Home > News > 我々はクラウトロックのなにを知っているのだろう? - ──英国ジャーナリストによる大著『フューチャー・デイズ クラウトロックとモダンドイツの構築』刊行!
我々はクラウトロックのなにを知っているのだろう。ハンス・ヨアヒム・レデリウスが、ザ・ビートルズの最年長メンバーより6歳年上で、エルヴィス・プレスリーよりも数か月早く生まれていることを多くの人は知らない。そう、プレスリーより早く生まれたこの男は、少年時代を戦中に過ごし、郵便配達やマッサージ師をやりながら生き延びて、そして60年代のベルリンのシーンにおける最高のアンダーグラウンドな場で、耳をつんざくほどのノイズを、エレクトリック・ノイズを鳴らす。わずかこれだけの物語だが、我々はここからさまざまなものを読み取ることが出来る。つまり、ティーンエイジャーとして豊かな消費生活を送れなかった境遇の者が、その運命を乗り越えようとするときのとてつもない想像力……。
あるいはクラフトワークの『アウトバーン』だ。あのとことん牧歌的とも言えるジャケの絵。郊外の緑のなかを延びるアウトバーンを走る自動車──、周知のように、アウトバーンは、ナチス時代の遺産でもあり、このアルバムはあまりにも単純に自動車を賞揚しているようでもある。しかし、同時に、アウトバーンは町と町を繋げている重要な交通網であることに変わりない。ブルース・スプリングスティーンの「涙のサンダーロード」のように、いい女もいなければ威勢のいいものでもない、ただそれは確実にあるものであり、エレクトリックな表現でありながら、リアルであろうとする「涙のサンダーロード」以上に、実はリアルな我々の生活を表現しているというこの逆説。我々はクラウトロックのなにを知っているのだろう。
なるほど、クラウトロックはときにエレクトロニクスと結びつけられるが、しかし、そのほんとんが、当時高価だったシンセサイザーを購入できる立場にいなかった。彼らのエレクトロニクスとは、高価なモジュラー・シンセを買うことではなく、中原昌也のように、安価なテープマシンやマイクやラジオなどを工夫して使うことだった。クラウトロックがパンクから尊敬されている理由のひとつである。
ぼくにとって、クラウトロックは長きにわたって好きなものであると同時に、ある種のオブセッションでもあった。自分はなんでクラウトロックが好きなんだろう。60年代末から70年代の西ドイツで生まれたいくつかのロック・バンドの音源が、なんで特別で、そしてなんでその後あり得ないほどの影響力を発揮しているんだろう。実験的だからか? エレクトロニックだからか? ぼくは何度もそれを説明しようと試みて、うまくいかなかった。なぜぼくは、カンのオーガニックなグルーヴやクラスターの牧歌的なアンビエントを、なぜこうも好きなのだろうか。そもそも、こうした音楽とノイ!の前へ前へと進むモータリック・ビート、あるいはアシュ・ラ・テンペルの星界のサイケデリクスとのあいだにいかなる共通項があると言うのだろうか?
本書『フューチャー・デイズ──クラウトロックとモダン・ドイツの構築 』は2014年に刊行された英国のジャーナリストが描くクラウトロックの評伝で、おそらくのジャンルにおける書物の中で最高のものだろう。著者は、たんにオタク的にこのマニアックなジャンルを掘り下げるのではなく、戦後ドイツ史を引っぱり出し、その特殊な歴史的状況を説明しながら、クラウトロックが生まれる背景について詳述する。同じように英米のサブカルチャーに影響を受けながら、フランスやイタリアではなくなぜそれが“西ドイツ”だったのか? 我々はその糸口を知り、その普遍性に辿り着く。
また本書は、挑発的なロック評論でもある。いまだにローリング・ストーンズやボブ・ディランを有り難がっている人たちへの強烈なカウンターも含まれている。英国ジャーナリストらしく、白黒はっきりさせているので、読む人が読んだら破り捨てたくなるような箇所もあるだろうし、クラウトロックのすべてを賞賛しているわけでもない(タンジェリン・ドリームのファンも読まないほうがいいかもしれない)。だが、好き嫌いは抜きにして、花田清輝を彷彿させる博覧強記と英国人らしい批評性、そしてリスナーの想像力において、間違いなく読み応えがある本だ。
日本ではほとんど知られていない、戦後ドイツ文化史の説明は、同じように敗戦を経験した日本人にとってはなおさら興味深い。デヴィッド・ボウイがいかにクラウトロック史において重要だったのかも再三書かれている。それから、1970年代のレスター・バングスがクラフトワークをどのように賞揚したのか、あるいは、1980年代に『NME』のライヴァル紙だった『メロディ・メーカー』の方向性まで(著者は『メロディ・メーカー』編集者だった)と、いまや日本では死に絶えている(?)ロック・ジャーナリズムに関心のある人にも面白い本だし、他方では、ブリアルやワイリーからURまで、今日のエレクトロニック・ミュージックについての考察も含まれている。
本書にはいくつかのキーワードが出来てくる。ここで例を挙げるながら、カンの「リーダーはいない」とクラスターの「荒れ狂う平和」だ。どちらの言葉にも複数の意味がある。「リーダーはいない」の“リーダー”にはヒトラーや象徴としての父や男根的ロックの否定も含まれている。と同時に、「自分は誰かに生かされている」という感覚でもある。たとえ小さな子供でも、自分が子供を養っているのではなく、実はその子供に自分が生かされているのだという感覚。もうひとつの「荒れ狂う平和」とは、たまらなく穏やかな田園の裏側で荒れ狂うもの、その両方を同時に感じてしまうこと。──クラウトロックとは、決してスタイルではないのだ。
膨大な資料と取材をもとに描かれたクラウトロック評伝の冒険をひとりでも多くの人に楽しんでいただきたい。
■目次
Unna, West Germany, 1970──ウンナ、西ドイツ、1970年
Introduction ──前置き
Prologue ──序文
1 Amon Düül and the Rise from the Communes
アモン・デュールとコミューンからの上昇
2 Can: No Führers
カン:リーダー不在
3 Kraftwerk and the Electrifi cation of Modern Music
クラフトワークとモダン・ミュージックの電子化
4 Faust: Hamburg and the German Beatles
ファウスト:ハンブルグとジャーマン・ビートルズ
5 Riding through the Night: Neu! and Conny Plank
夜を駆け抜けて:ノイ!とコニー・プランク
6 The Berlin School
ベルリン派
7 Fellow Travellers
旅の仲間たち
8 A Raging Peace: Cluster, Harmonia and Eno 329
荒々しい平和:クラスター、ハルモニア、そしてイーノ
9 Popol Vuh and Herzog
ポポル・ヴゥーとヘルツォーク
10 Astral Travelling: Rolf-Ulrich Kaiser, Ash Ra Tempel and the
Cosmic Couriers
星界旅行:ロルフ・ウルリッヒ・カイザー、アシュ・ラ・テンペルと宇宙のメッセンジャー
11 A New Concrete: Neue Deutsche Welle
新しいコンクリート:ノイエ・ドイッチェ・ヴェレ
12 Post-Bowie, Post-Punk, Today and Tomorrow
ポスト・ボウイ、ポストパンク、今日そして明日
フューチャー・デイズ
──クラウトロックとモダン・ドイツの構築
デヴィッド・スタッブス 著
小柳カヲルほか訳
ele-king books
定価:4400円(税抜き)
6月22日発売予定
デヴィッド・スタブス/David Stubbs
英国の著述家、音楽ジャーナリスト。オックスフォード大学在学中、サイモン・レイノルズと共にファンジン『Monitor』を立ち上げ、卒業後『Melody Maker』の編集部に加わる。その後、『NME』、『Uncut』、『Vox』、『The Wire』に勤務。これまでに『The Times』、『The Sunday Times』、『Spin』、『Gurdian』、『Quietus』、『GQ』などに寄稿。その多くの著作には、ジミ・ヘンドリックスの各楽曲に焦点を当てその人物像に迫ったものや、『Fear of Music: Why People Get Rothko but Don't Get Stockhausen』、20世紀の前衛音楽とアートの比較研究書などがある。現在、スタブスはロンドン在住。