「S」と一致するもの

Sudan Archives - ele-king

 ブリトニー・パークスのアーティスト名であるスーダン・アーカイヴスは、母親からスーダンとのニックネームを与えられたことに由来しているという。その後、歴史の意味を踏まえてアーカイヴスを加え、黒人のルーツを感じさせるものにしたかったと。ただスーダンが定着する前は自分で自分のことを「トーキョー」と呼んでいたらしく、その理由はもう覚えていないとのことだが、これはある意味で彼女の音楽性を示唆するエピソードに感じられる。つまり、アメリカに住むブラックとしてのシリアスなルーツ探求やアイデンティティの認識がいっぽうであり、もういっぽうにそれと関係ない直感的でランダムな興味がある。そのミックスが彼女のストレンジなR&B、独自のアヴァン・ポップを生み出しているのではないだろうか。
 パークスはLAで生まれオハイオのシンシナティで育ったシンガーソングライター、とくにヴァイオリンを得意とするマルチ奏者、プロデューサーで、LAに移ったのちにLAビート・シーンの重要拠点である〈ロウ・エンド・セオリー〉に出入りするなかで頭角を現した存在だ。彼女は西洋のクラシックの楽理とは別の奏法をアフリカのヴァイオリン奏者の演奏を聴くなかで独自に学び、ヒップホップやR&Bと混ぜることで自分のスタイルを作り上げてきた。〈Stones Throw〉からのリリースとなった『Athena』(2019)では、すでにその個性がじゅうぶん発揮されている。

 ところが2作目となる『Natural Brown Prom Queen』を聴くと、それとて彼女の才能のほんの一部でしかなかったのだと思い知ることになる。本作にあるのはR&B、ヒップホップ、ベース・ミュージック、アフロ・ポップ、ファンク、ジャズ、エレクトロニカ、トラップなどなどの脈絡があるようでないような、ないようであるようなミクスチャーで、全18曲53分という長さもあり、モダン・ポップ・ミュージック・ワールドのスリリングな旅を楽しむことができる。サイケデリックなイントロのシンセ・ファンク “Home Maker” から、中近東風の弦の旋律からせわしないビートへと突入する “NBPQ (Topless)” といたるオープニング2曲ですでに何やら慌ただしいが、その展開の多さこそが面白さだ。ある意味、フライング・ロータスがやってきたことをR&Bフィメール・シンガーの文脈も踏まえて別の角度から取り組んでいるようにも感じられる。
 パークスによる奔放なヴァイオリンの演奏は前作よりも断片的になっており、それを残念だとする声もあるようだが、アルバム全編に偏在することでむしろそのスタイルの幅を広げている。ドリーム・ポップのような甘い響きの導入からダンス・トラックへとなだれこむ “ChevyS10” での官能的な鳴り方と、トライバルな要素を強調する “TDLY (Homegrown Land)” でのヴァイオリンの活躍は別のものだ。ただ、アルバムではそれらがすべて彼女個人のスキルや打ち出しとして統合されているのが見事というほかない。

 リリックのモチーフは幼い頃に双子とともにポップ・スターに仕立てられようとされた経験や、LAで抱く故郷オハイオへのホームシックなどパーソナルなものが多くを占めるなかで、黒人女性がアメリカにおいて客体として扱われたときの自尊心の持ちづらさも現れる。「わたしの肌がもう少し明るかったら、すべてのパーティに参加できるのにってときどき思う」。パークスは、自分がジャネット・ジャクソンのような体型の黒人シンガーだからR&Bに分類されがちなのかもしれないと話す。ステレオタイプやレッテルはつねに自身を縛るものとして存在するのだと。しかしながらこのアルバムでは、黒人女性としての体験、属性によらない個人的な想いが彼女の雑多な音楽性と同じように「混ざっている」。
 パークスは魅力的なシンガーであると同時に、秀でたプレイヤーでありアレンジャーでありプロデューサーでもある。その音楽にはR&Bもあるが、その他のものもずいぶんたくさん入っている。スーダン・アーカイヴスの魅力は何よりそれらすべてがDIYの姿勢で実現しているとたしかに伝わってくることで、アルバム・タイトルにあるプロム・パーティは自ら主催したものだ。ジム-E・スタックが参加したエロティックな歌詞の “Milk Me” は彼女自身の主体的な欲望であることがわかるし、“Selfish Soul” や “Yellow Brick Road” にあるユルくて楽しいパーティ感覚は彼女自身がコントロールしているからこそ心地いい。プロムではふつう「クィーン」は他者に選ばれるが、このふつうとは違うパーティで女王は自ら軽やかに君臨する。

ファイブ・デビルズ - ele-king

 今年前半に公開されたジャック・オディアール監督『パリ13区』の脚本を共同で手掛けたセリーヌ・シアマとレア・ミシウスがそれぞれに監督した『秘密の森の、その向こう』と『ファイブ・デビルズ』が今年後半に立て続けに公開。パリの移民地区を舞台にした『パリ13区』はそれまでのオディアール作品とは比較にならないほど複雑な人間関係を扱い、その妙味は明らかにシアマとミシウスがもたらした変化であった。早くからシアマとミシウスの才能に着目していたオディアールが『リード・マイ・リップス』から21年を経て、70歳にしてこれだけの新境地を開けたことにも驚くし、『秘密の森の、その向こう』と『ファイブ・デビルズ』がいずれも『パリ13区』の一部を拡大し、どちらも示し合わせたようにSF的な要素を導入していたことも驚きであった。シアマとミシウスは子どもの視点を大幅に活用したことでも共通し、演技経験がなかったという子役の選び方まで同じ。子どもというファクターを加えることで2人は男性を必要悪としてでも受け入れなければ次世代がない=人類は存続できないという時間の流れを意識させ、そうした世界観を娘たちの目を通して描くというアクロバティックな観点へと観客を連れ去っていく。同じフランスの女性監督でもヴァレリー・ドンゼッリやミア・ハンセン=ラブにはなかった感覚であり、オディアール作品の死角ともいうべき部分が浮かび上がった感もある。いずれにしろ『パリ13区』、『秘密の森の、その向こう』、『ファイブ・デビルズ』はユニークなトライアングルをなし、どの作品も「女性たちにとって男性とは何か」という問題意識をそれぞれの角度から考えさせられる。

 『パリ13区』からエミリーとその母と祖母という3世代の女性を抜き出して距離感を測り直したものが『秘密の森の、その向こう』のネリーとその母と祖母の関係に相当し、ネリーが父親にヒゲを剃って欲しいと頼むことで、要するにテストステロンを抑制すれば男性も女性たちの輪に加わっていいという単純なメッセージになっている(世代を単なる友人関係に置き換えると『かもめ食堂』のミサンドリーにも通じるだろう)。これに対して、『パリ13区』のノラとアンバーとカミーユの関係をジョアンヌとジュリアとジミーに置き換え、ヴィッキーという娘を加えたものが『ファイブ・デビルズ』の骨格部分をなす。『パリ13区』ではノラとアンバー、『ファイブ・デビルズ』ではジョアンヌとジュリアという2人の女性が奇妙な結びつき方をしていることがそのまま物語の核心をなし、ノラに恋するカミーユも、ジョアンヌと結婚しているジミーも、男は雑音に等しい存在として描かれている。雑音の入れ方がしかし、ミシウスは非常に巧みで、ヒゲを剃っていれば女性たちの輪に加えてもらえるというほど単純ではなく、そのノイズがノイズと見なされる理由も含めてストーリーの歯車に組み込んだところが『ファイブ・デビルズ』をとても見応えのある作品にしている。『ファイブ・デビルズ』は家族を扱ってるようで、実際にはジョアンヌという「個人の生き方」を描いた作品で、「家族のあり方」を描こうとする姿勢はむしろ希薄である。フランス映画というのは昔からそういうものかもしれないけれど。

 ジョアンヌはプール教室のインストラクター。老人たちのレッスンを指導しながら子どもたちの行動にも気を配っている。彼女の隣には黒人の女の子がいて、全員が帰るとその子(ヴィッキー)はプールの片付けを手伝い始める。ジョアンヌは白人なので、養女なのかと思っていると、しばらくして彼女の夫であるジミーは「セネガル人」で、ヴィッキーも実の子どもだということがわかってくる。ジョアンヌは仕事が終わるとヴィッキーを伴って湖に寒中水泳をしに行く。ジョアンヌはいつもほとんど無表情で、物語も中盤を過ぎると(以下、少しネタバレ)寒中水泳で死と隣り合わせの状態に自分を置かないと自分が生きている実感を持てないという感覚を漂わせる。ヴィッキーはいつもジョアンヌが泳ぎ出して20分が経過すると警告を発し、湖から上がったジョアンヌにやはり無表情でガウンを着せる。冷え切ったジョアンヌの表情は寒中水泳を始める前よりもさらに表情を失い、ヴィッキーはジョアンヌが湖に飛び込む前に全身に塗るワセリン状のものを母親の匂いとして認識し、自分の手についたワセリン状のものをすべてビンに入れて保存している。ジョアンヌとジミーはセックスレスで、ジミーも家にいる時は表情がない。親子3人でTVを観ていてもそこには感情の交流はなく、言葉にして出されるのはいかにも親が言いそうな常套句のみである。物語が動き出すのはジミーの電話が鳴り、妹のジュリアが村に戻ってくることになってから。「いいよ」と返事したジミーにジョアンヌはなぜ許したのだと抗議する。しかし、ジュリアはジョアンヌの家にやってくる。そして、ジョアンヌの家に住み、酒がないとわかると夜な夜な酒を飲みに出掛けることから村の人たちにジュリアが戻ってきたという噂が広まっていく。ジョアンヌは同僚のナディーヌに噂の真偽を確かめられるものの、その噂は嘘だと否定する。

 ヴィッキーは嗅覚が異常に発達している。ジョアンヌもヴィッキーの嗅覚が警察犬並みに能力が高いと気づき、ヴィッキーの能力を試してみる(この辺りは話がどっちに向かうのかさっぱりわからなくて最も期待が高まるところ。作品を観る気のある人はこれ以上読まないことをお勧めします)。ヴィッキーはジュリアの匂いを再現しようとし、その途中で「ある匂い」に反応して気を失ってしまう。彼女が目を覚ますと、そこは体育館で、学生時代の母親たちが体操の準備をしている。そこにコーチが新しいメンバーを紹介するといって連れてきたのが若きジュリアだった。ヴィッキーは人の匂いを介してその人の記憶に潜り込む能力を得たのである。ヴィッキーは何度もタイムリープを繰り返し、やがて10年前に何があったのかが少しずつわかってくる。(以下、完全にネタバレ)ジョアンヌとジュリアは女性同士で好意を抱き合っていたものの、理解のない父親に反対され、彼女たちの関係は誰からも祝福されなかった。ヴィッキーのタイムリープにはミッシング・リンクがあり、過去のすべてが明らかになるわけではなく、ジョアンヌとジュリアの関係もどのように展開していったのかはわからないものの、体操クラブが練習の成果を村の人たちに披露している最中にジュリアだけが私服に着替えて集会場から出て行ってしまう。ヴィッキーがたった1人の黒人として学校でいじめられているシーンが何度か挿入され、周囲の子供たちをタイムリープの道連れにしてしまう場面もあるので、もしかすると、若きジュリアも村には珍しい「セネガル系フランス人」としていじめられていたのかもしれない。だとすると、『パリ13区』でノラが強い絆を結ぶことになるのがネットで人気のポルノスターだったという異形のポジションにジュリアが置かれていると考えるのが自然だろう。オディアールもミシウスもフランスを「村」として描く態度が共通し、どちらもサルコジ以降に際立ち始めた共同体の閉塞感をあぶり出していく。ちなみに映画のタイトルは『5人の悪魔』なのに主要な登場人物は4人しかおらず、5人目は誰のことを指しているのだろうと思いながら観ていたら、ファイヴ・デビルズというのは村の名前で、どうやらそれはミシウスが『ツイン・ピークス」の大ファンだったことからアルプスの麓にある村という設定に変換されたものではないかと(推測)。いずれにしろ『パリ13区』も『ファイブ・デビルズ』も「場」を限定することに意味があったことは確か。

(以下、さらに完全なるネタバレ)集会場から飛び出したジュリアは外に飾ってあった巨大なクリスマス・ツリーに火をつける。その火が集会場に燃えうつり、逃げ遅れたナディーヌは顔半分にやけどを負ってしまう。そして、元の世界でも村の噂やナディーヌの責めに耐えきれなくなったジョアンヌが開き直って家族全員でカラオケ・バーに繰り出し、ジュリアと生き生きとしたデュエットを披露する。ジョアンヌはまるで感情の限りを絞り出したかのようであり、ヴィッキーとジミーは無表情の世界に取り残される。ジョアンヌとジュリアがタコ(=デビルフィッシュ)をキッチンに叩きつけ、笑い転げながら調理するシーンも印象的。そこには「敵」が凝縮され、ジョアンヌに続いてジュリアも見事に解放されていく。ヴィッキーはしかし、母親をジュリアに取られると感じてジュリアに対する敵意を倍増させ、悪臭でジュリアを家から追い出そうと自分のおしっこやカラスの死体を集めて魔女のスープのようなものを庭で煮立て始める。異形のものがインターネットからやってくる『パリ13区』では解決できることが、現実の世界しかない『ファイブ・デビルズ』ではそうはいかない。インターネットに逃げ込むことができないジュリアは、そして、再びジョアンヌの前からいなくなる。人間が電子化された存在になるということが共同体にとってどれだけの逃げ場をつくっているのかということがこの2作には差として表れ、その道を閉ざした時に人は死を選ぶというのがミシウスの立てた道すじとなる。ここにミシウスはもうひとつ男性の存在というファクターを濃厚に絡めてくる。ここまで背景に退いていたに近いジミーも姿を消したジュリアを探しまくる。そしてそのために自分がジョアンヌと結婚する前に付き合っていたナディーヌの元を訪ねる。ナディーヌは自分にやけどを負わせたジュリアを憎み切っているし、おそらくはそのせいで男とは縁がなくなっていたのだろう。セックスレスだったジミーはナディーヌの体を見た途端、いきなり襲いかかる。2人にとっては久しぶりのセックスであったことがその激しさから窺える。それと同時にジミーとジョアンヌはセックスレスだったというよりも制度に従った組み合わせだったために内発性が奪われていたのではないかという疑問に転化し、ジミーにとっては社会的には不倫に相当するセックスが結果的に様々なことの封印を解いたようになり、ジョアンヌとジュリアの関係を肯定するだけでなく、村の秩序とは異なる方向へ彼らを向かわせるのではないかと想像させることになる。ジミーとナディーヌのセックスの後、登場人物はみな優しくなり、誰も無表情ではなくなっている。現実にはタイムリープの代わりに何を持って来ればいいのかはわからないけれど、もはや時代はインターネットではないとミシウスは主張している。インターネットという逃げ場がある限り、このような変化は永久に起きなかった。必要としていた人との歌や料理やセックスによってジョアンヌもジミーも肉体や感情を取り戻し、共同体が求める家族像をぶっちぎれたのである。

 よくよく考えてみると随所で説明不足なのに、そうは感じさせないところがこの映画はすごいかもしれない(実際には撮影しているのに、整合性のあるカットをわざと外してしまうのもデヴィッド・リンチの影響らしい)。その最たるものとしてラスト・シーンがあり、僕にはその意味がさっぱりわからなかった。ジュリアにだけは未来から来たヴィッキーが見えるという設定だったので、おそらくはヴィッキーの子どもが過去を探りに来ていると取るのが自然なのだろうけれど……。オディアール作品のほとんどが多様な人種の混淆を描き、それが意図的であることを窺わせるように『ファイブ・デビルズ』でセネガル系に重要な役割を演じさせているのも国民連合(旧国民戦線)が台頭しているフランスの現状に対し明確に政治的な意図をもってやっているとミシウスは発言している。「どの大人の登場人物もどこか道を踏み外しており、どこか不幸です。その良い面は、失敗した人のおかげで、ヴィッキーが生まれたということです。失われたものはない、失われた時間を埋め合わすことができないなら、私たちには選択肢がある、物事は決まってないのです。私たちには行動を起こすことができるのです」(レア・ミシウス)

Can - ele-king

 「クラウトロックという言葉は使わないで欲しい」——これがダニエル・ミラーからの唯一の要望だった。いまから2年ほど前、日本でのCANの再発に併せてライナー執筆および別冊を作る際に、全カタログをライセンス契約しているロンドンの〈ミュート〉レーベルの創始者は、イギリス人によるドイツ人への侮蔑と悪意がまったくなかったとは言いがたいこのタームを使うことに物言いをつけたのだった。
 このタームには、もうひとつの問題がある。たとえばクラフトワークとアモン・デュールを同じ括りでまとめてしまうことは、ボブ・ディランもガンズ・アンド・ローゼズも同じアメリカン・ロックと束ねてしまうことのように、作品性を鑑みれば決して適切な要約とは言えない。しかしまあ、70年代の日本のメディアでは、ジャーマン・ロックという、だだっぴろい意味を持つ言葉を使って区分けされていたわけで、そのことを思えばジュリアン・コープが普及させたこのタームのほうが対象を絞り込んでいるだけまだマシかもしれない。もちろんそれを否定する権利は、このレッテルを押しつけられたドイツ人ミュージシャンにはある。が、いまでは多くの当事者が受け入れているし、クラウトロックといったときの、ぼんやりとしたイメージもたしかにある。そもそもこうしたターム(ジャンル名)はレコード店の棚のためにあって、それが買い手にとって機能していることもたしかだ。かくいうぼくも何百回となくこれを使用してきたし、このレヴューでも、ダニエル・ミラーの考え方を理解した上で敢えて使わせてもらいたい、たとえばこんな具合に。クラウトロックを語るとき、「我々には父がいない」という言葉がたびたび引用される。

 「我々には父がいない」——これを言ったのはクラフトワークだが、クラウトロック全般に共通する、ひとつのメタファーとしても有効だ。ナチスに同意した過去を持つ親の世代と自分たちを切り離し、あらためて再出発することを必要とした彼らクラウトロック世代共通の感覚として。
 ぼくはこの、「父なきロック」という言い回しが気に入って、自分の原稿のなかでなんどか使ってきている。その理由には、おそらくぼく自身が父と良好な関係をなかなか築けなかったということもあるのだろう。いまから10日ほど前、じっさいに父を亡くしたときに去来したいろんな感情のなかで、しかしひとつ思い当たったことは、父がいなければ自分もいなかったという、じつに当たり前の事実だった。

 CANには、音楽的観点で言えば尊敬すべき先達が何人もいた。それこそクラシック音楽の前衛たちからジョン・ケージ、ミニマル・ミュージック、ジャズのレジェンドたち、ヴェルヴェッツやジミ・ヘンドリクス、ジェイムズ・ブラウン等々、要するに未来に開けた音楽。父との強固な確執があったイルミン・シュミットは、なおのこと(過去よりも)時代の新しい空気に貪欲だった。バンド編成も型破りだった。もしもCANが、ごく一般的な、メンバー全員が同じ音楽ジャンルをバックボーンとする4人組だったら話は違っただろう。シュミットとホルガー・シューカイはクラシック音楽の前衛をかじったエリートだったが、ほかは経験豊富なジャズのドラマー、ひと世代も若いロックのギタリスト、そしてずぶの素人がバンドのヴォーカリストとして招ねかれた。これは偶然ではない、考えにもとづき意図してこうなった。
 バンド内にリーダーを作らず、また、譜面も持たず、メンバーの相互作用から何かが生まれるという可能性にかけたのがCANだった。彼らは、どこに着地するのかわからないからこそ、離陸することを選んだ。ジャムセッションが彼らの作曲方法で、作曲者はつねにCAN、ギャラも印税も作品の貢献度に関係なくメンバー全員で等分された。安易にコミュニティ(共同体)という言葉を使うことをぼくは好まないが、CANに関してはその平等性において、思わずそう言いたくもなる。そして、リーダー不在を意識したこのバンドは、ジャムセッションからはじまっているのだから、彼らがライヴ盤を出していなかった原因もわからなくもない。CANの音楽は、そもそもがスタジオ内のライヴにはじまっているのだ。

 本作『ライヴ・イン・クックスハーフェン1976』はCANのライヴ・シリーズの3作目で、1976年1月、ハンブルクよりずっと北の北海に面した街における録音になる。シュミットとエンジニアのレネ・ティナーによって、ファンがこっそり録音した記録を最新技術によって蘇生させるこの企画は、当時のライヴ演奏におけるCANをみせることを目的としている。それは、“ある意味”彼らの本来の精神に忠実な姿と言えるのだろう。(※“ある意味”というのは、CANのアルバムはジャムセッションの記録を編集し、手を加えたことで完成しているからだ
 ダモ鈴木が脱退し、4人組となったCANは、初期のジャムセッションに立ち返ったかのように、集中力を要する一発勝負の即興をステージの上で展開していた。1975年には、イギリス、フランス、ドイツなど欧州において、計30回にも及ぶ公演をやったというから、ライヴ・バンドとしてのCANの乗りに乗った絶頂期だった。シリーズ1作目の『ライヴ・イン・シュツットガルト1975』が1975年10月末のライヴ、2作目の『ライヴ・イン・ブライトン1975』が同年の11月、本作が1976年1月と、これら3枚は、およそ3ヶ月以内におこなわれた演奏の記録になる。まずはそれをこうして再現させたのだから、企画の指揮をとったシュミットには、この時期の演奏に関してそれなりの自負があるのだ。ただし、『クックスハーフェン』は前2作と違って収録時間が極端に短い。『シュツットガルト』と『ブライトン』が90分近くあるのに対して、本作はほとんど30分で収まっている。ただ漠然と記録を再現するというよりは、今回は、CANにとっての「良い瞬間」に的を絞って編集したものだと思われる。

 CANにとっての1975年は、2月から4月にかけて『ランデッド』を録音、1976年6月からは『フロウ・モーション』のレコーディングに入っている。つまりこの時期のCANからは——『スーン・オーヴァー・ババルーマ』までの宙に浮く流動体のような感覚を残しつつ、異国情緒を取り入れながら彼らにしたらロック・バンド然とした『ランデッド』でのアプローチと、レゲエ/ダブ(そしてディスコ)を大胆に取り入れた『フロウ・モーション』での展開をほのめかすという、この時代ならではの演奏が聴けるわけだ。
 とくに今回は、反復とその変化を楽しむことができる。全4曲あるうちの4曲目では、ジャマイカ音楽からの影響が明白なリズムにはじまっているが、途中で入るミヒャエル・カローリのギターが曲を別の次元にもっていく。3曲目ではCAN流のファンクを披露しつつも、シュミットのシンセサイザーが入ると曲は抽象化されてスペーシーに展開する。1曲目と2曲目にも律動的なリズムの反復があって、ひらたく言えば躍動感のある、ダンサブルな音楽性へと向かっている。シューカイは『フロウ・モーション』を経てからは、関心が演奏よりもポスト・プロダクションに移行するので、これは、ベーシストとしての彼のほとんど最後のほうのパフォーマンスということになるのだろうか。ことにヤキ・リーヴェツァイトとの掛け合いは有機的で、まさにひとつの生命体の骨格を成している。

 そう、間違いなく、CANそれ自体がひとつの生命体として、ここにうごめいているのだ。この感覚は、CANなきあとも継承されている。今年に入ってからも、ぼくはCANを感じる新世代のバンド・サウンドに出会っているのだが、たとえばその一例としてキャロラインがいる。ロンドンの20代によるこのバンドも、言うなればリーダー(中心)不在の民主的な演奏を意識しているようだし、いささか感傷的とはいえ、自由形式の音楽をやっている。グラスゴーのスティル・ハウス・プランツにいたっては、可能性にもとづいた実験精神という点においてCANに近い。
 しかしながら、CANのように自らを限定せず、どこまでもおおらかで、面白いと思ったサウンドならどんなものでも取り入れていくようなバンドは、そうそういるわけではない。ひとつの決められた方向性を極めるのではなく、ごく自然に、流動的に変化することを好み、メンバーのひとりひとりが相互的に共鳴しながら(ときに格闘しながら)いろんな方角に開かれていくようなバンド、テクノロジーを頼りにするのではなく、自分たちのアイデアをもってサウンド工作の可能性を探索するバンド、そんな共同体は、いまも決して多くはないだろう。

 ゆえにCANは今日でも古びることなく聴かれている。ミヒャエル・カローリが言うように、「自分がほかの命によって生かされていること」、そしてそれを知ること、それこそがCANから学べる究極の哲学なんだとぼくも思う。CANはたしかにロック・リスナーの耳穴をおっぴろげ、みんなの聴力を向上させたバンドだったが、この音楽から引き出せる本当に大切なことはまだ残っているのだ。

DJ Stingray 313 - ele-king

 こいつはめでたい。デトロイト・エレクトロの雄、現在はベルリン在住のDJスティングレイ313は、ドレクシアの意志を継承する者である。2007年から2008年にかけベルギーの〈WéMè Records〉よりリリースされた彼の12インチ2作品「Aqua Team」「Aqua Team 2」──前者はスティングレイ名義のデビュー作にあたる──がリマスターされ、3枚組LPとしてリイシューされることになった。今回のリリース元は本人の主宰する〈Micron Audio〉で、11月28日に発売。なお同レーベルからは、それに先立つ11月14日にコンピレーション『MCR00007』のリリースも予定されている。あわせてチェックしておこう。

artist: DJ Stingray 313
title: Aqua Team
label: Micron Audio
release: November 28th, 2022
format: 3×12″ / Digital

tracklist:
A1. Serotonin
A2. Straight Up Cyborg
B1. Star Chart
B2. Silicon Romance
C1. Potential
C2. Wire Act
D1. Binarycoven
D2. NWO
E1. Mindless
E2. Counter Surveillance
F1. LR001
F2. It's All Connected

artist: Various
title: MCR00007
label: Micron Audio
release: November 14th, 2022
format: 12″ / Digital

tracklist:
A1. Galaxian - Overshoot
A2. LOKA - ENERGY WORK (ANYANWU)
B1. Ctrls - Transfer
B2. 6SISS - React

Les Rallizes Dénudés - ele-king

 昨秋オフィシャル・サイトの開設とともに、水谷孝が亡くなっていたことが判明し話題となった裸のラリーズ。今年春にはアーカイヴ音源集『The OZ Tapes』がリリースされたことも記憶に新しいが、このカルト的な人気を誇るバンドはこのおよそ50年のあいだ、公式のアルバムとしては1991年にCDで3枚をリリースしたのみ。それら『'67-'69 STUDIO et LIVE』『MIZUTANI -Les Rallizes Denudes-』『'77 LIVE』の3作が、LAのレーベル〈Temporal Drift〉より一挙リイシューされる(日本を含むアジア地域における制作と流通は〈Tuff Beats〉)。リマスタリングを担当するのは、元メンバーである久保田麻琴。フォーマットはデジタル、CD、ヴァイナルの3形態。〈Tuff Beats〉による日本盤CDは、本日10月12日に発売される(LPは12月7日発売)。ちなみに11月29日には渋谷WWW Xでリスニング・パーティも予定されている。

●公式サイト The Last One Musique
https://www.lesrallizesdenudes-official.com/

●Tuff Beats
https://www.tuff-beats.com/special

SAULT - ele-king

 今春、がらりと作風を変えクラシック音楽の要素を取りいれた作品『Air』をリリースし驚きを与えたSAULT。このUKの匿名グループが新曲を発表している。題して “Angel”。静けさが際立つバックトラックに、ルーツ的なパトワのヴォーカルが乗る、一風変わった楽曲だ。長さは10分10秒、公開が10月10日、収録シングル名も「10」ということで、またなにか狙いがありそう。チェックしておきましょう。

映画とドラマで学ぶイギリス史入門 - ele-king

古代からエリザベス女王まで、知ってるようであまり知らないイギリスの歴史を人気の映画やドラマから楽しく学べる一冊!

百年戦争とバラ戦争が舞台の「ホロウ・クラウン/嘆きの王冠」
20世紀初頭の貴族と使用人の生活を描いた「ダウントン・アビー」
第二次大戦中の兵士救出作戦「ダンケルク」
エリザベス女王の人生をドラマ化した「ザ・クラウン」など、
人気の映画やドラマをもとにイギリスの歴史が学べます。
これ一冊でイギリス映画/ドラマがもっと面白くなる!

目次

はじめに
序章 英国の概要

第一章 古代のイギリス
1. ローマ侵攻 『第九軍団のワシ』
2. アングロ・サクソンとアーサー王 『キング・アーサー』
3. ウェセックス朝対ヴァイキング 『ラスト・キングダム』
コラム 数奇な運命をたどった女性その1 エマ・オブ・ノルマンディ

第二章 中世のイギリス
4. ノルマン征服とノルマン朝 『1066 ザ・バトル・オブ・ミドル・アース』
5. プランタジネット朝のはじまり 『ダークエイジ・ロマン 大聖堂』
コラム 数奇な運命をたどった女性その2 イングランドの女主人モード
6. ヘンリー2 世と息子たち 『冬のライオン』
コラム 数奇な運命をたどった女性その3 エレノア(アリエノール・ダキテーヌ)
7. リチャード獅子心王と十字軍 『ロビン・フッド』
8. ジョン王とマグナカルタ 『アイアンクラッド』
コラム イングランドのキリスト教
9. エドワード1 世のスコットランド侵攻 『ブレイブハート』
10. イングランドとフランスが戦った百年戦争 『ホロウ・クラウン/嘆きの王冠 シーズン1』
11. ヨーク家とランカスター家が戦った薔薇戦争 『ホロウ・クラウン/嘆きの王冠 シーズン2』
コラム 数奇な運命をたどった女性その4 マーガレット・オブ・アンジュー

第三章 近世のイギリス テューダー朝・スチュアート朝・ハノーヴァー朝
12. テューダー朝のはじまり 『ホワイト・プリンセス エリザベス・オブ・ヨーク物語』
13. ヘンリー8 世とトマス・クロムウェル 『ウルフ・ホール』
コラム 数奇な運命をたどった女性その5 アン・ブーリン
14. ヴァージンクイーン、エリザベス1 世 『エリザベス』
15. エリザベス女王のライバル、メアリー・オブ・スコッツ 『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』
コラム 数奇な運命をたどった女性その6 ジェーン・グレイ
16. 英国の至宝シェイクスピア 『シェイクスピアの庭』
17. スチュアート朝のはじまり 『ガンパウダー』
18. イングランド内戦と共和制 『クロムウェル』
19. チャールズ2 世と王政復古 『恋の闇 愛の光』
20. 名誉革命と大ブリテン王国の誕生 『女王陛下のお気に入り』
21. ジャイコバイト蜂起 『アウトランダー』
コラム ウェールズ、スコットランド、アイルランド

第四章 近世のイギリス 大英帝国への道のり
22. ドイツからやってきたハノーヴァー朝 『英国万歳!』
コラム 英国とアメリカの関係
23. 大英帝国の黒歴史、奴隷貿易 『アメイジング・グレイス』
24. 七つの海を制したイギリス海軍 『マスター・アンド・コマンダー』
コラム 数奇な運命をたどった女性その7 エマ・ハミルトン
25. 東インド会社とインド植民地 『TABOO タブー』
26. ヴィクトリア女王と産業革命 『ヴィクトリア女王 世紀の愛』
27. ヴィクトリア朝時代の階級格差 『オリバー!』
28. 選挙制改正と女性参政権 『未来を花束にして』
コラム 選挙法改正への道のり

第五章 近代のイギリス 二つの大戦
29. 貴族と階級社会 『ダウントン・アビー』
30. 貴族の没落 『ダウントン・アビー/新たなる時代へ』
31. 第一次世界大戦 『1917 命をかけた伝令』
32. 2つの大戦の間の時代 『ピーキー・ブラインダーズ』
33. エドワード8 世とジョージ6 世 『英国王のスピーチ』
コラム 数奇な運命をたどった女性その8 ウォリス・シンプソン
34. ヒトラーの台頭と第二次世界大戦 『ダンケルク』
35. 第二次世界大戦の勝利 『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』
コラム アイルランドの独立

第六章 戦後のイギリス
36. 英国が誇るNHS 国民健康サービス 『コール・ザ・ミッドワイフ ロンドン助産婦物語』
37. エリザベス女王と英王室 『ザ・クラウン』
コラム 数奇な運命をたどった女性その9 エリザベス2 世

索引
あとがき

著者
名取由恵
イギリスを基盤にフリーランスで活動するライター。1993年渡英。UKロック、海外ドラマ、TV、映画などの英国エンタメを中心に執筆を行う。英国エンタメ・英国文化研究家でもある。

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interview with Sorry - ele-king

 シェイムゴート・ガール、HMLTD、それらに続くブラック・ミディブラック・カントリー・ニューロード、振り返ってみるとサウス・ロンドンのインディ・シーンはライヴ・バンドのシーンだったように思える。そのなかにあってソーリーは少し異彩を放っていた。このノース・ロンドン出身のバンドはシーンのなかで一目置かれ中心的な役割を果たしながらもそれと同時にベッドルームのSSWの側面も持ち合わせていた。ギターとヴォーカルを担当するアーシャ・ローレンス、ルイス・オブライエン、ふたりのソングライターの創作のルーツは SoundCloud にあってそこからソーリーははじまったのだ。

 2020年にリリースされ高い評価を得た前作『925』に続きリリースされた 2nd アルバム『Anywhere But Here』はポーティスヘッドのエイドリアン・アトリーをプロデューサーに迎え、ブリストルのアリ・チャントのスタジオで録音されたそうだが、このアルバムを聞いて頭に思い浮かべるのはソーリーの持つそのもうひとつの側面だ。孤独と虚無感、陰鬱なムードが漂うこのアルバムはしかし絶妙な重さをもって心のなかにえも言えぬ余韻を残していく。このバランス感覚こそがソーリーの持つセンスで、それが深みと奥行きをもたらし、たまらないバンドの魅力を生み出しているのだ。

 あるいはそれはロンドンのコミュニティのなかで育ったソーリーの内側からにじみ出てきたものなのかもしれない。ともにクリエイティヴな活動をしてきた仲間たち、アーシャは彼女の学生時代からの友人フロー・ウェブと一緒に FLASHA を名乗りソーリーのすべてのビデオを作り上げ、音楽の世界にもうひとつのレイヤーを付け加える。1st アルバム後に正式にメンバーとなったエレクトロニクス奏者のマルコ・ピニ(マルコも同じく学生時代からの友人だ)は〈Slow Dance〉のコミュニティを築き、ベース奏者のキャンベル・バウムもロックダウン中にトラディショナル・フォークのプロジェクト〈Broadside Hacks〉を立ち上げた。そこからどんどん矢印が伸びていき、いまのUKのアンダーグラウンド・シーンを盛り上げるインディペンデントなバンドや人物と重なり合う。積極的に前に出るタイプではないのだろうけれど、ソーリーは現在のインディ・シーンのなかで一目置かれ、重なり合うその円のなかで重要な役割を果たしているというのは間違いない(それが刺激になってお互いにどんどんクリエイティヴになっていく。たとえばアーシャの声は今年の夏に出ウー・ルーのアルバムでもスポーツ・チームのアルバムでも聞くことができるし、〈Broadside Hacks〉の活動のなかにキャロラインのメンバーの姿を見つけることもできる)。

 そんなソーリーのルイス・オブライエンに 2nd アルバム、DIYのスタイル、敬愛するSSWアレックス・Gの影響、ロンドンのインディ・コミュニティ、SoundCloud の世界についての話を聞いた。遊び心に好奇心、飄々と皮肉とユーモアをそこに交えるソーリーのクリエイティヴなスタイルはなんと魅力的なことだろう。

「シンガーソングライター」という表現は、ここ最近本来の意味が少し失われてきているようにも感じているんだけど、僕たちはシンガーソングライターの本質を意識していたと思うよ。カーリー・サイモンやランディ・ニューマンをよく聴いていたし、エリオット・スミスは僕もアーシャも大好きだから。

2nd アルバムのリリースおめでとうございます。前作『925』から2年半の間が空いてのリリースで、その間ライヴができない状況が続くなどありましたが、2nd アルバムを作るにあたってその影響はありましたか?

ルイス・オブライエン(Louis O’Bryen、以下LO):『925』をリリースした後、全くライヴやツアーができなかったから、(アルバムをリリースしたという)実感があまり湧かなかったんだよね。だから 2nd アルバムの制作に入るときも特に何も期待せずにはじめることができた。おかげで 1st アルバムの重みを感じずに頭でっかちにならないで制作に取り掛かることができたよ。リリースされていたけど、この世には出ていないみたいな気がしてたから 1st アルバムをもう一回作るみたいな感じだったんだ。それでストレスが軽減されたから僕たちにとって良かったと思う。

今作はクラシックなサウンドにモダンなプロダクションを加えることを目指したそうですが、ポーティスヘッドのエイドリアン・アトリーとアリ・チャントとのレコーディングはいつ頃、どのような形ではじまったのですか?

LO:アルバムの作曲が終わった時点で、アーシャは「今回のアルバムの曲はすべて、昔ふうのソングライティングのスタイルからできたものだったね」と言っていたな。そういう意味でクラシックと言ったんだろうね。今回のアルバムは僕たちがいままでやってきたソングライティングのスタイルに忠実でありつつも、モダンでみんなが共感できるような音楽にしたかった。ポーティスヘッドは僕たちが参考にしていたアーティストのひとつで、エイドリアン・アトリーと連絡を取ったら、意気投合して、彼と一緒にアルバムを仕上げようということになり、エイドリアンがアリ・チャントを紹介してくれた。あのふたりはよく一緒に仕事をしていて、良い作品をいくつも手がけているからね。アルバムの曲には個別じゃなくて、全体でひとつのものとして一体感を持たせたかった。エイドリアンとアリはアルバムのサウンドに一貫性をもたらしてくれたんだ。それぞれの曲が同じソース(源流)からきているような感じにしてくれたよ。

アリ・チャントは今年リリースされたヤード・アクトやケイティ・J・ピアソンのアルバムも手がけていますが、ブリストルのアリ・チャントのスタジオはどのような場所でしたか?

LO:アリ・チャントのスタジオはとてもクールだったよ。彼は父親的存在なプロデューサーで、とても感じの良い人だった。スタジオによっては、コントロール/ルームがひとつ、ドラムの部屋が別にひとつ、さらにバンドがまた別の部屋で演奏するという構造でバラバラな感じがすることもある。でもアリのスタジオはすべてがひとつの部屋に収まっているんだ。だからみんながひとつの場所に一緒にいるという状態。それが素敵だと思った。僕とアーシャは以前ベッドルームをスタジオにしていたからね。いまは僕も自分のスタジオを持っているんだけど、それでも小さな部屋がひとつだ。そういうセッティングに慣れていたからアリのスタジオでもみんなが同じ部屋にいてレコーディングできるというのが良かった。自然な感じがしたんだ。アリのスタジオはその点が素敵だと思った。

先日、アレックス・Gの新しいアルバム『God Save the Animals』のリリースを祝うツイートをしていましたよね?

LO:ははっ(笑って頷く)

〈Domino〉と契約したのはアレックス・ Gのいるレーベルだからとジョーク飛ばしていたこともあったりと、様々な方面から敬愛ぶりがうかがえますが、アレックス・Gのどのようなところに魅力を感じていますか?

LO:僕たちが16、17歳の頃、周りの友だちはみんなアレックス・Gの音楽を聞いていたんだ。それが僕らの共通点だった。アレックスがUKに来たとき、彼は僕たちの友人の家に泊まっていて、それでアレックスと少し仲良くなることができたんだ。彼は本当に多作な人で、〈Domino〉と契約する以前から6枚くらいアルバムをリリースしていた。それが僕たちに大きなインスピレーションを与えてくれたんだ。彼のソングライティングにはつねに一貫性があってメロディや歌詞がもの凄く面白くて、本当にうまく作られているんだ。アーティストである僕にとって彼のそういう点にインスパイアされる。あんなふうに一貫性を保っていられるのは凄いことだと思うよ。

ちなみにアレックス・Gの新しいアルバムはどうでしたか?

LO:良かったよ。最高だった!

Photo by Peter Eason Daniels

子どもの頃MTVばかり観ていたんだけど、その当時のミュージック・ビデオはめちゃくちゃ格好良かった。あのアートは失われてしまいいまでは YouTube の動画などに変わってしまった。YouTube 動画とミュージック・ビデオは全くの別物だよ!

アルバムのなかの1曲 “There’s So Many People That Want To Be Loved” はアレックス・Gの他にもエリオット・スミスの特に『Figure 8』の空気を感じさせるような曲で、孤独感と疎外感、それと虚無感が混ざりあったようなフィーリングがとても印象的でした。2nd アルバムはこうしたシンガーソングライターの影響を強く感じますが、意識していた部分はありますか?

LO:もちろん。「シンガーソングライター」という表現は、ここ最近本来の意味が少し失われてきているようにも感じているんだけど、僕たちはシンガーソングライターの本質を意識していたと思うよ。カーリー・サイモンやランディ・ニューマンをよく聴いていたし、エリオット・スミスは僕もアーシャも大好きだから。それにアルバムのレコーディングに入る前に、作曲が完成している状態で曲をすべて人前で披露できる状態にしておきたいと考えていたんだ。70年代のシンガーソングライターたちは、90年代もそうだったかもしれないけど、みんなそういう状態でスタジオに入っていた。彼らはスタジオに入ってから曲を完成させるという有利な状況にはいない人たちだった。つまりレコーディングに入る時点で曲をすべて完成させていなければならかったんだ。僕たちも今回、サンプルの音なんかでも、スタジオに入ってレコーディングする前に完成させて演奏できるようにした。そういう意味では作曲や構成、メロディが完成されたシンガーソングライターと呼ばれているアーティストたちのアプローチにインスパイアされていると言えるね。

“There’s So Many People That Want To Be Loved” のビデオはロンドンの街の人びとが抱える孤独が、街の風景のなかに投影されているように感じました。このビデオも含めアーシャとフロー・ウェブの作るビデオについてお聞きしたいです。今回ルイスは宇宙飛行士役を演じていましたが、いつもどのような形でビデオの制作ははじまるのですか? アーシャは曲を聞くと色やヴィジュアルが見えるという話をしていましたが、曲作りの段階でそのイメージは共有されているのでしょうか?

LO:色やヴィジュアルが見えるというのは、何て言うんだっけ……「シナスタジア(共感覚)」って言葉があるんだよね! 僕は、嘘くさいと思うけど(笑)。適当に言ってるだけなんじゃないかな(笑)。

(笑)。アーシャは色が見えると話してくれましたけど。

LO:はは、そうだよね。僕たちの曲はイメージがベースになっているものが多いのは確かだよ、曲にヴィジュアルがついている感じというか。ビデオはすべてアーシャが作っているから僕じゃなくて彼女の言葉を信用するべきだけど。でも僕たちが曲を書いているときにはもうすでに曲のヴィジュアルがイメージできているんだよ。アーシャはそのアイデアを展開して歌詞として浮かび上がらせるのが得意なんだと思う。“There’s So Many People That Want To Be Loved” のビデオに出てくるイメージはすべて曲の歌詞が表現されたものなんだ。僕たちにとってミュージック・ビデオはとても重要なものだから。子どもの頃MTVばかり観ていたんだけど、その当時のミュージック・ビデオはめちゃくちゃ格好良かった。くだらないと思っていた人たちもいるかもしれないけど、僕たちにとっては最高だったんだ。あのアートは失われてしまいいまでは YouTube の動画などに変わってしまった。YouTube 動画とミュージック・ビデオは全くの別物だよ! だから僕たちはミュージック・ビデオに忠実でありたいと思っている。

“Screaming In The Rain” はルイスの物悲しげな歌声がとても魅力的で、理解することができないコミュニケーションの不全を唄っているようで印象に残っています。この曲の背景にあるものはどのようなものなのでしょうか?

LO:この曲は、愛する人と一緒にいる状況で、自分がどうすれば良いのかわからない感覚や、友人が助けを必要としているときに、自分がどう対応すれば良いかわからない感覚を歌っている曲なんだ。そういう絶望感がモチーフになっているけれど、同時に助けになりたいという思いもある。この曲は僕たちのお気に入りで、たくさんのヴァージョンを経てこの形になった。別のヴァージョンとして今後、発表していきたいと思ってるよ。僕とアーシャのヴォーカルが物悲しげなのが特徴的だよね。

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イラストはアーシャが描いているんだけど、僕たちはそれを「曲のロゴ」と呼んでいて。曲それぞれにキャラクターというかロゴがあるようにしているんだ。

この2ndアルバムには収録されていませんが、タイトルとして名前が残った “Anywhere But Here” という曲があって、その曲がアルバムの出発点になったとお聞きしました。その曲はどのような曲なのでしょうか? 今後リリースされることはありますか?

LO:どこから聞いたんだい!?

アーシャが話してくれたんですよ。

LO:そうだったんだ(笑)。けどこれはまだ秘密にしておきたいから、どこまで話せるのかわからないな。でもアーシャが話していたなら、まぁいいか。うん “Anywhere But Here” という曲を書いたんだけど、それがアルバムの焦点となったんだ。それでアルバムをレコーディングしているときに、アルバム名を『Anywhere But Here』にしようと決めたんだ。最終的にこの曲はアルバムにフィットしなかったから収録しなかったんだけど。でも名前だけは残ったんだ。他のアルバム名も考えたけどしっくりこなかったからこの名前のままにした。今後この曲をリリースしたいとは思っているけど、「アルバムのリード・トラック(タイトル・トラック)がアルバムに収録されていない」というのが結構気に入っているんだ。面白いんじゃないかって思って(笑)。

1st アルバムにしてもミックステープにしてもソーリーは作品全体に一貫した雰囲気を持たせるということにこだわっているように思います。それは今回も同様だと感じたのですが音作りに関して、あるいは曲順など 2nd アルバムの制作で意識した点を教えてください。

LO:いままでは自然にそうなっていたんだと思う。でもさっき言ったみたいに今回のアルバムに関しては、ひとつの完全なものとして作り上げたかったんだ。アルバムの曲をレコーディングするとき、僕たちはバンドとして一緒にレコーディングしたんだ。曲の大部分を2週間という期間でレコーディングしたことで、すべての曲が同じソースからきているようなサウンドにすることができたんだと思う。エイドリアンとアリも、サウンドに一貫性を持たせるようにしてくれた。アルバムのソングライティングが完成した時点で一貫した雰囲気が感じられるっていうのは僕たちにとって大切なことなんだ。今作の全体的なサウンドについては、意識した部分もあるけれど、ギターの音だったり、僕たちのソングライティングのやり方もあって自然にそうなっているところもある。あまり考え過ぎると本質が失われてしまうと思うんだ。

前作、『925』もそうでしたがソーリーはアルバムそれぞれの曲についてモチーフ的なイラストをつけていますよね? “Key To The City” の鹿だったり、“Willow Tree” の切られた木に寄りかかる人だったり、それがとても魅力的で。これは音楽だけではなく、ビデオやアートワークを含めヴィジュアルを通した表現としてアルバムをとらえているからなのでしょうか?

LO:アートが音楽と絡んでいるというのが好きなんだと思う。イラストはアーシャが描いているんだけど、僕たちはそれを「曲のロゴ」と呼んでいて。曲それぞれにキャラクターというかロゴがあるようにしているんだ。子どもの絵本とか、いろんなキャラクターがいるアニメみたいだろ? 曲を展開させるひとつの方法というのかな。こういうものがあると曲に独自の世界観を持たせることができると思うんだ。

僕たちは何らかの忘備録的存在になるということが好きなんだと思う。それがインターネット上の YouTube にミックステープをアップすることであれ、ヴァイナルをリリースすることであれ、僕たちの作ったモノが世に出ているということだから。

アルバムのリリースの前に7インチを2枚リリースしましたよね? サブスク全盛時代のいまはアルバムの前にこの様な形でフィジカルのシングルをリリースするバンドも少なくなってきたように思うのですが、リリースのスタイルにこだわっているところはあるのでしょうか?

LO:僕たちは何らかの忘備録的存在になるということが好きなんだと思う。それがインターネット上の YouTube にミックステープをアップすることであれ、ヴァイナルをリリースすることであれ、僕たちの作ったモノが世に出ているということだから。みんなが集めることのできるいろいろなモノのなかに僕たちが作ったモノが加わった感じ。ヴァイナルについてはスタンプを集めるスタンプ帳みたいな感じがあるしね。イギリスでは子どもの頃みんなが夢中になるサッカー選手のカードを集めるゲームがあるんだ。カードを集めてカード帳に入れていく。いちばんの困難は母親にカードを買ってもらうことだったけどね(笑)。カード帳が1ページ埋まったときはすごく嬉しかったよ。ヴァイナルもそれに似たようなものだと思っていて、ヴァイナルを全部集めることができたら見栄え的にもクールだと思うんだよね。それに僕たちはアートワークを重要視しているから、ヴァイナルやヴィジュアル・ミックステープをコレクトするということは、僕たちの芸術性とマッチしていると思うんだ。だからいろいろなモノをリリースするということに関しては今後もどんどんやっていきたいって思ってる。

フィジカルを手に入れなければ見られないイラストに YouTube で公開されるビデオと、このような部分はクラシックなサウンドにモダンなプロダクションを目指した 2nd アルバムのコンセプトと共通しているような感じがします。

LO:そうかもしれないね。曲のロゴを YouTube のビデオや他の箇所に登場させたら、面白いと思ったんだ。聞く側にとってはある種のゲームみたいな感じで「あ、曲のロゴ見つけた!」って思ってもらえたら楽しいと思って。

アーシャもコンピレーション・アルバムに参加していましたが、メンバーのキャンベル・バウムが立ち上げた〈Broadside Hacks〉というトラディショナル・フォークのプロジェクトがありますよね? あるいはマルコの〈Slow Dance〉があったりと、ロンドンにはこうしたインディ・コミュニティが根付いているように思いますが、その点についてどのように感じていますか? クリエイティヴな活動が分野を超えて重なりあっているという点で特に〈Slow Dance〉とソーリーは近い部分があるのではないかと感じているのですが。

LO:(ロンドンのインディ・コミュニティは)とてもクリエイティヴなところだと思うよ。一緒に育った仲間の多くがクリエイティヴな活動をする人だったり、あるいはクリエイティヴな人だったっていうのはラッキーだったと思う。それが環境によるものなのかはわからないけれど、クールで面白いことをやっている人たちが周りにいるっていうのは恵まれていることだと思うんだ。僕たちは彼らからつねに刺激を受けているから。それは僕たちのためにもなっているし、僕たちも彼らにも刺激を与えているはずだって思っているし、互いに刺激しあっているんだと思う。ロンドンのような大都市で青春時代を過ごすのはキツいこともあるから、似たような考えや価値観を持つ人たちを求めるようになるんだと思うんだ。だからいまでは周りに才能を持つ仲間がたくさんいるということはとても恵まれていることだと感じているよ。

ルイスにしてもアーシャにしてもソーリーとは別に現在も SoundCloud に個人名義の曲をアップし続けていますよね? ふたりにとって SoundCloud というのはどのような意味を持つプラットホームなのでしょうか?

LO:SoundCloud は僕たちにとってとても重要なプラットホームだよ。SoundCloud をはじめたとき、僕はギターを弾いていたんだけど、ギターに飽きていたというか、ギターに限界を感じはじめていた。その頃から僕とアーシャは、個別にだけど、パソコンを使って音楽を作るようになった。FL Studio というプログラムを僕がダウンロードしたんだ。FL Studio は音楽制作のプログラムだったんだけどビデオゲームみたいな感覚でやっていて。14歳くらいのときだったかな。凄く楽しくてふたりでいろんな音楽を作って SoundCloud にアップして、どっちが友だちからの「いいね!」をたくさん得られるか競い合っていた(笑)。それがはじまりだったね。さっきの話と同じで、インターネット上の隅っこに僕たちのスペース(=音楽)が存在している感じで、みんながそれを見つけることができるみたいなイメージだよ。アレックス・Gもそれと同じ感じで作品を公開している人で、YouTube をチェックすれば YouTube の「アルゴリズム・ホール」(*ブラック・ホールにかけている表現)に入り込んで、アレックス・Gの音楽を無限に発見することができる。ファンである僕にとっては、アレックスの奇妙で面白い世界に足を踏み入れる楽しさがあるし、SoundCloud もそれに似たような架空の世界を拡張できるもののように捉えているんだ。

SoundCloud にアップされているルイスの曲は悲しげなメロディの曲が多く、しみじみと感じ入るようなその感覚が好きなのですが、ルイス個人としてはどのような音楽に影響を受けてきたのでしょうか? あるいはインスピレーションを受けた映像作品やカルチャーなどがありましたら教えてください。

LO:最近はレナード・コーエンをよく聴いているよ。ニーナ・シモンも大好き。あとはエリオット・スミスやソングス・オハイアなど。好きな映画もたくさんあるよ。かなり変わってるかもしれないけど、『地獄の黙示録(Apocalypse Now)』がすごく好きなんだ。僕はどういうわけか昔の映画が好きでね、強いカタルシスを感じるんだ。特にベトナム戦争を題材にした映画はすごく強烈だし、皮肉だけどクールだと思ってしまう。

今後も以前リリースしたミックステープのような形で曲をリリースすることはありますか?

LO:じつは秘密のミックステープというものがあるんだよ。でも詳しくは教えられない。聞きたい人はそれをどうにかして見つけないといけないんだ。面白いだろう? 今後もミックステープはリリースすると思うけど、前回のは僕たちが昔に作った曲があってそれらをリリースしたかっただけのことなんだ。ヒップホップのミックステープという感じではなくて。昔はよく自分の好きな曲を何曲も入れたCDを作って友だちや好きな人にあげたりしていたよね? 僕たちのはそういう感じのミックステープに近いんだ。好きな曲を集めて好きな人たちにあげる。そういう形のミックステープは今後ももちろん作っていきたいよ!

1st アルバムのリリース時はパンデミックでUSツアーが途中で中止になるなど満足にライヴができなかった状況でしたが、最近のライヴ活動はどのような感じでしょうか? 2nd アルバムの曲はもうライヴで演奏していますか?

LO:今年の夏は少し休みを取っていたからあまりライヴをやっていなかったけど、3月と4月にUSとUKをツアーしたんだ。2nd アルバムからの新曲もたくさん演奏して楽しかったんだけど、まだライヴで披露していない曲がたくさんあるから、今後アルバムの曲を多くの人に演奏して世に広めていくのが楽しみだよ。

ありがとうございます。いつか日本でライヴが見られることを願っています。

LO:こちらこそありがとう! 僕たちも日本でライヴができる日を楽しみにしてるよ!

Alvvays - ele-king

 甘さの中にある苦み、理想と現実、オールウェイズの音楽はいつだって希望が詰まっている。

 振り返ったときに定義される時代の音なんてものがあるとすれば、DIIVと一緒にオールウェイズの名前もきっとそこに記されているに違いない。インディのギター・ミュージック、2010年代の音、シューゲイザーを現代風に解釈したDIIVにドリーム・ポップという言葉を再び強く意識させたオールウェイズ、フォロワーという言葉が正しいのかはわからないけれど、2022年の現代へと続く流れの中でバンドをはじめようとしたときにこれらの音が頭に浮かばないなんてことはほとんどなかったはずだ(その証拠に10年代後半にかけてから22年現在まで、DIIVっぽいバンド、オールウェイズっぽいバンドをたくさん聞いた。それは国を問わず広がっている)。

 2014年のセルフ・タイトル『Allvvays』、3年後、2017年の『Antisocialites』、オールウェイズのそのギターは透き通る色彩を持っていて、光が反射するように柔らかくキラキラと輝いていた。それがノスタルジーを連れてきてモリー・ランキンの歌声が頭の中に存在しない思い出を作り出す。1stアルバムの曲はC86を経由したストレートにインディ・ギターと言ってもいいようなフィーリングがあって、2ndアルバムはそこからより一層シンセの音を強調しドリーム・ポップの要素を強くしたような感じで、意外と違いがあったりするけれど、いずれにしても記憶の中にずっと残り続けるようなそんなアルバムだったというのは間違いない(だからいまもオールウェイズのことを思い出そうとすると頭の中に色彩が広がる)。

 そして2022年、5年振りの3rdアルバム『Blue Rev』がリリースされた。この5年間の間にオールウェイズにあったこと、ムカデの家と名付けられたモリーの自宅の地下室にあるホームスタジオで録音したデモが入ったレコーダーを盗まれた。その翌日の土砂降りの洪水、地下室が浸水してそこにある機材を救い出さなければいけなくなった。ツアーの中での曲作り、パンデミック、ツアーの中断、パンデミックの規制の緩和、カナダのリハーサル小屋でのモリーとケリーの会合、新しいベーシスト(アビー・ブラックウェル)の加入、ロスのショーン・エヴェレットのスタジオでの3rdアルバムの録音。『Blue Rev』の国内盤に入っているモリー・ランキン自ら手によるライナーノーツにそうした出来事が魅力的な文章で書かれていたけれど(それはまるで物語がはじまる前のプロローグのようにもに思えた)オールウェイズのこの3rdアルバムが生み出されるまでの道のりは決して平坦ではなかったのだ。

 だから正直不安があった。あまりに素晴らしい1stアルバム、2ndアルバムの後にオールウェイズはいったいどんなアルバムを出してくるのかと。レコーダーを盗まれ、機材が水浸しになって、そこからやり直してどうなっているのか、5年という時間はアルバムを出すスパンとしてはあまりに長く、その間に時代は変わり、その結果過去のアルバムを繰り返し聞いた方が良かったなんて思うようになってしまうのではないかと。
 でもそれはまったくの杞憂だった。再生ボタンを押して、“Pharmacist” がかかった瞬間に繋がる記憶。まるで5年の不在なんてなかったようにあっと言う間にオールウェイズは散らばってしまった時間を結合する。高校時代の続き、大学時代の続き、あの日の続き、そんなありもしなかった出来事の思い出をいとも簡単にオールウェイズは作り出し時計の針を進めていく。「聞いたよ、帰ってきたんだってね/薬局で君の妹に会ったよ」。そう唄いかけるモリーの声と心象風景を映し出すようにシューゲイズしていくギター、それで準備はOKだ。そうやって止まっていた時間は動き出す。
 “Easy On Your Own?” の広がっていくようなサウンドにかつてのオールウェイズの面影を見て、軽快に弾む “After The Earthquake” に1stアルバムのオールウェイズの姿を重ね合わせる。それらは懐かしくもありそして同時に新鮮に響く。1stアルバムの曲の延長線上にあるみたいだった “After The Earthquake” に2ndアルバムのシンセの音が挿入されて展開が一気に変わる。ギターの音はシューゲイザーの色をより深めノスタルジックな雰囲気を保ったままにドライヴする。それは似ているけれど違う、2022年のオールウェイズだ。
 あるいはいままでとはまったく印象の違う “Very Online Guy” がある。80年代の歌謡曲みたいなシンセの音に引っ張られ、頭の中に薄紫色の照明に彩られた暗い店内のステージで、カラオケセットを前にマイクを握るモリーの姿が浮かんでくる。彼女の声はエフェクトがかけられて落ち着きなく遠くと近くをいったり来たり。それはまるですり切れかかったビデオテープの中に収められた不鮮明な映像のようで、やたらとノスタルジックな気分になる。「いつだってフィルター1つ分先にあいつはいる/いつだってフォロー1つ分、フィルター1つ分先にね」。“Very Online Guy” というタイトルが示す通りにここで唄われているのは現代のSNS事情のはずなのに、頭に浮かぶ映像は80年代のどこかの街の思い出だ。なんてチグハグなんだろう。SNSが存在する80年代、それが収められた架空の映像、でもそれこそがオールウェイズの魅力なのかもしれない。ノスタルジックで新鮮で、すぐ側にあるみたいに感じられる遠くの音楽、「ここではないどこか」、だけどそこにはちゃんと2022年の現実がある。
 そうして最終曲、“Fourth Figure” に辿り着く。吸い込まれるように深く、晴れ間の見える空みたいに広がっていく。オールウェイズのアルバムの最後の曲はいつもこんな感じだ。再び懐かしさが浮かび、トレードマークやお約束、スタイルについて考えて、そうして愛おしさが滲んでくる。3rdアルバム最後の曲はドラムもギターの音も響かない。だから少し荘厳で重力から解放されたみたいな気分になる。

 オールウェイズは再び日々を更新する。エヴァーグリーンなんて言ったって実際には古いアルバムを繰り返し眺めているだけだ。だけどそうじゃない、オールウェイズの3rdアルバムは物語の日々に続きがあるって教えてくれる。もっと「Alvvaysらしさ」を音に出したい、前述のセルフ・ライナーノーツにはプロデューサーのショーン・エヴェレットにバンドがそう求めたという記述があるのだけど、「Alvvaysらしさ」とは同じ事を繰り返すことでは決してない。文学タッチで軽やかに描かれるこの3rdアルバムには不安の吐露が散見されるが、それでも前に進み続ける希望がここには存在する。停滞を突き破って先に進む、オールウェイズの音楽はいつだってほんの少しだけよりよい世界の夢を見させてくれる。

Bobby Oroza - ele-king

 フィンランドの音楽と聞いて頭に思い浮かべるのはどんな音楽だろうか?
 ヘヴィ・メタル? ミュージック・ラヴァーとして知られるバラク・オバマ元大統領は2016年サミットの晩餐会でフィンランドを「国民一人あたりのヘヴィ・メタル・バンドの数がもっとも多い国」と表現した。恐らくオバマ氏のなかではフィンランドの音楽としてイメージするのはヘヴィ・メタルなんだろう。オバマ氏と同意見の人も多そうだ。もしくはPAN SONICに代表される電子音響? ele-kingの読者はこちら派も多いかもしれない。
 では、チカーノ・ソウルはどうだろうか? 北欧で南米……と混乱してしまうかもしれない。
 フィンランド育ちでありながらカリフォルニアのチカーノ・ソウル/ローライダー・シーンで絶大な人気を博している男がいる。その名はボビー・オローサ。そのスウィートかつメロウなサウンド、メランコリックな恋愛や社会のアウトサイダーを描いた歌詞がチカーノ/チカーナの心を掴んだのか、YouTubeにアップされたMVのコメント欄ではアメリカで暮らすラティーノ/ナと思しきアカウントからの彼の曲に対する愛のメッセージで溢れている。
 かく言う私もMUSIC CAMPの宮田さんから「ヤバいシンガーがいる」と聞き、間もなく手に入れた1stアルバム『ディス・ラブ』に収められた楽曲のスウィートネスや瑞々しさ、そしてほんのり漂うサイケデリアに完璧に魅力され、主催パーティで何度もプレイした。2ndアルバム『ゲット・オン・ジ・アザーサイド』(MUSIC CAMP, Inc.)のリリース時に大阪で行われたリリース・パーティには僭越ながらDJとして出演したが、ボビー本人は不在ながら彼の音楽を愛する人たちが集う熱気の溢れる一夜となり、ここ日本でもボビー人気が高まっていることを実感した。
 そんなボビー・オローザが11月に前述の2ndアルバム『ゲット・オン・ジ・アザーサイド』を引っ提げ待望のジャパン・ツアーを行う。
 初来日を控えた彼にフィンランドの音楽シーン、サイケデリア、日本の音楽などについて聞いてみた。

■音楽一家の育ちだそうですね。母親はボリビアからの移民、父親はジャズ演奏家。多様な音楽的影響を受けていると思いますが、そのような音楽を通してもっとも影響を受けたことを教えてください。

ボビー:おそらく多様性と選択肢の多さがあるということだと思います。異なるスタイルと伝統表現の両方に晒されたことが、音楽へのマインドの扉を開けてくれました。面白いサウンドを探し続けることは今でもとても刺激的です。その大きな影響を今自分の子供たちにも伝えていこうと思っています」

■フィンランドの音楽というと、ヘビメタやエレクトロニカしかなかなか浮かびません。実際はどうなのでしょう?

ボビー:なかなか面白いことが起こっていると僕は感じています。注目しているのは、メインストリームの大物アーティストではなく、少量生産のレコード・プレスや余り知られていないパーティで鳴り響くアンダーグラウンドのシーンといえるでしょう。私の人生のパートナーであるMallaは、アナログ・シンセを使って、素晴らしいハウス・ミュージックを作っています。彼女のバンドで演奏することで、そのシーンをより深く知ることができました。Timmion Records(訳注:ボビーのデビューのきっかけとなったフィンランドのソウル・レーベル。2作品の録音もティミオンで行っている)は、この地でソウル・シーンの基盤を確かなものにしています。またLinda Fredrikssonのような素晴らしいジャズ・プレーヤーやアーティストもたくさん活躍しています」

■ フィンランドでショーは定期的に開催していますか? とくにコロナ禍の影響はいかがでしょう?

ボビー:正直、ショーはあまり行っていません。自分のスタジオで制作により打ち込んでいます。ライヴをもっとやりたいとは思っています。おそらく来年はそうなるでしょう。コロナ禍で全てのショーがキャンセルになり、作曲や様々な楽器の演奏、またスタジオのセットアップなどに取り組んできました。

■ショーのときはティミオンのハウス・バンドであるコールド・ダイアモンド&ミンクといつも一緒ですか?

ボビー:コールド・ダイアモンド&ミンクは主にスタジオのハウス・バンドで、ティミオン・レーベルの運営にフルタイムで関わっているため、特別な機会以外はライヴを行っていません。彼らのサウンドはたくさんの人たちに愛されていますが。

■今回のアルバムではWarpからのリリースでも知られるサックス奏者(と一言で言い表せるような人ではないですが)のJimi Tenorが参加していますが? 以前から知り合いですか?

ボビー:ジミは長い間に渡ってティミオンの録音に参加してきました。彼とスタジオで知り合えたのはラッキーでした。素晴らしい演奏家であり、人格者です。彼にはショーにも参加してもらっています。

■ヒップホップのトラックメーカーをされてたとか。フィンランドのヒップホップ・シーンはいかがでしょう?

ボビー:ヒップホップは現在、メインストリームのポップ・ミュージックとの関係で聞かれることがほとんどです。他の国と同じく、明らかにメジャーなシーンとなっています。いまは地元のラッパーと仕事をすることはありませんが、インストゥルメンタルとしてビートを作ったり、自分でそれに合わせて歌ったりすることはありますね。

■フィンランドのヒップホップは若者たちの苦悩や闘争から生まれているのでしょうか?

ボビー:ヒップホップを通じて、いま、白人中産階級の支配の外にいる人たちが強く出てきていることをうれしく思います。女性ラッパーは、家父長制の地殻をようやく突き破りました。また、フィンランド人以外の背景を持つ人たちも、自分たちの経験を持ち出しています。クィアもヒップホップのなかで表現されています。いまのところ僕はストレートにヒップホップのプロジェクトでは活動していませんが将来的にはどうなるかわかりません。

■あなたの音楽のなかには独特なサイケデリックな感覚があると思います。いかがでしょう?

ボビー:昔からサイケデリアは好きでした。この言葉にはいろいろな定義がありますが、僕は、60年代にアメリカのサイケデリアが音楽の主流となる以前から、常に存在していた音楽表現のひとつだと考えています。僕の考えでは、サイケデリアは潜在意識の流れに似ていて、演奏家や歌手の反射神経の現れだと思っています。サイケデリアの雰囲気は、レコーディングのときに顕著になりますが、自分の音楽に常に存在しているひとつの感覚でもあると思っています。

■テキサスのヒップホップ・シーンには、催眠効果を高める "Screwed "という効果があります。サニー&ザ・サンライナーズの 「シュッド・アイ・テイク・ユー・ホーム」のカバーにも同じような催眠的なな感覚を覚えます。なぜ、あのようなスローなカバーにしようと思ったのでしょうか?“Screwed”からのアイディアがあったのでしょうか?

ボビー:あの曲は、あまりテンポを意識していなかったと思います。ただ、オープンマインドでいろいろなテンポを試してみて、いまの自分たちの音作りのニーズに合うものを見つけただけなのです。スクリューやクンビア・レバハダ(訳注:メキシコ北部で盛んな極端にテンポを落としてかけるスタイル)、ダブ・レゲエのようなスタイルなど、僕はもちろんスローテンポが好きです。

■ヴィデオ編集を自身でやっていますが、どこかで学んだのですか?

ボビー:編集を学んだというわけではなく、いろいろと試しながら学んできたのです。楽しいですよ。リズム感みたいなものがすべてだと思っています。

■誰か映像作家の影響はありますか?

ボビー:デヴィッド・リンチやジム・ジャームッシュはもちろん、アキ・カウリスマキも。是枝裕和監督の作品は本当に大好きです。そこには人間の精神や愛に対する深い敬意があります。私のヴィデオでは、奇妙なものやアウトサイダーを描きたいと思っています。

■歌詞は寂しい恋の歌が多いですが、ご自身の経験から書いたものですか?

ボビー:あるものは僕の経験に基づいていて、あるものは私が知っている、あるいは会ったことのある人の経験に基づいています。また何かを読んで得たものも。自身の潜在意識のコラージュのようなもので、結局は自分で作っているのですが。

■吉村弘や坂本慎太郎らの音楽を楽しんでいるそうですが。

ボビー:吉村弘は、現代の超テクノロジー社会から自然体験への通路のようなものを作っているような気がします。私は昔からシンセサイザーやアンビエント・ミュージックが好きでした。坂本慎太郎の音楽は、クリエイティヴィティと自由な作品作りを楽しんでいます。彼はとてもクールで本物です。

■日本ツアーで楽しみにしていることはありますか?

ボビー:まず、僕の音楽を見つけてくれた人たちに会って、曲を演奏するのはとても楽しみです。自分の音楽をきっかけにして日本に行けることにとても興奮しています。ショーでの演奏、また旧友や新しい友との出会い、そしてレコード店やヴィンテージの音楽機材が置いてある場所を訪れたいとも思っています。いつも、様々な形の日本文化にとても刺激を受けてきました。京都は歴史的にとても興味があります。食文化ももちろん。墨絵の原画も見てみたいですね。やりたいことリストがあまりにも長いので、何度も足を運ばなければならないかもしれません。

(翻訳:MUSIC CAMP, Inc.)


来日公演情報

https://m-camp.net/bobbyoroza2022


Bobby Oroza
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