「IO」と一致するもの

FESTIVAL FRUEZINHO 2025 - ele-king

 今年の6月14日(土)は立川に集合ですね。いまのところ発表されているのがトータス、石橋英子、ジョン・メデスキ&ビリー・マーティンですが、これだけで行く理由としては十分でしょう。頼む、晴れてくれ。

『FESTIVAL FRUEZINHO 2025』、2ndラインナップは2組!

 1組目はトータス! シカゴを拠点とするインストゥルメンタル・クインテットは、ダブ、ロック、ジャズ、エレクトロニカ、ミニマリズムといったジャンルを軽やかに取り入れながら、25年以上にわたって誰にも真似できない音を鳴らしてきた。「心から楽しいバンドで、あらゆる音の可能性に開かれている 」(Stereogum)と評され、緻密に構築されていながらも即興的な要素がある、彼らのライヴをお楽しみに!

 2組目は、日本の音楽シーンで多彩な足跡を残すマルチインストゥルメンタリスト、石橋英子! 3月には、7年ぶりの新譜『Antigone』のリリースや「世界中で最も静かで、ほのかに輝くフェスティバルの1つ」と評される「Big Ears」に出演するなど国際的な評価も高まっています。ピアノやフルート、電子音を操り、どこか懐かしくもあり遠くへ連れていくような音楽を創り出す彼女が、どんな音を届けてくれるのかお楽しみに!

 そして、今回、FRUE初の試みとして、25歳以下の若者たちに、私たちが音楽の世界に深く足を踏み入れるきっかけになったジョン・メデスキとビリー・マーティンのライヴを生で体感してほしいと思い、U25割チケットも新たに設けました。手ぶら、日帰りで帰れます。ぜひいらしてください!

 『FESTIVAL FRUEZINHO 2025』は、大自然の中での「フェス」ほど過酷ではなく、また指定席に座りじっと聴く「コンサート」ほど固くなく、集まる人も適度な数で快適かつ自由な空間と時間をすごせる音楽フェスティバルです。「魂のふるえる音楽体験を!」というコンセプトのもと、2017年より静岡県掛川市で開催している『FESTIVAL de FRUE』のスピンオフとなります。

FESTIVAL FRUEZINHO 2025

日付:6月14日(土)
時間:開場 11:00 / 開演 12:00 / 終演 20:50 ※予定
会場: 立川ステージガーデン
出演者:
Medeski & Martin
Mônica Salmaso & André Mehmari
Tortoise
Eiko Ishibashi | 石橋英子
and more...

チケット
中高生割:5,000円
U25割:11,000円(枚数限定)
早割1:15,000円(枚数限定)
早割2:16,000円(枚数限定)
前 売:18,000円
当 日:19,000円
※受付にて1ドリンク代(¥1,000)を別途お支払いいただきます。
※1ドリンクチケットは場内のドリンクブースにてご利用いただけます。
※1階はスタンディング。2、3階席は全自由席
※来場順での入場です
※小学生以下は無料

Flyer Image:Yuriko Shimamura

協力:
shalala company / infusiondesign inc. / KIMOBIG BRASIL / Eastwood Higashimori / BLOCK HOUSE / 水曜カレー / SHUSAN / WWW / 京都メトロ / 旧八女郡役所音楽の会 / Bird -old pizza house- / The Condition Green / hidemuzic / Yuumies / Taka Ama Hara

主催:FRUE
https://fruezinho.com/

Tortoise

トータスは、アメリカ・シカゴ出身のポストロックバンドで、1990年代前半に結成されました。インストゥルメンタル主体の音楽スタイルで知られ、ジャズ、電子音楽、ミニマリズム、ロックなど多様なジャンルを融合させた独自のサウンドを特徴としています。メンバーは**ダグ・マッコームズ(ベース)、ジョン・ハーンドン(ドラム、パーカッション、エレクトロニクス)、ジョン・マッケンタイア(ドラム、キーボード、プロデューサー)、ダン・ビットニー(パーカッション、エレクトロニクス)、ジェフ・パーカー(ギター)**から成り、ライヴでは楽器を自在に持ち替える柔軟性も魅力です。

 1994年のデビュー・アルバム『Tortoise』で注目を集め、1996年の『Millions Now Living Will Never Die』でポスト・ロックというジャンルを世界に広めた立役者となりました。特に1998年の『TNT』では、当時革新的だったハードディスク・レコーディングを導入し、緻密で実験的な音作りが話題に。以来、常に進化を続け、2016年の『The Catastrophist』までに7枚のスタジオ・アルバムをリリースしています。また、2023年には『Rhythms, Resolutions & Clusters』のリイシュー版もリリースされ、彼らの音楽的探求は現在も続いています。

 彼らの音楽は感情的な旋律と複雑なリズムが共存し、聴く者を予測不能な音の旅へと誘います。シカゴのインディーロックやパンクの影響を受けつつ、前衛的なアプローチで日本では「シカゴ音響派」の代表格としても知られるTortoiseは、ジャンルの枠を超えた表現で今なお多くの音楽ファンを魅了しています。

石橋英子/EIKO ISHIBASHI

石橋英子は日本を拠点に活動する音楽家。
これまでにDrag City、Black Truffle、Editions Megoなどからアルバムをリリースしている。2020年1月、シドニーの美術館Art Gallery of New South Walesでの展覧会「Japan Supernatural」の展示の為の音楽を制作、「Hyakki Yagyo」としてBlack Truffleからリリースした。2021年、濱口竜介監督映画『ドライブ・マイ・カー』の音楽を担当。2022年「For McCoy」をBlack Truffleからリリース。2022年よりNTSのレジデントに加わる。2023年、濱口竜介監督と再びタッグを組み『悪は存在しない』の音楽とライヴ・パフォーマンスの為のサイレント映画「GIFT」の音楽を制作、国内外でツアーを行っている。2025年3月、Drag Cityより7年ぶりの歌のアルバム『Antigone』をリリース予定。

Damo Suzuki +1-A Düsseldorf - ele-king

 トーマス・ディンガー(ノイ!のクラウス・ディンガーの実弟)を中心としたバンド、1-Aデュッセルドルフにダモ鈴木が全面参加したセッション時の秘蔵音源が発売される。1986から1994年にかけてレコーディングされたものだそうだが、カンのポストパンク版というか、なかなか興味深い一物である。
 ダモ鈴木といえば、いつか、ブラック・ミディとのセッションも発売して欲しいなぁ。
 
 *なお、このリリースに併せて、2016年にリリースされた1-A Düsseldorf の『Uraan』もリイシューされます。また、Suezan Studioメーカー直販で上記の『錆』をお求めの方には、先着順で アルバムのディスク3(非売品)をプレゼント。詳しくはホームページをどうぞ

Damo Suzuki + 1-A Düsseldorf
錆 (Rost)

SUEZAN STUDIO

以下、〈SUEZAN STUDIO〉のホームページから。

ダモ鈴木が全面参加した1-Aデュッセルドルフの最初期音源がついに公開!

クラウトロック史をゆるがす幻の音源がついにヴェールを脱いだ! トマス・ディンガー(ex. ノイ!、ラ・デュッセルドルフ)、ニルス・クリスチャンセンらによって結成された〈1-Aデュッセルドルフ〉が、ダモ鈴木(ex. カン)をヴォーカルに迎えた秘蔵セッション。本作は1-Aデュッセルドルフのファースト・アルバム『Fettleber』(1999)以前、1986~94年のバンド黎明期にレコーディングされたものだが、いちども公開されることもなく長いあいだ封印されていた、いわくつきの音源である。
トマス・ディンガーが〈ラ・デュッセルドルフ〉を脱退し、ダモ鈴木は〈ドゥンケルツィッファー〉の次なるステップとして〈ダモ鈴木バンド〉に活動の場を移しだした時期に録音された音源であり、彼らが次なるサウンドを模索し、試行錯誤の場として新たなプロジェクト〈1-Aデュッセルドルフ〉を始動させた歴史的ドキュメンタリーだ。最新デジタル技術で旧メディア音源を復刻。限定プレス・日本独占リリース!
※古い録音のため一部にお聞き苦しい箇所がございます。

プロフィール

ダモ鈴木+1-Aデュッセルドルフ (Damo Suzuki +1-A Düsseldorf)
ノイ!、ラ・デュッセルドルフのメンバーだった故トマス・ディンガーを中心に、デュッセルドルフ界隈のミュージシャンたちで1986年に結成された。バンド名の考案者はクラウトロック界のゴッドファーザー、コニー・プランク。メンバーは比較的流動的で、初期にはダモ鈴木(カン)も参加していたが、1999年にトマスとニルス・クリスチャンセンを中心に制作されたファースト・アルバム『Fettleber』でアルバム・デビュー。以降はふたりを主軸に4枚のアルバムが発表された。ノイ!が持つダウナーでヒプノティックなエレメントだけを抽出し、独自解釈に拡大させたようなサウンドは各方面から注目を集めた。2002年にトマス・ディンガーが他界してからは、ニルス・クリスチャンセンとステファン・ドムニッシュ、ディアク・フラーダー(ラ!ノイ?)によって活動は継承され、現在も意欲的に新作に取り組んでいるという。

interview with Roomies - ele-king

 名は体をあらわす。ルームメイト=ルーミーズを名乗る彼らはまさにそんなバンドだ。キャッチーなネオ・ソウル・サウンドを基調とするその音楽は、互いへの確固たる信頼、親密な関係性が構築されているからこそ響かせることができるにちがいない、ハッピーなフィーリングに満ち満ちている。その仲睦まじさは今回の取材中、撮影中にも垣間見ることができたけれど、じっさい彼らは「Roomies House」と名づけられた一軒家で寝食をともにしながら、セッションやレコーディングをおこなっているようだ。
 もともとはハードコア・バンドをやっていたという及川創介(シンセサイザー)。マイケル・ジャクソンに憧れて歌いはじめたKevin(ヴォーカル)。アイルランドのパブで演奏していた高橋柚一郎(ギター)。ディズニーシーでキーボードを弾いていた斎藤渉(ピアノ)。それぞれ異なるルーツをもつ彼らは2019年、及川を中心に、ベースとドラムスを加えた6人でルーミーズを結成。2021年には配信でファースト・アルバム『The Roomies』を発表するも、その後バンドの屋台骨たるベース&ドラムスの脱退という危機的状況に見舞われる。関係性を重視する彼らは無理に新メンバーを迎えることなく、4人組として再起をはかったわけだが、今年1月にリリースされた最新作『ECHO』は、そんな彼らが4人編成となって初めて送り出す、二度目のデビュー作とも呼ぶべきアルバムだ。
 仲のよさというものは、しかし他方で、容易に「内向き」の表現へと転ずる危険性を有してもいる。いわゆる内輪ノリ、身内ネタというやつだ。だからだろう、今回彼らは「外向き」であることを意識したという。はたしてその成果やいかに──なにはともあれまずは2曲目の “Like This Before” を聴いてみてほしい。デジタル・シングルとして昨年末先行リリースされたこの曲は、たとえばとくに音楽ファンではない人びとの心をも鷲づかみにするだろう、キラーなポップ・チューンに仕上がっている。目的はみごと果たされた、と。
 そもそもKevinの「グラミーを獲りたい」という話からスタートしたルーミーズ。会心の1曲を含むセカンド・アルバムを完成させた彼らはいま、どんな心境にあるのか。及川とKevinのふたりが取材に応じてくれた。

夢を見たんです。わっくんからバンドに誘われる夢を。そしたらほんとうにわっくんから「ライヴしないか」って連絡が来たから、引き寄せられているような感じでした。(Kevin)

Roomiesは及川さんを中心に2019年に結成されたそうですが、及川さんはその前にCICADA(シケイダ)というバンドをされていたんですよね。

及川創介(以下、及川):最初はトリップホップをやりたいというところから集まったバンドで、次第にR&Bになっていきましたね。リーダーが、マッシヴ・アタックやポーティスヘッドに日本のACOさんのような音楽性を混ぜたようなことをやろうとしていて、ぼくは最後に入ったメンバーでした。もともと自分ではDTMをやっていたんですが、そのバンドでレコーディングしたりミックスしたりアレンジしたりする機会が増えて、その経験がいまのRoomiesにも活かされていますね。

Roomies自体はどうはじまったのでしょう。

及川:まず、前身にあたるLotus Landというバンドがありました。もともとはリーダーでベースのエイちゃん(吉川衛)に、ドラムスとキーボードの3人組だったんですが、ドラムスとキーボードが抜けて一度止まって。その再始動の際に誘われたんです。新しいドラムスと、キーボードのぼくにギターの(高橋)柚一郎が加わって4人組になりました。エイちゃんはファンカデリックやスライを永遠に聴いているようなソウル~ファンクのひとだったんですが、バンドではそれとはちょっとちがう新しいことをやりたいということで、ダフト・パンクを参照したりしながらハウスっぽい、4つ打ちのクラブっぽいサウンドをバンドとしてやっていましたね。
 その4人のときはインスト・バンドだったんですが、ぼくはやっぱり歌モノがやりたくて。あと、ぼくはシンセサイザーが好きなので自分はシンセを弾きたかった。そこでピアノのわっくん(斎藤渉)に入ってもらって、ぼくはシンセ担当になって。それでじゃあ歌はだれにしようってなったときに、昔わっくんのソロ音源のヴォーカル・レコーディングのときに一度だけ会っていたKevinの声を覚えていたので、連絡してみたんです。そしたらちょうどKevinもバンドをやりたいタイミングだったから、じゃあ6人でやろうということでRoomiesがはじまりました。
 ただその後、ベースのエイちゃんとドラムスが抜けてしまって、現在はぼくとKevin、(高橋)柚一郎、わっくん(斎藤渉)の4人組ですね。

なるほど、メンバー構成はけっこう紆余曲折を経てきたんですね。KevinさんはRoomiesに加入する前はどんな活動をされていたんですか?

Kevin:ぼくは23、24歳くらいのころに石川から上京してきて、最初の1年くらいはずっとソロで活動していました。渋谷のBar Rhodesとか、わりと小さいところで歌っていたんですけど、東京の目まぐるしさだったりいろんなストレスが重なって、一度精神的に参っちゃったんです。それで1年くらい音楽活動から離れていた時期があって。「このまま終わっちゃうのかな」と思う一方で、でもどこかでまた歌いたいっていう気持ちもあって。そしたら1年後くらいにピアノの斎藤渉くんから連絡が来て、ひさびさに一緒にライヴしないかって誘われたんです。もうふたつ返事で「やります」って答えて。その日のライヴが終わったあとに、「じつはもうひとつ話があって、バンドやらない?」と話されて。即答で「やります!」と。それがRoomiesのはじまりでしたね。

及川:運命的なことがあったんだよね。

Kevin:ほんとうに運命的でしたね。ちょっと信じられないくらい。盛らずに言いますけど、ずっと休んでいた時期のある日に、夢を見たんです。わっくんからバンドに誘われる夢を。そしたらほんとうにわっくんから「ライヴしないか」って連絡が来たから、引き寄せられているような感じでした。でも、バンドの誘いではなかったから、さすがに完全に夢どおりにはならないかって思ってたんですけど、ライヴが終わってわっくんの車に向かってるときに「もう一個話があって」って言われたときに、完全にピンと来て。「もしかしてバンド?」って、俺が先に言ったんです。そしたら「そうそう、バンド、バンド! 一緒にやんない?」って。

そんなことあるんですね。完全に予知夢ですね。

及川:マンガの『BECK』のような(笑)。

Kevin:夢自体はよく見るんですけど、それまでそんなことはなかったですね。でもこの話、ぜんぜん信じてもらえなくて(笑)。

まあ冷静に考えたら、「バンドに誘ってもらいたい」みたいな願望があったから、そういう夢を見たってことかもしれないですね。でもタイミングはすごいですよね。

Kevin:そうなんだと思います、たぶん。

Roomiesをはじめる時点で、いまのようなポップなネオ・ソウル・サウンドで行くというのは決まっていたんでしょうか?

及川:最初はちがったよね。

Kevin:ぜんぜん決まってなくて。それぞれやりたいことがちがっていました。ベースはファンクの歌モノ希望で、どんな曲も硬めのワン・ループで。ドラムスはとにかく音数を少なくしてミニマルに、という感じで。あとロウファイにする方向でどんどん音がこもっていったり。ピアノのわっくんはもともとディズニーで働いていて、『アラジン』のピアノ演奏とかもやっていたので、きらきらした音色にしていったり。

及川:ギターの柚一郎はできるだけギターを引っこめたがっていたし、ぼくはそれらをとにかくまとめなきゃいけないという感じで。Kevinはまだなにをやりたいかわからない、みたいな感じだった。

ゴミ捨て場にあったフロアタムとライド・シンバルを拾って、それで路上でドラムを叩いて家賃を稼ぐみたいな生活でしたね。(及川)

いまのサウンドが確立されるに至った転機のようなものはあったんですか?

及川:最初にできた “I just fell in love with you” からかな? まだ方向性がちゃんとは固まっていないときに、イケイケな曲ができちゃったんです。エイちゃんがこういうベース弾きたいって言って、だれかがリファレンスをもってきてジャムって。小平の宿泊施設付きの安いスタジオみたいなところで2泊くらいしていたときでした。すごいウイスキーを飲んでたよね(笑)。

Kevin:お酒の力を借りて、みんな仲よくなって、ジャムって(笑)。でもあのとき、めちゃくちゃスキャットマン・ジョンを聴いてたでしょ。ほんとうにずっと。朝方のめちゃくちゃ眠い時間に爆音で流すんですよ! こいつらなんなんだろうって思って(笑)。

及川:(爆笑)。Kevinは人見知りだから、最初は馴染んでなくて。でもKevin以外はけっこう長かったから、そういうことを。

Kevin:そうそう、そういうもともと仲よかったひとたちがスキャットマンをひたすら流してて、「これ、やっていけんのかな?」って思ってた(笑)。

たしかに、すでに関係性ができている輪に入っていくのは大変ですよね。

及川:当時はKevinがいちばんアウェイだったというか。

Kevin:最初は創ちゃんが「こっち来なよ!」って声をかけてくれなきゃ近くにいけないくらいで。

Roomiesっていうバンド名にはすごく仲のいい感じが出ていますよね。このバンド名にしたのは?

及川:みんな仲がいいから。ずっとわいわい笑いながら音楽をやっていて。だからルームメイトのスラングであるルーミーズっていう単語はしっくりきました。もうこれにしようってバッと決めましたね。そうすると、ルームメイトにふさわしい家が欲しいよねという話になり、いろいろ経つつ、一軒家を借りることができて。

その一軒家はウイスキーのところではないんですよね。

及川:三度目のウイスキーですね(笑)。1回目のウイスキーはギターの柚一郎の実家が那須でペンションをやっていたので、そこで。2回目が、さっきの小平の「絶望スタジオ」(笑)。

なんで「絶望」なんですか?

及川:ハウりまくってて(笑)。

Kevin:あれはやばかったね(笑)。

及川:立地とか広さはすごくよかったんですけど、機材がかなり悪くて。ハウるし、ヴォーカルもぜんぜん聞こえない。ちゃんとした設備じゃなかったんです。いちばん安かったからそこにしたんです。時間を気にしたくなかったっていうのが大きくて。たとえばスタジオに入って4時間ひとり3,000円ずつ払って機材ももっていって、2時間半くらい練習したら片づけをはじめて……みたいなやり方じゃいい曲はできないな、ってみんな直感で思ってて。終わりを気にせずやれないとダメだっていう理由から、毎度泊まりでスタジオに入るようになって。「それならもう住もう!」ってことになって、いまの一軒家に行き着きました。

ファースト・アルバムの『The Roomies』もそこで生まれて。

及川:そうですね。Kevinはあのときどんな感じでアルバムができていったか覚えてる?

Kevin:もう必死でしたね。やっぱりみんな音楽性がバラバラだったから、なにが正解かもわからず、迷いながらやっていて。ドラムスは落ち着いたローファイ志向だし、創ちゃんは歌がきらきら輝く曲にしたくて。

及川:ぼくはメンバーのなかではいちばん売れたい欲が強くて。売れる曲をつくりたいっていう感じで(笑)。

Kevin:どうなりたいかみたいなことについてはあまり話し合ってなくて、とりあえずセッションして、奇跡的にみんなが「これいいじゃん」って思える曲をブラッシュアップしていく感じでしたね。ファーストはそういう曲ばっかりでした。

及川:そう。テーマとかコンセプトは決めずに、できたものからいいと思ったのだけを選んでつくりました。

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10代はハードコアをけっこう聴いていましたね。あとはスマッシング・パンプキンズ、レディオヘッド、ビョーク、マッシヴ・アタック。マシュー・ハーバートもすごい好きで。(及川)

それぞれの音楽的背景をお伺いしていきたいんですが、最初に音楽に興味をもったのはいつごろですか?

Kevin:ぼくは、母が歌手をやっていたので、物心ついたときから音楽はずっと身近にありました。母がよく歌っていたので、一緒に歌いたいなと。カーペンターズとか、ポップス系を歌っていましたね。スティーヴィー・ワンダーとか。演歌も歌っていましたけど基本的にはポップスで、ああいうわかりやすいメロディのあるものがずっと好きでした。転機になったのは、マイケル・ジャクソンを知ったときですね。小学生のとき、父の会社に遊びに行ったときに、しばらく待たなきゃいけない時間があって。「ヴィデオでも見とけ」ってテレビの前に座らされて。そこで見たのが、マイケル・ジャクソンが “Billie Jean” でムーンウォークを初めて披露した映像で。「かっけー」って思って、そこから音楽にのめりこみましたね。

Kevinさんのヴォーカルはよくマイケル・ジャクソンと比較されると思いますが、まさにマイケル・ジャクソンがきっかけだったんですね。

Kevin:そうですね。マイケルの影響は大きいです。あの日本の曲にはないグルーヴ感と、あの独特の歌い方に惹かれて。ムーンウォークもマンションの外で練習したりしました。「なにやってんだ」ってバカにされましたけど、逆に「マイケル知らねーの?」って言い返して(笑)。高校になると、歌はつづけてはいたんですけど、レ・トゥインズっていうフランスの兄弟ユニットを見てからダンスにハマって、そこからヒップホップとかも聴くようになって、ディアンジェロを好きになって。それで「自分はダンスで食っていくのかな」って漠然と思ってたんですけど、でもステージではメインで輝きたいっていう思いもあった。それでダンスを諦めて、22、23のころに音楽で食っていこうって決意して上京しました。やっぱり歌うことがいちばん得意で、好きなことだったんです。ぼくは好きなことじゃないとつづかないタイプで、歌が唯一ストレスなくのめりこめるものだったから、「これを仕事にしよう」と。2010年代の頭ごろでしたね。

及川さんのお話も聞かせてください。

及川:ぼくはまず、小学校のころにX JAPANが好きになってピアノをはじめました。YOSHIKIが好きだったのでドラムもはじめて。その後中二のときにレディオヘッドの “Planet Telex” を好きになって、その曲はいまだに自分のなかで不動の1位ですね。高校卒業するまで毎日聴いていました。

なるほど! 2月にJ-WAVEで毎週カヴァーをやる企画をされていましたよね。最後の週がレディオヘッドだったので、Roomiesの音楽性からすると意外だなと思っていたんですが、納得できました。でも曲は “Planet Telex” ではなく “High And Dry” でしたね。

及川:“High And Dry” はピアノのわっくんが好きなんです。あと “Planet Telex” は好きすぎてカヴァーするのに時間がかかっちゃうという理由もあったし、“High And Dry” はKevinのヴォーカルに合いそうだなっていうのもありました。

ピアノとドラムスはその後もずっとつづけていた感じですか?

及川:ピアノはほとんど練習してなかったんですど、中学も高校もドラムはつづけていましたね。中学の同じクラスにSiMのギターがいて、18歳のときにSiMのヴォーカルのMAHくんと最初のベースのKAHくん、ギターのSHOW-HATEとぼくでジェーン・ドゥーっていうハードコアのバンドをやっていました。
 そのバンドをつづけていた19歳のときに、ワーキング・ホリデイでオーストラリアに行ったことがあったんですけど、貯めたお金をカジノでぜんぶなくして、ホームレスになっちゃってバス停のベンチの下とかで寝ていました(笑)。でも家がないと強制送還されちゃうので、バックパッカーズ・ホテルっていう使い捨てのような汚いホテルの3人部屋だと1週間3~4千円で住めたのでそこにいました。毎晩フランス人のゲイとかイタリア人のレズビアンのセックスを見ながら寝るような生活だったんですが、ゴミ捨て場にあったフロアタムとライド・シンバルを拾って、それで路上でドラムを叩いて家賃を稼ぐみたいな生活でしたね。つづけているとジャンベとかディジェリドゥとかを弾けるひとが集まってきて、バーでライヴもできるようになって。

そんな経験をしたら、帰ってきたとき世界観が変わっていたのではないでしょうか。

及川:変わっちゃいましたね。なにも怖くなくなったというか。日本に帰ってからはハードコア・バンドもすぐ終わっちゃって、その後はサイケデリシャスっていうダフト・パンクみたいなバンドをやったり、音楽自体やめてコールセンターで契約社員をやったり。CICADAに誘われたのもそのころでしたね。

ダニー・ハサウェイとかマーヴィン・ゲイとか。新しいものより古いものに行った感じですね。いわゆるポップ・スターのようなひとたちの歌をよく聴いて練習していました。(Kevin)

リスナーとしてはおもにロックをメインで聴いていた感じでしょうか。

及川:10代はハードコアをけっこう聴いていましたね。あとはスマッシング・パンプキンズ、レディオヘッド、ビョーク、マッシヴ・アタック。マシュー・ハーバートもすごい好きで。IDMが好きでしたね。打ち込みをやってた時期もあって、友だちのラップにトラックをつくったりもしていたので、サンプリングやビートメイクをちょっとずつ覚えていきました。古い曲、ビートルズとかスティーヴィーとかアース・ウィンド&ファイアとかマイケルとかはむしろRoomiesに入ってから聴くようになりましたね。有名な曲しか知らなかったのでKevinに教えてもらって。ファンクもソウルも全然知らなかった。

Roomiesのシンセの感じはスティーヴィーなのかなと思っていました。

及川:教えてもらったんです(笑)。エレクトロニカとビョークがずっと好きだったんですよね。

ビョークだとどれがいちばん好きですか?

及川:『Vespertine』(2001年)ですね。

まさにハーバートやマトモスが参加しているやつですね。ぼくと完全に同世代ですよ。

及川:オペラハウスの映像(『Live at Royal Opera House』、2002年)をずっと観ていましたね。“It's In Our Hands” や “Hidden Place” をひたすら聴いていました。

自分たちでも音楽をやるようになってから、リアルタイムの音楽、たとえば2010年代はおふたりはどんな音楽に惹かれていましたか?

Kevin:ぼくはもっと歌を強化したいなと思っていたので、リアルタイムではないんですけど、ソウルを聴くようになりました。ダニー・ハサウェイとかマーヴィン・ゲイとか。新しいものより古いものに行った感じですね。いわゆるポップ・スターのようなひとたちの歌をよく聴いて練習していました。

及川:ぼくはもうマーズ・ヴォルタとかバトルスとか、ニュー・レイヴ系とか。

Kevin:ぜんぜんちがうね(笑)。

及川さんの背景はRoomiesからはぜんぜん想像できない(笑)。

及川:マーズ・ヴォルタ大好きで。ライヴにも行ったんですけど、開演前にトイレに行きたくなって。でももうはじまるから我慢してたんですけど、5分くらいずっとノイズが鳴ってて、限界が来たのでトイレに行って、戻ってきたらまだノイズだけで(笑)。「なんなんだ!」って思ったのを覚えています。あとハマってたのはMGMTとか。

そろそろ新作についてもお伺いしていきましょう。セカンド・アルバムにあたる『ECHO』ですが、最初の時点でコンセプトや青写真のようなものはあったんですか?

及川:明確なものはなかったです。今回が4人編成になってから最初の作品になるんですけど、この4人でもう4~5年やってきていたから、ヴィジョンが近いというかやりたいことにも共通している部分が多いこともわかってきていたので、歌がしっかり抜けててサウンドも外向きのものになっているかなと思います。

Kevin:そう思う。

及川:Kevinの歌って外向きだから、内向きで自慰的なサウンドにはならないものをつくりたいっていうのはありました。4人になったから打ち込みでもいいやとか、サウンド面での許容範囲も広がりました。「こうじゃなきゃいけない」みたいなものが減ったアルバムだと思います。前のアルバムは前のアルバムで好きではあるんですけどね。

Kevin:ファーストのときはけっこう大変で。6人分の正解を合致させなきゃいけなかったので。

及川:人数が多い分、食い違いも多かったから、なかなか完成に持っていけなかった。

なるほど。しかしベースとドラムスが抜けるって、バンドとしてはけっこう致命的な気もするのですが。

及川:ほんとうそうですよ(笑)。正直、最初は「終わった」と思いました。

その後、新しくベースとドラムスを迎える話にはならなかったんでしょうか?

及川:最初は探さなきゃって思ってました。やっぱりベースとドラムは必要だと思っていたので。でも、わっくんが「4人でも行けるっしょ」って、けっこうポジティヴで。それを信じてみようかなと思ったんです。中途半端に増やさないで、自然にいい感じで新しく出会ったら入ってもらおう、って。

Kevin:なかなかいないですよね。演奏がよくて、音楽性も合って、かつヒマなひとって。

及川:みんなヒマじゃないからね(笑)。

今回は曲づくりからレコーディングまで、そういうプロセスでやっていったんですか?

Kevin:そもそもあんまり4人で集まれなかったんですよね。それぞれ忙しくて。

及川:ぼくとギターとKevinだけとか、ピアノとKevinだけとか。全員で集まってワイワイやりながら……という感じではなかった。曲によって打ち込みだったり、友だちに生ドラムやベースを入れてもらったり、歌詞もKevinの弟のコリンが書いているものもあるし。曲によってつくり方がちがって。けっこう不安はありました。たとえばアイディアが浮かんで「これ、どう?」みたいなことを聞くとき、やっぱり顔を見て直接反応を見ないと、ほんとうにいいって言ってくれてるのかなって、疑心暗鬼になるので(笑)。でもなぜか自信はありましたね。

内向きで自慰的なサウンドにはならないものをつくりたいっていうのはありました。(及川)

なかなか全員が集まれないなかで、「これだけはやらないようにしよう」とか、逆に「これだけは絶対やろう」みたいなルールはありましたか?

Kevin:先ほど話したような、内向きにならないように、っていうのはありましたね。外向きの意識で、って。ぼくの場合は、歌はやっぱりポップでわかりやすくっていうのを意識してメロディ・ラインをつくってました。

及川:ぼくの場合は、Kevinがもともとダンスをやっていたことを意識しましたね。Kevinはたぶんミュージシャンとはちがうダンサーのグルーヴ感をもってるはずだと。たとえば4つ打ちの「乗れる/乗れない」って、8ビートのキックの位置とかベースの位置とかでわかるじゃないですか。それで歌い心地がいいか悪いかってKevinにしかわからないから、Kevinがいいってなるまでは、あんまりこっちの意見を押し出さないようにはしていましたね。ダンサー目線のヴォーカルの歌い心地のよさを意識して。

Kevin:グルーヴや歌い心地はすごい細かく相談してましたね。

内向きにならない、外向きに、という意識があって、先ほど及川さんには売れたい欲もあるというお話も出ましたけど、今回2曲目の “Like This Before” なんかは、まさにそれが達成されたキラー・チューンというか。

及川:まさしく。わっくんがつくった曲ですけど、デモが来た時点で「きたー!」ってなりましたね。会心の1曲というか。

Kevin:シンディ・ローパーみたいな(笑)。mabanuaさんも褒めてくださって。

及川:こういう感じは日本のポップスではあんまりないですよね。とくにバンドの曲では。

アルバムのタイトルが、最後の曲とおなじ『ECHO』になったのはどういう経緯ですか?

及川:曲のほうの “ECHO” はぼくが歌詞を書いたんですけど、そのときはなんとなく「ECHO」っていう曲名がいいなと思って。その曲を書いたあとにアルバムの話になって、ジャケットをどうしようかってなったときに、ギターの柚一郎が以前にアイルランドに住んでいたんですけど、現地の新聞に「エコー」っていうのがある話を思い出して。その新聞はデザインがすごくかわいいんです。曲自体は世界の平和をイメージした曲なんですが、「エコー」っていうことばもそれに合うと思って。Roomies自体ハッピー主義者たちの集まりだし、そういうのが広まればいいなと思って、その流れでアルバムのタイトルも『ECHO』がしっくりきたという感じですね。

アルバムには日本語の曲もありますが、基本的には英語の曲が多いですよね。英語で歌うのはなぜですか? 海外のリスナーに届けたいという動機でしょうか?

Kevin:「この曲は英語っぽいよね」「この曲は日本語っぽいよね」みたいな感じですね。歌詞が先の曲はないので。海外のリスナーに届けたいというのももちろんあります。やっぱり自分たちが海外の音楽から影響を受けてきたので。

及川:でもまあ日本語でも曲がよければ海外でも聴かれると思う。だから、絶対にこうっていう決め方はしなかった。

3月24日にはライヴが控えています。それに向けての意気込みを、お願いします。

及川:ひさしぶりにバンド・セットをやるので、気合いが入っています。すごく楽しみです。

Kevin:ひさびさに一緒にできるっていうのがやっぱりすごく楽しみですし、自分たちが楽しんでる姿をお客さんに見せられるのはすごく幸せなことだと。見せたいですね、ぼくらのヴァイブスを。

今後はどういうバンドになっていきたいですか?

及川:「こういう音楽をやっていきたいです」っていうのはないんですけど、音楽的には作品ごとに絶対変わっていくと思います。あとは世界じゅうでライヴをしたいですね。

Kevin:世界に通用するバンドになりたいな。

及川:結成のときも、Kevinの「グラミー獲りたい」って話からはじまってるので(笑)。

Kevin:だからグラミーにつながる道筋をたどっていけたらいいなと思います。

[ライヴ情報]
2025.03.24 Mon
Roomies
@BLUE NOTE PLACE, Tokyo

Open/Start
18:00/1st stage 19:00, 2nd stage 20:15
※ 2stages with intermission (cafe time)

Performance
Roomies

Kevin (vo)
Yuichiro Takahashi (g)
Wataru Saito (p)
Sosuke Oikawa (synthesizer)
Taihei (ds) *support member
Takayasu Nagai (b) *support member

Further Information
https://www.bluenoteplace.jp/live/roomies-250324/

Oklou - ele-king

 それは、どこか奇妙な光景でした。不思議なことに、オーケールーのファースト・アルバムとなる『Choke Enough』を何日も無我夢中で聴いてふと周りを見ると、思いもよらぬところへ彼女の作品が広がっていることに気がついたのです。

 普段からどんなアーティストがどういった人たちに聴かれているのかは注意深く観察するようにしていますが、ミクロ・コミュニティ化やハイパー・ニッチ化と言われるような状況で決まった情報が決まった人にしか届かないなか、オーケールーだけはぽつぽつと、あらゆるところでその名前を見聞きします。YouTuber/モデルのhannahがおすすめしていたと思ったら次の瞬間にはストーリーズでとあるスタイリストがフェイヴァリットに挙げていて、その夜のマガジンのシューティングでずっと流れていたBGMが『Choke Enough』だったりと、明らかに「音楽」の枠を超えて様々な層に受容されているのが、このアルバムではないでしょうか。

 そもそも、私がオーケールーを初めて意識したのは、〈LOW HIGH WHO?〉所属の異才・rowbaiと話していた際、彼女の口から強い影響源として名前が挙がったときでした。そこから関心を持った私は、フランスのポワティエ出身で、もともと女性DJによるコレクティヴ〈TGAF〉を結成していたというオーケールーの活動を2010年代半ばまでさかのぼり振り返っていったわけですが、同時に、あらゆる音楽家からミックステープ『Galore』への賛辞を耳にするようにもなりました。そういった、いわゆる業界のプロフェッショナルの人たちからの支持が異様に高く、どちらかというとファッション寄りのシーンからも熱い視線を浴びているのが彼女の興味深いところでしょう。そこには明らかに既存の情報流通とは異なる回路が発生しており、この数年間でじわじわと熱量が高まり続けた結果、ようやく発表されたファースト・アルバム『Choke Enough』によって、受け手の高揚感はいよいよ高まりきったかのように見えます。

 それは恐らく、彼女の音楽──と限定せずにあえて「表現」と呼びましょうか──が、特定のジャンルに立脚するものではなく、明らかな「美学」にもとづいたトータルな世界観として構築されていることによると思います。もちろん、A・G・クックやダニー・L・ハールらとのつながりからもわかる通りハイパーなエレクトロニック・ミュージックの要素は見つけられるでしょうし、ドリーム・ポップとも、あるいはアンビエントR&Bとも言えるようなサウンドであることは間違いありません。ただ、そういった形容が全くもって意味をなさないほどに、『Choke Enough』は既存のジャンル固定から逃げていきます。聖楽隊に入りピアノとチェロを学んでいたが、ゴリラズやマッシヴ・アタックに出会ってポップ・ミュージックにのめり込んでいったという彼女の背景がそうさせているのかはわかりませんが、ここには、瞬間瞬間で相反するように流動する表現が展開されています。Y2Kっぽいメロディラインがあるけれど、次の瞬間にはダーク・アカデミアな中世のイメージに回収されていく。クラブ・ミュージック的なメソッドもあるけれど、ダンス・ミュージックとして機能することを目的とせずエーテルな空気へと溶けていく。エレクトロ・ポップの要素もあるけれど、『BRAT』のような「ポップの限界突破」路線ではなく、もっと内省的で「崩れた/壊れた美しさ」にフォーカスしている。つまるところ、近年のさまざまな潮流を咀嚼しながらも、それを既存の文脈に回収させず、新しい「美的な体験」として構築しているのが本作ではないでしょうか。

 2018年にはEP「The Rite of May」がレーベル〈NUXXE〉からリリースされたというのも、いまとなっては「できすぎ」な話かもしれません。セガ・ボデガ、シャイガール、クク・クロエといったキーパーソンが設立に携わった〈NUXXE〉ですが、そのなかにおいてもオーケールーの表現は最も情感豊かであり、トータルなエクスペリエンスとして豊かな包括性を持っています。音楽とヴィジュアル、ファッション、映像、アートがシナジーを与え合っているその才覚は、『Choke Enough』にも如実に反映されているでしょう。恐らくそれは、長年の共同プロデューサーであるケイシーMQの力もかなり大きいように思いますが、やはりオーケールーの視野の広いセルフ・プロデュース力も冴えているに違いありません。たとえば、映画『マトリックス』や『パラノーマル・アクティビティ』を連想するアートワークは、ヴァーチャルと現実が交錯するような不穏な視覚表現になっており、粗削りなCGはY2K後期~2010年代初期のTumblr美学も想起させます。不完全の美をアングルや手ブレから示唆する “family and friends” や “obvious” のMVも含めて、ミニマルなのに装飾的、デジタルなのにオーガニックという矛盾する要素が、本作の美意識を決定づけているのです。アイススケート・リンクでショーを披露したNTS Sessionはじつにオーケールーらしい美意識を反映した機会でしたが、あのライヴで目一杯表現されている通り、フェアリー・コア/バレエ・コア/エンジェル・コア的な幻想イメージも『Choke Enough』の随所から感じることができます。なかでも、彼女が信頼を寄せているスタイリスト・Pierre Demonesは、ライヴからMVに至るまで彼女の美学を見事に具現化している重要なパートナーのひとりでしょう。

 そういった領域横断的でトータルな美学表現は、近年のキャロライン・ポラチェックやユール、はたまたドレイン・ギャングといった面々も同様に試行錯誤してきたかもしれませんが、オーケールーはそれをもう一歩深化させたように感じます。つまり、より一層オーガニックでナチュラル、なのではないでしょうか。彼女はインタヴューで「私たちは、カメラに映っているものが起きていることの一部であるように感じさせたい」と語っていますが、それは「ムード」を表現したいという意味にもとれるでしょう。ケイシーMQとともにあらゆるシンセの音色を探求し、めくるめくビザールな彫刻世界を「空気」によって感じさせる『Choke Enough』は、リラクシングながらとてつもない没入感を生むのです。

 この奇妙な作品は、まだまだ予想もしない回路から人々の感性を震わせ、今後さらに広く聴かれていくでしょう。そしてそれは、単なる「音楽」の次元を超え、ひとつの美学として静かに浸透し、気がつけば私たちの感覚のどこかにそっと根づいていくのかもしれません。

♯12:ロバータ・フラックの歌 - ele-king

 書かなければならないと思い、彼女が亡くなってもう3週間が過ぎようとしている。ロバータ・フラックのすべてを聴いているわけではないし、彼女について書く以上は“歌”について、 “愛” について書くことになる。果たして自分にそれができるのだろうか……。できなくても書くべきだろう、と自己問答。フラックは去る2月24日に他界した。ぼくには、彼女のカタログのなかに特別な感情を抱いている曲がある。素晴らしい曲で、歌人を気取って言えば、その歌、こよなるべし、だ。シンプルだが重厚で、エレガントだが突き刺さるものがあり、激しさを秘めた静的な緊張感において並外れている。まさに歌の勝利、ラヴ・ソングというものの奥深さだと思う。
 その歌“The First Time Ever I Saw Your Face”の、“愛は面影の中に”という歌謡曲めいた邦題は適切とは思えない。フラックのデビュー・アルバム『ファースト・テイク』(1969年)に収録され、3年後に大ヒットとなったこの曲(クリント・イーストウッドの最初の監督作品に使われた)は、ユアン・マッコールという、1960年代の英国の第二次フォーク・リヴァイヴァルの土台が形成される過程において重要な働きをした人物が1957年にアメリカのフォーク歌手、ペギー・シーガーのために書いた曲である。
 聴きくらべればわかるように、マンチェスター出身の筋金入りのマルクス主義者、その政治活動ゆえに当局から監視までされたイギリス人が書いて若いアメリカの白人女性が歌った曲を、フラックは彼女のなりの解釈において、ほとんど哲学的解釈も可能なタイムレスなポップ・ソングにしている。
 テンポが落とされたフラックの“The First Time Ever I Saw Your Face”では、最初に耳にこびりつくのは「The first time〜(初めて/最初に)」という伸ばされた音符で歌われるこの言葉だ。フラックはこの曲のなかの「初めてあなたの顔を見た」「初めてあなたの口にキスをした」「初めてあなたと横になった」と、いくつもの「初めて」をさりげなく印象づけながら歌を進行させている。あるミュージシャンはこの曲を聴いて「愛が爆発するのを感じた」と語っているが(*)、それでは不充分だ。この美しい曲から「愛の爆発」を感じるのはわかる。が、しかし「初めて」が強調されている点において、同時にこの曲には「死のはじまり」も暗示されている。なぜなら、「初めて」の世界が太陽が昇るほど強烈であるのなら、その後に連なる「初めて」ではない二回目以降の世界は色あせてしまうことになるからだ。“The First Time Ever I Saw Your Face”から広がる崇高なロマンティシズムにおける避けがたい悲しみは、そのパラドックスにあるのではないだろうか。
 それが愛の本質かどうかは、ぼくにはわからない。ただ少なくともこの曲においては、「暗闇と果てしない空に、月と星はあなたがくれた贈りもの」と歌うときのフラックが、「暗闇に(to the drak)」という箇所を印象づけているように、はじまりの太陽はいつか暗闇に戻されてしまうのだ。

 はじまりの強度が特別であるということは、ゆえにその後の強度は落ちていくと、それを前提に話を続けてみよう。人生をロマンティックに生きるには、そのリスクも引き受けようとするか、さもなければ、なるべく失敗のないと思われる人生を選ぶか、人はどちらを選択するのだろう。失敗の確率が少ない、予測可能な人生を楽しむために必要なものは消費文化である。
 フラックは、最初はアメリカの黒人ゴスペル・フォーク・デュオ、ジョー&エディによる1963年のカヴァー( 曲名は“The First Time” )で同曲を知り、1962年に初めてレコード化されたペギー・シーガーのヴァージョンはあとから知った。この曲は、ほかにも多くのカヴァー──ロマン主義文学で自らの人生を締めたマリアンヌ・フェイスフルからジャマイカのマーシャ・グリフィス、ピーター・ポール&マリー、はてや王様エルヴィスまで──があるのだから、やはり歌いたくなるメロディであり歌詞なのだろう。曲を作ったマッコールは写真で見るとなかなか洒脱な男だが、彼が自分の人生を消費文化とは無縁な、いや、消費文化を全否定しながら、しかし酒をかっくらっては人びとと一緒に歌を歌い、政治と音楽と恋に生きた人物である。そのことを思えば、“The First Time Ever I Saw Your Face”という歌にも、言葉は簡素だがマッコールにとっての生きることの意味が込められていたのではないかと、そんな見立ても許されよう。

 ユアン・マッコールには本名があり、ジェイムズ・ミラーという。なぜ改名したのかと言えば、第二次大戦中、彼はイギリス軍から脱走し、身を隠したからである。スコットランド人で社会主義者の両親をもつマッコールの、育ちはマンチェスターのサルフォード。ジョイ・ディヴィジョンやハッピー・マンデーズのメンバーの出身地としても知られるかの地は、労働者階級の町でもある。1915年に生まれ、14歳で学校を中退したマッコールの教養は、そのほとんどすべてがマンチュスター中央図書館に通って独学で得たものだった。若くして左翼活動に奔走し、最初は演劇によって表現活動をはじめた彼は、それから民衆の音楽=フォーク・ミュージックにも熱意を抱くようになる。
 周知のように、20世紀の初頭、セシル・シャープがイギリスの田舎に口承されてきたフォーク・ソング(民謡)を収集し、研究し、発表したことが、フォーク・ミュージック復興運動リヴァイヴァルをうながした最大の要因である。権威や制度のなかで保存されてきた音楽ではない、民衆のなかで歌い、踊り、伝承されてきた民謡に価値を見出すことは、資本主義や産業革命に疑念を抱き、田舎の文化を賞揚することでもあり、政治的には左派だった。じっさいシャープは、19世紀末のウィリアム・モリスのケンブリッジ大学での講義を受けたひとりである。
 しかしながら、シャープにはじまるフォーク復興運動にはじっさいの民衆とは離れたエリート主義的な側面があった。また、1930年代になると、民俗や農村に英国のアイデンティティを求める動きは保守的な右派との繋がりを見せはじめていく。したがって、「これじゃあまずい」と文化闘争に発展するのも当たり前で、フォーク・ミュージックとは文化エリートの許可なしに歌い踊る、文字通りの「people’s music」であるべきだと主張する新しい解釈が第二次大戦前に顕在化するのだった。当時の若いマルクス主義たちがフォーク・ミュージックと合流するのはこの機運においてであって、ユアン・マッコールはその代表的なひとりだった。
 マッコールにとってフォーク・ソング(民謡)とは、「人びとの音楽(people’s music)」である以上、農村だけのものではない。工場や鉱山、鉄道などでも歌われる歌=インダストリアル・ソングもフォーク・ソングである。マッコールはそれらにも耳を傾け、収集し、自らも “左翼のための” 歌を作った。ちなみに、ある鉱山労働者から教えられ、マッコールが記録し、本にまとめ、そして有名になった歌のひとつに“スカボロー・フェア”がある。また、マッコールが作った“ダーティ・オールド・タウン”はポーグスを通じて、日本でもお馴染みだ。英国では、“マンチェスター・ランブラー”という歌もよく知られているマッコール作のひとつで、これは平日身を削る思いで働く労働者たちが、日曜日には(ブルジュワジーが暮らす)田園地帯にピクニックに行って楽しむという、階級闘争めいた内容をウィットに描いた歌だ。ほんと、イギリスって国の大衆文化の良き部分は、マッコールがこの曲を書いた1930年代から、いや、それ以前から基本的なところは変わっていない。

 ユアン・マッコールは、活動家としてはハードな人生を歩んだかもしれないが、演劇もやって放送作家もやって、多くのインダストリアル・フォークを収集し、自らも多くの曲を書いたディレッタントで、そして恋多きロマンティストでもあった。20歳年下のペギー・シーガーとは、彼女が1956年に渡英した際に出会っている。アメリカに帰国後、ペギーから彼女が出演するラジオ番組のために至急曲を作って欲しいと言われたマッコールは、共産党員だった過去からアメリカに入国できないため、電話を通じて作ったばかりの“The First Time Ever I Saw Your Face”を彼女に伝授したのだった。
 話は少し逸れるが、ピート・シーガーという、アメリカにおけるフォーク・リヴァイヴァルの起爆剤にして抗議運動とフォークを結びつけたプロテスト・ソングの先駆者を異母兄弟に持つペギー・シーガーとマッコールとの繋がりは、英国内において、社会的抗議音楽としてのフォークに再配置しようとする風潮と無関係ではない。
 アメリカに、アラン・ローマックスという民謡収集家/民俗学者がいた。広く言えば、かつてセシル・シャープが渡米してアパラチア山脈を調査し、フォーク・ソング(民謡)を収集したことの継承者のひとりになるのだろうが、ローマックスは、これまた筋金入りの共産主義者で、デルタ・ブルースをはじめ、都会の「生きた伝承」=ナイトライフ・ブルースから刑務所で歌われている歌、貧しい黒人家庭や酒場に積まれたアセテート盤にも着目した。そんな人物が、1940年代にはすでに影響力のあったピート・シーガーと合流したことで、フォークないしはブルースに抗議行動や急進的な政治との接点が誘発される(***)
 赤狩りのリストに名前が記載されたアラン・ローマックスが渡英したのは、マッカーシズムが台頭した1950年だった。それから8年にも及んだ滞在期間中、ローマックスはおとなしく過ごしていたわけではない。「イギリスのフォーク・リヴァイヴァルを燃え上がらせたエネルギーの雷のような人物」(***)と形容されるほど、アンダーグラウンド・シーンに深く関わり、マッコールとも交流を深めている。ペギー・シーガーを英国に呼んだのは、言うまでもなくこのアラン・ローマックスだった。

 ロバータ・フラックのもっとも有名な曲に“ Killing Me Softly with His Song”がある。おそらくは片思いの歌であり、また、歌というものの感情的な威力を歌った、言うなれば歌についての歌でもある。この壮大なバラードは、1996年にフージーズが取り上げし、ローリン・ヒルが歌い、大ヒットしたことが引き金となって、よくよくネオソウルの基礎を築いたと言われているが、そもそもこれはフラックのハイブリッド志向が導いたものだろう。彼女は、ブラック・パワーの時代に黒人の土着性だけに囚われず、クラシックからブロードウェイ・ミュージカルの要素まで取り入れている。そもそもオペラ歌手になりたくてハワード大学を卒業したフラックだった。夢は挫折し、教職につきながら副業としてナイトクラブで演奏するようになった彼女は、大学時代に学んだクラシックの技法を自分の演奏に活かした。
 またフラックは、“The First Time Ever I Saw Your Face”に限らずほかにも白人のロック/ポップスをカヴァーしている。ボブ・ディランの“Just Like a Woman”は女性アーティストとしては初のカヴァーだったし、ジミー・ウェッブの“What You Gotta Do”、サイモン&ガーファンクルの“明日に架ける橋(Bridge over Troubled Water)”、キャロル・キング作曲の“Will You Love Me Tomorrow”……、それからビージーズの“To Love Somebody”まで歌っている。そのすべてが原曲にはないニュアンスを込めた、彼女の解釈による歌となっているのだけれど、ぼくとしてはレナード・コーエンの“Suzanne”をライヴ・アルバムの締めとして歌ったことが興味深い。コージー・ファニ・トゥッティをも魅了し、ニーナ・シモンのカヴァーでも知られるこの曲は、なかば幻想的かつ宗教的な歌詞で、ひとを愛することのトランスグレッシヴな状態を表現していると言えるような不思議な曲である。
 フラックはニーナ・シモンと違って、ラングストン・ヒューズやジェイムズ・ボールドウィン、ストークリー・カーマイケル、そしてロレイン・ハンスベリー(ブロードウェイのヒット作を手がけた初の黒人女性作家)のような公民権運動/ブラック・アート/ブラック・パワーの渦中にいたような傑出した人物との出会いはなかったかもしれないが、ユージン・マクダニエルズのような公民権運動に影響を受けた気骨ある黒人作曲家のレパートリー──“Reverend Lee”や“Feel Like Makin' Love”、そして完璧なプロテスト・ソング“Compared To What”など──を歌っている。名作『クワイエット・ファイア』においては、あのスリーヴのアフロヘアの写真そのものが政治的表明になっている。フラックは、ゴスペルから来たアレサ・フランクリンの超強力な歌唱力や、のちにニック・ケイヴから「神のよう存在」とまで言われたニーナ・シモンの憤怒を内包したヴォーカリゼーションのまえでは、ある向きからは「ムード音楽」なるレッテルを貼られてしまうほどソフトに思われたかもしれないが、黒人といえばジャズ・シンガーかR&Bシンガーと思われた時代のフラックの雑食性は、フュージョン的なるもののヴォーカル版というか、分類を拒むという意味では未来的だった。フラックとのデュオでも有名な、彼女と同じくハワード大学でクラシックを学んだダニー・ハサウェイもブラック・アート/ブラック・パワーの精神に共鳴しながら西欧音楽も研究し、自作にその要素を取り入れたミュージシャンだった。同時代のデトロイトではファンカデリックがブラック・サイケデリック・ロックを更新し、アフロ・フューチャーへと向かっている。ローリン・ヒルばかりか、エリカ・バドゥや最近ではソランジュのなかにもフラックからの影響を見ることができるとしたら、やはり彼女は進んでいたのだろう。2020年にはジェイムズ・ブレイクも“The First Time Ever I Saw Your Face”をカヴァーしているが、手本としたのはフラックのヴァージョンだと思われる。

 だが、重要なのはそこではないのだ。カニエ・ウェストだってフラックの曲をサンプリングしているのだからフラックはいまでも有効である、などという軽口を叩きたくはない。「ソウル・ミュージックとは、人間として、自分の人生は他人の手に委ねられているという紛れもない事実に対する、アメリカが生み出した最高の脚本に他ならない」と言った人がいる(**)。咀嚼すれば、生きるための脆弱性を前向き変換する力。共生の感覚。なるほど、その意味はぼくにも理解できるし、ある時代までのブラック・ミュージックにおけるラヴ・ソングの意味を理解するうえでは、納得のいく説明だ。その文脈において、フラックはマッコールの曲をソウル化している。いや、マッコールの原曲がそもそもソウル化されていたのかもしれない。
 数年前、『クワイエット・ファイア』と『チャプター・トゥー』の50周年版が配信でリリースされて、前者にはボーナストラックとしてビートルズの“Here, There, And Everywhere”のジャズ解釈と言えるような当時のカヴァーが収録されていた(ビートルズのカヴァー集『Let It Be Roberta』には同曲の1972年のライヴ演奏がアルバムの最後に収録されている)。ドラマティックな歌唱を特徴とする彼女がこの曲においてもっとも強烈に歌うのは、原曲ではポールがたんたんと歌っている「love never dies」というフレーズである。それを歌うときのフラックは激しく、一瞬ではあるが、反逆的である。
 ロバータ・フラックは「愛は歌だ」と語っている(*)。歌が愛ではなく、愛が歌……か。わかるようでいてわからない。が、わかるような気がする、ロバータ・フラックを聴いている限りは。

(*)
Remembering Roberta Flack: The Virtuoso
https://www.npr.org/2020/02/10/804370981/roberta-flack-the-virtuoso

(**)
Emily J. Lordi, Donny Hathaway Live, Bloomsbury, 2016, p39

(***)
Rob Young, Electric Eden Unearthing Britain’s Visionary Music, Faber and Faber, 2010, p113~p146

※ちなみにペギー・シーガーのヴァージョンも素晴らしい。このYouTubeの画像に出てくるヒゲの男がユアン・マッコールである。ペギーとマッコールは、初めて知り合った1956年から80年代にかけて、40枚ほどの共作アルバムを発表している(そのなかにはもっとも初期の、1960年に作られた反核ソングも含まれている。また、ペギーの方は60年代にフェミニズム運動のアンセムをいくつも書いている)。なお、ペギー・シーガーは、87歳になった2023年にも“The First Time Ever I Saw Your Face”を「愛と喪失の曲」として歌っている。これもまた素晴らしいヴァージョンだ。しかもこのヴァージョンは、それこそ「初めて(The first time)」と歌って終わっているのである。

別冊ele-king ゲーム音楽の最前線 - ele-king

ゲーム音楽はいまこそ面白い!
現在進行形のみずみずしいゲーム音楽を大特集!!

●表紙・巻頭:『SILENT HILL 2』──傑作と名高いホラー・ゲーム、注目のリメイク版を掘り下げる
●最前線はオンラインにあり!──話題沸騰のNintendo MusicからSpotify、Amazon、Apple、YouTubeにBandcampにSoundCloudに、Steamからitch.ioまで、各サーヴィスを徹底比較
●ディスクガイド──押さえておきたい2024年のベストな100枚
●大嶋啓之(『天穂のサクナヒメ』『アクセル・ワールド』)やたなかひろかず(『MOTHER』「めざせポケモンマスター」)ら作曲家のインタヴュー、カスタリアオーディオに聞く中国のゲーム音楽事情、注目のゲーム音楽レーベル紹介など、盛りだくさんでお届け!

執筆:田中 “hally” 治久、DJフクタケ、糸田屯、井上尚昭、市村圭、魚屋スイソ、福山幸司

菊判/160頁

目次

巻頭言

■特集『SILENT HILL 2』
[座談会]蘇るホラーゲームの金字塔──新たな考察を促すリメイク版の裏設定: 岡本基×伊藤暢達×山岡晃
[コラム]『SILENT HILL 2』の革新性──映画と文学とインディーゲームが交錯する場 (福山幸司)
[インタヴュー]ノイズがないことが正解ではない──コンポーザーの山岡晃が『SILENT HILL 2』にかける想い

■最前線はオンラインにあり! 配信サービス徹底比較
Nintendo Music
大手サブスクリプション・サービス
YouTube
Bandcamp
ゲームソフトのダウンロード配信サイト
その他のサービス

■2024年ベスト100
押さえておきたい2024年のゲーム音楽100選
ゲーム周辺曲ディスクガイド2024──ゲーム原作メディアミックスの世界

■いま、このひとに訊きたい
『MOTHER』から『ポケモン』主題歌、そしてチップチューンへ──たなかひろかずという「いきざま」
民族音楽やエレクトロニカを独自に消化する作曲家──『天穂のサクナヒメ』大嶋啓之インタヴュー
中国ゲーム音楽のこれまでとこれから──カスタリアオーディオのショーン・チュウ氏に聞く当地の最新事情

■注目のゲーム音楽レーベル紹介
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USM邦楽
ウェーブマスター
CASSETRON
クラリスディスク
iam8bit japan & asia
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[監修者プロフィール]
田中 “hally” 治久
ゲーム史/ゲーム音楽史研究家。チップ音楽研究の第一人者で、昨年10月に最新刊『ゲーム音楽はどこから来たのか──ゲームサウンドの歴史と構造』を上梓。その他の主著に『チップチューンのすべて』、監著に『新装版 ゲーム音楽ディスクガイド1』ほか。さまざまなゲーム・サントラ制作に携わる傍ら、ミュージシャンとしても活動しており、ゲームソフトや音楽アルバムへの楽曲提供を行うほか、国内外でDJ・ライブ活動も展開している。

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「土」の本 - ele-king

地球も、私たちの体も、過去も未来も、
すべて「土」の上に成り立っている!

「土」ってなんだ!? 土の博士がお話しします。

半世紀以上「土」を研究してきた日本の土研究の第一人者、
土壌微生物/農学博士の金澤晋二郎の単著がついに刊行!

●「土」の問題がなぜここまで重要か
●良い「土」と悪い「土」とは何か
●「土」が生活にもたらす影響
●「土」と健康の重要な関係
●日本ではどこの「土」が良いのか
●どうすれば「土」をよくできるか
●江戸時代、どれほどの苦労があって東京で野菜を栽培できる土壌にしたか
●宇宙農業とは何か

写真、イラスト、図表を交えて実践的でわかりやすく解説!

「研究のために土を掘って、研究室に持ち帰って調べてみると、土壌一筋60年の私でさえ毎回驚く発見があります。土は私たちの知らない無限の可能性を秘めた未知の世界です。この土と微生物に魅せられた1人として、生命を支える18センチの土を絶やすことなく、豊かに育んでいくことが私の使命のひとつです」(金澤晋二郎)

四六判/240頁+別丁8頁

[著者プロフィール]
金澤晋二郎
株式会社金澤バイオ所長。土壌微生物学農学博士、中国河南省科学院名誉教授、九州バイオリサーチ研究会会長。1942年北海道小樽市生まれ。東京大学大学院農学系研究科修了。鹿児島大学農学部助教授、九州大学大学院農学研究院教授を経て、2016年に金澤バイオ研究所を設立。日本土壌肥料学会学会賞(1986年)、第13回 国際土壌科学会議(西ドイツ)土壌生物部門最優秀賞(1986年)、愛・地球賞―Global 100 Eco-Tech Awards(1986年)、第13回 微量元素の生物地球化学会議『福岡観光コンベンションビューロー国際会議開催貢献賞』(2017年)など受賞歴多数。

目次

献辞
はじめに
イントロダクション

第一章 「土」の誕生と微生物
第二章 世界の「土」と、日本の「土」
Column 「温故知新」が導く御神木 “海岸黒松” の再生技術
第三章 「森」は生命の源
Column 竹には大きな未来がある
第四章 「土」の薬膳
Column 土ピープル
微生物視点から見る、土と体のつながり/土から育つバラへの思い/植物愛による、生誕土壌再生への挑戦
第五章 土壌研究と緑茶栽培
Column アートで表現する土
第六章 「土」に還すコンポストの可能性
Column 地産地消コンポストシステム
第七章 物質循環、分解のその先へ
第八章 宇宙農業の可能性

おわりに
謝辞
主要な研究と内容

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つねに思い出そうとする
ただ楽しい時間を過ごすことを
パンダ・ベア “Comfy in Nautica”

 海に向かって彼女が手を振っている。逆光で陰になっているが、その表情は微笑んでいるに違いない。ザ・ビーチ・ボーイズの“グッド・ヴァイブレーション”は、58年後のいま聴いても、驚くべきほど革命的なポップ・ソングであることがわかるのだから、当時としてはそうとうな衝撃だったことだろう。プロダクションにおける実験性もさることながら、ポップ界のチャーリー・ブラウンことブライアン・ウィルソンのユートピア的な思いが、もはや海、夏、サーフィン、車、女の子たち……といった10代の男子が思い描くその範疇にはおさまらない、より高次な、宇宙規模での愛らしきものとしても脈打っていると、そんなたわごとも言いたくなる。ザ・ビートルズからクラフトワーク、山下達郎からジーザス&メリー・チェイン、多くの音楽家を打ちのめしてきたのもむべなるかなである。

 ノア・レノックス、パンダ・ベアの名で知られるアメリカはバルチモア出身で、ポルトガルはリスボン在住のミュージシャンも、子供で純粋、という意味ではインディ界のチャーリー・ブラウンだったのかもしれないが、ネヴァーランドの住人ではなかった。大人になることを受け入れて、それを宣言したような曲も発表している(“My Girl”という曲である)。彼はまたウィルソンと同様、サイケデリアの扉を開けたひとりではあって、しかしウィルソンと違ってその部屋から出ていったようには思えない。レノックスはいまでもそこにいて音楽を作っている。大人になったいまも、そして離婚を経験したいまも。

 アニマル・コレクティヴとの出会い方にはふた通りの回路があった。ひとつの回路は、90年代からずっと、グランジのハイプに惑わされずに、オルタナ・カントリーをはじめ、USアンダーグラウンドで活況を見せていたインディ・ロックをしつこく追いかけていた連中である。
 もうひとつは、このバンドを世に広めた〈ファット・キャット〉経由だ。もともとは、90年代前半はコヴェント・ガーデンの外れの地下に店を構えるレコード店で、当初はロンドンにおけるデトロイト・テクノの拠点のような品揃えだった。〈Warp〉がまだレイヴに片足を突っ込んでいたころ、無名時代のAFXやB12のような音源は、この小さな店が中心となってプロモートした(そしてこの時代、ぼくは幸運にも「おまえここに住んでいると思っていたよ」と間違われたくらいに通った)。
 90年代後半、その目利きを活かしてレーベル事業をはじめた〈ファット・キャット〉は、ポスト・レイヴ時代における先導者のひとつとなって、ブレイクコア、ポスト・ロック、IDM、グリッチ……といった細分化されたアンダーグラウンドにおける起点となるような作品をいくつもリリースしている。そして、やがてはポスト・クラシカルでひと山当てるこのレーベルが先鞭を付けたのが、アニマル・コレクティヴであり、ヴァシュティ・バニヤンといった、当時としては新鮮に思えた「フォーキー」なサウンドだった。ぼくはこの流れでアニマル・コレクティヴを知り、聴いて、好きになったひとりである。
 好きになった最大の理由はその音響的な新鮮さにあったが、そこからくみ取れるポスト・レイヴのサイケデリアにおける喜びと、そして悲しみに心動かされもした。『キャンプファイア・ソングス』(2003)——あの酔っぱらった、いかれたフォーク・ソングが大好きだった。商業化されたレイヴよりも友人とキャンプに行ってたき火をしながら歌う方がたしかに楽しい。だが、しかし、その先に何があるというのか……それでもぼくは、ニュー・レイヴではなくこちらを選んだことにまったく迷いはなかった。

 そう、それでブライアン・ウィルソンが1966年に制作しながら幻となった『スマイル』の2004年版を、発売から数年後に聴いて「お、なんかアニマル・コレクティヴみたいじゃん」と思ったのだが、いやいや、周知のようにレノックスがザ・ビーチ・ボーイズに影響されているのである。とはいえ、レノックスが取り入れたウィルソン風のメロディラインとハーモニーには、ウィルソンが影響を受けたザ・フォー・フレッシュメン(50年代に人気を博した男性ヴォーカル・カルテット)のような透明感はない。初期はローファイで、賛美歌めいてもいたし、なんか違うのだ。チャック・ベリーからの影響を波乗りの感覚へと変換したグルーヴもない。が、その代わりと言ってはなんだが、キング・タビーやハリー・ムンディ(メロウなダブの達人)をはじめとする70年代ジャマイカの音響職人たちからの影響をレノックスなりの水中遊泳へと変換したかのような奇妙なウィアードダブ・サウンドがあった。
 〈ドミノ〉に移籍してからのアニマル・コレクティヴ/パンダ・ベアを特徴づけるのは、ソフト・トリップなサイケデリアの工作室とそのポップな展開だが、それは果たして手段としてのサイケデリアか目的としてのそれか、どちらなのだろうかと。ウィルソンにとってのそれが手段であったことは、“ゴッド・オンリー・ノウズ”のような曲で聴ける我が身を引き裂くほどの愛を聴けばわかるが、レノックスにとってのそれも、ユートピストとしての彼のヴィジョンを描くための手段である、とぼくは思っている。
 レノックスは、ザ・ビーチ・ボーイズの1965年の有名な歌詞のラインをそのまま音楽制作において実行しているかのようだ——つまり、“She Knows Me Too Well” で歌われる「ときには愛を伝えるのに、ぼくは奇妙ウィアードな方法をとってしまう」と。その奇妙さウィアードが彼のサイケデリアであって、だが、しかしその本質はレノックスが『パーソン・ピッチ』(2007)で歌っていることなのだろう、すなわち「つねに思い出そうとするんだ/ただ、楽しい時間を過ごすことを」と。

 もっとも彼は言葉のひとではない。じっさい昔のインタヴューで、歌詞やメロディよりもまずは土台となるサウンドを優先して作っていると話している。ソニック・ブームとの共作もそうだが、『パーソン・ピッチ』(2007)における水中めいた音響──サーフ音楽とダブ&テクノの融合、忘れてもらっては困るがここにはウラディスラヴ・ディレイら北欧ダブ・ミニマリズムからの影響も含まれている。『メリウェザー・ポスト・パビリオン』(2008)の冒頭における轟音とエーテル状のゆらめき、もちろん『トムボーイ』(2011)や『ブーイ』(2019)においてもそうだ。彼の奇妙なウィアード音響アイデアの具現化は、音響工作によるサイケデリアと説明できるだろう。
 『トムボーイ』の歌詞においてサーフボードを人生に喩えたように、レノックスの作品ごとのサイケデリアはその描き方であって、結果として描かれたものは、総じて温かく愛らしいものに溢れている。愛がなければ生きる価値はないと言わんばかりの1966年のウィルソンとパラレルな関係にあると言えるかもしれないが、そこには男子が夢見る夏も車も女の子もいない。そして、アッパーにはならず、かといってダウナーにもならない。 “My Girl” によれば、「欲しいものはあまりない。ゆるぎない魂と血と、小さな娘と伴侶と、生活できる住処が欲しいだけ」なのだ。

 「サイケデリック治療で奇跡的な結果が得られる人は多いのだから、探求する価値のある行為であることは間違いないね」と、レノックスはあるインタヴューで答えている。人生の暗い側面を追求した(我が愛しき)80年代のUKインディーズ——「ぼくが欲しいものはぼくが決して得られないもの。それは信頼できる恋人とベッド」——とは対照的に、パンダ・ベアの音楽はたとえ「幸せについての悲しい歌」であったとしても、人生を前進させようとする温さから離れない。その微笑みにイラつくことがないかと言えば、ぶっちゃけたところあるにはあるのだが、レノックスの柔らかさがいまもまだ欠如しているとしたら、この音楽は反時代的で、46歳になっても初心を忘れずにあらたな音響アイデアをひねり出していることにはあらためて敬意を表したいと思う次第である。
 新作『シニスター・グリフト』、「不吉な詐欺」なるタイトルのニュー・アルバムは、既述したように彼が「伴侶」と別れてからの作品で、人生の悲しみのなかで制作されているはずだが、またしてもここでブライアン・ウィルソン流の歌メロを引っ張り出している……そればかりか、アルバムを音響アイデア満載のポップス集としてまとめあげている。早い話、これまでのキャリアにおいて、もっともグルーヴィーなポップ・ソングと呼びうるもののレパートリーを披露しているのだ。人生の悲しみをポップスで乗り越える、うん、それはそれでひとつの哲学じゃないか。
 「ぼくの心は壊れる前に折れる」——アルバム冒頭の曲のこの痛々しい言葉は、60年代風の軽快なビートとメロディで中和され、その浮ついた曲調に少々面を食らうが、「小さな娘」をフィーチャーしたトロピカルな2曲目“Anywhere but Here”の陽光とダブの音響工作による心地良きゆるさにはまったく逆らえない自分がいる(『フロウ・モーション』期のカンのようだ)。同じことがペダル・スティールを効果的に使った“50mg”、ザ・ビートルズめいたキャッチーなサイケデリア“Ends Meet”にも言えるだろう。ぼくが思うに、前半の4曲はほとんど完璧な展開だ。
 後半のはじまり、レゲエのリズムを応用した“Just as Well”も悪くはないが、続く“Ferry Lady”におけるダブのアイデアが秀逸で、未練がましい歌詞とは裏腹のリー・ペリーめいた遊び心は、これまでもレノックスのソロ作ではたびたび顔を出しているとはいえ、その突出した成果だと言える。
 徒労感を露呈する歌詞とサウンドの“Venom's In”以降の2曲──“Left in the Cold”と“Elegy for Noah Lou”は、前半の明るさとは対極の冷たい洞窟で、しかし2003年あたりからレノックスの音楽を聴いているファンにしたら、俺たちのパンダ・ベアが帰ってきたと思うかもしれない魅惑的な曲でもある。ことにアルバムでもっとも長尺の後者は、あの素晴らしき『サング・トングス』における冬の冷たさのアンビエンスにリンクしているのではないかと。シンディ・リーが参加したクローザーの“Defense”は、『ピッチフォーク』の読者のためにあるわけではないだろうが(両者とも同メディアがフックアップした)、キラキラしたギターと力強いリズムをもったこの曲を聴いてからふたたび冒頭の“Praise”を聴いてみると、世界は違って見えるから不思議だ。

 ぼくがいちばん最初に好きになったアニマル・コレクティヴの曲は、“The Softest Voice(もっともソフトな声)”である。昔、たまにDJをやっていた頃、クラブでこの曲をかけたらいっきにフロアからひとがいなくなったことがある。「もう家に帰って、パジャマを着てベッドに入ろう」、クラバーたちはそう言われた気分になったのかもしれない。ノア・レノックスが20年以上ものあいだサイケデリック・ポップなるものを追求し、拡張させ、そこに新しいアイデアを放り込んでは忘れがたい作品を複数枚作ってきたことはじゅうぶん称賛に値する。ハードであることをぼくは決して嫌悪しているわけではないけれど、ハード・ロックの時代にソフト・ロックが軽んじられたように、ソフトなものはつねにハードなものに押しつぶされそうになる。サーフ・ポップをダブと接続することで切り開かれたサイケデリアは、じつはソフトなものにこそまだやれることがあるんだと言わんばかりに、我々の耳を楽しませ、心をざわめかせる。ノア・レノックスが暮らすリスボンは、ベルリンでは生活費が高くて住めないというボヘミアンたちが集まっている街である。美しい海もある。さあ、みんなで手を振ろう。

【蛇足】
パンダ・ベアのキャリアにおいて例外的な作品はふたつある。911直後に制作された『ダンス・マナテー』(2001)、そしてレノックスの父親の死が大きな影響をおよぼしている『ヤング・プレイヤー』(2004)だ。後者はファンのあいだでは人気作だが、ぼくは彼の作品で唯一ダークな前者もまったく嫌いではない。

Marta de Pascalis - ele-king

 マルタ・デ・パスカリスはベルリン在住のイタリア人コンポーザー/サウンド・デザイナー/シンセサイザー奏者だ。これまで《Berlin Atonal》や《Mutek》といったフェス、カフェ・オトなどでパフォーマンスをおこなってきた彼女は、『Quitratue』(2014)、『Anzar』(2016)、『Her Core』(2018)、『Sonus Ruinae』(2020)とコンスタントに作品も発表、なかでもカテリーナ・バルビエリ主宰の〈Light Years〉から送り出された最新作『Sky Flesh』(2023)は評判となり、日本でも多くのレコード店でソールドアウトになっているという。そんな彼女による来日公演ツアーが開催中です(巡業先は新潟、名古屋、加西、京都、大阪、東京)。お近くの方は足を運んでみよう。

【ツアースケジュール】
3月2日(日) 東京 落合 Soup
 イベント名//Electronication in Japan

 共演//SNH + Ayami Suzuki + Kyosuke Terada(VJ),Kurando, natsuehitsuji, Geoff Matters dj: Inqapool
3月8日(土) 新潟 ビュー福島潟
 イベント名//experimental rooms #47
 共演//福島麗秋山 + 福島諭 DJ: Jacob D. Fabregas
3月13日(木) 名古屋 Duct
 イベント名// Ante-nnA
 共演//KAMAGEN, Ek dui tin char, CazU-23 DJ: Ohasyyy VJ Yum
3月15日(土) 加西 Tobira Records
イベント名// in store show case vol.62
 共演//Perila, Computer Station, Daniel Majer, Kochou no Yume dj: Kaoru, nishihiroshi, RAlooE
3月17日(月) 京都 UrBANGUILD
 共演//立石雷、Krikor Kouchian dj: KJ Trypta
3月20日(木) 大阪 Environment 0g
 イベント名//Aural Execution for Argument
 共演//Ryo Murakami, 黒岩あすか + foreign.f + Dagdrøm, Vesparium Role dj: Zodiak, Junya Hirano
3月21日(金) 京都 外
 イベント名//Marina di Jodoji
 共演//Kazumichi Komatsu, Vís, 1729
3月26日(水) 東京 Forestlimit
 イベント名/ /K/A/T/O Massacre
 共演//TBA

Horsegirl - ele-king

 2018年あるいは19年、パンデミックが世界の様式を変える前にギター・バンドがクールなものだと再び知らしめた若者たちの熱は世界中に広がり、そうして発展していった。サウスロンドン・ウィンドミルでのインディ・シーンは言うまでもなく、アミル・アンド・ザ・スニッファーズを生んだメルボルンでもトゥワインやデリヴァリーなどエネルギーを感じるバンドが出てきているし、シカゴにはなんといってもハロガロのコミュニティがある。ノイ!の名曲 “Hallogallo” からその名を取ったというシカゴの10代の若者カイ・スレイターのジンの初号が出たのが21年のこと(80年代のパンクのジンに影響を受けたこのジンはタイプライターで書かれている)。ハロガロのホームページには「YOUTH REVOLUTION NOW」の素晴らしい文字が踊る。このカイ・スレイターがやっているプロジェクトが〈K RECORDS〉からアルバムが出る60年代のサイケ・ポップに影響を受けたようなシャープ・ピンズであり、所属しているバンドがティーンビートを体現したライフガードだ。ライフガードにはホースガールのペネロペ・ローウェンスタインの弟のアイザックがいて、ホースガールの最初のシングルを録音したのが少し年上のフリコのニコ・カペタンであって……とどんどんその輪が広がっていく。もともとはハロガロ・キッズと称する趣味の合う遊び仲間で友情を育みそれぞれに音楽を作っていたのだというが、パンデミックを挟みそれが理想的に大きくなった。ジンを作りTシャツを作りイベントを開催し、ビデオを撮り、ヴィジュアルを決める。音楽とそれ以外のものが結びついたDIY精神でのつながり、シカゴで、世界中で、音楽が好きな若者たちが自分の居場所があると感じられるコミュニティを作りたい、そうした思いがあったのだと彼らは言う。

 ホースガールはそんなコミュニティのなかで育まれそれぞれの感性を磨いていった。ギターとヴォーカルのノラ・チェンとペネロペ・ローウェンスタイン、そしてドラムのジジ・リースからなる3ピース・バンド、ペネロペの家の地下室で練習しソニック・ユースやクリーナーズ・フロム・ヴィーナスに憧れた音楽を奏でる。そうしてこの仲間内のクールなバンドが〈マタドール〉と契約し、DIY精神を持ったままで大きな場所に進出していったのだ。どうしたってそこに理想的なインディ・バンドのストーリーを夢見てしまうものだが、ホースガールはその期待に見事応えて見せてくれた。10代の高校生活のレコードだったと自ら評する1stアルバム『Versions of Modern Performance』は80年代や90年代のオルタナ・バンドへの愛に溢れていて、それが時を経た20年代の新しいギター・ミュージックとして提示され多くのインディ・ロック・ファンに受け入れられた。小さな場所で鳴らされる大きな音、そこにはユース・カルチャーのなかにある音楽の根源的な魅力が詰まっていたように僕には思えた。

 そうして25年の2ndアルバム『Phonetics On and On』でもってホースガールは第2章に入った。大学に進学するためにニューヨークでの暮らしが始まり、新たな街での生活のなかで音楽が生まれる。さりとてシカゴの街は思い出のなかの場所ではなく頻繁に帰る繋がりのある場所で、実際にこの2ndアルバムも24年の冬にシカゴで録音されたものだ。シカゴの伝説的なバンド、ウィルコのアルバムを手がけたケイト・ル・ボンのプロデュースのもと、ウィルコのスタジオ The Loft で作られたこの音楽は1stアルバムの延長線上にありながら耳に入ってくる音の感じが明らかに違う。ディストーションで歪められたギターの音はシンプルなものに置き換えられて、ソニック・ユースというよりはヴェルヴェット・アンダーグラウンドが頭に浮かぶようなものになった。あるいはヤング・マーブル・ジャイアンツのようなスカスカの音の隙間に存在の魔法を浮かべせるようなそんなバンドになったのだ。余計なものをそぎ落としたなんて表現はしっくりこない。なぜなら最初から足されてなどいないからだ。必要十分というのも違う。どうしてかと言うとこの音数の少ない乾いた空間のなかにしか存在しないエネルギーがあるからだ。プロデュースを務めたケイト・ル・ボンは「無理に形を崩すことはない。洗練させようとしてもあなたたち3人がやったら自然とそうなるのだから」と言ったというがそれはまさに的を射ているように感じられる。僕はここにストロークスの『Is This It』を重ねてしまう。そう、これこそがそれなのだ。過去の黄金がこれ以上ないような形でモダンに提示される。繰り返されるリフに繰り返されるギター・ミュージックの歴史、その繰り返しの違いのなかにこそロックンロールの熱が生まれる。

 モダン・ラヴァーズの “Roadrunner” を思わせる “Where’d You Go?” で始まり素晴らしいコーラス・ワークを持つ “Rock City” を経由して遠くに向かうこのアルバムは1stアルバムとは違った種類の感動を届けてくれる。ホースガールのこれからの時間の中で素晴らしいアンセムになる可能性を持った “Julie” あるいは “2468”、“Switch Over”、“Sport Meets Sound” エトセトラ、エトセトラ、アルバムのほとんどの曲で聞かれる「ドゥドゥドゥ」「ダッダダッダダッタ」のような言葉にならない言葉がギターの上でリズムを生み出し心を躍らせる。それはいにしえから続くポップ・ミュージックの呪法とも言えるようなもので、それこそがこのアルバムをより一層魅力的にしているものだ。シンプルな、それでいて奥行きのある音と言葉の間の響き、それはまさにこのアルバムのギターのようにとどろき、合わさり、この音楽に魔法をかける。

 ホースガールはこの2ndアルバムで本当に素晴らしい場所に行ったのだと思う。シカゴのDIYコミュニティの精神を持ったまま、その外側の空気を吸って、内向きになりすぎないポップで実験的な音楽を作り上げた。それはまさにインディ・ミュージックの理想だ。そうしてきっとここに続く若者たちがまた現れるのだろう。その繰り返しのなかにこそ黄金は存在し、歴史はそうやって形作られていく。

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