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サックスの音がとにかく軋んでいる。古いドアを開けているような音。ギーギーと耳障りで世界が壊れていく気分。ノルウェイ(現ベルリン)のサキソフォン奏者によるソロ3作目は、パベル・ミリヤコフやローレル・ヘイローといった近年のコラボレーターとの作業が反映された様子もなく、基本的なフォーマットは5年前のデビュー・シングル “Adjust”に立ち返ったような7曲入りとなった。前作のようにダブやドローンと組み合わせることもなく、シンプルにサックスの演奏を聴かせるかたちで、オーヴァーダビングもなし。それこそ原点に戻ったという意味で自分の名前をアルバム・タイトルにした……のかなと。ミニマルの要素を強めて、前作『Cracks』のような物語性を回避し、一部だけを拡大する醍醐味。鎖骨を強調したアルバム・ジャケットはレヤ『Eyeline』の別カットみたいなテイストで、いわゆるクィア・アートを強調している。
管楽器では圧倒的にトランペットが好みなので、これまでサックスの演奏に深く親しんできたとはとてもいえず、サックスがメインの曲で僕が忘れられない曲といえば(立花ハジメ『H』のようにサックスを別な楽器に置き換えると別な味が出そうな曲は除外して)アルトラボックス “Hiroshima Mon Amour”やフィリップ・グラス “Are Years What? (For Marianne Moore)”など数えるほどしか思い浮かばない。ベンディク・ギスケのサックスはそうした数少ない曲のどれにも似ていず、むしろエルモア・ジェームズのブルース・ギターなどを想起してしまう。気持ちよく吹くわけではなく、内面の葛藤が音に出るタイプ。でも、どうやらそういうことではないらしい。幼少期をインドネシアで過ごしたギスケはディジェリドゥーが身近にあり、それに慣れ親しんだせいで、現在のような吹き方になってしまったものらしい。内面ではなく、身体性に導かれた結果だと。
とはいえ、今回はプロデューサーにベアトリス・ディロンが起用され、弾むようなテンポがこれまでとは一線を画す作風になっている(“Adjustt”はもっとダウンテンポの部類だった)。ウラ・シュトラウス “I Forgot To Take A Picture”を倍速にしているような曲が多く、いつものようにサックスが軋み、重く沈み込もうとしても、リズムが停滞を許さない。ディロンらしくトライバルな妙味を効かせたパーカッションが、おそらくはループされているせいで、サックスも一気には調子を変えようがないといった曲の進み方。ループ(多分)なので、グルーヴにも限界があり、ダンス・ミュージックにもインプロヴィゼ’ションにも着地しない。同じ方法論を繰り返すことでリズムに支配されない身体性を探り出そうとしているというか、“Rusht”ではテンポを変えていく試みなどもあり、J・リンのバレエ音楽『Autobiography (Music From Wayne McGregor's Autobiography)』に近いものが感じられる。そうか、観念的にはジュークへのアンサーなのか。オープニングからやたらとテンポが速いのはそのせいだったか。アカデミックな舞台に進出したジュークをフォローし、アコースティックに特化したかたちで発展させる試み。そう考えると個人的にはかなりすっきりする。久々にブラック・ミュージックとは異なる身体性の追求で面白い音楽を聴いたかもしれない。力任せに踊る世界ではあるけれど、そのことがまったく美しくないというわけではない。
“Startt”“Rise and Fallt”“Rusht”“Slippingt”と身体性を強く感じさせるタイトルに混ざって1曲だけ違和感を覚えるのが“Rhizomet”。ドゥルーズのアレだろうか。それとも単に「根っこ」という意味だろうか。このところツイッターが自滅していくのでよく考えることだけれど、ツイッターがダメになったのはイーロン・マスクがCEOになってからではなく、トレンドを表示するようになってからだったのではないかと。ツイッターというのはそれこそ根っこのようにあちこちに広がって誰と誰がつながっているのかよくわからなかったから情報がアナーキーな価値を持つことができたのに、多くの人が集まっている場所や話題を可視化してしまったことで、ドゥルーズのいう「ツリーからリゾームへ」を逆行し、旧来の情報システムと同じ凡庸なヒエラルキー思想に絡め取られてしまったのではないかと。ツイッターの利用者も自由な表現から情報のコマに格下げされてしまったというか。逆にいえば大多数がどこにいるのかを把握していないと権力というのはやはり不安なんだろうな(大衆自身も「権力」に含まれる)。まったくの余談でした。
エンディングのみビートレスで、軋んだサックス音が地を這い、戦い済んで日が暮れていく感じでしょうか。ここだけはトランペット奏者のジョン・ハッセルが思い浮かぶ。
三田格