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Laurel Halo

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野田努 Oct 05,2023 UP
E王

 黄昏時という、昼でも夜でもない時間帯、街ゆく人びとの顔が逆光で曖昧になり、あらゆるものが抽象化を帯びるあのとき、内部からわき上がるそわそわした奇妙な感覚を、それこそ一生懸命に言葉にしたのは我らが稲垣足穂だった。彼にとってのそれはもっとも想像力の働く時間帯であり、道に落ちているシケモクしか吸えなかった極貧の文学者にとっての酒以外の贅沢/愉しみは、その想像力、いや、空想力のようなものにあったのだから。さて、それに対して我らがローレル・ヘイローは、新作『アトラス』において、彼女がツアーでいろんな場所を訪れた際の、黄昏時から夜にかけての街並みのなかで感じる感覚をサウンドで描いている。それはもう、みごとと言って良い。クワイエタスがうまい表現をしている。「水彩画アンビエント」、なるほど、たしかに音が絵の具のように滲んでいる。

 ヘイローはこの10年の、OPNやアクトレスのような人たちと並ぶ、もっとも重要なエレクトロニック・ミュージシャンのひとりである。当初彼女はテクノやクラブ・サウンドに接近したし、彼女がいまもその回路を大切にしていることは、モーリッツ・フォン・オズワルドやデトロイトとの繋がりからうかがえる。が、2018年の傑作『Raw Silk Uncut Wood』においてヘイローは、ジャズとアンビエントとモダン・クラシカルの重なる領域で独自のサウンドをクリエイトし、あらたな路線を切り開いてもいる。その延長において坂本龍一が自らの葬儀のプレイリストの最後の曲に選んだ“Breath”を含む『Possessed』(サウンドトラック作品)を制作し、そして、それに次ぐアルバムがこの『アトラス』になるわけだ。
 それにしても、『アトラス』を語るうえで『ミュージック・フォー・エアポーツ』が引き合いに出されてしまうのは、不可避だと言える。アンビエント・シリーズの最初のアルバムとされる『MFA』は、イーノが数年前から実験していたジェネレイティヴ・ミュージックのひとつの高みでもあった。曲を構成するそれぞれのレイヤーが同じ間隔では反復しないことによって、曲の表面は反復めいて聞こえるがその内部では細かいズレが生じ、結果、聴覚においては不思議な体験(エクスペリエンス)となる。ヘイローの『アトラス』も、表明的には優美なドローンのように聞こえるが、しかしその内部においては、細かい変化や繊細なコラージュがある。それはたしかに黄昏時の、滲んだ街並みの背後で幽かに響き、そして囁かれる音色や物音たちのようだ。ジャケットの表面には夕闇のなか朧気となった彼女の顔がある。

 全10曲は、それぞれ独立しているが、アルバム内で滑らかにつながってもいる。幽玄なストリングスが引きのばれるなか、曲の後半で哀しげなジャズ・ピアノが聴こえる“Naked to the Light”、幻のような弦楽器の残響を漂わせながら、暗い夜道の灯りのなかに遠い昔を見ているのかのような“Late Night Drive”、蝋燭の炎のような揺らめきをもったジャズ・ピアノとアンビエントの美しい融和“Belleville”ではコビー・セイが参加している。エレガントで柔らかいな“Sweat, Tears or Sea”に続く表題曲“Atlas”は、チェリストのルーシー・レイルトン、ヴァイオリニストのジェイムズ・アンダーウッド、サックス奏者のベンディク・ギスクらの演奏が1枚のシルクのようにたなびいている。その曲名に反してなかば超越的にも思える“Earthbound”は、空の広がりやひとの人生の大きさ、それを思うときの安らぎをもった感情を引き出す。

 『アトラス』は、『Raw Silk Uncut Wood』と並ぶ、ヘイローの代表作になるかもしれない。ぼくはこのアルバムを、自分に残された時間のなかで許される限り何度も聴くだろう。そしておそらく聴くたびに、あらたな発見があるのだ。そんな音楽であって、この先アンビエント・クラシックなる企画があったら必ずエントリーするのだろうけれど、しかしそれ以上に、自分の人生のなかで重要な音楽となるような気がする。 

野田努