「K Á R Y Y N」と一致するもの

FUMIYA TANAKA & TAKKYU ISHINO - ele-king

LIQUIDROOM 20th ANNIVERSARY
-HISTORY OF TECHNO-

djs
FUMIYA TANAKA
TAKKYU ISHINO

vj
NAOHIRO UKAWA
with REAL Rock DESIGN
(FULL GENERATIVE AI VJ SET)

2024.08.03 saturday
LIQUIDROOM
open/start:23:00
TICKETS:¥4000(+1drink order別) 
先着先行:6/15(sat)10:00-7/7(sun)23:59
https://eplus.jp/sf/detail/4123530001-P0030001

・注意事項
※ご入場の際、ドリンクチャージとして700円頂きます。
※本公演は深夜公演につき20歳未満の方のご入場はお断り致します。本人及び年齢確認のため、ご入場時に顔写真付きの身分証明書(免許書/パスポ ート/住民基本台帳カード/マイナンバーカード/在留カード/特別永住者証明書/社員証/学生証)をご提示いただきます。ご提示いただけない場合 はいかなる理由でもご入場いただけませんのであらかじめご了承ください。

歴史は夜作られる

 夜は、昼に対するオルタナティヴだ。いつだってそう、歴史は夜作られる。とはいえ、何もわかっちゃいなかった。90年代がはじまったばかりの頃、ある程度、ハウスやテクノの知識はあったし、そうタグ付けされたレコードも所有していた。クラブに行って踊ってみたりもした。だが、じつは何もわかっちゃいなかった。自分はただ、それまで好きだったロックの耳で、ハウスやテクノを聴いていたに過ぎなかった。ダンス・ミュージックとしての、身体的で、肉欲的な、解放の音楽を、感覚や魅惑がつねに優位にたつ、言うなればこのエクスタシーの音響科学の本質を30年前のぼくに教えてくれたのは、田中フミヤと石野卓球である。
 すばらしく安全で、しかしまったく安全ではない自由。熱狂的で過激な欲望が、この音楽文化のイマジネーションと創造性の原動力になる。彼らふたりが日本のテクノ史において重要なのは、まさにそこだ。フロイト的に言うならイドの解放。テクノに対するこうした解釈、すなわち週末が楽しみでならないライフスタイルの喜劇と悲劇を、その最高の瞬間の数々を、この日本で、ディスコもハウスも知らない世代に叩き込んだ偉大な、罪深きDJたち(笑)。ダンス・ミュージックとしてのテクノが彼らからはじまったとは言わない。しかし、それをこの日本にいっきに広めたのは、間違いなく彼らだった。
 ふたりはある時期からは、それぞれの道へと進んで、それぞれの音楽を更新し続けている。同時に、あれから30年、シーンの細分化は加速し、多くのサブジャンルが生まれている。みんなが同じ場所にいるということは、いまでは滅多に見られない。だから、いまいちど、彼らふたりのDJというだけでじゅうぶんに胸アツなのだ。「history of techno」などというお題がなくても、彼らがまたその夜、歴史の新たな1ページを作ってくれるだろう(もうひとりのすばらしい共演者、我らが宇川直宏がREALROCKDESIGNとタッグを組んだ、フルAIによるVJとともに)。
ele-king 野田務

A. G. Cook - ele-king

 2013年に発足され、2023年に新譜のリリースを終了した〈PC Music〉が現代のオルタナティヴなポップスに与えた影響はとてつもなく大きい、というのは言うまでもない事実だろう。少なくとも、私事ではあるけれど電子音楽への強い興味をぼくに抱かせてくれたのもA. G. クックがコロナ禍に発表したアルバム『7G』と『Apple』であり、そこから〈PC Music〉の諸作が見せてくれるきらびやかな世界に引きずり込まれていまがある。個人的な体験は省略するとして、〈PC Music〉とともにポップスを換骨奪胎する形で生まれたオルタナティヴなポップ・ソングの一群は故・ソフィーの躍進とともにバブルガム・ベースと呼ばれ、それらはいつしか #Hyperpop とタグづけされるようになった。そして、ハイパーポップという商業ラベリングの着想源となったこの巨大なムーヴメントを切り拓いたA. G. クックは、新たな一歩を踏み出すべく2024年に新レーベル〈New Alias〉(=直訳すると、新たな通称?)を設立。同時に4年ぶりのフル・アルバム『Britpop』を発表した──大量のエスプリやイースター・エッグ的仕掛けに富んだ3つのプロモーション・サイトとともに。

 まず、作品それ自体を語る前に、この一連のプロモーションにこそA. G. クックの美学が込められていることについて解説しておきたい。具体的には「音楽界で最も信頼されていない声」とうそぶくピッチフォークのパロディ・メディア「Witchfork」(ジョークながら読み応えあるテキストが潤沢に用意されている)、ウムルやメス・マス、DJ G2G などクックに近い音楽家の新リリースからファンによる投稿作まで、さまざまな音楽作品をフリーで提供するバンドキャンプのパロディ・サイト「Wandcamp」、そして「膨大な穀物ライブラリ」を取引するためのプラットフォームという(ダジャレのような名称の)ビートポートのパロディ・サイト「Wheatport」の3サイトを、アルバムのプロモーションを兼ねて4 月 24 日までの期間限定で更新していった(現在はいずれもサイトの入口に「当サーヴィスは非公開の多次元複合企業に買収されました」といった架空の声明が表示されているものの、音源のダウンロードや記事の購読は可能)。
 ちなみに、3サイトの頭文字はそれぞれ「W」で、3つ並べるとつまりワールド・ワイド・ウェブとなる。そしていずれも最終的な導線は「WWW」というクックが新たに立ち上げたディスコード上のサーバーと紐づけられており、こうした半オープン/半クローズドなコミュニティ・プラットフォームこそが現行のインターネットだよね? と示唆しているようにも受け取れる。

https://witchfork.com/Witchfork%2C-Wandcamp-and-Wheatport-Set-To-Close-As-Part-of-WWW-Merger-Mystery/662659afbe40536839947789

 この資本主義的な音楽プロモーションを皮肉ったような一連の動きのモチーフになっているのは、Witch=魔女、Wand=杖、ethereal entities=エーテル体などのファンタジックで呪術的なフレーズと、multidimensional=多次元、otherworld=別世界といったSFチックで非現実的なフレーズなど。なぜそうしたイメージで本作『Britpop』の作品世界を拡張しようとしたかといえば、それはこのアルバムが過去/現在/未来の3つの階層に分かれた24曲入・3枚組の重層的な作品だからだろう。霊的なものと並行世界、神秘的なものととテクノロジー、そしてそのどちらにも偏らない私たちが暮らすいま、ここについてをレイヤーを重ねるように並列化しているアルバムだ。

 「過去」パートと定義されたDisc 1、M1~M8までの各トラックはこれまでのクックのパブリック・イメージに近しい〈PC Music〉的なバブルガム・ベース~ユーフォリック・トランス~IDM的なサウンドで、「現在」パートとされるDisc 2のM9~M16には古びたオルタナティヴ・ロック──つまりはタイトル通り「ブリットポップ」への憧憬が感じられる歌を基調としたトラック、そして「未来」パートとされるDisc 3のM17~M24はそれぞれ「過去」パートを踏襲しつつ、それらを塗り替えていこうとする意欲に満ちたシンセ・ポップのニュー・スタンダードを提示している。楽曲単体にスポットを当てると、アルバムの入口となるM1 “Silver Thread Golden Needle” は135BPMのIDMライクなトランス・ナンバーとして抜群の完成度で、先行シングルとして2024年1月1日にリリースされたことにも納得できる。なお、こちらは2014年リリースの代表曲 “Beautiful” を9年越しにリエディットした “Beautiful (2023 Edit)” を引き継ぐ形で制作されたようで、10分弱のトラックに耳を傾けると同曲や同じく代表曲のひとつである “Show Me What” などのヴォーカルをカットアップ的にサンプリングしていることがうかがえる。
 「現在」パートの収録曲は表題通り、クックなりのブリットポップ愛/ブリットポップ観が感じられる脱構築的なインディ・ポップ~オルタナティヴ・ロックとして統一感を持っており、とくにM16 “Without” は急逝した才能、ソフィーに捧げられたディストーション・ギターの弾き語りとなっていることが印象的だ。Disc 2──「現在」の締めくくりにふさわしいこの曲が、現実からかけ離れたキッチュなサウンド・メイキングで世界を席巻したクックのもうひとつの側面である、ポップ・ソングの名手としての一面を際立たせていることは素朴な感動を与えてくれる。
 一転してDisc 3──「未来」パートではバブルガム・ベースの方法論を用いてよりオーヴァーグラウンドなシンセ・ポップへ挑戦する姿勢が見られ、ビヨンセチャーリーXCX、そして宇多田ヒカルといったポップ界の巨人たちと数々の仕事を重ねた彼が見ている新たな景色の一部を切り取ったかのような、いわば「メインストリーム的な実験」という矛盾を見事に成功させている。特筆すべきは先述したプロモーションの核に位置する「WWW」というキーワードと同じ題名を与えられたM22 “WWW” で、5分強のなかでいままでとこれからを一切合切マッシュ・アップしたような目まぐるしい展開が1曲にパッケージングされている。時折顔を見せる2ステップ的なハイハット使いやロック歌手のような歌声にも、やはりイギリス人としてポップスをつくることへの矜持のようなものを感じる。

 魔法とテクノロジーを並列化して、ベッドルームと外界に橋を架けて巨大なポップ・シーンを楽しげに塗り替えていったA. G. クックの10年を総括しつつ、予測不可能な未来へのヒントも散りばめた意欲作でありながらも、作品全体に通底しているのは「ポップ」であること。クックはリリースに伴い複数のインタヴューで、本作の着想を「パンデミック中に過ごしたアメリカ・モンタナ州の片田舎」で得たと語っている。田舎の牧場にはかつてイギリスからアメリカを開拓するべく渡った人たちの残滓として、古いイギリスを感じさせるシンボルが残っていたという。その前後、本国ではブレグジットや女王の死などの象徴的な出来事がいくつも起こり、彼は複雑な想いのなか、単なる愛国心ではなく矛盾した感情の狭間で揺れたそうだ。本作のプレス・リリースでは「自分自身のキャリア、“イギリスらしさ” の概念、そして時代を定義したムーヴメントへの敬意と否定を並列に描く」という、明確なコンセプトも示されている。ぼくたちが日本に抱く複雑な思いもきっとそうだろうし、どこにいたって人はつながっている、そんな時代でもフッドのことを捨て去るのは難しいのだろう。ならば、せめて疑いながら愛したい、という人の子のシンプルな気持ちがこのような大作に現れることも無理もないことだし、事実クックは4年ぶりのこの大作で自身の功績を総括しつつ新天地へと進むことを示した。

SOUL FIRE meets Chica/Undefined meets こだま和文 - ele-king

 いまダブの波が来ている。宇田川町に居を構える虎子食堂の15周年記念イベント特別編、強力な面子×2組による熱い一夜のお知らせだ。
 ひと組は、大阪のダブ・マスターHav率いるSOUL FIRE。バンドとしてはひさびさの東京でのライヴで、ヴォーカリストChicaとともに出演する。
 もうひと組はレジェンドこだま和文と、共作『2 Years / 2 Years In Silence』を残すUndefinedによるタッグ。こちらもひさびさのライヴとなる。
 DJ陣も抜かりない。レゲエ・セレクターのパイオニアのひとりである佐川修、blastheadのHIKARU、そして先日seekersinternational & juwanstocktonの強烈なダブ・アルバムを送り出したレーベル〈Riddim Chango〉(1TA&Element)の3組。
 さらに会場では、SOUL FIREの7インチが先行販売されるという。8月24日は渋谷WWWに集合です。

超の付くダビーな15周年、超虎子の宴開幕です!

うまい飯とうまい酒、そして音楽とそこに集まる人、人、人──宇田川町に居を構えて15年、虎子食堂、今年の周年のスペシャル・ヴァージョンは現地を飛び出し、同じく渋谷のWWWにて「これしかない」と店主熟考の下に集めたラインナップで開催決定!この国のダブのオリジネイターのひとり、こだま和文、そして海外のモダン・ダブの牙城〈ZamZam Sounds〉などからもリリースするダブ・ユニット、Undefined。2022年にコラボ・アルバム『2 Years / 2 Years In Silence』をリリースした両者が、同年の同じくWWWでのライヴ以来、ひさびさにライヴを行う。もう一方のスペシャルなライヴ・アクト、大阪のダブ・マスター、Hav率いるSOUL FIREがヴォーカリスト、Chicaと共に出演。バンドとしては虎子7周年記念以来の東京でのライヴ。この国の東西のある意味でレジェンダリーでありながら、現在進行形のダブ・サウンドが直撃する一夜となる。DJには、この国のレゲエ・セレクターのパイオニアのひとりであり、「溶け出したレコード箱」などここ数年、虎子食堂での出演が活発化している佐川修。想像の外側からエコーの残響にのってダビーにアシッドの熱風を呼び込む、HIKARU。国内外の現在進行形のダブ・サウンドをリリース、1TAとElement──今回会場で先行で販売されるSOUL FIREリイシュー7インチをリリースするなど過去の国内産ダブの遺産を紹介する1TA〈Rewind Dubs〉、そして I Jahbarとのコラボなどカッティング・エッジなダブ・サウンドをリリースするElementによる〈Parallel Line〉というサブ・レーベルもそれぞれ運営──によるセレクター・デュオ / レーベル、Riddim Changoも登場する。レゲエやダブを後景にしつつ、さまざま音楽とそれを愛する人が集まるあの場所の、15年の集大成、いわば超虎子食堂的な一夜を!(河村祐介)

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公演タイトル:SUPER TIGER

出演:
〈LIVE〉SOUL FIRE meets Chica/Undefined meets こだま和文
〈DJ〉佐川修/HIKARU (blasthead)/Riddim Chango (1TA & Element)

日時:2024年8月24日(土曜日)開場/開演 18:00
会場:WWW
前売券(2024年6月12日(水曜日)18:00発売):3,500円(税込・ドリンク代別)
前売券取扱箇所:イープラス、虎子食堂店頭
問い合わせ先:WWW 03-5458-7685

フライヤー画 : 西加奈子

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★国産Dubリイシュー・レーベル〈Rewind Dubs〉より、関西のレジェンドDubバンドSOUL FIREのアーカイブから7インチアナログレコードがリリース決定、そして本イベントにて先行販売!
2000年初期にリリースされたアルバム「SOUL FIRE」から煙立ち込めるルーディなステッパーチューン"Rizla”と、未発表曲"Who is DirtyHarry?"をカップリングした一枚。

7-inch Vinyl single
Soul Fire - Rizla w/ Who is DirtyHarry?
Catalog number : RWDS7-001
Price : ¥1,980 (tax in)

https://www-shibuya.jp/schedule/018020.php

James Hoff - ele-king

 ニューヨークのアーティスト、ジェイムス・ホフ(1975年生まれ)の新譜『Shadows Lifted from Invisible Hands』がフランスの実験音楽レーベル〈Shelter Press〉からリリースされた。アルバムとしては2014年にドイツのエクスペリメンタル・ミュージック・レーベル〈PAN〉から発表された『Blaster』以来なので実に10年ぶりにということになる。
 もっとも2022年にEP『Inverted Birds And Other Sirens』を〈PAN〉よりデジタルリリースしているので、ホフのサウンドアーティストとしての音源発表は2年ぶりなのだが、そもそも2022年のEPリリースもそれなりに驚きだったのだ。だいいちこの時点で8年ぶりだ。 
 というのもホフは現代アートの画家としても活動をしているし、さらには60年代以降の知られざる現在美術を発掘する独立系出版社「Primary Information」(https://primaryinformation.org)の共同設立者でありディレクターでもあるのだ。つまり現代アート/美術方面での活動がメインと言ってもよいかもしれない(ちなみに『Shadows Lifted from Invisible Hands』のアートワークは米国の画家・彫刻家のジャック・ウィッテン(Jack Whitten)の1979年作品「Mother's Day 1979 For Mom, 1979」)。だからもうサウンド・アーティストとしての音源はリリースされないのではないかと勝手に思っていた。ゆえに2022年の『Inverted Birds And Other Sirens』は驚きだったし、今回の『Shadows Lifted from Invisible Hands』も同様である。次のリリースまで10年近い月日が必要だったのだろう。
 
 テン年代エクスペリメンタルミュージックのリスナーにとって、〈PAN〉からリリースされたジェイムズ・ホフの『How Wheeling Feels When The Ground Walks Away』(2011)と『Blaster』(2014)は忘れ難いアルバムだった。新しいノイズ・ミュージックを提示する10年代前半の〈PAN〉とのノイズとポップの領域を拡張するような作品をリリースし始める10年代後半以降の〈PAN〉との「はざま」にあるような作品/アルバムだったからである。ノイズとポップ、実験とポップの領域を拡張するような作風だったというべきか。
 特に『Blaster』はダンス・ミュージック的な躍動感と強烈な電子ノイズが同居する躍動的なアルバムであり、コンピューターウイルスに感染させたサウンドファイルを用いるなどコンセプチュアルなアルバムでもあったのだ。あえていえばマーク・フェル直系のグリッチ/テクノ・サウンドだった。

 だが本作『Shadows Lifted from Invisible Hands』はやや趣が異なる。理由は3点ある。まずリリースが〈PAN〉からではなく、フランスの〈Shelter Press〉ということ。そしてピアノやドローンを用いたクラシカルなサウンドということ。加えてマシニックかつ無機的な『Blaster』と比べるとエモーショナルなこと。この3点である。
 むろんノーコンセプトというわけではない。「ここ数年頭から離れないポップソング(ブロンディ、マドンナ、ルー・リード、デイヴィッド・ボウイ)の断片と、何十年も経験してきた耳鳴りの周波数から作られた」という。だが同時にこれは「自伝的」ともホフが語っている。つまり「このアルバムは主に、現代の音響状況の中で、個人的、感情的、そしてもちろん批判的な新しいものを作ることをめざした自己肖像です」というのだ。
 ここで興味深いのは、この明晰な「コンセプト」が、そのまま自伝的な意味合いを帯びている点である。それが結果として静謐でエモーショナルなクラシカル/アンビエントになったことが自分には興味深い。この作風は確かにストリート・エクスペリメンタルな作風の〈PAN〉というより、室内楽的な音響作品を主とする〈Shelter Press〉的だ。
 
 アルバムは30分ほどの収録時間で全4曲収録している。先に書いたようにピアノ、シンセサイザーによるアンビエント調の楽曲だが、どこか中心点な曖昧で、音がゆっくりと崩壊していくようなムードがある。そこに微かなエモーションが息づいているという不思議な音楽だ。マシンからエモーショナルへ? ともあれ確かに現代はエモ・アンビエント(クレア・ラウジー)の時代なのかもしれない。
 1曲目“Eulogy for a Dead Jerk”は低音のシンセサイザーによる短い持続音から始まり、やがてそれが弾け飛ぶような音と共に本格的に幕を開ける。その一撃から音楽性は一変し、点描的なピアノと弦学風のシンセサイザーによるアンサンブルになる。やがて高音の電子音も絡みつく。実に見事な電子音のアンサンブルだ。
 2曲目“Everything You Want Less Time”はクラシカルなピアノから始まり、透明なシンセサイザーのフレーズが折り重なる短い楽曲だ。3曲目“The Lowest Form of Getting High”は1曲目“Eulogy for a Dead Jerk”のような高音の電子音にクラシカルなフレーズがレイヤーされるトラックで、その旋律はやがて誰もが耳にしたことがあるだろうメロディへと変化していく。4曲目“Half-After Life”は以前のホフ的な強烈なノイズからは始まり、すぐさま弦の音とピアノの音が絡み合うサウンドへ変化する。それがやがて美麗なシンセサイザーと加工された声や電子ノイズが応答するようなサウンドスケープを形成する。何より霞んだピアノの響きが美しい。

 このアルバムに自伝的な要素があるとすれば、先にあげたポップソングの引用だろう。しかしそれらの楽曲の音は徹底的に加工され、原型は消失し、もはやほぼ判別ができない。だから重要なのは「記憶」が溶け合っていく、そして「消失」してしまう、その感覚の表現にこそあるように思える。記憶、生成、消失。その音楽/音響化を、例えばザ・ケアテイカーとは異なる手法で実現したアルバムが、本作『Shadows Lifted from Invisible Hands』ではないかと思う。20年代のアンビエンスがここにある。

ドライブアウェイ・ドールズ - ele-king

 ラナ・デル・レイが昨年リリースしたアルバム『Did You Know That There’s A Tunnel Under Ocean Blvd』に収録された〝Margaret〟は、同アルバムをプロデュースしたジャック・アントノフの妻で役者のマーガレット・クアリーの名前をタイトルにしている。アントノフはクアリーに一目惚れだったとデル・レイが最初に歌い、それを受けてアントノフ本人(=ブリーチャーズ名義)が現在のパートナーに少しでも疑問がある人はすぐにその場から逃げろ、逃げろ、逃げろと強く訴える。さらにデル・レイが自分の恋愛に迷いがある人はアントノフとクアリーの結婚式に参列したらいいと結婚式の日取りを告げる。複雑な構成だけれど、基本的には自分の恋愛に漠然とした不安を抱いている人は時間がそれを解決してくれると繰り返す曲で、デル・レイのなかでもとりわけ甘ったるく、暗いカントリーである。アントノフはデル・レイだけでなく、テイラー・スウィフトやロードも手掛ける売れっ子のプロデューサーで、〝Margaret〟はどことなく〝Royals〟などを思わせる。

 マーガレット・クアリーは5年前にタランティーノ監督『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でクリフ・ブース(ブラッド・ピット)を誘惑するプッシーキャットの役で鮮烈な印象を残し、イーサン・コーエン監督『ドライブアウェイ・ドールズ』で早くも主役の座を射止めることとなった(2年前のランティモス監督『哀れなるものたち』では実験材料の役だった)。『ドライブアウェイ・ドールズ』は簡単にいえばレズビアンのカップルがフィラデルフィアからタラハシーまで南下しながら、スピードを出し、食事をしたり、セックスの相手を探すなどふざけ半分でドライヴを楽しむロード・ムーヴィーで、同作の性格は、脚本を書いたイーサン・コーエンの妻、トリシア・クックの言葉が最もわかりやすい説明となっている。いわく、レズビアンを描いた作品は重くシリアスなものが多いので、楽しいセックスを描こうと思ったと。確かに『アデル、ブルーは熱い色』『キャロル』『ロニートとエスティ』と、10年代に公開されたレズビアン映画は受難の時代を題材にしたものが多く、勇ましい気分になることはあっても楽しい作品とはいえなかった。対して『ドライブアウェイ・ドールズ』は笑いっぱなしに近い。共演のマリアンを演じたヴェラルディン・ヴィスワナサンによればカメラが回ってないところでもマーガレット・クアリーは彼女のことを笑わせにかかっていたという。

 1999年12月、オープニングはキケロのバーでアタッシェ・ケースを抱えたサントス(ペドロ・パスカル)がボックス席に座っている。店内にはリジー・メルシェ・デクローによる〝Fire〟のカヴァーが鳴り響いている。サントスは歌詞の通り火がついたようにいきなり店を飛び出すと後から追ってきた店の主人に殺される。場面変わって隠キャのマリアンが仕事場で同僚の男にナンパされるも無視し、陽キャのジェイミーとレズビアン・バーに出掛けていく。ステージに上がり、みんなから脚光を浴びるジェイミーとは対照的にマリアンは地味な服装に嫌味を言われるなど、まったくその場を楽しめない。ジェイミーはしかし、実際にはガールフレンドと別れたばかりでやさぐれた気分になっていて、マリアンがタラハシーに住んでいる叔母の元を訪ねるという話を聞くと、配送サーヴィスで車を借りて一緒にドライヴしながら行こうと提案する。配送センターでタラハシー行きの車を探すシーンがいきなり面白い。胸に「カーリー」という名札をつけたおっさん(ビル・キャンプ)にジェイミーが「カーリー」と話しかけると、おっさんは芝居がかった芝居をしながら「初対面でいきなりカーリーと呼ぶんじゃねえ」と怒り出す。カーリー・ヘアのジェイミーが怒るならわかるけれど、カーリー・ヘアがカーリーのことをカーリーと呼んでカーリーに怒られるのである。ジェイミーがガールフレンドと住んでいた部屋に自分の荷物を取りに戻ると、留守にしているはずのスーキー(ビーニー・フェルドスタイン)がなぜか家にいて壁に取り付けられたディルドをぶっ壊している。「2人で使わないのならこんなディルドはいらない!」とスーキーは絶叫し、マリアンはひたすら怯えている。部屋のドアを開けてすぐのところにある壁にディルドを取り付けていることがそもそもどうかしている。

 配送センターにギャングがやってくると、タラハシーに向かうはずの車が何者かによって先に持って行かれたことを知る。ギャングたちはカーリーをボコボコにし、スーキーの家を探り当てて部屋に乗り込むと、荒れ狂うスーキーに返り討ちにされる。わやくちゃなシーンが様々に続き、ジェイミーとマリアンの車がフロリダ州に着くとタイヤがパンクし、スペアを取り出そうとしてトランクを開けてみる。そこには冒頭でサントスが抱えていたアタッシェ・ケースと丸い箱があり、箱のなかには切り落とされたサントスの首が入っていた。首だけになったペドロ・パスカルというのも笑うけれど、この構図はどうやらファンカデリック『Maggot Brain』のジャケット・デザインを模倣したものなのである。

 本作はイーサン・コーエンによる初の単独作で、実質的な共同監督だという妻のトリシア・クックとも初めて組んだ劇映画となる(2人はジェリー・リー・ルイスのドキュメンタリーを撮ったことはある)。演出スタイルはラス・メイヤーやジョン・ウォーターズを意識したらしく、なるほどかなりえげつない。とはいえ、僕が観た限り同作の演出はコーエン兄弟の方法論そのままで、複数の要素を絡ませる手際はもはやお家芸。アメリカの政治状況を寓話に落とし込むのが天才的に上手いコーエン兄弟の作品は誰かの自由意志によって物語が進むという印象を与えず、登場人物すべてが神の手のひらで転げ回っているように見えてしまうのが特徴。そうしたセンスはこの作品も同じくで、脚本がつくり込まれ過ぎていて独自に人物造形をする余地がなかったと出演者たちが回想していたようにジェイミーがマリアンを振り回しながらレズビアンが自分たちに必要な感情を探り当てていく過程はそのままクリントン政権下でレズビアンがひとつの勢力として固まっていくプロセスを表しているかのよう。ジェイミーとマリアンがお互いを理解し、最終的には人生のパートナーになっていくことはわかりきったことだけれど、なかなかストレートにそこまで辿り着かないところが『ドライブアウェイ・ドールズ』を、まあ、過分に面白くはしているし、それこそラナ・デル・レイの歌詞が言い得て妙ということになる。

(以下、ネタバレ)ジェイミーとマリアンがアタッシェ・ケースを開けてみると複数のディルドが入っている(!)。だいぶ後になってわかることだけれど、そのうちのひとつは上院議員ゲイリー・チャネル(マット・デイモン)のペニスを形どったもので、これが今後も世に出回ると大統領選に響くと考えたチャネルがこれを回収しようとしてギャングたちを動かしていたのである。この映画にはところどころで挿入されるトリップ・シーンのような映像があり、観ている時はなんだかわからなかったのだけれど、終わってからパンフレットを読んでみると、60年代にジミ・ヘンドリックスやウエイン・クレイマー(MC5)のペニスを実際に型取りしたヴィジュアル・アーティスト、シンシア・プラスター・キャスター(22年没)を題材としたもので、この役をノー・クレジットでマイリー・サイラスが演じている。シンシア・プラスター・キャスターがチャネルのペニスを型取りしたという無茶苦茶な設定はどうなのかと考える暇もなく、さらにはマイリー・サイラスがそのシーンで使うようリクエストした曲が〝Maggot Brain〟だったという……うむむ。

 チャネルがジェイミーたちとの取引に応じ、バーのボックス席で待っている時にも〝Fire〟が鳴り響いている。100万ドルを用意してきたチャネルの前にジェイミーたちが姿を現すとチャネルが「誰?」と尋ね、マリアンは「デモクラッツ」と答える。普段、アメリカ人は、民主党のことは「デム」と発音するので、ここで「デモクラッツ」とフルでゆっくり答えるところは爆笑だった(チャネルは大統領候補だとされていたので、翌年が大統領選だったことを考えるとやはりブッシュ・ジュニアを念頭に置いている?)。上映中はそういえば女性たちの笑い声が何度も湧き上がっていた。そもそも観ていたのは女性の方が多く、帰り道で興奮したように話し合っている女性たちの姿も微笑ましかった。そう、間違っても反フェミのアニオタは観に行かない方がいい。女性たちをそうした視線で眺める世界観はここにはまったくない。とはいえ、僕にはこの作品のタイトルがもうひとつよくわからなかった。作品の終わり頃、壁に落書きされた「Drive-Away Dykes」の文字に「oll」という文字が飛んできて上から貼り付き、「Drive-Away Dolls」というタイトルに様変わりするシーンがある。「Drive-Away Dykes」はヘンリー・ジェイムズの小説だそうで、「Dykes」はレスビアンを表す俗語。これがなぜ「Dolls」に置き換えられたのか。「Dolls」は明らかにジェイミーとマリアンのことで、彼女たちを「人形」と呼び換える意味がよくわからない。単に「かわい子ちゃんたち」という意味なのだろうか。ジェイミーがレズビアン・バーでワン・ナイトの相手を見つけて帰ってくるとマリアンはいつも本を読んでいて、それもヘンリー・ジェイムズの『ヨーロッパ人』だという。勉強不足でどうもこのあたりのことが腑に落ちないままです。

LIQUIDROOM 30周年 - ele-king

 1990年代の日本の音楽シーンに多大なる影響をおよぼし、貢献してきたLIQUIDROOMが今年で30周年を迎える。ある世代以上の方は当然ご存じだろうけれども、現在恵比寿にあるLIQUIDROOMはもともと新宿歌舞伎町に存在していた。その新宿時代の10年間にLIQUIDROOMが成し遂げた功績は日本の音楽史を振り返るうえで外せない。
 たとえばそう、ボアダムスのすさまじいライヴの数々やプライマル・スクリームやフィッシュマンズ、コーネリアス、UA、エイフェックス・ツイン、4ヒーロー、トータス、アンダーワールドといった時代のきら星たち、巨匠リー・ペリー、ジェフ・ミルズやアンドリュー・ウェザオールといったレジェンドたちのDJ、そして田中フミヤや石野卓球によるテクノの夜……。
 そんな1994年から2003年までのLIQUIDROOMを振り返る展覧会が現LIQUIDROOMのギャラリーKATAにて開催される。会期は7月13日(土)~7月21日(日)の9日間。入場無料。貴重な記録を目撃することで、音楽シーンの新たな未来を切り拓く一助としたい。(編集部の野田もコメントを寄せております)

LIQUIDROOMの原点である<新宿LIQUIDROOM>の歴史を紐解くアーカイブ展が開催決定

LIQUID START

―新宿LIQUIDROOM SINCE 1994―

LIQUID START制作委員会はLIQUDROOMの原点である<新宿LIQUIDROOM>の歴史を紐解くアーカイブ展を今年恵比寿開業20周年を迎えるLIQUIDROOM全面協力の元、2024年7月13日(土)から7月21日(日)までLIQUIDROOM内のギャラリーKATAにてLIQUID START―新宿LIQUIDROOM SINCE 1994―を開催いたします。

LIQUIDROOMの原点である新宿時代、約10年間の歴史を紐解くアーカイブ展

現在から遡ること30年前の1994年7月。新宿歌舞伎町のビルの7FでLIQUIDROOMの原点である<新宿LIQUIDROOM>が誕生していたことは、ある一定の年齢層を除き意外と知られていない事実かもしれません。今年恵比寿開業20周年のアニバーサリーを迎えるLIQUIDROOM全面協力の元、新宿LIQUIDROOM約10年間の歴史を紐解くアーカイブ企画展を開催いたします。新宿LIQUIDROOMが存在した1990年代後半~2000年代前半の洋邦楽ライブ/クラブシーンの潮流をいま、再認識するということ。それは単なる90’s〜00’sへの郷愁だけでなく、この時代の音楽シーンの影響がどのように後世の音楽やカルチャーへと結びついていったのかを考察するという試みでもあると考えます。LIQUIDROOMファースト・ディケイドの軌跡、ぜひご覧ください。

【開催概要】

イベント名称:LIQUID START―新宿LIQUIDROOM SINCE 1994―
開催期間:2024年7月13日(土)〜7月21日(日)
開場時間:平日:14:00〜20:00 土日祝:13:00〜19:00 *最終日のみ18時クローズ
開催場所:LIQUIDROOM ギャラリーKATA(住所:東京都渋谷区東3-16-6 2F)
観覧料:無料
注意事項:一部を除き写真撮影禁止 :ギャラリー内は飲食禁止とさせていただきます

LIQUIDROOM HP:https://www.liquidroom.net/
KATA HP:http://kata-gallery.net/
LIQUID START公式Instagram:@liquid_start_since_1994

主催:LIQUID START制作委員会
協力:LIQUIDROOM

【本展の見どころ】

■現在では閲覧・入手困難!圧巻のフライヤー・ギャラリー
会場全体を彩るのは、現在ではあまり配布されることがなくなったライブやパーティーのフライヤー。90’s〜00’sならではのムードを如実に反映しているデザインのフライヤーや新宿LIQUIDROOMの月間スケジュール、新宿LIQUIDROOMがオープンした1994年7月から約10年間の公演フライヤーを時系列で一挙に展示。この会場でしか見ることの出来ない、貴重なものとなっています。

■ここでしか読めない!豪華アーティスト陣によるスペシャル・コメント
本展のためだけに寄せられた、アーティスト自身による新宿LIQUIDROOMでの思い出が語られたコメントを当時のアーティスト公演フライヤーと共に展示いたします。

コメント展示予定アーティスト:小山田圭吾(Cornelius)、茂木欣一(フィッシュマンズ、東京スカパラダイスオーケストラ)、Mummy-D(RHYMESTER)、増子直純(怒髪天)、Buffalo Daughter、KEN ISHII、田中フミヤ、宇川直宏(現”在”美術家)、他

■当時のライブ・場内写真、秘蔵映像、公演解説、90’s〜00’sの超貴重バンドTシャツの展示
フォトグラファー菊池茂夫氏、山本絢子氏によるライブ写真や場内写真、秘蔵映像や当時のライブ/パーティーの解説テキスト等を公開。また、新宿LIQUIDROOMで公演を行ったアーティストの貴重なヴィンテージバンドTシャツの展示等、現在ではなかなか接することが出来ないレアな平成カルチャーを生で体感できる展示構成を予定しています。

Tribute to Ryuichi Sakamoto “Micro Ambient Music” - ele-king

 坂本龍一への敬意を表する国内外 41 名の音楽家による未発表の 39 作品を収録した コンピレーション、2023 年ドイツ音楽評論家賞 Electronic & Experimental部門を受賞した『Tribute to Ryuichi Sakamoto “Micro Ambient Music”』が、2024 年5月29日から配信されている。また、同時にアナログ盤もリリースされる。以下、リリース・スケジュールとその内容です。

Tribute to Ryuichi Sakamoto “Micro Ambient Music”

Vol. 1 2024 年 5月31日 (水)発売
01. Tetuzi Akiyama / Transparent Encephalon
02. Otomo Yoshihide / Moonless Night
03. Toshimaru Nakamura / nimb#75
04. Sachiko M / to the sunny man
05. David Toop / Hearing Cries From the Lake
06. Rie Nakajima and David Cunningham / Slow Out
07. Lawrence English / It Is Night, Outside

Vol. 2 2024年7月31日 (水)発売
01. SUGAI KEN / Swallow & Electronic Swallow (2023 Rainy Season)
02. Kazuya Matsumoto / ice
03. Shuta Hasunuma / FL
04. Takashi Kokubo / Rainforest soloist
05. Miki Yui / Hotaru
06. Tomoko Sauvage / Weld
07. Christophe Charles / microguitar

Vol. 3 2024年9月25日 (水)発売
01. Alva Noto / für ryuichi
02. Yui Onodera / Untitled #1
03. Marihiko Hara / extr/action
04. Ken Ikeda / Circulation
05. Hideki Umezawa / Sculpting in Time
06. AOKI takamasa / UKIYO
07. ASUNA / Elephant Eye
Tribute to Ryuichi Sakamoto "Micro Ambient Music"

Vol. 4 2024年11月27日(水)発売
01. Stephen Vitiello / Motionless Wings
02. Sawako / Tokyo Rain Forest 35°40ʼ 25” N 139°45ʼ 21” E
03. Tujiko Noriko / Iʼ ll Name It Tomorrow
04. ILLUHA / Gratitude
05. Christopher Willits / Study for Sakamoto (March 2023)
06. Tomotsugu Nakamura / backword to blue
07. Kane Ikin / Pulsari
08. Bill Seaman / Tears Namida

Vol. 5 2025年1月29日(水発売
01. Tomoyoshi Date / Placement Of The Drops
02. Federico Durand / Alguien escribió su nombre en el vidrio empañado
03. Marcus Fischer / Overlapse
04. Taylor Deupree / A Small Morning Garden
05. Chihei Hatakeyama / Mexican Restaurant
06. Stijn Hüwels / Shinsetsu
07. hakobune / hotarubune


Vol. 6 2025年3月26日 (水)発売
収録曲未定

world's end girlfriend - 抵抗と祝福の夜 - ele-king

 その日は土砂降りと霧雨が交互に顔を出すような荒天とともにやってきた。昨年9月にworld's end girlfriend 7年ぶりのフル・アルバムとしてついに開花した大作『Resistance & The Blessing』の特別なリリース・ライヴ、題して「抵抗と祝福の夜」。人によってはいささか仰々しすぎるフレーズのように受け取ったかもしれないけれど、タイトル自体は8年前の『LAST WALTZ』期においてもWEGが一貫して掲げてきたイシューそのものであり、ごくシンプルで実直なメッセージだと自分は受け止めている。「抵抗と祝福の夜」は、WEG・前田氏が「音楽という巨大な喜びの中で、それがそのまま支援や寄付に繋がっていく形を作れないか?」という想いから、クラウドファンディングを活用したチケット販売がおこなわれていたことも特徴的だった。チケット売上の10%、ライヴ音源データ売上の80%、ライヴ映像データ売上の 80%、グッズ売上の40%をパレスチナ・ガザ地区へと寄付するプロジェクトとしても動いていた。その結果、756人の支援者を集め大成功という形でこの日を実現した。音楽表現という個人的な欲望からスタートするクリエイションを外側へとひたすら押し進め、一切の妥協なく「抵抗と祝福」を体現したという意味でもエポックな一夜だったと言えるだろう。

 本編SEが流れはじめたタイミングでなんとか会場にたどり着き、用意された2階席の後方からステージを見守る形で着座した。思えばこうして座ってライヴを鑑賞すること自体が久々の体験だ。自分が週末のほとんどを過ごす場所である小箱のそれとはなにもかもが違う音楽体験。ただ、体験におけるUI/UXの差異は大した問題ではなく、とにかく「どんな音が鳴らされるのか?」という点にまず期待と不安があった。全席指定の着座制でも1000人弱のキャパシティを誇る当会場は、果たして「鳴ってくれる」のだろうか? と。 とにかく、自分は基本的に野外でもないかぎりは大きすぎる規模の会場になにかを期待することはほとんどない。たとえば直近ならAdoのワンマン・ライヴの音響への文句は旧Twitterのフィードで嫌というほど目にしたし、一般的に大箱とされる1000人規模のヴェニューで「良い」以上のなにかを出音に感じる機会もほぼない。基本的に、いままで強く感銘を受けた音楽体験も、また単純に出音のサウンド・デザインへの感動も、そのほとんどは過剰にコンプレッサーの効いた、荒々しい、ボロボロの小さなクラブやライヴハウスで受けたものだったので、上質すぎる空間にはどうしても身構えてしまう育ちの悪さがある。

 けれど、そんな小箱のカビくささがまとわりついた懸念はただの杞憂でしかなかった。自分のなかの数少ないEX THEATERでの観覧体験(さいごにここを訪れたのはたしかムーンライダーズのワンマン)や、ここ数年浴びたあらゆる音響のなかでも突出した迫力と解像度を誇る音楽体験となった。ただのクリアで均整の取れたグッド・サウンドというわけでもなく、バンドセットとは思えない極低域の厚みと広がり方、痛覚化する寸前の高域の鋭利さと解像度の高さ、迫力と精緻さのバランス、どれをとっても極上だったと断言できる。聴覚的健康を一切顧みないアンダーグラウンドなクラブのそれに迫る荒々しさと、劇場的な空間だからこそ成立しうる上質さの矛盾した同居。WEGの集大成的な作品である『Resistance & The Blessing』のエッジーなサウンド・デザインの魅力を極限まで引き出すべく、薄氷を踏むように快と不快のスレスレを攻めた音響オペレーションを担った方々への賛辞をまずは記しておきたい。本当に素晴らしい仕事でした。

 ……という話ばかりをしていると、「で、ライヴの模様は? 曲目は?」と不特定多数にせっつかれるような被害妄想に駆られてしまうので、ここからは本編として内容の話を。
 オープニングSEを読み上げていた声に聴き覚えがあったけれど、後日それはWEGのポータルでもあるレーベル〈Virgin Babylon Records〉へ2年弱前に加わった窓辺リカというボーカロイド・IDMアーティストによるものだとわかった。誕生と輪廻について描いた作品のリリース・ライヴをはじめるにあたって、まずは生命体ではない導き手が必要だった、ということだろうか? 続けてアルバム冒頭を飾る2曲がプレイされ、その後に重要なリード・トラックのひとつである “IN THE NAME OF LOVE” が轟音のギターとともにスタート。ポスト・ロックや実験音楽といった枠組みを飛び越え、バンドセットならではの表現を突き詰めた結果、WEGの演奏がほとんどプログレッシヴ・ロックやシンフォニック・メタルの領域に入っていることに正直なところ面食らった。自分がWEGについて抱いていた印象はどちらかといえばポスト・ロック以降の電子音楽(の変異体)というものだったが、マニピュレーターだけでなくツイン・ギターにドラム、ヴァイオリン、チェロまでが入ったフルパワーでのライヴとなると、WEGの根底に横たわるゴシックな美学の濃度が高まるのだろうか。自分のふだんの趣向とメタルに類する音楽にはかなりの乖離があるため、その世界へ全編にわたって没入することは難しかったけれど、それでもそのスケール感には圧倒された。畑違いの音楽に頭から殴られるような体験も久々だ。

 前半の個人的なハイライトは、“歓喜の歌” をサンプリングした “Odd Joy” と “Black Box Fatal Fate Part.1+ Part.2 (feat. CRZKNY)” が立て続けにプレイされたことだった。アルバムのなかではよりエレクトロニクスに近接したこれらの楽曲たちがバンドのアンサンブルで再強化されていくさまは、今日この日しか味わえないものだっただろう。中盤以降には samayuzame 朗読によるポエトリー・トラックに、『LAST WALTZ』(2016)『The Lie Lay Land』(2005)『Starry Starry Night Soundtrack』(2012)などWEGの過去作からピックアップされた楽曲が織り交ぜられ、最新作のインタールードが異なる姿に再構成されていく様子も『Resistance & The Blessing』が掲げた「輪廻転生」というモチーフを想起させた。単なるファン・サービスとは一線を画す、本回のための特別な作劇としてかつての楽曲に光を当てる、という姿勢ひとつとっても、WEGの妥協なく万全を期して臨んでいるエネルギーが伝わってくる。

 後半部ではアルバムの持つポエジーと(手塚治虫『火の鳥』などを引き合いに出しても申し分ないほどの)遠大なスケール感がより強調されていき、しかしながら Smany、湯川潮音といったゲスト・ヴォーカルの歌も添えられることでディープに偏りすぎず、ポップにもならず、それでいて折衷的でもなくひたすらにWEGとしての美学に向かって突き抜けていくようなエッジーなアクトが続いていった。神聖さを帯びた “himitsu (feat. Smany)” からビープ音やクリック・ノイズで構成されたエクスペリメンタル・エレクトロニカ “Cosmic Fragments - Moon River”、ポエトリー・リーディング “Mobius” と続き、クライマックスにはWEGなりのアンセム・ラッシュが続いていく。アンセムというものは味の濃い食事のようなもので、ただ単に並べればいいものでは決してなく、無用な乱発は当然ながら熱気を削ぐ逆効果をもたらしてしまうものだが、その前提を背負ってなお “君をのせて” や “ナウシカ・レクイエム” のカヴァーを演奏したのち、“アヴェ・マリア” のアレンジを披露するようなライヴを、いったいだれが衒いなくできるだろうか。自分もこの一連の流れに面食らわなかったわけではないけれど、これまでの流れをたどると納得せざるを得なかった。アンセムを成立させるために必要なのは、とにかく妥当性ではなく正当性、偶然ではなく必然であること。正当/必然かどうかの答えは本人の頭のなかにしか存在しないので、その想いの容れ物として表現という営みが存在する。過去・現在・未来を並列化し再構成してみせたアルバムの世界を拡張する攻めの演出として受け止めた。

 終盤、WEGが轟音とともにシューゲイズ・モディファイを施した “Ave Maria” のフィードバック・ノイズを引き継いで披露されたのは “Two Alone” “unEpilogue JUBILEE” の2曲。アルバムの構成をなぞる形で着地していくのかな、と思った矢先に披露されたのは2010年作『Seven Idiots』から “Les enfants du paradis”。これには長年WEGの美学に触れてきている人ほど心を震わされたことだろう。そしてラストを飾ったのは、序盤披露された “IN THE NAME OF LOVE” と並ぶ重要な楽曲 “MEGURI” であった(本人解説曰く、この2曲こそがアルバムのコンセプトの根幹を成す「転生し続ける2つの魂」そのものとのこと)。極度の緊張感のもと進んだ2時間半以上にわたるライヴの最終局面で演奏にリテイクが初めて発生したのもラストのこのタイミング。シリアスなライヴ中のやり直しを、演出上の緩みと捉えるか魅力と捉えるかは人それぞれの話でしかないけれど、少なくとも自分は精緻なモノに発生するわずかな歪みに美を感じる人間なので、それも含め満足できた。いかに人間離れしたアクトを披露していたとて、だれもがただの人なのだということを思い出す安心感とともに。人間というのは常に間違い続ける存在でもあって、それゆえ世の中にはひどい歪みがたえず生まれ続けていて、ならいっそそんなもの喪失してしまえば……という危険な考えが頭をよぎることもなくはないけれど(もちろん、あくまでも「中二病」の時分の話)、そんなディストピアで観るライヴはおそらくライヴ足りえないし。間違いが起こることを否定しつつも、間違いを受容して前を向くこと。それもまた「抵抗と祝福」か。

 そんな形で、音楽ジャンルという切り口で観ると全編に対する没入感は得られずとも、趣味趣向を上回る圧倒的なクオリティで「抵抗と祝福の夜」は幕を閉じた。終演後、出口で会場に飾られた薔薇の花束の一輪が配られていたことも、また明日から生きていきましょうね、という小さな祝福のようで。これは取るに足らない私事にすぎないけど、その日は自分の誕生日で、ちょうど30歳を迎えたばかり。偶然にしては嬉しすぎるサプライズ・ノベルティだった。花は散り、枯れて、朽ちてもその鮮やかさの記憶は残り続ける。それ自体に意味はなくても普遍的な美を一瞬咲かせて、だれかの胸中に咲き続ける。ライヴという営みは、たとえそれが自己完結的な表現であったとしても、外に開かれている時点でだれかにとっての一輪となる。自身や世界のままならなさにつねに抵抗し続け、それと同時に自分と他者を祝福し続けること。そのサイクルを繰り返し続けていつか旅立つことができれば、次の道もあるかもしれない。ないだろうけど、なくてもそう生きたい。

Brian Eno, Holger Czukay & J. Peter Schwalm - ele-king

 ドナルド・トランプとの指名争いからいち早く降りたフロリダ州知事ロン・デサンティスはこの5月、州法から「気候変動」の文字をあらかた消し去った。この改定によってフロリダ州の企業は6月1日から二酸化炭素出し放題、風力発電は禁止、公用車も低燃費ではなくなるらしい。最高気温45度も5000億円の被害をもたらした暴風雨も20センチの海面上昇も左派の陰謀で、デサンティスはフロリダ州を左派や環境活動家から守ったと勝ち誇っている。トランプが再び大統領になれば同じことがアメリカ全土に広がっていくのだろうか。アメリカの消費社会は減速しない。前進あるのみ。『Climate Change(気候変動)』というタイトルを9年も前に付けていた以外、とくに評価できるポイントがなかったNYのハウス・ユニット、ビート・ディテクティブが4年ぐらい前からニューク・ウォッチというサイド・プロジェクトを始め、これがなかなか良かったので、前作から3ヶ月というハイペースでリリースされた新作のレヴューを書こうと準備を始めていたら編集部からイーノ、シューカイ&シュヴァルムの発掘音源について書いてくれというオファーが届いた。はいよと安請け合いしてすぐに聴いてみると、ニューク・ウォッチと同じ方向を向いていて、しかも36年も前の録音なのにぜんぜん完成度が高く、聴き込むほどに引き込まれるのでニューク・ウォッチには退場してもらうことに。ニューク・ウォッチ(核監視)というプロジェクト名は10年後に重みを増しているのかなと思いつつ。

『Sushi, Roti, Reibekuchen(寿司、パン、ポテト・パンケーキ)』と炭水化物の料理が並べられたライヴ音源(料理のイベントで演奏されたものだという)は3人の個性がぶつかり合っているのはいうまでもないことだけれど、シュヴァルムが用意したとされるサウンドの基調はどう聞いてもホルガー・シューカイの過去に規範を求めていて、大半はシューカイが長年にわたって試みてきた即興セッションをベースに、得意のラジオ・ノイズを間断なく挟むなど方法論的には80年代初頭の『On the Way to the Peak of Normal』やS.Y.P.H.のパフォーマンスを強く想起させる。セッションが行われた98年当時、シューカイはそれほど調子が良かったわけではなく、むしろ彼のキャリアのなかでは最悪ともいえるドクター・ウォーカーとのコラボレイト・アルバム『Clash』(97)をリリースした直後で、アンビエント志向の高まりと歩を揃えた『Moving Pictures』(93)以降、もうひとつ方向性を見出せなくなっていた時期にあたっている。テクノとの接点がドクター・ウォーカーだったということがすべてを物語っていて、シューカイほどの才能がなぜテクノの中心にいたマイク・インクやベーシック・チャンネルではなく、それらのフォロワーでしかないドクター・ウォーカーだったのか。テクノを聞き分ける能力がなかったか、テクノと呼ばれていればなんでもいいと思ってコラボレートしたとしか考えられない安易さである。実際、『Clash』以後、シューカイが積極的にテクノと関わっていく姿勢を見せることはなく、彼にとっては発展性のないプロジェクトで終わっている。完全に自分を見失っていた時期だったのだろう。

 ブライアン・イーノの90年代も同じようなもので、クラブ・カルチャーの狂騒や猥雑さに馴染まず、意図の伝わりにくい作品が続き、作品数も激減した時期である。よほどのファンならば理解を示しただろうけれど、リミックス・ワークもハズレが多く、新たなファンを獲得できる動きとはとても言えなかった(『The Shutov Assembly』がリリースされた当時、あまり面白くないという評を書いたら石野卓球に怒られてしまった)。イーノ自身が失敗だったと認めているリミックス・ワークにカン〝Pnoom (Moon Up Mix)〟がある。『Sushi, Roti, Reibekuchen』が行われる前年にリリースされたカンのリミックス・アルバム『Sacrilege(冒涜)』の冒頭に収録されたもので、失敗という以前に短くてすぐ終わっちゃうのでもうちょっと聴きたかったと思うリミックスである(これがきっかけで『Sushi, Roti, Reibekuchen』の共演が実現したのかもしれない)。さらにいえば『Sushi, Roti, Reibekuchen』の前夜にはイーノは思い切ってモート・ガーソンやレイモンド・スコットを思わせるスペース・エイジへと回帰し、エイフェックス・ツインやアトム・ハートらによるラウンジ・ミュージック・リヴァイヴァルにどこか文句を言いたげな『The Drop』をリリースする。しかし、これも大きなプロップスを得ることはなく、それどころかニック・パスカルやジム・ファセットに寄せたジャケット・デザインの意図も伝わらずに、ダサいと思われただけで、どちらかというとヤン富田の方が同時期にもっとうまく同じことをやっていたという印象が強い。シューカイほどひどくはないものの、『The Drop』もイーノが道を見失っていたことを記録した作品の一種ではあるだろう。

 そして、90年代と反りが合わなかった2人の前に現れたのがJ・ペーター・シュヴァルムだった。スロップ・ショップ名義でシュヴァルムが98年にリリースした『Makrodelia』はトリップ・ホップの最後尾につけたとされるデビュー作で、同じドイツ圏ではクルーダー&ドーフマイスターからドラッグ要素を差し引き、あっけらかんとさせたような作風がメインだった。はっきりいって『Makrodelia』は表層的で、ミュンヘンにはごろごろあるようなサウンドだし(実際にはシュヴァルムはフランクフルトが拠点)、イーノが関心を持つようなサウンドとは思えなかった。イーノが必要としたのは、しかし、ダブを思わせるドラミングや音の組み立て方、あるいはドラッグによる酩酊感とは別の価値観に支えられた “何か” だったのだろう。何度も書いてきたようにイーノは日常から離れることを良しとせず、90年代と肌があわなかったのもそのことに起因しているはずで、『Makrodelia』にはそのような条件を満たすものがあったに違いない。少なくとも『Makrodelia』の2曲目に収録された “Gone” には『Sushi, Roti, Reibekuchen』の基礎となるサウンドが聞き取れ、ここがセッションの起点となったことはなんとなく想像できる(『Makrodelia』ではなぜか “Gone” だけが飛び抜けている)。イーノもシューカイも袋小路にいて、明らかに未熟だったシュヴァルムがこの淀みに “何か” を加えたことで一気に全員のレヴェルが跳ね上がるというマジックが起きたのである。スポ根マンガでいえば起死回生の一打が放たれた。そんな感じがしてしまう。

 とはいえ、『Sushi, Roti, Reibekuchen』はオープニングの “Sushi” がまずはジ・オーブやスクエアプッシャーを想起させるところがある。回り道をしてようやくイーノがクラブ・カルチャーの成果と足並みを揃えたというか。これではイーノがアシッド・ハウスやチル・アウトに距離を置いてきた意味がない。曲の完成度は高いけれど、イーノにしてはヴィジョンに乏しく、クラブ・ミュージックに精通しているリスナーにはもうひとつ説得力がない。後半に入ってドラミングが後退するとアップデートされたカンみたいになり、続く “Roti” とともにそこからはなにも文句がなくなる。抑えたリズムで延々と聞かせるかと思えば、様々なSEを駆使して緊張感を高め、パンなど食べてる場合ではなくなっていく。後半から入ってくるドラムもクラブ・カルチャーのそれではなく、ジョン・ハッセルとの『Possible Musics』を彷彿とさせるものに変化している。炭水化物から離れて “Wasser(水)” と題された曲では緊張感を少しといて、穏やかな曲調になだれ込んでいく。おそらくイーノ主導なのだろう、ハウリングを起こしているようなドローンを軸に液体のなかを漂う感触はシューカイが持ち込んでいるのだろうか。背景に退きながら緊張感を残したドラムに “Gone” と同じようなリヴァーブをかけて効果を膨らませているのもおそらくイーノで、これを聞いているとサウンド全体のコントロールはイーノがイニシアティヴをとっていることを確信してしまう。 “Reibekuchen” もまたモロにカンを思わせるものがあり、この頃になると3人の持ち味が完全に融合した状態といえるのだろう。カンのようにパッションが迸らないところが時代の違いというか、それこそ部分的にはP.I.L.『Metal Box』やコールド・ファンク版のジ・オーブといった感じにも聞こえる。最後に “Wein(ワイン)” と題されたサウンド・コラージュ+ダブ。冒頭でイニシアティヴを取っているのはおそらくシューカイで、シューカイはどん底にいながら、この時期は10年をかけて『Good Morning Story』(99)を完成させていた時期でもあり、同作を製作している過程でカンの方法論から離れ、カン以前に取り組んでいたミュジーク・コンクレートに傾倒し始めた意識がこの曲にも見事に刻印されている。同じ時期にウィーンではフェネスがバイオアダプターという概念を音で置き換えるという作業を通してミュジーク・コンクレートを刷新し、ジム・オルーク&ピーター・レーバーグと組んだユニットによってドイツ全体を同じ道に引きずり込み、クリック・ハウスというモーメントとも同期しながらエレクトロニカというタームが幕をあけていた。シューカイがイーノに刺激を受けたかどうかはわからないけれど、00年には『La Luna』で自動生成による不穏で強迫的なドローンを構築し、フェネスたちとあまり変わらない地平にいたことは特筆すべきことである。

 イーノとシュヴァルムはこの後もタッグを組み続け、『Music For 陰陽師』(00)に『Drawn From Life』(01)と立て続けに作品を完成させていく。前者で幽霊じみたサウンドトラックを奏でたことはともかく、後者では『Sushi, Roti, Reibekuchen』を滑らかにしたテクスチャーが織り成され、かつてなくコード展開も華やかで、さらにはヘヴィなストリングスまで被せられていく。シュヴァルムはそれから12年後にワグナーを題材とした『Wagner Transformed』をリリースし(『アンビエント・ディフィニティヴ 増補改訂版』P200参照)、イーノは同作で “Tristan & Isolde(トリスタンとイゾルデ)” を演奏することになる。『別冊エレキング イーノ入門』で高橋智子が指摘するように、後期の代表作といえる『The Ship』(16)を製作するまでロマン主義に手を染めることがなかったイーノが、その禁を破った最初が『Wagner Transformed』であり、その予兆をなす作品が『Drawn From Life』なのである。同作はイーノのキャリアのなかでもかなり特異な作品で、ちょっと聴くとアンビエント作品の延長みたいだけれど、全体的には前半の活動からは想像できない要素に満ち溢れている。先に僕はイーノがシュヴァルムのサウンドに「ドラッグによる酩酊感とは別の価値観に支えられた “何か” 」に反応したという書き方をした。その “何か” とはロマン主義に通じるものではなかったのか。イーノが『Makrodelia』に見出したものはそれほどのものではなかったかと思う。シュヴァルムとの出会いからは『Sushi, Roti, Reibekuchen』~『Drawn From Life』~『Wagner Transformed』~『The Ship』という力強い系譜が導かれたのではないかと。

 素晴らしいパフォーマンスを展開しながら『Sushi, Roti, Reibekuchen』がこの当時、リリースされなかったのはなぜなのか。無意識のレヴェルで起きたことなのかもしれないけれど、ひとつにはイーノもシューカイもあまりうまくいっていない時期だったためにリハビリ以上の意味をセッションの効果として見出せず、自信を持って世に問う気になれなかったのではないかという推測が最初は浮かぶ。あるいはフィッシュ(Phish)やレイディオヘッドが全盛だった時期にはノスタルジックな響きが強く、その点でも気後れが生じたのかもしれない。うがっていえばゴッドスピード・ユー・ブラック・エンペラーもすでに胎動を始めていた時期なので、同じ即興でも強度に差があり過ぎて『Sushi, Roti, Reibekuchen』をリリースしても霞んでしまったことは想像に難くない。翻って現在はどうだろう。マクシミリアン・ダンバーことアンドリュー・フィールド~ピカリングが彼の運営する〈Future Times〉をハウスのレーベルから脱却させ、様々な実験的試みにトライするなかでプッシュしていたプロテクト-Uがその後にセッション専門の〈U-Udios〉を設立し、ここから生み出されるテープ群がカンのそれに近く、なかでも『別冊エレキング カン大全』で取り上げたオン・ザ・イフネス『U - Udios 4』(20)は新たな流れの始まりではなかったかと僕は思っている。細かく取り上げていけばきりがないけれど、これに冒頭で言及したニューク・ウォッチによる快進撃や、現在、フランスのカンと呼ばれているソシエテ・エトランゼが22年にリリースした『Chance』など即興で行われるセッションがひとつの流れとなってポスト・ロックの後にひと盛り上がりすれば『Sushi, Roti, Reibekuchen』は力強い導線のひとつとなることは間違いない。かつて荒木経惟は「いつ撮ったかではなく、いつ出すか」だと話していた。『Sushi, Roti, Reibekuchen』のリリースもまるでベスト・タイミングを図っていたかのようではないか。

interview with Tourist (William Phillips) - ele-king

 朝目が覚めたとき、妙なフィーリングにとらわれることがある。つい数秒前まで大冒険を繰り広げていたはずだった。アラームが鳴り響いた瞬間はまだ半分くらいそっちの世界にいる。どうやら刻限らしい。かならず戻ってくる。おまえらとの友情は永遠だ。この体験は生涯忘れない──そう固く決意しログアウトした瞬間、さっきまでなにをしていたのか、あっという間に記憶が薄れていく。見知った天井。絶対に忘れてはならないたいせつな出来事が起こったはずだけれど、電車に遅延はつきものだ。一刻も早く歯を磨かなければならない。ようこそリアル。ここがきみの居場所だ。

 その感覚がこのアルバムそのものなんだ──そうウィリアム・フィリップスは述べる。旅行者=ツーリストを名乗り、2010年代後半から4枚のアルバムを発表、2015年にはグラミー賞まで手にしているエレクトロニック・プロデューサーの5枚目のアルバムは『記憶の朝』と題されている。MJコールにフックアップされたという彼は、ハウス~UKガラージ、ブレイクビーツ~ジャングルといった、けして生やさしいとはいえない現実のなかで発明されてきたリズムを駆使し、やさしげな旋律と蠱惑的なヴォーカル・サンプル、きらきら輝く電子の断片をもってどこまでも夢幻的な空間を演出する。この桃源郷はタイコパンサ・デュ・プリンスらのエレクトロニカと通じるものだ。あるいはその淡くはかなげなポップネスに着目するなら、ナッシュヴィルのシンガー・ソングライター、コナー・ヤングブラッドあたりと並べて聴いてみるのも一興かもしれない(スタイルはまったく異なるけれど)。どこまでも広がる、ただただ美しい世界──わかってる。これは現実じゃない。だからこそ、いい。「ぼくにとって音楽というのはエスケープする場所なんだ」。フィリップスは音楽がもつ最高の効用のひとつ、エスケイピズムを称揚する。
 個人的なオススメは最後に配置された表題曲 “Memory Morning” だ。30周年を迎えたエイフェックス・ツインの名作『SAW2』(の数曲)を想起させるメロディに導かれ、ヒップホップのビートと、鳥のさえずりのごとくチョップされた音声が一日のはじまりを告げる──夢とうつつの転換、あのえもいわれぬ短い時間を表現しているのだろう、なんともさわやかなダウンテンポである。
 というわけで、このうるわしいアルバムを完成させた当人に、まだ日本ではあまり知られていない自身の背景について語ってもらった。

MJコールに大きな影響を受けたよ。初めてのチャンスをくれたのも彼でね。ぼくが17歳くらいのころに曲をリリースさせてくれたんだ。ぼくの絶対的師匠みたいなひとだね。

最初のシングルのリリースが2012年かと思いますが、音楽制作をはじめたのはいつ頃からですか?

Tourist(以下T):音楽制作? うわぁ……ぼくは1987年生まれ、つまりいま37歳ということになるんだけど、曲を作りはじめたのはたぶん10歳か11歳の頃じゃないかな。

通訳:早かったんですね。

T:そう、大昔だよ。3歳か4歳くらいの頃にピアノを弾くようになったんだ。レッスンを受けたわけじゃないけど、家にピアノがあったからね。なにせ3歳だし、押すと音が出るからすごく興味を持ったんだ。ワクワクしたよ。37歳のいまになっても、どこか押して音が出るとやっぱりワクワクする(笑)。
 ぼくにとって音楽というのはエンドレスで興味を惹かれるものなんだ。どんなタイプのものでもね。自分で書く曲のタイプも成長するにつれて変わっていった。10代のころ書いていたのと、20代のころ書いていたのと、30代になってから書いていた曲はちがうんだ。
 EP「Tourist」はそんななかで、これから長い間やっていくだろうと思ったタイプの音楽に、初めてコミットした作品だった。自分にとって初めてのちゃんとしたアーティスティックなペルソナだったんだ。それが……いまから12年前か。25歳だから、ひとによっては遅いとみる向きもあるかもしれないね。20代前半もけっこう曲を書いていたけど、あまり成功したわけじゃなかった。20代半ばくらいになってやっと手応えを感じてきたという感じだね。
 曲をコンピュータでつくりはじめたのはたぶん10歳くらいのころだと思う。

通訳:ツーリストを名乗りはじめたころに手応えを感じはじめたんですね。

T:そう、「Tourist」という名前だったらやりたいことがなんでもできると思ったんだ。あまり束縛感がなかったし、ダウンテンポでもハウス・ミュージックでも、UKガラージだっていい。この名前なら好きにやれると思ったんだ。そういう認識だけでもすごく助けになる。自由に音楽を感じて、自分に「好きにやっていいよ」と言えるからね。「Tourist」はぼくにとってそういうものなんだ。

通訳:ツーリストのように、どんなタイプの音楽を旅してもよいということですね。

T:(コップからなにか飲みながらにっこりうなずく)

音楽はぼくにとって現実逃避の手段だったんだ。自分の望む、大好きなカルチャーへの逃避。つまり90年代のロンドンだね。ジャングル、ドラムンベース、UKガラージ……ロンドンを思い出させてくれる音楽が大好きだったんだ。

幼いころはどういった音楽を聴いて育ってきたのでしょう? あなたにもっとも大きな影響を与えたアーティストはだれですか?

T:子どものころはドラムンベースやUKガラージをたくさん聴いていたんだ。LTJブケムが大好きだったね。それからロニ・サイズ、エイフェックス・ツイン、ケミカル・ブラザーズも大好きだった。少年時代はアヴァランチーズも大好きだった。ロイクソップも大好きだったし……メロディックで夢見心地な感じの音楽にインスピレイションを得ていたんだ。UKガラージではMJコールに大きな影響を受けたよ。人生にもほんとうにたいせつな影響をくれたひとなんだ。初めてのチャンスをくれたのも彼でね。ぼくが17歳くらいのころに曲をリリースさせてくれたんだ。

通訳:そうだったんですね!憧れの人があなたを「発見」してくれたんですね。

T:そうなんだよ。彼にはたくさんの恩がある。ぼくの絶対的師匠みたいなひとだね。彼には大いにリスペクトを感じているよ。ぼくの人生のなかでものすごく重要な人物なんだ。ケミカル・ブラザーズ、MJコール、LTJブケム……それから子どものころはジャズも大好きだったよ。あと80年代のシンセ・ポップ。トーキング・ヘッズ、ジョイ・ディヴィジョンニュー・オーダー。あの辺がぜんぶ大好きだった。20代のころにはフォーク・ミュージックを「ちゃんと」聴くようになった。10代のころはあまりクールに感じなかったんだけどさ(笑)。でも成長するにつれていろいろ学んで、耳を傾けるようになったんだ。……そんな感じで、ほんとうにたくさんの音楽を聴いてきたよ。

あなたはロンドン生まれのコーンウォール育ちだそうですが、コーンウォールの土地柄や風土は、あなたの音楽性に影響を与えていると思いますか?

T:ぼくは引っ越した当時の感覚をずっと憶えているんだ。ロンドンは魔法、ロンドンはカルチャー、ロンドンはあらゆるひとの場所だと思っていた。ところがぼくがまだ幼いころに両親が離婚して、コーンウォールに引っ越したんだ。まあ、よくある話だよ。
 コーンウォールのカルチャーはぜんぜんちがった。いい悪いじゃなくて「ちがった」。ぼくには馴染みがないものだった。思うに、コーンウォールで暮らしていたからこそ、ロンドンを思い出させる音楽をつくっていたんじゃないかな。ぼくのアイデンティティの大きな部分を占めていたからね。
 17歳くらいになって初めて、エイフェックス・ツインもコーンウォール出身だって知ったんだ。じっさいコーンウォールからはすばらしいアーティストがいろいろ出ているんだけど、ぼくにとって音楽をつくるのは、ある意味「コーンウォールにいない気分になる」ための手段だったのかもしれない(笑)。というのも、正直言ってコーンウォールに暮らしていたころはあまりいい思い出がないんだよね。だから音楽はぼくにとって現実逃避の手段だったんだ。自分の望む、大好きなカルチャーへの逃避。つまり90年代のロンドンだね。ジャングル、ドラムンベース、UKガラージ……ロンドンを思い出させてくれる音楽が大好きだったんだ。コーンウォール自体はすばらしいところで好きだけど、ロンドンは生まれたところだし、「どこ出身?」と訊かれたらロンドン出身と答えるよ(笑)。
 でもコーンウォールは海に近くていいところで、子ども時代はそこが好きだった。サーフィンもスケートボードもしたし、当時からの親友たちもいる。ただ、コーンウォールでぼくくらいの歳の子が音楽をつくるのはヘンというか珍しいことだった。

通訳:コーンウォールはあなたに逆説的な影響を与えた感じなのでしょうか。

T:そのとおり! 100%そうだね。自分がロンドンで恋しかったものを思い出させてくれたんだ。

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人間の声に手を入れた状態の音が大好きだし、それを逆回転させたときの響きも大好きなんだ。この世のものとは思えない崇高さが生まれるし、聴いたひと次第でそのひとだけのことばに聞こえてくる。そうすると言語の壁を超えるんだ。

ツーリストになる前もなってからもさまざまな作品を出してきましたが、これまでのアルバムないしシングルで、あなたにとっていちばんの転機となった作品はなんですか?

T:ふむ。いい質問だね……。ターニング・ポイントか~。……セカンド・アルバム(『Everyday』、2019)をつくり終えたときだったかな、人生には時間があまりないことに気づいたんだ。ファースト(『U』、2016)のときは時間があり余るほどあったから、自分がつくりたいまさに理想の音をつくることができた。でもファーストをつくり終えていざセカンドをつくるとなると……(ため息をつく真似)さて、これからどうする? と思うんだよね。
 ぼくのファースト・アルバムはそんなにビッグにはならなかった。大した成果はもたらさなかったけど、名は知られるようになった。その後セカンドをつくることになって、「そうか、何枚だって、好きなだけアルバムをつくればいいんだな」と気づいたんだ。すごく自由になれた気がしたよ。ファーストにたいしては出るまで後生大事にしているけど、いったん出ると拍子抜けしてしまうものだからね。グラミー賞を獲るとか、すごい会場でプレイするとか、そういうのがないかぎり。でもそのファーストがあまり目立たなくて、ぼくのことを知っているひとたちだけに届いたことによって、今度は自分の実力を証明しないと、と思ったんだ。ファーストをつくり終わってセカンドの曲を書きはじめて、何度でも繰り返して自分の実力を証明しよう、と思った。それにはただアルバム1枚分書くだけじゃだめ。もっともっとたくさんの労力を要するものなんだ。ぼくの好きなミュージシャンは全員……そう、全員が、何枚もアルバムを出している。それで気づいたんだ。このアルバムでやれなかったことは、次のアルバムでやればいいじゃないかってね。そう気づいてほっとしたよ。ものすごく自由な気持ちになれた。ただ1枚分だけじゃない。10枚分書くんだ。20枚分だって書ける。

通訳:1枚で終わりじゃなくて、その後も続くと。

T:ある意味1枚でおしまいだと思ったけどね。幼かったと思うよ。いまは「いや、何枚もつくればいいじゃないか」と思えるようになったんだ。ミュージシャンとして成長していくなかで、ほんとうにいろんなことを学ぶからね。

通訳:ということは『U』と『Everyday』の間がターニング・ポイント期という感じなのでしょうか。

T:そうだね。『U』でやったことをたんに繰り返すわけにはいかないと気づいたんだ。ほかのことをやらないと。ときの流れに適応しつつも、自分に誠実なものをつくることがたいせつなんだ。そうすると自分のスタイルはなんなのかということを考える。自分のスタイルはなんなのか。それをキープしながら変化させて、興味深いものにするにはどうしたらいいのか。あれはぼくにとって大きなターニング・ポイントだったね。
 ぼくのアルバムのなかで『Everyday』が好きだって言ってくれるひとは多いんだ。家でヘッドフォンで聴くのに向いていて、内向的だからね。一方ファーストの『U』はものすごく外に向いたアルバムだった。あの辺りがターニング・ポイントだった気がするね。というのも、『Everyday』を出してすぐ後……わずか8ヶ月後にぼくは(サード・アルバムの)『Wild』(2019)を出したんだ。それほどインスピレイションを得たということだね。次々にアルバムをつくっていけばいい、という考えに強くインスパイアされたんだ。すごく自由な気分になれたから、『Everyday』を出した後すぐに気持ちを切り替えることができた。

先ほどグラミー賞の話がちらっと出ましたが、あなたはツーリスト名義のファーストを出す前にグラミー賞を獲っています。あなたが作曲に参加したサム・スミスの “Stay With Me”(2015)は現在20億もの再生数を誇り、当時グラミーも受賞しました。その成功はあなたになにをもたらしましたか?

T:ものすごく正直に言わせてもらうと、ぼくがやりたい音楽をやる力を与えてくれたと思うね。ある意味すごく安定したし……それってミュージシャンにとってはプライスレスなことなんだ。住宅ローンを払うために毎週末DJしに行く心配をあまりしなくていいというのはね。
 ものすごく正直に言わせてもらうと、あの成功はぼくに自由を与えてくれた。そしてその自由をぼくは自分自身のプロジェクトに投資した。レコード会社が「こっち方面に力を入れようと思う。あなたには○枚アルバムをつくってもらいます」と言わないような、リスクをとりたがらないような分野にね。メジャー・レーベルのどこかを指して言っているわけじゃないけど、自由を得たことによって、ツーリストとはほんとうはなんなのかということに本格的にフォーカスすることができるようになったんだ。それが “Stay With Me” のくれた恩恵だね。“Stay With Me” がなかったらツーリストはいなかったと思う。“Stay With Me” はいまじゃクラシック・ソング(往年の名曲)化しているよね。すばらしいことだと思う。サムにもいろんなすてきなことをもたらしてくれて、彼のことを思うとハッピーだよ。ほんとうにすばらしいことになった。
 ぼくは曲を書くのが大好きで、いまもいろんなひとに曲を書いているけど、“Stay With Me” を超えるのは難しいね(笑)。でも、ぼくに自由を与えてくれた曲なんだ。

冥丁はほんとうに大好きだよ。彼はほんとにすばらしい。日本にはすばらしいプロデューサーが何人もいるよね。フードマン(食品まつり)もそのひとりだ。

あなたの音楽の大きな特徴のひとつにヴォーカル・サンプルがあります。ヴォーカル・サンプルに惹かれるのはなぜですか?

T:それは……ぼくが基本的に人間の声が大好きだからなんだ。人間の声に手を入れた状態の音が大好きだし、それを逆回転させたときの響きも大好きなんだ。この世のものとは思えない崇高さが生まれるし、聴いたひと次第でそのひとだけのことばに聞こえてくる。そうすると言語の壁を超えるんだ。

通訳:たしかに!

T:興味深いよ。もしぼくがフランス語だけを使って曲をつくっていたら、フランス語圏のひとにしかアピールしなかったかもしれない。ぼくは人間の声をピアノとして扱って操作するのが好きなんだ。ぼくにとって人間の声というのは、それが合唱であろうと、歌であろうと、だれかが話している声であろうと、大好きなサウンドということには変わりない。というか、たいていのひとが好きなサウンドじゃないかな? そうじゃないかもしれないけど(笑)。でもそれがないとなにもできないからね。ともあれ、ぼくは人間の声が大好きなんだ。ただ大好きなだけで、それ以上におもしろい理由はないけどね。声に手を入れて、アレンジしたり、まったく独特のものにつくり変えたりすることによって、新しい意味を与えるのが好きなんだ。

美しい夢を見ているような、きれいな電子音もあなたの音楽の特徴です。現実のつらいことを忘れさせてくれるような、いい意味での逃避性があなたの音楽にはそなわっているように思います。先ほど少し触れていたかもしれませんが、それは、あなた自身が音楽に求めている効果や役割でしょうか?

T:そうだね。音楽というのはきわめて基本的な意味で、ぼくにとっては逃避性なんだ。いままでずっとそうだったし、いまもそうだね。
 音楽をつうじて他人のなかに自分自身を見るのが好きなひとは多いと思う。シンガー・ソングライターや作詞家が人気があるのはそれだよね。でもぼくにとって音楽というのはエスケープする場所なんだ。自分の行きたいところやほかのところに連れていってくれるものでもある。いろいろな場所を思い起こさせてくれるもの、ぼくを連れていってくれるもの。アイスクリームを食べるのに少し似ている気がするよ。

通訳:それはいい表現ですね(笑)。

T:「うまっ! 別世界に行った気分だ」みたいな感じ(笑)。ぼくにとってはドラッグだね。ぼくの脳や神経に影響を与えてくれるんだ。いい影響をね。だからなんだ。ひとになにかを感じさせてくれるところが大好きなんだ。それに……音楽はいくら食べても食べ過ぎにはならないからね(笑)!

通訳:たしかに! アイスは健康によくないときもありますが、音楽は健康にいいですからね。

T:そう、いちばんたいせつなことだよ。音楽は自分と他人をつないでくれるし、自分自身ともつないでくれるんだ。それがもっともたいせつなことだよね。だからAIでつくった音楽にはあまり興味がないんだ。人間がつくったものじゃないからおもしろ味がない。加工食品みたいなものだよ。もちろんマクドナルドを1日じゅう食べていることはできるけど、そこからなにか感じられるものはあるのか、だれかの表現だと感じられるのか。そこだよね。音楽は人間がつくった、いちばん効果的なコミュニケーションのかたちだと思う。

『Wild』のリミックスEP(2020)にはアンソニー・ネイプルズメアリー・ラティモアらと並んで、広島のプロデューサー、冥丁が参加しヒット曲 “Bunny” をリミックスしています。人選はあなたご自身によるものですか? 冥丁の音楽についてどんな印象をお持ちでしょう?

T:冥丁はほんとうに大好きだよ。彼はほんとにすばらしい。日本にはすばらしいプロデューサーが何人もいるよね。フードマン(食品まつり)もそのひとりだ。知ってる? ぼくのレーベルにいたぼくの友だちの曲をひとつリミックスしてくれたひとなんだ。
 冥丁の音楽はぼくにとって……ものすごくピースフルなんだ。あんな感じのものは経験したことがなかった。ひたすら美しいし、スケールもコードもよく考えて使われている感じがする。それでいてすごく人間味があるし、脆さと音楽性の高さが同時に存在しているんだ。彼があの曲のリミックスを手がけてくれたのはほんとうに光栄なことだった。とても気に入っているよ。

通訳:彼のことはリミックス以前から知っていたのでしょうか。

T:ああ、彼のアルバムですごく気に入ったのがあってね。名前が思い出せない! けど、おなじ年に出たんだよね。ちょっと待って、ぼくのSpotifyにあるか探してみるよ。それは……(PC画面を眺める)これだ! 『Komachi』だ。それがぼくの好きなアルバム。すばらしいアルバムだよ。ぼくの『Wild』とおなじころに出て、よく聴いていたんだ。それで彼にリミックスをお願いしたらイエスと言ってくれた。ほんとうに光栄なことだよ。

新作収録曲 “Valentine” はジェレミー・スペンサー・バンドの “Travellin’” からインスパイアされたそうですが、アルバム全体としてはいかがでしょう? 『Memory Morning』を制作するうえでもっとも大きく影響を受けた音楽はなんでしたか?

T:サイケデリックな音楽をたくさん聴いていたね。1960年代のサイケデリカ、それからシューゲイズもいろいろ聴いていたし、ポスト・パンク、それから初期のレイヴ・ミュージックもよく聴いていた。“Siren” にその影響が聴きとれるかもしれないね。トリップホップぽいのもいろいろ聴いたな。“Ithaca” や “Memory Morning” はそっち系の色が強い気がする。いまの音楽は聴いていなくて、大昔にインスピレイションを与えてくれた曲をたくさん聴いていたんだ。だからある意味、あまり今風のアルバムには聞こえない。ヒップには聞こえないだろうな(笑)。いまの音楽の多くはすごく速いけど、ぼくはそういうものからむしろ遠ざかっていくような感じだったんだ。ときには大勢を押し返すのもいいからね。

新作でもっとも苦労した曲、難産だった曲、あるいはもっとも思い入れが深いのはどの曲ですか?

T:トラックリストが思い出せないよ(笑)! ちょっと見てみるね。……(PC画面を眺める)そうだな、“Siren” はこれまで書いた曲のなかでもとくに気に入っている部類に入るね。いまこうしてトラックリストを見ているけど、とても誇りに思うよ。“Siren” と、あと “A Little Bit Further” はしっくりくるものをつくるのがちょっと大変だったな。あれは基本的に2曲をひとつにまとめたようなものだからね。フォーク・ソングみたいな感じではじまって……マーク・フライという男の “Song For Wilde” からだんだん変化していって、ほとんどケミカル・ブラザーズみたいな感じになる。拍動感の強い、ハウスっぽいものにするのが狙いだったからね。“A Little Bit Further” はAの状態からBの状態に持っていくのがとても大変だったんだ。
 あの曲以外はそんなにつくるのは大変じゃなかった気がするね。すごく流れている感じがしたんだ。ほかのアルバムはみんな書くのがすごく難しくて、ぼくも細かいところまでこだわりがあったけど、今回はすごく自由な気持ちで、思いついたものをすべて尊重してアルバムに入れることができた。

アルバムのタイトル『Memory Morning』にはどのようなニュアンスが込められているのでしょう? それは最終曲の曲名でもありますね。わたしたちは朝、夢から目覚めたとき、たいていの場合は夢の内容をすぐに忘れてしまいます。あの不思議な感覚と関係がありますか?

T:その感覚がこのアルバムそのものなんだ。まさにそれだよ! わかってくれて嬉しいね。あのふたつの単語(「memory」と「morning」)を並べてみるとどうにも合わないというか……寝ている間にどこかに連れていかれるんだけど、目覚めたときに「うわぁ、いまのはいったいなんだったんだ?」なんて感じる、あれこそがいちばん強いインスピレイションになった。ああいう感じ方をさせる音楽をつくりたいと思ったんだ。これだ! と思ったよ。だから最後の曲は “Memory Morning” なんだ。このフレーズを使うことによって、いちばんステキなかたちで人びとの方向感覚を失わせたかったからね。『Memory Morning』の核心はそういうところなんだ。

通訳:今日はこのインタヴューまで一日じゅうこれを聴いていたので、明日の朝起きてどんな感じか興味が出てきました(笑)。(訳註:やはり起きた途端に夢を忘れてしまいましたが……)

T:悪夢を見ることになるかもよ(笑)?

現在ツアー中かと思いますが、ライヴやDJをやっていて最高だと感じるのは、どのような瞬間ですか?

T:基本的には「自分の音楽を知ってくれている、自分の知らない人たちに会うこと」だと思うね。いまでも感動するよ。ぼくの知らないひとたち、ぼくが行ったことのない国に住んでいるひとたちがぼくの音楽を聴いてくれているということに、いまでも大きなインスピレイションをもらっている。ぼくは自分のことをユビキタスなアーティストだと思っていない。知るひとぞ知るという感じで、全員に知られているわけじゃない。でもそれってほんとうにすばらしいことだと思うんだ。余計な期待をされないということだからね。ファンがとても真摯でいてくれることも意味する。ファンはあまり知られていないという事実も好きな傾向があるしね。ぼくはこの状態から大きな恩恵をもらっていると思うし、ぼくのショウに来てくれるひとたちに心から感謝している。彼らは心からショウに来たくて来てくれているわけだからね。友だちに連れられて仕方なく来たとか、1曲だけちょっと好きな曲があるから来てくれたわけじゃない。彼らが来てくれるのは、ぼくのアルバムを気に入ってくれているからだと思うんだ。そう言えるアーティストはけして多くない。アルバム・アーティストだって自分で言えるのは、とてもラッキーなことだと思うよ。ツアーに行くたびにそう思う。オーディエンスの反応がセットの特定の箇所だけ大好きという感じじゃなくて、一定しているんだ。ずっと同じレヴェルを保っている。とてもありがたいことだと思う。

あなたが生きていくうえで、あるいはあなたの人生において、音楽はどのような意味を持っていますか?

T:ぼくにとっての音楽の意味? ……音楽はぼくの人生全体に意味を与えてくれたね(笑)。笑顔も希望も。ときにはフラストレイションも(笑)。ときには音楽におじけづいてしまうこともあるし、特定の音楽が怖いこともあるし、大嫌いになることだってある。でも音楽がなによりも大好きなんだ。ぼくの人生にちゃんとした意味を与えてくれるからね。ぼくは自分の人生のすべての瞬間にサウンドトラックをつけることができる。その瞬間を思い出させてくれる音というのがあるんだ。そのことに感謝しているよ。人間に音楽があるということにね。

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