「Dom」と一致するもの

Jeff Parker, ETA IVtet - ele-king

 ジャズ・ギタリストのジェフ・パーカーがまたもこのうえないアルバムをつくりあげたようだ。今回は彼が率いるETAカルテットとの録音で、スタンダードからダブまでがつながっているような、アンビエント・ジャズ作品に仕上がっている模様。国内盤CDは12月11日リリース。要チェックです。

Jeff Parker, ETA IVtet 『The Way Out of Easy』
2024.12.11 CD Release

LAの伝説的ライブハウス、ETAで行われていたセッションから生まれたETAカルテット。ジャズ・ギタリスト、ジェフ・パーカーはじめ、ジョシュ・ジョンソン、アンナ・バターズら実力者たちによる音源が、国内盤CDでリリース!! 近年、LAを中心に盛り上がりを見せるアンビエント・ジャズのまさしく最前線ともいえる現場で、即興的に生まれる彼らの音楽、息遣いを聴くことができる。

ジェフ・パーカーがまたも極上のアルバムを作った。彼が率いるETA IVtetは、LAのETAというレストランで結成され、2016年から毎週レジデントで演奏を続けた。最初はスタンダードを演奏していた。次第に1曲の時間が長くなり、音楽の旅へ導くような演奏は客を惹き付け、レストランの外に入場を待ち望む列が出来るようになった。そのETAにおいて、途切れなく流れる長尺の演奏が厳選された僅か4本のマイクとカスタム・ミキサーで録音された。スタンダードからダブ/レゲエまでを美しいラインに繋げることができるアンビエント・ジャズのエッセンスがここに刻まれている。 (原 雅明 ringsプロデューサー)

https://youtu.be/ErvST4ZkS1Y

【リリース情報】
アーティスト名:Jeff Parker, ETA IVtet (ジェフ・パーカー、イーティーエーカルテット)
アルバム名:The Way Out of Easy (ザ・ウェイ・アウト・オブ・イージー)
リリース日:2024年12月11日
フォーマット:CD
品番:RINC130
JAN: 4988044124981
価格: ¥3,300(tax in)
レーベル:rings

Track List
1. Freakadelic (23:50)
2. Late Autumn (17:21)
3. Easy Way Out (21:59)
4. Chrome Dome (16:45)

Anna Butterss - amplified double bass
Jay Bellerose - drums, cymbals and percussion
Josh Johnson - amplified alto saxophone with electronics
Jeff Parker - electric guitar with electronics and sampler

オフィシャルURL: https://www.ringstokyo.com/jeff-parker-eta-ivtet/
販売リンク: https://diskunion.net/jazz/ct/detail/1008935886

interview with Jon Hopkins - ele-king

 サウナ・ブームがいまだにある程度の盛り上がりを維持し続けているのは結構なことで、むしろ安易に乗っかったような人たちが、あのダウナーな魅力に取り憑かれて残り続けているのだろうと想像している。そうすればもはや敵視する対象ではない。情報の過剰摂取で脳が肥え太っている我々には、あのような嗜好品類に頼らないセラピーの一時が必要なのだ。
 自分にとって銭湯やサウナなどの温浴施設に通うことは教会や告解室に向かう営みに近く、同年代の客層をほとんど見かけなかったブーム到来以前から十数年ほど続けている。とにかく落ち着きがなく衝動的で、不注意ゆえの失敗を幾度となく繰り返し、頭のなかは常にダンプ・データで埋め尽くされている自分を強制的に落ち着かせるためには、あらゆる情報をシャット・アウトして、裸になってゆっくり浴槽やサウナ室で過ごしたり、薄暗い休憩室でまどろんだりするほかに手がない。肩肘を張らずにメディテーティヴな一時を過ごし、深い落ち着きを得るための、自分にとって唯一と言っていい救済措置として長年助けられている。

 前作『Music For Psychedelic Therapy』でサイケデリクスによってではなく、アマゾンの巨大な洞窟での3泊4日ほど過ごした体験をもとにして、音楽そのものによって別の世界に到る手引きを試みたジョン・ホプキンス。ティーンエイジャーのころからすでにプロ・ミュージシャンとして活動をスタートさせていた彼は、その長いキャリアのなかで次第に瞑想やヨガといった体験を通し、カウンター・カルチャーのなかで生まれたサイケデリック・セラピーへの関心を示すようになった。2014年作『Immunity』ではインダストリアル気味なIDM~ベース・ミュージックとたおやかなエレクトロニカ~アンビエントが同居していたが、年を経るにつれてその比率は次第に崩れ、どんどんと静謐かつサイケデリックな質感へ傾いていった。

 最新作『RITUAL』は、前作に引き続き直球的な「儀式」というタイトルの名を関した全8章構成のフル・アルバム。ショート動画の隆盛によってただでさえ奪われていた人類の集中力はさらに悪化の一途をたどっており、音楽産業のセオリーも「より短く、より過剰に、より華美に」変化しつつあるが、そうした潮流に真っ向から反旗を翻すようなシームレスな作りとなっている。本作はホプキンス自身もそう言及しているように、むしろ41分のワン・トラックとして聴かれるにふさわしい機構を備えており、深く潜るような聴き方をすべき作品であると断言できる。

 さて、そんな『RITUAL』の着想源となったのは、2022年にホプキンスがロンドンで参加したストロボ効果で視覚刺激を引き起こす「ドリームマシーン (Dreamachine)」という装置を介しての集団的リスニング体験プロジェクトだという。Dreamachine、つまり「夢みる機械」というこの装置は光と音による深い没入感を参加者に与え、体験を経て生きることの意味を再考してもらったり、疲弊した心のケアの一助となることを目的としているようで、うっすら疑似科学的な匂いもしないではないものの、僕にとってのサウナ施設のように、そこでしか得られない安らぎもきっとあるのだろう。

昔の人間はとても長い音楽を聴いていたし、そんなに珍しいことではなかったわけで、それを取り戻そうとしているんだ。

新作がリリースされて10日ほどが経ちますが、なにか嬉しいリアクションはありましたか?

ジョン・ホプキンス(Jon Hopkins、以下JH):世界中のいろんな都市で新作のリスニング・セッションをおこなっているんだけど、その反応がすごくよくてとても嬉しいね。たしかちょうどいま、モントリオールでやっているはず。バンクーバー、サンティアゴでもやったし、ロンドンでもやったんだ。結構激しい反応もあって、理屈抜きで受け取ってくれる人も多いみたいだ。素敵なコメントを見つけたんだけど、リリース当日にグループで集まって聴いてくれたようで、スタジオにキャンドルを灯して自分たちなりの儀式をしたらしい。まさにそういう反応を望んでいたから嬉しかったね。

「サイケデリック・セラピー」をテーマとした前作の背景には、エクアドルのアマゾンの洞窟で過ごした体験がありましたが、前作から今作のあいだに起こったことで、あなたにとって大きな出来事は何かありましたか?

JH:今回はそういう特定のアドベンチャーがあったわけではないんだ。外の世界ではなかったけど、自分の内なる世界では多くの冒険があったよ。アルバム冒頭部分は、僕も参加した「Dreamachine」というインスタレーションに影響を受けているんだ。本当の大きな変化は、それはおそらく以前よりもコラボレーターたちとの作業が増えたということじゃないかな。今作には友だちや素晴らしいミュージシャンたちが関わってくれていて、僕にとってはちょっとした旅のような経験だった。なにもかも自分だけでやってしまうのではなくて、より広がりのある作り方というか。素晴らしく励まされる経験だったね。創作中に壁にぶつかったり、なにかが自分の思っていた方向に進んでいないと感じたりしたときに、友だちやコラボレーターという頼もしい存在がいて一緒に考えてくれて。それであっという間に物事が前に進んだりして、作ることをより楽しめたよ。

いま言ったように今回のアルバムは、イギリス政府も資金援助している、「Dreamachine」というプロジェクトのために作曲した楽曲から生まれたものだそうですね。「Dreamachine」とは、複数人が共同で幻覚を体験するための装置のようですが、具体的にどういうものなのでしょうか?

JH:複数人での集団的リスニング体験で、参加者が目を閉じているところでストロボ・スコープの光が明滅するんだ。正確な理屈や理由は分かっていないけれど、光が一定の頻度で明滅すると人間の脳が様々な光景と瞑想状態を生み出して、明滅する速度によって見えるものが変わったり、人によって見るものが違ったりする。つまり本質的にはその人自身の心や脳の内容を見ているということ。非常に面白いプロジェクトで、今後も続いていくし、願わくば世界各地をツアーして多くの人に体験してほしい。僕にとってはこのアルバムの素晴らしいスタート地点にもなったからね。「Dreamachine」の仕事が終わったあとに、かなり方向性が変わったんだ。あのプロジェクトに参加できて本当に良かった。

ウィリアム・S・バロウズの著作はこれまであなたに影響を与えてきましたか?

JH:実は読んだことがなくて。あの世界についてはあまり知らないんだ。

いまは短い断片だけを聴くというような聴き方で、そこに迎合する音楽がたくさんあって。今回僕はそれに迎合せずに作った(……)深く潜り込んで聴くよう誘っているんだよ。

今回のアルバムのインスピレーションには「英雄の旅」もあるようですが、古代や神話にアイデアをもとめた背景には、現代文明における疲労が関わっていますか?

JH:面白いことに、僕の仕事のやり方は、実際にはなにかにアイデアを求めることはなくて、すべて直感で、自分のアイデアがどこから来ているのかはあまり考えない。でもアルバムを完成させたら、それを世界にどう提示するか、作ったものを言葉でどう表現するかを考えなければいけなくなるわけだ。本来はサウンドを言葉に翻訳する必要がないというのが理想だけどね。なぜならそのサウンドが物語のすべてだから、アルバムについて自ら進んで語りたいことというのはこれまでも特になかった。でも僕らが生きるこの世界ではそうはいかなくて、人びとはなぜ自分がそれに時間を費やすべきなのかを納得する必要がある。でも興味深いことに、作り終わってから追想する形で自分が深層心理的もしくは潜在意識下でなにを考えていたのか分析したときに、作品の流れが古典的な「英雄の旅」と同じだと気づいたんだ。ただ、たしかに古代であり神話ではあるんだけど、それは現代にも通じるどころか完全にいまのものでもある。多くのメジャー映画も本も同じストーリーの流れだからね。僕にとってはそれが内なる物語だったというか、勝てないと思う戦いで最後の最後で勝つとか、あるいは人生を捨てた放蕩者が後に自分の目的を再発見して本来の自分に戻って家に帰ってきたように感じるといったこと。古典的なものだけど、それが音楽に表れていたことが興味深かった。それは作り終わってから分かったんだ。
 我々は皆、さまざまな問題を抱えているわけだけど、それは人間がそこに住むべく進化してきたような世界に住んでいないからだと思う。これまで常に独自のペースで変動しながら自己改善していく自然なシステムの中で暮らしてきて、人間はそのほんの一部に過ぎなかったのに、なにもかもを科学と建物で塗り替えてしまい、極限まで人間が増えて動物が減り、その結果として人類は種としていまいろんな課題に直面しているんだと思う。だから、それに反抗するために僕らができる小さなステップのひとつは、深層にある動物的自己と意識に再びつながることだと思う。高尚なことを言っているように聞こえるかもしれないけど、でもこのアルバムと前作で僕がやろうとしているのはそういうことで、一時的に失われたなにかに再接続してほしいという思いがあった。そういうエンパワメントの作品を作りながら、それが自分自身にも影響があって、作ったことで強くなったと感じられたからすごくよかったよ。

8月に公開された、『the Quietus』のお気に入りの12作を選ぶ名物企画「Baker's Dozen」で、クラスター&イーノ “Ho Renomo” を選んでいましたね。そこであなたは「わたしたちの注意はつねに攻撃にさらされている」「ほんとうに音楽に没頭できるかどうかは、携帯電話を部屋から追い出して、WiFiを切ることにかかっている」と仰っていました。今回8つのパートをシームレスにつないだのは、40分間、音楽に集中してもらいたかったからですか?

JH:もちろんそう。元々8つのパートに分かれていたわけではなくて、全部でひとつの作品だけど、契約上というか現実的、物流的理由で分けたまでで。だから本来は分かれていなくて、聴いてもらったとおり曲と曲の間に隙間がないんだ。僕はアーティストの仕事とは、もしアーティストとしての良心があるなら、自分がこの世界で聴きたいと思うものを作ることだと考えていて。その際には、いまの音楽の聴き方の枠組みから外れるものを作るリスクを取ることになる。いまは短い断片だけを聴くというような聴き方で、そこに迎合する音楽がたくさんあって。今回僕はそれに迎合せずに作ったから、その結果として当然聴く人は少なくなるだろうけれど、より深いリスニング体験になることを願っている。今後は、より長い集中力を取り戻そうとする人がもっと増えるんじゃないかと僕は思ってるし、このアルバムも、深く潜り込んで聴くよう誘っているんだよ。そこには時間を拡張する効果があって、聴いていると時間の経過かが分からなくなるくらいの素晴らしい冒険になる。だからこそ没入感のあるいい音で聴いてほしいし、そうじゃないとあまり意味がなくなってしまう。とにかくいろんな意味で“普通のアルバム”ではないから、ちゃんと体感したければ、普通のアルバムとはなにかってことを忘れた方がいいかもしれない。昔の人間はとても長い音楽を聴いていたし、そんなに珍しいことではなかったわけで、それを取り戻そうとしているんだ。

前作リリース時のインタヴューの際、前作『Music For Psychedelic Therapy』は「アンビエントではない」と仰っていましたが、新作『Ritual』もやはりそう呼ばれるべきではない作品でしょうか?

JH:そうだね。アンビエントはブライアン・イーノ独自の定義を参考にしていて、それによるとアンビエントとは「無視できるけど注目すればそれに報いるもの」。あとアンビエントという言葉は、電子音楽のなかでも優しい感じのサウンドが多く使われているスタイルと結び付けられていると思う。それだけを取ってもこのアルバムはアンビエントとは言えないと個人的には思う。『Music For Psychedelic Therapy』はリスナーが生息できる音楽的構造物のようなもので、ゆえに深い没入型のリスニングをお勧めしたいし、それは自分を深く掘り下げるためのものであって、BGMではないしアンビエントとして聴かれるべきものでもない。『Ritual』はさらにそうで、非常にラウドで強いクライマックスがあって、作品全体がその極限のカタルシスに向けて高まっていくから、アンビエントとはまったく関係がないもので。アンビエント音楽にはその定義からしてストーリーがないからね。一方『Ritual』にも前作にも物語があるんだ。

空白、まっさらなキャンバスのようなもので、誰もが1日のうちにおこなう儀式のようなものがあるというか。お茶の淹れ方でも食事の作法でもなんでもいいけど、なんらかの深い実践。

今回のアルバムは「儀式(ritual)」と題されています。これには宗教的な含意があるのでしょうか? それとも、たとえば「シャワーを浴びるときは頭から洗う」のような、あるいは先ほどの「音楽を聴くときはWiFiを切る」のような、個々人それぞれの習慣的なニュアンスでしょうか?

JH:いや、頭から洗うとかではないかな(笑)。宗教的なものでもなくて、このタイトルは空白、まっさらなキャンバスのようなもので、誰もが1日のうちにおこなう儀式のようなものがあるというか。お茶の淹れ方でも食事の作法でもなんでもいいけど、なんらかの深い実践。個人的に宗教という言葉は使わないし、それがなにかはリスナー次第だと思うけれど、手がかりはトラックのタイトルに全部あるし、フィーリングやサウンドにもヒントがある。僕にとっての意味を言ってしまうと、どうしてもそれがリスナーの聴き方を左右してしまうと思うんだ。

宗教は人間にとって救いやシェルター、日々の励みとなる側面がある一方で、多くの対立や戦争も生んできました。何かを信じる、信仰するということは、あなたにとって、どのような意味を持ちますか?

JH:宗教的な信仰の悪用は現代世界最大の問題で、組織化された宗教に伴うナンセンスや教義をよそに、本来精神的な経験ほど個人的なものはないんだ。その人の内なる世界、内なる風景は極めて個人的なもので、これ以上に個人的なものなんてない。だからほかの人間がそれに構造を与えることなんてできないし、すべきではない。存在する多くの宗教が神聖な世界へのアクセスと、神聖がなにを意味するかということを制御しようとしてきた。それを取り戻そうとする試みは、この時代に起こり得ることだと思うし、人びとは自分自身の中にある強大な力を発見しつつあると思う。それもこのアルバムのテーマのひとつなのかもしれない。

これまでのアルバムでもそうですが、あなたが「物語(物語性)」に惹きつけられるのはなぜですか?

JH:長編の音楽、年齢を重ねてきた僕がいま作っているような音楽は、通常のアルバムよりもおそらく映画に近い気がする。よくあるアルバムの作り方として、30から40曲ほど書いてそこからベストの10曲を選んで曲順を決めるという方法があるけど、僕の場合はいつも聴かれる通りに頭から作るし、どういう順番なのかが最初から分かっているんだ。これまでに映画のスコアを手がけたこともあるけれど、言ってみれば存在しない映画の音楽を作っているような感じだな。なぜなのかは分からないけど好きなんだよね。

interview with Still House Plants - ele-king

 スティル・ハウス・プランツのインタヴューの終盤で、ヴォーカリストのジェス・ヒッキー=カレンバックは、バンド・メイトのギタリスト、フィンレイ・クラークとドラマーのデイヴィッド・ケネディと一緒に演奏する過程で完全に「裏から表にひっくり返された」と語っている。彼女はその独特のスタイル——深みのある声、生々しさ、警戒心が解かれてしまうほどのエモさ——をどのようにして確立したかについて話しているのだが、同時にバンドの根本的な曲というものに対する脱構築についても説明している。

 ギター、ドラムスとヴォーカルというミニマルなセット・アップで演奏するロンドンを拠点とするこのトリオは、絶えず変化し続ける音楽を作っている。2020年のアルバム『Fast Edit』では、彼らはローファイの電話のメモ音やリハーサル・テープをスタジオ録音に一緒に組み込むことで、曲の創作過程のさまざまな段階を聴いているかのような感覚を演出した。今年の初めにリリースされた後続アルバム『If I don’t make it, I love u』はより物憂げで、2018年のバンドの名を冠したデビューEPでも明らかだったスロウコアの影響が前景に映し出されている。だが、それでも十分にスリリングかつ予測不可能で、彼ら独自のロジックのもとにピンと張りつめたり緩めたりと自在に紡がれる曲で溢れている。

 クラーク、ヒッキー=カレンバックとケネディは、2013年にグラスゴー芸術大学で出会い、初期の録音がグラスゴーのカセットに特化したレーベル〈GLARC〉よりリリースされている。2016年にはロンドンの〈Cafe Oto〉で行ったギグで、同会場のアーキヴィスト、アビ―・トマスの耳に留まり、トマスが彼らの音楽をリリースするために〈BISON〉レーベルを立ち上げた。同会場は重要なサポーターとなり、2019年にはバンドを3日間のレジデント・キュレーターに迎え、一時的に開設されたプロジェクト・スペース・スタジオを、リハーサルや新しい作品に取り組むために彼らに提供した。(ツアー中以外の時間には、ヒッキー=カレンバックが〈Cafe Oto〉のバー・カウンターのなかで働いているのを目にすることができる)

 日本でのデビュー公演では、スティル・ハウス・プランツはgoatと共演するが、これは理に適っている。双方とも、名目上はロック系のインストゥルメンテーションを採用しながら、
エレクトロニック・ミュージックの手法とロジックに深く通じているからだ。2020年のTone Glowでのインタヴューでヒッキー=カレンバックは、自身の初期の音楽作りの記憶について、「6、7歳の頃にすごく酷いドラムン・ベースのトラックを父親のPCで一緒に作った」と話しており、スティル・ハウス・プランツも曲をカット&ペーストのアプローチで創造し再編集しているが、これはDAWのソフトウェアをいじったことのある人には馴染み深いものだろう。

 ズームを通じての対談でも、メンバー3人はライヴと同じような心の通い合った雰囲気を見せている。誰も会話を独占しようとせず、互いの話を注意深く聞き合い、前の話者の話を引き継ぐように次の話者が話し出す。なお、以下の会話は、長さと質を考慮し、編集されている。

私たちはこれから自分たちがやることを知っているし、揺らぎのようなものがあることもわかっている。

あなたたちのバンドの歴史においてかなり重要な役割を果たした〈Cafe Oto〉についてお話を伺いたいのですが、読者のなかにはその場所に馴染みのない人もいるかもしれません。そこへ行ったことのない人に説明するとしたら?

ジェス・ヒッキー・カレンバック(以下、ジェス):そこは小さな会場だけどじつに多様なプログラムを展開していて、歴史的には、たしかフリー・ジャズ寄りのところからはじまっている。現在はあらゆる種類の実験的な音楽、バンド系やノイズ、パフォーマンス寄りのものにも門戸を広げている。私たちが最初に関わりを持ったのは、2019年に彼らがジャーウッド財団——若いアーティストを支援する団体——と組んでいるときで、私たちをノミネートしてくれた。当時はまだ会場のひとつとして出会ったという感じだった。

デイヴィッド・ケネディ(以下、デイヴィッド):それ以前にも演奏はしたことがあったんじゃないかな?

ジェス:そうだね、もしかするとそれより前に1〜2回演奏していたかも。ただその頃は
まだ距離を感じていて、ひとつの会場としか思っていなかった。でもその後に「ああ、彼らは本心から若いアーティストたちを支援したいのだ」とわかって……いや、それほど若くはなかったけど、新しいアクトをね。

デイヴィッド:ある時点で、彼らはフリー・ジャズ・スペース、あるいは実験音楽の場というイメージを払拭したいという声に押されたこともあったみたいだ。クモの巣をとりのぞかないと、という感じで。だけど、そういったことを定義するのは誰なのだろう?

ジェス:その通り! その実験音楽、あるいは変わった音楽の定義という考えを変える必要があったのだと思う。そしてそれがどういう意味を持つのかを決めるのはひとりの人間ではないはず。

フィンレイ・クラーク(以下、フィン):僕は〈Cafe Oto〉に対しては本当に温かい気持ちを持っている。僕たちが音楽をはじめた頃にものすごく手厚いサポートをしてくれた。僕たちもいまではかなり多くの場所で演奏しているけど、彼らが毎年積み上げてきたものに驚きを隠せない。もちろん美味しいごはんやお茶、そして日本酒なんかも含めてね……。

私の〈Cafe Oto〉での体験からいうと、とにかく観客の熱中ぶりがすごいと感じました。あのような場所での演奏は、例えばフェスなどの出演時に比べてパフォーマンスに違いがでてくるものでしょうか?

ジェス:最近、イギリスのフェス〈End of the Road〉に出たんだけど、キャンピング・フェスティヴァルみたいな感じの場だった。前に都会でのフェスには出たことがあったけど、今回のは、伝統的なウェリントン・ブーツ着用で赤ちゃん連れも多い、イギリスらしいタイプのフェス。それでもみんなが集中してくれていたように感じた。みんなが本当に熱心に聴きたいと思ってくれていると感じられる場所で演奏できるのは、ただラッキーなだけなのかもしれないけど。

デイヴィッド:ティルザ(https://www.ele-king.net/review/album/009532/)のツアーのサポートとしてロンドンのブリクストン・エレクトリックという会場で演奏したんだけど、たぶん2000人ぐらいのキャパで、ステージがかなり大きくて高いところにあり、「ああ、こんな環境ではどうやって(音楽が)伝わるんだろう」と思った。だけど、演奏後にうまく行った感触があり、結局何も変える必要はないことがわかった——つまり、僕たちはどこででも演奏できるということを教えてくれたんだよね(笑)。

ジェス:そうそう。私たちは多くを必要としないの。皆が近くで寄り添いあって、すべてをシンプルに保つ必要があるだけ。そしてそれは、どこででもできることでもある。とても心強い感覚だよね。

フィン、何か追加で言おうとしていたのではないですか?

フィン:そう。言おうと思ったのは、フェスと〈Cafe Oto〉にはそう大きな違いはないということ。というのも、僕はあまり観客の方を見ずに、ジェスとデイヴィッドの音を聴くことに集中しているし、自分のなかに閉じこもっているから。そして自分の右側、つまり観客席で何が起きているのかには左右されない感じなんだ。

デイヴィッド:(顔をしかめながら)ウゥ……参った……。

大丈夫? 何かあった?

デイヴィッド:うーん。首が痛くなってしまったから、枕を変えないと。

フィン:ああ、それなら何て言うんだっけ? 僕が使っているのは低反発枕ではなくて
パンダのロゴがあるやつなんだけど。

デイヴィッド:あ、それ見たことあるかも。

フィン:すごくいいんだよ。

ジェス:ピロー・トークだね? 私は極薄のが好き。極・極薄のやつ。ほとんど何も中身がないぐらいの。

フィン:昔は僕もそっち派だったんだけど、いまではしっかりと首をサポートするタイプ。

ジェス:でも、あまり枕を高くすると首にはよくない気がするよ。知らんけど。とにかく、私が言いたかったのは、重要なのはサウンドチェックをきっちりやること。それがすべてを左右する気がする。でも全体的に私たちはうまくやれていると思う。もちろん、上手くいかないとき、例えば正しいサウンドになっていないとかだとつまらないけど。もうひとつは、私たちがステージ上で三角形のセット・アップで演奏しているのがよいのかもしれない。このセット・アップのおかげで、常に互いをサポートしあうことができるし。

多くの曲が、けっこう構造的になってきている気はする。すべてではないけど、多くの曲で自分が次にどう演奏するのかわかっていることが多いから。

あなたたちの音楽は、非常にオープンエンデッド(途中で変更可能な)である感じを受けますが、もちろん、はじまりと終わりの地点はあるわけで、制約もありますよね? ただ、完全に従順というわけではないと。

デイヴィッド:多くの曲が、けっこう構造的になってきている気はする。すべてではないけど、多くの曲で自分が次にどう演奏するのかわかっていることが多いから。

それに反発したいと感じることはありますか?

デイヴィッド:それはあると思う。物事を変えたいという気持ちがあるのを自分たちでわかっているから、皆でそれも念頭に置くようにしている。それは通常、パフォーマンスの前に起こることが多い。このセットは半分にして、後半をトップに持ってこようとか、入る曲を変更しようとか。そういう感じでトランジションなんかにも取り組むんだ。

ジェス:長いあいだ演奏して作業を続けるうちに、実際のレコーディングで面白いことが起きたりもする。そういう時に曲が本当に固まってくるんだと思う。いま、レコード(『If I don’t make it, I love u』) からの曲をたくさん演奏しているから、物事の瀬戸際や曲の境界線なんかがよくわかるようになった。私たちにとって曲の変化というのは、ムードとかそういうもののことが多いのと、もうひとつは、その隣に何が配置されるかということ。曲から別の曲に移るときのやり方を探すということかな。そのことにすごく興味を覚える。私たちは、セットにある種のDJセットのような曲と曲が混ざり合うようなフロー(流れ)があることを好むの。 そうやってツアーとともに、曲が変化していくんだと思う。でも、私はヴォーカルだから、デイヴィッドとはかなり違う時間を過ごしているのかも。私の方がすぐ簡単に思いついたことができるから。私がやっていることにも一貫性はあるけれど、違う表現をするためのスペースが多くある気がする。

フィン:うん。君が言っていることはよくわかるよ。ドラムのパートがしっかりしていると、とんでもなく自由な形も可能になる。そして構造にも自由度を与えられると思う。あるとき、俳優のイアン・マッケランのモノローグ(独白劇)を観たことがあるんだけど、台詞をしっかり覚えていると、ものすごく自然に言葉を届けることができると彼が言っていたのを思い出した。自分のパートを本当によく把握していると、少なくとも僕は、まるでその場で音楽を作っているように見えるらしい。自分がやっていることを正確に把握することによる自由があって、それが自発的なものであるという印象を与えるようだ。

ジェス:そのことで面白いのは、私たちの音楽は誰もが何か特殊な即興演奏だと思いこんでいる節があるということ。当然揺らぎもあれば、変化するところもあるから、聴いた人が「すごい! これは基本的に100%が即興だ」と思うらしいのね。どうしてだろう? もしかすると、完全に即興である方が都合よく理解しやすいのかもしれない。発作的なことや、奇妙に思える変更もあるから。でも、私にとっては基本的にこういう……ドロップとかがあることなんかは非常にタイトに感じる(笑)。ある意味、これをどうやって即興しているというの? という感じ。でも同時にすべてが真実でもあるような気もしてくる。私たちはこれから自分たちがやることを知っているし、揺らぎのようなものがあることもわかっている。曲のはじめと終わりやトランジションにも練習して対処する。そして、セットのなかの曲を一枚岩に仕上げるの(笑)。

デイヴィッド:ジェス、それはいい指摘だね。曲をレコーディングしたときって、曲が完全にできあがったと思いがちだけど、僕はとくに新しい曲については、ライヴで演奏しているうちに初めて強化される要素があると思う。これまでにも、ライヴで、曲をあるやり方で演奏した後で「あれ?  なんか全然よくなかったな」と感じて、突然次のセットで違うドラム・パートを入れたり、別の曲と繋げたりしたこともある。つまり、とくに新しめの曲については、ライヴ演奏を通じてどんどん形成され続けていくものなんだと思う。

ジェス:私もそう思う。曲全体の構造は変わらないにしても、いろいろ切り刻んだり、別の曲と繋げたりして新しい曲になっていく。いまもちょうど曲を書いているところだし、新しい曲の演奏もしている。それらは変化しているし、まだ固まる前だから、たぶんツアー中にも変化し続けるのではないかな。

フィン:とにかくステージで曲を試すのが一番良い方法だよね。いつも思っていたんだけど、ステージでやると直感的に善し悪しが判断しやすいと感じる。

その直感は、バンドをやっている何年かのあいだに向上したと思いますか?

フィン:そうだなぁ……質問への答えとしては迷惑な回答かもしれないけど、イエスでもあり、ノーでもある。実際、注意深く聴くことを覚えたし、自分のアーティスティックな判断を信じることを学んだ。自分に耳を傾けて直感を信じることができるようになるには、長い時間が必要だ。いまの方がより多くの問いかけをするようにもなった。20代前半の頃は、いまよりも自信があったと同時にナイーヴなところもあったけど、現在ではより慎重になり、自分自身の声を聴いて直感を知ることができるようになっている。だから、僕にとっては両方あるな。

ジェス:私はその逆で、自信がなくなり、前よりもっとうっとうしい。冗談だけど。

デイヴィッド:直感について考えるのは面白いよね。少なくとも曲作りでは、ただ成長することと楽器を心地よく使いこなせるようになることとの関連性についても考えてしまう。

ジェス:長くかかったからね。私たちが音楽をはじめたとき、デイヴィッドはしばらくドラムを叩いていなかったし、たぶんみんなも同じだったと思う。とにかくお互いのことを学ぶ時間だったともいえる。つまり、それぞれの演奏方法がそれだけ違っていたということ。例えば、フィンはギターを弾いてきて明らかに楽器のことを熟知していたけど、私たちふたりの反応を考えて演奏方法を模索していた。そうしたことに対応するのは、本当に長い時間がかかるものだから。

デイヴィッド:本当にそう。実際、僕がドラムを心底楽しいと感じたのは、ここ1年半ぐらいになってからのことだし。

フィン:僕もそれについて考えていた。君はすごくよくドラムの練習をするでしょ。僕はギターではあまり練習しないけど、家でよくピアノの練習をするんだ。それが僕の練習方法なんだけど。ギターに関しては……じつは上手すぎるギターの音があまり好きではないんだよね(笑)。ロバート・フリップという名前だったっけ? あの完璧なテクニシャン。それは僕にはあまり関係ない。少しルーズな方が好きだから、あえて練習し過ぎないようにしているともいえる。

ジェス:でもフィン、あなたはたくさん演奏しているじゃない。それはイアン・マッケランについて語ったこととは逆だよね! 私たちはたくさん演奏するから、あなたもしているということだよ。

フィン:僕が言いたかったのは、スケールなんかは練習しないということだよ。

ジェス:それは必要ないよ。

フィン:例えば、さっきのイアン・マッケランのところで出てきた、彼が言う台詞を覚えることと、楽器を練習することは別の意味な気がする。僕は、パートやセットを覚えることの方が多いね。そう、キース・リチャーズについて考えてみると、彼は基本的にはおびただしいほどギターを弾いている。まったく別のことだよね。

デイヴィッド:僕も以前、ドラムで同じようなことをしていたよ。ドラムは嫌いだ、ドラム文化も嫌いだと言いまくっていた。ドラムをどう演奏するかについても、本当に目に見えない地雷原のような危険もある。フィルインを叩く人をみていられないとか、そんな感じになって。練習ばかりしていると、自分もそういうドラマーになってしまうのではないかと思った。でも、またある別の時点では、「僕には十分個性もあるし、自分の直感を信じよう」と楽器と向き合い練習を重ねて、実際にいい演奏ができるようになったりするんだ(笑)。

ジェス、あなた自身の楽器——つまりあなたの声——との関係はどのように変わってきていますか? あなたはバンドをはじめた当初よりもだいぶ低い声で歌っていますよね。

ジェス:自分はラッキーだったと思う。というのも、音楽を作りはじめる前には歌ったことがなかったから。歌いたいとは思っていたのに、あまり自信がなかった——自分の声がすごく小さいと感じていた。あっという間の出来事だったけど、すべてが私にとっては適切なタイミングで起こったし、私たちは物を作りはじめ、それと同時に私は自分の人としての本当の声も見つけた気がするんだ……。おかしな言い方だけど、演奏すればするほど、自分が完全に裏から表にひっくり返されたような気がする。つまり、自分が感じていることをそのまま表現できるようになったように思うし、それで声が変わったとも言える。基本的には自信の問題だったと思う。

デイヴィッド:ああ、それは大きいよね。

ジェス:そして傷つきやすくなったこともね。それはとても大きなことだった。

※スティル・ハウス・プランツは9月21日(土)に、恵比寿リキッドルームにてライヴ公演!
2024.09.21SAT
MODE AT LIQUIDROOM
https://mode.exchange/
https://www.liquidroom.net/schedule/mode_20240921

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by James Hadfield

Towards the end of a conversation with Still House Plants, vocalist Jess Hickie-Kallenbach speaks of being “turned inside-out” in the course of playing together with her bandmates, guitarist Finlay Clark and drummer David Kennedy. She’s talking about how she developed her inimitable style – deep-voiced, raw, disarmingly emotive – but she could equally be describing the band’s radical deconstruction of the art of song.
Working with a minimal set-up of guitar, drums and voice, the London-based trio make music that is in a constant state of becoming. On their 2020 album, “Fast Edit,” they incorporated lo-fi phone memos and rehearsal tapes alongside studio recordings, giving the sense of hearing the songs at various stages in their creation. Follow-up “If I don’t make it, I love u,” released earlier this year, is more languid, foregrounding the slowcore influences that were evident on the group’s 2016 self-titled debut EP. Yet it’s still thrillingly unpredictable, full of songs that come unspooled and snap taut with a logic entirely unto themselves.
Clark, Hickie-Kallenbach and Kennedy first met as students at Glasgow School of Art in 2013, and their early recordings were released on Glasgow cassette label GLARC. A 2016 gig at London’s Cafe Oto caught the ears of the venue’s archivist, Abby Thomas, who started the bison label in order to release their music. The venue would become a crucial supporter, inviting the band to curate a three-day residency in 2019 and letting them use its temporary Project Space studio to rehearse and work on new material. (When she isn’t touring, Hickie-Kallenbach can be found working behind the bar at Cafe Oto.)
For their debut Japan show, Still House Plants will be sharing a bill with goat, which makes sense: both groups use nominally rock instrumentation but are deeply informed by the methods and logic of electronic music. In a 2020 interview with Tone Glow, Hickie-Kallenbach said her earliest memories of making music were producing “really bad drum ‘n’ bass” tracks on computer with her dad at the age of six or seven, and Still House Plants create and re-arrange songs with a cut-and-paste approach that will be familiar to anyone who’s messed around with DAW software.
Speaking via Zoom, the three members show the same rapport that’s on display during their live performances. Nobody dominates the conversation: they listen carefully to each other, often picking up on what someone else has said. The following conversation has been edited for length and clarity.

I was hoping to ask about Cafe Oto, since people reading this might not be familiar with the venue, but it's played quite a significant part in the band's history. How would you describe it to somebody who's not been there before?

Jess Hickie-Kallenbach: It's a small-sized venue that has very varied programming. I guess historically, maybe, it was more free jazz. Now, it's broadened out to any kind of experimental music, from band stuff to noise, more performative things. Our introduction to the place was in 2019, I guess, when they were working with Jerwood [Foundation] – a sort of funding body to help out young artists – and they nominated us. That was where we first encountered it, properly, as a venue.

David Kennedy: I suppose we'd played there before.

JHK: Yeah, we'd played there once, I think, at that point. Maybe twice. But I think it felt a bit more disconnected – it just felt like a venue. And then after that, it was like: Oh, right, they actually want to support young... well, not necessarily young, but new acts.

DK: I feel there was a bit of a push, at one point, to try and kind of shake off the cobwebs (laughs), of being this sort of free jazz space or experimental music space – but who defines what that is?

JHK: That's exactly it. I think the definition of what that is – of what experimental music, or whatever odd music, is – had to change. And [it's] not one person [who] decides what that means.

Finlay Clark: I was just going to say, I have very warm feelings towards [Cafe Oto], because they were just so supportive when we were starting out. We've played at quite a few venues now, and it just amazes me how they put it together, year after year. And delicious food, and tea! Sake and stuff…

In my experience of going to Oto, I've felt like the audience there is very engaged. Do you find playing somewhere like that, compared to at a festival or something, changes things for you in the course of the performance?

JHK: We recently played at a festival in the UK [End of the Road], which was like a camping festival. We've played at festivals before, in cities, but this was like a proper British, wellies-and-babies sort of festival. It still felt like people were paying attention. I don't know if we're just lucky, that we find places where people actually really want to listen, or engage.

DK: We were doing this support tour with Tirzah, and we were playing at this venue in London called Brixton Electric. I think it was like 2,000 people-ish, in this big, quite raised stage, and I remember thinking, "Oh, I don't know how it's going to translate in that sort of setting…” But I remember afterwards, I really got the feeling that it worked, and we didn't have to change anything – which sort of tells me that we could literally play anywhere (laughs).

JHK: Yeah, we don't need much. We kind of need to stand close together, and we need to keep everything feeling kind of simple. But that can literally happen anywhere, you know? It's quite a fortifying feeling.

Sorry, Fin, were you going to add something there?

FC: Yeah, I was going to say, the difference between a festival and Oto – in a way, not much. I don't really look out at the audience much. I'm kind of just listening to Jess and David, and just locked in, and what's happening to the right of me – which is normally where the audience is – it doesn't change [things].

DK (grimacing): Uh. Oh my God…

Are you okay there?

DK: Yeah, I need to replace my pillows, because my neck is in pain.

FC: Oh, you should get – what are they? I've got one of these... It's not memory foam, but it's got a panda [logo] on it.

DK: Oh, I've seen those.

FC: Yeah, they're really, really good.

JHK: Pillow talk, yeah? I go for super-thin. Super, super thin. Basically nothing.

FC: I used to do that, and now I'm all into neck support.

JHK: But it feels like it does worse to have your neck up high. I dunno, whatever. I was gonna say, obviously it's really nice to do a proper sound check. That's the thing that really changes everything. But I think we're pretty good at doing it all. It's obviously not fun if things are going wrong, like if the sound isn't quite right. But also, there's something about the way that we're set up, which means that we're kind of constantly supporting each other. I guess that's the good thing about being set up as a triangle.

Your music feels very open-ended, but then I guess there are start points and end points, and there are constraints, right? It's not just completely malleable.

DK: A lot of the songs, I feel, have become quite structured. Not all of them, but with a lot of them, I know exactly what I'm going to play all the time.

Do you ever feel any sort of desire to push back against that?

DK: I think I do. I suppose we do try to account for that as well, of wanting to change things up. Usually, that often happens before [the performance]. We discuss, like, “This set, we're cutting it in half, and moving the second half to the top, or maybe we'll change what songs we go into.” So it'll be, like, working on transitions and stuff.

JHK: There's something interesting that happens, when we actually record songs, after playing and working on them for a long time. I think that's when they get really cemented. I think that right now, playing quite a lot of songs from the record [“If I don’t make it, I love u”] means that we really do know the edges of things, and the boundaries of the songs. The way that they change, for us, is more like mood and stuff like that, but also what they sit next to: transitioning from one song to another, finding ways to do that. That feels interesting to us. We like a set to have a sort of flow, almost like a DJ set or something – songs blurring into each other. So that's how songs change, I guess, as we tour them. But I think, as the voice, I have a very different time to DK [David]. I can kind of do what I want much more easily. There's a consistency to what I do, but also there's room for different kinds of expressing.

FC: Yeah, I totally hear what you're saying. Having a drum part that's pretty solid gives you a ground to kind of free-form, sometimes, over the top. Also, I think there's freedom in structure. I remember I saw Ian McKellen do a monologue, and he was talking about how when you know your lines so well, you can deliver them in a really natural way. When you know your parts really well – at least for me – I find that you can kind of give the impression that you're making it up. I think there's a freedom to knowing exactly what you're doing, because it gives the impression of spontaneity.

JHK: It's funny that thing, because I feel like the presumption about our music is that everyone assumes that it's at this particular level of improvised. Obviously, there's fluctuations – there's things that change – but people are like, "Woah, that's basically 100% improvised" as they hear it. And I wonder what that is about it. Maybe it's convenient for it to be imagined as entirely improvised, because it's jerky and has strange changes. But to me, it feels so tight, having these – essentially – drops (laughs) and stuff like that. In a way, it's like: How could that be improvised? But yeah, I think it's all kind of true at the same time. We know what we're gonna do. We know that there's going to be some kind of fluctuations. We practise the starts and ends of songs, and the transitions, and we work those all out, and we make this sort of monolith of a song that is a set (laughs).

DK: I thought that was a good point you made, Jess. When stuff is being recorded, things start to feel fully formed. I do feel like there is an element of sort of firming up the songs through playing them live, especially the newer ones. We've even had points where we played a song a certain way, and then we'd be like, "Oh, I didn't really like how that went." And all of a sudden, the next set we do it, it would have a different drum part and be connected to the end of another song, or something like that. So there is an element of – especially with newer stuff – that it forms and forms and forms through playing live.

JHK: Yeah, I think so. It might not be that the whole structure of a song changes, but we chop things up and we just stick them next to something else, and that becomes the new song. We're writing now, and we're playing some new things. They're changing, they're still solidifying, so they're probably going to change across the tour.

FC: It's definitely a good way to test out material, on stage. I've always felt that you kind of know when something works or not, quite instinctively.

Do you think that those instincts have improved over the years of doing the band?

FC: I think... it's an annoying answer, but sort of yes and no. I've learnt to listen to and trust my judgment, artistically. It takes a long time, to really be able to listen to yourself and trust your instincts. I do question things a lot more, as well. I found when I was in my early 20s, I had more confidence and sort of naivety at the same time, and that's kind of transformed into being more cautious, but also being able to listen to myself and know my instincts better. So it's kind of a bit of both, for me.

JHK: I feel the opposite. I've become less confident and more annoying. Joking.

DK: It's funny thinking about instinct, isn't it? At least in terms of songwriting stuff. I wonder how much of that comes from just growing. I'm trying to think if there's a link, as well, to just actually getting more comfortable with an instrument.

JHK: Yeah, like, it's taken you a long time. When we started making music, David hadn't played drums in a while. I guess it was probably the same for all of us. In a way, we were learning how to play with each other, which actually meant we played very differently. Obviously, Fin, you'd played guitar and you knew the instrument, but you were working out a new way of playing, and that was in response to both of us. That stuff takes a really, really long time.

DK: Yeah, it's probably only in the last year and a half, I've realised that I actually really enjoy playing drums.

FC: I've also been thinking, because you practise drums a lot – I don't practise the guitar. I sit at home and practise the piano a lot, and that's kind of where my practice goes, but guitar... I think that I don't like how guitar sounds, when it's too good (laughs). Is it Robert Fripp, is that his name? Very perfectly technical. That's not for me. I like it being a bit loose. In a way, I'm intentionally not practising it.

JHK: You play a lot, though, Fin. That's the opposite of what you said about the Ian McKellen lines! And you do play a lot, because we play a lot.

FC: What I mean is, like, I don't practise scales.

JHK: You don't need to.

FC: It's more like learning the part – the set – in reference to learning lines, the Ian McKellen lines, and practising the instrument is separate. And yeah, just thinking about Keith Richards, basically, playing copiously. I think they're separate things.

DK: I used to have a similar thing with drums. I was like: Oh, I hate drums, I hate drum culture. There's a real minefield, as well, in just how you can play drums. I can't be arsed with people doing fills, and all this sort of stuff. There's a point where I was like: If I start practising all the time, am I just going to become one of those drummers? But then there's a certain point where you're like: I have enough personality, I'm a real person who's taken a break from an instrument and come back to it as a more fully formed human. I trust in my own instincts, that I'll be able to actually engage with this instrument and practise it, and be able to actually make it good (laughs).

Jess, how has your relationship with your instrument – your voice – changed? Obviously you're singing a lot lower than you did when the band first started...

JHK: I was really lucky, I guess, because I didn't sing before we started making music. I'd always wanted to, but I wasn't very confident – I guess my voice felt really small. It happened pretty fast, but everything sort of aligned at the right moment for me, where we started making stuff, and I also started really finding my own voice as a person… It feels like the more we were playing, the more I would just be – without sounding crazy – kind of turned inside-out. I was just more able to wear what I was feeling, and that meant that my voice changed. I think it was confidence, basically.

DK: Yeah, that's a big thing.

JHK: And to be vulnerable. Big time.

Interview with Beatink. - ele-king

 9月14日の『Dub Sessions 2024』、このイベントが終わってから、主催者であるビートインクが自らの30周年を祝ってのパーティをオールナイトで行う。この疲れ知らずのインディ・レーベルで、創業以来がむしゃらに働いてきた大村大助にいたっては、その前日に名古屋での『Dub Sessions』を終えてからの東京入り。オーディオ・アクティヴでエレクトロニクスを担当していたこの男は、あれから30年以上経ったいまも、並々ならぬ気迫と持久力でレーベルをひっぱっているようだ。

 現在、〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をはじめ、〈Beggars〉傘下の〈4AD〉〈Rough Trade〉〈XL〉に〈Young〉〈Matador〉、そして〈Domino〉など多くのインディ・レーベルとライセンス契約をし、日本でのリリースを引き受けている。もっとも、そもそものその原点は〈On-U Sound〉の日本でのリリースを手がけたことにはじまり、つまり、ある意味、30年前と同じことをずっとやり続けてきたことの蓄積だったりするのだ。

 いよいよ〈BEATINK 30th Anniversary Party〉を控えたビートのスタッフ3名、大村大助、若鍋匠太、寺島茂雄に話を聞いた。


オーディオ・アクティヴのメンバーとリー・ペリー

〈On-U〉がすべての起点になっているんですね。だから、30周年のイベントやるんだったら、エイドリアンが来ているいましかないでしょう! 

30周年おめでとうございます!

一同:ありがとうございます!

大村(大助)くんとぼくは、ビート設立の前からの知り合いなんです。

大村:そうですよね。

91年、渋谷のエスニック料理屋を週末だけ借りてやっていた、アンダーグラウンドなテクノ・パーティがありましたね、ぼくはよく遊びに行ってたんですが、大村くんはね、見張り番をしてたんだよね(笑)。

大村:いや、ぼくはただ単に遊びに行ってただけですよ(笑)。

え? そうだったんだ。いつも入口付近にいたから、警察が来たら知らせる見張り番だとずっと思っていました(笑)。

大村:伊藤洋一さんという、YMOのマネジャーやっていた方が、そのころジェオという会社をやっていて、そこで働いていたスタッフたちといっしょに遊びに行ってましたね。ビートが立ち上がる前の助走期間というかね、もう、とんでもないデコボコ道でしたけどね。

当時大村くんはオーディオ・アクティヴとしての活動も精力的にやっていてね、のちに新宿リキッドルームで活躍する山根(克己)さんがマネージャーみたいなことをやってたんだよね。

大村:そうです。

ビートを立ち上げる前は、レイ・ハーンもジェオで働いていて。

大村:ジェオのときに芝浦GOLDにエイドリアン・シャーウッドを呼んでますね。

ぼくもあのとき行ったんですが、あれはすごいイベントでしたね。低音がすごかった。

大村:あの頃、〈On-U〉は〈Alfa Records〉とライセンス契約していて、オーディオ・アクティヴのデモも〈Alfa Records〉で録音しているんです。だから、オーディオ・アクティヴのファースト・アルバム『AUDIO ACTIVE』は、1993年の11月に〈Alfa Records〉から出ているんですよ。でも、ファーストが出た数ヶ月後に〈Alfa Records〉は倒産するんです。「さてどうする?」ってところから、ビートの立ち上げがはじまっている。

なるほどね。自分たちでやるしかないと。

大村:そして、〈On-U〉から1994年の9月にアルバム『We Are Audio Active (Tokyo Space Cowboys)』が出るんです。ただ、その前の6月には「Free The Marijuana」という12インチ・シングルも出ているんです。

いまでも持っています。ビートインクの最高傑作ですね!

大村:マーク・スチュワートがあのシングルもアルバムもデザインをしてくれたんです。

いや、そこはマジで素晴らしいですね。あの曲のなかのトースティングは?

大村:ビム・シャーマンですね。スキップ・マクドナルドも参加している。

まさに、ここにビートインクが凝縮されている。もう、いまやっていることと変わらない(笑)。30年間、ずっとそれをやり続けているんですね! すごいよね。

大村:そういうことですね(笑)。


伝説のエイドリアン・シャーウッド@芝浦GOLD

ビート前史としては、山根さんがまだ渋谷ON AIRのブッキング・マネジメントをやっていた頃に、1992年から1993年にかけて、ダブ・シンジケート、ビム・シャーマン、ゲイリー・クレイル、マーク・スチュワート、リー・ペリーなんかの招聘をやっているでしょ。あれも当時は大きかった。

大村:ビートを会社として登記したのが、1994年の6月。そして、7月に新宿リキッドルームができてるんです。で、そのプレ・こけら落としというのがあって、それはうちがアンダーワールドとドラム・クラブを呼んだんです。

いろんなものが同時にはじまりましたよね。ぼくも1994年に独立して、エレキングをはじめた。そのくらい、1992〜94年の日本のアンダーグラウンド・シーンは熱かったですね。最初、ビートはレイの恵比寿のマンションの自宅ではじまっているけど、何人ではじまったんですか?

大村:俺とレイと、あとは井出さんという女性の方がいました。

井出さんにもお世話になりました。で、最初は〈On-U〉のディストリビューション?

大村:〈On-U〉ではじまって、やがて〈All Saints〉(※イーノ作品で知られる)もやったり……。

寺島:ちなみに、ビートのカタログナンバー〈BRC〉の1番がオーディオ・アクティヴ。2番がアフリカン・ヘッド・チャージで、3番がニュー・エイジ・ステッパーズ

(笑)いまとやっていることがまったく変わらないね!

大村:(笑)〈On-U〉がすべての起点になっているんですね。だから、30周年のイベントやるんだったら、エイドリアンが来ているいましかないでしょう! 

若鍋:よくレイさんも言いますよね。音楽をディストリビュートするというアイデア自体は、エイドリアンからもらったって。

大村:〈On-U〉からいろいろ繋がっていったんだよね。

寺島:アタリ・ティーンエイジ・ライオットもそう。

大村:〈DHR〉(※アレック・エンパイアのレーベル)も、そして〈Emissions〉(※アンドリュー・ウェザオールのレーベル)も。ほかにも、〈On-U〉のサブレーベルとして〈Puressure Sounds〉もあった。

最初は全国のレゲエ系のお店をはじめ、独自の流通網を作っていったんだよね。

大村:なんの経験もないなかインディーズをはじめて、信用できるいろんなひとに教えてもらいながら、必要に迫られて何でも大急ぎで進めていきました。

なんの経験もないなかインディーズをはじめて、信用できるいろんなひとに教えてもらいながら、必要に迫られて何でも大急ぎで進めていきました。

1994年にビートがはじまって、最初は〈On-U〉からやっていくんだけど、大きかったのって何だったですか?

大村:〈DHR〉がやっぱデカかった。

90年代は、オーディオ・アクティヴもすごくがんばってやっていたじゃないですか。リキッドルームでオーディオ・アクティヴとエイドリアンとアンドリュー・ウェザオールってあったよね? あれは良かった。あとリー・ペリーのライヴもよく憶えている。大村くんは何がいちばん思い出深い?

大村:アンダーワールドの初来日はよく憶えていますね。アタリ・ティーンエイジ・ライオットのライヴもお客さんの熱気がすごかった。湿度で天井から雨が降ってくるくらいだったし、後にも先にもあんな光景は見たことないです。

リー・ペリーと?

大村:リー・ペリーはめちゃくちゃ思い出あります。最初のON AIRでやったときは、まず空港に迎えに行ったときに、カシオトーンを頭の上に乗っけて歩いてきたんです。「ええ!? とんでもない人出てきたな……」みたいな。もう、誰がどう見てもすごい人なんですよ(笑)。

それはもう、なんか超越的というか(笑)。普通に?

大村:それが、普通にめちゃめちゃ安定してるんですよ。何もくくらないで、そのまま頭に乗っけてて。リズム・ボタンを押して、ピッコピッコ鳴らしてるんですよ(笑)。

ハハハハ。

大村:会場入りするときもそうでしたね。車から降りて、カシオトーン乗っけて、ピッコピッコって(笑)。楽屋に入ると、ガラス張りの楽屋に、ろうそくでガラス全部に隙間ないぐらい言葉とか絵とかいろいろ描きはじめて、すごい光景でしたね。

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オーディオ・アクティヴのメンバーとリー・ペリー。ペリーの後方に写っているのが、大村氏。

あのときはバックのメンバーも最高だったよね。

大村:ダブ・シンジケートがバックで来て、スタイル・スコットも元気だったし。

ところで、これは大村くんの名誉のために言っておくと、オーディオ・アクティヴは当時イギリスで評価が高くて、人気だったんですよ。グラストンベリー・フェスティヴァルがいまみたいにコマーシャルになる前のいい時代に出演しているし。若鍋くんはそのころは何歳だったの?

若鍋:小学生でしたよ。94年はぼく、小学校5年生。

若鍋くんが入ったのっていつなんですか?

若鍋:ぼくは2007年です。

大村:(寺島)茂雄くんはその4年前ぐらい。だから、いまいるスタッフは〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をはじめた後ですね。

〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をはじめたのは?

大村:2001年。

若鍋:まずは「エレクトラグライド(エレグラ)」(※2005年まで続いた、テクノに特化したオールナイトのイベント。冒頭の写真はその第一回目)が2000年からスタートするんです。その前は、フジロックの最初の5年間ホワイト・ステージのプロデュースをビートがやっていて、そこでスクエアプッシャーやエイフェックス・ツインをブッキングしているんですね。で、その流れで、エレグラにも〈Warp〉と〈Ninja Tune〉のアーティストが出演している。

大村:一回目がアンダーワールド、オービタル、リッチー・ホウティン、ルーク・スレーター、トゥー・ローン・スウォーズメン、トモヒラタ……。

若鍋:2年目がファットボーイ・スリム、エイフェックス・ツイン、ダレン・エマーソン、ローラン・ガルニエ、マウス・オン・マーズ、ハウィー・B、プラッド、バッファロー・ドーター、リチャード・マーシャル……。

大村:そういうなかで、〈Warp〉と〈Ninja Tune〉からアプローチを受けて、最初はキャパ的に、ふたつのレーベルを同時にやるのは無理だろうと思ってたんだけど、悩みに悩んで、両方ともやることになりました。

寺島:〈Warp〉をやることになって、最初に出した作品がオウテカの『Confield』。

名盤じゃないですか。それは良いタイミングでしたね。

大村:そうなんですよ。ボーズ・オブ・カナダもそうだし、とんでもなくいいタイミングだった。

その二大レーベルをやったことでだいぶ状況は変わったんじゃないですか?

大村:〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をやる前は、オーディオ・アクティヴ、ドライ&ヘビー、ロンパリ、日本人のアーティストが精力的に活動していましたね。「ハッパーズ」もやったし。

「ハッパーズ」! これはビートインク史における快挙のひとつだよね。8月8日をハッパの日と定めて、2000年8月8日に代々木公園でフリー・フェスティヴァルを開いた。いやー、あれはほんとうにすごかったなぁ。

大村:画期的でしたよね(笑)。そこにブルー・ハーブも出て。

寺島:オーディオ・アクティヴ、ドラヘビ、ブルー・ハーブ、クラナカ、DJ YASU。

そのメンツで、野外で、無料で、「ハッパーズ」。しかも都会のど真ん中。いや、素晴らしい。

大村:ただ、〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をやるようになってから、もうそっちで忙しくて、なかなか日本人のアーティストができなくなってしまったんですけどね。

それはすごく残念でした。やっぱ、オーディオ・アクティヴとビートインクの仕事との両立はできなくなっていった?

大村:できなかったですね。若いころは寝ないでやればいいって感じだったけど、それもどんどんできなくなりますからね(笑)。ビートの仕事が終わってから夜中、「スタートレック」っていう高津にあったスタジオで朝まで作業して、そしてその朝ビートに来て仕事するという生活は、もう……。

それはたしかに(笑)。ところで、第一期が90年代だとすると、〈Warp〉と〈Ninja Tune〉と契約してからが第二期と言えますよね。第二期以降のビートインクは、どういうふうに変わっていったと思いますか?

大村:発売の量自体が一気に増えたんで、まわすのが大変になりましたね。

ビートがやっていることって、つねにカウンターの側にいるように見えるんですよね。でも、それってメインストリームの存在が輝いているから、カウンター側も輝けるわけで、だからメインストリーム側にも強い存在としていてもらわないと、とは思います。

若鍋くんと寺島さんのおふたりはなんでビートに入ったんですか?

寺島:ぼくはオーディオ・アクティヴとドライ&ヘビーがすごく好きで、さらに大好きな〈On-U〉やエイドリアン・シャーウッド、アンドリュー・ウェザオールもやっているし、プレフューズ73とかもやっていた。ここで働きたいと思って、バイトからはじめましたね。

若鍋:ぼくもバイトですね。ちょうどオーディオ・アクティヴやドラヘビが盛り上がっていた当時、ぼくは留学をしてまして、日本にいなかったんです。でも留学中に友だちから〈Warp〉と〈Ninja Tune〉のことを教えられるんです。しかも、その友だちがのちに日本に留学してビートでバイトするんですよ。で、彼からある日「お前スクエアプッシャーとか大好きじゃん。いま自分がアルバイトしてるビートインクでは、日本でそれを扱っているんだよ」と言われ、最初は翻訳のバイトからはじまりました。

大村:最初に〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をやることになったときは、インディだし、どうやってやろうか考えましたね。それ以前は、〈Sony〉と〈TOY’S FACTORY〉という、日本のメジャーとライセンス契約していたじゃないですか。お金もたくさん使ってやっていただろうし、うちには同じことはできない、だから機転を効かせたり、スピード感で勝負するしかなかったですね。隙を突いていくような、うちだったらこういうやり方で攻めるというような。

営業をやっていた関井さんが、ボーズ・オブ・カナダの大きなパネルつくってそれを新幹線に乗って関西のお店にまで配るとか、いろいろ泥臭い戦術でやっていましたね。

若鍋:ビートがやっていることって、つねにカウンターの側にいるように見えるんですよね。でも、それってメインストリームの存在が輝いているから、カウンター側も輝けるわけで、だからメインストリーム側にも強い存在としていてもらわないと、とは思います。

音楽産業の昔ながらの生態系が変わるのって2010年代以降じゃないですか。いろんなものがインターネットや配信などで変わってしまった。

大村:デジタルへの移行もたしかにそうでしたけど、90年代にWAVEがなくなったときはほんとうにショックがデカかったんです。うちの商品って、ほとんどWAVE頼みみたいなところがあって、だからWAVEがなくなるって聞いたときのほうが「どうなるんだろう?」ってビビりましたね。あれが最初の地殻変動でした。その後のデカいのって言ったらやっぱデジタルですね。2000年代に入ってからちょうど4〜5年くらい経って、出荷数落ちてきたなと感じたりしましたね。

30年もやっていれば、状況も変化するし、良いときもあれば悪いときもありますよ。それこそ雨、風、嵐が(笑)。

若鍋:デジタルがはじまってからは、いきなり大きな衝撃というより、その変化を徐々に体感していった感じですね。

大村:下手したら盛り下がっていることに気づかないくらい、静かに変化していったよね。ただ、日本ではフィジカルが好きな人はずっとフィジカル買うし、ヴァイナル買うのが流行れば、若い子もヴァイナル買うような感じになっているし。必ずしも、ストリーミングが喜ばれてないというか。

若鍋:ビートが創業してからいまだに変わってないのって、たぶんイベントだと思うんですよ。要はそこでしか体験できないことっていうのは、昔から変わっていない。そもそも、「ハッパーズ」じゃないですけど、ビートは「そこにそんなに力入れるんだ?」みたいなことをやってきているんです。採算度外視でも、それをやった方がお客さんに伝わるということならやる。アイデア・ベースというか、採算度外視のことをやって、でもそれが良くてリピーターになったり、アーティストのファンになってくれたりしてるのかな、みたいなことも、実感する瞬間は多々あるんです。

たとえば?

大村:ロビーやエントランスの照明にこだわったり、とにかく、雰囲気をつくりたくて。

なるほど〜。そして、ビートの第3期は、やっぱ〈Beggars〉グループとの契約だよね?

若鍋:2017年が〈Beggars〉、2019年が〈Domino〉だったと思います。

大村:〈Beggars〉は〈XL〉、〈Young〉、〈4AD〉、 〈Rough Trade〉、〈Matador〉の5レーベル。

もう、UKインディの大きなところほぼすべてじゃないですか。まさかビートがそんなことになるなんて、大村くんも夢にも思わなかったでしょ。

大村:思ってなかったですね。じつは2000年代からずっといろんな話が来ていたんです。いろいろ断っていた話はたくさんあるんですけどね。

若鍋:ただね、時代が良ければメジャーがやっていてもおかしくないようなビッグ・アーティストを、もう日本で誰もやらなくなっちゃった状況があるじゃないですか。

それはそうなんですよね。

若鍋:となると結局、マーケットがシュリンクすることを受け入れる感じになっちゃうし、そこにビートは我関せずではいられないよねっていうことで、ぼくらもちゃんとリスペクトのあるレーベルと仕事しているっていう話なんですけど、正直レーベルを取り合うような状況になったことはほとんどないんですよ。

単純に、カウンターではいられなくなってしまったと。

若鍋:海外でどういう新しいエキサイティングなことが生まれているのか? っていう考え自体が、日本においてはレフトフィールドなものになっちゃっているっていうことなんでしょうね。

海外文化の新しいもの自体が日本ではレフトフィールドになっているにではないかという感覚があるんですね。ただ、向こうのインディ・レーベルと直に仕事をしていると、良い意味で刺激を受けますよね?

若鍋:今週のチャートがまさに、1位がサブリナ・カーペンターで2位がフォンテインズD.C.で。いまはトップ・チャートも全然インディで、ブラック・カントリー・ニュー・ロードとかもトップ3位を獲ってるから、新人がトップ5とかってもうザラにあって。彼らはそれを本気で狙っているから、いいなと思います。

フォンテインズD.C.やBCNRみたいなロックは、UKでは、インディでもメインストリームとも言えるだろうし、自分たちもオリコン・チャート1位目指すぞ、と(笑)。

若鍋:物怖じはしないでおこうと思います (笑)。

ビートインクとして、紹介するのは、UKのインディ・シーンにこだわってますか?

大村:たとえばUSだと〈ROIR〉とか、〈Gold Standard Laboratories〉みたいなレーベルも扱っていたし、90年代のカーティス・マントロニックがいた〈OMW(オキシジェン・ミュージック・ワークス)〉はニューヨークのレーベルだったと思うんですけど、そこから出たアルバムの日本盤を出したりしてましたし、とくにUKにこだわってはいないです。ただ、やっぱり〈On-U〉、エイドリアンを起点に広がったところがあるので、そうなっているのかなと思いますね。

ビートインクは、海外の最高にエキサイティングな音源をいまだに日本で配給している拠点だし、海外で起きていることを伝えるメディア的な役目も果たしているわけだし、ほんとうに頑張ってほしいなと思いますね。最後に、これからの展望なんかも聞かせてもらえたらと思います。

大村:2000年代に〈Warp〉と〈Ninja Tune〉と契約して、2010年代には〈Domino〉や〈Beggars〉も来て、ずいぶん変化しているように見えるかもしれないけど、美意識がちゃんとあれば、ずっと続けていけるかな、と。

この会議室にもリー・ペリーの写真が飾ってあるぞ、と(笑)。

大村:リーに見られても恥ずかしくない生き様で続けていこう、と思います(笑)。

若鍋:時代とともに「なにがレフトフィールドなものに見えるか」みたいなことも変わっていますよね。ビートの軸は変わらないけど、マーケットが変わっていったら、それによってビートインクがやっていることは変わっていっているように見えているかもしれない。でも、じつはビートのアティチュードや信念みたいなものは変わっていないし、たぶん、それはいつの時代にも必要とされるものなんじゃないかと思います。

そして最終的には、30周年のイベントを、エイドリアン・シャーウッドを迎えてやると。さすがですね、立派に筋が通っています!

一同:なので、9月14日の30周年パーティにもぜひ足を運んでください!

DJ Ramon Sucesso - ele-king

 ラモンは私のレーダーに映った。何の前触れもなく、自然に。2トン爆弾が腰に突き刺さるかのように。ウェブ上に蔓延しているバイラル動画が、ドゥーム・スクロール中の私の注意を引いたのだ。各動画は、TikTokのバイラル・アテンション・スパンにぴったりな短いもので、何の変哲もない室内(おそらく彼の寝室)で撮影され、ラモンがパーソナル・デッキの前で最初からコントローラーを操作し、ヴォーカルと散らばったビートをその場で何段階にもミックスしている。コール・アンド・レスポンスのサウンドスケープは瞬く間に合体し、解決への疑念は消え去り、轟音とどよめきのベースビートが鳴り響くたびにカメラが激しく揺れ、404のエラー・イマジネーションは大きく損なわれる。
 ラモン(ブラジル人、21歳)は、リオデジャネイロにほど近いノバ・イグアスのパルハダで生まれ育った。ファベーラ・ファンクのカリオカに膝まで浸かり、ビート・ボーリャから発せられる火花を屈伸させながら、まるで金属鍋の上で熱々のベーコンをジュージューと焼くような揺れのひとつひとつにアフリカの伝統を見せつける。

 ラモンの動画のテイスト(味)は、緊急に冷やした夏のフルーツに似ている。ラモンは、ほとんど忘れられた一族の末裔だ。DJデッキのまわりで何気なく踊りながら、たまにミキサーのツマミに触れ、自分たちが魔法を生み出し、オーディエンスが天才を目撃していると錯覚させるようなUSBメモリ使いのDJたちとは一線を画しているのだ。いまや多くの場合、DJはAIプレイリスト・セレクターと何ら変わりなく、オリジナル・トラック制作者の手柄を横取りしている。それゆえ、DJのスペクタクルはテクニックや才能ではなく、いかにセクシーに見えるか、エキゾチックに見えるか、いかにイヴェントを楽しく見せるかにある。観客を魅了するDJソーダの魅惑的なポゴ 「ジャンプ 」を思い浮かべてほしい。

 ラモンは、おそらく知らず知らずのうちに、実際にDJをしていた本物のDJたちの弟子であり、エレクトロニック/ダンス・ミュージックを革新してきた黒人の長い系譜に連なる革新的な信念の持ち主だ。ジャマイカのサウンドシステム・ヤーマン・ヴァイヴスや初期のニューヨーク・ラップの黄金期に習得された数々のテクニックのエコーが、彼の若い手に反映されている。
 しかし、彼は使徒でもある。機材を使い、マッシュし、スマッシュし、ミックスし、サノスの存在から新しい何かを振動させる。ラモンはDJ機材を選曲マシーンではなく、楽器のように扱う。ラモンは決して動きを止めず、創作に対する彼の精神的な鋭敏な注意は、絶対的に明瞭で白黒はっきりしている。ネット上の動画はどれも短く、ミキシングはダンスフロアの脳をメルトダウンさせるために振り切れている。

 よって、ブラジル行きの飛行機に乗れない私たちの多くが知りたいのは、芝居がかった動画ではなく、彼の長く録音されたミックスがいったいどんなものなのか、ということ。新たなスターダムを知るにはいいタイミングだろう、私はレーベル〈Lugar Alto〉から2023年末の11月にリリースされたリリースを手に入れた。
 最初に言っておく。ベースが鳴っていない。多くの人が彼のミキシング・スペクトラムの幅広い使い方に慣れているいま、ミックスは期待するほどドラスティックではない。私たちは皆、自分のステレオやiPhoneがそれを扱えることを知っている。『Sexta dos Crias』はふたつの長いミックスで構成されている。完全に楽しめるし、彼のユニークなスキルから期待されるべきものだ。しかし、他のダンス・レコードの中で完全に際立っているわけでもない……トラック2の途中までは。
 “Distorcendo a Realidade"では、急にテンションが上がり、彼の動画にあったダーティな雰囲気にへと変化する。ここまで来るのに時間がかかるのはどうかと思うが、だからといってそれまでの数分間が無駄というわけではない。いや、彼の計り知れない才能を判断するには、別のメディア、別の創作形態、圧縮の幅が必要なだけだ。『Sexta dos Crias』の2曲は、ほとんどのミックスがそうであってほしいようなペースで進んでいく。しかも彼はこれをリアルタイムでやっているわけだ! 私がDJプレイにこれほど興奮したのは、ジェフ・ミルズを見て以来のことだ。踊りたい、興奮もしたいし、絶頂に達するほど刺激されたい。DJが実際にデッキでパフォーマンスするのを見ることで、私の注意を惹きつけてほしい。世界中のDJがこのことに注目し、ベッドルームに戻って自分の能力をスパイスアップすることを願う。DJラモンは他の追随を許さない。

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Ramon came on my radar like any genuine sensation should. Spontaneously and without warning. Randomly and like a two ton bomb to the waist. Videos viral in their pervasiveness across the web caught my attention while doom scrolling. Short and perfect for TikTok viral attention span, each video was simply shot in one non-descript inside location ( possibly his bedroom?) with Ramon in front of his personal decks massaging the controllers from the get go, conjuring a multi level on-the-fly mix of vocals and scattered beats. The call and response soundscape quickly coalesces, all doubt of resolution is killed, and the 404 error imagination is severely damaged by the camera shaking violently with each thunderous, throbbing bass beat.
Ramon, Brazilian, 21 years old born and raised in Palhada, Nova Iguaçu, an area close to Rio de Janeiro, knee deep in favela funk carioca flexing the sparks emanating from beat bolha, shows his
African heritage with each tremor that sizzles hot bacon as if on a metal pan.

The taste of a Ramon video is similar to summer fruit chilled for immediate effect. Ramon follows in a line almost forgotten among 2024 USB stick carrying DJs who casually dance around dj decks only once in a blue moon touching the knobs of their mixers to make the dancing public falsely believe they are creating magic and they, the audience , witnessing genius. Often times djs are no different than AI playlist selectors taking the credit for the original track maker’s creation.
Hence the spectacle of Djing isn’t on technique or talent now but how sexy you look or exotic or how fun you make the event seem.
Ramon, most likely unknowingly, is a disciple of the OG DJs who actually DJed, a innovation believer in a long line of Black people innovating electronic / dance music. Echoes of the many techniques mastered before in Jamaican sound system yah-man vibes and the golden age of early NYC rap are reflected in his young hands.

But he is also an apostle. Using the equipment to mash, smash, mix and vibrate out of Thanos existence something new. Ramon treats DJ equipment like an instrument rather than a track selecting machine. Ramon never stops moving and his mental acute attention to creating is black and white with absolute clarity. Each video online is short and mixing is left in the red for dance floor brain meltdown.

So that brings one to wonder what would a longer recorded mix without the video theatrics sound like since most of us can’t grab a flight to Brazil. Just in time to capitalize on his new stardom, we have been graced with this first release put out in November at the tail end of 2023 by label Lugar Alto. I will disappoint you first. The bass ain’t bass-ing. The mix isn’t as drastic as one would hope especially as many people are now used to his wide use of the mixing spectrum. We all know that our stereos and iPhones can handle it. “Sexta dos Crias” comprises only 2 long mixes. Entirely enjoyable and what we should expect from his unique skills. But it also doesn`t stand out entirely from other dance records..... UNTIL mid way through track 2
“Distorcendo a Realidade” which suddenly turns waaaay up and gets grimy dirty resembling his videos. Too bad we have to wait so long but that doesn’t mean the preceding minutes are a waste. No, just a different medium, a different form of creation and compression range to judge his immense talent. The 2 tracks of “Sexta dos Crias” move at a pace that I wish most mixes moved at. Mind you he does this in real time! I haven’t been so excited about DJ work since I saw Jeff Mills. I want to dance but I want to also be excited and stimulated to the point of climax. I want the DJ to earn my attention in watching him actually perform on the decks. I hope all DJs worldwide take note and go back to their bedrooms to spice up their abilities. DJ Ramon is unmatched.

interview with Fat Dog - ele-king

 サウス・ロンドンのカオスを生み出すバンド、ファット・ドッグのエネルギーは本当に凄まじいものがある。暗く激しく、それでいてユーモラスなエネルギーがぐるぐるぐるぐると渦を巻くようにして迫ってくる。その熱に触れてみたいと手を伸ばしたくなるような、彼らの音楽を聞いているとふつふつとそんな思いが湧き上がってくる。ファット・ホワイト・ファミリーの邪悪なユーモア、HMLTDの大仰なロマン、ヴァイアグラ・ボーイズの人を食ったようなふてぶてしさ、PVAのネオンの明かり、それら全てを彷彿させながらそれらのどれとも似ないカオスを生み出すバンド、ヤバいという言葉がこんなにも似合うバンドはなかなかないだろう。
 ファット・ドッグは2020年のロックダウンのさなか、中心メンバー、ジョー・ラヴの部屋で生まれた。彼は抑圧された心、そうして身体を解放するかのようにひとりエレクトリックでハードな曲を作り続けた。それは彼が以前所属していたポスト・パンク・サウンドのバンドDREXXELS(Peeping Drexels)とはかけ離れたもので、しかし同じように、あるいはそれ以上に、ライヴの熱を求めたのだ。
 制限が解除され、サウス・ロンドンのライヴ・ハウス、ウィンドミルで他のバンドをやっていたメンバーが出会い、そうして部屋の中のアイデアが具現化され身体を持った。エネルギーに名前が与えられ、サウンドは夜を重ねるごとに熱を帯び、飢えた獣の身体は肥大化していく。「サックスをバンドに入れないこと」。ジョー・ラヴが最初に立てた誓いはあっという間に破られて、やがてサックス奏者のモーガン・ウォレスが加入した。そしてその音がファット・ドッグにさらなる熱をもたらしたのだ。サックスをプレイしている意識ではなく音のレイヤーのひとつを加えるという感覚だとそう彼女は言うが、そのレイヤーはバンドの中でなくてはならないものなった。
 長らく正式な音源が1曲もなかったという状況の中、彼らはライヴを重ねファンベースを拡大していく。そうしてそれが騒ぎになって、曲をリリースしていないにもかかわらずスポーツ・チーム、ヴァイアグラ・ボーイズ、ヤードアクトのサポートに抜擢された。そこで目撃した観客が彼らを知って、それを広めて……そうやってまた口から口に評判が広がっていく。それは古き良きバンドの成功物語を思い起こさせ、同時にSNSを通し熱が伝わる現代の渦を感じさせもする。

 そんな彼らが〈Domino〉と契約を果たし曲をリリースしたのが去年、23年のこと。それから1年、2024年9月6日についに1stアルバム『WOOF.』がリリースされる。さらにはなんと12月に大阪、名古屋、東京で来日公演がおこなわれるというのだ(インタヴュー後に正式にツアーの発表がなされた)。アルバムにそしてライヴ、ここに来てさらにギアを上げるファット・ドッグ。デビュー・アルバムのリリースを前にサックスのモーガンと鍵盤奏者のクリス・ヒューズにこのカオスを生むバンドについて話を聞いた。あるいはふたりの目を通し完璧主義者だという創始者ジョー・ラヴの感性が見えてくるようなそんなインタヴューにもなっているかもしれない。それにしても何かがはじまりそうな、ヤバい匂いがプンプンだ。

人間がどんなに壊れていても、アイデアそのものは生き残ることができる、って彼は言いたかったんだと思う。(M)

日本のインタヴューは初めてなので、まず最初にメンバーの紹介をお願いします。

モーガン・ウォレス(Morgan Wallace、以下MW):私はサックスとキーボード担当で、クリスがキーボードとシンセサイザー担当、ジョー・ラヴがヴォーカルとギター、ジャッキー・ウィーラーがベース、ジョニー・ハッチンソンがドラムス担当ね。

ファット・ドッグはどんな経緯で結成されたのでしょうか? メンバーはそれ以前からバンド活動などしていたのでしょうか? ジョー・ラヴはPeeping Drexelsにいましたよね?

MW:そうそう。ジョーはPeeping Drexelsにいて、他のメンバーも全員ロンドンでなんらかのバンドをやっていて。みんなそれぞれ違うバンドでプレイしてたんだけど、ウィンドミルでギグをやることが多かったから、それで知り合ったという感じ。このバンドは、ジョーがロックダウン中の2020年に結成した。他の多くのミュージシャンと同じように彼も外の世界でやることが何もなくなってしまったから、曲作りに没頭するようになったんじゃないかな。ロックダウンの間、自分のベッドルームで楽曲の核となるエレクトロニックなパートを作曲するようになって、それで規制が少し緩和されるようになってから、ミュージシャンを集めてバンド活動をはじめて。エレクトロ・ミュージックをベースに、そこに私たちの音が乗っていったという感じかな。そこから彼がさらに楽器を増やして、で、ライヴをやるようになったみたいな流れ。何年もの間、生の音楽に触れてこなかったから、みんなが求めているものはライヴなんだって思ったっていうのもあって。ライヴ限定のバンドという感じではじまったのはすごく良かったと思う。少しずつバンド活動に対する意識も変わってきてはいるけどね。

ファット・ドッグというバンド名はどのように決めたのでしょうか? アルバムの最後に名前とひっかけたような「人間を殺すことはできても犬を殺すことはできない」という言葉が出てきますが、活動をしていくうちに「Dog」という言葉になにか特別なニュアンスが出てきたということはありますか?

MW:ジョーが考えたバンド名だからな。でもウィンドミルでのギグが決まったときに、ブッカーのティム・ペリーが彼に「ポスターにバンド名を書きたいんだけど、なんて書けばいい?」って訊いて、それで急いでキャッチーな名前を考えなくちゃならなくなったって話があって。だからたぶん名前に深い意味はないと思う。バンド名について、少し前にジョーと話し合ったことがあるんだけど、ふたりとも2音節の名前がキャッチーでバンド名としてはすごく良いよね、って言ってて。でも、私たちの評価を通して、バンド名にも少し意味が出てきたような気がする。あのフレーズはシンセ・プレーヤーのクリスが書いたんだけど、クリスはサヴァイヴァル能力に長けているから、人間がどんなに壊れていても、アイデアそのものは生き残ることができる、って彼は言いたかったんだと思う。ツアー中はどんなに寝不足でも、どれだけたくさんの飛行機に乗らなきゃいけないとしても、ステージで生きるための術を私たちは学ぶことができるから。そういう意味が込められているんじゃないかな。

いまはもちろん重要なアクセントになっているかと思いますが、結成当初作ったルールに「音楽にサックスを持ち込まないこと」というのがあったという話があります。これは21年当時大流行していたウィンドミル・シーンのポスト・パンク・バンドへのカウンターを意識したものだったのでしょうか?

MW:そういう意味もあったかもね。ジョーが前にやっていた Peeping Drexels はポスト・パンク・バンドだったから。彼がファット・ドッグの音楽を作りはじめたときはひとりでコンピュータで作っていたんだけど、以前のバンドとは対極にあるようなサウンドで。いわゆるダンス・ミュージック。ダンサブルなサウンドで、とにかくみんなを踊らせたいっていう欲望があった。もちろん私はサックス・プレイヤーだから、彼の意見には同意しかねるけど、サックスを取り入れたポスト・パンク・バンドがたくさん存在していたのはそうだったと思う。たしかにサックスを入れることで、目新しさを感じるからね。それに対し私のファット・ドッグでの役割について言うと、いわゆる普通のサックスを吹いていないということ。私はジャズ・ミュージシャンで、ときどきジャズも演奏しているけど、そういうものとファット・ドッグとでは全く異なるプレイの仕方をしているから。私だけじゃなくて全員が自分の楽器が目立つような演奏をなるべく避けるようにしている。私たちが目指すのは全体としてまとまりのあるサウンドだから。それぞれの楽器はひとつのレイヤーに過ぎないというか。そんな感じだから、私はサックスをプレイしているという意識はしてない。自分が出す音はあくまでもレイヤーのひとつであってとてもリズミックなサウンドだから。アルバムにしても、サックスというよりもエフェクトやレイヤーのひとつという感覚でプレイしているし。それが効果的に使われているみたいな。いわゆる目新しくて目立つようなサックスではなくて、ものすごい大音量で爆発する音だったり、抑えめのトーンで淡々と演奏したり。いわゆるステレオタイプなサックスではないと思うけど、それでもジョーが言ったことは承服しかねるかな(笑)。

以前はジャズ・バンドにいたんですか?

MW:大学でジャズを勉強して、いくつかのジャズ・バンドに参加していたけど、その他にもいろいろやってた。ファット・ドッグ以前にもジャズではないバンドもやってたし。ただサックス・ソロを吹きたくてこのバンドに参加したというわけではなくて。

(ここでクリスが入ってくる)

いまちょうどファット・ドッグ以前にも音楽をやっていたのかどうか訊いていたところだったのですが、クリスはどうですか?

クリス・ヒューズ(Chris Hughes、以下CH):モーガンほどの器じゃないけど、僕もクラシックとジャズが好きで育ったんだ。それに、ダブル・ベースもプレイしていたね。高校を卒業して昔からの友人たちとバンドを組んだりしたけど、本当にゴミみたいなバンドだったよ。みんなが好き勝手にソロを弾きたがるようなバンドで、クソみたいなサウンドだった(笑)。ファット・ドッグに加入するまでは音楽業界みたいなものには全然縁がなくて。まぁいまでもこういう環境には全然慣れないけどね。すごく変な気分だよ。ずっと大規模なオーケストラやビッグ・バンドで演奏していたから、6人組の、言ってみればポップ・バンドでプレイするのは本当にそれとは全く違う経験なんだ。ギグをやることにしろ、他のバンドとの奇妙な競争みたいなものにしろ、ビッグ・バンドにいるときとはまるで違う。すごく変な気分だよ。

私のファット・ドッグでの役割について言うと、いわゆる普通のサックスを吹いていないということ。私はジャズ・ミュージシャンで、ときどきジャズも演奏しているけど、そういうものとファット・ドッグとでは全く異なるプレイの仕方をしている。(M)

そんなサウス・ロンドン、ウィンドミル・シーンは、あなたたちの眼から見てどんなふうに映っていましたか?

MW:ウィンドミル・シーンにいたのは何年か前から去年くらいまでだから何とも言えないけど、私もクリスと同じで、音楽業界という世界でバンド活動をするのが初めてだから、パブ・ヴェニューでプレイすることについてよりもそっち方が大きいかも。たくさんツアーに出て、海外で演奏するって本当に信じられないような体験だから。それ以前には旅行にもほとんど行ったことがなかったし。少し前にオランダでインタヴューを受けたんだけど、そのときに「ファット・ドッグを一言で表すと?」って訊かれて。ジョーは “トラベル” って答えていたんだけど、私も同じことを声を大にして言いたい。私たちの視点から見ると、このバンドは “旅” そのもの。ウィンドミル・シーンを飛び出して、もっといろいろなところでたくさんのギグをやるようになった。ずっと旅をしている気分で、これまで触れることのなかったより多くの文化や世界に触れているから。

ファット・ドッグの音楽はシンセサイザーのネオンのきらめきが印象的で、ある種のいかがわしさがあり、モノクロ・サウンドのポスト・パンク・バンドとまったく違っていて新鮮に聞こえました。活動をする上で影響を受けたバンドは何かあったのでしょうか?

MW:クリスは誰を挙げる?

CH:曲によるかなぁ。それに、いろいろな曲の影響や要素をひとつの曲にたくさん詰め込んでいたりもするしね。大きなインスピレーションのひとつに、ScootaとThe Intergalactic Republic of Kongoを挙げられると思うけど。そのふたつは、ジョーが曲作りの上で大きな影響を受けていることは間違いないね。それに、映画や映画音楽にも多大な影響を受けているよ。

MW:レコードのヴァージョンは、つねにライヴ・ヴァージョンとは違っているからね。だから最初にレコーディングに入ったときはなんだか変な気分だった。ライヴとは全然違うものになるなと思ったから。でも、実際にアルバムを作ってみたらライヴとはまた違った良さがあることに気付いて。ストリングスとかレイヤーをたくさん重ねることの良さというか。そういうものはライヴのステージでは再現できないから。フルのストリング・オーケストラを入れる余裕はステージのサイズ的にも予算的にも不可能でしょ(笑)。

現行のバンドで共感しているようなバンドはいますか?

MW:Pink Eye Clubかな。すごく良いよ。男性のソロなんだけど、clubを名乗ってる(笑)。

CH:彼はすごく良いね。僕はGetdown Servicesっていうバンドがすごく好きなんだ。ブリストル出身の2人組で、とてもファンキーな音楽をやっているんだけど、歌詞がかなり攻めてて面白いよ。めちゃくちゃ良い人たちだし。彼らはとてもクールだね。自分たちにしかできない音楽をやっていて、まるで海みたいに毎回同サウンドが変化していく感じ。

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曲をリリースすることなく、死ぬほどたくさんギグをやってきたことで強固なファンベースを築くことができたんだと思うし、自分たちのコミュニティを築き上げることができたんだと思う。(C)

ファット・ドッグは曲を出す前から凄いバンドがいると評判になっていて、日本にいてもSNS上でのざわつき具合を感じられましたが、長らくの間正式な音源が1曲もありませんでした。それでYouTubeにあがっているライヴ動画を何度も見たりして。そういう状況はワクワクを感じるものでもあったのですが、長い間曲をリリースしなかったのはバンドの戦略的な部分もあったのでしょうか?

CH:まあ、ある程度は意識したところもあったと思うけど、完全に意図的なものだったとは思わないな。

MW:もちろんレコードのリリースに関してはつねに考えていたけど、最初の曲をリリースすることはかなりハードルが高かったかもね。特にジョーはかなりの完璧主義者だから。とにかく素晴らしいサウンドに仕上がるまで、焦るのはやめようというムードが漂っていて。それでしばらくレコーディングを試みていたんだけど、わずかなセクションのエディットにこだわりはじめたら止まらないというループに入ってしまって。とにかく完璧に仕上がるまでリリースするのは得策じゃないということになった。その一方でそういう考え方に深入りしない方がいいんじゃないかという思いもあったけどね。

そうだったんですね。端から見ているとこうした動きはバンドとして成功するために、まずサブスクリプション・サービスに曲をアップすること、プレイリストに載ることが大事だというようないまの風潮に一石を投じていたようにも感じられて。ライヴ活動でバンドが大きくなっていくという、ある種先祖返りしたような姿とSNSを通して噂が広がっていく現代的な要素のハイブリットみたいにも思えて。

MW:そういうもの(いまの風潮)からちょっと距離を置くことはいいんじゃないかという思いはあったかな。もちろん音楽業界に身を置いている限り完全に避けて通れるわけではないけど。でも売上とかそういう数字的なものは自分にとってはすごく不自然で、なんだか自分には関係ないものだと感じていて。自分たちのペースで曲をリリースしたいってね。だからアルバムをリリースするのはいまが最適と自分たちで感じたからじゃないかな。そういうものから少し距離を取っていられたのは良かったよね。

CH:そうだね。売上競争とか、本当に馬鹿らしいしそういうものに巻き込まれるのは変な気分だよ。でも、そんなふうに曲をリリースすることなく、死ぬほどたくさんギグをやってきたことで強固なファンベースを築くことができたんだと思うし、自分たちのコミュニティを築き上げることができたんだと思う。それって素晴らしいことだし、正しい戦略だったと僕は思うな。曲がリリースされていなければみんなが話題を作ってくれるし、ライヴに足を運んでくれているファンたちという基盤がないばっかりに、曲が埋もれてしまうということもないしね。リリースまでに300回でも400回でもギグをやっていれば、かなりの規模のファンベースを築けるし、ギグに足を運んでくれる人たちはきっとアルバムにしろ曲にしろきちんと聴いてくれると思うんだ。そうすることでまた注目を集めることもできるしね。

MW:それにそういう人たちは曲をより大切にしてくれると思う。多くの人たちが歌詞をすでに知っていたりするけど、ギグに来るにあたってもっとちゃんと歌詞を覚えてこなきゃって気にしてくれるでしょ。

CH:そうなんだよね。めちゃくちゃすごいことだよ。

そうした時期を経て〈Domino〉と契約したわけですが、〈Domino〉と契約した経緯について教えていただけないでしょうか?

CH:他には誰も僕たちと契約したいって言うレーベルがなかったから(笑)。他にも少し話をしたレーベルはあったんだけど、なんか70年代っぽい音楽をやりたいみたいな変なレーベルでさ。〈Domino〉は全然違っていて、もっと何か特別なものがあると感じたんだ。けっして大きなレーベルではないけど。もちろん、売れっ子のバンドもいくつか輩出しているけど、レコード会社としてはけっして大きくはないよね。それと〈Domino〉の社長のローレンスの存在も大きかったね。基本的に彼個人が好きなバンドと契約しているという。何度か僕たちのギグで彼を見かけたことがあるけど、ヘッドバンギングしてノリノリだったんだ。そういう個性があるし、〈Domino〉は他のレーベルに較べてすごく近しい感じがしたんだよ。一方で〈Island〉は偉大な伯父さんて感じで、〈Domino〉はお母さんって感じかな(笑)。

ロンドンのバンドでいうとソーリーやファット・ホワイト・ファミリーが〈Domino〉のバンドですか、レーベルについてどんな印象を持っていましたか?

CH:僕はもともと〈Domino〉所属のShirley Collingsとリチャード・ドーソンが大好きだったんだ。それにファット・ホワイト・ファミリーもね。たしか『Serfs Up!』が彼らが最初に〈Domino〉からリリースしたアルバムじゃなかったかな? この3組のショーは本当に素晴らしいよ。僕はクラシックなトライアド・フォークが大好きだから。Shirley Collinsにしろリチャード・ドーソンにしろ、トライアド・フォークをリヴァイヴァルさせるようなアプローチをしているんだ。それでいてかなりひねりが利いていて、すごく幅広いことをやっている。だから、その2組の印象がとても強いよ。

MW:私はソーリーがすごく好き。最新アルバムの大ファンで。一緒のレーベルに所属しているというのはとても嬉しい。それにベス・ギボンズもね。じつは彼女が〈Domino〉所属だって知らなかったんだけど、〈Domino〉の人と話しているときにその話題になって、「マジで! ゲストリストに入れて!」ってお願いしたの(笑)。それで〈Domino〉の人たちとバービカンでやったショーを観に行って。その2組と同じレーベルというのは嬉しかった。

聴く人がつねに憂鬱になるようなものはやりたくない。そういうものから抜け出せるようなものがやりたいんだ。(C)

曲についての質問もさせてください。あなたたちの音楽は、大仰でダークなエネルギーがあるのと同時に人を食ったようなユーモアがあって、それが新鮮でとてもワクワクさせられます。こうしたバランスは意識しているのでしょうか?

CH:いちばん大事なことは、この曲を100回演奏しても、それ以上演っても、そこに楽しみを見出せるような曲にするということかな。そこを一番に考えてる。でも良い曲にしたいのと同時にそうであって欲しくないとも思ってて。言葉で説明するのは難しいんだけど、耳当たりが良いだけじゃなくて、聴く人がクスッと笑えるようなところがある方が良いと思うんだよね。聴く人がつねに憂鬱になるようなものはやりたくない。そういうものから抜け出せるようなものがやりたいんだ。

MW:どの曲もすごく激しく畳みかける部分があるから、それを鎮めるような部分もないとね。いくつかの曲の歌詞は奇妙で抽象的なものを核に持っているけど、バンドとしてひとつにまとまっているということがいちばん大切なんじゃないかな。でも、そうね……私たちからしても面白いと思う言葉もいくつかあるし、ジョーがずっと同じ言葉を繰り返して全然終わらないこともあるし、いつも言うことが違うところもあるし。それが私たちにとっては本当におかしくて。そういうのを聴きながら演奏を続けるのは面白い。だから400回演奏してもいつも楽しいのかもね。

実際の曲作りは、スタジオでセッションしながら作っていく感じでしょうか? 何度かステージで演奏していくうちに完成していった曲などもありますか?

MW:ジョーが全ての曲のバッキング・トラックとエレクトロニックな部分を作っていて、各楽器のパートについてもいろいろとアイデアを持っているから、それを彼がリハーサルでコンピュータでプレイして、そこにそれぞれが肉付けしていく感じかな。初期のリハーサルはなかなかみんなで集まることができなかったんだけどね。自分たちの楽器についてはある程度のアイデアがあるから、みんなでいろいろと違ったものを持ち寄る感じ。ただジョーは横暴なところがあるから、彼がそれがふさわしくないと思えば、クソみたいなサウンドだな、ってはっきり言うけどね(笑)。みんなに完璧を求めるというか。

CH:唯一無二の視点を持っていつつ、全員の賛同は必要だけどね。

ジェームス・フォードとのレコーディングはどんな感じだったんですか?

MW:彼は〈Domino〉が薦めてくれたんじゃなかったかな。

CH:彼はアークティック・モンキーズとかとすでに一緒にやっていたからね。〈Domino〉からの信頼があった。それで、いくつかの曲のプロダクションをお願いしたんだよ。彼にやってもらって良かったよ。特にジョーの完璧主義が行き過ぎて、このままじゃアルバムを期日通りにリリースすることは不可能だ、下手したら何ヶ月も遅れるだろうってなったとき、軌道修正してくれる存在だったのが大きいね。ジョーに対して客観的な意見を述べることのできる存在だったというか。ジョーがスタジオに籠もってもう何週間も同じところにこだわりはじめておかしくなっていたときに「もうそろそろ次のパートに移ろうか」って言ってくれたり。ジョーの扱いに長けていたのはきっと彼の経験がものを言ったんだろうね。

MW:ジョーが言ってたんだけど、YouTubeで「In the Studio」とかっていうシリーズを観たらしいの。詳しくは覚えてないんだけど、それのジェームス・フォードの回を観て。それまで彼のことは知らなかったんだけど彼がプロデューサーを務めたものを観たんだって。それで実際に彼と一緒にプロダクションの仕事をしてみて、セカンド・アルバムを自分でプロデュースするための全ての技術を学んだって言ってた。だから自分たちでプロデュースすることのある一定の楽しさみたいなものが身についたのかもしれない。

改めてライヴについての話を聞かせて欲しいのですが、ファット・ドッグのライヴは画面を通してでもわかるくらいの凄まじいエネルギーを感じます。見ている人が口々に「ヤバい」と言うような狂乱やカオスがあって。バンドにとってライヴとはどのようなものなのでしょうか?

MW:私たちはいつも、110パーセントの力を出そうって言ってる。もちろん、何週間もツアーに出ていると、それを毎晩こなすというのはときどきとても大変だと感じるけどね。面白いのは、それぞれのメンバーがライヴについて独自の主観を持っているところ。何度もステージに立っていると、あるメンバーは今日のパフォーマンスは全然良くなかったと感じている一方で、他のメンバーは今日の出来は最高だった、って感じていたりすることがあって。けどそれも結局はどれだけのエネルギーを込められるかってことだと思う。パフォーマンスに関して自分でどうしても厳しくジャッジしてしまうから。私個人に関してはジョーがヴォーカルでガンガン攻めてくるようなときには、ステージ上でただ隣に立っているように見えてもじつは彼以上にガンガン攻めているってことが多いかもしれない。もし音楽が大音量で、胸に響くような鼓動を感じられたら、そんな状態になっているかも。私たちはみんな、いまでもそういうものを気持ち的にも、肉体的にも求めているんだと思う。私はサックス・プレイヤーだからそんな姿勢なのかもしれないけど、音楽を全身で感じていて。大音量でベースが胸に鳴り響いていく感じがして、それに自分も呼応していくみたいな。全身を使って演奏している。全身と、全脳の体験という感じかな。こんなサウンドにしようなんて、頭では全然考えていない。

いままでで印象に残っているライヴはどのようなものがありますか?

CH:Wide Awake(Festival, London)はかなりクレイジーだったね・

MW:Electric(Brixton, London)のショーもね。

もうライヴを見たくてたまらないという状態なのですが、先日、東京で「JAPAN TOUR」と書かれたあなたたちのポスターをちらっと見かける機会があって……日本でのライヴを期待してしまってもいいでしょうか?

CH:期待してくれても良いと思うよ。まだ決定かどうかはわからないんだけど、ある程度は決まっているんじゃないかな。

MW:私も早速予定表に入れたけど、どうなるのかな。

CH:僕も予定表に入れたよ。でも、実現するかどうかはまだわからないにしても、日本に行ける可能性があるなんてすごくクレイジーだよ。信じられなくてまだ頬をつねってるくらい。ものすごく楽しみにしてるんだ。

FAT DOG JAPAN TOUR
SUPPORT ACT: bed

OSAKA - 12.02 (MON) Yogibo META VALLEY
NAGOYA - 12.03 (TUE) CLUB QUATTRO
TOKYO - 12.04 (WED) LIQUIDROOM

OPEN 18:00 / START 19:00
前売: 7,200円(税込 / 別途1ドリンク代 / オールスタンディング) ※未就学児童入場不可
INFO: WWW.BEATINK.COM

チケット詳細

先行発売:
BEATINK主催者WEB先行: 7/24(wed)10:00
イープラス・プレイガイド最速先行受付: 7/30(tue)10:00~8/5(mon)23:59

[東京]
イープラス・プレオーダー: 8/6(tue)10:00~8/14(wed)23:59
LAWSONプレリクエスト: 8/6(tue)~8/12(mon)23:59
[大阪]
イープラス・プレオーダー、ぴあプレリザーブ 、LAWSONプレリクエスト:
[名古屋]
QUATTRO WEB先行、イープラス・プレオーダー、ぴあプレリザーブ、LAWSONプレリクエスト: 8/6(tue)12:00~8/12(mon)23:59

一般発売:8月23日(金)10:00~
[東京]
イープラス
LAWSON TICKET (L:72320)
BEATINK
INFO: BEATINK 03-5768-1277

[大阪]
イープラス
チケットぴあ
LAWSON TICKET
BEATINK
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Meitei - ele-king

 首を長くして待っていたみなさんに朗報です。冥丁が無事快復を遂げたようで、本人の急病により延期となっていた最新作『古風III』を引っ提げてのツアー日程が、あらためてアナウンスされている。8月2日から9月22日にかけ、新たに京都も加えた全国11都市での開催(札幌、前橋、東京、名古屋、大阪、和歌山、京都、岡山、福岡、別府、熊本。ただし東京および和歌山公演はすでに完売。詳細は下記より)。同ツアーでは「静」と「動」にフォーカスした2つのセットが披露されるという。各会場によっても変わるそうなので、冥丁の最新パフォーマンスをあなた自身の目で確かめておきたい。

 『古風III』をめぐる冥丁のインタヴューはこちらから。

冥丁 『古風』 完結編 TOUR 〜瑪瑙〜 [明・暮 二演目展開制]

日本の古い文化をモチーフにした唯一無二のオリジナリティーで脚光を浴びるアーティスト・冥丁の『古風』編三部作の最終章となるアルバム『古風 Ⅲ』の発売を記念した国内ツアーが全国11都市で開催!

冥丁の急病のため、開催延期となっておりました『冥丁「古風」完結編TOUR〜瑪瑙〜』ですが、冥丁本人の体調も回復し、延期日程が決定致しました!
 


「失日本」(LOST JAPANESE MOOD) = “失われつつある日本の雰囲気”をテーマに、時とともに忘れ去られる日本の古い文化や心象風景をノスタルジックな音の情景に再構築した作品群が高い評価を得ている冥丁が、『古風』編三部作の完結を記念し、札幌、前橋、東京、名古屋、大阪、和歌山、京都、岡山、福岡、別府、熊本の全国11都市で国内ツアーを開催致します。
 
本ツアーでは『古風』編3部作の動のエネルギーを展開する『明』(あけ)、静のエネルギーを展開する『暮』(くれ)と題した2種類の特別セットをご用意し、各地会場の雰囲気によってセットを変えてお届け致します。さらにヴァージョンアップしたライブセットをご期待ください。さらに、東京、京都公演には冥丁のライブでは初となるオーディオ・ヴィジュアルセットを披露します。(*東京、和歌山公演はすでに完売。)
ぜひこの機会をお見逃しなく!

[ツアー日程]
8/2(金)熊本・tsukimi
8/3(土)福岡・UNION SODA
8/4(日)別府・竹瓦温泉
8/24(土)大阪・CIRCUS Osaka
8/25(日)和歌山・あしべ屋妹背別荘 <完売>
8/26(月)名古屋・新栄シャングリラ
8/30(金) 東京・OPRCT<完売>
8/31(土)前橋・臨江閣 別館
9/7(土)札幌・PROVO
9/16(月・祝)岡山・東山ビル ニカイ
9/29(日)京都・京都文化博物館別館ホール

[全公演詳細 HP]
https://www.inpartmaint.com/site/38738/

[Tour Poster Design]
Ricks Ang (KITCHEN. LABEL)

 自分でも気付かぬうちに、スティーヴ・アルビニは私の人生を変えていた。彼の特定の作品との出会いによって啓示を受け、人生の中にそれ以前と以後という明確な境界線が引かれたということでは全くない。それよりも彼の影響は、私の育った音楽世界の土壌に染み込んでそれを肥沃にしたものであり、そうとは知らない私が無意識に歩き回った風景そのものだったのだ。ようやく獲得し得た視野と意識によって振り返ってみると、私が通ってきた世界のすべてに彼の手が及んでいたことを思い知らされる。

 世代的なことも関係している。1962年生まれのアルビニは、ちょうど1980年代にジェネレーションXが成人し始めた頃の音楽シーンで地位を確立し、彼の音楽とアティチュードはその世代の心に響く多くの特徴を体現していたのだ。

 彼の作品は挑戦的で、パンクが退屈さに怒りをぶつける方法をさらに推し進めたものだった。彼自身の初期のビッグ・ブラックやそれ以降の音楽の中で、児童虐待やレイプ、暴力について恥も外聞もなく言及し、その言葉は人種差別や同性愛嫌悪の枠をはるかに超えるようなものだった。それでも後年には、彼のそういった挑発を裏打ちしていたのは無知と特権意識によるものだったという反省を、恥ずかしがらずに口にしてみせた。彼はこれらの考察を自分自身の個人的な言葉で組み立てることに細心の注意を払ってはいたが、それは同時に、1980/90年代の慣習に逆らった、エッジ―なポップ・カルチャーの多くが社会の隅に追いやられた人々の実生活の経験について、いかに無頓着で認識が甘かったのか、さらに、批評的かつ皮肉な出発点から一線を越えてしまったアートが、いかに他の人々に、昨今彼もよく目にするようになった本物のヘイト(憎しみ)によって、同じようなことを言うための扉を開いてきたかについての鋭い分析でもあった。

 アルビニの場合、人々に衝撃を与えたいという意欲が、彼のもうひとつの側面であるメインストリームといわれるもの全般、特に音楽業界の偽善的な常識を無視する姿勢と密接に結びついているのだ。ピクシーズ、ブリーダーズ、PJハーヴェイ、ニルヴァーナやジミー・ペイジとロバート・プラントなどの多大な影響力のあるアルバムの仕事で軌道に乗った、彼のレコーディング・エンジニアとしてのキャリアでは、業界のゲームに参加さえすれば莫大な金を稼ぐことができたのに、インディペンデント・アーティストに拘り続けた。

 そして、彼が実際に一緒に仕事をしたアーティストたちの話を聞いてみると、近年の内省的なアルビニは、以前の作品から想像されるような口汚い挑発者とそれほど対照的ではないかもしれないことに気が付く。そこから伝わってくるのは、自分の意見についてはぶっきらぼうで率直だが、バンドが望むものを達成するために自分の持つ専門知識を惜しみなく差し出して深い集中力でもって彼らを手助けするという人物像だ。1990年代にアルビニとアルバムを録音したバンドのメルトバナナによると、彼らは自分たちがレコーディングの主導権を握り始めた時の彼の寛大さを強調し、「3枚目を自分たちでレコーディングすると決めた時に、録音のアドバイスや必要な機材について尋ねると、たくさんのことを教えてくれた」と語った。ZENI GEVAの一員としてアルビニと仕事をした田畑満は、彼のことを「レコーディングについて知ることが、音楽の秘密に近づくことに繋がると気付かせてくれた人」と言い表した。

 彼が私自身の音楽世界に与えた影響の大きさが、長いこと私のレーダーから影を潜めていたことの理由のひとつに、彼が手掛けた多くの作品での自分の役割を最小限に抑えようとしていたことがある。プロデューサーとしてよりも、エンジニアとしてクレジットされることを好み、多くで偽名を使っていたことでも知られている。彼の死を知った後で、自分の持っているレコードを確認すると、アルビニが録音した作品でのクレジットは、Ding Rollski (シルヴァーフィッシュの『Fat Axl』)、Some Fuckin’ Derd Niffer(スリントの『Tweez (トゥイーズ)』)、そして彼の猫のFluss (ガイデッド・バイ・ヴォイシズの『アンダー・ザ・ブッシズ・アンダー・ザ・スターズ』の数曲)などとなっていた。それでも、ピクシーズとブリーダーズのキム・ディールはインタヴューで、彼が認めたがるよりもはるかに、スタジオでの影響力は絶大だったと示唆している。

 ビッグ・ブラックやシェラックにすでに影響を受けていたバンドが、‶スティーヴ・アルビニ・サウンド〟を求めて彼のエレクトリカル・オーディオ・スタジオでレコーディングを行ったことには、ほぼ間違いなく(とりわけ時が経つにつれて)、自主的な選択がはたらいていた傾向にあるが、やはり、彼の作品全体に繰り返し見られる識別可能な特徴があったのも確かだ。彼はアナログで作業することを好み、(田畑は「彼は世界最速のテープ・エディターでもあり、DAW使用者よりも速かった」と語っている)、ほとんどの装飾を取りはらった、広がりのあるサウンドを創りだした。彼の録音では、ドラムの自然なリヴァーヴを好んだことで、まるでミュージシャンと同じ部屋に一緒にいるかのような感覚が味わえる。彼の録音の多くに、独特のクランチーなベースのサウンドとスクラッチのような耳障りなギターがフィーチャーされている。それは、個別のアーティストたちが目指したゴールに応じて微調整された還元的で多様な作品の要約ではあるが、アルビニ自身の作品群をはるかに凌駕し、彼に影響を受けた何千人ものアーティストやエンジニアたちの作品にこだましたサウンドなのだ。そしてこのサウンドは、私が東京のミュージック・シーンに参入して足場を固めようとしていた頃の東京中のアンダーグラウンドのライヴ・ハウスで鳴り響いていたものであり、私が観たり一緒に仕事をしたりした全世代のアンダーグラウンド・バンドの作品を彩っていたものだった。

 彼が築き上げるのを手伝った音楽世界で育った者としては、スティーヴ・アルビニの死去によるひとつの世代の衰退を感じざるを得ない。彼が後悔していた‶クソなエッジロード(重度の厨二病患者)〟のことばかりではなく、彼が精力的に支持した反メインストリーム主義のDIYのエートス全体が、ますます過ぎ去った過去の遺物のようになってしまう――少なくとも、当時のような形ではなくなっていくのが感じられる。インディとメインストリームのニ極化的な対立や、それに付随する‶裏切り〟という非難は、文化的な戦線が他に移行し、オルタナティヴが必ずしもミュージシャンにとって経済的に存続可能な空間でなくなってきている現在においては、さほど重要な意味を持たなくなっている。アルビニ自身も、90年代に比べて独立系ミュージシャンが生きていくのがいかに難しくなったかについて言及している。彼がどれほど手頃な価格でスタジオを提供しようとしても、エレクトリカル・オーディオのようなインディに優しいスタジオでさえ、そのコストは大半のアーティストにとって回収できる金額を超えているのだ。

 これは、我々が失った世界への自分ではどうすることもできない類の叫びなのかもしれないが、それでもスティーヴ・アルビニの死は、私に音楽界のコミュニティにとって必要な物の多くを浮き彫りにしてくれた。我々には、疲れを知らずに働き続け、自分が勝ち得た成功を惜しみなく、まだ道を切り開こうとしている人々を支援するために活用できる人、潮流が自分に著しく不利に傾いた時でも、倫理的に正しいと信じることを貫き通せる人、過去の過ちを認識し、必要な時には新たな方向性を示すキャパシティの広さを持つ人、そして、私たちが間違ったことをしている時に、そうと教えてくれる辛辣な知性を備えた人々が必要なのだ。

 ミュージシャンが亡くなると、天国で他の偉大な仲間たちとジャム・セッションをする場面を想像したりするという、お決まりの言い回しがある――ジェフ・ベックのギターに、チャーリー・ワッツのドラム、そしてベースはウォルター・ベッカーといった具合の。スティーヴ・アルビニのファンの何人かは、これらの天使になった巨匠たちには、ようやく天上の世界で自分たちのことをクソだと進言してくれる人ができたのだと提言している。

私自身はスティーヴ・アルビニと直接知り合う機会はなかったものの、東京のアンダーグラウンド・シーンにいれば、必ずや彼と知り合いだった人に行きあたる。上に引用したように、この記事を書いている間に何人かに話を聞き、彼らのコメント全文を掲載するべきだと思ったので、ここに記す。

「スティーヴ・アルビニはレコーディングについて知ることが、音楽の秘密に近づくことに繋がると気付かせてくれた人。彼は世界最速のテープ・エディターでもあった――DAWユーザーよりも速いほどの。彼が恋しい。一緒に音楽を創ってくれてありがとう、スティーヴ。」
 田畑 満

 「スティーヴが亡くなったことは本当に悲しいです。彼は私たちの最初の2枚のレコードを録音してくれました。私たちは彼の昔の自宅のレコーディングスタジオでアルバムを録音しました。みんなで彼の家に泊まって過ごした時はとても楽しかったです。3枚目を自分たちでレコーディングすることを決めた時に、録音のアドバイスや必要な機材について尋ねると、たくさんのことを教えてくれました。それに、彼のバンド、シェラックとアメリカ、イギリス、フランス、ドイツで一緒にライブすることができて本当によかったです。私が彼の姿で一番よく覚えているのは、1枚目のレコーディングの時に彼がミキシングボードに向かって、深夜まで一人で黙々と作業をしていた後ろ姿です。その時、私は彼が飼っていた猫のFlussとずっと遊んでいました。彼は、私たちにたくさんのことを与えてくれました。スティーヴ、ありがとう。」
メルトバナナ/Yako/Agata


How Steve Albini secretly changed my world


By Ian F. Martin

Without me even noticing it was happening, Steve Albini changed my life. There was no single revelatory encounter with his work that drew a clear line in my life between before and after. Rather his was an influence that seeped into and fertilised the ground of the musical world I grew up in — a landscape I walked ignorantly around, before eventually gaining the perspective and consciousness to look back and see his hand in everything.

Part of this is generational. Born in 1962, Albini established himself in the music scene just as Generation X began coming of age in the 1980s, and his music and attitude embodied a lot of the characteristics that generation took to heart.

His work was confrontational, taking the way punk railed against boredom even further. In his own early music with Big Black and beyond, he wasn’t shy about making references to child abuse, rape and violence, language that stepped way beyond the boundaries of racism and homophobia. But nor was he shy in later years about reckoning with the ignorance and privilege that underscored a lot of his provocations. While he was careful to frame these reflections in his own personal terms, they were also an incisive breakdown of how carelessly naive a lot of transgressive or edgy 1980s/90s pop culture was about marginalised people’s real life experience, and how art that crossed those lines from a critical or ironic startpoint opened the door for others to say similar things with the genuine hate he came to see so widely around him in recent times.

In Albini’s case, his willingness to shock also went hand in hand with another of his defining characteristics: his disregard for the hypocritical niceties of the mainstream generally and the music industry in particular. As his career as a recording engineer took off with influential albums by the Pixies, The Breeders, PJ Harvey and Nirvana, not to mention his work with Jimmy Page and Robert Plant, he could have made obscene amounts of money by playing the industry game, but his focus remained on independent artists.

And it’s when talking to the artists he actually worked with that the reflective Albini of recent years feels like less of a contrast with the foul-mouthed provocateur his earlier work might lead you to imagine. The picture that comes across is of a man who was blunt in his opinions but deeply focused on deploying his expertise to help bands to achieve what they want. Speaking to the band Melt-Banana, who recorded with Albini in the 1990s, they highlighted his generosity when they began to take control of their own recording, noting that, “When we decided to record our third album ourselves, he gave us a lot of advice and equipment we needed, and he gave us all sorts of information.” Mitsuru Tabata, who worked with Albini as part of the band Zeni Geva, described Albini as “the man who made me realise that getting to know about recording could help get me close to the secret of music.”

Part of why the extent of his impact on my own musical world stayed under my radar for so long was down to the way he minimised his role in so much of the music he worked on. He famously preferred to be credited as an engineer rather than a producer, and in many cases worked under assumed names. Looking through my records after learning of his death, I found Albini’s recording work credited variously to Ding Rollski (Silverfish’s “Fat Axl”), Some Fuckin’ Derd Niffer (“Tweez” by Slint) and his cat Fluss (a couple of tracks on Guided By Voices’ “Under The Bushes Under The Stars”). Still, in interviews, Kim Deal from the Pixies and The Breeders has suggested that he was a far more influential factor in the studio than he liked to admit.

There was almost certainly (and especially as time went on) something self-selecting in how bands already influenced by Big Black and Shellac recorded at his Electrical Audio studios because they wanted “the Steve Albini sound”, but there were nonetheless identifiable characteristics that recurred throughout his work. He preferred to work analogue (Tabata remarks that “He was also the fastest tape editor in the world — even faster than DAW users”) and created a spacious sound with most of the frills stripped away. His recordings show a preference for natural reverb on the drums that creates a sense of them being there in the room with you. Many of his recordings feature a distinct, crunchy bass sound and scratchy, abrasive guitar. Of course this is a reductive summary of a diverse array of work that was finetuned according to each individual artist’s goals, but it describes a sound that reverberated far beyond the body of Albini’s own work into that of the thousands of artists and engineers who were influenced by him. It’s a sound that rang through basement live shows across Tokyo when I was first finding my feet in the music scene here, and it coloured the work of a whole generation of underground bands I saw and worked with.

As someone who grew up in the musical world he helped build, it’s hard not to see the fading of a generation in the passing of Steve Albini. Not just the “edgelord shit” he came to regret, but also the whole anti-mainstream DIY ethos Albini supported so vigorously feels increasingly like a relic of a generation whose time has gone — at least in the form it took at that time. The often confrontational dichotomy between indie and mainstream, and the related accusation of selling out, carry far less weight nowadays as cultural battle lines shift elsewhere and the alternative ceases to be a financially viable space for musicians. Albini himself remarked on how much more difficult it had become for independent musicians to stay afloat compared to in the 90s. No matter how affordable he tried to make it, even an indie-friendly studio like Electrical Audio’s costs are beyond what most artists can hope to recoup.

So maybe this is a helpless cry to a world we’ve lost, but Steve Albini’s passing still highlights to me a lot of what the musical community needs. We need people who work tirelessly, using whatever success they gain in ways that help support those still trying to make their way; we need people who stick to their guns ethically when they know they’re right, even at times when the tide seems to be inexorably turning against them; we need people with the capacity to recognise past mistakes and chart a new direction when needed; we need people with the caustic intelligence to tell us when we’re doing it wrong.

There’s an insipid trope when a musician dies of imagining them in heaven, jamming with all the other dead greats — Jeff Beck on guitar with Charlie Watts on drums and Walter Becker on bass. A few Steve Albini fans have suggested that these angelic maestros now finally have someone up there to tell them they’re shit.

__________

I didn’t know Steve Albini, but everyone in the Tokyo underground scene knows someone who did. As quoted above, I spoke to a couple of these people while writing this article, and felt I ought to post their full comments as well:

“Steve Albini was the man who made me realise that getting to know about recording could help get me close to the secret of music. He was also the fastest tape editor in the world — even faster than DAW users. I miss him. Thank you for creating music with me, Steve.” - Mitsuru Tabata

“I'm really saddened that Steve passed away. He recorded our first two records. We recorded the in his old home recording studio and had so much fun staying at his house. When we decided to record our third album ourselves, he gave us a lot of advice and equipment we needed, and he gave us all sorts of information. It was fantastic, too, to be able to perform with his band Shellac in the US, UK, France and Germany. What I remember most about him is seeing his back as he was working alone at the mixing board until late at night during the recording of our first album. While he worked, I just spent the whole time playing with his cat Fluss. He gave us a lot. Thank you, Steve.” - MELT-BANANA / Yako / Agata

Koshiro Hino + Shotaro Ikeda - ele-king

 昨年はバンドgoatの復活で注目を集めた音楽家、日野浩志郎が新たな試みをスタートさせる。詩人・池田昇太郎と組んだ、音と声の表現を探求するプロジェクトだ。3年がかりになるそうで、初年度にあたる今年は、大阪・名村造船所跡地のクリエイティブセンター大阪にて、新作公演「歌と逆に。歌に。」が発表される。
 テーマは戦前から活動していた大阪のアナキスト詩人、小野十三郎。かつて彼の見た街や道をめぐりつつ、彼がもとめた「新たな抒情」を独自に解釈した音楽公演になるとのこと。メンバーにはKAKUHANの中川裕貴、パーカッショニストの谷口かんな、goatの田上敦巳などこれまで日野と共演してきた面々に加え、朗読に坂井遥香、音楽家の白丸たくトが加わる。
 公演は8月16日(金)から18日(日)の4回。日野と池田による新しいチャレンジに注目しましょう。

新作音楽公演「歌と逆に。歌に。」
2024年8月16日〜18日、クリエイティブセンター大阪にて4公演開催。
音楽家・日野浩志郎と詩人・池田昇太郎による、
音と声の表現を探る、3カ年プロジェクトがスタート。

詩人・小野十三郎の書く「大阪」を巡り、
音と声による「歌」の可能性を探る

大阪を拠点とし、既存の奏法に捉われず音楽の新たな可能性を追求し続けてきた音楽家・日野浩志郎と詩人・池田昇太郎による、音と声の表現を探る3カ年プロジェクト「歌と逆に。歌に。」。
初年度は、大阪・名村造船所跡地のクリエイティブセンター大阪にて、新作公演を発表する。

本プロジェクトにおいて重要なテーマとなるのが、1903年に大阪で生まれ、戦前から戦後にかけて大阪の風景や土地の人々を眼差してきた詩人・小野十三郎だ。1936年〜52年、小野が大阪の重工業地帯を取材し、1953年に刊行された詩集『大阪』と、彼の詩論の柱である「歌と逆に。歌に。」を手がかりに、同詩集で描かれた地域や地名をフィールドワークとして辿る。

小野十三郎という詩人の作品に向き合うということは彼の生きた時代とその社会、彼の生まれた街、育った街、住んだ街、通った道、生活、彼の思想、友人や影響を受けた詩人を訪れることでもある。本作ではそうした街や道、風景を巡りながら、詩集『大阪』にて描かれる北加賀屋を舞台に、小野が試み、希求した「新たな抒情」を感受し、独自に解釈し、編み直し、それを音楽公演という時間と空間の中に試みる。

公演情報
新作音楽公演|「歌と逆に。歌に。」
日程:2024年8月16日(金)〜18日(日)
公演日時:
 ①8月16日(金)19:30-
 ②8月17日(土)14:30-
 ③8月17日(土)19:30-
 ④8月18日(日)14:30-
 ※開場は各開演の30分前を予定
会場:クリエイティブセンター大阪内 Black Chamber https://namura.cc/
料金:一般=4,000円、U25=3,000円、当日=5,000円
チケット取扱い:ZAIKOイベントページにて

関連イベント|オープンスタジオ
公演を前に、作品制作の現場を間近でご覧いただけます。
当日はリハーサルだけではなく、クリエーションやリサーチの進捗共有なども行う予定です。
日時:2024年7月7日(日)14:00-17:00
会場:音ビル(大阪府大阪市住之江区北加賀屋5-5-1)
料金:500円(要申込・途中入退場自由)
申込:Googleフォームにて

クレジット
作曲:日野浩志郎
詩・構成:池田昇太郎
出演:池田昇太郎、坂井遥香、白丸たくト、田上敦巳、谷口かんな、中川裕貴、日野浩志郎
舞台監督:小林勇陽
音響:西川文章
照明:中山奈美
美術:LOYALTY FLOWERS
宣伝美術:大槻智央
宣伝写真:Katja Stuke & Oliver Sieber
宣伝・記録編集:永江大
記録映像:Nishi Junnosuke
記録写真:井上嘉和、Richard James Dunn
制作:伴朱音

主催:株式会社鳥友会、日野浩志郎
共催:一般財団法人 おおさか創造千島財団「KCVセレクション」
助成:大阪市助成事業、全国税理士共栄会
協力:大阪文学学校、エル・ライブラリー
問合:utagyaku@gmail.com

コメント
日野浩志郎(作曲)|制作にあたって共同制作者へ向けたメッセージ

発端となったのは大阪北加賀屋を拠点とする「おおさか創造千島財団」から2年連続のシリーズ公演を提案されたことでした。声をテーマにした音楽公演を以前から模索していたのもあり、大阪で山本製菓というギャラリーを運営していた詩人の池田昇太郎くんに声をかけたところ、大阪の詩人である小野十三郎に焦点を当てた公演を行うのはどうかと提案してくれました。
 小野十三郎は戦前から活動を行ってきた詩人であり、アナーキズムに傾倒した詩集の出版等を経て、「短歌的抒情の否定」、つまり短歌(57577)の形式や感情的な表現を否定するという主張を行った詩人です。中でも1939年に出版された小野の代表的詩集「大阪」を読んでいると、詩の構造や感情的な表現へのカウンター/嫌悪感のようなものを感じると同時に、「硫酸」、「マグネシウム」、「ドブ」、「葦(植物のあし)」、のような冷たく虚無を感じる荒廃した言葉が際立ち、ポストパンクを聴いてるようなソリッドさに何度もゾクっとさせられました。詩集の中で大阪の様々な地名や川等が登場しますが、今回の会場である名村造船所周辺を含む工場地帯は詩集の中でも重要な場所であることが分かります。
 公演内容についてはこれからのクリエーションによって定めていきますが、現状では小野の代表的詩集「大阪」(1939)を中心に置き、小野の詩を読み取りながら音楽と昇太郎くんのテキストを制作していきます。一般化された短歌のような形式の否定というのは詩だけに留まらず、音楽に対しても同様に言及されているところがあり、音楽的常識に則ったものや直接感情的に訴えるような音楽は制作しない予定です。詩と音楽に対する関わり方も難しく、音楽を聴かせる為の詩でも、詩を聴かせるためのBGMでもない、必然的で詩と関係性の強い音楽を作ることが目標であると思っています。
 このプロジェクトは一旦3年を計画しています。最初の2年は大阪で公演を行った後、公演に関する音源作品と出版物をEU拠点の音楽レーベルから発売、そして3年目には海外公演を行うという目標で進めています。
 制作を始めてまだ間もないですが、取り上げた題材の強大さと責任の大きさを感じています。「詩と音楽」ということだけでも難しいですが、天邪鬼で尖った小野の美学に沿うには単にかっこいい表現というだけでは許してくれそうもありません。主に自分と昇太郎くんが表現の方向性の舵を切って進めていく予定ですが、各々でも小野の詩や思想に触れて解像度を上げてもらえると心強いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2024.2.15 日野浩志郎

池田昇太郎(詩・構成)|小野十三郎という詩人と向き合うこと

小野十三郎という詩人の詩と詩論に向き合うことは彼の生きた時代とその社会、彼の生まれた街、育った街、住んだ街、通った道、生活、彼の思想、友人や影響を受けた詩人を訪れることでもある。
 翻って、それは私たちの生きる時代とその社会、私たちの生まれた街、育った街、住む街、通る道、生活、私たちの思想、つまり私たち自身を訪れることでもある。
その上で、詩集「大阪」を通して小野が試み、希求した「新たな抒情」を感受し、独自に解釈し、編み直し、それを音楽公演という時間と空間の中で再構成することを試みる。

 本作のタイトル「歌と逆に。歌に。」は小野十三郎の詩論の一節に基づくものだが、公演に用いたテキストでは、小野の詩や詩論を引用することを最低限にし、書き下ろしとすることにした。そのようにするしかなかった諸般の事情もあったが、詩人の遺した言葉から感銘を受けるに留まるのではなく、新たに言葉を紡ごうとする意義を問い直す必要があった。

 1936年から52年という時代の中で強固な意志を持って書き記された詩篇を読み解き、自らの創作言語にしていくことは並大抵ではなく、仮にあらゆる必然がそこにあったとしても、容易いことではない。
 小野の見つめた、ある時代の大阪。その時代のその街と風景以上に普遍的な目。土地から切り離された人々が、もう一度土地と結ばれるためではなく、その断絶の上で、大きな力に抗い続ける個としてあること。このアスファルトの下に流れる水が、流れ出る場所、浸み出す場所、それを吸って育つ葦、そして枯れる葦。その繰り返し。その見えない流れを捉えること。

2024.6.17 池田昇太郎

photo: Katja Stuke & Oliver Sieber

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プロフィール|出演者

photo: Dai Fujimura

日野浩志郎 / Koshiro Hino
音楽家、作曲家。1985年生まれ、島根県出身。現在は大阪を拠点に活動。メロディ楽器も打楽器として使い、複数拍子を組み合わせた作曲などをバンド編成で試みる「goat」や、そのノイズ/ハードコア的解釈のバンド「bonanzas」、電子音楽ソロプロジェクト「YPY」等を行っており、そのアウトプットの方向性はダンスミュージックや前衛的コラージュ/ノイズと多岐に渡る。これまでの主な作曲作品は、クラシック楽器や 電子音を融合させたハイブリッドオーケストラ「Virginal Variations」(2016)、多数のスピーカーや移動する演奏者を混じえた全身聴覚ライブ「GEIST(ガイスト)」(2018-)の他、サウンドアーティストFUJI|||||||||||TAと共に作曲・演奏した作品「INTERDIFFUSION A tribute to Yoshi Wada」(2021-)、古舘健や藤田正嘉らと共に作曲した「Phase Transition」(2023)、等。佐渡を拠点に活動する太鼓芸能集団 鼓童とは2019年以降コラボレーションを重ねており、中でも延べ1ヶ月に及ぶ佐渡島での滞在制作で映像化した音楽映画「戦慄せしめよ/Shiver」(2021、監督 豊田利晃)では全編の作曲を日野が担当し、その演奏を鼓童が行った。音楽家・演出家のカジワラトシオと舞踊家・振付家の東野祥子によって設立されたANTIBODIES Collectiveに所属する他、振付師Cindy Van Acker「Without References」、映画「The Invisible Fighit」(2024年公開、監督Rainer Sarnet)等の音楽制作を行う。

(C) tramminhduc

池田昇太郎 / Shotaro Ikeda
1991年大阪生まれ。詩人。詩的営為としての場の運営と並行して、特定の土地や出来事の痕跡、遺構から過去と現在を結ぶ営みの集積をリサーチ、フィールドワークし、それらを基にテクストやパフォーマンスを用いて作品を制作、あるいはプロジェクトを行なっている。廃屋を展覧会場として開くことの意味を視線と身体の運動からアプローチしたインスタレーション「さらされることのあらわれ」(奈良・町家の芸術祭はならぁと2021)、一見するとただの空き地である元市民農園を参加者と共に清掃しながら、その痕跡を辿り、かつての様子を無線越しに語るパフォーマンス「Only the Persiomon knows」(PARADE#25、2019)西成区天下茶屋にて元おかき工場の経過を廻るスペース⇆プロジェクト「山本製菓」(2015~)、「骨董と詩学 蛇韻律」(2019~)他。

坂井遥香 / Haruka Sakai
2014年野外劇で知られる大阪の劇団維新派に入団し、2017年解散までの作品に出演。2018年岩手県陸前高田市で滞在制作された映画『二重のまち/交代地のうたを編む』(監督:小森はるか+瀬尾夏美)に参加。近年の出演作に孤独の練習『Lost & Found』(音ビル, 2020)、許家維+張碩尹+鄭先喻『浪のしたにも都のさぶらふぞ』(YCAM)、梅田哲也『入船 23』、『梅田哲也展 wait this is my favorite part 待ってここ好きなとこなんだ』(ワタリウム美術館)など。場所や土地と関わりを持ちながらつくる作品に縁・興味がある。

白丸たくト / Takuto Shiromaru
音楽家。1992年生まれ。兵庫県出身。茨城県大洗町在住。実感のなさや決して当事者にはなれない事柄を、社会・歴史・その土地に生きる人々との関わりから音楽を始めとする様々なメディアを用いて翻訳し、それらを読み解くための痕跡として制作を続けている。「詩人の声をうたに訳す」をコンセプトに行う弾き語り(2016〜)や、ラッパー達と都市を再考するプロジェクト「FREESTYLUS」(2021〜)等。

田上敦巳 / Atsumi Tagami
1985年生まれ。広島県出身。音楽家日野浩志郎を中心に結成されたリズムアンサンブル「goat」のベースを担当。バンド以外に不定形電子音ユニット「black root(s) crew」のメンバーとして黒いオパールと共に不定期に活動。2011年~2018年まで「BOREDOMS」のサポートを行う他、2022年からはダンサー東野洋子とカジワラトシオによるパフォーマンスグループ「ANTIBODIES Collective」に参加。

谷口かんな / Kanna Taniguchi
京都市立京都堀川音楽高校、京都市立芸術大学の打楽器科を卒業。在学時はライブパフォーマンスグループに所属し、美術家、パフォーマー等と共演、即興演奏の経験を積む。卒業後はフリーランスの音楽家として室内楽を中心に活動。卒業後も継続して他分野との即興演奏に取り組んでいる。これまでに、東京フィルハーモニー交響楽団、京都室内合奏団と共演。近年はヴィブラフォンでの演奏に最も力を入れており、2023年11月にヴィブラフォンソロを中心とした初のソロリサイタル「vib.」を京都芸術センターで開催。

中川裕貴 / Yuki Nakagawa
1986年生まれ。三重/京都在住の音楽家。チェロを独学で学び、そこから独自の作曲、演奏活動を行う。人間の「声」に最も近いとも言われる「チェロ」という楽器を使用しながら、同時にチェロを打楽器のように使用する特殊奏法や自作の弓を使用した演奏を行う。音楽以外の表現形式との交流も長く、様々な団体やアーティストへの音楽提供や共同パフォーマンスを継続して行っている。2022年からは音楽家・日野浩志郎とのDUOプロジェクト「KAKUHAN」がスタート。令和6年度京都市芸術文化特別奨励者。

Amen Dunes - ele-king

 声以上に発声、ソングライティング以上に歌唱の揺らぎでデイモン・マクマホンは聴き手を魅了してきた。歌が彼の喉を通過するとき、それは微妙に曲がり、ひしゃげ、不定形なものへと姿を変えて現れる。僕にはそれが世間の定型にはまらない(はまれない)人間から生まれるもの、あるいはそういう類の人間のためのものに聞こえたし、その音楽は「アヴァン・ポップ」、「サイケデリック・フォーク」といった形容からも居心地悪そうにはみ出すように感じられらた。彼のプロジェクトであるエーメン・デューンズは〈セイクリッド・ボーンズ〉からリリースした『Love』(2014)と『Freedom』(2018)でクラシック・ロックのソングライティングに接近したとして批評的な成功をおさめたが、それもまた、マクマホンの世間ずれしたイメージに依拠したものではなかったか。なにしろ「愛」と「自由」である。彼のカウンター・カルチャーの時代への憧憬は、荒んだ現代におけるレイドバックした逃避として聴く者を癒していたかもしれない。僕だって、『Freedom』に収録されたヒプノティックなフォーク・ロック・チューン “Believe” を何度も何度も聴きながら、立ちあがる酩酊に身体と精神を預けていたのだった。

 スリーフォード・モッズとコラボレーションしたニヒリスティックなシングル “Feel Nothing” (2021)を挟み、〈Sub Pop〉からのリリースとなった6作め『Death Jokes』(邦題『死をネタに』)は、ここ2作で深めた内省の先でより曖昧な領域に踏みこんでいる。まず変わったのはサウンドだ。生音主体のフォーク・ロック色が強かった前作とは異なり、乾いた音のドラムマシンの上でサンプリングとストリングスやシンセの断片が入り乱れるサウンド・コラージュの趣が強くなっている。アルバム前半、“What I Want” などを聴くとマクマホンらしい脱力しつつもメランコリックに光るメロディを感じられるのだが、たとえば “Rugby Child” は打ちこみのビートのズレが平衡感覚を失わせ、そちらのほうに気を取られる。サイケデリック……と言っていいのかもしれないが、そこでは激しさとゆるさがぶつかり合って撹拌されている。リード・ナンバー “Purple Land” のフワフワしたサイケ・ポップは2000年代なかば辺りのアニマル・コレクティヴを連想させるかもしれない。いずれにせよ締まりのない音楽で、つねにルーズな感覚を持った彼の声……いや発声もあり、エレクトロニックな要素を高めて過去作以上に浮遊感に包まれた一枚になっている。
 この淡いトリップとともに現代社会のカオスが現れては消えていく。“Rugby Child” はロックダウンを背景とした孤立のなかのオーヴァードーズをモチーフにしているというし、叙情的なギターが聞こえる “Boys” は暴力が連鎖する様を描写しているように思える(「子どもたちが殺しにやって来る/なぜならあなたがしたことはすべて、あなたがされたことだから」)。ウディ・アレンとレニー・ブルースの死にまつわるジョークがサンプリングされているように、このアルバムはどこか死そのものを夢想するようなところがある。現実社会を厭い、この世ではない場所を思うことで発生する酔いなのだ。
 しかしながら、本作でもっとも弾き語りフォーク色が強い “Mary Anne” はマクマホンが幼いときに女性から受けた性的虐待をテーマとし、同じような経験を持つ者たちで精神的なつながりを生み出しうることを歌っている。マクマホンは過去に「女性とコレボレーションはできない」と発言したことが切り抜かれて批判され、その背景に虐待のトラウマがあったことを説明せざるをえない状況に陥ったのだが、歌のなかではそうしたソーシャル・メディア上での騒ぎと異なる次元での内省が親密に共有される。そして、9分にわたって正気を失っていくような “Round the World” では自分の内側で起こっている混乱と世界の混沌が混ざり合った状態で示され、ふと子どもに向けて「世界はだいじょうぶだ」とつぶやくのである。それはもう理性的な言葉とは言えないかもしれないが、破滅的な世界を見つめてなお何かしらの希望を持つためのトリップがそこには存在する。
 正気を保って生活を送ることすら困難な毎日だ。恐ろしいことがありとあらゆる場所で起き、その情報の断片が次々に入ってくる。自身の内面の混乱そのものに耽溺するという意味でエーメン・デューンズは間違いなく逃避的な音楽だが、逆説的にその時間は世界で起きていることと向き合い、どうにか日々の暮らしをやり過ごすための力を蓄えさせてくれる。

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