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interview with aya

口のなかのミミズの意味

——新作を発表したアヤに話を訊く

interview with aya

英国からの、もっとも過剰でもっと錯乱しているが、美しくもあるエレクトロニック・ミュージックをどうぞ。ayaの話題の最新作について、彼女の過去と制作への思いを語ってもらいました。

質問・序文:野田努    通訳:湯山恵子
Photo by Dee Iskrzynska
May 08,2025 UP

 いろんなものごと、価値観が変わった。生活のいろんな細部に軋みが走り、家族のあり方も解体され、米の値段も高騰し、民主主義を否定する新反動主義がトランプ政権の背後で暗躍するこんにちになっても、喜ばしいことに、英国からはDIY音楽が独自解釈のもと次から次へと生まれている。ぼくたちは、『ツイン・ピークスThe Return』の冒頭で、ファイアマンがデイル・クーパーに放った台詞を思い出す。「音に耳を澄ませよ」

 たとえそれが恐怖と興奮の入り混じった低く唸る不穏なサウンドであったとしても、ぼくの耳は惹きつけられている。アヤの『im hole』(2021)はその決定的な1枚だった。それはUKアンダーグラウンド・ダンス・ミュージックから生まれた汚さのなかの美しいナラティヴで、今回のアルバム『hexed!』は、その続編でもあり番外編でもある。
 前作同様に、いろんな影響がここにはある。簡潔にいえば、繊細さと強迫性が今作の特徴になるのだろうが、サウンド・デザイナーとしてのアヤは、前作以上にノイズを活かし、激しさを強調している。これは不純物としての魅惑を備えたアルバムで、読者諸氏にも口のなかに入れていただきたい。

ミミズは廃棄物や腐敗した食物を分解し、肥料や堆肥に変えるために必要不可欠な存在だよね。つまり、このアルバム楽曲を書く過程で、自分の脳のなかでミミズになり、クソみたいな酷いものを音楽の肥料に変えてきたんだ。

あなたの『im hole』が大好きで、2021年のベスト・アルバムの1枚に選びました。

aya:ワォ、ありがとう!

UKのベース・ミュージックの新しい局面として、純粋にサウンドのみを楽しみました。ところが今回の『hexed!』は、楽しむというよりはぶっ飛ばされました。デイヴィッド・リンチの映画のように日常と悪夢の境界線から広がる世界というか、インダストリアルな響きへの嗜好というか、かなり激しい。

aya:デイヴィッド・リンチを引き合いに出されたことは、実は過去にもあったよ。先日もDJ中にある人から、「観客に対する軽蔑の度合いがリンチ的な感じがする」って言われたばかりで(苦笑)。

あなたのインタヴューをいくつか読みました。『hexed!』は、あなたの個人的な体験からきていて、ドラッグ中毒とその混乱、人生でもっとも辛い時期と向き合って生まれた作品だと知りました。そしてあなたは避けてきた自分のトラウマに浸った。なぜ、そのようなことになったのでしょうか?

aya:「人生でもっとも辛い時期」というのはかなり昔で、辛さから逃れるために薬物を使っていた過去の話なんだ。あの頃は、薬物との関係がどうにもならないところまでいってしまい、自分の人生や人間関係でさまざまな問題を引き起こしてしまった。摂取量を減らし、自分を厳しく律することで、最終的には完全に断つことができた。内省的な音楽を書くと、新たな景色が見えてくるよね。音楽的インスピレーションは常に水面下にあったし、自分のプシケ(魂)にぶら下がっていた。避け続けてきたものを克服しようとするのは当然のことだけど、これまではなかなかできなかった。(今作の制作にあたり、自分のトラウマに浸ることになったのは)そういった理由から。決断というよりは、どちらかというと、自分が置かれた状況からそうなったんだ。

なぜメタルコアが思春期のあなたに突き刺さったのか? いまなら客観的に対象化して説明できますか?

aya:いい質問だね。ADHDである自分にとっては、メタルコアのようなチョッピーな(途切れ途切れの)サウンドが魅力的だった。非常にエモーショナルで、抑圧されたクィアネスに明確に訴えかけてくるから。当時のUKでは、クイア界におけるポリティックス(政治)が存在したから、エモ系のムーヴメントのお陰で多くの人たちがそういったクィア・コミュニティに参加せずに、自分のクィア性を楽に表現できるようになったと思う。メタルコアは狂乱したエモーショナルな音楽で、当時の僕は狂乱したエモーショナルな人間だったし(苦笑)。

ロンドンに住んでいる友人があなたのライヴを観ているのですが、スケートボーディングがずいぶんうまいと言ってました。あなたはおそらく運動神経が良いと。スポーツはやっていたのですか?

aya:アハハハ(笑)! スケートボードのことをどうして知ってるんだろ(笑)? スケボーは7歳くらいから滑っているけど、それ以外のスポーツは一切無縁だった(苦笑)。

話を音楽に戻しましょう。思春期のあなたがオウテカやエイフェックス・ツインに求めたものはなんだったのでしょうか?

aya:信じられないほど新しい音楽だった。幼い頃からジャングルやドラムンベースを聴いて育ち、その後11歳か12歳のときに父が教えてくれたエイフェックス・ツインの“Come to Daddy”を聴いて、衝撃を受けたんだ。あんな音楽は聴いたことがなかったし、それまで聴いてきた音楽のなかでいちばん怖かったね(苦笑)。
 それ以前も自分で音楽制作に取り組んでいたけど、12歳か13歳あたりから実際に自作曲を書きはじめ、ソフトウェアを駆使するようになった。ああいった難解な音楽は「一体どうやって作っているんだろう?」って分析したりして、どんどんハマっていったんだ。でも、こういった音楽を知っているのはうちの父と、それから高校時代にメディア・スタディーズを担当していた先生くらいだった。そもそも友だちはいなかったけど……うちのクラス内では誰もこういった音楽を聴いていなかったから。

通訳:お父様はミュージシャンですか?

aya:うん。父はミュージシャンで、いろんな楽器を演奏できるんだ。以前は演劇の監督・演出家として長年仕事していた。その他、マルチメディア・デザイナーとしてのキャリアもある。一方、母は舞台女優で、セラピストとしても働いていた。両親からの影響で、最終的に自分が現在アーティストとして活動していることは理にかなっていると思う。

あらゆるドラッグをやったそうですが、あなたがハマったドラッグのひとつ、ケタミンの幻覚は、あなたにどんな作用をもたらしたのでしょうか?

aya:(ケタミンを)摂取すると、脳のさまざまな部分がじょじょに機能しなくなり、大音量と小音量を区別する能力が恐ろしく阻害される。だから、『im hole』の収録曲でも聴こえる微かな触覚的な音には理由があるんだ。自分の髪を耳の後ろにこすりつけるだけで、カサカサという音を出せたし、指をこすり合わせるだけで、即興的に自分の音楽を創り出すこともできた。
 私が表現したもうひとつの方法は……このケタミン摂取のような感覚は、完全な体外離脱の深い幻覚のようなもので、自分自身や環境、アイデンティティから完全に切り離された。リアリティ・シフトが起こり、その後に自分自身を身体のなかで再認識するようなものなんだ。とくに、アルバム『im hole』の収録曲、“If Redacted Thinks He's Having This As A Remix He Can Frankly Do One”では、あるシンセのステムを、時間の経過とともに変化する音の層(レイヤー)の処理を通して見ることができる。大半の場合、MIDIの1チャンネルで、その下にいろいろ敷いてあって、そこではフィルタリングが変化しているだけ。ひとつの物体があり、その物体を自分はどのように見ているのか。そして、それは世界からどのように切り離されているのか? 私との関係によって、どのように再解釈されるのか? つまり、このシンセのステムは、私自身の「アイデンティティ」として捉えることができるかも(笑)。

“peach”や“Time at the Bar”のような曲にみられるパラノイアックな展開は、禁断症状と関係あるのでしょうか?

aya:その2曲はまったく違う内容。“peach”はたしかに薬物使用を歌った楽曲だけど、それだけじゃないんだ。この曲は自分だけでなく、周囲のカップルにも当てはまる内容で、お互いのために最善を尽くそうとするふたりが結局はお互いを傷つけ合ってしまうという、恋愛関係のダイナミズムを描写している。サビの歌詞に「リンゴを半分に切って、交代でかじりながら午後を過ごそう(I could slice up half an apple and we could take turns nibbling the afternoon away)」という歌詞には、「これは君のためにやっているんだ……私は夕食を作っているけど、じっさい今夜ふたりで食べるのはリンゴ半分だけ」という意味が込められている。つまり、ふたりの摂食障害やアルコール依存症というような、クィアな人たちが抱えている問題を扱っているんだよね。
 一方、“Tim at the Bar”では、社会においてもっとも大衆的な「実家を出て大学に進学し、人生を楽しんだ後に家庭を築く」というナラティヴを取り上げている。自分が経験した話じゃないけど、平凡な日常生活だとか、自分が望むような生き方ができないというような、よくある話で……。
 私の場合、自分がクィアだとわかっていながらトランスジェンダーであることをカミングアウトしたのは7、8年前。イメージ的には、出航する船に乾杯するような感じだね。ちなみに、タイトルの “time at the bar”っていうのは、英国のパブやバーで閉店前のラスト・オーダー時にベルを鳴らしてスタッフが店内にいる客に向かって叫ぶセリフ。この曲が「暴力的」だと言う人もいるけど、最後の大きな鐘の音やコードや若干外れた音には、「若干の恐怖心」と「解放感」が感じられると思う。

解放的な「自由」は「恐怖」と背中合わせ。それまで自分のストーリーをすべて手放し、自分を理解するための新しい言語を見つけることは恐ろしいけど、同時に解放的なんだ。

Silvia Federiciの『キャリバンと魔女(Caliban and the Witch)』は、資本主義の成立と発展における女性の身体、労働、そして魔女狩りの役割を深く掘り下げた内容ですが、なぜあなたはこの本にたどり着いたのでしょうか?

aya:友人が薦めてくれた。以前はADHDと薬物、アルコールの問題を抱えていたから落ち着いて本も読めなかったけど、健康的になった現在は、再び読書を楽しむようになった。

日本ではJ.K.ローリングの反トランスジェンダーがとても有名で、いまだに議論になっていることです。しかし音楽の世界ではトランスジェンダーのアーティストがどんどん登場しています。とくにエレクトロニック・ミュージックの世界では、この10年、クィアと女性の進出がめざましいと思いますが、どうしてこのジャンルなんだと思いますか?

aya:社会のあらゆる分野において、以前よりクィア性の可視化が強まっていると思う。認知度が高まるということは、自分自身を理解し、潜在的なクィアネスを認識し、自分に合った新しい定義を見つける機会が増えているということ。私の場合、自分がトランスジェンダーだと気づくまで、長期間に渡り自分自身のクィアネスに対する理解と格闘してきた。エレクトロニック・ミュージックを制作している人たちと出会い、同じ音楽に惹かれ、自分自身のクィア性に関する気づきを得た。エレクトロニック・ミュージックはメタルコアやエモと似ていて、クィアな人たちを魅了していると思う。クィアなエレクトロニック・ミュージックにも解放感があり、複雑かつ重層的な感情を表現しているから。
 前の質問で「解放感」に触れたけど、解放的な「自由」は「恐怖」と背中合わせ。それまで自分のストーリーをすべて手放し、自分を理解するための新しい言語を見つけることは恐ろしいけど、同時に解放的なんだ。理解できなくても、音楽が感情面で私たちに啓示を与えてくれることがあるから。なんだか話がとっ散らかっちゃったけど、クィア性の可視化が強まっていることはいいことだね。

あなたから見て、トランスジェンダーをめぐる状況は少しずつでもよくなっていると思いますか?

aya:もちろん、良くなっていると思う。私は子供の頃から自分がトランスジェンダーだとわかっていたけど、10年前はカミングアウトなんてできない状況だった。状況は間違いなく明るい方向に進んでいると思う。

音楽の話に戻りましょう。あなたが大学時代、ベリアル、ゾンビー、ジェイムズ・ブレイクらに夢中になったことが『im hole』に繋がっていると思います。今作の目玉のひとつ、“off to the EESO”には、テクノからの影響もあると思います。テクノでは、どんなDJやアーティストが好きでしたか?

aya:“off to the EESO”はテクノではなく、最近UKで聴くことができる楽しくて馬鹿げていながら神経質な感じのハードコア系ものを参照した。例えば、(ブリストルの)Rrritalinとか。シェフィールドの〈Off Me Nut〉というレーベルも好き。彼らは主にベースライン系レーベルで、Spongebob Squarewaveみたいな音楽も扱っているんだ。

ダンス・カルチャーの快楽主義についてのあなたの考えを教えてください。じつに刹那的なものだと思いますが、だから良いとも言えるし、だから悪いとも言えますよね。

aya:(ダンス・カルチャーは)両刃の剣のようだよね。多くの人にとっては踊ることで楽しい時間を過ごしたり、健康な「必要な空間」。でも一方では、クラブ・シーンで人生を台無しにするような状況に陥る人もいる。自分を振り返ってみても、音楽を観に行くというよりクラブの奥の部屋に座りっぱなしで、DJプレイに注目していなかったことがあるし。 でも、クラブに行く人の目的は各自違うし、音楽を聴かずに奥の方にいることが悪いことだと決めつけたくはない。人生から解放されたい人もいるだろうし、生きていれば最悪なことだってある。各自に合った手法でそういう感情を処理する必要があると思うから。

“the names of Faggot Chav Boy”をUKガラージ風の曲調にしたのは、あなたのウィットなセンスがあると思います。この曲を説明してもらえますか?

aya:この曲に出てくる話は私が見てきた数々の悪夢をまとめたもの。私は長いあいだ、本当に激しい悪夢に悩まされてきた。本当に長いあいだ、いつも強烈な夢を見てきたんだ。

ミミズを口のなかに入れるというアイデアはどこから来たんですか?

aya:デビュー・アルバム(『im hole』)のジャケ写は公園の地面に落ちていたゴミの束を持つ私の手だった。ベルリンを去る自分のパートナーのために開催したパーティで私はこのゴミを手にして「ねぇ、誰かこのアングルから写真を撮って」ってお願いしたんだ。ちょうどクラブ系のアルバムを解体したようなアートワークだと思ったんだよね(笑)。その後、前作のアルバム制作中に、ジャケ写が必要になり、その写真を引っ張り出してきて、「(このアルバムに)凄くいいジャケ写真!」と思った。暗闇から突き出されたこの手は火傷を負っているのか、何故かわからないけど真っ赤で、持っているのはこのゴミだけ。
 新作『hexed!』は、前作『im hole』の続編ではないけど、ある意味では続いているというか、鏡のようなもの。新作にはヴォーカル曲を多数収録したから「今回は手ではなく、自分の顔の一部をジャケ写にしたい」と考えた。この写真での私は何か恐ろしいものを吐き出していて、そこにはミミズと土の関係性がある。ミミズは廃棄物や腐敗した食物を分解し、肥料や堆肥に変えるために必要不可欠な存在だよね。つまり、このアルバム楽曲を書く過程で、自分の脳のなかでミミズになり、クソみたいな酷いものを音楽の肥料に変えてきたんだ。

『hexed!』が意味することは、“wanting to get over the hex, shake the curse(呪いを解き放ち、振り払いたい)”だと『Wire』の取材で答えていますね。じっさいこのアルバムを作ったことで、あなたはシラフの生活に戻ったわけですが、現在、あなた自身がこのアルバムをひとりで聴きたくなることはあるんですか?

aya:まだそういう気持ちじゃないんだよね……。8〜9カ月前くらいに完成したばかりだし。実は現在ツアー中で、毎週末ギグが入ってるから、ある意味では(新曲を)聴いているけど、最後にアルバムを通して聴いたのは昨年10月かな。このアルバムを書いているときに『im hole』を久しぶりに聴いて、マジ変な作品だと自分でも思ったね(苦笑)。

“droplets”は、歌が際立っているという意味で、ayaのポップ・ソングだと思いました。こうした方向性は今後も追求しますか?

aya:それは、わからないなぁ。次の音楽的方向性はわからない。実現させたいコラボレーションはいくつかあるけど、自分の音楽がどこに向かうかはわからない。

あなたもっとも癒やされる/癒やされた音楽作品をあげてください。

aya:表面的に「癒し」を与えるような音楽にはあまり惹かれないんだ。複雑な感情が根底に流れていないような音楽にはイライラするから、「癒し」よりも「カタルシス」を与えてくれる音楽が好き。熱狂的だけどエモーショナルなメタルコアものとか。2018年に解散したアメリカのスクリーモ・エモ・バイオレンス・バンドのLord Snowが大好きで、彼らのアルバム『Solitude』は昨年、何百万回も聴いたよ。アルバムの尺はたったの30分くらいだけど、ああいった作品は他にないね。よりエレクトロニック寄りなアーティストだとクララ・ルイス(ワイヤーのグレアム・ルイスの娘さん)の『Ingrid』が好きだし、彼女の最新作『Thankful』も大好き。クララ・ルイスが奏でる音色のセンスは実に驚異的で、『Ingrid』は本当にのめり込める音楽。チェロの音色がループし続けるような作品で、尺は30分近くあるけど、何時間でも聴けるんだ。

いつかあなたのギグを日本でも観れることを願ってます。今日はどうもありがとうございました。

aya:こちらこそありがとう。早く日本に行きたい!

質問・序文:野田努(2025年5月08日)

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