「IO」と一致するもの

A Certain Ratio - ele-king

 これがじつに格好いい曲なんですよ。ACR(ア・サートゥン・レシオ)の12年ぶりのアルバム『ACR ロコ』に収録された“Yo Yo Gi”。ラテン・パーカッションからはじまりハウスへと展開するダンス・トラックで、長年マンチェスターでニュー・オーダーとともにバンド形態によってダンス・カルチャーにコミットしてきたベテランだけのことはある。今年のはじめに来日した際にフィールド・レコーディングした山手線のアナウス入りの曲で、MVにも東京で撮影された風景が流れている。



 1978年に始動したACRは、ジョイ・ディヴィジョン/ニュー・オーダーとともにマンチェスターの〈ファクトリー〉を代表するバンドとしてデビュー。レーベルの1枚目のシングルがACRだった。また、ニュー・オーダーはエレクトロを介してダンスフロアへと接近したのに対して、ACRはファンクとラテンのリズムをもって向かった。80年代なかばに脱退した初期メンバーは、のちにクアンド・クアンゴへと、そしてUKで最初期のハウス・プロジェクトのT-COYへと発展する。いっぽうのACRはメジャー契約後の80年代後半にいきなりシングル「The Big E」とフランキー・ナックルズのリミックス擁する「Backs To The Wall」をリリースするという、まさにUKダンス・カルチャーととに生きてきている。2000年代初頭におきたポストパンク・リヴァイヴァルにおいて、もっとも再評価されたのがACRで、12年ぶりのアルバムになる新作『ACR ロコ』は彼らの40年の集大成的な内容になっている。9/25発売まで待とう。

Julianna Barwick - ele-king

 昔から……、といってもたかだか数十年の話だが、ある言い伝えに、ポップ・ミュージックの20周期説がある。ポップのモードは20年で一週するので20年ぐらい前が新しく、10年ぐらい前がいちばん古く感じるというわけだ。この説を鵜呑みするわけではないけれど、ここ最近のシーンの動きで面白くなりそうだなと思っているひとつはインプロヴィゼーションで、これは『The Wire』の寄稿者ジェイムズ・ハットフィールドからグラスゴーのStill House Plantsを教えてもらって、やや確信に近づいている。70年代のカンタベリー・シーンの系譜におけるもっとも先鋭的だったアート・ベアーズをUKにおける即興の先駆AMMと交差させながら、ポストパンクのフラスコのなかで蒸留させたかのようなサウンドは、20年前のフリー・フォークを思い出させる。(そしてSHPのほかにも興味深いアクトがいくつかいる)

 そうなると、およそ10年前に登場したジュリアナ・バーウィックは現時点においては古い音楽になるわけだが、どうだろう。うん、たしかに懐かしいかもしれないし、自分の時間感覚もだいぶ狂っているので、もうよくわからないというのが正直なところだ。
 『The Magic Place』はよく聴いたし、ノー・ニューヨーク一派のひとり、イクエ・モリとの共作も忘れがたいアルバムだ。この当時は、おお、こんなユニークで美しい、しかも喜びに満ちたエレクトロニック・ミュージックを作る人がブルックリンから出て来たとずいぶん感動したと記憶している。
 そしてバーウィックが喜びであるなら、まるで同じカードの表裏のようにポートランドには憂鬱なグルーパーがいた。このふたりは、まず自分の声にリヴァーブをかけ、それを抽象的なレヴェルで使うという点で似ている。ロングトーンを多用したメロディもじつは似ている。が、そよ風に揺れる新緑のバーウィックと廃墟でひとり佇むグルーパーとでは、その音楽の色味や性格は正反対のように見えがちである。ノートパソコンのバーウィックとギターのグルーパー。ぼくがその後熱心に聴き続けたのは、言うまでもなく後者のほうだった。
 
 これは半分笑い話というか、日本人の適当さにも依拠する話だが、初来日が品川の教会だったバーウィックと上野方面の禅寺だったグルーパーというのも、まあ、象徴的ではある。グルーパーの禅寺というのは、これはしかしたまたまというか、いや、あまり深く考えずに、ホントにたまたまそうなっただけなのだろうが、バーウィックの教会というのはバーウィックだからそうなったのだろう。
 わからなくはない。彼女の音楽には神聖さがある。それは宗教的ということではない。ある種の清らかさということである。だいたい本人は、先日掲載したインタヴューにあるように、けっこう気さくな方だったりするし。

 昨年のDAZEDに掲載された彼女のインタヴューの最後の発言に、こんな言葉がある──「できる限り、地球の現状と悪に対抗する方法を考える必要がある。そして人生を楽しむこと。人生はいまでもほんとうに素晴らしく、ほんとうにそうなんだから」
 まるで大島弓子の『バナナブレッドのプティング』の主人公が物語の最後につぶやく言葉のようじゃないか。そうかぁ、なるほどなぁ、わかってきたぞ。バーウィックとはつまり、たとえどんな苦難があろうとも最終的には「人生は素晴らしい」と言えるのであって、だから彼女の音楽からは喜びが聴こえるのだろう。それは逞しさと言えるものかもしれない。

 新作『ヒーリング・イズ・ア・ミラクル』は、彼女がブルックリンからLAに引っ越して作った作品で、通算4枚目のアルバムとなる。階層化されたループを基調とする彼女のコンポジションは、ベルリンのベーシック・チャンネルのミニマル・ダブと同様にひとつの発明だ。グルーパーもそうだが、最初から彼女は自分の“サウンド”、自分の“型”を持っていた。3人のゲスト(ハーブ奏者のメアリー・ラティモア、シガー・ロスのヨンシ―、LAビートメイカーのノサッジ・シング)が参加しているものの、基本的には『The Magic Place』の頃と大きな変化はない。音数は最小限で、声が電子的に加工され、そよ風のような音響が展開されている。ただ、その音響の階層にある隙間はより広く、空間的で、より心地良く、清々しくもある。しかもその音響は、ぼくが思うに『The Magic Place』の頃よりもグルーパーに近づいている。そう思えてならない。
 4年前にThe Quietusで、彼女のオールタイム・フェイヴァリット・アルバムを紹介する記事があった。そのなかで彼女は、アニマル・コレクティヴからの影響を語り、ビュークやホイットニー・ヒューストンやニュー・オーダーのファンであることを明かし、また、アーサー・ラッセルやスフィアン・スティーヴンについて話し、そしてグルーパーへの惜しみない讃辞を述べている。「私はこれまで彼女が出した作品すべてを持っている」、バーウィックは話をこうはじめると「素晴らしい、まったく素晴らしい」と手放しに誉めつつ、「彼女には部屋を静かに破壊する術がある。(略)彼女のパンクの美的表現が好きだし、それはとてもクール」だと言う。

 そのときようやくわかった。彼女がイクエ・モリと共演したのも、たまたまではなかったと。ぼくはジュリアナ・バーウィックを聴き直さなければならない。それは古くはなく、いや、それどころかこれから必要とされるであろう、パンクの美的表現の一種として。

Roedelius - ele-king

 1973年のことである。69年よりベルリンを拠点に、エレクトロニック・ミュージックにおいてフリー・ジャズにも似たアプローチで、名状しがたい嵐のような抽象的な音楽(ないしは非音楽、ないしはインダストリアル・ドローン)をやっていた元Kluster/Clusterのふたり──ハンス・ヨアヒム・レデリウスとディター・メビウスは活動の場を西ドイツの片田舎、ヴェーザー高地のフォルスト村へと移した。グリム童話にちなんだ土地とも遠くはない。クラスターの『Sowiesoso』のジャケットにあるような、ドイツの田舎らしいロマンティックで美しいところなのだろう。とにかくふたりはその村にあった家をスタジオに改築し、そこから数々の名作を録音することになる。ハルモニアのアルバムがそうだし、よく知られるようにアンビエントを志したイーノがまず訪ねたのも森のなかの彼らのスタジオだった。つまりクラスター&イーノが生まれ、そして最初のレデリウスのソロ・アルバム(ないしは『Selbstportrait』の2枚の音源)も録音されている。クラスターにとっての黄金期はフォルスト時代である。
 本作『Tape Archive Essence 1973-1978 』は、タイトルがいうように黄金期におけるレデリウスのいままで表に出さなかった個人的な記録であり、音のスケッチ集で、それらはRevox-A77のテープマシン、Farfisaオルガン、エコー装置とシンセサイザー、4トラックのレコーダーによって描かれている。
 また、じつをいえば本作は、2014年に同レーベルから3枚組のボックスで限定リリースされた未発表音源集のダイジェスト盤なのだが、CANのそれと同様、本作はコアファン向けの商品なんかではない。オリジナル作品と並べても何の遜色ないどころか、ヘタしたらこっちのほうがいいのではないかと思えるほどの内容になっている。

 牧歌的で、穏やか(ピース)で切なく(メランコリックで)、控え目な実験と遊び心がある──レデリウスの作品の特徴を要約すればそんなところだが、しかしそうした陳腐な説明を越えたところに彼の音楽はある。モダン・クラシカルの先駆者なんていう評価もあるようだが、ぼくが彼の音楽を聴き続けているのは理由がある。極めて個人的な理由だが、ぼくはレデリウスによってシラフでいることの素晴らしさ、気持ちよさを教えられたと言っていい。まあ、これも陳腐な表現か(笑)。
 いいや、先に進めよう。このアルバム、1曲目“Nachtens in Forst'”の神秘的な静寂からして相当なものだ。そして2曲目には、彼らしい遊び心あるピアノ曲“Springende Inspiration”が待っている。
 レデリウスの音楽は甘ったるくもなく、また夢幻的なところもない。それはリズムの入った“Lied Am Morgen”にも通じる。田園風で、曲はメロディアスなのだが、音楽はこの現実からどこにも連れていかない。エレクトロニックな反復であっても、クラフトワークのようにトランスさせることはない。口当たりばかりが良いニューエイジとも違う。それでいてこの音楽は、リスナーの気分を良くするのである。
 現在80代もなかばにいるレデリウスは、自らの音楽をいみじくも「荒れ狂う平和(A Raging Peace)」と形容している。戦争を経験し、壁が作られる直前に東から西へと身を移し、戦後ドイツの混乱のなかで貧困を経験し、さまざまな職(マッサージ師や看護師など)を長い間やりながら、運命というか何というか、よりによって天才コンラッド・シュニッツラーの導きによって音楽の世界に入っている。Klusterをはじめたとき、彼はすでに30代半ばである。
 そんな彼のタフな人生経験からすれば、穏やかさにはつねに痛みが隣接しているのだろう。楽天的ではあってもイージーではない感覚が、彼の牧歌的な音楽には通底している。
 “Rokkokko”はクラスターがもっともポップに接近した『Zuckerzeit』の頃の音源だろうか、ミニマルなピアノフレーズに無機質なリズムボックスがフィーチャーされているが、それでもこの曲が描くのはドイツのカントリーサイドであり、生い茂る緑や透き通った空気、こころ踊る田舎道だ。アルバム中盤の“Skizze 4 Von 'By This River'”と最後に収められている“Skizze 3 Von 'By This River'”は、『Sowiesoso』の写真で見られるような田園を流れる川へのオマージュだろう。そしてすべての音響には、当時の録音による独特のこもり具合の温かみがある。(アルバムのインナーにはフォルスト村の写真、そして当時の使用機材の写真も掲載されている)

 芸術の都ケルンのネルフェニッヒ城をスタジオにしたCAN、商業都市デュッセルドルフにおけるクラフトワークのクリングクラング・スタジオ、そして、ヴェーザー高地の田園のなかの一軒家を拠点としたクラスター。場と音楽性はやはり関係しているのだろう。エイフェックス・ツインの『セレクテッド・アンビエント・ワークス85-92』がコーンウォールの彼の実家の部屋で作られたように、クラスターひいてはレデリウスは、エレクトロニック・ミュージックとは必ずしも工業都市や都会の音である必要はないという道を開拓した。

 (追記)なお、1934年生まれのこの長寿のエレクトロニック・ミュージシャンは、同時にまったくの新作『Selbstportrait Wahre Liebe』も発表しているが、これもまたお茶目で、穏やかで、切なく、しかし悲しくはない。

The Beneficiaries - ele-king

 先日レヴューしたスピーカー・ミュージック(ディフォレスト・ブラウン・ジュニア)による「ステレオモダニズム」論を咀嚼すれば、白いユートピアを先行して目指すべく繁栄したミッドセンチュリーのアメリカにおける最大の工業都市デトロイトは、しかし60年代の政治の季節を境に荒廃し、70年代には劣悪な廃墟となった。デトロイト・テクノは白いユートピアの滅びから生まれた黒い文化であると。そして、批評家のグレッグ・テイト風に言えば、「巨大なエンターテイメント産業の歯車のひとつになることのない、自律したソニック・フューチャリズム」は誕生したと。
 「クリスタル・シティとはデトロイトのことである」と詩人ジェシカ・ケア・ムーアは話してくれたが、すなわちそこはディフォレスト・ブラウン・ジュニア風に言えば、白い資本主義の限界から生じた黒い都市である。『ザ・クリスタル・シティ・イズ・アライヴ』──それがザ・ベネフィシャリーズのアルバム・タイトルだ。

 このプロジェクトの中核は、デトロイト・テクノの開拓者のふたり、ジェフ・ミルズとエディ・フォークス、そして詩人にして活動家のジェシカ・ケア・ムーアの3人で、アルバムにはほかにも鍵盤奏者アンプ・フィドラーをはじめ、コアなディープ・ハウスのファンには上座に位置する〈Prescription〉レーベルからの作品で記憶されているパーカッショニストのサンディアータOMと、もうひとりのアフリカン打楽器奏者としてEfe Besがいる。じつはジェフとエディもじつは叩いているそうで、つまり本作の音楽面におけるまず大きな特徴にはパーカッションがある。そこだけにフォーカスして言えば、これは70年代にアフロ・パーカッションをバックに政治的詩を読みあげたザ・ラスト・ポエツのテクノ版である。

 しかし、もちろんジェフ・ミルズが指揮をとるザ・ベネフィシャリーズは懐古的なプロジェクトではないし、ソニック・フューチャリズムがたっぷり注がれたエレクトロニック・ミュージックをベースにしている。過去ではなく明日に期待すること(過去に依存できない以上、明日にしか生きられないこと)、天空の星々に見とれること(本当の故郷がどこにあるのかわからないのだからこそ、宇宙を思う)、それらアフロ・フューチャリズムは、1曲目の“メタリック・スターズ”から爆発する。サン・ラーとセシル・テイラー、文学者のオクタビア・バトラーとサミュエル・R・ディレイニー、そして革命に生きた音楽家ニーナ・シモンの名前が読まれる。
 たしかにもうひとつこの音楽のヒントになるのは、マイルスの『オン・ザ・コーナー』かもしれない。だが、タブラとカリンバ、そしてリズム・マシンの反復と夜空の彼方で反響するエレクトロニック・サウンドとの複合は、デトロイト・テクノをまた一歩、アフロ・ジャズの領域に隣接したところへと進めようとしていることは明白なのだ。ジェシカの力強い言葉に関して言えば、日本盤では誠実な解説者が彼女の詩をみごと和訳しているので、そちらをじっくり読んでいただきたい。

 2曲目“ピープル”はエディ主導の曲だが、ここではアフロ・パーカッションがより強調されている。サンディアータOMのフリーキーな演奏が聴けるのもこの曲で、13分あるこの曲の後半におけるザ・ラスト・ポエツめいた展開とスローテンポのスペイシーなエレクトロ・ファンクとの結合は素晴らしいとしか言いようがない。3曲目の“スター・チルドレン・オブ・オリオン”、そして“ホエン・ザ・サン・ユー・ラヴズ・バック”というジェフの2曲によって、宇宙航海は深まっていく。空想の音を奏でるという点ではテクノ時代のサン・ラーとも言えるサウンドで、それが“Space Is A Place”をカヴァーすることよりも“ディスコ3000”以降の世界に向かっていることは疑いようがないだろう。
 14分にもおよぶ“ザ・X”は、アルバムのもうひとつのクライマックスだ。フリー・ジャズ的なアプローチをしている曲で、アフロ・パーカッションとアンプ・フィドラーの鍵盤、そしてエレクトロニクスによるセッションは過去と未来を往来する。アルバム最後には、表題曲の“ザ・クリスタル・シティ・イズ・アライヴ”が待っている。ここでもパーカッションがミニマル・テクノと結合し、いつもながらのデトロイトの力強さへと着地するが、サウンドは〝いつもながら〟ではないし、じつに斬新。テクノの故郷は、いまもジャンルを更新しようとしている。

 ちょうど昨日、別冊エレキングのブラック・パワー特集号の入稿が終わった。ぼくにとってのきっかけは、このアルバムだった。

R.I.P. Malik B - ele-king

 唯一無二のヒップホップ・バンド、The Roots の初期メンバーであるラッパーの Malik B こと、Malik Abdul Basit 氏が2020年7月29日に亡くなった(享年47歳)。死因は明らかになっていないが、ネット上にて Malik B の死の噂が広まってすぐに、彼の従兄弟でCBSニュースの元特派員である Don Champion 氏が Twitter で追悼のメッセージをポストしたことによって訃報が事実であることが判明。さらに The Roots の Questlove、Black Thought らも相次いで追悼の意を表す投稿を Instagram にて行ない、世界中の The Roots ファンへと悲報が伝わっていった。

 80年代後半、同じフィラデルフィアのアート系の高校に通っていた Questlove と Black Thought によって The Roots の原型となるグループが結成され、その後、大学へと進学した Black Thought が親戚の紹介で出会い、共に活動することになったのが同じくフィラデルフィア出身の Malik B であった。高校の時点ですでに生楽器によるバンドスタイルでライヴを行なっていた彼らであるが、Black Thought がグループのメインMC、そしてサイドMCである Malik B はサポート・メンバーという立ち位置でフィラデルフィアやニューヨークでライヴ活動を重ね、バンド・メンバーを少しずつ増やしながら、ヒップホップ・バンドとしてのフォーマットを固めていく。ちなみに The Roots の 1st アルバム『Organix』は、彼らの初のヨーロッパ・ツアーに合わせて1993年に自主制作でリリースされたものであるが、(すでに共にライヴ活動はしていたにもかかわらず)実はこのアルバムのレコーディングの時点ではまだ Malik B はグループの正式メンバーではなく、このヨーロッパ・ツアーのタイミングで正式にメンバーになったという。1995年にリリースされた、彼らのメジャー・デビュー作でもある 2nd アルバム『Do You Want More?!!!??!』のジャケットには右から Questlove、Black Thought、そして Malik B の3人が並び、Malik B は名実ともに The Roots の看板を背負う立場になった。
 いまでは人気テレビ番組『The Tonight Show Starring Jimmy Fallon』のハウス・バンドを務めるなど、アメリカを代表するヒップホップ・グループのひとつとして高い知名度を誇る The Roots であるが、デビュー時の彼らはヒップホップ・シーンの中で実に異端な存在であった。90年代のヒップホップ・シーンはサンプリングによるプロダクション全盛期であり、生楽器でのバンド・スタイルでのヒップホップ・グループは、少なくともメジャー・アーティストでは彼ら以外は存在しておらず、大半のヒップホップ・ファンにとっては未知の存在であった。しかし、バンド・スタイル以前に、Black Thought と Malik B という二人のMCの素晴らしさは誰が聞いても明らかであり、The Roots にヒップホップ・グループとしての絶対的な価値があるということに皆が気付くようになるにはさほど時間はかからなかった。
 4枚目のアルバムとなった『Things Fall Apart』(1999年)のリリース後、Malik B はグループを脱退するが、Black Thought と Malik B の2MC体制であった時期の The Roots は、文字通りの黄金期であった。80年代から90年代にリリースされたヒップホップの名作アルバムを紹介している書籍『Check THe Technique』の中で、Questlove はこのふたりのMCについて、Black Throught を「明快で論理的」、Malik B を「抽象的」とコメントしている。いわゆるバトルライムを得意とする Black Thought は、ヒップホップ・シーンの中ではまさに正統的なスタイルであるが、それとは対照的なアブストラクトなスタイルの Malik B という存在があったからこそ、ふたりが絶妙なバランスで絡み合う3枚のアルバム『Do You Want More?!!!??!』、『Illadelph Halflife』、『Things Fall Apart』は、いまもヒップホップ・クラシックとして輝き続けている。
 Malik B は2006年リリースの『Game Theory』にてグループへ再合流し、2008年リリースの『Rising Down』にも参加しているが、共にクレジット上ではゲスト・アーティスト扱いとなっており、残念ながら正式にメンバーとして復活はしていない。一方でグループ脱退後には、ソロでのEPやニュージャージー出身のプロデューサー、Mr. Green とコラボレーション・アルバムなどもリリースするなど、ラッパーとしての活動は継続していただけに、47歳という年齢で亡くなったことは実に残念である。

 最後に、日本のヒップホップ・ファンにとっては、Malik B の名を聞いてDJ Krush “Meiso” を思い出す人も多いだろう。1996年にリリースされた同名のアルバムにも収録されたこの曲には、Black Throught と Malik B が揃ってゲスト参加しており、90年代当時の DJ Krush を代表する一曲でもある。自らのヨーロッパ・ツアー中に The Roots の存在を知ったという DJ Krush は、おそらく日本人の中でもいち早く彼らの魅力に気づいた人物だ。シンプルでありながら、独特の存在感を放つ DJ Krush のビートに乗って展開される、Black Throught と Malik B のマイクリレー。ラストの「With DJ Krush from Japan, so no more need to discuss」という Malik B のライムを心に刻みながら、哀悼の意を表したい。

Yunzero - ele-king

 コロナがもしもゾンビだったら。そんなことあるわけないと早々に逃げ遅れて死ぬのが安倍やトランプ。いち早く危機を察知して助かるのがアーダーンやメルケル。そんなもの叩き潰してやるといって向かっていくのがボルソナロやルカシェンコ。僕の母親の家族は5000人以上の死者や行方不明者を出した伊勢湾台風の時に「こっちに逃げろ」と行政が指導した方向とは逆の方向に逃げたら助かったそうで、行政の指示に従った人たちは全滅だったという。そう、リーダーの指導力がソンビ映画の脇役と同程度だと判明してしまった国の人々はマジでどんよりとするしかない。コロナ禍を受けたイギリス人のジョークに「ニュージーランドに宣戦布告をしてすぐに降伏し、アーダーンに英連邦を支配・統治してもらいたい」というのがあったけれど、日本も……いや。イタリアですらスペランツァ保健相がこの25日に危機的状況は脱したという認識を示したというのに……だらだらと……いつまでも……

 長引くステイホームがもたらしたものは、そして、IDMの充実だったかもしれない。ベッドルームが活気づけばIDMが勢いを増すか、子どもが生まれるか。それはつまり「新たな非日常」をどう構築するかということで、それはそれで異様なテンションに包まれていたのかもしれない。

 モスクワのinFXがまずは秀逸だった。オウテカをカジュアルにしてフレッシュにしたようなデビュー作『Consume Your Own Identity』〈Klammklang Tapes〉は思い切りよく叩きつけるビートが気持ちよく、ヒステリックな音使いが閉塞感とは対極にあった。マイナー・サイエンス『Second Language』〈Whities〉のデビュー・アルバムも期待通り。ベルリンのアンガス・フィンレイソンがボーズ・オブ・カナダをダンスフロアに引きずり出そうとして、そのアイディアをカール・クレイグに横取りされたようなサウンドはいまさら〈ワープ〉の「アーテフィシアル・インテリジェンス」シリーズに加えてもおかしくはない1枚と言える。アルカもポップになり、ローレル・ヘイローの弟子たち(?)が集まったらしき『Fossilized Air Bubbles Popped Themusicfire』〈CAMP Editions〉も聴き応えがあった。そして誰よりもメルボルンのジム・セラーズによる『Blurry Ant』である。ユーチューブやインターネットから集めてきた音で、つまり、本人いわく「家に居ながらにしてフィールド・レコーディングが可能だった素材」を元にグルーヴィーな現代音楽が窒息しそうな勢いで並べられている。冒頭からエレクトロアコースティックをスラップスティックにねじ上げ、つかみはOK。

 バックグラウドがどうにも見えづらい音楽だけれど、まあ、その方が当分、楽しめるともいえる。リズム・パートとドローンを自在に行き来し、既成のフォームよりも混沌とした世界観を優先し、「僕はそう簡単には汚れない(I Didn’t Smudge So Easily )」などというタイトルをつけてきやがる。で、確かにどこかピュアな感覚は保たれていて、何度聴いても嫌なところがない。デビュー作『Ode to Mud』〈.jpeg Artefacts〉よりも全体にかなり複雑で、ここ数年、ちらちらと見かけるようになったイルビエント・リヴァイヴァルにも分類される音響。イルビエントいうのは開放感のないダブというのか、DJスプーキーが『Songs Of A Dead Dreamer』(96)で編み出した都会の袋小路を表現したサウンドで、ケヴィン・マーティンやハイプ・ウイリアムズもその系譜に位置している。彼らに共通しているのは最初はわかりにくいけれど、キャリア的には長持ちしているということ。『Blurry Ant』にもそのようなポテンシャルはびしびし感じられる。

 リリース元はこれまでにスパークリング・ワイド・プレッシャーやエンジェル-1、最近ではテキサスのモア・イーズや日本のイナー・サイエンスをリリースしてきたレーベルで、収益のすべてを警察の暴力に抗議するシカゴの「Assata's Daughters」に寄付されるそうです。例の「こぶし」マークの団体で、アサタというのはブラック・パンサーのアサタ・シャクール。2パックの叔母さんです。

R.I.P. Denise Johnson - ele-king

 デニス・ジョンソンはプライマル・スクリームの1991年の(あの時代らしいタイトルの)“Don't Fight It, Feel It”という曲で歌っていたヴォーカリストで、『スクリーマデリカ』以降、数年間プライマル・スクリームのライヴ・メンバーでもあった。
 あの時代、プライマル・スクリームのライヴにおける彼女の存在は素晴らしく大きなものだった。それがいかほどのものであったのかを当時のライヴを見ていない人に伝えることは難しいが、試してみよう。
 そう、あの時代、この惑星で間違いなくダントツだったロックンロール・バンドにおいて、しかし彼女がステージにいることによって、バンドでは表現しきれない領域にまでバンドを導くことができたのである。その領域はソウル・ミュージックの崇高さにリンクし、ハウス・ミュージックにおける最良の瞬間とも等しく、さらに遠くを見たらば期待できる未来が広がるかのようだった。「ハイになる」とはそういうことだった。
 マンチェスター出身の彼女は90年代にア・サートゥン・レイシオのメンバーとしても活動しており、もちろんそれはそれで魅力的であることは違いないが、多くの人にとって彼女はあの“Don't Fight It, Feel It”であり、実際このたった1曲だけで彼女は永遠となった。
 2020年7月27日マンチェスターの自宅での突然死だったそうだが、UKではよほど愛されていたのだろう、いまも多くの哀悼が続いている。

野田努


2020.7.28
ア・サートゥン・レシオ
デニス・ジョンソン 逝去に寄せて


https://www.acrmcr.com/denise-johnson-statement/

 私たちが敬愛する美しきデニスがマンチェスターの自宅にて逝去しました。それは突然のことでした。

 その報せの一週間前、彼女が病気ということは聞いていたのですが、その週の金曜には体の具合がだいぶ良くなったと友人たちに伝えたばかりだったのです。
 月曜の朝、彼女は帰らぬ人になってしまいましたが、その死の理由についてはいまだ分かっていません。

 しかしながら彼女の残した偉業に関しては世界中で知れ渡るところで、プライマル・スクリームのアルバム『Screamadelica』や『Give Out But Don’t Give Up』での仕事ぶりやACRと彼女との最初の出会いのきっかけとなったフィフス・オブ・ヘヴンの1988年の作品“Just a Little More”での彼女の歌声など、数々の有名作品をたくさん残しています。

 その後間も無くして、彼女はマーティン・モスクロップ(ACR)とドナルド・ジョンソン(ACR)によるED209の初期アシッド・ハウスの名曲“Acid to Ecstasy”に参加し、この作品はDave RofeのDFMレーベルよりリリースされました。

 デニスは、マーティンがプロデュースしたAshley & Jacksonの“The Sermon”や“Solid Gold”にも参加し、その後ACRのアルバム『ACR:MCR』の“Be What You Wanna Be”で、彼女のヴォーカル技術は最盛期を迎えることとなりました。

 ACRの歴史において『ACR:MCR』 (1990), 『Up in Downsville』 (1992), 『Change The Station』 (1997), 『Mind Made Up』 (2008)など数多くの作品で彼女は象徴的に存在し、最近でも彼女は私たちと一緒にスタジオに入り、今後リリースになる私たちのニュー・アルバム『ACR Loco』でも美しい歌声を披露してくれていたのです。

 彼女は私たちのライヴにおいても1990年以降、なくてはならない存在であり、この30年間で200本以上ものライヴに登場してくれました。1990年以前、またそれ以降のACRの作品群において、彼女の個性こそが華やか存在だったのです。

 彼女は他にもニュー・オーダーやエレクトロニック、ゲイ・ダッドやバーナード・バトラーなど多くのアーティストの作品でゲスト・ヴォーカルとして参加しています。また、彼女はマンチェスターの街の誠実なるサポーターであり、その歌声をこの愛すべき街に捧げてきました。
 さらに最近では、彼女はギタリストThomas Twemlowとのアコースティック・ライヴ・セットで、マンチェスターが生んだ偉大なアーティストたち、チェリー・ゴースト、10CCやニュー・オーダー等のカヴァーも行っていました。2019年のブルードット・フェスティヴァルでこの二人はカーペンターズの「星空に愛を」を一曲目に披露し、それはジョドレル・バング天文台にあるラヴェル電波望遠鏡の巨大な影の中で行うライヴとしては実に的を得た選曲でした。彼女のデビュー・アルバム『 Where Does It Go』が9月に発売される予定です。

 彼女と同じような人物、アーティストはこれからも出て来ることは無いでしょう。ACRは今も彼女の死に打ちひしがれています。私たちは彼女のユーモアのセンスや彼女が私たちの人生や音楽にもたらしてくれた、溢れんばかりの美しさと情熱を決して忘れることはありません。

ACR – ジェズ・カー、マーティン・モスクロップ、ドナルド・ジョンソン

interview with Kamaal Williams - ele-king

 カマール・ウィリアムスの前作『The Return』から2年、ユセフ・カマールの『Black Focus』から数えると4年が経過した。僕もあのアルバムを聴いてから4年が経ってあっという間の年月を感じると同時に、ここ4年間でUK発の Boiller Room や NTS Radio がシーンの軸に変貌し、「UKジャズ」なるコトバが生まれ、世代や国境、人種を超えてあらゆるミュージック・ラヴァーを魅了した非常に濃い年月になったと思う。「一体どんだけこの土地から新しいアーティストが出てくるんだ?」と、毎月、毎年のUK勢の快進撃に僕もいまだに魅了されっぱなしだ。そんな中でも、カマール・ウィリアムスつまりヘンリー・ウーはどことなく独特な雰囲気と音楽を放ち続けている。過去のインタヴューを読んでも、自分自身のパフォーマンスに揺るぎない自身と絶対的なコンセプトがひしひしと伝わってくる。ここ2年で大幅にスキルアップも果たし、LAのレジェンド、ミゲル・アトウッド・ファーガソンなど、アメリカのアーティストとの新たなコラボレーションにも注目したい新しいアルバム『Wu Hen』は20年以降、そしてコロナ禍以降の音楽シーンを見据える上でも是非聴き逃して欲しくない1枚になっている。そんなアルバムの制作秘話を本人の口から直接聞くことができた。誰かと特別群れるわけでもなく、音楽が導く「運命」に身を委ね、孤独に高みを目指し続けるアーティストの裏側に迫った。

俺は音楽を「書く」ということはしない。いまを生きている。そのとき演奏した音楽が、俺の人生を物語っている。考えるということはしない。感じるんだ。

アルバム・リリースおめでとうございます。音楽とは少し離れたプライベートな質問になりますが、今回のコロナ禍はどのように過ごしていましたか?

カマール・ウィリアムス(Kamaal Williams、以下KW):参ったよね、本当に。まあ、できることをやるしかないから。

世の中がクレイジーな状況に見舞われてますが、アルバムはいつ頃完成していたのですか? それと、制作にかかった期間はどれくらいでしょうか?

KW:8月に作りはじめて、今年のはじめごろに作り終わってた。だから、制作期間は5、6ヶ月ってとこ。だいたいいつもそれぐらいの期間で終わるね。今年の1月ぐらいに俺がやることは終わってて、そこからアートワークとかハード面の作業をして、今回のリリースに至ったっていう感じ。リリース時期に関しては、このパンデミックとかそういうのは関係ないね。

あなたの音楽作りのプロセスについて教えてもらえますか?

KW:俺は音楽を「書く」ということはしない。いまを生きている。そのとき演奏した音楽が、俺の人生を物語っている。考えるということはしない。感じるんだ。

前アルバムと違いバンドのメンバーが大きく変わっていますね。『LIVE AT DEKMANTEL FESTIVAL』のときにはすでにその原型ができているように感じましたが、今作はどのようにしてメンバーを選びましたか?

KW:俺は運命を信じてる。誰と出会うかは、はじめから定められていることなんだ。だから、このアルバムに参加するメンバーが誰なのかも最初から決まっている。今回のメンバーに関しては、俺がアメリカに行ったときに会った。アメリカでは俺は外国人で、だからこそアメリカ出身の奴と音楽がやりたいと思ったんだ。それでマークという友人に、アメリカ人のミュージシャンを引き合わせてくれと頼んだら、LAのグレッグ・ポールと、(リック・レオン・)ジェームスを紹介してくれた。それでLAに飛んで彼らと会い、相性がいいことが分かったんで一緒にやることにしたのさ。セッションは最高だったね。そしてアトランタでは、クイン(・メイソン)と出会った。奴も最高のミュージシャンだ。そういう風に、出会うべき人間は最初から決まっている。

ドラマーのグレッグ・ポールとはLA現地で会ったんですね。ということは、いくつかの楽曲はLAでレコーディングしたんでしょうか?

KW:彼に出会ったのはLAだが、レコーディングはロンドンのサウス・イーストにあるウェストウッドというところでやった。俺のいるべき場所はサウス・ロンドンだからね。

ミゲル・アトウッド・ファーガソンとのコラボレーションはリスナーにとってサプライズですね。アルバムに参加したキッカケを教えてください。

KW:もともと、お互いの音楽が好きでね。マスターと仕事ができて光栄だったよ。彼に会ったとき、言われたのさ。「カマール、お前と仕事をすることに対して、俺には全く迷いがない。なぜって、お前は神に認められた神童だからな」って。あとはご承知の通り。今回のコラボレーションが実現した。制作のプロセスにおいて、彼の演奏やアイディアはなにひとつ変えていない。全てそのまま使わせてもらった。素晴らしい経験になったよ。彼の音楽は俺を高みに連れていってくれる。このアルバムが最高のものになったのは、彼のお陰に他ならないね。

以前のインタヴューで前作の『The Return』は母親の家のリビングでレコーディングしたという記事を見かけたことがあります。もし事実であれば今回は少し違ったスタイルでの制作かと思いますが、前のアルバムと比較して制作環境の変化があれば教えてください。

KW:レコーディングはスタジオでやったが、今回は、前作よりも明確な形で結果が表われている。一緒にやりたいと思ったミュージシャンに参加してもらえたし、これまでやったことのないことをやりたくて、それがすべて実現できた。ストリングスやヴォーカルもいつもよりも多用していて、今回は自分のヴォーカルを使ってみたりもした。今回は、自分をより信じることができたと言える。だから前回アルバムを出したあとに集めていたアイディアの、集大成のようなアルバムになっているんだ。

9曲目の “Hold On” で共演したローレン・フェイス(Lauren Faith)はUKの今後を担うシンガーですよね。私の記憶では女性シンガーとのコラボレーションは初めて? かもしれませんが、彼女とのコラボレーションの感想を聞かせてください。

KW:ローレン・フェイスね。彼女とのコラボレーションは最高だった。素晴らしかった。彼女はロイ・エアーズの娘なんだ(*)。ロイ・エアーズは分かるか? 彼女のあの声は、父親のDNAだ。本物のファンクさ。そのDNAで、父親から受け継いだ指紋で、俺のアルバムに跡を残してくれた。素晴らしい才能だ。女性シンガーと仕事をしたのははじめてではないが、リリースするに至ったのは初めてだね。ただシンガーには、男も女も関係ない。人間でしかない。どんな人間であるか、それしか関係がないんだ。

音楽は映画なんだ。俺がいちばん好きな監督が誰か、知ってるか? クロサワだ!! 彼の映画は全て観た。クロサワはストーリーテリングの巨匠だ。だから俺の音楽も、クロサワ映画のような物語を紡ぐものにしたい。

(先行でリリースされた)2曲目の “One More Time” だけを Bandcamp で聴いていたときは正直「前作とおなじテイストかな?」と思っていましたが、アルバム全体を聴いて幅の広がりに驚きました。5曲目の “Pigalle” のようなスタンダードなジャズ・ナンバーの楽曲も最初からアルバムの構想に入っていましたか?

KW:むしろ、最初の構想としてはクラシックなジャズ・アルバムを作りたかった。自分がもと来た道を感じられるような……ライヴ音楽からはじまった俺のキャリアの、ルーツに戻るようなアルバムをね。俺がいままで辿ってきた道にあった全ての因子を摘み、集めたスペクトラムを形にしたかった。そして結果的に、ジャズ・アンサンブルからハウスまで、俺がこれまでに音楽的に経験してきたあらゆる要素を詰め込んだアルバムになった。このアルバムの中で、全てをやり尽くしたくなったんだ。それで “Pigalle” は、アルバムの中でジャズを象徴する曲になっている。皆なんでもかんでも「UKジャズ」と言いたがるが、ほらよ、これが「UKジャズ」だっていう曲だね。そこに少しのアメリカ的エッセンスも入れている。

去年の暮れは『DJ-Kicks』のリリースも話題になりましたが、ヘンリー・ウー名義で今後エレクトロニックなハウスやブロークンビーツのEPやアルバムを出す考えはありますか?

KW:まさに来年、その予定がある。日本人アーティストとのコラボレーションも考えている。色々と計画している最中だね。実は、日本のアーティストのリリースも決まっているんだ。

そういえばルイ・ヴェガの Instagram でエレメンツ・オブ・ライフの新しいアルバムに参加したような投稿を見かけました。ルイとのセッションはどうでしたか?

KW:ビッグ・アンクル・ルイ! 大好きだ。もちろんセッションは最高だった。ただ、こっちに決定権がないから彼のアルバムについては話せない。最終的に収録されるかも俺にはわからない。全てはアンクル・ルイの判断だ。だが心からリスペクトしているし、毎日彼の音楽を聴いている。超人的にドープな音楽を作る師匠だ。彼にはかなりの影響を受けてるね。ルイから連絡をもらって、実現したのさ。「よお、カマール!」って、彼のスタジオがあるニューヨークのアッパーイーストに呼ばれてね。

アートワークを務めたオセロ・ガルヴァッチオ(Othelo Gervacio)。彼の Instagram を見るとメッセージ性の強い作品が多いですね。『Wu Hen』のアートワークにも特別なメッセージは込められていますか?

KW:オセロ・ガルヴァッチオは、ケニーっていうクリエイティヴ・ディレクターに紹介してもらった。アートワークに関しては、彼に全部任せたよ。でき上がったのを見て、目が釘付けになったね。制作過程は見ていないけど、あの雲は彼が描いたらしい。すごくいいアーティストだ。

コロナの影響を受けて、フェスティヴァルやイヴェントの形や、音楽の聴き方や存在自体が変化していますね。あなた自身は今回の期間を経て何か考え方や行動、音楽に対する価値観が変わりましたか?

KW:わからない。わからないね。全部終わってから振り返ってみないと。ロンドンはまだカオスで、できることが限られているけど自分ができることをやってる。いまできるのは、音楽を作り続けることだけだね。その音楽がその状況を語ってくれるはず。音楽はこういうことがなくたって常に変化していくもの。だから変化や影響があるとすればそれは自然なことだし、むしろどう変化するのか見てみたい。どう変化するかは、自分たちに予想はできないからね。

それでは近い将来で、計画しているプロジェクトや、やってみたいことなどは?

KW:次のアルバムはもう考えてる。このまま音楽的実験を続けて、より進化した作品を出す。それがいまメインで動いてる話。ヴォーカルは俺がやるよ。これまでもずっと歌をやってきたから。もう次を作りはじめてるんだよ。

注目しているプロデューサーはいますか?

KW:将来、リック・ルービンとアルバムを作りたいとはずっと思ってる。一緒に仕事をしたいプロデューサーなんて山ほどいるが、リック・ルービンはその中でもダントツの存在だね。

ブルース・リーがお好きなんでしたよね。

KW:そう! その瞬間に感じるものが全てなんだ。俺の人生、そして他人の人生から学んだものが組み合わさって、そのとき演奏する音楽に昇華される。つまり、音楽は映画なんだ。俺がいちばん好きな監督が誰か、知ってるか? クロサワだ!! 彼の映画は全て観た。『七人の侍』、『用心棒』、『羅生門』の3本が、俺の人生の映画だ。クロサワはストーリーテリングの巨匠だ。だから俺の音楽も、クロサワ映画のような物語を紡ぐものにしたい。

そうした映画の映像からインスピレーションを受けて、即興したりも?

KW:間違いなくインスピレーションは受ける。だが映画を観ている時は、100%スクリーンに集中している。『七人の侍』の、あの素晴らしい物語に全神経を集中させている。作品を消化したあとに、その感情を音楽として表現するんだ。

自分の音源以外で最近聴いている楽曲を教えてください。

KW:ロザリア(Rosalia)というスペインのシンガーがいるんだが、あまり知られていない。彼女はすごく良い。古いのではマーヴィン・ゲイも最近聴いている。あとは『DJ-Kicks』でフィーチャーしたバッジー(Budgie)も。

ありがとうございました。質問は以上です。状況が落ち着いたら、来日も楽しみにしています。

KW:ああ、日本にはまた行きたいと思っている。日本の皆に神のご加護を。

* 訳註:ローレン・フェイス(25歳)とロイ・エアーズ(79歳)の親子関係の情報がなく、年齢的にロイ・エアーズの息子、ロイ・エアーズJr.の方の娘(=孫)という意味だった可能性もあり。

Kassel Jaeger - ele-king

 パリを拠点とするカッセル・イェーガー=フランソワ・J・ボネは、2010年以降、〈Senufo Editions〉、〈Editions Mego〉、〈Unfathomles〉などの名だたるエクスペリメンタル・ミュージック・レーベルからアルバムをリリースしつつ、ジム・オルークオーレン・アンバーチステファン・マシューアキラ・ラブレースティーヴン・オマリーなどのアーティストと精力的なコラボレーションもおこなう気鋭のサウンド・アーティストである。フランソワ・J・ボネはフランスはGRMのサウンド・エンジニアとしても活躍し、〈Recollection GRM〉のディレクション、ジム・オルークの『Shutting Down Here』をリリースした新レーベル〈Portraits GRM〉なども運営をしており、いわば「いま」の時代にGRMの魅力を伝える伝道師のような役割を担っている。つまりは現代の電子音響/エクスペリメンタル・ミュージック・シーンにおけるキーパーソンともいえる人物だ。

 そんなカッセル・イェーガーがモダン・エクスペリメンタル・ミュージック・シーンを代表するフランスのレーベル〈Shelter Press〉(https://shelter-press.com/)からソロ・アルバム『Swamps / Things』をリリースした。「沼/物事」と名付けられたこのアルバムは「言葉(テキスト)のみのオペラ」として構想され、彼の少年時代のお気に入りの場所であった永遠に続くかのような霧と清らかな水に満ちた「沼地」の記憶に基づいて制作されたという。じじつ、アルバムのそこかしこに「水」のサウンド/モチーフが繰り返し鳴っている。

 土、水、空気、そして霧。それらは土地と歴史のサイクルを表象している。いわば幼年期に見た不吉にして、しかし静謐で穏やかな場所である「沼」という灰色の記憶と、それへの親しみ、といったところか。2017年に〈editions Mego〉よりリリースした傑作『Aster』より本作のサウンドは丸みを帯び、環境録音や電子音、ミニマルな旋律らと渾然一体となって融合していく。一聴すると『Aster』のサウンドより刺激が少なく、つかみどころない、いわゆる地味な音に聴こえてしまうかもしれないが、しかし不思議と耳に残る音だ。繰り返し聴くと一音一音が非常に存在感を放ち、磨き抜かれた音であることがわかってくる。まるでサウンドアート/ドローンを基点しつつ、さまざまな音楽的な要素を重ね合わせた総合音楽作品のようなのだ(本作が「オペラ」である所以はそこにあるのかもしれない)。その意味で古いレコードからのサウンドコラージュとドローン、環境音、電子音な幽玄にミックスされるステファン・マシュー、アキラ・ラブレーとの共作『Zauberberg』と近い作風ともいえるだろう。『Zauberberg』は〈Shelter Press〉から2016年にリリースされた名作だ。

 本作『Swamps / Things』には全8曲が収められ、現代音楽的な弦の響きやミニマルなギターの音、ロマン派序曲を引き伸ばしたような電子音的弦楽などヴァリエーション豊かな曲/サウンドを展開している。彼の作品の中ではもっとも音楽的な要素が多いように聴こえるが、それら音楽的な要素はほかのサウンドと同様に音響作品としての本作を形成するひとつのマテリアルになっている。そしてそれらの音たちは、イェーガーの記憶と濃密かつ密接に繋がっているのだ。いわば物質と記憶の統合と融解から生まれる新世代のミュジーク・コンクレートの傑作とでもいうべきか(と、ここまで書いてふと思ったが音楽による総合作品という意味ではミュジーク・コンクレートとオペラには親和性が高いのかもしれない)。

 彼の音響音楽作品には、文学的なものへの希求を感じる。思えば『Zauberberg』はトーマス・マンの『魔の山』からインスピレーションを得たアルバムだった。私は本作の物質性と記憶が交錯し融解する作風にどこかル・クレジオ『物資的恍惚』を想起してしまった。記憶と音響、本作はそれらのアマルガム音による文学だ。「音による映画」は、リュック・フェラーリ以降、この種のミュジーク・コンクレート/音響作品によくあるものだが、「音による文学」というのは稀である。彼がリュック・フェラーリやピエール・シェフェールなど、20世紀フランスの電子音楽の系譜を継承しつつも、新世代の音響作家である理由はそこにあるように思える。「個」への接近だ。記憶と音響が交錯し、融解する。8曲めにしてアルバム最終曲の “Ré Island Fireflies (in a distance)” に至ったとき、これまで何度も立ち現れてきた水のモチーフが、虫の音や優美なドローンのなかに、アルバムの時間すべてが溶け合うように鳴り響く。なんと儚くも美しいサウンドだろう。記憶、音、融解、消失。沼というどこか暗いイメージをモチーフとしながらも、そのすべてを慈しむような感覚と時間の持続があるのだ。〈Moving Furniture Records〉から発表した『Retroactions』(2018)や、〈Latency〉からリリースされた『Le Lisse et le Strié』(2019)などの実験性を増したサウンドは興味深い出来栄えを示していたが、どこかで『Aster』以降の「中間報告的な」作品のようにも思えた。しかし本作は紛れもなく彼の新境地を実現した傑作である。大切な記憶の一瞬を永遠に引き伸ばしたようなこの曲に行き着くために、私はこれからも何度となくアルバムを再生することになるだろう。

 最後にカッセル・イェーガーは〈Shelter Press〉からフランソワ・J・ボネ名義で著書『The Music To Come』(https://shelter-press.com/francois-j-bonnet-the-music-to-come-la-musique-a-venir/)を刊行したばかりであることも付け加えておきたい。〈Shelter Press〉はレコード・リリースのみならず、書籍の刊行も精力的に行っている(音響論的な書物『SPECTRES』の1・2、ジュディ・シカゴ『To Sustain the Vision』なども出版)。まさにサウンドとアートとテキストを越境するレーベルといえよう。本年リリースのアルバムでは韓国出身、現ニューヨークを活動拠点とするチェリスト/インプロヴァイザーのオキュッグ・リー『Yeo-Neun』もエクスペリメンタルにしてクラシカルな傑作だった。本作『Swamps / Things』と共に聴いてみると、このレーベルの音楽的な豊かさが分かってくるのではないかと思う。

interview with Bing & Ruth - ele-king


 00年代後半~10年代のいわゆるモダン・クラシカルの勃興は、マックス・リヒターやニルス・フラームといった才能を第一線へと押し上げることになったが、NYのピアニスト、デヴィッド・ムーアもまたその流れに連なる音楽家である。彼を中心とした不定形ユニットのビング・アンド・ルースは、ライヒなどのミニマル・ミュージックやアンビエントのエキスを独自に吸収し、〈RVNG〉からの前々作『Tomorrow Was the Golden Age』(14)や〈4AD〉移籍作となった前作『No Home Of The Mind』(17)で高い評価を獲得、モダン・クラシカルの枠を越えその存在が知られるようになる(ムーアはその間、イーノが絶賛していたポート・セイント・ウィロウのアルバムにも参加している)。


 お得意のミニマリズムは3年ぶりのアルバム『Species』でも相変わらず健在ではあるものの、その最大の特徴はやはり、全面的に使用されているコンボ・オルガンだろう。つつましくもきらびやかなその音色はどこか教会的なムードを醸し出し、楽曲たちは反復と変化の過程のなかである種の祈りに似た様相を呈していく。ムーア本人は新作について「ゴスペルのアルバム」であり、「神の存在を感じる」とまで語っているが、とはいえけっして宗教色が濃厚なわけではなく、それこそ瓶に挿された一輪の花のごとく、ちょこっと部屋の彩りを変えるような、カジュアルな側面も持ち合わせている。大音量で再生して教会にいる気分を味わってみるもよし、かすかな音量で家事のBGMにするもよし、いろんな楽しみ方のできる、まさに「家聴き」にぴったりのアルバムだ。

 新作での変化や制作のこだわりについて、中心人物のデヴィッド・ムーアに話をうかがった。




ライヒが大好きだし、ドビュッシーも大好き。彼らの音楽が影響を与えたことは間違いない。でもそれらの影響はすべてひとつのシチューになったんだよ(笑)。スプーンですくってみるまでなにができてるかはわからない。


あなたの音楽は「モダン・クラシカル」に分類されることが多いと思いますが、音楽大学などでクラシカル音楽の専門教育は受けていたのでしょうか? 独学?


デヴィッド・ムーア(David Moore、以下DM):ぼくはクラシカル音楽の専門教育を受けて、その後、ジャズと即興の専門教育を受けて、音楽学校にも通っていたよ。

「モダン・クラシカル」や「ネオ・クラシカル」ということばが定着してからだいぶ経ちますが(日本では「ポスト・クラシカル」という言い方もあります)、それらは矛盾をはらんだことばでもあります。自身の作品がそのようなことばで括られることについてはどう思いますか?

DM:うーん、あまり好きではないね。じぶんの作品をことばで括られるのは誰も好まないと思うな。それでわかりやすくなるのなら、ぼくは気にしないけど、ぼくはじぶんがつくっている音楽をある特定の種類の音楽として認識していないからね。あるカテゴリーに入れるとしたら実験音楽だと思うけど、そのことばさえぼくはあまり好きじゃない。じぶんの音楽をカテゴライズしたり、他人にじぶんの音楽をカテゴライズされるようになると、型にはめられた感じがしていろいろと複雑になってしまうから、ぼくはしないようにしている。

前作『No Home Of The Mind』で〈RVNG〉から〈4AD〉へ移籍しましたね。それまで〈4AD〉にはどんな印象を抱いていました?

DM:アーティストなら誰でも所属したいと思う、夢のようなレーベルだよ。ぼくにとっても夢だった。〈4AD〉が過去30年から40年にかけてリリースしてきた作品を見れば一目瞭然だ。〈4AD〉がリリースしてきた一連のアーティストや作品を見ても、ほかに拮抗できるレーベルは思いつかない。〈4AD〉は奇妙な音楽をリリースすることに恐れを感じていなくて、その音楽が結果的に大成功したりするし、まあまあ成功したり、成功しなかったりする。でもそれをリリースしたという事実が大事なんだ。ビッグなアーティストの音楽もリリースしていて、そういうグライムスザ・ナショナルディアハンターといったアーティストたちも非常に興味深くてユニークなアーティストたちだ。〈4AD〉にはそういう特徴が一貫として感じられる。

自身の作品が〈4AD〉から出ることについてはどう思いますか?

DM:とても光栄だよ。そして向上心を掻き立てられる。じぶんを限界まで追い詰めてつくったものでないとダメなんだという気持ちになる。ぼくは彼らと仕事をしていて、彼らはぼくと仕事をしている。そこには共通の想いがあって、ある方向性に感銘を受けているからだ。方向性とは先に進んでいるものであり、停滞はできないものなんだ。ぼくは〈4AD〉のスタート地点と〈4AD〉が向かっている方向が好きだし、〈4AD〉はぼくのスタート地点とぼくが向かっている方向が好きだと思うからそこに共感がある。

前作『No Home Of The Mind』は高い評価を得ましたが、それによって状況に変化はありましたか?

DM:変わらなかったね(笑)。ぼくの人生は、時間が経つにつれて変化するという理由から変化したし、新しいものをつくったという理由から変化したけれど、生活の質にかんしてはそんなに大きな変化はなかった。でもぼくは意識的にそういう影響されるようなものからじぶんを隔離しているんだよ。レヴューはあまり読まないし、SNSの投稿も読まないし、コメントも見ない。じぶんの音楽に対する反応にはなるべく関わらないようにしている。ぼくの役割は音楽をつくることで、その音楽をつくり終えたら、次につくる音楽のことを考えたい。ぼくがつくり終えたものに対してのほかのひとの考えは気にしていない。

ミニマル・ミュージックの手法を追求するのはなぜでしょう? それはあなたにとってどのように特別なのでしょうか?

DM:ミニマル・ミュージックというものがなんなのか、ぼくにはもうわからなくなってしまった。人びとが従来ミニマリストの音楽として定義してきたものに、じぶんの音楽が入っているとは思わない。これはまたジャンルについての話になってしまうけれど、ぼくはジャンルについては詳しく話せないんだよ。じぶんの音楽が、ある特定のジャンルや派に属しているとは思っていないからね。誰かのサークルに入りたいと思っているわけでもない。ぼくはじぶんがつくりたいと思う音楽やじぶんが聴きたいと思う音楽をつくろうとしているだけなんだ。それをなんと呼びたいのかはほかのひとに任せるよ(笑)。

あなたにとって、もっとも偉大なミニマル・ミュージックの音楽家は?

DM:偉大ということばを可能な限り定量化するとすれば、やはりジョン・ケージだろうね。


不思議な感覚だったよ。周辺で見る車は、ぼくが生涯をかけて働いても買えないようなものばかりだったし。とても不思議で非現実的な環境だった。そこでぼくは美しいほどの孤独を感じたんだ。とても美しい孤独だった。


あなたの作品はミニマル・ミュージックであると同時に、どこか印象派を思わせるところもあります。具体的なものや人間の感情、社会などよりも、漠然とした風景や雰囲気を喚起することを意識していますか?

DM:伝えておきたいたいせつなことがあって、それは、ぼくはじぶんのやっていることや、その理由について、ぼくはあまり深く考えていないということ。じぶんのやっていることについて考えれば考えるほど、その動機を疑ってしまって良くない方向に行ってしまうこともある。だからぼくは、「この要素を入れて、印象派の要素を入れて、ミニマルの要素を入れて、スティーヴ・ライヒの要素を入れて、ドビュッシーのパーツを入れて……」というようなアプローチはしていない。ぼくはスティーヴ・ライヒが大好きだし、若いころは彼の音楽をよく聴いていた。ドビュッシーも大好きでいまでもいつも聴いている。彼らの音楽がぼくの作曲の仕方に影響を与えたことは間違いない。でもそれらの影響はすべてひとつのシチューになったんだよ(笑)。スプーンですくってみるまでなにができてるかはわからない。とにかく、じぶんのやっていることにそこまで深く考えていないんだ。ほかのひとがそう思ってくれるのは嬉しいけれど、実際はずっと単純なことなんだ。

「家具の音楽」や「アンビエント」のアイディアについてはどう思いますか? あなたの音楽は、しっかりと聴き込まれることが前提でしょうか?

DM:アンビエントの音楽のなかには好きなものもあるよ。じぶんの音楽の機能というものについて考えるのはとてもたいせつなことだと思っている。それは作曲の過程というよりも、録音とミキシングの過程でとくに表現されるものだ。音が部屋に色彩を加えたり、アルバムをかけることで、その部屋の雰囲気が変わったりするのは素敵なことだと思う。ぼく自身、アルバムをわずかな音量でかけて流すという音楽の使い方も楽しんでいる。作曲しているときや、録音とミキシングをしているときにぼくが意識していることは、ヘッドフォンで音を大音量にしてかけても、音量を絞ってべつのことをしながら──たとえば、朝食をつくりながら──聴いていても効果的だと感じられる音にしようとすることなんだ。アーティストなら、リスナーはじぶんの音楽を聴くときはそれ以外のことをしないで、じぶんのアートをフルに体験するべきだと言いたくなるかもしれないけれど、人びとには毎日の生活があるしそうはいかない。だから音楽の形式として、ぼくはさまざまな機能的シナリオを持つアルバムをつくるのは好きだと言えるね。 

これまではピアノが主役でしたが、今回(ファルフィッサの)コンボ・オルガンにフォーカスしたのはなぜ?

DM:コンボ・オルガンにフォーカスしたのは、べつにこれをやろうとじぶんで決断したことではないんだ。ぼくはずっとファルフィッサ・オルガンを弾いていて、次第にオルガンを弾く時間のほうがピアノを弾く時間より多くなっていった。そしてついにはピアノをいっさい弾かなくなり、オルガンしか弾かないようになっていた。振り返って考えてみると、オルガンには持続音があり、ピアノにはそれがないとか、オルガンは音量が一定でピアノはそうでないとか、オルガンはライヴに持ち運ぶことができるけどピアノはできない、など、思いつく理由は芸術面でも実用面でもあるけれど、先にじぶんが決断したことではなくて、自然な流れでそうなった。じぶんが明確に求めていたものにフィットしたのがファルフィッサ・オルガンだったということなんだ。

今回コンボ・オルガンを使用するにあたって苦労したこと、または気をつけたことはなんでしょう?

DM:このオルガンはとても壊れやすくてね。いま、ぼくは2台所有しているけれど、どちらも50年以上前のものだ。初めてのファルフィッサを買ったとき、それはまったく使えないものだった。まったく音が出なかったんだよ(笑)。だからつねにショップに持っていって、直してもらったり、じぶんでも直し方を習ったりするんだけど、はんだのやり方もろくにできないぼくがオルガンを直すなんて、とうてい無理な話なんだ(笑)。だからツアーのときに、もしオルガンが壊れたらどうしようかと悩んでいたんだ。そうしたらコロナが広まって結局ツアーもすべて中止になってしまった。だからまだ解決していない問題なんだよ。

NYからカリフォルニアのポイント・デュムに一時的に移住したそうですね。街や環境には、どのようなちがいがありましたか? 土地柄は、制作する音楽に影響を与えると思いますか?

DM:ぼくはニューヨーク・シティからしばらく離れる必要性を感じていた。以前にもカリフォルニア南部には行ったことがあって、楽しい時間を過ごせたから良い場所だと思っていた。ロサンゼルスだと友だちがたくさんいるから、簡単に気が紛れてしまう。マリブのポイント・デュムで家を貸している友人がいて、マリブは超高級住宅地なんだが、家の借り手がつかずに、その家は解体される予定だったんだけど、それが延期になっていた。そんな理由からぼくたちが家を借りられることになった。すばらしかったよ。ビーチに近くて、天気もちょうど良くて、ぼくはそこでランニングに本格的にはまった。近所にはマシュー・マコノヒーやボブ・ディランが住んでいて、まったく不思議な感覚だったよ。その周辺で見る車は、ぼくが生涯をかけて働いても買えないようなものばかりだったし。とても不思議で非現実的な環境だった。そこでぼくは美しいほどの孤独を感じたんだ。とても美しい孤独だった。それはたしかにぼくの作曲に影響を与えた。孤独とはネガティヴな意味合いがあるけれど、ぼくの場合はちがった。一緒に家を借りた友人たちは母屋に住んでいて、ぼくは小さなバンガローのほうに住んでいて、彼らは不在のときも多かった。近隣の住民は誰も知らなかったし、みんなぼくとはちがう税率区分のひとたちだった。だからとてもひとりぼっちな感じがして、じぶんの想いをすべて音楽に注入することができた。

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新作は、テキサスの砂漠と農園のすぐそばのスタジオでレコーディングされたのですよね。ほとんどひとがいなそうですが、そのスタジオを選んだ理由は?

DM:このスタジオを選んだ理由はいくつかあって、ひとつ目はとても実用的な理由で、予算内でスタジオが使えて、食事の施設もあって、スタジオに24時間アクセス可能だったという点。それはとてもたいせつな点だった。予算内で好きなときにスタジオが使えて、ぼくたちが宿泊できる施設があり、食事もできて、そういう心配をする必要がなく音楽に集中することができた。そして、実際にスタジオに行ったときに思ったのは、ぼくがいままで訪れたなかでもっとも魅惑的な場所のひとつだったということ。このアルバムがこういうサウンドになったのはこのスタジオの影響だ。ぼくたちの作業に多くのインスピレイションを与えてくれる場所だった。ぼくたちはスタジオに1週間滞在していたけれど、また機会があったらぜひそこでレコーディングしたいと思う。

曲名に意味は込められているのでしょうか? “I Had No Dream” や “Blood Harmony” などは深読みしたくなる題です。

DM:意味は込められているよ。それが狙いだからね。でもぼくはできるだけ物事の意味合いを、受けとる側の解釈に任せられるだけの余裕を与えたいと思っている。ぼくがタイトルを決めるときは、そのフレーズの響きが好きだったり、そのフレーズから連想するものが好きだったり、じぶんのマインドがそのフレーズから曲に繋がっていく過程が好きだったりという理由から決めている。“I Had No Dream” という曲はべつに、「夢がなかった」という意味ではなくて(笑)、聴き手が曲に入るための手助けをしているフレーズに過ぎない。曲に入る手助けはしているけれど、どこに入れという指示まではしていない。それが良いタイトルだとぼくは思っている。良いタイトルは、リスナーを引き込むけれど、そのときにリスナーがどの状態から入ってくるのかは問わない。リスナーを決まった扉に連れていくのではなく、その扉は各リスナーにあって、扉の入り方もリスナーの自由だ。


このアルバムはゴスペルのアルバムなんだ。ぼくにとってこのアルバムは神の存在を感じるということだった。ぼくは教会にも行かないし、聖書も読まないから、べつに信仰が厚いわけではないんだ。そういう意味での神ではなくて、各自にとっての神という意味でその存在を感じたということ。


アルバムのタイトルは『Species(種)』ですが、全体のテーマがあるとすれば、それはどのようなものなのでしょう?

DM:はじめに言っておきたいのは、アルバムがどういう意味だとか、どういうものであるべき、という話はあまりしたくないんだ。なぜなら、結局のところ、それはリスナーそれぞれによってちがうから。歌詞があるアルバムで特定のことについて歌っているのであれば、「これはぼくが大好きだった靴をなくしたときの話だ」などと答えられるかもしれないけれど(笑)、インストゥルメンタルの音楽ではそうはいかない。でも個人的な意見から言うと、このアルバムはゴスペルのアルバムなんだ。ぼくにとってこのアルバムは神の存在を感じるということだった。ぼくは教会にも行かないし、聖書も読まないから、べつに信仰が厚いわけではないんだ。そういう意味での神ではなくて、各自にとっての神という意味でその存在を感じたということ。それは個人的で深い体験だった。ぼくはそれまで何年もその存在に気づかないで生きてきたから。このアルバムによって、ぼくは神の存在に近づけたし、アルバムを制作する過程はぼくにとって非常にパワフルな過程だった。だからぼくにとってこれはゴズペルのアルバムなんだ。でもほかのひとにとっては、ディナーをつくっているときにかけるきれいな音楽かもしれない。それはなんでもいいんだ。そのひとの解釈がなんであれ、それはすばらしい。

NYには坂本龍一がいます。以前、彼がレストランのために編んだプレイリストにあなたの曲が選ばれていましたが、彼と会ったことはありますか?

DM:会ったことはないけど、ぜひ会ってみたいと思う。

ここ数年のアーティストで、共感できる音楽家は誰ですか?

DM:最初に思い浮かんだのは、スタージル・シンプソンだね。日本で有名かどうかは知らないけれど、彼はとてもすばらしいミュージシャンだよ。彼がリリースした作品も好きだけれど、ぼくがとくに好きなのは彼の観点や視点、それから歌詞の書き方やインタヴューの答え方なんだ。とても強い存在感のあるひとで、親和性を感じる。彼のほうがぼくよりも有名だし、状況はちがうけれど、彼が話すのを聞くと、彼のことを知っているような気になるんだ(笑)。音楽業界という世界に身を置きながらも、なんとか本来のじぶんというものを保とうとしている。彼のそういうところはぼくにとって大きなインスピレイションとなってきた。音楽的には彼の音楽とぼくの音楽はまったくちがうものだけれど、哲学や理念にかんしてはとても共感できるひとだと思う。それからフィオナ・アップルの新しいアルバムにもいますごくはまっている。最近出たアルバムでよく聴いているよ。あとは数週間前だったかな──もう時間の感覚がわからなくなってしまった──に出たラン・ザ・ジュエルズのアルバムもよく聴いている。新しい音楽もけっこう聴いているよ。

世界じゅうが新型コロナウイルスによりたいへんなことになりました。しばらくライヴはできず、音楽は家で聴くことが主流になりそうですが、本作は家で聴くのにも適した作品だと思います。どういったシチュエーションで聴いてほしいですか? あるいは、本作のどんな部分に注目して聴いてほしいですか?

DM:なるべく1秒くらいは注目しないで聴いてみるのが良いと思う(笑)。さっきも話したけれど、それはリスナーが好きな方法で聴いてくれたら良いと思う。ぼくが個人的に好きな聴き方は、リラックスした状態でヘッドフォンで大音量でかけるという聴き方や、公園を散歩しているときにヘッドフォンで聴いたり、低音量でリピートで家のなかでかけるという聴き方など。リスナーが引き込まれる瞬間があるなら、それが良い聴き方なんだと思う。このアルバムにはいろんな聴き方があるけれど、最終的にそれを決めるのはリスナー各自だ。

ライヴが可能になるのが1年後か2年後かはまだわからない状況ですが、パンデミックが収束し、外でプレイできるようになったとき、まずどのようなライヴをしてみたいですか?

DM:日本でライヴをしたいね(笑)。ぼくは日本に行ったことがないんだけど、日本でライヴをやった友人たちの多くが日本の観客のすばらしさや日本人のホスピタリティの高さをいつもぼくに伝えてくれる。だから日本にすごく行ってみたいんだ。日本に行ってライヴをやったり、取材の質問に答えたりして、ぼくの音楽を広めてくれるひとたちの手助けをしたい。どんな環境でライヴをやりたいかというと、大音量であることはたしかだ。今後、どのような形でライヴをするのが可能になっていくかはわからないけれど、ぼくのライヴは暗くて大音量のなか、強烈な体験にしたいと思っている。そしてそのあいだや、その上やその下にあるすべての要素、いろいろなものが含まれているライヴにしたいと思っているけど、まだ先のことは誰にもわからない。もう誰もなにもわからない! ぼくはもう二度とライヴができないかもしれない。いまはとても困惑した状況だからね。

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オフノオト
〈オンライン〉が増え、コロナ禍がその追い風となった今。人や物、電波などから距離を置いた〈オフ〉の環境で音を楽しむという価値を改めて考えるBeatinkの企画〈オフノオト〉がスタート。
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フリー冊子は全国のCD/レコード・ショップなどにて配布中。
原 摩利彦、agraph(牛尾憲輔)による選曲プレイリストも公開。
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