「IO」と一致するもの

interview with Allysha Joy - ele-king

 オーストラリアのナーム(先住民アボリジニ名でメルボルンを指す)で、ハイエイタス・カイヨーテと並ぶ現在のソウル・ジャズ・コレクティヴのひとつに30/70がある。そのフロント・ウーマンとして知られるのが、アリーシャ・ジョイだ。ジャズとクラブ・サウンドのニュアンスを掛け合わせたハイレベルな生演奏に、アリーシャ独特のハスキーな歌声で情感を乗せ、“ソウル” として昇華したことで、30/70は瞬く間に豪州の現行ネオ・ソウル・バンドとして存在感を高めた。30/70 のリリースがロンドンのレーベル、〈Rhythm Section International〉だったことで、アリーシャは早くからUKシーンと結びつき、ナームの現行ソウル・ジャズ・シーンを紹介するコンピレーション『Sunny Side Up』(〈Brownswood Recordings〉/2019)でも、自身の曲の提供とともに地元アーティストを世界に紹介する重要な役割を果たした。さらに自らのサポートで、UKジャズ・バンド、ココロコのオーストラリア・ツアーを仕切り、ブライアン・ジャクソンの来豪ツアーではDJとして会場を沸かすなど、様々な才能を発揮しながら自国と世界のアーティストをつなげてきた。2023年には、UKジャズのイベント《Church of Sound》の日本版としておこなわれた《Temple of Sound》の一員としても来日している。

 アリーシャはヴォーカルだけでなく、柔らかなエレピで紡ぐ曲づくりと、詩的センスやメッセージ性にも定評があり、2018年にはソロ名義で、〈Gondwana Records〉から『Acadie : Raw』でデビュー。その後2022年にセルフ・プロデュースのセカンド・アルバム『Torn : Tonic』をリリースし、We Out Hereやモントルー・ジャズ・フェスティバル、ロンドンのジャズ・カフェなど、ヨーロッパとイギリス全土を回り、スナーキー・パピー、PJモートンら時代を象徴するアーティストとライヴ共演するなど、世界的に活動の場を広げている。

 2024年にリリースされた最新サード・アルバム『The Making of Silk』は、これまでの経験を振り返りながら、セルフケアを通じて人との関係性の新たな理解について描かれた作品だ。インスピレーション源となったのは、ベル・フックス、メアリー・オリヴァー、礒田湖龍斎、ハーフィズといった時代も国も越えた世界中の作家、芸術家。例を挙げると、収録の “Dropping Keys” は、イラン(ペルシア)を中心にイスラム世界の人々に愛される14世紀の詩人、ハーフィズの同名の詩から影響を受けたものだが、「Dropping Keys=鍵を落とす」は、気づきを与える、というエンパワーの本質をついた詩で、同曲には、社会が私たちを閉じ込めた檻から自分自身を解き放つ鍵を見つけたら、その鍵を次の人に渡そう、より多くの鍵を落としていこう、というメッセージが込められている。

 アリーシャとのインタヴューで、私が印象に残ったのは「safe」という言葉。本作のコンセプト──セルフケアと人との関係性──を紐解けるような言葉だった。そして来日公演の最初にアリーシャは、オーストラリア先住民の人びとに敬意を表し、共に音楽ができることは恵みであり、それをシェアできるこの場に感謝します、と伝えていた。それを聞いて、インタヴューの言葉がより一層深く心に響いた。

教会では、音楽をすることをコレクティヴとしての在り方だと捉えているんです。私はそのことをずっと信じて大切にしてきました。

『The Making of Silk』をはじめ、あなたの音楽は様々な芸術や文化からインスピレーションを受けていると思うのですが、作品づくりはどんなふうにスタートしていくのですか?

アリーシャ・ジョイ(Allysha Joy、以下AJ):作品づくりにはたいていはじまりがなくて。私は日々の活動のなかで、クリエイティヴなマインドを保とうと努めているからね。ある種の文学を読んだり、詩を書いたり、あるいは違う視点で世界を見たり。だから私の音楽の多くは、詩としてはじまったり、ただ演奏することからはじまったりします。今日は曲をつくろう、みたいな感じで音楽づくりに真剣に取り組むことはないんです。誰かと一緒に作曲するようなときでも、多くの場合はそのずっと前から持っているアイディアの種が自分のなかに浮かんでいたりする。それは自分の納得のいくやり方ですね。

最初のアイディアが生まれてから、次のプロセスとしてメンバーの選択や作品づくりはどう進めていますか?

AJ:自分の意図を理解してくれて、安心できる、そして私のアイディアを表現するだけでなく、彼らも同じように良いアイディアを持っていて、そのプロセスをナビゲートするのを手伝ってくれると人とだけ私は一緒に演奏しています。私たちがやることはすべて共同作業で、つねにお互いに学び合っている。私が書いた音楽であっても、ミュージシャン個人としても納得のいくように新たな解釈ができるようにしたいと私はいつも思っています。なぜなら私がミュージシャンを選んだ理由は、彼らが親友だからというだけでなく、インスピレーションを与えてくれて、アーティストとして素晴らしいと思うから。だからこそ彼らに演奏してほしいし、音楽でも自分自身を表現してほしい。

ところで、10代はどんな音楽を聞いていたんですか?

AJ:ジャズを聴いて育ちました。エラ・フィッツジェラルドやビリー・ホリデイなどのトラディショナルなジャズをたくさん聴いていた。そこから、ソウルクエリアンズの音楽──ディアンジェロ、エリカ・バドゥや、ジル・スコット、ギル・スコット・ヘロンブライアン・ジャクソンの音楽も学びました。あとジョージア・アン・マルドロウも、女性プロデューサーとしても素晴らしくて大好きになった。ミシェル・ンデゲオチェロはずっと大好きなアーティストのひとり。彼女の音楽をたくさん聴いて育ったし、いまも変わらず聴いています。

教会でも歌っていたんですよね。

AJ:そう。よく覚えていることがあってね、私がとても幼かった頃、教会で一緒に歌っていた女性がいたんです。彼女はとてもゴスペルっぽい声をしていてとても憧れていたシンガーだったんです。私は小さい頃から教会に通っていたから、言葉が話せるようになるとすぐに教会で歌うようになったんだけど、10歳のときにそのシンガーと一緒に歌うことができた。それが本当に嬉しくて思い出に残っているんです。子どもの頃って、有名人が誰とかよくわからなかったりするものだけど、自分にとってはその人が有名人だったんですよね。教会では、歌うには若すぎるとか、技量が足りないとかそんな制限は一切なくて、というか、そんな考え自体が存在しません。教会では、音楽をすることをコレクティヴとしての在り方だと捉えているんです。私はそのことをずっと信じて大切にしてきました。

なるほど。その経験が、あなたの音楽のアプローチに影響を与えている気がします。

AJ:そう、間違いなく! ちょうど昨日ライヴ前に「緊張する?」って聞かれたけど、全く緊張しません。それは、私の音楽やアートのアプローチがコレクティヴとしての癒しの表現に基づいているから。私にとっての音楽は、パフォーマンスというよりも表現であって、みんなと一緒に経験することなんです。私は教会で音楽が心の高揚や癒しの源になっていることを目の当たりにしてきたし、教会は安心してそれを感じられる場所だったんです。

たくさんのDJやダンス・ミュージック・シーンの人たちとつながりました。デトロイト・ハウス・シーンのスコット・グルーヴスや、マーセラス・ピットマン、シンガー・ソングライターのkeiyaA、マーク・ド・クライヴ=ロウも。

教会での経験から、デビューまでどんなステップを踏んでいったのですか?

AJ:教会や家で歌うだけでなくて、詩を書くようになりました。私の最初につくった作品は、自分の書いた詩を30/70のメンバーたちのところに持ち込んで発表したものでした。私には何の能力もなかったから、その後独学でピアノとプロダクションを学んだ。初めは自分で表現する手段がなかったから、詩を音楽にするためには誰かとコラボする必要があったし、30/70がその場をつくってくれたんです。

なるほど。30/70とともに歩んできたんですね。

AJ:私の音楽の旅は、30/70のドラマー、ジギー・ツァイトガイストとの出会いからはじまったようなもの。彼は私の恩師で、私のすべての作品で演奏していて、彼を通してたくさんの人と出会いました。今日(1月18日のブルーノートでの公演)のベースのマット・ヘイズ、キーボードのフィン・リーズの2人も30/70のメンバー。あとハイエイタス・カイヨーテのドラマー、ペリン・モスと一緒にアルバムをつくる機会もあったし、ハイエイタス・カイヨーテは、30/70のアルバムをつくるのにも協力していて、私たちのコミュニティの大きな部分を占めています。今夜はナームのトランペッター、オードリー・パウンも出演するし、私たちはいまもとても仲が良くてお互いにサポートし合っている。本当に素晴らしいことだよね。ナームは小さなシーンだけど、一種の大きなグループで、みんなお互いを知っていて本当に協力的です。

最初のソロのリリースのきっかけは?

AJ:〈Northside Records〉のクリス・ギルという人がいるんだけど。彼は私の初めての7インチ・レコードをリリースしてくれた。2曲入りのね。彼と初めて会ったのはいつだったか覚えていないけど、彼はナームでソウルやジャズを演っているアーティスト全員をサポートしてくれている。そしていろんな意味で「Uncle」という存在で本当に素晴らしい人。ずっとずっと私たちと一緒に音楽を愛している人なんです。

それがいまは、ワールドツアー真っ最中ですよね。

AJ:そう。去年初めてバンドと一緒にアメリカ・ツアーをしました。デトロイトに行って、ニューヨークに戻ってきたんだけど、新たな観点でアメリカに興味を持つようになりました。様々な課題がある環境のなかで、人びとがどうやって生き抜いているのか、どうやってクリエイティヴなことを続けているのか改めて考えるようになった。そんな環境のなかでアメリカは素晴らしい芸術をつくり続けている。私にとっては感動的なことです。

アメリカではどんな人とつながりましたか?

AJ:たくさんのDJやダンス・ミュージック・シーンの人たちとつながりました。デトロイト・ハウス・シーンのスコット・グルーヴスや、マーセラス・ピットマン、あと女性プロデューサーでシンガー・ソングライターのkeiyaA、マーク・ド・クライヴ=ロウもだね。

現在はネットを通してアーティストとつながることができますが、ソーシャル・メディアとはどんな付き合い方をしていますか?

AJ:大好きでもあり、嫌いでもある。世界の反対側にいる人ともつながることができるのは本当に素晴らしいことだけど、精神的に良くないことでもあるとも思う。つながるよりつながりが切れしまうこともあるし。自分にとってポジティヴな使い方を学び続けていくのが大事だよね。でも、私はこうして音楽を通じて旅ができている。それってとても幸運なことで、つねに自分に言い聞かせているんです。なかには自分のいる場所から離れられない人もいるし、旅をシェアすることだけでも意味があるかも。例えばこの東京がどんなところかを見ることで、誰かが喜びを感じるかもしれない。

いまの音楽シーンは、男性の体を前提につくられていて、自分の体は男性よりもっと休む時間が必要だったり、もっと精神的にも肉体的にも、安全を感じることが必要な場面がある。

あなたは全て自分自身のマネジメントで活動をしていますよね。そのハードなスケジュールをどうやってコントロールしていますか?

AJ:大事なコントロール方法は、私の場合、瞑想とヨガと自然療法。自分の体の神経系の部分を意識するように努力しています。でも正直に言うと体のことは本当に難しい。ツアーの肉体的なストレスで、生理周期の乱れに悩まされることがあって生理が止まることもあります。それはすごく体に悪いことで、でもそんな現実があることを伝えておきます。でもシーンのなかでこの話題を話すアーティストはほとんどいないし、ピルを使わずいつもの周期を考えながら、どうやってコントロールするか、こういう問題を誰も話していないんです。

そんな現実があるとは、ほとんど私たちは知ることがなかったです。

AJ:これは、女性やノンバイナリーの人たちについて考えて、同じ空間で活動するという心構えがまず前提にある話だけど、私がいちばん苦労しているのは、自分の体のケア。いまの音楽シーンは、男性の体を前提につくられていて、自分の体は男性よりもっと休む時間が必要だったり、もっと精神的にも肉体的にも、安全を感じることが必要な場面がある。自分のニーズを理解して、男性のニーズと違うことをちゃんと話す、そして会話を育むことを心がけています。私も学びながらやってきたことだけど、実際いま、女性やノンバイナリーの人たちもこのニーズの違いに気づきはじめている段階に来ていると思う。だからこそためらわず会話を育むこと。そういう会話をすることで、私自身も男性とは違うアートの形を提供できていることは確かなので。

前作の『Torn : Tonic』でも、全て女性のリミキサーを起用していましたよね。音楽シーン全体の、女性やノンバイナリーの人たちの活躍について、あなたはどんな考えを持っていますか。

AJ:何より話すことが助けになると思います。実際、女性やノンバイナリーの人びとがプロデュースする音楽は、全体の 10% にも満たないと私は知っていたから、私は全く遠慮することなく自分の音楽を突き進んでいます。私の場合、プロデュースをはじめたのは、音楽を通して自分自身を表現したいと思ったから。自分の音楽は男性のつくったものとは同じようには聞こえないだろうし、同じにしたいとも思わない。自分らしくない何かになろうとするのではなく、自分にとって本当に重要だと思えることをすることが、自分を自由に表現することになると思う。世界的にそんな人びとの声や表現がもっと増えることがとても重要だと思います。男性の靴を埋めようとして生きているわけではないのだから。うまく言葉で説明するのは難しいけどね。

次の予定について教えてください。

AJ:次に出すアルバムはほとんどレコーディングが終わっていて、いま最終の仕上げをしているところ。幸運なことに、5月にロンドンのアビー・ロード・スタジオでレコーディングができたんです。じつは『The Making of Silk』と似たようなテーマがたくさんあります。思いやりや愛、そして世界のなかで自分自身を理解するというテーマかな。


hikaru yamada and mcje - ele-king

 ジャンルの壁を溶解する奇才・山田光が率いるジャズ集団、ヒカル・ヤマダ&mcje(旧名ヒカル・ヤマダ&メタル・キャスティグ・アンサンブル )のライヴ盤『live』が〈Local Visions〉からリリースされた。
 これは「10人のジャズ・ミュージシャンがヘッドフォンから流れるビートに対してインプロヴィゼーションを同時に行う特殊アンサンブルで、実験的な手法それ自体が目的ではなく、和声を薄くし、奏者同士の反応を減らし、大人数アンサンブルにありがちな祝祭感を封じるのが狙いだ。基本的に譜面もアレンジも存在せず、合奏の悦びはありません」とのこと。
 また、「本作は2023年10月に神保町試聴室で行われたライヴ音源を元に構成されている。ジャズ・インプロの現場で山田と共演してきたメンバーに加え、太田裕美や吉川晃司のツアーメンバーとして活躍したエリック笠原(近年発掘された松原みきのテレビ収録動画でもサックスで参加)やR&Bコレクティブw.a.u所属の關街が参加。2曲のヴォーカル曲の他、ギル・エヴァンス・オーケストラのライヴ盤を全員で聴きながら演奏したトラックなどを含む12曲を収録」とうことです。

Richard Dawson - ele-king

 大きな話をするのはもう疲れた。他国の大統領選に対する見解の違いからひとと口論するのも、地方政治の混乱に愕然とするのも、終わらない戦争に絶望するのも……。ネットを開けばセレブリティが誰かに対する訴訟を起こしたとか、大物の誰かが失脚したとか、べつに知りたくないことばかりが目に飛びこんでくる。だから僕はニュース記事を閉じて、リチャード・ドーソンの『End of the Middle』を聴くことにする。歌詞を調べて自分なりに訳しながら、その行間を感じ取ろうと努めながら、そして耳を澄ませる。ここには小さな話ばかりが詰まっているからだ。

 僕がこのニューカッスルのウィアードなフォーク歌手が好きな理由はたくさんあるが、ひとつには、彼が歌っている内容が抜群におもしろいことがある。世間的には取るに足らないとされる小市民の日常の悲喜こもごも。それらが鋭い洞察や卓越したユーモアとともに語られ、どこかが決定的に奇妙な節回しで歌われるとき、この世界に生きている「ふつうの」人間たちが生き生きと動き出すのだ。
 いや、ある意味ではドーソンは大作志向のミュージシャンとも捉えられる。ここ最近の3作――想像上の中世を再現した『Peasant』(2017)、すべてにおいて閉塞的な現代を風刺した『2020』(2019)、ディストピックな未来を予見した『The Ruby Cord』(2022)は、1000年単位でイングランドの(空想の)歴史を物語ったゆるやかな三部作と言えるからだ。音楽的にもまた、壮大なストリングスやコーラスを導入したり、実験と逸脱を織りこんだバンド・アンサンブルを強調してみたりと、意図的にスケールを大きくしている箇所も少なくなかった。それは市井の人びとの生活がちっぽけなものでないことを示していたように僕には思えたし、何よりも音自体のエキセントリックさで笑わせてくれる音楽は貴重だ。他とは違うやり方で、ドーソンは自身の歌にドラマを盛大に仕込んでいたのだと思う。
 それが『End of the Middle』では、ドーソンのおかしな歌と独特のチューニングのギターを基本とするフォーク・スタイルに音楽的なスケールを狭めている。コンセプトも英国のある典型的な中流家庭の三世代の物語を断片的に描くことで、そこで繰り返される悲しみという、三部作に比べればシンプルなものになっている。アルバムに先んじてリリースされたシングル “Polytunnel” はドーソンがギターをつま弾きながらガーデニングの喜びを軽快に歌う簡素な一曲で、はじめて聴いたときは、意外に素朴なアルバムが届くのかもしれないと思ったものだ。
 だが、音楽的にもコンセプト的にもコンパクトになった分、そこここに仕掛けられたスリルが際立っているようにも感じられる。そして今回も物語が圧倒的におもしろい。たとえば控えめながら陰鬱さを香らせる反復で始まる “Bullies” の話はこんな感じだ……歌の主人公は子ども時代にいじめられていた。同級生には無視され、金を取られ、殴られていた。けれど昼休みに図書室に通って、先生に目をかけてもらったこともあって国語では優秀な成績を取れた。やがて彼が大人になり、クライアントとZoom会議をしてるときに学校から電話がかかってくる。息子が同級生に暴力を振るっていたのだ。彼は息子とどのように向き合うべきか思い悩むが、一週間後ようやく「お前には優しい心があるとわかってるよ」と声をかける。……些細な話かもしれない。けれど、フェイ・マッカルマンのフリーキーなクラリネットがドーソンのファルセットに呼応すれば、歌の主人公の痛切な想いが滲んでくるようだ。かつて彼をいじめた同級生たちを、そんな風に許すことができたのなら……。これはひょっとしたら、一般人がお互いの過去の蛮行を暴き合う現代に向けた寓話なのかもしれないと思えてくる。
 それに、ドーソンの歌からは現代イングランドのリアリティも見えてくる。『2020』の “Civil Servant” では役所に来た市民に福祉をカットすると伝えるのが嫌すぎて仕事をサボる公務員の視点から緊縮財政を描いていたが、『End of the Middle』では “Gondola” に登場する老婆になりかわって仄めかしている。彼女は自分が良い教育を受けなかったことを悔やみながら、ひとりでワインを飲んで酔っ払ってリアリティ・ショーを見ているのだが、それは老後がさらに不安定になった英国の庶民の姿であり……日本に住むわたしたちも共感できるものだろう。そもそも『End of the Middle』というタイトル自体、中流が没落してしまった格差社会、完全に分断してしまった政治状況を示唆しているようにも感じられる。それを必ずしも自己投影的にではなく、観察的な群像劇として物語るところにドーソンの機知がある。努力してケンブリッジ大学を卒業した研究アナリストが子ども時代から出会ってきた幽霊に悩まされる “The question”、父親が日産に解雇されて飲んだくれになる “Removals van”、どの曲にも味わい深いエピソードと切実な感情がこめられている。音楽的にはもっとも重苦しくカオティックな展開になる “Knot” は、全体的に曖昧だがおそらく鬱についての曲で、ドーソンは「わたしの魂は病んでいる」とこぼしてみせる。

 それでも、ドーソンの歌にはたしかに人間の魂が宿っていると直感させられる。ロバート・ワイアットと小津安二郎をプロッグ・フォークのもとで混ぜ合わせたこのアルバムでも、庶民たちは懸命に、ただ懸命に生きているのだ。「ふつうの人びと」を誠実に描く音楽が「オルタナティヴ」で「エキセントリック」で「ウィアード」なものとして成立するのは皮肉かもしれないが、自分のことを昔ながらのメロディ・メーカーだというドーソンの歌にはいつだって人懐っこさがある。
 急にシンセが鳴ってソフト・ロック風になる “More than Real” は本作の完璧なクロージングだ――そこでドーソンがパートナーのサリー・ピルキントンとのデュエットで語るのは、忌み嫌っていた父親に自分が似ていることに気づいて愕然とする男の心情だ。世代を超えて繰り返される醜い愚行。そのとき僕は、このアルバムがけっして小さな話ばかりを描いていなかったことを思い知る。愚かな行為を繰り返し続ける人類の悲しみを、家族の物語に喩えていたのである。そして男は、生まれてきたばかりの娘を見て変わることを決意する――「わたしはどうやったら癒すことを始められるだろう/永遠に隠された傷を」。痛みと優しさが混ざり合う。それはドーソンがささやかに埋めこんだ未来への希望だ。この世界から消え失せそうになっている朴訥な人間性の探求を、この歌い手は諦めない。

interview with Squid - ele-king

 私自身は2010年代後半から隆盛を極めていったサウス・ロンドン周辺のインディ・シーンを筆頭としたUKバーニングに心底興奮し、その音楽の熱をリアルタイムで伝えようと活動したインディ・ロックDJだ。2018年にフォンテインズD.C.の “Hurricane Laughter” を初めてDJでかけたときに当時は認知度が低い中でも生まれたフロアの熱々とした反応は、これから凄いことが起きそうな予感を確信に変えてくれたが、そんな私にとっても、2021年は景色が大きく変わった特別な年だったように思う。頭角を現すアーティストの積極的な折衷性によりサウンド・ヴァリエーションが格段に増え、ポスト・パンクだけのシーンだと捉えることは完全にナンセンスとなり、この界隈の音楽にアクセスする人も多方面から増えたと実感したタイミングだ。そして、この年の希望の象徴として、並べて語られていたのがブラック・カントリー、ニュー・ロードブラック・ミディ、そしてスクイッドだ。この3組はもちろんそれぞれに特徴は違えど、ジャズやクラシック、民族音楽なども含めた積極的な折衷性という共通項を持ち、この年のチャート・アクションでも結果を残した。しかし、ブラック・カントリー、ニュー・ロードは2022年にフロントマンが脱退し、ブラック・ミディは2024年に解散した。それはひとつの転機のようにも感じられたが、しかしスクイッドは留まることのない創作意欲で、自由で実験的なアプローチを保ちながら、新たな音楽の地平を切り拓く。彼らは自身を「イギリスの音楽シーンの一部ではない」と語り、2021年のメンバーのままで進化を続けている。

 そんなスクイッドが3rdアルバム『Cowards』を2025年2月にリリースした。1曲目の “Crispy Skin” を聴けば、眠りから目を開いた瞬間の、眩い太陽を猛烈に覚えるような「アカルイ」音の風景に出会う。これまでの2作品では、火薬庫を積んだ緻密な演奏がもたらす緊張感や迫力に圧倒されるような印象が強かったが、キーボードのアーサーが「前作よりもずっとカラフルで鮮やかなレコード」と説明するように、おとぎ話の世界にリスナーを迷い込ませるような物語性や幻想さをまとった印象が強いサウンドになったように感じる。それは、作品全編を通してストリングスが前面に出たことやローザ・ブルック、トニー・ニョク、クラリッサ・コネリーによるコーラスが加わったことも大きく影響していると思うが、ときに煌びやかでときに壮大でときにエキゾチックな彼らの新しい音がリスナーを心地よくその世界に迎え入れているようだ。一方で、この作品で歌われているテーマは「悪」だという。

 「悪」とは、ときに境界が曖昧な言葉ともなる。今日の世界で起きている「正義」を大義名分とした暴力は言うまでもなく、身近なもの、自分自身についてはどうだろうか? 狂気に満ちた世界で、自分自身はどのように生きていけるのか。「アカルイ」音の中で繰り広げられる「悪」への考察。「何が人間を悪人たらしめるのか」という視点があったとギターのルイは言う。音楽版『ミッドサマー』とも言いたくなるほど、青空に包まれるような聴き心地の中で、人肉を日常的に食べる人間、友好的な殺人犯観光客、現代社会に紛れ込んだクロマニヨン人、14階の高層階から飛び降りるアンディ・ウォーホルのフォロワーなどに出会うだろう。ぜひ、短編小説を読み解くように、社会や自分自身の状況について当てはめるように聴くのをオススメしたい。

人間は、しばしば大きな悪の権化に囲まれているように理解されがちだけど、僕たちが面白いと感じたのは小さな悪という考え方なんだ。

今作『Cowards』の作品テーマが「悪」ということで、全体的に人間の根源的な邪悪性であったり、悪なる心に抗えない虚しさや自分自身への憤りみたいなものが描かれた一貫性のある作品だと感じました。こうしたテーマでアルバムを制作しようとしたきっかけは何だったのでしょうか?

ルイス・ボアレス(Louis Borlase、以下LB):このアルバムでは、悪がスペクトラムであるというアイディアについて考えることに興味があったんだ。僕たちはいままで、場所に特化したようなレコードを作ってきたから。でも今回は、(悪がスペクトラムであるというアイディアを)興味深い視点だと感じた。人間、そして、何が人間を悪人たらしめるのか、そして悪人になるためにどのような決断を下さなければならないのかというアイディアが、面白い視点だと感じたんだ。悪をスペクトラムとして捉える考え方は興味深い。なぜなら、いまこの瞬間を生きるのに、日々の生活の中である程度の悪を経験することなしに生きることは不可能だからだ。人間は、しばしば大きな悪の権化に囲まれているように理解されがちだけど、僕たちが面白いと感じたのは小さな悪という考え方なんだ。そのほとんどは、オリー(・ジャッジ/ヴォーカル、ドラムス)や僕たちが読んだ本やフィクションを通して探求している。この種のストーリー・ラインを読むと、悩まされたり、しばしば緊張したり、不気味だったりするんだ。僕たちをうろたえさせるような何か、尻込みさせるような何か……人生で起こっていることは、僕たちが自分自身でそれを背負うか背負わないかのような形で、ただ何とかしてこれらに対処するということ。ある意味では、そのような悪に対して僕たちがつねに考えていたようなやり方で、対応していくということなんだ。 

アーサー・レッドベター(Arthur Leadbetter、以下AL):それは重要なことだ。でも、このレコードを書きはじめるときに、何か意図して書きはじめたわけではないということも言っておきたい。内容やテーマや形式は、書いていく過程で明らかになっていくものだからね。

いまアーサーが答えてくれたのと関連のある質問になりますが、そうしたテーマに反して、サウンドは全体的にポップさや優美さを感じました。サウンドについて、方向性として決めていたものは何かあったのでしょうか? 「悪」というテーマが先にあったのか? サウンドが先にあって、リリックを作っていく中でテーマが「悪」となったのか。

AL:何から最初に手をつけるかはをはっきりさせるのは、おそらく難しいことだと思う。僕たちは、特に議論をすることなく、わりと本能的に、ごく自然に、一緒に音楽を生み出していると言っていいと思う。顔を合わせて、アイディアを出し合って、音楽を創り上げるという作曲のプロセスを通して、誰が歌詞を担当したとしても、音楽と並行して歌詞を書くことで、そのふたつ(歌詞と音楽)が互いに影響し合うんだ。どちらが先ということはない。もちろん、ときにはどちらかが転換することもあるけど、それは自然なプロセスであり、定義づけることはできないんだ。

LB:(大いに同意する)そうだね。『Cowards』では、アルバム全体を通して歌詞のテーマをより深く理解することに僕たちはとても重きを置いていたように思う。たぶん無意識のうちに、音楽が歌詞の暗さや気難しさ、歌詞の意味するすべての要素にマッチしていないように感じていたんだと思う。その代わりに、前作よりもずっとカラフルで鮮やかなレコードを作るという、逆の方向に進んでいることに気づいたんだ。

“Crispy Skin” はカニバリズムについて歌った曲ということで、暴力に対する感覚の麻痺を示したような楽曲だと解釈しています。現在世界で起きている様々な暴力や戦争にも結び付いてきそうですが、この楽曲のテーマとなったアイディアはどこから生まれたのでしょうか?

LB:“Crispy Skin” は『Tender Is The Flesh』という小説〔編注:アルゼンチンの作家アグスティナ・バズテリカの代表作、2017年〕がもとになっているんだけど、その小説では、他の人間を食べて生きていくというカニバリズムが当たり前の、ディストピアの世界が描かれているんだ。この曲の歌詞の要素は、架空のインスピレーションのようなものだと思う。この曲は、無関心というアイディアと、悪に対してそれを非難したり反応したりしないことがいかに簡単なことかというアイディアを見ているようなものなんだ。自分の周りの悪行について、無関心でいることの方がずっと簡単だ、ということなんだけど、より広義な問題は、どうすればその地点に到達できるのか、人生の中で何が起きなければならないのか、その前にどのような意思決定プロセスを経なければならないのかということだ。僕たちは暴力に対して無感覚になっている。この曲は本に基づいてはいるんだけど、このテーマが歌詞のインスピレーションという点で、このアルバムのキーになっているんだ。

8曲目の “Showtime!” について、途中瞑想的なムードがはじまったと思えば、ファミコンのようなゲーム・サウンドだったり、今作でキーになっているストリングスの音だったり、変わった音も含めていろんな音が入り混じり、転調して激しくフィナーレに向かっていく感じがこれぞスクイッドと言いたくなるような真骨頂さ、スクイッド的サウンドを凝縮させたような特に面白い楽曲だと思いました。この楽曲について、制作でのエピソードがあれば教えてください。

AL:曲の前半もしくは3分の1はすぐにでき上がった。この曲はマーゲイト(イギリス南東部の海辺の町)で書いたんだけど、それ以前に僕らが書いた他の曲とはまったくフィーリングが違っていた。僕たちは、この曲の急激な変化を実験しはじめたんだ。それは本当にスタジオでしか作れないものになった。どこで音楽がストップするのか。 テンポをコントロールするのはひとりだ 。僕たちは、プロデューサーがコントロールできるテンポ・クロックを使って、すべてライヴでやったんだけど、曲が進むにつれて、他の人を巻き込んでテンポをコントロールする必要があったんだ。そう、曲がシフトしていくとき、かなりはっきりしたバンドのグルーヴと曲が、突然、完全にバラバラになってしまうんだ。それまで演奏していた楽器、ティンパニがバラバラになり、テンポは完全に遅くなって、曲はまったく新しいものに進化する。これは僕たちが好んで使う手法で、多様な音楽的影響に対する僕たちの幅広い共通の魅力を反映していると思う。

僕らは、自分たちがシーンの一部だとはまったく思っていない。

ポジ(Pozi)のローザ・ブルックが「additional voices」としてクレジットされていることに驚きました。他にも、トニー・ジョク(Tony Njoku)やクラリッサ・コネリーらがコーラス参加していますが、彼らの参加にはどういった経緯があったでしょうか?

LB:トニーとローザと出会ったのは、僕が “Cro-Magnon Man” の歌詞を書いていたときだったと思う。ヴァース・コーラスを取り入れた歌詞のアプローチを模索してみたかったんだ。 というのも、僕らのスタイルは、どこか物語的で、直線的だったから、いつもやっていることとは違うことをやってみたかった。 僕や他のバンド・メンバーが歌う代わりに、他の人間のコーラスを取り上げるというアイディアはとてもエキサイティングだと感じた。バッキング・ヴォーカリストたちを取り入れてそこを誇張させ、彼らにリードを取らせるんだ。トニーとローザはふたりとも僕たちの親友で、彼らが一緒に歌うとき、ふたりの声が異なる声質でもって全く違うヴォーカルの音色へと導き、ヘッドヴォイスで歌うファルセットのヴァージョンを探求することができるんだ。そして、この白人らしいアンドロジナス(androgynous)な声の語りというアイディアは、この曲にとてもふさわしいと感じた。ふたりのことを知っている僕たちにとっては、明らかだけど、レコードを聴いただけでは、誰が中心になって歌っているのか想像がつかない。そう、クリアに歌っているのは誰かを見分けるのは本当に難しいんだ。彼らが参加してくれたのは素晴らしかったし、この種のヴォーカル・マイクロ・アンサンブルのアイディアは、レコード全体でかなり多く使われているんだ。でもクラリッサの場合は、かなり違っていた。というのも、アントン(・ピアソン/ギター)がアルバム最後の曲 “Well Met” の前半の歌詞を書いていたんだけど、誰の声を使うべきなのか、正確にはわからなかった。何人かの人に相談して、アルバムに参加させるのにふさわしい声の持ち主を友人たちから推薦してもらっていたんだ。でも、誰かがクラリッサを推薦してくれて、やっと決まったんだ。僕たちはすでにクラリッサのアルバムの大ファンで、これはパーフェクトだった。クラリッサのヴォーカルは僕たち男性であるバンド・メンバーの誰の声よりもずっと低いから、ヴォーカルと性別を想定したある種のフリー・スライディング・スケールのようなものかな。でも、その上にトニーとローザの声が重なっているから、クラリッサのヴォーカルが強調されていて、本当に素晴らしかった。

音源制作と比べるとライヴでは制約もあって、少し違うサウンドにもなってくるかと思います。私自身は過去2回の来日ライヴはどちらも鑑賞していて、非常に楽しませてもらいましたが、ライヴ演奏ではどういった意識をもっていますか?

AL:僕らのライヴ・パフォーマンスへのアプローチは、まず曲を覚えて、実際に演奏できるようにする。“Showtime!” について説明したような感じなんだけど、スタジオで使うテクニックには、ライヴではできないものがたくさんあるんだ。それはまず、曲との関係を再構築しようとすることなんだ。何年も前に作ったものをもう一度研究するんだ。今回の場合は曲を書いてからすでに2年が過ぎようとしている。つまり、古い友人、あるいは知っていたけれども疎遠になってしまった友人との友情を再構築するようなものだね。最初は、やらなきゃいけないことを目の前にしてかなり緊張するけど、曲が再びそこにあるとわかると、すべてがごく自然に感じられるし、実はあっという間なんだ。

通訳:たしかに、スクイッドのライヴでは、ステージであまりにも多くのことが起きていて、レコードを聴くのとはまた違った体験ができるのが醍醐味だと思います。まさにテクニックそのものですよね。

昨年のラ・ルート・デュ・ロック(La Route du Rock、フランスのフェス)ではヴァイアグラ・ボーイズ(Viagra Boys)の “Sports” をカヴァーしていてびっくりしました。過去2回の来日公演ではカヴァー演奏はなかったと記憶していますが、そういったカヴァー演奏もたまにおこなっているのでしょうか?

LB:ヴァイアグラ・ボーイズはあのフェスティヴァルに出るはずだったんだけど、皆体調を崩してしまっていたんだ。前日に電話がかかってきて、フランスのラ・ルート・デュ・ロック・フェスティヴァルでヴァイアグラ・ボーイズの代役をやらないかって言われた。僕らはちょうど小規模ツアーからイギリスに帰国するところで、これはやるべきだと思った。僕らの最初のツアーは、ヴァイアグラ・ボーイズのツアーでのサポート・アクトだったからね。それに、ラ・ルート・デュ・ロックは素晴らしいフェスティヴァルだと知っていたし、僕らにとってはいいことでしかなかったから、即答でやるって言ったんだ。でもヴァイアグラ・ボーイズに会えなくてがっかりしている人も多いから、彼らの最も有名な曲をカヴァーしよう、そうすればちょっと面白いんじゃないかと思ったんだ。それで、うまくいくようなやり方を一生懸命考えたんだけど、実際にやってみたら、すごく面白くて、ちょっと馬鹿げた感じもよかった。

スクイッドが様々なジャンルでの音楽的アイディアを高いレヴェルで実験的に次々と接続している様に、個人的にはレディオヘッドっぽさを感じるのですが、そうした比較は本人たちにとって妥当なものでしょうか?

LB:レディオヘッドとの関係はすべて大きなインスピレーションだと思う。バンド内でもレディオヘッドのアルバムに憧れを抱いている人もいれば、レディオヘッドの音楽性を高く評価している人もいる。 皆何らかの形で通ってきているし、その音楽性には感謝している。でも、それは大きなことではないんだ。もっと本質的なことだと思う。インストゥルメンタルを深く追求する手段みたいなものを、僕たちはしばしば共有しているといえるかな。

AL:(レディオヘッドから)影響を受けないのは難しいし、僕らのような音楽を書く上で、ある意味レディオヘッドと比較されないのも難しいと思う。僕はバンドとしてレディオヘッドを聴いたことはないけれど、『Amnesiac』──これがいちばん有名なアルバムではないよね?(とルイに確認する)──を聴いてみたりはしたよ。以前、レディオヘッドは驚異的なバンドで、芸術的なロック、実験的なロックの側面を持ちながら、少し親しみやすいものにしていると人びとが言うのを聞いたことがある。だから、その範囲内で何かをやることになれば、間違いなく彼らのやったことの借りを返すことになると思う。合ってるかな?

LB:うん、的を射ていると思う。レディオヘッドの影響を受けないのは難しい。90年代に登場した彼らは、素晴らしく新しいバンドだったと思う。実験的な試みをはじめただけでなく、トム・ヨークのゴージャスな歌声は、特に彼が物語を語り、あのような曲を書いているときは、恋に落ちないわけがない。でも、どちらかというと、その探求し続けようとする姿勢が、最大のインスピレーションなのかもしれない。彼らが『OK Computer』で達成した現状を受け入れることなく、制作を続行し、『Kid A』を作りあげたことは、とても大胆なことだと思う。それに、そこには影響を受けたものすべてが展示してあるんだ。それはバンドとして重要なことだと思う。

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あるバンドが突然成功したと聞いたとき、僕はいつも最初に思うのは、ああ、彼らは大丈夫かな、ということ。

ブラック・ミディが解散し、イギリスの音楽シーンにおける変わり目みたいなもの──人それぞれ感じ方はあると思うのですが、私個人としては、アンダーグラウンドからではなくウェット・レッグやザ・ラスト・ディナー・パーティのようなよくも悪くも資本からのプッシュを全面に受けたアーティストの台頭、ポスト・パンク的なサウンドの飽和感、バー・イタリアのようなドリーミーで退廃的なサウンドの流行など──も多少感じる昨今ですが、スクイッド自身としては現在のイギリスの音楽シーンをどのように見て、今後どのようにありたいと考えていますか?

AL:一般的に言うと、ザ・ラスト・ディナー・パーティやイングリッシュ・ティーチャーのようなバンドが台頭してきて、彼らのようなバンドがうまくいっているのを見るのは素晴らしいことだと思う。でも、僕たちは、メンバーが様々な影響を受けているバンドだから、イギリスの音楽シーンという考え方は、ある意味、僕たちの活動とは全く別のもののように思えるんだ。

LB:僕らは、自分たちがシーンの一部だとはまったく思っていない。

AL:僕たちは、バンドというグループのように見られるという基本的な意味でのシーンには属していない。僕たちはまた、音楽の広い展望や物事がどのように変化していくかをあまり気にしていないんだ。もちろんUKの音楽、UKのバンド・ミュージックのようなものは、明らかに意識してきたから、それに気づいていないわけではないし、興味がないわけでもない。そうではなくて、僕が言いたいのは、バンドとして、クリエイティヴなコラボレーションとして、それは僕たちの議論には出てこないということなんだ。ある意味その戸口に立ってそこに留まることはとても重要で、それは僕たちの創作活動にとってとても貴重なことだと思う。ライティング・ルームには、自分たちの持っているものをすべて持ち込んで、リハーサルに臨む。でも、クリエイティヴなコラボレーションとしては、それはまったく議論に入らないんだ。

LB:僕もそう思う。だからユーチューブで誰かが、話題のバンドやレーベルのプロジェクトとして、その彼らの音楽を理解することなく紹介しているヴィデオを見るたびに、彼らのことが心配になるんだ。 というのも、多くのバンドを見ていて、1曲がヒットしたアーティストが大成功を収め、熱心なファンを獲得したと思ったら、次の瞬間には名前すら出てこないこともある。彼らは燃え尽き症候群のような問題を抱えていて、異常なレヴェルの不安やセルフイメージの問題、自信のなさを抱えている。つねにそのようなリスクにさらされているんだ。たしかに僕らも何らかの問題を抱えているけど、でも、レーベルの面では、大丈夫。だって自分たちのやりたいことができない環境でバンドが育つことはできないんだから。でも、一発屋になることを推奨され、それで毎晩のように観客を動員しているバンドにとっては、いいことではない。レコード業界全体が、過重労働や強制的な労働を強いることによって、精神衛生上の問題を抱えることになることを、人びとが認識することが重要だと思う。

AL:うん、とてもいい意見だ。あるバンドが突然成功したと聞いたとき、僕はいつも最初に思うのは、ああ、彼らは大丈夫かな、ということだから。

先行曲 “Crispy Skin” のミュージック・ヴィデオは伊藤高志の実験短編映画『ZONE』(1995)をフィーチャーすることとなりました。このコラボレーションにはどういった経緯があったでしょうか?

LB:なぜあの作品をミュージック・ヴィデオに使ったのかを理解するには、アルバムが完成し、ミキシングとプロデュースが終わった後まで遡る。僕たちはこのアルバムが何なのか、どういう意味を持つのか、お互いに話し合って考えたことがなかった。僕たち5人の間で何度も出てきたのは、収録曲はほとんど短編小説のようなもので、悪と臆病というテーマの世界を探っているが、彼らは皆、まったく異なる場所や人々を探求している、という理解だった。だから、すでに存在するスプライト(Sprite、小鬼、ゴブリン)的な意味のヴィデオを、僕らの曲のひとつに再利用するのは楽しいアイディアだと思ったんだ。そしてあのヴィデオには、“Crispy Skin” の歌詞の世界観やテンションにマッチするような、ヴィジュアルにおける偶然の一致がたくさんあるんだ。幸運なことに、僕たちはライセンスを取得し、編集することを許可された。このフィルムは、じつはオリジナルではもっと長いんだ。曲や歌詞を書くことで、すでに存在するものから意味をつむぎ出しているようで、いい反映だと感じたんだ。いままでやったことのなかったことだけど、既存のアートワークをヴィデオという形でライセンスして、1曲目に使うのがいいと感じたんだ。

通訳:まだ生まれてもいないあなたたちが、1995年の作品をどうやって見つけたのでしょう?

LB:いや、生まれてたって(笑)。それは、アルバムのヴィジュアル・ワールドを実現するために、僕たちがどのような段階を踏んでいるかということに尽きるね。チーム全体からどれほどの助けを得られることが多いか。素晴らしいマネージャーもいるし、レーベルもいつも助けてくれるし、周りのみんなが映像の世界を実現するのを助けてくれる。“Crispy Skin” のヴィデオに起用するいくつかの候補はあったんだ。 ただ、同じ世界に属しているようには感じられなかったし、音楽を共鳴させるものでもなかった。しかし最終的に、この特別なフィルムは、本当にただぴったりだと感じたんだ。

カニバリズム自体は恐ろしい価値観でこのリリックも恐ろしい状況が描かれていますが、そういった状況に置かれたときに、誰しもがそれに順応してしまう危うさを感じますか?

AL:それはないと思う。特定の状況下で一般的に人びとがカニバリズムに走る傾向があるかどうかという質問には答えられないけど。もし、人びとが自分でそう思い込むのであれば、それはまったく問題ないと思うけど、そう思う人の方が少ないんじゃないかな。ただこの曲はカニバリズムを実際に経験したというよりも、本が主な参考文献になっているんだ。

LB:うん、この曲はカニバリズムというよりも、もっと無気力についての曲なんだと思う。僕たちが生きている社会での人間関係を通して、僕たちはどの時点で無気力になってしまうのだろう? 自分が知らない人の悪行を目にしたとき、あるいは、自分の人生を難しくしている友人や職場の人がいたりしたとき、誰にでも、そこで困難に直面したり、自分の置かれた状況に制度化されてしまうような転機のようなものがあって、人生には真正面から取り組むべきことが必ずあると思う。そしてそれはときどき、自分を内側から蝕んでいる。でも多くの場合、それらにアプローチしないほうがずっと簡単なんだ。オリーがこの曲で考えているのは、僕たちを臆病にするのは何なのか、ということだと思う。いちばん簡単なことをやらないことなのか? いちばん難しいことに取り組まないことなのか? 僕たちは皆、ときに少し無気力になる傾向があるような気がする。それが問題なんだ。

通訳:このアルバムには自問自答する要素がたくさんあると思います。ここではあえて答えを出さずに、自分で考えるのですよね。

LB:うん、そうなんだ。

『O Monolith』がリリースされた日に『Cowards』のレコーディングを終えたから、いかなるレヴューやプレスの人たちが何を言おうと、自分たちが作りたいもの以外に何も関係なかったし、自分たちが次に何をするのかとすることとは切り離すことができた。

2ndアルバムの『O Monolith』は1stアルバム『Bright Green Field』のリリースから2週間後の2021年のツアー中にスタートしたと前作のプレスリリースで見ました。今作も2022年の11月から2023年4月までの6ヶ月間、『O Monolith』がリリースされる前に制作がはじまったということで、その創作意欲に驚きました。創作意欲を絶えず掻き立てるものはなんなのでしょうか?

AL:アルバムを作るには長い時間がかかる。ときにクリエイティヴになることにも。つまりタイムラインなんだ。このアルバムにかんしては早く完成させることが効果的だった。だから、できるだけ早く作曲を終えて、できるだけ早くレコーディングをしたんだ。というのも、『O Monolith』がリリースされたらツアーに出るだろうし、ツアーに出たら曲を作るのはとても難しいから。純粋に時間管理の問題なんだ。『O Monolith』がリリースされるまであと数ヶ月ある。曲を書こう。クリエイティヴになろう、そして仕上げよう。より時間をかければもっといい仕事ができるんだ。

LB:それに、『O Monolith』の評価に左右されないで進めることができたのは、本当にいい感じだった。というのも、『O Monolith』がリリースされた日に『Cowards』のレコーディングを終えたから。だから、このアルバムについて語る人たちや、いかなるレヴューやプレスの人たちが何を言おうと、自分たちが作りたいもの以外に何も関係なかったし、自分たちが次に何をするのかとすることとは切り離すことができた。ある意味、守ることができたのは本当にいいことだと思った。

AL:まさにその通り。

通訳:やはりレヴューや評価は気になるもので、次の作品にも影響するものなのですか? どちらかというと、これが自分の音楽だ! レヴューなんか気にしない! というアティチュードなのかと……。

LB:それは議論の余地がある。どのように受け止められ、そこからどう進むかについては、人それぞれ異なる問題を抱えていると思う。でも、最終的にこのプロジェクトでよかったと思うのは、僕たち全員が、過去のプロジェクトから、もっと作りたい、もっと探求したいと思う要素を持っていたことだと思う。 そして、やらなければならないとわかっていたこともあったし、本当に変えたいと感じていたこともあった。『Cowards』の曲作りでは、本当にシンプルで凝縮された素晴らしい曲作りを感じられるようなアイディアをいくつか作ろうというところからはじめたんだ。そしてそれは、今回の作品の大きな足がかりになったんだ。

はじめての老い - ele-king

還暦を過ぎて見えてきた景色は驚愕の連続。
今日も元気に老いていこう。新感覚・老いをめぐるエッセイ集!

文章の大天才が動き出した! 老いをこんなふうに語ることができるなんて。 ――タナカカツキ

還暦を過ぎて見えてきた景色は発見の連続だった。老眼や集中力の減少といった予測できていた事象から、ブランコが怖くなる・手がカサカサになる・自分の中に内包しているマチズモに気づく・頻尿の話など、思いもよらなかったこと。そして「死」に対する感覚の変化にいたるまで。ゲーム・エンタメ界からアート界まで人気の編集者・伊藤ガビン(61歳)が、自身の体と心に直面する「老い」によるあらゆる変化をつぶさに発見し綴った渾身作!! 人生100年時代、未知なる「老い」への予習として、性差を問わず、同年代からこれから老い道に踏み入れようとしている現役世代におくる、令和版「老い」の入門書。これを読めば老いへの予習は完璧だ!

目次

はじめに

【老いに入りかけた時に感じていること】
老いの初心者として 初めての老眼/見えてきた! 私がキレる老人になるまでの道/こんにちは老害です-老害の側から考える老害-/らくらくホンを買う日を想像する/人間ドックの見え方が変わった話/ただ老いている

【アップデートできる できない?】
服装がずっと同じ問題/等速じいさん/太るのか痩せるのか/四季にように髪の毛を

【じじいのしぐさ、これだったのか】
シーシー問題/ブランコが怖いということ/おじいさんのような動き

【意外と早くきた(逆にまだきてない)】
身長が縮んだ話/ついに眉毛が伸び始めた!/握力の低下にショックを受けた話/未入荷の老い/シモジモの話/見つめたくない滑舌

【センパイから学ぶ】
センパイの話/手が信じられないほどカサカサになるという話/老猫との対話/メモを片手に綾小路きみまろ公演

【老いと時間】
「返納」について考える/老化が開く知覚との扉/[朗報]時間が経つのは年々それほど早くならないのではないか、という話/記憶のサブスク/死んでも驚かれないサイド/「逃げ切る」という考え方

おわりに

[著者プロフィール]
伊藤ガビン
編集者/京都精華大学メディア表現学部教授
1963年神奈川県生まれ。学生時代に(株)アスキーの発行するパソコン誌LOGiNにライター/編集者として参加する。1993年にボストーク社を仲間たちと起業。編集的手法を使い、書籍、雑誌のほか、映像、webサイト、広告キャンペーンのディレクション、展覧会のプロデュース、ゲーム制作などを行う。またデザインチームNNNNYをいすたえこなどと組織し、デザインや映像ディレクションなどを行う。主な仕事に「あたらしいたましい」MV(□□□)のディレクション、Redbull Music Academy 2014のPRキャンペーンのクリエイティブディレクションなどがある。また個人としては、2019年あいちトリエンナーレや、2021年東京ビエンナーレなどにインスタレーション作品を発表するなど、現代美術家としても活動。編著書に、『魔窟ちゃん訪問』(アスペクト)、『パラッパラッパー公式ガイドブック』(ソニー・マガジンズ)など。現在は京都に在住し、京都精華大学の「メディア表現学部」で新しい表現について、研究・指導している。近年のテーマに自身の「老い」があり、国立長寿医療研究センター『あたまとからだを元気にするMCIハンドブック』の編集ディレクション、日本科学未来館の常設展示「老いパーク」に関わるなど活動範囲を広げている。

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Spiral Deluxe - ele-king

 ジェフ・ミルズが率いるスパイラル・デラックスが再始動、7年ぶりとなるセカンド・アルバム『THE LOVE PRETENDER』を発表する。スパイラル・デラックスは、2015年に東京と神戸で開催されたアートフェス「TodaysArt JP」のために発足された、即興演奏の自由な表現と創造性を原動力とするエレクトロニック・ジャズ・カルテット。ジェフに加え、ジェラルド・ミッチェル(Underground Resistance / Los Hermanos)、大野由美子(Buffalo Daughter / Cornelius)、日野 “Jino” 賢二の三者が加わったスーパー・ユニットだ。

 2018年と2019年のジェフ・ミルズ来日時にキーボードのジェラルド・ミッチェルをデトロイトから招聘し、東京のスタジオで2度に渡りレコーディングが実施されていたようで、それが今回のアルバムとなったとのこと(まるでテレパシーのように準備をほとんど要さず、自然で有機的な流れで演奏されたようだ)。

 また、東京でのレコーディング後に、いまは亡きフランスのジャズ・ギタリスト、シルヴァン・リュックがパリにて録音参加しており、ほかにも日本のジャズ・ミュージシャン・TOKU、NY在住のマサ清水も参加しているとのこと。

Artist: SPIRAL DELUXE
Title: THE LOVE PRETENDER
Label: Axis
Format: LP
Release Date: 2025.03

Tracklist
A1. Spiral Deluxe - Society's Man
A2. Spiral Deluxe - The Soloist
B. Spiral Deluxe - Paris Roulette (Long Mix)
C1. Spiral Deluxe - Shapeshifters
C2. Spiral Deluxe - Uptown
D. Spiral Deluxe - The Drive

Recording data:
Recorded on Nov 25/26 2019 at Studio Dede, Tokyo
Sound Engineer: Shunroku Hitani
St-Robo Studio on Nov 5, 2018
Sound Engineer: Zak
Studio Ferber Mix-down on Feb 3 -7. 2019
Sound Engineer: Guilluame Dujardin
Post Enhancement: Steve Kovacs

DJ Python - ele-king

 過去には〈Sustain-Release〉の東京編のサテライト開催を手掛け、2023年には野外レイヴを開催するなど、ニューヨーク/東京発、異なる地のダンス・ミュージックの架け橋を担うパーティー・シリーズ〈PACIFIC MODE〉。2025年からはライヴにフォーカスした新シリーズを開始し、初回となる2月25日(火)にはデンマーク出身、ロンドン拠点のヴィオラ奏者アストリッド・ゾンネと石橋英子を迎えるという。

 そして3月11日(火)に渋谷・WWWで開催されるシリーズ第2弾には、ディープ・ハウスのダイナミクスとラテンのリズムを折衷するかのような多くの顔を持つDJパイソンが、ライヴ・セットで登場。待望の新作リリースを引っ提げ、約2年ぶりの来日となる。迎えるは〈BOILER ROOM TOKYO〉と〈ishinoko〉を股にかけ、ハイパーポップからミニマル、アンビエントまでを枠組みを超越して自在に紡ぐ2000年生まれの音楽家・E.O.U。ほか、追加アクトも予定されているようだ。チケットはLivePocketにて販売中。

 なお、DJパイソンは3月15日(土)に渋谷・ENTERにて開催される同シリーズのクラブ・ナイトにも出演。共演には〈悪魔の沼〉よりDr.Nishimuraが同ヴェニューに初登場するほか、食品まつり a.k.a foodman、suimin、YELLOWUHURU(FLATTOP)、Chanaz(PAL.Sounds)、DJ Healthyといった日本各地の実力者たちを迎える。3月14日(金)には大阪・BAR INCにも出演するようだ。いずれも見逃せない。

PACIFIC MODE
LIVE:DJ Python / E.O.U / and more…

日程:2025年3月11日(火)
会場:渋谷WWW
時間:OPEN 18:00 / START 19:00
料金:U23:¥2,500 / ADV:¥4,000 / DOOR:¥4,500
チケット:https://t.livepocket.jp/e/pacificmode

※U23チケット:23歳以下の方が対象のチケットになります。当日受付にて年齢の確認出来る写真付きのIDをご提示下さい。ご提示がない場合は通常前売り価格との差額を頂戴いたします。
more infomation:https://www-shibuya.jp/schedule/018753.php

マヒトゥ・ザ・ピーポー - ele-king

 GEZANのフロントマン、マヒトゥ・ザ・ピーポーがソロ・ライヴを行う企画『遠雷 vol.7』を4月2日(水)に渋谷・WWWにて開催する。フライヤーはGEZANメンバーのイーグル・タカがイラストを、石原ロスカルがデザインをそれぞれ手掛けた。同シリーズは全13回を予定しているとのこと。

 第7回目のゲストには、先日およそ6年ぶりとなるアルバム『Chippi Tuyoppi (revision)』を発売したテニスコーツを迎える。さやと植野隆司による結成四半世紀を過ぎたユニットであり、ポップ・センスと実験精神をつねに絶やさず国内外のさまざまなアーティストとコラボレーションしてきた。GEZANやマヒトゥ・ザ・ピーポーとは、ツアーや共作CD『ライブ in ザバン』などを通して長年親交も深い。

 そんな両者が「うた」を紡ぐ、春の一夜。じっくりと耳を澄ませて聴き入りたい日になることだろう。チケットの先行受付もe+にてスタート。

公演タイトル:遠雷 vol.7
出演:マヒトゥ・ザ・ピーポー/テニスコーツ
日時:2025年4月2日(水曜日)開場/開演 18:30/19:30
会場:渋谷WWW
前売券:4,000円(税込・ドリンク代別)
チケットオフィシャル先着先行:https://eplus.jp/enrai/
受付期間:2025年2月12日(水)19:00~2月26日(水)23:59

Soundwalk Collective & Patti Smith - ele-king

 実験音楽やエレクトロニック・ミュージックを軸にこれまでさまざまなイヴェントを開催してきたMODE。昨年のスティル・ハウス・プランツとgoatのライヴもたいへん刺激的な一夜だったので、2025年はいったいどんな公演が控えているのか、気になっていた方も少なくないでしょう。そんなMODEの新たな一手が明らかになっている。驚くなかれ、パティ・スミスが来日します。
 これまでゴダールやナン・ゴールディンといった巨匠たちとコラボレイトを重ねてきた音響芸術集団サウンドウォーク・コレクティヴとの共演で、両者はすでに10年以上にわたり共同制作をつづけてきている。今回はその最新プロジェクト「コレスポンデンス」のお披露目ということで、展覧会とライヴの2形式。前者は東京都現代美術館にて4月26日からスタート、後者は京都(4月29日@ロームシアター京都)と東京(5月3日@新国立劇場)で2公演が催されます。これは即完の予感がひしひし。いますぐ下記詳細を確認しておきたい。

[3月28日追記]
 上記のサウンドウォーク・コレクティヴ×パティ・スミスの東京公演、好評につき完売となっていましたが、追加公演が決定しています。東京公演の前日、5月2日(金)におなじく新国立劇場 オペラパレスにて開催。最速先行販売(先着)はイープラスから。

Various - ele-king

 それにしてもなんてひまじ……いやいや、なんて研究熱心な方だろうか、ロンドン大学で文化研究を続けるルイジ・モンテアンニ(Luigi Monteanni)氏は、なんと、700タイトル以上を数える過去のインドネシアのホラー映画のうち43作品から、そのサウンドトラック、効果音、絶叫やセリフを編集し、ひとつの音楽アルバム作品にした。それがこの『お化け屋敷(Tempat Angker)』なのである。インドネシアがホラー映画大国であることをぼくは知らなかったけれど、インドネシアと同じくイスラム文化圏にあるイランでもホラー映画は人気ジャンルのようだ。
 ホラーに関する心理的なメカニズム、つまりひとは何故ホラーに惹かれるのか、についてはすでに多くの研究がある。ひとつにはアリストテレスの「悲劇」にそって、簡単にいえばカタルシス(浄化作用)があるからだという論がある。現実逃避のいち形態で、血なまぐさいシーンを観ながら「生きていることを実感し、生きていることに興奮する」からだと説いているひともいるが、まあ、ひと言でホラーと言ってもひたすら拷問と流血の『ソウ』と社会性を汲んだ『ゲットアウト』とでは受け手の心理はだいぶ違うわけで、インドネシアのホラー映画の多くは民間伝承や迷信など土着文化に根付いているそうだ。ことにイスラム文化圏におけるディストピア的で怪物のような存在には、その家父長制や極端な格差社会に対する怒りを反映したものも少なくないそうで、それはそれで興味深い話ではあるのだが、ここに紹介するのはそれら映画のサウンドをコラージュした音響作品、これ以上突っ込むのは止めておきましょう。

 モンテアンニ氏は、1970年代から2015年までに作られた映画のうちの43作から抜粋したサンプルを使用してこの『お化け屋敷』を制作した。こうしたサウンド・コラージュをサンプリング・ベースの音楽が普及した近年では、ジョン・オズワルドのエッセイにならって「プランダーフォニックス」と言い換えている。
 初期のプランダーフォニックスとしてはザ・レジデンツが有名だが、『お化け屋敷』の冒頭の叫び声を聞いていると、90年代半ば頃の暴力温泉芸者を思い出すかもしれない。が、この作品の面白さは、インドネシア・ホラー映画ならではの音響——竹楽器、邪悪な音程、ガムランなど——が耳に新鮮なこと、また、「インドネシア・ホラーの女王」として有名だという故・女優スザンナの叫び声がヴィンテージなシンセ音や効果音と絶妙にミックスされている点もここに記しておく。
 じつはモンテアンニ氏の文化研究の対象のひとつにインドネシアがある。氏はかの地の民族音楽の研究者であり紹介者でもあり、氏はあきらかに、尊敬を込めてインドネシア文化の断片をコラージュしている。また、モンテアンニ氏はアカデミシャンではあるが、バンド活動ソロ活動ふくめ、かなり積極的に音楽に関わっている。いろんなことに手を出しているこ氏は、だからまったくひまじんではないのである……って、誰がそんなこと言った!


 ノイズ/グラインドコアの研究家でもある氏の考察でぼくがもっとも関心があるのは、「デジタル・アンダーグラウンド」をめぐっての論説だ。90年代初頭のまだユーモアを失う前トゥパック・シャクールが在籍していたことで知られるオークランドのラップ・グループのことではない。これはネット社会における文化をめぐる議論のひとつで、このことについて話すと長くなるのだが、要するに、アンダーグラウンドはもうない、という説がある。サイモン・レイノルズが、「インターネットの普及によって本当の意味でのアンダーグラウンドという概念は消えてしまった。いまでは誰もが簡単にあらゆる情報を見つけられる」と書いたことに端を発し、「いや、そんなことはない」「いや、facebookに載った時点で終わりでしょ」「いや、ロンドンのOTOでやっていることはアンダーグラウンドだろ」などと議論は活発だ。そこにモンテアンニ氏も参戦し、モデムから広がるアンダーグラウンド考を著し、氏は「アンダーグラウンド文化の精神を維持しながらも、新たな方法で進化を続けている」状況を紹介している。あらためて言えば、アンダーグラウンドとは、既存の商業的な大衆文化とは別のところで広がる領域を意味している。
 『お化け屋敷』を出したロンドンのレーベル〈Sucata Tapes〉は、カセットテープのフィジカル・リリースとBandcampでの配信を基盤にしたDIYレーベルで、その親レーベルの〈Discrepant〉は、スガイ・ケンからPeople Like Us、グローバル系からフィールド、エクスペリメンタルからプランダーフォニックスほかコンスタントに尖った作品を出し続けている。こうした場があるおかげで、東京にいるぼくがインドネシアのホラー映画の世界にアクセスできたのだった。たとえ肉切り包丁を振り回すサイコに追いかけられていたとしても、そこは現実のホラーから逃避した安全な世界なのだ。自分の部屋に友人を招いたときには、ぜひこっそりとBGMにお使いください。

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