「S」と一致するもの

Kara-Lis Coverdale - ele-king

 エストニア系カナダ人の作曲家/サウンドアーティスト、カラ=リス・カヴァーデイル。彼女はその新作『A Series of Actions in a Sphere of Forever』で「沈黙の向こう側にある音楽」を提示している。いわば21世紀における新しいノクターン(夜想曲)を提示するこのアルバムは、深夜の静けさを思わせる旋律がゆるやかに漂い、聴き手の感覚に揺さぶりをかけてくれる。「音」と「沈黙」の境界にある感覚を呼び覚ますのだ。

 その独自の音楽観を理解するために、まずカヴァーデイルの歩みを振り返ってみたい。芸術家の家系に生まれたカヴァーデイルは幼少期から音楽に親しみ、5歳でピアノを始めた。早くから作曲や即興の才能を開花させ、何と13〜14歳にはカナダの複数の教会でオルガニスト兼音楽監督を務めていたという。
 その後、オンタリオ州のウェスタン・オンタリオ大学でピアノ、作曲、音楽学を学んでいる。2010年にモントリオールへ拠点を移すと、エレクトロニック音楽制作に本格的に取り組む。あのティム・ヘッカーらとも交流・共演を重ねた。
 2014年に〈Constellation Tatsu〉からカセット作品『A 480』を発表する。翌2015年には〈Sacred Phrases〉から『Aftertouches』を、〈Umor Rex〉からはLXV(デイヴィッド・サットン)との共作『Sirens』をリリースした。2017年の『Grafts』では神話的なサウンドスケープを提示し、『Aftertouches』、『Sirens』、『Grafts』の3作は、2010年代のアンビエント/実験音楽シーンで大きな注目を集め、同時代を代表する作品のひとつとなった。私見ではワン・オートリックス・ポイント・ネヴァーと並ぶ10年代的な電子音楽/アンビエントを象徴するアーティストと思っている。
 だが、アルバムリリースは2017年以降、途切れた。確かに、その後も演奏やインスタレーションなど多彩な活動を展開していたが、アルバムや音源のリリースはほとんどされなかったのだ。私は一ファンとしてリリースをずっと待ち望んでいた。
 そして2025年5月。前作『Grafts』以来、なんと8年ぶりとなる新作『From Where You Came』をノルウェー・オスロのレーベル〈Smalltown Supersound〉から発表されたのだ。しかしこのアルバムは私を少なからず困惑させた。不穏なアートワークと宗教的なアンビエント・シューゲイザーとでも形容したい音がどうしようもない齟齬を生み、どう評価すべきかすぐには分からなかったのだ。
 そのリリースから、わずか4か月後の9月、彼女はピアノ・ソロによる『A Series of Actions in a Sphere of Forever』をリリースした。アンビエントや電子音響を探求してきたカヴァーデイルが、自らの原点である「ピアノ」を通して、改めて「音とは何か」を問い直した作品であった。
 私は『A Series of Actions in a Sphere of Forever』を聴き、初めて『From Where You Came』を理解できたと思った。天国的・神話的な世界からこの苦難に満ちた現実に彼女は「帰還」したのだと思う。
 それゆえ、まず新作を語る前に、前作『From Where You Came』に触れておく必要がある。『From Where You Came』は、パリのGRMやストックホルムEMSで録音され、最終的にオンタリオの田園地帯で完成した本作には、チェリストのアン・ボーンやトロンボーン奏者カリア・ヴァンディーヴァーが参加。弦、管、鍵盤、モジュラー・シンセが交錯し、アニミズムと動物性を往還する全11曲のアンビエント・アルバムとなった。冒頭曲“Eternity”で彼女自身の声が響く。
 「すべては現実、人生は美しい」。それは生の肯定を宣言する言葉であり、喪失や孤独を幻想的な音響叙事詩へと変換していた。その二面性が、不穏なアルバムのアートワークにも刻まれている。
 一方、新作『A Series of Actions in a Sphere of Forever』は大きな転換を示す。収録されたのは9曲のソロ・ピアノ作品のみ。これまで『Aftertouches』『Grafts』『From Where You Came』で電子音響とミニマル・ミュージックの交差を探究してきたカヴァーデイルは、今回はアコースティックの純度に耳を澄まし、ピアノの共鳴そのものに集中する。
 沈黙と静謐への傾斜は一層深まり、その音楽はブラームスのピアノ・ソナタを思わせる後期ロマン派的な気配を帯びる。ここでは「音」と「沈黙」の境界が溶け合い、聴き手は音の生成と消滅の双方に向き合う。
 まさに「沈黙の向こう側」である。天国的な宗教音楽/アンビエト・シューゲイザーからこの世界(現実)にある「沈黙」に耳を澄まし、そこにある「音」を見出すこと。受難と苦難を引き受け、「音楽」そのものを見出すこと。

 オンタリオの冬のスタジオで録音された『A Series of Actions in a Sphere of Forever』の9曲は、一見すると伝統的なノクターンの系譜に連なる。しかしそれはショパンやドビュッシーが描いた夢想的な夜ではなく、さらに深い夜更けに属する抽象的で観念的な「夜」だ。旋律は蜘蛛の糸のように繊細でありながら、濃密な流体を進むような確かな手応えをもつ。「夜を聴く」とは、空気の影に触れる行為なのかもしれない。
 1曲目 “Kõne, Vastu” は沈黙の森を歩くようにゆっくり進み、音と音の間の静寂そのものを響かせる。2曲目 “In Charge of the Hour” では、ショパンが21世紀に甦ったかのような優美な楽曲が展開される。3曲目 “Vortex” は不安定に崩れ落ちる響きが不協和に至る直前で踏みとどまり、ロマンティックな光を放つ。
 4曲目 “Circularism” では翳りの中にわずかな明るさが差し込み、遠くからピアノの高音が滲むように聴こえてくる。ここまでの流れだけでも、カヴァーデイルの作曲家としての力量は明らかだ。通俗的な旋律や単純なミニマリズムに頼らず、モダン・クラシカルの豊かな音楽性を展開している。
 5曲目 “Lowlands” ではプリペアド・ピアノを思わせる響きが現れ、6曲目 “Cumulative Resolution”、7曲目 “Turning Multitudes”、8曲目 “Soft Fold 3/4” と進むにつれ旋律は次第に明確化し、まるで朝霧の森を歩くような音楽が展開される。そして9曲目 “Suspension of Swallowed Earth” で音楽はふいに途切れ、残響だけが静謐に響きながら幕を閉じる。夜の終わり、そして夜明けの光が訪れる瞬間である。
 本作を貫くのはピアノの自然な共鳴だ。電子的処理は最小限に抑えられ、旋律をかすかに滲ませ、倍音を柔らかく重ねる程度にとどまる。演奏者の呼吸音すら取り込み、身体のリズムと楽器の響きが重なり合う。
 演奏は抽象的な音の配置ではなく、生身の呼吸を伴う出来事として立ち上がる。テンポは一貫して遅く、旋律の生成と同じくらい、その消滅の過程に重きが置かれている。減速と抑制の中から立ち上がる情感は、ルネサンス後期の旋法や戦後ミニマリズムの技法、そしてカヴァーデイル独自の音楽体系に支えられている。
 『A Series of Actions in a Sphere of Forever』は、過剰な音響を排し、ピアノという最小の装置を通じて世界を再構築する試みだ。呼吸と残響、発生と消滅。そのすべてが有機的な循環を描き、聴き手を夜の深淵へと導く。このアルバムは「空間におけるハーモニーの探究」であり「沈黙へのアンチテーゼ」なのだ。ロマン派的な響きを宿しながらも同時に現代的であるのは、この音響を姿勢ゆえだろう。

 外界と身体の遭遇による不安と共鳴を描いた『From Where You Came』から、内奥の静謐を追求する『A Series of Actions in a Sphere of Forever』へ。二作を並べて聴けば、カヴァーデイルがいかに「沈黙」に挑み、その向こうにある「音楽」を切り拓いてきたのか、そのさまが鮮やかに浮かび上がるはずだ。

9月30日 レツゴー正司(レツゴー三匹) - ele-king

※安田謙一(略歴担当)による序文はこちらから

レツゴー正司(レツゴー三匹)

1940年8月10日生まれ。漫才師。兄はルーキー新一。キューピー人形のように愛くるしいボケのレツゴーじゅん、ソウル歌手の如き風貌を持ちとぼけた顔で美声をきかせるレツゴー長作とのトリオ、レツゴー三匹を結成。身体を張った舞台で人気を博す。じゅんでーす、長作でーす。三波春夫でございます。

1917.8.4-2006.9.30
●レツゴーじゅん1945.7.2―2014.5.8
●レツゴー長作1943.9.29―2018.2.1

佐藤忠志(予備校教師)

1951年5月4日生まれ。予備校講師。代々木ゼミナール講師として高級スーツに高級時計を身にまとい教壇にあがる。入試に特化した英語授業と派手なファッションとのギャップとともに、「金ピカ先生」の異名で人気者に。「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」などタレント活動、教育評論もこなす。

1951.5.4-2019.9.24

淡谷のり子(歌手)

1907年8月12日生まれ。歌手。東洋音楽学校の声楽科でクラシックを学び、ソプラノ歌手に。流行歌歌手に転向、シャンソン、タンゴなど洋楽の日本語カヴァーなどを歌う中で、服部良一作曲の「別れのブルース」が大ヒット。ブルースの女王と称される。晩年も「ものまね王座決定戦」の審査員で人気者に。

1907.8.12-1999.9.22

林家三平(落語家)

1925年11月30日生まれ。落語家。父は7代目柳家小三治(後の7代目林家正蔵)。テレビ「新人落語会」の司会を機にお茶の間の人気者に。「よし子さん」、「どうもすいません」などのギャグを大流行させる。死の間際、医者からの「あなたは誰ですか」という問いに「加山雄三です」と答えた。

1925.11.30-1980.9.20

今東光(作家)

1898年3月26日生まれ。作家。「悪名」、「こつまなんきん」、「河内カルメン」など河内地方が舞台の小説(映画)で人気を博す。週刊プレイボーイ連載の人生相談「極道辻説法」では無頼漢の魅力を発揮。僧侶として谷崎潤一郎、川端康成に戒名を、瀬戸内「寂聴」に法名を与える。参議院議員も務めた。

1898.3.26-1977.9.19

2パック(ラッパー)

1971年6月16日生まれ。ラッパー。ブロンクス出身。ブラックパンサー党員の両親を持つ。元デジタル・アンダーグラウンド。ソロで「カリフォルニア・ラヴ」、アルバム『オール・アイズ・オン・ミー』などヒット作を放つ。ヒップホップ界の東海岸と西海岸の抗争に巻き込まれ、96年、凶弾に倒れる。

1971.6.16-1996.9.13

毛沢東(政治家)

1893年12月26日生まれ。政治家。中国共産党の指導者として、第二次大戦後、中国国民党との内戦に勝利、49年に中華人民共和国を成立、国家主席に。近代中国の英雄としての評価と共に、強制的な粛清や大量の犠牲者を出した大躍進政策など失策も多く、権力を行使した文化大革命も強い非難も受けた。

1893.12.26-1976.9.9

黒澤明(映画監督)

1910年3月23日生まれ。映画監督。「姿三四郎」でデビュー。「羅生門」でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞。世界のクロサワに。「野良犬」、「生きる」、「七人の侍」、「用心棒」、「天国と地獄」など多くの名作を残す。見切れていた家を「あの家消して」と指示するなど、完璧主義者の伝説も数多い。

1910.3.23-1998.9.6

 今日、それがジャズであれブルースであれロックであれハウスであれラップであれ、「ポップ・ミュージック」と英語で括られてきた音楽とは、アメリカで生まれ(そしてイギリスとのキャッチボールのなかで)発展してきた音楽のことを指す。しかしながらアメリカとは、今日のトランプ政権を見れば一目瞭然だが、世界中に害悪をまき散らしてもいる。そう、そんなことはわかっている。ここで問題にしたいのは、そんな単純なことではない。

 単なる暴君に見えるトランプと彼のチームだが、じつのところ、かつて極右に抗したカウンター・カルチャーの論法を極右のなかに取り込んでいるのである。そう、かつて反抗のシンボルだったビートニク的なドレスダウン、ヒッピー的なオーガニック志向、ポップ・アート的なキャッチーなセンス、ファッション的なトレンドをテック産業の起業家たちが取り入れているように。
 悔しいけれどそうなのだ。で、彼らが解放した政治思想においては、もはや左派エリートの批判からもみずからを解放させている。彼らは民主主義を否定し、とにかく彼らの「自由」を手にしようとしている——これを専門用語で、「新反動(ネオ・リアクション)」と呼ぶ。カルトに思えるこんな考え方が、しかしホワイトハウスの頭脳を動かしている——事態は思っている以上にやっかいだ。なぜなら、自己批判能力を欠いた意識高い系が、ただただ彼らを批判し続けているあいだ、オルタ右翼は力をつけ、ヘタしたら私たちはガラス越しに彼らの革命を見ていただけだったのかもしれないのだから。

 いまアメリカで起きていることが何なんか、そもそもアメリカとはいったいどんな国なのか、なんでアメリカからかくも世界中を魅了するブラック・ミュージックが生まれたのか、そして日本人にとってそれはどんな意味があるのか、TVやネットからは見えないアメリカがここにある。
 これは文化戦争だ。「さよならアメリカ、さよならニッポン」……ではなく、これはあらためて「こんにちわアメリカ」なのだ。ふだんアメリカの音楽に親しんでいる読者のみなさん、より深く現在のアメリカを知っておこう、文化のなかの迷子にならないためにも。そんなわけで『アメリカ──すでに革命は起こっていたのか』、ためになるのでどうぞよろしくお願い申し上げます。

『別冊ele-king アメリカ──すでに革命は起こっていたのか 新反動主義の時代におけるカルチャーの可能性』

インタヴュー:
・基本をおさらい、アメリカのはじまりから現在トランプがしていることの意味まで ▶渡辺靖
・アメリカを知るために、まずは二つの大きな矛盾に気づこう ▶大澤真幸
・ブラック・カルチャーが超重要な理由 ▶酒井隆史
・直近、ここ半年ほどのアメリカの状況を押さえておこう ▶三牧聖子
・話題の「新反動主義」ってなに? ▶岡本裕一朗
・いま「カウンターエリート」と呼ばれる人たちが出てきている ▶石田健

コラム:
・試しにアメリカから生まれた音楽がいっさいなかった世界を想像してみると…… ▶イアン・F・マーティン
・歴代大統領が掲げたキャッチフレーズからヴォネガットを連想してみる ▶水越真紀
・ケンドリック・ラマーを単純に支持できない理由 ▶緊那羅:Desi La
・数々の映画からアメリカの深層心理を探ってみる ▶三田格
・アメリカでは自分たちが世界の中心だと教えられる ▶ジリアン・マーシャル
・ヒップホップとトランプの親和性はつねにあった、でもそれだけじゃなくて…… ▶二木信
・トランプ的なもののルーツは、じつはヨーロッパにあり? ▶土田修
・アメリカへの複雑な思い、ウィルコの音楽を聴きながら ▶木津毅

編者:ele-king編集部
菊判/192ページ
ISBN:978-4-910511-97-9
本体1,800円+税
2025年9月22日発売

https://www.ele-king.net/books/011912/

目次

序文──もしくは21世紀の文化戦争から(野田努)

■インタヴュー
渡辺靖 アメリカは再び求心力を取り戻すことができるのか──破壊者にして救世主、トランプがもたらした「分断」のゆくえ
石田健 リベラルを敵視する「カウンターエリート」たちが夢見る未来──トランプ政権に影響を与えたピーター・ティールとカーティス・ヤーヴィンの思想
大澤真幸 アメリカという国の特殊性──過剰な宗教性、根強い黒人差別、そして異様なまでの冷戦への情熱
三牧聖子 いまこそ本当のポピュリストが求められている──2025年、アメリカ合衆国の現在地
岡本裕一朗 新反動主義が共感を集めることができた理由──ピーター・ティールやカーティス・ヤーヴィンが登場してきた背景
酒井隆史 カウンター・カルチャーを再構築すること──ブラック・カルチャーからネオリベラリズムをとらえるとアメリカが見えてくる

■コラム
さよならアメリカ、さよなら日本(イアン・F・マーティン/江口理恵訳)
多様性の夢と包摂のパラドックス(水越真紀)
我が魂を引き裂くもの(緊那羅:デジ・ラ/野田努訳)
アメリカは「世界の終わり」を夢見ている(三田格)
国のない女──アメリカでアメリカ人として生まれ育つということは?(ジリアン・マーシャル/江口理恵訳)
ヒップホップの「抵抗」について考える──彼らはただ韻を踏んでいるだけではないのだ(二木信)
「米国第一主義」の源流はヨーロッパにあった?──欧州「極右」勢力の台頭とトランピズム(土田修)
アメリカを巡る曖昧な愛情(木津毅)

アメリカを知るためのブック・ガイド
(野田努、水越真紀、三田格、土田修、木津毅、二木信、小林拓音)

interview with Lucrecia Dalt - ele-king

 このインタヴューは、いまから10年ちょい前の話からはじまる。エレクトロニック・ミュージックのシーンでは明らかに異変がおきていて、それはざっくり大別すると、ニューエイジ的なるものとそうではないものだった。そして後者においては、ダンス・カルチャーの周縁部かその外側で、特筆すべき混淆が起きていたことが、時間が経ったいまではよりクリアに見える。それは、クラシックの分野で前衛音楽と括られるものとさまざまな大衆音楽(ないしはモダン・クラシカル、ノイズ、アンビエントやなんか)との雑交で、あたかもニューエイジ的な居心地の良さに反するかのような、サウンドの考究者たちの、遊び心のこもった冒険だった。
 このマージナルなシーンでは、多くの女性たちが目立っていたことも特筆すべきだろう。ローレル・ヘイロー、フェリシア・アトキンスン、サラ・ダヴァチー、クライン、メデリン・マーキー、ケイトリン・オーレリア・スミス、ホーリー・ハーンドン、クララ・ルイス、コリーンetc——コロンビア出身で、当時はベルリンに住んでいたルクレシア・ダルトもそんなひとりだった。

 前作『¡Ay!』によっていっきにその名を広めたダルトだが、それに次ぐ新作『A Danger to Ourselves』は、さらに多くのファンの心を掴むアルバムとなっている。ラテン版スコット・ウォーカーというか、南半球のポーティスヘッドというか、この暗闇のなかの光沢は、彼女の味のある「歌」、そして凝ったサウンド工作によって構成されている。ネジが狂ったクンビアのリズムからはじまるアルバムの冒頭“cosa rara”は、マッシヴ・アタックをコロンビアの地下室にテレポートしたかのようだ。この喩えに沿えば、デイヴィッド・シルヴィアンはトリッキーで、つまり幽霊のようにこの曲に参入する。しかし、それに続く曲“Amorcito Caradura”ではジュリー・クルーズめいたドリーミーな舞台をみせ、広大な視界へとリスナーを連れ出すのだ。そして、ラテン・ジャズ・エレクトロニカ(などと呼んでみたくなる)“stelliformia”やレトロ・ポップとグリッチとの美しい協奏“divina”等々——妖光を放つ曲がいくつも収録されたこのアルバムは、間違いなく今年のベストの1枚に入るだろう。

 ダルトは、現在アメリカに住んでいる。ロンドン在住の坂本麻里子氏に質問表を渡し、取材は日本時間の深夜に決行された。彼女の人となりもわかるインタヴューになったと思う。


Photo : Sammy Oortman Gerlings @sammyoortmangerlings

私の家は女性仕立屋の家柄で、ドレスや洋服を作っていて。それで個人相手の洋裁レッスンをおこない、そのかたわらで音楽を作っていった。そうしながらデモ・テープをMySpaceにアップしたところ、グートルン・グートが「コンピレーションに参加しないか」とコンタクトを取ってくれて。あれがもう、自分にとっては非常に強力なシグナルだったというか……

あなたの新作を聴いているとき、たまたまコーヘイ・マツナガと話す機会がありました。

ルクレシア・ダルト(LD):そうなんですか! ワーオ……!(嬉しそうに笑いながら)コーヘイとはもうずいぶん長いこと音信不通になっているけれども……。

「今度、ルクレシア・ダルトにインタヴューするんだよ」と彼に言ったら、喜んでくれて。10年前、コーヘイがベルリンに住んでいた頃、彼はあなたやローレル・ヘイローらと交流があったそうですね。とくにあなたには良くしてもらった思い出ばかりのようでした。

LD:わぁ、嬉しいな。

いっしょに公園に行ったり、自転車をプレゼントされたり——

LD:アハハッ! いや、あれは私のルームメイト。彼女がバースデー・プレゼントとして、彼に自転車をあげたんです。それに誕生パーティも開いて。

はい、お誕生会をしてもらったと言っていました。

LD:あのときはゼリーをたくさんこしらえました(笑)。

(笑)ゼリーを??

LD:(笑)ええ、彼が誕生日にゼリーのなかに浮かびたいと言っていたので、私たちはゼリーでいっぱいのケーキを作ったり、とにかくゼリーまみれになって。アハハハハッ! ゼリー中心のパーティで、あれはとても楽しかった……。

なるほど。それにジュリア・ホルターを紹介してもらったりした、と教えてくれました。こういう楽しそうな話を聞くと、まだベルリンの家賃も安かった時代、そにには、ボヘミアン気質のアーティストたちのコミュニティ的なところがあったのかなと想像します。

LD:はい。

ちょうどその当時は、〈PAN〉みたいなレーベルの周辺には、ダンスフロアとアカデミアとポストパンクの溝を埋めるようなエレクトロニック・ミュージックのシーンが発展途上でしたよね。あの頃は、みなさんどんな感じで活動されていたのでしょうか?

LD:記憶を呼び起こしてもらえて、とても嬉しいです。あの頃自分がいた時/場所を思い出しますね……あの時代のことはちょっと忘れ気味になっていました。というのも、あれは私が自作レコードの大半を作曲したアパートメント、あそこに移る以前の話なので。当時私はまだ友人と同居していましたし、暮らしていたのはとても妙なアパートメントで、バスルームは共同で屋外にありました(笑)。
 だからおっしゃる通り、何もかも、とてもボヘミアンな雰囲気でした。けれども私たちはあの頃に、コーヘイ、ラシャド・ベッカー、ローレル・へイローといった面々と過ごすチャンスを得たわけで……思うに異なる文脈を通じて、だったんでしょうね。非常にまとまりのあるコミュニティがあったとは思いませんし、むしろ個別のグループがポケット的に存在していて、とあるスペースに行くと出くわす面々がいて、また他の場所に行くと別の人びとと出会う、という具合で。私はずっととても多くの領域で実験してきたので、そういった可能性の数々を、音楽/ミュージシャン小集団のすべてを通り抜けて行くことができました。

坂本:なるほど。ゆるやかに連携した、異なる細胞群のようなものですね。

LD:ええ、そういうことです。少なくとも私自身はそう捉えていた。さまざまなグループに参加していましたし、そうするうちに私のいた集団の人びとはもっと「アーティストたち」になっていったというか……まあ、もっと折衷的でいろいろな人々の集まりだったんですけどね。それにあの頃のベルリンには、エレクトロニック・ミュージックのプロダクションの本当に多彩なレヴェルに触れられる、という側面がありました。おっしゃっていた通り、知的/アカデミックなものからより身体/感情に訴えるパンク的なもの、そしてもっと純粋にエレクトロニックなものまで。ですからベルリン時代は素晴らしかったなと感じます。


Photo : Louie Perea @perea.photo

つまりボレロの歌もロバート・アシュリーも、私にとっては同レヴェルに存在し得るし、かつそのどちらもリズム、質感、テクスト等について考える際のアーティストとしての私の組成にとって同等に重要。

あの時代、かつて前衛と括られていた音楽、リュック・フェラーリ、ロバート・アシュリー、アルヴィン・ルシエ等々を、アカデミアの文脈から切り離して現代のエレクトロニック・ミュージックのなかで再文脈化するみたいなことがあったと思います。かつてアカデミアのなかで聴かれていたような音楽が、いきなDJミュージックのひとつとして面白がられるみたいな。またその一方、あなたは〈Other People〉から発表したミックス作品では、さらに前衛ジャズを中心に選曲し、ドゥルッティ・コラムやコイルなどと交えていました。こうした、世界の非商業的な実験音楽を横断的に探索するみたいな動きが、なぜあの頃に起きたんだと思いますか?

LD:うーん、どうしてだったんでしょうね(笑)? とにかく……それが私のアートに対する考え方の一部だ、としか。本当に多くのさまざまなソース/諸グループから影響を受けるということですし、いまの例で言えばドゥルッティ・コラム、そしてロバート・アシュリーなんて、いっしょにするのはほとんど不可能に思えますけど(苦笑)、どういうわけか私からすれば理にかなっている。
 口で説明するのはむずかしいんですが、思うに——あの頃、私は友人で素晴らしいアーティストであるラヒーナ・デ・ミゲル(Regina de Miguel)とコラボレートしていて、そのときとても自由を感じました。彼女はヴィジュアル・アート畑出身の人なので、実に多彩なソースから影響を引いてそれらをミックスしていた。あれがとにかく、自由奔放に物事を混ぜ合わせることを恐れるな、というインスピレーションを自分にもたらしてくれたんじゃないかと思います。それに、感じるんです……だから、アーティストは脳の持つ折衷性を享受すべきだし、そのあるがままを許し、存在させてあげよう、と。
 というのも、そういう状態が起こるのは素晴らしいことだと思うんです! 私はコロンビア出身なので、そうしたさまざまなものはすべて同じレヴェルにある、というか。つまりボレロの歌もロバート・アシュリーも、私にとっては同レヴェルに存在し得るし、かつそのどちらもリズム、質感、テクスト等について考える際のアーティストとしての私の組成にとって同等に重要。ロバート・アシュリーは言うまでもなく、スポークン・ワーズ部がとても複雑ですよね。もちろんローリー・アンダースンにも同じことが言えますし、他にも数多くいますが。だからミュージシャンであれば、そうやって数限りない可能性に触れることになる、というのに近い。音楽のおかげでそうした小領域の数々に参加できるのは最高だと思います。あるときはジュリアン・ラーバー(Julian Rohrhuber)のような人と同じステージに立ち、今度はフェリックス・クビーン(Felix Kubin)と一緒にプレイし、その次にはもっと伝統的な意味でのバンドとも共演できる。そうした様々な飛び地のなかで居心地良く、自分をエイリアンのように感じるのが本当に好きなんです(笑)。

坂本:外世界からの訪問者、と。

LD:(笑)その通り。それは好きですね。

なんでこんなことを訊いたのかというと、あの時代、エレクトロニック・ミュージックのシーンは、癒し的なニューエイジに向かった人たちと、あなたやローレルやコーヘイのように過去の前衛を探索した人たちとに大別されると思うからです。

LD:はい。

リーマンショックから数年後の(暗いご時世のはじまりの)ことなので、ニューエイジに向かいたくなる気持ちもわからなくないのですが、その一方で、敢えて難解な音楽のほうに向かうってどういうことだったんだろうかと興味深く思っているからです。

LD:(笑)なるほど。私の場合——そこに関しては、バルセロナ現代美術館(MACBA)の功績も認めなくちゃいけません。というのも、同館のウェブラジオ主任のアナ・ラモス、彼女は本当に素晴らしい人で、サウンドの収集はもちろん、極めて複雑な音楽を制作したアーティストの作品を紹介することも考えた。彼女がウェブラジオ向けのポッドキャストを編集するのを当時手伝っていたおかげで、自分がそれまでまったく知らなかった驚異的なマテリアルの数々に触れることになった。それに彼女は、フランスのGRM(Groupe de Recherches Musicales/音楽研究グループ)でのレジデンシーにも招待してくれました。で、あの頃私はアーロン・ディロウェイ、これまたテープ・ループ等々に非常に入れ込んでいる人とのコラボレーションもはじめていて……
 というわけで、そうですね、「どうしてか」を説明するのはむずかしいんですが、思うにたぶん——ああ、ベルリンではCTMというフェスティヴァルも開催されていますね。CTMも、私たちにああした音楽を表現するためのスペースを提供してくれた重要なプラットフォームだと感じます。ですから私たちは現代美術館でああした、あらゆる類いの物事をミックスすることをやっていましたし、それは音楽的な領域はもちろん、それとは別の文脈においてもつじつまが合っていた。CTMフェスティヴァルは、異なるさまざまな主題にのめり込んでいたああした多彩な人びとを探し出し、出演させるという意味でとても賢明だったなと。ですから、ローレル・へイローの音楽と私の音楽には大きな隔たりがあると思う人もいるでしょうが、もしかしたら私たちは、知的な参照点の多くは共有しているかもしれない。で、それはほぼ同時期に起こっていたわけで、私たちはたとえば『The Wire』誌だったり——

坂本:(笑)なるほど。

LD:——(笑)たまたま同じ書籍を読んでいたからかもしれません。そんなわけでどういうわけか、私からすれば何もかもが均等化しましたし、音楽についての異なる考え方を抱くチャンスがもたらされた。それがアーティストとしての自分の成り立ちの一部になってくれて、本当に良かったと思います。

[[SplitPage]]

ですから私たちは現代美術館でああした、あらゆる類いの物事をミックスすることをやっていましたし、それは音楽的な領域はもちろん、それとは別の文脈においてもつじつまが合っていた。

質問は、コロンビア時代の話になります。あなたがコロンビアのメデジン大学で土木工学を専攻した理由はなんでしょうか? ちょっと珍しい選択に思えますが……。

LD:(苦笑)たしかに。まあ、子供の頃はあれと同じくらいアートにも興味があったと思います。歌も好きで、絵も描いたし、バレエ教室に通ってダンスを学んだ。ただ、私にはとても理路整然と組織的な、すごく頭脳派とでもいうのか(笑)、数学・物理学等々が大好きな面もあるんです。80年代にコロンビアで育ったわけですが、あの頃「音楽で食べていく」という発想は、実際的・実利的に言っても当然のごとく筋が通らなかった。ですからとにかく、音楽は趣味になっていくんだろうな……と思いましたし、あくまで本業はエンジニアであって、アーティスティックな面は片手間に、自分の心を満足させるために(笑)音楽を作ろう、と。
 ところが工学の勉強を修了し、とある会社で働きはじめたところ、たちまち——あれは25歳のときでしたが、「自分が生きたい人生はこれじゃない」と悟りました。で、「いまこそ、そのタイミングだ」と思いましたし——と言っても、会社や仕事に対してまったく不平はありません。本当に素晴らしい職業だったと思います。ただとにかく、自分の直観とのコネクション、そしてアーティストになりたいという思いがとても恋しく思えて。で、私の父、そして友人のリカルドも「だったら少しの間やってみたら? 試しに2年くらいやってみて様子を見ればいい」と言ってくれた。それで「オーケイ、縫製業でお金はなんとか作れそうだ」と判断しました。
 私の家は女性仕立屋の家柄で、ドレスや洋服を作っていて。それで個人相手の洋裁レッスンをおこない、そのかたわらで音楽を作っていった。そうしながらデモ・テープをMySpaceにアップしたところ、グートルン・グート[※初期ノイバウテン、マラリア!等]が「コンピレーションに参加しないか」とコンタクトを取ってくれて。あれがもう、自分にとっては非常に強力なシグナルだったというか……グートルン・グートみたいにとても、とても重要な、シーンを、とくに女性アーティストのシーンを支援し続けてきた人が、自分のやっていることに何かを聴き取ってくれたんだ! と思いましたから。当時は自宅のベッドルームで、ごく安物のマイクロフォンに、MIDIキーボードひとつを相手に音楽を作っていました。それっきり。他には何も無し。でも、彼女は私のやっていたプロセスを信じてくれたし、私も「やっているこれらのことについて、ひたすら自分の直観を信じてそこに賭けよう」と感じはじめた。
 以後、土木系エンジニア業は振り返らずにやって来ました。そんなわけで、音楽の道を選んでからすいぶん経ったいまとなっては、自分が土木工学を学んだのは奇妙に思えますね、エンジニア職を辞めてもう20年にもなりますから(笑)。

その、音楽の道を選んだ決心について、あなたは『The Wire』とのインタヴューで「バルセロナのMACBAで開催された哲学者ジル・ドゥルーズに関する会議に参加することになって。彼の時間観について語り合ううちに、遂にすべてに納得がいくようになっていきました」と答えています。ドゥルーズの時間観(idea of time)について話したことがどうしてあなたに音楽の道へと進ませたのか、もうちょい説明を加えてもらってもいいでしょうか?

LD:私は哲学者ではないので、彼の大きな作業を完全に理解し、説明するのはもちろん無理です。でも思うに、視覚的な面で——なんというか、あの会議の講演者が時間について、「時間の折り重なり」というドゥルーズの時間観を話しはじめたんですね、著書『襞:ライプニッツとバロック』でも彼が模索したところですが。そこで自分にとってすべてつじつまが合いはじめたのは、私自身も、自分のやっていることは決して直線的ではないと思うからです。つまり、私のやっていることはもつれ合いのようなもので、そのなかから徐々に何かが意味を成していく、という。こんな風に(と、両手を重ね合わせ層を描くジェスチャー)。そこから、地質学を考えはじめました。たとえば深いところにある地層が突如隆起して、土地景観を変化させてしまうことがありますよね。
 というわけで、時間の非直線性に関するあのちょっとしたコメントを聞いて、その後も長いあいだ、大いに考えさせられることになって(笑)。それに、自分が土木系エンジニアとして働いていた事実を正当化する方法を見つけようとしてもいた、というか。エンジニアとしてさまざまな研究をおこなっていたとき、土壌分析他のために地質学由来のインフォメーションを常に考慮に入れていました。で、そのパートはいつも私には詩のように思えたんです、というのもそうした情報を通じて、その文脈において何が起こっていたのか、突如として自分は何千年も昔に引き戻されるので。そうやって「ここのこの土壌は、こんな風に探査できる」「ここはこういう風に切り出せる」と言えるだけでも、さまざまな形状やフォルムの基盤となるものを作り上げられますが、それでも私たちははるか昔の地層の情報すべてに責任を負っている、という。
 ですからある意味あのおかげで、エンジニアとしての自分の記憶群をよみがえらせるひとつの方法がもたらされました。そして、詩とそれが私自身の文脈に持ち込んでくれるさまざまなイメージに沿って活動していくやり方も。それでなんというか、(苦笑)かつて自分が長いあいだエンジニアとして働いた事実との一貫性、なぜそうだったかの根拠がもたらされたというか。

音楽をやるうえで、まずはバルセロナに移住したのはなぜでしょうか? スペイン語圏であることが大きかったのでしょうか? また、そこからベルリンに移住した理由は?

LD:バルセロナに移ったのは、私の当時のパートナー、彼があそこで暮らしていたからです。一緒に暮らしたくて移住することにしました。そのおかげで、彼の視点・考え方等々を通じて、それまでとはまったく違う人生が自分の前に開けましたね。
 続いてベルリンに移ったのは……あの頃にもう、「自分には変化が必要だ」と感じていました。ベルリンは良さそうに思えましたし、先ほどあなたがおっしゃったように、当時のベルリンはまだ物価・家賃も安く、とてもクリエイティヴな街で。それに、もっと刺激に富んだ環境に身を置く機会を自分に与えたいと思ったんです。30代前半でしたし、「よし!」と——だから、自分にはまだとても急な思いつきを実践できそうに思えましたし、そこで荷物は段ボール箱4つだけでベルリンに移った。最初に暮らした部屋は家賃が90ユーロだったんです!

坂本:(笑)嘘のような話ですね……。

LD:(笑)ええ。だから生活もちゃんと成り立つ、みたいな。と言ってもごく狭い小部屋で、ベッドの脇に「スタジオ」を組んで……というものでしたが、そんな風にはじまりました。そして、たしか音楽委員会(Berlin Music Board)という名称の機関に助成金を申請し、それでドイツ映画研究をスタートするきっかけが生まれた。そこから、ドイツで私が初めて作ったアルバム『Ou』(2015)に繫がりました。というわけで、実に多くの人びとと出会い様々な形でインスパイアされることになった、とても大事な場所になりましたね。

いえ、『¡Ay!』はブレイクスルー作品ですが、その前の作品、『No Era Sólida』が生まれた背景/経緯をお話いただけますでしょうか?

LD:『No Era Sólida』はとても……自然に無理なく出来ていった、声を用いてどんなことができるかを探った作品ですね。とても多くの事柄が元になった作品ですが、とにかくアイディアとしては、どうやったら自分自身を、自分の声を解放し、そうすることでそれをほぼ自律した存在にできるだろうか、ということでした。アフリカのルンバ音楽等を聴いて頭をそれに馴らし、そのフィーリングを念頭に置きながら、言葉や、ヴォイスのフローの邪魔になるものをすべて排するようにしました。
 あの頃ラシャド・ベッカーと親しくて、実際、ノード・モジュラーとヴォコーダーの可能性を探るように励ましてくれたのは彼でした。それで私は、一般的ないわゆる「ヴォコーダーのサウンド」とは違うものを出すにはどうすればいいか、かなりリサーチしはじめたんです。「どうやったらやれるだろう?」とものすごくオタクっぽくハマりましたし(笑)、『No Era Sólida』はだいたい、そういう風にできた作品です。とてものびのび自然にやったアルバムですし、そのほとんどはファースト・テイクというか。もちろんその後でいくつかの要素にプロダクション面で手も加えましたが、主要なアイディアは「とても即興性の高いジェスチャーからどうやってアルバムを1枚作るか?」にあった、そういう作品です。

アーロン・ディロウェイとの共作『Lucy & Aaron』はたいへんユニークなものでしたが——

LD:フフフッ!

あなたにとって彼との共同作業はどんな意味がありましたか?

LD:とても意義がありました。というのも、私は彼の作品/活動が本当に好きで――彼のライヴ・ショウが大好きなんです。彼とはMADEIRADiGというフェスティヴァルでいっしょになったことがあって。ポルトガル領の、アフリカ大陸に近いマデイラ島で開催されるフェスなんですが、彼がそこで演奏しているのを観て、テープ・ループくらいとても単純なものを使ってリズムを生む、という彼の考え方に強い感銘を受けた。彼のリズムは、テープ・ループの反復から生じるという類いのものです。
 そんなわけで私たちがコラボでとったプロセスはとても素敵でした。私から彼にシグナルを送り、彼がそれをキャッチしてループをこしらえ、ふたりでとても奇妙な素材を作り出し、それに載せて私が歌う。そしてそれを軸に更にオーディオ部も録音し……という感じで、お互いの発するシグナルと、それぞれに異なる作業のやり方とに作用し合った。アーロン・ディロウェイ、そして新作でのアレックス・ラザロもそうですが、私自身のヴォキャブラリーの、自分の歌の感覚の上に積み重ねていく可能性をもたらしてくれる、ああいうコラボレーションは私にはレアなんです。
 ですからアーロン・ディロウェイとの共作レコードで、私たちは「歌のフォルム」を少し探っていたなと感じます。たとえば〝Ojazo〟、あの曲を私はほとんどもうフラメンコの歌、フラメンコのラメント[※節の一種]に近いものにしたいと思いましたが、でも実際はそれとは無関係なテープ・ループの上に載っている、という。あのレコードは本当に気に入っています。あの作品にふたりで取り組めて本当に良かった。


Photo : Louie Perea @perea.photo

デイヴィッド・シルヴィアンはまず何よりも、指導者ですね。そして言うまでもなく、その指導の過程を通じていろいろなことが起こった。たとえば何曲かでギターを弾いていますし、ドラムスの録音場面にも立ち会い、コメントをいろいろと出してくれた。彼との仕事で本当にたくさん学んでいます。

デイヴィッド・シルヴィアンとはどのように知り合ったのでしょうか? 

LD:2、3年前にツィッター(現X)経由で彼にメッセージを送ったんです。私は『¡Ay!』を作っていて——というかリリースしようとしていたところで、あのアルバムの制作において彼の作品の影響が非常に大きかったと本人に伝えたかったので。とくにシンセサイザーのサウンド、そして歌としてのフォルムを維持しようとしつつもサウンド面に関しては自由奔放にやろう、という彼の独特な考え方ですね。それをきっかけにふたりの間で対話が始まり、仲良しになり、そしてその対話はいまも続いている……という(笑)

そうした流れで恊働することになった、と。彼の耽美的なアプローチは、あなたの世界と親和性があると思います。『A Danger to Ourselves』というアルバムにとって、彼の果たした役割はどのようなものだったとお考えでしょうか? 指導者/良き相談役?

LD:はい。彼はまず何よりも、指導者ですね。そして言うまでもなく、その指導の過程を通じていろいろなことが起こった。たとえば何曲かでギターを弾いていますし、ドラムスの録音場面にも立ち会い、コメントをいろいろと出してくれた。で、私はアルバムのプリ・ミックスを自分でやり、その上で彼が最終的なミキシングをまとめた。ですから実に多くのレヴェルで関わり、貢献してくれている。自分にはツールが不足していると感じたというか……だから、彼との仕事で本当にたくさん学んでいます。ヴォイスのレコーディングひとつとっても——あれは私にはまったく謎の領域で、これ以前はとても苦戦してきました。ところが彼と一緒に作業することで、私はとても特別なマイクロフォンを購入することになり、非常に多くの物事について、これまでとはかなり違う考え方をするようになっていった。彼は……自分が「ここにあるべきだ」と思った通りの場所にヴォイスを据える、その助けをしてくれました。彼みたいな人にしか、その助言はできなかっただろう、そう思います。というのも彼は——だから、彼自身の音楽にしても、たとえば『Blemish』(2003)でヴォイスはほとんどもう、聴き手の心にまっすぐ届く、そんな感じ。で、私は本当に、ヴォイスに込めた情動性を超えたかったし、ミキシングの技術を通じてそれを達成したかった。彼はそれを可能にしてくれたと思います。

新作がどのように生まれたのかを知りたく思います。前作『¡Ay!』のようなひとつのテーマに沿ったコンセプチュアルな作品ではない、『A Danger to Ourselves』はあなたの生活/人生経験から生まれた音楽という理解でいいのでしょうか?

LD:間違いなくそうですね、今回はもっと私自身が出ています。ただ、自分の生きてきた経験を通じ、そこにどうフィクションを交えるか、という面もあります——私の歌はときに、核となるアイディアはとてもシンプルな事柄、ロマンティシズムや官能性、人生をパートナーと共にする、といったことだったりします。そして、その上にシュルレアリズムといったフィクションの層を重ねていく。たとえば〝mala sangre〟では、私が何を描写しようとしているかはっきり目に浮かぶと思います。ほとんどネオ・ノワール映画の一場面に近いというか、何か奇妙なことが起こっているように思える。けれども奇妙だなんてことはなくて、とてつもなく大きな情熱を抱くとああしたことを実際に感じるんです。だから私はある意味作為的なトリックを使って、とてもストレンジな、この「愛」なる現象を説明しようとしている、という。

新作は、いままで以上に「歌」が際立ったアルバムだと思いました。もちろんすべての曲にはあなた独自のテクスチャーがあるのですが、誤解を恐れずに言えば、これはルクレシア・ダルト流のポップ・ミュージックではないのかと。

LD:ええ、そうだと思います。同感。

ほとんどパーカッションで構成される〝cosa rara〟でも歌が耳に入ってきます。2曲目の〝amorcito caradura〟などは、ジュリー・クルーズ風のドリーム・ポップに近いものを感じました。アルバム中もっともポップな〝divina〟も魅力的な曲です。

LD:ありがとう。

作者の狙いとしては「歌」であること、「ポップ・ミュージック」の領域に接近することは意識されたのでしょうか?

LD:ポップなアルバムを作るのが重要、というわけではありません。ただ、いつもそう思うのですが、私はバラッド、シンプルなバラッドが本当に好きで。たとえばザ・フリートウッズのようなグループの歌ですね。それで、シンプルなバラッドくらい効き目のあるものを作り出す方法は何かないだろうかとずっと考えてきました——ただし、自分のヴォキャブラリーと作業の仕方を用いて。というわけで、あれは自分への問いかけに過ぎませんし、〝divina〟のように歌になったと感じる例もありますし、〝covenstead blues〟のような凍り付いたバラッドというか、ぞっとするような、ダークなトラックもある。それでもシンプルなコード群にまで絞り込めば、ああした曲だってジャズ・ミュージシャンが演奏するとシンプルなスタンダード曲的なものになるだろう、と(笑)。
 だから、さまざまなレイヤーすべてをひとつにまとめる、というアイディアが好きなんだと思います。なぜなら私にはまだ、ああした多彩なインフォメーションのすべて、それらも「私」なわけですが、それらが必要なので。それはつまりサウンド・デザイン、音でデザインされた世界ということですし、サウンドと空間を特殊なやり方で考えてみるわけです。たとえば、遠くにあったように思えた要素が急に目の前に迫って来る、とか。ああいうやり方で曲を作ると、本当に楽しいなと感じます。コンポーザーとして、私はひとつの環境を、それ自体のリアリティを内包している世界を作り出したい、というか。そして、そこに奇妙さと共に美も持ち込みたい。というのも、自分を満足させてくれるのがそういう音楽なので。で、このアルバムで私はそういうことをやらずにいられなかったし、しっくりきました。実際、このようなアルバムをもっと作り続けていけたら良いな、と思っているくらいです。

あなたの「歌」にはジャズからの影響も感じるのですが、実際のところ意識されているのでしょうか?

LD:はい。ジャズの数々の側面が大好きですし、たとえばジャズ・ソングが……そうですね、具体的な例を挙げたいんですが(とPCスクリーンをチェックしながらつぶやく)、最近聴いたもので、あのタイトルは……ちょっと待ってください……ああ! チャーリー・へイデンの、キース・ジャレットも参加したデュエット集アルバム『Closeness』(1976)。これはもう、本当に傑出した作品です。とくに〝Ellen David〟というピースや——あるいは私のファイヴァリットなジャズ・レコードの1枚であるギル・エヴァンスの『ギル・エヴァンスの個性と発展 (The Individualism of Gil Evans)』(1964)にしろ、マイルス・デイヴィスのサントラ『死刑台のエレベーター』(1958)にしろ、情動面で惜しみないジャズを聴きながらその中を旅していくのがとにかく好きで。
 それにジャズ界のミュージシャン相手の方が、自分は概して仕事しやすい気がします。というのも、彼らは演奏楽器に関してとても変化に対応しやすく、実験に対しても非常にオープンなので。クラシック音楽を学んだ人の場合、「思いつく限りヘンな音を出してもらえますか?」と頼むと、怪訝な顔で「どういう意味でしょう?」なんて答えが返ってくることもたまにある(苦笑)。対してジャズ・ミュージシャンにそう話すと、「ああ、良いね! 弦でこんな音を出せる。やってみよう!」と。今作でベースを担当してくれたサイラス・キャンベルの場合、最高でした。彼は狙いを見事に把握してくれましたし……すご過ぎでした(笑)。私もたまに、「1秒でいったいいくつの音を出せるの? こんなのあり得ない」と思ったくらいで。しかもコントロールはばっちり、という。でも、何かの一部になり、それに対してオープンになるのは、とてもシンプルなことだったりする。私もフリーにやっていたし、とある時点で彼もほぐれてくれて、〝hasta el final〟のエンディングのアップライト・ベース部は本当に見事だと思いますが、あれはすべて彼の即興のテイクなんです。このレコードに彼があれを持ち込んでくれたのは、とにかくアメイジングです。でも、それはドラマーのアレックス・ラザロも同じですね。彼はジャズ・パーカッション学を修了したので、その道のエキスパート。だから彼も、コンポーザー/混成者として自由になるためのインフォメーションをすべて備えている人だと思います。

アートワークの写真とヴィジュアルについてのあなたの狙いを教えてください。

LD:ああ、あれはある意味、議論の的になっていて——

坂本:(笑)そうなんですか?

LD:(苦笑)はい。あのジャケットが気に入らない、あるいは私の表情が好きじゃない、という人が多くて。ただ、自分としては——このアルバムは多くの部分で、「自己を省みる」という発想に触れていると感じます。たとえばジャン・コクトーは「鏡を見ると人は死に近づくことになる」[※映画『オルフェ』/1950に関する発言]と言いました。なぜなら鏡は、見る者に時の経過を思い出させてくれるとも言えるからです。で、私はたまに自分の見た目を確認できるこの道具がなかったら、世界はどんなに違っていただろう? という空想をもてあそぶことがあります。もしかしたらもう少し自由で、さまざまなことに対する心配もやや薄まるんじゃないでしょうか?
 というわけで、私は忘れないための方法として自己イメージを使っていますし、またある意味では闘ってもいる。私たちは自分たちをどんな風に提示するか、という点について。ですから私からすれば、ほとんど誰も予期しなかったような、そういう表現を今回やれてとても良かった。というのも、満足し切った喜びの表情等々はとてもよく目にしますが、自分は「いや違う、このレコードにはもっと迫力のある、攻撃的とすら言えるイメージが必要だ」と感じたので。アルバムのタイトルにも「a danger to ourselves(自分たち自身を傷つけかねない危険)」を選びましたし、だからある意味自分自身と闘っているとも言えます。愛を掘り下げているのと同じくらい、このアルバムはその点、自ら招く危険も探求していますね。つまり、何かを考え過ぎたり、あるいは自ら植え付けてしまった内なる狂った声に耳を傾け過ぎることを通じて、自らを危険にさらすこともある、という。

ところで、あなたは現在アメリカが拠点だそうですね?

LD:はい。南西部にいます。

いまなぜアメリカに移住したのでしょうか? 政治的には決して良い状況ではないと思われますが。

LD:(苦笑)ええ、その通りですよね……ただ、私はかなり奇妙なポケットめいた、砂漠地帯に暮らしていて、ここは本当に、とてもマジカルな生活環境だと思います。いまここで暮らせるのは、何もかもから隔絶したアウトサイダー的存在に近いというか。そうですね、日々私たちが目にしている現実の外側にいる気がします。自然にふっと思い立って、ここに来ることにしたんです(笑)。恋人との関係を続けていこうという思いもありましたし……。

坂本:すみません、何もあなたの私生活を詮索するつもりではないんですが――

LD:(笑)わかっています。構いませんよ!

ただ、アメリカに移るタイミングとしては、いまはかなりやばいのではないか? と。

LD:はい、そうですよね。その点はちゃんと自覚していますが、と同時に……このエリアで実に素晴らしいアーティストの数々に出会ってきましたし、自分は本当に恵まれていると思います。それにこの砂漠、景色の美しさも息を呑むほど素晴らしいですし、自分はそれらからインスピレーションを受け続け、かつ私たちがいま生きているクレイジーな現実の中で活動を続ける励みをもらっているんだ、そう思います。

(了)

9月のジャズ - ele-king

 英国はレゲエをはじめ、スカやダブ、ダンスホールなどの影響が強い国である。かつて統治下にあったジャマイカからの移民が多く住み、サウンドシステムなどの音楽文化やダブ・ミックスの手法が育まれていくなかで、レゲエやダブはほかの音楽と交配してきた歴史がある。それはジャズの世界においても言えるところであり、今月はそうしたレゲエ/ダブの要素が濃厚な作品が集まった。

Steam Down
I Realised It Was Me

Ganix Recordings

 スティーム・ダウンはマルチ・インスト奏者のアナンセことウェイン・フランシスによって2017年に結成されたグループで、音楽制作からイベント開催など複合的な活動をおこなう。ウェイン・フランシスはかつてユナイテッド・ヴァイブレーションズのメンバーで、テオン・クロスやイル・コンシダードなど南ロンドンのジャズ・シーンのアーティストらの作品にも加わると同時に、ディーゴ&カイディ、IGカルチャー、ポール・ホワイトなどクラブ・カルチャーにも関わってきた。
 ロンドン南東部のペッカムを拠点に活動するスティーム・ダウンは、ドミニック・キャニングなどのジャズ・ミュージシャンからラッパーやシンガーもいろいろと参加しており、ライヴやレコーディングごとにメンバーが入れ替わるコレクティブに近い形態である。2019年にデビュー・シングルの “Free My Skin” をリリースするが、アフロビートとダブステップ、グライムが結びついたエズラ・コレクティヴに近いようなナンバーで、自らをアフロ・パンク・バンドと形容する彼ららしい作品と言える。その後、2020年に〈ブルーノート〉のオムニバス企画『Blue Note Re:Imagined』への参加を経て、2021年にEPの「Five Fruit」を発表。ジャズ、アフロ、ヒップホップ、グライム、R&B、ドラムンベース、ダブステップなどが結びついたストリート・サウンドを展開している。ジャズとクラブ・サウンドの融合具合では、エズラ・コレクティヴ、ブルーラブビーツノイエ・グラフィック・アンサンブルなどに匹敵するか、それ以上とも言える。

 その『Five Fruit』から久々にリリースしたのがファースト・アルバムの『I Realized It Was Me』となる。今回もジャズとアフロやクラブ・サウンドの融合は見られるが、全体に感じられるのはレゲエやダブとの結びつきの深さである。“Sum Of Thing” はボブ・マーリー、ピーター・トッシュ、アスワド、サード・ワールドといったレゲエのレジェンドたちを彷彿とさせる作品で、ソウルやファンク、ジャズ・ファンクと結びついて独特のUKレゲエが生み出された英国の音楽文化ならではの果実と言える。シンガー/ラッパーのアフロノート・ズーをフィーチャーした “Tempest” は、ジャズとダブ、ダブステップを融合した作品でサンズ・オブ・ケメットに近い作品。アフロノート・ズーの歌も、例えばホレス・アンディやビム・シャーマンのような往年のレゲエ・シンガーのそれを彷彿とさせる。“Let It Go” は深みのあるダビーなソウル・ナンバーで、サックスやドラムの即興的な演奏は南ロンドンのジャズらしい。レゲエやダブ・カルチャーと密接に結びついていたマッシヴ・アタックやスミス&マイティーなど、ブリストル・サウンドやトリップ・ホップと近似する部分も見いだせる楽曲だ。


Joe Armon-Jones
All The Quiet (Part 1) / All The Quiet (Part 2)

Aquarii / ビート

 リリースとしては春から夏にかけてだが、ジョー・アーモン・ジョーンズが『All The Quiet』をパート1と2に分けてリリースした。ジョー・アーモン・ジョーンズは自身のレーベルの〈アクエリー〉を2021年にリリースしてから、ジャズよりもほかの音楽的要素の強い作品をリリースする傾向があり、2024年にリリースした「Wrong Side Of Town」「Ceasefire」「Sorrow」という一連の12インチEPは、完全なレゲエ/ダブ集というべきものだった。『All The Quiet』についてはジャズ・ファンク、アフロ、ソウル、ブロークンビーツ、ヒップホップなど雑多な要素が結びついたジョー・アーモン・ジョーンズらしいアルバムであるが、やはり彼の音楽的基盤のひとつであるレゲエやダブの要素も入っている。

 演奏メンバーは全てクレジットされていないが、ヌバイア・ガルシアオスカー・ジェロームといったいつも演奏を共にするメンバーが参加。そして、ウー・ルー、ヤスミン・レイシー、グリーンティー・ペン、ハク・ベイカー、アシェバー、ゴヤ・グンバニらがシンガーとして参加。このなかでハク・ベイカー、アシェバー、ゴヤ・グンバニはアフロ・レゲエやラガマフィン系の歌を持ち味とする人たちだ。ハク・ベイカーをフィーチャーしたパート2の “Acknowledgement Is Key” はディープなテイストのジャズ・ファンクで、ジョー・アーモン・ジョーンズの鍵盤演奏も往年のウェルドン・アーヴィンを彷彿とさせる。楽曲全体にダビーなミックスが施されており、後半のハク・ベイカーの歌はナイヤビンギのようにラスタファリの思想に満ちている。スピリチュアリズムという点ではルーツ・レゲエに通じる作品と言えよう。
 アシェバーをフィーチャーしたパート1の “Kingfisher” は、ブロークンビーツ調のリズムとアシェバーの開放感に満ちたヴォーカルが結びついて、ジャマイカン・ジャズというかカリビアン・ジャズとでも言うような作品となっている。パート1の “Lifetones” は1980年代初頭のポスト・パンク~ニューウェイヴの時代に活動した幻のエレクトロニック・ダブ・ユニットで、近年再評価が進むライフトーンズに捧げた楽曲だろうか。ほかの曲においても大々的にレゲエのモチーフはなくとも、メロディの断片にその片鱗が見られたり、ダブ・ミックスの手法を用いるなど、ジョー・アーモン・ジョーンズにとってのレゲエ/ダブの影響が随所に感じられるアルバムだ。


Ebi Soda
Frank Dean And Andrew

Tru Thoughts

 ブライトン出身のエビ・ソーダも、リーダーのウィル・イートンがトロンボーン奏者ということもあり、ジャズやジャズ・ファンクとレゲエ/ダブを折衷した音楽を一貫してやっているバンドだ。アルバムは2022年にセカンド・アルバムの『Honk If You’re Sad』をリリースしているが、ゲストにヤズ・アーメッドを迎え、重低音の効いたリズム・セクションとホーン群の情熱的な演奏にエレクトロニクスを交え、全体的にはダビーな空間構成がなされた作品だった。そうしたダブの影響下にあるサウンドと、サイケやクラウトロック、ニューウェイヴの要素も交えた混沌とした世界も楽しめるところもあったわけだが、それから3年ぶりの新作『Frank Dean And Andrew』が完成した。

 今回は今まで以上にダブの要素が強い作品集だ。“Bamboo” というタイトルや、中国とベトナムのハーフである英国人ラッパーのジアンボをフィーチャーした “Red In Tokyo” など、日本や東洋に馴染みのある曲が並んでいるが、その “Bamboo” はダビーなサウンド・エフェクトを交えたメロウなジャズ・ファンク。どっしりと低音を支えるリズム・セクション、メランコリックなメロディや空間構築、低音のトロンボーンやトランペットなどの管楽器のアンサンブルなど、全てにおいてダブからの影響が強い楽曲だ。“When Pluto Was A Planet And Everything Was Cool” はダブステップ調のビートを持つダークな楽曲で、リチャード・スペイヴンゴーゴー・ペンギンなどにも通じる。クラブ・サウンドも柔軟に取り入れるエビ・ソーダらしい楽曲だ。“Horticulturalists Nightmare” はサイケデリックで前衛的な側面も持つ楽曲だが、リズム構成やミックスなどにおいてやはりダブの影響が強い。“Grilly” や “Toucan” についても言えるのだが、今作は演奏はもちろんのこと、ことさらミックスにおいてダブの手法が大々的に用いられている点が特徴と言えるだろう。


Nat Birchall
Liberated Sounds

Na-Bi

 マンチェスター出身のナット・バーチャルはキャリア的にはベテランに属するサックス奏者で、ジョン・コルトレーンファラオ・サンダースの系譜に属するプレイヤーである。彼のずっと後輩にあたるマシュー・ハルソールがそのサックスに惚れ込み、自身のバンドで演奏してもらって数々のアルバムをレコーディングしたほか、ナット・バーチャルもマシューが主宰する〈ゴンドワナ〉からリーダー作品を数枚リリースしている。それらは基本的にシリアスなモード・ジャズ、スピリチュアル・ジャズと呼ぶべき作品集だが、一方でブレッドウィナーズというレゲエ/ダブ・バンドを組むプロデューサーのアル・ブレッドウィナーや、スカタライツのドン・ドラモンドの息子であるヴィン・ゴードンなどとコラボして、完全なレゲエ/ダブのアルバムもリリースしている。それもアルバム1枚というわけではなく、数枚のアルバムやダブ・ミックス・アルバム、7インチ、12インチに渡る数々のリリースがあるので、ナット・バーチャルは相当レゲエやダブに入れ込んでいるのだろう。

 新作の『Liberated Sounds』はアル・ブレッドウィナーやヴィン・ゴードンなどの力を借りることなく、すべての楽器演奏(サックス、フルート、ベース、ドラムス、ピアノ、キーボード、ギター、パーカッションなど)とプロデュース、ミックス、レコーディング、マスタリングなど全ての業務をナット・バーチャルただひとりでおこなっている。表題曲の “Liberated Sounds” を筆頭に、1960年代後半にジャマイカからイギリスに渡って広まったスカにインスパイアされたアルバムである。なかでもドン・ドラモンド、トミー・マコック、ローランド・アルフォンソ、レスター・スターリング、ババ・ブルックス、デイジー・ムーア、ロイド・ブレベット、アーネスト・ラングリン、ジャッキー・ミットゥー、ロイド・ニブ、ドラムバゴなどに対するオマージュとナット自身が述べているのだが、こうした面々の名前が上がるところから、彼がいかにジャマイカ音楽に対して知識や愛情を持っているかが伺い知れる。こうしたミュージシャンの多くはもともとジャズ・ミュージシャンで、プリンス・バスターズ・オールスターズ、スカタライツ、ババ・ブルクス・バンド、キング・エドワーズ・グループといったバンドで演奏してきた。そこにはジャマイカにおけるジャズとレゲエの関係性があり、ナット・バーチャルもそこを理解した上で、ジャズなりレゲエやスカなりを演奏していることがわかる。

Witching Hour Archives - ele-king

 いまやYouTubeにおける一大ジャンルとなった、DJやライヴの様子をアーカイヴする数々の配信プログラム。さまざまな観点から世界中で議論が繰り広げられているなか、「クラブ・カルチャーの神秘性を取り戻し、再魔術化を謀る」ことをコンセプトとしたあらたな動画メディア〈Witching Hour Archives〉が始動する。
 初回プログラムとして、首都圏を中心に開催されているハードコア・クィアパーティ〈FETCH〉による2025年6月回の模様が配信。

 動画を再生してみると、DJのキャラクター性にフォーカスする昨今の潮流とは一線を画した、クラブという環境全体を窃視するかのような謎めいた雰囲気が目を引く。〈Witching Hour Archives〉は、まるで監視カメラのようなアングルで撮影されたアーカイヴを継続的に配信することで「クラブ・カルチャーを再び誇れるもの」にしようと試みているのだろうか?

 以下にステートメントとファウンディング・メンバー(当プロジェクトは主導者を置かず合議制で運営されるようだ)にかんする情報を引用する。

―クラブカルチャーの神秘性を取り戻し、再魔術化を謀る―
新動画メディア「Witching Hour Archives」始動

クラブカルチャーの記録を目的とする新しい動画メディア「Witching Hour Archives」がローンチ。

現在、数多くのストリーミングメディアがDJに焦点を当てている一方で、Witching Hour Archivesは異なる信念に基づいて設立された。DJブースはクラブカルチャーのひとつの側面に過ぎないという信念だ。クラブカルチャーの核心にあるのは、DJとダンスフロアの間で循環するエネルギーであり、ブースだけに焦点を当てては捉えきれない。Witching Hour Archivesはクラブ文化をスペクタクルとしてではなく、生きた儀式として記録し、クラブの闇の中で生まれる神秘的なエネルギーの循環を記録することを目的として立ち上げられた。

改造されたカメラと、パフォーマンス的なナルシシズムや「主人公気取り」の行動を引き起こさないよう工夫された設置方法や撮影アングルを用い、フロアの暗さとDJやクラウドの匿名性を確保しながらも、可能な限りフロアのありのままの姿を記録することを実現。SNSでのバズを目的としたものとは一線を画した、文化の記録のためのチャンネルとなっている。

今後、コミュニティーによる自律した運営を継続できるよう、運営費をカバーするためのグッズの展開も予定している。
ロゴのデザインには、「暗闇を記録するためのカメラ」「魔術的な力/マジックサークル」「アンダーグラウンドコミュニティのネットワーク」という3つの意味が込められている。

初回の配信としてローンチと同時に、6月に渋谷のStudio Freedomでコロンビアからラテンコアの旗手CRRDRを迎えて行われた、ハードコア・クィアパーティー「FETCH」のプライドマンススペシャルの記録が公開されており、今後もコンスタントにパーティーを記録し、公開していく予定となっている。
是非InstagramとYouTubeチャンネルをフォローして、今後のアップデートを見逃さないようにしてもらいたい。

Instagram
YouTube

Founding members (A to Z)

DJ POIPOI
glico
kotono in midnight
Mars89
MAYUDEPTH
SUNNOVA
TEI TEI
Yuri Kim
Yusuke Maeno

Art Director : Mars89
Movie Director : SUNNOVA
Sound Engineer : Yuri Kim

BlankFor.ms - ele-king

 インスタグラムのサジェスト欄になにが表示されるかは十人十色だろうが、電子音楽やシンセサイザーに興味を持つ人のもとにはハードウェア・シンセやモジュラー・シンセ、ペダル・エフェクターなどを駆使した60秒未満の演奏動画がたびたび流れてくることだろう。

 そうした世界に出自を持つニューヨークはブルックリンの電子音楽家、BlankFor.msことタイラー・ギルモアが初のジャパン・ツアーを開催。兵庫の〈Tobira Records〉と〈space eauuu〉の2会場での公演ほか、実験音楽やバンド・サウンド、果てはハイパーポップまでを広く受け入れる東京・下北沢のクラブ〈SPREAD〉の3会場を巡るそうだ。

 兵庫公演にはBlankFor.ms のほかLullatone、Tatsuro Murakami、Nekomachi、Molderが出演。〈space eauuu〉での投げ銭制でのライヴにはヴィジュアル・アーティストのKeiji Matsuokaが映像演出として参加。

 東京公演は〈PLANCHA〉サポートのもと開催。ローカル・アクトに、20年代デジコア・シーンでのポエトリー・ラップから大きく飛び出し、4台の中古iPhoneで即興演奏を実施する唯一無二のスタイルへと移行した音楽家・vqが出演。DJには〈悪魔の沼〉でもおなじみの名手、COMPUMAが参加。

 新旧さまざまな価値観が融和し、異なるフィールドから生まれたオブスキュアな感性、そして美しい電子音の調べが堪能できる公演となることでしょう。以下詳細。

BlankFor.ms Japan Tour 2025

10月25日(土) 兵庫 加西・Tobira Records
10月26日(日) 兵庫 神戸・space eauuu
10月28日(火) 東京 下北沢・SPREAD

兵庫公演①
日程:2025年10月25日(土)
会場:兵庫 加西 Tobira Records
時間:TBA
料金:3,000円 (学生2,000円)
チケット:TBA

出演:
BlankFor.ms
Lullatone
Tatsuro Murakami
Nekomachi

兵庫公演②
日程:2025年10月26日(日)
会場:兵庫 神戸 space eauuu
時間:開場17:30 / 開演18:00
料金:Donation + 1 drink order

出演:
BlankFor.ms
Lullatone
Tatsuro Murakami
Molder

Visual:
Keiji Matsuoka

東京公演
BlankFor.ms “After The Town Was Swept Away”
Release Party in Tokyo

日程:2025年10月28日(火)
会場:東京 下北沢 SPREAD
時間:開場19:00 / 開演19:30
料金:前売3,300円 / 当日3,800円 ※共に別途1ドリンク代
チケット: https://www.artuniongroup.co.jp/plancha/top/news/blankfor-ms-japan-tour-2025/

出演:
BlankFor.ms
vq

DJ:
COMPUMA


BlankFor.ms

タイラー・ギルモア(Tyler Gilmore)、別名BlankFor.msは、ニューヨーク・ブルックリンを拠点に活動するアーティスト。劣化したテープ、アナログ・シンセサイザー、そしてスピネット・ピアノを用いて、豊かでテクスチャー感のある音楽を制作している。
これまでにソロ名義で2019年にPuremagnetikからデビュー・アルバム『Works For Tape And Piano』をリリースし、2023年には、ラスベガスを拠点とするアンビエント・レーベル、Mystery Circlesより『In Part』を発表、そして同年ECMのプロデューサー、Sun Chungが設立したレーベル、Red Hook RecordsからJason Moran、Marcus Gilmoreとのコラボレーション・プロジェクト『Refract』をリリース。アナログとデジタルを交差させた繊細で美しい音響作品として高い評価を受ける中、今年9月5日にMatthewdavid主宰のLAの名門Leaving Recordsから最新アルバム『After The Town Was Swept Away』をリリースしたばかりだ。
ギルモアは映画やビデオゲームの音楽も手がけており、アカデミー賞作品賞にノミネートされた映画『Nickel Boys』にも楽曲を提供。また、The Cinematic Orchestra、Arthur Moon、Para Oneといったアーティストのリミックスも行っている。さらにSpitfire Audioとの共同開発により、テープ録音の質感を取り入れたソフトウェア音源「Tape Synths」をリリース。
インスタグラムでは10万人近いフォロワーを有し、SNSを通じて世界中のリスナーと繋がりながら、BlankFor.msは独自の音楽言語でグローバルな存在感を高め続けている。
https://www.instagram.com/blankfor.ms/


Lullatone(兵庫公演に出演)

15枚のアルバムリリースと1億回以上のストリーミングの他、Each Story等の国内アンビエント主要フェスへの出演、また数々の映画やテレビ番組、アート作品のために作曲を手がける音楽家。日々起こる小さいけれど大切にしたい、そんなものごとへのサウンドトラックとして楽曲を制作している。Lullatoneのライブは、いくつもの小型シンセサイザーとロボットドラムを使用し、多彩な音を再現するための小さな実験室のようであると言われる。多くのインタラクティブな要素が組み合わさり、遊び心のあるライブでリスナーを魅了し続けている。


Tatsuro Murakami(兵庫公演に出演)

東京生まれ、ギタリスト・プロデューサー。高校卒業後にブラジルへ渡り、日本人として初めてサンパウロ州立タトゥイ音楽院ショーロ科をクラシックギター専攻で卒業。現地でサウンドトラック制作も学び作曲家としての活動を開始し、現在までにアンビエント系の海外レーベルより5枚のアルバムをリリースしている。約7年間のブラジル滞在の後帰国し、帰国後は国内のブラジル盤リリースや通訳、興行企画等にも携わる。タージ・マハル旅行団(現Stone Music)ギタリスト、USレーベルMystery Circlesの日本支部代表。2025年に最新作”Mita Koyama-cho”をLPリリース。


vq(東京公演に出演)

vqはネカフェやコインランドリー、スーパー銭湯、友達の家を拠点に活動するアーティスト。アニメ『タコピーの原罪』エンディングの公式リミックス、BALMUNG 2025 S/Sでの音楽制作およびモデル出演、ゆるふわギャング主催の「PURE RAVE」や、中国・広州にて開催された626company主催イベント「无题一」など、多様なフィールドで表現の幅を広げている。
最近は先月からハマってしまった雑炊を、作っては食べる日々を送っている。


COMPUMA(東京公演に出演)

ADS(アステロイド・デザート・ソングス)、スマーフ男組での活動を経て、DJとしては国内外の数多くのアーチストDJ達との共演やサポートを経ながら、日本全国の個性溢れる様々な場所で日々フレッシュでユニークなジャンルを横断したイマジナリーな音楽世界を探求している。自身のプロジェクトSOMETHING ABOUTよりMIXCDの新たな提案を試みたミックス「SOMETHING IN THE AIR」シリーズをはじめ、コレクティヴ「悪魔の沼」での活動でのDJや、楽曲制作、リミックスなど意欲的に活動。2022年には初ソロ名義アルバム「A View」2024年には「horizons」をリリース。Berlin Atonal 2017、Meakusma Festival 2018への出演、ヨーロッパ・ラジオ局へのDJミックス提供など国外での活動の場も広げる。一方で、長年にわたるレコードCDバイヤーとして培った経験から、コンピレーションCD 「Soup Stock Tokyoの音楽」の他、BGM選曲を中心にアート・ファッション、音と音楽にまつわる様々な空間で幅広く活動している。Newtone Records、El Sur Records所属。

ROB Smith - ele-king

 6年ぶりに戻ってくるBS0ナンバーシリーズ、そしてRSD a.k.a. ROB Smith (Bristol,UK)の東京公演のフルラインナップ公開! 
 24日より前売りチケット発売開始。eastaudioサウンドシステム搭載で渋谷Midnight East @midnight_east (O-East 3F & Azumaya)にて開催します。

 BS0──それは存在しないはずのブリストルのZIPコード、転じてかの街のサウンドを日本へと持ち込み、サウンドシステムとのコンビネーションでまさにライヴ&ダイレクトで届けるコレクティヴの名前である。ジャングル/ ドラムンベース・シーンからSoi(Dx & Osam Green Giant)、レゲエ / ダブ・シーンから1TA(Bim One Production / Riddim Chango)、そして下北沢の地で、まさにブリストルと日本のシーンをつなげてきたDisc Shop Zeroの故・飯島直樹によって運営され、2015年7月にスタートし、6回ほど開催されている。2020年の中心人物の飯島の急逝、そしてコロナ禍を経て2019年以来、6年ぶりの開催にして、新たなBS0スタートを告げるリブートな「0」の開催となる。
 そんなBS0は、やはり彼以外のラインナップはないだろう。ロブ・スミス──1980年代末からスミス&マイティとして活動を開始し、マッシヴ・アタックのデビューにもかかわり、その作品群はいわゆる“ブリストル・サウンド”を定義するものでもある。そして現在においても進化・深化させてきた最重要アーティストだ。スミス&マイティではレイヴ以降のUKダンス・ミュージックにダブの要素を大きく持ち込み、ピーター・Dとのモア・ロッカーズではジャングルを、そして2000年代後半より、ダブステップへとフォーカスしたソロ名義RSDで、そのサウンドの刷新を行ってきた。ブリストル・サウンドにおけるベース・ミュージック・サイドは彼なしではその歴史は語れないと言っていいだろう。
今回はMidnight Eastでの開催となるが、これまで通りeastaudioによる現代ベース・ミュージックに最適化されたサウンドシステムでそのサウンドの魅力をフィジカルにおいても余すことなく伝える。故・飯島のレーベル〈Angel’s Egg〉からのリリースでのリミックスなど、長く親交のあるG.Rinaをはじめ、ブリストル〈Livity Sound〉でのリリースもあるDayzero、BS0xtraレジデント、ykah、そしてBS0gangらがプレイ。また2F東間屋エリアでは、ロンドン、そして国内各地のアーティスト、DJ、コレクティヴがクロスボーダーなベース・サウンドをお届けする。- 文: 麻芝拓

- Rob Smith Japan Tour 2025 in Tokyo -

BS00RS

2025.11.01 SAT Open 22:00
At Midnight East (O-EAST 3F & AZUMAYA)

- 3F Soundsystem Arena
RSD a.k.a. Rob Smith (Bristol, UK)
G.Rina
Dayzero
ykah
BS0gang (1TA, Dx and OGG)

Soundsystem by eastaudio

Shops :
Glocal Records (tribute to DSZ)
BS0 coffee
Shinjuku Duusraa (Food)

- 2F AZUMAYA
Dubrunner (menace, UK)
B-Lines Delight (DJ END & Sivarider)
SAKANA & PAKIN
GROW THE CULTURE TAKEOVER (maidable & Midnight Runner)
Chikichikirambo (Bungo,Ceriseboy,zenzenheiki)
Reggae shop Nat Kazu
Qrmr

Advance Ticket ¥2,500
Entrance ¥3,500
U-23 ¥2,000

Flyer Design by @agoxlntz

Ticket Info
Zaiko
RA
Glocal Records *Physical Ticket


※U23チケットは当日券のみの販売になります。(要顔写真付き身分証明書)
※20歳未満入場不可。(要顔写真付き身分証明書)
※出演者は予告なく変更になる場合がございますので、予めご了承ください。
※客席を含む会場内の映像・写真が公開されることがあります。

Cecil Taylor/Tony Oxley - ele-king

 予感。沈黙の縁にぶら下がりながら、同じ旅路を託したその相手がいつ応答するのかを思いめぐらす。セックスよりも自発的に。私はセシル・テイラー(1929年生 – 2018年没)をいちどしか見たことがないが、彼の最大のパートナーが沈黙と予感であることを知っている。セシルは、1956年以来、フリー・ジャズ、あるいはファイア・ミュージック、あるいはファー・アウト・ミュージック——呼び名が何であれ——の背後にある比類なき自然の力であり、ピアノを携えて、またバンド・リーダーとして、セシル・テイラー・ユニット名義や数多くのソロ演奏によってアブストラクト・ジャズの急進的な運動を先導した。セシルの人となりは豪快で知られている。彼のピアノ演奏もまたそうで、旋律と不協和のまったく独自の言語を作り上げた。その強度において彼に比肩しうるのは、サン・ラーの音楽だけである。

 このアーカイヴ音源でのトニー・オクスレイ(1938年生 – 2023年没)は、セシルと息を合わせる共演者、あるいは乗客である。なぜなら、1988年に録音されたこのデュオ作品『Flashing Spirits』においては、未知の領域を切り拓いていくべく舵を取っているのはセシルだからだ。『Flashing Spirits』は今年の7月にひっそりとリリースされたため、一見すると大きな出来事には見えないかもしれない。しかしジャズの連続体のなかで捉えれば、その意義は間違いなく重大であった。1988年は、トニー・オクスレイとセシルの長きにわたる友情と音楽的パートナーシップのはじまりを示す年なのだ。
 このふたりは、すでにそれぞれの国においては高く評価される革新者だった。セシルが1960年代初頭にアヴァンギャルドのピアニストへと変貌した一方で、イギリスではトニーがデレク・ベイリーや、多くの仲間たちとともに「Company」録音やその他の作品に参加し、〈インカス・レコード〉からリリースされた(たとえば1975年に発表された彼自身の名を冠した素晴らしいアルバムのような)数々の作品によって進化を遂げていた。テイラーと同じく、トニーも数多くの輝かしい録音を生み出している。したがって、両者がステージを共有することが、活動開始から20年以上も経ってからであったという事実は、きわめて注目すべきことなのだ。

 1988年の夏、セシルはベルリン市の要請を受けて、ドイツ・ベルリンで1か月にわたる連続コンサートに参加した。そしてトニーと組まされたことで、花火が打ち上げられた。7月17日、彼らは初めて演奏し、その最初の魔法は『Leaf Palm Hand』として解き放たれた。『Flashing Spirits』はそれからわずか2か月後のことである。その事実だけで、彼らの相乗作用がいかなるものであったかを示すに十分であろう。なぜなら「ときおり共演する」という音楽上のパターンは、しばしば物事を新鮮に保とうとする前衛的音楽家たちの選択肢だからだ。
 ゼロから出発し、ゆっくりと構築していく——形が現れはじめるとともに予感の障壁を取り払っていく。その「ことが動き出す」までには、およそ2分半を要する。しかしこの文脈において「動き出す」という言葉は理解しにくい。というのも、そこには激しい綱引きがあり、一定したダウンビートが存在しないからである。

 この録音は単なるドキュメントにすぎない。そしてこれは、はじまりがわかっていて終わりに酔いしれるクラシック音楽でもヘヴィメタル音楽でもない。これは運動体としての、本当に生きた音楽なのだ。そして聴き手は、セシル・テイラーの両手が鍵盤を駆け抜け、明確な旋律がいくつもの音域でピンポンのように反響するのを見ながら、椅子の端に腰掛けて右へ左へと視線を走らせる子どもにならねばならない。セシルは座っているが、完全に座っているわけではない。なぜなら、どんな新しいアイディアも彼を飛び上がらせるかもしれないからだ。彼はトニーに盗み見るような視線を送るが、トニーの方がむしろセシルに注意を払っているだろう。というのも、彼は「このマザーファッカーはクレイジーだ」とわかっていて、セシルがいつ気を変えるかわからないからである。

 あなたがこの音楽にピンこないのないのなら、私は無理に好きになれとは言わない。だが、もしこれがあなたにとって日常の糧であるならば、クール・ジャズのレコードとこれとの違いを、心の奥底ではすでにわかっているはずだ。ひとつは、煙草を吸い、特別な香りのワインを手に恋人とともにくつろぎ、あるいは笑い合いながら楽しむためのもの。だが『Flashing Spirits』のような録音は、まったく別の物語だ。それは、普通の人間が入り込むことのできない場所への入門である。まさにそのために、私は『Flashing Spirits』のようなジャズをひとつのコード(暗号)だと感じる。最初は判読不能だが、集中(そしておそらく多少の献身)をもってはじめて理解することができる。プログラミング言語や宗教的なイニシエーション(入門儀礼)と同じように。入門を果たした者たちは、この録音を持っていることの幸運を知るだろう。そしてなんてことだ、この音の素晴らしさ! ドラムとピアノは驚くほど明瞭で、まるで自分が彼らの目の前に座っているかのように感じられる。私はセシルのレコードを山ほど聴いてきたが、これは間違いなく自分のトップ10に入る作品だ。

 少しのあいだ、私の脳は問いかけていた——なぜだ? なぜこれは良いのか? なぜ私は惹きつけられているのか? いったいなぜ? そして私は再び聴きはじめた。深いリスニングを。特製のノイズキャンセリング・ヘッドフォンをつけ、街を歩きながらフレーズを拾い上げると、セシルの後継者たちを気取る新しいピアニストと、セシル自身との違いを聴き分けることができた。セシルは旋律に囲まれて育ったのだ。ゴスペル、ブルース、クラシック、その他いろいろ。旋律の中心から、セシルはカコフォニー(不協和音の奔流)を抱きしめ、そしてそれを抱きしめたとき、彼は自身に刻み込まれた旋律を一緒に連れていった。これはノイズではない。彼は若き日のすべての旋律をリミックスして、新たなチョコレートケーキへと仕立て上げ、旋律を刻んでは歪めているのだ。だから、あの狂騒と混沌を通しても、私は旋律の断片を次々と、かたまりごとに聴き取ることができる。私の母には決して聴き取れないだろうが、それでまったく構わない。

 これは録音されたのは1988年、英国での〈Outside in Festival〉、そのときセシルは58歳か59歳だった。その事実をもういちどよく考えてほしい。私は、39歳で膝や背中の痛みを口にする人びとを知っている。トニーは少し若く、およそ50歳だった。だが私は、30歳で階段を上るのにも苦労する若者を知っている。このアルバムは、その鮮烈さや旋律的な気迫や激烈さ、あるいは「ジャズ的時代精神」の体現として——ファイア・ミュージックの誕生から20年を経た後で演奏されたにもかかわらず——十分に鼓舞的であるはずだ。仮にあなたを鼓舞しないとしても、より深いリスニングと、そして何より「身体を動かすこと」の大切さを思い出させてくれるだろう。


Anticipation. Hanging on the edge of silence wondering when the person you have entrusted to go on the same journey with you will respond. More spontaneous than sex. I have only seen Cecil Taylor (b. 1929 - d.2018) once but I know that his greatest partner is silence and anticipation. Cecil, the preeminent force of nature behind free jazz or fire music or far out music or whatever you may choose to call it since 1956, spearheaded the radical movement with the piano and as band leader in abstract jazz with numerous releases under his Cecil Taylor Unit and solo performances. Cecil`s personality is known to be brash and so is his dominance on the piano making a totally unique language of melody and dissonance that is only rivaled by Sun Ra`s in its intensity.
For this particular recording, Tony Oxley (b. 1938 - d. 2023) is his focused co-partner or passenger since it is Cecil who is navigating very extraterrestrial terrain here in this 1998 duo recording titled “Flashing Spirits” (Burning Ambulance Music) released this past July. “Flashing Spirits” with its quiet release, doesn’t seem monumental but in the jazz continuum, it was. 1988 marked the beginning of Tony Oxley and Cecil’s long friendship and partnership in music. This despite each of them being highly respected innovators in their respective countries. While Cecil transformed into THE avant gardist pianist in the early 1960`s, over in the UK, Tony was evolving with the likes of Derek Bailey and many others who participated in the Company recordings and other releases put out on Incus Records (like his brilliant self named record put out in 1975) in the late 60`s onward. Like Taylor, Tony created numerous brilliant recordings so it is quite remarkable that neither shared the stage til 20 plus years after they began.

It was the summer of 1988 that Cecil took part in a month long series of concerts in Berlin, Germany at the request of the city and in being matched with Tony, fireworks were set off. On July 17th, they first performed and that initial magic was released as “Leaf Palm Hand.” “Flashing Spirits” was only 2 months later. That alone should illustrate their synergy as the pattern in music of “occasionally collaborating” is often the chosen course for left field musicians aiming to keep things fresh.
Starting from zero and slowly constructing, taking away the barriers of anticipation as the forms begin to appear, it takes nearly 2 and a half minutes before things are “going.” But “going” is a difficult word to understand in this context because there is a vicious tug of war and no consistent downbeat.
This recording is just a document and this is not classical music or heavy metal music where you know the beginning and revel in the end. This is kinetic really live music and you have be the kid sitting on the edge of his seat looking back and forth at Cecil Taylor as his hands wiz past keys and clear melodies ring ping ponging on numerous registers. Cecil is sitting but not exactly, because any new idea might make him jump. He will sneak glances at Tony but Tony is more likely to be paying attention to Cecil cause he knows “this motherfucker is crazy” and may change his mind at any minute.
If you don`t like this music then I can`t convince you. But if this is your bread and butter, then you should already know at heart the difference between a cool jazz record and this. One is for smoking and getting chill or giggly with a significant other over wine with a special scent. Recordings like “Flashing Spirits,” are a totally different story. They are initiations into places the average person cannot enter. It is because of this that I feel jazz like “Flashing Spirits” is a code. Illegible at first, it takes concentration (and maybe a little dedication) to be able to comprehend. Similar to any coding language or religious initiation. Those initiated will know they are lucky to have this recording and damn, the sound for this is gorgeous. The drums and piano are pretty freaking clear and it feels like I am sitting right in front of them. I have listened to a bunch of Cecil records but this is definitely going in my top 10.
My brain for a minute was even was asking why? Why is this good? Why am I engaged? Freaking why? And then I started re- listening. Deep listening. Walking down the street with my special noice-cancelling headphones on picking up on the phrases and I could hear the difference between new pianists that try to sit on the mantle of Cecil and Cecil himself. See Cecil grew up surrounded by melody. Gospel, blues, classical and what not. From the center of melody Cecil embraced cacophony and when he did, he took his engrained melodies with him. This isn`t noise. He is remixing all the melodies of his youth into a new chocolate cake with melodies chopped and screwed. So through the frenzy and the chaos, I still hear chunks and chunks of melodies. I am sure my mother wouldn`t but that`s just fine.
When this was recorded in 1988 at the Outside In Festival in the UK, Cecil was 58 or 59. Please read that sentence again cause I know people who are 39, talking about pains in their knees and backs. Tony was a little younger at 50 approximately. Still I know kids who have difficultly walking up stairs at 30. If this record isn`t inspiring for its vibrancy or melodic swagger or intenseness or jazz zeitgeist nature despite being performed 20 years past the birth of fire music, then it should be an inspiration to practice more deep listening and most importantly, to exercise!

Tomorrow Comes The Harvest - ele-king

 明日こそ収穫の日──トゥモロウ・カムズ・ザ・ハーヴェストとは、もともとはトニー・アレンとジェフ・ミルズによる即興パフォーマンスからはじまったプロジェクトで、現在はミルズ、タブラ奏者のプラブ・エドゥアール(Prabhu Edouard)、ガイアナ出身のキーボーディスト、ジャン=フィ・ダリー(Jean-Phi Dary)によって形成されている。2年前に最初のアルバム『Evolution』がリリースされているが、このたび新曲 “The Happening” が公開された。
 プレスリリースに寄せられたジェフ・ミルズのメッセージによると、同曲は、音楽はただそれを体験して消費できればいい、という考えにたいする挑戦のようだ。“The Happening” のコンセプトは、時間と空間のはじまりと終わり、つまり現実がはじまる最初の点とそれが終わる点だという。「ハプニング」とは、あらゆる生物の生と死、すなわり無限を意味する、と。
 ジェフ・ミルズらしいビートとタブラと鍵盤が交差する美しき9分間の旅、サウンドを聴きながら人生について考えてみたい。

Label: Axis Records
Band: Tomorrow Comes The Harvest
Artists: Jeff Mills, Prabhu Edouard, Jean-Phi Dary
Title: The Happening
Format: Single
Release Format: Digital
Release Date: September 23rd, 2023

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 374 375 376 377 378 379 380 381 382 383 384 385 386 387 388 389 390 391 392 393 394 395 396 397 398 399 400 401 402 403 404 405 406 407 408 409 410 411 412 413 414 415 416 417 418 419 420 421 422 423 424 425 426 427 428 429 430 431 432 433 434 435 436 437 438 439 440 441 442 443 444 445 446 447 448 449 450 451 452 453 454 455 456 457 458 459 460 461 462 463 464 465 466 467 468 469 470 471 472 473 474 475 476 477 478 479 480 481 482 483 484 485 486 487 488 489 490 491 492 493 494 495 496 497 498 499 500 501 502 503 504 505 506 507 508 509 510 511 512 513 514 515 516 517 518 519 520 521 522 523 524 525 526 527 528 529 530 531 532 533 534 535 536 537 538 539 540 541 542 543 544 545 546 547 548 549 550 551 552 553 554 555 556 557 558 559 560 561 562 563 564 565 566 567 568 569 570 571 572 573 574 575 576 577 578 579 580 581 582 583 584 585 586 587 588 589 590 591 592 593 594 595 596 597 598 599 600 601 602 603 604 605 606 607 608 609 610 611 612 613 614 615 616 617 618 619 620 621 622 623 624 625 626 627 628 629 630 631 632 633 634 635 636 637 638 639 640 641 642 643 644 645 646 647 648 649 650 651 652 653 654 655 656 657 658 659 660 661 662 663 664 665 666 667 668 669 670 671 672 673 674 675 676 677 678 679 680 681 682 683 684 685 686 687 688 689 690 691 692 693 694 695 696 697 698 699 700 701 702 703 704 705 706 707 708 709 710 711 712 713 714 715 716 717 718 719 720 721 722 723 724 725 726 727 728 729 730 731 732 733 734 735 736 737 738 739 740 741 742 743 744 745 746 747 748 749 750 751 752 753 754 755 756 757 758 759 760 761 762 763 764 765 766 767 768 769 770 771 772 773 774 775 776 777 778 779 780 781 782 783 784 785 786 787 788 789 790 791 792 793 794 795 796 797 798 799 800 801 802 803 804 805 806 807 808 809 810 811 812 813 814 815 816 817 818 819 820 821 822 823 824 825 826 827 828 829 830 831 832 833 834 835 836 837 838 839 840 841 842 843 844 845 846 847 848 849 850 851 852 853 854 855 856 857 858 859 860 861 862 863 864 865 866 867 868 869 870 871 872 873 874 875 876 877 878 879 880 881 882 883 884 885 886 887 888 889 890 891 892 893 894 895 896 897 898 899 900 901 902 903 904 905 906 907 908 909 910 911 912 913 914 915 916 917 918 919 920 921 922 923 924 925 926 927 928 929 930 931 932 933 934 935 936 937 938 939 940 941 942 943 944 945 946 947 948 949 950 951 952 953 954 955 956 957 958 959 960 961 962 963 964 965 966 967 968 969 970 971 972 973 974 975 976 977 978 979 980 981 982 983 984 985 986 987 988 989 990 991 992 993 994 995 996 997 998 999 1000 1001 1002 1003 1004 1005 1006 1007 1008 1009 1010 1011 1012 1013 1014 1015 1016 1017 1018 1019 1020 1021 1022 1023 1024 1025 1026