Home > Reviews > Album Reviews > Forth Wanderers- The Longer This Goes On

高校生の頃、CDショップのポップで見かけた「良心」という言葉にイマイチピンと来ていなかった(いまにして思うとそれは「良心が咎める」以外のポジティヴな文脈でこの言葉をみたことがなかったからなのかもしれない)。アメリカの良心、ギター・ロックの良心、オルタナティヴの良心、それらの良い心はいったいどこから来ているのだろう? 頭の中に疑問が浮かぶ。良い心があるということはきっと悪い心もあるのだろう。セルアウトにコマーシャリズムに急激な変化、いままでとまったく違う音楽でしかもそれが自分にとってフィットしなかった場合、人は裏切られたと感じるのかもしれない。辞書的な意味の良心とは「正しく行動しようとする心の働き」だというが、つまりそれらの「悪事」を犯さないというのが良心的なバンドなのだろう。商業主義に流されず、極端に音楽性を変えず、期待通りの方向で、しかしありきたりではない予想を超える音楽を奏でる。それをきっと良心と呼ぶのだ。そして場面ごとにその期待にあたるものが入れかわる。だから「オルタナティヴの良心」と評されるバンドはオルタナ・バンドらしい音楽を演奏しているバンドということになる。多くの人が関わり商業的な成功が求められるメインストリームの音楽に対する別の選択、流行に迎合することをよしとしない、そうではないものを求める心から始まったオルタナティヴ・ミュージック。しかしいま期待するオルタナらしさとはなんだろう? と今度は別の疑問が湧いてくる。
こんなことを言い出したのは時を超えて自分もその言葉を使いたくなっているからに他ならない。7年ぶりのフォース・ワンダラーズの3枚目のアルバムを聞いて最初に頭に浮かんだのが「オルタナティヴの良心」という言葉だったのだ。この言葉はきっとこういう音楽のことを指すのだろうとそのときに理解した。いまならあのときのポップを書いた人の気持ちがわかるかもしれない。ダイナソーJr.やザ・ブリーダーズ、ペイヴメントらのギター、90年代USオルタナ・サウンドを現代風にアップデートしたかのような音楽を奏でるニュージャージー出身のバンド、フォース・ワンダラーズ。リヴァーブを効かせたギターのリフに気怠げな唄がのりそれがなんともセンチメンタルな気分を連れてくる。“To Know Me/To Love Me” のむせぶギターに心をかきむしられ、“Call You Back” の軽快に進むドラムと膨らむベースにソワソワとする快感を、ゆったりとした “Honey” のとろけるようなリヴァーブ・ギターにメランコリックな思いを重ねる。冷めているのかそれとも一枚隔てた情熱が込められているのかわからないエイヴァ・トリリングの少し粘りのあるヴォーカルは7年前と同じく平熱の魔法をかける。それらが合わさり曖昧な、日々の枷から外れた世界を描き出すのだ。
強く特定の方向に針を向けたりはしないこうした音楽はともすれば目新しさのないよくあるタイプのギター・ミュージックだと評されてしまうこともあるかもしれない。しかしそのよくあるタイプの音楽がこの上なく染み込んで来る瞬間というものがあるのだ。なぜならその様式やそれがもたらす感情は、歴史の中で培われた人の集合知で作り上げたものだからだ。誰しもが心に持っているようなふるさと、帰っていく先や拠り所、「オルタナティヴの良心」という文字が頭の中のポップに踊るとき、僕はそんな感覚に襲われている。それはブラウン管のテレビに映るロードサイドのアメリカンダイナーの風景であって、パブのエールであり、縁側で揺れる風鈴、七輪で焼いた魚でもある。自分のものではない、誰かの記憶の中のノスタルジア。かってマジュニアと呼ばれたピッコロ大魔王の子が無意識に、行ったことのない故郷ナメック星の風景を求めたように、僕はこの野暮ったいフォース・ワンダラーズの音楽にいつか見た画面の中の記憶を投影する。それは記号化された感情なのかもしれないが、しかし聞くたびにその時々の思いがのり、録音された音楽を特別にするのだ。いま、記憶の棚から緑と青の1stアルバム『Though Love』のレコードを引っ張りだして聞いてみてもその当時とは少し違って聞こえる。
2013年に10代でデビューして、2枚のアルバムを残して18年に解散した、そんなバンドが再び活動を始めたのは2021年にギタリストのベン・グーテルとヴォーカリストのエイヴァ・トリリングがブルックリンのコーヒーショップでしたまた音楽を作ってみないかという会話がきっかけだったという。以前のツアーを回り曲を作りまたツアーに出るという音楽が中心になった生活を離れ、プレッシャーから解放され同じメンバーで再び集まったときにバンドを結成して以来の最高の気分を味わったとグーテルは語る。まるで高校時代に戻ったみたいに自由で遊び心に満ちていた。あるいはこの自由さがこの3枚目のアルバムを特別なものにしているのかもしれない。メインストリームから外れたオルタナティヴな音楽はその時々の大きなものに対する別なものであり決まった形はない。しかしその中で変わらずに受け継がれているものがあるとすれば、それはこうした自由さなのだろう。これは解散したバンドのカムバック・アルバムではないと彼らは宣言する。この後にツアーに出るか、このまま新しい曲を作りレコーディングをするかどうかもわからない。ただ、また集まって曲を作ってみんなで演奏したかった。その姿はまるで高校生の頃、最初にバンドを組んだときのように感じられるのだ。そうした純粋さがこのどう見せるかのインターネットの時代においてことさら魅力的に映るのかもしれない。日常から少し外れたオルタナティヴな音楽が記憶の中の理想と重なる。ブラウン管を見つめるフォース・ワンダラーズの少しのズレは、小さなスクリーンにとらわれた我々の心にかって夢見た世界を映し出す。これを良心と言わずになんと言おう。
Casanova.S