「Re」と一致するもの

The Specials - ele-king

 偶然だったとしても素晴らしい。2017年、バーミンガムにおけるイギリスの極右団体への抗議の現場を報じたガーディアンのひとコマには、あるイスラム系の女性の姿が写っていた。当時20才だったサフィヤ・カーンの着ていたデニムジャケットの下には、「THE SPECIALS」と描かれたのTシャツが覗いている。さっそくザ・スペシャルズは彼女をライヴに招待した。そして、およそ40年振りのアルバムのなかの1曲でMCをまかせることにした。大役である。なぜなら、彼女が任せられたのはプリンス・バスターのいにしえのヒット曲、“10 Commandmentsl”をリライトすることだった。バスターは、ルードボーイ音楽の王様にして2トーンにとっての英雄、ザ・スペシャルズにとっての巨大な影響だ。が、しかし、“10 Commandmentsl”には露骨な性差別が歌われていた。ザ・スペシャルズは、若き勇敢なフェミニストを起用して、名曲の言葉を書きかえるという大胆なアイデアに挑んだのだった(プリンス・バスターはイスラム教徒でもあるので、イスラム系の若い女性がそれを改稿するというのは、二重の反転がある)。
 ザ・スペシャルズ、さすがである。

 いまさらぼくと同世代のリスナーにザ・スペシャルズの偉大さを説くのは釈迦に説法なので、ここではリアルタイムでは知らない世代に向けて書こう。
 そもそもUKのパンクおよびポストパンクの多くがいまもなお参照点である理由は、彼ら/彼女らがサッチャリズム(新自由主義)に対する若者たちの最初の抵抗だったからだ。それゆえメッセージの多くは現在でも有効だし、音楽性に関していえば、そのメッセージを裏付けるように、彼ら/彼女らのほとんどは妥協なきオルタナティヴだった。
 ザ・スペシャルズは、70年代末〜80年代初頭のポストパンク期におけるスカ・リヴァイヴァルを代表するバンドだった。スキンズが好んだジャマイカのスカを音楽のモチーフにした彼らは、自らも、そしてオーディエンスも人種を混合させ、スキンズとパンクとモッズをいっしょに踊らせた。分断されたサブカルチャーを混ぜ合わせたこと、これがザ・スペシャルズの功績のひとつだ。もうひとつの功績は、新自由主義時代における若者文化の虚無感を実直に綴ったことだった。
 それは1980年のセカンド・アルバム『モア・スペシャルズ』であらわになる。スタジオでの多重録音を駆使したそのアルバムは、ご機嫌なスカを求めていたファンの期待を裏切るかのように、日々の生活における暗い心情が表現されている。それが1981年の傑作12インチ「ゴーストタウン」へと発展して、解散後はまったく楽しくない楽しい男の子3人(ファン・ボーイ・スリー=FB3)へと続いた。

 スカはアッパーでのりのりの音楽だと思われていたし、多くの若者にポークパイハットを被らせたザ・スペシャルズはファッション・リーダー的な存在でもあった。が、ザ・スペシャルズにはのちのマッシヴ・アタックと連なるようなメランコリーがあったし、自己矛盾かもしれないがファッション文化を空虚なものだと見なしていた。『モア・スペシャルズ』の“Do Nothing”(なんもやらない)という曲は、ファッションばかりに金を投じる若者の空しさをこれでもかと表現している。個人的にもっとも好きな曲のひとつ、“I Can't Stand It”(がまんできない)では、私生活から職場にいたる生活のすべてにうんざりしている若者の気持ちが描かれているし、「誰もが着飾ったチンパンジー」と歌う“International Jet Set”はエリート層への嫌悪が歌われている。
 いまの若い人には信じられない話かもしれないが、お洒落というのはある時期までは、お金のない抵抗者たちほど拘っていたものだった。パンクが服を重視したのもそういう事情があったからだ。服は、社会が強制するアイデンティティとは別の、個人が主張するアイデンティティを表現することも可能だからだ(家や車は買えなくても服は買えるからね、と昨年ドン・レッツは言っていた)。それゆえに、パンク〜ポストパンクはなるべくオルタナティヴな服装を選んだ。が、1980年のザ・スペシャルズによれば、ファッションはすでにエリート文化の一部になっていた。そう、このバンドは、オーウェン・ジョーンズの“エスタブリッシュメント”というあらたな上層階級の出現を40年も前に察知し、簡潔な言葉で皮肉っていたことになる。
 「ゴーストタウン」に関していえば、セックス・ピストルズの「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」に次いで重要なシングルだという声もある。全英1位になったそのヒット曲は、この社会が生き地獄であることを歌っているのだから──。

 新作のタイトルは『アンコール』で、これは本作が『モア・スペシャルズ』からの続きだということを意味している。メンバーは、リンヴァル・ゴールディング(g)、テリー・ホール(vo)、ホーレス・パンター(b)というオリジナルのフロントマンが揃っている。
 『アンコール』は、ジ・イコールズのカヴァーからはじまる。
 ジ・イコールズは60年代に結成されたUKのロック・バンドで、当時としては珍しい白黒混合のバンドだった。のちにレゲエ・アーティストとして有名になるエディ・グラントが在籍していたことで知られているし、ザ・クラッシュは『サンディニスタ!』において彼らの“ポリス・オン・マイ・バックをカヴァーしているわけだが、ザ・スペシャルズが選んだのは、1970年のヒット曲“Black Skin Blue Eyed Boys”だ。この曲に続く2曲目は、今作のためのオリジナル曲で“B.L.M.”……これはもうブラック・ライヴズ・マターということで間違いないだろうし、この2曲の並びをみても本作でのザ・スペシャルズのメッセージのひとつは見えてくる。

 しかしながら、ぼくのような古いファンはノスタルジーを禁じ得ないだろう。3曲目の“Vote For Me”の曲調およびピアノのフレーズは、“ゴーストタウン”を思い出さないわけにいかない。FB3のカヴァー曲もある。ラテン調の“The Lunatics”(狂人たち)は、もともとは“The Lunatics Have Taken Over The Asylum”(狂人たちが弱者の場さえ支配した)という長い曲名で、FB3のファースト・アルバムに収録されていた。FB3には、“Our Lips Are Sealed”(ぼくらの口は封じられている)という最高のキラーチューンがあるのだけれど、本作で演っているのはへヴィーな曲である。
 気怠いラテンのリズムは、今作のためのオリジナル曲のひとつ、インターネット社会の憂鬱を歌詞にしているという“Breaking Point”でも展開されているが、その曲が終わるとルードボーイ・クラシックのザ・ヴァレンタインズ“Blam Blam Fever”(別名“ガンズ・フィーヴァー”)のカヴァーが待っている。そして、銃について風刺したその曲が終わると、冒頭で紹介した“10 Commandmentsl”がはじまる。このあたりは『アンコール』におけるクライマックスだ。

 8曲目は、“Embarrassed By You”(あんたのおかげで困窮している)という、いかにもザ・スペシャルズらしい曲名のレゲエ・ナンバー。難解な言葉や文学的な言い回しはしない、シンプルで直球な言葉遣いは彼らの魅力のひとつで、それは本作でも変わっていない。そして、座ってでしか音楽を聴いていない連中を嘲るかのように、踊れない曲はつまらない(労働者階級ほど踊る音楽好きである)というアプローチも一貫している。しかしながら、踊れる曲であっても楽しげである必要はないということを実践したのもザ・スペシャルズだった。“The Life And Times (Of A Man Called Depression)”(うつ病と呼ばれた男の人生と時代)は、曲名が言うように物憂げな曲で、UKガラージのリズムが取り込まれている。『アンコール』の最後は、“We Sell Hope”(我々は希望を売る)というアイロニカルな題名の曲で締められる。このなんとも後味の悪い終わり方がいい(笑)。
 そもそもパンクたるもの、アンコールなんてものには応じないのが流儀だった。だからこの『アンコール』には、バンド内でもやや自嘲的な思いがあったのかもしれない。それでもザ・スペシャルズは、その21世紀版としてよくやったと思う。40年前にはできなかったことをやってのけたのだから。ちなみにもう1枚のCDには、ファン・サーヴィスというか、お約束というか、この手のベテラン再結成にありがちなライヴ演奏(2014年、2016年)が収められている。これは、ま、ご愛敬ということで。


追記:ぼくは知らなかったんだけれど、ザ・スペシャルズはテリー・ホール抜きの(もちろんジェリー・ダマーズ抜きの)メンバーで、1996年から2001年のあいだに4枚のアルバムを出している。この時期のオリジナルのメンバーは、リンヴァル・ゴールディングとネヴィル・ステイプルズのふたり(ともに元FB3)。で、これが意外と良かったりするから困る。ザ・クラッシュの“誰かが殺された”や“プレッシャー・ドロップ”のカヴァーなんてかなり良い。主役抜きのバンドが名前だけで続ける──よくある話だが、ザ・スペシャルズのおそろしいところは、それさえも素晴らしいという点だ。テリー・ホールの陰鬱やジェリー・ダマーズの作り込みはない。しかし、ゴールディング&ステイプルズはバンドの魂を保持していたと。ちゃんと聴いておけばよかったな。

interview with Simon Halliday - ele-king

 メンバーのひとりは一時期スージー&ザ・バンシーズに関わり、アダム・アンド・ジ・アンツやサイキックTVへと合流し、その後マスやザ・ウルフガング・プレス、そしてレネゲイド・サウンドウェイヴにも発展する1980年のRema-Remaをはじめ、初期バウハウス、レーベル創始者が率いるディス・モータル・コイル、デッド・カン・ダンス、コクトー・ツインズ……同じ匂いを発しながらも際だった個が揃っていたオリジナル〈4AD〉に強固なレーベル・イメージがあったことは、当時を知らずとも想像がつくだろう。それはポストパンク期におけるゴシックの代表格でありインダストリアルであり、ペイガニズムであり、モノトーンの美学であり、耽美主義であり、ないしはノイズやエクスペリメンタル・ロックなどにカテゴライズされる、笑顔や太陽がもっとも似つかわしくない音楽だった。(〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉や〈モダン・ラヴ〉のようなレーベルは、オリジナル〈4AD〉の現代解釈ともいえる)
 UKのインディ・ロック全盛時代のはじまりに誕生した〈4AD〉は、〈ファクトリー〉や〈ラフトレード〉や〈ミュート〉のように、日本においてもレーベル自体のファンが多くいたし、黒いシャツに黒いロングコートを着て前髪が長ければ、それはまあほぼ〈4AD〉のファンでしょうという時代があった。いまはもうみんないい歳になっているけれど。
 オリジナル〈4AD〉の創始者は、アイヴォ・ワッツ=ラッセルというカリスマ性のある人物で、ディス・モータル・コイルなるプロジェクトをオーガナイズして音楽作品も出していたほどのレーベルの顔役だった。ワッツ=ラッセルはしかし、90年代末にレーベルを去っている。それでも〈4AD〉は、しばらくのあいだワッツ=ラッセル時代の〈4AD〉イメージから脱却できずいたようだが、2008年にもともとは〈WARP〉のスタッフだったサイモン・ハリデイが社長に就任すると、レーベルはようやく古い衣を脱ぎ捨てて、新生〈4AD〉が始動した。
 まあ、それでもその残照はディアハンターの『Halcyon Digest』(2010)には確実にあったと思うし……、グライムス『Visions』(2012)のアートワークも〈4AD〉っぽいよなぁと思ってしまうのは年老いたモノの悪いクセだろう。でもね、UKガラージから来たゾンビーの『With Love』(2013)なんていかにも〈4AD〉だった。が、そのいっぽうで、チューン・ヤーズはパワフルで温かい音楽なわけだし、オルダス・ハーディングはエモーショナルだし、U.S.ガールズはポップだし、グライムスの音楽はエレクトロニックでキャッチーだ。アーティストは世代交代したし、新生〈4AD〉がいま活気づいているのはここ数年のカタログを見れば一目瞭然なのである。
 去る1月後半にレーベルのショーケース・ライヴのために来日した新生〈4AD〉の社長、サイモン・ハリデイに話を訊いた。

本当は〈ワープ〉にいるときにディアハンターと契約したかったんだけど、やらせてもらえなかったんです。彼らと仕事をしはじめる何年か前からずっと様子を伺っていました。そのあと〈ワープ〉を辞職して〈4AD〉にいったタイミングで彼らと契約をしました。

1992年から長いあいだ〈ワープ〉に勤めていたんですよね?

サイモン:そうです。10〜11年ほど〈ワープ〉で働きました。なので、私はふたつの良いレーベルで働いたことになります(笑)。

〈ワープ〉で働きはじめたきっかけは?

サイモン:レーベル・マネージャーと友人であったということもあって、〈ワープ〉で働きました。で、90年代ずっと〈ワープ〉にいたんですけど、じょじょにアメリカのマーケットでもいい状況になっていったんですね。それで私がアメリカに行くことになって、で、フライング・ロータス、バトルズ、グリズリー・ベアなどといったアメリカのアーティストと契約を結んだんですよ。

へー、なるほど。どうして音楽業界で働きたいと思ったのですか?

サイモン:仕事という感じがしなかったんです。趣味という感じ。働いている感じがしないので、趣味を仕事にするほうがやっぱりいいなと。もうひとつの趣味がフットボールで、それを仕事にすることはできないけど、音楽ならできるなと思いました(笑)。当時ナイトクラブで踊ってばかりいて、もし音楽業界で働けば仕事としてナイトクラブにも行けるなと思いました(笑)。だから音楽を仕事にすることは自然でした。

〈ワープ〉に初期から携わっていたということは小さな地方のレーベルがどんどん大きくなっていく、成長していく過程をまさに現場で見ていたということで、これはあなたにとって大きな経験だと思います。いま〈4AD〉で働くうえでそのときの経験はどのように生かされていますか?

サイモン:〈ワープ〉での経験と〈4AD〉とはまた全然違いますね。なぜかというと、〈4AD〉は自分が入ったときすでにビックなレーベルだったので、成長というよりは、維持をするということのほうが大事だったんです。〈4AD〉も下降気味のときはありましたが、自分が〈4AD〉に入ったときは良いときだったのですごくラッキーでした。なので、ボン・イヴェールディアハンターと契約したときすぐに成功することができたんです。自分にとってやりやすい環境でした。簡単に成功することができたんです。

すこし話が前後しますが、長年携わってきた〈ワープ〉をなぜやめて、なぜ〈4AD〉に入ることになったのですか?

サイモン:〈ワープ〉のオーナーと自分とのあいだに少し意見の食い違いがでてきて、彼が契約したいバンドと自分が契約したいアーティストが少し違ってきたんです。だからそのときに〈ワープ〉を去ろうと思いました。ボスと対立するということはよくあることですよね。他にもいろいろ道があるわけですが、その他のことに挑戦することで成長もできると思うんです。自分はそれによって成長したと思います。他の誰かがノーといっても、自分の決断に100%の責任を持ちたい。チームで働くことにおいてとても大事なのは、自分はチームの二番手ではなくて、チームを導く存在になりたいということだと思っています。

〈4AD〉に移ったのは2008年ですか?

サイモン:2007年です。

ディアハンターと契約したのもあなたですか?

サイモン:本当は〈ワープ〉にいるときにディアハンターと契約したかったんだけど、やらせてもらえなかったんです。彼らと仕事をしはじめる何年も前からずっと様子を伺っていました。そのあと〈ワープ〉を辞職して、自分が〈4AD〉にいったタイミングで彼らと契約をしました。

たしかにあなたが〈4AD〉に携わってから、〈4AD〉のカタログの間口がザ・ナショナルや、チューン・ヤーズなどなど、すごく広がったし、活気づいたと思います。オリジナルの〈4AD〉はゴシックのイメージがあまりにも強いレーベルでしたが、〈4AD〉の更新させるというのはあなたにとって大変なことでしたか?

サイモン:そんなことないよ。たしかに〈4AD〉は80年代のイメ―ジがすごく強くてアイコニックだったと思います。でも、〈4AD〉はコクトー・ツインズだけじゃなく、ピクシーズだっているんです。とはいえ、たしかに80年代の〈4AD〉はコクトー・ツインズ的なイメージのほうが強かったと思います。しかし90年代に入ってからこのイメージは消えました。そもそも音楽はその10年で大きく変化しましたから。そして〈4AD〉はその時代の大きな変化を受け入れなかったからだと私は思っています。
レーベルはビジネスと音楽の両方のバランスをとることが大事です。これはとても難しいことです。私が〈4AD〉に入った10年前、〈4AD〉は80年代のアイコニックではなく、多様性のあるモダンな若者のレーベルになろうとしていました。それは私にとってラッキーなことでした。もしそのときの〈4AD〉が絶頂期だったらそうはいかなかっただろうし、維持し続けるのは難しかったと思います。低迷期だったからこそ変化させることができたと思っています。
それと、〈4AD〉の人たちも良い音楽のテイストをもっているんです。みんな趣味が良い。だから私たちは良い音楽を取り上げて、成長することができたと思います。とても素晴らしいことでしたね。私が決断をしたとき、みんなが賛成してくれる。素晴らしいことです。チームで決断をするというのはすごく難しい、しかし、チームみんなで決めるべきことというのはたしかにあるんです。それにはふたりの人がいることが必要です。たとえば実験し挑戦する人と決断する人、チェックする人と決断する人みたいな感じです。チェックがうまくいくと、バランスが良くなって仕事が良くなる。ひとりで決断するほうが良い結果をだせるという人もいるけれど、私はチームでベストなアイデアをピッキングするほうが良い結果が生まれると思っています。〈ワープ〉では私とスティーブが一緒に決断をしようとするときは、お互いの意見を言い合っていました。これと同じことが〈4AD〉でもできているんです。

[[SplitPage]]

〈4AD〉の場合は、ビッグにしてくれるものやビックにしようとしているものを世界中に探している。だからあなたのおっしゃるとおり。アンダーグラウンド・ミュージックを幅広いオーディエンスに届けようとしている。でも完全にポップにはならない。だからビック・インディペンデント・ミュージックと呼んでいるんです。ビック・インディ(笑)。

〈ワープ〉はエレクトロニック・ミュージックとクラブ・カルチャーがバックグラウンドにあってアイデンティティがすごくわかりやすいレーベルですよね。オリジナルの〈4AD〉には確固たるアイデンティティがあったと思います。では、現在の〈4AD〉にとってのアイデンティティというものを、あなたはどのようにお考えでしょうか?

サイモン:先ほども言いましたが、〈4AD〉には80年代にはゴシックのイメージがありましよね。〈ワープ〉には、エレクトロニックでもっと賢い音楽というイメージがあると思います。シンプルなハウスではなくて、複雑で知的なダンス・ミュージック。家で聴けるエレクトロという感じです。それに対して、いまの〈4AD〉にはアイデンティティというか、なにか固有のイメージというものはないかもしれません。多様性があって幅が広すぎるんです。〈4AD〉には、グライムスピュリティ・リングもいますから。
いまの時代、音楽ファンは音楽を幅広く聴くようになっています。とくに若い人たち、10代の人たちはプレイリストでポップ、ヒップホップ、R&B、ギター、いろんな音楽をどこでも聴いているわけですよ。だから多くの契約をすることは多様性を持つひとつの方法であり、敢えてイメージを持たないことにつながるんです。ひとつの音楽にイメージを持つことは簡単だけど多様性をじつげんするのは難しいと思います。

ちょうど〈クランキー〉みたいなレーベルがやっていることと、メインストリームとの懸け橋みたいなポジションに〈4AD〉はいるのかなと思います。要するにアンダーグラウンドで、マニアックな音楽を作っている人たちのなかにもポテンシャルを持っている人たちがいて、それをもう少しポップフィードに近づけるということを意識されているんじゃないですか?

サイモン:そう、まさにおっしゃるとおりだと思います。ビック・インディだと自分では思っているんですけど。〈クランキー〉みたいなアンダーグラウンドのレーベルはもまったく素晴らしいですよね。ゴッドスピード・ユー・ブラック・エンペラーとか、スターズ・オブ・ザ・リッドとかディアハンターとか。ディアハンターももともとは〈クランキー〉なんですよ。あのレーベルは素晴らしいテイストを持っていると思います。

あとはティム・ヘッカーもそうですね。〈クランキー〉で出していて〈4AD〉からもリリースした。

サイモン:そうそう。〈クランキー〉は彼らの選択によってシンプルでスモールにやっています。〈4AD〉の場合は、ビッグにしてくれるものやビックにしようとしているものを世界中に探している。だからあなたのおっしゃるとおり。アンダーグラウンド・ミュージックを幅広いオーディエンスに届けようとしている。でも完全にポップにはならない。だからビック・インディペンデント・ミュージックと呼んでいるんです。ビック・インディ(笑)。

先ほどのあなたの話で、〈ワープ〉時代にアメリカ働かれていたとおっしゃっていましたが、やはりイギリスのインディ・シーンとアメリカのインディ・シーンとは違いますか?

サイモン:じつはあまり違いは感じていません。アメリカのインディもイギリスのインディも達成したい目標というものは同じです。文化や音楽が違えど、ドイツでもオーストラリアでも日本でもアメリカでもイギリスでもファンはみんな一緒なんです。良いテイストをもっていて、本当に音楽が好きで、音楽を聴きたいという。なので、あんまり違いは感じませんでした。
でもアメリカにオフィスをもっていたことで、アメリカのバンドというのがより心地良く、他国という感じがせずに契約できたということはすごくよかったですね。90年代に入ってからイギリスの音楽というのは、悪くなったというとあれですが、アンダーグラウンドが低迷していったと思います。オアシスもそうですが、スピリチュアライズドもだんだんポップになってしまった。ものすごくビックになってしまったんです。アンダーグラウンドというものが存在しなくなっていったと思います。しかしアメリカでは、同じ時期に30万枚とかどんなにレコードが売れたとしてもインディにいることができたんです。ポップのラジオでかからなくてもインディのちゃんとしたシーンというものがあって、アンダーグラウンドというものがすごく盛り上がっていたと思います。そのころのイギリス(のシー)はアメリカと違って迷っていたと思いますね。
とはいえ、やがてイギリスのアンダーグラウンドからはグライムなんかがでてきて、以来、変化していますよね。しかし最近では、アメリカのヒップホップがどんどん侵略してきて、若いひとたちはR&Bとかラッパーに憧れています。なので、今後アメリカとイギリスのアンダーグラウンド・シーンというものがどうなっていくのかを私も見守っていきたいと思っているんです。

[[SplitPage]]

たとえば、チューン・ヤーズのときは、チューン・ヤーズを聴くまではどんな音楽か想像できなかったように。探し求めているようなオリジナリティというのは、たとえるなら頭のなかに浮かぶ電球玉のようなものだと思います。「ああ! 新しいね!」みたいなね。

いろいろやってますが、根幹には〈4AD〉はロックというか、ギター・ポップにこだわっているところもあるのかなという気もしますが、いかがでしょうか?

サイモン:それは違います。ただ自由に、ほとんどの場合アーティストを探すときは、オリジナリティを求めています。たとえば、チューン・ヤーズのときは、チューン・ヤーズを聴くまではどんな音楽か想像できなかったように。探し求めているようなオリジナリティというのは、たとえるなら頭のなかに浮かぶ電球玉のようなものだと思います。「ああ! 新しいね!」みたいなね。グライムスやピュリティ・リングもそうです。グライムスのデモは静かなギター調でした。サウンドはマッシヴ・アタックみただし、スピリチュアライズドみたいでもありましたね。

なるほど。オリジナルという点では、ゾンビーU.S. ガールズギャング・ギャング・ダンスもたしかにそうですねぇ。これからグライムス、ベイルートの新作がでて、今月はディアハンターがでたので、せっかくなのでそれぞれに関してあなたのコメントをください。

サイモン:ディアハンターの新しいアルバム『Why Hasn't Everything Already Disappeared?』は大好きです。ライヴ演奏もより良い新しいサウンドになっています。

あなたは彼らを最初に契約したと言いましたが、どこにいちばん惹かれたのですか?

サイモン:彼らのもっていたフィーリングです。ロック、サイケデリックのミクスチャー。彼らの音楽は、コクトー・ツインズとかスピリチュアライズドとか、自分が大好きなものを思いおこさせたんです。似ているサウンドではないのに、なぜかそれが混ざりあっているような気にさせる。

わかります。ディアハンターって、アメリカのバンドですが、UKインディっぽい感じがありますよね。UKの80年代のインディ・ロック・バンド、エコー&ザ・バニーメンみたいでもあります。

サイモン:私もその名前をだすべきでした(笑)! エコー&ザ・バニーメンは自分が若いときに大好きだったバンドでした。本当にそうですね。当時、ディアハンターが脚光を浴びたとき(※2008年ぐらい)、イギリスのバンドは、そういうサウンドを作っていませんでした。ディアハンターがそういうサウンドを作って、ブリティッシュ・バンドもふたたびそのような音を作るようになったんです。

おもしろいですよね。UKのバンドがかつてやっていたことをいまUSのバンドのほうが受け継いでいるような。

サイモン:アメリカとイギリスでしょっちゅうアイデアを交換しているようなことはあります。ハウスとテクノが良い例だと思いますね。86、87年はアメリアのシカゴとデトロイト、UKで、UKがハウスとテクノをやりだして、それがアメリカに戻ってそれぞれが変化しました。同じように、イギリスのバンドにとってもディアハンターは重要だったんです。

グライムスのアルバムに関してはどうですか?

サイモン:まだ完成していないんだけど、音楽的で、プログレッシヴで、曲が長いです(笑)いまのところ私が聴いた曲はあまりダンス的ではありませんでした。マッシヴ・アタックのセカンド・アルバムみたいな感じでしたね。8分から9分くらいのトラックで、スピリチュアライズドみたいな雰囲気もありました。ほかにハウスっぽい曲もありましたよ。とにかくバラエティーがありますね。彼女はやってくれるますよ(笑)!

どういう方向に行くのか、気になりますね。

サイモン:わからないですね。彼女でさえもわかっていない(笑)。

あとはベイルートもでましたよね。ベイルートも素晴らしいバンドです。

サイモン:シングルはすごく良い調子です。年齢を重ねるにつれて良いシングルの書き方というのがわかってきていると思います。あのシングルはみんながとても好きですね。

最後に〈4AD〉の野心というか、今後の目標としているものがあれば教えてください。

サイモン:目標は良い音楽をリリースし続けて、良いアルバムを作るということだけです。これからの10年はオリジナリティがあるレコードをリリースし続けて、ミュージシャンをより上の段階へと上げていくことです。チームとなって彼らを手助けし、音楽を取り上げ、音楽をよりビックにし、ミュージシャンをプロフェッショナルにする。音楽を作るだけで生活ができるようにです。
しかし、現実的な野心はいくつものオリジナリティがある素晴らしい音楽をリリースするだけ。「野心はそれだけ?」と思われてしまうかもだけど、そうなんです(笑)。純粋でありつづければ、すべてはどんどん良くなっていくと思います。良い音楽をリリースし続けていくこと、それがすべてです。いま自分たちが何をしているのかかわからなくても、数年後に振り返ったときには「ああ、よかったな」と思えるでしょう。

今晩(4ADナイト)DJをやりますね。どんな曲をかけるんですか?

サイモン:幅広い音楽をかけます。催眠的な音楽です。オウテカとか、コクトー・ツインズ、エイフェックス・ツイン、アリエル・ピンク、ジェイムズ・ブラウン……有名な曲ではない曲をかけます。シングルにはなっていない曲です。あとはハウスをいくつか……たとえばムーディーマンとか。ムーディーマンはいいですよね。大好きなんです。ただし私は、あんまり良いDJじゃないですけど……。でもテイストだけはいいので(笑)。

Bibio - ele-king

 2017年の暮れに美しいアンビエント・アルバムを送り出し、昨年はその続編となるEPを届けてくれたビビオが、突如新曲を発表しました。再生ボタンを押すと……あのギターリフです。ビビオです。と思いきやヴァイオリン。なんでも昨年弾きはじめたんだとか。アルバムごとにいろんなスタイルにチャレンジする彼のことだから、また何か考えていることがあるのかもしれませんね。そして前作とは関係のない新曲が公開されたってことは、ニュー・アルバムがリリースされる日も近い? 続報を待ちましょう。

Bibio

聴く者の記憶や、心に浮かぶ情景に寄り添う心温まるサウンドで支持を集めるビビオが新曲“Curls”をリリース!

『A Mineral Love』(2016年)ではグラミー賞アーティストのゴティエと共演をし、サカナクションの山口一郎やボーズ・オブ・カナダなどを筆頭に、国内外のアーティストから賞賛を集めるビビオ。聴く者の記憶や、心に浮かぶ情景に寄り添う心温まるサウンドで、幅広い音楽ファンから支持を集める彼が、新曲“Curls”を突如リリース!

https://www.youtube.com/watch?v=Vx9_FIIH-UM

僕の多くの歌やインストゥルメンタルの楽曲と同様に、この曲はギターのリフから始まる。そこから、去年始めたマンダリンとヴァイオリンで演奏した主旋律に繋がる。歌詞については、一見すると関係なく見えるけど、実は結びついている人生の小さな物事──異なる記憶の断片やこの目で観測したこと、そして空想──がインスピレーションになっている。ここ数年のことを振り返ってみると、自分にとって大切なもののいくつかは、日常の小さな観察や体験だと気づいた。木に染み付いた雨の匂いだったり、外から部屋に入ってきた人の髪の毛が持ち込んでくる新鮮な空気だったり。そういう瞬間は喜びに満ちているし、とても意義深いものだったりもする。人生がどんなものかってことや、生きることの意味、もしくは意味すら超えた何かだってことに気づかせてくれる。それはまた、歌詞を乗せた曲よりも、言葉を持たない曲の方が多くを語りかけてくれることに気づかせてくれる。そういう日々の瞬間が、生まれ持った資質や、野心的に物事を達成することよりも重要だったり、記憶に残ることもある。それは太古まで遡っても存在することだし、個人の心の中の世界を超えたものなんだ。こういった意識っていうのは恐らく何千年も昔から体験されてきたことなんだろうと思う。新鮮な空気以外にも世の中には素晴らしいものがたくさんあって、そういった存在を目の当たりにしたとき、人は幸せを感じることができる。だからこそ、日々の小さな物事が自分の心に響くし、それらを曲の中で歌うことは意味のあることなんだ。 ──スティーヴン・ウィルキンソン(Bibio)

新曲“Curls”は各種サービスにて配信中!

label: WARP RECORDS
artist: Bibio
title: Curls

iTunes: https://apple.co/2SvA9mS
Apple Music: https://apple.co/2DY6AlR
Spotify: https://spoti.fi/2WSHUTo

お詫びと訂正 - ele-king

 2月5日にアップした、沢井陽子のコラム「Random Access N.Y./vol.110 史上最悪のスーパーボウル騒動」にて、複数の読者からいくつかの間違いの指摘がありました。
 事実誤認と誤解を招く表現があったことをここに深くお詫び申し上げます。
 筆者に確認したうえで、以下の3点について訂正させていただきます。

①ハーフタイムのショウは伝統的にノーギャラなので、カーディBが膨大なギャラを蹴った、というのは何がソースか、という点。

 カーディーBの件は、筆者が「たくさんのお金を犠牲にしてショーをやる」という話を「ギャラを蹴る」というふうに読み間違えてしまったとのことでした。

“I got to sacrifice a lot of money to perform. But there’s a man who sacrificed his job for us, so we got to stand behind him.”
私は演奏するためにたくさんのお金を犠牲にしないといけない。でも、私たちのために、自分の仕事を犠牲にしている人もいるから彼(コリン・キャパニック)を支持するべき。

https://www.apnews.com/8b5d8a59de03402c948b1b0341cb8615

②トム・ブラディ選手がトランプ支持者という点(つながりはあるらしいが、公に支持を表明しているのか)

 公にはしていませんが、NYの筆者のまわりでは、支持者だ思っているひとは少なくないようです。トランプとは友だち(https://www.thedailybeast.com/inside-tom-brady-and-donald-trumps-14-year-bromance)なのでサポートする、という話らしいのですが。

Brady backed off a little when his wife clearly told him to, said that he didn’t actually have political opinions at all, that actually he was “a positive person,” and that Trump was just his friend he supported because he always supports his friends, even if he did think it would be cool if he won.
トム・ブラディの妻は「トムは政治的な意見はまったくなく、ポジティヴな人で、トランプは彼の友だちだったから、彼が勝ったら良いねと支持するの」と言う。

https://www.thedailybeast.com/tom-bradys-new-england-patriots-are-team-maga-whether-they-like-it-or-not?ref=scroll

③30年以上前からあるのに、「ビヨンセ以来スーパーボウルがアメリカでもっとも注目されるショウになった」という点

 こちらは筆者の個人的な見解です。なので、「ビヨンセ以来、私のなかではスーパーボウルはがアメリカでもっとも重要なショウになった」と表現すべきでした。

 以上です。記事のほうは、修正させていただいております。申し訳ございませんでした。

編集部・野田努

Beirut - ele-king

 タイトルの『ガリポリ』はガリポリの戦いで知られるトルコのガリポリ半島かと思っていたら、イタリア南部に位置する海沿いの街のことらしい。ガリポリに関する知識がまったくないのでグーグルの検索に入れてみる。美しい地中海沿いの風景、城塞都市であるという旧市街、美味しそうな地中海料理の写真。なるほど、行ってみたくなる場所だ。あるいは、『ガリポリ』のタイトル・トラックを聴いてみる。ベイルートらしい8分の6のゆったりしたリズムに合わせて叩かれる柔らかい太鼓の音、大らかなブラス・セクションとともに伸び伸びと歌うトランペット、ザック・コンドンのバリトン・ヴォイス。地中海の街に立つ即席の楽団を想像してみる。どちらのほうが僕たちはより豊かに「ガリポリ」を感じられるだろう?

 ベイルートことザック・コンドンの音楽に無条件で親近感を覚えてしまうのは、彼が映画館でアルバイトしていたときに観たエミール・クストリッツァの映画を観て東欧の音楽に興味を持ったエピソードのせいかもしれない。日本にもクストリッツァの映画の影響でバルカン音楽を好きになったという人間は多いが、つまり、コンドンの東ヨーロッパ音楽への関心はとても素朴な場所から始まっている。彼はその憧憬の純度を保ったままヨーロッパを旅し、そして自分の音楽にとても素直に取り入れた。それが素晴らしいはじめの2枚になる──僕のお気に入りは哀愁がとめどなく迸るセカンド・アルバム『ザ・フライング・カップ・クラブ』(2007)だ。その終わり3曲を聴けば、いつか東ヨーロッパを旅してみたいという気持ちが何度でも鮮やかに蘇る。
 『ガリポリ』は彼にとっての5枚めのアルバムで、注目されるトピックはふたつ。ひとつが初期2作の作曲に使ったファルフィッサのオルガンを再び使ったこと。もうひとつが、コンドンがニューヨークを離れ、ベルリンに居を移したことだ。レコーディングはイタリアでおこなわれたという。前者については、サウンド・アプローチを大きく変えた前作『ノー・ノー・ノー』(2015)から引き返しぐっと初期のムードに近づいた要因だと言えるだろう。もちろんコンドンは初期2作からアルバムを重ねるごとに音楽性の幅──取り入れるサウンドの地域性やリズムのボキャブラリーを増やしてきたので、この『ガリポリ』は12年前と比べて遥かに成熟したものであることは間違いない。が、どこかで初期のような衒いのない伸びやかさが感じられ、そのことがアルバムに再びフレッシュな風をもたらしている。
 そして後者について。ニューヨークを離れた理由として、コンドンはいわゆる「大統領」の問題やストレスフルな都市のムードに嫌気が差したからだと語っている。この2年ほどのアメリカの政治と社会の混乱はミュージシャンたちに様々な反応を促したが、ベイルートは文字通り逃げた。アメリカではない場所へ。そのことが結果として、ベイルートらしさ──自分が「住まなければならない」場所から音楽の想像力で羽ばたくこと──を充溢させることとなった。ふくよかな管楽器のアンサンブル、音色を変えていく多様なリズムによる舞踏感覚、鷹揚なメロディといくらかのペーソス。ポップなヴァラエティをアピールする前半もいいが、ベイルートの音楽性の奥行きを感じさせるのはB面に当たる曲群だ。リヴァーブのこもったビート・ボックスと控えめなコーラス、柔らかなトランペットが次第に華やかなオーケストラを導いてくる“Family Curse”。南米のリズム感覚とメロディが注がれた“Light in the Atoll”はベイルートとしては新鮮だし、あるいはぐっと抽象的なエモーションへと舵を切る“We Never Lived Here”の曖昧な悲しみは、増していく音の重なりとともにゆっくりと去っていく。

 その“We Never Lived Here”でコンドンは「僕たちはここに住んでいなかった」と歌うが、それは新たな土地へと降り立った心境とも取れるし、かつて住んでいた場所が自分の心を捕まえていなかったことの比喩とも取れる。それは、いま日本に「住まなければならない」僕たちにも共感できる引き裂かれた感情ではないだろうか。シンプルに、ここにいたくないという気持ち。この社会が自分たちの心を殺していくというような恐怖。“Family Curse(家族の呪い)”はコンドンの家系に多い精神疾患に対する恐怖心についてだそうだが、それはつまり、生まれ落ちた場所や状況に縛られるしかない閉塞感を指しているとも言える。
 だが、僕たちは本当はそれに縛られなくてもいい。ベイルートの音楽が、『ガリポリ』がそのことを僕たちに語りかけてくる。彼が主宰するアンサンブルはミスタッチやミストーン、すなわち人間による偶発的なエラーも許容しながらその瞬間瞬間を受け入れ、架空の旅を続ける。その「ワールド」の咀嚼が正確なものではないがゆえにこそ、想像はどこまでも広がっていく。翻って現在の国家は人間の移動を制限しようと必死だが、しかし本質的には何者もけっしてそれを押し留めることなどできない。かつてブルックリン・シーンの「非アメリカ」を体現していたザック・コンドンはアメリカを実際に脱出し、そして彼の音楽を聴く僕たちは移動し続ける音楽の自由を知っている。

女王陛下のお気に入り - ele-king

 日本でも評判を呼んだTVドラマ『宮廷の諍い女』など中国では宮廷劇があまりに流行り過ぎて、人民に華美なライフスタイルを流行らせるため宮廷劇の製作が今後は禁止されたという。中国では富裕層がペットにお金をかけ過ぎることも度々批判の対象になり、その類のニュースに目を通していると毛沢東時代の質素な暮らしをよしとする考え方も根強く残っていることが伺える(GDPが日本の倍になったとはいえ人口比で考えると日本人ひとりに対して中国人5人の「生産性」が同じぐらいということだし、富裕層を除いた残りの平均所得は月に2万5千円ぐらいだそうで、景気の減速に伴って都市部では7万5千円の家賃を払えなくなっている人も出てきたとか)。イギリスも話題がブレクシット一色ということはなく、貴族の暮らしぶりを描いたTVドラマ『ダウントン・アビー』は9年目にしてついに映画化されることになり、ビクトリア女王やエリザベス女王を題材にした映画も次から次へと出てくるし、昨年はミーガン・マークルの皇室入りで現実の世界でも宮廷劇は最高潮に達している。スコットランド独立運動と共にメアリー・スチュワートの人気も上がりっぱなしで、もはや作品名を覚えられる量ではなく、映画の中でウインストン・チャーチルやトニー・ブレアがいちいちバッキンガム宮殿に足を運ぶので、もはやどこにどの部屋があるのか配置図が書けてしまいそうである。
 そうしたところにアン女王を中心とした『女王陛下のお気に入り』ときた。18世紀初頭、スチュアート朝最後の君主で、彼女の死後、イギリスは最盛期を迎えるハノーヴァー朝へ移行していく。これがまた凄まじい宮廷劇であった。実話だそうである。

 貴族から召使いへと転落したアビゲイル・ヒルが働き口を求めてアン女王の城に向かう場面から物語は始まる。ヒルを演じるのはこのところ『ラ・ラ・ランド』や『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』で「努力の人」というイメージが板についていたエマ・ストーン(安倍晋三がエマ・ワトソンと間違えた女優)。最初は掃除や炊事など下働きしかさせてもらえなかったヒルが痛風に苦しむアン女王に薬草を煎じ、その痛みを和らげたことから女王の「お気に入り」に加えられる。アン女王を演じるのは、現在、ネットフリックス『ザ・クラウン』でエリザベス2世を演じているオリヴィア・コールマン。巨体を揺らして、いわゆるバカ殿を演じ、君主制というものがいかにベラボーで、民主主義というものがどれだけありがたいものかを全編を持って逆説的に訴えかけてくる。そして、アン女王の参謀を務めているのがレイチェル・ワイズ演じるモールバラ公爵夫人レディ・サラ。ウインストン・チャーチルやダイアナ妃の先祖であり、彼女が残していた日記がこの映画の基底をなしている(アン女王が無能に近く描かれているのはそのせいらしい)。この時、イギリスはフランスと戦争中で、戦争の継続と増税を望むホイッグ党と戦争終結を訴えるトーリー党が対立し、アン女王は両者のバランスを見ながら諸事に決断を下していく。専制君主とはいえ、強権的に権力を振りかざす時代ではなくなっていたそうで、難しい選択を迫られたアン女王が現実から逃避し、レディ・サラやアビゲイル・ヒルから慰めを得ることがこの作品で描かれていることのほとんどといってよい(そして美術に衣装。それこそ『ゲーム・オブ・スローンズ』がTVドラマに求める女性の好みを結集させてつくられたマーケティングの集大成だったとしたら、女性の指導者やソープ・ドラマ的展開、あるいは権力者の栄枯盛衰など『女王陛下のお気に入り』にもその要素はあらかた出揃っている)。

 といったような背景がわかってはきたものの、何を描こうとしている映画なのかということが一向に見えてこない。こうかなと思っているとあっちにいってしまうし、そっちかと思うとぜんぜん違うし、ストーリーというものが指の間からポロポロとこぼれ落ちていくような体験が続く。(以下、限りなくネタバレに近いブルー)後半に入って一気に押し寄せてくるのは「政治」である。政治には「目的」と「方法」がある。議案にもよるだろうけれど、往々にして何が何でも自分の主張を通そうとする人は嫌な感じがするものだし、そのために権力にすり寄っていく人はさらに醜く見えやすい。『女王陛下のお気に入り』ではそうした「目的」と「方法」が見事に絡まり合っていて、宮廷劇の十八番である権謀術数を観客にも隠しつつ話が進行していく。ストーリーが手に取るようにわからないのはそのためであって、何が起きていたのかがわかった時にはほとんどのことは終わっている。そして、その時に初めてオープニングに続いて(ここからは本当にネタバレ)レディ・サラが目隠しをされていたシーンの意味がわかってくる。このシーンは異様なほど恐怖を掻き立てる。どう考えても怯えすぎである。しかもアン女王はレディ・サラを喜ばせようとして目隠しをさせたというのに。あれ以上のシーンはこの映画にはなかった。いってみればクライマックスは最初にあったのである。

 ヨルゴス・ランティモス監督は『籠の中の乙女』でも『ロブスター』でも、そして『聖なる鹿殺し』でも人間が自由を奪われるとどうなっていくかということを描いていた。ある意味それは人間を近代から少しはみ出した地点においてみるという実験であり、物語が終わった時点で主人公たちが近代に戻ってきたかどうかはどの作品でも観た人が考えるというつくりになっている。独裁者というのは近代にもちょくちょく現れるもので、自分の国の指導者がそのようなパーソナリティに近づいていった時に人はどう動くかという実験を『女王陛下のお気に入り』では見せられたようなもので、戦争を遂行するか回避するかなどということに関してはそれほど大きく変わっていないとさえ思える面も多々あった。それどころか、現代の政治は18世紀初頭ぐらいならばすぐにも戻れてしまうほど基盤の弱いもので、シリアやヴェネズエラのようにあっという間に国家という体裁をなさないこともあるし、ドナルド・トランプが大統領になっても司法やマスコミが機能していることを世界に知らしめたアメリカはやはり近代国家として優れているということも思わずにはいられなかった。「お気に入り」という表現を安倍政権の「オトモダチ」やちょっと前のマレーシア政権みたいに「身内びいき」と言い換えてもいいかもしれない。国会議員ではなく諮問委員会の方が立法に近い位置にいるという現状など、考えれば考えるほどこの世界はモダンから遠ざかっていく。あー。

 コメディアンのケヴィン・ハートが過去に行ったヘイト・ツイートによって司会を辞退し、MC不在という異例の事態のままアカデミー賞の発表まで1ヶ月を切った。下馬評では『トゥモロー・ワールド』や『ゼロ・グラヴィティ』のアルフォンソ・キュアロンによる『ローマ』と『女王陛下のお気に入り』の一騎打ちだということが言われている。なんとも高級な対決になったものだけれど、イニャリトゥとデル・トロに続いてキュアロンが受賞すればメキシコの映画運動、ヌエーヴォ・シネ・メヒカーノから出てきたビッグ3が全員アカデミー賞を獲得したことになるし、『ロブスター』からたったの3年でランティモスが受賞するという絵もなかなかに美しい。ノミネート作をすべて観ているわけではないので、大きなことは何も言えないけれど、いつにも増して発表が待ち遠しいことは確か。ちなみに外国語部門ではカンヌでも因縁の対決となったイ・チャンドン『バーニング』と是枝裕和『万引き家族』もノミネートされているそうで。


(予告映像)
『女王陛下のお気に入り』日本版予告編

僕がアリアナ・グランデに惹かれる理由 - ele-king

 2017年の8月にリリースした“Look What You Made Me Do”のブリッジで、テイラー・スウィフトは「申し訳ございません、『古いテイラー』は電話に出られません/なぜって? 彼女は死んだから」と言っている。カニエ・ウェストとのトラブルから生まれたとされるこの曲は、どこか不穏な復讐の歌であると同時に再生の歌でもある。「ギリギリのところで私はスマートに、強くなった/死から立ち上がったの、だっていつもそうしているから」。テイラーの「古い私は死んだ」というショッキングだが力強いステートメントは、2018年を通して僕の耳にこびりついて離れなかった。

 一方、勇気づけられるというよりは打ちのめされたのがカーディ・Bの言葉で、彼女はヒット・シングル“Bodak Yellow”で「私がボス、あんたはただの労働者」とラップしていた。また、YouTube Musicの広告で100回は耳にしただろうラテン・トラップの“I Like It”ではこうだ。「バッド・ビッチは男をナーヴァスにする」。カーディは怒張した男根をへし折る女として2018年のポップ・シーンに君臨していたように思う。

 テイラーやカーディに惹かれる一方で、2018年の僕にとって最も重要だったのはアリアナ・グランデの存在だ。彼女の「神は女性だ」という、あまりにもコントラヴァーシャルな宣言は、一つの楔として僕の心に打ち込まれた。ゆったりとしたテンポのトラップ・ポップに乗せて彼女は歌う。「あなたが『なれない』と言ったすべてのものに私はなることができる/私と一緒にいれば、あなたは宇宙を見ることができる/それはすべて私の中にある」(“God is a woman”)。“God is a woman”は典型的な女性優位を主張する歌だ(この曲はセックス賛歌でもある)。時計の針を50年分巻き戻してみて、ポップ・ミュージックの歴史をさかのぼってみれば、この曲がアレサ・フランクリンの“リスペクト”の系譜に連なる一曲であることがわかるはずだろう。オーティス・レディングから「盗んだ」その曲をほんの少し書き変えることで、アレサは男性優位主義を見事にひっくり返していた。


Sweetener
ユニバーサル・ミュージック

 “God is A Woman”が収録されたアリアナ・グランデのアルバム『Sweetener』は、2017年5月にマンチェスターのコンサート会場が自爆テロ犯によって襲撃された事件を経て制作され、翌年8月にリリースされた。モノクロームだった前3作のカヴァー・アートに反して、『Sweetener』はカラー。これについて彼女は、「これは新章。私の人生は初めて色彩の中にある」と語っている。アルバムに先立ってまずリリースされたのが“no tears left to cry”で、このシングルのカヴァー・アートは暗闇の中にいるグランデの顔に虹色の光が差している様が写し取られている。シリアスなムードのイントロでグランデは「流す涙はもう残っていない」と決意を表明する。その後の彼女は軽快に、そして自然体で、まるで何事もなかったかのようなトーンで歌っていく。「私は尽き果てた、でもね、もういいの/どんな方法で、何が、どこで、誰がそれをやったのだとしても/私たちは今、ここで楽しんでいる」。

 『Sweetener』を聴くたびに僕はこう思う。自身のコンサート会場で23人もの命が失われるという、あまりにも痛ましい悲劇を経てもなお、グランデはどうして歌うことができるのだろう? そのすべてをポジティヴな、そして女性的な表現へと見事に昇華してみせるグランデの力強さは、いったいどこから来るのだろう? なぜ彼女の人生は今、色彩の中にあるのだろう?

 「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」と言ったのはテオドール・アドルノだが、グランデは「それでもなお」と歌っているかのように感じられる(もちろん、アドルノの言葉は単なるニヒリズムなどではないし、そもそも彼はポップ音楽なんて歯牙にも掛けないだろうけれど)。ポップ・ミュージックが聴き手をアップリフトし、鼓舞する。ポップ・ミュージックが聴き手とコミュニケートし、心の中に居場所を持ち、何かを肯定する──そういった、ものすごく平凡な言い方をすれば「音楽の力」をグランデは信じているとしか、僕には思えない。だからこそ、彼女はこの「人工甘味料」という皮肉めいたタイトルの感動的なポップ・アルバムをものにすることができたのだろう。

 例えば、イーグルス・オブ・デス・メタルはパリのコンサート会場がテロリストたちの襲撃に遭い、グランデと近い経験をしている。けれども、メンバーのジェス・ヒューズは事件の後、インタヴューでヘイトすれすれの発言を繰り返した。銃規制に反対するデモを「感傷的で悪趣味」だと批判し、ライヴ会場のスタッフがテロの共謀者だったのではないかと彼は言い放ったのだ。疑心暗鬼と憎悪――それは、グランデのあり方とはあまりにも対照性だ。月並みな表現をすれば、ヘイトとラブという二極。音楽の力を信じているのは、果たしてどちらだろう?

 『Sweetener』の後に発表し、記録的なヒット・ソングとなった“thank u, next”にしても、グランデの力強く肯定的なアティテュードは一貫している。この曲で彼女は、ビッグ・ショーンや亡くなったマック・ミラーといった“ex(元カレ)”たちを数え上げている。「ある人は私に愛を教えてくれた/ある人は忍耐を/ある人は痛みを教えてくれた」。なかには壊れて、ぐずぐずに崩れ、けっして元には戻らない関係性もあったはずだ。あるいは深く傷つき、消えない傷跡が残り、簡単なきっかけでそこから血が噴き出してしまうような関係性も、おそらくあったはずだ。それは僕の人生にも、そしてきっとあなたの人生にもあるもの。それでも、ノスタルジックなヒップホップ・ビートに乗せてアリは滑らかに歌う。「元カレたちにはファッキン感謝してる/ありがとう、次に進むよ」。優しく、包み込むように。


Thank U, Next
Republic Records

 “ex”とは「前の、元の」という意味の接頭辞だが、僕にはどうもグランデが単なる「元カレ」という意味で歌っているようには聴くことができない。あらゆる過去、過ぎ去っていった人や物、時の狭間に消えていった何か、以前はこの世界に存在していた人たち――そういったものすべてを“ex”という言葉に象徴させているようにしか思えないのだ。かつてはあったけれど、今、ここにはもうない何か、あるいは誰か。けれども、“thank u, next”で彼女が歌う“ex”は人生に憑りつく厄介なノスタルジーを喚起するものではない。グランデはその歌で、ノスタルジーを喚起する過去を糖衣でくるんでくれる。僕たちはその甘い過去を少しずつ、少しずつ飲み下して、一瞬一瞬到来し続ける未来をなんとかサーフするための推進力にすることができる。


7 Rings
Republic Records

 “thank u, next”をリリースしたのち、グランデは昨年12月に“imagine”を、そして今年1月に“7 rings”を発表した。ワルツにトラップ・ビートを取り込んだ静謐な前者は「そんな世界を想像しよう」と呼びかける、明確に未来へと意志を投げかける歌だ。一方、“私のお気に入り”のメロディを引きながらラップ・ミュージックを大胆に参照した後者は、それゆえにプリンセス・ノキアやソウルジャ・ボーイらから「フロウを盗んだ」と批判を受けている。リリックの内容も自身の財力を誇示する今時のラップをステレオタイプに模倣してはいるものの、そこには見逃せない言葉もある。セカンド・ヴァースでグランデは、「指輪をつけてはいるけれど、『ミセス』って意味じゃない/6人の私のビッチたちにふさわしいダイアモンドを買っただけ」と歌う。この一節は、既存の婚姻制度や決まりきった約束事としてのルール(「左手の薬指に指をはめていれば既婚者である」など)に一瞥をくれながら、経済的な自由を手に入れた女性たちによるシスターフッドを挑発的に称揚しているかのように聞こえる。

 マンチェスターの事件の5日後にグランデは、美しい長文の声明をツイッターに投稿した。そこにはこんな風に書いてある。「私たちは恐怖の中で立ち止まったり、行動したりはしない。私たちはあの事件によって分断されたりはしない。私たちは憎悪が打ち勝つことを許しはしない」。祈りのようでいて軽快な『Sweetener』の曲たちは、見事にそれを音楽で示している。それに、過去の悲惨さにうなだれるのでもなく、懐かしむのでもなく、それらを慈しんで乗り越えていく“thank u, next”のポジティヴィティは、何にも増して力強いものだった。街中で、コンサート会場で、ソーシャル・ネットワークのそこここで伝搬され、充満している憎悪という毒。アリアナ・グランデの歌はそれらを両手で掬い上げて優しく包み込み、甘く中和する。

vol.110 史上最悪のスーパーボウル騒動 - ele-king

 アイスランドから帰ってきてすぐにスーパーボウル。日本では節分の2/3が今年のスーパーボウルだった。
 私がスーパーボールを意識するようになったのは、2016年のビヨンセからだ。彼女の新曲“Formation”がハーフタイム・ショーで予告もなしで演奏されたあのときがあったから、2018年は、私はビヨンセのコンサートを見に行くにまで至った。2017年のレディ・ガガ、そして18年のジャスティン・ティンバーレイクは、ビヨンセほどの強烈なインパクトを感じなかったけれど、以来私のなかでスーパーボウルはアメリカでもっとも重要なショーのひとつになった。アーティストたちの気合も感じられる。私にとってスーパーボウルのハーフタイムショーは、アメリカについていろいろ考えさせられる日でもあるのだ。

 今年2019年は53回目を迎え、アトランタの、メルセデス・ベンツ・スタジアムで、ニューイングランドのペイトリオッツとLAラムズが対戦した。私はゲームについてはいまだに理解できないけれど、とりあえず結果は13-3でペイトリオッツが勝ったことはわかるし、ペイトリオッツのエースのトム・ブラディは、共和党でトランプ支持者だと言われていて(彼とは友だちらしい)、彼の完璧さが嫌い、という人が私の周り(インディ系)の大多数で、みんなラムズを応援していたので、スポーツ界でのトランプな出来事=退屈なゲームとブーイングを浴びた(もっともスコアも低かった)。

 さて、今年のハーフタイムショーだが、マルーン5が出演。ゲストは、トラビス・スコットとアウトキャストのビッグ・ボイ。気の毒なことにマルーン5は、ただそこにいただけと、かなりの酷評を受けている
 とはいえ、ビッグ・ボイがキャデラックに乗って登場したときは、私も少し上がった。が、ショー全体には気合が感じられなかった。それでも15分のあいだでコート姿から上半身裸になるアダム・ラヴィーンの変わり身には、ほーっと思った。

 そもそも何故このホワイトすぎるバンドがハーフタイムショーなのだろうかという疑問。調べると、カーディB、リアーナ、ピンク、ジェイZなどの大物アーティストが出演をボイコットしていたらしい。
 ことは2016年、警官の黒人差別による不当な暴力に抗議して、国歌斉唱で跪いたコリン・キャパニック選手がいまだ試合に出演できないでいるため、彼を支援するアーティストたちはハーフタイム出演をボイコットしているという。
 ハーフタイムショーは、アーティストにとってのハイライトなので、断るのはかなりの決断だと思う。が、カーディBは、マイノリティのために戦ったコリン・キャパニックを支持しないわけにはいかない、とは言っても、カーディはスーパーボウルのペプシのコマーシャルや関連イベントには出演しているんだけど。
 カーディは、キャパニックを支持することで世界に良い変化が生まれればというが、近い将来に来るとは思えない、という。何故なら、自分たちの大統領は傲慢で、人種差別がまた生まれたからだと。いま力を持ってるのはオバマがいた8年間が早く終わって欲しいと思っていた人たちで、とても嫉妬していた連中だ。彼らが彼らの選択で、人種差別がどのようにこの国に影響しているのかを見たときが、ことが変わりはじめようとするときだが、いま、彼らはその決定が国に影響したことを認めたくないという。その通りだろう。

 マルーン5のハーフタイム出演は非難を浴びたが、アダム・ラヴィーンも、それは予想通りというか、耐えられないなら、このギグはするべきではないと言っている。マルーン5とトラヴィス・スコットは、$500,000 (約5千万円)ずつを、ビッグブラザーズ・ビッグシスターズ・オブ・アメリカ、ドリームコープスという公共機関に寄付した。

 アダム・ラヴィーンが乳首を出したことで、何故アダムは良くて、(2004年の)ジャネット(・ジャクソン)はダメなのかという議論が出たり(どうでも良いんじゃないかと思うが)、2016年からのアメリカは、こんな風に変わり、人種差別は無くなっていないし、逆に悪くなっている。2016年からのアメリカはこんな風に変わり、人種差別は無くなっていないし、逆に悪くなっている。今回のスーパーボウルはCNNをはじめいくつかのメディアから「史上最悪」なんていわれているが、私個人が感覚では、 「まったく退屈な」ぐらいの表現のほうが2019年のアメリカに合うのではないかと。

Yoko Sawai
2/4/2019

Swindle - ele-king

 これまでのスウィンドルの作品には過去と現在のさまざまな音楽が参照されてきた。昔の音ならスイング・ジャズのビッグ・バンドのホーン・セクションとか、1970年代のファンクやジャズ・ファンクなどを参照し、それを自身のバック・ボーンであるグライムやダブステップに落とし込んできた。出世作の“ドゥ・ザ・ジャズ”や“フォレスト・ファンク”を収録した『ロング・リヴ・ザ・ジャズ』(2013年)はそうしたアルバムだ。また世界中のいろいろな国をツアーで訪れ、そこに根づく音楽も参照している。地元のロンドンのほか、ロサンゼルス、グラスゴー、アムステルダム、南アフリカ、フィリピン、中国、日本などの国名や都市名が曲に盛り込まれた『ピース、ラブ&ミュージック』(2015年)や、ロンドン、ロサンゼルス、ブラジルでのセッションからなる3枚のEPをまとめた『トリロジー・イン・ファンク』(2017年)は、旅先でのインスピレーションや現地のアーティストとの交流から生まれたものだ。音楽のジャンルや時代、空間を超えて新しいものを作り出すアーティストと言えるが、それは彼がもっとも影響を受けたアーティストというクインシー・ジョーンズにも共通している。クインシーがかつてビッグ・バンド・スタイルでやったジャズとラテンやブラジル音楽の融合は、確実にスウィンドルにも受け継がれていると思う。クインシーはいろいろなミュージシャンを集めてセッションするのを好み、マイケル・ジャクソンやパティ・オースティンらをヒットさせたプロデューサーでもあるが、いまのジャズ界ではロバート・グラスパーも割と近い部分を持っている。ロバート・グラスパー・エクスペリエンスの『ブラック・レディオ』(2011年)はすべての曲にシンガーやラッパーがフィーチャーされ、彼らとのセッションをラジオ・プログラム風に綴ったものだったが、そこでのグラスパーはプロデューサーとしての側面も持っていた。スウィンドルにもこうしたスタイルは当てはまり、『トリロジー・イン・ファンク』でのD・ダブル・Eやゲッツなど、彼の多くの作品にはグライムのラッパーやシンガーがフィーチャーされ、『ピース、ラヴ&ミュージック』にはラジオ・プログラム風の構成も見られる。

 このたびリリースされた新作『ノー・モア・ノーマル』の制作風景も、グラスパーが『ブラック・レディオ』でやったのとほぼ同じものだ。ピーター・ゲイブリエルのリアル・ワールド・スタジオとレッド・ブルのスタジオを2週間ほど借りて、そこにゲストが入れ替わり立ち代わりやってきて、ジャム・セッション的なものをやっていく中からできたそうだ。データ・ファイルの交換で音を作り、メールで送ってもらったヴォーカル・パートをトラックに乗せるというベッドルーム・プロデューサー的なやり方ではなく、物理的な制約がない限りは実際にミュージシャンと顔を合わせ、コミュニケーションをとりながらレコーディングするという昔ながらの音楽制作のやり方で作られたものだ。ライヴではバンド・スタイルの演奏にこだわる彼らしく、基本的に生の演奏を好むミュージシャンシップに溢れる人なのだろう。グライムやダブステップ系の作品としては珍しく、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロなどのストリングスやホーン・セクションがふんだんに使われ、それらもサンプリングではなく生演奏というゴージャスさ。“ワット・ウィ・ドゥ”や“ドリル・ワーク”などにオーケストラを用いた昔のサントラ的な雰囲気があるのはそのためだ。ゲスト・シンガーにはグライムのレジェンドであるP・マニーとD・ダブル・E、昨秋にニュー・アルバムを発表したばかりのグライム界のカリスマのゲッツなど親交の深い面々に、ブリストルのスポークンワード・アーティストのライダー・シャフィーク、『トリロジー・イン・ファンク』でも共演したR&Bシンガーのデイリー、レゲエ・シンガーのキコ・バンやエヴァ・ラザルス、ブルー・ラブ・ビーツの作品などにフィーチャーされるラッパーのコージェイ・ラディカル、ロンドンのシンガー・ソングライターのエッタ・ボンドなど多彩な面々が参加。レゲエにソウル、グライムにヒップホップと、いろいろな要素が絡み合ったロンドンらしいサウンドということは、このラインナップを見てもわかるだろう。ミックス・エンジニアも旧知のジョーカーが担当するほか、随所でトーク・ボックスを披露するキャメロン・パーマーも“ドゥ・ザ・ジャズ”や“フォレスト・ファンク”の頃からの付き合いだ。

 演奏はスウィンドルがキーボードやアナログ・シンセなどを演奏するほか、ヌビア・ガルシア、マンスール・ブラウン、ユセフ・デイズ(ユナイテッド・ヴァイブレーションズ、ルビー・ラシュトン、元ユセフ・カマール)などのジャズ・ミュージシャンの参加が目につく。またマンチェスターの9人組ブラス・バンドのライオット・ジャズも参加しているが、このトランペット奏者のニック・ウォルターズはルビー・ラシュトンのメンバーで〈22a〉とも親交が深く、そうしたことも含めていまのサウス・ロンドンを中心に起きているUKジャズの新しいムーヴメントと出会ったアルバムでもある。シンガー・ソングライターのアンドリュー・アションも今回はギターとベース演奏で参加している。ユセフのドラムにマンスールのギター・ソロがフィーチャーされた“トーク・ア・ロット”は、そうしたミュージシャンの即興性溢れるプレイを引き出した作品。ヌビアがサックスを吹く“ラン・アップ”、マンスールとライオット・ジャズの参加した“カミング・ホーム”は、これまでの『ロング・リヴ・ザ・ジャズ』や『トリロジー・イン・ファンク』同様、土台のサウンドにあるのはファンクだ。アンドリュー・アションをフィーチャーした“リーチ・ザ・スターズ”もキャメロン・パーマーのトーク・ボックスが印象的なファンクで、昨年〈ブレインフィーダー〉から『レジスタンス』をリリースしたブランドン・コールマンあたりに近い印象。Pファンクからザップあたりの参照が感じられるナンバーであり、UKのダブステップやグライムの文脈にありながら、US西海岸のファンクやソウルの影響を受け、現在ならアンダーソン・パークからルイス・コールなどとの共通項も見いだせる作品と言えよう。エッタ・ボンドとコージェイ・ラディカルが歌う“カルフォルニア”はジ・インターネット的だ。今回はロンドン以外にロサンゼルスのスタジオで録音したものもあるそうで、いろいろな場所の音を体内に取り込むスウィンドルらしい作品と言える。

Jamison Isaak - ele-king

 この『Cycle Of The Seasons』は、その名のとおり、めぐる季節を感じさせてくれるアンビエント・ミュージックである。あるいは観葉植物のようなオブジェのようにそこにある環境音楽でもある。まさに瀟洒なインテリア・ミュージック。もしくはモダン・クラシカルな音楽集。
 いずれにせよ流していると空間に良い空気やムードが生れるタイプの音楽だ。たとえるならブライアン・イーノのアンビエント音楽の21世紀版か、それともペンギン・カフェ・ オーケストラの室内楽のエレクトロニック版か、もしくは尾島由郎の環境音楽の系譜にあるアンビエント音楽か、それともニルス・フラームなどモダン・クラシカル音楽の流れにある同時代的な音楽家か。要するに、そういったインテリアな音響音楽の系譜の作品なのである。

 本作は カナダのブリティッシュ・コロンビアを活動拠点とするティーン・デイズのジャミソン・イサークによる本人名義のアルバムである。ティーン・デイズについてもはや説明不要かもしれない。2010年代のチルウェイヴ・ムーヴメントによってその頭角を表し、すでに多くのリスナーを獲得している音楽家だ。
 2012年にリリースしたファースト・フル・アルバム『All Of Us, Together』(2012)が話題を呼び、2015年にはバンド編成による『Morning World』(2015)もリリースするなど、彼の才能と活動はムーヴメントに留まるものではない。
 2017年には自身のレーベル〈Flora〉から美しいアンビエント・ポップ・アルバム『Themes For Dying Earth』と、そのアウトテイク集的なアンビエント・アルバム『Themes For A New Earth』という連作を発表し、コンポーザーのみならずサウンド・デザイナーとしても類まれな才能の持ち主であることを改めて示した。
 2018年は『Themes For A New Earth』からの流れを継ぐように、〈Flora〉からジャミソン・イサーク名義でアンビエント・クラシカルな「EP1」と「EP2」をデジタル・リリースした。くわえてミニマルな『Spring Patterns』もカセット・リリースする。二作とも電子音や楽器が密やかな会話のように音楽を織り上げ、小さな環境音やの微かなノイズがレイヤーされるミニマルかつアンビエントなヴォーカルレスの音楽だ。モダン・クラシカルな音楽とも共振する「EP1」と「EP2」(エンジニアのジョナサン・アンダーソンのペダル・スティールが良いムードを醸し出している)、スティーヴ・ライヒのミニマル・ミュージックを思わせる『Spring Patterns』という作風の違いも興味深い。

 本作『Cycle Of The Seasons』は、「EP1」「EP2」「Spring Patterns」を1枚のCDにまとめたアルバムでもある。とはいえお手軽な企画盤ではない。リリースジャミソン・イサークが主宰する〈Flora〉からのリリースでもあり(日本側のリリース・レーベルは〈PLANCHA〉)、彼の美意識がアートワークにまで反映された素晴らしいアルバム作品に仕上がっているのだ。収録はリリース順、全16曲を収録している。1曲めから8曲めまでが「EP1」「EP2」の収録曲で、9曲めから16曲めまでが『Spring Patterns』収録曲となっている。
 通して聴くと、イサークの音楽日記/随想を聴いている気分にもなる。ジャミソン・イサークによる2018年の音/音楽の記憶と記録といってもよいだろう。いやそもそも〈Flora〉じたい、レーベル名、アートワーク、アルバムやタイトルからも分かるように季節や地球の円環を意識しているものが多いのだ。つまりジャミソン・イサークが生きるカナダという地における季節のサイクル、花や木の円環、彼の人生、その変化が、その音楽に込められているとはいえないか。
 中でも本人名義のEPシリーズは、イサークのパーソナルな思いや感覚の結晶したライフ・ミュージックのように思えた。折々の思いを綴った日記のようなアンビエント音楽とでもいうべきか。特にピアノと電子音が密やかなタペストリーを紡ぎ出す“Wind”や“Animals”という曲は、ゆったりとした時の流れに、間接照明のやわらかい光を当てるようなサウンドとなっていて本作を代表する曲に思えた。まるで日々の記憶を溶かしていくようなトラックなのだ。

 本作を再生すると、まるで音と空間が新たに関係を結び直し、その場の空気が不意に変わっていくような感覚を覚えた。小さなアート作品を部屋に飾るように、環境と共にある音楽とでもいうべきか。つまりは「環境音楽」の現在形である。あたりまえの生活の中に、繊細な色彩のアンビエンスを添えてくれる、そんな音楽集/アルバムである。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 374 375 376 377 378 379 380 381 382 383 384 385 386 387 388 389 390 391 392 393 394 395 396 397 398 399 400 401 402 403 404 405 406 407 408 409 410 411 412 413 414 415 416 417 418 419 420 421 422 423 424 425 426 427 428 429 430 431 432 433 434 435 436 437 438 439 440 441 442 443 444 445 446 447 448 449 450 451 452 453 454 455 456 457 458 459 460 461 462 463 464 465 466 467 468 469 470 471 472 473 474 475 476 477 478 479 480 481 482 483 484 485 486 487 488 489 490 491 492 493 494 495 496 497 498 499 500 501 502 503 504 505 506 507 508 509 510 511 512 513 514 515 516 517 518 519 520 521 522 523 524 525 526 527 528 529 530 531 532 533 534 535 536 537 538 539 540 541 542 543 544 545 546 547 548 549 550 551 552 553 554 555 556 557 558 559 560 561 562 563 564 565 566 567 568 569 570 571 572 573 574 575 576 577 578 579 580 581 582 583 584 585 586 587 588 589 590 591 592 593 594 595 596 597 598 599 600 601 602 603 604 605 606 607 608 609 610 611 612 613 614 615 616 617 618 619 620 621 622 623 624 625 626 627 628 629 630 631 632 633 634 635 636 637 638 639 640 641 642 643 644 645 646 647 648 649 650 651 652 653 654 655 656 657 658 659 660 661 662 663 664 665 666 667 668 669 670 671 672 673 674 675 676 677 678 679 680 681 682 683 684 685 686 687 688 689 690 691 692 693 694 695 696 697 698 699 700 701 702 703 704 705 706 707 708 709 710 711 712 713 714 715 716 717 718 719 720 721 722 723 724 725 726 727 728 729 730 731 732 733 734 735 736 737 738 739 740 741 742 743 744 745 746 747 748 749 750 751 752 753 754 755 756 757 758 759 760 761 762 763 764 765 766 767 768 769 770 771 772 773 774 775 776 777 778 779 780 781 782 783 784 785 786 787 788 789 790 791 792 793 794 795 796 797 798 799 800 801 802 803 804 805 806 807 808 809 810 811 812 813 814 815 816 817 818 819 820 821 822 823 824 825 826 827 828 829 830 831 832 833 834 835 836 837 838 839 840 841 842 843 844 845 846 847 848 849 850 851 852 853 854 855 856 857 858 859 860 861 862 863 864 865 866 867 868 869 870 871 872 873 874 875 876 877 878 879 880 881 882 883 884