「PAN」と一致するもの

interview with The Cosmic Tones Research Trio - ele-king

 アンビエント・ジャズというタームが人口に膾炙してからずいぶん経つ。元々両者の相性は悪くなかった。マイルス・デイヴィスの諸作——例えば『カインド・オブ・ブルー』(59年)でも『イン・ア・サイレント・ウェイ』(69年)でもいいが——を再生すれば、聴き込むことも聞き流すこともできるアンビエント的な感覚が息衝いていることが分かるだろう。あるいは、北欧ジャズの新世代に甚大な影響を与えたジョン・ハッセルや、LAのシンボリックな存在であるカルロス・ニーニョ、欧州の名門レーベル〈ECM〉のアイテムなどはジャズとアンビエントのあわいをいくような作品を多数発表している。
 最近は“ソフト・ラディカルズ”などとも呼ばれるこのカテゴリーだが、米国ポートランドを拠点とするザ・コズミック・トーンズ・リサーチ・トリオもその最前線に位置付けられるグループである。「音楽を通じての癒しと精神世界の探求」をコンセプトに活動するこの3人組は、アルト・サックス/パーカッション奏者のローマン・ノーフリート、チェロ奏者/マルチ・インストゥルメンタリストのハーラン・シルバーマン、ピアニスト/管楽器奏者のケネディ・ヴェレットから成り、全員が作曲に関与する。いわば民主的なグループだ。

 2023年のセルフ・タイトル・アルバムに続く『All is Sound』は、実際にメンバーが指導を受けたことのあるというファラオ・サンダースや、尊敬の念を抱いてきたアリス・コルトレーンの衣鉢を継ぎつつも、アンビエントからの影響を如実に感じさせる一枚。スピリチュアル・ジャズの瞑想的な側面を強調したようなサウンドが横溢している。インタヴューでは訊き忘れてしまったが、吉村弘や芦川聡といった日本の環境音楽から触発されたところもあるに違いない。
 ただ、彼らのルーツにはブルースやゴスペルもあるそうだ。なるほど、ほのかに香る土臭さや、教会音楽のような崇高さはその発現かもしれない。加えて、彼らの多楽器主義的な編成は、シカゴのジャズの根城である非営利団体・AACMを代表するグループ=アート・アンサンブル・オブ・シカゴ(AEC)を連想させるところがある。AECは自分たちの音楽を“グレイト・ブラック・ミュージック”と称したことで有名だが、それはザ・コズミック・トーンズ・リサーチ・トリオにもあてはまる。つまり、彼らの作風はアンビエント・ジャズ的であると同時に、黒人音楽の精髄を凝縮した最良の成果でもあると言える。なお、10月には『All Is Sound』とは趣きの異なる新作がリリースされるとのこと。こちらも楽しみに待ちたい。 

つまり、音こそが神聖なものであり、宇宙であるという、音を神格化する考え方。宇宙のあらゆるものは振動によって構成されているというアイディア。この考えをさらに進めて『All is Sound』というタイトルになった。

メンバー3人が集まった経緯を教えてください。

ローマン:まず、僕とハーランと出逢ったのは彼がレジデンシーをやっている公演で、僕もその公演に参加する機会があったからなんだ。それ以来、僕たちはコラボレーションを続けている。ケネディも同じような状況で、彼とはコンサートで初めて逢ったんだ。彼の演奏がすごく素敵だったから、それ以降、一緒にやることになった。3人が集まったのは、僕らが住むオレゴン州ポートランドで、ビー・プレゼント・アート・グループ(Be Present Art Group)というコミュニティ/プロジェクトを介してだった。ハーランとケネディと何度も一緒に演奏をするようになり、音楽以外でも共に時間を過ごすようになって、関係性が深まっていったんだ。それに僕たちは、音楽やスピリチュアリティに対するアプローチが似ているんだよ。そういう経緯があって、ザ・コズミック・トーンズ・リサーチ・トリオを始めることにしたんだ。

ハーラン:僕たち3人が最初に会ったきっかけは、〈Mississippi Records〉が主催した、彼らのレコード・ショップでのコンサートでだった。お店の窓ガラスが誰かに割られてしまったから、そこの空気を浄化したい、コミュニティのみんなに集まってもらってポジティヴなバイブスにしたいということで、そのときにローマンが僕に声をかけてくれたんだ。彼はそのとき「このコンサートのために、普段よりももっと癒される感じの、瞑想的なことをやりたいんだ」と言ったのを覚えているよ。あのコンサートを一緒にやったときに、このグループの可能性を感じたんだ。その時に「この3人でグループを作って、活動を続けて行こう」と話したんだ。

3人ともパーカッションとフルートが演奏できるという編成は珍しいと思います。しかも全員が4種類以上の楽器ができる。意図してこのような編成にしたのですか? 個人的にはアート・アンサンブル・オブ・シカゴを連想しました。

ローマン:意図的にこういう編成にしたわけじゃなくて、自然な流れだったんだ。僕たちは音や楽器が大好きで、さまざまな楽器を演奏するのを愛好しているという共通点があったというだけでね。それは嬉しい偶然で、僕たちは仲良くなった。それから、アート・アンサンブル・オブ・シカゴは僕も大好きだよ。彼らが掲げた「Great Black Music」という表現は僕たちの音楽を説明するときにも使っている。僕たちの音楽も、先人たちや家族やブラザーたちの一部だということなんだ。

今回のアルバムについて、全体を束ねるテーマやコンセプトのようなものがあったら教えてください。

ハーラン:『All is Sound』に関しては、瞑想的なアルバムを作りたいということだった。それは明確な目的としてあったね。レコード・ショップでコンサートをやったとき、僕たちはドローン・サウンドをたくさん取り入れていた。そのときに、〈Mississippi Records〉の(創設者である)エリック(・アイザックソン)がこう言っていたんだ。「この店には、ドローン・サウンドや静かな音楽、リラックスできる音楽を求めて来る人たちがたくさんいる。もっとドローン系の音楽を置きたいと思ってる」と。それを聴いて思ったんだ。僕たちは3人とも、それぞれの活動を通して、音の研究をし続けてきたし、サウンド・ヒーリングも追求してきた。だからこのアルバムはそういった領域をテーマにしているんだ。

ローマン:ひとつだけつけ加えたいのは、元々、アルバムのタイトルにしようと考えていたのは『Nada Brahma』だったということ。つまり、音こそが神聖なものであり、宇宙であるという、音を神格化する考え方。宇宙のあらゆるものは振動によって構成されているというアイディア。この考えをさらに進めて『All is Sound』というタイトルになった。あらゆるものは音であり、僕たちも音であることから、僕たちはみんな調和していくことが可能だということ。このアルバムは、音を通して人々を団結させ、地球としてひとつになることが目的だったんだ。

曲作りのプロセスを教えてください。

ハーラン:このアルバムでは即興的要素が多かったね。3人でライヴ演奏をしたものを録音して、その後からオーバーダブを加えたりした。でも、例えば“Creation”という曲は、僕たちが3人が一堂に会してフルートを吹いているものが曲の中核となり、その後にオーヴァーダブを加えた。曲によっては部分的な音を持ち寄ってグループでワークショップしたものもあったけれど、このアルバムの大部分は即興だった。一つの部屋に集まってフルートを吹く。それがスタート地点だった。フルートやディジュリドゥといったさまざまな管楽器を取り入れたよ。

ゴスペルやブルースなどのブラック・ミュージックもルーツにあるとのことですが好きなミュージシャンやアルバム、そしてそれらがどのように本作に反映されていると思うかを教えてください。

ケネディ:そうだね、ミュージシャンで言うと、いちばん大きな影響を受けたのはジェイムズ・ブッカーだと思う。偉大なピアニスト/作曲家で、「ブラック・リベラーチェ」とも呼ばれている。彼はルイジアナ州ニューオーリンズ出身なんだ。僕もルイジアナで生まれて育ったから、ニューオーリンズには特別な思い入れがある。好きなジャズや音楽のスタイルも、あの土地の影響を強く受けているんだ。ブッカーは、アフリカン・ディアスポラの要素をクラシックにすごくうまく取り入れていて、たとえばショパンの「小犬のワルツ」をアレンジしたんだけど、それがブルージーでスワンピー(沼のような)なニューオーリンズ風ヴァージョンなんだよ。初めてそれを聴いたとき、「こんな表現があるのか!」と衝撃を受けた。自分がクラシックを練習している中で、ずっと求めていた自由さを感じたし、音楽を演奏するときにいつも感じていたスピリチュアルな感覚——特にブラック・ミュージックをやっているときに感じる感覚——を思い出させてくれた。だから、ジェイムズ・ブッカーは本当に大きな存在だね。それからもちろん、スティーヴィー・ワンダー、ジョン・コルトレーン、アリス・コルトレーン。このあたりは絶対に欠かせない。サン・ラーもそうだし、ベンジャミン・パターソンとか、ジョージ・ルイス——彼はまだご存命だね——あとアンソニー・ブラクストン……挙げればキリがないな。とりあえずこのへんで止めておくよ(笑)。

ありがとうございます。ローマンさんはいかがでしょう?

ローマン:まず最初の影響として挙げたいのは僕の家族。僕は幼い頃から教会の聖歌隊に入っていたから、家でも教会でもいつも歌っていた。親戚がドラムを叩いていたり、オルガンを弾いていたり、とにかく家族がみんな音楽に深く関わっていたから、最初のインスピレーションはそこからきている。でも、それだけじゃなくて、たとえばケネディも挙げたように、スワミニ・トゥリヤ・サンギータナンダ——アリス・コルトレーンとしても知られている彼女——は、間違いなく僕の大好きなミュージシャンのひとり。彼女は、この地球に存在した中でも最も高みに到達した音楽家のひとりだと思っているよ! それから、ファラオ・サンダースのような先人たち、いまもロサンゼルスでジャムをしているドワイト・トリブルといった人たちにも影響を受けている。僕は、古の知恵を受け継ぐ人たち(=elders)にインスパイアされているんだ。昔は、ひとりのアーティストの名前が前面に出るのではなく、もっと共同的で儀式的なかたちで音楽が生み出されていた。そういう時代の音楽に心を動かされる。今残っている音源の多くも、特定のアーティストに帰属するというよりは、ある人々や文化、土地に根ざした音として残っているところに魅力を感じるんだ。

ありがとうございます。では、ハーランさんはいかがでしょう?

ハーラン:ほとんどの名前はもう出ていると思うけど、コルトレーン夫妻やファラオ・サンダースに対する愛は、僕たち全員が共有しているものだよ。そこに加えるとすれば、デューク・エリントン。彼はジャズとクラシック音楽をつなぐ素晴らしい架け橋のような存在だった。それから、ジュリアス・イーストマンも忘れてはいけない。いつもなら誰かが挙げているけど、まだ名前が出ていなかったね。

ケネディ:実はさっき言いかけたんだけど、いつも彼の名前を挙げているから、今回はやめておこうかと思ったんだ(笑)。でもやはり、ジュリアスは間違いなく外せない存在だね!それと、地球の音や自然の音——そういったものからも強くインスピレーションを受けているよ。

僕が笛を吹くときは、ローマンが言っていたように、いろいろな影響や場所から引き寄せられたものを取り込んでいるんだ。そして、それが自分の内面に平和をもたらしてくれるだけでなく、普遍的な次元や自然とのつながりを直接感じさせてくれる。

新作は、のめりこめると同時に気を留めずにいられるという意味でアンビエント的だと思いました。ブライアン・イーノをはじめ、アンビエントに括られるミュージシャンとあなたたちのやっていることに共通点はあると思いますか? 

ハーラン:もちろん、あると思うよ! 僕はアンビエント・ミュージックも大好きで、ブライアン・イーノの『Ambient 1』のライナーノーツで彼のステートメントを読んだときのことを覚えている。君が言ってくれたように、アンビエントには二つの機能があると言っていて、それは前面に出ることもできれば、背景に溶け込んで体験を包み込むこともできるというものだった。それに僕は、日本の、自然を取り入れた音楽もすごく好きで、そこからの影響も大きい。だから、そう言ったアンビエントのコンセプトというものは確実にこのレコードにも反映されていると思う。でも、僕たちがやっていることの違いは、いわゆるアンビエント・ミュージックでよく使われるようなシンセサイザーやアナログ・シンセといった人工的な音には、あまり頼っていないという点にある。その代わりに、ストリングスやフルート、サックスといった楽器を使って、アンビエント的な音のテクスチャーを作り出している。

さきほどファラオ・サンダースやアリス・コレトレーンなどの名前が出ましたが、彼らから学んだこと、吸収したことで、本作に反映されている要素があったら教えてください。

ローマン:僕は彼らの影響を確実に吸収しているし、他のメンバー2人もそうだと思う。ファラオ・サンダースについては、彼の音楽を本人から直接学ぶことができた。まるで宇宙的な出会いのような体験で、最初に会ったときは彼が誰なのかさえ知らなかったんだけど、音楽のことや、サン・ラーについて彼に色々と質問していたんだ。だから、ファラオ・サンダースのアルバムや作品群について、本人と一緒に振り返ることができた。その体験は今でも自分の中に強く残っているし、自分の音楽的方向性について、大きな学びと気づきを与えてくれた。まるで、先達から神聖なメッセージを受け取ったみたいだった。スワミニ・トゥリヤ・サンギータナンダ(アリス・コルトレーン)については、彼女の教えを受けた生徒たちのもとに自分が導かれたことが大いなる恵みだった。彼女の教えはいまも受け継がれていて、僕にも非常に大きな影響を与えている。この2人のアーティストに関しては、僕に何かを残してくれた存在であることは確かだ。そしてもうひとつ、僕の音楽的なルーツとして欠かせないのが、自分の育った環境、教会の音楽、そして音楽への目覚めを支えてくれた母の存在。それらすべてが、このグループの音楽、このアルバム『All is Sound』における自分の表現に反映されている。

本作は聴く者を忘我や酩酊や瞑想の境地へいざなう効果もあると思いました。これを聴いたことでリスナーにどのような精神/意識の変容をもたらすのが理想か、ということは考えましたか? つまり、リスナーに及ぼす作用のようなことです。

ケネディ:音楽には治癒的な効果があることもわかっているし、とても穏やかな精神状態へと導いてくれることもある。逆に、不安をかき立てるような精神状態になることもある。だからこの作品では、聴く人が落ち着きを感じられるようなものにしたかった。世間の喧騒から少し離れて、もっと静かで、やわらかくて、穏やかでいられる空間を作りたかった。同時に、ただボーッとするのではなく、マインドフルで、今この瞬間にしっかりと存在していると感じられる状態にもしたかった。そして、この音楽を聴いた後に、その人にとって、有意義な進歩や前進へとつながることができていたら嬉しい。

フルートを日本の伝統楽器である尺八のような音色で使っているのが印象的でしたが、これは無意識にそうなったのでしょうか? それとも何か狙いや意図がありましたか?

ローマン:僕たちは普遍的な存在(=universal beings)を目指しているんだよ。たとえ世界中を旅してきたわけではなくても、音楽への興味は本当に幅広くて、自然とグローバルな感覚で音楽に触れてきた。たとえば、新しいプロジェクトにもドゥグ(アフリカの打楽器)が入っているように、本当にいろんな場所からインスピレーションを受けている。それは無理に探しにいっているというよりも、むしろ自然でオーガニックな流れの中で起きているものなんだ。日本からアフリカまで、世界中の音楽に共鳴しようとしているんだよ。少なくとも自分はそう感じているけど、この具体的な話については、ハーランやケネディが話してくれるかもしれない。彼らもフルートや管楽器には詳しいからね!

ハーラン:ケネディは尺八を演奏するから、ケネディに話してもらおう。

ケネディ:そう、僕は尺八を習い始めてるんだけど、知ってのとおり、すごく難しい楽器なんだ。でも、尺八だけではなく、すべての楽器、そして声や魂にも感じられる美しさというのは、自分との関係性が築かれたときに現れてくるものだと思っている。楽器そのものや素材、そしてその背後にある伝統を少しでも理解できてくると、まるで楽器のほうから「よし、準備ができたね」と語りかけてくるような感覚がある(笑)。とくに自分にとって笛の音というのは、本当に心を落ち着かせてくれる音なんだ。子どもの頃から尺八をよく聴いて育ったし、中国のディーツや、南太平洋のいろいろな笛の音もたくさん聴いてきた。そうした笛には、神秘性や古代性みたいな感覚があって、それにすごく魅了される。まるで宇宙からやってきたかのような響きを持っているんだ。
 だから僕が笛を吹くときは、ローマンが言っていたように、いろいろな影響や場所から引き寄せられたものを取り込んでいるんだ。そして、それが自分の内面に平和をもたらしてくれるだけでなく、普遍的な次元や自然とのつながりを直接感じさせてくれる。そういった意味では、無意識のうちにそういう表現になっているんだろうね。でも意識的な面で言うと、僕はとにかくフルートの音色が大好きなんだ。その響きの中には、先祖からのささやきのようなもの——たとえばウィスパー・トーン(ささやくようにかすかな、口笛のような音)や倍音に現れるようなもの——が宿っていると感じている。
 それからもうひとつ、尺八や多くの笛は竹でできているんだ。僕が竹に惹かれる理由のひとつは、それが繊維質でしっかりとした植物であると同時に、しなやかに曲がり、傾き、柔軟に対応する性質を持っているということなんだ。そういう柔軟性は、(世間の)堅苦しい体制や、変化に適応しながら進んでいかなければならない僕たちの人生において、とても大切なものだと思っている。

ハーランさんは何かありますか?

ハーラン:ああ、僕からも面白いエピソードをひとつ話すよ。去年、僕は日本に行ったんだ。僕はずっとバーンスリー(インドの竹笛)を練習していたから、「せっかく日本に行くなら尺八を手に入れよう」と思った。尺八はとても美しい楽器だし、音色もすごく素敵だから、現地で買えるなら最高だと思ったんだ。それで、尺八を扱っているお店を見つけて、たくさん並んでいるなかから何本か出してもらった。「僕はフルートが吹けるから、尺八も試してみたいんです」と伝えてね。内心では、「これを吹いて、そのままお店を出て、コズミック・トーンズで使える新しい楽器として持ち帰るぞ!」とワクワクしていた。でも、そう簡単にはいかなかった(笑)。尺八は、アンブシュア(口の形)が全然違うんだよ。すぐに、「これは僕がいままで吹いていた笛とは別次元の楽器だな」と気づいた。そう簡単に尺八で美しい音を出すことなんてできないと思った(笑)。お店の人にも、「これは僕がいままで吹いていた笛とはまったくの別物ですね。僕には無理かもしれないです。もうバーンスリーの道を進んでるし、残念だけどそっちに集中したい」と伝えたよ。結局、尺八は買わなかったけど、すごくいいお店で、実際に尺八を試せたのは楽しかった。それに「これは別の世界に属する楽器なんだ」ということを学べたのは大きかったね。

ありがとうございました。最後に、コズミック・トーンズ・リサーチ・トリオの音楽を聴いている日本のファンに向けてのメッセージを1人ずつお願いできますか?

ローマン:まず最初に言いたいのは、日本のみんな、温かい応援を本当にありがとう! ということ。 インスタグラムやメールで送ってくれる温かいメッセージ、そしてこのCDをリリースするにあたってのサポート、すごく嬉しかった。ジャケットのデザインもすごく良いね!  こうやって、普遍的な音楽を広めてくれてありがとう。近いうちに日本に行けるのを楽しみにしているよ。感謝と平和を込めて。たくさんの愛を!

ハーラン:日本のみんな、音楽にじっくりと耳を傾けてくれてありがとう! このCDが、あなた自身の音楽的・精神的な活動のサポートになれば嬉しいです。そして、近いうちに日本に行ってみんなと直接会える日が来ることを願っています。ありがとう!

ケネディ:僕も心からの感謝を伝えたい。そして、この作品を一種のデバイスとして使いながら、みなさんが素晴らしい旅を歩んでいけるよう願っています。本当に、本当にありがとう!魂の底から感謝しています。これまでの旅路は本当に素晴らしいものだったし、今後も活動を続けていくのが楽しみだよ!

ありがとうございました!!

全員:こちらこそ、どうもありがとう! またねー!!

VINYLVERSEの「ギャラリー」機能を活用しているユーザーをピックアップし、ご紹介するインタビューシリーズの第2弾。今回は、現行ソウルの魅力を発信し続けているコレクター、nu soulさんにお話を伺いました。
群馬県出身の46歳。Soul / Funkを中心にレコードを蒐集し続け、レコード収集歴はなんと28年。まさに“レコードと共にある”暮らしを体現されている存在です。
インタビューでは、レコードとの出会いやVINYLVERSEの活用法、さらにフィジカルメディアの価値についても語っていただきました。今回はお忙しい中、メールにてインタビューにご対応いただきました。

① レコードとの出会いとコレクション

VINYLVERSE(以下V):レコードを集め始めたきっかけと、初めて買ったレコードを教えてください。

nu soul(以下N):大学生の時に流行っていたDJが使う12inchレコードを、HouseやR&B、Discoを中心に買い始めたのがきっかけです。初めて買ったレコードは、高校生の時に流行っていたFugees『The Score』のLPだったと思います。

V:レコード蒐集歴は何年目ですか?

N:途中、CDが中心になっていた時期もありましたが、なんだかんだレコードは途切れることなく買ってきました。28年目になると思います。

V:現在、どのくらいの枚数のレコードを所有されていますか?

N:これまで幾度となく売ってきたので、現在の所有枚数は少なめです。おそらく500枚くらいかと。

V:主にどのジャンルのレコードをコレクションしていますか?

N:Soul / Funkです。10代の頃からStevie Wonderが大好きで、Marvin Gaye、Curtis Mayfieldなど、いわゆるニューソウルは今でも変わらず好きですね。
それと現行ソウルも集めています。2000年代初頭、Neo SoulやR&Bが主流だった時期に、Raphael Saadiqのソロ・アルバムが出た頃から、生楽器を使ったVintage Soul作品が増え始めました。

Mayer HawthorneやKali Uchisといった人気アーティストもその流れを取り入れ、現行ソウルは今やメインストリームになりつつあります。アメリカではBig Crownレーベルの作品を常にチェックしています。最近では、Big Crownから作品をリリースしているインドネシアのグループ、Thee Marloesのように、アジアやオーストラリアなど世界各地からも良質なソウルが次々と登場しており、注目しています。
ハワイのシーンも素晴らしく、Nick Kurosawa率いるBombyeは特に印象的です。そして、今のイチオシは台湾のシンガー、Yufuですね。

V:今、個人的にとても欲しいレコードはありますか?

N:あります。Bobby CaldwellがJack Splashと組んで出した「Cool Uncle」のレコードです。当時買い逃してしまって、今では入手困難になっています。

V:コレクションの中で特に思い入れのある1枚とその理由を教えてください。

N:Princeの『Rainbow Children』です。怪しい語りが挿入される構成や、それまでの彼の作品とは違う、ジャズを中心にしたファンクサウンドがとにかく魅力的。2001年のリリース当時、Vintage / Retro Soulサウンドをこの形で作品化していたミュージシャンは他にいなかったのではないでしょうか。2020年にようやく正規リイシューされたLPは永久保存盤ですね。ジャケットやパッケージも含めて素晴らしいです。

② レコードの魅力について

V:nu soulさんにとって「レコードの魅力」とは何でしょうか?

N:何と言っても音質ですね。特に生楽器を使った作品は、まるで目の前で演奏しているような「近さ」が感じられます。それとレコード特有の匂いも魅力のひとつです。

V:レコード文化が復活していると感じますか?その理由は?

N:よく言われることですが、「モノとしての所有」に尽きると思います。パッケージや音質も含め、やはり魅力があります。

V:レコード文化の未来に期待していることはありますか?

N:今までレコード化されていなかったタイトル、あるいはCDのみでリリースされていたアルバムの再発がもっと増えてくれるとうれしいですね。サブスクにもない名曲って、意外と多いので。

V:レコードと他のメディア(CD・データ)で音楽を聴くことの違いについて、どう感じていますか?

N:音質の違いは明らかですね。サブスクだと流して聴いてしまいがちですが、フィジカルだと曲間やB面まで含めてしっかり「聴いた実感」があります。

V:レコードとデジタル音源の音の違いについてどう思われますか?

N:CDやデジタルと比べて、レコードは必ずしもクリアで綺麗な音ではないですが、より生音に近い迫力とゆらぎ(グルーヴ)があります。初めてクラブで大音量でレコードを聴いた時、その音の厚みに圧倒されました。敬愛する山下達郎さんがよく言う、「ガッツのある」音がしますね!

V:どうして今の時代に、あえてレコードを選ぶのですか?

N:学生の頃からレコードを買っていて、当たり前のように選んできました。やはり音質の魅力に取り憑かれているのだと思います。

V:レコードを聴くとき、特別に感じることはありますか?

N:最近気に入った曲をシングルで買って、ターンテーブルに丁寧に乗せて、集中して聴く時間ですね。最初にシュリンクを開封する瞬間も、やっぱり特別です。

③ レコードの集めかた

V:どのようにしてレコードの情報を収集されていますか?

N:僕は2000年以降の作品を中心に集めているので、主に現行アーティストや好きなレーベルのInstagram、サブスクなどで情報を得ています。それと高松で放送されているラジオ番組、Jimmie Soul Radioからの情報もかなり重宝してます。この番組では、新着のSoul / Funkを中心に楽曲紹介されていて、僕は番組のヘヴィ・リスナーの1人で、何度か選曲をさせていただいたこともあります。

V:普段レコードを買うお店や、買い方(中古・新譜)を教えてください。

N:新譜がメインなので、Disk Union、Jet Set、HMV、Tower Recordsのオンラインを利用することが多いです。買い逃した作品や気になった楽曲は中古でも探して、上記の実店舗で購入します。
また、日本で取り扱いのないタイトルはBandcampや海外レーベルの公式サイトから輸入することも。ただ、今はかなり割高になっていて難しいですね。大手ショップでは扱っていないものは、Music Camp(Barrio Gold Records)など専門店でも購入します。

V:オンラインのフリマやオークションでレコードを購入されますか?

N:利用したことはありません。

V:中古レコードの盤質は気にしますか?たとえばノイズのあるレコードと針飛びのあるレコードを選ぶとしたらどちらを選びますか?

N:いわゆるジャンク品でなければ、あまり気にしません。チリチリとしたノイズは嫌いではないので、針飛びや盤反りがないなら、ノイズのある方を選びます。

V:レコード1枚に出せる最高金額は?

N:以前、どうしても欲しかった12inchを1万円で買ったことがあります。でも今は、よほどのことがない限り買いません。高くても5000円台が限界ですね。

V:特殊な入手方法で手に入れたレコードはありますか?

N:知人のSNS投稿で珍しい7inchの存在を知り、その人に海外からまとめて注文してもらって、比較的安価で譲ってもらったことがあります。とても嬉しかったですね。

V:レコードの収納場所はどうしていますか?

N:10年ほど前に家を建てる際、子供部屋の近くに音楽部屋を作りました。そこにレコード棚を置いていて、散らかってはいますがなんとか収まっています。

V:ジャケット買いをしますか?

N:全く知らないものはあまり買いませんが、好きなアーティストや知らない作品でも、ジャケットにビビッと来たら買うことはあります。とはいえ、裏ジャケの作曲家・アレンジャー・参加ミュージシャンなどはしっかり確認してしまいますね。

④ レコードを共にしたライフスタイル

V:ターンテーブルやスピーカーなど、オーディオ機器のこだわりはありますか?

N:特にこだわっていません。ごく普通の機器を使っていますが、不便に感じたことはないです。

V:DJはされますか?

N:ごくたまに、仲間内のイベントで選曲する程度です。

V:CDやサブスクは使っていますか?使い分けがあれば教えてください。

N:Spotifyは通勤中にいつも聴いていて、新着音源のチェックが主です。休日はCDかレコード。レコードが中心ではありますが、移動中にはCDが重宝します。Mixtapeもいいですね。最近はLPが高騰していて手が出ないこともあり、CDで買うことも増えました。

V:音楽以外で、映画・アート・ファッションなどで好きなものがあれば教えてください。

N:あまり詳しくはありませんが、藤原ヒロシさんが紹介するカルチャー全般には興味があります。

⑤ VINYLVERSEについて

V:VINYLVERSEを知ったきっかけを教えてください。

N:VINYL GOES AROUNDのInstagramです。

V:VINYLVERSEをどのように使っていますか?

N:今でこそメインストリームにもなりつつある現行ソウルですが、黄金期の70〜80年代一辺倒になりがちなソウルミュージックラバーに、「現在進行形のこんな素晴らしいソウルがあるんだ」と知ってもらいたくて投稿を続けています。Instagramの延長線上で始めました。

V:アプリの使い方はすぐに理解できましたか?操作で迷った点、不便に感じた点はありますか?

N:比較的すぐに理解できましたが、写真を撮ってアップロードするところで少し手こずりました。

V:VINYLVERSEの一番の魅力は何だと思いますか?

N:シンプルなところですね。さらに、PHYGITAL VINYLの取り組みには毎回楽しませてもらっています。

V:nu soulさんのギャラリーのこだわりポイントはありますか?

N:特にこだわっているわけではありませんが、ジャンルや年代を絞って掲載しているので、他のユーザーさんとはまた違った見え方になっている気がします。

V:他のコレクターと交流する機能がもっと増えるとしたら、どんなものがあったらうれしいですか?

N:ギャラリーにコメントできる機能があれば良いと思います。また、ギャラリーの並び替えができて、思い入れの強いタイトルをトップに持ってこられれば、より分かりやすくなると思います。

V:追加してほしい機能はありますか?

N:マスターにない作品を自分で新規登録できる機能、検索履歴が表示される機能があるとうれしいです。
また、今後VINYLVERSE上で売買が可能になるとのことで、その際にWANT機能がさらに活用されるといいですね。それと、WANTの多いタイトルに注目して、リイシューに向けて動くなど。これは運用される側の話になってしまいますね。

V:どんな人にVINYLVERSEをおすすめしたいですか?

N:レコードを買い始めたばかりの若い方ですね。今の若い人たちは、サブスクで年代問わず音楽を聴くのが当たり前だと聞いています。そんな方に、お気に入りの音楽をレコードで手に取ってもらい、VINYLVERSEに投稿してもらえたらうれしいです。ぜひその投稿を覗いてみたいですね。

V:では最後にレコードを買いたいというビギナーへ、メッセージがあればお願いします。

N:まずはジャケ買いでもいいと思います。気になるレコードがあれば、一度手に取ってみてください。たとえ失敗しても、そこから何かしらの発見があるはずです。


以上、nu soulさんへのインタビューでした。
現行ソウルの魅力を発信し続ける姿勢と、28年のキャリアからくる確かな視点。
VINYLVERSEを通じてレコード文化を盛り上げるユーザーのリアルな声として、ぜひ今後のコレクションや投稿にもご注目ください。

nu soulさんありがとうございました!!

VINYLVERSE アプリ

DJ Haram - ele-king

 先週は、はじまりは最悪な気分だったが、この夏もっとも重要な曲、春ねむりの“IGMF”に熱くなって、Mars89のリミックスに勇気づけられた。すばらしいじゃないか。曲がクールだし、怒りのなかにも遊び心があって、なによりもこれは日本ではほとんどお目にかかることのない政治に対するポップ・カルチャーからの反応だ。
 近年ではスリーフォード・モッズやストームジー、あるいはニーキャップなんかがまさにそうだが、英国ではいまでもこういうことが頻繁に起きる。たとえば、1978年にリリースされたスージー&ザ・バンシーズの「ホンコン・ガーデン」は、スキンヘッドが中国系テイクアウト店の従業員に人種差別的暴言を吐くのをスージー・スーが目撃したことをきっかけとして生まれた。この時代、つまり第二次大戦以降の最悪な不景気にあった英国においては、1977年いっきに支持率を伸ばした極右政党ナショナル・フロントへのカウンターとしては「ロック・アゲインスト・レイシズム」運動がよく知られている。どこまで音楽の影響だったのかは計ることはできないが、少なくとも数年後の選挙においてNFの支持率は下がった。

 さて、今回の舞台はニューヨークだ。2016年のトランプ政権以降、ヘイトクライムの件数は増加し、こと中東系住民が標的になるケースが多いと聞く。2019年3月のブルックリン地下鉄内におけるムスリム系女性暴行事件などは数あるうちのひとつだったが、DJハラム(トルコ系とシリア系の両親をもつ)はその年、中東の民間伝承を再解釈したシングル「Grace」を叩きつけた。そして、2022年のムーア・マザーとのプロジェクト、700ブリスのアルバムを経て、つい先日初のソロ・アルバムとなる本作をリリースしたばかり。これは、ナザールとのアルバムと並んで、〈ハイパーダブ〉レーベルの今年のハイライトである。

 現在はブルックリンを拠点とするDJハラム、もともとはニュージャージーのアンダーグラウンド出身で、クラブを中心にムーア・マザーとタッグを組んで活動していた。700ブリスの『Nothing To Declare(申告すべきものなどない)』におけるノイズ・ラップは、その時代の実験の成果である。政治に関しては大学ではなく路上で、デモ活動を通じて学んだというハラムの作品には彼女の政治性がいかんなく反映されている。たしかにインタヴューを読む限り、彼女の問題意識はジェンダーのみならず、人種差別や白人至上主義へと開かれていることを強く意識している。
 また、10代のときはじめて感動した音楽がソニック・ユースだった彼女にとって、ノイズや即興は自分のサウンドに不可欠、それに加えて本作を特徴付ける中東/アラビックな要素がリスナーの思いをパレスチナへと向かわせることになるのだが、それだけではない。アルバム『Beside Myself』には“Do u Love me”のようなジャージークラブ風のダンストラックや、“Voyeur”のようなアラブとフットワークが融合したようなトラックもあって、踊らせる。快楽を忘れないところはクラブDJならではで、言うなれば、ジャージー・アンダーグラウンド・ダンス・ビートがアラブ系文化と出会ったところが本作のサウンド面のひとつの魅力になっている。ビリー・ウッズとエルーシッドをフィーチャーした“Stenography”になると濃縮されたアラビアン・サイケ・ヒップホップというか、怒りに満ちた“IDGAF”(曲名に注目。こちらは「I Don’t Give A F***(クソどうでもいい)」)にいたってはアラビアン・パーカッションにメタル風のギターが挿入されるという、頭がくらくらするほど容赦ない一撃もある。“Fishnets”のような色っぽいラップ曲もあるが、しかし……総じて言えばアルバムからは毅然とした怒りを感じる。

 幸いなことに、この世界はインターネットとAIには見えない景色がまだ残されているようだ。差別や陰謀論がネット上で一定の人気を見せているのは多くの国に見られる傾向だが、彼女がいるそこは、YouTubeの光り輝く詐欺師たちに操られる場所ではない。フロアがあり、人が連帯を感じていっしょ歓声をあげることができる “そこ” だ。DJハラムはトランス女性として、クィアやトランスジェンダーから熱狂的に支持されている。彼女はときに自らを「ジェンダー化された労働階級」、ないしはそのイスラム教的バックグラウンドからくる複雑な内面を「神を畏れる無神論者」と表現している。そして、型にはまらない抵抗の声、未来を諦めていない音楽を作っているのはご覧の通りだ。チーノ・アモービのノイズ・アンビエントを彷彿させる“Who Needs Enemies When These Are Your Allies?(こんなに味方がいるというのに敵が必要なのか=パレスチナ問題を指しているのだろう)”から内省的ながらトランシーな“Deep Breath”へと繋がっていく締めも良い。全14曲、集中して通しで聴いたらぐったりしたが、それは夏バテのせいだろうか。 


 (蛇足ながら書いておくと、目下ニューヨークでは、市長候補として名乗りをあげたイスラム教徒のゾーラン・マムダニが注目されている。「公共はすべて無料」「億万長者の存在は許さない」というマムダニの、バーニー・サンダース以上に左寄りと言われる思想がZ世代の共感を呼んでいる)(また、つい先ほど入った情報によると、春ねむりは明日金曜日の18時から新宿駅東南口広場で開かれる「NO HATE デマと差別が蔓延する社会を許しません」に参加、ライヴを行うとか。8月8日には代田橋FEVERでリリース・ライヴもある)

書籍『レイヴ・カルチャー』解説 - ele-king

 正確にそれがいつだったのかは憶えていない。2000年代に入ってから、ダンス・ミュージックがEDMと呼ばれはじめた頃、あるDJとの会話のなかでその話題になって、彼が言った言葉がいまでも忘れられないのだ。「なにせ近頃のレイヴにはスポンサーが付いているからね」、皮肉たっぷりに笑みをうかべて彼はそう言った。「マジかよ」「信じられないよな」。これは「近頃のサッカーは手を使ってもいいらしいぜ」と言われたようなもので、本質的な矛盾なのだ。そう、しかしながら、2025年に近づこうとしている現在では、むしろ逆かもしれない。「え? スポンサーも付けずにレイヴを開催するの? マジかよ」

 レイヴ・カルチャーは、本質的にアンダーグラウンドな、しかし巨大なムーヴメントだった。あっという間に拡散し、ここ日本にも1992年には飛び火したことが確認されている。
 レイヴ・カルチャーから見える景色は、人それぞれだろう。汗だくで踊る人びと、笑顔、倉庫の壁、英国の田園地帯……、宗教的な体験をしてしまった人も多かったし、資本主義の向こう側を幻視してしまった人だって少なくなかった。
 本書が詳説しているように、レイヴ・カルチャーのレジャー産業化には時間を要さなかった。だが、そこから溢れ出たものすべてを資本主義が回収するには、このサブカルチャーのユートピア的な可能性のスケールのほうが上回っていた。その象徴的なシーンが、本書の第6章後半に書かれている〈スパイラル・トライブ〉と〈DiY〉が先導したフリー(無料)・レイヴだ。〈DiY〉は、ぼくが経験したレイヴのひとつである。

 それは、無許可のレイヴを禁止するための法案、CJBが法律となって(すなわち “ビル” ではなく “オーダー・アクト” になって)から4年後の、1997年のことだった。ぼくが英国の音楽文化に惹かれた理由のひとつが、政府からの弾圧に対して必ず「なにくそ」という動きが出てくるところだ。〈DiY〉は一時的自律ゾーンとしてのレイヴ・カルチャーを継承すべく活動を続けていた、イングランド中部のノッティンガムを拠点とするパーティ集団(およびレーベル)だ。1991年に始動した彼らはそれまで何度か逮捕され、何度か機材を没収されていたが、その当時もまだ無料レイヴを続けていた。
 レイヴ開催の情報は、もちろん口コミ、電話連絡のみだ。警察に知られないようにやるわけだから、フライヤーなど捲くはずがない。おおよその場所を知って、車を走らせる。牧草地帯のなかを1時間以上進むと、やがて彼方にレーザー光線が見える。うぉぉぉぉ、車内では歓声が上がる。しばらくすると、キックの音が聞こえる。会場はもう近い。さらにずっと進んでいくと、数台の車が駐車して、並んでいる。自分たちもそこに車を駐車し、暗闇のなか明るいほうに向かって歩く途中、金網のフェンスに当たったが、よく見ると、そこには人がひとり通過できる穴がこじ開けられていた。フェンスのなかに入って、草を踏みながら音のほうに進んでいくと、前方に見える倉庫のなかで人びとが踊っているのがわかる。レイヴだ。
 この話はなんどか書いているので端折るが、明け方には警察に包囲され、ぼくといっしょに行った友人たちは運良く、いま思えばほんとうに運良く朝日のなか会場を後にすることができた。そのときいっしょだった友人から、本書『レイヴ・カルチャー(原題:Alterd States)』のことを教えてられたのは、〈DiY〉の無料レイヴの興奮さめやまぬ1997年の冬だった。かくしてぼくは、その翌年ロンドンで本書の第二版を購入するのだった。

 マシュー・コリンの『レイヴ・カルチャー』は、それが出版された当時から絶賛されている。これほど包括的に、ジャーナリストとして、そしてインサイダーとしてあの時代を詳述している書物はほかにない。音楽評論家、サイモン・レイノルズの『Energy Flash : A Journey Through Rave Music and Dance Culture』もMDMAとアシッド・ハウスを触媒に急展開した1990年代のダンス・カルチャーを描いた本として知られるが、こちらは時代のなかで細部化されていくスタイル(ハウス、テクノ、ジャングル、トリップホップ、エレクトロニカ等々)を追いながら、アーティストや音楽作品にスポットを当てている。著者の好み(ジャングルへの偏愛、IDMへの嫌悪)も反映された、批評的な読み物になっている。本書にも著者の好みが反映されているのだが(ハッピー・マンデーズへの愛情、バレアリックへの他人事感)、『レイヴ・カルチャー』のすべての小見出しが「場所」の名称になっている点に注目したい。重要なのは場所なのだ。ここに著者のこだわり、レイヴの哲学が垣間見える。重要なのはスターではない。その場所に集まる人びとであって、音楽そのものなのだ。ぼくが初めて本格的なレイヴに行ったのはずいぶん遅く、1993年になる。ブリクストン郊外の工場跡地のような場所で開かれていたパーティで、もちろんフライヤーなどない電話による暗号めいた口コミによって集まっている。その際、ただひとこと伝言されるのは「場所」(通り名)なのだ。
 もっとも、そのブリクストン郊外のレイヴは、セカンド・サマー・オブ・ラヴからすでに5年も経っていたので、商業的なイベントではなかったが形式化はされていたし、ロンドンということもあってスタイリッシュな若者が多かった。しかしながらノッティンガムの無料レイヴとなると、町の電気屋がPAや照明の配線を指揮し、パートタイマー風の女性や労働者たち、あるいは大麻好きの老人とか、まあ、あまりお洒落ではない人たちもベーシック・チャンネルやロン・トレントで踊っていたのである。ぼくが最初にレイヴ・カルチャーに感じた悦びのひとつにはそれがあった。ぼくはそれ以前にも、ロックのコンサート、あるいはハスウやテクノのパーティで知らない人たちと盛り上がった経験があったけれど、それは同じ趣味の者同士の集まりだ。レイヴや、レイヴ的な感覚の強いパーティにおいては、ふだんの生活においては知り合うことのない人たちと出会うことになる。踊ったり、話したりしながら、彼ら・彼女らとの共同体感覚を覚える体験は、ぼくには新鮮だった。

 MDMAがレイヴ・カルチャーの燃料になったことは隠しようのない事実だ。では、このドラッグがなければ何も生まれなかったのかと言えば、そうではないだろう。1970年代の英国にはノーザン・ソウルと呼ばれるアンダーグラウンド・パーティの文化があった。レイヴ・カルチャーの青写真と言われるそれは、英国中北部の労働者階級の若者たちから生まれ、発展したもので、公民館のような場所を借りて、DJがかけるアメリカ産のブラック・ダンス・ミュージック(この場合は、70年代のシカゴやデトロイト、フィラデルフィアのソウル)にあわせて汗だくになって踊るシーンだ。〈DiY〉の音楽的師匠がシカゴのディープ・ハウスだったことは、彼らがノーザン・ソウルの伝統と繋がっていることを物語っている。
 また、第6章で詳述されているように、1980年代の英国にはヒッピー・アナーキストによる無料フェスティヴァルのシーンが、政府からの弾圧に遭いながらも成長していた。そして、それがレイヴ・カルチャーと交差したとき、大衆文化におけるもっともアナーキーな形態が具現化する。1992年5月22日から一週間ぶっ通しで開催されたキャッスルモートン(その公共の場)でのレイヴは、イギリス史上最大級の非合法フリー・レイヴとなった。この一大事件が、いかに警察の監視を煙に巻きながら実行されたかは本書に詳しい。それは歴史的な出来事で、とどのつまり、英国における監視社会の強化とレイヴ禁止への必要性を国家に強く認識させたのは、5万人を集めたこの無料パーティだった。
 その背景には、マーガレット・サッチャーの新自由主義によって変えられた社会構造や価値観がある。幸福とは物質的な豊かさを意味し、町の個人商店は企業の進出にとって閉店を迫られ、誰もがクレジットカードを持てるようになり、人生とは熾烈な競争を意味するようになった。囲い込みなき支配が進行するなか、レイヴ・カルチャーにおける過剰さに若者たちの希望の見えなさが反映されていたのだとしたら、仮にMDMAがなかったとしても、既存のシステムを寄る辺としないなんらかの集団的な熱狂は起きていたと考えられる。
 だが、やはり、MDMAがなければこの文化は生まれなかった。ドラッグに関する評価は慎重にならなければならないが、共感力や愛情をありえないほど増大させてしまうエクスターがダンス・カルチャーと融合したことで、多くの人間が同じ場所で同じ時間、前代未聞と言えるほどの前向きな世界を幻視したことの意味は小さいものではなかった、少なくとも音楽にとっては。レイヴ・カルチャーを起点に、その後10年のあいだにいったいどれほどのすばらしい音楽が創出されたことか。
 初期のジャングルのシーン(第7章を参照)から登場した4ヒーローがよくよく主張するように、レイヴ・カルチャー(ことにジャングル)のすべてをMDMAと結びつけるのは間違っている。同ユニットのマーク・マックはこれまで口が酸っぱくなるくらいに強調している。自分が行ったレイヴでぶっ飛んでいたのはごく少数で、ほとんどのダンサーはドラッグ無しで踊っていたと。レイヴの現場にいた人間のひとりとして言えば、その通りだと思う。シラフで踊っていた人たちや4ヒーローのようにアンチ・ドラッグのアーティストは何人もいる。
 だからMDMAがすべてではないが、しかしやはり、その影響は否めない。たとえば、どんなかたちにせよ、日常的な思考の枠組みを超越してしまうことは、当たり前だと思っていた観念を相対化する。反資本主義へとハンドルを切ったフリー・レイヴのシーンもさることながら、もうひとつ象徴的だったのは、1993年に起きたニューエイジ・トラヴェラーズの顕在化だった。レイヴを経験し、学校や親から教えられた人生の設計図が必ずしも絶対的なものではないと気付いた子どもたちが次から次へと家出し、ニューエイジ・トラヴェラーズ、すなわちキャラバンを住居とする流浪の民となったという話で、そのほとんどが中産階級の子どもたちだったことも、先述したレイヴ禁止法案の可決を急がせている。

 1994年に可決されたレイヴ禁止法として知られる悪名高き「Criminal Justice and Public Order Act」は、若者文化/カウンター・カルチャーに対する明白な政治的な弾圧であると同時に、公共空間をめぐる政治的議論にも発展した。ぼくが催涙ガスを浴びたのは、1993年(ちなみにこの年ぼくは都合6回渡英している)秋の反CJBデモに参加したときのことだった。それはレイヴのみならず集会の自由/公共権を奪うものを意味するとして、多くの一般市民が反対デモに参加した。数万人の参加者はトラファルガー広場に集まって、ハイドパークを終点として市の中心街をシュプレヒコールしながら歩いたわけだけだが、ハイドパークの入口にまで来たとき、警官隊が整列しているそのすぐ近くに一台の大きなトラックが待ち構えていた。そして、こともあろうかそのトラック(のちに〈DiY〉と判明)は、いきなり爆音でハウス・ミュージックを鳴らしたのである。すると、そのうちのひとりがトラックのルーフによじ登って踊りはじめ、ズボンを脱ぎ、警官隊に向かってお尻を突き出したそのときだった。デモ隊からわれんばかりの歓声があがると、人びとが石を持って警官隊めがけて投げた。
 これが、翌朝の新聞の一面で報道された(人頭税反対のとき以来の)暴動のはじまりだった。ハイドパークには火が点けられ、暴れる人びとを威圧するため騎馬隊が大勢やって来た。ぼくは必死で逃げ回りながら、セントラルパークを脱して、通り沿いのマクドナルドに入ったものの、しかし店の窓ガラスにも投石があり、ガラスは割れ、流血もあり、テーブルの下に身をかがめるという……いまでもそのときの光景をありありと思い出すことができる。レイヴ・カルチャーは、たんなる快楽主義を燃料としただけだったのに、これほど大きな社会的/政治的な出来事でもあった。それが市民運動化する展開、336ページから338ページにわたって紹介されている〈リクレイム・ザ・ストリート(ストリートを取り戻せ)〉こそ、日本のサウンドデモがヒントにした発想/形態である。

 その後英国では、アカデミアにおいてもレイヴ・カルチャーは研究されている。その典型的な例をいえば、監視資本主義社会や権力を研究したフーコー/ドゥルーズ的な解読がある。国家が管理する時間からの逸脱、すなわち純粋な無用性による自律ゾーンが大衆文化によって生まれたという歴史的な事実は、これからもさらに研究され、語り継がれていくことだろう。
 2023年には、おもにフリー・レイヴに焦点を当てたドキュメンタリー映画『Free Party: A Folk History』が公開された。また、いまでは伝説となったキャッスルモートンでのフリー・レイヴに関しては、2017年にはBBCが『Castlemorton: The Rave That Changed the Law』というドキュメンタリーを制作し、放送した。レイヴ・カルチャーに関する決定的な文献としてベストセラーとなった本書も、2010年には新装改訂版が出版されている。
 この日本版は2010年版の完訳というわけで、最初に著者が2009年に書いた序文が加えられている。「あれは特別な時代だった」、ぼくもまったくその通りだと思う。そしてコリンが自らに問うてるように、ぼくも自分に問い続けている。それ以上の何かだったのか? それともただたんにドラッグ熱にうかれてやってしまったことなのか? 決定的な回答などないが、あれが特別な何かだったことはたしかだ。コリンは、あのシーンのインサイダーのひとりとして、ほんとうに意味のある本を書いてくれた。ぼくは本書のほとんどすべてに共感できるが、もっとも好きなのは、じつはハッピー・マンデーズに関して書かれたところかもしれない。理由は、個人的にとくに好きだったわけではないこのバンドのことを、本書を読んで好きになったからだ。
 本書はたった一行(スコットランド紙幣のばらまき事件)しか触れられていないが、ほとんどの音楽ジャーナリズムがレイヴ・カルチャーを「顔が見えない、音楽性がない、無意味だ」と酷評してい時代に、レイヴの高揚、(サッチャーが不要なものとした)連帯性、型破りな推進力をポップ・ミュージックとして表現したのがザ・KLFだったことも追記しておきたい。また、ロック・バンドのパルプの1995年の曲、“Sorted for E's and Wizz”についても記しておくべきだろう。これは、M25環状道路から少し離れた場所にある広場で、何千人もの人びとと一緒に過ごすことについて歌った曲である。じっさい彼らのヒット曲“Common People”はトニー・ブレア時代のアウトサイダーたちのアンセムとなって、この曲は人びとをレイヴのように盛り上がらせたのだった。

 ジャングルについて書かれた第7章「都市のブルーズ」が気に入っているのは、1992年当時の爆発したてのこのシーンの現場を体験しているからでもある。サイモン・レイノルズはそれを「ハードコア連続体」と、なかば通俗のロマン化と言えなくないも言葉で賞揚しているが、多くの批評家が過小評価したこの移民文化は、たしかに過剰なシーンだった。その章に登場するシャット・アップ・アンド・ダンスについて若干の補足をしておく。英国特有のサウンドシステム文化とアメリカのヒップホップ/そしてソウルIIソウルに影響され誕生したSUADによる楽曲は、当初はブレイクビート・ハウスと呼ばれ、メインストリームのアーティストの露骨なサンプルが使われていたことで知られる。海賊ラジオを介してヒットした彼らの曲は、アンダーグラウンド内での成功として完結されるはずだった。ところが、1992年に“Raving I’m Raving”なる曲が国内チャートの2位という大ヒットによっては急変した。この前年のアメリカでは、ビズ・マーキーの“Alone Again”のサンプリング使用をめぐる裁判があった。最終的に裁判官がそれを「窃盗」と判決したことで歴史は急変し、サンプリングを使った音楽すべてが態度をあらためなければならなくなった。英国のSUADは、ヒットしたばかりに“Raving I’m Raving”に関するサンプリング使用で訴訟を起こされたばかりではない。過去の楽曲ににまでもその調査はおよび、結局、彼らはヒットしたがゆえにレーベルを畳むしかなかった。2004年、10年ぶりにアルバムを発表したSUADは政治的に先鋭化され、そのタイトルは『リクレイム・ザ・ストリート』だった。

 マシュー・コリンはノッティンガム出身のジャーナリストで、本書は彼にとって初の著書になる。2001年には西側諸国では詳細が見えづらい、ユーゴスラビアのベオグラードにおけるパブリック・エナミーやザ・クラッシュ、デトロイトのアンダーグラウンド・レジスタンスの影響力とセルビアの反体制文化を支えるラジオ局〈B92〉を描いた『This is Serbia Calling』をもってさらに評価を高めている。2007年にはセルビアからジョージア、ウクライナまでの若者たちの社会運動を現地取材し、掘り下げた『The Time of the Rebels』を上梓、2015年にはマーク・フィッシャーのZero出版からパブリック・エナミーおよびフェラ・クティ、ラヴ・パレード、プッシー・ライオットなど、音楽が政治・社会運動とどう交差するかを綴った『Pop Grenade』を刊行、多くの識者からの賛辞を得ている。『ビッグ・イシュー』、『i-D』、『タイム・アウト』といったメディアのウェブサイト編集者も務め、『ガーディアン』、『オブザーヴァー』、『ウォール・ストリート・ジャーナル』をはじめ数多くの新聞や雑誌に寄稿している。BBCやアルジャジーラといった国際メディアの特派員も経験しているコリンだが、本書を読めばわかるように音楽への愛情、ことに民衆に力を与えるレベル・ミュージックに対する共感には並々ならぬものがある。 

文:野田努

DMBQ - ele-king

 前回はMERZBOW、PHEW、WOOL & THE PANTSという組み合わせで実施された、DMBQが主催する公演シリーズ《AWAKE》。今年は10月7日(火)、渋谷クアトロにて開催されることになった。こたびのDMBQ以外の出演者は、オルタナティヴR&Bバンドのんoonと、OOIOOで、またまた興味深い組み合わせとなっている。
 チケットの先行発売はQuattro Web、チケットぴあ、e+、ローソンチケットにて7月26日から7月28日まで、一般発売は8月2日より開始とのこと。

「DMBQ Presents AWAKE」

出演:DMBQ, んoon, OOIOO

10月7日(火)
澁谷クラブクアトロ
開場18:45 開演19:30
チケット:前売¥4,500 当日¥5,500
・Quattro Web、チケットぴあ、e+、ローソンチケットにて
7月26日~7月28日まで先行発売。

・一般発売は8月2日より開始。

レコードはとても不思議な存在だ。デジタルのように正確ではない。聴くたびに少しずつ違う顔を見せる。針が落ちるたびに、あの「パチッ」というノイズが混ざる。でも、それがいい。むしろ、それがなければ物足りないとすら感じる。

いま、音楽は誰もがスマホ一つで持ち歩ける時代。SpotifyもYouTubeもある。なのに、なぜか再生が面倒なレコードを手に取る人が増えている。その理由は、ファッションでも、ノスタルジーでもない。「不完全さ」ゆえの魅力にこそ、人は惹かれているのではないだろうか。

ノイズ、ひずみ、わずかなピッチの揺らぎ。現代の完璧に整ったデジタル音楽とは正反対の、こうしたブレのある音が、かえって音楽を「生きているもの」として感じさせてくれる。

音楽を取り巻く環境があまりに「汚れの無い」ものになりすぎた昨今、あえて「雑味」の多いメディアであるレコードを選ぶ人たちが増えている。

私たちはレコードという存在にどんなこだわりを持ち、どんな魅力を感じているのか。単なる音の再生装置ではない、「人の手が宿る音の媒体」としてのレコードを巡って、レコードの今の現場に関わる3人が、製造と鑑賞、そして「雑味」について語り合う。

話はレコード・プレス工場、『VINYL GOES AROUND PRESSING(VGAP)』の片隅で行われた。

水谷:やっぱさ、レコード・プレス工場って、実際のところプレスの工程で音が良くなるわけじゃないよね?

牧野:そうですね。そこはよく誤解されがちですけど。

水谷:我々の最大の使命って、カッティング(音源をラッカーでコーティングされたアルミニウム製の円盤に物理的に刻み込む工程)を経て作られたスタンパー(レコード盤をプレス成型するための金型)の音を、どれだけ忠実にヴァイナル製のレコードとして再現できるかってことだよね。

牧野:まさにそこなんです。

水谷:でも、あえてうちのプレスのこだわりを挙げるとすれば、うちのプレスマシンってボイラー式なんですよ。電気式もあるんですがボイラーにしたんですね。「電気炊飯器とガス炊飯器」の違いって言えばわかりやすいのですが、別にどっちが絶対いいって話じゃないけど、やっぱり火力が強い分、ガスの方がスピーディーに美味しく炊けるっていう。

牧野:それに近い感覚はありますね。

水谷:電気式だと、同じ時間内で作れる枚数が半分くらいになっちゃうし、熱量が足りなくてプレスのときにレコードが意図せず分厚くなっちゃう。つまり、意図してないのになんでも「重量盤(通常より厚くて重いレコード)」になってしまう。

牧野:そうなんです。もちろん重量盤が好まれることもありますけど、必要以上に厚いと、見た目もバランス悪くなるし、何より材料費が無駄にかかる。結果的に製造価格も上げざるを得ないですし。だから、うちが電気式にしなかったのは本当に正解だったと思ってます。

山崎:そうなんですね。確かに7インチなのに無駄に分厚いレコードってたまにありますね。ところでプレス・エンジニアとして、マッキー(牧野)は何か特に「こだわってること」ってあるの?

牧野:こだわりというか、レコードづくりって、ものすごく繊細な作業なんですよ。日本って四季がはっきりしてて、湿気が多い/少ないなど色々な時期があるじゃないですか? だから、工場の室内環境が日々違うんです。もちろん空調設備は整っていますが、でも外気の変化で、マシンの設定も左右されるんです。前日と同じ設定じゃ通用しない。その日ごとに最適な条件を探って調整してるんです。たとえば、「今日は寒いな」とか。そういう時にボイラーの温度をちょっと上げたり、圧力をかける時間を数秒減らしたり。そういう微調整を毎日やってます。もう、経験と勘の世界ですね。「今日はこういう陽気だから、こうしよう」っていう感覚が、1年やってみてデータと一緒に自分の中に蓄積されています。

山崎:完全に職人の世界だね。レコード・プレスって、一夜漬けでなんとかなるようなもんじゃないんだね。

水谷:ほんとそう。ただプレス機を買えば良い音のレコードが作れる、なんて甘いもんじゃない。ボタンを一つ押せば自動でできるってものではないですね。

牧野:まさにその通りです。調子のいい日もあれば、うまくいかない日もある。そういう微妙な変化を察知して、その日の環境に合わせて調整していく。

山崎:そうやって、1枚1枚に気持ちが込められてるんだね。レコードって大量生産だけど、やってることはほぼ手仕事って感じだね。

牧野:はい、文字通り手を抜けないですね。

山崎:レコードは生き物ですね。作るのは本当に大変だと思います。でも、VGAPでプレスされたレコードって、かなり音がいいと思うんですよ。これは社長の前だからって媚を売っているわけでもないし、この記事が公になるからって自社の宣伝のつもりで言ってるわけでもなくて。音の鳴りが「いい音楽」として聴こえるんですよね。

水谷:真央さん(山崎)が一番そう言ってくれていますよ(笑)。でも実際、そういう声ってちょくちょく届いていて。先日もジム・オルークが、うちでプレスしたフェネス(Fennesz)のレコードを聴いて、「音がいい、素晴らしいプレッシング!」って絶賛してくれたんですよ。

山崎:それはすごいですね。ジム・オルークって、音に対してものすごくこだわる人だから、彼がそう言うってことは間違いないですね。しかも、それを聞いて僕の耳も間違ってなかったんだなって、ちょっと安心しました。

水谷:そもそもレコードって「音がいい」ってよく言われるけど、解像度とかクリアさみたいなスペック的な基準で言えば、CDの方が優れてるはずなんですよ。だから、なんでレコードが音がいいって言われるのか、説明しづらい部分もある。でも、今、真央さんが言ったように、「いい音」っていうより「いい音楽」として耳に届く、その感覚なんですよね。

牧野:でも、完璧さを求める人にとっては、レコードってちょっと不安定なものに感じるかもしれないです。ノイズはあるし同じ盤でもどうしても微妙な個体差が出たりしますから。そういう意味では、CDの方が「製品」としては優秀だと言えるかもしれません。

水谷:いや、レコードはノイズや個体差があるからいいんです。

山崎:僕もそう思います。昔はCDが登場する前、レコードには「ノイズがあって当然」という認識があって、それが当たり前に受け入れられていました。でも今は、CDやデジタル音源のように、均一でクリーンな音が当たり前になっている。なのでレコードにも同じレベルのクオリティを期待してしまう人も増えているかもしれないんだけれども、レコードのあらゆる雑音を「ノイズ」として徹底的に排除してしまうと、逆に音の「味」が消えてしまうこともあると思います。

水谷:そうですね。製品のクオリティを上げようとする美意識は大切だと思うんですが、それと「ちょっとでも雑音があったら受け入れられない」みたいな潔癖的な排他性は違う気がします。ただ近年は後者のような感覚から、ほんの少しの「雑音」や「揺らぎ」に耐えられない人が増えている側面もありますね。

山崎:昔に比べたらちょっとした「揺らぎ」や「雑味」に価値を見いだす感覚自体が薄れてきているように感じます。

水谷:でも音楽って、譜面通りに機械的に演奏されたものよりも、ほんの少しのズレや余韻、人間らしさの中にこそ感動があると思うんですよね。レコードも同じで、完璧にはならないからこそ尊い。不安定だからこそ儚さがあって、それが美しさにもつながる。物って使えば傷がつくものだし、レコードもそう。だからこそ愛おしい。

牧野:僕の仕事としては、できる限り出荷時のエラー要素は取り除かなければいけないし、そのクオリティを上げる努力は日々しています。でも、おっしゃる通り芸術的な観点での判断の方が大切なので音楽的な味わいや勢いまでそいでしまわないように気をつけています。

水谷:レコードにはデジタルでは再現できない生々しさとか、あたたかみって確かにある。CDのように、完全に均一な製品をレコードで作ることはできません。むしろ同じじゃないから僕は「それがいいんじゃないかな」と思います。それがレコードの本質かもしれない。

山崎:吹きガラスや陶芸のように、手仕事ならではの味わいに魅力があると感じる人もいます。「不完全の中にある美しさ」を見出すという感性って人の本質にはありますよね。

水谷:カレーの「アク」や「焦げ」じゃないですが、「雑味」があるからこそ、「旨味」が生まれる。レコードもいわば「大人の味」で、その「雑味」を味わうのが楽しみ方の一つだと思います。
昔、工場ができる前、我が社でリリースした、ある世界的なアーティストにテストプレスの確認をしてもらったことがありました。ほんのわずか音に「雑味」が入っていたようで、厳しい指摘をされるかと思ったのですが、返ってきた言葉は「このままでいってくれ。レコードってそういうものでしょ」と。その方も相当なレコード好きで、この事は今でも強く印象に残っています。
いま、またレコードのそうした「不完全」さに価値を見直す人が少しずつ増えてきているように感じます。だからこそ、レコードは再び注目されているんじゃないですかね。

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おかげさまで現在、「VINYL GOES AROUND PRESSING」は各方面からたくさんのご依頼をいただき、ありがたいことに日々忙しくさせていただいております。
多くの著名な方々にもご依頼を受けており大変感謝しておりますが、私たちVGAPが目指しているのは、次世代を担う新たなアーティストたちのサポートになること。
現在、どこにも所属せずDIYで活動しているアーティストを支援するプログラムも準備中で、まもなく発表できる予定です。

今後とも「VINYL GOES AROUND PRESSING」を、どうぞよろしくお願いいたします。

DJ Marfox - ele-king

 早いもので、リスボンのレーベル〈Príncipe(プリンシペ)〉が15周年を迎える。それを記念したコンピもリリースされているが、このたびなんとレーベル主宰者、DJマルフォックスの来日ツアーが決定した。8月15日は京都West HarlemでDJ ntankによるパーティ《MAVE》に、8月16日は渋谷WWW&WWWβでE.O.Uとmelting botによるパーティ《南でloopな》に出演。これは熱い夏がやってきますぜ……
 なお、DJマルフォックスの2019年のインタヴューはこちらを。

DJ Marfox Japan Tour 2025 -15 years of Príncipe-

8/15 FRI 22:00 at West Harlem Kyoto
8/16 SAT 23:00 at WWW &WWWβ Tokyo

artwork: Márcio Matos
tour promoted by WWW / melting bot

灼熱のアフロ・ダンス!リスボン・ゲットーで育まれたアフロディアスポラによる100%リアル・コンテンポラリーな先鋭電子レーベルPríncipe、シーンのゴットファーザーDJ Marfoxが本年レーベル15周年を祝した初のロングセットで来日ツアー公演を京都と東京で開催。京都はntank主宰のMAVEでWest Harlemにて、東京はE.O.U & melting bot主宰loopなの昨年に続く南バイブス第2弾でWWWにて開催。追加ラインナップは後日発表。

DJ Marfox Interview @eleking
“声なき人びと、見向きもされない人びと、その顔が俺だ” https://www.ele-king.net/interviews/006925/
Príncipe 特集@RA “リスボンのゲットー・サウンド” https://ra.co/features/2070

MAVE feat.DJ Marfox -15 years of Príncipe-
2025/08/15 FRI 22:00 at West Harlem Kyoto
ADV/U23 ¥2,000 / DOOR ¥2,500 (+1D)
TICKET https://t.livepocket.jp/e/ao_c

DJ Marfox -15 years of Príncipe- [PT/Lisbon]
ntank
+TBA

MAVE
2020年West Harlemにて京都拠点のDJ ntankにより、一貫した身体的グルーヴをオルタナティブな文脈でジャンルレスに紡ぐエネルギッシュパーティーとして始動。これまで国内外問わずバラエティ豊かなゲストを招聘。近年ではCassius Select, DJ Nigga Fox, Livity Sound, TSVIやPeladaといったDJ・Producerを迎えている。
https://www.instagram.com/_ntank
https://www.instagram.com/mave.jp


南でloopな w/ DJ Marfox -15 years of Príncipe-
2025/08/16 SAT 23:00 at WWW & WWWβ Tokyo
Early Bird/U25 ¥2,500 / ADV ¥3,000 / DOOR ¥3,500 (+1D)
TICKET https://t.livepocket.jp/e/20250816www

WWW:
DJ Marfox -15 years of Príncipe- [PT/Lisbon]
E.O.U
Foodman

VJ: eijin

WWWβ:
+TBA

20歳未満入場不可・要顔写真付きID
Over 20 only Photo ID required to enter

PLAYLIST:
https://open.spotify.com/playlist/4M4sLXzKcGj6ulR0bE0cqm?si=2f226360aabd4ecc&pt=97eb8b7c99ec7d96b9fec62bc15cbe4a
https://soundcloud.com/meltingbot/sets/loop-w-dj-marfox-15-years-of-principe

loopな
2024年よりE.O.Uとmelting botによりWWWβにて始動、あらゆるジャンルの超越後の現代における”ミニマル”を方向性としたレギュラーのキュレーション・パーティ兼E.O.U主宰レーベルhaloのリリース・プロジェクト。 VJ・アートワークはeijinが担当。昨年夏に開催されたサウス・バイブスの南でloopなに続き、今回はリスボンからDJ Mafoxを招聘、東京公演ではリスボン・ゲットーのコンテンポラリーな先鋭電子レーベルPríncipeの15年周年記念としてその歴史を紐解く3時間のロングセットを予定。
https://haloooo.bandcamp.com/music
https://www.instagram.com/eoumuse
https://www.instagram.com/meltingbot

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●DJ Marfox [Príncipe/PT]

プロデューサー兼DJのMarfoxは、リスボンにおいて都市部、郊外、そしてゲットーの伝説的存在であり、電子音楽の新たな方向性を追求する世界的なネットワークにおいて著名な人物となる。ダンスミュージックにおける文化の様々な分野から、先駆的な作品と音楽に対する称賛を受けており、過去10年間にわたりLit City Trax、Boomkat Records、Warp Records、Príncipeなどのレーベルから作品をリリースしてきました。特にPríncipeに関しては、その創設者の一人として確固たる地位を築く。

また、Fever Ray、Elza Soares、tUnE-yArDs、BADSISTA、Panda Bearなどのアーティストのためのリミックスを手がけ、最近では新たなプロジェクトに挑戦。2019年ヴェネツィア・ビエンナーレのドイツ館でアーティストNatascha Sadr Haghighianのインスタレーションのためのオリジナル音楽を提供等、過去数年間、ヨーロッパとイギリスでDJセットを精力的に行い、ブラジル、ウガンダ、アンゴラ、ロシアを訪問し、アメリカ、カナダ、メキシコ、オーストラリア、東アジアでのツアーも実施している。

2023年には、自身のオリジナルクルーDJs Di Guettoのコンピレーションのダブル・ヴァイナルLPエディションをPríncipeからリリース。Resident Advisorは「17年経ってもこんなに新鮮に聞こえることは、この音楽がどれだけ重要かを証明している」と言及、外部の者が触れることのできない音楽の系譜とスタイルを持つ、強固なコミュニティであり伝統であると記録した。

https://www.instagram.com/djmarfox

●Príncipe [PT/Lisbon]

プリンシペはポルトガルのリスボンを拠点とするレコード・レーベル。この街、その郊外、プロジェクト、スラムから生まれる100%リアルなコンテンポラリー・ダンス・ミュージックをリリースすることに専念している。独自の詩学と文化的アイデンティティを持った新しいサウンド、形態、構造であり、ハウス、テクノ、クドゥーロ、バティーダ、キゾンバ、フナナー、タラチーニャ、あるいはその他の新しい美学的発展など、この街で生み出される素晴らしい作品が、クラブ、携帯電話、家の外で聴けないままであることがないようにしたい。すべてのアートワークはマーシオ・マトスが考案し、実行した。全てのレコードは、一枚一枚手作業でステンシルされ、手描きされている。すべてのサウンド・マスタリングは、ポルトガルのベテラン天才サウンド・エンジニア、トー・ピニェイロ・ダ・シルヴァの自宅スタジオで、哲学に基づき行われている。

https://principediscos.wordpress.com
https://www.instagram.com/principediscos_verdadeiro

●V/A - Não Estragou Nada [Príncipe 2025]

https://principediscos.bandcamp.com/album/n-o-estragou-nada

1. Farucox - Para de Espirrar 02:54
2. Bubas Produções - Samba no Pé (Dedicação ao Lilocox) 04:15
3. Lilocox - Camones 04:32
4. DJ Bboy - Latona 03:20
5. DJ Nervoso - Veronica 04:11
6. Niagara - Madstell 05:02
7. LawBeatz - Sem Ti 03:47
8. DJ Danifox - Rua do Abismo 04:07
9. E8 Prod - Daylight 02:28
10. Mixbwé - Beat 2 02:36
11. Puto Anderson - Khamba 03:13
12. Mano Jio - Party na Jungle 03:12
13. DJ Nigga Fox - Na Casa da Mana 04:02
14. DJ Bebedera - Fodência The Scratch 01:51
15. DJ Firmeza - Beats das Piriguetes 02:49
16. DJ Cirofox - My Pain 03:10
17. Dadifox - Sambaa 02:49
18. A.k.Adrix - Glitch [IIIII] 01:57
19. DJ N.K. - Bo Ta Rebola (feat. Dama Kriola & Dama Pink) 03:22
20. DJ Marfox - Batimento 04:40
21. DJ Maboku - Capeta Lisboeta 03:02
22. PML Beatz - Reflexos Desiguais 03:41
23. Diiony G - Carrega 03:33
24. DJ Lycox - Anubis 03:46
25. XEXA - Ondas 03:03
26. Nídia - Toma Bailarina 04:55
27. DJ Narciso - Lixo 03:01
28. DJ Doraemon - G.A.Z. 03:15
29. Lokowat - Up Up 03:12
30. Puto Márcio - Orgia Mental 02:51
31. PT Musik - Tears 02:08
32. K30 - Vento no Tarraxo 03:39
33. DJ Helviofox - Melodic Vibration (feat. E8 Prod) 04:11
34. Nuno Beats - Micasibi 02:48
35. Deejay Poco - Última Hora 02:24
36. DJ NinOo - Som di Paz (feat. Vanyfox) 02:52
37. Deejay Veiga - Jarda 03:31

最も新しい学校: Príncipeは1つの屋根の下にいくつかの活動の合流点であるハウスをオープンする。このイベントを記録するために、私たちは過去と現在の未発表曲を、時には10年以上もハードディスクの中に隠しておくことにした。文脈の欠如、感性の変化、あるアーティストの良質な音源の過多など、このトラックリストが未発表のままになっている理由はいくつかある。「Não Estragou Nada "は、ファミリーの拡張されたヴィジョンを提供し、この音楽の包括的なステートメントを、ほとんど最も生々しい表現で、フィルターにかけず、喜びを表現している。私たちは、アーカイブの豊かさを考えると、特定の新曲を制作する必要はないと感じた。アーカイブがゼロから進化し始めた2010年以降、DJ Marfoxまでの数年間を網羅した、管理されたタイムマシン。このコンピレーションに参加していない著名なアーティストの中には、現在音楽以外の道を歩んでおり、自らの意志で不在にしている者もいる。祝福と感謝を。若手からベテランまで、ハウスの他のすべての人たち。それをハウス・ミュージックと呼びたいのなら、そうすればいい。春になると、すべてのものが花開くようだ。

interview with LEO - ele-king

 日本の箏(こと)。そう聞いてどんな音楽を連想するだろうか。お正月の定番。平安貴族っぽい。素朴にエキゾティック。なんとなく堅苦しそう。もしくは「失われた日本」……とか?
 この伝統楽器と幼いころに出会い、早くも19歳でデビュー。2017年の『玲央 1st』以降すでに5枚のアルバムを送り出している箏奏者のLEOは、しかしそうした型にはまったイメージを粉砕する。相棒のもつ可能性をとことん探求し、大胆にエレクトロニック・ミュージックなどと融合させてみせるのが彼だ。
 純邦楽にとどまらず、ハイカルチャー/ポピュラー・ミュージックの区別なく西洋音楽を吸収してきた彼のひとつの到達点は、ジョン・ケイジ坂本龍一スティーヴ・ライシュらの作品を箏で演奏した『In a Landscape』(2021年)かもしれない。ことエレクトロニック・ミュージックとの接点という意味では、前作『GRID//OFF』(2023年)も見すごせなかろう。LEOはそこでリディム・イズ・リディム “Strings of Life” をカヴァーしたり、2010年代に実験的な電子音楽の分野で頭角をあらわしてきたアーティスト、網守将平と共同作業したりしている。彼のなかでエレクトロニック・ミュージックが小さくはない位置を占めていることがありありと感じられるアルバムなのだ。
 そんなLEOが、従前とは異なる意気込みで制作に挑んだのが最新作『microcosm』である。本人いわく、これまでのアルバムには、LEOというメディアをとおして箏の魅力を伝えるような側面があったという。ひるがえって今回は、箏(や電子音)をとおしてLEOという音楽家をアウトプットするような表現に到達しているそうだ。
 エレクトロニック・ミュージックだけではない。ドラマーの大井一彌を招いた先行シングル “Vanishing Metro” によくあらわれているように、ここにはプログ・ロックやジャズがもつ演奏することそれ自体の醍醐味もあるし、U-zhaanによるタブラやLAUSBUBによるヴォーカル、フランチェスコ・トリスターノのピアノなどもいい感じでアルバムに花を添えている。つまるところ、箏に限らず音楽そのものが好きなのだと主張する彼の作家性が、いよいよ全面開花した作品がこの『microcosm』なのだ。
 箏と聞くといろんな先入見が邪魔をしてしまうかもしれないけれど、とにもかくにもまずは聴いてみてほしい。間違いなく唸ることになるだろうから。

ジョン・ケージや坂本龍一さんの作品群には、人為的でないものを許すような感覚があって、そういう哲学的な部分が伝統的な邦楽を学んだときに教わった精神性と共通するように思えて。

最初に素朴な質問ですが、箏とはどういう特徴のある楽器なのですか?

LEO:ほかの弦楽器と見た目はぜんぜん違いますけれども、箱に弦が張ってあるという点で、構造としてはギターやヴァイオリンと似た楽器です。大きな箱に弦が張りめぐらされているという点では、ピアノやその前身のハープシコードもそうですね。構造自体はありふれていて、それらのなかでもとくにシンプルなかたちなのが箏です。とくに日本の箏はそうで、張られた弦の張力をいじることによって音高を変えます。可動式のコマみたいなもの、「柱」と書いて「じ」と読むんですが、それを動かしてピッチを決めて、あとは弾くだけという、かなりシンプルな楽器ですね。
 お箏自体は中国にも韓国にもあるんですけれど、中国のお箏も韓国のお箏も時代を経るにつれて進化していって、たとえばもともとは弦に絹糸を使っていたのがいまはスティール弦になっていて、発音のよさや余韻の長さ、音量の大きさを確保して、ホールでの演奏に対応したり、弦の本数も中国の場合はどんどん増やしていって新しい音楽に対応してきました。でも日本の箏はまったく進化していなくて、ほぼ昔からのままでつづいています。だからとっても素朴で、よく雅な音がするって言いますけれども、奏者の中身が透けて見えてしまうような楽器がお箏なのかな、と思います。

箏と出会ったのはインターナショナル・スクール時代だったそうですね。当時はご自身のアイデンティティの問題もあったそうですが、まずはやはりその音の響きに惹かれたのですよね。

LEO:そうですね。幼少期はわりとシャイで内向的な性格だったんですけど、お箏はそんなに派手なわけでもなく、音数もすごく多いわけでもなく、ちょっと静かな感じで。音の鳴っていないところにも意識を持っていくような音楽っていうのが自分には合っていました。あと、箏の古典の曲ってどれも暗い音階なんです。都節(みやこぶし)音階というんですが、その暗い感じも好きで。ただ、箏自体がよくて箏をはじめたわけではなく、授業でたまたま出会ったのが箏だったんです。だから、たとえば今回のアルバムも、ぼくが違う楽器の奏者だったとしても、似たことをやっていたと思います。もちろん伝統から離れて自分のやりたいことをやるというところにたどりつくまでには紆余曲折ありましたけれども。箏も好きではあるんですが、音楽全般が好きなんですね。

音楽全般がお好きとのことで、学校で習ったり教えてもらったりした音楽とはべつに、自発的に音楽を聴くようになったのはいつごろなのですか?

LEO:母が洋楽が好きで、マイケル・ジャクソンのファン・クラブにも入ってて、車ではいつも音楽がかかっていました。あとはNE-YOとか、スティーヴィー・ワンダーとか。あと祖父がビートルズが好きで、それもよく聴かされていましたし、ぼくが小学生のときに初めて自分の小遣いで買ったCDは当時のはやりのJ-POPでした。だから、箏をはじめたのは9歳ですが、ふだん聴いている音楽とはまったく結びついていませんでしたね。当時はやっていたのがブルーノ・マーズとかテイラー・スウィフト、マルーン5とかで、そういうのは箏では弾けないから自分でギターを練習したり、ベース、ドラム、キーボードもひととおり触って、友だちとバンドを組んでカヴァーしたり学園祭で弾いたり。そういうことをしていくなかで音楽が好きになっていきましたね。
 自分で最初にハマったのはスクリレックスでした。スクリレックスはエレクトロニック・ミュージックですが、それとほぼ同時に、なぜか坂本龍一にもハマりだして。坂本さんからはいまでもずっと影響を受けつづけています。そこからクラシック音楽も真剣に聴くようになりました。ジャズも、スナーキー・パピーがきっかけで掘るようになって。

坂本龍一は幅が広いですが、どのあたりのものからお好きになったんですか?

LEO:最初は『/05』とか『BTTB』とか。ピアノで弾いてるものが入口でした。そのころ同時進行で、藝大でアカデミックに箏を学ぶ準備もしていたので、いわゆる現代音楽も勉強していくなかで、坂本さんの『out of noise』と『async』に出会い、そこからノイズや環境音に対してもすごい興味が湧いてきました。そうして「ジョン・ケージも面白いじゃん」とか、自分の箏の師匠(沢井一恵)がジョン・ケージとつながっていることに気づいたり。そういう順番でしたね。

わりとリアルタイムというか、ゼロ年代以降の坂本さんに惹かれていったという。

LEO:20歳ぐらいになってから、YMOは聴きましたね。そこからスクリレックスとはまた別軸で、エレクトロニック・ミュージックにもハマっていくんですけれども。

前作『GRID//OFF』(2023年)でカヴァーされていた坂本さんの曲が『async』の曲(“Andata”)だったので、意外と言うと変ですが、わりと直近の坂本さんに惹かれていたのかなと思いまして。

LEO:『In A Landscape』(2021年/“1919” を収録)のときはそうでした。『GRID//OFF』でもそうですが、カヴァーするレパートリーを選ぶときは、箏のよさが伝わる楽曲を選ぶようにしています。ジョン・ケージや坂本さんの作品群には、人為的でないものを許すような感覚があって、そういう哲学的な部分が伝統的な邦楽を学んだときに教わった精神性と共通するように思えて、カヴァーしてきました。
 ただ今回の新作は、箏っぽさであったり、この楽器の魅力を届けないといけないというような思いから解放されて、いま自分が聴いている音楽や好きなアーティストに声をかけてつくっていきました。たとえば自分の前にお箏が置いてあると、それをどう弾くかについてぼくは一から十まで手ほどきを受けてきているわけですから、どう触ればいいかわかるわけです。でも、今回のようなアーティストたちといっしょに音楽をつくっていくとき、「いま目の前に箱状の楽器があるぞ、さてどうやって音を出そう?」みたいに無になって。ビートありきの音楽ですので、伝統の奏法もまったく関係なく、一からこの楽器をどう弾くかを見つめ直して、「ミュートしてみよう」とか「ハーモニクスしてみよう」とか「こういう音を重ねてみよう」とか、「ライヴではできないけれども、レコーディングだから、小さい音しか鳴らない奏法を活かしてみよう」とか、まっさらの状態から考えました。すごくラフな、フリーな感覚で制作に臨みましたね。

聴いていて思ったのですが、もしかして箏を叩いたりもしています?

LEO:してます、してます。

やはり。今回のアルバムもまさにそうですが、そもそも箏奏者ないし音楽家として、いわゆる純邦楽の道というか、古典的な奏法や伝統の方向に進まなかったのはなぜですか?

LEO:食べていけないので(笑)。もちろんそれだけじゃないんですけど、10代でデビューしたころはそういう伝統的な路線からスタートして、でもほどなくして食べていけないことに気がついて。ただ、まだ自分のやりたい音楽というのも固まらない状態で早くにデビューしすぎたのもありました。

クラシック音楽に「現代音楽」というくくりがありますけど、いまほんとうに現代性を感じるのはTikTokで流れてくるような音楽です。

デビューされたのは何歳ですか?

LEO:19歳です。藝大に行きながらCDを出したりしていました。当時から今回の新作のような音楽は好きだったんですが、仮に当時のぼくが今回の新作のアイディアを思いついていたとしても、実行する技術がぜんぜんありませんでした。箏の演奏の技術もそうですし、アンサンブルとかも。そもそもぼくが受けてきた箏の訓練っていうのはクリックと合わせて弾くことには向いていないですし、自分で作曲もしていますけども、コードや音楽理論について勉強したわけでもないですので、当時の知識では成しえなかったと思います。いろいろ仕事をして知識もだんだん増えていって、さらにミュージシャンの友だちもできていって、ようやくいま、これができるようになったという感じです。心技体がようやく一致してここまで来た、みたいなイメージです。

先ほどエレクトロニックに目覚めたきっかけがスクリレックスだったというお話を伺いましたが、その後エレクトロニック・ミュージックはどういう方面を好んでお聴きになっていたんですか?

LEO:坂本さんはもちろんなんですが、ティグラン・ハマシアンも電子音使っていて最近好きですね。あと、いわゆるポスト・クラシカルに入ると思うんですが、ハニャ・ラニ(Hania Rani)という女性のピアニストで、エレクトロニクスを入れつつ歌ったりする方がいて。オーラヴル・アルナルズ(Ólafur Arnalds)もめっちゃ聴いてます。箏で近しいことができそうだなと思いましたね。
 ぼくの場合、箏に飽きて、ものたりないからエレクトロニクスを入れているのではなくて、箏の音を支えるというかちょっと拡張するというか、自然な必然性を感じてエレクトロニクスを使っています。箏はどうしても音が小さいですし、それに現代のようにいろんなエンタメがあふれていて消費スピードも速いなかで、大げさに言いますけど、ポーンと箏を弾いて、次の音まで5秒待ってまたポーンと弾くような音楽というのは、なかなか聴いてもらえないと思うんです。もとからその魅力を知っているひとじゃないと。たまたまインスタでぼくの音楽に気づいてくれたひとがいても、ポーンと鳴って、次の音が鳴るまでに3秒も待てないというか。そういう感覚はぼく自身にもあるし。そういうのが現代の音楽で。クラシック音楽に「現代音楽」というくくりがありますけど、いまほんとうに現代性を感じるのはTikTokで流れてくるような音楽ですし。もちろん、TikTokでバズる曲をつくりたいとかではないんですが、そこに面白い表現はいっぱいあって、そういうものもオープンにとりいれていきたいと思っています。だから、エレクトロニクスを入れることもぼくにとっては普通なことなんです。現代に箏を弾くのであればそれが自然ですし。もちろん箏の音を潰したいわけはないんですけれども。

エレクトロニック・ミュージックがお好きなのは前作『GRID//OFF』からも伝わってきました。あのアルバムではデリック・メイをカヴァーされていましたよね。エレクトロニック・ミュージックのなかでもデリック・メイの音楽はダンス・ミュージックですが、ほかの曲をやるときと違った点ってありましたか?

LEO:ぼくはとにかくクリックに合わせて弾くこと、縦線をグリッドと合わせて弾くのが超苦手で。ちょっと前まではタイミングを合わせること自体すごい大変だったんですけど(笑)。あとはフレーズをたゆたいながら歌うとかもできないので、ある意味鍵盤で弾いてるような感覚で弾いたりとかはあるのかな。でもどうなんですかね、今回のアルバムでもたぶんグリッド音とかテクノっぽい曲調でつくっていますけども。

新作の1曲目 “Cotton Candy” もダンサブルなビートが入っていましたね。

LEO:そんなに意識はしていないんです。普段聴いてる音楽をたまたま目の前にある楽器で弾いたらこうなった、という感じで。それは前回のアルバムも含めてこれまでいろんな経験をしてきたから、ようやく無意識下でもできるようになったのかもしれないですけど、曲によって弾き方を変えることはやってはいます。音色もそうですね。ただ、あまりジャンルを区別して考えると壁をつくる気もするので、グリッドで曲をつくった場合でも、たとえばU-zhaanさんと弾いたときに得たインスピレイションを持ってこられるような柔軟さが欲しい、というか。アルバムをつくりながらたくさんの経験をして、いろんな音楽の知識を吸収して、成長しながらつくっているので、まったく異なるジャンルの音楽いっぱい入ってますけれども、ぜんぶぼくのなかでは線でつながってるようなイメージですね。

ご自身でトラックもつくられるんですか。

LEO:そうですね、DAWで。このアルバムをつくりはじめてからすごい勢いで勉強しました。今回の4、5、8、10曲目はソロの曲なんですけど、自分で録った後に編集しています。それまでは楽譜上でしか作曲をしてなかったんですけど、DAWを使いはじめるようになってからまったく違うアプローチがとれるようになって。たとえば4曲目 “moments within” と8曲目 “moments between” は楽器が違うだけでまったく同じ内容なんですけれども、一定のテンポでおなじフレーズを何回も繰り返しているトラックと、おなじフレーズだけどテンポがだんだん速くなっていくトラックと、そのぜんぜん違うテンポで進んでいるものが最終的に辻褄が合う、みたいな感じでつくったフェーズ・ミュージックなんです。それって楽譜には書けないし、一拍ずつずれていくのではなく徐々にずれていくんですが、それをどう辻褄を合わせるかっていうのはDAWで試行錯誤しました。DAWを操れなかったら自分では書けないようなタイプの曲です。5曲目 “Night Scape” も、ほぼなにも決めずにスタジオに入って即興で録ったものを、あとで家で組み替えたりエフェクトを足したりしてPC上でつくった曲です。このアルバム制作中に学んだことを自分なりにアウトプットしてみたような感じですかね。

プロデューサー的なこともやられてるということですよね。

LEO:そうですね。ほかの曲でも、トラックはこうしたほうがいいみたいなことは提案させていただいたりはしました。これまでは奏者として箏を弾くことでしか音楽に携わっていなかったのが、ミックスまで介入できるようになって、よりほんとうに自分の声みたいなものを届けられるようになった感覚があります。

これまでのアルバムたちは、ぼくというメディアを通すことで箏という楽器自体を広げているような。でも今回のアルバムは、ぼくという人間を、箏というメディアをとおして、そして箏だけじゃなくてパソコンとかいろんなメディアを使いながら表現したアルバム。

今回、最後の曲でフランチェスコ・トリスターノと共作・共演されていますが、トリスターノと出会ったのは、もしかして彼がデリック・メイと共作したアルバムがきっかけですか?

LEO:前回デリック・メイをカヴァーしたのは、たしかにトリスターノからの影響があるんですけれども、もともとずっとトリスターノのファンで。彼を知ったのは坂本龍一さんとの『GLENN GOULD GATHERING』でした。演奏も好きですし、テクノをやりながらバッハみたいなのを弾くという音楽家としてのあり方もめっちゃ好きです。ずっとファンで遠い存在だったんですけれども、今回お声がけしたらいっしょにやってもいいよって言ってくれて。こんな機会滅多にないと思うので、すごく悩みながら曲をつくって録りましたね。

9曲目 “音の頃 feat. LAUSBUB” でヴォーカルが入ってくるのは意外性がありました。ヴォーカルを入れようと思ったのはどういう理由から?

LEO:このアルバムのコンセプトとかが決まる前に、たまたまLAUSBUBの曲を車で聴いて。めっちゃいいなと思って、今回のアルバムがどうとか関係なくコラボしてみたいと思って連絡をして、結局その後いろいろ考えていくうちに今回のアルバムはコラボレーションのアルバムにすることに固まったんですけど、いちばん最初に決まったコラボですね。いきなり歌が入っちゃったとか思いながら、でも歌はやりたいなと思ってもいたので。コラボレーション・アルバムという性質上、どうしても曲ごとに個別に進行していきますし、それぞれのアーティストたちと共同制作していくから、曲ができるまでなにができるかわからないんですよね。なので、どんなアルバムになるかは7曲くらい完成するまではぜんぜん見えませんでした。

今回も、これまでいっしょにやられてきた網守将平さんが参加しています。網守さんとはとくに親しい感じでしょうか。

LEO:コラボレーションのアルバムにしたいというのが見えてきたときに、網守さんと飲みに行って。「今度LAUSBUBとやるんですけど、レコーディングのプロデュースみたいな感じで参加していただけませんか」ってお願いして。あと、「それとはまたべつにドラムの方ともやりたいんです」みたいにお伝えして、大井(一彌)さんを紹介していただいたんです(2曲目 “Vanishing Metro” と7曲目 “GRID // ON” に参加)。網守さんは最終的には2曲に携わっていただいていますが、最初に相談に乗っていただきながらアルバムをつくっていった感じですね。

具体的なところは7曲ぐらい完成するまで見えなかったというお話でしたが、最初のほうのお話に出たように、箏を使いつつエレクトロニック・ミュージックをやるというイメージは当初からあったわけですよね。

LEO:ありましたね。エレクトロニクスのアルバムにしようとまでは考えてなかったんですが、たぶんあまりにも自然なことすぎて、考えるまでもなくこうなったみたいな感じですかね(笑)。たとえば、ドラムと生のお箏の音とではさすがに噛み合わないので、コンデンサーで音圧をピシッと揃えつつEQをいじるとか、箏の音圧を上げるためのなにかが絶対に必要なんです。だから、当たり前にそうなるだろうなあとは思っていました。ただ想定していたより知識が必要でしたので、制作しながら勉強して、結果的につくりはじめる前よりも自由にエレクトロニクスを扱えるようになりました。

若い頃からおぼろげに描いていたものの集大成になったと思いますか?

LEO:集大成というのとはちょっと違っていて。

逆に、やっとファースト・アルバムができたというような感じですか?

LEO:そのほうが近いですね。もちろん、これまでのアルバムもとっても気に入っている作品ではありますが、これまでのアルバムたちは、極端に言うと、箏っていう楽器があって、それを弾いているぼくというメディアがあって、ぼくというメディアを通すことで箏という楽器自体を広げているような考えで。それはそれで今後もつづけていきたい。でも今回のアルバムは、ぼくという人間を、箏というメディアをとおして、そして箏だけじゃなくてパソコンとかいろんなメディアを使いながら表現したアルバムという感じなんです。そういう意味では1枚目になるかもしれないですね。

LEOさんの作家性が確立した1枚みたいな。

LEO:そうですね。以前の技量じゃここまでのものはできなかった。紆余曲折を経てきたこと自体がよかったことで、ここに来てひとつ新しい世界を開けたような感じはあります。

ちなみに、活動名として名前をシンプルに「LEO」にしたのはどういった理由からでしょうか? ほかにもおなじ名前の方がいたり、検索しづらかったり……

LEO:これはね、ぼくはデビューがすごく早くて19歳だったんですが、お話をいただいたのが18のときだったんですね。高校生で、音楽業界のこともまだ右も左もわからず、当時は師匠の沢井一惠先生にもいろいろディレクションしていただいていました。その師匠の案が「LEO」でした。たぶん、純邦楽、伝統的な文脈のリスナー層に向けて、現代的なインパクトのある名前に、という意図があったのではないかと思います。たしかに、検索しづらいんですけど。

なるほど。最後に、また最初の話に戻りますが、『In A Landscape』のライナーノーツで松山晋也さんがLEOさんにインタヴューされていて、インターナショナル・スクールで箏をはじめた背景としてご自身がハーフだったこともあり、日本人らしさを伝えるためのツールとしても箏があった、という経緯が語られていました。そうした日本への葛藤みたいなものは、いまでも抱えていますか?

LEO:ああ、それはまったく抱えてないですね。

もうなくなりましたか?

LEO:はい。当時、家ではずっと日本語を喋っていて、英語がうまく話せなかったんです。でもインターナショナル・スクールでは授業もぜんぶ英語で、言語の壁のせいでコミュニケーションが苦手になっていて。だから、音楽というコミュニケーション・ツールがすごく刺さった。そこでさらに箏という楽器のキャラクターが自分とも噛み合った。その後、藝大に行ったり、ありがたいことに注目も浴びたり、箏をいろんなところで紹介する機会も増えて、責任みたいなものも感じるようになって。師匠の沢井一恵先生だけじゃなくて、いろんな方からもお話を聞きますし、同級生のほかの和楽器をやっているひとたちとか、いろんなひとを見て、いろんなことを考えました。そうするなかで、葛藤も、逆に責任も、徐々に吹っ切れていって。だから、そういうことをもう考えなくなってつくったのが今回のアルバムです。もっと自由なスタンスで、自由に音楽をやるほうが、表現は楽しいなと思っています。なのでいまは葛藤はないです。

 マーク・スチュワートの遺作は素晴らしかったが、蝉さえ鳴かない高不快指数の街=東京で暮らしていると、どうしてもゆるくて、暑くない音楽に流れてしまうのが人のサガ。涼しくなる音楽で良いのがあったら教えてください〜。


Various Artists
Edna Martinez Presents Picó: Sound System Culture From The Colombian Caribbean
Strut Records

 ピコ、日本語にしたらこのカワイイ言葉は、コロンビアではサウンドシステム文化を指す。サウンドシステム文化とは、何もジャマイカの専売特許ではない。それは、音楽を聴きたいけれど家に再生装置やラジオなど高価で買えない人たちをターゲットにはじめた音楽がかかる酒場のことで、コロンビアのカリブ海沿い地帯では、それは「ピコ」という呼称で生まれ、栄え、いまも栄えている。ピコは見た目も面白いので、ぜひネットでその画像を探してほしい。二台のターンテーブルに2台のCDJとミキサーが一体となったそれぞれのピコは、それぞれの個性を表すためにカラフルな模様や絵が描かれている。 ピコの歴史は古く、庶民の祝祭の場として発展した。政府から10代の妊娠を促していると弾圧されても祝祭は止まらず、当然そこからは良い感じの音楽がたくさん生まれた。これは、ピコを探求したベルリンのDJ、エドナ・マルティネスがコンパイルしたアルバムで、その魅力を満載した素晴らしい編集盤だ。マルティネスによる詳細なライナーも素晴らしく(フィジカルで買った方がいい。ブックレットがある)、その歴史と展開──どんな音楽で踊り、どんな曲をもってサウンドクラッシュにおけるバトルを繰り広げてきたかを知ることができるし、チャンペータ、ハイライフ、ルンバ、ズークといったカリビアン音楽のパワーをもらって、ラテンを見習おうという気持ちになれる。全16曲、基本的にダンスのための音楽で、これを聴いていると猛暑も悪くないなと思えてくるのだ。大推薦。


KiF Productions - Still Out

 ザ・KLFの『Chill Out』のカヴァー・アルバムといえば、DJヨーグルトのがあった。デボン海岸の孤立した小屋で録音された『Still Out』はミュージシャン兼プロデューサーで幼なじみのウィル・クックソンとトム・ハヴェリーによるオマージュ・アルバム、英国の田園地帯を意識して作られたというだけあって、牧歌的な心地よさと瞑想的な音響が相まっている。聞き流しもできるけれど、『Chill Out』のファンはついつい注意深く聴いてしまうという悪いクセがあっていけない。ますます暑くなるじゃないか。でも、総じて良い感じだ。少なくとも清涼飲料水のChill Out(この言葉の出自/意味を知っているのだろうか)よりは落ち着く。


Pan American & Kramer - Interior of an Edifice Under the Sea
Shimmy-Disc

 シカゴのパン・アメリカ(マーク・K・ネルソン)のギター・サウンドは、基本的にどれを聴いても、少なくとも暑くはならない。元1/2ジャパニーズで〈シミー・ディスク〉のクラマーとの2度目のコラボレーション作品は、絵画的で、まったく素晴らしいアンビエント・ミュージックになっている。秋でも冬でも聴いていられる、至高のミニマル・ミュージック。大推薦。


Madalitso Band - Ma Gitala
Bongo Joe

 アフリカ南東部に位置し、国土の5分の1を湖が占める美しく、細くてもっとも貧しい国、マラウイから素晴らしい音楽が届いた。ギターをもって、ほこりっぽい路上で演奏された音楽は数年かけて磨かれ、いまでは世界中にファンを増やしている。これはスイスのレーベルからの3枚目のアルバムで、まったく飾り気のないシンプルな演奏が聴ける。最高に楽しい演奏が、この猛暑をぶっ飛ばすだろう。


Lophae - Perfect Strangers
Gregory J E Sanders

 ロ・ファイとはUKジャズ・バンドで、グレッグ・サンダース(ギター)、ベン・ブラウン(ドラム:ムラトゥ・アスタテケとの共演でも知られる)、トム・ハーバート(ベース:ポーラー・ベア他)、サム・レイプリー(サックス)から成り、本デビュー・アルバムのエンジニアはベネディクト・ラムディン(ノスタルジア77)。総じてメロディアスで、ゆったりとした演奏が魅力的。UKらしくボサノヴァかラテンなんかも入ってくる。とくに目新しさはないが、しかし確実に役に立ち、何度も聴いていられる。


Biosphere - The Way of Time
AD93

 ノルウェイーはオスロ在住、アンビエントのベテラン、バイオアフィアがロンドンの〈AD93〉からアルバムをリリース。透明感のある心地よい寒さが部屋のなかに広がれば、気分すっかりスカンジナビア半島……というわけではないが、没入観は抜群にある。曲中には1951年のラジオ・ドラマ『The Way of Time』の台詞がカットアップされている。


Jonny Nash - Once Was Ours Forever
Melody As Truth/Plancha

 毎週末、オレンジのシャツを着て、オレンジの自転車に乗って、オレンジのタオルで汗を拭きながらオレンジのチームを応援している世田谷在住のじじいにしたら、数年前に参政党が出てきたとき、まずその政党カラーにむかついた。オレンジとは、清水であり(新潟、大宮、愛媛であり)、バレンシアであり、そして栄えあるオランダ代表チームの色だ。というわけで最後はオランダから、日本で人気のジョニー・ナッシュの新作。池田抄英(マヤ・オンガク)、トモ・カツラダ(ex幾何学模様)、サトミマガエが参加。フォーク、アンビエント・ジャズ、ドリーム・ポップの境界をまたぐアルバムだと解説に書いてある通りで、やたら気持ちいいこのサウンドに包まれながら、オレンジ色の夕陽を見てチルするしかない。

Stereolab - ele-king

 未来を見つめるために過去を振り返るのは、つねにステレオラブの習慣の一部だった。アートワークには1960年代の実験的なステレオ・テスト・レコード盤の要素を取り入れ、音のルーツはクラウトロックの攻撃的でモータリックなモダニズム、フランス現代思想や戦後のマルクス主義の変種などの緩めの解釈、ルチア・パメラやノーマン・マクラレン等の創造力豊かな変わり者たちによるポップ・カルチャーの難解な奥義などの多岐にわたる過去から引き出したあらゆる要素が、政治批判、技術楽観主義、そして子どものようなクリエイティヴな遊びを融合させた、進歩の土台となる精神を構築してきた。
 
 だが、その進歩という考え方が、なかなかトリッキーではある。ステレオラブの新譜があなたを本当に驚かせたのはいつが最後だっただろうか? 私にとって、それはおそらく2001年の『Sound Dust』だったのではないかと思うが、すでに1997年に『Dots and Loops』がリリースされた時点で、ステレオラブのアルバムを思い浮かべるときに必要なすべての要素が揃ったと感じていたことにも言及しておきたい。とはいえ、それ以降の作品に創造性が欠如していたわけではない。グループはしばしば、自分たち自身で障害物をこしらえて、グルーヴを壊し、プロセスを複雑化して、お決まりのパターンに陥るのを防ぐことを繰り返してきた。2004年の『Margerine Eclipse』で特にその手法が際立っているが、このアルバムは“デュアル・モノ”方式で録音され、ふたつの独立した録音が各チャンネルにあり、それらが組み合わさって音が聴こえてくるというものだった。

 『Instant Holograms on Metal Film』の制作過程でもそのような仕事がなされたのかは知る由もないが、2008年の『Chemical Chords』のセッションからの音源で編まれた2010年の『Not Music』以来の今回の新譜は、まさにステレオラブのアルバムらしい音に聴こえる。完璧なメロディの再構築、音楽的要素やテーマなど、愛聴家たちが期待するものが揃っている。私の周りの人びとの意見はというと、眩暈がするような興奮を覚えた人と、期待はずれだったという人に二分されている。ある人は“自動操縦(オートパイロット)化されたバンド”という表現で総括した。
 私はその批判は、的外れであると思う。何よりもその精緻な再現性だけで、“オートパイロット”化という言葉がほのめかす怠惰という疑いを晴らすことができるからだ。それよりも私が感じとったのは、17年ぶりに集まったミュージシャンたちがこの“ステレオラブ”と呼ばれるものの記憶を呼び覚まし、再構築するために懸命に努力する様子だった。最後に一緒に奏でた音楽から彼らを隔てた長い時間自体が、そのプロセスを複雑化する障害物として機能し、再びステレオラブになるという行為がその概念の枠組みとなっているのだ。
 これは、単なる技術の実践を超えたもののように感じてしまう。長い時間、離れていた音やプロセス、そして人同士が再接続を果たすという感情的な行為なのだ。

 冒頭から、“Mystical Plosives”の電子的なアルペジオが“Aerial Troubles”へと突入すると、何か強烈なものの存在を感じる。ビートが予想より一瞬だけ早く始まり、ポップなフックに辿り着こうと焦っていかのようだ。メロディとテーマだけで、アルバム発売前のシングル“Melodie Is A Wound”が“Ping Pong”と同じ作曲者によるものだとわかるが、いずれも、より広がりのある密度の濃い作品となっている。この曲とA面全体が、新しい家のすべての部屋を見せたくてたまらない、無我夢中な案内人に連れまわされているような感覚だ。
 ティム・ゲインとレティシア・サディエールはどちらも前回のアルバム以来、活発な活動を続けており、この再構築されたステレオラブの構造にも、それぞれの作品の要素が絡まっている。ティムのプロジェクトであるキャヴァーン・オブ・アンチ・マターのホルガ―・ツァップもゲスト参加した、インストゥルメンタルな“Electrified Teenybop!”はふたりのアルバムの一枚にも違和感なく収まりそうな曲だ。一方、レティシアが頻繁にコラボレートするマリー・メルレ(アイコ・シェリーの)がバック・ヴォーカルで参加している。
 ある意味、ティムとレティシアの、その間の数年にわたる活動が、彼らが自分たちの過去を振り返るというプロセスを必要とした大きな理由のひとつかもしれない。キャヴァーン・オブ・アンチ・マターがシンセティックなモダニズムのサウンドに激しく傾倒したのに対し、レティシアの方は、特に昨年の『Rooting For Love』では物理的なものと精神的なものに対峙していた。ステレオラブの開発ツールは、両者が再び一緒に演奏できるようにするだけでなく、それぞれの創造的なこだわりを追求する余地を提供しており、その枠組みのなかで両者のアプローチが絡み合うことが織り込み済みなのだ。

 『Rooting For Love』では、現代政治がかなり強調されていたが、それはより抽象的な形で詩的に表現されていた。だが『Instant Holograms on Metal Film』 では、資本主義の破壊的なダンスと、機能不全を好む独裁体制を、執拗に、鮮明に描いている。

「Is there some form of justice possible or (なんらかの正義の形というものは実現可能なのだろうか、それとも)/So long, public’s right to know the truth(国民の真実を知る権利の終焉か)/Gagged, muzzled by the powerful(権力者に口を塞がれて封じられ)/Cultivate ignorance and hate(無知と憎しみを増殖させる)」

 と、レティシアは「Melodie Is A Wound(メロディとは傷である)」で問いかけ、こういった率直な真剣さを嫌がる人たちの目を白黒させる。

 A面の、歌詞を通じて現在の混乱した社会情勢に対する社会的、政治的、そして経済的な批判をアルバムの基盤とするやり方は、音楽のより理論に基づいた側面と結びつき、彼女の宇宙的な進歩の処方への、ある程度の具体的かつ抽象的な入口を構築している。
 そして、おそらくここが A面の政治に対する真剣さに賛同していた人のなかでも、レティシアの政治観が精神的なものばかりでなく、ニューエイジの領域に近い要素にまで密接に結びついているために、離れてしまう人が出てくる分かれ目になっているのかもしれない。とはいえ、このアルバムは、ステレオラブがこれまで表現してきたなかでもっとも完全な、政治的かつ個人的な宣言となっている。全体を貫いているのは、ただ問題点を明らかにする
だけでなく、ある種の解決策への道筋を示そうとする献身である。 

「Juncture invites us to provide care (この岐路は私たちにケアの提供を促している)/Palliative (一時しのぎの緩和ケアを)/ For dying modernity (死にゆく現代性に)/While offering antenatal care for the inception of the new, yet undermined future (一方でまだ定まっていない新たな未来の始まりに産前ケアを提供しながら)/ That holds the prospect for greater wisdom (より大きな英知の可能性を持つ未来のために)」

 レティシアはこのように“Aerial Troubles”で語り、『Rooting For Love』の歌詞は、彼女の革命的な実践において、対立ではなく愛と共感を中心に据えていると言及している。

 “Wisdom(知恵・英知)”は彼女が繰り返し使う言葉だが、その使い方は“明晰さ”と大体一致しており、社会という名のフィルターを通して見る訓練がなされる前に世界を見透かしてしまう、子ども特有の純真さのような感覚のことなのかもしれない。おそらく、多少はフランス左派の哲学者、コルネリュウス・カストリアディスの影響もあるのだろう。彼はイド、自我と超自我に分割される前の子どもの精神を、精神的な単子(サイキック・モナド)と説明し、健全な社会には、内省のための精神分析的なツールが不可欠であると考えた。そのような自己分析なしでは、私たちは自分たちの意欲に気付けないばかりか、真の自律性を獲得することができず、自治制のない社会は機能しないからだ。
 フランス語のつづりによる“Monade”は、もちろん、レティシアが自身の名前のみを使って活動するようになる前に音楽をリリースする際に使用した名称だが、これは単なる精神分析学的な用語ではなく、グノーシス主義とも強く結びついた神秘的な言葉である。
 アルバムのB面へと進み、とくに豊かでサイケデリックなC面になると、歌詞の社会批判は、診断的な内容から治療の段階へと進み、彼らが描く救済への道には、だんだんとグノーシス主義的な宇宙論が映し出される——資本主義の現実主義的支配者、デミウルゴス(“Vermona F Transistor”の神のふりをするジョーカー)が、人類が英知や啓発を得て、モナドの高潔で純粋な光の中で真の人間性を手に入れるのを妨げようとするが、その神聖な一部の火花は本来、我々がそれぞれ内包しているものなのだ。

 だが、ここで重要なのは、これらの表現方法のすべてが、本質的には個人的なものへと行き着くことなのだ。レティシアが“Vermona F Transistor”で「The architect, our higher self (建築家という私たちの高次なる自己)」と歌うその言語は霊的なものであり、「Explore without fear the rhizomic waves (恐れることなく、根茎状の波を探索せよ)」と歌うところでは、ドゥルーズとガタリの批判理論を想起させるが、“Esemplastic Creeping Eruption”のタイトルでは、コールリッジの詩の言葉を引いており、一体感(wholeness)と結合(union)という繰り返されるテーマは、宗教、心理学、政治と愛における語彙の核心的な部分だ。  「統合」のテーマは、バンドの再結成という文脈において、特に心に迫るものだ。“Esemplastic Creeping Eruption”のエンディングの歌詞

「It is because I am you, it’s because you are me (なぜなら、私はあなたであり、あなたは私だから)/Eternally entwined, mirage of separateness(永遠に絡み合った、分離と言う幻影)/Meeting with a stranger, a lost part of myself (見知らぬ人との出会い、失われた自分の一部) /It’s because I am you, it’s because you are me (なぜなら、私はあなたであり、あなたは私だから)/Two halves of one(一個の二つの半身)/Union, compound (結合、複合)」

は、人間に共通する普遍的なテーマとしても解釈できるが、ステレオラブ自身にとっても、強力な響きを持つ文脈となっている。

 アルバムの最終面は、注目を集めたがるA面や暗さのあるB面、サイケデリックなC面とは対照的に軽やかで、爽やかさと安心感のある音調になっている。最終面より前の面でも探求された多くのテーマを再訪するが、アルバムと同様に、次へと漕ぎ出す出発点として過去に焦点を当てている。“Colour Television”が「Open are the possibilities(可能性は無限に広がっている)!」と宣言し、“Flashes From Everywhere”では、「冒険的な進み方」を約束している。

 最終的に、政治批判や哲学、心理学、宇宙論といった深遠な風景を駆け抜ける、目の回るような旅の後にステレオラブが『Instant Holograms on Metal Film』で提示する前進への道は、決して不明瞭なものではないし、大袈裟なものでもない。彼らはただ、こう言っている。「自分自身の意欲と偏見について熟考し、明晰さと自律性を獲得しよう。その明晰さで異なる可能性を探求し、自分自身と他者を、精神的、社会的に、あるいは長年離れていたポップ・グループとして、同一のものの一部として結びつき、大胆に、自由に創造しよう」


by Ian F. Martin

The idea of looking back in order to look forward is one that’s always been a part of Stereolab’s praxis. The artwork that drew from 1960s experimental and stereo test records, their sonic roots in the aggressive, motorik modernism of krautrock, various loosely interpreted strains of French Theory and postwar mutant Marxism, the pop cultural esoterica of creative eccentrics like Lucia Pamela and Norman McLaren — it all drew from the past to construct an ethos combining political critique, technological optimism and childlike creative play as a platform for progress.

That idea of progress is a tricky one, though. When was the last time a new Stereolab album really surprised you? For me, perhaps that was 2001’s Sound Dust, although I’d argue that all the key elements you need to imagine a Stereolab album were in place with the release of Dots and Loops in 1997. That’s not to say there was a lack of creativity at work beyond that point, though: the group would often construct roadblocks for themselves to throw themselves off their groove, complicate their process and prevent themselves from falling into patterns. They do this most strikingly in 2004’s Margerine Eclipse, which was recorded in “dual mono” with two independently coherent recordings, one in each channel, that combine to create the song you hear.

Whether there was some process of that kind at work behind the scenes of Instant Holograms on Metal Film, I don’t know, but this first new album since 2010’s Not Music, which was itself pieced together from recordings made during the 2008 sessions for Chemical Chords, sounds exactly like a Stereolab album: an immaculate recreation of the melodies, musical elements and themes a fond listener would expect. Opinions among people around me have been split between giddy excitement and disappointment: a feeling one person summed up as of “a band on autopilot”.

I think that criticism misses the mark. The meticulousness of the recreation alone absolves the band of the suggestion of laziness “autopilot” implies. Rather, the sense I get is of musicians working together for the first time in seventeen years, working hard to remember and reconstruct this thing called Stereolab — the gulf of time that separates them from their last music together itself functioning as a roadblock that complicates their process, the act of becoming Stereolab again its own conceptual framework.

It feels more than just a technical exercise, though. It’s an emotional process of reconnecting with sounds, processes and people after a long time.

From the start, as the electronic arpeggio of Mystical Plosives bursts into Aerial Troubles, there’s something insistent, beats kicking in just a moment before you’re expecting them, almost an impatience to get to the pop hook. Both in melody and themes, early single Melodie Is A Wound is identifiably the same songwriters who wrote a song like Ping Pong, but it’s both more expansive and densely packed. The song, and the whole of side A, really, feels like being swept along by a deleriously enthusiastic guide, eager to show you all the rooms of their new house.

Tim Gane and Laetitia Sadier have both been active over the years since their last album, and elements of both their own work twine through the structure of the reconstructed Stereolab. Holger Zapf from Tim’s project Cavern of Anti-Matter makes an appearance, and the instrumental Electrified Teenybop! would fit just as easily into one of their albums. Meanwhile, Laetitia’s frequent collaborator Marie Merlet (of Iko Chérie) joins on backing vocals.

In a way, Tim and Laetitia’s work in the intervening years may be a big part of what makes this process of looking back on their own past necessary. Where Cavern of Anti-Matter leaned hard into the sound of synthetic modernism, Laetitia, especially on last year’s Rooting For Love, sought to engage with the physical and the spiritual. The Stereolab toolkit allows them both to play together again, offering space for each to explore their own creative obsessions within a framework where the intertwining of those approaches is baked in.

Where contemporary politics underscored much of Rooting For Love, they do so lyrically in a more abstract way. Instant Holograms on Metal Film, though, lays out with urgent clarity the destructive dance of capitalism and its dysfunctional lover authoritarianism.

“Is there some form of justice possible or / So long, public's right to know the truth / Gagged, muzzled by the powerful / Cultivate ignorance and hate,” Laetitia asks on Melodie Is A Wound, no doubt causing all the sorts of people who cringe at such direct earnestness to roll their eyes.

The way Side A grounds the album in a social, political and economic critique of the current troubled climate both links the album lyrically with the more theoretical side of the music, and constructs a more or less tangible entry point for her more cosmic prescription for progress.

This is probably the point where even some of those who were OK with the political earnestness of Side A begin to check out, because Laetitia’s politics are woven intimately with something spiritual, even new age-adjacent. However, the album maps out what might be the most complete political and personal manifesto Stereolab have ever expressed. What underscores it all, throughout, is a devotion to not just identifying problems but mapping out some sort of route to a solution.

“The juncture invites us to provide care / Palliative / For dying modernity / While offering antenatal care for the inception of the new, yet undetermined future / That holds the prospect for greater wisdom,” she says on Aerial Troubles, and ss on Rooting For Love, the lyrics here centre love and compassion rather than conflict in her revolutionary praxis.

The word “wisdom” is one she returns to again and again, used in a way that seems to be roughly congruent with “clarity” and perhaps the sense of childlike innocence that sees the world clearly through eyes that haven’t yet been trained to see through society’s filters. There’s perhaps the influence of French leftist philosopher Cornelius Castoriadis in this, who describes a child’s psyche before it is broken up into the id, ego and superego as the “psychic monad”, and saw the psychoanalytical tools of self-reflection as crucial to a healthy society, because without such examination, we cannot be conscious of our motivations and therefore be truly autonomous, and a society cannot function without autonomy.

Monade (in the word’s French spelling), of course, was the name Laetitia used to release music under before settling into using her own name alone, and it’s not just a psychoanalytical term but a mystic one with strong connections to gnosticism.

As the album moves into Side B and especially the richly psychedelic Side C, and the lyrics’ social critiques move from the diagnostic to the curative, the route they sketch out towards salvation increasingly mirrors gnostic cosmology — the archons of the capitalist realist demiurge (“the joker who pretends a God to be,” of Vermona F Transistor) holding humanity back from attaining wisdom or enlightenment and experiencing their full humanity in the incorrubtible pure light of the monad, part of whose divine spark we each contain.

Importantly, though, all these modes of expression come down to something fundamentally personal. The language is spiritual on Vermona F Transistor when Laetitia sings “The architect, our higher self”, it recalls the critical theory of Deleuze and Guattari where she sings “Explore without fear the rhizomic waves”, it draws language from the poetry of Coleridge in the title Esemplastic Creeping Eruption, and the repeated theme of wholeness and union is a key part of the vocabulary of religion, psychology, politics and love.

That theme of union is a poignant one in the context of the band’s reunion. The ending of Esemplastic Creeping Eruption with the lines “It is because I am you, it's because you are me / Eternally entwined, mirage of separateness / Meeting with a stranger, a lost part of myself / It’s because I am you, it's because you are me / Two halves of one / Union, compound” can be read as a general statement about collective humanity, but rings powerfully in the context of Stereolab itself.

The final side of the album takes on a lighter, breezier, more reassuring tone than the attention-hungry Side A, the darker side B and the psychedelic Side C. It revisits many lof the points explored on the earlier sides, but perhaps like the album itself, its focus is on summarising the past as a kicking off point for where to go next. “Open are the possibilities!” declares Colour Television, with Flashes From Everywhere promising an “Adventurous way to proceed”.

For all the giddy journey they take you on through this esoteric landscape of political critique, philosophy, psychology and cosmology, the route forward Stereolab offer on Instant Holograms on Metal Film isn’t an obscure one, in the end. It’s not a grand one either. It simply says: reflect on your own motivations and biases in order to achieve greater clarity and autonomy; use that clarity to explore different possibilities; see yourself and others united as part of the same thing, whether spiritually, as a society, or maybe even as a long-separated pop group; and create boldly and with freedom.

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