「Hot Release」と一致するもの

interview with Phew - ele-king

 Phewがアーカイヴ・レーベルをあまり評価していないことは、驚くにはあたらない。関西のパンク・グループだったアーント・サリーの解散後、これまで日本で出されたなかで(ついでに言うなら、それ以外のどこもすべてひっくるめたなかで)もっとも際立ったソロ・デビュー・アルバムをリリースしてからの40年、彼女には、過去の栄光を利用するという選択肢もあったはずだ。が、そのかわりにPhewは、ここ数年間、キャリアのなかでいちばん強力な音楽を制作している。それも2010年代にエレクトロニック・ミュージシャンとして注目に値する再生を遂げたあと、続けざまにだ。

 2015年に『ニュー・ワールド』をリリースしたあと、Phewが作りあげてきたのは、完全に異彩を放つもので、ドローン・シンセサイザーやスケルタルなリズムや不気味なヴォーカル・シンセが押しよせるサウンドだった。好評だった2枚の海外リリース『Light Sleep』や『Voice Hardcore』に加えて、彼女は大規模な海外ツアーをおこない、パンクの同輩であるザ・レインコーツのアナ・ダ・シルヴァとのデュオも試みている。

 Phewの最新のアルバム『Vertigo KO』〈Disciples〉には未発表音源と2017年から2019年にレコーディングされた新曲が収録されている。ライナー・ノーツでPhewが「無意識の音のスケッチ」と言い表しているこのアルバムは、私たちが生きている不安な時代において、力強く響き渡っているのだ。

実はコロナは関係なくて。ここ5年くらい、日本だけじゃなくてツアー先の各地で格差が広がっているのを目にし、本当に生き辛い世界だと、思っていました。だから、「なんてひどい世界」だと、コロナ前から思っています。

まず、このコロナ禍で、どのように毎日を過ごしていらっしゃいますか。

Phew:3月に全部のライヴの予定がキャンセルになってしまって、自分のペースが壊れてしまい、戸惑いもあったし、これからどうしようかと、まず思いました。非常事態宣言期間中はそのような感じでした。でも、そのペースにも慣れてきて。私はもともと家に居るのが好きなんですよ。本を読んだり、音楽を聴いたり、映画を観たり。だから、外に出られないというのは全然苦ではなくて、いまはそのペースにも慣れてきたところです。ただ、これまで通り、生活して音楽を作る日常を繰り返すということに、意識的になりました。寝て、起きて、買い物に行って、食べて、みたいなことって以前はすごく退屈だったけど、それを意識的に繰り返しています。ライヴはまだできない状態ではあるけど、できるような状況になれば、またライヴもはじめると思います。

このアルバムが発表されたときもっとも印象に残ったのは、隠されたメッセージの「なんてひどい世界、でも生き残ろう」という言葉でした。素晴らしい言葉だと感じました。

Phew:ふふふ(笑)。実はコロナは関係なくて。ここ5年くらい、日本だけじゃなくてツアー先の各地で格差が広がっているのを目にし、本当に生き辛い世界だと、思っていました。だから、「なんてひどい世界」だと、コロナ前から思っています。

最近作っている音楽、とくに5年前から作っている音楽はすごく独りぼっちで作られたイメージでした。世界から離れたところで作っているような。家に居て、家で音楽を作ることが変わってないけど、このコロナ禍が作る音楽に影響を受けているような感覚はありますか?

Phew:それは、後になってわかることだと思います。いまは本当に、日常を繰り返すこと。それを自分に決めています。むしろ、いま起こっていること、大変なことがあちこちで起こっていますけど、それにいまは反応できないですね。だけど、そこから敢えて目を背けているわけではなくて、見えているけど、敢えてネットとか時代の大きな流れに乗らない。そこに向かっていかない。時代へのアンチテーゼというか。でも、反時代って、言い換えれば、こんな現実はなかったらいいのにということですよね。いままであったこともなかったことにしたい、一方で、なかったことにはできないということを、私自身よく理解しているつもりです。いまの現実の状況は自分が集められる情報を見て、少なくとも理解しようという姿勢ではいます。その両方の感覚があるなかで、日常を繰り返して、そこで生まれてくるアイロニー、諧謔性というか、その感覚がいま、自分のなかで音楽を作るということに対するスタンスですね。

たしかに。ロンドンの〈Cafe OTO〉のTakuRokuというレーベルで、Phewさんの書いた説明と似ているところがありました。ご自身の音楽を通して、未来を描くというか。

Phew:別に音楽だけではなくて、「未来」というものはいま考えていることだから。「過去」もいま考えていることであるし。だから、決して「いま」は何もなくて、過去と未来しかないっていう言い方。「いま」っていうものはすごく空虚。だから、いま起こっていることをいま伝えることはできない。

そうですね。

Phew:だから、たいへんな状況ではありますけど、先のことって……考えても仕方ないとまでは言わないですけど、私は「未来に向かって」というような考え方はできないんですよ。せいぜい、1~2週間から2~3日という単位で具体的な予定を立てて、みたいなことくらいですね。

私、実は今日久ぶりに『ニュー・ワールド』を聴いたんです。最初に聴いたときはそのアルバムはのちの活動の入口のように感じましたが、久しぶりに聴くとむしろPhewさんが昔やっていたことに繋がっていると感じて。ある意味、『ニュー・ワールド』でいったん終止符がついたという風に感じました。いかがでしょうか?

Phew:どうなんだろう……。実は私、自分の昔の作品は聴かないんですよ。でもね、人の昔の曲を聴いていて、聴くたびに印象が変わったり、発見があるという経験はありますよね。とくに、世代的にもアンチ・ヒッピーで、私が夢中で音楽を聴きはじめてやりはじめた頃って、60年代の音楽は避けていたというか、なんてもったいないことしたんだろうと感じることはありますよね(笑)。

わかります(笑)。

Phew:ほんとに。実際に、グレイトフル・デッドも活動していたけど、耳を閉じて逃げていたというか(笑)。若いときに聴いて「これは、ヒッピーだ!」と決めつけることって間違っていましたね(笑)。でも、若いときに好きになって、いまはさらに好きだと感じるものもありますよね。クラフトワークとかはまさにそうです。ヒッピーは嫌だったけど、カンとかクラフトワークは別だと考えていました。

アンチ・ヒッピーというのはどこかで影響をうけて、そう感じるようになったんですか?

Phew:10代の頃にその光景を実際に目撃していたんですよ。60年代の戦いに負けてその後どうなったかも含めて。70年の半ばくらいのロック・ミュージックって、本当に何もなかったんです。私が中学生のとき、デヴィッド・ボウイを自分から聴きはじめたのは『アラジン・セイン』くらいからですけど、すごくギラギラでね、あとT・レックスも好きだったけど、これもぎらぎらで空っぽな感じ。日本だけかもしれないけど当時、人気があったバッド・カンパニーとかディープ・パープルとかも嫌だったんです。服装や、音楽も嫌だし、女の子向けのミーハー心をくすぐるような記事や雑誌も嫌でした。そういうものが中学生のときから好きではなかったんです。で、バッド・カンパニーのファースト・アルバムを姉が持っていて、中袋に同じレコード会社〈アイランド・レコード〉の他のアーティストのジャケット写真が載っていたんです。そこに、スパークスがあって、『キモノ・マイ・ハウス』の写真を見て、ジャケ買いしました。はじめは、すごく変な人たちがいるなという感覚だったんですが、彼らはデヴィッド・ボウイの『アラジン・セイン』とも違うし、成功してぎらぎらになったマーク・ボランとも雰囲気が違う。聴いてみて、即、大好きになりました。ハード・ロックのディープ・パープルとかが主流ではあったけど、片隅にあった音楽を自分で探して聴くようになったのは、その辺りからですね。でも、スパークスも〈東芝EMI〉から日本盤が出ていたんですよ。それで近くのレコード屋で買うことができたんです。そこから、次第にニューヨークのパンクにも繋がっていきましたし。こんな昔話しちゃった(笑)。

いや、全然いいですよ! 『Vertigo KO』のライナーのなかで、「無意識的に音楽を作る」という言葉をよくおっしゃっていますが、音楽を作るときは意識的のときと無意識的のときの違いはどのような点にあるのでしょうか?

Phew:例えば、人から依頼があって、頼まれて仕事として、「こういうものを作って下さい」という仕事は、すごく意識的に作ります。制約もたくさんありますし。自分のソロ・アルバムのときは自由に作れるので、無意識的というか何も決めずにまず音を出して、作業を進めていきます。でも、100%無意識的というのはあり得ないことでもあって。アルバムにするためには、曲を編集したりしますから。演奏自体は半ば無意識的で、出した音によって次の音が決まってくるというやり方で音楽を作ることが多いんですけど。でも、それをパッケージにするのは極めて意識的な作業です。

でも、若いときに好きになって、いまはさらに好きだと感じるものもありますよね。クラフトワークとかはまさにそうです。ヒッピーは嫌だったけど、カンとかクラフトワークは別だと考えていました。

今作の中でレインコーツのカヴァー(2曲目“The Void”)はわりと意識的に作っていたようにも感じました。

Phew:そうです。あれはラジオ局からの依頼があって、「1979年にリリースされた曲のなかから、カヴァーしていただけませんか」という制約がありました。そのときはちょうどアナとのアルバムができたばかりの頃で、レインコーツも好きだったので、なかでもとりわけ好きだった、“THE VOID”を選びました。それをカヴァーするときはいろいろと考えました。例えば、ポストパンクやニューウェイヴの文脈でレインコーツは語られていますが、ひとつの文脈やムーヴメントとして語られることに、うんざりしているんです。私も当事者のひとりではあるけど。そう語られること、その文脈からどのように逃げ出せるか、ということを考えてカヴァー曲を録音しました。

そのカヴァーはアンナさんも聴きましたか?

Phew:はい。もちろん、すぐに送りました。

反応はどうでした?

Phew:面白がってくれました。

アナさんの新しいアルバムをリリースして、もう1枚のアルバムも作っているという話を伺いましたが……。

Phew:アルバムというか、いま、進行中のロックダウン中に作った音楽をアップするというプロジェクトがあり、そこで新作を発表すると思います。

アルバムを制作して、それと並行して海外のツアーもおこなうなかで、アナさんとのコラボレーションはどのように進化していますか?

Phew:去年はアナとツアーもしましたが、どちらかというと合間に自分のソロ・アルバムをずっと作っていました。ツアーが多かったので録音する時間をあまり作れませんでした。で、今年になってから、アナとまたコラボレーションしましょうかという話になり、6月に〈Bandcamp〉で1曲だけアップしました(“ahhh”)。本来ならば、ふたりで6月にツアーする予定だったんです。でも中止になってしまって。いまのところ、前回同様に手紙を交換するような形で制作しています。ただ、1枚のアルバムにまとめられるかどうかはちょっとわからない。それがコロナ禍以降の変化かもしれないです。
 先ほどは「未来に目標を設定にしない」と言いましたけど、アルバムを作る目標は常にあって、去年まではそれに向けて曲を作っていました。でも、今年は物流もストップしてイギリスやアメリカから荷物が届くのにすごく時間がかかるし、日本からも船便しか送れなかったり。こういった具体的な状況が積み重なって、アルバムをリリースすることを考えるのが難しくなっています。

アルバムというと、Phewさんが日本でリリースしている作品と海外でリリースしている作品がすこし解離しているように感じています。日本では『ニュー・ワールド』をリリースされていましたが、海外ではそれはほとんど知られてなかった。『Light Sleep』は編集盤で、『Voice Hardcore』は海外でも発表されていましたが日本盤とは違うし、今作の『Vertigo KO』も編集盤的だと思いました。

Phew:今作の『Vertigo KO』は、〈Disciples〉というレーベルの方がアナとのライヴを観に来てくれて、手書きのメモをもらいました。私の最近の作品をよく聴いてくれていたみたいで、音源をリリースしたいということが書かれていました。で、その次にロンドンで実際に行ったときに、レーベルの方に会って、話が進んでいきました。そのレーベルのコンセプトは、新譜ではなく未発表音源を編集してリリースするというもので、最初は、ちょっと警戒しました。未発表音源のリリースってあまり良い印象がなかったんです。80年代のレアでもないですけど、そのようなものを集めて出すというビジネスをあまり良く思っていなかったんです。でも、〈Disciples〉は昔のモノじゃなくて、ここ4~5年の音源、私がソロになってからの音源にすごく興味を持ってくれていたんです。「あ、これはなんか珍しいな」と思いましたね。いままでだったら、80年代のファースト・アルバムや、『アーント・サリー』、坂本龍一さんがプロデュースした最初のシングル(「終曲(フィナーレ)/うらはら」)だったりのお話が多かったんですけど、〈Disciples〉は違ったので、これは新しいなと思って(笑)。
 それで、日本に帰ってから、未発表音源を送って、向こうが選曲してきたんですよ。その選曲が新鮮で、1枚のアルバムにするために、新しい曲を2曲足しました。だから、『Vertigo KO』はレーベルとの共同作業ですね。私は自分の昔の曲を聴かないんですけど、でも聴かざるをえない状況になって、自分の曲をリミックスしているような感覚でした。それはすごく面白い体験にもなったし、レーベルの方とのやり取りで出てきたアイディアもたくさんあったし、タイトルとかも含めてね。

この経験後、また同じようなプロセスで制作したいと思われましたか? 今回だけですか?

Phew:今回のプロセスは楽しかったし、また機会があれば是非やってみたいですが、ずっと録音しているので、次は、この1年で録音したものをまとめてアルバムとしてリリースしたいです。

それは、今作の最後に出る “Hearts and Flowers”みたいな感じになりますか?

Phew:その続きのような形で1枚のアルバムを作るだけの曲はできているんですよ。でも、さっきも言ったように、いまは1枚のアナログ盤やCDなりを作って販売するは難しいし、思案しているところです。でも、自主制作でもやるつもりですけどね。来年になりますけど。

〈Disciples〉は昔のモノじゃなくて、ここ4~5年の音源、私がソロになってからの音源にすごく興味を持ってくれていたんです。「あ、これはなんか珍しいな」と思いましたね。

『Voice Hardcore』は自主レーベルでリリースされていましたが、それは意図的でしたか?

Phew:どうせどこも出してくれないだろうと自分で決めてしまったのもあったかもしれない(笑)。レーベルを探そうともしなかったし。ちょうど、ヨーロッパ・ツアーに行く前になんとか形にしたいという想いがあって、自分ひとりでやるとその辺は早いじゃないですか。どこかからリリースすると、時間が最低でも2ヶ月、3ヶ月かかるでしょ。でも、自分やると1ヶ月くらい。でも、『Voice Hardcore』を出してくれるようなレーベル日本にあったのかな(笑)。

『Voice Hardcore』の評価は海外では良かったと思いますよ。

Phew:日本でライヴをするとしても1000~2000人とかのキャパではやらないじゃないですか。小さなスペースで、お客さんの顔が見える所で日本ではライヴをやっていますけど、海外でも一緒ですね。ただ、世界中に聴いてくれる人が散らばっていることがわかって、ホッとはしました。だから、一緒かなとは思いますね(笑)。例えば、ロンドンやニューヨークで『Voice Hardcore』を評判が高かったといっても1000人や2000人のお客さんの前で演奏するわけではないし。規模としては一緒だと思いますよ。ただ、ニューヨークとかは実験音楽や即興音楽をサポートする団体や機関の選択肢が日本よりも多いという違いはありますけどね。

日本でも80年代とかは、大きな会社が実験音楽や即興音楽の文化を支援していたという印象がありますが、もしその時代だったらPhewさんが世界と交わっていなかったかもしれませんよね。

Phew:80年代は日本でいろいろなものが観れたんですよ。音楽だけではなく、演劇やダンス、現代美術、世界中のものを観るチャンスがたくさんあったんですよね。とくに東京は。お金があったから人は来たけど、それをいまに繋げられていない、そこから何も残っていないと感じています。私はその時代に生きてきたわけだけど、まさに80年代は反時代というスタンスで活動していました。その時代を見てはいたけど、渦中にはいなかった。

この話と繋がるかわかりませんが、コロナ禍になって、ライヴハウスや映画館がすごく苦しんでいますよね。実際、Phewさんも4月から5月にその件でツイートされていました。この状況のなかでライヴハウスに何か応援できることはあると思いますか?

Phew:自分にできる範囲で、ドネーションしたりグッズを買ったり、そうするしかないですよね。うーん……。休業補償は手厚くしなければならないと思います。ただ、コロナ禍で無傷な業種はほとんどなくて、ほぼ全業種じゃないですか。だから、ほそぼそと自分のできることをするしかないですね。俯瞰して語れないし、渦中でこれからどうなるのか見えない。だからこそ、私は毎日の繰り返しってすごく貴重なことに思えています。GDPが27%下落というニュースを昨日読みましたが、EUやアメリカはもっとですよね。先のことは全くわからないし、悪いことしか考えられない(笑)。短いところで、日常を続けていくしかないですよ。その日常がちょっとずつ変わっていくこともあるかもしれませんけど。
 ライヴハウスに関しては……心苦しいし、辛いですよね。自分の音楽を発表する場所としてだけではなくて、人がフランクに集まれる場所がないのは、辛いですよね。私は何よりもそういったクラブやライヴハウスの雰囲気が好きだったんです。オールナイトのイベントで3時とか4時になったらみんな床で寝ているじゃないですか(笑)。あの無防備さというか、みんな野良猫みたいで(笑)。クラブ以外ではありえない。音楽好きな人が集える安全な場所が危機に瀕しているのは辛いし、なくしてはいけないと思います。

インタヴューは少なくともインタヴュアーの顔が見えて、質問があって、一生懸命答えています。でも、私は顔の見えない人に向かっては何も言うつもりはないです(笑)

『Voice Hardcore』に入っていた4曲目の“ナイス・ウェザー”という曲で、天気について触れられていて、今作でも天気について触れられていましたよね。私はイギリス人でイギリスでも日常会話のなかで天気の話題はよく出てくるんです。日本では天気について触れるとき、どのようなメタファーがあるんですが?

Phew:もう、天気の話しかできないんじゃないかというのはあります。ふふふ(笑)。自由に発言できるのはごく限られた場所しかなくて、ちょっとしたことでも言葉尻だけ取られて、変な風に解釈されるし。天気だったら大丈夫だろうと(笑)。季節の移り変わりについて語ることは、誰も文句をつけられないでしょう。イギリスの場合だとわりと早い段階から多様な人たちが共存してきた国ですし、文化の違う人たちが一緒に住んでいて、一番安全な話題が天気だと解釈されているということはありませんか?

イギリスではすぐ政治の話をする人が多くて、その点で日本との違いがありますが、一番安全な話題として天気があることは共通していると思います。

Phew:政治の話とかは顔が見える人とはできますけど、公に向かって話したくはないと思います。

Phewさんは単刀直入な方だと思っていました。それはインタヴューだけでしたか。

Phew:インタヴューは少なくともインタヴュアーの顔が見えて、質問があって、一生懸命答えています。でも、私は顔の見えない人に向かっては何も言うつもりはないです(笑)。それに、顔の見えない人に向かって発せられたメッセージは政治家であれ、アーティストであれ、その言葉は一切聞くつもりはないですね(笑)。聞かないです。

良いポリシーだと思います(笑)。では、ここで終わりにしましょうか。

Phew:はい。またどこかで直接お会いできたらと思います。ありがとうございます。

(8月19日、skypeにて)

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Interview/translation: James Hadfield

It comes as no surprise to discover that Phew doesn’t think much of archival labels. Four decades after she emerged with Osaka punk group Aunt Sally, then released one of the most striking solo debuts ever to come out of Japan (or anywhere else, for that matter), she could easily have chosen to cash in on past glories. Instead, she’s spent the past few years making some of the most potent music of her career, following her remarkable rebirth as a solo electronic musician in the 2010s. Since the release of “A New World” in 2015, Phew has created an utterly distinctive sound, defined by synthesizer drones, skeletal rhythms and eerie vocal swarms. In addition to two well-received international releases, “Light Sleep” and “Voice Hardcore,” she’s toured extensively overseas, including in a duo with fellow punk survivor Ana da Silva, of The Raincoats. Phew’s latest collection, “Vertigo KO” (Disciples), compiles unreleased material and a couple of new tracks, recorded between 2017 and 2019. In the liner notes, she describes it as an “unconscious sound sketch,” and it resonates powerfully with the uneasy times we’re living in.

JH:How have you been spending your time during during the pandemic?

PHEW:All my live dates were cancelled in March, which knocked me off my stride. While the state of emergency was in effect in Japan, there were times when I felt confused, and wasn’t sure what to do with myself. I’m already accustomed to living like this, though. I like being at home―reading books, listening to music, watching films―so not being able to go out hasn’t been so hard. But it’s made me really conscious of how I was spending my everyday life. All those daily routines that used to bore me, like sleeping, getting dressed, shopping and eating―I’m doing them more intentionally now. I’d like to start playing gigs again too, once that becomes possible, though we’re not quite there yet.

JH:When “Vertigo KO” was announced, I was really struck by what you described as the album’s hidden message: “What a terrible world we live in, but let’s survive.” It felt like a wonderful way of putting it.

PHEW:(Laughs) In fact, that doesn’t have anything to do with the coronavirus. For the past five years or so, I’ve seen for myself how disparities are widening―not just in Japan, but also in places I’ve visited on tour―and this left me feeling that it’s a really hard world to live in. I was already thinking “what a terrible world” before the coronavirus came along.

JH:I feel like your music―especially your recent work―evokes a strong sense of solitude, like it’s being created in isolation from the world. You were already making music at home before the pandemic, but are you aware of it influencing your work in other ways?

PHEW:I think I’ll realise that further down the line. I’m just taking one day at a time―that’s what I’ve decided to do. There are lots of awful things happening at the moment, but I can’t respond to them right away. That’s not to say that I’m averting my eyes from all of that: I know what’s going on in the world, I’m just not getting too caught up in the current moment. It’s like (I’m creating) an antithesis to the era. Then again, rejecting the present is like saying you wish reality was different, and I appreciate it’s impossible to change what’s already happened. So I take a position of trying to understand at least something about the current state of the world, based on information I can gather myself. I’m maintaining these two forms of awareness as I go about my daily life, and the irony and humour that comes from that is reflected in the music I make. (Laughs) Did you get all that?

JH:I think perhaps this ties in with what you said about your release for Cafe OTO’s TakuRoku label (“Can you keep it down, please?”)―about how you’re creating your own future through your music?

PHEW:That’s because I’m thinking about the future at the moment, not just in relation to music. I think about the past, too. There’s no “now”: just the past and the future. What we call “now” is really a void. That’s why I can’t convey now what’s happening now.

JH:Right…

PHEW:So even though things are bad… I don’t want to say you can’t help what happens, but I can’t think too much about the future. I’m only able to make definite plans a few weeks ahead, or even only a few days.

JH:I went back to “A New World” this morning, for the first time in a while. I’d thought of that album as a gateway to the music you’ve created since, but revisiting it now, I felt it had a stronger connection with your past. In some senses, it's like it was marking the end of something, rather than the beginning. Would you agree with that?

PHEW:I wonder about that… I don’t listen to my old releases, but I’ve had times when my impressions of other people’s music have changed, and I’ve discovered something new. I’m from the “anti hippy” generation, so when I first started getting obsessed about music, I particularly avoided stuff from the 1960s. I’ve come to realize that was a real waste. (Laughs)

JH:I know what you mean!

PHEW:Seriously! The Grateful Dead were active at the time, but I’d closed my ears to it. When I was young, I jumped to the conclusion that it was all hippy music, which was a mistake. But there are things I liked when I was younger that I like even more now. That’s definitely true of Kraftwerk. I hated hippies, but Can and Kraftwerk were different.

JH:Was that anti-hippy stance something you absorbed from others, or did you come upon it by yourself?

PHEW:I’d seen everything with my own eyes as a teenager: how the battles of the 1960s ended in defeat. Rock music during the first half of the 1970s didn’t do anything for me. David Bowie dazzled me when I first heard him at junior high; I think it was around “Aladdin Sane.” I got into T-Rex, which was also dazzling, but totally empty. Maybe this was just a Japan thing, but Bad Company and Deep Purple were really popular here at the time, and I hated them! I hated the clothes, the music, the way they were marketed to girls with these titillating articles in the music press. I haven’t liked that since I was at junior high. My older sister had a copy of Bad Company’s first album, on Island Records, and there was an insert introducing the label’s other artists. There was a photo of Sparks’ “Kimono My House,” and I bought it based on the album cover. My first impression was that they were real oddballs: they weren’t like Bowie, they had a different vibe from Bolan’s glittery thing. When I listened to them, it clicked immediately. The mainstream at the time was hard rock like Deep Purple, but I started searching out music in the corners. Sparks were released in Japan, too. I was able to find them at my local record shop, and then that tied in with the New York punk scene. Sorry, I’m just rambling on about the past!

JH:No, it’s fine! In the liner notes for “Vertigo KO,” you talk at a few points about making music unconsciously, or without thinking. Can you tell me a bit about that distinction?

PHEW:For instance, if someone asks me to make something, it will be a very conscious process. There are a lot of constraints, too. When I’m making a solo album, I can work freely, so it becomes more unconscious, making sounds without deciding anything in advance. But it’s impossible to make something completely without conscious input, because I’ll still be editing tracks in order to make an album. The performance itself is partly unconscious; a lot of times, I’ll let the sound dictate what comes next. But when I have to turn that into a finished package, obviously that becomes a conscious act of creation.

JH:I take it that the Raincoats cover on the album (“The Void”) is an example of a consciously created track?

PHEW:That’s right. It was a request from a radio show, which asked me to cover a song that was released in 1979. I’d just done the album with Ana, and I liked The Raincoats, so I picked one of their songs which I was particularly of fond of, “The Void.” I put a lot of thought into how I’d cover it. For instance, The Raincoats are talked about in terms of post-punk and new wave, but I find it so boring when things are always framed in the same way―and this has happened with me as well. So when I covered the song, I was looking for a way to liberate it from that particular context.

JH:Has Ana heard it?

PHEW:Yes, I sent it to her right away.

JH:What did she think?

PHEW:She appreciated it.

JH:You’ve already released one album with Ana, and I saw that you had another one in the works…

PHEW:I’m not sure you’d call it an album. We’re doing a project at the moment where we’re uploading tracks created during lockdown, and I think we’ll compile those into a release.

JH:How has the collaboration evolved in the course of working and touring together?

PHEW:I toured with Ana last year, but my main focus was working on my solo album. I didn’t have much time for recording, as I was touring so much. We started talking about doing another collaboration earlier this year, and we uploaded a track to Bandcamp in June (“ahhh”). We’d originally planned to go on tour in Europe during June, but that got cancelled. At the moment, we’re sending files back and forth to each other, like we’re exchanging letters. I can’t really say if it will lead to a standalone album. Maybe that’s one thing that’s changed since the start of the pandemic. I was talking earlier about not setting goals for the future, but until last year, it was normal for me to work towards making an album, and I’d create music with that in mind. But physical distribution has ground to a halt this year: it takes forever for deliveries to arrive from the UK and US, and you can only send things via surface mail from Japan. Given the facts of the situation, it feels hard to think about releasing an album right now.

JH:Speaking of albums: there are some variations between the releases you’ve put out in Japan and internationally. “A New World” came out here, but not many people overseas seem to have heard of it. “Light Sleep” was a compilation, the international edition of “Voice Hardcore” is different from the Japanese one, and “Vertigo KO” is also kind of a compilation…

PHEW:Right, right. “Vertigo KO” started when the guy from Disciples came to watch Ana and me play, and slipped me a hand-written note. He’d been listening a lot to my recent work, and said he wanted to release some of my recordings. The next time I went to London, we met up and talked about it. The label’s concept is to release collections of unreleased recordings, rather than new material, so I initially had some reservations. I didn’t have a good impression of archival releases. Even if it’s not rarities from the 1980s (laughs), I don’t think much of releasing that kind of stuff as a business. But Disciples weren’t talking about music from a long time ago: they were interested in the solo material I’d recorded over the past 4 or 5 years, which was unusual. Up until then, I’d had lots of people ask about my first album (“Phew”), Aunt Sally, or my debut single that Ryuichi Sakamoto produced (“Finale”), but Disciples were different―which was a change! When I got back to Japan, I sent them some unreleased recordings and they decided the track selection. The tracks they picked felt fresh, and since it was going to be an album, I threw in a couple of new songs. So it’s really a collaboration with the label. Like I said earlier, I don’t listen to my old music, but in this case it couldn’t be helped, and it turned out to be a really interesting experience: it was like remixing my past. A lot of ideas came out during my exchanges with the label, the album title included.

JH:So do you think you’d like to do the same sort of thing again, or was it a one-off?

PHEW:I enjoyed the process this time, and I’d happily do it again given the chance, but what I really want to do now is release an album of the new material I’ve recorded over the past year.

JH:Is that going to be in the vein of “Hearts and Flowers” (the closing track on “Vertigo KO,” which Phew has described as the genesis for her next album), or something different?

PHEW:I have an album’s worth of material that’s like a continuation of that. But like I was saying earlier, it’s hard to make and sell records and CDs at the moment, so I’m still weighing up my options. I’m planning to self-release something, but that won’t be until next year.

JH:Out of interest, was your decision to self-release “Voice Hardcore” in Japan made out of necessity or choice?

PHEW:I think I’d probably come to the conclusion that nobody was going to release it for me! I didn’t even try looking for a label. I wanted to put something together before I went on tour in Europe, and figured it would be quicker to release it myself. When you release something through a label, it’s going to take a minimum of two or three months, but I could cut that down to a month or so if I did it myself. I’m not sure there were any labels in Japan that would have released “Voice Hardcore.” (Laughs)

JH:I wonder about that. It seemed to get a really good response overseas.

PHEW:When I do shows in Japan, it’s not like I’m playing at 1,000 or 2,000 capacity venues, is it? I’m doing gigs at places that are small enough for me to see the audience’s faces, and it’s the same in other countries. It was a relief to realise that there were people who’d listen to my music scattered all over the world. So it’s not a question of Japan being better or worse: I think it’s the same everywhere! Even if “Voice Hardcore” got a good reception in London or New York, I’m not going to be performing in front of 1,000 or 2,000 people over there. I think the scale is the same. The main difference is that in places like New York, there are more funding options from groups and organizations that support experimental and improvised music than in Japan.

JH:I have the impression that there was a lot more corporate sponsorship available in the 1980s in Japan, but I guess you weren’t associating much with that world at the time?

PHEW:You could see all kinds of stuff in Japan in the 1980s. There were lots of opportunities to experience culture from around the world―not just music, but also theatre, dance and contemporary art, especially in Tokyo. During the Bubble era, there was the money to bring people over, but I don’t feel like it left any kind of legacy: there’s no connection with what’s happening now. I lived through that whole period, but during the 1980s I was living in opposition to the era. I could see what was going on, but I kept my distance.

JH:I’m not sure if this is related, but venues and cinemas have been really struggling during the coronavirus pandemic. You were posting about this on Twitter back in April and May, but do you think there’s more that should be done to support them?

PHEW:I’m not sure there’s much I can do personally, besides making donations and buying merchandise. I think there has to be more financial assistance, but there are hardly any industries that haven’t been affected by the pandemic―it’s basically hit everyone, hasn’t it? We all just have to do what we can to scrape by. It’s hard to take a broader view: we’re so caught up in the midst of this that we can’t see what will come next. That’s why I’m treasuring daily life so much. I saw yesterday that Japan’s GDP had dropped 27%, and it’s even worse in the EU and US. I have no idea what’s going to happen next… and all the possibilities I can think of are bad! (Laughs) For now, all I can do is carry on with my daily life, although that might gradually change over time. With live venues, my heart goes out to them―it’s really tough. They aren’t just places for showcasing your own music: it’s hard not having somewhere for people to gather informally. More than anything, I’ve always liked the atmosphere of clubs and live venues. When it’s an all-night event, by 3 or 4 in the morning, everyone’s sleeping on the floor, right? They’re so defenceless: everyone looks like stray cats! (Laughs) That wouldn’t happen anywhere else, except at a club. It’s painful seeing these safe spaces for music lovers in such a critical state, and we can’t let them disappear.

JH:Finally: this is a weird question, but my favourite track from “Voice Hardcore” is “Nice Weather,” which features pleasantries about the weather (“Nothing happened / The weather was nice”), and you return to the theme again on this album. I’m from the UK, and it’s a regular topic of conversation there too, but what do you think Japanese people are really talking about when they talk about the weather?

PHEW:It’s like we’re not able to talk about anything other than the weather! There are only limited opportunities for people to speak freely, and the smallest thing might be misunderstood or taken out of context. It’s safe to stick to the weather, or the changing seasons. (Laughs) Nobody’s going to take issue with that! With the UK, you’ve got quite a long history of people from different cultures living together, so perhaps the weather is the safest topic of conversation?

JH:I think there’s something to that. One difference with Japan is that people in the UK are more willing to talk about politics, but I’d agree that it’s safest to stick to the weather.

PHEW:I’m happy talking politics face to face, but I don’t want to make public pronouncements about it.

JH:I thought you were pretty direct about those things. Or is that just in interviews?

PHEW:With interviews, if I can at least see the person I’m talking to, then if they ask me about these things, I’ll give them a straight answer. But I don’t want to say anything to someone I can’t see. When people start addressing messages to an invisible audience, whether it’s politicians or artists, I tune them out. (Laughs) I won’t listen!

JH:I think that’s a good policy! Shall we wrap things up here?

PHEW:I hope we’re able to see each other in person next time! Thank you.

『Zero - Bristol × Tokyo』 - ele-king

 先月12日に急逝した下北沢のレコード店オーナー、飯島直樹さんを追悼するコンピレーション『Zero - Bristol × Tokyo』が3月11日にリリースされる。作品はバンドキャンプを経由してリリースされ、現時点では数曲が先行公開中だ。
https://bs0music.bandcamp.com/album/bristol-x-tokyo
 飯島さんが親交を持っていた、ブリストルの伝説的アーティスト、スミス&マイティのロブ・スミスと、生前、彼もその中心メンバーだった東京のクルー、BS0が中心となって今作の制作は始動した。彼らの呼びかけに応え、ブリストルと東京のアーティストを中心に、総勢61曲もの楽曲がこのコンピレーションのために寄付された。今作の売り上げは、彼のご遺族へと送られる。

 このプロジェクトが開始したのは、飯島さんが亡くなる直前のことだ。フェイスブック内に立ち上げられたページ「Raising Funds For Naoki DSZ」には、今作の発表と同時に公開されたブリストルのアーティストの集合写真の撮影風景を収めた動画が投稿されている。ロブ・スミスをはじめ、レイ・マーティやDJダイ、ピンチやカーンなど、ブリストルの音楽シーンを担う重要人物たちが、飯島さんのために集結した。そのブリストル勢に答えるように撮影された東京チームの写真も、飯島直樹/Disc Shop Zeroへの敬意に溢れた力強い一枚である。
 ブリストル側の制作チームによって執筆されたプレス・リリースにあるように、飯島さんは、その生涯を通じてブリストルのアーティストたちとの交流し、その紹介を「何かに取り憑かれたように」行ってきた。その活動は現地のアーティストやレーベルとの交友の上に成り立っている。そして、最近ではブリストルの名レコード店/レーベルの、アイドルハンズが「Tribute to Disc Shop Zero」(2017)というトリビュート盤を出しているように、その関係は東京からの一方向に留まるものではなかった。
 また、飯島さんはブリストルと東京のアーティストを積極的に繋げる役割も果たしてきた。シンガー/プロデューサーのG.リナとロブ・スミス、MC/詩人のライダー・シャフィークと日本のビムワン・プロダクションなど、彼を経由して生まれたコラボレーションは多い。東京の若手プロデューサーのMars89やダブル・クラッパーズのブリストルのアーティストやレーベルとの交流も積極的に取り上げていた。

 『Zero - Bristol × Tokyo』には、飯島さんがライフワークとして取り組んできた彼らとの交友関係が凝縮されている。そこに収められた音源も非常に強力だ。スミス&マイティやヘンリー&ルイスといった、ブリストル・サウンドのハートと呼ぶべき重鎮たちからは、重厚なダブ・サウンドが放たれ、そこにブーフィーやハイファイブ・ゴーストなどの若いグライム・サウンドが重なり、ゼロの店頭の風景が脳裏をよぎる。

 亡くなるまでの5年間に、飯島さんが取り組んでいたBS0のパーティに登場したカーン&ニーク、ダブカズム、アイシャン・サウンド、ヘッドハンター、ガッターファンク、サム・ビンガ、ライダー・シャフィークといった豪華なアーティストたちの新作音源が今作には並んでいる。グライム、ステッパーズ、ガラージ、ドラムンベースなど、彼らの音にはゼロが紹介してきた音が詰まっていて、そのどれもがサウンドシステムでの最高の鳴りを期待させる仕上がりだ。他には〈Livity Sound〉のぺヴァラリストとホッジ、さらにはグライムのMCリコ・ダンを招いたピンチとRSDの豪華なコラボレーションも必見である。

 日本勢からも多くの力作が届いている。パート2スタイルやビムワン、イレヴンやアンディファインドなど、日本のダブ・サウンドを担う者たちが集結。さらにG.リナの姿もあり、カーネージやデイゼロ、シティ1といったダブステップの作り手たちや、グライムのダブル・クラッパーズも収録されている。ENAやMars89など、ベース・ミュージックを重点に置きつつも、その発展系を提示し続けるプロデューサーもそこに加わることによって、サウンドの豊饒さが一層深くなっている点にも注目したい。BS0のレギュラーDJである東京のダディ・ヴェダや、栃木のBライン・ディライトのリョーイチ・ウエノなど、飯島さんが現場から紹介してきた日本のローカルのDJたちからは、フロアの光景が目に浮かんでくるようだ。

 ここに収録されたすべての作り手たちと飯島さんは交流を結び、レコード店として、ライターとして、時にはパーティ・オーガナイザーとして我々の元にその音を届けてくれた。ゼロがいままで伝えてきたもの、そして、そこから巻き起こっていくであろう未来の音を想像しながら、今作に耳を傾けてみたい。生前、「ゼロに置いてある作品のすべてがオススメ」と豪語していた彼の言葉がそのまま当てはまるのが、『Zero -‘Bristol × Tokyo'』である。
(髙橋勇人)

Various Artists - Zero - ‘Bristol x Tokyo’
Artist : Various Artists
Title : Zero - ‘Bristol x Tokyo’
Release date : 11th March 2020 (band camp pre-order from 4th March 2020 - )
Genre - Dub, Dubstep, Drum n’ Bass / Jungle, Grime, Bass, Soundsystem Music
Label : BS0
Format : Digital Release via Bandcamp https://bs0music.bandcamp.com/

東京の名レコード店Disc Shop Zeroの店長であり、レベルミュージック・スペシャリストであり、そしてブリストル・ミュージックのナンバーワン・サポーターだったNaoki ‘DSZ’ E-Jima(飯島直樹)は、2020年2月12日、短くも辛い闘病ののち、多くの人々に惜しまれながらこの世を去った。その生涯と仕事を通して、Naokiはブリストルと東京の音楽シーンの重心として活躍し、同時に多大なる尊敬を集め、素晴らしい友情を育んできた。この新作コンピレーション『Zero - Bristol × Tokyo』の目的は、二つの都市が一丸となり、61曲にも及ぶ楽曲によって、この偉大な男に敬意を示すことである。リリースは、彼の誕生日である2020年3月11日を予定している。

Naokiのブリストル・ミュージックへの情熱は90年代にはじまる。当時、彼は妻のMiwakoとともに音楽ジャーナリストとしても活動していた。この約30年間、二人はブリストルを頻繁に訪れ、アーティストと交流し、レコード店を巡り、そして何かに取り憑かれたようにローカル・シーンを記録し続けた。二人はハネムーンでさえもブリストルで過ごしたほどだ。

Naokiのレコード店であるDisc Shop Zeroは、ブリストルで生まれた新旧両方のサウンドに特化していて、それと同時に、東京のアーティスト、並びに世界中の多くのインディペンデント・レーベルを支援していた。彼を経由した両都市のレーベルとアーティストたちの繋がりも重要
で、多くの力強い結束と友情がそこから生まれた。

近年では、音楽を愛する同志たちと共に、彼はあるムーヴメントを始動させている。「BS0」と銘打たれたそれは、想像上のブリストルの郵便番号を意味し、多くのブリストルのDJとアーティストたちに東京でのパフォーマンスの機会を与え、ツアーを企画し、二つの都市の間に架け橋を築き上げた。Kahn&Neekをフィーチャーした初回のイベント(BS0 1KN)は大成功を収め、後に定期的に開催される「東京のブリストル」のための土台となった。

本コンピレーションのために、世界中から親切にも寄付された楽曲が集まった。その多くが今作のために制作されたものだ。ブリストルと東京だけではなく、さらに遠く離れたグラスゴーのMungo’s HIFIやウィーンのDubApeたち、さらにその他の地域のアーティストたちも参加している。

トラックリスト:
1. Jimmy Galvin - 4A
2. Crewz - Mystique
3. Popsy Curious - Jah Hold Up the Rain
4. Chad Dubz - Switch
5. Henry & Louis ft Rapper Robert - Sweet Paradise (2 Kings Remix)
6. Ree-Vo - Steppas Taking Me
7. Smith & Mighty - Love Is The Key (steppas mix) ft Dan Rachet
8. LQ - Jupiter Skank
9. Part2Style - Aftershock
10. Arkwright - Shinjuku
11. Mungo's Hi Fi - Lightning Flash and Thunder Clap
12. Bim One Production - Block Stepper
13. Alpha Steppa - Roaring Lion [Dubplate]
14. Headhunter - Mirror Ball
15. V.I.V.E.K - Slumdog
16. Ryoichi Ueno - Burning DUB 04:27 17. Pev & Hodge - Something Else
18. Teffa - Roller Coaster
19. Lemzly Dale - So Right
20. CITY1 - Hisui Dub
21. Big Answer Sound - Cheater's Scenario ft Michel Padrón
22. Mighty Dub Generators - Lovin
23. Karnage - Drifting
24. Karnage - Agreas
25. LXC & JB - Men Hiki Men
26. Alpha - On the Hills Onward Journey
27. Boofy - Unknown Dub
28. Daddy Veda - Sun Mark Step
29. Antennasia - Beyond the Dust (album mix)
30. ELEVEN - Harvest Road
31. Atki2 - Mousa Sound
32. Boca 45 - Mr Big Sun (ft Stephanie McKay)
33. DubApe - Hope
34. Hi 5 Ghost - Disruptor Rounds
35. G.Rina (with King Kim) - Walk With You
36. ENA - Columns
37. Red-i meets Jah 93 - Jah Works
38. Peter D Rose - It's OK (Naoki Dub)
39. Flynnites - Freak On
40. Pinch x Riko Dan x RSD - Screamer Dub 04:02
41. BunZer0 - Vibrant
42. Dub From Atlantis - You Are What You Say
43. Suv Step - Jah Let It Dub
44. DoubleClapperz - Ponnamma
45. Denham Audio & Juma - Ego Check (Unkey remix)
46. Mars89 - I hope you feel better soon
47. Kahn & Neek - 16mm
48. Dayzero - Convert hands
49. Sledgehead - Rocket Man
50. Jukes ft Tammy Payne - Tunnel
51. Tenja - We Chant (New Mix)
52. RSD - Lapution City (Love Is Wise)
53. DJ Suv - Antidote
54. DieMantle - Shellaz
55. Ishan Sound - Barrel
56. Ratman - Sunshine
57. Tribe Steppaz - Slabba Gabba
58. Scumputer - PENX - Mary Whitehouse edit
59. Dubkasm - Babylon Ambush (Iration Steppas Dubplate Mix)
60. Undefined - Undefined-Signal (at Unit, Tokyo)
61. Dubkasm - Monte De Siao - Sam Binga / Rider Shafique DSZVIP

クレジット:
Cover Art by Joshua Hughes-Games
Original 'BS0' Kanji drawn by Yumiko Murai
Group photography by Khali Ackford (Bristol) & Yo Tsuda (Tokyo)
Special thanks to Ichi “1TA” Ohara Bim One & Rider Shafique for Tokyo/Bristol co- ordination

Big love & thanks to all BS0 crew & all Bristol crew
Big love & thanks to Annie McGann & Tom Ford
Special love & thanks to Miwako Iijima

全ての楽曲は、我々の旧友である飯島直樹(Disc Shop Zero, BS0)の ためにアーティストたちから無償で寄付され、売り上げは彼の遺族へと 直接送られます。

Eternal love & thanks to Naoki san - you remain ever in our hearts.
直樹さんに永遠の愛と感謝を。あなたは私たちのハートとずっと一緒です。

The Cinematic Orchestra - ele-king

 昨年美しいカムバック作を送り出したザ・シネマティック・オーケストラが、同作のリミックス盤をデジタルで3月に、ヴァイナルで4月にリリースすることになった。リミキサーに選ばれているのは彼らのお気に入りのアーティストたちだそうなのだけど、アクトレスケリー・モランドリアン・コンセプトフェネスラス・Gメアリー・ラティモアにペペ・ブラドックにアンソニー・ネイプルズにと、そうそうたる面子である。これはチェックしておかないとね。

THE CINEMATIC ORCHESTRA

『To Believe Remixes』の 12inch 2作品が4月24日(金)にリリース決定!
本日、TCO 自身によるリミックス “Zero One/This Fantasy (feat. Grey Reverend) [The Cinematic Orchestra Remix]” が公開!

その名の通り、映画的で壮大なサウンドスケープを繰り広げるザ・シネマティック・オーケストラ(以下 TCO)が、実に12年振りとなったスタジオ・アルバム『To Believe』(2019)のリミックス版となる『To Believe Remixes』の 12inch 2作品を4月24日(金)にリリース決定! デジタル配信では3月6日(金)に先行リリースとなる。本日、TCO自身によるリミックス “Zero One/This Fantasy (feat. Grey Reverend) [The Cinematic Orchestra Remix] ”が公開!

Zero One/This Fantasy (feat. Grey Reverend) [The Cinematic Orchestra Remix]
https://www.youtube.com/watch?v=LT-eJVqECWk

『To Believe Remixes』では TCO のお気に入りのプロデューサーやアーティストがリミックスやリワークを行っており、エレクトロニックミュージックの鬼才アクトレス、注目のマルチプレイヤー、ケリー・モラン、凄腕キーボーディストのドリアン・コンセプト、チェリスト兼ボーカリストのルシンダ・チュア、アヴァンギャルドのレジェンドであるフェネス、人気コンテンポラリー・ピアニストのジェームス・ヘザー、そして故ラス・Gらが参加している。また、既にデジタルリリースをしているLAのハープ奏者メアリー・ラティモア、伝説的なハウスプロデューサーであるペペ・ブラドック、そしてアンソニー・ネイプルズらがリワーク、リミックスをした楽曲も収録されている。

今週末にはセックス・ピストルズ、ボブ・ディラン、ローリング・ストーンズ、レディオヘッドらもライブを行ってきたロンドンの由緒正しきベニュー、ブリクストン・アカデミーでのライブを控えるなど精力的な活動を行う TCO の『To Believe Remixes』は2枚の12インチヴァイナルとデジタルで4月24日にリリース!

The Cinematic Orchestra『To Believe』
自ずと風景が浮かび上がる奥行きのあるそのサウンドは、本作でますます磨きがかかっている。ストリングスは、フライング・ロータスやカマシ・ワシントンなどの作品を手掛けてきたLAシーンのキーパーソン、ミゲル・アトウッド・ファーガソンが手掛け、ドリアン・コンセプト、デニス・ハムなど、フライング・ロータス主宰レーベル〈Brainfeeder〉関係のアーティストが参加しているのも見逃せない。またヴォーカリストには、先行シングル “A Caged Bird/Imitations of Life” のフィーチャリング、ルーツ・マヌーヴァを筆頭に、グレイ・レヴァレンドやハイディ・ヴォーゲルといった TCO 作品に欠かせないシンガーたちに加え、ジェイムズ・ブレイクの新作への参加も話題となったシンガー、モーゼス・サムニーとジャイルス・ピーターソンが絶賛するロンドンの女性シンガー、タウィアも参加。透徹した美意識に貫かれた本作は、デビュー・アルバム『Motion』から数えて、20周年を迎えた彼らの集大成ともいえる傑作である。

『To Believe』は心を打つ素晴らしい作品だ。美しく構築され、強い芯がある……傑作だ ──The Observer

本当に素晴らしいカムバック作だ……最近の物憂げなムードをリフレッシングで豊かなダウンテンポミュージックで表現している ──The Independent

華麗でシンフォニックなソウルミュージック……12年の時を経て戻ってきた力強いステイトメントだ ──GQ

label: NINJA TUNE
artist: THE CINEMATIC ORCHESTRA
title: To Believe Remixes
digital: 2020/03/06 FRI ON SALE
12inch: 2020/04/24 FRI ON SALE

TRACKLISTING

ZEN12536 (輸入盤12inch)
A1. Wait for Now (feat. Tawiah) [Mary Lattimore Rework]
A2. The Workers of Art (Kelly Moran Remix)
B1. A Caged Bird/Imitations of Life (feat. Roots Manuva) [Fennesz Remix]
B2. To Believe (feat. Moses Sumney) [Lucinda Chua Rework]

ZEN12539 (輸入盤12inch)
A1. To Believe (feat. Moses Sumney) [Anthony Naples Remix]
A2. A Promise (feat. Heidi Vogel) [Actress' the sky of your heart will rain mix 2]
B1. Wait for Now (feat. Tawiah) (Pépé Bradock's Dubious Mix)
B2. Zero One/This Fantasy (feat. Grey Reverend) [The Cinematic Orchestra Remix]

DIGITAL ALBUM
1. Wait for Now (feat. Tawiah) [Mary Lattimore Rework]
2. The Workers of Art (Kelly Moran Remix)
3. Lessons (Dorian Concept Remix)
4. A Caged Bird/Imitations of Life (feat. Roots Manuva) [Fennesz Remix]
5. Wait For Now (feat. Tawiah) [BlankFor.ms Remix]
6. To Believe (feat. Moses Sumney) [Lucinda Chua Rework]
7. A Caged Bird/Imitations of Life (feat. Roots Manuva) [James Heather Rework]
8. Wait for Now (feat. Tawiah) [Pépé Bradock's Just A Word To Say Mix]

1. Wait for Now (feat. Tawiah) [Pépé Bradock's Wobbly Mix]
2. Lessons (Ras G Remix)
3. The Workers of Art (Photay Remix)
4. A Promise (feat. Heidi Vogel) [PC’s Cirali mix]
5. Zero One/This Fantasy (feat. Grey Reverend) [The Cinematic Orchestra Remix]
6. A Caged Bird/Imitations of Life (feat. Roots Manuva) [Moiré Remix]
7. To Believe (feat. Moses Sumney) [Anthony Naples Remix]
8. A Promise (feat. Heidi Vogel) [Actress' the sky of your heart will rain mix 2]

label: NINJA TUNE / BEAT RECORDS
artist: THE CINEMATIC ORCHESTRA
title: To Believe
release date: NOW ON SALE

国内盤CD BRC-591 ¥2,400+税
国内盤特典:ボーナストラック追加収録/解説書封入

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DJ Marcelle & Kampire (Nyege Nyege) - ele-king

 これまで20回以上開催されてきた WWW のレジデント・パーティ《Local World》ですが、今年もやる気満々です。今回は、これまで都内のクラブで開催されてきた YELLOWUHURU 主宰の《FLATTOP》と Celter 主宰の《Eclipse》との共同パーティで、話題のウガンダのフェス/コレクティヴ〈Nyege Nyege〉主宰の Kampire と、そのレジデントでもあるアムステルダムの DJ Marcelle を初来日で迎えます(Marcelle は大阪公演も)。これまたすごい一夜になりそうです。

Local XX2 World FLATTOP x Eclipse - Super Freedom -

新しい伝統と自由への狂騒。アフリカからダンス・ミュージックの未来を切り開くウガンダの新興フェスティバル/コレクティブ〈Nyege Nyege〉主宰の Kampire と、そのレジデントでもあり、今最も “越境する” 奇矯のアーティストとして話題の DJ Marcelle を初来日で迎え、Local World、FLATTOP、Eclipse によるハイブリッド共同パーティ “Super Freedom” が開催。

Local XX2 World FLATTOP x Eclipse - Super Freedom -
2019/03/28 sat at WWW / WWWβ
OPEN / START 23:30
Early Bird @RA ¥1,800
ADV ¥2,300@RA | DOOR ¥3,000 | U23 ¥2,000

【詳細】https://www-shibuya.jp/schedule/012322.php
【前売】https://www.residentadvisor.net/events/1386693

DJ Marcelle / Another Nice Mess [Netherlands]
Kampire [Nyege Nyege / Uganda]
YELLOWUHURU [FLATTOP / GHPD]
Celter [Eclipse]

+ many more

※ You must be 20 or over with Photo ID to enter

【DJ Marcelle 大阪公演】

AltPass feat. DJ MARCELLE
2020.3.27.fri. 22:00-7:00 at Club Daphnia
ADV ¥2,500 | DOOR ¥3,000

GUEST DJ:
DJ MARCELLE / ANOTHER NICE MESS
(JAHMONI) from Nederland

DJ:
Toshio Bing Kajiwara
7e
Gyoku
Gunilla
KA4U

LIVE:
USK

Visual Effect:
catchpulse

and more act.

FOOD: カカト飯店

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Local 1 World EQUIKNOXX
Local 2 World Chino Amobi
Local 3 World RP Boo
Local 4 World Elysia Crampton
Local 5 World 南蛮渡来 w/ DJ Nigga Fox
Local 6 World Klein
Local 7 World Radd Lounge w/ M.E.S.H.
Local 8 World Pan Daijing
Local 9 World TRAXMAN
Local X World ERRORSMITH & Total Freedom
Local DX World Nídia & Howie Lee
Local X1 World DJ Marfox
Local X2 World 南蛮渡来 w/ coucou chloe & shygirl
Local X3 World Lee Gamble
Local X4 World 南蛮渡来 - 外伝 -
Local X5 World Tzusing & Nkisi
Local X6 World Lotic - halloween nuts -
Local X7 World Discwoman
Local X8 World Rian Treanor VS TYO GQOM
Local X9 World Hyperdub 15th
Local XX World Neoplasia3 w/ Yves Tumor Local XX1 World AI2X2X w/ ???


■DJ Marcelle / Another Nice Mess [Netherlands]

「異なるカルチャーに対してオープンでありながらも、そこのオーディエンスや自分の期待感に意識を向けすぎないこと。自分の道を進むためにね」@RA https://jp.residentadvisor.net/podcast-episode.aspx?id=679

アムステルダムを拠点にDJ、プロデューサー、ラジオ放送、ミュージシャンと多岐に渡って活動を続けるベテランDJ Marcelle / Another Nice Mess。

サプライズ、アドベンチャー、エンターテイメント、教育:オランダのDJ/プロデューサーの DJ Marcelle / Another Nice Mess を説明するためによく使用される4つのキーワードであり、ライブ(およびスタジオ内)では3つのターンテーブルとレコードを使用して、ミックスの可能性を高みに引き上げる稀有なDJであり、またそれ以上のミュージシャンでもある。 2016年以降、ドイツのレーベル〈Jahmoni〉から「In The Wrong Direction」、「Too」、「Psalm Tree」、「For」(Mark. E. Smith へのオマージュ)の一連のEPリリースを経て、昨年最新LP『One Place For The First Time』をリリース。2008年から2014年の間には、ドイツの〈Klangbad〉から伝説のクラウトロック・バンド Faust の創設メンバーである Hans-Joachim Irmler によってセットアップされた4枚のダブル・バイナルのアルバムをリリースしている。

異なるスタイルの音楽を異なるコンテキストに配置することにより、個々のスタイル変化させ、他に類を見ない音楽スタイルを融合し、3つのターンテーブルと膨大なコレクションであるレコードを使いながらオーディエンスに3つの同時演奏ではなく1つのトラックであると感じさせる。そのスタイルは環境音、アバンギャルド・ノイズ、動物の音、レフトフィールド・テクノ、フリージャズ、奇妙なヒップホップ、最先端のエレクトロニカ、新しいアフリカのダンス・ミュージック、ダブステップ、ダンス・ホールなどと組み合わせれている。

独創的で熟練したミキサーであり、独自のスタイルを持ち、ほとんどのDJのクリシエやこれまでのルールを回避し、フラクサス、ダダなどのアバンギャルドな芸術運動やモンティパイソンの不条理な現実に触発されるように、ダブ、ポスト・パンク、最新のエレクトロニック/ダンス・ミュージックの進化など、常に、非常に、密接に、音楽の発展を追い続け、革新的な “新しい” サウンドに耳を傾けている。創造と発展の芸術性と高まりを強く信じ、約2万枚のレコードと数えきれないほどの膨大なレコード・コレクションは過去と現代のアンダーグラウンド・ミュージックに関する強力な歴史的知識を体現している。

ステージにおいてはマルセルは開放と自由を超越し、しばしば「圧倒的な豊かさ」、「真の耳を開ける人」、「真の開拓者」と表現されている。ヨーロッパ中のクラブ、美術館、ギャラリーを回りながら、ウィーン、ベルリン、ミュンヘン、バーゼル、チューリッヒなど、多くの都市のレジデントDJ、 2015年と2016年には Barcelona circus / performance group のライブDJを務め、ウガンダの Nyege Nyege フェステイバルでは「ライフタイムのレジデントDJ」として任命され、最近では欧州の Dekmantel、Unsound、USの Sustain Release 等のフェステイバルに出演しワールドワイドな活躍を展開。

また Red Light Radio、FSK、DFM など、ヨーロッパのさまざまなラジオ局向けにウィークリーおよびマンスリーのラジオ番組も開催し、インターネット上の John Peel ディスカッション・グループでは「best post-Peel DJ」と評される。マルセルにとって、何らかの緊急性や固定する必要がない限り、音楽形式は意味をなさない。分類が難しいことでブッカー、ジャーナリスト、オーディエンスを最初は混乱させられる。もしマルセルを適切な言葉で説明するのであれば「アバンギャルド・エスノ・ベース」と言えるだろう。

https://soundcloud.com/marcelle


■Kampire [Nyege Nyege / Uganda]

「私が望むのは、ジェンダーや性的指向に関わらず、その人となりの本質をしっかり見極め、誰もが平等にチャンスを得られるようになること」@i-d https://i-d.vice.com/jp/article/kzvn4v/uganda-dj-kampire-interview

東アフリカで最もエキサイティングなDJであり、ウガンダはカンパラの Nyege Nyege コレクティブのコアメンバーであるKampire。活気に満ち溢れたそのサウンドは世界中のクラブやフェスティバルへの出演を呼ぶ。Mixmag 2018年のトップ10のブレイクスルーDJに選出され、Nyege Nyege フェスティバルでの Boiler Room での放送は合法的な「インターネットの瞬間」であり、SNSで何千ものシェアをされ、オンラインで視聴している世界中の電子音楽ファンからフォローされる。

Kampire のDJミックスは Resident Advisor、Dekmantel、Fact Magazine で紹介され、Pitchfork & Fact の年末のリストで2019年のベスト・ミックスにも選出。Rinse FM ラジオのレジデンシーは、Hibotep、Faisal Mostrixx、Catu Diosis など、東アフリカのDJやアーティストにフォーカスしている。

2019年には4大陸でツアーを行い、ヨーロッパ全土のすべての有力フェスティバルに出演、ニューヨークの Redbull Music Festival の Nyege Nyege のショーケースでアメリカでデビューを果たし、Best friend & Nyege Nyege day one Decay と共に2020年の夏には、彼らのショー「Bunu Bop」でヨーロッパのフェスティバル・ステージにウガンダの最高のパーティー・カルチャーをもたらすであろう。

科学、文化、芸術として “黒髪” を探求するアート・インスタレーション「Salooni」の共同設立者であり、その体験プロジェクトは La Ba Arts Festival、ウガンダ、ガーナ、Chale Wote Street Art Festival、East African Soul Train (E.A.S.T) のレジデンシー、ケニア、Africa Utopia、ロンドン、キガリ、ルワンダ、 Women’s day、Burkina Faso and N’GOLÁ Biennial、São Tomé e Príncipe などで展開されている。

https://soundcloud.com/kkaybie


■YELLOWUHURU [FLATTOP / GHPD]

棍底にHOUSEを抱えながら電子音と生音を有機的に混ぜる男。

https://soundcloud.com/yellowuhuru


■Celter [Eclipse]

2019年2月より自身の主宰するイベント “Eclipse” をCONTACTにて始動。エクスペリメンタル、アバンギャルドを軸としたプレイを得意とする。

https://soundcloud.com/cel_ter

TREKKIE TRAX vs TYO GQOM feat. Ahadadream - ele-king

 日本のエレクトロニック・ミュージックの最先端を走りつづけるコレクティヴ兼レーベルの〈TREKKIE TRAX〉と、日本初のゴム・クルーである〈TYO GQOM〉が、ロンドンから Ahadadream を迎えて開催するパーティ《TREKKIE TRAX vs TYO GQOM feat. Ahadadream》に、ジャパン・ツアーを終えたばかりの Raji Rags が緊急参加することとなった。Rags は〈Bleep〉の A&R や NTS Radio、Boiler Room のDJ/キュレーターを務めてきた人物で、現在は〈R&S〉の A&R として腕をふるっている。さらに、イヴェント当日に新作「Kokodoko」をリリースする なかむらみなみ もライヴで参加するとのことで、記念すべき一夜になりそうだ。2月12日は CONTACT へ足を運ぼう。

WED 12 FEBRUARY 2020
TREKKIE TRAX vs TYO GQOM feat. Ahadadream
TREKKIE TRAXとTYO GQOMが激突

CONTACT
Ahadadream (More Time | UK)
Raji Rags (NTS Radio | R&S Records UK)

– TREKKIE TRAX –
Seimei
Carpainter
andrew

– TYO GQOM –
DJ MORO
Hiro “BINGO” N’waternbee
mitokon
K8
KΣITO -DJ & Beat Live

なかむらみなみ (Kokodoko Release Shot Live)

[FOOD]
新宿ドゥースラー

OPEN 20:00 CLOSE 3:00
UNDER 23 ¥1000 DOOR ¥2000 (1D)
GENRE Techno | House | Gqom

https://www.contacttokyo.com/schedule/trekkie-trax-vs-tyo-gqom/

NYクラブ・ミュージックの新たな波動 - ele-king

 ホームNYのみならず、世界中のダンス・ミュージック・フリークから注目を集める野外レイヴ・パーティ「Sustain-Release」の国外初となるサテライト・イベント「S-R Meets Tokyo」がいよいよ今月25日(土)に開催される。「Sustain-Release」を主宰するDJ/プロデューサーの Aurora Halal をはじめ、前編・中編にわたって紹介してきた DJ Python や Beta Librae、Galcher Lustwerk ら“NYサウンドの新世代”が東京・渋谷「Contact」に一堂に会す。これだけは冒頭でちゃんと述べたいが、もし今のクラブ・シーンを見にNYへ行ったとしてもこれほど旬なラインナップのパーティなんてそうそう出合えない。それほど「S-R Meets Tokyo」は、スペシャルなのである。

 2014年にスタートしてから今では1000人限定の“特別なパーティ”となるまでに大成した「Sustain-Release」は、今年で開催7回目。参加者の友人1人まで招待できる完全招待制という崇高なシステムを導入していながらもチケットは毎度たった10分でソールドアウト、オンラインメディア「Resident Advisor」の月間「Top 10 Festivals」において4年連続で1位を獲得するほど、多くの人々がそのドリームチケットを羨むような新時代のレイヴだ。

©Raul Coto-Batres

 そんなビッグ・パーティを成功させた Aurora Halal は、毎週世界のどこかでプレイする人気DJとしてアメリカとヨーロッパで知られているものの日本ではまだまだミステリアスな存在。だからこそ、今のNYのダンス・ミュージック・シーンにおいてキーパーソンである彼女のバックグラウンドを紹介したい。


Aurora Halal のセルフレーベル〈Mutual Dreaming〉のEP「Liquiddity」。
収録された “Eternal Blue” には Wata Igarashi のリミックス・ヴァージョンも

 Aurora Halal がダンス・ミュージックに打ち込むようになったのは、まだ大学生だった2004年ごろのこと。地元ワシントンD.C.を拠点に00年代後半から活動するDJユニット Beautiful Swimmers の Andrew Field-Pickering がペンシルバニアにあるゲティスバークの森で開いていたハウス・パーティがきっかけだった。そこで流れる「Paradise Garage」のようなクラシックなディスコや、当時「Cybernetic Broadcasting System(CBS)」と呼ばれていたオランダの「Intergalactic FM(IFM)」のようなコズミック・ディスコ、 Newworldaquarium こと Jochem Peteri、Arthur Russell などのジャンルにとらわれないギークでおもしろいサウンド、そして何よりそのパーティでの体験が、のちに「Sustain-Release」となる前身のパーティ「Mutual Dreaming」へと発展させることに。
 大学を卒業してからブルックリンへ移り住んだ Aurora Halal は2010年、かつてイーストウィリアムズバーグにあったクラブハウスのような独特な雰囲気のスペース「Shea Stadium」でパーティをスタート。あえてクラブでなく、これまで一度もダンス・パーティが開催されたことのないようなスペースをその時々で選んでは、借りてきたスピーカーを持ち込んで、ブースを設置。さらに当初は、彼女が集めていた70年代のビデオアートがライティングの代わりに投影された。一から十までくまなく手がかけられた「Mutual Dreaming」は、「自分たちと同世代がやりたいことをやれるような場所が当時のNYには少なかった」と話す、Aurora Halal 自身が行きたいと思うパーティのカタチをDIYで組み立てていったのだ。


Mutual Dreaming 2011 Flyer

 そうやって手探りで始めたパーティはトライアンドエラーを繰り返しながらも、新しいスタイルを求めていたオーディエンスをはじめ、パーティに必要不可欠なサウンドシステムやライティングのチーム、Beautiful Swimmers や〈L.I.E.S. Records(以下、L.I.E.S.)〉のファウンダー Ron Morelli、Traxx、Steve Summers、DJ Sotofett を筆頭とするプレイヤーなど、さらなるレベルへと押し上げる多くの人々の協力を得ることでより新鮮で強いエネルギーを放つコミュニティへ成長。それは、ちょうど「Bossa Nova Civic Club」がオープンしたばかりで、〈L.I.E.S.〉や〈White Material〉などのレーベルが軌道に乗り始めたころと同時期だった。NYのファンジン『Love Injection』のインタヴューで当時のことを Aurora Halal はこう語る。「私のコンセプトは、自分が考えていることの可能性を実行し、リアルなパーティを作ることだった。〈L.I.E.S.〉や〈White Material〉などのアーティストは、それまでにあったNYのダンス・ミュージック・シーンの一部ではなかったし、その一部になりたいと望んでもいなかった。だから、ブルックリンに新しいタイプのカルチャーが生まれたの。それがこのシーンの始まりで、そのころの記憶にある強烈な新鮮味と情熱はいまだに忘れられない」。

©Raul Coto-Batres

 それから2年が過ぎた2014年。「森のなかで、もっと大きな『Mutual Dreaming』をやりたかった」と話す彼女は、ついに「Sustain-Release」を実行する。ここでもう一度言うならば、「Sustain-Release」は、いわゆるヨーロッパの花形“フェス”でなく、 Aurora Halal を初心にかえさせるゲティスバーグの森に強くインスパイアされた“レイヴ”だ。「Freerotation」というイギリスのフェスに何年も通っていた初期のチームメイト Zara Wladawsky と初めて会った2013年から一緒に空き地を探し始め、ようやく見つけたロケーションで、500人限定の最初の「Sustain-Release」をローンチ。2016年にはNY市から車で2時間ほどの場所にある現在のキャンプ場「Kennybrook」に開催地を移し、2017年には Zara Wladawsky から Ital や Relaxer などの名義で知られる Daniel Martin-McCormick が共同ディレクターへ。毎年、回を重ねるごとに少しずつマイナーチェンジを行い、9月の週末を大自然に囲まれたアップステートの野外で快適に過ごすことができる現在の環境を作り上げた。

©Raul Coto-Batres

 これまでの出演者を振り返ると、ヨーロッパからは DJ Sprinkles、Lena Willikens、Optimo、PLO Man、Helena Hauff、LEGOWELT、DJ Stingray、DVS1、Vladimir Ivkovic など、日本からは DJ Nobu、Wata Igarashi、POWDER など、ホームNYからは Aurora Halal をはじめ、Anthony Naples、Huerco S.、 DJ Python、Galcher Lustwerk、Umfang、Beta Librae、Hank Jackson、DJ Healthy などそうそうたるラインナップだ。こうやって出演者を羅列するとめちゃくちゃ豪華に感じるけれど、各年にフォーカスすると一概に「豪華」というにはかなり語弊がある。なぜなら、彼女が本当におもしろいと思えるプレイヤーを「Sustain-Release」ならではの審美眼で選んだユニークなラインナップだといえるからだ。


Sustain-Release YEAR SIX flyer


©Raul Coto-Batres
The Bossa stage

 過去4年間、キャンプ場にある屋内競技場を利用したメインステージはテクノが中心の巨大なレイヴ・パーティのヴェニューに、「Bossa Nova Civic Club」にちなんだ半屋内の「Bossaステージ」はブルックリンのローカルDJを中心にハウスやトリッピーなダンス・ミュージックがかかるワイルドなフロアに変わる。もちろんここにあるのはダンス・フロアだけじゃなくて、野外の森には、落ち葉とウッドチップが重なり合うフカフカの地面に敷いたマットに寝そべりながらアンビエントやエクスペリメンタル、リスニング・ミュージックを聴けるチルな「The Groveステージ」も。

©Raul Coto-Batres
The Grove stage

 さらに敷地内にはバスケットボールコートとプール、小さな湖があって、開催初日の昼はバスケットボールトーナメント、土曜の昼はプールサイドで1日限りの「Saturday Pool Party」を開催。踊り狂うもよし、プールで泳ぐもよし、カヌーに乗るもよし、疲れたら昼寝するもよし、大自然のなかで人々の声欲(しょうよく)を満たすプログラムが62時間にわたってしっかり組み込まれているのだ。

©Raul Coto-Batres


©Raul Coto-Batres
バスケットボールのコートサイドでプレイする DJ Python

 ロケーションやサウンド、プログラムのほかに、「Sustain-Release」においてライティングも重要なパートのひとつ。森の木々を幻想的に照らし出すブルーやパープル、ピンクなどのカラーライト、ダンス・フロアの天井に張り巡らされた光のライン、時折視界に射し込んでくるレーザーの強い光線。「Sustain-Release」での体験をより印象的なものにするライティングには、電気工学を学び、数々のライブパフォーマンスやイベントデザインを手がけてきた Michael Potvin 率いる団体「NITEMIND」と、彼らが輩出したアーティストの Kip Davis が任されている。

©Raul Coto-Batres Instagram: @rl.ct.btrs
The Main stage

 「NY」とか「新しい世代」とか「レイヴ・パーティ」とか、やっぱり日常的になじみの薄い言葉を字詰めするとただの夢物語に感じさせるかもしれない。そして、できることなら現地の「Sustain-Release」に遊びに行ってもらいたいのだが、東京にいながらこのシーンの一部を体験できるのが「S-R Meets Tokyo」だ。いろいろ考えてみても、文化の水準が違う日本で、アメリカと同じように自由なクラブ・シーンは生まれにくいだろう。だけど、少なくとも東京とNYにいる人たちの交流を通じて文化をシェアしていけたら、これから日本やアメリカで始まる新しい何かにつながるかもしれない。

Sustain-Release presents “S-R Meets Tokyo”

2020年1月25日(土)東京・Contact
OPEN 22:00
出演
Aurora Halal (NY)
Galcher Lustwerk (NY)
Wata Igarashi (Midgar | The Bunker NY)

DJ Python (NY)
Beta Librae (NY)
AKIRAM EN
JR Chaparro

Mari Sakurai
Ultrafog
Kotsu (CYK | UNTITLED)
Romy Mats (解体新書)
Celter (Eclipse)

OFFICIAL GOODS
Boot Boyz Biz (NY)×葵産業

NEON ART
Waku

料金
BEFORE 11PM ¥2500 | UNDER 23 ¥2500 | ADVANCE ¥2500 | GH S MEMBERS ¥3500 | W/F ¥3500 | DOOR ¥4000
詳細:https://www.contacttokyo.com/schedule/sustain-release-presents-s-r-meets-tokyo/

JPEGMAFIA - ele-king

 「お前は俺を知らない(You think you know me)」。プロデューサーというのはタグ好きだ。主役は誰かをリスナーに分からせるための、自らの楽曲群にグラフィティのように走り書きするタグが。WWEレスラー、エッジのテーマ曲をサンプリングしたJPEGMAFIAのプロダクション・タグは、彼のやることの多くと同様にいくつもの意味を兼ねてみせる。音響的な目印であり、ポップ・カルチャーの引用であり、挑発でもある、という具合に。お前は俺を知ってるつもりかい?(You think you know me?)

 バーリントン・デヴォーン・ヘンドリックスには、前作『Veteran』(2018)の思いがけないヒットでその混乱した、自由連想に満ちた音楽がより広い層の聴き手に達する以前に自らを理解する時間がたっぷりあった。その前の段階のとある名義で、彼はミドル・ネームと姓から派生したデヴォン・ヘンドリックス(Devon Hendryx)を名乗っていた。彼がJPEGMAFIAに転生したのは米空軍を名誉除隊した後に日本で生活していた間のことだった。彼はよくペギー(Peggy)の名も使いたがるが、その愛称は彼にどこかのおばあちゃんめいた印象を与える。

 しかしまた、JPEGMAFIAは自らを色んな風に呼ぶのが好きだったりする。『All My Heroes Are Cornballs』(2019)の“BBW”で、彼は「若き、黒人のブライアン・ウィルソン」を自称する──自らのプロダクション・スキルの自慢というわけだが、ウィルソンは録音音楽の歴史上おそらくもっとも白人的なサウンドを出すミュージシャンのひとりであるゆえに余計に笑いを誘う。“Post Verified Lifestyle”での彼は「ビートルズとドゥームを少々に98ディグリーズが混ざった、ビーニー・シーゲル」だ。ひとつのラインの中でジェイ–Zの元子分、王道ロック・バンド、顔を見せないアンダーグラウンドなラッパー、90年代のティーン・ポップ・グループの四つの名が引き合いに出される。この曲の後の方に出て来る「俺は若き、黒いアリG」は、さりげなくも見事なギャグになっていると共に考えれば考えるほどおかしな気分になるフレーズだ(註1)。

 JPEGMAFIAはつかみどころがなく、シュールなユーモアと政治的な罵倒、エモーショナルな弱さとの間を推移していく。『All My Heroes Are Cornballs』のリリース前、彼はアルバムが出るのはいつなのかという質問をはぐらかし続け、きっとがっかりさせられる作品になると言い張るに留まっていた。彼のYouTubeチャンネルにはジェイムズ・ブレイク、ケニー・ビーツをはじめとするセレブな友人たちが登場し、アルバムをヌルく推薦するヴィデオがアップされた。DJ Dahiの1本がそのいい例で、彼は冒頭に「たぶん俺はこのクソを二度と聴かないと思うよ、個人的に」のコメントを寄せている(※JPEGMAFIAがアルバム発表前にYouTubeに公開した、「友人たちに新作のトラックをいくつか試聴してもらい率直な感想を聞く」という主旨のジョーク混じりのヴィデオ・シリーズ「Disappointed」のこと)。

 これらの証言の数々は、ヘンドリックスがソーシャル・メディアのしきたりを享受すると共にバカするやり口の典型例だ。“Jesus Forgive Me, I'm a Thot”に「ニガー、やりたきゃやれよ、俺は認証済みだぜ」の宣戦布告が出て来るが、ここでの彼は自らのツイッター・ステイタスを見せびらかしつつオンライン上のヘイターたちをからかっている。“Beta Male Strategies”で彼はこう預言する──「俺が死んだら、墓碑はツイッター、ツイッター」

 Veteran』が盛り上がり始めた頃、ヘンドリックスは左頬の上に、目にポイントを向けたコンピュータのカーソルのタトゥーを小さく入れた。英音楽誌『CRACK』に対して彼は「何かの形でインターネットにトリビュートを捧げたかったんだ」と語っている。

 多くのラッパーがインターネットからキャリアをスタートさせてきたとはいえ、これほどオンライン文化の産物という感覚を抱かせるラッパーはあまりいない。ツィッター・フィードをスクロールしていくように、JPEGMAFIAの歌詞はおふざけから怒りっぽいもの、真情から軽薄なものまで次々に切り替わる。歌詞にはバスケットボール選手からファストフード・チェーン、ヴィデオ・ゲーム、90年代のテレビ番組、政治コメンテーター、インターネットのミームまで内輪受けのジョークとカルチャーの引用がみっしり詰まっていて、それらをすっかり解読するのには何時間も要する。

 その不条理なユーモアと割れた万華鏡を思わせるプロダクションに対し、手加減なしのずけずけとした政治的な毒舌がバランスを取っている。「政治的なネタ」についてラップしてもいいんだとアイス–Tから教わったとする彼は、人々の神経を逆撫でする機会を避けることはまずない。“All My Heroes Are Cornballs”で彼は「インセルどもは俺がクロスオーヴァーしたんで怒ってやがる」とラップする──「じゃあ連中はどうやってアン・ハザウェイからアン・クルターに鞍替えしたんだ?」(註2)。“PRONE!”は「一発でスティーヴ・バノンはスティーヴ(ン)・ホーキンスに早変わり」とオルタナ右翼勢にとことん悪趣味な嫌がらせを仕掛ける。(註3)。こうしたすべてを彼がどれだけ楽しんでいるかが万一伝わらなかった場合のために、“Papi I Missed U”で彼は「レッドネックどもの涙、ワヘーイ、なんて美味いドリンクだ」とほくそえむ。

 その挑発には、敵対する側からさんざん人種差別の虐待を浴びせられてもレヴェルを高く維持しようというオバマ時代の考え方あれこれに対する反動、というロジックが備わっている。ヘンドリックスは2018年に『The Wire』誌との取材で「一体全体どうして俺たちは、俺たちを蔑む連中にこれだけおとなしく丁寧に接してるんだ?」と疑問を発した。「『向こうが下劣になろうとするのなら、我々は高潔になろう』。むしろ俺は右派に対し、奴らが出しているのと同じ攻撃性をお返ししてやりたいね。効果てきめんだよ!」

 彼はまた従軍時代に体験したマッチョなカルチャーを引っくり返すのを大いに楽しんでもいて、タフ・ガイ的な記号の数々と典型的にフェミニンなお約束とを混ぜ合わせる。かつてのプリンスがそうだったようにJPEGMAFIAもジェンダーが流動的で、曲の中で女性の声にすんなりスウィッチするのだ。“Jesus Forgive Me, I'm a Thot”のコーラスで彼は「どうやったらあたしの股を閉じたままにしておけるか教えて」と歌うが、この曲のタイトルは性的に放縦な女性に対するヒップホップの中傷語(Thot)を女性の側に奪還している。彼は“BasicBitchTearGas”で再び女性の視点を取り入れるが、この曲は予定調和な筋書きを反転させた女性のためのアンセム=TLCの“No Scrubs”の、意外ではあるものの皮肉は一切なしのカヴァーだ。

 ペギーは「お前のおばあちゃんにもらったお下がりに身を包んで」(“Jesus Forgive Me, I'm a Thot”)けばけばしいファッションでキメることもあるが、それでも激しく噛み付いてくる。オンラインの他愛ない舌戦とリアルな暴力の威嚇との間にはピンと張り詰めた対比が存在する。“Beta Male Strategies”で彼はツィッター上で彼を批判する面々に「くそったれなドレス姿のニガーに撃たれるんじゃないぜ」と警告する。“Thot Tactics”では「ブラザー、キーボードから離れろ、MACを引っ張り出せよ」とあざける。アップル製コンピュータのことかもしれないが、おそらくここで言っているのはMACサブマシンガンのことだろう。

 ギャングスタ・ラップの原型からはほど遠いラッパーとはいえ、JPEGMAFIAは小火器に目がない。“DOTS FREESTYLE REMIX”の「お前が『Toonami』を観てた頃から俺は銃をおもちゃに遊んでたぜ」のラップは、昔ながらの「お前が洟垂らしだった頃から俺はこれをやってきた」に匹敵する愚弄だ(註4)。西側の白人オタクたちは自分のお気に入りのアニメ界のフェティッシュの対象を「ワイフ(wiafu)」と呼ぶが、“Grimy Waifu”でペギーが官能的なR&Bヴォーカルを向ける相手は実は彼の銃だったりする。

 突然注目を浴びたラッパーの多くがそうであるのと同じように、『All My Heroes Are Cornballs』も音楽業界およびその中における自身の急上昇ぶりに対する辛辣な観察ぶりを示してみせる。“Rap Grow Old & Die x No Child Left Behind”で彼は「俺はコーチェラから出演依頼を受けたけど、敵さんたちはそうはいかないよな」と自慢する。このトラックの他の箇所では、彼に取り入り利用しようとするレコード業界の重役たちにゲンナリしている様が聞こえる──「この白いA&Rの連中、俺を気軽に注文できる単品料理だと思ってるらしい/俺をお前らのケヴィン・ジェイムズにしたいのかよ、ビッチ、だったら俺にケヴィン・ハート並みに金を払うこった」(註5)。自分のショウを観に来る怒れる白人男連中は彼のお気に召さないのかもしれないが(「ニガーに人気が出ると、黒人ぶるのが好きな白人どもが毎回顔を出すのはどうしてなんだ?」──“All My Heroes Are Cornballs”)、その見返りを彼は喜んで受け取る。「年寄りのホワイト・ニガーは大嫌いだ、俺には偏見があるからな/ただしお前らニガーの金を教会の牧師が寄付金を集めるように俺の懐に入れてやるよ」(“Papi I Missed U”)

 と同時にペギーは彼自身、あるいは他の誰かを台座に就かせようという試みに抵抗してもいる。アルバム・タイトルがいみじくも表している──「俺のヒーローはダサい変人ばかり」と。アルバムの中でもっともエモーション面でガードを下ろした“Free the Frail”で、彼は「俺のイメージの力強さに頼っちゃだめだ」と忠告する。「良い作品なら、めでたいこった/細かく分析すればいいさ、もう俺の手を離れちまったんだし」。それは受け入れられたいとの訴えであり、完璧な人間などいないという事実の容認だ。あなたは彼を知っているつもりかもしれない。彼はそんなあなたを失望させるだけだ。

〈筆者註〉
註1:「アリG」は、ケンブリッジ大卒のユダヤ系イギリス人であるサシャ・バロン・コーエンの演じた「自分は黒人ギャングスタだ」と思い込んでいる白人キャラクター。コーエンはこのキャラを通じて「恵まれた若い白人層が彼らの思うところの『黒人の振る舞い』を猿真似する姿」を風刺しようとしたのだ、と主調している。しかし一部には、そのユーモアそのものが実はステレオタイプな黒人像を元にしたものだとしてアリGキャラを批判する声も上がっている。
(※アリGはマドンナの“Music”のPVでリムジン運転手役としても登場)

註2:インセルども=女嫌いのオンライン・コミュニティ「involuntary celibate(不本意ながらヤれずにいる禁欲者)」の面々は、JPEGMAFIAが少し前に成功しアンダーグラウンドからメインストリームに越境したことに怒りを発した。アン・クルターはヘイトをまき散らすアメリカ右派コメンテーターで、『プラダを着た悪魔』他で知られるお嬢さん系女優アン・ハザウェイ好きから、インセルたちはどうやってアン・クルターのファンに転じたのか? の意。

註3:ドナルド・トランプの元チーフ戦略家スティーヴ・バノンを車椅子生活に送り込むには一発の銃弾さえあれば足りる、の意。

註4:『Toonami』は1997年から2008年までカートゥーン・ネットワークで放映されたアクション/アニメ番組専門のテレビ枠。

註5:レーベル側のA&R担当者たちは彼らの求めた通りの何かを自分からいただけると思っているが、だったらもっと金を払ってくれないと、の意。ケヴィン・ジェイムズもケヴィン・ハートも俳優だが、人気黒人コメディアンであるハートはジェイムズよりもはるかに多額のギャラを要求できる立場にいる。


“You think you know me.” Producers love a tag: a graffiti-like signature to scrawl across their tracks, letting listeners know who’s in control. Sampled from the theme song for WWE wrestler Edge, JPEGMAFIA’s production tag—like a lot of what he does—manages to be many things at once: a sonic marker, a pop culture reference, a provocation. You think you know me?
Barrington DeVaughn Hendricks had plenty of time to get to know himself before the unexpected success of 2018’s Veteran brought his messy, free-associating music to a wider audience. In a previous incarnation, he was Devon Hendryx, a moniker derived from his middle and last names. It was while living in Japan, after an honourable discharge from the US Air Force, that he became JPEGMAFIA. He often prefers to use the diminutive Peggy, which makes him sound more like someone's grandmother.
Then again, JPEGMAFIA likes to call himself a lot of things. On “BBW,” from 2019’s All My Heroes Are Cornballs, he’s “the young, black Brian Wilson”—a boast about his production skills, made all the funnier by the fact Wilson must be one of the whitest-sounding musicians in the history of recorded music. On “Post Verified Lifestyle,” he’s “Beanie Sigel, mixed with Beatles with a dash of DOOM at 98 degrees”—in the space of a single line, name-checking a former Jay-Z protégé, a canonical rock band, a reclusive underground rapper and a 1990s teen-pop group. Later in the same track, he’s “the young, black Ali G,” which is a great throwaway gag that gets stranger the more you think about it.
JPEGMAFIA is elusive, shifting between surreal humour, political invective and moments of emotional vulnerability. In the run-up to the release of All My Heroes Are Cornballs, he constantly dodged questions about when the album was due, merely insisting that it would be a disappointment. His YouTube channel released videos of celebrity pals, including James Blake and Kenny Beats, offering lukewarm endorsements. DJ Dahi’s was characteristic: “I'll probably never listen to this shit again, personally.”
These testimonials are typical of the way Hendricks both embraces and mocks the conventions of social media. “Nigga, come kill me, I’m verified,” he declares on “Jesus Forgive Me, I’m a Thot,” taunting the online haters while flaunting his Twitter status. On “Beta Male Strategies,” he prophesies: “When I die, my tombstone’s Twitter, Twitter.”
When Veteran started blowing up, Hendricks got a small image of a computer cursor tattooed on his left cheekbone, pointing towards his eye. As he told Crack Magazine: “I wanted to pay tribute to the internet in some way.”
Many rappers have launched their careers on the internet, but few feel quite so much like a product of online culture. Like scrolling through a Twitter feed, JPEGMAFIA’s lyrics whiplash constantly between playful and bilious, heartfelt and irreverent. They’re dense with in-jokes and cultural references—to basketball players, fast-food chains, video games, ’90s TV shows, political pundits, internet memes—that would take hours to fully decode.
The absurdist humour and fractured-kaleidoscope production is counterbalanced by some unapologetically direct political invective. He credits Ice Cube with teaching him it was OK to rap “about political shit,” and seldom shies away from an opportunity to rile people. “Incels gettin’ crossed ’cause I crossed over,” he raps on “All My Heroes Are Cornballs.” “How they go from Anne Hathaway to Ann Coulter?” On "PRONE!," he trolls the alt-right as tastelessly as possible: “One shot turn Steve Bannon into Steve Hawking.” And just in case it wasn’t clear how much he’s enjoying all of this, “Papi I Missed U” gloats: “Redneck tears, woo, what a beverage.”
There’s logic to the provocation, a reaction to all that Obama-era stuff about taking the high ground while your opponents douse you in racist abuse. “Why the fuck are we so civil with people who despise us?" Hendricks asked The Wire in 2018. “‘They go low, we go high.’ I’d rather give the right the same aggression back. It works!”
He also delights in subverting the macho culture he experienced serving in the military, mixing tough-guy signifiers with stereotypically feminine tropes. JPEGMAFIA is gender-fluid in the way that Prince was, slipping naturally into a female voice during songs. “Show me how to keep my pussy closed,” he sings in the chorus of of “Jesus Forgive Me, I’m a Thot,” the title of which reclaims a hip-hop slur (“thot”) used against slutty women. He adopts a female perspective again on “BasicBitchTearGas,” an unexpected—and wholly unironic—cover of TLC’s script-flipping anthem, “No Scrubs.”
Peggy may sport flamboyant fashions—he’s “Dressed in your grandmama’s hand-me-downs” (“Jesus Forgive Me, I’m a Thot”)—but he still bites. There’s a bracing contrast between the online shit-talking and the threat of real violence. On “Beta Male Strategies,” he cautions his critics on Twitter: “Don't get capped by a nigga in a muhfuckin’ gown”. On “Thot Tactics,” he taunts: “Bruh, put the keyboard down, get the MAC out”—which could be talking about Apple computers, but is probably referring to the MAC submachine gun.
He’s a far cry from the gangsta-rap archetype, but JPEGMAFIA can’t get enough of his firearms. “I’ve been playing with pistols since you watching Toonami,” he raps on “DOTS FREESTYLE REMIX,” the equivalent of the old “I’ve been doing this since you were in diapers” jibe. While Western otaku use “waifu” to refer to their favourite anime fetish object, on “Grimy Waifu,” Peggy’s seductive R&B vocal is actually addressed to his gun.
Like many rappers who’ve been thrust suddenly into the spotlight, All My Heroes Are Cornballs offers caustic observations on the music industry and his rapid ascent within it. “I got booked for Coachella, enemies can’t say the same,” he brags on “Rap Grow Old & Die x No Child Left Behind.” Elsewhere on the same track, he’s unimpressed by record industry execs hoping to take advantage of him: “I feel these cracker A&Rs think I’m al a carte / They want me Kevin James, bitch, pay me like Kevin Hart.” He may not like the angry white dudes in the audience at his shows (“Why these wiggas always showin’ up when niggas be poppin’?” on “All My Heroes Are Cornballs”), but he’s happy to reap the rewards: “I hate old white niggas, I’m prejudiced / But I’ma take you niggas money like a reverend” (“Papi I Missed U”).
At the same time, Peggy resists attempts to put him, or anyone else, on a pedestal. It’s right there in the title: all my heroes are cornballs. “Don't rely on the strength of my image,” he cautions on “Free the Frail,” the album’s most emotionally unguarded track. “If it’s good, then it’s good / Break it down, this shit is outta my hands.” It’s a plea for acceptance, an acknowledgment that nobody’s perfect. You think you know him. He can only disappoint you.

interview with Kode9 - ele-king

 今年で設立15周年を迎える〈Hyperdub〉。ベース・ミュージックを起点にしつつ、つねに尖ったサウンドをパッケージしてきた同レーベルが、きたる12月7日、渋谷 WWW / WWWβ にて来日ショウケースを開催する。
 目玉はやはりコード9とローレンス・レックによるインスタレイション作品『Nøtel』の日本初公開だろう。ロンドンでの様子についてはこちらで髙橋勇人が語ってくれているが、サウンドやヴィジュアル面での表現はもちろんのこと、テクノロジーをめぐる議論がますます熱を帯びる昨今、その深く練られたコンセプトにも注目だ。この機会を逃すともう二度と体験できない可能性が高いので、ふだんパーティに行かない人も、この日ばかりは例外にしたほうが賢明だと思われる。
 ほかの出演者も強力で、アルカのアートワークで知られるジェシー・カンダの音楽プロジェクト=ドゥーン・カンダ(11月29日に初のアルバム『Labyrinth』をリリース済み)や、昨年強烈なEP「Enclave」を送り出したアンゴラ出身のナザールと、なんとも刺戟的な面子が揃っている。さらにそこに〈Hyperdub〉からリリースのある Quarta 330 をはじめ、Foodman や DJ Fulltono、Mars89 といった日本のアンダーグラウンドの最前線を牽引する面々が加わるというのだから、これはもうちょっとしたフェスティヴァルである。
 というわけで、来日直前のコード9にレーベルの15周年や『Nøtel』、まもなく発売されるベリアルの編集盤などについて、いくつか質問を投げかけてみた。(小林拓音)


photo: David Levene

『Notel』の世界はデジタル化された不死の概念を展示するような場所でもあって、そこでは死んだ友人たちが生き続けている。

今年で〈Hyperdub〉は15周年を迎えます。2004年にレーベルをスタートさせたとき、どのような意図や野心があったのですか?

スティーヴ・グッドマン(Steve Goodman、以下SG):はじめたときは、亡きスペースエイプと一緒にやっていた自分の音楽をリリースするレーベルにしたいと考えていただけだった。それ以上の目標は持っていなかったよ。

それは、いまでも続いていますか? この15年で大きな転換点はありましたか?

SG:それが、当初の目的はあっという間にどこかへ行ってしまって、他のアーティストたちの作品をリリースするようになった。ある意味、まったく逆のことをやっている──いまでは自分の音楽をやる時間はほとんど持てないからね。ベリアルのアルバムを出したのは、間違いなく大きな転機だった。2014年に起こったDJラシャドとスペースエイプの死もそうだ。

『Diggin' In The Carts』のリミックスは、あなたのオリジナル作品と言っていいくらい独自にリミックスされていましたけれど、そのとき意識していたことや、4曲の選出理由を教えてください。

SG:2017年から、アニメイターの森本晃司が制作した映像を使って、オーディオヴィジュアル・ライヴを続けている──音楽は、コンピレイション・アルバム『 Diggin' In The Carts』の中から14曲を自分でリミックスしたものを使っている。リミックスEPには、その14曲から好きなトラックを選んだだけなんだ。

12月7日の来日公演に出演するドゥーン・カンダ(Doon Kanda)はヴィジュアル・アーティストとしてのほうが有名ですけれど、その音楽についてはどう思っていますか?

SG:彼の映像表現は、驚きに満ちていてすごく独特だ。音楽にかんしては、鋭敏で優美なメロディ・センスを持ち合わせていると思う。初めてその音楽を聴いたとき、これは アルカの曲だろうかと思ったんだけど、いまでは彼独自のサウンドを徐々に見つけていると思う。今回のアルバムはリズムもすごくおもしろくて、電子音でワルツを刻んでいると言ってもいいくらいだ。


photo: David Levene

おなじく今回来日するアンゴラのナザール(Nazar)ですが、彼の音楽の魅力とは?

SG:ナザールは、ここ最近〈Hyperdub〉で契約した新人でもとくに楽しみなひとりだ。他にはまったくないサウンドを持っていて、それを自分で「ラフ・クドゥーロ」(訳註:クドゥーロはアンゴラ発祥の音楽形式)と呼んでいる。彼がふだん鳴らしている音を説明するなら、ベリアルの音楽をさらに騒々しくしたヴァージョンと、マルフォックスニディア、あるいはニガ・フォックスらによる〈Príncipe〉レーベルの音楽の中間にあると言える。パフォーマンスをするときは、自分の音楽だけを演奏していて、何から何まで独創的な音の世界を聴かせてくれる。彼の作品テーマはアンゴラの内戦と関わりがあって、それで僕の著書『Sonic Warfare』とも共鳴する部分がある。そこがたいていのプロデューサーとちがうところだ。

まもなくベリアルのコンピレイションがリリースされます。彼のことですので、たんにレーベル15周年を祝ってという理由だけでなく、何か考えがあるように思えます。すべて既出の音源ですが、曲順も練られているように感じました。これは実質的に彼のサード・アルバムと捉えてもいいのでしょうか?

SG:彼は適切な流れをつくれるように考えて曲順を決めていた。厳密にはサード・アルバムとは言えないだろう──アルバム『Untrue』以降にリリースされたトラックをほぼすべて網羅したものでしかない。ここに収録されたトラックはどれも、アルバムに入っていないからという理由で、見過ごされてきたように感じられる。われわれとしては、今回の楽曲には、アルバムの収録曲より優れたものさえ存在すると確信している。

今年はサブレーベルの〈Flatlines〉も始動しましたね。第1弾はマーク・フィッシャーとジャスティン・バートンによる作品『On Vanishing Land』で、フィッシャーゆかりのアーティストが多く参加しています。この作品は彼への追悼なのでしょうか?

SG:そうだと言ってかまわない。レーベルの名前は、彼が博士号を取得したさいのテーマにちなんでつけたもので、この作品は、彼の最後の著書『The Weird and the Eerie』に記されたアイディアのいくつかをオーディオエッセイというかたちで実践したものだ。

今後〈Flatlines〉はどのような作品を出していく予定なのでしょう?

SG:もしかしたら、僕自身のオーディオエッセイをいくつか出すかもしれない。

AIやテクノロジーのことがよく話題にのぼる昨今、「もともと人間のために作られたシステムが、人間消滅後もシステム自らのために稼働し続ける」という『Nøtel』の設定は示唆的です。作品のもととなったあなたのアルバム『Nothing』が出てから4年たちましたが、『Nøtel』にはどのような反応が返ってきていますか?

SG:『Nøtel』は興味深いプロジェクトとして続いてきた。最初は僕とローレンス・レックが加速主義(訳註:現行の資本主義プロセスを加速することで根本的な社会変革に結びつけようとする思想)について意見を交わすことからはじまった。それがアルバムの2つ折りジャケットのアートワークにつながった。それから仮想空間に建造物を再現し、僕がライヴ演奏をしているあいだにローレンスがゲーム用コントローラーを使って内部を移動する様子を映し出す(それぞれのトラックにひとつの部屋が割り当てられている)という形式ができて、さらにはユーザー参加型のVR作品に仕上がった。そして『Nøtel』を実際のホテルに見立てた架空の広告を制作し、香港のアート・バーゼルというイヴェントで最大規模のヴィデオ展示をおこなった。12月には上海での展示がおこなわれる──『Nøtel』はこれまで突然変異を繰り返して異なる環境をつくり出し、いまもなお発展を続けている。今回、初めて日本でのパフォーマンスが実現する。


photo: Philip Skoczkowski

『Nøtel』では、資本主義を打ち破るコンセプトとして、ジャーナリストのアーロン・バスターニが描いた全自動ラグジュアリー共産主義(Fully Automated Luxruy Communism)が、資本主義的に読み替えられた全自動ラグジュアリー(Fully Automated Luxury)というコンセプトとして登場します。『Nøtel』は、人間がいなくなったあとも資本主義リアリズムがテクノロジーによって構築され続ける世界です。わたしの記憶が正しければ、『Notel』のなかには、亡くなったスペースエイプやDJラシャドがまるで幽霊のようにホログラムや映像として登場します。人間のいない『Nøtel』の世界に幽霊がいるとすれば、それはどのような意味を持つのでしょうか?

SG:『Nøtel』の世界はデジタル化された不死の概念を展示するような場所でもあって、そこでは死んだ友人たちが生き続けている。『Nøtel』は、富裕な人びとが求める社会的分離が行き着くところまで行ってしまった皮肉な事態(従業員が機械化されたのみならず、『Nøtel』には、もはや宿泊客がやって来ない──ただ、なぜそうなったのかをわれわれは語らない)をあらわすと同時に、「完全自動ラグジュアリーコミュニズム」(訳註:技術革新によって実現できるとされる豊かな共産主義社会で、アーロン・バスターニの著書『Fully Automated Luxury Communism』のタイトルと一致する)という概念があっても、それが企業体によっていかに容易に私物化されうるかという皮肉を示している。『Nøtel』では、ドローンが従業員として仕事をする。そしてこの作品は、自分たちを使役する人間が存在しなくなったと認識したドローンが自由を獲得することで結末を迎える。

あなたは、今回一緒に来日するローレンス・レックの映像作品『AIDOL』に、声優として出演していますね。『AIDOL』の舞台は東南アジアです。では『Nøtel』の世界では、「東洋」はどのように存在しているのでしょう?

SG:物語の上で、『Nøtel』は国有の中国企業によって経営されている──そのブランド戦略を担うコンサルタントのひとりはロンドンのアートスクールで学んだ経験があり、そこで「完全自動ラグジュアリーコミュニズム」という言葉を耳にして、意味をとりちがえたまま中国に持ち帰り、迂闊にも高級ホテルチェーンのキャッチフレーズに転用してしまったんだ。

『Nøtel』における機械(ドローン)には、われわれ人間と同じような肉体があるわけではないですが、人間性のようなものが宿っているようにも見えます。われわれは機械の尊厳についても考えるべきでしょうか?

SG:ドローンには、自由になりたいという欲望がプログラムされていて、それは、主人である人間に仕えるよう定めたプログラムよりも根源的なものとして機能する。どうあれ、人間は自動化を進めたまま、やがて終焉を迎えたということだ。

Hyperdub

Kode9 率いる〈Hyperdub〉の15周年パーティーが "Local X9 World Hyperdub 15th" として WWW にて12月7日(土)に開催決定!
また、孤高の天才 Burial が歩んだテン年代を網羅したコレクション・アルバムが国内流通仕様盤CDとして12月6日(金)に発売決定!

00年代初期よりサウス・ロンドン発祥のダブステップ/グライムに始まり、サウンドシステム・カルチャーに根付くUKベース・ミュージックの核“ダブ”を拡張し、オルタナティブなストリート・ミュージックを提案し続けて来た Kode9 主宰のロンドンのレーベル〈Hyperdub〉。本年15周年を迎える〈Hyperdub〉は、これまでに Burial、Laurel Halo、DJ Rashad らのヒット作を含む数々の作品をリリースし、今日のエレクトロニック・ミュージック・シーンの指標であり、同時に先鋭として飽くなき探求を続けるカッティング・エッジなレーベルとして健在している。今回のショーケースでもこれまでと同様に新世代のアーティストがラインナップされ、東京にて共振する WWW のレジデント・シリーズ〈Local World〉と共に2020年代へ向け多様な知性と肉体を宿した新たなるハイパー(越境)の領域へと踏み入れる。

Local X9 World Hyperdub 15th

2019/12/07 sat at WWW / WWWβ
OPEN / START 23:30
Early Bird ¥2,000@RA
ADV ¥2,800@RA / DOOR ¥3,500 / U23 ¥2,500

Kode9 x Lawrence Lek
Doon Kanda
Nazar
Shannen SP
Silvia Kastel

Quarta 330
Foodman
DJ Fulltono
Mars89

今回のショーケースでは、Kode9 がDJに加えシミュレーション・アーティスト Lawrence Lek とのコラボレーションとなる日本初のA/Vライブ・セットを披露。そして最新アルバム『Labyrinth』が11月下旬にリリースを控える Doon Kanda、デビュー・アルバムが来年初頭にリリース予定のアンゴラのアーティスト Nazar、そしてNTSラジオにて番組をホストする〈Hyperdub〉のレジデント Shannen SP とその友人でもあるイタリア人アーティスト Silvia Kastel の計6人が出演する。

BURIAL 『TUNES 2011-2019』

Burial の久しぶりのCDリリースとなる『TUNES 2011-2019』が帯・解説付きの国内流通仕様盤CDとしてイベント前日の12月6日にリリース決定!

2006年のデビュー・アルバム『Burial』、翌年のセカンド・アルバム『Untrue』というふたつの金字塔を打ち立て、未だにその正体や素性が不明ながらも、その圧倒的なまでにオリジナルなサウンドでUKガラージ、ダブステップ、ひいてはクラブ・ミュージックの範疇を超えてゼロ年代を代表するアーティストのひとりとして大きなインパクトを残したBurial。

沈黙を続けた天才は新たなディケイドに突入すると2011年にEP作品『Street Halo』で復活を果たし、サード・アルバム発表への期待が高まるもその後はEPやシングルのリリースを突発的に続け、『Untrue』以降の新たな表現を模索し続けた。本作はテン年代にブリアルが〈Hyperdub〉に残した足取りを網羅したコレクション・アルバムで、自ら築き上げたポスト・ダブステップの解体、トラックの尺や展開からの解放を求め、リスナーとともに未体験ゾーンへと歩を進めた初CD化音源6曲を含む全17曲150分を2枚組CDに収録。

性急な4/4ビートでディープなハウス・モードを提示した“Street Halo”や“Loner”から、自らの世界観をセルフ・コラージュした11分にも及ぶ“Kindred”、よりビートに縛られないエモーショナルなス トーリーを展開する“Rival Dealer”、史上屈指の陽光アンビエンスが降り注ぐ“Truant”、テン年代のブリアルを代表する人気曲“Come Down To Us”、そして最新シングル“State Forest”に代表される近年の埋葬系アンビエント・トラックまで孤高の天才による神出鬼没のピース達は意図ある曲順に並べ替えられ、ひとつの大きな抒情詩としてここに完結する。

label: BEAT RECORDS / HYPERDUB
artist: Burial
title: Tunes 2011-2019
release date: 2019.12.6 FRI

Tracklisting

Disc 1
01. State Forest
02. Beachfires
03. Subtemple
04. Young Death
05. Nightmarket
06. Hiders
07. Come Down To Us
08. Claustro
09. Rival Dealer

Disc 2
01. Kindred
02. Loner
03. Ashtray Wasp
04. Rough Sleeper
05. Truant
06. Street Halo
07. Stolen Dog
08. NYC

元ちとせ - ele-king

 私は元ちとせのリミックス・シリーズをはじめて知ったのはいまから数ヶ月前、坂本慎太郎による“朝花節”のリミックスを耳にしたときだった、そのときの衝撃は筆舌に尽くしがたい。というのも、私は奄美のうまれなので元ちとせのすごさは“ワダツミの木”ではじめて彼女を知ったみなさんよりはずっと古い。たしか90年代なかばだったか、シマの母が電話で瀬戸内町から出てきた中学だか高校生だかが奄美民謡大賞の新人賞を獲ったといっていたのである。奄美民謡大賞とは奄美のオピニオン紙「南海日日新聞」主催のシマ唄の大会で、その第一回の大賞を闘牛のアンセム“ワイド節”の作者坪山豊氏が受賞したことからも、その格式と伝統はご理解いただけようが、元ちとせは新人賞の翌々年あたりに大賞も受けたはずである。すなわちポップス歌手デビューをはたしたときは押しも押されもしない群島を代表する唄者だった。もっとも私は80年代末に本土の学校を歩きはじめてから短期の帰省をのぞいてはシマで暮らしたこともないので、彼女が群島全域に与えた衝撃を実感したわけではない。私のころはむしろ中野律紀さんがシマ唄のホープでありポップスとの架け橋だったのであり、電話口で元ちとせの登場に母の興奮した声音を聴いた90年代なかば、私はむしろゆらゆら帝国(まだ4人組でした)とかのライヴに足を運びはじめたころで、シマ唄なんかよりはそっちのがだいぶ大事だった。しかしそのように語るのはいくらか語弊がある。というのも、そもそも私のような1970年代生まれ以降のシマンチュにとってシマ唄はもとからそう身近なものではない。戦後、米軍統治からの本土復帰後、ヤマト並をめざす奄美にとっては文化も言語も標準化すべき対象でしかなく、私はよく憶えているが、私が小学の低学年だったころまでは学校のその週の努力目標にシマグチ(方言)を使わないようにしましょうというものがあり、使うと他の生徒の前で罰せられたのである(80年代のことですぜ)。私はこのことに子ども心ながら理不尽な気持ちを拭えなかったが、なにがおかしいか、なぜおかしいか、またひとはなぜそのような外部の視線を内面化することで恥と劣等感をおぼえるのか、語ることばをもたなかった。もっともその口にのぼらせるべきことばすら本土化されかかっていたのだとしたら、武装に足ることばなどどこにもなかった。とまれ私たちは中国のウイグル自治区への政策をしたり顔でもって他山の石などとみなすことなどできない。南西諸島にせよアイヌにせよ、境界を措定された空間の周縁は中央がおよぼす文化と政治と経済の波がもっとも可視化されやすい場所であり、言語におけるその顕れはおそらくドゥルーズのいうマイナー言語なるものを派生させ、近代性の波と同期すればポール・ギルロイいうところの真正性オーセンテイシテイを励起するはずだが、この点を論究するのは本稿の任ではない。つまるところ私にはともに90年代前半に見知ったおふたりが20年代のときを経てコラボレーションするにいたったことが事件だったのである。
 恥ずかしながら私はここしばらく元ちとせの動向を追っていなかったのでことのなりゆきがにわかにはのみこめなかったが、レーベルのホームページによるとリミックスはこんごもつづくとのこと。また今回のプロジェクトはもとになるアルバムがあるのもわかった。昨年リリースの『元唄(はじめうた)』と題したシマ唄集で、元ちとせはこのアルバムで盟友中孝介を客演に、勝手知ったるシマ唄の数々を招き吹きこみなおしている。坂本慎太郎の“朝花節”のリミックスは『元唄』の幕開けにおさめた楽曲のリミックスで、同様の主旨のリミックスが以後数ヶ月つづくこともレコード会社の資料は述べていた。したがって本作『元ちとせリミックス』の背景にはおよそこのような背景があることをご理解いただいたうえで、今回の坂本龍一のリミックス作のリリースをもって完了したプロジェクトをふりかえりつつ収録曲とリミキサーを簡単にご説明さしあげたい。

 

朝花節 REMIXED BY 坂本慎太郎
2019/6/26 Release

 “朝花節”は唄遊びや祝宴の席で最初に歌うことの多い、座を清めたり喉のウォーミングアップをかねたりする唄。唄者には試運転をかねるとともに、唄の場がひらいたことを宣し声を場にチューニングしていく役割もある。多くの唄者の音盤でも冒頭を飾ることが多く、元ちとせの〈セントラル楽器〉(名瀬のレコード店で唄者のアルバムを数多くリリースしている)時代のセカンド『故郷シマキヨら・ウム』(1996年)の冒頭を飾ったのも“朝花節”だった。1975年の敗戦の日の日比谷野音で竹中労が音頭をとり、嘉手苅林昌、知名定繁と定男父子、登川誠仁など、稀代の唄者が集ったコンサートの実況盤でも奄美生まれの盲目の唄者里国隆の“朝花節”が1曲目に収録されているのもおそらく同じ意味であろう。
坂本慎太郎のリミックスはもっさりしたチープなビートが数年前のクンビアあたりを彷彿する点で、『元唄』のボーナストラックだった民謡クルセイダーズの“豊年節リミックス”に一脈通ずるが、音と音との空間を広くとり、定量的なビートにも機械の悲哀といったものさえ感じさせるソロ期以降の坂本慎太郎の作風を縮約した趣きもある。背後からヘア・スタイリスティックスとも手を結ぶ作風ともいえるのだが、坂本は元や中の声を効果的にもちい、聴き手の感情をたくみに宙吊りにする。うれしくもなければ悲しくもない。笑いたいわけではないが怒っているのでもない、日がな一日砂を噛みながらみずからの鼻を眺めるかのごとき感情の着地を拒む幕開けはアルバム総体の行方も左右しない。

 

くばぬ葉節 REMIXED BY Ras G
2019/7/31 Release

 つづく“くばぬ葉節”のリミックスはラス・Gの手になる。ラス・Gは今年7月29日に逝去したがリミックスの公開はその二日後、はからずもいれかわるように世に出た。LAビート・シーンの立役者のひとりであり、幾多の独特なリズム感覚でビート・ミュージックの形式にとどまらない作風をものしたラス・Gらしく、ここでもパブリック・イメージをいなすノンビート・アレンジで意表を突いている。全体はスペーシーな風合いがつよく、冒頭のSEは極東の島国のさらにその南の島からの唄声に自身のサウンドをチューニングさせるかのよう。表題の「くばぬ葉」はビロウの葉のこと。シマでよくみるヤシ科の常緑の高木でその葉を編んで団扇にしたことなどから身よりのないシマでのひととのえにしの大切さになぞらえている。

 

くるだんど節 REMIXED BY Chihei Hatakeyama
2019/8/28 Release

 ここからアルバムはアンビエント・パートへ。数あるシマ唄でも代表的な“くるだんど節”を本邦アンビエント界の旗手畠山地平がカスミたなびく音響空間に仕上げている。表題の「くるだんど」とは「空が黒ずむ」の意。その点でも幽玄の情景を喚起する畠山のリミックスは唄のあり方を的確にとらえているといえる。もっともシマ唄の歌詞に決定稿は存在しない。歌詞は唄うものが唄い手が独自に唄い変える。じっさい畠山のリミックスの原曲となった『元唄』収録の“くるだんど節”は島の特産物産を自慢する内容だが、この歌詞は親への感謝を唄うオーソドックスなものともちがっている。むろんそれさえも「空が黒ずむ」ことともなんら関係ない。転々とシマからシマ、ひとからひとへ唄い継ぐうちに歌詞も節もグルーヴも変転する世界各地のフォークロアな音楽と通底するこのような口承性こそ、共同体の暮らしの唄としてのシマ歌の真骨頂といえるのだが、畠山地平は唄の古層を探るかのように原曲の音素をひきのばし、幾多の微細な響きに解体した響きが蜿蜿と蛇行する大河のような時間感覚をかたちづくっている。

長雲節 REMIXED BY Tim Hecker
2019/9/25 Release

 声の響きに着目した畠山のリミックスと対照的に、つづくティム・ヘッカーは“長雲節”のリミックスで元ちとせの唄の旋律線の動きに焦点をあてている。ティム・ヘッカーといえば、昨年から今年にかけて『Konoyo』と『Anoyo』の連作での雅楽との共演でリスナーをおどろかせたばかり。雅楽とは、いうまでもなく中国から朝鮮半島を経由に伝来した宮廷音楽だが、楽音と雑音とを問わずあらゆる音に色彩をみいだすこのカナダ人は雅楽という形式特有の持続とゆらぎに、おそらくは此岸(この世)と彼岸(あの世)のシームレスなつながりをみた、そのように考えれば、シマ唄、ことに元ちとせら「ひぎゃ唄」の唄者が自家薬籠中のものとする裏声によるポルタメントな唱法(グィンといいます)はヘッカーをしてシマ唄と雅楽の類似点を想起させなかったとはだれにも断定できない。原曲となる“長雲節”はしのび逢いの唄で、別れ唄とする地域もあれば祝い唄とみなすシマもある。このような背反性までもリミキサーが理解していたはずはないが、かろうじてかたちを保っていた唄が旋律の線形だけをのこし抽象化し、やがてサウンドの合間に姿を消すヘッカーの解釈は唄の物語世界にも同期する、好ミックスである。
ちなみにさきに述べた「ひぎゃ唄」の「ひぎゃ」とは東の意。元ちとせの出身地でもある奄美大島南部の瀬戸内町の旧行政区画名「東方村」に由来する。すなわち南方を東方と呼んでいたころのなごりで、北部を代表する「かさん唄」(「かさん」は現奄美市に合併した笠利町のこと)とシマ唄の傾向を二分する流儀である。武下和平から朝崎郁恵まで、著名な唄者がひぎゃ唄の唄い手に多いのは起伏に富む歌いまわしがテクニックに結びつくからだろうが、地鳴りのような唸りからファルセットまで一気にかけあがる唱法は、北部に比して急峻な南部の地形に由来するとも、信仰や風習や、はたまた薩摩世(薩摩藩支配時代)の過酷な労働に由来するとする説まで、諸説紛々だが真偽のほどはさだかでない。

 

Photo by "Jakob Gsoellpointner".

豊年節 REMIXED BY Dorian Concept
2019/10/30 Release

 フライング・ロータス、サンダーキャットらの〈ブレインフィーダー〉から『The Nature Of Imitation』を昨年リリースし一躍ときのひととなったドリアン・コンセプトは『元唄』では唯一のリミックス作“豊年節”を題材に選んだ。すなわち民謡クルセイダーズのリミックスのリミックスということになるが、ジャズからビート・ミュージックまで手がけるオーストリアの才人は原曲を活かしながら独自色をひそませ、島々を練り歩く放浪芸の一座のようだった原曲にサーカス風の彩りをくわえている。

 

Photo by zakkubalan(C)2017 Kab Inc.

渡しゃ REMIXED BY 坂本龍一
2019/11/27 Release

 『シマ唄REMIX』の参加者でそれまでに唯一元ちとせとの共演歴をもっていたのが“渡しゃ”を担当した坂本龍一である。坂本と元は2005年の8月6日に広島の原爆ドームの前で、トルコの詩人ナジム・ヒクメットが原爆の炎で灰になった少女になりかわり書き綴った詩の訳詞に外山雄三が曲をつけた“死んだ女の子”を演奏し、爾来夏を迎えるたびに限定で配信し収益のいちぶをユニセフに寄付しているという。元ちとせの2015年のアルバム『平和元年』も収める“死んだ女の子”はまぶりのこもった歌声と柔和なメロディに鋭いたちあがりの音が同居した、反戦と平和を希求するスタンダード・ナンバーとして灯りを点すように広がりつつあるが、ここでの坂本は元ちとせのリズミックな演奏に抑制的にアプローチすることで原曲の秘められた側面をひきだしている、その作風は畠山地平やティム・ヘッカーと同じくアンビエントと呼ぶべきだろうが、声の断片、電子音のかさなり、ピアノの打鍵、かぎられた響きで多くを語る方法は坂本龍一の作家性を端的に物語っている。
表題の「渡しゃ」は島と島を渡すもの、すなわち「船頭」の意。船頭が唄のなかで奄美大島、喜界、徳之島、沖永良部、与論からなる奄美群島をめぐっていく。歌詞にみえる「間切り」の文言は琉球と奄美にかつて存在した行政区画で、市町村の町みたいなものだが、島には陸地にはない海の道があり、海が隔てる別々の島のシマ(村)が同じ間切りに入っていたこともしばしばだった。今福龍太が『群島論』で指摘したように、海を道とみなす視点には陸地と海洋が反転した白地図が文字通り浮上するというが、形式を問わない自由な耳でしかあらわれない音もおそらくこの世には存在する。『シマ唄REMIX』が収めるのは純粋なシマ唄でもなければポップスでもない。リミックス集だがダンス・ミュージックでもないし、中身も歌手元ちとせの唄のみをひきたてるものではない。実験的で挑戦的な内容ともいえる一枚だが、エキゾチシズムに淫せず、伝統に拝跪せず、神秘主義に溺れず、反省的な文化人類学の反動性に与せず、ありきたりなポストコロニアルやカルチュラル・スタディーズの思弁にも回収されない、蠢動するものはそのような音楽がもっともよく体現するのである。

特設ウェブサイト:
https://www.office-augusta.com/hajime/remix/

消費税廃止は本当に可能なのか? (1) - ele-king

消費税が10%になり数日が経った。
本稿では「消費税廃止は本当に可能なのか?」と題し、その実効性が理論として正しいのか検証していきたい。

 i-Tunesで好きなアーティストの楽曲を買う際にも、Amazonで書籍を購入する際にも、コンビニでビールを買う際にも、誰でも買い物をする際には10%の消費税を支払うことが義務付けされた。

 30代以下の若い人たちにとっては、物心ついた頃から消費税は課されていて、あって当たり前のもの、税率は上がって当たり前のものとして認識されてきただろう。しかし、20,000円の財布を買う際には2,000円分の税が含まれ、パソコンを70,000円のものに新調する時には7,000円の税を支払うことになると聞いたら、大きなインパクトを感じるのではないだろうか。


画像:山本太郎氏・街頭演説より。池戸万作氏作成。

 そればかりか、上図のように、一か月に20万円消費する人にとっては、年間で22.8万円の消費税が課されるとする試算もある。総務省「家計調査」と比較するならば、年収400~500万円の人に相当するだろう。同調査によると年収が300~400万円だとしても消費税納税額は19万円とされ、消費性向(所得のうち消費に割り当てる割合)の違いにより、平均所得付近の層の納税額はさほど変わりないこともわかる。

 約20万円もあればちょっとした海外旅行にだって行けるし、服だっていろいろ買える。友達や恋人と食事に行く回数を増やすこともできるだろうし、子供がいるならその為の用立ても可能だ。自分にはそんな贅沢はできない、奨学金も返済しなければならないしローンや借金もあるという人だって、もしこの数十万円が浮くとなれば随分と生活が楽になるのではないだろうか。そう考えると、なぜこんなに多額の税金を払わなくてはならないのかと怒りさえ感じるのではないか。

 去る9月12日、共産党・志位和夫代表とれいわ新選組・山本太郎代表の党首会談が行われ、「5野党・会派と市民連合が合意した共通政策」をベースに「消費税廃止を目標にする」ことが政策合意として結ばれ、そのうえで「野党連合政権にむけ大事な合意が確認できた」とし共同会見を行った。消費税廃止を掲げる”影の”連合政権と呼べる存在が誕生したことにより、今まで非現実的だと思われてきた消費税廃止にも一定の現実味が帯びてきた格好となる。

 10月から施行された10%消費増税に関しては、これまでも国内外を問わない形で、スティグリッツやクルーグマンという複数のノーベル経済学賞受賞者を含む様々なエコノミストからも批判が投じられている。米紙ウォール・ストリート・ジャーナルは社説で、消費税増税が経済をさらに悪化させる「自傷行為」になるとの見方を示したほどだ。

 筆者もマクロ経済学初学者ながら、消費税は廃止にすべきだとの見方を強めている一人だが、一方でこの自傷行為と揶揄された消費税を、日本国の社会保障のために必要だと考える人たちも多い。本当に自傷行為になるかどうかは、今後の各種経済指標を注視する必要があるのだろうが、10月までのメディア各社の世論調査では、消費増税に反対する人が過半数を占めるものの、おおよそ賛成派と拮抗する形となっている。

 増税賛成派の多くには「増え続ける社会保障費を賄うためには増税はやむを得ない」「将来世代のツケとなる国の借金1100兆円をこれ以上膨張させてはならない」という意見が根強い。また、この10%増税に賛成したばかりか、財界を代表する団体、日本経済団体連合会(経団連)は19%への増税を、経済同友会は17%への増税をそれぞれ政府に対し提案している。

 しかし、このような仰々しい名称を冠した経済団体はあくまで企業経営者の集団だ。マクロ経済学や財政学の専門家でもなんでもないロビイスト団体が、その能力を超えて日本政府に経済政策の提言を行っているのだから酔狂にも等しいと言えるのではないだろうか。「経営」と「経済」はまったくの別物で、いうなれば、経営は「ビジネスを介して人々から富(貨幣)を取り上げること」、対して経済は「人々に富(貨幣)を生み出し分け与えるもの」というくらいの違いがある。「経済」の語源である「經世濟民」が、[世をよく治めて(經めて)人々を苦しみから救う(濟う)こと]とされるように、営利企業の「経営」とは真逆とも言って良いほどに質が異なるのだ。

 では、「富を取り上げる」とはどういうことか。企業経営者たちが業績を上げるために躍起になる「無駄の削減」や「イノベーション」というものは、人々が受け取るはずだった所得を奪う行為で、誰かの富を別の誰か(主に資本家)に移し替えるだけの行為に他ならない。これは、実体経済市場全体にとって特に良いことはないばかりか、富が偏在し過ぎた場合は、是正されなければならない対象ともなり得る。

 もちろん、民間で活発なビジネスが行われることによって貨幣の流通速度が速まり、経済発展に寄与するというメリットもある。しかし、例えば今までカメラや時計、音楽再生機、パソコン、電話というようにその特性別に分かれていたものが、スマホという商品に機能が集約されるようなイノベーションが起こると、それまでカメラ単体を製造していた業者は淘汰され、そこで生まれていた従業員の所得も失われることになる。この一点をマクロ経済の視座から見ると、実体経済市場を巡るはずだった貨幣が資本家の貯蓄や金融資産へと消えることになり、全体の富の損失に繋がることがわかる。

 「合成の誤謬」という概念がある。大辞林によると、「個々人にとってよいことも、全員が同じことをすると悪い結果を生むことをいう語。個人にとって貯蓄はよいことであっても、全員が貯蓄を大幅に増やすと、消費が減り経済は悪化するなど」とある。ミクロの視点では正しいことでも、それが合成されたマクロのスケールでは、意図しない結果が生じることもある。企業が「無駄の削減」などに勤しむと、かえってその分マクロ経済を巡る富(貨幣)が少なくなるということだ。

 一般的には、無駄の削減やイノベーションを通じて自身の収益となったことが、「富を創出した」のだと誤解されている。しかし実態は逆だ。多くの企業経営者も、自らの商行為を通じて国の経済に貢献したと誤解しているのではないだろうか。この行動様式や勘違いこそが「合成の誤謬」と呼ばれる類いとなるが、彼ら企業経営者たちは、国家財政やマクロ経済を企業会計と同一視してしまう「家計簿脳」に陥り、そのアニマル・スピリットは、デフレ状況下であればただただ富を食いつぶそうとする方向に働いてしまう。

 当コラムでも何度かお伝えしているように、反緊縮のロジックでは自国通貨建て国債を発行する国家が破産することはない。そして過度なインフレにならなければ、国債は額の多寡に関わらず、国民経済のために発行できる。しかし、この合成の誤謬や家計簿脳に執着する人々は、Pay As You Goの原則(支払った分だけ使える仕組み)に基づき、下図のように「国の借金1000兆円を返済しなければ」とか「社会保障費を消費税で賄おう」などという策に溺れることになってしまう。どうしても税が国家財政を支えていると考えるのである。


*上図は経済同友会の一次ソースを、ツイッターの有志が経世済民同好会(笑)の正しい認識と比較する形で二次創作したものとなる。

 自由放任的な資本主義体制は、放っておくと富の偏りが生まれてしまうので、政府がその財政的権力をもって是正すべく介入しなければならない。富の偏在、つまり経済的格差の拡大が経済停滞を招くことは、すでにIMFやOECDをはじめとする国際的機関や幾多の経済学者に指摘されるところだ。考えてみれば、中産階級が没落して消費額を減らせば、経済を回すための一番大きなエンジンである個人消費が落ち込むのは当たり前である。日本のGDPの約6割は個人消費で支えられているのだ。

 ところが、この資本主義の負の側面の拡張を放任するどころか、後押しし続けたのが日本政府であった。

 大雑把に言うと、私たちの暮らしが良くならないのは、政府が緊縮財政をしき、野放図な略奪型資本主義を認め、企業も実体経済市場に投資をしないからだ。政府や企業がお金を出さないから、私たちにもお金がない。当然のことじゃないか。

 消費税廃止は本当に可能なのか、廃止できるのならその代替財源はどうするのか。次回も続けたい。

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