「F」と一致するもの

Laurel Halo - ele-king

 みなさんお待ちかね、すばらしいニュースの到着です。2010年代を代表するエレクトロニック・ミュージシャンのひとり、ローレル・ヘイローがひさびさのアルバムを発表する。ミックスやサウンドトラックをのぞけば、じつに5年ぶりだ。新作のタイトルは『Atlas』、発売は9月22日、レーベルは〈Awe〉。
 ゲスト陣もポイントを押さえているというか、サックス奏者ベンディク・ギスケ、ヴァイオリン奏者ジェイムズ・アンダーウッド、チェロ奏者ルーシー・レイルトン、ヴォーカリストとしてele-kingイチオシのコービー・セイと、いま注目すべき面々が集合している。
 アルバムごとに作風を変える彼女、今回はどんな新境地を見せてくれるのか──新曲 “Belleville” を聴きながら、妄想をたくましくしよう。

 ちなみに7月後半から11月にかけ、世界各地をDJしてまわるようです。

Baxter Dury - ele-king

 バクスター・デューリーの音楽を最初に聞いたきっかけは2018年かそのあたりの時期にインスタグラムでサウス・ロンドンのインディ・バンド、ソーリーやスローダンス周辺の人たちがあげているのを見たからだった。そのとき一緒にイアン・デューリーの息子であると知ったけれど、当時はそうなんだというだけで特に気にとめるようなことはなかった。それよりも気になったのは10代、もしくは20代になったばかりの音楽を志している若者とその若者たちをプッシュして既存の音楽シーンから距離を置いた新たなコミュニティを作り上げようとしている新進気鋭のメディア(『ソー・ヤング・マガジン』)が同時に40代後半のソロ・アーティストをOKだと判断しているということだった。その二者が共通して好意を示しているファウンティンズD.Cシェイムと比べるとバクスター・デューリーはずいぶん違うように思えたし、こういったシーンが巻き起こりそうになっている渦中にあるバンドは上の世代の人間を否定するものなのではないかという思い込みもあった。
 そんな風に気になって2014年の4thアルバム『It's a Pleasure』を聞いたのだが、それで即座に合点がいった。そこでバクスター・デューリーが奏でている音楽はサウス・ロンドンのインディ・シーンのバンドたち(中でもシェイムやゴート・ガール)が手本とし憧れたというファット・ホワイト・ファミリーをもっと穏やかにしたものだったり、あるいはそのメンバーのサウル・アダムチェウスキーとチャイルドフッドのベン・ロマンス・ホップクラフト(彼はWu-Luの双子の兄弟でもある)のインセキュア・メンの現実世界のヴァージョンの音楽みたいに聞こえた。つまりはこのインディ・シーンにしっかりとフィットしたもので、こうした動きからそこに関わる人たちにとって年齢や出自は重要ではなくただコミュニティとしての感覚が合うか合わないかで判断されているのだと感じられたのだ。果たしてバクスター・デューリーは2019年のファット・ホワイト・ファミリーの傑作3rdアルバム『Serfs Up!』の中の1曲 “Tastes Good With The Money” に参加しその感覚が正しかったのだと証明してみせてくれた。もともとサウル・アダムチェウスキーが在籍していたザ・メトロスのプロデュースをしていたという縁があったのかもしれないが、しかし時を経てのここでの邂逅はロンドンのインディ・シーンのなかでのバクスター・デューリーの存在を確かに感じせるものだった。

『It's a Pleasure』以降、2017年の『Prince of Tears』でバクスター・デューリーは囁くような低音のスポークン・ワードを用いるようになり20年の『The Night Chancers』では楽曲も一気にムーディーなものになった。その音楽は現代のロンドンの街をうろつくセルジュ・ゲンズブールの姿を頭に浮かばせるようなものであり、スーツに闇がまとわりつきタバコの臭いが香り、心地の良い気だるさがアルバムの最後までずっと続いていた。バクスター・デューリーの7枚目のアルバム本作『I Tjought I was Better Than You』もその路線を引き継いだものであり、映画のような物語仕立ての音楽の中でバクスター・デューリーはムードたっぷりにこちらに語りかけてくる。
「Hey mummy, hey daddy Who am I?」という問いかけからはじまるこのアルバムは明らかに父・イアン・デューリーを意識したものであり、21年に出版された回顧録『Chaise Longue』のサウンドトラックとしての側面を持ったアルバムなのだろう。しかし音楽単体としてもバクスター・デューリーの魅力は十分に伝わってくる。彼はウエスト・ロンドンに育ち、都会的で、多文化だった子ども時代に抱いていた感情をヒップホップのやり方と流儀をインスピレーションにし自身の音楽を混ぜ合わせこのムードたっぷりの短編映画のような音楽を作りあげたのだ。“Aylesbury Boy” ではケンジントンの高級学校で過ごした時代の退廃的な思い出が、ウージーなプロダクションにピッチを上げたヴォーカルを加えフランク・オーシャン風に仕立てあげた “Celebrate Me” では父の成功といまの自分の姿を照らし合わせ自らの自尊心とそして痛みを確かめるような姿が描かれる。メロウで柔らかなトゲがあり、情けなく逡巡するこのアルバムのバクスター・デューリーのキャラクターは楽曲と相まってどっぷりと緩やかに沈むビートの世界に浸らせてくれる。

 センセーショナルにエピソードを飾り立てることをせずに、2分台、3分台のポップ・ソングとして自身の思い出をテーマにした世界を作り上げるこの美学とも言えるセンスがバクスター・デューリーの最大の魅力なのではないだろうか? 「彼らはあなたを現代のゲンズブールと呼ぶ」「フランク・オーシャンのようになりたいと思っても/でも彼のようには聞こえない/ただイアンのように聞こえるだけ」“Shadow” の歌詞にはそうあるけれど(これを自分の声で歌わないというのがミソだ)僕にはこのアルバムの音楽こそがバクスター・デューリーのスタイルに思える。いくつかの要素を加えかき混ぜて余白を作るかのように七分で止めるスタイルがその世界に浸らせてくれそれが非常に心地よく感じるのだ。
 たとえば “Pale White Nissan” には個人的にも思い出深いフィッシュマンズの “LONG SEASON” がサンプリングされていて、それを中心に組み立てられているのだが、曲の中でそこに存在しないオリジナルの「バックミラーから落っこちていくのは~」という声が浮かびあがり見事に白い日産の車で走る若きバクスター・デューリーの姿と重なる。恵まれた都会での生活といつまでも抜け出せずまとわりつく喪失感、時の流れ、どこまで意識しているのかはわからないが、しかしバクスター・デューリーのこの詰め込まず想起させるスタイルの音楽が想像の余地を生み、組み合わせの中に意味を漂わせる。足りないからこそ継ぎ足せる、好奇心を持って物事に向かい合い、そうして強く主張をせずにムードとして滲み出すことを選択する、僕はそんなバクスター・デューリーの姿に魅力を感じているのかもしれない。彼の近作はどれも素晴らしいのだけど、よりコンセプチュアルとなったこのアルバムはその中でも特にお気に入りのアルバムになるのではないかとそんな予感がしている。

 私はノエル・ギャラガーには我慢がならない。

 私はかれこれもう30年近く彼のことを嫌ってきたが、自分でもそのことが少し引っかかっている。長い間、尋常ではないほどの成功を収め、愛されるソングライターとして活躍し続けているということは、彼は実際、仕事ができるのだろう。かなり個人的なことになってしまうが、これほど長期にわたって、自分がひとりのミュージシャンを嫌ってきた理由を自分でも知りたいのだ。

 1990年代半ばのティーンエイジャーだった私にとって、その理由は極めて単純だった。ブラーとオアシスのどちらかを選ばなければならないような状況で、私はブラー派だった。それでも、『NME』のジャーナリストたち──当時、いまの自分より若かったであろうライターたち──の安っぽい挑発で形成された見解に、大人、しかも中年になってまで引きずられるべきではないだろう。私も少しは成長しているはずだし、大人になるべきだよね?

 当時、私が最初に言ったであろうことは、彼の歌詞がひどいということだ。振り返ると、ノエルの歌詞は、デイヴィッド・バーマンやモーマスが書くような種類のよい詞ではなかったし、そもそもそれを意図していたわけでもなかった。彼らはパンク・ロックな、私のようなミドル・クラスのスノッブや評論家はファック・ユーという立ち位置で、「彼女は医者とヤッた/ヘリコプターの上で」のような狂乱状態とナンセンスな言葉が飛び交う、韻を踏む歌詞で注目を集め、面白がられた。その核心は、おそらく曲の魂が歌詞ではなく音楽に込められていたということで、それが理解できないのは心で聴いていないということなのかもしれない。

 そんなわけで、私が不快感を覚えたのが「心」の部分だったのではないかと思うようになったのである。つまり、ノエルの曲の感情的な部分が安っぽく安易に感じられ、バンドに投影され自信に満ちた威張った態度が、十代を複雑な迷いや疑念のなかで過ごした人間には響かなかったのではないだろうか。

 これは、現在のノエルの音楽に対しては不公平な批評だ。そもそもあの威勢の良さは、リアムと彼の嘲るようなロック・スターのヴォーカルに起因するものだった。ノエルは、ロック・スターとしての存在感がはるかに薄く、声も細くて脆弱な楽器だ。興味深いのは、ノエルとかつてのライヴァル、デーモン・アルバーンの音楽的な野心が大きく乖離するなかでも、彼らのポップ・ソング作りには、むしろ類似性が見られたことだった。二人の、シンガーソングライターたちの小さめで疲れ気味の声が、中年期の哀愁の色彩を帯びるのは容易なことだったから。ノエルの「Dead to the World」を聴くと、デーモンの声で“And if you say so / I’ll bend over backwards / But if love ain’t enough / To make it alright / Leave me dead to the world” (もし君が言うなら / 精一杯努力するよ / でも愛が足りないなら / 上手くやってくれ / 僕にはかまわないで) が歌われるのが、容易く想像できる。

 さらに、ノエル・ギャラガーはハイ・フライング・バーズの新作『Council Skies (カウンシル・スカイズ)』 では以前に比べて謙虚で、少なくとも思慮深い人物であるように感じられる。レコードを通してある種の喪失感に貫かれており、“Trying to Find a World that’s Been and Gone” では、「続ける意志」を持つことについてのお馴染みのリフレインが、たとえそれが無益な戦いであっても意味があるというメランコリックな文脈で描かれている。タイトル・トラックでは、1990年代の野心的な威勢の良さが、ぼんやりとした脆い希望へと変化している。それはおそらく、大富豪となったノエルがハンプシャーの私有地にいても、未だに思い出すだろう公営住宅地の空の下での、存続する誓いにほかならない。

 しかし、必ずしもその内省的な感覚が、歌詞としてより優れているとはかぎらない。初期のオアシスのパンクな勢いなしには、陳腐なものが残るだけだ。アルバムのタイトル・トラックは、“Catch a falling star” (流れ星をみつけて) という名言で始まり、すぐに“drink to better days” (より良い日々に乾杯) できるかもしれないという深淵なる展望が続く。だが、曲はそれでは終わらず、次々と天才的な珠玉の詞が火のように放たれる。“Waiting on a train that never comes”(来ないはずの電車で待つ)、“Taking the long way home”(遠回りをして帰る)、“You can win or lose it all” (勝つこともあれば、すべてを失うこともある)。ノエルの詞に対する想像力のあまりの陳腐さに、私が積み上げてきた彼のソングライティングに対する慈愛にも似た気持ちが、すべて消え去り、苛立ちだけが募り始める。“Tonight! Tonight!” (今夜! 今夜こそ!)、“Gonna let that dream take flight” (あの夢を羽ばたかせるんだ)というライムで、退屈なタイトルがつけられたクロージング・アンセムの“We’re Gonna Get There in the End”にたどり着く頃には、もう自害したくなっている。ノエルの愚かさ(インタヴューでのノエルは、私の反対意見をもってしても、鋭く、観察力があるようにみえる)ではなく、彼がリスナーを愚かだと見くびっているところに侮辱を感じるのだ。

 私は自分のなかに募るイライラを抑制し、少しばかり視点を変えてみる必要がある。

 ノエル・ギャラガーについてよく言われるのは、彼が料理でいうと「肉とポテト」のようなありふれた音楽を作るということだ。これは話者によっては、批評とも賞賛ともとれるが、いずれにしても本質を突いているように感じられる。メロディが次にどうなるのか、5秒前には予測できてしまうのが魅力で、一度歌詞が音楽の中に据えられると、摩擦なく滑っていき、漠然とした感情がそこにあることにも気付かずに通り過ぎてしまいそうだ。これは、細心の注意を払って訓練され、何世代にもわたり変わることのなかった基本的な材料を使って作られた、音による慰めの料理なのだ。 “Love is a Rich Man” を力強く支える同音反復するギター・フックは、ザ・ジーザス&メリー・チェイン(2017)の “The Two of Us ” と同一ではないのか? あるいはザ・ライトニング・シーズ(1994)の “Change” か? ザ・モダン・ラヴァーズ(1972)の “Roadrunner” なのか? それは、それらすべての未回収の記憶であり、蓄積されたロックの歴史のほかの100万ピースが半分だけ記憶された歓喜の生暖かい瞬間にチャネリングされるようなものだ。

 別の言い方をすれば、そこに驚きはない。これは、いつまでも自分らしく、変わる必要はないと教えてくれる音楽なのだ。この音楽は、自分の想像を超えてくるものを聴きたくない人のためのものだ。そして、ここで告白すると、私のある部分は、ノエル・ギャラガーのことが好きなのだ。オアシスとノエル・ギャラガーズ・フライング・バーズ両方のライヴもフェスで観ているし、私の意志とは裏腹に、飲み込まれて夢中になってしまった。九州で友だちとのドライブ中に、彼のカーステレオから “Be Here Now ” が流れてきた時も、20年ぶりに聴いて、それまでそのアルバムのことを考えたことすらなかったのに、すべての曲と歌詞を諳んじていたのを思い出した。結局のところ、決まり文句のように陳腐な表現は、その輪郭が脳裏に刻みこまれるほどに使い古されたフレーズに過ぎない。自分の一部になってしまっているのだ。

 そういう意味で、ノエル・ギャラガーに対する私自身の抵抗は、音楽的な癒しや保守性に惹かれる自分の一部分への抵抗ということになる。何故に? この私のなかの相反する、マゾヒスティックな側面はいったい何なのだろう。なぜ、ただハッピーではいられず、聴く音楽に緊張感を求めずにはいられないのだろう?

 基本的に、芸術作品のなかのささやかな緊張感は刺激的だ。ザ・ビートルズの “ストロベリー・フィールズ・フォーエバー” の冒頭がよい例で、ヴォーカルのメロディは本能が期待する通りのG音できれいに解決する一方、基調となるコード構成の、突然のFマイナーの不協和音に足元をすくわれる。リスナーの期待と、実際に展開されるアレンジの間の緊張感が、聴き手を楽曲の不確かな現実の中へと迷いこませ、馴染みのないものとの遭遇がスリルをもたらすのだ。

 オアシスが大ブレイクを果たしていた頃、ロック界隈で起こっていたもっとも刺激的なことは、ほぼ間違いなくローファイ・ミュージックという不協和音のような領域でのことだった。オアシスのデビュー・アルバム『Definitely Maybe(『オアシス』)』が初のチャート入りを果たした1994年の同じ夏、アメリカの偉大なロック・バンド、ガイディッド・バイ・ヴォイシズがブレイクのきかっけとなったアルバム『Be Thousand』をリリースしていた。彼らもまた、オアシスと同様にブリティッシュ・インヴェイジョンにより確立された、ロック・フォーメーション(編成)の予測可能性をおおいに楽しんでいたが、GBVのリーダー、ロバート・ポラードは、自身が“クリーミー”(柔らかく、滑らかな)と“ファックド・アップ”(混乱した、めちゃくちゃな)と呼んでいるものの間にある緊張感について主張した。彼が“クリーミー”すぎると見做したメロディは、リリースに耐えうるように、なんらかの方法でばらばらにして、曲を短くしたり、やみくもにマッシュアップしたりして、不協和音的なサウンドエフェクト、あるいは音のアーティファクト(工芸品)を、DIYなレコーディング・プロセスから生みだし、馴染みのある流れを遮るように投入するのだった。

 アメリカ人音楽評論家で、プロの気難し屋の老人、ロバート・クリストガウは、『Bee Thousand』を「変質者のためのポップス──上品ぶった、あるいは疎外された、自分がまだ生きていることを思い出すのに、痛みなしには快楽を得ることができないポストモダンな知識人気取りの者たち」と評した。そのシニカルな論調はともかく、クリストガウのGBVの魅力についてのアプローチは功を奏している──そう、快楽は確かに少し倒錯的で、これは音による「ツンデレ」なフェティッシュともいえる。そしてその親しみやすいものと倒錯したものとの間の緊張感が、リスナーの音楽への求愛のダンスに不確かさというスリルを注入してくれるのだ。

 ノエル・ギャラガーがかつて、退屈で保守的だと切り捨てたフィル・コリンズのようなアーティストの仕事にさえ、緊張感はある。ノエルに “In The Air Tonight ” のような曲は書けやしない。ヴォーカルは緩く自由に流れ、音楽の輪郭は耳に心地よく響くが、常にリフレインへと戻ってくる。曲に命を吹き込むドラムブレイクは、繰り返しいじられるが、長いこと抑制されてもいる。ソフト・ロックへの偏見を捨て去れば、フィル・コリンズのサウンドに合わせて、ネオンきらめく映画のなかのセックス・シーンを想像して、深い官能で相互にクライマックスに達することができるだろう。ノエル・ギャラガーの音楽で同じシーンを想像してみても……いや、やはりやめておこうか。私はたったいま、 “Champagne Supernova” を聴いて同じことを想像してみたが、非常に不快な7分半を過ごしてしまった。上手くはいかないのだ。

 ノエルの歌は、ある種の集団的なユーフォリア(強い高揚感)を呼び起こすことに成功しているが、それがほとんど彼の音楽のホームともいえるところだ。彼の歌詞とアレンジの摩擦の少なさは、社交的な集まりの歯車の潤滑油には最適で、リスナーにそのグループの陽気なヴァイブスに身をゆだねること以外は特に何も要求しない。おそらく、アシッド・ハウス全盛期のノエルの青春時代と共通項があるが、その違いはジャンルを超えたところにある。アシッド・ハウスには、「あなたと私が楽しむこと」を望んでいない体制側(スペイスメン3の言葉による)と、我々と彼らとの闘争という独自の形の緊張感が存在した──それはより広い意味でいうと、過去(トーリー党=英国保守党)と未来(大量のドラッグを使用して使われていない倉庫でエレクトロニック・ミュージックを聴くこと)との間の闘争だった。ノエルは明らかにそういった時代と精神に多少の共感を示しつつ、たまにエレクトロニック・アクトにもちょっかいを出しながら、彼自身の音楽は、常に未来よりも過去に、反乱者よりもエスタブリッシュメント(体制派)に興味を示してきたのだ。そして、時折公の場で繰り出す政治や他のミュージシャン、あるいは自分の弟に関するピリッと香ばしい発言には──哲学的、性的、抒情的、あるいは“ポストモダンな知識人ぶった”アート・マゾヒズムであれ、直感的なある種の緊張感は、ノエル・ギャラガーの音楽には存在しないのだ。

 もちろん、このことに問題はない。彼は音楽とは戦いたくない人のために曲を作っているのだし、それを上手にやってのけるのだから。

 この記事を書き始めた時、自分とはテイストの違いがあるにせよ、過去にノエルに対して公平性に欠ける態度をとっていたことを反省し、ソングライターとしての彼の疑いようのない資質を成熟した大人として受け入れ、融和的な雰囲気の結末に辿り着くのではないかと思っていた。しかし、それは彼と彼の音楽にとってもフェアなことではないと思う。平凡さはさておき、彼の真の資質のひとつは、感情をストレートに表現するところだからだ。

 だから、本当のことをいうと、私はいまでもノエル・ギャラガーの音楽が嫌いだ。私のなかの一部分が、彼の音楽を好いているから嫌いなのだ。彼は、私のなかにある快感センサーを刺激する方法を知っている。不協和音のスリルを忘れ、彼の音楽に没入する自分を許してしまい──本気で耳を傾けることを思い出した後に、6分間死んでいたことに気付かされるのだから。


The problem with Noel Gallagher (and why he’s good)written by Ian F. Martin

I can’t stand Noel Gallagher.

I’ve disliked him for nearly thirty years, and this bothers me a little. To have been an extraordinarily successful and well loved songwriter for so long, he must in fact be good at his job. More personally, for me to have hated a musician like that for so long, I want to know why.

As a teenager in the mid-90s, the reason was pretty simple: you had to choose between Blur and Oasis, and I chose Blur. Still, I probably shouldn’t carry into adulthood and middle age musical opinions that were moulded by the cheap provocations of NME journalists — writers who were probably younger at the time than I am now. I should be more mature than that, right?

At the time, the first thing I would probably have said was that his lyrics were bad. Looking back, they certainly weren’t good lyrics of the sort a David Berman or a Momus might write, but they were never meant to be: they were a punk rock fuck-you to middle-class snobs and critics like me, and the way lines like “She done it with a doctor / On a helicopter” jump deliriously and nonsensically from rhyme to rhyme is attention-grabbing and funny. The core of it, perhaps, is a sense that the soul of the song is carried by the music, not the lyrics, and if you can’t get that, you’re not listening with your heart.

So I start wondering if maybe that “heart” is what I found off-putting — that the emotions in Noel’s songs felt cheesy and facile, that the confident, swaggering attitude that the band projected didn’t speak to someone who spent their teens lost in complexity and doubt.

This is an unfair critique to bring to Noel’s current music. For a start, so much of that swagger was down to Liam and his sneering rock star vocals. Noel has far less of a rock star presence and his voice is a thinner, more vulnerable instrument. It’s interesting that even as Noel and former rival Damon Albarn’s musical ambitions have widely diverged, their pop songwriting has also revealed more points of similarity: two singer-songwriters with small, weary voices that easily carry the melancholy tint of middle age. Listen to Noel’s song “Dead to the World” and it’s easy to imagine Damon’s voice singing the lines “And if you say so / I’ll bend over backwards / But if love ain't enough / To make it alright / Leave me dead to the world”.

There’s a sense, too, that Noel Gallagher is a more humble, or at least thoughtful figure than he used to be on his new High Flying Birds album “Council Skies”. A sense of loss runs through the record, with the song “Trying to Find a World that’s Been and Gone” placing a familiar refrain about having “the will to carry on” in the melancholy context of a struggle that’s worth it even though it might be futile. In the title track, meanwhile, the aspirational swagger of the 1990s seems to have faded into a duller and more fragile hope that persists in the promise of the council estate skies that Noel can still presumably remember from his millionaire Hampshire estate.

That greater sense of reflection doesn’t necessarily mean the lyrics are any better, though. Without the punk swagger of early Oasis, all that’s left is cliché. The album’s title track opens with the words of wisdom “Catch a falling star”, swiftly followed by the profound observation that we might “drink to better days”. The song isn’t done though, firing nuggets of poetic genius one after the other: “Waiting on a train that never comes”; “Taking the long way home”; “You can win or lose it all”. The sheer banality of Noel’s lyrical imagination banishes every charitable thought I’ve been building up about his songwriting, and my irritation begins to rise. By the time he rhymes “Tonight! Tonight!” with “Gonna let that dream take flight” on the insipidly titled closing anthem “We’re Gonna Get There in the End”, I want to kill myself. I feel insulted not by how stupid Noel is (he comes across as sharp and observant in interviews, even when I disagree with him) but how stupid he thinks his listeners are.

I need to dial back my annoyance and get a bit of perspective.

An common remark about Noel Gallagher is that he makes “meat and potatoes” music. It’s a comment that’s either criticism or praise depending on the speaker, but it feels true either way. The appeal is that you always know what his melodies are going to do five seconds before they do it, and once placed inside that music, the lyrics glide by frictionlessly: vague sentiments that you barely recognise are even there. This is sonic comfort food made with practiced care from basic ingredients that have remained unchanged for generations — is the chiming guitar hook that anchors “Love is a Rich Man” the same as “The Two of Us” by The Jesus and Mary Chain (2017)? Is it “Change” by The Lightning Seeds (1994)? Is it “Roadrunner” by The Modern Lovers (1972)? It’s the accrued memories of them all, and of a million other pieces of rock history channeled into a warm moment of half-remembered exultation.

To put it another way, there are no surprises: this is music that tells you it’s OK to be yourself forever and never change. It’s music for people who don’t want to hear anything that challenges their expectations. And a confession: a little piece of me does like Noel Gallagher. I’ve seen both Oasis and Noel Gallagher’s Flying Birds live at festivals and both times got swept up in it despite myself. I remember driving with a friend through Kyushu as “Be Here Now” came on his car stereo, and I knew all the songs, all the words, more than 20 years after the last time I heard or even thought about the album. After all, what is a cliché but a phrase so well worn that it’s contours are carved into your brain? It’s part of you.

So my resistance to Noel Gallagher is really a resistance to that part of myself that’s drawn to musical comfort and conservatism. But why? What is this contrary, masochistic side of me that can’t just be happy and needs some tension with the music I listen to?

Fundamentally, a bit of tension in a piece of art is exciting. The opening of The Beatles’ “Strawberry Fields Forever” is a great example, with the vocal melody resolving cleanly on the G note where instinct tells you to expect it, while the underlying chord structure pulls the rug out from beneath you with a dissonant F minor. The tension between the listener’s expectation and what the arrangement actually does sends you tumbling into the song’s uncertain reality and there’s a thrill in this contact with the unfamiliar.

Around the time Oasis were breaking big, arguably the most exciting thing happening in rock music was in the dissonant sphere of lo-fi music. In the same summer of 1994 that Oasis’ debut “Definitely Maybe” first hit the charts, America’s greatest rock band Guided By Voices were releasing their breakthrough album “Bee Thousand”. While they, like Oasis, revelled in the predictability of the same established British Invasion rock formations, GBV leader Robert Pollard also insisted on a tension between what he called “creamy” and “fucked-up”. For him, a melody deemed too “creamy” would need to be mutilated in some way to make it acceptable for release: songs cut short or mashed together in haphazard ways, discordant sound effects or sonic artefacts emerging from the DIY recording process thrown in to interrupt the flow of the familiar.

American music critic and professional grumpy old git Robert Christgau described “Bee Thousand” as “pop for perverts — pomo smarty-pants too prudish and/or alienated to take their pleasure without a touch of pain to remind them that they're still alive”. The cynical tone aside, Christgau nails the appeal of GBV’s approach: yes, the pleasure is a little perverse — the sonic equivalent of the “tsundere” fetish — but that tension between the familiar and the oblique injects the thrill of uncertainty into the courtship dance the listener does with the music.

Even with an artist like Phil Collins, who Noel Gallagher has in the past dismissed as boring and conservative, there can be tension at work. Noel could never write a song like “In The Air Tonight”. The vocals flow loose and free, caressing the contours of the music but always locking back in for the refrain; the drum break that kicks the song into life is teased repeatedly but held back for so long. Get over your soft rock prejudices and you can imagine a deeply sensual, neon-bathed movie sex scene that reaches a mutually satisfying climax to the sound of Phil Collins. Imagine the same scene set to the music of Noel Gallagher… or maybe don’t. I just spent an uncomfortable seven and a half minutes listening to “Champagne Supernova” while trying to picture it, and it just doesn’t work.

What Noel’s song does succeed in evoking, though, is a sort of collective euphoria, and that’s where his music is most at home. The frictionlessness of his lyrics and arrangements work best lubricating the gears of social gatherings without demanding anything much from the listener other than that they submit themselves to the buoyant vibe of the group. It shares something, perhaps, with Noel’s youth during the height of acid house, but the differences go further than genre. Acid house had its own tension in the form if an us-and-them struggle with an establishment that didn’t (in the words of Spacemen 3) “want you and me to enjoy ourselves” — which is to say more broadly between the past (the Tory party) and the future (taking massive amounts of drugs in a disused warehouse while listening to electronic music). While Noel clearly has some sympathy with that era and ethos, and has flirted with electronic acts on occasion, his own music has always been more interested in the past than the future, more establishment than insurgent. And for all his occasionally spicy public remarks on politics, other musicians or his brother, a visceral sense of tension — whether philosophical, sexual, lyrical or “pomo smarty-pants” art-masochism — has no place in Noel Gallagher’s music.

This is fine, of course: he makes songs for people who don’t want to fight with their music, and he is very good at it.

I thought, when I started to write this, that I might end there, on a conciliatory note, with the realisation that I’d been unfair on Noel in the past and with a mature acceptance of his undoubted qualities as a songwriter, despite my differences in taste. But I don’t think that would be fair to him or his music either: for all his banalities, one of his genuine qualities is that he is a straight shooter emotionally.

So in truth, I still hate Noel Gallagher’s music. I hate it because a part of me likes it. Because he knows how to work that little part of me and stimulate those pleasure sensors. Because I let myself forget the thrill of the dissonant and sink into it — until I remember to really listen, and then I realise I’ve been dead for six minutes.

Jlin - ele-king

 フットワークの更新者、ジェイリンが2021年のEP「Embryo」以来となる新作ミニ・アルバムを9月29日に発表する。〈Planet Mu〉からのリリースで、シカゴのアンサンブル、サード・コースト・パーカッションと制作した曲のエレクトロニック・ヴァージョンが収められているとのこと。CD盤には「Embryo」の4曲も追加収録。コンテンポラリー・ダンス作品への挑戦を経て進化を遂げたという彼女の、新たな試みに耳をすませたい。

https://planet.mu/releases/perspective/

Kirk Degiorgio - ele-king

 アズ・ワンなどの名義で知られるUKテクノのヴェテラン、カーク・ディジョージオがDJ活動から引退することを表明している。80年代前半から40年近くDJをやってきたという56歳の彼は、現在、腎臓の問題によりペースメイカーを装着せねばならない状況にあるそうだ。そのため、ヘッドフォンやDJブース、モニターのような電磁機器から物理的に距離をとらざるをえないとのこと。
 ただし創作をやめるつもりはないようで、モニターから距離をとってできるスタジオ内での作業に集中するとのこと。彼は今年、『Modal Forces / Percussive Forces』および『Robe Of Dreams』の2枚のアルバムに加え、ブルー・バイナリー名義でも『Origins』を発表している。早期の快復と今後の活躍に期待したい。

Ryuichi Sakamoto - ele-king

 2000年代以降の坂本龍一は、この時代だけでひとつの物語だ。『async』をはじめとする彼の大胆な挑戦は、これからさらに語られていくことだろう。そんな坂本の、音楽的冒険の契機のひとつとなったのは、アルヴァ・ノトやニューヨーク〈12K〉との出会いだろう。
 
 今週木曜日、7月13日から10月15日までの3ヶ月のあいだ、〈12K〉のレーベルメイトが中心となって完成した坂本龍一追悼盤がリリースされる。計41人のアーティストによる5枚組。まずはそのメンツを見て欲しい。そしてぜひ聴いて欲しい。
 

坂本龍一追悼盤 『Micro ambient Music』

小さなものにこだわり続けた坂本龍一の音に呼応した
41名の音楽家たちによる追悼

全未発表39曲。3ヵ月間の限定公開。

「アンビエントは僕の手を離れた」とブ゙ライアン・イーノが言うほど、アンビエント・ミュージック(環境音楽)の解釈は広がっている。その中で坂本龍一が求めた「環境、音楽、音」は何であったのか。坂本が所属していたニューヨーク「12K」のレーベルメイトが中心となって集められたこの追悼盤で、その一部が解き明かされる。

ここからもまた、坂本の「音」は広が゙り続ける。

公開期間:2023年7月13日(木)~2023年10月15日(日)

特設サイト:http://microambientmusic.info/
*Bandcamp 販売のみ 1タイトル 1,800円 5枚セット 5,500円
※収益金の一部は Trees For Sakamoto に寄付されます。

参加アーティスト
Alva Noto, AOKI takamasa, ASUNA, Bill Seaman, Chihei Hatakeyama, Christophe Charles,
Christopher Willits, David Toop, Federico Durand, hakobune, Hideki Umezawa,
Ian Hawgood, ILLUHA, Kane Ikin, Kazuya Matsumoto, Ken Ikeda, Lawrence English,
Marcus Fischer, Marihiko Hara, Miki Yui, Nobuto Suda, Otomo Yoshihide,
Rie Nakajima and David Cunningham, Sachiko M, Sawako, Shuta Hasunuma,
Stephen Vitiello, Stijn Hüwels, SUGAI KEN, Takashi KOKUBO, Taylor Deupree,
Tetuzi Akiyama, The Factors, Tomoko Sauvage, Tomotsugu Nakamura, Tomoyoshi Date,
Toshimaru Nakamura, Tujiko Noriko, Yui Onodera

Jaimie Branch - ele-king

 2017年の『Fly Or Die』で注目を集め、その野心的なスタイルで将来が期待されていたものの、昨年亡くなってしまったジェイミー・ブランチ。才あるこのジャズ・トランぺッターが生前ほぼ完成させていたというアルバムがリリースされることになった。パンクやノイズからアフロ・カリビアンの要素までが含まれる作品に仕上がっているようだ。CDの発売は9月6日。注目しよう。

Jaimie Branch『Fly or Die Fly or Die Fly or Die』
2023.09.06(水)CD Release

2022年8月22日39歳という若さで亡くなった、ダイナミックなジャズ・トランペット奏者/作曲家ジェイミー・ブランチによる、瑞々しく、壮大で、生命力に溢れた遺作となるアルバムが完成。メンバーには、チェリストのレスター・セントルイス、ベーシストのジェイソン・アジェミアン、ドラマーのチャド・テイラーが参加。

ジェイミー・ブランチが亡くなった時、彼女が率いたフライ・オア・ダイの新作はミキシングを残すのみで、ほぼ完成していた。遺族と共に完成までこぎ着けたこのアルバムは、デビュー作『Fly Or Die』から変わらないメンバーと制作されたが、その音は随分と遠いところへと我々を導く。パンク・ジャズのダイナミズムとノイズから、アフロ・カリビアンの陽気なポリリズムまでがここには刻まれている。かつてないほどにフィーチャーされているジェイミーのヴォーカルは、ハードコアとソウルの間を深く揺れ動く。美しいという形容こそが相応しいアルバムだ。(原 雅明 ringsプロデューサー)

ミュージシャン:
jaimie branch – trumpet, voice, keyboard, percussion, happy apple
Lester St. Louis – cello, voice, flute, marimba, keyboard
Jason Ajemian – double bass, electric bass, voice, marimba
Chad Taylor – drums, mbira, timpani, bells, marimba

with special guests-
Nick Broste – trombone (on track 5 & 6)
Rob Frye – flute (track 5), bass clarinet (track 5, 6 & 7)
Akenya Seymour – voice (track 5)
Daniel Villarreal – conga and percussion (track 2, 5, 6 & 7)
Kuma Dog – voice (track 5)

[リリース情報]

アーティスト名:Jaimie Branch(ジェイミー・ブランチ)
アルバム名:Fly or Die Fly or Die Fly or Die

リリース日:2023年09月06日(水)
フォーマット:CD
レーベル:rings / International Anthem
品番:RINC109
価格:2,700円+税
販売リンク:
https://ringstokyo.lnk.to/WQEQcd

オフィシャル URL :
http://www.ringstokyo.com/jaimie-branch-fly-or-die-fly-or-die-fly-or-die-world-war/

DMBQ × NO BUSES - ele-king

 DMBQが各地のクアトロでおこなっている2マン企画「DMBQと…」シリーズの最新公演が決定した。今回は名古屋クアトロにて NO BUSES との2マン。独自の路線をひたすらに突き進む稀有な2バンドの競演は今回が初で、かなり珍しい組み合わせといえよう。チケットはチケットぴあ、e+、ローソンチケットなどで7月22日より発売予定。

公演情報:
「DMBQとNO BUSES」
9月20日(水)
名古屋クアトロ
開場18:45 開演19:30
チケット:前売¥4,000 当日¥5,000
お問合せ:名古屋クラブクアトロ
TEL.052-264-8212

------------

[7月20日追記] * NEW!!
 本日、新たに2公演の情報がアナウンスされた。梅田と渋谷の両クアトロでの開催で、前者ではドミコと、後者ではエンドンジム・オルーク石橋英子と競演する。これは豪華です。見逃せません。

公演情報:
「DMBQとドミコ」
10月5日(木)
梅田クアトロ
開場18:45 開演19:30
チケット:前売¥4,000 当日¥5,000
お問合せ:梅田クラブクアトロ
TEL.06-6315-8150

「DMBQ, ENDON, Jim O'Rourke & Eiko Ishibashi」
10月10日(火)
渋谷クアトロ
開場18:45 開演19:30
チケット:前売¥4,000 当日¥5,000
お問合せ:渋谷クラブクアトロ
TEL.03-3477-8750

Manja Ristić - ele-king

 音楽のはじまりが4万5千年前だとされているのは、ドイツ南西部のとある洞窟で発見された最古の楽器、としか解釈のしようがない人工的に穴が開けられた骨の推定年から来ていると、音楽学者のポール・グリフィスは書いているけれど、しかしながら、ジョン・ケージの “4分33秒” を真に受けて議論するなら、ホモ・サピエンスが誕生した数十万年前からそれ(音楽)はすでにそこにあったということになるわけだ。いや、だけどね、やっぱ音楽ってのは、ある明確な周波数や空気圧の振動が時間のなかで規則的/不規則的に発せられてこそそれを音楽と認識するのだろうし、だからこそ楽器ってものが発明されたんじゃないの。いや、違う、だからその考え方が間違っているとケージは言っているんだよ、いやいや、それは理屈だって。いやいや、そもそも音楽が記譜され制度化したことで云々かんぬん。このエリート主義め! なんだとこのわからず屋!(以下、2時間続いた)……この手の話を酔っ払った者同士がしてはいけないことは、もう何十年も前から知っていたというのに、最近またやってしまった。口論になり、そしてなだめ合い、まあこういう話ができるのも●●(名前が入る)だから嬉しいよ、などと憐憫めいたことを言っては、なにかのきっかけでふたたび口論になるという、ウロボロス状態が続くのであった。(はぁ〜、疲れた疲れた)

 フィールド・レコーディングというのは、そういう意味では、これが音楽か否かという疑問をつねに内包しながら、録音された自然音/環境音などを音楽として提示する面白いスタイル/ジャンルである。水の音を聴く。数十万年前のホモ・サピエンスも水の音を聴いていたことだろう。1686年の松尾芭蕉もそうだ——「古池や蛙飛び込む水の音」。しかしながらタイムマシンを使って17世紀の江戸の俳人に『Selected Ambient Works, Volume II』を聴かせようものなら、4万5千年前のドイツ南西部の洞窟のなかの笛を吹いている人たちの前でベートーヴェンの交響曲を聴かせようものなら、ぶったまげるどころの騒ぎではないだろう。人間の感受力、音楽を聴き取る能力は時代のなかで拡張されてきている。万博博覧会の時代では、ショトックハウゼンの演奏や電子音楽は人びとを不快にさせもしたというけれど、21世紀のいまならより多くの人が受け入れることができるのだ。ただ、4万5千年前の人類と1686年の松尾芭蕉と21世紀の我々とでは、水の音の聞こえ方は違っているのかもしれない。そして水の音は4万5千年前も現在も同じであって、しかしじつは局面においては同じではなくなっているのかもしれない。

 セルビア共和国のベオグラード出身で、旧ユーゴスラビアの女性作曲家リュビツァ・マリッチ(Ljubica Maric)から多大な影響を受けたマニャ・リスティッチは、クラシック音楽出身のヴァイオリン奏者であり詩人でありサウンド・エコロジストであり、いくつかの作品ではフィールド・レコーディングを多用している。彼女は、クロアチアの南アドリア海に浮かぶコルチュラ島——ぼくとしては美しい景色を思い浮かべるが、マニャに言わせれば、そこは「何世紀にもわたるヨーロッパの権力と資本の変遷を調査するのに最適な場所」で、「一種の辺境の歴史的中心地であり、比喩的に言えば、神に見捨てられた王国」——を拠点にアンビエント的感性の豊かな作品を制作している。去る4月、彼女がLAの〈LINE〉(アルヴァ・ノトやウィリアム・バシンスキーなどの作品で知られるレーベル)からリリースした『Awakenings(目覚め)』は、水の音のアルバムである。
 水……といっても、オーシャンブルーな海辺でもリゾート・ホテルのプールでも深い自然のなかの渓流でもない。廃墟となった旧ユーゴスラビア軍施設、古代の採石場、古代の水族館、村の水路などといった、彼女が暮らしている島のいろんな場所の(水の音というより)水中の音で、綺麗な水も綺麗ではない水もあって、快適さとはだいぶ違う。ほとんどの音は水中マイクによって録音されている。水中の音ばかりだが、曲によっては、壊れたピアノやおもちゃのシンセサイザーの音が重ねられている。とはいえアルバムは始終、水の音、ただただ水の音が鳴っている。彼女はそれを曲として編集し、並べて、1枚のアルバムにした。まずは、これを音楽として感受できるかどうか、試してみるのは一興である。このクソ暑いなか、涼しそうなアルバムを選んでいるように思われた方もいるかもしれないが、そういう意図はないのであります。

 2時間の口論に疲れた帰りの電車で、後味の悪さを少しでも解消しようとメールをしてみる。「まあ、本音で話し合えたってことで」「まだ言い足りない」「……」「今度会ったらボコボコにしてやる」「……」。そういえばマニャ・リスティッチは、ロンドンの俳句コミュニティ兼レーベルの〈Naviar Record〉から、俳句を主題としたアルバム『The Nightfall』(これも良い。ぜひご一聴あれ)を2018年にリリースしている。「俳句は、三行で構成される日本の伝統的で短い形式の詩です。俳句は、人生と自然についてのより深い考察につながる客観的な経験の瞬間についてのものです」——このような文言がレーベルのサイトには記されているのであるが、ジョン・ケージも俳句が好きだったし、芭蕉の俳句は録音こそされてはいないが、アンビエント的感性の表出であることは間違いない。閑さや岩にしみ入る蝉の声……を聴きに旅に出ようかな、マジで。

Overmono - ele-king

K まず1曲目にびっくりした。最近のポップスの模倣というかクリシェをやっているけれど、これはギャグなのか本気なのか。3曲目とか5曲目のヴォーカルもすごくいまっぽいから、本気かな。

W たしかに1、3、5曲とめっちゃポップスですね。でも言われるまで気づきませんでした(笑)。ぼくはこういう、UKのビートにいまっぽいポップスのヴォーカルが乗ることって、そこまでびっくりしないんですよね。

K 感じ方に世代の差が出たね(笑)。

W 世代差じゃないでしょ。

N なんでも世代差にしちゃいかんね。

W なぜなのか考えてみると……たとえば「planet rave」というスポティファイのプレイリストがあるんですが、これはいわゆるY2K的な視点から再定義したダンス・ミュージックを集めたプレイリストで……

K Y2K的な視点って? 2000年になるとコンピュータが1900年と勘違いして大変なことになるぞって騒がれたやつ?

W いや、00年ごろの音楽のリヴァイヴァルってことです。その代表とも言えるピンクパンサレスとかピリは、UK産のビートにめっちゃポップスのヴォーカルが乗っかってます。最近だと、エリカ・ド・カシエールが作曲に加わったニュー・ジーンズの新曲 “Super Shy” もビートが明らかにUKで、さすがにコレはびっくりしました。

K (ピンクパンサレス、ピリ、ニュー・ジーンズを聴いてみる)なるほど、00年ころっていわれてウーキーあたりを思い浮かべたけど、どちらかというとジャングルのリズムを崩した感じ、ジャングルのフィーリングが大きいね。万能初歩くんが好きなアイドルのニュー・ジーンズは検索するとやたらジャージー・クラブって出てくるけど、この曲はジャングルとUKガラージの部分のほうが強いように聞こえる。

W 自分はこういう曲もたくさん浴びている。なのでUKダンスの真打ちたるオーヴァーモノがいまのポップスのメロディをとりいれていることは、彼らがデビュー・アルバムを送り出すうえで、つまりより広いフィールドにかちこむうえでは自然なことだと映ったし、スッと入ってきましたね。

K インタヴューでオーヴァーモノの片方、トム・ラッセルが、最近聴いているのはアメリカのR&Bやポップスで、自覚的にUKのアンダーグラウンドからは距離をとったって言っていたけど、ぜんぜんUKらしい要素は入っているよね。現役のクラバーとしてはどう? 個人的には2曲目とか終盤の “Is U”、“So U Kno 2”、“Calling Out” とか、やっぱりUKガラージのリズムを聴かせてくれる曲がぐっとくるんだけど。

N 2000年代以降のUKは、インディ・ロックでもダンスでもUSのR&Bとヒップホップが大好き。ただ、その背後には依然としてジャングルがあって、これはいまでもほんと大きい。いまもっともイキの良いジャングルを聴きたければ Tim Reaper や彼のレーベル〈Future Retro〉をチェックするといいよ。オーヴァーモノはすでにポップ・フィールドにいるけど、活力あるアンダーグラウンドがその土台にはある。

W 偉そうな言い方になってしまいますが、まずハウスやテクノのDJがフルレングスでアルバム1枚分、カッコよく仕上げるのってすごく難しいことだと思ってます。でもそこを軽々と超えたオーヴァーモノはすげーなあと、いちリスナーとして素直に感じました。

N それはホントそうだね。

W インタヴューにもあるとおり、場所問わずまさに車で流せるような雰囲気もありますよね。ぼくは最後のスロウタイの使い方にしびれました。スロウタイをフィーチャーしたなら、そりゃもうディスクロージャー “My High” 的な、超ラジオ向けシングルをつくりたくなりそうなものですが、あくまでビートが主体でありつつ、きっちりヴォーカルも料理されてる(笑)。

K スロウタイ、5月にレイプ容疑で法廷に呼び出されていたけれど、その後どうなったんだろう。無罪を主張していて、裁判は来年に開始されるみたいだけど……事実だとしたらすごく残念だよね。

W そうですね……。他方で “So U Kno” は京都拠点の Stones Taro がリミックスしたり、まさにゴリゴリのバンガーですよね。

K この曲めちゃくちゃかっこいいよね。ダークさもありつつの、声のサンプルの反復に降参してしまう。

W だけど全体としてはクラブ・バンガーの12インチをただ寄せ集めただけという感じにはなってない。このシーソー感覚は不思議でした。このバランスにかんしてはジョイ・Oよりも好みかもしれない。あのミックステープは最高ですが、ちょっとだけアンセム感が物足りないと思っていたので。その点、オーヴァーモノはバッチリって感じでした。

K オーヴァーモノのもう片方、エド・ラッセルのテセラはチェックしていた? ぼくが最初に聴いたのは “Nancy's Pantry” (2013)で、といっても12インチで買ってたわけではなくて、〈ビート〉から出ていた〈R&S〉のコンピ『IOTDJPN』(2014)で聴いたんだけど、けっこうロウなブレイクビーツをやっている印象だった。オーヴァーモノも “BMW Track” (2021)とかはその延長線上に置ける曲だと思うけど、今回のアルバムはやっぱりだいぶポップさが増していると思う。ヴォーカル入りだからかな。UKらしく加工されてはいるけれど。

W テスラは正直、あまり積極的にはチェックしてなかったですね。「硬派」ってことばが出ましたけど、そこが自分的にあまりハマらなかった理由かもしれません。「ポップさ」「キャッチー」というのはすごく乱暴にまとめると、要はより開けた感じですよね。テセラの12インチから感じる硬派さは狭い空間で男たちが踊る汗臭さを感じます。だけど、今回のオーヴァーモノのサウンドは男も女もいる感じです。なぜかって考えたとき、やっぱりUKガラージ/2ステップはひとつのキーじゃないかと。サイモン・レイノルズが『WIRE』で、UKガラージでは「the girls love that tune(女の子たちがあの曲を気に入ってる)」が宣伝文句になるんだ、と指摘しています。その文句はテクノやドラムンベースだと基本的にディスになると(笑)。「たしかに」って思いました。男だけじゃなく、女性も含めて、いろんな人に開けてる音楽。

N それは偏見、テクノもジャングルも女性リスナー/クラバー多いって(笑)。

K ともあれ日本でもこういう素朴に良質なダンス・ミュージックがもっと市民権を得られるようになるといいな。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 374 375 376 377 378 379 380 381 382 383 384 385 386 387 388 389 390 391 392 393 394 395 396 397 398 399 400 401 402 403 404 405 406 407 408 409 410 411 412 413 414 415 416 417 418 419 420 421 422 423 424 425 426 427 428 429 430 431 432 433 434 435 436 437 438 439 440 441 442 443 444 445 446 447 448 449 450 451 452 453 454 455 456 457 458 459 460 461 462 463 464 465 466 467 468 469 470 471 472 473 474 475 476 477 478 479 480 481 482 483 484 485 486 487 488 489 490 491 492 493 494 495 496 497 498 499 500 501 502 503 504 505 506 507 508 509 510 511 512 513 514 515 516 517 518 519 520 521 522 523 524 525 526 527 528 529 530 531 532 533 534 535 536 537 538 539 540 541 542 543 544 545 546 547 548 549 550 551 552 553 554 555 556 557 558 559 560 561 562 563 564 565 566 567 568 569 570 571 572 573 574 575 576 577 578 579 580 581 582 583 584 585 586 587 588 589 590 591 592 593 594 595 596 597 598 599 600 601 602 603 604 605 606 607 608 609 610 611 612 613 614 615 616 617 618 619 620 621 622 623 624 625 626 627 628 629 630 631 632 633 634 635 636 637 638 639 640 641 642 643 644 645 646 647 648 649 650 651 652 653 654 655 656 657 658 659 660 661 662 663 664 665 666 667 668 669 670 671 672 673 674 675 676 677 678 679 680 681 682 683 684 685 686 687 688 689 690 691 692 693 694 695 696 697 698 699 700 701 702 703 704 705 706 707 708 709 710 711 712 713 714 715 716 717 718 719 720 721 722 723 724 725 726 727 728 729 730 731 732 733 734 735 736 737 738 739 740 741 742 743 744 745 746 747 748 749 750 751 752 753 754 755 756 757 758 759 760 761 762 763 764 765 766 767 768 769 770 771 772 773 774 775 776 777 778 779 780 781 782 783 784 785 786 787 788 789 790 791 792 793 794 795 796 797 798 799 800 801 802 803 804 805 806 807 808 809 810 811 812 813 814 815 816 817 818 819 820 821 822 823 824 825 826 827 828 829 830 831 832 833 834 835 836 837 838 839 840 841 842 843 844 845 846 847 848 849 850 851 852 853 854 855 856 857 858 859 860 861 862 863 864 865 866 867 868 869 870 871 872 873 874 875 876 877 878 879 880 881 882 883 884 885 886 887 888 889 890 891 892 893 894 895 896 897 898 899 900 901 902 903 904 905 906 907 908 909 910 911 912 913 914 915 916 917 918 919 920 921