Home > Interviews > interview with Francesco Tristano - 若々しく、そしてセクシーなクラシック
バッハは生涯一度もドイツから出たことがなくてね。110パーセント、ドイツ人ってひとで。ところが彼は世界じゅうの音楽を知っていた。イタリア音楽にも、イギリス音楽にも非常に興味を抱いていた。あの頃からもう、音楽は国境を越えていた、ということ。
デリック・メイやカール・クレイグとのコラボで知られるピアニスト、フランチェスコ・トリスターノ。2017年にはグレン・グールド生誕85周年を祝うコンサートに坂本龍一やアルヴァ・ノト、フェネスらとともに出演(翌年ライヴ盤としてリリース)、エレクトロニック・ミュージックとの接点を有する稀有なクラシック音楽家だ。その大きな特徴は感情を揺さぶるメロディと、クラブ・ミュージックのような躍動感あふれる鍵盤叩き・指使いにある。
新作のテーマは古楽。ざっくり言えばバロック以前、中世やルネサンスの西洋音楽を指す用語だ。しかし解釈は一様ではなく、バロックを含めるケースもあるらしい。今回トリスターノがとりあげているのはピーター・フィリップス(1560頃~1628)、ジョン・ブル(1562頃~1628)、オーランド・ギボンズ(1583~1625)、ジローラモ・フレスコバルディ(1583~1643)といった、ちょうどルネサンスからバロックへの移行期(16世紀終わり頃から17世紀初頭)に活躍した作曲家たちである。フレスコバルディ以外はブリテン島の出身だが、当時の西洋ハイ・カルチャーの中心のひとつはフランドル(現在のオランダ、ベルギー、フランスにまたがる地域)だったため、ギボンズ以外はみな当地と深い縁を持っている(イギリス版チェンバロにあたるヴァージナルの音楽を手がけている点も共通)。
まあなんにせよ、一般的な西洋クラシック音楽のイメージを特徴づけている狭義の調性(ハ長調とかニ短調とか)がはじまったのはバロックからなので、いわばその黎明期に活躍したひとたちと言えよう。その後クラシック音楽は長い調性の時代を経て無調へと至り、さらにはテープの切り貼りや極小単位の反復(調性の復活)、偶然性の導入など数々の前衛的試み・実験を繰り広げてきた。それら20世紀後半の「前進」を経て、いま古楽に向き合うことはなにを意味するのか?
情感豊かな自身のオリジナル曲のあいまに、古楽や古楽を独自にアレンジした曲を織り交ぜつつ、他方でエフェクトも多用した『On Early Music』は、もしかしたらその答えのひとつなのかもしれない。今日的な引用精神? 失われた過去の復権? いやいや、パンデミックで移動が困難になった現代、鍵はどうやら「越境」にあったようだ。
原曲はヴィヴァルディだけれども、バッハはそうだとすら言わなかった。過去の時代がコピーレフトだったとしたら、現在の我々はコピーライトの時代を生きている。何もかも守られているし、ぼくたちはさらなる境界線を引いているわけ──知的財産権、ソフトウェアの知的所有権等々、いまやなんだってそうだ。で、ぼくはそれには反対でね。
■お住まいはいまもバルセロナですか?
フランチェスコ・トリスターノ(以下FT):バルセロナとルクセンブルクを往復する状態だね。だから正直、いまの自分がどこに暮らしているのか、我ながらよくわからなくなってる(苦笑)。それに、ぼくは頭のなかでは常にどこか他のところにいるしね……。というわけで、いま取材を受けているのはルクセンブルクからとはいえ、ご覧の通り(と、ZOOM画面の背景に使われていた世界地図を振り返って)全世界が背後に広がっているわけで、ぼくはいたるところにいるし、と同時にどこにもいないんだ(笑)。
■ルクセンブルク、あるいはスペインのコロナはどのような状況なのでしょうか? 人びとは自由に動け、買い物などは普通にできるのか、音楽イベントは開催されているのか、ロックダウンはあるのか、など教えてください。
FT:ああ、現時点で移動/外出規制はないね。バルセロナ、ルクセンブルク両国で規制はないけれども、唯一、いまも起きるのは──ぼくの子どもたちはまだ学童でね──学校で感染者が出たら、生徒は一定期間自主隔離することになる。感染例の数次第だけれども、2週間前に我が家も10日間、自宅で過ごした。学校で感染者が出たからね。でもまあ、ぼくたちもこの状況に慣れつつある──というか(苦笑)、世界のいまの働き方/動き方、そこにもうすっかり慣れっこになっているし。ただ、今回は欧州内での移動はそれほど規制が厳しくないから、そこはいい点だね、自由に動ける。
坂本(以下、□):音楽イベント、コンサート/リサイタルの開催状況はいかがでしょう? お客を入れて演奏はできるんですか?
FT:ああ、その土地次第で可能だよ。国ごとに状況は異なるわけだし、というかおなじ国でも、各地方によってちがう。たとえばドイツで言えば、エッセンといったドイツ北部は問題なしでも、バヴァリア(=バイエルン)地方のドイツ南部はたしか25パーセントしか観客を入れないといった具合だし、本当にどこにいるかに依る。スペインとルクセンブルクのカルチャーへの対応はこれまで非常によかったね、というのもスペインは、クラシック音楽とエレクトロニック音楽、そのどちらの会場も最初に再開許可した国のひとつだったから。たしか現時点では、エレクトロニック・ミュージックのイベントに関してはまだ規制があって、クラブやフェスの運営はむずかしいけれども、そちらもじきにノーマルな状態に戻るだろう、そう思っている。
■今回の新作のきっかけになったのは日の出の時間帯の独特の「エネルギー」とのことですが、早朝ランニングはいまも続けているのでしょうか?
FT:(笑)ああ、もちろん! 日の出の「マジック・アワー」はランニングに最適な時間帯だ。たとえば今日は──いまはルクセンブルクにいるから、いつもと気候がちがってね。かなり冷えるし、雨も多い。でも、今朝は朝5時に家を出たから、あたりはまだ真っ暗な頃合いで、小さなフラッシュライトを携帯して林の中を走った。で、非常にエキサイティングな瞬間に出くわしてね──というのもたまに野生動物を見かけるんだ、シカだの、コウモリだの……。
□(笑)いいですね!
FT:でも、今朝出くわしたもっとも美しいアート、それは鳥たちのさえずりを耳にしたことだった。いまは日の出の時刻も少し早まったとはいえ、少し前まで、本当にまだ朝が暗くてね、というのもルクセンブルクはかなり北、北緯49度に位置するから(訳註:北海道よりやや緯度が高い)。っていうか、きみ(通訳)はロンドンにいるから、それ以上に北だよね……。ともあれ、こちらは冬は朝8時頃まで明るくならないんだ、最近は8時より少し前に明るくなるようになったけれども。というわけで、いまの時期に早朝ランニングに出かけると、完全に真っ暗なんだ。日の出を目指して普段ぼくが走っているバルセロナに較べると、はるかに暗い。ところが今朝は、鳥たちのさえずりが聞こえたし、あれは素晴らしかった。ファンタスティックだった。
□ロンドンでも、「夜明けのさえずり(dawn chorus)」は聞こえます。黒ツグミ、スズメ等々、きれいな歌ですよね。私も大好きです。
FT:うんうん。
ネオ・クラシカルは単純に間違い、用語として誤りだから。ネオ・クラシカルは20世紀の非常に明確な一時期を指すものであって、ストラヴィンスキー、プーランク、プロコフィエフといった作曲家たちが、クラシック期、すなわちハイドンやモーツァルトの時代にインスパイアされて音楽を書いた時期を意味する。
■素人から見ると、クラシック音楽といえばイタリアか、バッハ以降はドイツ/オーストリアが中心に見えます。今回取り上げられているのは、ジローラモ・フレスコバルディを除けばみなイギリスの作曲家です。当時の「辺境」とまで言うと語弊があるかもしれませんが、16世紀頃のあまり知られていないイギリスの古楽にフォーカスした理由は?
FT:なるほど。まあ、ご指摘の通りだよ。クラシック音楽について語るとき、我々には大抵、イギリスの作曲家たちのレパートリーは思い浮かばない。けれども、イギリスのレパートリー/イギリス人コンポーザーというのは、非常に重要な存在なんだ。あの、後期ルネサンスの時代には、音楽世界の中心はイギリス、そしてベルギーとオランダにあったし、あれらのエリアから実に多くのクリエイティヴィティが発信されていた。あの当時、マスターに修行入りし学ぶべく、たくさんの人びとが目指した地もあそこだった。で、ときが流れ、現在ぼくたちはああした音楽とはあまり繫がっていない。というのも、さっききみが言ったように、クラシック音楽界にはドイツ、そしてイタリアに、フランスのものも多いと思うけれど、こうしたイギリスや欧州の北部──いわゆる Low Lands(訳註:低地。Low Countries とも呼ばれるネーデルラント地域の意。現在のベネルクス三国に当たるエリア)、オランダやベルギー産のものはあまり多くない。ああ、たぶん、そこにフランス北部も足していいかもしれない。ところが、これらの音楽は今回の作品に本当に大きな存在であり、ぼくがフォーカスをすべて当てた対象だったし、だからもちろんアルバムにフィーチャーされることになるだろう、と。ただ、ぼくにとってイタリア音楽は避けて通ることができなくてね。もちろんぼくはイタリア系だし、子どもの頃はイタリア人の祖母と暮らしていたし。ああ、それに、イギリス人作曲家の何人かも、イタリア名を名乗ったことがあったんだよ。イタリア人であることは当時それだけめちゃクールだったし、あるいは少なくとも「イタリア風の名前」であるのはかっこいいとされた。
□(笑)
FT:いや、だからなんだよ! 本当の話で、たとえばピーター・フィリップスは、「ペトロ・フィリッピ(Petro Philippi)」を自称したしね。実際、ぼくが彼のスコアに出くわしたときも、「へえ、ペトロ・フィリッピっていうのか。イタリア人らしいな、どんな音楽だろう?」と思って少しリサーチしてみたところ、「このひと、イギリス人じゃないか!」と。
□(笑)
FT:本名はピーター・フィリップスだった、と(笑)。そんなわけで、その点を指摘するのは本当に興味ぶかいことだと思う──ということは、当時の音楽的なクリエイティヴィティの中心地で生まれ、これらの素晴らしい音楽(いわゆるヴァージナル音楽)を書いていた彼らですら、「イタリアはイケてる。いちばんかっこいい」と考えていた、ということだからね。だからなんだ、このアルバムの文脈にイギリス人作曲家だけではなく、イタリア音楽も少し含めるのは面白いだろう、と思ったのは。いつも思うからね、ある意味ぼくたちはみんなイタリア人というか、イタリア系はみんなの中にちょっと混じっている、と(笑)。たとえばアルゼンチンに行くと、イタリア系が多いから(訳註:人種のるつぼであるアルゼンチンの人口は植民地時代の名残りでスペイン/イタリア系が多く、その6割近くに何らかの形でイタリア系が混じっているとされる)。
■オーランド・ギボンズの曲は、『Glenn Gould Gathering』(2018)でも演奏していましたね。今回もそのときとおなじ曲を演奏しています。グールドもギボンズを好んでいたようですが、あなたがギボンズに惹かれる理由は?
FT:これらのピース、古楽は本当に、音楽全般に関して言って、自分にとっての初恋の相手のひとつだったからね。出会いは小さかった子ども時代にまでさかのぼるし、古楽(early music)・早朝の日の出(early sunrise)・幼少期(early childhood)と、実際、しっかり繫がっているんだ。で、これらのオーランド・ギボンズの作品をぼくはずーっと演奏してきたし、文字通り、ニューヨークに移った1998年頃、当時16歳だったけれども、あの頃からもうプレイしてきたくらいだった。いま言われた通り、たしかに坂本龍一の「Glenn Gould Gathering」(訳註:坂本龍一キュレーションによるグレン・グールド生誕85周年記念イベント)でも演奏して、あのコンサートはライヴ・アルバムとして発表されることになった。けれども、ぼくはずっと、自分自身のスタジオ・ヴァージョンを録音したい、そう思ってきたんだ。というのも、あれは本当に、非常に長い間ぼくのそばに付き添ってきた作品だし、ただ、これまできちんとしたスタジオ録音をする機会がなかった。ライヴで演奏したことはあるし、その実況録音は発表されているけれども、スタジオ録音ではない。プロダクションという意味で、今回はまったく別物なんだ。
■私は未聴なのですが、あなたはフレスコバルディも2007年のアルバムで取り上げていたようですね。バッハは彼の「音楽の華(Fiori musicali / Musical Flowers)」で対位法を学んだそうですが、フレスコバルディの成し遂げたこととはなんだったのでしょうか?
FT:それはとても興味ぶかい質問だね。というのも、フレスコバルディは──フレスコバルディは何よりまず、ぼくの最愛のコンポーザーのひとりである、と。彼のことは本当に、もっとも驚かされる、もっとも素晴らしい作曲家だと思っているし、作品の今日性と興味深さを維持するための、実に驚異的なトリックをいくつも知っていたひとだった。で、そこには連続性があるんだ。というのも──そういえば、バッハは、生涯一度もドイツから出たことがなくてね。それくらい骨の髄までドイツ人、と。
□(笑)
FT:(笑)。110パーセント、ドイツ人ってひとで、生涯ドイツで暮らした。ところが、彼は世界じゅうの音楽を知っていた。イタリア音楽にも、イギリス音楽にも非常に興味を抱いていたし、だから彼は “イタリア協奏曲” やジーグ(を含む “イギリス組曲” など)といった、ドイツ原産ではないさまざまな舞曲を作ったわけ。で、バッハはとりわけフローベルガー(ヨハン・ヤーコプ・フローベルガー/Johann Jakob Froberger)の音楽に興味があってね。フローベルガーは作曲家で、ぼくの知る限り音楽的な神童で、フレスコバルディの門下生だった。だからこの、鍵盤楽器向けにどう作曲すればいいか、というスタイル面での連続性が存在するんだ。そのスタイルはときにスティルス・ファンタスティクス(訳註:stylus fantasticus。初期バロック音楽のスタイルのひとつ)とも形容されるけれども、実にクレイジーで装飾的なキーボード奏法というかな。鍵盤楽器は鍵盤を押しさえすればすごい速弾きができるし、達人奏法をやれる、と。あれは間違いなく、ぼくがフレスコバルディ経由でフローベルガーからヒントを得たところだったし、それより後の世代で言えばJ・S・バッハからもヒントを得た。こうしたことは本当に重要なんだ、音楽に国境はないと気づかせてくれるから。生涯母国から出たことのなかったバッハにも国境はなかったんだ、彼はイタリア風のスタイルで作曲していたんだしね。だからあの頃からもう、音楽は国境を越えていた、ということ。これは興味ぶかいことで──というのも、言うまでもなく日本には現在入国規制があって(訳註:取材時の2月上旬)、アーティスト本人は行くことができない。けれども、アートは渡っていけるし、音楽も自由に旅ができる。音楽は日本のひとたちにもシェアしてもらえるわけだし、この点はワンダフルだ。ぼく自身はいま、日本に行くことは許されない。けれども、ぼくの音楽が、願わくは日本の人びとのソウルに触れてくれればいいな、と。音楽はボーダーという概念を持たないし、ぼくたちにも国境/境界線はない。音楽は常に、国と国の間にまたがる境界線、それを越えて広がっていくものだから。
□おっしゃる通りです。それは、音楽のジャンルにしてもおなじことかと思います。クラシック音楽、モダンなポップやロック音楽、ヒップホップにジャズ……いろいろとありますが、どれも要は、大きなひとつの「音楽」と呼ばれるものなわけで。
FT:その通り! うんうん。だからたぶん、国境であれなんであれ、固定したボーダーはない、ということ。ぼくのように、非常にコンテンポラリーな響きの古楽のレコードだって作れるわけだし──だから、関係ないっていうこと。
□(笑)ですね。そんなあなたはある意味、密輸業者のいい例かもしれません。
FT:ハハハッ!
□(笑)色んな音楽を密輸入/出するひと、というか。
FT:(笑)なるほど、密輸品ね。うん、それはいい。
質問・文:小林拓音(2022年2月28日)
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