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Beth Gibbons

Folk Rock

Beth Gibbons

Lives Outgrown

Domino/ビート

Amazon

野田努 Jun 05,2024 UP
E王

 都知事選が面白くなってきた。小池vs蓮舫という構図から透けて見える光景については、ぼくがここで言うまでもないことだ。岸本聡子杉並区長あたりから、少しずつ景色は変わっていった(江東区、港区、次は?)。
 話を逸らそう。この10年を振り返ったとき、ジェンダーや人種という観点から歴史や社会を見ることで、根深い偏見や不平等がより広く明らかになったことは事実だ。だからといって、大衆文化およびその批評において、そのレンズのみが頼りではない。なぜなら、個人とは、ジェンダーや人種というカテゴリーによってのみ分けられるものではないからだ。そのカテゴリーには、当然、経済があり、ほかにも育ちや外見などいろいろある。年齢ということも、そのひとつに挙げてもいいだろう。
 日本のロック/ポップスには、人生においては何歳になっても10代のように恋をし、青春していなければならないという、ブーマー世代の夢をなかば当然のことのように引き受けているところがある。それが現状への不満の表明であり、いくつになってもおれは若々しくロックしていると。その感性はもう、たとえばtofubeatsの世代にはほとんど減少している。ミレニアル世代に属する彼と話していて思うのは、自分の人生において青春時代を無理にでも延長しようなどという欲望を感じないことだ。当たり前の話だが、表現の幅に関して言えば、その選択のほうが可能性も広がる。

 ベス・ギボンズのソロ・アルバム『Lives Outgrown』には、中年期も後半に入ったひとりの女性の苦悩が横溢している。「太陽の光のなかを歩いているというのに、それでもまだ俺たちは立ち泳ぎをしている」——トリッキーが “Blue Lines” のなかで放った、ブリストル・サウンドの美学を象徴的に表現したこの言葉は、同時に人生の本質を突いているように思う。生き続けていることは、長ければ長いほど明るくはない。ギボンズのアルバム名もそう言っている。そして、昨年アフガニスタンの少女たちによるグループ、ミラキュラス・ラブ・キッズとともにジョイ・ディヴィジョン/デイヴィッド・ボウイの名曲(アトモスフィア/ヒーローズ)をカヴァーした彼女の、キャリア史上初のソロ・アルバムで歌われる歌には耐えられないほどの深さがあることは、歌詞を解せずともサウンドを通じて伝わってくる。

 ポーティスヘッドがデビューした30年前、すなわち1994年、ぼくはその先陣を切ったグループのほうに夢中だった。マッシヴ・アタックの2枚のアルバムとトリッキーのソロ・アルバムは、拡大された低周波数と都会の冷たさ、そして孤独と喪失との合奏という点で言えばゼロ年代にベリアルがやったことを10年前にやっていたと言える。これほど強力な既発作があったなか、それでも後発の『ダミー』がアピールできたのは、「誰も私を愛さない」と歌うベス・ギボンズの歌というよりは、ぼくはジェフ・バロウによるスタジオワークの成果が大きいと思っていた。ワイルド・バンチ系にはないジャジーなムードにはエイドリアン・アトリーが貢献しているのだろうと。ただし、ひとつぼくの思い出を言えば、ブリット・ポップの愛国的な熱狂の真っ只なかのイギリスにいたときに、ラジオやテレビから頻繁に流れるその曲の、じつに居心地の悪そうな響きには惹かれるものがあった。なにせ1994年と言えば、オアシスが最初のアルバムを出した年で、ああした狂騒のなかにあって、当時のブリストル・ビッグ・スリーの冷徹とも言える無愛想さ、無気力さは政治的にもクールに思えたのだ。

 彼女には、すでに過ごしてきた人生があった。ギボンズはジェフ・バロウよりも6歳年上で、『ダミー』のときには30手前だった。ブリストル出身ではないし、彼の地に住んでいたわけでもなかった。いわば流れ者、しかしそうした背景は、ブリストル・サウンド特有の大人びて枯れた質感を表現するうえで都合が悪くはなかろう。誰もが認めるように、ポーティスヘッドには3人の個性が欠かせなかった。彼らが共同で制作した3作のクオリティを思えば、ギボンズが長いあいだソロ作品を出さなかったこともわからなくはない。その前に、『Out of Season』をリリースしているが、あれはトーク・トーク(80年代にシンセ・ポップ・バンドとして登場したが、のちにポスト・ロック/アンビエント・ポップの先駆的な作品を残している)のポール・ウェッブという才能との共作だ。が、サウンド面で言えばそれが今作の序章になっていることは間違いない。

 寡作家とは、出す作品に抜かりはないものだ。結局のところ彼女が自分の初めてのソロで試みたことは、ジェフ・バロウのような電子機材に精通した現代的なアーティストが手がける音響工作とは真逆の、60年代の英国におけるフォーク・リヴァイヴァルと接合する生演奏の路線だが、ノコギリから缶、捨ててあったパーカッションなど多彩な楽器が使用されている。民謡からロックやポップス、ジャズなどのハイブリッドで、言うなれば神聖さと庶民性の絡み合いだが、音響的には洗練されている。ときにコーラスが幽霊のように聴こえるほどに。大衆音楽をもって、人は死ぬということ、あるいは中年期後半を生きる不安や苦悩、更年期障害という人生において避けることのできないテーマを歌にすることは意味があろう。それをなかば神聖な、美しい音楽として歌うことには、さらに意味があろう。だとしたら、ニーチェが言うように、美が生につきものの苦悩に打ち勝つことはあるのだろうか。「人生に好機などない」と彼女は望みを打ち砕く。ダークサイドを歩いていたからこそ、しかし見渡しはいい。

野田努