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最新版を聴いている……

intervew with Breakage

intervew with Breakage

俺たちはハードコア・ミュージックの
最新版を聴いている……

――活気づくロンドンのジャングル・シーンから、ブレイキッジが話してくれた

野田 努    通訳:Nick Stone   Mar 03,2010 UP

あなたの歴史を振り返ってもらいたいんですけど、生まれは?

 バークシャー州のスラウっていう町で生まれたんだ。5~6歳ぐらいのときにバッキンガム州のバッキンガムに引っ越した。そこで乳兄弟が来て、彼がダンス・ミュージックについて教えてくれたよ。遠い昔さ、プロディジーの『エクスペリエンス』が出るちょっと前とか。91年、92年で10歳ぐらいのときかな。その当時にジャングルがはじまり出してて、その頃にジャングル聴き出したんだ。それが俺の育ちかな。

そこからどうやってジャングルのシーンと結びついたのですか?

 多くの人も一緒だと思うけど、不思議にもいちばん最初に聴いたジャングルの曲がシャイの"Original Nuttah"だったんだ。当時学校に月曜日に行って、誰と話してもあの曲が話題だったよ。引っ越したりしてたからそのときは俺知らなくて、新しい家に入れる前にしばらくお姉ちゃんの家に泊まってたんだけど、彼女の家でMTVか何かで流れてて......。学校でみんなが歌ってたからすぐわかって「これがみんなが話してた曲なんだ」と思って、で、聴いたら衝撃受けたね。ハードコアを聴いたりして似た曲は聴いたことはあったけど、あれはまったく新しく聴こえたんだ。ハードコアと同じ基礎だったけどレゲエ色が強くて、やられたね。あの後どういう音楽が好きかはっきりわかったね。
 実は昔ギターを弾いてて、その数年後、14歳ぐらいのときかな、ギターをさらに勉強するために音楽芸術学校にいったんだ。そこではいろいろ違う音楽をやらされたり、楽譜を読めるようになる勉強とか、他の楽器の基礎を学んだりしてたんだけど、そのなかでパソコンの使い方の授業もあったんだ。ある日その授業でジャングルの作り方がわかったんだ。"Original Nuttah"とか"Terrorist"がどうやって作られたのか理解できたよ。ああいう曲を作りたかったら、このパソコンの使い方を勉強しないといけない、と思ったんだ。家には4トラック、キーボード、ドラムマシンを持っていて、それで作ろうとしてたんだけどなかなかうまくいかなくて、彼らが使ってるドラムが本物のドラムを使ってるのかすらわからなくて、全部ドラムマシンで叩いてるんだと思ってたんだ。すごいドラムマシンだな!って思ってたんだ(笑)。それでCubaseとそこにあったサウンド・モジュールを完璧に覚えて、その学校の先生がびっくりするぐらい使えるようになったよ。その学校にはスタジオもあったんだけど、年齢制限があって入れなかった。それでもその先生がサンプラーをパクって来てくれて、別室に学校が使ってないパソコンとサンプラーを設置してくれて他の生徒が使えないようにしてくれたんだ。だから毎日1時間ぐらい早く行って曲作って、授業行って、昼飯のときもそこで曲作って、授業終わった後も先生が帰るまでずっと曲作ってたよ。月曜日から金曜日まで毎日ね。そして土日はほぼ毎週のように従兄弟の家に行って、彼が持ってたトラッカーのソフト、FastTracker 2、をいじってたんだ。そのうち自分のパソコンも買ってひたすら作るようになった。まだ全部がどうやって形になるか学んでる最中だったけど、最初のリリースは17歳ぐらいのときだった。結局その学校退学になったけどね(笑)。で、その次の専門学校のコースも落ちたんだけど(笑)。だからいま音楽で食えてることがおかしく思うんだよね。もっと面白いのが、来月その専門学校に講演者として招かれてるんだ(笑)! 最初呼ばれた時に「元学生としてぜひ話をしに来て欲しい」って言われて「元学生って、自分らの学校は俺を落としたんだぞ!」って言ったらびっくりしててさ(笑)。

なははは。憧れのDJやプロデューサーはいましたか?

 14歳のときはみんなに憧れてたよ。買ったテープ全部最初から最後まで聴いて、全曲がヤバく聴こえて......。この曲はまあまあだけどリスペクトできる曲だな、とかそういうもんでもなかったんだ。そこまでぱっとしない曲でもこのDJがかけてる、ということは何かヤバい要素があるに違いない、みたいな感じだったんだ。そういう要素を見つけるのも楽しかったしね。ひとつあの学校で学んだのは、曲や音楽のすべての要素を聴く方法だね。聴いてどうそれが形になったのか、どういう流れでそうなったのか考える力とそれに必要な耳だよね。
 でも......強いて言えばランドール、ハイプ、アンディ・C......、当時買ってたテープパックで必ず参加してたDJたちだね。誰が曲を作ってたかはそこまで重要じゃなくて、どのDJがかけてるかが大事だったんだ。BAILEYも影響受けたね。ウチの近所出身だったのもあって、ホームタウン・キング、っていうか俺の育ったエリアのヒーローだったよ。近い存在だったからBAILEYがそこまで出来るんだったら俺でも出来る、と思わせる希望をくれたね。

UKガラージやジャングルの文化は、90年代末やゼロ年代初頭に、ロンドンの労働者階級の文化としてどんどん大きくなっていったんでしょうね。あなたの音楽のなかにはやはり労働者階級のガッツのようなものを強く感じます。

 そういうエネルギーの役割は大きいと思うよ。2~3年前まで全然気付かなかったけどね。階級によって音楽に求める物が違うように感じたんだ。最初に音楽を作り出すときの気持ちだったり姿勢が階級によって違うと思うんだよね。俺みたいな労働者階級は、経済状況や育ちが決して良かったわけではなかったけど、音楽を作ってるときがいちばん楽しかった。幸いなことにいま現在音楽で食えてるけど、音楽を作り続けるためにどこかで普通に就職するのも全然苦じゃないよ。最初から音楽で儲かるなんて考えたこともなかったよ。多少無知な部分もあるかもしれないけど、自分のスタイルを変える気はいっさいないんだ。金だけじゃないんだ。だから、こうしたほうが良い、ああしたほうが良い、って言われても聞いてらんないよ。
 でも中流/上流階級の人だと、第一に服装が全然違うよな。もっとビジネスライクっていうか。音楽が好きだからビジネスにしてるから別に悪いってわけじゃないけど、中流/上流階級の人はもっとビジネスがメインだよね。それは音楽自体にも反映されると思うんだ。売れるように作ることがあるんじゃないかな。別にこの人がそう、っていうわけじゃないけど、全体的にそういうもんだと思う。欲や原動力が違うだけだと思うけどね。もちろん多くの人の原動力は女だったりもするけどね(笑)。音楽が好き、女が好き、じゃあ何の仕事しようかな、ってなるとやっぱり音楽になるからね(笑)!

なははは。2001年に〈Reinforced Records〉からデビューしますが、どういう経緯だったのか当時の話を教えてください。

 専門学校に通ってるときに同級生でエイドリアンていう奴がいてさ、ミグエルっていう友だちもいて、彼は〈Reinforced〉からBug Nyne名義で出してて、俺とエイドリアンの曲や俺ソロの曲も聴いて気に入ってくれて、で、「じゃあ、〈Reinforced〉に話しようか」ってなった。最初は別そういうつもりで作ったわけじゃなかったから断ったんだけど、彼の家にちゃんと曲を聴くために呼ばれて、で、行ったら彼に「あと2駅行ったらドリス・ヒル駅で〈Reinforced〉はそこにあるから行こうよ」って言われたんだ。一瞬「マジか!」って思ったけど、とりあえずそこに行ってなか入ったらいちばん最初に会った人がアルファ・オメガだったんだ。「うぉー!」って思ったね。で、奥のスタジオに行ったら4ヒーローのマーク・マックがいて、正直固まっちゃったよ(笑)! 彼は全然普通の人だったけど俺のなかではダンス・ミュージックのプロデューサーのドンだったからさ、もう緊張しちゃって全然話せなかったんだよね。
 そこで彼にMDから再生した曲を聴かせたんだけど、聴いた後にすぐ「いいね、欲しい」って言ったんだ。エイドリアンは「よっしゃ!」って感じだったけど、俺はなんて言ったら良いかわからなかったんだ(笑)。外に出たときにフライトに電話して、「いまスゴいことが起きたよ!」って伝えて、そこで〈Reinforced〉から曲が出る、って実感したね。最初はSolar Motion名義で曲を出して、そのあいだ自分で作った曲も聴かせてたら俺のソロのEPも出してくれて......契約するのを目的に曲を人に聴かせることはなかったんだけど、本当に運良く出してもらえることになったんだ。ガツガツ営業してリリースができたわけではなく、たまたまそういう展開になったから、本当にラッキーだったよ。
 でも、すべてがラッキーだったわけでもないんだ。〈Reinforced〉から出てた『Enforcers』っていうコンピのシリーズがあって、それにはいろんなプロデューサーがリミックスで参加してたんだけど、何もリミックスのルールとかわかってなくて勝手にドック・スコットのリミックスを作ったんだ。それをマークに聴かせたらすごく反応よかったから、勝手にBaileyとか他のDJに渡しまくったんだ。クラブでかかり出したら、みんな「こいつは誰だ! 勝手にリミックスしてブートで出すなんてけしからん!」っていう反応がスゴくて、その曲を誰がやったかみんなが探してる時期があったんだ。俺はそういうリミックスやった後の作業とか、許可とか、まるで知らなかったから追われる立場になっちゃったんだ(笑)。結局解決して大丈夫だったけど。まだ新人で誰も俺の顔がわからなかったのも良かったけどね(笑)!

文:野田 努(2010年3月03日)

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