「The Men」と一致するもの

Greil Marcus - ele-king

 映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』を、去る5月某日水曜日の午後、下高井戸の映画館で観た。都心での興行を終えてからの上映だ。平日の昼過ぎ、さぞかし空いていることだろうと思ったが、上映時間の10分前に到着したら長い列が待っていた。整理券をもらうと69番目、ぼくのうしろにも人は並んだ。客席の7割はぼくよりも年配の方々だった。彼ら・彼女らは、このスタア誕生物語をどのように思われたのだろうか、と観終わってからぼくは思った。
 何人かの知人からは「これで若い子たちが興味を持ってくれればいい」という前向きの感想を聞いた。映画の内容はともかくディランに注目する機会をもたらしたんだからそれでいいんじゃないのか、と。じっさいに年齢が若い子や若くはないがこれまでディランに関心のなかったひとたちがこれでディランを聴くことになればいいじゃないかという意味だ。
 なるほど、だとしたら、この映画で興味を持った人たちたちが、ニューポート・フォーク・フェスティヴァルではハウリン・ウルフも出演して、5万人の聴衆のなかの黒人たちは立ち上がって踊っていたこと、“風に吹かれて”を聴いてサム・クックが“チャインジ・ゴナ・カム”を作ったこと、ディランが市民運動史における最初のクライマックス、ワシントン行進でジョーン・バエズらと歌っていること、もっと言えばスーズ・ロトロが公民権運動にコミットしていたこと等々の基本的なこともいずれは知ることになるのだろう。“ライク・ア・ローリング・ストーン”が6人編成のバンドといっしょに2日間にわたって24テイク録音し、4ヴァースで構成された6分ほどの曲を通して演奏できたのはわずか2回だけだったことであるとか、そして、バエズをして「最高のプロテスト・ソング」と言わしめた、あのすばらしい“ハッティ・キャロルの寂しい死”、あるいは“はげしい雨が降る”を聴いて、ぼくのようにあとから聴いた人間のなかにも忘れがたい深い余韻を残すことになるのだろう。
 だとしたら、あの映画では、古い価値観に縛られた迷惑な化石として描かれているアラン・ロマックスのような人たちの、「フォーク・ミュージック」を探し、集め、その魅力を伝えるために費やした労のことも知ることになるのだろう。というか、本来「フォーク・ミュージック」というものが、アコースティック・ギターの弾き語りのことではないという歴史的な事実を知ることになるのなら、ぼくも「これで若い子たちが興味を持ってくれればいい」と言おう。音楽には二種類あって、権威に守られてきた音楽、庶民のあいだで(記譜されることなく)歌いつがれてきた音楽、「フォーク・ミュージック」は後者の音楽のことである。
 映画が間違っていると言いたいわけではない。あれはあれでたしかにディランなのだ。夜でもサングラスをかけるファッション・スタイルを確立し、ストーンズと同様に「生意気な振る舞い」を定着させたのはディランだ。既存の価値観をせせら笑うアウトサイダー、そんなロックスターの原型を作った男……。
 もっとも、ディランのなかにはいろんな人格(キャラ)があって、そのすべてがディランであるという、ややこしさがある。もうひとつのディラン公認のディラン映画『アイム・ノット・ゼア』では、6人の役者が六つのディランを演じているわけだが、我らがボブ・スタンレーはディランについてこんな風に書いている。「ディラン以前には、すべてのポップスターは外の世界にペルソナを投影していた。(…)ビートルズやストーンズでさえ自分たちが何者であるかをはっきり伝えていた。ボブ・ディランは違った。(…)彼はまるで自分だけの惑星のようで、人びとは必死にその惑星への行き方を知りたくなった」。ガーランドにしろホリデーにしろシナトラにしろプレスリーにしろ、彼女・彼らにははっきりとしたひとつの個性(自己イメージ)があった。しかしディランというのは、自分をひとつの個性で売り出すことを拒んだ最初のポップスターだった、とスタンレーは言っている。
 ディラン研究のベテラン、グリール・マーカスも大枠はそうだ。ディランの多面性を「他者のなかに自分を見る」能力に由来すると見ている。ディランの共感力、他者の人生との同一化、ディランの本質はそこにあると。

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 マーカスが2022年に上梓した『フォーク・ミュージック——ボブ・ディラン、七つの歌でたどるバイオグラフィー』の日本版を7月末に刊行できることになった。この本では映画の “スタア誕生物語” 的な性質は削除され、話の単純化によって犠牲になったものたちが幽霊のように浮かび上がっている。とくにアメリカの抑圧と暴力のなかで存在する黒人文化(ブルース、そして公民権運動)、それらと共鳴していたアメリカのフォーク・ミュージックに焦点が当てられている。それはもう、マーカスのおはこである。
 ぼくもグリール・マーカスの『ミステリー・トレイン』に衝撃を受けたひとりだ。ロックについて書くことが、その人気にへつらった付属物でも、偉そうな審査員でも、安っぽい自分語りでも、情報オタクでもなく、ひとつの独立したエッセイたり得るか、それを最初に、しかも極めて大胆に、かつ学究的でありながら情熱的に具現化した最初の本だ。音楽作品と映画、文学を横断しながら歴史を往復し、「衝動と欲望の権化、自由と復讐、スタイルと死を体現する存在、限界のない生を生き、ときには帽子ひとつのために人を殺すような悪漢」——スタッガー・リー神話をもってスライ&ザ・ファミリー・ストーンについて書いた文章は、ぼくのなかで音楽について書くことの意味をすっかり変えてしまった。もし音楽ジャーナリズムと学問の架け橋というものが存在するなら、それはこの人の功績である。
 『フォーク・ミュージック——ボブ・ディラン、七つの歌でたどるバイオグラフィー』はいまから3年前にグリール・マーカスが上梓した本で、これまでさんざんディランについて書いてきた作家による最新版だ。ディランの七つの曲を取り上げ、マーカスはディランについて語るわけだが、それはアメリカを語ることへと拡張される。マーカスの文章に親しんでいる方にはお馴染みのマーカス節だが、扱うべき領域が広大で、直線的な時間軸から逸脱し、その学識がしばしば突飛な推論へと転じることから、初めて読む人は面食らうかもしれないが、これが60年代のアメリカが生んだもっとも尊敬されているロックの文章だ(マーカスに匹敵するライターは、ほかにレスター・バングスしかいない)。最初の一曲は、もっとも有名な“風に吹かれて”だが、ディランが21歳のときに書いたこの曲が南北戦争の記憶へと結ばれ、そして『フリーホイーリン』のジャケットではほとんどフェチ化(映画でもなかばその扱いだったが、要するにかわい子ちゃん扱い)されているように見えるスーズ・ロトロが、この章ではどれだけ同曲において重要であったか主体化される。また、“時代は変わる”の章では、1964年の同曲が2021年1月6日のアメリカ連邦議会襲撃事件に照射される。マーカスが60年近く聴き続けていると書いている、あの怒りと悲しみの“ハッティ・キャロルの寂しい死”に関しては、かなりアクロバティックではあるが、ローリー・アンダーソンの“オー! スーパーマン”との対話をもってその予言的な曲を再考する。悲運の天才シンガー、カレン・ダルトンについて書きながら、囚人たちの嘆きを綴ったバラッド曲“ジム・ジョーンズ”におけるディランの翻訳力を説いた章も読み応えがある。本書の掉尾を飾るのは、2020年発表の“最も卑劣な殺人”——最初に聴いてから、何回も聴かずにはいられなかった曲——だが、どうかこの最後の一文までたどり着いてほしい(読書の快楽だ)。

 誰もが問う問題。では、ディランとは何者か? そのつかみどころのない存在をマーカスが表現したのが本書『フォーク・ミュージック』であるのだが、この翻訳権を得るために交渉した際、日本版を出すにあたってマーカス本人からひとつだけリクエストがあった。それは最初のページに入っている写真(ジェイムズ・ボールドウィンとの2ショット)は必ず入れること。つまり、黒人文化とディラン、そして「フォーク・ミュージック」(庶民の歌)、これらは大きなキーワードになっている(計らずとも、映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』がまったく言及しなかった領域は語られている)。また、もうひとつ、1960年代(*)という歴史の大いなる分水嶺、話は飛ぶが、いまエレキング編集部はまさに「アメリカとは何か?」(誰もが知っているつもりでいながら、じつはしっかり理解されていない)という特集号を作っているのです。こうご期待。

 最後に、ディランに興味はあるけど、いきなりマーカスは難しい、という人のためにディラン入門として最良の一冊を紹介します。2年前に刊行された北中正和の『ボブ・ディラン』(新潮新書)。中古盤で揃えている人には、60年代から70年代前半までの重要作の日本盤には、たいていは中村とうようと北中正和による質の高いライナーノートが付いているのもありがたいし、北中さんの『ボブ・ディラン』と一緒に『フォーク・ミュージック』もよろしくお願いします。

(*)1960年代、グリール・マーカスは、アメリカにおけるカウンター・カルチャーの一大拠点となったカリフォルニア大学バークレー校で文学を専攻した。彼はそこで、抗議と議論の熱狂のなかで『リヴォルヴァー』や『ブロンド・オン・ブロンド』、『ザ・ドアーズ』などをリアルタイムで聴き、あるいはロバート・ジョンソンをはじめとするブルーズを温ねている。西海岸の抵抗勢力を鎮圧すべく反動保守を味方に、レーガンが州知事となった瞬間を知っているマーカスは、レーガンが大統領になった年には鬱病になり、そして、彼にとって初めてアメリカの外側にある音楽=パンクについての論考を9年かけて書き上げる。それがかの有名な『リップスティック・トレイシーズ』である。

グリール・マーカス/坂本麻里子 訳
『フォーク・ミュージック——ボブ・ディラン、七つの歌でたどるバイオグラフィー』

P-Vine/ele-king books
7月29日発売
3500円+税

■グリール・マーカス(Greil Marcus)
 1945年カリフォルニア州サンフランシスコ生まれ。1963年にカリフォルニア大学に入学、『ローリング・ストーン』を創刊するヤン・ウェナーと知り合い、ロック評論家の第一世代の最前線として活動。1975年には、いまもなお読み継がれている『ミステリー・トレイン』の初版が上梓する。
 未訳だが1989年に出版された『Lipstick Traces』は、セックス・ピストルズの源流としてシチュアシオニズムやダダ、はては中世の千年王国論宗派にまで遡り、パンクを民衆の抗議詩の文脈のなかで論じた重要作として知られる。また、これも未訳ながらディランとザ・バンドが趣味で録音した「The Basement Tapes」からアメリカを論じた『Invisible Republic: Bob Dylan 's Basement Tapes』も影響力ある一冊。
 ほかにも多数に著作があるが、日本では以下の翻訳書がある。『ロックの「新しい波」 パンクからネオ・ダダまで』(三井徹 訳、1984年、晶文社)、『ミステリー・トレイン ロック音楽にみるアメリカ像』(三井徹訳、1989年、第三文明社)、『デッド・エルヴィス』(三井徹 訳、1996年、キネマ旬報社)、『ライク・ア・ローリング・ストーン─Bob Dylan at the Crossroad』(菅野ヘッケル 訳、2006年、白夜書房)

■坂本麻里子
 1970年東京生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒業。ライター/通訳/翻訳者として活動。ロンドン在住。訳書にコージー・ファニ・トゥッティ『アート セックス ミュージック──コージー・ファニ・トゥッティ自伝』、ジョン・サヴェージ『この灼けるほどの光、この太陽、そしてそれ以外の何もかも──ジョイ・ディヴィジョン ジ・オーラル・ヒストリー』、マシュー・コリン『レイヴ・カルチャー——エクスタシー文化とアシッド・ハウスの物語 』、ジェン・ペリー『ザ・レインコーツ——普通の女たちの静かなポスト・パンク革命』、ハンナ・ロス『自転車と女たちの世紀』、マーク・フィッシャー『K-PUNK 夢想のメソッド——本・映画・ドラマ』『K-PUNK 自分の武器を選べ——音楽・政治』、ネイト・チネン『変わりゆくものを奏でる——21世紀のジャズ』ほか多数。

Stereolab - ele-king

 未来を見つめるために過去を振り返るのは、つねにステレオラブの習慣の一部だった。アートワークには1960年代の実験的なステレオ・テスト・レコード盤の要素を取り入れ、音のルーツはクラウトロックの攻撃的でモータリックなモダニズム、フランス現代思想や戦後のマルクス主義の変種などの緩めの解釈、ルチア・パメラやノーマン・マクラレン等の創造力豊かな変わり者たちによるポップ・カルチャーの難解な奥義などの多岐にわたる過去から引き出したあらゆる要素が、政治批判、技術楽観主義、そして子どものようなクリエイティヴな遊びを融合させた、進歩の土台となる精神を構築してきた。
 
 だが、その進歩という考え方が、なかなかトリッキーではある。ステレオラブの新譜があなたを本当に驚かせたのはいつが最後だっただろうか? 私にとって、それはおそらく2001年の『Sound Dust』だったのではないかと思うが、すでに1997年に『Dots and Loops』がリリースされた時点で、ステレオラブのアルバムを思い浮かべるときに必要なすべての要素が揃ったと感じていたことにも言及しておきたい。とはいえ、それ以降の作品に創造性が欠如していたわけではない。グループはしばしば、自分たち自身で障害物をこしらえて、グルーヴを壊し、プロセスを複雑化して、お決まりのパターンに陥るのを防ぐことを繰り返してきた。2004年の『Margerine Eclipse』で特にその手法が際立っているが、このアルバムは“デュアル・モノ”方式で録音され、ふたつの独立した録音が各チャンネルにあり、それらが組み合わさって音が聴こえてくるというものだった。

 『Instant Holograms on Metal Film』の制作過程でもそのような仕事がなされたのかは知る由もないが、2008年の『Chemical Chords』のセッションからの音源で編まれた2010年の『Not Music』以来の今回の新譜は、まさにステレオラブのアルバムらしい音に聴こえる。完璧なメロディの再構築、音楽的要素やテーマなど、愛聴家たちが期待するものが揃っている。私の周りの人びとの意見はというと、眩暈がするような興奮を覚えた人と、期待はずれだったという人に二分されている。ある人は“自動操縦(オートパイロット)化されたバンド”という表現で総括した。
 私はその批判は、的外れであると思う。何よりもその精緻な再現性だけで、“オートパイロット”化という言葉がほのめかす怠惰という疑いを晴らすことができるからだ。それよりも私が感じとったのは、17年ぶりに集まったミュージシャンたちがこの“ステレオラブ”と呼ばれるものの記憶を呼び覚まし、再構築するために懸命に努力する様子だった。最後に一緒に奏でた音楽から彼らを隔てた長い時間自体が、そのプロセスを複雑化する障害物として機能し、再びステレオラブになるという行為がその概念の枠組みとなっているのだ。
 これは、単なる技術の実践を超えたもののように感じてしまう。長い時間、離れていた音やプロセス、そして人同士が再接続を果たすという感情的な行為なのだ。

 冒頭から、“Mystical Plosives”の電子的なアルペジオが“Aerial Troubles”へと突入すると、何か強烈なものの存在を感じる。ビートが予想より一瞬だけ早く始まり、ポップなフックに辿り着こうと焦っていかのようだ。メロディとテーマだけで、アルバム発売前のシングル“Melodie Is A Wound”が“Ping Pong”と同じ作曲者によるものだとわかるが、いずれも、より広がりのある密度の濃い作品となっている。この曲とA面全体が、新しい家のすべての部屋を見せたくてたまらない、無我夢中な案内人に連れまわされているような感覚だ。
 ティム・ゲインとレティシア・サディエールはどちらも前回のアルバム以来、活発な活動を続けており、この再構築されたステレオラブの構造にも、それぞれの作品の要素が絡まっている。ティムのプロジェクトであるキャヴァーン・オブ・アンチ・マターのホルガ―・ツァップもゲスト参加した、インストゥルメンタルな“Electrified Teenybop!”はふたりのアルバムの一枚にも違和感なく収まりそうな曲だ。一方、レティシアが頻繁にコラボレートするマリー・メルレ(アイコ・シェリーの)がバック・ヴォーカルで参加している。
 ある意味、ティムとレティシアの、その間の数年にわたる活動が、彼らが自分たちの過去を振り返るというプロセスを必要とした大きな理由のひとつかもしれない。キャヴァーン・オブ・アンチ・マターがシンセティックなモダニズムのサウンドに激しく傾倒したのに対し、レティシアの方は、特に昨年の『Rooting For Love』では物理的なものと精神的なものに対峙していた。ステレオラブの開発ツールは、両者が再び一緒に演奏できるようにするだけでなく、それぞれの創造的なこだわりを追求する余地を提供しており、その枠組みのなかで両者のアプローチが絡み合うことが織り込み済みなのだ。

 『Rooting For Love』では、現代政治がかなり強調されていたが、それはより抽象的な形で詩的に表現されていた。だが『Instant Holograms on Metal Film』 では、資本主義の破壊的なダンスと、機能不全を好む独裁体制を、執拗に、鮮明に描いている。

「Is there some form of justice possible or (なんらかの正義の形というものは実現可能なのだろうか、それとも)/So long, public’s right to know the truth(国民の真実を知る権利の終焉か)/Gagged, muzzled by the powerful(権力者に口を塞がれて封じられ)/Cultivate ignorance and hate(無知と憎しみを増殖させる)」

 と、レティシアは「Melodie Is A Wound(メロディとは傷である)」で問いかけ、こういった率直な真剣さを嫌がる人たちの目を白黒させる。

 A面の、歌詞を通じて現在の混乱した社会情勢に対する社会的、政治的、そして経済的な批判をアルバムの基盤とするやり方は、音楽のより理論に基づいた側面と結びつき、彼女の宇宙的な進歩の処方への、ある程度の具体的かつ抽象的な入口を構築している。
 そして、おそらくここが A面の政治に対する真剣さに賛同していた人のなかでも、レティシアの政治観が精神的なものばかりでなく、ニューエイジの領域に近い要素にまで密接に結びついているために、離れてしまう人が出てくる分かれ目になっているのかもしれない。とはいえ、このアルバムは、ステレオラブがこれまで表現してきたなかでもっとも完全な、政治的かつ個人的な宣言となっている。全体を貫いているのは、ただ問題点を明らかにする
だけでなく、ある種の解決策への道筋を示そうとする献身である。 

「Juncture invites us to provide care (この岐路は私たちにケアの提供を促している)/Palliative (一時しのぎの緩和ケアを)/ For dying modernity (死にゆく現代性に)/While offering antenatal care for the inception of the new, yet undermined future (一方でまだ定まっていない新たな未来の始まりに産前ケアを提供しながら)/ That holds the prospect for greater wisdom (より大きな英知の可能性を持つ未来のために)」

 レティシアはこのように“Aerial Troubles”で語り、『Rooting For Love』の歌詞は、彼女の革命的な実践において、対立ではなく愛と共感を中心に据えていると言及している。

 “Wisdom(知恵・英知)”は彼女が繰り返し使う言葉だが、その使い方は“明晰さ”と大体一致しており、社会という名のフィルターを通して見る訓練がなされる前に世界を見透かしてしまう、子ども特有の純真さのような感覚のことなのかもしれない。おそらく、多少はフランス左派の哲学者、コルネリュウス・カストリアディスの影響もあるのだろう。彼はイド、自我と超自我に分割される前の子どもの精神を、精神的な単子(サイキック・モナド)と説明し、健全な社会には、内省のための精神分析的なツールが不可欠であると考えた。そのような自己分析なしでは、私たちは自分たちの意欲に気付けないばかりか、真の自律性を獲得することができず、自治制のない社会は機能しないからだ。
 フランス語のつづりによる“Monade”は、もちろん、レティシアが自身の名前のみを使って活動するようになる前に音楽をリリースする際に使用した名称だが、これは単なる精神分析学的な用語ではなく、グノーシス主義とも強く結びついた神秘的な言葉である。
 アルバムのB面へと進み、とくに豊かでサイケデリックなC面になると、歌詞の社会批判は、診断的な内容から治療の段階へと進み、彼らが描く救済への道には、だんだんとグノーシス主義的な宇宙論が映し出される——資本主義の現実主義的支配者、デミウルゴス(“Vermona F Transistor”の神のふりをするジョーカー)が、人類が英知や啓発を得て、モナドの高潔で純粋な光の中で真の人間性を手に入れるのを妨げようとするが、その神聖な一部の火花は本来、我々がそれぞれ内包しているものなのだ。

 だが、ここで重要なのは、これらの表現方法のすべてが、本質的には個人的なものへと行き着くことなのだ。レティシアが“Vermona F Transistor”で「The architect, our higher self (建築家という私たちの高次なる自己)」と歌うその言語は霊的なものであり、「Explore without fear the rhizomic waves (恐れることなく、根茎状の波を探索せよ)」と歌うところでは、ドゥルーズとガタリの批判理論を想起させるが、“Esemplastic Creeping Eruption”のタイトルでは、コールリッジの詩の言葉を引いており、一体感(wholeness)と結合(union)という繰り返されるテーマは、宗教、心理学、政治と愛における語彙の核心的な部分だ。  「統合」のテーマは、バンドの再結成という文脈において、特に心に迫るものだ。“Esemplastic Creeping Eruption”のエンディングの歌詞

「It is because I am you, it’s because you are me (なぜなら、私はあなたであり、あなたは私だから)/Eternally entwined, mirage of separateness(永遠に絡み合った、分離と言う幻影)/Meeting with a stranger, a lost part of myself (見知らぬ人との出会い、失われた自分の一部) /It’s because I am you, it’s because you are me (なぜなら、私はあなたであり、あなたは私だから)/Two halves of one(一個の二つの半身)/Union, compound (結合、複合)」

は、人間に共通する普遍的なテーマとしても解釈できるが、ステレオラブ自身にとっても、強力な響きを持つ文脈となっている。

 アルバムの最終面は、注目を集めたがるA面や暗さのあるB面、サイケデリックなC面とは対照的に軽やかで、爽やかさと安心感のある音調になっている。最終面より前の面でも探求された多くのテーマを再訪するが、アルバムと同様に、次へと漕ぎ出す出発点として過去に焦点を当てている。“Colour Television”が「Open are the possibilities(可能性は無限に広がっている)!」と宣言し、“Flashes From Everywhere”では、「冒険的な進み方」を約束している。

 最終的に、政治批判や哲学、心理学、宇宙論といった深遠な風景を駆け抜ける、目の回るような旅の後にステレオラブが『Instant Holograms on Metal Film』で提示する前進への道は、決して不明瞭なものではないし、大袈裟なものでもない。彼らはただ、こう言っている。「自分自身の意欲と偏見について熟考し、明晰さと自律性を獲得しよう。その明晰さで異なる可能性を探求し、自分自身と他者を、精神的、社会的に、あるいは長年離れていたポップ・グループとして、同一のものの一部として結びつき、大胆に、自由に創造しよう」


by Ian F. Martin

The idea of looking back in order to look forward is one that’s always been a part of Stereolab’s praxis. The artwork that drew from 1960s experimental and stereo test records, their sonic roots in the aggressive, motorik modernism of krautrock, various loosely interpreted strains of French Theory and postwar mutant Marxism, the pop cultural esoterica of creative eccentrics like Lucia Pamela and Norman McLaren — it all drew from the past to construct an ethos combining political critique, technological optimism and childlike creative play as a platform for progress.

That idea of progress is a tricky one, though. When was the last time a new Stereolab album really surprised you? For me, perhaps that was 2001’s Sound Dust, although I’d argue that all the key elements you need to imagine a Stereolab album were in place with the release of Dots and Loops in 1997. That’s not to say there was a lack of creativity at work beyond that point, though: the group would often construct roadblocks for themselves to throw themselves off their groove, complicate their process and prevent themselves from falling into patterns. They do this most strikingly in 2004’s Margerine Eclipse, which was recorded in “dual mono” with two independently coherent recordings, one in each channel, that combine to create the song you hear.

Whether there was some process of that kind at work behind the scenes of Instant Holograms on Metal Film, I don’t know, but this first new album since 2010’s Not Music, which was itself pieced together from recordings made during the 2008 sessions for Chemical Chords, sounds exactly like a Stereolab album: an immaculate recreation of the melodies, musical elements and themes a fond listener would expect. Opinions among people around me have been split between giddy excitement and disappointment: a feeling one person summed up as of “a band on autopilot”.

I think that criticism misses the mark. The meticulousness of the recreation alone absolves the band of the suggestion of laziness “autopilot” implies. Rather, the sense I get is of musicians working together for the first time in seventeen years, working hard to remember and reconstruct this thing called Stereolab — the gulf of time that separates them from their last music together itself functioning as a roadblock that complicates their process, the act of becoming Stereolab again its own conceptual framework.

It feels more than just a technical exercise, though. It’s an emotional process of reconnecting with sounds, processes and people after a long time.

From the start, as the electronic arpeggio of Mystical Plosives bursts into Aerial Troubles, there’s something insistent, beats kicking in just a moment before you’re expecting them, almost an impatience to get to the pop hook. Both in melody and themes, early single Melodie Is A Wound is identifiably the same songwriters who wrote a song like Ping Pong, but it’s both more expansive and densely packed. The song, and the whole of side A, really, feels like being swept along by a deleriously enthusiastic guide, eager to show you all the rooms of their new house.

Tim Gane and Laetitia Sadier have both been active over the years since their last album, and elements of both their own work twine through the structure of the reconstructed Stereolab. Holger Zapf from Tim’s project Cavern of Anti-Matter makes an appearance, and the instrumental Electrified Teenybop! would fit just as easily into one of their albums. Meanwhile, Laetitia’s frequent collaborator Marie Merlet (of Iko Chérie) joins on backing vocals.

In a way, Tim and Laetitia’s work in the intervening years may be a big part of what makes this process of looking back on their own past necessary. Where Cavern of Anti-Matter leaned hard into the sound of synthetic modernism, Laetitia, especially on last year’s Rooting For Love, sought to engage with the physical and the spiritual. The Stereolab toolkit allows them both to play together again, offering space for each to explore their own creative obsessions within a framework where the intertwining of those approaches is baked in.

Where contemporary politics underscored much of Rooting For Love, they do so lyrically in a more abstract way. Instant Holograms on Metal Film, though, lays out with urgent clarity the destructive dance of capitalism and its dysfunctional lover authoritarianism.

“Is there some form of justice possible or / So long, public's right to know the truth / Gagged, muzzled by the powerful / Cultivate ignorance and hate,” Laetitia asks on Melodie Is A Wound, no doubt causing all the sorts of people who cringe at such direct earnestness to roll their eyes.

The way Side A grounds the album in a social, political and economic critique of the current troubled climate both links the album lyrically with the more theoretical side of the music, and constructs a more or less tangible entry point for her more cosmic prescription for progress.

This is probably the point where even some of those who were OK with the political earnestness of Side A begin to check out, because Laetitia’s politics are woven intimately with something spiritual, even new age-adjacent. However, the album maps out what might be the most complete political and personal manifesto Stereolab have ever expressed. What underscores it all, throughout, is a devotion to not just identifying problems but mapping out some sort of route to a solution.

“The juncture invites us to provide care / Palliative / For dying modernity / While offering antenatal care for the inception of the new, yet undetermined future / That holds the prospect for greater wisdom,” she says on Aerial Troubles, and ss on Rooting For Love, the lyrics here centre love and compassion rather than conflict in her revolutionary praxis.

The word “wisdom” is one she returns to again and again, used in a way that seems to be roughly congruent with “clarity” and perhaps the sense of childlike innocence that sees the world clearly through eyes that haven’t yet been trained to see through society’s filters. There’s perhaps the influence of French leftist philosopher Cornelius Castoriadis in this, who describes a child’s psyche before it is broken up into the id, ego and superego as the “psychic monad”, and saw the psychoanalytical tools of self-reflection as crucial to a healthy society, because without such examination, we cannot be conscious of our motivations and therefore be truly autonomous, and a society cannot function without autonomy.

Monade (in the word’s French spelling), of course, was the name Laetitia used to release music under before settling into using her own name alone, and it’s not just a psychoanalytical term but a mystic one with strong connections to gnosticism.

As the album moves into Side B and especially the richly psychedelic Side C, and the lyrics’ social critiques move from the diagnostic to the curative, the route they sketch out towards salvation increasingly mirrors gnostic cosmology — the archons of the capitalist realist demiurge (“the joker who pretends a God to be,” of Vermona F Transistor) holding humanity back from attaining wisdom or enlightenment and experiencing their full humanity in the incorrubtible pure light of the monad, part of whose divine spark we each contain.

Importantly, though, all these modes of expression come down to something fundamentally personal. The language is spiritual on Vermona F Transistor when Laetitia sings “The architect, our higher self”, it recalls the critical theory of Deleuze and Guattari where she sings “Explore without fear the rhizomic waves”, it draws language from the poetry of Coleridge in the title Esemplastic Creeping Eruption, and the repeated theme of wholeness and union is a key part of the vocabulary of religion, psychology, politics and love.

That theme of union is a poignant one in the context of the band’s reunion. The ending of Esemplastic Creeping Eruption with the lines “It is because I am you, it's because you are me / Eternally entwined, mirage of separateness / Meeting with a stranger, a lost part of myself / It’s because I am you, it's because you are me / Two halves of one / Union, compound” can be read as a general statement about collective humanity, but rings powerfully in the context of Stereolab itself.

The final side of the album takes on a lighter, breezier, more reassuring tone than the attention-hungry Side A, the darker side B and the psychedelic Side C. It revisits many lof the points explored on the earlier sides, but perhaps like the album itself, its focus is on summarising the past as a kicking off point for where to go next. “Open are the possibilities!” declares Colour Television, with Flashes From Everywhere promising an “Adventurous way to proceed”.

For all the giddy journey they take you on through this esoteric landscape of political critique, philosophy, psychology and cosmology, the route forward Stereolab offer on Instant Holograms on Metal Film isn’t an obscure one, in the end. It’s not a grand one either. It simply says: reflect on your own motivations and biases in order to achieve greater clarity and autonomy; use that clarity to explore different possibilities; see yourself and others united as part of the same thing, whether spiritually, as a society, or maybe even as a long-separated pop group; and create boldly and with freedom.

Pulp - ele-king

 1995年という年は、いまとなっては当時の1965年と同じくらい遠い過去になった。1995年、グラストンベリー・フェスティヴァルのメインステージに、ストーン・ローゼズの代役として突如ヘッドライナーとして登場したパルプにとって、それはバンドの飛躍を意味したものだったが、同時に、イギリスのポップ・カルチャーにおける決定的な出来事でもあった。当時リリースされたばかりのシングル「Common People」は、その瞬間にして90年代を象徴するポップ・ソングとしての地位を確立したのだった。
 あのときの勝利は、周縁に追いやられてきた人びと、置き去りにされてきた人びと──インディ・キッズ、労働者階級、学校でいじめられ、スーパーマーケットの駐車場で暴力を受けていたような“変わり者”たちにとっての正当性の回復のようにも感じられた。
 あれから30年──2025年に(あまりうまく隠し通せなかった)シークレット・セットとして同じステージに戻ってきた彼らは、明らかに年齢を重ね、白髪も混じった風貌のバンドとなっていた。もっとも、ジャーヴィス・コッカーはもともと“老けた若者”のような佇まいで、彼の身体がようやく年齢に追いついただけとも言える。その意味では、彼の佇まいはあまり変わっておらず、2025年のパルプのライヴは、驚異と美しさに満ちたものだった。90年代の楽曲がひとつずつ演奏されていくにつれ、時間が逆流していくような錯覚を覚える。ジャーヴィスの表情や身振りが、いつしか過去の写真のなかの彼自身と重なっていき、ひとつひとつの曲が、ふたたび若さを帯びながら息を吹き返していくのだ。

 パルプの新作アルバム『More』は、こうした熟年期の彼らが生み出した作品である。そこには人生の静かな失望や諦念が、擦り切れた袖口のように滲んでいる。だがこのアルバムは同時に、過去の断片や未完の思考と緩やかにつながりながら、それらを現在へと開かれた「連続体」の一部として再構築している。過去と対話を重ねることで、それをいまなお生き続ける何かとして復活させている。

 オープニング曲 “Spike Island” は、1990年にザ・ストーン・ローゼズが敢行した伝説的な野外コンサートを参照している。この公演は、音響の不備や場当たり的な運営が問題視された一方で、インディ・カルチャーが時代精神を掌握した象徴的瞬間であり、パルプが1995年にグラストンベリーのメインステージに立つまでの流れを形成する上でも、重要な踏み石となった出来事だ。 “Slow Jam” に登場する「Cos I’m the resurrection man(だってぼくは復活の男だから)」という一節もまた、ザ・ストーン・ローゼズの代表曲 “I Am the Resurrection ” を想起させつつ、彼らが生み出した時代の空気がパルプの台頭を後押ししたという文脈をほのめかしている。
 アルバムにはその他にも、ポップ・カルチャーへの言及が点在している。 “Tina ” のなかの「Your lipstick on my coffee cup(コーヒーカップについた君の口紅)」という台詞は、90年代UKポップスの寵児テイク・ザットへのウィンクとして響く。そしてラスト曲 “A Sunset” では「I’d like to teach the world to sing(世界中に歌を教えたい)」というフレーズが繰り返される。これは、1971年に放映されたコカ・コーラのCM──海辺の夕焼けを背景に、若者たちが合唱するあの映像──に記憶の起源をもつかもしれないが、同時にオアシスの初期代表曲──ロジャー・クックとロジャー・グリーナウェイによる原曲 “I’d Like to Teach the World to Sing ” のメロディを流用していたことで知られている── “Shakermaker ” をも想起させる。

 もちろん、このアルバムにはパルプ自身の歴史も随所に織り込まれている。 “Got to Have Love ” でジャーヴィスが綴る「L-O-V-E」の綴り方は、1995年の名曲 “F.E.E.L.I.N.G.C.A.L.L.E.D.L.O.V.E. ” を明確に呼び起こすし、 “Grown Ups” における「Are you sure?(本気かい?)」という一言は、 “Common People” での印象的な語り口をなぞる。そして “Background Noise ” で告白される「Don’t remember the first time(最初のときのことは覚えていない)」という一節は、1994年の出世作『His’n’Hers』に収録された名曲 “Do You Remember the First Time? ” への静かな応答でもある。過去と現在、記憶と再演──それらはこのアルバム全体を通して繰り返し響き合いながら、パルプという存在の継続性を、静かに、しかしたしかに証明している。

 とはいえ、こうした過去のポップ・カルチャーにまつわるイースターエッグ[*復活祭に飾られるカラフルな卵/復活の象徴]の数々は、どちらかといえば時間の経過を示す通過点のようなものであり、このアルバムの核心にあるのは、ジャーヴィス自身による老いについての私的な黙想にほかならない。そしてそれは、かつて彼の楽曲を特徴づけていた、性的欲望や覗き見るような痛みを描いた物語の精緻な語り口とまったく同じ文体で遂行されている。
 2曲目 “Tina” は、 “Something Changed ” の構造を逆転させるような楽曲だ。あの曲では、語り手はまだ出会ってもいない女性との未来を夢見ていたが、 “Tina” では(おそらく既婚の)男が、実現しなかったもうひとつの人生──ある女性との長年にわたる幻想の関係──を回想するというかたちをとる。いや、より正確には、電車やカフェでふと目にする女性たちに向けて日常的に抱く、現実とは切り離された空想の象徴といった方がいいかもしれない。
 この曲の核心にあるのは、「老い」がいかにして人間から「別の人生」の可能性をひとつひとつ奪っていくか、という痛切なメタファーである。そしてそのメタファーは、女性の名前に込められた言葉遊びによって強調される。 “Tina” とは、マーガレット・サッチャーがかつて語った有名なフレーズ──「There Is No Alternative(他に選択肢はない)」──の頭文字なのだ。

“My Sex ” は、より近過去の記憶を反映している。ギリシャ悲劇のコロスを思わせる鋭く語りかけるようなバッキング・コーラスは、ジャーヴィス・コッカーが2019年に始動させたプロジェクト《Jarv Is...》の作風と語り口を彷彿とさせる。一方、 “Got to Have Love” は、別の興味深いアプローチを取っている。2000年前後に書かれたが一度はお蔵入りとなった楽曲を再構築し、いまのバンドの状況にふさわしいかたちで蘇らせているのだ。ディスコ的な律動が執拗に反復されるこの曲は、バンドの絶頂期の痛切な渇望──とりわけ “She’s a Lady” に通じるもの──をもっとも明示的に喚起するものだが、同時にジャーヴィスは、当時と現在とのあいだに広がる時間の隔たりを自覚的に見つめている。「It cannot be denied, I waited far too long / To believe, to believe in the words, I once wrote to this song(否定できない、ぼくはあまりに長く待ちすぎた/かつてこの曲のために綴った言葉を信じるために)」
 しかしながら『More』は、ブラーの近作『The Ballad of Darren』と同様、強いポップ性を前面に押し出すよりも、静かなテンポと内省的な憂いに重心を置いた作品である。ブラーのデーモン・アルバーンが“ダレン”という誰でもない架空の存在を媒介に老いについての思索を展開したのに対して、ジャーヴィス・コッカーはより直接的で、感傷に浸ることなく語りかけてくる。曲そのものも、しっとりとしたトーンのなかに、どこか切迫した緊張感を保っている。
  “Partial Eclipse” は、パルプがこれまで録音してきたなかでも屈指の名曲のひとつと言ってよいだろう。そしてアルバムを締めくくる “A Sunsets” は、すでにライヴでのハイライトとしての風格すら漂わせている。録音ではブライアン・イーノとその家族がバック・ヴォーカルに加わっているが、その響きはまるで、イーノの名作『Before and After Science』のB面に収められていても不思議ではないような、静謐かつ奥行きある余韻を残す。
 『More』に欠けているのは、作品全体を貫く強固な「音の輪郭」だ。少なくとも、それが『His’n’Hers』にあったような、きらめくシンセとグラム・ロック的華やかさで構築されたウォール・オブ・サウンドであったり、『This is Hardcore』のような、コカインの幻覚と偏執的閉塞感、そしてオーケストラルなギター・ノイズが渾然一体となった不穏な音響的スープであったりするような形では、ここには存在していない。

 もっとも、『More』も『This is Hardcore』と同じく、管弦楽的アレンジへの愛着を共有してはいる。だが本作を特徴づけているのは、むしろ過剰さを排した端正なプロダクション──それぞれの楽曲に必要な空間だけを与え、個々の曲が独立した輝きを放てるように配慮された、ミニマルで清潔な仕上げである。その意味で、アルバム全体の印象は『Different Class』に近い。じっさい、この『Different Class』との関係こそが、本作について考えるとき何度も立ち返ってしまう視点である。『More』は、90年代のあの名作の、老いを経た鏡像のようにも感じられる。年月に磨耗しながらも希望を失わず、どの曲も同じように独自性をもち、洗練され、控えめなながらしっかりとした自信をたたえた、もうひとつのポップの結晶としてそこにあるのだ。


Ian F. Martin

1995 is is distant in the past now as 1965 was then. When Pulp stepped onto the main stage at Glastonbury in 1995 as last-minute replacement headliners for The Stone Roses, it was a breakthrough moment for the band and a defining event in British pop life, cementing the position of their then-new single Common People as the iconic pop song of the decade. It felt like a triumph and vindication for the outsiders and the left-behind: the indie kids, the working class, the weirdos who got bullied at school and beaten up in supermarket car parks.

When they stepped onto that same stage for a (not very well kept) secret set in 2025, it was as an older, greyer, more weathered group. Jarvis Cocker always looked to me like an elderly man just waiting for his body to catch up, so he inhabits this ragged state well. This also means that he is remarkably unchanged, and Pulp live in 20205 is a thing of wonder and beauty: as the songs from their 90s unfold, time seems to flow backwards through them, Jarvis growing impossibly younger as the set goes on and one by one he begins to inhabit those photographs of another time.

Pulp’s new album, More, is a creature born of this older band — music that wears the quiet disappointments of life on its worn sleeves — but throughout, it connects to and runs with loose threads from the past, turning the past into part of a still-living continuum, in conversation with its older self.

Opening song Spike Island references The Stone Roses’ legendary 1990 outdoor concert, notorious for its poor sound and slapdash atmosphere but a key moment in indie culture’s seizing of the zeitgeist and an important stepping stone on Pulp’s route to that stage in Glastonbury. The line “Cos I’m the resurrection man” on Slow Jam also perhaps calls back to The Stone Roses and the role they had in shaping the atmosphere that enabled Pulp’s rise. Other pop cultural reference points dot the album too. The line “Your lipstick on my coffee cup” from Tina gives a wink in the direction of Take That. Meanwhile, closing song A Sunset repeats the line “I’d like to teach the word to sing”, which perhaps has its roots in a childhood memory of a 1971 Coke advert, featuring a choir of youngsters singing the line against the backdrop of a seaside sunset, but also summons the memory of Oasis’ early hit Shakermaker, which stole the melody of Roger Cook and Roger Greenaway’s original song.

Naturally, Pulp’s own history extends through the album too. The way Jarvis enunciates the letters “L-O-V-E” in Got to Have Love echoes F.E.E.L.I.N.G.C.A.L.L.E.D.L.O.V.E. from 1995, The line “Are you sure?” on Grown Ups nods to his famous delivery of the same phrase in Common People, and his confession of “Don’t remember the first time” in Background Noise calls back to Do You Remember The First Time? from Pulp’s 1994 breakthrough (and best) album His’n’Hers.

But all these little easter eggs from past pop moments are more like waypoints to symbolise the passage of time, while the heart of the album is Jarvis’ own personal meditations on growing old. This he does with all the storyteller’s attention to detail that characterised his early tales of sexual frustration and voyeuristic heartache. Second track Tina inverts the structure of Something Changed, where instead of the narrator dreaming of a future with a girl he hasn’t yet met, it takes the form of a (possibly married) man loking back over a decades-long fantasy of a life he never had with another woman — or more likely an avatar for all the other women he idly fantasises about in trains and cafés. The song underscores its metaphor for the way age closes down one alternative life path after another by making the woman’s name an acronym for Margaret Thatcher’s famous declaration of cancelled futures everywhere: “There Is No Alternative”.

My Sex reflects the more recent past, with its sharply delivered Greek chorus backing choir recalling the style and tone of Cocker’s 2019 Jarv Is project. Meanwhile, Got to Have Love takes another interesting approach, resurrecting an abandoned song from around the turn of the millennium and retooling it for the band’s current circumstances. With its insistent disco pulse, it’s the song that most explicitly summons the painful longing of the band’s heyday, particularly She’s a Lady, but with Jarvis noting the distance between the song’s roots and the band’s current lives as he sings “It cannot be denied, I waited far too long / To believe, to believe in the words, I once wrote to this song”.

Like Blur’s recent The Ballad of Darren, though, More leans less on bold pop statements and harder on its downtempo, melancholy side. Where Damon Albarn wrapped his own musings on advancing age in the distancing device of everyman Darren, though, Jarvis is more direct, less mournful, the songs still crisp and urgent in their own way. Partial Eclipse might be one of the best songs Pulp have ever recorded, and closing song A Sunset already feels like a live showstopper, the recorded version recruiting Brian Eno and most of his family on backing vocals for a tune that already feels like it could have sat comfortably on Side B of Before and After Science.

What More doesn’t have is a strong overarching sound of its own, or at least not in the way His’n’Hers did with its shimmering, glittering, synth-glam wall of sound or This is Hardcore did with its paranoid, claustrophobic brew of cocaine-sleaze and orchestrally-augmented guitar noise. While it shares the latter’s love of orchestral arrangements, the overall sound it’s characterised more by a tidy, unfussy production style that gives each of the songs what they need to shine individually, and in this way it more closely resembles Different Class.

It’s that relationship with Different Class that I keep coming back to with this album, and in many ways it feels like an older mirror to its 90s counterpart: worn down by the years but still hopeful, and each song every much as unique, elegantly crafted and quietly confident a piece of pop in its own more understated way.

ディランの想像力を刺激した音楽を最もよく理解している書き手による独創的な書物。
――『ニューヨーカー』

長編探偵小説のような文化批評であり、音楽的なラヴストーリー。
――『Rolling Stone』(2022年のベスト・ミュージック・ブックに選定)

マーカスのディラン論は、ボブ・ディランその人と同じくらい不可欠なものだ。ディランの幻視的な創造力というプリズムを通して、マーカスは現代アメリカの魂の驚くべき歴史を浮かび上がらせる。
――オリヴィエ・アサヤス(映画監督)

マーカスの洞察と叙情が冴え渡った一冊。ディランとその音楽についての豊富な情報、回想的な筆致と霊感に満ちた批評との見事な融合。最も独創的な音楽家を、最も独創的な音楽批評家が語るにふさわしい本だ。
――ジョイス・キャロル・オーツ(作家)

 ロック・ジャーナリズムの巨匠によるディラン研究の集大成。
 ディランの創造的・文化的発展の全体像、七つの楽曲を軸にディランの軌跡を語りつつ、アメリカという国とその歌の歴史の省察を織り込んだ、濃密かつ豊穣な書物。
 ディランが自らの楽曲を書きはじめたとき、そこに新たな命を吹き込んだ伝承歌の系譜も本書のなかで生き生きと甦る。
 ディランの楽曲について語るとき、どうしても言葉が反復的になりがちだが、著者は新鮮な視点を提示し、ディランの音楽の源流に関する深甚な知識を押しつけがましさもなく披露する。
 これは単なるディランの伝記ではない。ディランが自身の歌に新たな命を吹き込んだ、アメリカのフォーク・ソングの豊かな歴史そのものである。
 たとえば、“風に吹かれて” は、ディランが21歳のときに書いた曲だが、じつは “No More Auction Block(もう競売台などごめんだ)” という南北戦争時代の自由の歌がその根幹にあると、著者は語る――
 過去と現在を往復しながら展開する本書の、最後の一文を読んだときには、読者は少なからず、思いも寄らなかった何かを思うだろう。
 表紙および挿絵を手がけたマックス・クラークのヴィジュアルも、マーカスの、そしてディランの言葉と絶妙な呼応を見せている。さあ、2022年の刊行当時、多くのメディアから絶賛された名著の日本版をどうぞ。

 ●より詳しい内容紹介および解説はこちら→ 『グリール・マーカス『フォーク・ミュージック——ボブ・ディラン、七つの歌でたどるバイオグラフィー』』刊行のお知らせ

[著者]
グリール・マーカス(Greil Marcus)
 1945年カリフォルニア州サンフランシスコ生まれ。1963年にカリフォルニア大学に入学、『ローリング・ストーン』を創刊するヤン・ウェナーと知り合い、ロック評論家の第一世代の最前線として活動。1975年には、いまもなお読み継がれている『ミステリー・トレイン』の初版が上梓する。
 未訳だが1989年に出版された『Lipstick Traces』は、セックス・ピストルズの源流としてシチュアシオニズムやダダ、はては中世の千年王国論宗派にまで遡り、パンクを民衆の抗議詩の文脈のなかで論じた重要作として知られる。
 また、これも未訳ながらディランとザ・バンドが趣味で録音した「The Basement Tapes」からアメリカを論じた『Invisible Republic: Bob Dylan 's Basement Tapes』も影響力ある一冊。
 ほかにも多数に著作があるが、日本では以下の翻訳書がある。『ロックの「新しい波」 パンクからネオ・ダダまで』(三井徹 訳、1984年、晶文社)、『ミステリー・トレイン ロック音楽にみるアメリカ像』(三井徹 訳、1989年、第三文明社)、『デッド・エルヴィス』(三井徹 訳、1996年、キネマ旬報社)、『ライク・ア・ローリング・ストーン――Bob Dylan at the Crossroad』(菅野ヘッケル 訳、2006年、白夜書房)。

[本文より]
二〇〇一年にローマで、ボブ・ディランは記者団に対し「他の人々の中に自分の姿が見える」と述べた。そのはじまりから現在に至る彼の作品の謎を解く手がかりがあるとしたら、この発言がまさにそれかもしれない。彼の歌のエンジン部に当たるのは共感だ。つまり他の人々の人生の中に入ってみたいという欲求とそれをやってのける能力のことであり、異なる結末を求め、既に他者にやり尽くされたドラマを再現・再演することすらある。(…)それはまた、ボブ・ディラン自身が宿ってきたコスチューム、顔、髪型、情動の数々の変容のように、自らでっち上げた、あるいは発見した別の人生とアイデンティティの中に入っていくことも意味する。次なるウディ・ガスリーかと思えば最新版のランボーになり(…)と。

四六判/368頁

目次


バイオグラフィー
他の生き様の中で

Blowin’ in the Wind――風に吹かれて(一九六二)
The Lonesome Death of Hattie Carroll――ハッティ・キャロルの寂しい死(一九六四)
Ain’t Talkin’――エイント・トーキン(二〇〇六)
The Times They Are A-Changin’――時代は変る(一九六四)
Desolation Row――廃墟の街(一九六五)
Jim Jones――ジム・ジョーンズ(一九九二)
Murder Most Foul――最も卑劣な殺人(二〇二〇)

著者註釈
謝辞
索引

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〈BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE 2025〉 - ele-king

BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE 2025

 ele-kingで絶賛執筆中のデジさん(緊那羅:デジ・ラ)、音楽活動も精力的にやっています。7月20日に東京のアンダーグラウンドの牙城、幡ヶ谷 FORESTLIMITにて、〈BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE 2025〉を主催します。とても面白そう。参院選の日、夜は幡ヶ谷に集合です!

〈BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE 2025〉
Artists :
Heejin Jang
Taro Aiko from M.A.S.F.
Kinnara : Desi La
DJs : Moemiki
Deadfish Eyes 2025/07/20
幡ヶ谷 FORESTLIMIT
adv ¥2300 w/1D /// door ¥2500 w/1D
Open 18:00

2025/07/10迄——予約はaimaidebakuzen@yahoo.co.jp
2025/07/10以降——当日券(door)になります。

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSf7KdhsC8wMDdjymQtYj9MKyDc2ahmMig0ibbD8gwOy0jqVEw/viewform

 みなさん、こんにちは。お知らせがあります。7年ぶりにBEAUTIFUL MACHINEが帰ってき ます——その名も「BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE」。2013年に初開催し、6年間 続けてきましたが、様々な限界にぶつかり、沈黙していました。
 ノイズ・ミュージックとレイヴ・カルチャーの融合、そして「マシン」そのものへのオマー ジュという二重の意図から生まれたBEAUTIFUL MACHINEは、クラブ・シーンで活躍する DJたちと先鋭的な電子音楽アーティストたちをつなぎ、日本の2つの強力なアンダーグラ ウンド文化を11回以上にわたりクロスオーヴァーさせてきました。

 〈BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE 2025〉では、韓国から電子音楽アーティストHeejin Jangをヘッドライナーとして迎えます。彼女の来日は2018年以来初となります。さらに、 ノイズペダルメーカーTaro Aiko (M.A.S.F.)、ジューク・シーンやGqom愛好家のMoemiki、そ してイベント〈Ximaira〉よりロマンティックなインダストリアルセレクションを届ける Deadfish Eyesが出演。そして最後に、緊那羅 : Desi Laが、新作「Demons to some, Angels to others」からの最新セットを披露します。

 After a 7 year absence, BEAUTIFUL MACHINE is back — this time as BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE. First launched in 2013, the event ran for 6 years straight before going dark. Inspired by the idea of fusing noise music and rave culture with the parallel dual intention of paying tribute to the "machine" itself, Beautiful Machine brought together DJs active in the club scene and seminal electronic artists, cross mixing two of the strongest underground cultures in Japan over 11 times.
BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE 2025 is bringing together headliner electronic artist Heejin Jang from Korea in her first visit to Japan since 2018 with noise pedal creator Taro Aiko of M.A.S.F., heavy hitting djs juke and Gqom enthusiast Moemiki and Deadfish Eyes of event Ximaira serving up a romantic industrial selection, and lastly Kinnara : Desi La, playing a brand new set from his upcoming release ”Demons to some, Angels to others”.

■Heejin Jang
 ヒジン・チャン(Heejin Jang)は、韓国・ソウルを拠点に活動する アーティストです。彼女のライブサウンドパフォーマンスでは、即 興のコンピュータ音楽を披露し、日常的で些細な音の要素から着想 を得て、それらを再構成し、瞑想的な体験やデジタルによって引き 起こされるパニックのような現象的な空間を創り出します。ヒジンは、ザ・ラボ(The Lab)、ヤーバ・ブエナ芸術センター (Yerba Buena Center for the Arts)、ムムック・ウィーン(mumok Vienna)、ハーベスト・ワークス(Harvestworks)、ライズームDC (Rhizome DC)、ハイ・ゼロ実験音楽フェスティヴァル(High Zero Experimental Music Festival)、センター・フォー・ニュー・ミュー ジック(Center for New Music)、ダブラブ(DubLab)などでライヴパフォーマンスや作品展示を行ってきました。彼女の音楽は、 『The Quietus』、『NPR』、『The Wire』などでも取り上げられて います。
Heejin Jang is an artist based in Seoul, South Korea. In her live sound performance, Heejin presents a set of improvised computer music. She arranges and synthesizes sonic spaces that draw from the everyday and the trivial, re-forming them into phenomenal situations of meditation or digitally induced panic.
Heejin played live and exhibited her pieces at The Lab, Yerba Buena center for the arts, mumok Vienna, Harvestworks, Rhizome DC, High Zero Experimental Music Festival, Center for New Music, DubLab, and many more. Her music has been reviewed on The Quietus, NPR, The Wire and more.
Music:Bandcamp: https://heejinjang.bandcamp.com/
Website: https://heejinjang.com/

■ Taro Aiko from M.A.S.F.
 ノイズ・シーンから圧倒的な支持を得る音響ブランドM.A.S.F.の開発者にしてエレクトロニクス奏者。自身が設計制作した発振器やエ フェクターを用いた独自のハードスタイルを追求・展開してきた。 近年はモジュラーシンセサイザーを用いた演奏を取り入れ、より過 剰な音響演出を試みる。節度や常識を一切考慮しないそのオリジナ ルな創作は、音を生成する瞬間に演奏者と聴き手の境界を溶解させ る、自己生成する生物としてのノイズである。
A developer of the highly acclaimed sound brand M.A.S.F., which has earned overwhelming support from the noise scene, and an electronics performer. He has pursued and developed a unique hardstyle using self-designed and built oscillators and effects units. In recent years, he has incorporated modular synthesizer performances, pushing toward even more excessive sonic presentations. His original creations, unconcerned with restraint or convention, generate noise as a self-generating organism that dissolves the boundaries between performer and listener in the very moment of sound creation.

■ Deadfish Eyes
 ポスト・パンクやニューウェイヴ等の音楽から強く影響を受け、インダストリアルミュージックやノイズを織り交ぜた、耽美主義的な表 現を得意とするDJ。 マイノリティのためのクィアパーティー「Ximaira」を主催し、レジデントも担当。
A DJ heavily influenced by post-punk, new wave, and known for their decadent expression that blends industrial music and noise. They are the organizer and resident of "Ximaira," a queer party for minorities.

■Moemiki
 トリップ・ホップからクラブ・ミュージックの世界に入り、フットワークの洗礼を浴びて2018年よりパーティオーガナイズと DJ活動を開始。エクスペリメンタル/ゴルジェ/フットワークを行き来す る呪術的なアプローチが持ち味。好きなBPMは160。
Entering the world of club music through trip-hop and baptized by juke/footwork, she began organizing parties and DJing in 2018. Her signature style is a shamanic approach that traverses experimental, gqom, and juke. Preferred BPM: 160.

■Kinnara : Desi La(緊那羅:デジ・ラ)
 緊那羅:デジ・ラは、電子音楽家、3Dモーションアーティ スト、グラフィック・デザイナー、クリエイティヴコーダーとしてジャンルを 横断しながら活動する多才なクリエイティヴ・アーティストです。新たなテク ノロジーと建築的世界のリズムを芸術を通して表現することにフォーカスし た未来派のアーティストでもあります。緊那羅:デジ・ラは、ライヴ・パフォーマンス作品であるオーディオ・ヴィジュアルパフォーマンス《CHROMA》やアンビエントAV作品《SPHERE OBJEKTS》、漆黒の中で行われる没入型電子音響体験《DARK SET》、多層的なテーマを持つ音楽リリース、そしてWeb3上に構築された抽象的なミクス トメディアによる空間的ゲーム/ギャラリーなど、幅広いメディアと表現形 式を行き来しながら活動しています。
 彼のヴィジョンの核心にあるのは、「未来主義」であり、社会の進化を積極的 に受け入れること。それは、過去のすべてを再解釈・再構成・再構築し、現 在そして未来の世代のために進化させるという考えに基づいています。保存 ではなく、再構成こそが重要なのです。
緊那羅:デジ・ラのヴィジュアル作品は、渋谷や銀座のアンダーグラウンドな 空間で展示されたほか、シンガポール、マレーシア、インドネシアなど海外でも発表されています。彼の代表的イベント《BEAUTIFUL MACHINE》は 2013年に始まり、6年間で11回開催された後、いったん幕を閉じましたが、 現在《BM》は再び蘇りつつあります。
Kinnara : Desi La is a versatile Creative prolific as an electronic musician, 3D motion artist, graphic designer, and creative coder working across genres. A futurist focused on expressing the rhythms of the new technological and architectural world through his art. Kinnara : Desi La bridges his art between live performance works like his audiovisual performance CHROMA and ambient audiovisual SPHERE OBJEKTS, pitch black DARK SET explorations in intense electronic listening, multi-thematic music releases and his abstract mixed media spatial game / gallery in web3. Kinnara : Desi La`s total vision embraces futurism, the embrace of advancement in society as a cornerstone of his world view. All things of the past should be reinterpreted, remixed, reconstructed, and rebuilt for the advancement of our current and future generations. Reconfiguration versus preservation.
Kinnara : Desi La`s visuals have been shown in the depths of Shibuya and Ginza and internationally in Singapore, Malaysia, and Indonesia.
Kinnara : Desi La`s flagship event BEAUTIFUL MACHINE began in 2013 and continued for 6 years over 11 times before going dark. Now BM is resurrected.
https://kinnara-desila--afrovisionary-creations.bandcamp.com/

Nazar - ele-king

 ナザールはこの7年間で、もっとも躍動的な新世代ブラック・エレクトロニック・ミュージックのプロデューサーのひとりとなった。彼は、インダストリアル・ノイズとアフリカン・ビートの神学とが直感的に衝突することに熱烈な愛を抱いている——それは、論理、政治、宗教、そしてアフリカ大陸の歴史の深層に根を持つものだ。ナザールの音楽的探求は、1980年代にアンゴラで生まれた大衆ダンス音楽クドゥーロの土壌から芽吹いている。アンゴラ発のクドゥーロはこの数十年のあいだ、地元アンゴラの無数のプロデューサーたち、あるいは欧州へと渡った移民、またはナザールやDJナルシソのような第一世代の息子や娘たちによって、鮮やかに再構築され、変容を遂げてきた。
 ナザールの眼を通して見れば、彼のクドゥーロは混成的なものだ。それは独自の領域にあり、伝統的なプロデューサーならば恐れて足を踏み入れぬような新たな環境のなかを、彼は自由に歩んでいる。「Enclave」EPと初のフルアルバム『Guerrilla』は、ヨーロッパ各地のダンス・ミュージック・プロデューサーのなかにおいて、彼独自の声を確固たるものとして示した。彼のアイデンティティにおいて決定的だったのは、アンゴラの戦争、そしてその戦争における家族の関与と、それに対する音楽を通じた内省だった。彼のデビュー作では、そのテーマ性と鋭利なビートが健康的に融合していた。

 あれから5年が過ぎ、ナザールは『Demilitarize』で再び姿を現した。これは明らかに、彼の出世作『Guerrilla』への「呼応」であり、前作同様にタイトルは声明である。ただし今回は、目の前の風景を予見するのではなく、むしろ内なる精神の解放を指し示している。ナザール自身もこれはより「個人的な」アルバムだと述べており、サウンドスケープはまさにそれを裏づけている。

 『Guerrilla』をパンデミック初期に発表し、続いてCOVIDの合併症により1年近く死の淵を彷徨うような病に苦しんだナザールは、すべてを経て自ずと別の視座に至った。オープニング・トラック“Core”は、彼の新たな美学への温かく誘うような導入部である。かつてのような耳を刺す粗さは影を潜め、厚みのある音像はなおも跳ねるが、より空気のように、スピーカー越しに漂い出る異質さが、アルバムの最後まで全曲を貫いている。『Demilitarize』は、非常に統一感のある、一貫したアルバムである。
 大きく異なるのは、ナザールが「個人的な」方向へと向かうなかで、アルバムの大半において自ら歌うという選択をした点だ。この選択こそが、『Demilitarize』の印象を大きく変えている。とりわけ印象的なのは、その歌声のほとんどが意味を捉えがたく、にもかかわらず前面に出て美しいアレンジを背景へと押しやることで、音像が平坦に感じられる点だ。楽曲の構造は主にヴォーカルを支えるものとなり、ビート・アルバムとは異なる時間感覚——より速く過ぎていくような印象——をもたらす。全体の尺が短く感じられるのはそのためだろう。

 これは、現在の「男性の感情の脆さを表現する」ソーシャルな波に対する、ひとつの参与とも読める。ビートは引っかかり、途切れ、また唐突に現れては消える——まるで時間自体が不安定になっているかのように。だからこれは、ダンス・レコードではない(踊りたくなる瞬間はあるとしても)。これはヘッドフォンで聴く音楽であり、よりポップへの希求に傾いた作品だ。歌詞はしばしば時間を攪乱する——旋律だけではなしえない方法で。歌詞、あるいは歌声の感触は、時間そのものを変容させる。このアルバムがインストゥルメンタルのみで構成されていたならば、印象はまったく異なっていたに違いない。
 そして、それが聴き手の求めるものであるならば、この作品はすばらしいだろう。ただし全体の尺は36分30秒。この簡潔さは、音のなかを浮遊したり、潜り込んだりする快楽に逆らう——というのも、身体がようやくその中に安住しかけた頃には、すでに音は過ぎ去っているからだ。『Demilitarize』は繰り返し聴くに値する作品だが、同時に、より大きな作品へと至るための「通過点」としてのアルバムでもあるのではないかと私は考えてしまう。デジタル的な音響の美しさは豊潤だが、2曲目以降、アルバムの流れは容赦なく突き進み、ほとんど呼吸の余地を与えない。36分30秒の終盤、9曲目“Heal”においてようやく、それまでの圧力から抜け出すように音楽は水面へと浮上する。海の底から現れるクジラのように——ここでようやく、楽器そのものが主導権を握る。アルバムのラストは、音楽のなかでの苛立ちと不確かさに対する、意図された吐息のようだ。

 けれど、私はまだ問いを抱えている。というのも、5年ものあいだ大きなリリースがなく、ようやく届けられた作品がEP程度の分量であることが、やはり気になるのだ。そんなふうに思いを巡らせていたら、ふと1920年へと思いが跳んだ。
 『春の祭典』が初演された年だ。あの伝説的な上演——新しい音響に対して聴衆が激しく反発したあの出来事。ストラヴィンスキーがこの全楽曲を書き上げるのにかかったのは、わずか1年半である。コンピュータなどなかった時代、すべての楽器パートの譜面を手書きしなければならなかった。しかも、まったく未知の楽曲の力学を、オーケストラに教え込まねばならなかった。そして、その演奏時間は33分だった。


Nazar has become one of the best producers of kinetic new black electronic music in the last 7 years. Fervently in love with intuitive clashes of industrial noises and African beat theology rooted deeply in the core of the continent`s history, logic, politics, and religion, Nazar grows his musical explorations from the soil of Kuduro, an Angolan popular dance music that began in the 1980`s. The music of Kuduro from the country of Angola has been over the last couple of decades vibrantly recalibrated and mutated by the numerous local Angolan producers and those who immigrated to Europe or were first generation sons and daughters such Nazar or Dj Narciso. Through Nazar`s eyes, his Kuduro is a hybridity, in its own realm, surrounded by new environments that free him to walk down new roads traditional producers would fear. The “Enclave” ep and his first full album “GUERRILLA” firmly established his voice among other producers of dance music across Europe. Key to his identity at this time, was the back drop of the war in Angola, his family`s participation in it, and reflections on it through his music. The subject and constant sharp beat merged healthily together with his debut.
5 years have passed and Nazar has re-emerged with Demilitarize. An obvious “response” to the “call” of his breakthrough album Guerrilla, the title is again a statement like his last but this time pointing toward the release of the inner psyche rather than forecasting the landscape before the eye. He has stated that this is more of a personal album and the soundscape of the release proves that true.
Nazar, having released Guerrilla directly at the start of the pandemic, having survived an almost year long near death sickness due to COVID complications, came out of all that naturally out with a different perspective. “Core”, the first track, is an inviting warm introduction to his new aesthetic. Previous abrasion lacking, soundscapes are still thick bouncing but more ethereal through your speakers emitting an otherness that connects all the tracks til the very end. Demilitarize is a very united consistent album.

What is different is that in turning toward the “personal” Nazar made the choice to sing throughout the majority of the album. This choice makes Demilitarize feel different. Namely cause most of the vocals are mostly unintelligible, the vocals take centerstage and end up pushing the beautiful arrangements to the background, and feel monotone. The music mainly supports the vocals and time itself feels different, faster than a beat album. It feels remarkably shorter. This is a push toward inclusion in the current social wave of expressing male vulnerability while beats jerk and stop, jerk and stop. Sometimes disappearing totally before they mysteriously reappear.
So to be clear, this isn`t a dance record (though you may be inclined to do so at times), it`s a headphone listen. And a lean toward more pop yearnings. Lyrics often disrupt time in ways pure melodies cannot. Lyrics or the feel of lyrical vocals changes time. This album would be viewed vastly differently if only instrumental.
And all this is good if that is what you are looking for. But the whole album is 36:30 minutes. The brevity works against the beauty of the floating and diving that you do when surfing on all the sounds cause they are over before you can relax within them. Demilitarize is worthy definitely of many listens but I also wonder if it is a stepping stone album, an album that is needed for an artist to reach an even greater work. The digital sonic beauty is luscious but from the 2nd track, the flow of the album plows right ahead not allowing for much breathing room. The tail end of the 36:30 feels more like a whale arising to the air. This emerging from the depths of the ocean in the 9th track “Heal” lets the instrumentation take charge. The end of the album a purposeful exhale for the frustration and uncertainty in the midst of the music.
But I still have questions. Because fives years of no major releases is a long time to only get a ep`s worth of music. Because in wondering many things, I have to ponder back to 1920 when

“The Rite of Spring” was performed. A quite legendary performance. Fierce discontent by the audience from the new sonorities. It`s a fact that it only took Stravinsky a year and a half to write all the music for the composition. There were no computers so all the sheet music for each instrument had to be painstakingly written to perform. And the orchestra had to be taught the dynamics of the unknown composition. And it was also 33:00 minutes.

Lucy Railton - ele-king

 ルーシー・レイルトンの新作『Blue Veil』は、レイルトンにとって初となるチェロ独奏によるアルバムだ。ドローンというよりも、一定の周期で反復される持続音によって構築された音響・音楽作品と表現すべきだろう。聴き進めるうちに、次第に意識は内側へと向かい、心が静かに鎮まっていく。センチメンタルな要素を排した硬質な音響でありながら、不思議な安らぎをもたらすのは、その響きが備えるシンプルでありながらも豊かな音の質感ゆえかもしれない。

 アルバム『Blue Veil』について語る前に、まずはルーシー・レイルトンの経歴について簡単に述べていこう。レイルトンは、イギリス出身のチェロ奏者/作曲家である。ボストンのニューイングランド音楽院、そしてロンドンの王立音楽院で研鑽を積み、2008年に卒業した。クラシックを基礎に持ちながら、彼女のキャリアはジャンルを越境し、実験音楽シーンでの重要人物として知られるようになる。
 その実力は折り紙付きで、ジャンル横断的なコラボレーションが非常に多いのが特徴だ。ドローン/エクスペリメンタル界隈では、カリ・マローン、ラッセル・ハズウェル、スティーヴン・オマリーベアトリス・ディロン、キャサリン・ラムといった先鋭たちと共演。また、ポーリン・オリヴェロスやマトモスのプロジェクトにも関与してきた。また、2023年にリリースされ大きな話題を呼んだローレル・ヘイローによるクラシカル・アンビエント・ドローンの傑作『Atlas』でも印象的なチェロを披露していた。
 活動の拠点であるロンドンでは、先進的な音楽空間カフェ・OTOにおいて「カマークラン・シリーズ」を立ち上げ、10年間にわたり運営。さらに2013年から2016年には「ロンドン・コンテンポラリー・ミュージック・フェスティヴァル」を共同設立し、共同監督も務めた。クラシックの分野でも着実に歩みを進めており、〈ECM〉のバッハ・アルバム『Three Or One』(2021年)への参加も話題となった。加えてボノボミカ・リーヴィとの共演歴もあるなど、その活動領域は極めて広い。近年では、パティ・スミスとサウンドウォーク・コレクティヴによる「コレスポンデンス」の日本公演に出演していたのも記憶に新しい。

 そんなルーシー・レイルトンが自身名義のアルバムを初めて発表したのは、2018年にUKのレーベル〈Modern Love〉からリリースされた『Paradise 94』だった。ドローンを基調としつつも、ミュジーク・コンクレート的手法で多様な音響要素をコラージュした鋭利な作品であり、現代音楽とエクスペリメンタル・ミュージックを越境するような内容だった。
 〈Modern Love〉といえば、ポスト・ダブステップやポスト・インダストリアルの色が濃かったレーベルだが、そこからこのようなアヴァンな音響作品がリリースされたことに、当時シーンはざわめいたものだ。振り返れば、2018年頃からエクスペリメンタル・ミュージックの地殻変動が始まっていたようにも思える。現代音楽との交錯、それも権威的なアカデミズムではなく、純粋な音への探究が交差しはじめた時期だった。
 2020年には、ベルリンの〈PAN〉より電子音楽の先駆者ピーター・ジノヴィエフと共作した『RFG Inventions for Cello and Computer』を発表。同年、フランスの〈Portraits GRM〉からはEP「Forma」をリリース。翌2021年にはUKの〈SN Variations〉よりキット・ダウンズとの共作にしてクラシカル・ドローンの『Subaerial』を発表、ヤイル・エラザール・グロットマンとのサウンドトラック作品『False Positive』をリリースしている。
 そして2023年には、スティーヴン・オマリー主宰の〈Ideologic Organ〉より、盟友カリ・マローンによる長編傑作ドローン作品『Does Spring Hide Its Joy』に参加した。同年、〈Another Timbre〉からは日本の作曲家・小川道子との共作『Fragments of Reincarnation』を発表。さらに久々に〈Modern Love〉からはソロ・アルバム『Corner Dancer』をリリースする。こうして彼女の歩みを振り返ってると、2021年以降は、ほぼ2年ごとのペースで作品をリリースしていたことがわかる。

 そして2025年、ルーシー・レイルトンはついに〈Ideologic Organ〉から初の完全ソロ・アルバム『Blue Veil』をリリースした。はじめに書いたように本作『Blue Veil』は、ルーシーにとって本格的な「チェロ・アルバム」であり、ドローン作品としても極めて硬質かつミニマリズムを極めたハードコアな音楽性となっている。その響きは冷徹で美しく、センチメントとは無縁の構築美がある。むしろそれは「音の原理」への徹底した探求から導かれたものだ。
 プロデュースとレコーディングはティーヴン・オマリーとカリ・マローンが担当。録音はパリのサン・テスプリ教会で2024年6月におこなわれた。サウンド・アーティストのジョシュア・サビンによるプレミックスが同年8月、マルタ・サローニによるミックスが同年9月、名匠ラシャド・ベッカーによるマスタリングが同年11月に行われた。

 全7曲から構成される本作『Blue Veil』では、「微分音と和声の知覚」を主題とし、和声が生まれる直前の揺らぎ、あるいは弦が震える微細なノイズが、音の存在そのものを問い直すような響きをもたらしている。硬質なチェロの音が、微細な揺らぎとともに交錯し、やがて一体化していく。そのサウンドは単なるドローンではなく、一定の周期で持続音が反復される構造的なコンポジションで構成されていた。
 “Phase I” から “Phase VII” まで全7曲にかけて、チェロはゆるやかにトーンを変えながら持続と反復を繰り返し、聴く者を深い瞑想の領域へと導く。時間感覚を曖昧にするような音の連なりが、静かに精神を包み込む。それは「音楽」になる直前の濃密な状態であり、まるで世界を包み込む青いベールのようである。それは自身と世界を隔てる「ベール」でもあるのかもしれない。タイトル『Blue Veil』は、その象徴のように感じられる。
 もっとも、その響きに身を委ねていると、青だけではなく、どこか赤い鋭さ、緊張感すらも感じられる。おそらくこの作品の核心は、その色彩のグラデーションのような中間感覚にあるのだろう。聴覚の感覚が拡張されていくような体験は、モートン・フェルドマンの後期弦楽作品に通じるミニマリズムに通じる。

 『Blue Veil』──チェロという古典的な楽器を通じ、ここまで硬派で緻密なドローン/音響を成立させた作品は稀だ。その意味でも2020年代以降のドローン/エクスペリメンタル・シーンにおいて、間違いなくひとつの金字塔といえよう。ルーシー・レイルトンはいま、実験音楽と現代音楽の最前線で、「音そのもの」の探求を続けている。

interview with Rafael Toral - ele-king

 Bandcampに掲載されたラファエル・トラルのプロフィールによると、彼はそのキャリアを通して、‶サウンドのなかの音楽と、音楽を超越したサウンドのあいだを行ったり来たりしている〟という。このポルトガル出身の音楽家は、実験音楽の世界でもう30年以上も極めて重要な存在であり続けているが、目下のところ、昨年のアルバム『Spectral Evolution』をきっかけに再評価の波に乗っている。このアルバムは、トラルの尽きることのない探求心の溢れる実践のさまざまな要素——初期の『Wave Field』(1995)などで聴かれた液化したようなギターの音色や、2004年から2017年に取り組んだ「Space Program」時代に収集した、規則にしばられない自由なDIYの電子楽器の数々など――が融合された、記念碑的な作品なのだ。なかでも、鍵となる構成要素は、伝統的なジャズのハーモニーで、“アイ・ガット・リズム”や“A列車で行こう”の即座に認識可能な(ただし、氷河の形成のごとくゆっくりとした)コード進行が、アルバムに意外な情感の重みを与えている。
『Spectral Evolution』は、3年がかりの骨の折れる緻密な制作プロセスの結果であり、その間トラルは作品の56ものヴァージョンを制作した。アドヴァイスを求めて友人のジム・オルークに聴かせると、感銘を受けたオルークは、長年休止状態にしていた自身のレーベル〈Moikai〉を再始動させ、アルバムを発売するために動き出したのだった。
 2008年以来となる日本ツアーでオルークと石橋英子と共演する前に、トラルはEメールでのやりとりを通じて、音楽家としてのジャズとの関わり、ますます醜くなっていく世界のなかでの美の重要性、そして、『Spectral Evolution』をライヴで演奏した際に経験した‶愛のフィードバック〟について語ってくれた。
 この会話は明確さの保持と長さを考慮して編集されている。

ますます醜くなっている世界において、私たちは美しいもの、広い意味での美しさ、単に綺麗というだけではなく高潔さをそなえたもの、たとえば、誠実さなどから手を離すべきではないんだ。

『Spectral Evolution』についての昨年のトーン・グロウとのインタヴューで、あなたは「このレコードを作るために多くのことを学んで研究し、開拓する必要があった」と語っていました。これについて、もう少し教えていただけますか?

ラファエル・トラル(Rafael Toral、以下RT):まず、このアルバムにはたくさんのジャズ・コードが含まれているんだけど、それらを繋ぎ合わせるためには、自分が何をやっているのかを明確に知らなければならなかった。ひとつの音符が本来あるべき所からずれるだけで、和音が違う色調に変化する仕組みを理解する必要があったんだ。私にはその準備ができていなかったから、正しい形に仕上げるために説得力を持たせて、最終的に美しく仕上げるまでに相当な努力を要した。その過程でジム・オルークに助言を求めたら、彼がリリースを決断してくれたという経緯がある。

あなたとジムとの関係について教えてください。ふだんから、制作途中の作品を共有することはあるのでしょうか? それとも、今回だけが特別だった?

RT:ジムとは1995年頃からの大の仲良しで、最初に出会ったのはシカゴでだった。彼は常に忙し過ぎるぐらいだったから、私のことで煩わせようなんて思ったことはなかったんだ。でも、今回だけは違った。アルバムでやろうとしたことが自分の能力を超えてしまい、私はアレンジやハーモニーのことで苦慮していた。だから背に腹は代えられないと思った。ジムが私よりも音楽の多くの分野で知識が豊富だと知っていたから、友人として音を聴いてほしいと頼んだんだ。

ご自分の能力の限界を突破するのは、あなたの仕事では日常的なことのように思うのですが、このような挑戦を続けるための意欲はどこから得ているのでしょう?

RT:私はただ、自分がすべきことを理解しようと思っているだけかな。自分の力をどこに注ぐべきなのか、やりたいことの中核はどこにあるのか、その時の前向きな動きとは何か、何が言われているのか、そしてそれが私の名を冠してやる価値のあることなのかどうか。多くの場合、それは私が土台から築き上げなければならないもので、約束とヴィジョンを伴うものでもある。私はたとえそれで自分を追い込むことになっても、実行するしか選択肢がないことが多いんだ。もっと言えば、私たちはまだ進化が終わっていないことを忘れがちだけど、人間には進化する義務があると思っているんだよ。

あなたの仕事において、美の役割があるとすれば、それは何ですか?

RT:(考えながら)うーん、役割ではないかもしれないけれど……私は一方では、20世紀の文化に浸って育ってきた。つまり、大雑把にいえば、キュビズムからパンク、セリエリズムからグリッチまで、構造の解体や脱構築、破壊することで忙しかった。私が若い頃には、美しいものを真っ当な芸術として見なすべきではないとする風潮があったんだ。これは当然、ものすごく粗雑な一般論だけど、私はそういった束縛から自分を解放して、美を現代の芸術には不可欠な要素として受け入れる必要があると思った。これは延々と議論することができる話で、要約するのは難しい。もう一方で、美というのは、単なる文化的で美学的な話でもなくて、個人の好みを超えたところにあるものだ。好みと、私たちが目で見て、耳で聴くことへの生物学的、そして神経学的反応には、多くの重複する部分がある。例をあげると、完全5度の響きを美しく感じるのは、実は単純な数学的な比率の3対2の隔たりに基づく音程で、自然な振動現象だ。その振動が人の身体の細胞を共鳴させ、背筋が寒くなるぐらい良い音だと感じると、もう何が起きているのかわからなくなる。美とはそれほど深いところにまで届くんだ。最後にもうひとつ、ますます醜くなっている世界において、私たちは美しいもの、広い意味での美しさ、単に綺麗というだけではなく高潔さをそなえたもの、たとえば、誠実さなどから手を離すべきではないんだ。

ピタゴラスは正しかったというわけですね! この科学的な側面について、深く掘り下げたことはありますか?

RT:私は科学にはあまり入こんでいないかな。科学は文明の柱のひとつではあるけれど、測定できないものや、説明できないことを欠いている側面もある。むしろ私は、頭でそういったことを‶知る〟ことを避けている。私は直感で自分の動きを確認するようにしているんだけど、それは直感が脳よりも身体に根差した知識からくることが多いからだ。そして、何よりもその辺はリスナーが音楽を自分なりに取り込むことができるように、オープンにしておきたい思いがある。

あなたが言及された‶高潔さ〟という資質は、優れた芸術と凡庸な芸術を差別化する要素のひとつでもある気がします。美しさについての考えを再考することになった特定のきっかけはあったのですか?

RT:今日、醜さが飛躍的に増加していることや、文明の衰退……なんかであることはたしかだね。不思議なことに、美を守り続けるのは、生存戦略となりつつあり、精神の健全さを保つための意識的な努力にほかならない。それは、広義に理解された美しさのことだ。たとえば、嘘を広めるよりも、事実を認識する方が美しい。あるいは、対立する世界を結んで、対話を促すような美しさ。それが『Spectral Evolution』の核心なんだ。

『Spectral Evolution』に収録された最終ヴァージョンを制作するのに、それだけの労力がかかっていることを踏まえると、それをライヴで演奏したときの感覚はどのようなものだったのでしょうか?

RT:コンサートは、アルバムから構造的な恩恵を受けているので、非常に隙の無い構成になっていて、ライヴで聴く音の響きは、まるで物理的にサウンドフィールド(音場)に没入しているような感覚になる。ハーモニーの情感的な側面と、振動の物理的な体験が結びつけられているんだ。オーディエンスにとっては、とても強烈な体験になっているようで、たまに「泣きそうになった」と打ち明けてくれる人もいる。私にとって、リスナーを音に引き込むことが重要で、それによって愛のフィードバックが生まれるんだよ。

‶愛のフィードバック〟とは、素晴らしい表現ですね! これはあなたとオーディエンスの関係性についての多くを物語っていると思います。

RT:一部のコンサートでは、その感覚が非常にクリアに感じられるんだ。このアルバムとすべての音は愛を込めて制作され、オーディエンスもまた、愛を込めた聴き方で受け入れてくれ、彼らの積極的な関与と、感情の質がステージに送り返されてくるんだよ。

私は常にオーディエンスを敬愛してきたし、彼らの人生で活用できる何かを提供できることにすごく感謝している。何かを捧げて、それが良い受け取り方をされると、それ自体が自分にまた贈り物として戻ってくるんだ。私はいつも、彼らが自宅を出てチケットを購入し、私が演奏するどんな音をも聴くために時間を費やしてくれることを思うと、それに値するものを提供しなければいけないと、心に誓っている。

あなたのキャリアを通じて、オーディエンスとの関係性は、どのように発展してきたのでしょうか?

RT:私は常にオーディエンスを敬愛してきたし、彼らの人生で活用できる何かを提供できることにすごく感謝している。何かを捧げて、それが良い受け取り方をされると、それ自体が自分にまた贈り物として戻ってくるんだ。私はいつも、彼らが自宅を出てチケットを購入し、私が演奏するどんな音をも聴くために時間を費やしてくれることを思うと、それに値するものを提供しなければいけないと、心に誓っている。

『Spectrum Evolution』をライヴで演奏す際に経験されたという激しい感情的な反応は、
新しいことなのでしょうか? 過去の他のプロジェクトからも同じような反応を引き出したことはありますか?

RT:これは新しい体験なんだ。過去にやってきたことよりもずっと情感のこもった作品だし、ライヴではそれを激しい形で表現しているから。

アーティストのなかには、‶感情的(ルビ:エモーショナル)〟な音楽を、あなたが先ほど美しさについて述べたような、疑いの目で見る人もいると思います。あなたもおっしゃったように、これはあなたにとって新しい領域だと思いますが、どうやってここに辿り着いたのでしょう?

RT:はっきりとした感情を扱うのは、私にとっては新しいことだけど、決して意図的なものではなかった。私としては、感情をオープンにしながらも、抽象性を保つことで、リスナーが自分自身の感情を投影できるようにしたいと考えているんだ。これらのハーモニーには感情が組み込まれていて、そこから逃れることはできないと思う。でも、実は、私はそのサウンド自体により興味があるんだけど。

『Spectral Evolution』のライヴは、パフォーマンスごとにどれほど違うものなのでしょうか?

RT:ライヴ版は、拡張されていて、一部の移行部はよりゆったりとしたテンポで演奏している。当初、このアルバムは、ライヴ演奏をする前提で作ったものではなかった。だから、可能な限りライヴでは多くのギター・パートを実際に演奏し、そのいくつかでは即興している。それでも、全体的にはすごく一貫性を保っているよ。細部のヴァリエーションはあるけどね。会場の響きとPAの設定が決定的な影響を与えるから、毎回良い音にするために、何時間もサウンドチェックに費やしている。

あなたのサウンドチェックにはどういったことが含まれますか? その一連の流れを効率化するためのメソッドをお持ちですか? それとも毎回が新しい挑戦のようなものなのでしょうか?

RT:その両方だね! 良い会場で良いPAシステムがあれば作業は楽になることもあるけど、普通は、課題が見つかるものだ。もちろん順序立ったやり方をしていて、強烈でありながらも人びとを誘い込むような、サラウンドな、コクのある音を作るのを目標にしている。誰かを無理に押すようなサウンドではなく、引き込むような音。支配するのではなく、包み込むようなサウンドをね。会場ごとに全然違うから、綿密なチューニングが必要なんだ。

昨年末にあなたが『The Wire』誌で発表した「Wire Mix」を聴いていたのですが、あれはアルバムの素晴らしい補完物となっていますね。ケニー・バレルは本来、私の好みではないのですが、この文脈では完璧に理に適っています。興味本位でお聞きしますが、あなたと伝統的なジャズとの関係はどのようなものなのでしょうか?

RT:常に軌道上の衛星になったような感覚だね。ものすごく注目しているけど、自分は別の場所に立っているような。以前、フリージャズに影響を受けた私のエレクトロニクスのプロジェクト「Space Program」について、こう言及したことがある。‶音楽以外の、すべてがジャズだ〟と。それとはまったく異なる理由から、同じことが『Spectral Evolution』にも当てはまるんだ。ジャズにおける高い人間性には心からの敬意を抱いている。学ぶべきことも、感じるべきことも多い。(ジャズには)知性と心のための深い層が存在するんだ。

あなたのジャズへの理解と、先ほど挙げていただいたような特徴は、歳を重ねるごとに深まっていると思いますか?

RT:ああ、それは確かだね! 私が15歳だった頃、ジャズは理解できなかったし、興味も持てなかった。たまには良いと思えるものに出会うことはあったけれど、それを理解するための知識や経験がなくて、5年か10年経ってから、ようやくその真価を認められるようになった。それらの意味や価値は、それをどのように採り入れるかによって変化していく。例えば、初めてケニー・バレルを聴いたときには、彼がもっとも刺激的なジャズ・ギタリストだとは思えなかったけど(なんとも二〇世紀らしい考え方だね)、自分が演奏するようになってからは、彼をより尊敬するようになった。

あなたはジャズのギタリストとしての技術を持っていると思いますか?

RT:えーっ? いや、まったく! できるだけ学んで吸収したいと思ってやってはいるけど、それはジャズ・ギタリストを目指してやっていることではないし。私は実際の‶音楽〟ではなく、演奏される音に興味を持っているんだ。

「Space Program」時代には、完全にギターから離れていたのですか?

RT:15年間ギターに触っていなかったね。より多くを要求されるギター文化を受け入れるようになった今、まるで一から始めるような気持ちになる。学ぶべきこと、練習すべきことが多くてハードルも高いから、8歳ぐらいの子どもに戻ったような感じだ。困ったことに、自分はほとんどのギター特有の表現法に興味がないのに、それでも演奏はしたいから、どうやったらいいのかと考え中だ……。

あなたは最近、「Layers」という新作からの抜粋を発表しましたね。それについて何か教えていただけることはありますか?

RT:「Layers」は、持続音が蓄積されて、少しずつ互いを置き換えていくという作品で、調性音楽から無調に変化させながら演奏される。その後、とんでもなく複雑に変化し続けるハーモニクスを生み出す装置に通されるんだ。これは、完全にライヴで演奏するための新作だ。「Layers」は、創作過程としてのパフォーマンスを指向した、単一の作品であるのに対し、『Spectral Evolution』は、作曲における繋がりの広い領域を表している。「Layers」はすでに未来の一部であり、自分が愛することを実践している。未知と対峙するということを。


■ラファエル・トラル公演概要
Scaffold #1

2025.06.26
京都 Club METRO | OPEN 19:00 / START 20:00  
早割¥4,000 ドリンク代別途 [受付期間:5/19 17:00〜5/23 23:59迄]
前売¥5,000 ドリンク代別途
https://www.metro.ne.jp/schedule/250626/

2025.06.28
鳥取 jig theater | OPEN 18:00 / START 19:00  
前売 \ 5,500 (定員80名)
https://x.gd/WLRbt

2025.07.01
渋谷クラブクアトロ| OPEN 18:00 / START 19:00
前売 ¥6,000 ドリンク代別途
https://www.club-quattro.com/shibuya/schedule/detail/?cd=017126
出演者: Rafael Toral / Jim O‘Rourke×石橋英子

お問い合わせ:
京都Club METRO: ticket@metro.ne.jp
鳥取jig theater:mail@jigtheater.com
渋谷クラブクアトロ:03-3477-8750

主催 (Organize):PARCO
制作(Produce):DOiT / CLUB QUATTRO
協力(Cooperation):Club METRO / jig theater

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interview with Rafael Toral

Written by James Hadfield

As Rafael Toral’s Bandcamp profile puts it, he’s spent his career “bouncing between the music within sounds and the sounds beyond music.” The Portuguese musician has been a vital presence in the world of experimental music for over three decades, but he’s currently enjoying a renaissance on the back of last year’s “Spectral Evolution.” A landmark work, the album unites different strands of Toral’s endlessly inquisitive practice: the liquefied guitar tones heard on early releases like “Wave Field” (1995); the menagerie of unruly DIY electronic instruments he assembled during his “Space Program” period, which ran from 2004-2017. The key ingredient is classic jazz harmony, including the instantly recognisable (if glacially slow) chord progressions of “I Got Rhythm” and “Take the ‘A’ Train,” which give the album a surprising emotional heft.
“Spectral Evolution” was the result of a painstaking three-year process, during which Toral produced 56 versions of the piece. When he turned to his friend Jim O’Rourke for advice, the latter was so taken by what he heard, he revived his long-dormant Moikai label in order to release it.
In an email exchange with Toral ahead of his first tour of Japan since 2008 – where he’ll be sharing a bill with O’Rourke and Eiko Ishibashi – the musician discussed his relationship with jazz, the importance of beauty in an increasingly ugly world, and the “feedback of love” he’s experienced while performing “Spectral Evolution” live. The conversation has been edited for clarity and length.

Speaking about “Spectral Evolution” in an interview with Tone Glow last year, you said you “had to learn and study and develop a lot in order to make this record.” Can you expand on this?

Well, the album has lots of jazz chords and to connect these chords together you need to know what you’re doing. I had to understand why and how a single note out of place steers a chord into a different colour. I wasn’t prepared for that, so a lot of work went into having it done correctly, then convincingly, then beautifully. As I was struggling with that, I asked Jim for advice, and that’s how he decided to release it.

Can you tell me about your relationship with Jim? Do you often share your works-in-progress with him, or was this a special case?

Jim and I have been great friends since 1995 or so; we first met in Chicago. He’s always been way too busy, so it doesn’t occur to me to distract him with stuff. But this case was different: I was struggling with the harmonies and arrangements, because the album was beyond my capacities and I knew I didn’t have a choice but to climb up to that bar. I knew Jim has much more knowledge in many fields of music than myself, so I asked him to listen, as a friend.

Reaching beyond your capacities seems to be a regular thing in your work. Where do you find the motivation to keep pushing yourself like this?

Well, I just try to make sense of what I am supposed to do: Where should my energy go, and where is the nexus of what I want to do; what is a positive move in its time, what is being said, and whether it should bear my name. Very often, it turns out to be something I must build from the ground up and it entails a promise, a vision. I don’t really have a choice but to fulfil it, even if that means I’ll be pushing myself. Besides, I guess it’s easy to forget we’re not done with evolution: I think we actually have the obligation to evolve.

What role does beauty have in your work?

[Thinking] Well, maybe not a role, but… on the one hand, I’ve grown up immersed in 20th century culture, which, broadly speaking, was mostly busy with dismantling/deconstructing/destroying structures, from cubism to punk, from serialism to glitch. When I was young, anything that was “beautiful” was not to be considered seriously as legitimate art. This is a very gross generalisation, of course. But I felt I needed to claim freedom from that and embrace beauty as something integral to today’s art. We could discuss this forever – I can’t really put it in a nutshell. On the other hand, beauty is not simply cultural/aesthetic; it goes beyond one’s likes and dislikes. There’s a lot of overlap between preferences and our biological and neurological response to what we see and hear. Like, a perfect fifth sounds great and is beautiful, but it’s an interval from a simple mathematical proportion, 3/2, and is a natural vibrating phenomena that has the cells in your body resonating, and who knows what else is happening, when a sound gives you chills down the spine because it’s so good – beauty does go that deep. And lastly, the world is getting so ugly that we better hold on to what is beautiful – in a broad sense, not just pretty, but anything that contains elevated qualities, like integrity, etc.

Pythagoras was right! Have you delved much into the science of this?

I haven’t gotten into the science much. Science is a pillar of civilisation but also lacks everything it can’t measure and explain. I also try to keep away from “knowing” that sort of thing with my head. I try to validate my movements with intuition, often from a kind of knowledge that pertains more to the body and not so much to the brain. And besides, I always prefer to leave that open, for the listener to have their own way to integrate the music.

I think the elevated qualities you’re talking about are also often what separates great art from the mediocre. Was there any particular impetus that made you reconsider your thoughts about beauty?

Definitely today’s exponential increase of ugliness, the decline of civilisation… holding on to beauty is strangely becoming a survival strategy, a conscious effort towards sanity. And yes, beauty understood broadly. Like, acknowledging facts is beautiful, as opposed to spreading lies. Or the beauty of bringing opposite worlds together and having them talk to each other: That’s what “Spectral Evolution” is all about.

Given how much work was involved in producing the final version of “Spectral Evolution” heard on the album, what’s it been like performing it live?

The concert benefits from the album’s structure, which makes it very solid, and the way it sounds live is like being physically immersed in a sound field. It connects the emotional aspects of harmony with the physical experience of vibration. It seems to be intense for the audience; sometimes people tell me they almost cried. For me, it’s important to draw listeners into the sound and that creates a feedback of love.

“Feedback of love” is a great image – I think it says a lot about the relationship you have with your audience.

In some concerts, it can be felt very clearly. These sounds and this whole album have been made with love and it’s been met with a loving way of listening by the audience, and that engagement, that quality of feeling, beams back to the stage.

How has your relationship with your audience developed over your career?

I’ve always respected the audience very much and I’m grateful for how I’m able to contribute something they use in their lives. When you give something and it’s well received, that receiving is in turn a gift back to you. I always commit myself to deliver something that justifies their getting out of their homes and buying a ticket and spending their time listening to whatever I play.

Are the intense emotional reactions you’ve encountered when performing “Spectral Evolution” something new, or have you elicited similar responses with other projects in the past?

This is new, as it’s much more emotional than anything I’ve done before, and it’s delivered with intensity.

I think there are artists who'd view "emotional" music with the same suspicion you talked about earlier, in relation to beauty. As you said, this is new territory for you, but how did you arrive here?

Dealing with clearer emotions is new to me and is unintentional. I like to keep emotions open and abstract so that the listener can project their own. These harmonies have emotions built-in and it’s almost impossible to escape them. I’m more interested in their sound, however.

How much does “Spectral Evolution” vary from one performance to the next?

The live version is expanded; some transitions take a more relaxed time. The album was not originally conceived to be played live, so I play as many live guitar parts as possible, and a few of those are improvised. But it’s very consistent: The variation is in the details. The room acoustics and the PA configuration have a decisive effect, and that’s why I spend hours of soundcheck making it sound good every time.

What does your soundcheck involve? Have you found any ways to streamline the process, or is it always a challenge?

Both! I mean, sometimes a fine PA in a good venue makes things easier, but it’s usually a challenge. I do have a sequenced method and the goal is to create a surround body of sound that is intense but invites people in. A sound that doesn’t push you, but pulls you instead. A sound that isn’t there to dominate, but to embrace you. Every room is different, so the tuning has to be very precise.

I was listening to the mix you did for The Wire at the end of last year, and it’s a fascinating complement to the album – Kenny Burrell isn't normally my thing, but he makes perfect sense in this context. Out of interest, what’s your relationship like with the jazz tradition?

It’s always been like a satellite in orbit. Totally focused in but standing elsewhere. Once I said about the Space Program (my previous free-jazz inspired project of electronics), “It’s all jazz, except the music.” For entirely different reasons, the same applies to “Spectral Evolution.” I have a lot of admiration for the heightened humanity of jazz. There’s a lot to learn and a lot to feel. Layers of depth for the mind and heart.

Do you think your appreciation of jazz, and the qualities you mentioned, has deepened as you get older?

Oh yes, indeed! When I was 15, jazz just didn’t make sense to me and I didn’t have any interest in it. Sometimes, I’d come across something that I could acknowledge was good but I didn’t have the references or experience to process it, eventually becoming able to appreciate it only 5 or 10 years later. The meanings and values change with respect to how you integrate them. For example, when I first heard Kenny Burrell, I thought he wasn’t the most exciting jazz guitarist (there goes the typical 20th-century thinking). But when I started playing, now I’ve come to respect him a lot more.

Do you have jazz chops as a guitarist?

Gosh, no! I do try to learn and absorb everything I can, but it’s definitely not towards becoming a jazz guitarist. I’m interested in the sound of the guitar as it’s played, more than the actual “music”.

Did you completely step away from the guitar during your Space Program period?

I didn’t touch a guitar for 15 years. As I’ve embraced a much more demanding guitar culture, I feel like starting from scratch. There’s so much to learn and practice, because the stakes are so much higher, so it’s almost like I’m 8 years old or so. To make it more difficult, I find myself uninterested in most guitar idioms, but I still want to play – so I’m figuring out what…

You recently released an extract of a new piece called “Layers.” What can you tell me about it?

“Layers” is an accumulation of sustained notes, gradually replacing themselves, played with varying degrees of tonal intention. Then it goes through some gear that brings out incredibly complex and shifting harmonics. It’s a new piece to be played fully live. “Layers” is just one specific thing, more simple and completely oriented to performance as a creative process, as opposed to “Spectral Evolution” which is a broad field of connections in composition. “Layers” is already part of the future and doing what I love: engaging with the unknown.

world’s end girlfriend - ele-king

 去る6月13日、world’s end girlfriendの新曲 “Helix of frequency, Phenomenon of Love and Void (feat. Jessica)” がリリースされているのだが、なんとも興味深い試みが為されている。

https://virginbabylonrecords.bandcamp.com/track/helix-of-frequency-phenomenon-of-love-and-void

 作詞・作曲はworld’s end girlfriend。アートワークには山田優アントニの作品を使用。ヴォーカルにJessica、コーラスにMON/KU、ヴァイオリンにkumi takahara、チェロにSeigen Tokuzawaを迎えた同曲は、無料でダウンロードできるかわりに、聴き手はあるルールを遵守しなければならない。そのルールとは――
 曲を聴きながら以下のメッセージに目を通して、world’s end girlfriendがなにを思い今回のリリースを決断したのか、考えてみよう。

この楽曲は無料(または任意の価格)でダウンロードが可能ですが、
聴くものには以下のルールが課されます。

以下、ルール表記とコメント。
―――――――――

この楽曲を聴かれる方は、以下のルールを遵守してください。
If you listen to this song, please follow the rules below.

―――――――――
ルール:
The Rules:
*この楽曲は、無料または任意の価格を設定してダウンロードすることができます。
**This song can be downloaded for free or at an arbitrary price.

*この楽曲を聴いたその日から、「1年間、生きる」というルールがあなたに課されます。
(ルールを拒否し楽曲を聴かないという選択もできます)
**From the day you listen to this song, a rule is imposed upon you: "Live for one year."
(You may also choose to reject these rules and not listen to this song.)

*この楽曲は、個人間で自由に受け渡すことが可能です。
ただし、その場合も同じルールが受け取った方に課されます。
**This song can be freely transferred between individuals. However, the same rule will be imposed on the recipient in that case.

*YouTubeやSNSなど不特定多数が視聴できる場での楽曲の公開・配信は禁止とします。
**Public sharing or distribution of the song on platforms accessible to an unspecified number of people, such as YouTube or SNS, is prohibited.
―――――――――

これは楽曲に約束が付随し、あなたが自分自身とそして私と約束(または優しい呪い)を交わすようなもので、あなたと楽曲との関係性はどうなるのかの実験です。
This is an experiment to see how your relationship with this song evolves, as it comes with a promise(or a gentle curse), like you are making a commitment to yourself and to me.

お楽しみください。
Please enjoy.

world’s end girlfriend

Tramhaus - ele-king

 近年はオランダからさまざまなインディ・バンドが登場してきている。昨秋デビュー・アルバム『The First Exit』を発表したばかりのロッテルダムのトラムハウス、彼らもまた注目しておきたい一組だ。
 そんな彼らの来日公演が、村田タケル氏の主催・企画により実現することになった。7月1日@福岡UTEROを皮切りに、7月3日@大阪SOCORE FACTORY、7月8日@⻘山月見ル君想フの3か所を巡回、福岡公演にはaldo van eyck、大阪公演にはRedhair Rosy、東京公演にはDYGLも出演。DJとして、村田タケル(東京・大阪)、ナカシマセイジ(大阪)、NOBODY Crewのashira、yabu(福岡)らが各公演に花を添える。
 以下、Casanova S.氏による来日直前インタヴューをお届けしよう。

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 いまオランダで何か面白いことが起こっている、ここ数年ずっとそれを感じていた。「俺たちよりペイヴメントに似ているバンドを発見したんだ!」ライヴを見てそう言ったスポーツ・チームが興奮し、彼ら自身のレーベルからリリースしたアムステルダムのパーソナル・トレーナーに、〈Heavenly〉から3枚のアルバムを出しているピップ・ブロム。もう少しアンダーグラウンドなバンドだとア・フンガスにリアル・ファーマーがいるし、今年出たグローバル・チャーミングの2ndアルバムも素晴らしかった。ロッテルダムにはネイバーズ・バーニング・ネイバーズが存在し、そして何よりどんなメディアのこれから来るバンド・リストと比べても勝るとも劣らないラインナップを誇るインディ・バンドのショーケース・フェス、Left of the Dialがある。

 だけどもUKやUSのレーベル経由でなければその外になかなか情報が届くことはない(歯がゆくもあるけれど、インターネット時代であろうとも伝わるルートやスペースというのは限られているのだ)。だからその良さや興奮はもっぱらライブを目撃した人の口コミで広がっていく。上記のパーソナル・トレーナーの話がその良い例だろう。

 そんな中、2年前の2023年の秋にロッテルダムのポスト・パンク・バンド・トラムハウスを見ることができたのは本当に幸運だった。サウスロンドンのシェイム、あるいは初期のフォンテインズD.C. の名前が頭に浮かぶような、 ルーカス・ヤンセン(Vo)ナジャ・ヴァン・オスナブリュッヘ(Gt) ジム・ルイテン(Dr)ミシャ・ザート (Gt)ジュリア・ヴローグ(Ba)からなる5人組トラムハウス。このバンドはステージの上で自身から発せられるエネルギーを形作り観客を巻き込むように広げていって、その姿がたまらなく魅力的に映ったのだ。

 この世界には素晴らしいバンドがたくさん存在する。心に同じ炎を抱く非なるもの、その熱を伝えるべくトラムハウスは世界を回る。UKツアーを終え、ヨーロッパ、アジア、そして再び日本へと。バンドは1stアルバム『The First Exit』を手にして2回目の来日公演を迎える。その直前、ヴォーカルのルーカス・ヤンセンにロッテルダムの音楽事情、そして現在のトラムハウスについて話を聞いた。(Casanova.S)


2023年に続き、再び日本でライブを見られることをとても嬉しく思います。前回の来日公演では、デビュー・アルバムがまだリリースされる前だったというのにも関わらず、大盛り上がりでライヴ・バンドとしてトラムハウスの力を感じました。あの時のショーで、特に印象に残っている瞬間はありますか?

ルーカス・ヤンセン(Lukas Jansen、以下LJ):また日本に戻って来られることを、僕たちも本当に嬉しく思っています。前回は人生で最高の時間を過ごしました!特に忘れられないのは、東京の下北沢Basement Barでの2回目のライブです。その1週間前に行った最初の日本公演では、正直、会場はあまり埋まっていませんでした。初めての来日公演だったので当然ですね。でも、君も観に来てくれた2回目のライブでは会場がパンパンになって、観客が本当に熱狂的で。あれには心底驚かされました。

前回の来日時には日本を観光する時間もあったそうですね。印象に残っている場所やエピソードがあれば教えてください。

LJ:少し時間があったので観光もできました。東京や大阪はもちろん、京都にも行って、とても素敵な体験ができました。でも一番印象に残っているのは、ある夜に東京でファミリーマートからファミリーマートへ、居酒屋からセブンイレブンへ、また居酒屋、そしてまたファミリーマートへ……と飲み歩いた夜ですね(笑)。それぞれの場所で一杯飲んで、ちょっとつまんで、気づけば朝方まで歩いていました。

トラムハウスのサウンドには、ソリッドで荒々しいポスト・ポンクだけではなく、ユーモアと遊び心のあるアレンジが随所に施されていて、そこがとても独自のものとして魅力的に感じられます。このサウンドはどのようにして生まれたのでしょう?音楽に限らず、影響を受けたものがあれば教えてください。

LJ:僕たちは全員が異なる音楽に親しんで育ったことが、君のいう「独自のもの」に繋がったのだと思います。たとえばバッド・ブレインズ、ターンスタイル、トラッシュ・トークのようなハードコアやパンクを聴いて育ったメンバーもいれば、スロウダイヴマイ・ブラッディ・ヴァレンタインといったシューゲイズに夢中だったメンバーもいますし、インディ系をたくさん聴いてきたメンバーもいます。ツアーで、1年のうち何ヶ月も何時間も一緒のバンで移動して、お互いに聴いている音楽をシェアする機会が多いので、自然と触れる機会の少なかった音楽ジャンルへの理解も深まっていきました。それが、新しい音楽の発見の仕方や、曲作りにも影響していると思います。僕たちの音楽を“遊び心がある”と表現してもらえたのは初めてですが、自分たちでも「それ、けっこう当たってるかも」って思いました(笑)。

今回はデビュー・アルバムがリリースされた後のライブとなります。既存の曲を収録せずに新曲のみの構成となったこの1stアルバムでは何を表現しようとしたのでしょうか?

LJ:僕たちはこれまでEPや7インチで多くの曲をリリースしてきました。それらの曲をフルアルバムに再録して欲しいという声もありましたが、ファンや自分たちにとってこのレコードは完全に新しい曲で構成するのがベストだと思ったのです。それで、リハーサルスタジオにこもって、2週間ほどでこのアルバムを書き上げました。このアルバムは、トラムハウスがバンドとしてどういう存在なのか、そして 「僕らの 」サウンドとは何なのかを最もよく表している作品だと思います。激しくて怒りに満ちた曲もあれば、スロウで内省的な曲もあります。一つの曲の中でも、重さと軽さの間を行き来するような構成になっています。

デビュー・アルバムをリリースした前と後で変わった点があるとすればそれはどのような部分でしょうか?

LJ:今こうしている間にも、私たちは新しいサウンドを書き、変化し続けています。そう、僕たちのバンドは常に変わり続けているんです。初期に作った曲を今でも演奏していますが、新しいセットリストに合うようにアレンジを変えたり、他の曲とのつなぎ方を工夫したりしていて、常に進化を続けているんです。

オランダの音楽シーンについて教えてください。UKやUS の影響を受けながらも国内の音楽の影響も混じって独自のものが出来上がる印象で、日本の音楽シーンにも通じている印象です。実際のところオランダやロッテルダムのバンドシーンに特徴的なことはあるでしょうか?

LJ:オランダの音楽シーンは、国と同じように小さく、つながりが強いです。ミュージシャンも、アーティストも、プロモーターも、だいたい知り合いです。その点がすごく好きですが、ときどき“新しさ”を求めたくなることもあります。UKやUSからの影響は避けられませんが、ヨーロッパ各地を回ってみて、僕らの国には素晴らしい音楽がたくさんあると実感しました。ただ、そうした音楽でも過小評価されていると感じることも多いことが残念ですね。

アムステルダムとロッテルダムは東京と大阪の関係に似ているという話を聞いたことがあります。あなたたちの視点からだと、それぞれどんな違いがあると思いますか?ロッテルダムがどんな街なのかも教えてください。

LJ:ロッテルダムはオランダ第二の都市で、首都であるアムステルダムは第一の都市です。それが「カリメロ・コンプレックス」って言われる要因になっていて、ロッテルダムの人たちは、自分たちの街に対して正当であれ不当であれ、すごく誇りを持っているんです。最近、妹と話していて「ロッテルダムって街としてはブサイクだよね」って言っていて、僕もその意見には一票を投じたいんだけど、そのブサイクさこそが、この街のユニークな魅力でもあるんです。ちょっと説明をさせてもらうと、ロッテルダムは第二次世界大戦で爆撃されて、以降「未来の都市」を目指して再建されたので、建築家たちが好き勝手にクレイジーなデザインの建物を志向するようになったんです。とはいえ、好き嫌いはあると思いますが、オランダの中でロッテルダムのような街は他にはありません。初めて来る人にとっては、賑やかでちょっと荒っぽくて、いろんなことが起きている街。でも、時々すごくきれいな瞬間もあります。「それを見つけるには相当掘らないとダメだけどね」と言う人もいると思いますが(笑)。ええ、妹は間違いなくそう言っていました(笑)。

そんなロッテルダムでは、世界中のインディ・バンドが集まるショーケースフェスティバル「Left of the Dial」も開催していますよね。以前UK・ノッティンガムのバンド、オタラにインタビューした時に「こんなに待遇が良かったことはなかったし、こんなに好きなバンドを見られるチャンスがあったこともなかった」 とこのフェスのことを話していたことが印象に残っているのですが、地元のあなたたちの目から見たこのフェスはどのようなものなのか教えてください。

LJ:Left of the Dialは、ここ最近のロッテルダムで起きた中でも最高の出来事です。とにかく最高の週末で、今年の開催も待ちきれません。実は今これを書いているときも、Left of the DialのTシャツを着ています(笑)。このフェスは本当に誠実で、主催者の思いがちゃんと伝わってくるんです。バンドにとっても本当に大きな支えになっていて、結成したばかりの頃でも出演させてもらえましたし、その後も大きなステージに呼んでもらいました。本当に大好きなフェスです。

オランダ国内外に関わらず、同世代で注目しているバンドがあれば教えてください。

LJ:ヨーロッパ圏でいうと、北マケドニアのルフトハンザや、フランスのサーヴォ。どちらも素晴らしいバンドで、人としてもすごく素敵です。

デビュー・アルバムのリリース後、UK、US、ヨーロッパと幅広い地域をツアーしてきました。それぞれの街の音楽文化や空気など、違いを感じた部分や、新たに意識した部分はありますか?

LJ:本当に、どこに行っても観客の反応が全然違って、それがツアーの醍醐味の一つです。毎回たくさんのことを学んでいます。同じヨーロッパ内でも文化や社交のスタンダードが大きく違っていて、それがすごく面白いんです。すぐに言葉にはしにくいですが、ツアーを終えるたびに、出会った人々から大きな刺激を受けています。

2023年の来日公演でもそうでしたが、トラムハウスはステージ上で生まれる熱を押し広げて会場全体に一体感を生み出すようなステージングが印象的でした。ライヴ・パフォーマンスをする上で意識しているところがありましたら教えてください。

LJ:“エネルギー”に集中するようにしていて、それを広げることができたらいいなと思っています。ただ、それもあえて意識してやっているわけではなく、楽しく演奏すること、自分たちの音楽をしっかり届けることを第一に考えています。あとは自然と出てくるものですね。

現在、2枚目のアルバム制作にも取り組まれているそうですね。新たなインスピレーションや方向性など、お話できることがあれば教えてください。

LJ:新しいインスピレーションもあって、前作とは少し違ったサウンドにもなると思います。今はまだすべてがデモ段階で、歌詞もほとんど書かれていませんし、曲もまだ下書きのような状態です。でも、確実に前に進んでいます。

今回の日本公演では、新曲を披露する予定はありますか?

LJ:それができたら本当に嬉しいんですが、残念ながら間に合わないかもしれません。でも、あと数週間あるので、1〜2曲仕上げて試せたらいいなと思っています。あくまで「かもしれない」ですけど(笑)。

ありがとうございます。最後に日本のファンにメッセージをお願いします。

LJ:前回の来日公演が終わってからずっと、「また日本に行きたいね」と話していました。それがまた実現して、めちゃくちゃワクワクしています。みなさんに会えるのを本当に楽しみにしています!

(質問:Casanova.S)

TRAMHAUS JAPAN TOUR 2025

7月1日(火)福岡 UTERO
with aldo van eyck | DJ ashira / yabu

7月3日(木)大阪 Socore Factory
with Redhair Rosy | DJ ナカシマセイジ / 村田タケル

7月8日(火)東京 月見ル君想フ
with DYGL | DJ 村田タケル

チケット情報
https://lit.link/tramhausJapantour2025

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