「W Kã€ã¨ä¸€è‡´ã™ã‚‹ã‚‚ã®
ニュー・アルバム『Silencio』を完成させたばかりの、ベルリン・ミニマルの巨匠で、ダブ・テクノの創始者のひとり、モーリッツ・フォン・オズワルド、近年では、ローレル・ヘイロー、トニー・アレン、ホアン・アトキンスらとの共同作業も記憶に新しい、エレクトロニック・ミュージックの第一人者が年明けの2月、久しぶりに来日する。これは見逃せないです。
MORITZ VON OSWALD JAPAN TOUR 2024
2024.2.16 FRIDAY @ 京都 CLUB METRO
Platform × Moritz Von Oswald
Guest: MORITZ VON OSWALD - Hybrid Set (DJ / Live)
DJ: AOKI takamasa, KAZUMA
VJ: CRACKWORKS
Open / Start 23:00
¥3,500 (Early Bird) ★5日間限定!枚数限定!★受付期間:12/22(金)18:00 ~ 12/26(火)23:59 迄
¥4,000 (Advance), ¥4,500 (at Door)
Total Information: https://www.metro.ne.jp/schedule/240216/
【Ticket Outlets】 e+, ZAIKO *12.27 on SALE!!
*別途1ドリンクが必要となります。
*早割チケットお申し込み方法:メール件名に「2/16 Moritz Von Oswald 早割希望」と記載いただき、お名前と枚数を明記して、METRO(ticket@metro.ne.jp)までメールをお送りください。
2024.2.17 SATURDAY @ 東京 VENT
MORITZ VON OSWALD - Hybrid Set (DJ / Live)
More Acts to be announced…
Open / Start 23:00
¥3,000 (Advance / Limited / Priority Admission), ¥2,500 (at Door / Before 0AM), ¥3,500 (at Door / SNS Discount), ¥4,500 (at Door)
Total Information: http://vent-tokyo.net
【Ticket Outlets】 https://t.livepocket.jp/e/vent_20240217
*VENTでは20歳未満の方や写真付身分証明書をお持ちでない方のご入場はお断りさせて頂いております。ご来場の際は必ず写真付身分証明書をお持ち下さいます様お願い致します。尚、サンダル類でのご入場はお断りさせていただきます。予めご了承下さい。
*Must be 20 or over with photo ID to enter. Also, sandals are not accepted in any case. Thank you for your cooperation.
【FB / RAイベント参加, IGいいね】でディスカウント実施中!
参加ボタンでディスカウントゲスト登録完了です。
*当日エントランスにて参加画面をご提示ください。
*前売り券をお持ちのお客様からの優先入場となります。

MORITZ VON OSWALD (BASIC CHANNEL, RHYTM & SOUND - DE)
80年代末のテクノ・シーン黎明期から現在に至るまで、モーリッツ・フォン・オズワルドは最も重要なプロデューサー/アーティストの一人として、エレクトロニック・ミュージック・シーンの中枢で様々なスタイルの作品を発表し続けているリヴィング・レジェンドである。80年代には伝説のニュー・ウェーヴ・バンド、パレ・シャンブルグのパーカッショニストとしてトーマス・フェルマン(The Orb)等と活動。90年代から完全にエレクトロニック・ミュージックへと移行、3MB(トーマス・フェルマンとのユニット)では、デトロイト・テクノのオリジネーター、ホアン・アトキンス、エディー・フォールクス、ブレイク・バクスターなどと共同作品を発表している。その後、ミニマル・テクノの礎を築くプロジェクト、ベーシック・チャンネルをマーク・エルネスタスとスタートさせる。同じフレーズが執拗に繰り返される奇怪なミニマル・サウンドは、当時のテクノ・シーンに大きな衝撃を与える。ベルリン/デトロイトの架け橋としてミニマル・テクノは、ロバート・フッド、ジェフ・ミルズ、URのような代表的アーティストによって更に進化していった。ベーシック・チャンネルが経営に携わったハード・ワックス(レコード店)と同様に、当時のベルリンを代表したクラブ、Tresorとそのレーベルの周辺を含む、まさにテクノ・シーンの中心として世界的に知られることになった。12枚の傑作を発表したBasic Channelは、複数のプロジェクト/レーベル(Chain Reaction、Main Street、Burial Mix、Rhythm & Sound)へと派生/移行した。モーリッツ・フォン・オズワルドの果敢な実験精神は、ニュー・ウェイヴ時代から現在まで脈々と息づいている。また、伝説的なDubplates & Masteringのマスタリングそしてカッティング・エンジニアとして、シーン全体にその絶大な影響を色濃く残している。2008年、カール・クレイグとの共作として1987年に録音されたカラヤン指揮のベルリン・フィルによる音源、ラベルの「ボレロ」と「スペイン狂想曲」やムソルグスキーの「展覧会の絵」などをエディット/リ・プロダクションを施したアルバムを発表する。2013年には、ホアン・アトキンスとの共作アルバム『Borderland』とノルウェーのジャズ・トランペッター、ニルス・ピーター・モルヴェルとの共作『1/1』を発表。2008年からスタートした自らの名を冠したモーリッツ・フォン・オズワルド・トリオは、ヴラディスラヴ・ディレイ(Luomo)の離脱を経て、2015年には結成当初から活動を共にするマックス・ロダーバウアー (ex. Sun Electric) に加えてフェラ・クティのドラマー、アフロ・ビートの始祖であるトニー・アレンを迎えて『Sounding Lines』を発表。2016年、ホアン・アトキンスとのプロジェクトBorderlandの二作目となるアルバム『Transport』、2021年にはモーリッツ・フォン・オズワルド・トリオを更に刷新、当代きっての才媛ローレル・ヘイローとジャズ・ドラマーのハインリッヒ・ケベルリングを配して『DISSENT』とそのリミックス・アルバムを翌年リリースしている。そして2023年11月、ベルリン・テクノ・シーンの礎を築いた老舗・名門レーベルTresorより初の本人名義アルバム『Silensio』をリリース。ヤニス・クセナキス、エドガルド・ヴァレーズ、ジェルジ・リゲティといった現代音楽家からインスピレーションを受けて、ヴォーカルコンソート・ベルリンの協力を得て、古典的なシンセサイザーを駆使して光と闇が交錯する幻想的な不協和音が往来ずるポスト・エレクトロニカ、アンビエント作品へと昇華させている。本国ドイツはもとより全世界のテクノ〜エレクトロニック・ミュージック・プロデューサー及びファンからリスペクトされる偉大な音楽家モーリッツ・フォン・オズワルドから未だに目が離せない。
これはおもしろい。ずばりエイフェックス・ツインのカヴァー集なのだけれど、ただのそれではない。なんと、ニンテンドウ64の音でリメイクされているのだ。ほとんどの曲で用いられているのは『スーパーマリオ64』(96)のサウンドフォントらしいのだけれど、一部『ゼルダ』(『時のオカリナ』?)や『バンジョーとカズーイの大冒険』(98)からのものも含まれているとのこと。クリエイターは on4word なる人物。初夏にはおなじ手法でレディオヘッド『OKコンピューター』のカヴァーに挑戦してもいる。アイディアの勝利。
https://on4word.bandcamp.com/album/selected-aphex-works-n64
この映画を観ている間ずっと、僕は古さについて考えていた。ただでさえ大物監督による古き良き映画文化を懐かしむ作品が増えている現在だが、しかし、カウリスマキの新作の「古さ」は何かこう、強い意思を感じさせるものだ。
そもそも2023年にカウリスマキの新作に出会えたこと自体、多くのファンにとって嬉しい驚きだった。監督は前作『希望のかなた』(2017)発表時に引退宣言をしていたからである。ヨーロッパの隅のフィンランドで庶民たちが登場する小さな映画を作り続けてきたカウリスマキ。アフリカやシリアからの移民を主人公として草の根の助け合いを描いていた『ル・アーヴルの靴みがき』(2011)と『希望のかなた』を最後に監督をやめると宣言したことは、ヨーロッパに広がる移民排斥の動きに対する失意のように僕には感じられたものだ。市民たちの支え合いを素朴に信じること自体、古いものになってしまったということなのかもしれない、と。

と思っていたら本作を引っさげてあっさりと今年のカンヌ映画祭に登場したカウリスマキが話していたのは、これは自身の〈労働者三部作〉の続きの4作目であるということだった(三部作の4作目というのは矛盾していると冗談を飛ばしながら)。〈労働者三部作〉は彼がまだ気鋭の映画監督だった頃の、『パラダイスの夕暮れ』(1986)、『真夜中の虹』(1988)、『マッチ工場の少女』(1990)の3作のことで、映画作家としての世界的評価を決定づけた作品群だ。その時点で彼の映画は決定的に「古い」もので、過去の映画からの影響をたっぷり取りこんでクラシカルな佇まいをしていた。その様式美のなかで主人公がブルーカラーの人びとだというのが、カウリスマキ作品の絶対的な決まりごとだ。バスター・キートン作品譲りの無表情で彼らは、古典映画の物語をなぞるようにして恋や犯罪や復讐のドラマを生きていた。
それから30年以上経った現在、カウリスマキの「新しい映画」は何ひとつ変わっていないように見える。隅々まで統制された画面作りとヘルシンキの夜の街をしっとりと見せる照明と色彩、簡潔極まりない構成と80分程度の上映時間、そして、都市の片隅で生きる貧しい者たちの小さな小さなドラマ。とぼけた笑い。愛らしい犬。情緒的な歌謡曲。孤独な労働者の男女が出会い恋をするという物語は『パラダイスの夕暮れ』の反復であり、その、ある種の頑固さを感じることがカウリスマキ映画であったと思い出す。

いわゆる「ゼロ時間契約」のスーパーマーケットの仕事をクビになったアンサ(アルマ・ポウスティ)と、工場現場で働く酒浸りのホラッパ(ユッシ・ヴァタネン)が出会い、すれ違うというだけの物語。それは意図的に昔ながらのロマンスとして語られていて、ふたりは大衆的なカラオケバーで出会い、はじめのデートでは映画館に行く。ふたりが観る映画がカウリスマキと同時代に注目された盟友ジム・ジャームッシュのゆるいゾンビ映画『デッド・ドント・ダイ』だというのはもちろんジョークだし、映画館の外には20世紀の名画のポスターが貼られている。それらはたしかに古くからの映画マニアがニヤリとしてしまう場面ではあるのだが、では本作がそうした時代からズレた人間たちを慰めるために作られたかといえばそうではない。そうではなくて、『枯れ葉』はカウリスマキが「古さ」の価値を観る者にいま一度手渡そうとする映画なのだ。
たしかに画面だけではいつの時代の映画かわからないが、間違いなくこの映画は現代のものとして撮られている。(スマートフォンではなく古い機種だが)携帯電話や(まったくそう見えないが)インターネット・カフェが登場し、(テレビやパソコンの画面ではなくラジオが)ロシアのウクライナ侵攻を伝える。そのときアンサは言う――「ひどい戦争」だと。ひどい戦争に対してひどい戦争だと市民が憤る。僕はそんなシンプルさを長らく忘れていた気がする。カウリスマキの作品のように、貧者たちの善き心を頑なに信じぬく映画をしばらく観られていなかったと感じる。アンサとホラッパはそして、労働者をボロボロにし「ひどい戦争」にまみれた世界で、ささやかな愛を見つけていく。彼らの生きる価値は失われていないのだと言い切るように。

わずかながら変わったと思う部分もある。とくにアル中のホラッパに酒に溺れる男とは付き合えないとアンサがきっぱり言うくだりは、一見ダンディな佇まいのカウリスマキ作品に対する自己批評とも取れる――彼の映画では寡黙な男たちが酒を吞み交わしてきた。これまでも『浮き雲』(1996)でアル中のシェフが登場するなど酒の悪しき側面は描かれることはあったし、ブルーカラーにとって数少ない癒しだからこそアルコールが大きな社会問題であることも意識されていたはずだ。けれども意思の強い女性として描かれているアンサがそれを宣言することで、古めかしい男性性に対する戒めがより明確になっている。カウリスマキ映画の定番の生演奏の場面も、ニューウェーヴ調のインディ・ポップを鳴らす若い姉妹デュオであるマウステテュトットが登場する。格好つける男たちの愛らしさを滲ませてきたカウリスマキが、現代の女性たちの格好よさを自分なりに捕まえようとしているのは作家としての新たな挑戦だと受け止められるだろう。

とはいえ、プロレタリアのためのプロレタリアの映画を作るという芯の部分は変わらない。若さゆえか「ここではないどこか」を夢見ていた〈労働者三部作〉とは違って地に足をつけて生きていくことをここでは讃えているが、それも『浮き雲』以降の成熟のなかでずっと追求してきたことだ。それに『枯れ葉』はこれまでカウリスマキが何度も言及してきたチャールズ・チャップリン『街の灯』(1931)をとくに強く連想させる作品で、90年以上前の映画が立ち上げていたまっすぐな人間愛を現代のために取り戻そうとしている。心地いいノスタルジアではなく、庶民を痛めつける世界への抵抗として「古さ」を持ち出すこと。カウリスマキは本作について、「愛を求める心、連帯、希望、そして他人や自然といったすべての生きるものと死んだものへの敬意」を「語るに足ること」だと話している。映画はいまなお、暗闇を照らす光なのだから。
予告編
年末になるとリリースも減ってくるので、今月は少し前に発表されたものから紹介したい。

Daniel Ögren
Fastingen -92
Sing A Song Fighter / Mr Bongo
ダニエル・エグレンというスウェーデンのギタリストの『ファスティンゲン92』というアルバムで、UKの〈ミスター・ボンゴ〉から秋口にリリースされたのだが、もともとはスウェーデンの〈シング・ア・ソング・ファイター〉というレーベルから2020年にリリースされていたもので、正確にはリイシューとなる。ダニエル・エグレンはジャズやロック系のギタリストで、ソフト・サイケやフォーク・ロックなどを演奏するディナ・オゴンというバンドや、スウェーデン、エストニア、デンマークの混成ポップ・バンドであるマニエックで演奏するほか、ジョエル・ニルス・ダネルの匿名グループであるスヴェン・ワンダーでもギターを弾いている。ソロ・アルバムは2011年の『ラポニア』から定期的にリリースしており、ジャズからフォーク、カントリー、サイケ、スウェーデンの民謡などが入り混じった独特の世界を見せる。
『ファスティンゲン92』でダニエル・エグレンはギター、ギター・シンセ、ベース、ピアノ、シンセ、パーカッション、クラヴィネットを演奏し、ヴォーカルもとるなどマルチ・プレイヤーぶりを見せ、まわりをディナ・オゴンやマニエックのメンバーがサポートする。“アナレナ” をはじめバレアリックでレイドバックしたムードに包まれた作品集で、クルアンビンあたりに共通したものを感じさせる。ディナ・オゴンのアンナ・アーンルンドがスウェーデン語で歌う “イダギ” は、フォーク・ソング調の作品ながらエフェクトを交えてコズミックなムードも醸し出し、ステレオラブやゼロ7あたりを彷彿とさせるところもある。エレクトロな中に独特のエキゾティックなムードを湛えた “クリスティンハム・バイ・ナイト(フォー・クリストファー)” など、スウェーデンの電子音楽の始祖で、1970年代に宇宙をテーマにしたアンドロメダ・オール・スターズを率いたラルフ・ルンドステンを思い起こさせるアルバムだ。

Greg Foat & Eero Koivistoinen
Feathers
Jazzaggression
スウェーデンの隣国フィンランドも昔からジャズが根付いている国だが、そんなフィンランド・ジャズ界の大御所サックス奏者のイーロ・コイヴィストイネンと、ロンドンのピアニストのグレッグ・フォートが共演した『フェザーズ』。グレッグ・フォートと言えば、ブラック・ミディのドラマーのモーガン・シンプソンと共演した『サイコシンセシス』(2022年)が最近でも印象深いが、今年もココロコのドラマーのアヨ・サラウと共演した『インターステラー・ファンタジー』ほか数枚のアルバムをリリースするなど、精力的に活動している。ザ・グレッグ・フォート・グループのファースト・アルバムはスウェーデンでも録音するなど、昔から北欧のジャズ・シーンとも縁が深く、2021年にはフィンランドのドラマーのアレクシ・ヘイノラ、ベーシストのティーム・オーケルブロムなどのミュージシャンと共演した『ゴーン・トゥ・ザ・キャッツ』をリリースしてきた実績もあり、今回のイーロ・コイヴィストイネンとの共演も極めて自然な流れと言える。リリース元の〈ジャズアグレッション〉はノルウェーのレーベルで、これまでも『ゴーン・トゥ・ザ・キャッツ』はじめフォートの作品をいくつか制作してきたところだ。
一方、イーロ・コイヴィストイネンは1960年代にハード・バップやモードから出発し、フリー・ジャズからジャズ・ファンクと時代によって幅広く演奏してきたプレーヤーである。数年前のレコーディングにはアレクシ・ヘイノラが参加していたこともあり、今回のグレッグ・フォートとの共演が実現したのだろう。『フェザーズ』にはそのアレクシ・ヘイノラやティーム・オーケルブロムも参加している。クールなフェンダー・ローズが光る “インコンシークエンシャル・ナラティヴ” など、全体的には1970年代のジャズ・ファンクやフュージョン的なムードを感じさせる作品が多い。いろいろなタイプのジャズを演奏するグレッグ・フォートだが、今回のアルバムはそこにフォーカスしているようだ。“ライディング・ザ・ブリーズ” はスペイシーなムードのシンセを用い、ハウスやテクノなどとの親和性も見せるエレクトリック・ジャズ。ほかにロニー・リストン・スミス張りのアンビエントな世界観を見せる “フェザーズ” などいろいろなナンバーが並ぶが、イーロ・コイヴィストイネンのエモーショナルなテナー・サックスはどんな展開でもしっかりと存在感を示し、大ヴェテランならではのいぶし銀のようなプレイを聴かせる。

Hailu Mergia
Pioneer Works Swing (Live)
Awesome Tapes From Africa / Pioneer Works Press
エチオピアのキーボード奏者のハイル・メルギアは、ムラトゥ・アスタトゥケと並ぶエチオ・ジャズの最重要人物だが、アスタトゥケに比べてファンク寄りのミュージシャンであり、ジャズ・ファンク・バンドのザ・ワリアスを結成した。1977年の『チェ・ベレウ』など、レア・グルーヴの文脈で再評価されて世界に広まったミュージシャンである。アメリカのワシントンDCに移住して、1990年代は音楽活動を停止してタクシー運転手をしていた時期もあったが、そうした再評価によって復活し、2018年に20数年ぶりの新録となる『ララ・ベル』をリリースした。『ララ・ベル』をリリースしたのはアフリカ音楽のリイシューやカセット・テープなどのレコード化で知られる〈アウェイサム・テープス・フロム・アフリカ〉で、『チェ・ベレウ』はじめ多くのメルギアの音源をリリースしている。今回は〈パイオニア・ワークス〉という教育や実験を支援する出版社と組み、2016年にブルックリンでおこなわれた〈パイオニア・ワークス〉主催のコンサートに出演したメルギアのライヴ音源をリリースした。
演奏はメルギアのキーボード、アコーディオン、メロディカ、ヴォーカルのほか、ベースとドラムスによるトリオというシンプルな編成。『ララ・ベル』や2020年リリースの『イエネ・ミルチャ』など近年のアルバム収録曲から、1985年にカセット・テープでリリースされた音源の楽曲などまでやっている。メロディカを演奏する “ティジア” はエチオピア特有の音階を持つメルギアならではのエチオ・ジャズ。もともとアメリカのファンクやジャズに影響を受けたメルギアだが、“ベレウ・ベドゥバイ” に見られるようにエチオピア民謡などと結びつくことにより、独自の発展を遂げていったことが彼の演奏を聴くとよくわかる。

Blaque Dynamite
Stop Calling Me
Dolfin
ブラック・ダイナマイトことマイク・ミッチェルは、アメリカのダラス出身で現在28才のジャズ・ドラマー。若い頃から天才ドラマーとの呼び声高かった彼は、エリカ・バドゥ、ノラ・ジョーンズ、ロイ・ハーグローヴらを輩出したブッカー・T・ハイ・スクールに進み、在学中に大御所のスタンリー・クラークのバンドに抜擢される。その後グレッグ・スピロ率いるスピリット・フィンガーズやDJのベン・ヒクソンらが参加するグループのラッヘなどで活動し、エリカ・バドゥほか、ハービー・ハンコック、クリスチャン・スコット、デリック・ホッジ、カマシ・ワシントンといった面々と共演してきた。2015年にラッヘがバックを務めたブラック・ダイナマイト名義でのソロ・アルバム『Wi-fi』を皮切りに、『キリング・バグズ』(2017年)、『タイム・アウト』(2020年)とリリースを続けてきた。同じテキサス出身のロバート・グラスパーがそうであるように、ブラック・ダイナマイトもジャズのほかにヒップホップ、R&B、ファンク、ソウル、ゴスペルなどの要素を併せ持つブラック・ミュージックのアーティストである。
今回リリースした『ストップ・コーリング・ミー』は通算4枚目のアルバムで、ダラスのほか、ロサンゼルス、ニューヨークなどでレコーディングをおこなっている。ベン・ヒクソンはじめラッヘのメンバーが演奏に参加しており、ブラック・ダイナマイトはドラムやパーカッション以外にもピアノやヴォーカルをとり、またベン・ヒクソンのプロダクションによるエレクトリックなアプローチやプログラミングも取り入れ、ジャズだけでなく多方向から聴くことができるアルバムだ。例えば “パッション” はベン・ヒクソンがアディショナル・プロダクションをおこなうハウス調のナンバーで、ここでのブラック・ダイナマイトは完全にシンガーに徹している。“ブルー・ウィッグ” や “スクラフ” など、ハウス、フットワーク、ゴム、ベース・ミュージック系の作品がある一方、ブラジル音楽を取り入れた “サンバ” と幅広いアプローチを感じさせる。ドラマーとしてのブラック・ダイナマイトを聴くのであれば、ジョー・ザヴィヌル作曲でウェザー・リポートやマイルス・デイヴィスが演奏した “ダイレクションズ” のカヴァーだろう。ブラック・ダイナマイト自身が歌詞をつけ、新たにヴォーカル曲として生まれ変わっているのだが、まるでウェザー・リポートとファンカデリックが共演したような強烈なジャズ・ロックとなっている。ここでのブラック・ダイナマイトの演奏は往年のトニー・ウィリアムスやビリー・コブハムあたりを彷彿とさせるもので、スペース・オペラ風の曲調をドラマティックに彩っている。
早すぎたのかもしれない。〈Warp〉移籍後初となるEP「SPAGHETTO」から半年が過ぎた2017年4月8日、CIRCUS TOKYOで初めて見た彼は上半身裸でステージを動きまわり、非常に熱のこもったパフォーマンスを繰り広げていたのだけれど、どうにもまだフロア=日本側の理解の準備が整っていなかったというか、彼の音楽をどう受け止めたらいいのか、その音楽がなんなのか、とらえあぐねているような雰囲気があったのを憶えている。が、ファースト・アルバム『Basic Volume』(2018)が放たれたあとの来日公演、2019年9月20日のWWW Xではそれも解消され、重厚な低音が響きわたるなか、オーディエンスたちは大いに盛り上がりを見せていた(はず……記憶に間違いがなければ)。
10年代後半の当時、アンダーグラウンドがどんな状況だったかというと、イキノックスやロウ・ジャックが頭角をあらわし徐々に認知度を高めていっており、数ある潮流のひとつとして「ダンスホール」が擡頭していた。ルーツの半分をジャマイカにもち、10年代前半はマーケイジというグライム・グループで活動、新たなブラック・ディアスポラの共同性を探る〈NON〉のコンピにも参加していたガイカが、ソロ活動を進めていくにあたりそのスタイルを選択し自身の音楽を「ゲットー・フューチャリズム」と呼んだことは、彼が時代に敏感だった証といえよう。
トラップの影響を残しつつも、デビュー・ミックステープ『Machine』(2015)、セカンド・ミックステープ『Security』(2016)、ジャム・シティを迎えた「SPAGHETTO」とリリースを重ねるにつれ、ダンスホールを咀嚼した彼のサウンドは徐々に武器としての強度を高めていくことになる。『Basic Volume』はそのひとつの完成形だろう。時代の動向を鋭く看取しつつ、独自のダークな音世界を紡ぎあげる闘士、それがガイカだった。その個性はつづく2枚のコラボ・アルバム──『Seguridad』(2020)と『War Island OST』(2022)──にもある程度は引き継がれることになる。
オリジナル・ソロ・アルバムとしては2枚目、という数え方でいいのだろうか。〈Big Dada〉移籍後初のフルレングス『Drift(漂流)』はしかし、まるっきり音楽性を変えている。ここにはトラップもなければダンスホールもない。驚くほど潔い変貌ぶりというか、本作で披露されているのはバンド・サウンドであり、もっとも耳に残るのは歪んだギターの音なのだ。
いや、冒頭2曲にはダブだったりカリブ海音楽を思わせる要素がしのばされているし、どこかトリップホップぽいフィーリングもあったり、けしてなにかひとつのスタイル一辺倒というわけではない──のだけれど、全体としてはオルタナティヴ・ロックの色が濃く出たアルバムに仕上がっている。ラップ・グランジとも呼ぶべきシングル曲 “LADY” や、銃をテーマにした “Gunz” などがその代表だろう。
いちばん驚かされたのはもうひとつのシングル曲 “Sublime” だ。つま弾かれるギターや鍵盤(?)がせつなさを醸しだし、背後でギター・ノイズやホーンがノスタルジーを掻きたてるこの曲には、えもいわれぬかなしみ、どこかサウダージにも通じる感覚、部分によってはビビオさえ連想させる、豊かな感傷がそなわっている。間違いなくガイカの新機軸だろう。あるいは、カリブ海的なものと東アジア的なものを同時に喚起させる “And There Goes The Challenger” なんかも何度もリピートしたくなる魅力をもっている。
白人はジャズでもロックでもラップでもなんでも許されるのにたいし、黒人は「ブラック・ミュージック」の枠に押し込められてしまう──そんな話が紙エレ年末号掲載の対談「BLMはUKをどう変えたのか」には出てくる。『Drift』はそうした先入見や「期待」を裏切るみごとなアフロ・パンク作品だ。近年はイヴ・トゥモアやウールーなど、積極的にロック・サウンドに挑戦する因習打破的なブラック・アーティストたちの存在感が増している。本作をもってガイカもまた、その列に加わることになった、と。
ダンスホールからオルタナティヴ・ロックへ──いまここにガイカ第2章の幕が切って落とされたわけだが、『Drift』を契機にアフロ・パンクそれ自体の勢いもさらに加速していくことになるかもしれない。
