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ザ・ストロークス、中古市場を見渡せば、2001年8月にリリースされたデビュー・アルバム『イズ・ディス・イット』のUK(EU)オリジナル盤は、アナログ盤ならけっこうな高値で取引されている。CDにしたところで、定価の7掛けでも十分売れる。アナログの中古価格はゴーストのようなものだが、CDの値段というのは、そのアルバムの体力を測るにあたってなかなか有効な指標だ。CDの存在している作品のアナログ盤や、定価超えをしているようなものは、多くの場合コレクターズ・アイテムであるにすぎないとも言えるだろう。しかし中古CDがそれなりの値段で取引されているということは、単純に考えて、新たな層・新たな世代のリスナーを獲得し続けているということになる。しかも、リリース時にあれだけ売れた=市場に数多く出回ったにもかかわらず定価の7割をキープできているわけで、リスナーの期待や購買意欲が高いことまでが伝わってくる。アナログ盤が高額で、かつCDだと値のつかないものは、作品としてはいちど歴史的役割を終えたものだ。してみればザ・ストロークスの『イズ・ディス・イット』はまだまだ現役なのである。
我々がこのバンドに期待しているものは何だろうか。ハイプというか、おぼっちゃんバンドとして揶揄されもしたのは、彼らが実際に富裕層が通う私立学校で出会ったという経緯があるからだが、それらを飄々とまたぎ越し、古風なロックンロールを洗練された手つきで鳴らしたことは、じつに鮮烈な登場の仕方であった。シャープで不敵でミニマルな、通称「尻ジャケ」には、有り余るような自信とクールさが表現されている。レイドバック志向の嫌味なやつら、という印象はなかった。むしろ「オルタナティヴ」という単語に実が伴わなくなり、ニュー・メタルやミクスチャーの飽和状態に象徴的に行き詰まりをみせていたロック・シーンに風穴を開け、あけすけにリセットをかけてしまった痛快なバンドとして、記憶にも歴史にも残ったのである。
当時を知らなければ、想像してみていただきたい。日本で言うところの「中2病」的な懊悩や妄想を、メタリックなサウンドで煮詰めた音が主流を成していたシーンに、バンド名に「ザ」を冠してラフなガレージ・スタイルを持ち込んだ彼らの登場は、本当に鮮やかの一言に尽きる。後続するバンドたちが「ザ・リバティーンズ」だったり「ザ・クリブス」だったり「ザ・コーラル」だったりすることも史的に偶然ではあるまい。"ニュー・ヨーク・シティ・コップス"でみせた市警への挑発めいた批評は、この名曲がUS盤では収録されないという事態を招いたが、しかしこれが見事にニュー・ヨーク・シーンの復活を印象づけることにもなったし、アニマル・コレクティヴなどその後のニューヨークのシーンの隆盛に先鞭を付ける形で先の10年を伐り拓いたとも言えるだろう。何にもとらわれない態度やスマートな音楽を、デビュー作の記憶とともにずっと期待され続けている......その期待とともにサード・アルバムまですべて買ったという人も少なくないはずだ。
だがこの4枚目はどうだろう。購入をためらわないだろうか。セカンド・アルバム以降が駄作とは言わないまでも、『イズ・ディス・イット』の信用で買っていた部分がある。このことは中古の相場にも如実に表れている。次に何をやるか、どう人びとの期待を裏切るか。図らずも課せられた大きすぎる課題にバンドが応えきれていたとは言いがたい。
『ルーム・オン・ファイア』(2003年)の"レプティリア"などは支持の高い名曲だが、ジャケット・デザインを比べてみるだけでもファーストとはずいぶん違うのだ。思索的な調子を出しながらどこか焦点を欠いた、抽象的なイラストのセカンド・ジャケ。質の低下ではなく、迷走を予感させた。世間の期待するようなストロークス像を踏み越えよう、という意地のようなものを感じると同時に、それがうまく音に結びつかず、むしろジュリアン・カサブランカスという人の個人的な資質が膨張したようにも見えた。
サード・アルバム『ファースト・インプレッションズ・オブ・アース』(2006年)ではさらにそうした傾向が深まり、なかが空洞なのに方法だけがプログレッシヴにマッスル化したような不思議な作品になった。ジャケットはもはや直線のみだ。そろそろ、このバンドに対する過剰な期待もやわらぐ頃合いである。
私はしかし、これはバンドにとって良いことではないかと思う。ようやく本来のザ・ストロークスのサイズと向かい合う準備ができつつある。今作『エンジェル』は「それでも聴きたい」ファンが手にし、それなりに納得できる作品になっている。2曲めの"アンダー・カヴァー・オブ・ダークネス"などはデビュー作の感触に近く、ストロークス節が全開になったシャッフル・ナンバーだ。先行シングルでもあったこの曲だけを聴けば、腹を括って原点回帰したアルバムになっているのではないかと想像もするだろう。しかし全体としてはもうすこしぱらぱらとした、悪く言えば散漫な、良く言えばバリエーションのある作品になっている。
"アンダー・カヴァー・オブ・ダークネス"に続く"トゥー・カインズ・オブ・ハピネス"のイントロなどは、まるで往事のMTVを眺めているかのようにゲートリヴァーブのきいたスネアが印象的で、曲自体もU2やヒューマン・リーグなどを彷彿させる80'Sマナー。さらにその次の"ユー・アー・ソー・ライト"はディーズ・ニュー・ピューリタンズとレディオヘッドのあいだをいくような、蟲惑的で呪術的なポスト・パンク・ナンバー。
クレジットはすべて「ザ・ストロークス」となっているから、これまでのジュリアン主導の制作体制についてなんらかの見直しがあったのだろう。プロデューサーのガス・オバーグも、アルバート・ハモンドJr.のソロ作を手掛けた人物ではあるが、ストロークス自体は初であるはずだ。もちろんヴォーカルを執るのはジュリアンで、細かい節回しにいたってはパターンの少ないストロークスのことであるから、彼ららしさというのは十分に堪能できる。
そう、ファンならば楽しめるし、1曲1曲のできも決して悪くないのだ。メンバーのソロ活動の中では、ファブリツィオ・モレッティのリトル・ジョイがなかなか渋いハワイアン・テイストを聴かせていて好きだったが、それぞれに音楽的趣向とそれを実現できるユニットがあることがはっきりしているいま、無理せずに取り組んで、気負いのない自然な作品が聴ければいちファンとしてはとくに文句はない。厳しめの評価が目立っているが、何度も再生して聴けるアルバムである。ゴールドやプラチナ・クラスのアーティスト、しかもいち時代を築いた存在として背負わされるプレッシャーを軽やかに無視してほしいものだ。そろそろ時間も経っている。
相対的にいいストロークスなど聴きたくない、という人もいるかもしれない。しかしこのくらいのサイズで2、3年に1枚、瀟洒なアルバムを出してくれるのなら、往時のストロークスとのあいだに切断線を引きつつも、楽しみに購入しようと思う。「その後」のアルバムもきちんとフォローされる、めったにない器量を持ったバンドであることを証明していって欲しい。
橋元優歩