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Manja Ristić

AmbientField Recording

Manja Ristić

Awakenings

Line

野田努 Jul 12,2023 UP

 音楽のはじまりが4万5千年前だとされているのは、ドイツ南西部のとある洞窟で発見された最古の楽器、としか解釈のしようがない人工的に穴が開けられた骨の推定年から来ていると、音楽学者のポール・グリフィスは書いているけれど、しかしながら、ジョン・ケージの “4分33秒” を真に受けて議論するなら、ホモ・サピエンスが誕生した数十万年前からそれ(音楽)はすでにそこにあったということになるわけだ。いや、だけどね、やっぱ音楽ってのは、ある明確な周波数や空気圧の振動が時間のなかで規則的/不規則的に発せられてこそそれを音楽と認識するのだろうし、だからこそ楽器ってものが発明されたんじゃないの。いや、違う、だからその考え方が間違っているとケージは言っているんだよ、いやいや、それは理屈だって。いやいや、そもそも音楽が記譜され制度化したことで云々かんぬん。このエリート主義め! なんだとこのわからず屋!(以下、2時間続いた)……この手の話を酔っ払った者同士がしてはいけないことは、もう何十年も前から知っていたというのに、最近またやってしまった。口論になり、そしてなだめ合い、まあこういう話ができるのも●●(名前が入る)だから嬉しいよ、などと憐憫めいたことを言っては、なにかのきっかけでふたたび口論になるという、ウロボロス状態が続くのであった。(はぁ〜、疲れた疲れた)

 フィールド・レコーディングというのは、そういう意味では、これが音楽か否かという疑問をつねに内包しながら、録音された自然音/環境音などを音楽として提示する面白いスタイル/ジャンルである。水の音を聴く。数十万年前のホモ・サピエンスも水の音を聴いていたことだろう。1686年の松尾芭蕉もそうだ——「古池や蛙飛び込む水の音」。しかしながらタイムマシンを使って17世紀の江戸の俳人に『Selected Ambient Works, Volume II』を聴かせようものなら、4万5千年前のドイツ南西部の洞窟のなかの笛を吹いている人たちの前でベートーヴェンの交響曲を聴かせようものなら、ぶったまげるどころの騒ぎではないだろう。人間の感受力、音楽を聴き取る能力は時代のなかで拡張されてきている。万博博覧会の時代では、ショトックハウゼンの演奏や電子音楽は人びとを不快にさせもしたというけれど、21世紀のいまならより多くの人が受け入れることができるのだ。ただ、4万5千年前の人類と1686年の松尾芭蕉と21世紀の我々とでは、水の音の聞こえ方は違っているのかもしれない。そして水の音は4万5千年前も現在も同じであって、しかしじつは局面においては同じではなくなっているのかもしれない。

 セルビア共和国のベオグラード出身で、旧ユーゴスラビアの女性作曲家リュビツァ・マリッチ(Ljubica Maric)から多大な影響を受けたマニャ・リスティッチは、クラシック音楽出身のヴァイオリン奏者であり詩人でありサウンド・エコロジストであり、いくつかの作品ではフィールド・レコーディングを多用している。彼女は、クロアチアの南アドリア海に浮かぶコルチュラ島——ぼくとしては美しい景色を思い浮かべるが、マニャに言わせれば、そこは「何世紀にもわたるヨーロッパの権力と資本の変遷を調査するのに最適な場所」で、「一種の辺境の歴史的中心地であり、比喩的に言えば、神に見捨てられた王国」——を拠点にアンビエント的感性の豊かな作品を制作している。去る4月、彼女がLAの〈LINE〉(アルヴァ・ノトやウィリアム・バシンスキーなどの作品で知られるレーベル)からリリースした『Awakenings(目覚め)』は、水の音のアルバムである。
 水……といっても、オーシャンブルーな海辺でもリゾート・ホテルのプールでも深い自然のなかの渓流でもない。廃墟となった旧ユーゴスラビア軍施設、古代の採石場、古代の水族館、村の水路などといった、彼女が暮らしている島のいろんな場所の(水の音というより)水中の音で、綺麗な水も綺麗ではない水もあって、快適さとはだいぶ違う。ほとんどの音は水中マイクによって録音されている。水中の音ばかりだが、曲によっては、壊れたピアノやおもちゃのシンセサイザーの音が重ねられている。とはいえアルバムは始終、水の音、ただただ水の音が鳴っている。彼女はそれを曲として編集し、並べて、1枚のアルバムにした。まずは、これを音楽として感受できるかどうか、試してみるのは一興である。このクソ暑いなか、涼しそうなアルバムを選んでいるように思われた方もいるかもしれないが、そういう意図はないのであります。

 2時間の口論に疲れた帰りの電車で、後味の悪さを少しでも解消しようとメールをしてみる。「まあ、本音で話し合えたってことで」「まだ言い足りない」「……」「今度会ったらボコボコにしてやる」「……」。そういえばマニャ・リスティッチは、ロンドンの俳句コミュニティ兼レーベルの〈Naviar Record〉から、俳句を主題としたアルバム『The Nightfall』(これも良い。ぜひご一聴あれ)を2018年にリリースしている。「俳句は、三行で構成される日本の伝統的で短い形式の詩です。俳句は、人生と自然についてのより深い考察につながる客観的な経験の瞬間についてのものです」——このような文言がレーベルのサイトには記されているのであるが、ジョン・ケージも俳句が好きだったし、芭蕉の俳句は録音こそされてはいないが、アンビエント的感性の表出であることは間違いない。閑さや岩にしみ入る蝉の声……を聴きに旅に出ようかな、マジで。

野田努