「PAN」と一致するもの

Huerco S. - ele-king


Pendant
Make Me Know You Sweet

West Mineral

Ambient Musique ConcrèteExperimental

Bandcamp

 かつてOPNの〈Software〉からファースト・アルバムを発表し、以降その独特のロウファイなサウンドで10年代のエレクトロニック・ミュージックに一石を投じてきたフエアコ・エスことブライアン・リーズ。今年の頭には新たにレーベル〈West Mineral〉を起ち上げ、ペンダント名義の新作も発表したばかりの彼がこの5月、なんとも絶妙なタイミングで来日を果たし、東京・大阪・富山をめぐる全4公演のツアーを開催する(5/11と5/12の公演では、フエアコ・エスと共演者のアンソニー・ネイプルズによるカセットテープも販売されるとのこと)。そんな来日直前の彼が急遽われわれの取材に応じてくれた。以下その言葉をお届けしよう。


Central park 2017, credit: Mathilde Chambon

まずHuerco S.という名義についてなのですが、発音が難しく、日本語で表記するとしたら「ホアコ・エス」でしょうか?

Huerco S.(以下、HS):いろんな発音で名前が呼ばれるのを僕自身とても楽しんでいるよ。イタリアのナポリ語が由来で、正確には「フー・エア・コ・エス」さ。

カンザスシティご出身とのことですが、どのような街なのでしょう? その街はあなたの音楽に影響を与えていると思いますか?

HS:生まれ育ったのはカンザスシティではなく、そこから車で1時間ほど離れたユーポリアという郊外なんだ。19か20のときに街のほうに移ってから、いわゆる「シティライフ」と呼ばれるものを体験するようになって、週末は友だちと一緒に、倉庫で開かれるとあるレイヴ・パーティに遊びに行ったね。あそこで初めて、テクノやクラブ・ミュージックとか、そういった類の音楽に触れたんだ。

音楽を作り始めることになったきっかけはなんでしたか?

HS:10代の頃にバンドをやっていたんだけれど、17歳のときに他のメンバーたちとうまくいかなくなって、それぞれが自分のやりたいことにシフトしていったんだ。ちょうどそのとき、叔母を訪ねてフランス旅行に出た前のバンドのドラマーが戻ってきて、向こうで覚えたドラムンベースとエクスタシーを僕に教えてくれてね。それからすぐに、FL Studioの初期のソフトをネットからタダで拾ってきて、母親のパソコンでいじるようになったのさ。そこから始まってもう10年以上、自分がいわゆる「エレクトロニック」な音楽を作り続けているなんて信じられないね。

現在の活動の拠点はニューヨークですか? 他のニューヨークの実験的なエレクトロニック・ミュージックの作り手たちとは交流があるのでしょうか?

HS:ああ、いまはクイーンズのリッジウッドに住んでいるよ。人が集まるという意味ではニューヨークはたしかに途方もなく大きな都市に見えるけれど、「シーン」自体はそこまで大きくはないんだ。僕がプレイするのはおもにヨーロッパで、じつはそれほどニューヨークですることはないんだけれど、たくさんの友だちのミュージシャンが地元に関わっているし、街にいるときは彼らと一緒にプレイしているよ。全体的に見てアメリカは、複数のシーンがまとまるよりも、個々の部族意識みたいなものが強いと思うけれど、それもいま変わりつつある。ノイズやパンク、メタルといった音楽と、テクノの境界がニューヨークではもはや消えつつあるというひとつの例のようにね。

あなたの音楽にはロウファイさ、あるいはくぐもった感じ、こもったような感じがあります。そのような音色を追求するのはなぜですか?

HS:僕自身もわからないよ。はじめはいくつかのプロセスを経て、そういった誰かが作った「既存」の音を模索していたけれど、いまはもう自身の一部だから。音と自分が一体になっているというか。音がそのままの僕を表しているのさ。


Kansas city 2017, credit: Mathilde Chambon

1月にはPendant名義で新作『Make Me Know You Sweet』がリリースされましたが、そこではミュジーク・コンクレートの手法も導入されており、鳴っている音がこれまでとは異なっているように感じました。本作のリリースにあたって新たにレーベル〈West Mineral〉も立ち上げていますが、音楽家として何か大きな変化を迎えたのでしょうか?

HS:それほど大きな変化はなくて、より純粋に音の探求を拡げていった結果さ。ミュジーク・コンクレートにはたしかに影響を受けている。この2年半多くの時間をパリで過ごして、僕の彼女のおかげで、音楽を超えた音の世界に興味を持つようになったんだ。
このPendantでの作品は、しばらく時間をかけて僕がこれから向かおうとしているものだ。前作の『For Those Of You Who Have Never』(2016年)をリリースしてから、僕を気に入ってサポートしてくれた人たちには感謝しているけれど、これからは「アンビエント」的と言われるような安らぎのあるものではなく、メロディから離れて、より深い音を掘り下げていきたい。ダークなものを作りたいね。

そのアルバムの曲名はすべて記号になっていますが、これには何か意味があるのでしょうか?

HS:架空の空港コードなんだけれど、取り立てて意味はないよ。

音楽には聴き手を楽しませたりリラックスさせたりする側面と、聴き手に何かを考えさせる側面があると思うのですが、ふだんあなたはどのように音楽を聴いていますか? たとえば「自分ならこの音はこうする」のように職業的な耳で聴くのでしょうか?

HS:どちらの側面からもだね。それは聴いている音楽にもよるし、聴いている時に頭の中で考えていることにもよると思うよ。ここ8ヶ月はほとんどハウスやテクノには触らず、トラップやメンフィス・ラップ、デスメタルをよく聴いていて、それぞれから思いつくことがいろいろあった。現行のヒップホップも純粋に好きだし、新しいアイデアを発見できるという理由もあってよく聴くね。そうしたものをポップ・ミュージックだと一言で片付けて無視する人もいるけれど、頭でっかちな電子音楽よりもはるかに未来的だし、真実味があると思う。

あなたはHuerco S.やPendantの他にもRoyal Crown Of Swedenという名義ではハウスを作っていますが、それぞれの名義にはコンセプトやテーマがあるのでしょうか?

HS:プロジェクトの名前はすべてオリジナルがあって、それぞれに異なった意味があるのさ。たとえばMio Mioのレコードはリカルド・ヴィラボロスのスタイルのようなものを作りたくてあの名前を思いついたし、The Royal Crown Of Swedenは祖母のスウェーデンの家系と、フランスのハウスのレ・ナイト・クラブとクリムダールに敬意を評してつけた名前。Loidisはリーズという街のもともとの名前に由来しているよ。

ファースト・アルバムの『Colonial Patterns』(2013年)はOPNの〈Software〉から発表されましたが、そのときは彼からオファーがあったのでしょうか?

HS:うん、あのレコードは、あのときの他の作品と同じように、SoundCloudがきっかけだった。ダニエル(・ロパティン)のアカウントからダイレクト・メッセージを送ってくれて、リリースすることになった。そのときすでに僕は彼のファンで、カンザスに住むひとりの男子がOPNと一緒にレコードを作れるなんて、ほんとうに光栄だったよ。

その後のOPNの音楽は聴いていますか? 彼の音楽についてどう思いますか?

HS:KGB ManChuck Person名義の初期作品、それにローランドのJunoを使った作品はすべて大好きだよ。『R Plus Seven』を出して以降は、個人的にはあまり興味のない方向に行ってしまったけれど、彼のことは尊敬してる。

音楽家としてのいまのあなたを形作る契機となった、重要なアーティストを教えてください。

HS:エリアーネ・ラディーグ、アクトレス、ヴラディスラフ・ディレイ、ミカ・ヴァイニオ、ジャマール・モス、エレクトロ・ミュージック・デパートメント、スリー・シックス・マフィア、ロバート・アシュリー、トーマス・ブリンクマン、ジョン・ハッセル、横田進、マーカス・ポップ、キャバレー・ヴォルテール、リュック・フェラーリ、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、DJスクリュー、ウォルド。

あなたの音楽をひとつのジャンル名で括るのは難しいですが、アンビエントからは大きな影響を受けているように思います。ブライアン・イーノが創始した「アンビエント」というスタイルまたはコンセプトについてはどうお考えですか?

HS:多くのアーティストは既存のカテゴリに分類されるのを嫌うけれど、聴き手の観点から見て、その気持ちはとても理解できるよ。ただ僕はブライアン・イーノのような、クラシックで、BGM的な発想のアンビエントを作りたくて始めたわけではないし、むしろそうした既存の概念を拒むようなものを作りたいと思っている。
Pendant名義のアルバムをBoomkatが「中間の音楽(Mid-ground Music)」と称してくれたけど、それこそがまさに自分の追求したいものなんだ。音楽のヒーリング力は無視できないし、自分も恩恵を受けているけれど、いわゆる「無害」や「和やか」、「静けさ」みたいな言葉で形容できるような、アンビエントのクリシェには陥りたくないのさ。


Tokyo,liquid room 2015,credit: anthony naples

今度の5月23日、ブルックリンで高田みどりと共演されますね。昨年は彼女の作品がリイシューされ話題となりましたが、彼女の音楽はどのようなところがおもしろいと思いますか?

HS:彼女の音楽はとてもクリエイティヴで、パフォーマンスにも強いエネルギーを感じる。一緒に演奏できることが嬉しいし、何より人びとが彼女の作品にふたたび注目を集めていることを光栄に思う。ときを経ていろんなアーティストやスタイルが繋がっていくということにはすごく興味があるんだ。

昨年は他にも吉村弘がリイシューされたり、あるいはヴィジブル・クロークスのアルバムが人気を博したりと、アンビエントやニューエイジが盛り上がりましたが、ご自身の音楽もそういった潮流とリンクしていると思いますか?

HS:僕の音楽が吉村弘や、当時の日本のアンビエント・ミュージックに大きな影響を受けていることはたしかだ。前作の『For Those Of You Who Have Never』を聴けばメロディに軸を置いていることからもわかるようにね。でもそれがすべてではなくて、あらゆるところからインスピレイションを受けているよ。

(質問:小林拓音 翻訳:◎栂木一徳)(「◎」は木へんに父)

Huerco S.(フエルコ・エス)来日情報

■5/11(金) UNIT
C.E presents

ANTHONY NAPLES & HUERCO S. (B2B)
LOW JACK
NGLY (Live)
KEITA SANO (Live)
DJ HEALTHY
CHANGSIE
JR

※Anthony NaplesとHuerco S.のカセットテープ販売もあり。

Friday 11 May 2018(2018年5月11日金曜日)
Open / Start: 11:30 PM
Venue: UNIT www.unit-tokyo.com
Advance ¥2,800 / Door ¥3,500
Tickets available from Resident Advisor / Clubberia / e+
※20歳未満の方のご入場はお断り致します。年齢確認のため顔写真付きの公的身分証明書をご持参願います (Over 20's Only. Photo I.D. Required.)

■5/12(土) CIRCUS Osaka
C.E presents

ANTHONY NAPLES & HUERCO S.
LOW JACK

※Anthony NaplesとHuerco S.のカセットテープ販売もあり。

Saturday 12 May 2018(2018年5月12日土曜日)
Open / Start: 11:00 PM
Venue: CIRCUS Osaka circus-osaka.com

Advance ¥2,500 / Door ¥3,000
Tickets available from Resident Advisor / Clubberia / Peatix
※20歳未満の方のご入場はお断り致します。年齢確認のため顔写真付きの公的身分証明書をご持参願います (Over 20's Only. Photo I.D. Required.)

■5/13(日) The local
The Local presents Anthony Naples B2B Huerco S.

[Guest DJ]
Anthony Naples & Huerco S.
[LOCAL DJ]
DJtaiki/CJ/□△○

Open / Start: 18:00 PM
Venue: The local
Entrance: ¥2,500

■5/17(木) SuperDeluxe
Huerco S. Live with Yoshio Ojima & Satsuki Shibano and Ultrafog

[Live]
Huerco S.
尾島由郎 & 柴野さつき
Ultrafog
[DJ]
荒井優作
Refund
DJ Healthy

開場 / 開演: 19:00
会場: SuperDeluxe www.super-deluxe.com
料金: 予約¥2,500 / 当日¥3,000(ドリンク別)
チケット予約: スーパーデラックス / RA

Merzbow - ele-king

 ノイズ・ミュージックとVaporwaveの近似性については兼ねてから考えていたことだ。かつて秋田昌美が提唱した「スカム・カルチャー」という定義は、インターネットの下層に蓄積する消費社会の残滓に美学を見出したナードたちが、それを冗談半分にこねくり回すことで成立した初期Vaporwaveの意匠にも通ずる側面があるように思える。80~90年代のノイズ・ミュージック、そしてゼロ年代のVaporwave……。思想もスタイルも対極に位置していた両者がインターネット上で時代を超えて交わるとき、もはや縦の音楽史としてはあり得なかった文脈を経て、今年、Merzbowの『Pulse Demon』は再発を果たすこととなる。

 Merzbowといえば、80年代から現在に至るまで勢力的に活動を繰り広げているミュージシャンとして有名である。去年〈スローダウンRECORDS〉からリリースされたduenn、Nyantoraとのコラボレーションアルバム『3RENSA』、そのリミックス・プロジェクト『3RENSA_fb01』『3RENSA_fb02』『3RENSA_fb03』『3RENSA_fb04』が各所で大きな話題を呼んだことも記憶に新しい。そんな彼が1996年にリリースしたジャパノイズの金字塔『Pulse Demon』は、まさにMerzbowの代表作といっても差し支えないだろう。しかし、なぜいま、20年以上の時を経て『Pulse Demon』が再発に至ったのだろうか。

 この作品の再発を手掛けたのは、インダストリアルやノイズ・ミュージックに熱心なリスナーには耳馴染みのないであろう〈Bludhoney Records〉というアメリカのレーベルだ。それもそのはず。じつはレーベルのルーツを辿ってみると、意外にも行き着く先はVaporwaveである。レーベルのカタログナンバー1を飾る、OSCOB / Digital Sexの『OVERGROWTH』は、『ローリング・ストーン』でも取り上げられたVaporwaveの傑作、2814の『新しい日の誕生』をリリースしたことでも知られる〈Dream Catalogue〉のリイシューである。もともと〈Bludhoney Records〉はVaporwaveの美学に則ったカセットテープ・レーベルとして始動したのだ。

 〈Bludhoney Records〉は、日々先進的なエレクトロニック・ミュージックをリリースしているが、このレーベルのカタログに、Merzbowの『Pulse Demon』が加わったとしても、それは全く不思議なことではない。ここ近年、Vaporwaveシーン全体において、サンプリングを主体とした80年代から90年代の懐古趣味的な従来のスタイルからの脱却を図ろうとする動きが見て取れる。この数年で、ノスタルジアを標榜としたVaporwaveのベクトルは、夢想的な世界からフューチャー・リアリスティックな未来都市へと一気に移り変わってしまった。その鬱屈とした退廃的な未来都市のモチーフは、『ブレードランナー』や『攻殻機動隊』といったSF作品の世界を彷彿とさせる。Vaporwave特有のスクリューという技法が生み出した重厚なダブのようなビートは、のちに90年代のハードコアテクノと結びついたHardvapourというタームへと昇華し、サンプリングソースを執拗に引き伸ばすことで発生した無限にも続いていくような陶酔的アンビエンスは、陰鬱な都市の夜に響くかのような重厚なドローン、ダーク・アンビエントスタイルのアーティストを数多く輩出することに繋がった。Vaporwaveシーンは今、もっと先鋭的で刺激的なサウンドに飢えているのだ。そんな流れの中で、〈Bludhoney Records〉は、ASTROの名義やC.C.C.C.での活動でも知られる長谷川洋を迎えたスプリットアルバム『Saturnus Cursus』をリリースしている。

 ところで、1988年にドイツのユニット、Softwareがリリースした『Digital-Dance』は、YouTubeに無許可で転載された音源が「Vaporwaveっぽい」という理由から〈100% ELECTRONICA〉を主宰するESPRIT 空想ことGeorge Clantonの耳に止まり、リイシューを果たす結果となった。インターネットによって、あらゆる時代の音楽にアクセスできる現代、時系列に沿った縦の音楽史を語ることに、もはや意味などあるのだろうか。並列の点と点の偶発的な交わりこそが、新たな潮流を生み出すのだろう。それは偶然の連なりであり、必然でもある。『Pulse Demon』で繰り広げられる、曲間の切れ目なく押し寄せる冷徹なメタルパーカッションと、スペイシーなEMSヴィンテージ・シンセの衝突、まるで慟哭のような生命力に満ちたハーシュのうねりは、2018年のいま、時代がもっとも求める音色なのであろう。歪に捻じ曲げられた文脈を経て、パッケージも新たにカラーヴァイナル、カセットテープで再発がなされる本作。個人的にはCDとして手元に欲しかった作品でもあるが、〈Relapse Records〉のマスタリングによるあの暴力的な音圧が、アナログな音域でどのように鳴り響くのか楽しみである。

interview with Joe Armon-Jones - ele-king


Joe Armon- Jones
Starting Today

Brownswood/ビート

JazzSoulFunkAORDubBroken Beat

Amazon

 ジョー・アーモン・ジョーンズは、UKジャズの新世代を代表する20代半ばのピアニストであり、先日リリースされた彼のデビュー・アルバム『スターティング・トゥデイ』には、いままさにはじまりの真っ直中にいるUKジャズの前向きなヴァイブレーション/喜びが詰まっている。いち音楽ファンとして、こうした新しい音楽にワクワクできるのはこのうえない幸せだとつくづく思う。
 そもそも昨年リリースされた「Idiom」がいまだ12インチにしがみついている粘り強いファンのあいだで話題になった。マクスウェル・オーウェンとの共作になるこの6曲入りは、ジャズ・セッションによる(つまり即興性のある)ハウス・ミュージックで、ディープ・ハウスやデトロイト・ビートダウン系のファンからロバート・グラスパー/サンダーキャットが好きなリスナーまで虜にした。自慢じゃないが、ぼく(=野田)もそのヴァイナルを所有している。というのも、アーモン・ジョーンズの音楽には、若さや勢いだけではない、極上のメロウなフィーリングがあるからだ。嘘だと思うなら、アルバム2曲目の“Almost went Too Far”を聴いて欲しい。
 無論のことUKジャズ印の雑食性はある。アルバム『スターティング・トゥデイ』を聴いていると、この2年ほどの音楽トレンド(フュージョン、ハウスなど)も見えるだろう。ただいま絶賛制作中の別冊エレキングのジャズ特集号には、アーモン・ジョーンズのインタヴューも掲載されているが、紙メディアゆえにカットせざるえない部分があった。せこい考えだがそれはもったいないし、アシッド・ジャズ以来の活況を見せているUKジャズの逆襲、その第一弾としてお届けすることにした。質問は菅澤(ブルシットのドラマー)がほとんど考えてくれた。

チック・コリアに影響を受けたとお聞きしました。彼はオーセンティックな4ビートのジャズからエレクトリック・マイルス・バンドの脱退後に結成したサークルでのフリージャズ、そしてリターン・トゥー・フォーエヴァーでのプログレッシヴなフュージョン的アプローチまで、その音楽性は幅広いですよね。彼の音楽のどんなところに影響を受けたのでしょうか?

JAJ:難しいな。僕はもちろん、チック・コリアの大ファンで……うまく言えないけど、彼のチューンを聴けばもうすぐに、彼だってわかるんだよね。彼のスタイルはそのくらいユニークなんだ。どんなことをやっていても。ハービー・ハンコックみたいな人とプレイする時でさえ、それが伝わってくる。本当にユニークな彼独自のスタイルがあるってことなんだ。そこじゃないかな。

UKにはジョン・テイラーやスタン・トレイシーをはじめとした素晴らしいピアニストがいますが、UKのジャズ・ピアニストで影響を受けた人はいますか?

JAJ:大勢いるよ。いまだったら、サラ・タンディ(Sarah Tandy)とか。ものすごいピアノ・プレイヤーで、イカレてるっていうか、クレイジーなんだよね。アシュリー・ヘンリー(Ashley Henry)っていう人もいる。うん、正直言ってロンドンのピアニストで僕が今好きなのは、その二人。でももちろん、他にも大勢いて……ロバート・ミッチェル(Robert Mitchell)も驚異的なピアノ・プレイヤーだし、デイヴ・コール(Dave Koor)も。彼はジ・エクスパンションズ(The Expansions)っていうバンドでやってる。最高だから、チェックする価値があるよ。うん、今は大勢才能のある人たちがプレイしてる。

現在のロンドンのジャズ・シーンを語るうえで〈jazz re:freshed〉の存在はかなり大きいと思います。ここで演奏されているジャズはオーセンティックなジャズに対するカウンターとしての側面もあるように感じるのですが、そういった意識はあると思いますか?

JAJ:うん。僕自身はあんまりそれぞれの音楽に定義とか、名前を付けすぎたくないんだけど、〈jazz re:freshed〉にはもちろん……『独自のサウンドがある』とは言いたくないな。むしろ、もともとジャズにはなかったようなサウンドを受け入れてるんだよ。ストレートなジャズ以外のサウンドを受け入れてる。他のサウンドをプッシュしてるんだ。そこが大きな違いを作ってると思う。例えば、僕らが最初に始めた頃、〈jazz re:freshed〉ではどんなバンドでもプレイできるチャンスがあった。彼らがその音楽を気に入って、好きになれば、自分たちがやりたいことがやれたんだ。〈jazz re:freshed〉をやってるアダム(・モーゼズ、Adam Moses)とジャスティン(・マッケンジー、Justin McKenzie )にはギグに来る観客とかからもたくさんリクエストが来てるはずなんだけど、実際、彼らは自分たちが気に入った音楽をギグに出す。それだけなんだ。

“Starting Today”で歌っているラス・アシェバーはどんな人なんでしょう? その場の即興ということは、彼があの歌詞を書いたんでしょうか。

JAJ:彼が“書いた”っていうより、フリースタイルでやったんだよね。彼がスタジオにいて。あれはかなり遅い時間、その日のセッションを終えようとする頃だった。アシェバーはその時間まで来られなかったんだけど、僕らはその日ずっと“スターティング・トゥデイ”のインストゥルメンタル部分をレコーディングしてた。で、アシェバーが夜の7時頃来たのかな? で、セッションの最後にワンテイク録ってみよう、って。彼の場合ワンテイクで十分だしね。彼にトラックを聞かせる暇もなかったし、今どうなってるかよく説明もしないまま、セッティングして始めたんだ。そしたら彼がその場であのフレーズを歌いだしたんだよ。

英語が苦手なので教えて欲しいのですが、たとえば表題曲の“Starting Today”ではどのような詞が歌われているのでしょうか? またそれぞれの曲の詞はその曲のヴォーカリストが書かれているのですか?

JAJ:うん、そう。僕が歌詞を渡して、シンガーに歌ってもらうなんてできないからね。歌うっていうのは、すごくパーソナルなことだから。“スターティング・トゥデイ”では、アシェバーが最後の方で『アシェオ』って繰り返すんだけど、あれは『生まれ変わる』って意味なんだ。生まれ変わって、再び始める。曲自体、新たにもういちどはじめること、新しい旅をはじめることについてなんだ。歌詞っていうのはもちろん、それぞれの人に違う意味を持つものだけど、僕にとってあの曲はそれについて歌ってるんだよ。

“Almost Went Too Far”はアルバムのなかでもAOR寄りの曲ですよね。この曲では自身が歌われていることもあって、MndsgnやサンダーキャットといったLAのミュージシャンと共振する要素を感じさせますが、彼らの音楽はあなたにとってどんな存在ですか? またAORで好きなミュージシャンはいますか?

JAJ:彼らのことは大好きだから、そう言ってもらって嬉しいね。どんな存在かっていうと難しいけど……彼らの音楽で一番好きなところ、もっともインスパイアされるところのひとつは、彼らは特に訓練を受けたシンガーとかじゃないんだけど、自分の言葉を音楽に乗せられる。そこがクールなんだ。あとホーム・スタジオで作られてて、サウンドに手作り感があるし。だから、そう、僕も自分の音楽を外に出せる、っていう自信を与えてくれたような存在かな。

サウス・ロンドンのジャズを聴いているととくにドラマーがアフロビートの影響が強いように感じます。今回のアルバムに参加しているモーゼス・ボイドもトニーアレンからアフロビートのレクチャーを受ける動画があがっていたりもしますが、あなたにとってアフロビートの魅力は?

JAJ:もちろん、エズラ・コレクティヴを通して、アフロビートの影響は僕も受けてる。でも、僕より通じてる連中がいるから。実際、エズラ・コレクティヴのフェミ(・コレオソ、ds.)、TJ(・コレオソ、b.)、ディラン(・ジョーンズ、Tp.)、ジェームズ(・モリソン、sax.)もみんなフェラ・クティやそのあたりの音楽にすごく影響されてるんだ。だから、あのリズムは確実に僕にも大きな影響を与えてる。アルバムでプレイしたドラマーも当然そうだし……ただ僕にとっては個人的に、このアルバムではダブやサウンドシステム・カルチャーからの影響の方が大きいんだ。でもアフロビートの影響ももちろんあるし、実際、影響されない方が難しい。ただ今回は、サウンドシステム・カルチャーの方が前面に出てると思う。

”Ragify ”に参加しているBIG SHARERについて調べたのですが、ほとんど情報を集められませんでした。彼はラッパーとして活動しているのですか?

JAJ:彼もサウス・ロンドンでやってて……ビッグ・シェアラーはルーク・ニューマン(Luke Newman)としても知られてるんだ。〈STEEZ〉っていうイベントをオーガナイズしてて、僕らも出たことがあって。あと、彼はサウスポートっていうバンドもやってた。すごく面白い男で、彼とはギグを通じて知り合ったんだ。実際、僕は彼がオーガナイズしたギグでいろんなミュージシャン、いろんな人たちについて知ったし。彼はサウス・ロンドンの音楽シーンが盛り上がってきた頃からずっとやってるんだ。しかもものすごく才能があって、歌も歌える。“Ragify”ではラップしてるけど、アウトロ・トラックで歌ってるのも彼なんだよ。

最後の曲”OUTRO (FORNOW)”からはディアンジェロの影響を感じさせますが、いかがでしょうか?

JAJ:もちろん、そうだね(笑)。とくにサウンド・プロダクション。ヴォーカルのレイヤーがたくさんあって、いろんなことが起きてる、っていう。あのトラックで歌ってるのはビッグ・シェアラー、ルークと、あとエゴ・エラ・メイ(Ego Ella May)っていう女の子も歌ってるんだ。素晴らしいシンガーだから、彼女はチェックした方がいいよ。若いシンガー・ソングライターで、EPが6月に出るはず。きっとすごい作品になると思う。彼女は僕の家に来て、ほとんどの曲でバッキング・ヴォーカルとかをやってくれたんだけど、“アウトロ”は彼女とルークのヴォーカルを混ぜたものになった。それが気に入ってるんだ。

※UKジャズの逆襲(2)に続く……

interview with Gengoroh Tagame - ele-king

血縁があってもいっしょにいると傷つけ合ったり苦痛だったりするのであれば、それは無理に家族でいる必要がないと思う。

 忘れもしない。田亀源五郎が一般誌で連載を開始すると聞いたときのことである。それは単純に、ゲイ雑誌や国内外のゲイ・アート・シーンで長く活躍してきた人物がこれまでとまったく異なるフィールドに挑むことに対する興奮もあったが、いまから振り返れば、それ以上に時代の変化を嗅ぎ取っていたのだとも思う。もしかすると、日本もゲイ・テーマの物語が広く伝えられる季節が来たのではないか……。実際にその作品、『弟の夫』が話題を呼び、時代を代表する一作となったのは周知の通りだ。
 だから、このたび『弟の夫』がNHKでドラマ化され、大きな話題と高い評価で迎えられたことはやはり画期的な出来事だったと思う。それは同性愛がお茶の間に受け入れられたとかそういったレベルの話ではなく、同性婚や多様な家族のあり方、新しい時代の人権について社会が真剣に考え始めたということを端的に示しているからだ。3月にはBSのみでの放送だったが、盛り上がりを受けて地上波での再放送が早々に決定している。まだ観ていないという方はこの機会にぜひご覧になってほしい。(公式サイトはこちら)奇しくもこの連休は東京レインボープライドが開催中であり、セクシュアル・マイノリティと社会のあり方について考える絶好の機会だと言える。


田亀源五郎(著)/ 木津毅(編)
ゲイ・カルチャーの未来へ

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 以下の対話は田亀源五郎初の語り下ろし本である『ゲイ・カルチャーの未来へ』の発表から約半年が過ぎ、そのアフター・トークとして軽く振り返る目的で企画されたものである。だが、話題は自然と最新のセクシュアル・マイノリティ・イシューに及ぶこととなった。そう、毎日いろいろなことが起きている。社会は確実に変わろうとしている。相変わらず複雑な問題は山ほどあり、さらに新たな課題にもわたしたちは直面している。だがそれは、時代が前に進んでいるという証明でもあるだろう。
 田亀氏は相変わらず明晰な語り口で『弟の夫』のドラマ化のこと、最近のセクシュアル・マイノリティ・イシュー、そして始まったばかりの新連載について話してくれた。ゲイ・カルチャー/ゲイ・アートにどこまでも真摯に向き合い、それを豊かなものにしようと取り組み続けてきた作家の最新の発言をお届けしよう。

『弟の夫』のドラマは3月のBSでの放送から大反響でしたが、どんな風に受け止められましたか。

田亀源五郎(以下、田亀):やっぱり漫画が届く層とドラマが届く層の違いをものすごく感じました。そういう意味ではドラマ化はすごく有効なんだな、と思いましたね。

具体的にはどのような違いを感じましたか?

田亀:それはやっぱり、漫画は全然読まないけれどドラマはいっぱい観るという層がいるので。私はそれほどテレビを観ない人間で、テレビドラマにもあまり縁がないんですけど、世のなかにはテレビドラマを楽しみにしている層というのがものすごくいる。テレビがレガシー・メディア的なものになったと言われているけれども、BSでもあれだけの反響になったというのは、まだまだ日本のなかではものすごい影響力を持っているんだな、とは思いましたね。

ツイッターで『弟の夫』がトレンドに挙がりもしましたし、ネットでも話題になりましたよね。そういう意味では、普段NHKを観ないような若い世代にも届いたのかな、とも思いました。

田亀:それはあったのかもしれないですね。普段からドラマが好きで「今期のドラマの当たり作」として観てくださった層もいるし、普段はドラマを観ないけれどもモチーフが気になったので観てくださったという層もいるし。あと出版との相乗効果で言うと、(『弟の夫』を)出版のときに存在を知っていたけれど、アクセスはしていなかった人がドラマになったから観てみたというのもあったし、知っていて何となく興味はあったけれど、買うところまで至っていなかった人たちが「ドラマ化決定」という帯で背中を押されて買った、というような動きは目に見えてありましたので。そういう意味では、メディア・ミックスの力はやっぱり大きいのだなと思いましたね。

なるほど。

田亀:もともと広い層に読んでほしいと思って描いた漫画だったので、ドラマ化の話が来たときも「それで広がってくれるのなら大歓迎」と思ってオッケーを出したんですけれど。そういう意味ではとても理想的な展開になったのかなと思います。

あと僕がもうひとつ思ったのが、世のなかにゲイ・テーマの作品を受け止める準備が整ったのかな、ということでした。

田亀:うん、それは思いますね。ちょうど『弟の夫』の直前に『女子的生活』というトランスジェンダーのドラマをNHKでやっていて。セクシュアル・マイノリティがテーマの作品が連続したことでNHKがそっちのほうに力を入れているんじゃないかという想像もあったみたいですけれど、それはまったくの偶然で。単純に制作時期が重なったそうなんですよ。ただ、その企画がNHK内で通るか通らないかというのが大きいので、そういう意味では世相が反映されて、その準備が整ったという感じはしますね。

いまこそオープン・リレーションシップをヘテロのほうにフィードバックする時期なんじゃないかなと思うんですよ。

ドラマの内容についてですが、田亀先生はどんな風にご覧になりましたか?

田亀:とても丁寧に真面目に、真剣に作っていただけたので、とてもありがたいなと思っています。私は原作者なので、ドラマにどれだけの距離を取って観られるかは自分でもよくわからなくて。自分が観て楽しめるかがすごく心配だったんですけれど、観ている間にすっかり忘れて引きこまれたので、そこはドラマとしての力があったのだと思います。

みなさんの反応を観ていると、キャスティングも好評でしたね。

田亀:そうですね。

把瑠都さんがかわいいと話題で。

田亀:あれは一種のアクロバティックなキャスティングでしたね(笑)。

(笑)素のままなんじゃないか、っていう存在感が効いていましたよね。あと、僕がもうひとつ良かったと思うのが、原作のエピソードをすごく丁寧に拾っていることでした。

田亀:そうですね。

たとえば、マイクと一家が温泉旅館に泊まるシーンで、耳栓を配るエピソードであるとか。あれは、ちょっとした配慮や思いやりで共生することが可能だと示唆するものじゃないですか。ああいった細かいエピソードが入ることで、ドラマとしての筋が通っているなと思いました。

田亀:ですね。自分が漫画のなかで描きたかったことのなかで、これは抜けているなというものも当然あるんですね。作者の立場からすると。ただ、観客の立場からすると、あの原作からどこをピックアップして、どこを切り捨てるかという点は考え抜かれてしっかり作られているなと感じられたので。なくなった部分に関しても、そこがないから背骨が抜けたみたいなことはなかったですね。独自の解釈も加えた良い作品を作っていただいたという感じです。

独自の解釈の部分というのは、とくにどういったところでしたか?

田亀:一番はラストの変更です。私はとくに恒久的な幸せの保証とか、もしくは血縁でどんどん広がっていく家族の絆とかをそこまで肯定はしたくなかったので、そこら辺は違うニュアンスになっていますね。でもそれに関しても、漫画の展開をそのままドラマでやるとエンターテインメントから遠すぎるかな、という気もしますので。ドラマだと寂しいと思っちゃうかな、と。漫画のように自分のペースで能動的に読み進められるものと、テレビドラマのように基本的に受け身で観賞するものとでは、文法やメディア特性が異なるでしょうし。そういう意味では、あのラストシーンは演出の方からご提案いただいたんですけれど、これはこれで多幸感があっていいな、と思いましたね。

なるほど。ほかにも原作にあったエピソードで言うと、マイクが弥一に「家事や育児も立派な仕事です」というシーンもしっかり反映されていて、あそこはすごく視聴者からの反響があったようですね。

田亀:そうですね。あれは常日頃から自分が考えていて、それで漫画に盛りこんだことではあったので。そこら辺は、専業主婦をしていてモヤモヤしている方も多くいらっしゃるだろうから、シングルファーザーの話で描いたとしても一般的な話題として反応してくれるだろうなとは思いましたね。

そういった部分に反応があっとことも含め、『弟の夫』が現代の家族の多様なあり方を探る作品だということがすごく伝わっているように思えました。

田亀:そういう意味では、離婚の理由を入れちゃったところなんかは、どちらかと言うと私の趣味ではないんですけどね(笑)。あの離婚の原因というのは、ちょっと昔からあるパターンすぎるので、私が考えていたものとはまったく違うとか、そういうのは少しありますけどね。

なるほど、たしかに。ただ、NHKは朝ドラなどで家族をテーマにしたドラマを多く作っていますが、そのなかではやっぱり新しいものだなと僕は感じましたし、意味のあることだなと思いましたね。

田亀:そうですね。

「おぎゃあ」と生まれたときからホモフォビアである人なんかいないわけですから。それは育っていく過程のなかで社会に植えつけられていく。そうすると我々にできるのは、社会がホモフォビアを植えつけてしまうことをどうやって防ぐか、ということ。

そこで急に大きい質問になるんですけれど、田亀先生ご自身は家族とは何だと思いますか?

田亀:(少し考えて)私にしてみれば、基本にあったのはやっぱり血縁なんですね。ただ、それは単純に私が問題のない家庭環境で育ったからであって、血縁があってもいっしょにいると傷つけ合ったり苦痛だったりするのであれば、それは無理に家族でいる必要がないと思う。だから……なんでしょうね。でもひとつ思うのは、ひとり暮らしの友人なんかで鬱病になったりする例を見ていると、何かがあったときにクッションになってくれる人や愚痴をこぼせる人が身近にいるというのは、精神衛生上とても有効なんじゃないかな、とつくづく年を取ると感じます。そういう意味では、サポートし合える環境を家族と呼べるのが一番かな、と思います。

そうですね。そういう意味では同性婚のイシューというのも、社会的な意味で時代がいかに前に進んでいるかということでもあるんですが、個人にいかに還元するかという問題でもあるということを、ドラマを観てあらためて感じたんですよね。

田亀:うん。ちょっと話が飛んじゃうんだけど、この間ちょっと面白いレポートを見て。『ゲイ・カルチャーの未来へ』のなかでもオープン・リレーションシップの話があったじゃないですか。特定のパートナーがいても、その外での性交渉についてお互いに許容し合うという。それがゲイならではのスタンダードみたいな言い方がされていたけれど、何かの研究で、若年層の――ティーンや20代のゲイのなかでは、モノガミー(一対一の性愛関係)のほうが主流になっているという結果が出たそうで、「へえー」と思って。

へえー!

田亀:それはアメリカの研究だったんだけれど、これはひょっとしたら同性婚の合法化によって、刹那的な「現在の幸福」でしかなかったゲイ・ライフというものを、ノンケと同じように結婚したり子どもを育てたりという、将来性も含めた長いスパンで捉えるようになった兆しなのかな、と思いましたね。

なるほどなー。でもたしかに、そうですよね。海外であればゲイも結婚できるだけじゃなくて子どもを持てる可能性であるとか、ライフ・プランニングの幅が広がっているということですもんね。

田亀:たとえば自分の若い頃を振り返ってみても、「自分は大人になったらどうなるのか」というモデル・ケースが日本社会にはなかったわけですよ。ゲイの大人の姿というものが。でも、ゲイ/ヘテロ関係なく「結婚したければ結婚して、子どもを持ちたければ子どもを持って家庭を築く」というような選択肢も存在するのであれば、それを望みたくなる気持ちもすごくわかるんですよ。

たしかに。『弟の夫』でも、マイクと涼二は自然な選択として結婚を選んだカップルとして登場しますもんね。

田亀:私は逆に、いまこそオープン・リレーションシップをヘテロのほうにフィードバックする時期なんじゃないかなと思うんですよ。

おおー。でもそれは、僕も思いますね。

田亀:ゲイだからオープン・リレーションシップという時代ではないかなと思いました。どちらかと言うと、すでに結婚をしている人たちで、結婚生活を破綻させたくないけれどセックスレスの問題なんかに直面しているカップルに有効なのかな、と。ゲイ/ヘテロ関係なく、パートナーシップをいかに存続させていくかという選択肢としてオープン・リレーションシップをみんなで考えたほうがいいんじゃない、と思いますね。

そうですね。実際、そういう動きも一部で顕在化し始めているように思いますしね。

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「真面目な性について語る」のではなくて、「性について真面目に語る」という、この違いをはっきりさせておかないと面倒くさいことになると思いますね。


田亀源五郎(著)/ 木津毅(編)
ゲイ・カルチャーの未来へ

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『ゲイ・カルチャーの未来へ』の発売から半年経ちまして、僕も個人的にいろいろと反響を聞いていますけれど、田亀先生は何かリアクションをお聞きになりましたか?

田亀:うーんと、そうですね。「しんぶん赤旗」での取材の件もそうなんですけど、『ゲイ・カルチャーの未来へ』をきっかけとして、そこに載っていない部分も含めて私に取材したいという話が増えたのは興味深いですね。

それは僕もすごく嬉しいです。

田亀:はい。アーティストとしてのフィロソフィの話を面白がってくれる人もいるし、社会の考え方という部分を面白がってくれる人もいるし、という。自分のなかでひとつあるのは、(とくにゲイ・イシューに関して)何かの記事が炎上したり勘違いした記事が出てきたりしたときに、昔だったらブログに書くとかツイートしたりということがありましたけど、最近は「まあ、あの本のなかで全部言っちゃったからいいか」と。

はははは。

田亀:『ゲイ・カルチャーの未来へ』と『弟の夫』でベーシックなところは全部言ってるから、あらためて繰り返さなくてもいいなって感じになっちゃって(笑)。

たしかに(笑)。ただひとつ思うのは、とくに僕の周りだと、第3章のゲイ・エロティック・アーティストとしてのポリシーを語っていただいた箇所にとてもいいリアクションをいただいているんですね。それって、とくに日本では田亀先生のエロティック・アーティストとしてのお話がまとまって出る機会があまりなかったということだと思うんですね。

田亀:はい、なかったですね。それはやっぱり、エロティック・アートを真面目に取り上げようという文化が日本になかったからだと思いますよ。『弟の夫』を描くようになって取材の数はすごく増えましたけれど、それ以前はごく限られたものでしたしね。海外では『弟の夫』を描く以前から、固いのから柔らかいのまでいろいろな取材があったことと比較すると、そこら辺の壁があるなと感じていたので。

なるほど。日本ではいまでもアクティヴィズム的なものとエロティックなものが対置されがちなのかな、と思うんですよね。

田亀:うん、少なくとも昔のゲイ・ブームのときはそうでしたよね。

もしいまでも、「社会運動をするLGBT vs ハッテン場に行くゲイ」みたいなステレオタイプが繰り返されているとしたら、すごく不毛というか残念だな、と。ハッテン場に行きながらアクティヴィズムに参加する生き方だってじゅうぶん可能だと思いますから。

田亀:うん、ただしね、昔はどちらかというとアクティヴィズム側がエロティックなものを隠しておきたい、アンモラルなものを世に出したくないみたいな意識があって、切断が起こっていたと思うんです。でも最近のLGBTリブみたいなものは、社会のなかでLGBTをどう可視化していくかがメインのイシューなので。同性婚なんかがその典型ですよね。いっぽうで、下半身の話というのはヘテロでも公ではそれほど語られたりはしないわけですよ。「社会のなかで可視化する」という前提があれば、誰がどこでセックスをしているかとか、どこにどういったエロティック文化があるかとか、あまり関係がないことなんですよね、正直な話。

なるほど。あと『ゲイ・カルチャーの未来へ』の話で言うと、偶然ではあるものの『弟の夫』の連載が終了し、初の長編作『嬲り者』の復刻版が出たタイミングで出せた本だったのですが、田亀先生のなかでもキャリアを振り返るようなところはありましたか?

田亀:うーん、どうなんだろう。『弟の夫』をやったことがエロティック・アートの本にフィードバックされるのかと思ったら、まったくなかったから(笑)。

そうですか(笑)?

田亀:まったくその気配はない、という(笑)。まったくないどころか逆ぐらいで。

ほんとですか。それはちょっと寂しいですね。

田亀:ポット出版の人が、私がメジャーな仕事をしたから離れちゃったファンがいるんじゃないかと心配するぐらいで。まあ、よくある話ではありますよね。売れたから離れちゃうっていう。音楽でもよくありますよね。

ああ、カルト作家に対する忠誠心みたいなところからってことですよね。

田亀:そうそう。私も若い頃、ずっと好きだったグループが何かの瞬間に爆発的に売れるとちょっと引いちゃう、それ以降のアルバムは熱心に買わなくなる、みたいなところはありましたからね(笑)。

なるほど(笑)。とはいえ、内容的にはキャリアを総括するものにはなっているので、その辺も楽しんでもらえたらなと僕としては思いますね。

田亀:そうですね。

主人公のモヤモヤだけではなくて、同時に主人公の横にいる人物のモヤモヤも描きたかったんですよね。だから、たんにひとりの男の子が悩んで成長する話にはしたくなかった。

それで、これは大阪で開催したトーク・ショウのときにした質問でもあるんですが。30年を超える田亀先生のキャリアを振り返って、もっとも変わらない部分、もっとも変わった部分は何だと思いますか?

田亀:また来たか、この質問。どう答えたか覚えてない(笑)。

ふふふ。そのタイミングを狙いました(笑)。

田亀:変わらないことは、自分の好きなことをずっとやっているということですね。自分が読みたいもの、自分が好きなものをやっている。変わったことというと……何だろうなあ。率直な話、仕事の幅がものすごく広がったというのはここ数年であります。あとは何だろう……まあ、絵はうまくなったと思いますけど。そのかわり、エネルギーは落ちました。

いやいや。ちなみに大阪のイベントのときは、「小学生の女の子からファンレターをもらった」とおっしゃっていましたね。

田亀:ああー、はいはい。あとサイン会に子連れの妊婦さんが来たりとかね。そういうのはまったくなかったからね(笑)。

これはあくまで僕の意見ですが、田亀先生ご自身のご興味や、表現したいことの幅も広がったのかなと思うんですよね。

田亀:そうですね、それはあるかも。「これはやったらから次は別のことをやろう、新しいものを取り入れよう」というのはつねにあるので、結果として広がってはいます。ただひとつ言えるのは、私の興味や活動の幅の広がりの裏にあるのは、幻滅という要素もあって。私は日本のゲイ・カルチャーを何とかしたいと思って、ゲイ業界の内部でずっとやってきたんですけれども、あまりの進歩のなさや酷いことの連続で、そこを真面目にやろうという気がなくなってしまったというのがあるんですね。

とくにどういった部分ですか?

田亀:それは単純な話、作家に対して稿料を出さないとか、契約書の内容が詐欺みたいなものであるとか、ビジネスとしての問題点は私がデビューした頃からいろいろあちこちであって。たとえば私がデビューした頃は、私は『さぶ』と『薔薇族』と『アドン』に描きましたが、そのなかで原稿料が出たのは『さぶ』だけでしたからね。『さぶ』の版元は、ゲイ雑誌に限らずいろいろな出版物を出していた一般の会社なんですよ。でも『薔薇族』と『アドン』の版元は、ほぼゲイ雑誌しか出版していなかった会社なんですよ。そういうところが原稿料を一切出さないとか、もしくは権利を一切無視して洋物の写真なんかをバンバン掲載するとかしていた。それでいて、『アドン』なんかがそうですけど、誌面ではゲイの権利みたいな綺麗ごとを言っているっていう世界だったんですね。そういうことに問題を感じていました。やがて『Badi』みたいなゲイ資本の雑誌ができましたし、私が『G-Men』に加わったのもそういう問題意識からだったんですけれど、結局『G-Men』でも同じような酷いことが行われたり裏切られたりっていうことがあったので。ゲイ・メディアに対する「頑張っても仕方ないかな」っていう幻滅みたいなものはすごくありましたからね。

うーん、それは根が深い問題ですね。アンダーグラウンド・カルチャーがビジネス面とどう向き合っていくかという。そこもまた、LGBTやそのカルチャーが可視化されていくなかで、真剣に取り組んでいかなければならないテーマですね。

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ゲイを自覚していて、でも公表はできていなくて、自己保身の術は身につけているけれども、ときにそれが破綻してしまう……というのは、ティーンに限らず日本のアダルトのゲイにも多く見られるものだと私は思うんですね。

そういった話とも少し関係するかもしれないですが、最近、LGBTブームに対するネガティヴな側面にフォーカスしたり、コミュニティ内での複雑な対立を取り上げたりするものが注目されるなど、いろいろと物議を醸していますよね。田亀先生もそういった流れを受けて、「自身の抱えるホモフォビアにどう向き合い対処していくかという話と、社会がホモフォビアを補強/増幅してしまうのをどう防ぐかという話を、まぜこぜにしないほうが良いと思う」とツイートされていましたが、この辺りについてもう少し説明していただけますか?

田亀:はい。個人のホモフォビアをどうするのかについては、それは自分のなかで解消するしかないわけですよ。周りの環境としては、それを解消するための情報は提供できるけれども、克服できるかできないかというのは当事者の問題でしかない。だからこれはちょっと申し訳ないですけれども、ひとりひとり頑張ってくださいとしか言いようがない。
ただ、そのホモフォビアがどこから来てその人のなかに植えつけられたのかというのは、当然社会からなんですよ。「おぎゃあ」と生まれたときからホモフォビアである人なんかいないわけですから。それは育っていく過程のなかで社会に植えつけられていく。そうすると我々にできるのは、社会がホモフォビアを植えつけてしまうことをどうやって防ぐか、ということ。これなら対処ができるんですよ。で、ポリティカル・コレクトネスが有効なのは、そういうことだと私は思うんですね。ホモフォビアを露にすることに対して「それは良くないことである」と言うことによって、ホモフォビアを持っていて当然という風にはならなくなるわけです。自分にはホモフォビアがあって、それを知られたらポリティカル・コレクトネスに晒されてしまって差別者にされてしまうことが怖い人というのは、それはその人がホモフォビアを乗り越えられなければ「お気の毒です」としか言いようがないんですけれども。でも、ではなぜホモフォビアに対してポリティカル・コレクトネスが作用してくるかというと、次の世代や若い世代がそれ(ホモフォビア)を再生産してしまうことを防ぐためなんですよ。

ああ、それはとてもクリアなご意見ですね。個人のホモフォビアに関しても、基本的には乗り越えたほうがいいと思われますか?

田亀:それはそうです。フォビアなんてものはないに越したことはないです。ましてや当事者だったらなおさらですよね。

そうですね。僕がこうした議論で少し思ったのは、「理解することと差別しないということは違う」と指摘するときに、「理解しなくてもいい」ということを強調するあまりフォビアを放置することになりかねないのがちょっと怖いということなんですよね。

田亀:でもそこは、「わからない」ということがホモフォビアではないから。ホモフォビアというのは嫌悪感を抱くということだから。わからなくても「気持ち悪い」と言わなければいいんです。

「気持ち悪い」と思ってしまうことを肯定しないようにする、という。

田亀:そうです。いままでの世のなかというのは、「気持ち悪い」と思うことがみんな当たり前、という世界で。それが長く続いた結果ホモフォビアが続いているわけだけど、それはやめましょうよ、という話なので。それは「理解できる/できない」という話とちょっと違いますよね。
たとえば私はゲイです。男の人が女の人のマンコに興奮するというのは理解できないし、クンニとか想像すると「ウエッ」となりますから。でもそれはヘテロフォビアというのではなくて(笑)。でも、私が「クンニするのが気持ち悪い」とか言っちゃうとそれはひょっとしたらヘテロフォビアになるかもしれないわけですよ。そんなことを言う必要ないじゃないですか。でも、「女性の身体に興奮しません」と言うことはフォビアとか差別にはならないから、そこら辺の線引きなんじゃないかなという気がしますね。

なるほど。もうひとつあらためてお聞きしたいのが、LGBTという言葉が流通していくなかで、セクシュアル・マイノリティとか性的少数者とかいうときの「セクシュアル」「性的」という部分がぼかされてしまう、ということです。

田亀:「性」というニュアンスに対して固い場では語りづらいというのはあるんだな、と思いますね。ちょっと最近興味深いなと思ったのが、性的少数者という言葉に「性」が入るからLGBTになってしまうという話と、性的犯罪や性的暴行とかを「いたずら」なんかに言い換えるという話が――まったく違う話ではあるんですけれど、根底にあるのは同じなんじゃないかな、ということなんですね。性を大っぴらに語りづらいというところですね。やんわりと、直接的じゃない表現にするというところでは、同じなのではないかと思いますね。で、それは一種の要らない配慮みたいなものだと思うんですよ。

性の議論をどこまで出すのか、というのはLGBTイシューでつねに問題になることで、なかなか解決しないテーマではあるんですけれども。

田亀:あと厄介のは、「じゃあ議論しましょう」となると、今度は勘違いから「正しい性のあり方」みたいなものを持ってくる人たちもいるわけですよ。そうではない、というところを共通認識とするのはなかなか難しいかなとは思います。誤解する人は多いだろうなと。

なるほど。

田亀:だから、「真面目な性について語る」のではなくて、「性について真面目に語る」という、この違いをはっきりさせておかないと面倒くさいことになると思いますね。

そうですね、それは重要なことだと思います。いつもの話になってしまうんですけれど、そういうデリケートだったり複雑だったりする問題には、僕としてはカルチャーに期待したいなというところがあって。何が正しいか/正しくないかみたいなところで割り切れない問題を扱うのが文化だったり表現だったりするのではないかな、と。
たとえばですが、オーランドのゲイ・クラブでの銃乱射事件のときに#twomenkissingという男性同士のキス写真が流行りましたよね。男性ふたりのキスが事件の火種になったという報道がきっかけで――まあ、これについては犯人がおそらくゲイだったということがのちに明らかになったので、そう簡単に済む話ではないのですが、それでもホモフォビアに対してある種の揺さぶりをかけるものになっている。そうしたポップな社会運動みたいなものが、日本でももう少しあってもいいんじゃないかなと思います。

田亀:ですね。でも、これはソサエティによって意味合いが変わってきますよね。たとえば日本でキスというと欧米のキスよりもずっとセックスに近づいてしまうので、#twomenkissingのプロテストを日本でやることが有効かというと私はそうは思わないですね。男女でも公衆の面前ではキスすべからずみたいな社会なので、そこでキスのプロテストをするのは意味合いが変わってきてしまう。でも、オランダでゲイ・カップルが暴行されたヘイト・クライムに対して、異議を唱えるために政治家なんかが男同士で手を繋いで歩いたことがありましたけど、こちらだったら日本でもオッケーかなと思いますね。

なるほど。日本でもそういった前向きな動きがあればいいなとは思うのですが、一部では最近LGBTブームのバックラッシュが来ているのではないかと言われていますね。その辺りについてはどう思われますか。

田亀:うーん、まあ、そういうことを言う人もチラホラいますよね。でもそれと同時に、ネガティヴな話題が出たことに関して、昔だったら当事者の、しかもリブ団体だけが異議を唱えていたのが、最近ではゲイ/ヘテロ関係なくリベラルな人たちによる反論が出てきているので、私はどちらかと言えば健全かなと思います。

そうですね。これについては、もう少し長期的な視点で考える必要がありそうかなという気がしますね。

田亀:でもまあ、いままでなかったものが出てくると目立ちますから、LGBTブームが目立ったようにバックラッシュも目立ったように感じられるのかもしれない。ただ、それはある意味議論が始まったということでもあるので。

まあそれこそ、こういう議論ってとくに欧米では盛んに行われてきたものでもありますし、日本もそういう段階に入りつつあるのかなという気もします。

田亀:うん、だからバックラッシュが見られるようになったからといって、何かをやめようという方向にはならないと思うし、やめるべきではないと思いますね。

そうですね。

田亀:私が一番バカバカしいと思うのは、「ほら見ろ」、「ほらバックラッシュが始まった」みたいな言論ですね。そういうことを言う人間が一番バカバカしいと思っています。そんなこと、社会にとって何の役にも立たない、自分には先見の明があったんだみたいな自己顕示欲以外は何もない言論だから(笑)。

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辛さを描いてもいいんだけど、我々は大人なんだからさ、その子を救ってあげるヒントをちゃんと出そうよ、という。

 ゲイ・エロティック・アーティストとしてゲイ雑誌での作品の発表、海外でのイベントへの参加など変わらず精力的に活動を続けている田亀源五郎だが、一般誌での第2作となる『僕らの色彩』の連載がスタートした。『弟の夫』同様、月刊アクション(双葉社)での連載となり、公式サイトでは第1話の試し読みができる。
『僕らの色彩』は主人公の男性高校生・宙(そら)を中心とする青春群像劇。宙はゲイであることを自覚しているが、周りにそのことを打ち明けてはいない。また、クラスメートの男子に片想いをしている。そんななか、ある人物が現れて……というところから物語が展開する。もちろん、田亀にとってはじめての一般向けの青春漫画だ。

そんななか、田亀先生も新しい段階に進まれたと言いますか、一般誌での新連載を始められたわけですが。『ゲイ・カルチャーの未来へ』でも次は中学生や高校生が読めるゲイ・テーマの作品に興味があるとお話しされていたので、いわゆるカミング・オブ・エイジ(子どもから大人に成長する時期)ものになるだろうなと思っていましたが、真っ向からそこに取り組む物語ですよね。海外のゲイ映画や小説でもカミング・オブ・エイジものはたくさん作られてきましたが、田亀先生がそれで行こうと思った理由からお聞かせください。

田亀:ひとつには、『弟の夫』で一哉くんという悩める中学生のキャラクターを描いたときに、「ああ、この子が読めるものがあったらいいのにな」と作者ながらに思ったことです。あと、こういう子どもを描くという可能性を自分のなかで発見したというのがありますね。そのなかで、じゃあ自分がミドルティーンやハイティーンを主人公にしてどういう話を描けるか考えたときに――いまおっしゃったように、そういうものはたくさんあるんですよ。そのなかで自分だけのもの、新しいものをどうやって出せるかということを考えたときに、「こういうものは少なくとも私は見たことがない」という方向性を思いついたので、それを実行したという感じですね。

連載の告知があったときに僕が「おっ」と思ったのが、タイトルが「僕ら」という複数形になっていることだったんですよね。群像劇であることを想定されているのでしょうか。

田亀:そうですね。メイン・キャラクターがふたりいまして、そのふたりをまずは対比させて、さらに周囲の人間を描くという。これは『弟の夫』といっしょで、「この人にはこういう内面があって、この人はこういう内面があって」というもので世界は広がるかなというのがあるんですね。で、今回はちょっと冒険して、主人公をゲイにしてその内面を描いているんですね。これは読者の多くがヘテロであることを考えると、共感というところでハードルがすごく高くなっているので、はたして成功するかどうかわからないんですけれど。で、それをやってみたいなと思ったときに、主人公のモヤモヤだけではなくて、同時に主人公の横にいる人物のモヤモヤも描きたかったんですよね。だから、たんにひとりの男の子が悩んで成長する話にはしたくなかった。

なるほど、わかりました。あと僕が驚いたのは、けっこう田亀先生の自伝的な要素というか、ご自身の経験が投影されているなというところでした。これは僕が『ゲイ・カルチャーの未来へ』のときに実際に田亀先生の生い立ちについてお聞きしていたからでもあるのですが。

田亀:いやあ、それは印象的なエピソードをプロローグで入れただけ、みたいな感じですよ。

ほんとですか(笑)? でも、主人公がアート志望で美術部に入っているというのは。

田亀:でもそれは、描きやすいからですよ。私はほら、運動部の経験とかないから(笑)。

野田:運動部も描いてるじゃないですか(笑)。

(一同笑)

田亀:ポルノなら描いてますけど(笑)。

(笑)でも、僕としては田亀先生と近いエピソードが入っているのが何だか嬉しくて。

田亀:これはね、『弟の夫』を描いたときにつくづく思ったんですけど、どんなキャラクターでも自分のリアルな経験であるとか、そういったものを反映させると、キャラクターがいきなり動いたり肉がついたりするんですよ。たとえば『弟の夫』のユキちゃんなんかでも、本が大好きで、大人が言ったことに対して納得がいかなくて、みたいな部分は小学校の頃の私だし。

あ、なるほど。

田亀:夏菜が家まで我慢できずに『ロミオとジュリエット』を公園で読んで泣いちゃう、みたいなものも小学校の頃の私のエピソードだし、そういったものを入れることでキャラってリアルに育っていくんだなという体感があったので。だからこの宙くんに関しては、ちょっと積極的にそういうところを取り入れてみた、という感じですね。

そうかー。ゲイというアイデンティティだけでなく、美術というモチーフがどう物語と関わってくるのか、すごく楽しみにしています。そういった田亀先生ご自身のご経験やバックグラウンドも反映されていると思うのですが、いっぽうで、設定は現代にしてあってLINEなんかも出てきますよね。

田亀:ええ。

ご自身の高校生時代と、いまの高校生のゲイの男の子とでは、どの辺りが違うなと思われますか?

田亀:いやあ、それはわからない(笑)。

(笑)

田亀:それはわからないね。私の時代にはゲイ雑誌というものがあったけれど、この世代だと雑誌はまったく意味がないだろうし。じゃあ高校生で出会い系アプリをもう使っているのかというと……ちょっとわからない部分があるし、描きづらいなというのもあるし。いかんせん私が高校生だったのも、もう40年ぐらい前なわけで……それで高校生を主人公にしようなんて、我ながら無謀なことをやろうとするな、と。

(一同笑)

田亀:しかも、『弟の夫』で何とか幼女は描けるようになったけれど――で、美人とか婆さんとかは昔からよく描いてたけど、ミドルティーンの、いわゆるアイドル世代の女の子って一番苦手なのよ。それをメイン・キャラにするなんて、我ながらよく無謀なことをやったと思って(笑)。

(笑)でもそれは、新しい挑戦をしたいという欲求から来ているんじゃないですかね?

田亀:うーん、でも、必要だからしょうがなくやってるって感じかなあ。実際少し考えたんですよ。いまの高校生に自分がどれだけ寄れるかわからないから、いっそのこと昭和の話にしてしまって、過去の話にしようかとも思ったんです。けれどそうすると、個人のゲイが社会とどう繋がっていくかという私が描きたい部分がまったく違う意味になってしまうので、やっぱりこれは現代でなければいけないなというのがあって。いまから「こんな高校生いねーよ」と言われないようにしないと……。

ふふふふ。

田亀:担当編集さんが幸い平成生まれなので。ヒロインの髪型を最初「こんなのどうでしょう」と見せたら、「昭和っぽいです」と言われたり(笑)。

(一同笑)

少女漫画や女性漫画はとくに、髪型や服装、もしくはメイクのトレンドが大変と聞きますもんね。でも、いち読者としては無責任ながら、いまのティーンを田亀先生がどう描くかという点も楽しみにしていますよ。僕が高校生のときといまの高校生も、もう全然違うと思いますからね。何と言ってもインターネット以降だし、ゲイの高校生が知りたいと思う情報がどういう風に流通しているのか……。

田亀:ですね。まあ個人差もあるし、地域差もあるし、というところで何とか乗り切ろうかな、と(笑)。

ははは。でも、個人差というところで言うと、主人公の宙くんがすごくいいキャラクターだなと思いました。高校生としては自立しているなと思って。僕はまだ1話だけ拝読している状況ですけど、宙くんは自分がゲイであることを自覚していて、かつ、ややディフェンシヴではありつつも自尊心を持っていることはちゃんと伝わってくるんですよね。それこそクラスメートが同性愛を「気持ち悪い」と言っても、「こんなことで傷つかない」と考えたり。現時点でお話しできる範囲でだいじょうぶなのですが、宙くんのキャラクターはどのように生まれたのでしょうか。

田亀:傷ついたり悩んだり、というのは世のなかにいっぱいありますし、それで悲惨な結末を迎えるというのを私は山ほど見てきた。たしかにそれは現実の問題ではあるんだけど、それをフィクションで再生産することに私はあまり意味を感じなかったんですね。これに関しては、読んでいて嫌な気持ちにはなってほしくない、と。どちらかと言うと励まされてほしいかな、と――とくに若いゲイ当事者の子たちに。それプラス、自分で感じている社会のリアルを描きたい。宙くんのようにゲイを自覚していて、でも公表はできていなくて、自己保身の術は身につけているけれども、ときにそれが破綻してしまう……というのは、ティーンに限らず日本のアダルトのゲイにも多く見られるものだと私は思うんですね。ただ、アダルトはそのことに鈍感になってしまっている気がする。それを逆にティーンに持ってくることによって、その鈍感さというのを再度考え直すことがフィクションのなかでできるんじゃないかなという目算があったんですね。

なるほど!

田亀:そういう意味でこういうキャラクターにしたんですけれど、ぶっちゃけ最初は自分の高校時代に寄せすぎてしまって、編集者に「達観しすぎていて感情移入が難しい」と言われてしまって(笑)。

はははは! 田亀先生には申し訳ないですが、それめっちゃわかります(笑)。

田亀:それでもう少し、ウェットな方向に調整していますね(笑)。

でも結果として宙くんのこの感じというのは、共感もできるラインでありつつ、自分を持っている子だなというところで好感を持ちましたね。

田亀:自分のなかでは瑞々しい感じにしたかったんですね、イメージとして。瑞々しいけれど、傷つきやすいというものにはしたくない、そんな感じかな。傷ついてはいるんだけれども、ある程度以上は自分で癒せる。ストラグルする状況にはなるんだけれども、感触としては爽やかに描きたいなというのがあったので。ちょっと話ズレるけど、あれ観た? 『ハートストーン(註1)

註1
ハートストーン:2016年アイスランド/デンマーク映画。グズムンドゥル・アルナル・グズムンドソン監督作。アイスランドの小さな漁村を舞台に、少年少女の心の機微を描く青春映画。

観ました、観ました。

田亀:いや、映画としてはすごくよくできてたんだけど、「21世紀でまたこれ?」って。自分がティーンのときに観てたら、二度と観たくない映画になってたんじゃないかと思って。

まああれは、田舎の閉鎖的なコミュニティというのもありますしね。

田亀:ゲイの男の子のお父さんがすごくホモフォーブな人で、そのお父さんが町でゲイバレした人とケンカして、その人が引っ越しちゃったとか。そういうところですごくマッチョな教育を受けていた男の子が主人公のことをじつは好きで、でも誰にも言い出せなくて……というところで追いつめられていく。映画としての出来が良いだけに、何ともね。

ゲイ・アイデンティティであることの辛さみたいなものって、たしかに昔からフィクションでよくあるし、しかも辛いだけに受けてしまうんですよね。

田亀:辛さを描いてもいいんだけど、我々は大人なんだからさ、その子を救ってあげるヒントをちゃんと出そうよ、という。

『弟の夫』のドラマの反応を見ても、「ゲイのドラマというよりも家族のドラマ」、「ゲイのドラマだと思ったら人間の話でした」みたいなものがあるんですけれど、あれも私はちょっと違和感があるんですね。

なるほど。いや、まさにその辺の話をしたかったんですよ。この間日本でも公開されたブラジルの映画『彼の見つめる先に(註2)にしても、Netflixで観られる『ぼくたちのチーム』(註3)にしても、まさにカミング・オブ・エイジもので、ゲイの男の子たちが登場するんですけれど、すごく爽やかなんですよね。そうした前向きさこそが、ゲイのティーン向けのフィクションの現代性なんじゃないかと僕は思っていて。体育会系のホモフォビアとぶつかるだけじゃなくて、和解することや、あとゲイ当事者の自尊心もきちんと描かれている。そういう意味で田亀先生の『僕らの色彩』についても、ムードとして現代的な前向きさを感じました。

註2
『彼の見つめる先に』:2014年ブラジル映画。ダニエル・ヒベイロ監督作品。ブラジル・サンパウロを舞台に、目の見えない少年レオの恋や友情を描く青春映画。ちなみに重要なモチーフとして使われるのがベル&セバスチャンの“トゥー・マッチ・ラヴ”。

註3
『ぼくたちのチーム』:2016年アイルランド映画。ジョン・バトラー監督作品。ラグビー人気の高い寄宿制男子校に通うゲイの高校生ネッドが、同室のラグビーのスター選手であるコナーと友情を育む姿を描く。

田亀:ぶっちゃけた話、『ムーンライト(註4)がやっぱりすごくヒントになったんですよ。あれだけセンシティヴでありながら、暗くないというか。個人の内面の話と社会の話がシームレスに繋がっている感じがして。『弟の夫』を描くときには『ウィークエンド』辺りに刺激されたところがありましたけど、次の作品をどうしようかとボチボチ考えているときにちょうど『ムーンライト』を観て、「しまった、やられた」と思ったところがあるので。

註4
『ムーンライト』:2016年アメリカ映画。フロリダ州マイアミの貧しい地区で育った少年シャロンの成長を3つの時代に分けて描く。第89回アカデミー賞受賞作。

『ムーンライト』もそうですし、田亀先生は同時代のものをしっかりチェックしてらっしゃるので、時代の空気を読んでいらっしゃると思いますよ。『君の名前で僕を呼んで(註5)もある種のカミング・オブ・エイジものですけれど、それもゲイ・アイデンティティに悩みすぎない現代的な空気があります。

註5
『君の名前で僕を呼んで』:2017年イタリア/フランス/ブラジル/アメリカ映画。ルカ・グァダニーノ監督作品。1983年の北イタリアを舞台に、17歳の青年エリオが年上の青年オリヴァーに抱く恋心を瑞々しく描く。主題歌はスフィアン・スティーヴンス。

田亀:『ゲイ・カルチャーの未来へ』でも話したけれども、自分の内面のほうはアダルト作品のほうで思いっきり表現できているので、一般で描くときは外に広がっていく感じにはなっていて。当然、「いま描くなら何だ」という意識はあります。『ハートストーン』を観て「いまこれはちょっと」と思ってしまうように、「いま私はこういうのがいいな」と思う部分が出てきているとは思います。

田亀先生が世代を超えて、若者を描かれているのがいいと思うんですよ。ゲイってとくに、生まれる時代によって生き方が左右されてしまうところがありますよね。そこで切断が起こってしまうのも寂しい話だと思いますから。

田亀:ですね。切断で思い出しましたが、『弟の夫』のドラマの反応を見ても、「ゲイのドラマというよりも家族のドラマ」、「ゲイのドラマだと思ったら人間の話でした」みたいなものがあるんですけれど、あれも私はちょっと違和感があるんですね。「ゲイのドラマであって、家族のドラマである」っていうものなので。ゲイであることを描くのであればゲイのことも描くし、その家族のことも描くし、という風に、私のなかでそこはシームレスに繋がっているんだけれども、どうも世のなかにはゲイというところで切断したがる傾向があって。

ありますね。

田亀:私はゲイものということにこだわりたくて、そこは切断したくないという想いがありますね。そうすることで「ゲイが存在する社会」「ゲイ・キャラクターが登場するフィクション」というものを、当たり前のものとして描きたい。

なるほど。ゲイ・テーマの物語が普遍性を持つというところで挑まれている、ということですね。では、次で最後の質問にしたいと思います。『弟の夫』は「ヘテロ向けゲイ漫画」というコンセプトでした。『僕らの色彩』も、もちろんそんな風に多くの方に読んでいただきたい作品ではあると思うのですが、敢えて言えば、とくにどういった人に届けたい作品なのでしょうか。

田亀:ティーンのゲイに届けばいいな、とは思いますが、『弟の夫』みたいに明確にコンセプチュアルなものではないので、誰それに届けたいというよりは、自分で描きたかったもの、という気持ちのほうが強いです。

でも、仮にゲイのティーン向けのものであったとしても、それ以外の人にも十分届くと僕は信じたいですけれどね。

田亀:それは狙っているんですよ。そこから普遍的なものに引っ張っていきたい。ただ、単純に一般誌で描くときに「ゲイのティーン向けです」というのでは、企画を通すのは難しい(笑)。

なるほど。ただ、『弟の夫』のドラマの話と同じで、ゲイ向けのものが受け入れられる土壌もできてきたように僕は感じますけれどね。

田亀:それはそうなんですけれど、現場ではゲイものということで過剰な反応が起こるのもやっぱり見てきていますからね。

ああ、なるほど。

田亀:あ、一番届いてほしかったのはね、13歳から18歳の自分ですね。

ああー!

田亀:それが一番あります。自分が13歳から18歳のときに、欲しかったけれどもなかったもの、という。それは、いまの社会を見ていてもあるとはどうも思えないので。ロマンスものでもなくて、性的なエンターテインメントでもないゲイものということですね。それを描きたかった。

田亀先生のこれまでのモチベーションとまったく同じというところに感動します。

田亀:ふふふふ。

ゲイ・ポルノの分野でも世になかったものを描き続けてきた田亀先生が、カミング・オブ・エイジものでも世になかったものを描かれるというのはすごく筋が通ったお話だと思います。

田亀:アウトラインだけ聞くとよくある話になっちゃうから、読んでもらわないと始まらないという話ではあるんです。

わかりました。物語の続きを楽しみにしています!

※ ドラマ『弟の夫』全3話は、5月4日(金)にNHK総合テレビにて放送(第1回13:05~、第2回14:00~、最終回15:05~)。

Sons Of Kemet - ele-king

嵐がおれの海の旅の目覚めを祝った アルチュール・ランボー

 これは海で生まれた音楽である。カリブ海の岬からアフリカの岬へと往復される航路のなかで……。ことにカリブのリズム、ソカとカリプソの灼熱のリズムがアルバム前半の祝祭性をいっきにあげる。そしてエジプトの黒い大地=ケメトの子供たち(サンズ・オブ・ケメット)の新作は、『あんたらの女王は爬虫類( Your Queen Is A Reptile)』なる題名をひっさげて、アメリカの名門〈インパルス!〉からリリースされる。
 UKジャズとは、雑種であることを良しとする。ジャズ警察をとっとと無視し、ジャズ・ファンと呼ばれる人たちの耳を堂々と裏切る。それはジャズ・ウォリーズ以降の大いなる道筋だ。ジョージ・オーウェルの『1984』における“党”は、現在を支配するがゆえに未来も過去もコントロールするが、ジャズ・ウォリーズはその現在を転覆したことで、未来も過去も自分たちでリライトすることに成功した。いまそのとき生まれたであろう未来──ときにそれはやかましい未来、騒々しい未来だが──の航路を旅しているのがシャバカ・ハッチングスである。もし、この現在において、本当にUKジャズなるモノが勢いづいているのだとしたら、その中心にいるのは33歳のカリブ系イギリス人のサックス奏者にほかならない。

 サンズ・オブ・ケメットは、シャバカの手掛けるプロジェクトのひとつで、ふたりのドラマー(トム・スキナー+セブ・ロチフォード)とひとりのチューバ奏者(テオン・クロス)のクアルテットを基盤としている。すでに2枚のアルバムをリリースしているが、本作と併せて聴いてみるべきはセカンド・アルバム『我々が何をしにここに来たのかを忘れないために( Lest We Forget What We Came Here To Do)』だろう。
 というのも、そのアルバムの最後から2番目の曲名が“アフロフューチャリズム”であるからだ。その前の曲がアフリカ系の女流SF作家の名を曲名にした“オクティヴィア・バトラーの長い夜”。曲名を知って曲が聴きたくなるアーティストは、このようにごく稀にいる。

 『ユア・クイーン・イズ・ア・レプタイル』の曲名はすべてが“My Queen is ●●”となっている。●●のところに入るのは、すべてアフリカ系の女性たちの名前だ。それはアンジェラ・デイヴィスのような(元)活動家の名前から、指導者、先駆者、あるいはハッチングスの祖母の名前にまでいたる。不勉強さゆにえ知らない名前ばかりだが、すべてが実在している“女性たち”の名前だ。そう、ぼくはぼくの不勉強さゆえに知らない/見えていない名前は、オーウェルの『1984』にならって言えば、党が支配する現在が示す歴史ではそれほど重視されていない名前かもしれない。だからこそやらなければならない。ハッチングスは、党の支配に逆らって神話を創出しなければならない。

 それにしてもこの音楽はいったい何なのか。カリブ海のリズム/アフロビートの壮絶なる混交、それはひとつには、この音楽が完璧にダンス・ミュージックであることを示している。地下で催される政治集会か、あるいは森の奥深いところか、そしてサックスとチューバの旋律は、ブルージーなジャズとは別のところから聴こえてくる。それはどこなのだろうか。その曲“マイ・クイーン・イズ・エイダ・イーストマン”では、かつてLVとダブステップ作品を制作している詩人のジョシュ・アイデヒンがマイクを握る。支配者たちへ宣戦布告である。そして“マイ・クイーン・イズ・マミー・フィップス・クラーク”で、ハッチングスはレゲエのサウンドシステム文化をこの名状しがたい神話的ジャズに接続させる。

 コートニー・パインがUKジャズに持ち込んだ大きなものは、ジャマイカのサウンドシステム文化だった。よく知られるように、キング・タビーの実験的なダブ・ミキシングは、彼の芸術的野心によってうながされたわけではない。ダンスホールに集まった人たちをどれだけ喜ばせる/驚かせるかという(経済的に不自由な人間の)娯楽的探求心によってもたらされている。まずはそれがひとつ。
 さらにもうひとつの重要点は、サウンドシステム文化とは音を電気的に増幅し、加工することだ。アコースティックを前提とするジャズ演奏において、これはある種の禁じ手だろう。しかしながらUKジャズという雑種においては、むしろこの手を使わずにはいられない。“マイ・クイーン・イズ・マミー・フィップス・クラーク”ではかつてMCレベルの名で活躍したコンゴ・ナッティがマイクを取って、この素晴らしい混交にエネルギーを注いでいる。そして、モーゼス・ボイドとエディー・ヒックスという、まさにいま旬のドラマーふたりを交えた“マイ・クイーン・イズ・ハリエット・タブマン”はさらにすさまじい情熱で大西洋を渡り、速度を上げて航路を運行する。そう、これこそポール・ギルロイが描いた航路の音楽と言えよう。
 シャバカ・ハッチングスは、しかし、コートニー・パインやジョン・コルトレーンばかりを聴いてきたわけではない。彼は若い頃、スティーヴ・ベレスフォードやエヴァン・パーカーとも出会い、フリー・ミュージックについての教えも受けている。その流れでセシル・テイラーを聴き込んでいる。そうした背景が、彼の音楽をシンプルなジャマイカン・ジャズへとは向かわせないのかもしれない。“マイ・クイーン・イズ・アンナ・ジュリア・クーパー”から“マイ・クイーン・イズ・アンジェラ・デイヴィス”へと、彼らの即興性は高まっていく。
 かつてはアンダーグラウンド・レジスタンスも曲の主題にした逃亡奴隷の女性リーダー/ジャマイカの国民的英雄の名を冠する“マイ・クイーン・イズ・ナニー・オブ・ザ・マルーンズ”は、過去を照らし出しながら大らかな空気を放流する、言うなればナイヤビンギのアンビエント変異体だ。続く“マイ・クイーン・イズ・ヤァ・アサンテワァ”では、ふたたびモーゼス・ボイドとエディー・ヒックスが加わり、ハッチングスは女性サックス奏者のヌビア・ガルシアと共演する。イギリスの植民地主義と闘った西アフリカの女王の名前を冠するこの曲は、彼女の抵抗を讃えているのだろう、ハッチングスとガルシアの勇ましくも美しいメロディが絡み合っている。
 南アフリカの活動家の名前を冠した“マイ・クイーン・イズ・アルベルティーナ・シスル”で、アルバムはそしてまた激しさを増していく。打ち鳴らされるカウベルに導かれるかのように、アルバム前半のソカのリズムは取り戻され、最後の曲“マイ・クイーン・イズ・ドリーン・ローレンス”へと繫がっていく。1曲目でフィーチャーされたジョシュ・アイデヒンがここでもMCを務める。それはアルバムが怒りを持って締められることを意味しているのだろうか。シャバカ・ハッチングスは、感情の火の粉を降らせはするが、無駄にそれを引きずることなく、すぱっと音を止め、そしてリズムだけを走らせる。

 『ユア・クイーン・イズ・ア・レプタイル』は、100%政治的なアルバムであり、アフロフューチャリズムであり、ブラック・アトランティックである。そして、USの名門ジャズ・レーベルからのリリースとなるそれは、UKジャズという雑種の気高さをこれでもかと主張する。大海原を航海しながら、党の支配や思考警察に刃向かいまくる。未来を描くために。

interview with BES & ISSUGI - ele-king


BES & ISSUGI
VIRIDIAN SHOOT

WDsounds/Pヴァイン

Hip Hop

Amazon

 近いところにある交わってないストーリーが出会う。まざりあうことで純度を増していくHIP HOP。プラスがプラスになるコンビネーションが作り出すシンプルな強さがこの作品の柱を作っている。気持ちよくただただ乗って欲しい。
 「HIP HOP?」と自分に問うことへの答えと、「HIP HOP?」と他者に問われたときの答えは違う。BESとISSUGIがリリースしたアルバム『VIRIDIAN SHOOT』は絶対的に「HIP HOP」として存在する。初めてこの作品を聴いたときに強烈に感じさせられた「HIP HOP」を理解するひとつの手がかりを言葉にしたくてふたりに話を聞いた。

地元の先輩のDJがレッドマンの“IT’S LIKE THAT”ってあるじゃないですか? それに山本リンダをブレンドしてたんですよ(笑)。
──BES
かなりどぎつい味になりそうですね(笑)。
──ISSUGI

お互いの出身地と育った場所を聞かせてください。

ISSUGI(以下、I):俺は練馬です。学校は荻窪だったんだけど、基本的に練馬からそんなに離れた所に住んだことないですね。

BES(以下、B):俺は18位から渋谷で遊びはじめて。地元にはいて、地元は東京の青梅ってとこなんですけど。20くらいまで地元にいて、何もないんでそこから出たくて。地元から出て。そのときもう、池袋BEDで「URBAN CHAMPION」(池袋BEDでいまも続いているパーティ)はMOTAIとかとやってたんですけど。はじめたばっかのときは青梅で。地元でやってても面白くなくて。音楽やる奴がほとんどいなかったんですよ。ラッパーっていっても違う感じだなって思ってて。そのときもうEISHIN(SWANKY SWIPE のメンバー)と組んでたんですよ。中野にはしょっちゅう遊びに行ってました。

 SWANKY SWIPEはBES、EISHIIN、DJ PORCHE、YODELからなるグループで2000年代にHIP HOPをHIP HOPそのものとして新たな次元に持って行ったグループのひとつだ。アルバム『BUNKS MARMALADE』を是非聴いて見て欲しい。リリース当時さまざまな場所で話題になっていた記憶は鮮明に焼き付いている。90年代にヘッズにトラウマを残したBOOT CAMP CLIKと近い存在と言っても過言ではないだろう。SWANKY SWIPEのBESとEISHINの出会いは意外だけれどしっくりくる。

EISHINと組みはじめたのは?

B:18、9からですね。EISHINはわからないですけどおれは向こうがラップやってるのは知ってたんで。新宿にCISCOがまだあったときに、たまたまばったり会ってですね。その前にも何回か連絡してたんですけど、電話切られちゃったりして(笑)。俺は中学からEISHINのこと知ってたんですよ。お互いスキーやってて、スキーの大会で知り合ってるんですよ。「サイプレス・ヒル聴いてる?」 「聴いてる、聴いてる」とか言って。

I:面白い。

青梅に住んでたときの思い出の曲ってありますか?

B:そのとき、地元の先輩のDJがレッドマンの“IT’S LIKE THAT”ってあるじゃないですか? それに山本リンダをブレンドしてたんですよ(笑)。

I:かなりどぎつい味になりそうですね(笑)。

B:そうそう。俺爆笑してて、ひとりで(笑)。「だっだだだだだだ」って山本リンダが入ってくる。クラブでそういう時間があったんですよ(笑)。その人は青梅から絶対に出ない人なんですけど。福生で基本イベントやってるのが多くて、アメ車の輸入やってる先輩がいて、その人達がYOU THE ROCKとかを呼んでイベントやってたんですよ。そこで自分がセキュリティとかやってて。19とかっすかね。そのパーティは人も凄かったですね。

I:その時代知らなかったです。ふたりとも別々でソロでやってたんですね?

B:いや、EISHINはグループ組んでたんだけど。結局グループがなくなっちゃって、相手がいないってなってて。そんで、地元の奴ごしに、八王子に会いに行って、そこで会うのが後のDJ PORCHEなんですけどね。それで、八王子でイベント出てました。「URBAN CHAMPION」の前ですね。お客さん5人しかいなかったり、見よう見まねでフリースタイル・バトルやって無茶苦茶になって笑っちゃったりとか(笑)。春木屋って店があって、スタジオとライヴハウスがくっついた3階あるところなんですけど。春木屋はもうないんですけどね。。15年以上前ですね。

I:面白そうですね。

その頃はISSUGIとはまだ会ってないですか?

I:俺はまだですね。BEDに遊びに行くようになって「URBAN CHAMPION」とか「ELEVATION」ってイベントがあって、それで知ったって感じですね。仙人掌とかメシアTHEフライが先に知ってました。SWANKY SWIPEって人達がいるって、聞いてて。それで、場所がBEDだったんですぐにライヴを見て。

その時の印象は?

I:ライヴ見て、衝撃受けました。何話したかは覚えてないんですけど、「ライヴやばかったす。」って感じのことを言って、普通に握手しようとしたら。このタイプの握手の人だったんすよ。(4段階式の握手の手振りをする。)わかります?「ガッ!ガッ!ガッ!ガッ!」みたいな。周りにあんまりそういう人がいなかったんですよね。

B:MSこうだったじゃないですか? 俺たちはこうで。パチンってやるのをやってたんですよね。最近みんなこうじゃないですか?(色々な握手を手振りする)

たしかに。その頃って握手の仕方違いましたね。

B:ありましたよね。俺たちはこうパチンで。鳴らすのをずっとやってて。

I:いままで見たこと聴いたことないラップだなって思ったのを覚えてます。

そのときに一緒に曲を作るイメージはありました?

B:なかったよね。

I:その頃はBEDで会うっていう感じでしたね。毎月何回か何かのイベントでBEDで。

B:ライヴなくても会ってたりしてたね。

 BESもISSUGIも出演してなくても、クラブにいる印象がある。MONJUのメンバーである仙人掌はBES、SWANKY SWIPE双方のアルバムに参加しているのもあって、出会った当初から共に曲を作っている印象を持ってる人は少なくないだろう。初の共演は2012年になる。

「BES ILL LOUNGE」(MIXED BY DJ ONE-LAW)ので初めて一緒に曲やってるので合ってますか?

B:たぶん。

I:はい。そのなかの“COFFEE & SUGAR”が最初だと思います。バトルに一緒に出たりはしてたんですけど、曲作りはそこまでなかったですね。

B:ないっす!

それより前に曲作ってるんじゃないか? って思ってしまいます。

B:やってないですね。やるとしたら仙人掌でしたからね。

SWANKY SWIPEもBESの1stも参加してますもんね。“COFFEE & SUGAR”はどういう経緯で作ることになったんですか?

I:GUINESS君(ラッパー/『BES ILL LOUNGE』をリリースしたレーベル、SNAKESLOWを当時運営)が振ってくれたんでしたっけ?

B:うん。GUINESS君からだと思うよ。

I:それで、ビートを聴いてもらって、すぐに、面白いと思ってすぐ作ったすね。

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俺が、USのラッパーのトラックにラップのせてっていうシリーズを作りたいなと思ってて。たまたま、、あれ? 俺から声かけたんだっけ?
──BES
はい。「ビートジャックしたミックステープ」を作ろうって誘いの連絡をもらいました。
──ISSUGI


BES & ISSUGI
VIRIDIAN SHOOT

WDsounds/Pヴァイン

Hip Hop

Amazon

そういうエピソード聞くのすごく好きです。そこからまた時間が5年くらい空いて今作『VIRIDIAN SHOOT』ですが、どういう経緯で作ったんですか?

B:俺が、USのラッパーのトラックにラップのせてっていうシリーズを作りたいなと思ってて。たまたま、、あれ? 俺から声かけたんだっけ?

I:はい。「ビートジャックしたミックステープ」を作ろうって誘いの連絡をもらいました。

時期的には16FLIP vs BES(BESのアルバム『THE KISS OF LIFE』を16FLIPが全てREMIXしたもの。アルバム本編には収録されていなISSUGIのRAPも収録。)よりあとですか?

I:それより前の可能性があるんですよね。「『THE KISS OF LIFE』のリミックスやってよ?」って言われる前に、ジャック系の作品を作ろうっていうのでこっちのプロジェクトは動いていて。

その時点でレコーディングはじめてましたか?

I:はい。そうなんですよ。3~4曲くらいは録ってたんですよ。DOPEY君(東京のRGFのトラックメーカー。アルバム『SMILE』をリリースし、現在、制作動画と配信のプロジェクト「WORKS」をゲストを招き展開中)のとこで。

全部DOPEYのところでレコーディングはしてるんですか?

I:最初はDOPEY君のところでなんですけど、分かれてるんすよね。3つの時代に。DOPEY君/ODORI STUDIO/KOJOE君のところ。

レコーディング時期も分かれてるんですか?

I:各4ヶ月、3ヶ月は空いてますね。

レコーディングしてる日数はどれくらいなんですか?

I:今回スタジオ入ってる回数は少なくて5回とかだと思うんですよ。1日にふたりで3曲くらいRECORDINGしてたんですよね。

期間が空いてるとはいえ、かなりハイペースでのレコーディングですよね。意図的にですか?

I:俺的には単純に一緒にいると勝手に曲ができ上がってくようなイメージでしたね。パッパッパって。

B:どっちかが書けたら先に録ってっていう流れ。合わせてリリック書いたりふたりで構成作って、できたらそれでOK。

I:自分でも驚くほどでしたね。こんなに楽に曲できちゃって。だって、何もない状態でスタジオ行って、「今日何やりますか?」ってはじまってるのに、帰るときには3曲くらいでき上がってて。やべーできた! って。

ふたりで作ってる印象を強く感じました。

I:どっちかの聴くとそれによってスラスラと書けるというか。俺のなかで最初はビートジャックのミックスCDを作ってる感じで作ってたので、普段のアルバムよりちょっとゲーム的というか、煮詰め過ぎないスピーディな質感が出せたと思ってます。BESとレコーディングしてったものを、持っていってディール組んでお金ゲットしてっていう。BESの誘ってくれたゲームに参加させてもらうみたいな意味でも楽しめたというか。

B:ありがとうす。

楽しんでる感じ伝わります。エグさももちろんあるけど、音に乗ってる楽しさというか、気持ち良さを感じました。どのようにこの作品のアイデアは生まれたんですか?

B:『BES ILL LOUNGE』で海外のトラック、ビートジャックしたらCDでだったら出せるってわかったから、自分の好きな曲のトラック使ってやりたいって思って。それ作れたら最高だと思って、そのときに話ししてたレーベルが「お金の話しましょうか?」って言ってたんだけど、「できました」って持ってったら、「流通しかできません」って言われて。「お金の話しようっていってたじゃん」って。それでどうしようってなって。

I:そっからはバトンタッチっていうか、自分がそのバトンを持ってやるぞっていう。

そこからアカペラをトラックにのせていく?

I:5曲くらいはトラックに合わせて書いたんですけど、他はアカペラをトラックにのせて行きました。

どういう流れで制作してたんですか?

I:基本的には自分が集めたオリジナルのビートにアカペラを乗せ変えて曲を作って、BES君に「気に入らない(ビートとアカペラがあってない)のがあったら言ってください」って送ったら。これで全部ばっちりってなって。

作り方自体がかなり面白いですよね。

B:そうなんすよ。

I:いままで自分でもないっていうか。

B:俺もないっす。

 ビートジャックからオリジナルにBESからISSUGIにバトンが行き来する。海外のミックステープでオリジナルのものが既存のインストにブレンドされたものは普通に存在してる。その逆の作り方で作られたアルバムはこの作品以外に存在するのだろうか? ビートジャックして作られた「オリジナル」のものを聴けることはあるのだろうか?

I:はめこんで作る作業が面白かったですね。この雰囲気にあうビートはこれでとかで。やってみて合わなかったのもあるし。元々フックががっちりできたものは、このフックに合うトラックをはめるっていう作業だったり。“NO PAIN, MO GAIN”がもろそういう曲で、フックのハマりを失いたくないなと思って、探して元のフックにバッチリ合うビートが見つかって完成したときは嬉しかったですね。

トラックは新たに探したというよりは自分がもっているストックを使ったんですか?

I:はい。GWOP (GWOP SULLIVAN)のビートは自分のソロのときにALL GWOPプロデュースで出したいなと思って、十何曲くらい持っていて。やりたいと思ってたんですが、自分のなかで先の先の先くらいのプランで考えていて。すぐ制作に入れない感じだったんですよね。でもビートってずっと持ってると自分にとって古くなるというか、ビートってそういうのあると思うんですよね。だからBES ISSUGIを作ってるときにコレだと思ってそこにGWOPのビートを全部つぎ込みたいと思って。作りました。

GWOPに対する印象をそれぞれ聞かせてください。

B:渋いっすよね。

I:俺も渋いと思いました。渋いんだけど年齢もそんなにいってないと思うんですよ。自分より年齢下なんじゃないかな。若くて渋いところわかっちゃってるビート作るやつだと思ってて。だから90sの焼き直しと全然違うフィーリングというか、鳴り含めてアップデートされているんですよね。あとはドラムに勢いがあってドラムの跳ね方がヤバいことになってますね。GWOPのビート、ドラムとベースの出方がウーファーから風が吹いてきそうなんですよ。そういうところが好きです。

新たに録った曲もあるじゃないですか? どこでこのアルバムを完成だと決めましたか?

I:いちばん最後にRECが終わったのが“WE SHINE”で、それが終わったときにこの曲で揃ったかなと思ったんですけど、自分的に“WE SHINE”をアルバム最後の曲にしたくなかったのでBONUS 2曲いれて、そこまでの流れで1枚聴いて欲しいと思ってました。アルバム作ってて これがHIP HOPっしょって気持ちもあったし、HIP HOP好きなやつが聴いてぶち上がるアルバムにしたいという思いもありましたね。

 絶対的な「HIP HOP」に作品で聴き、ライヴで首を振りまくって騒いで欲しい──

〈VIRIDIAN SHOOT LIVE TOUR〉
4/28 北見UNDERSTAND
4/29 旭川BROOKLYN
5/5 池袋BED
6/2 京都OCTAVE
6/3 岐阜
6/30 水戸MURZ
7/14 福島

「BES & ISSUGI『VIRIDIAN SHOOT』
& Mr.PUG『DOPEorNOPE』DOUBLE RELEASE PARTY
supported by CARHARTT WIP」

日程:2018年5月5日(土・祝)
会場:池袋BED
OPEN 22:00
DOOR / ¥3,000 1D
ADVANCE TICKET / ¥2,500 1D + BONUS CD
RELEASE LIVE:
BES & ISSUGI
Mr.PUG
(feat 仙人掌,MICHINO,Eujin KAWI)
LIVE:
弗猫建物
BEAT LIVE:
CRAM
ENDRUN
DJ:
BUDAMUNK
DOPEY
JUCO
GQ
TRASMUNDO DJs
YODEL & CHANGYUU

チケット取扱店:
DISK UNION
JAZZY SPORT
TRASMUNDO
7INC TREE LIMITED STORE

interview with Tim Liken (Uniting Of Opposites) - ele-king


Uniting Of Opposites
Ancient Lights

Tru Thoughts / ビート

JazzPsychedelicTraditional Indian Music

Amazon Tower HMV iTunes

 反対のものをユナイトすること。それは、たんに逆の性質のものを合体させるということではなく、逆のものをそもそも逆だと見なさない、ということなのだそうだ。ユングの著作から採られたユナイティング・オブ・オポジッツ(以下、UOO)というグループ名には、そのようなコンセプトが込められているのだという。
 UOOは、ベテランのシタール奏者クレム・アルフォードとベーシストのベン・ヘイズルトンのふたりが出会ったことがきっかけとなり、そこにこれまでティム・デラックス名義でハウスのヒット作を生み出してきたティム・リッケンが加わることで始まったプロジェクトである。その初となるアルバム『Ancient Lights』では、インドの伝統音楽と現代的なジャズ、生演奏のアンサンブルとエレクトロニックなサウンドなど、一見遠いところにあるもの同士の折衷がいくつも試みられている。その巧みなコラージュ・センスにはただただ脱帽するほかないけれど、2018年の現在もっとも注目すべきなのは、やはりそのジャズの側面だろう。
 本作にはクラリネット演奏のアイドリス・ラーマン(トム・スキナーととともにワイルドフラワーの一員でもある)や、アシュレイ・ヘンリー&ザ・リ:アンサンブルやサンズ・オブ・ケメットの新作にも参加したドラマーのエディ・ヒックが名を連ねており、まさにいま大きなうねりとなっている南ロンドンのジャズ・シーンとリンクする作品となっている。
 他方インド音楽といえば、旧宗主国たるUKではそれこそビートルズの時代からそれを取り入れる動きがあったわけだけれど、90年代以降のクラブ・ミュージックの文脈でもニティン・ソウニーやタルヴィン・シンといったUKエイジアンたちがエレクトロニックな音楽にその要素を取り入れてきた。つまりUOOは現在の南ロンドンのシーンとの接続を試みる一方で、これまでのUK音楽における多様性の系譜にも連なろうとしているのである。それを同時に成し遂げてしまうことにこそ、まさに「そもそも反対だと見なさない」という彼らのスタンスが表れているのではないだろうか。
 UKの混淆性そのものを体現するかのような『Ancient Lights』という素敵なアマルガムを生み落としたUOO、その中心人物のひとりであるティム・リッケンが新作について、そしてインド音楽や南ロンドンのシーンについて語る。


photo: Kid Genius Creative

逆という見方をしない、逆を持たないというのがコンセプト。真逆のものからわかる発見、事実、そういった感じかな。

ユナイティング・オブ・オポジッツにはシタール奏者やタブラ奏者など、多くの人が参加していますが、まずはバンドの結成に至った経緯を教えてください。

ティム・リッケン(Tim Liken、以下TL):友だちのベン・ヘイズルトンがメンバーを紹介してくれたんだ。ベンとは7~8年の仲でね。『The Radicle』のときに彼がベースで参加してくれて、そのときに他のミュージシャンを探すのも手伝ってくれたんだ。そのときに彼が一緒にプロジェクトをやりたいと提案してきて、まず最初にクレム・アルフォードに声をかけて、3人で音楽を作り始めた。でもプロデューサーという視点から見ると、僕はもっとミュージシャンが必要だと思って、ベンの紹介やロンドンのギグで知り合ったミュージシャンたちに参加してもらうことにしたんだ。エレクトロっぽいものは避けたかったし、ダンス・ミュージックを作りたかったわけでもない。より人間味のある音楽を作るには、それが必要だったんだ。

ユナイティング・オブ・オポジッツというグループ名にはどのような意味が込められているのでしょう? 「反対のもの」とは何と何ですか?

TL:名前はカール・ユングの心理学から来ていて、彼が書いた本も持っているんだけど、それには西と東の考え方の違いが書いてある。そのなかに「そのふたつの合体(Uniting)」という章があって、それがすごくおもしろいんだ。逆という見方をしない、逆を持たないというのがコンセプト。真逆のものからわかる発見、事実、そういった感じかな。

本作では大きくインド音楽の要素がフィーチャーされていますが、インド音楽に注目するようになったきっかけはなんだったのですか? やはり前作『The Radicle』で“Shanti”を作った経験が大きかったのでしょうか?

TL:これまで、あまりインド音楽は聴いてこなかった。でも初めて聴いたとき、西洋の音楽とはもちろんぜんぜん違うし、すごく魅力的だと思ったんだ。だから、サウンドやテクスチャー、リズムもそうだし、前作『The Radicle』に入っている“Shanti”のときからインド音楽の影響は取り入れてきた。あと、クレムは昔インドに行ってシタールを演奏していたときがあるから、彼はインド音楽のマスターなんだ。今回はそのクレムが参加してくれているから、それを大きくフィーチャーしたんだよ。

通訳:あなた自身はシタールやインド音楽を勉強したんですか?

TL:いや、してないよ(笑)。クレムからちょっと習ったり、自己流でルールを破りながら触って見ているだけ(笑)。インド音楽では、あまりコーラスやハーモニーがなくてほとんどがソロだから、そこは自分たちでシステムを変えてコーラスやコードを加えたんだ。

ニティン・ソウニーやタルヴィン・シンなどのUKエイジアンの音楽からの影響はありますか?

TL:それは僕にはわからないな。彼らはやっぱりインド音楽や文化に強いコネクションを感じていると思うけど、僕たちは彼らに比べるとそこまでではないと思うから。

今回、ご自身でもタンプーラ(Tampura)を習得したそうですが、ギターなどの弦楽器との最大の違いはどこですか?

TL:あの楽器は、音符が3つしかないから演奏するのは簡単だったんだ。タンプーラはおもしろい楽器で、ベースみたいな感じで、シタールとか他の楽器のメロディに合うようになっている。シタールはすべての弦を合わせて21本くらい弦があるけど、タンプーラは4本しかない。タンプーラで演奏するのは、音楽のキイとなる音のみで、他の楽器のベースになっている。だから、西洋の他の楽器よりも音のスケールの幅が狭いんだ。あと、タンプーラは催眠っぽくもあるね。トランスみたいな感じ。すごく変わっていておもしろい楽器だよ。クレムとベンが弾き方を教えてくれたんだ。

通訳:自分で習っている楽器は何かありますか?

TL:ピアノだけ(笑)。ピアノは上手くなりたい。他の楽器も好きなんだけど、僕はハーモニーが好きで、コードをプレイするのが好きなんだ。そっちのほうが音がもっとディープだと思うんだよね。

他方で本作にはジャズの要素もあります。アイドリス・ラーマンはワイルドフラワーやイル・コンシダードで、エディ・ヒックはルビー・ラシュトンやアシュレイ・ヘンリー&ザ・リ:アンサンブルで、南ロンドンのジャズ・シーンの隆盛に一役買っていますが、このアルバムも南ロンドンのジャズ・シーンとリンクしているという意識はありますか?

TL:もちろん。僕はたくさんジャズやクラシック音楽、ビル・エヴァンスのような20世紀初めのジャズとクラシックが交わったような音楽をたくさん聴くんだ。リラックスできるし、自分の耳のトレーニングにもなる。演奏がよりやりやすくなるんだ。ビル・エヴァンスはとくにお気に入りのピアニストだね。彼の、ジャズなんだけどジャズじゃない感じのスタイルが好きだね。

南ロンドンのジャズ・アーティストでもっとも注目しているのは誰ですか?

TL:南ロンドンのジャズ・シーンはここ2、3年でグンと大きくなったと思う。でも、人種の坩堝であるロンドンで流行っているジャズだから、ふつうのジャズではない。そこにちょっとハウスが入っていたり、ガラージが入っていたり、60年代の伝統的なジャズではないんだ。フェラ・クティのヴァイブもあるし、ハウスのリズムやビートがアフリカン・ミュージックのポリリズムと繋がっていたりもするし、ほんとうにおもしろいフュージョンが繰り広げられているんだ。すごく良いシーンになってきていると思うよ。僕が注目しているのは、やっぱりドラマーのエディ・ヒック。あとはキイボードのジョー・アーモン・ジョーンズ。彼はニュー・アルバムをリリースしたばかりなんだけど、曲の構成がほんとうに素晴らしいんだ。あと、女性ではヌビア・ガルシア。彼女はサクソフォンを演奏している。シーンには良いミュージシャンたちがほんとうにたくさんいるんだ。

フローティング・ポインツもハウスとジャズを、そして打ち込みと生演奏を横断するアーティストですが、彼の音楽についてはどう思っていますか?

TL:僕は彼の大ファン。彼がやっていることはほんとうにクールだし、インスパイアされる。彼のようなミュージシャンを見ていると、DJは控えてもっとライヴで演奏をしてみたいという意欲が湧いてくる。クラシックのトレーニングを受けていなくても、彼みたいに素晴らしい音楽を作ることができ、あれだけのパフォーマンスができるアーティストもいるというのは、自信を与えてくれるんだ。パフォーマンスに対して、もっとポジティヴにさせてくれるのが彼の音楽だね。

大きな質問になりますが、あなたにとって「ジャズ」とはなんでしょう?

TL:これはちょっと難しい質問だな(笑)。言葉にするのは難しい。自分が聴いていて、感情を大きく引き出してくれる音楽ではある。ハートに深く届く音楽だけど、それをどう言葉で表現すればいいかはわからない。すごくコネクションを感じるけど、それを言葉で呼ぶことはできないよ(笑)。心で感じるものだし、なんとも言えない感情だから。


photo: Kid Genius Creative

マシンに操られて行き場をなくしてしまうミュージシャンがたくさんいるのも見てきた。

このアルバムを作るうえでもっとも苦労したことを教えてください。

TL:いちばん大変だったのはスタートポイント(笑)。僕はプロデューサーでもあるから、どうしてもヴィジョンが見えていないと作業ができないんだよね。ただジャムをしてレコーディングするってことに慣れていないんだ。でもギグで何度も演奏して経験を積んでいるベンにとっては、それがふつうなわけで、彼は逆にスタジオ・ミュージシャンではない。だから、最初にどうやってレコーディングを進めていくかを考えるのがたいへんだった。でも、自分でレコーディングしたものを保存していたハードドライヴをなくしてしまったから、データがぜんぶなくなってしまったんだ。それが逆によくて、ゼロからのスタートになったから、ぜんぶ忘れてもっとフォーカスを定めることができた。とりあえず始めてみることにして、その流れで直感に従いながら自然と進めていくことにしたんだ。

近年はハウスから離れバンド・サウンドを取り入れていますが、生演奏に重きを置くようになったのはなぜですか?

TL:『The Radicle』でもそうだったけど、他のミュージシャンたちとコラボするのってすごく楽しい。コンスタントにツアーをしているからもうDJもしていないし、ピアノを習い始めたことがいいリセットになったんだ。ピアノを習い始めてからはずっと生演奏がメインになっている。いまはそこからインスピレイションを受けるし、そっちのほうが音楽とコネクションを感じるんだ。ルーツ・マヌーヴァのショウでドラマーのエディ・ヒックと一緒にプレイしていたんだけど、あれも良い経験だった。すごくチャレンジだったけど、あのおかげで演奏に自信がついたね。

ピアノなど生の楽器の良さはどんなところにあると思いますか?

TL:テクノロジーは更新の連続で、それがいかに新しいかが問われるけれど、楽器の場合、毎年ピアノを買い換えるなんてことはない。ひとつのピアノを手に入れれば、それをいかに自分のものにして長く使うかに価値がある。ギターをコレクションする人ももちろんいるけど、楽器のほうが深い繋がりを感じることができるんだよね。テクノロジーは、ニュー・ヴァージョンばかりが注目されて、すべてがマーケティングなところがあるんだよ。生演奏のほうが、自分の音楽を更新するのではなく、深めていくことができるんだ。

生演奏でなければできないこととはなんでしょう?

TL:その瞬間を捉えること。生演奏がおこなわれている瞬間がすべてで、それが経験になる。リスナーもその瞬間に入り込むことができるし、リスナーもそれを体感できるのは生演奏だと思うね。

逆にエレクトロニクスでないとできないことはなんだと思いますか?

TL:エレクトロニクスでも人間味を出すことはできるとは思う。マスターすれば、マシンに操られるのではなく、マシンを操って、人間の力を超えた何かを作り出すことができるとは思うね。それは大きな挑戦でもある。でも、DJの世界にいたこともあって、マシンに操られて行き場をなくしてしまうミュージシャンがたくさんいるのも見てきた。テクノロジーを使うのであれば、それを使いこなし操れるほどの知識とスキル、経験が必要だと思うね。

これまでティム・デラックス名義でやってきたことと今作の試みとのあいだで連続しているものはありますか?

TL:それはもちろんある。まったく違うものではなく、音楽キャリアの旅だからね。プロダクションの面で、僕が好きな音楽が反映されているということに変わりはないし、リヴァースディレイ、スピンはDJのバックグランドから来ていると思うし、ティム・デラックスで聴けるキイボードやタンバリンは、僕のミュージシャンの一面から来ていると思う。プロジェクトやレコードにはすべて共通点があるし、今回もエレクトロのリミックスを考えているんだ。

今後またハウスをやる可能性は?

TL:いまのところは考えていない(笑)。さっきも言ったように、いまは生演奏で得られるものに魅力と昂奮を感じているから。ピアノを始めてから、それをもっと感じるようになった。またハウスを作ることもあるかもしれないけれど、それがいつになるかは僕にもわからないね(笑)。

David Byrne - ele-king

木津毅

1)
かれらがいま深く感じているのは、自分たちは祖国を失いつつある、という思いです。抽象化され一般化された「国民」という考えを政府が振りまき、その結果、ほんとうの祖国が自分たちから奪われている、という思いです。自分たちは、弱者と称される人たちの「身代わりの犠牲者」になっているという意識です。しかも、その弱者たちは「大学出のリベラルなエリートたち」によって甘やかされているという思い込みがあり、それは、かれらのなかに根強く広まっています。そのことが非常にしばしば悲惨な結果をもたらすことになっているわけです。
──ノーム・チョムスキー著 寺島隆吉・美紀子訳『アメリカンドリームの終わり あるいは、富と権力を集中させる10の原理』(ディスカヴァー・トゥエンティワン刊)から、「原理10 民衆を孤立させ、周辺化させる」より

 ノーム・チョムスキーは現代アメリカ社会について平易に語った新著のなかで、 2016年以降を……ありていに言えばトランプ現象以降を踏まえつつ、格差が生み出した分断をそのように説明している。ここで言う「かれら」はおもにトランプに投票したような低収入の白人労働者のことだ。多くのひとが2016年にぶつかり、いまも向き合っている問題である。「リベラル」とされているものが権力者によってイメージ操作され、それ自体が周縁化を招いているとすれば、いま、「リベラル」は何を言えばいいのか。
 ひとまず自分がここで言いたいのは、現在「アメリカン」の冠ほど反語的な響きを有するものはない、ということだ。チョムスキーの同著の原題は『レクイエム・フォー・アメリカン・ドリーム』である。LCDサウンドシステムの昨年のアルバム『アメリカン・ドリーム』がそうであったように、わたしたちが「リベラル」と思っている場所から届けられた『アメリカン・ユートピア』は、「make AMERICA great again」の標語が代表する価値観を反語的に風刺するものだと見なせるだろう。

2)
 ブライアン・イーノ「これは、いま、アメリカ人たちが「トランプ当選」という事実に対して感じているのとまったく同じフィーリングなんだろうね。というわけで、我々リベラル派は――リベラルじゃなければ左派でもいいし、中道寄りの左派でも、とにかくまあ、その呼び方はなんでもいいんだけれども、そうした我々全員が、「いま、自分たちはどこにいるのか?」ということをしっかり見つめはじめる必要があるんじゃないか、私はそう思っている。」
──ele-king vol.19、2016年年間ベスト・アルバム号掲載のインタヴューより

3)
 『アメリカン・ユートピア』のジャケットを飾る不穏なアートワークはアウトサイダー・アートの画家とされるパーヴィス・ヤングが手がけたものだ。ヤングはマイアミ出身のアフリカン・アメリカンとして70年代の壁画アート・ムーヴメントから影響を受け、アメリカにおける大恐慌時代、消費主義、植民やネイティヴ・アメリカンの窮状などをモチーフにした作品を多く手がけたそうだ。アメリカという巨大な国家(「アメリカン・ユートピア」!)がどこから来たのか、どのような犠牲とともに成り立ってきたかを独特のおどろおどろしい色彩感覚によって執拗に描き続けた作家だと位置づけられている。

4)
 マイク・ミルズの映画『20センチュリー・ウーマン』は冒頭で“心配無用のガヴァメント”が流されることからもわかるように、トーキング・ヘッズが非常にアイコニックに引かれている作品である。舞台は1979年の西海岸。明らかにミルズの少年時代の姿が投影された主人公の少年ジェイミーは、同居人でアーティスト志望の年上の女性からラディカル・フェミニズムとパンク・ミュージックを教えられる。なかでもジェイミーのお気に入りはトーキング・ヘッズだ。彼はそのことで近所の不良から「アート・ファグ(アート気取りのカマ野郎)」と罵られるのだが、むしろその蔑称を肯定的に受け入れていく。ミルズは自分の感性を育てたのは70年代の個性的な女性たちであり、フェミニズムであり、アーティなパンク・ミュージックだと宣言し、あらためて感謝と敬愛を捧げている。「アート・ファグ」であることのプライドをそのとき知ったのだと。
 だが、タイトルに「20世紀の」と示されているように、そこには回顧的な意味合いが多く含まれている。70年代末のニューウェイヴは多くの少年少女を自由にした、たしかに。だが、それはいまアメリカにおいてどのようなものとして受け継がれているのだろうか。ラディカル・フェミニズムが21世紀において参照され日々更新されているのに対し、では、トーキング・ヘッズは、デヴィッド・バーンは、あるいは「アート・ファグ」はいまも通用するのだろうか?

 14年ぶりのソロ作である『アメリカン・ユートピア』は、わたしたちが一般的に抱いているデヴィッド・バーン的なイメージを大きく裏切るものではない。当たり前にマルチ・カルチュラルで、多彩なパーカッションで鳴らされる多様なリズムがあり、素っ頓狂なファンクのグルーヴがあり、ソウルフルだがどこか間の抜けた歌があり、それにやっぱり家のことを繰り返し歌っている。ほとんどの曲でブライアン・イーノが関わっていることもあり、イーノ時代のトーキング・ヘッズを彷彿とさせる部分も多々ある。聴いているとその変わらなさに何だか安心してしまうのは、バーン独特のクセのようなものがわたしたちリスナーにも共有されるイディオムとしてすっかり定着しているということだと思う。
 14年ぶり、と言ってもバーンは数々のコラボレーションをその間に行っており、なかでもセイント・ヴィンセントやダーティ・プロジェクターズとの共作は、サウンド面でもイメージ面でも、そうした「バーン的なるもの」を大いに頼りにするものであった。21世紀のアーティなインディ・ロック勢にとってバーンはつねに精神的支柱のようなところがあったのだろうし、そうした縦の繋がりが00年代の東海岸における知的なアート・ロックの盛り上がりを大いに担っていた。しかしながら、東海岸の「進歩的な」価値観が存在意義そのものから揺らいでいる2016年以降において、インディ・ロックの優等生たちは訴求力を失っているようにも見える。まさに「大学出のリベラルなエリートたち」の音楽として……。

 バーンとイーノは「アメリカン」を冠した作品を世に放つにあたって、徹底してその問題に向き合ったに違いない。『アメリカン・ユートピア』は、そして、バーンの20世紀からの功績を引き継ぎつつ、2010年代の音をふんだんに忍びこませるアルバムとなった。まずは何と言ってもOPNの起用だ。ダニエル・ロパティンは2曲で作曲にクレジットされているほか、別のいくつかの曲でも様々な楽器の演奏、それに「テクスチャー」で参加している。たとえば作曲に関わった“ディス・イズ・ザット”では、『R・プラス・セヴン』に収録されていてもおかしくないような乾いたビート音と美麗なメロディのやり取りが聴けるし、また、“ドッグズ・マインド”や ヒア”で聴けるリヴァービーな打音や繊細なアンビエント的音響にはかなりの部分で貢献しているだろう。あるいはジャム・シティ、あるいはサンファ、あるいはエアヘッド、あるいはトーマス・バートレット、少し意外なところではジャック・ペニャーテ……バーンよりもずっと若いミュージシャンたちが入れ替わり立ち替わり登場し、ポップ・アートの大御所のサウンドに新しい息を吹きかけている。バーンはそのセルフ・イメージやサウンド・シグネチャーを担保しつつ、どうにかそれを今様の響きを持つものとして鳴らそうとする。
 いっぽうで更新できていないこともある。本作に女性がひとりも起用されていないことが問題視され、バーン自身がそのことを謝罪したのだ。それこそPCが優先されて無理矢理に多様性が演出されるのもどうかと思うが、これだけ多くのゲスト・ミュージシャンが参加したアルバムに女性がいないというのはさすがに(しかもデヴィッド・バーンの作品としては)不自然だ。彼自身の無自覚な古めかしさがポロっと出てしまったのかもしれない。ただ、バーンは真っ向から反省を綴ったコメントを出した。結果として、新しくなろうとする彼の姿は作品の完成後にも証明されることとなったとも言える。

 肝心の「アメリカ」については、はっきりとした政治的モチーフとして表出してはいない。“アイ・ダンス・ライク・ディス”に登場するクレジット・カードに象徴される商業主義、“ガソリン・アンド・ダーティー・シーツ”において繋げられる石油と戦争のイメージ、“Bullet”の銃弾……そこここに現代アメリカが内側に抱える病の描写はあるが、それらはスローガンではなく、ちょうどパーヴィス・ヤングの絵画のように抽象化された風刺画のような形をとる。室内楽とシンセ・ポップを合体させたような本作中もっともチャレンジングなトラック“ドゥーイング・ザ・ライト・シング”は多義的な「正しさ」にこんがらがっているという点でじつに今日的な姿であるし、“エヴリバディーズ・カミング・トゥ・マイ・ハウス”が移民のことを指しているとすれば、「皆が俺の家にやってくる/誰も帰っていくことはない」というのはあまりにも示唆的なフレーズだ。その、どこか不気味さを湛えつつドライヴする情熱的なファンク・ジャムは、実際、アルバムのハイライトである──「皆が俺の家にやってくる/ひとりぼっちになることはない」。
バーンが『アメリカン・ユートピア』で取り組んでいるのは、現在というものに積極的に混乱するということであり、20世紀の「アート・ファグ」の精神を保ちながらも、だからこそ、それをアップデートしようと苦戦することである。迎合してはいない。が、自分自身を時代と照らし合わせて精査しようとしている。「リベラル」なアート・ロックが説得力を失っているとしても、ここでのバーンの姿勢はとても誠実だ──もちろん、ユーモラスでもある。

 本作を引っさげてコーチェラに出演したバーンのステージを配信で観たが、それがじつにイカしていた。10数人のメンバーが舞台に上がるが(ちゃんと女性のメンバーもいた)、マイクスタンドなど固定の機材はいっさい置かずに、6人ほどの打楽器も含め全員が首から楽器を下げてウロウロしながら演奏する。途中で挿しこまれる妙な寸劇と、合っているのかいないのかよくわからないダンス。デヴィッド・バーン的としか言いようがなかった。ゆるくてシュールな笑い、エキセントリックなのにどこまでもポップな人懐っこさ、キッチュなアート性、アフロやカリビアンを取り入れているのにギクシャクとしたリズム。雑多な人間がそれぞれワチャワチャと統制の取れていない動きをしながら、オリジナルなグルーヴとアンサンブルを生み出そうと共存している。まったく反語ではない「アメリカン・ユートピア」が、そこにはあったような気がした。

木津毅

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柴崎祐二

 デヴィッド・バーンは、長い活動を通して、知的アメリカン・オルタナティヴの拠り所で有り続けた。
初期ニューヨーク・パンク・シーンにあってトーキング・ヘッズはテレヴィジョンと並び唯一無二の個性を湛えたバンドとして活動し、ロックンロールへ回帰類型化していくパック・ロックへのカリカチュアとも言えるような脱構築的ロックコンボとして名を上げ、アフリカン・リズムを導入やブライアン・イーノとのコラボレーションなどを経て、その存在感を確固たるものにしてきた。
 その後もバーンはバンドの活動と並行して映画や舞台へも活動の場を広げながら、様々に先進的な作品を世に問い続けてきた。その表現活動は常に精緻な知的バランスに担保されたもので、時に理屈先行型のヘッド・ミュージック的(懐かしいワードだ)であると批判をされることもあったが、オルタナティヴの始祖のひとりとして、音楽界に限らず広く深いリスペクトを集め、いまや齢60代半ばにしてその評価は不動のものとなった感がある。

 今作『アメリカン・ユートピア』は、ファットボーイ・スリム、セイント・ヴィンセントらとのコラボレーション作を挟んで、ソロ・アルバムとしては『グロウン・バックワーズ』以来14年ぶりの作品となる。
 一聴してまず感じるのは、久々のソロ作と銘打つに足る盤石のデヴィッド・バーン・マナーの復活であろう。盟友イーノとの共作曲をはじめ、ロディ・マクドナルド (The xx、King Krule、Samphaなど)、ジャム・シティ、ジャック・ペニャーテ、トーマス・バートレットといった多彩なミュージシャンの参加に加えて、もっとも注目すべきはバーンと数曲を共作しているダニエル・ロパティン (Oneohtrix Point Never)の貢献だ。これまでもジャンル越境的なコラボレーションを重ねてきたバーンの活動ゆえ、この共演はまさに起こるべきして起こったものとも言えるだろう。ダニエルは一部曲で「テクスチャー」とクレジットされている通り、彼が本作に持ち込んだ質感は、これまでも絶えることなくバーンが志向してきた先端的でライブリーな音楽との交接という点において非常に大きな役割を演じていると言えるだろう。
 しかし、ここで注目したいのは、そうした気鋭のミュージシャンと組んで、いかに新味をまぶした音色で彩っていても、結局はやはり「デヴィッド・バーン」という大きな屋号に吸収されていく、そのようなダイナミズムなのだ。

 おそらくそれは先述の通り、バーン自身の知的バランス感に負うところが大きいだろう。様々な音楽要素を貪欲に取り込みながらも、その音楽要素自体が本来的に内蔵する土俗的・肉体的ダイナミズムに対して、ある種の透徹した視点を欠かさない。ラテン〜アフリカン・リズムを導入し、そのダイナミズムを深く理解しクリエイターとして血肉化しつつもなお、究明対象たる音楽自体に全身を預けるといったことはしない。常に、ひとりのアーティスト、いやプロデューサーとして、音楽的風景を睥睨し、設計図を理解し、システムを統括しているのだ。
 このような創作姿勢が文化収奪的と批判するのは易しいが(現にそのように非難を受けることもあった)、ここに聴かれる音楽からは、所謂「作家的エゴ」のようなものが聴こえてこないのだ。これは、彼が旧来的な意味でのロック・バンド観や、作家主義的アーティスト像を常にカリカチュアの対象として扱ってきたことを考えれば理解は容易い。それゆえにいかに様々な音楽要素を「援用」しようとも、当のセルフィッシュな主体がそもそも存在していないのだ。これは例えばかつて椹木野衣がハウス・ミュージックについて述べたシミュレーショニズムとしての音楽観に親和的なものだろう。

 さて、そういった視点であらためて本作を鑑賞してみよう。冒頭に置かれた“アイ・ダンス・ライク・ディス”は、クワイエットなピアノとボーカルに導かれたあと、攻撃的なビートが突如として現れ、リスナーの虚を突く。また続く“ガソリン・アンド・ダーティ・シーツ”や“エブリバディ・イズ・ア・ミラクル”では得意のラテン的狂騒とポップネスが理想的に融合し、フレッシュなトラックの音像とあいまって、この作品がソロ名義作として並々ならぬ自信を伴ったものであることを伺わせる。また、リードトラックとしてミュージック・ビデオも公開されている“エブリバディズ・カミング・トゥ・マイ・ハウス”はイーノとの共作曲で、キャッチーなトラックにバーンのハイトーン・ヴォーカルが乗り、まるで80年代初頭の綺羅星がごときトーキング・ヘッズ楽曲を思わせる楽曲だ。
 しかし、アルバム全体を通して、そのように数多くの音楽要素の繚乱(物理的な音素数も相当に多い)に彩られながらも、これまでのバーン作品と同様、情念の表徴としてのパッショネイトな表現は周到に排除され、そのことによって逆説的に「主体の透明」な作家としてのデヴィッド・バーン像が前景化することになる。あくまで我々は、デヴィッド・バーンの体臭ではなく、デヴィッド・バーンの知性を味わうことになる。

 また、今作のリリックで彼は、知的シニカリストとしての手腕を相変わらず縱橫に発揮しているが、現実状況それ自体がシニックをブルドーザーのようになぎ倒そうとしていくいま、ひとりのポエットとして苦い逡巡を滲ませることに思いの外素直だ。
 苛立ち、不安、欲望が様々な形で現れているこの世界(それこそを彼は「アメリカン・ユートピア」と表現しているようだ)と、それに囚われる私達自信を、時に感傷的とさえ言えるほどの筆致をもって描き出す。「あなた」「わたし」という審級を超えて(“ドッグス・マインド”では私たちが犬の視点に引き据えられ、“バレット”では、拳銃から発射される弾丸の視点を取る)語られる物語もしくはその断片は、極めて悲観的な世界観であるようでいながら、どこかに慈しみが潜んでいる。
 その点で、リリックにおいては、知性で組み上げられた精緻な建築に若干ながらエモーショナルで不確定な要素を持ち込んだと言っても良いのかもしれないが、このような時代だからこそ、社会と、そこで生きる自らも含めた人間のネガティブな面にジリジリと迫ることが出来るというのもまた、また知的な態度であると言えるだろし、同時に、人間の感情という不確定性を自らのアートの中に内在化することで作品自体が外的世界へ扉を開くことになる、ということも彼は知っているのかもしれない。
 デヴィッド・バーンという人は徹頭徹尾、本来的な意味で「アーティスト」だ。その鋭敏な知性はいま、これまでに増してより鮮明に我々の目に映りつつある。

Oneohtrix Point Never - ele-king

 先日ニュー・アルバム『Age Of』のリリースがアナウンスされたOPNだが、ついにその詳細が発表されることとなった。同時に新曲“Black Snow”もフルで公開されている。

 公開されたクレジットを確認してまず驚くのは、多くのゲストが参加している点だ。これはOPN名義のオリジナル・アルバムとしては初めてのことである。ダニエル・ロパティンはこれまでもじつにさまざまなアーティストとコラボを繰り返してきたけれど、どうやら『Age Of』にはその経験が直接的に反映されているようだ。

〔新作には〕僕がここ数年、他のアーティストたちのために働いて経験したことに対する直感的で忠実な反応が詰まっているんだ。『Garden of Delete』の後に注目されるようになって、“グロテスク・ポップ”を作った後に、実際にポップ・ミュージックを作るようにもなった。音楽的な労働、つまり、音楽を収獲するということ、つまりは、誰かの音楽的なゴールのために働くということについて考えるようになった。また僕自身についてや、僕の作曲家として、またプロデューサーとしてのアイデンティティについてもね。 (オフィシャル・インタヴューより)

 そのような経験はロパティンにシュルレアリスムを想起させるものだったらしい。オフィシャル・インタヴューにおいて彼は「自分が欲しい音と、他人が欲しいと思うような音との両方を混ぜ合わせたシュールレアリスム的な音の組み合わせは、まるで誰かに切り裂かれたクレイジーな彫刻のようなものになった」と語っている。そのように「労働」と「シュルレアリスム」というふたつの観点を発見した彼は、新作『Age Of』に関して次のように宣言している。

僕はこのアルバムを「ブルーカラー・シュルレアリズム(労働階級のシュルレアリズム)」と呼ぼうと思ってる。 (オフィシャル・インタヴューより)

 じっさいに招かれているゲストたちも興味深い。クレジットにはローレル・ヘイローラシャド・ベッカーの作品への参加で知られるパーカッショニストのイーライ・ケスラーや、昨年『Hopelessness』でハドソン・モホークとともにOPNにもプロダクションを担当させていたアノーニなどに加え、なんとジェイムス・ブレイクの名までもが記載されている。
 なかでも4曲で参加しているアノーニの存在は、このアルバムの成り立ちそのものに関わっているようだ。環境問題をめぐる会話でアノーニを怒らせてしまったロパティンは、それをきっかけに環境について考えるようになり、それこそが本作の始まりとなったのだという。

僕らは欲張りで地球から多くを取り過ぎることになる。自分たちのことしか考えないからね。アノーニの気持ちを傷つけてしまったことからはじまって、もうそうしたくないと思った。そしてなぜ自分が無感覚だったのかということについても考えた。もう少し気遣えるようになりたいし、コンピュータードリームの一端になりたくないんだ。このアルバムはちょっとした警告ようなものなんだ。 (オフィシャル・インタヴューより)

 そして、もっとも驚きを与えるだろうゲストのジェイムス・ブレイクについてロパティンは、「彼とは気が合うんだ。付き合いは長くはないよ。お互いに存在は知っていたけどほとんど話したこともなかった」と振り返っている。OPNは一昨年、ハドソン・モホークとジェイムス・ブレイクとの論争を仲裁しているが、その前年あたりから交流が始まったのだろうか。ともあれ、ブレイクは3曲でプレイヤーとしてキイボードを担当するとともに、アルバム全体のミックスを手がけてもいる。ロパティンは、今回のアルバムのミキサーにはエンジニアではなく自身でも音楽を演奏する人がふさわしいと考え、ブレイク本人に依頼することになったのだそうだ。

彼〔ジェイムス・ブレイク〕は、自分が作ったジェイ・Zの曲をSpotifyで聞いた時、これは正しいミックスじゃないと言ってSpotifyから曲を落とさせて、彼が思った通りの、より良いものと入れ替えさせたって話があるんだ。とてもクールだよね。それに強い。インスパイアされたよ。それで彼にアプローチしてみたんだ。そしたら「いつスタートする?」ってすぐ返事が来て、とてもいいエネルギーを感じた。 (オフィシャル・インタヴューより)

 他方、ブレイクのキイボーディストとしての腕前についてロパティンは、「デレク・ベイリーのような即興演奏者やフリージャズピアニストのようだ」と語っている。「音楽とは何かということに気づかせてくれる。つまり音楽とはアイディアではなく、人から出てくる直感のようなものなんだ」。
 クレジットを眺めていてさらに驚くのは、本作にはなんとロパティン本人の歌までもがフィーチャーされているということだ。「ただ歌が好きなんだ。歌が声を必要とする」と彼は言う。「何を言っているかわかりづらくても、何かしらの意味を発しているというだけで奇跡的だと思うんだ」。前作『Garden Of Delete』では音声合成ソフトのChipspeechが導入されていたが、本作ではオートチューンが用いられている。

僕とアノーニの声を使ってオートチューンやエフェクトをかけてる。声が別のものになるってのがいいんだ。モンスターとか生物が好きだからね。SFとかへの愛情の現れでもあるね。声がリッチで興味深くなる。音の鳴り方自体が物事を説明できてしまうほどパワフルになる。その一方で何も伝わらなかったとしてもオブジェになるというようなパワーもある。声の持つ色々な側面が好きなんだ。 (オフィシャル・インタヴューより)

 サウンド面で言えば、チェンバロのサンプリングが使用されているのも新作の大きな特徴のひとつだろう。先月部分的に公開された新曲にはルネサンス音楽~バロック音楽の要素が表れ出ていたが、それもチェンバロの響きから誘導されたものと思われる。

チェンバロは面白い楽器だ。音楽的なマシーンってのがいい。僕にとってチェンバロは、色々な開発が進んでいた時代に、物事を発展させて世の中を変えようとしていた中で生まれたもので、工業的な強みを持った、バイオリンのような弦楽器の複雑なバージョンだ。開発された当時は、例えばシンセサイザーの音を最初に聴いた時のような衝撃があっただろうね。 (オフィシャル・インタヴューより)

 コンセプト面もおもしろい。本作にはふたりの哲学者が影響を与えている。ひとりはミハイル・バフチン。彼がラブレーの『ガルガンチュワとパンタグリュエル』について論じた文章(おそらく『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』)を読んだことが、このアルバムを作るきっかけのひとつとなったらしい。

彼〔バフチン〕が本の中で言っていてとても好きな部分があって、それは「歴史は嘘だ」というようなことなんだ。つまり我々が認識している歴史は、混沌とした複雑な世界を注意深く整えて残したもので、真実は街の市場で起こっているということ。人々が笑いあったり、悪いジョークを言っていたりする中にね。それを読んだ時に、すぐにこのアルバムのことが思い浮かんで、その昔の16世紀の時代に同じことを思っていた友達がいたということに気づいて嬉しかったんだ。 (オフィシャル・インタヴューより)

 もうひとりはニック・ランドだ。今回公開された新曲“Black Snow”のリリックは、ランドの主宰する研究機関Cybernetic Culture Research Unit(CCRU)が2015年に出版した本(おそらく『Ccru: Writings 1997-2003』)からインスパイアされているのだという(ランドについては、コード9のインタヴューを参照)。

 ……とまあ、このように、今回のOPNの新作は、さまざまな面でじつに興味深い作品に仕上がっているようである。リリースは5月25日。カンヌ映画祭でのサウンドトラック賞の受賞や坂本龍一のリミックス・アルバムへの参加を経て、ダニエル・ロパティンは次にどこへ向かおうとしているのか? 混沌とした現代を象徴することになりそうなこの新作を、しっかりと迎える準備を整えておこう。

最新にして圧倒的傑作『AGE OF』から
自ら監督した新曲“BLACK SNOW”のミュージック・ビデオを解禁!
ジェイムス・ブレイク、アノーニらのアルバム参加も明らかに!

アルバム発表と同時に待望の来日公演も発表され、謎めいたトレーラー映像も話題となっているワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(以下OPN)が、最新アルバム『Age Of』から、初のフル公開曲となる新曲“Black Snow”を解禁! ミュージック・ビデオはOPNことダニエル・ロパティン自らが監督を務めている。さらにジェイムス・ブレイク、アノーニらのアルバム参加も明らかとなった。

ONEOHTRIX POINT NEVER - BLACK SNOW
https://opn.lnk.to/BlackSnow-video

本楽曲の歌詞は、イギリス出身の哲学者・著述家であるニック・ランド、そして彼が設立に携わり、90年代に活動した「サイバネティック文化研究ユニット(Cybernetic Culture Research Unit)」にインスパイアされており、我々人間が、いかに混乱に向かうことを運命づけられているかということを突きつける。奇異さとポップネスを絶妙なバランスで同居させ、内臓を貫くようなハーモニーがもたらす心地良さも、異端なミニマリズムが生む緊張感も、すべてが美しいメロディーの海原へと溶け込んでいく。

また今回の発表に合わせて、アルバムの全クレジットが公開され、OPN名義の作品としては初めて、他のアーティストがゲスト参加していることが明かされた。ジェイムス・ブレイクがアルバム全体のミックスを担当している他、3曲でキーボードを演奏、さらにアノーニがヴォーカルで参加している(*OPNはアノーニの最新アルバム『Hopelessness』でハドソン・モホークと共にプロデューサーを務めている)。他にも、ローレル・ヘイローやラシャド・ベッカー、日野浩志郎らとのコラボレーションでも知られる気鋭パーカッショニスト、イーライ・ケスラー、ケレラやブラッド・オレンジ、ファーザー・ジョン・ミスティ作品への参加でも知られるシンガーにしてチェリストのケルシー・ルー、ノイズ・アーティストのプルリエントらが参加。ミックスを依頼したジェイムス・ブレイクについて、ダニエル・ロパティンは次のように語っている。

ジェイムスとうまく仕事ができたのは、ミキシングに必要なのは技術的なことじゃなくて、良いアレンジだという点で同意していたことにあると思う。正しいサウンドが並び合っていればミックスも簡単だ。でも間違った音が並んでクレイジーな場合は、技術に頼らざるを得なくなってくる。スタジオでの判断基準はすべてどうアレンジするべきか、だった。音楽的な視点でのミックス作業で、それこそ僕が必要としているものだった。とても彼が助けてくれたことに満足してるよ。ジェイムスはノッてくるとキーボードも演奏してた。

大型会場パークアベニュー・アーモリー(Park Avenue Armory)で二日間開催予定だったニューヨーク公演が即完したことを受け、ニューヨークでの追加公演、ロンドン公演、そしてデンマーク(ハートランド・フェスティバル)、スペイン(プリマヴェーラ・サウンド)でのフェスティバル出演を経て、9月に一夜限りの東京公演(Shibuya O-EAST)の開催も決定! 売り切れ必至のチケットは、各プレイガイドにて現在絶賛発売中。

公演日:2018年9月12日(WED)
会場:O-EAST

OPEN 19:00 / START 19:30
前売 ¥6,000(税込/別途1ドリンク代) ※未就学児童入場不可

一般発売日:4月21日(SAT)
チケット取扱い:
イープラス [https://eplus.jp]
チケットぴあ 0570-02-9999 [https://t.pia.jp/]
ローソンチケット (Lコード:72937) 0570-084-003 [https://l-tike.com/opn/]
BEATINK [www.beatink.com]

企画・制作:BEATINK 03-5768-1277 [www.beatink.com]

https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=9577

OPN最新アルバム『Age Of』は、日本先行で5月25日(金)リリース! 気鋭デザイナー、デヴィッド・ラドニックがデザインを手がけたアートワークには、アメリカ現代美術シーンで最も影響力があるヴィジョナリー・アーティストと称されるジム・ショーの作品がフィーチャーされている。国内盤には、ボーナストラックとして、ボイジャー探査機の打ち上げ40年を記念して制作された映像作品「This is A Message From Earth」に提供した“Trance 1”のフル・ヴァージョンが初CD化音源として追加収録され、解説書と歌詞対訳を封入。SF小説家の樋口恭介が歌詞の翻訳監修を手がけている。またスペシャル・フォーマットとして数量限定のオリジナルTシャツ付セットの販売も決定。

label: Warp Records / Beat Records
artist: Oneohtrix Point Never
title: Age Of

release date:
2018/05/25 FRI ON SALE

国内盤CD BRC-570 定価:¥2,200+税

国内盤CD+Tシャツ BRC-570T
定価:¥5,500+税

【ご予約はこちら】
beatink:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=9576

amazon:
国内盤CD https://amzn.asia/6pMQsTW
国内盤CD+Tシャツ
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M: https://amzn.asia/4egJ96i
L: https://amzn.asia/g0YdP88
XL: https://amzn.asia/i0QP1Gc

tower records:
国内盤CD https://tower.jp/item/4714438

iTunes : https://apple.co/2vWSkbh
Apple Music :https://apple.co/2KgvnCD

【Tracklisting】
01 Age Of
02 Babylon
03 Manifold
04 The Station
05 Toys 2
06 Black Snow
07 myriad.industries
08 Warning
09 We'll Take It
10 Same
11 RayCats
12 Still Stuff That Doesn't Happen
13 Last Known Image of a Song
14 Trance 1 (Bonus Track for Japan)


ALBUM CREDITS

Written, performed and produced by Oneohtrix Point Never
Additional production by James Blake

Mixed by James Blake
Assisted by Gabriel Schuman, Joshua Smith and Evan Sutton

Mix on Raycats and Still Stuff That Doesn’t Happen by Gabriel Schuman

Additional production and mix on Toys 2 by Evan Sutton

Engineered by Gabriel Schuman and Evan Sutton
Assisted by Brandon Peralta

Mastered by Greg Calbi at Sterling Sound

Oneohtrix Point Never - Lead voice on Babylon, The Station, Black Snow, Still Stuff That Doesn’t Happen
Prurient - Voice on Babylon, Warning and Same
Kelsey Lu - Keyboards on Manifold and Last Known Image Of A Song
Anohni - Voice on Black Snow, We’ll Take It, Same and Still Stuff That Doesn’t Happen
Eli Keszler - Drums on Black Snow, Warning, Raycats and Still Stuff That Doesn’t Happen
James Blake - Keyboards on We’ll Take It, Still Stuff That Doesn’t Happen and Same
Shaun Trujillo - Words on Black Snow, The Station and Still Stuff That Doesn’t Happen

Black Snow lyrics inspired by The Cybernetic Culture Research Unit, published by Time Spiral Press (2015)
Age Of contains a sample of Blow The Wind by Jocelyn Pook
myriad.industries contains a sample of Echospace by Gil Trythall
Manifold contains a spoken word sample from Overture (Aararat the Border Crossing) by Tayfun Erdem and a keyboard sample from Reharmonization by Julian Bradley

Album art and design by David Rudnick & Oneohtrix Point Never

Cover image
Jim Shaw
The Great Whatsit, 2017
acrylic on muslin
53 x 48 inches (134.6 x 121.9 cm)
Courtesy of the artist and Metro Pictures, New York

label: Warp Records / Beat Records
artist: Oneohtrix Point Never
title: Black Snow

iTunes : https://apple.co/2vWSkbh
Apple Music : https://apple.co/2KgvnCD
Spotify : https://spoti.fi/2HZc1kL

Against All Logic - ele-king

 世界の基盤はぶっ壊れている。
 壊れている、壊れている――。
 歪んだヴォーカルがそう歌う。昨年死去したデイヴィッド・アクセルロッド、その楽曲から採取された音声の残響はやがてファンキーなリズムを呼び寄せる。マーヴィン・ゲイとも比較されるコンシャスなソウル・シンガー、マイク・ジェイムズ・カークランドのバックトラック。その合間には、落雷のようなディストーションが差し挟まれる。グルーヴィンで心地良いはずの音楽が、どうにも不穏な空気に脅かされている。まるで古びたブラウン管が華やかな音楽ショウと戦争を知らせる報道番組とを交互に高速で映し出しているかのようだ。そしてプツッ、と故障したかのように音は唐突に鳴り止み、アルバムは次の曲へと進んでいく。
 たしかに壊れている。何が? テレビだろうか。それともやはり、それが映し出す世界だろうか。
 冒頭の“This Old House Is All I Have”、「私に残されたのはこの古びた家だけ」と題されたこの1曲にこそ、本作全体を貫く大いなる秘密が潜んでいるように思われてならない。

 すべての論理に抗して――A.A.L.ことアゲインスト・オール・ロジックは、一昨年『Sirens』という非常にパーソナルかつポリティカルな作品を発表したニコラス・ジャーの、あまり知られていない変名のひとつである。その名義では3枚のシングルがリリースされているのみで、フルレングスは今回が初となる。とはいえ、事前告知なしに突如配信でリリースされたこのアルバムは、A.A.L.名義で制作されていたトラックを集めたコンピレイションとなっており、その一部、たとえば“I Never Dream”“Flash In The Pan”といったトラックはすでに2015年にYouTubeで公開されていたものだ。
 このアルバムを簡潔に言い表すなら、ニコ・ジャーのコレクションに眠る古き良きソウルやファンクのレコードを最大限に活用した、どこまでもダンサブルなハウス・トラック集ということになるだろう。じっさい、3曲目“Some Kind Of Game”や4曲目“Hopeless”の4つ打ちを聴くと嫌でも身体を揺らさずにはいられない。快楽を提供するための素材選びやその組み合わせ方に関してはさすがというほかなく、そういう意味で本作は、セオ・パリッシュの『Uget』にも通ずる良質なサンプリング・ダンス・ミュージックと言えるだろう。
 しかし、ではなぜニコ・ジャーはいまこのようなエディット集のリリースに踏み切ったのだろうか。

 このアルバムが機能的で昂揚的なのは間違いない。でも、ここに収められた11の楽曲たちはどれも、「古びたハウス」からは距離を置こうとしているように聴こえる。随所に差し挟まれるシンセ音とノイズが、このアルバムに不穏なムードをもたらしている。それら2010年代以降の音色は、私たちリスナーをレアグルーヴ的な快楽から遠ざける。どこまでもロウファイさを維持するサンプルと、それに対して不和を突き立てているかのような電子音、それらの巧みなレイヤリングは、さまざまな要素を結び合わせる錬金術師としてのニコ・ジャーの面目躍如といったところだが、その不穏さ、そしてそれら素材の性質に着目すると、一見寄せ集めのように見えるこのハウス・トラック集も、じつは『Sirens』のように入念に練られて構築されたアルバムなのではないかということに思い至る。
 トラックリストを眺めていると、“I Never Dream”や“Hopeless”といった悲観的なタイトルが目に留まる。それらの曲名はいったい何を示唆しているのだろうか。そういえば、本作が『ブラックパンサー』公開の翌日に配信されたのはたんなる偶然なのだろうか。
 ここで思い出すのが、昨年リリースされたムーヴ・Dとトーマス・マイネッケによる共作『On The Map』である。合衆国で多発している人種差別的な殺害事件からインスパイアされたと思しきそのアルバムは、ブラック・カルチャーと縁の深い土地をテーマにしたコンセプチュアルな作品だった。ニコ・ジャーによるこのダンス・トラック集も、じつはそれと同じような動機から出発したアルバムなのではないか。『2012 - 2017』というタイトルも、たんに収録曲が制作された年代を表しているのではないのではないか。BLMが起ち上がるきっかけとなった事件、すなわちフロリダ州でとある少年が射殺されたのは2012年のことではなかったか。

 すべては想像にすぎない。だが、古き良きブラック・ミュージックの至宝に彩られた本作が、その遺産に引きこもろうとしていないことだけはたしかだ。アルバムは終わりに向かうにつれ実験色を強めていき、9曲目“Flash In The Pan”や10曲目“You Are Going To Love Me And Scream”では、それまで以上に多彩なノイズやアシッドが飛び交っている。そして、最終曲“Rave On U”の圧倒的な違和感。あまりにも叙情的なその旋律と音色は、まるでエイフェックスのようではないか。ソウルやファンクの引用から始まったはずのこのアルバムは、いつの間にか私たちリスナーをそことは異なる想像の世界、すなわちテクノの領野へと連れ去っていくのである。

 世界の基盤はぶっ壊れている。たしかにそうなのかもしれない。でも、どうあがいてもそのぶっ壊れた基盤のうえで生きていくしかない私たちにとって必要なのは、それとは違う世界を想像してみることである――この『2012 - 2017』は、私たちにそう告げているのではないか。「すべての論理に抗して」ニコ・ジャーはいま、私たちリスナーを「古びたハウス」の外へ連れ出そうとしている。アナザー・ワールド・イズ・ポッシブル、たいせつなのはそう想像することでしょ、と。

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