ホット・チップは、UKポップ音楽のお家芸と言える、ソウルやダンス・ミュージックを折衷するエレクトロ・ポップなロック・バンドで、そのサウンドには多幸感とメランコリーが交錯している。20年という彼らの長いキャリアにおいてバンドは着実に成長し、UKシンセ・ポップとしては、いわばニュー・オーダーの後継者というか、いまや今世紀における代表的な存在と言えるのかも。じっさい2019年の前作『A Bath Full of Ecstasy』は批評家から絶賛され、今作『Freakout/Release』も注目のアルバムとなった。
以下、日本のファンを代表して斎藤辰也──ホット・チップ以外は、ほとんどクラシック・ロックばかり聴いているようだが──その彼にまずはファン目線の解説を書いてもらった。その後に続くインタヴューともどもお楽しみください。
ミュージシャンがつまらない作品が出すと僕は追いかけるのをさっさとやめて悪態をつきがちなのですが、ホット・チップのことは14年近く追いかけています。僕がホット・チップをこんなにも好きでいるのは、彼らの音楽はつねに歌心を大事にしているからです。メロディとハーモニーを大事にしたやわらかい歌声でもって、ダンスビートの上で、人としての弱さや苦悩を明かしているからです。そうした歌を聴かせてくれるバンドは貴重です。LCDとかジンジャールートなんかでは、とてもじゃないけどダメなのです。この歌とハーモニーを実現できるバンドは、ホット・チップ以外にいないでしょう。
新型コロナに罹患して部屋にこもることになって思いついたのは、好きなミュージシャンのレコードを、キャリアの初めから最後まで、1日中ぶっ通しで聴くことでした。ボブ・ディラン。ニーナ・シモーン。ヴェルヴェッツ。大好きなビートルズとビーチ・ボーイズも聴きました。しかし、僕のすべてだと思い込んでいたその2組は、決していまの僕のすべてではないことに気づくことになりました。
部屋を侵食するレコードの山の中から10枚しか残せないとしたら、僕はまずホット・チップの作品から『ワン・ライフ・スタンド』を選ぶでしょう。5枚でもそうします。3枚でも、そうしましょう。1枚なら………シド・バレットのセカンドだと心に決めているので、大変な拮抗が生じます。だけど、いまな、ら、『ワン・ライ、フ・スタ、ンド』を、選、ぶ。かもし、れま、せん(大変な拮抗が生じています)。ホット・チップをこれから知る人にもこのアルバムを薦めます。タイトルどおり、彼らの音楽は一生の付き合いができそうな包容力があります。無理をしないで、いつでもありのままで向き合える、そんな気持ちにさせてくれます。弱いことは恥ずかしいことではないんだよと、そう言ってくれる気がするのです。ここでもし、そんなの要らないとあなたが言うのであれば、そもそも音楽なんて聴かなくていいと思います。
2008年の『ワン・ピュア・ソウト』の可愛いけどなんか変なMVを観たとき、シンセ主体の音楽を忌避してロックとヒップホップだけを聴いてきた僕の中で、とんでもないレベルで、なにかが弾けました。折衷という言葉では説明できません。その音楽の中に、僕が好きなもの以外にも、なにかわからないけど色んなものがトロトロになって煮込まれているのを感じたのです。いま食べてるので喩えますが、未知の具材たっぷりのカレーの鍋を覗き込んだと思ったら、画面の向こうから鍋の中身が飛び出して、全身にぶっかけられた。そんな衝撃でした。それ以降、彼らの作品や足跡を追いかけて、それまで知らなかった数々の音楽の扉を叩くことになりました。ニューウェイヴ。テクノ。ハウス。ノイズ。エレクトロ。音楽の広さを音楽を通じて教えてくれるバンドなんて、他にはビートルズくらいしか思いつきませんが、ホット・チップが教えてくれたのは、僕の大好きなビートルズやビーチ・ボーイズが教えてくれなかったものでした。ホット・チップが現代のバンドで、それをリアルタイムで聴くことができるのは、とてもラッキーなことだと思います。
ホット・チップは結成から20年以上が経ちました。ダンスフロアの流行り廃りに流されることもなく、メンバーの入れ替わりもないまま自分たちの地盤を固めることができたのは、アレクシス・テイラー&ジョー・ゴダードのふたりを核としたソングライティング、そして、それを彩るためのサウンド作りにメンバーが力を注いできた結果であると思います。まずもって馴染みやすいメロディと真摯な歌詞を大切にしながら、男性的な“強さ”を回避するアレクシスとジョーの優しい歌声が響いて、メンバーのハーモニーが重なり、それらをダンスのリズムとシンセサウンドが讃える。アレクシスとジョーのマイクリレーやハーモニーは、まるでブライアン・ウィルソンとマイク・ラヴの掛け合いが現代に生まれ変わって、同じバンドにいるかのようです。こうしたヴォーカルワークの美しいバンドは、他に類を見たくても、なかなか見れないと思います(メンバーのアレクシスと初めて会ったとき、僕はビーチ・ボーイズの未発表アルバム『スマイル』のブートの箱を渡しました。「なんでこれを僕にくれようと思ったの?」と言いつつニヤついた彼の笑顔は最高に面白かった。それに、彼とジョーなら『スマイル』は没にしないでしょう)。
今作、『フリークアウト/リリース』では、前作で強固になったダンスビートを引き継いでいますが、これまでのアルバムよりもシリアスなムードが通底しており、一聴すると重々しい印象が残るかもしれません。だけど、僕から述べておきたいのは、前述したようなバンドのあり方は変わっていないということです。明るい音楽で哀しいことを歌うように、人としての弱さや苦悩を隠しませんでした。そういったシンパシーを音楽の上で感じさせてくれます。ただただアッパーなダンスナンバーにもできたはずの“ブロークン”で「時々思う/僕は壊れている/もう壊れようがないほど」と歌うのを聴いて、僕は駅のホームで涙を流しながら歩いていました。いい大人が道端で目を赤くしているのは、通りがかった人にしてみれば不気味だったと思います。でも、不意にそういうことをさせてくる音楽なんです。(斎藤辰也)
右にいるのが質問に答えてくれたアレクシス・テイラー、その隣にいるのがジョー・ゴダード。
僕個人としては、大仰な政治的声明を打ち出そうとすることを楽しいとは思わないね。政治ってものは、自分の音楽にはほとんど入り込んでこない物事だ、そう感じる。ジョーの方なんじゃないかな、音楽にもうちょっと政治が入ってくるのは?
■4月からツアーが続いていますが、いまUKのライヴ状況は、いかがでしょうか? コロナ前の感じに戻ってきていますか?
アレクシス:そうだね、ライヴ/コンサートの状況について言えば、ほんとなにもかもが戻ってきている。会場も再開し規制もなくなったし。けれどもフェスティヴァル、たとえば何万もの人間が集うグラストンベリーのようなイヴェントは、結局数多くの感染者を出すことになった。だから、ある面では物事は「ノーマル」に戻ったけれども、やはりウィルスは依然消え去ってはいない。単に、人びとは感染しても以前ほど具合が悪くならなくなっただけであって、それはたぶんワクチン接種に少し守られているからだろう。
というわけで……たとえば自分たちがフェスでプレイして観客を眺めていても、以前みたいにCOVIDについて考えることはなくなった、そう言っていいと思う。というのも、みんなマスクを着けなくなったから。だから、カルチャーという意味では非常に変化したし、前より少し良くなったっていうのかな、規制が緩まったおかげで。けれどもそれと同時に、COVIDに感染するたび——僕自身、1ヶ月前くらいだったっけ? ウィルスに感染したし、その都度あれがどれだけ不快な体験かを思い出させられるっていう。
■前作『A Bath Full of Ecstasy』に引き続き、今作『Freakout/Release』もじつにパワフルなアルバムになったと思います。まずはサウンドについてお訊ねしますが、先行発表された “Down”は、力強いファンクのリズムが強調されていますよね。LCDサウンドシステムなんかともリンクするファンク・パンクを彷彿させます。
アレクシス:うん。
■それに表題曲の“Freakout/Release”や“Hard To Be Funky”にも強力なリズムがありますが、こうしたビート感、躍動感は、自然に生まれたものなのでしょうか? それともこれは今作において意図したことだったのですか?
アレクシス:リズム・トラック群やグルーヴ、あるいはファンキィな要素に関して言えば、自分たちはとくに「今回はこれまで作ってきた作品とは違う」とは考えていないと思う。過去の作品以上にそれらの要素が強調されていると人びとが感じるだろう、僕たちにそういう意識はなかった、と。けれども、うん、いま言われたように、僕たちは踊るのにすごくピッタリなものを作ろうとしていたね。そうやって人びとにエンジョイしてもらえるなにかを、音楽と人生と踊ることとを祝福できるなにかを人びとに与えたいと思っていた。ただ、思うに、いまの質問にあった印象/感想は――良い感想だけれども、僕たち自身はべつにこれといって、より「パンク・ファンク調」な方向を目指してはいなかったんだ。あれはとにかく、そうだなぁ、たぶん“Down”で使ったサンプリングに導かれたものだったんじゃないかな? あの曲で僕たちはファンク・チューンをサンプリングしたし、それが僕たちを音楽的にあの方向性に引っ張っていった、と。それもあるし、おそらく今回は、アル(・ドイル)があの曲やそれ以外のいくつかのトラックでも生演奏でベース・ギターをもうちょっと弾いているし、彼はLCDサウンドシステムでもプレイしているから、それもあったのかもしれない。彼がふたつのバンドでプレイするベースの奏法はやはり似通ってくる、と。
通訳:いま話に出た“Down”のサンプル、あれはUniversal Togetherness Bandのトラックですが——
アレクシス:そう。
斉藤:たぶん2015年あたりから、ソウルのレコードをサンプリングすることが新曲において増えてきている印象を受けます。これは意図的にそうしているのでしょうか? たとえば、70〜80年代のソウル/ディスコ/ファンク音楽の、そのルーツにお返ししよう、みたいな思いは大事でしょうか?
アレクシス:んー……もしかしたら、僕たちにもそうした思いはあるのかも? だけど、僕たちはずっとソウル/ファンク・ミュージックが好きだったからね。ファースト・アルバムを作ったときですら——あれはサンプリングではなかったけれども、たとえば“Keep Fallin’”のような曲をプレイしていたわけだし、あれはかなりこう、ファンク・ミュージックを作るためのプリミティヴかつ安上がりでローファイな試み、そういう風に聞こえる曲だと思う。とはいえまあ、ソウル・ミュージックからの影響はあるよね、僕たちのもっとも大きな影響源のひとつだと思う。おそらく……まあ、サンプル音源にソウル寄りな変化が起きているとしたら、それは要は、ジョー(・ゴダード)が買っているレコード次第なんじゃないかと思う。というのも、僕自身はレコードからサンプリングはしないし、ネタとして使えそうなセクションを探そうとしてレコードを聴くこともないから。
でも、そうは言いつつ、この同じアルバムで僕は「ファンキィであることについて」の歌(=“Hard To Be Funky”)を書いたわけだし、ということは、うん、たぶんその同じスレッドがこのアルバムの曲の多くにも流れているってことなのかもしれない。でも、いま言われたように、2015年以来、僕たちが「ダンス/ソウル音楽のルーツに敬意を表して」みたいにサンプル音源を選んでいるとか、べつにそういう意図的な決定ではなかったんだ。ただ単に、僕たち自身がああいうスタイルの音楽をずっと好きだからああなった、そういうことだと僕は思う。でまあ、要は、ジョーがレコード屋でなにか発見して、「お、これはグレイトな曲! ぜひサンプリングしたい」と思いついたってだけのことじゃないかと。
斉藤:今回、マイク・ホーナーと、ソウルワックスと、Superorganismのメンバーであるトゥーカンをアルバム制作に抜擢した意図やきっかけはなんですか?
アレクシス:まあ、前作『A Bath Full Of Ecstasy』をやったときも、マイク・ホーナーと一緒に作ったからね。マイクはすごく、すごく優秀だし、とにかく一緒にスタジオで過ごしていても本当に気持ちの良い人で。僕たちが彼と一緒にやることにした理由はそれだったし、彼は僕たちの求めていたサウンドを掴むのを助けてくれた。
ソウルワックスについては、……ジョーの思いつきだったはずだけど、彼が「ソウルワックスにこの2曲を送ってみないか」と言い出して。彼らに聴いてもらい、何を持ち込んでくれるか試しに見てみよう、と。そのうちの1曲は“Down”で、あれは結局彼らにプロダクションを手伝ってもらわずに済んで、ミックスだけやってもらった。もう1曲が“Freakout/Release”で、あれはこう、僕たちからすれば半分くらいまで出来上がっていた感じで――曲は書いたものの、サウンドがどうもいまひとつジャストに収まらない、と。それであの曲をソウルワックスに送り、共同プロデュースおよび追加プロダクションをお願いしたんだ、純粋に、あの曲をフィニッシュさせるためにね。
ホット・チップではコラボに関してはかなりカジュアルに物事が進むんだよ。今作でプレイしてくれたほかのコラボレーター、たとえばドラマーのIgor Cavalera(イゴー・カヴァレラ)、彼はセパルトゥラ(※メタル・バンド)のメンバーだったことで知られる人で——彼は“Eleanor”でドラムをプレイしてくれたけど、あれはメタルっぽい曲ではないよね。それからCadence Weapon(ケイデンス・ウェポンaka ローランド・ペンバートン)については、僕たちはあの“The Evil That Men Do”でラップを入れたいと考えていて、ジョーが彼のことを思いついた。彼とは昔、一緒にツアーをやったこともあった仲だし、運良くタイミングも合って、彼はグレイトなヴァースをあの歌のために書いてくれた。それからシンガーのLou Hayter(ルー・ヘイター)、彼女は僕たちのスタジオの近所に住んでいて、知り合いだし僕たちと一緒にDJをやったこともあるんだけど、まだコラボはやったことながくてね。で、ある日、彼女に「この“Hard To Be Funky”という曲で女性ヴォーカルが必要なんだけど、トライしてみる気はある?」と訊ねてみて、それで彼女がスタジオまで来てくれて、2、3時間で録ったんじゃないかな。そんな感じで、なにもかも……そうだなぁ、かなりこう、フレンドリーな、集団型な音楽の作り方だね。
トゥーカンに関しては、彼は以前、僕のシングルをミックスしてくれたことがあって。トゥーカンは良い要素を持ち込んでくれた。彼がミックスを担当してくれたトラックの多くは、シングルになっていったね。
■“Down”は、曲はパワフルなディスコ・ファンクですが、その歌詞は、質者には「労働」について書かれているように思いました。
アレクシス:うんうん。
■じっさいのところ、これは、どんなところから生まれた言葉なのでしょうか?
アレクシス:COVIDのせいで、僕たちは長いこと集まって一緒に作業することができなかった。だからあの曲はほんと、「遂に僕たちも、スタジオで一堂に会することができた」ってことについて語っているというか……僕にとってはこの自分の「仕事」、僕にとっての仕事であるミュージシャンをやること、歌をクリエイトすることは大事なんだ、と再確認してるっていうのかな。いや、ある意味、僕の周囲にいる人びとやホット・チップの面々、プロデューサーとしてのジョーはそういう風に見ていないのかもしれないよ。ただ、僕たちは努力しなくちゃらないんだ、自らにムチをぴしゃっと叩いてがんばり、この音楽をできる限り良いものにしなければならない、と。
というわけであの曲は、この曲を上手く機能させるために自分は自らを捧げるというか、自分はこの曲をできる限り良いものにするために努力したい、と言っている、そういう感じの曲で。うん、だからあれは一種の……「仕事」、そして「一所懸命働くこと」というテーマ、そしていかにしてこのとある恋愛関係に意味を見出すことができるかについて掘り下げたもの、というかな。ある面では音楽についての歌だし、ある面では誰かとのロマンチックな関係の意図的なメタファーにもなっていて、うん、そのふたつの異なる意味合いのある歌だね。だから、その意味ではかなり曖昧な曲と言えるけれども、一種こう、働くこと/なにかに取り組むことは楽しい行為になり得るってことを歌ってもいて……そうだね、がんばって働くことの肉体性という概念を、リズミックな働きぶりを祝福しているというのかな。だから1曲のなかにいろんなことが込められている。
自分たちにはそんなに多くの規範/ルールみたいなものはないと思う。ただ、今作に関して言えば、たぶん1曲を除いて、作った曲のすべてはまずまずダンサブル、あるいはファンキィと呼べるものだったんじゃないかな。
■あなたは、おそらく前作『A Bath Full of Ecstasy』から、意識的に政治や経済といったトピックを歌のなかに盛り込んでいるように思いますが、しかし音楽面においては、それがポップ・ミュージックであることにことだわっていますよね?
アレクシス:そうだな、意見や批判はダイレクトに表現していると思う。ただし、それらは多くの場合、政治的に声高ではない、という。そうは言いつつ、今作の“The Evil That Men Do”では、かなり政治的にはっきり意見を述べているけれども……。僕たちの歌の歌詞のいくつかは、聴き手が読み取り理解するのにちょっと手間のかかるものもあるとはいえ、逆にもっとダイレクトなものもあるし、その両方のケースがあるんじゃないかな。とにかく曲次第で違うね。でもたしかに、僕個人としては、大仰な政治的声明を打ち出そうとすることを楽しいとは思わないね。政治ってものは、自分の音楽にはほとんど入り込んでこない物事だ、そう感じる。ジョーの方なんじゃないかな、音楽にもうちょっと政治が入ってくるのは? 僕はお説教めいた、人びとに教えを垂れるような表現の仕方をやるよりも、もっと、あくまでパーソナルな視点から話をしようとしている。
■そもそも今作『Freakout/Release』を制作する上でのいちばんモチベーションはなんだったのでしょうか?
アレクシス:まあ、僕たちはかなり長いこと、全員でそろって一緒になにかに取り組むことができなかったわけだよね。僕はその間もソロ・レコード(『Silence』/2021)を作ったとはいえ、あの作品では本当に、リアルタイムでのコラボレーション、他のプレイヤーに来てもらい自分と一緒に音を出すという作業を含めることができなかった。ロックダウン中に作った作品だったからね。
だからたぶん、ホット・チップのレコードを作る段になった頃までには、僕たち5人が同じ空間に一緒に集まるのが可能になったし、とにかくなにかエキサイティングなものを作りたい、全員で一緒にジャムり、僕たちが音楽を演るのを楽しんでいる、聴き手にもそれが伝わるようなものを作りたいと思ったんだろうね。
それ以外の点で言えば、僕たちはある種の生々しい、パンキーなエネルギーを音楽に持ち込むことにも興味を抱いていたと思うけれども、結果的に、それほどパンクっぽい要素は残らなかったね。ごく一部、たとえば“Freakuout/Release”には、いわゆる「ロック」っぽい感触があるとはいえ……。僕たちはディストーションにも関心があったとはいえ、レコードが完成する頃までには、制作当初に考えていたそうした事柄のいくつかは抜け落ちていった、というのかな。だから、とてもディストーションの効いたピアノ・パートを用いたトラックがひとつあって、“Freakout/Release”もあり、また“Down”でもディストーションは使ったし、それらの楽曲を繋げてまとめる要素はあったものの、最終的にそのディストーションのかかったピアノを使った曲はアルバムから落とすことになった。ゆえにその面、ディストーションの哲学というか、ディストーションに対して僕たちの抱いていた関心、という面は伝わりにくくなったね。
うん……だから、僕たちには「これ」といったしっかりした計画はなかったんだ。とにかく、再び全員で一緒に音楽を作れることになってワクワクしていただけだし、それ以外で言えば、ビースティ・ボーイズのあの曲、“Sabotage”だけど、僕たちはあれをライヴでよくプレイしているし、どうすればあのエネルギーの一部を自分たちの音楽のなかにも取り込めるだろう、ということを考えていた。
通訳:あなたたちがライヴで“Sabotage”をカヴァーするのを聴くのは、ほんと楽しいです。すごく楽しそうに演奏しているのがありありと分かるので。
アレクシス:うん、そうだよね。
多くの人間にとって本当にきつい時期だったし、いまだにそれは続いている。そのせいで職を失った者もいるし、久しぶりに対人関係にさらされ、社交面でどう振る舞えばいいかの自信を無くした人だっていると思う。
斉藤:ホット・チップのアルバムを完成とするにあたって、最低限守っている規範意識、あるいは自分たちなりの基準のようなものはありますか?
アレクシス:フム、自分たちにはそんなに多くの規範/ルールみたいなものはないと思う。ただ、今作に関して言えば、たぶん1曲を除いて、作った曲のすべてはまずまずダンサブル、あるいはファンキィと呼べるものだったんじゃないかな。スローで静かな、全体のノリから浮いている曲は1曲だけだったってことだし、それはこのレコードに収録しないことになったんだ、バンドの他の面々はあの曲は今作の楽曲群にそぐわないと感じていたから。
ただ、僕たちはとにかく、自分たちにとって「ベストな曲だ」と感じられるものを選んでいこうとしているだけだ。僕たちの作る音楽は相当に折衷的だし。最近の僕は、昔よく聴いていたバンドに立ち返っていてね。たぶん自分は20 年以上聴いていなかったバンドだと思うけど、ウィーンを。
通訳:おお、ウィーンですか(笑)!
アレクシス:(苦笑)うん、彼らの作品を聴き返していたんだけど——
通訳:笑ってしまってすみません、意外だったので、つい。でも私もウィーンは好きです。
アレクシス:僕もだよ! でまあ、いまの自分がああしてウィーンの音楽を聴き返しているうちに、彼らのレコードってどれだけ折衷的で混ぜこぜかを思い出したんだ。彼らって、サウンド面で言えば、1枚のレコードのなかで別のバンドが20組くらいプレイしてるって感じじゃない?
通訳:(笑)ええ。
アレクシス:で、彼らはホット・チップの初期にかなり影響が大きかった存在だったことを思うと、ってことは僕たちも常にこの、幅広いスタイルの選択肢をもつことが許される地点にいたんじゃないか? と。だから、ひとつの曲から次の曲へ、そこでガラっと変わっても構わないわけ。
■今回は自分たちで設計したスタジオでの録音で、あなた自身も完成度には満足していると思います。アルバム全体には、ある種の暗さが通底しているように思えるのですが。“The Evil That Men Do”やポップ・ソングである“Guilty”のような曲にも、もちろん最後のじつに印象的な“Out Of My Depth”にも。
アレクシス:そうだな……アルバム曲のなかでも、たぶんもっともシリアスに響くんじゃないかと僕が思う歌詞――っていうか、コーラスと曲名がいちばん重そうに聞こえるのは“The Evil That Men Do”だと思うけど、あれはジョーが書いた言葉なんだ。だから、それは僕には説明できないとはいえ、彼がああいう声明を打ち出す必要性を感じていたのは、僕にも見えた。だから、この社会における男たちの振る舞いについて、彼らは自分たちの行動にどんな責任を負っているか、そして僕たち誰もが自らの振る舞いにどう責任を負っているか、その点についてジョーは何か言わずにいられなかった、と。彼があの曲で述べている声明はそれ、我々はみんな、なんらかの償いをしなくてはいけないってことだろうし……これまでずっと続いてきたひどい振る舞いの数々、そしてそれらが他の人びとにどんな影響をもたらしてきたか、そこに対する一種の「気づき」が必要なんじゃないかな。
通訳:なるほど。
アレクシス:そうは言っても、これはなにも、「男性的な振る舞い」だけがネガティヴなものだ、そう言っているわけではないんだよ。ただ、多くの破壊的な行為やネガな振る舞いの数々、それらはなるほどたしかに男性的なもののように思える、そう、かなり主張はしやすいよね? というわけで、あの曲はその点について歌っているし、この時点で——だから、イギリス内ではいろんな物事が植民地主義を基盤に築かれてきたわけで、その事実が社会全体から疑問を浴びはじめている、そういういまの時期を認識している曲なんだと思う。要するにブリテンの土台は、この「植民地主義」ってものの上に成り立っているわけだし、そこでジョーは、「その点を我々は認識しなくちゃいけない」って言っているっていう。そうやって、思うに彼は、一からやり直そう、これまで続いてきた実にネガで、破壊的で、人種差別で、暴力的な振る舞いの数々から教訓を学ぼうじゃないか、そう言っているんじゃないかな。
で、君の挙げた曲のなかで、僕が歌詞面でもっと多く貢献したもので言えば、あれらはとにかく……今回のアルバムを作っていた間に僕が感じていたあれこれに関して、もしくは自分の周辺にいる人びとが困難な時期を潜っていた姿を観察し描いたもの、そのどちらかじゃないかと思う。だから、彼らが体験し感じていたことを表現しようとした、というか……いや、どちらかではなくて、その両方だな、僕自身が感じていたパーソナルなこと、そして僕の周りの愛する、大事な人びとが状況に悪戦苦闘していた、その両方について歌っている。というのも多くの人間にとって本当にきつい時期だったし、いまだにそれは続いている。いやだから、なにもかもをいったん一時停止せざるを得なかったわけで、その余波/反動はやっぱり大きいよ。そのせいで職を失った者もいるし、それだけじゃなく、たとえばここしばらく隠遁者めいた暮らしを送ってきたせいで、久しぶりに対人関係にさらされ、社交面でどう振る舞えばいいかの自信を無くした人だっていると思う。そうした多くのもろもろが合わさって、物事は2年前以来困難なものになっている、と。だからだと思う、今回のアルバムでは君が言ったような、やや暗いテーマがあるのは。
だけど、そうは言いつつ“Out Of My Depth”のような曲は、とくにいまに限らず、僕のこれまでの人生のどの時点で生まれてもおかしくないものだと思う。あの曲は……物事が自分の思うようにいかないと感じる、あるいは自分にはコントロールできないと思うときのことを、「深みからなんとか泳いで水面に出る(swimming out of your depth)」というメタファーを使って表現している。要するに、ネガティヴな側面にこだわってグズついているのではなく、その状況から自分を引っ張り出す手段をなんとかして見つけていかなくちゃならないんだよ、と。そういう、一種のモチベーション高揚っぽい感情があるし、その感覚はいまに限らず、どの時期でも通用するものだと思う。
■UKには、OMDやウルトラヴォックス、ABCやヒューマン・リーグ、ニュー・オーダーやペット・ショップ・ボーイズなど、素晴らしい楽曲と言葉をもったシンセポップ・バンドが、ホット・チップ以前にいくつも出てきています。こうした歴代のUKバンドのなかで、あなたがとくに共感しているバンドがあったらぜひ教えてください。
アレクシス:ニュー・オーダー、ヒューマン・リーグ、それにデペッシュ・モードだね。
通訳:ああ、デペッシュもですよね、なるほど。
アレクシス:うん。でも……(軽くため息をつきつつ)いま名前の挙がった連中以外にも、グレイトな音楽を作ったシンセポップ・バンドはほかにもいると思うんだ、たとえばユーリズミックスとかは僕も大好きだし。ただ……いま言われたようなバンドは、まあ、これはちょっとおかしな話に聞こえるかもしれないけど、彼らの作ったレコードは——もちろんそれぞれファンタスティックな作品だとはいえ——僕自身にとっては、そのほかにもっと大切なレコードがある、という存在なんだよね。だからまあ、彼ら(英シンセポップ勢)の作品はホット・チップというバンドの基盤を成す作品群ではない、っていうのかな。僕たちが目指しているサウンドは必ずしもそれらではない、と。おそらく、僕たちがその手のバンドの音楽をいくつか聴くようになったのは、もっと最近の話じゃないかと思う。
いや、もちろんメンバーによって差はあるし、たぶんオーウェン(・クラーク)は、そういったバンド、OMDの音楽なんかには長く親しんできただろうね。でも、僕からすれば、いま名前の出たバンドのなかでよく知っていると言えるのはニュー・オーダーだけで、彼らの音楽は若い頃から本当によく聴いてきた。で、ヒューマン・リーグに関しては、そうだなぁ、15年くらい前に初めて少し聴き始めたし、アルバムまでは細かく知らないんだ。シングルをいくつか知っているくらいで、それらのシングルは素晴らしいとはいえ、自分にヒューマン・リーグについて詳しい知識があるとは、お世辞にも言えない。ABCはほんと、ラジオでかかる有名な曲以外は知らないし……ああ、それにスクリッティ・ポリッティ、彼らも僕にとってかなり重要な存在だと思う。でも、それらUKのシンセポップ系バンド以上に、僕にとって大事なのは——ソウル・ミュージックだと思う。たとえばスティーヴィー・ワンダーやカーティス・メイフィールド、マーヴィン・ゲイ。それにヒップホップ、プリンスのレコード、そしてUSのインディペンデントなローファイ系の音楽、それらの方がおそらく、僕個人の音楽の趣味という意味では、もっと大事だろうね。