Home > Interviews > interview with Shugo Tokumaru - とにかく聴いていました。CDを集めるのも好きだったし、知らないCDやアーティストがいるのがイヤだった。もっと良いものがあるんじゃないか、「何でないんだろう?」って、そう思って
Shugo Tokumaru Port Entropy P- Vine |
質問変えますけど、海外ツアーを最初にやったのはいつですか?
トクマル:2006年ですかね。
どこをまわったんですか?
トクマル:ヨーロッパでしたね。
「ラムヒー」には2008年のアメリカ・ツアーの模様を編集したDVDが付いていましたね。
トクマル:あれが初めてのアメリカ・ツアーだったんです。
海外ツアーというのはトクマルシューゴにとってどんな体験なんですか?
トクマル:初めてリリースしたのがアメリカのレーベルで、なかなかツアーに行けなくて、だから現実感がなくて、その現実感をすり合わせていく感じでしたね。行ったことがないところで出会ったことのない人の前でやるというのは、経験としてすごい良かった。
アメリカのレーベルからデビューして、ツアーしたのはヨーロッパだったんだ。
トクマル:そうですね。
ヨーロッパはどこに行きました?
トクマル:最初はひとりで行って、フランス、スペイン、それから北欧もまわりましたね。フェスにも出たし、狭いところでもやりました。
ギター一本で?
トクマル:そうですね。
日本で出すことは考えていなかったんですか?
トクマル:出せるものなら出したかったんですけど。ファーストの前に作ったアルバムがあって、それがたまたま友だちの友だちを通じてアメリカでレーベルをはじめた人に伝わって、「出したいんだけど」という話になって、ホントに偶然だったんです。びっくりしたというか、ぜんぜん現実感がなかった。
自分から海外で出したいと思ったわけじゃないんだ。
トクマル:ぜんぜん。デモテープをレーベルに送るという考えがなかったですからね。
じゃあどうしようと思ってたんですか? 自分の作品を。
トクマル:とりあえず、作りたいから作っていた。30、40ぐらいになったらCDを1枚出したいなぐらいに思っていたんです。
なるほど。育った国とは違う文化圏で演奏することが、自分の作品のなかにフィードバックされることはありますか?
トクマル:音楽的なものよりも、想像に関するフィードバックのほうが大きいですね。見たことのない風景、聞いたことのない会話とか、それを記憶しておくとあとで夢に出てくるんです。それがまた夢日記に書かれて、ひょっとしたら歌詞になったりとか(笑)。まあ、そんなイメージなんですけど。もちろんそのときの対バンの演奏を聴いて「おー!」と思うことはありますけど。
こないだはテレヴィジョン・パーソナリティーズと一緒にやったんですよね。そのときのライヴがすごかったという話を聞いて。
トクマル:あれはすごかった。昔から大好きだったし、一緒に出れて光栄でしたね。いままで好きだった人と一緒にできるというのは嬉しいですね。
トクマルシューゴの音楽は受け手によってかなり違うだろうから、テレヴィジョン・パーソナリティーズと一緒にやっても合うのかしれないけど、片方では。
担当者Y氏:フライング・ロータスともやってますしね。
ハハハハ。いいですね。
トクマル:シカゴで(笑)。『The Wire』のイヴェントでしたね。だから面白いライヴにはいっぱい出させてもらっているんです。初めてライブをやりはじめてから、たしか数回目のライヴがマジカル・パワー・マコさんと一緒だった。
濃いねー。
トクマル:すごい嬉しかったし、「なんでオレここにいるんだろう?」って思った。対バンには恵まれていましたね。あげればキリが無いほどいろんな大好きだった人たちと一緒に演奏出来たりして。
ニューヨークのライヴでは現地の人たちとバンド演奏していたじゃないですか。あれは譜面を渡して?
トクマル:そうですね。あらかじめ譜面を渡しておいて。1~2回リハーサルをやって。
そういう形式のライヴは多いんですか?
トクマル:少ないです。でも、こないだヨーロッパ行ったときはアイスランドの人たち(Amina)と一緒にやったんですが、そのときも譜面を渡してやりましたね。
なんかね、トクマルシューゴの音楽からはパスカル・コムラード的な自由な感性を感じるんですよ。
トクマル:もちろんパスカル・コムラードは大好きなんですけど、それを目指してここまで来たというよりも、すごい回り道をして結局ここまで来たという感じなんですよね。
文:野田 努 photo : Hideki Otsuka (2010年4月22日)