものは右翼でも、左翼でもないよね? ただのシンボルなんだ。そしてそれが表現すべきものを表現してる。なのに無理やり意味を付加されて、袋小路的な思考に押し込められてて。でもそれに従ってたら、もうトライバリズムしかなくなる。だろ?
■“Tastes Good With The Money”(※イアン・デューリーの息子、バクスター・デューリーが参加))のような曲は、曲名からしてきっと新自由主義的なことをからかっているんだろうなとは推測するんですけど、アルバム全体で、メッセージのようなものはあるんですか?
リアス:曲それぞれでメッセージは違う。あまり歌詞の内容やメッセージを明確にはしたくないんだ。でも、英雄的苦しみ、男らしさのイメージの崩壊、ポピュリズム、自己愛とアート、そういったものが主なテーマだとは言えるかな。
■“I Belive in Somthing Better”は、ろくでもないことばかりこのご時世でも良いことあるよっていう希望の曲なんですか?
リアス:あの曲では、俺たちなりに環境保護について書いてみたかったんだ。セオドア・カジンスキーみたいな奴のことをいろいろな奴らがプロぶって崇めているけど、カジンスキーが爆弾で多くの人びとを殺し、負傷させた事実には触れもしない。俺たちはそれが馬鹿げていると思うし、そんな奴らが語っている理にかなっていない社会問題を超えた素晴らしいものがこの世のなかには存在しているということを書きたかった。
■いまいちばん頭に来ていることといまいちばん楽しいことは?
リアス:頭に来ているのはブルジョア。あと、非現実的な希望を掲げて活動する政治家たち。あと、俺自身に十分な金がないことだな(笑)。ブリクストンに住めないくらい(笑)。楽しいことは、音楽で食べていけてはいること。アルバムを作れるくらいの余裕はある。あと、ドラッグ中毒じゃなくなったことと、アメリカ人の彼女がいないこと(笑)。
ネイサン:人間が環境崩壊に突き進んでることに対しては、すごく憂慮してる。ある日は考えたくもないし、また別の日には何かしなきゃいけない気持ちに駆られるし。落ち込むね。で、ハッピーになれることは、もしすべての終焉が来るとしたら、もうちょっと暑くなる(=温暖化)、ってわかってることかな。で、それを生き延びる動物もいるだろう、ってこと!
■あなたがたの考える、イギリスのいちばんいいところってなんだと思いますか?
リアス:それは俺だな(笑)。俺を作ったこと(笑)。何事にもオープンで、人種も混ざっている。つまりは、自分自身を持ちながらも、さまざまな文化や要素が混ざっているということさ。
ネイサン:いまUKでいちばんいいところ? ファック、回答不可能な質問だな! ま、俺たちが日本に行けるかもしれない、って思うといちばん嬉しいね、いまは(笑)。
萩原:まあ言っておくと、日本もかなりのカオスですよ。わけのわからないことも起きてるし、そこははっきりさせておきます(笑)。
ネイサン:まあどこでもクソってことだよね? きっと必要なのは、第四の産業革命なのかも。たぶんね」
萩原:あと経済と、民主主義では何かしないといけないかもしれないですね。
ネイサン:うん。まあ、もがくのをやめちゃダメだ、ってことなんだろうな。みんな一人じゃないんだし。じたばたしつづけないとね!













