「Sunn O)))」と一致するもの

ele-king vol. 36 - ele-king

 まず、この場を借りてTocagoにお詫び申し上げます。紙エレキング年末号には、ワタクシ野田がバンドに取材して書いたインタヴュー原稿が掲載されているのですが、記事のなかで、P155の上段後ろから8行目なのですが、バンド側から発言者が違っているという修正指示が修正されないまま残ってしまっておりました。修正指示がそのまま残っているので、最低限、発言者が違っていることはわかります。とはいえ、読者の皆様にも混乱を与えるでしょうし、ここに重ね重ねお詫び申し上げます。

 では、以下、最新号の案内です。

 2025年は、よしもとよしともの名作『青い車』のリイシュー版が太田出版から刊行されました。「紙の本として世に出るのは、おそらくこれが最後です」と、そのオビには記されています。象徴的な言葉だと思いましたが、果たして「これが最後」でしょうか。というのも、この夏、『青い車』を読みながら複雑な思いが湧き上がり、それ以来、ずっとその思いについて思考を巡らせているのです。

 昔、ポップ・ミュージック(ロック、R&B、ソウル、ヒップホップ、ハウス、テクノ、メタル、カントリーなどを含むすべて)には、その主要フォーマットとしてのレコードには“場所”がありました。『青い車』は音楽に溢れた作品ですが、CDは描かれていません。もちろん、CDというフォーマットが生まれなかったとしても、音楽がデジタル化されることは、そのレコーディング機材の発展を鑑みても避けられなかったことはたしかです。だからといってIT企業の介入による現在のリスニング文化が必然的な結果だったとは、どうにも納得できなかったりもします。ストリーミング・プラットフォームが提供する、ほぼなんでも聴けてしまう、過去も現在もない、時間感覚もない、すべてがフラットな文化、この状況にありがたみを感じながら、より深く音楽の世界に没入している人が30年前より多いとはぼくには思えないからです。
 『青い車』で何気に描かれている、うだつのあがらない若者たちには、しかし音楽という拠り所があります。レコード店やクラブがあり、音楽友だちがいます。レコード店が、音楽を売って儲けるためだけの資本主義に従属した場ではなかったことが、『青い車』を読んでいると思い出されます。そこは出会いの場でもあって、たとえ気が合わなくても人同士が繋がる場、そして、音楽の居場所が用意されている場所でもありました。
 ayaのレコードなら、店の端っこにある「experimental」系のコーナーに入れる店と面出しにする店とに分かれたでしょう。ビリー・ウッズのアルバムは、ヒップホップ専門店よりも、Sunn O))) をプッシュしている店のほうが多く仕入れたかもしれません。いまから10年以上前の話になりますが、初期のOPNやBurialは、扱う店とスルーした店とに分かれました。これは、「わかってる/わかってない」という話ではありません。音楽とリスナーとの緊張関係の話です。輸入盤を売るのは返品不可というリスクがあるので、売るほうも自分たちの耳を頼りに、真剣に吟味し、選盤しているわけです。
 音楽とリスナーとの緊張関係、思い込みの強さと言ってもいいでしょう。思い込みとはすなわち想像力のことで、それは文化の強度のことです。音楽の居場所があった時代、それと出会う困難さ、素性もよくわからぬその音楽を自らの想像力で補いながら聴いたときの没入感、こうしたリスニング体験は、ネットで調べれば大抵のことはわかってしまい、ほとんどが無料でなんでも聴けてしまう現在における音楽の接し方とは著しく異なっています。

 で、こうした「昔は良かった」話は、数年前までは老人の郷愁として片付けられていたことは周知の通りです。が、しかしですねぇ、一概にそうとは言えないような状況を最近はよく目にするようになりました。そのやるせないことのひとつが2025年のオアシス・ブームだったりするのですが、その話とは別に、レコードやCDを好む若者が増えてきているという変化があります。これはぼくの思い上がった妄想かもしれませんが、欲に目のくらんだ音楽産業が数年前に棄てたモノを、いまになってぼくよりずっと若い人たちが拾っているように思えるのです。
 これは、あながち誇張ではないかもしれません。SNSやスマホから離れ、ゆっくり本を読む時間を欲している人たちがじょじょに増えつつあるんじゃないかという話を、学生が立ち寄る古本屋を営んでいる知人から最近聞かされました。じっさいのところ書店は減りましたが、個人書店は増えています。同じように、個人レコード店も少しずつ増えています。はじめているのは、定年退職後の高齢者たちではありません。ぼくよりも若い人たちです。また、冥丁や井上園子や沖縄のハラヘルズ、こだま和文の近年の諸作なんかを見たり聴いたりしていると、古き良きものというか、20世紀の若者文化が破壊の対象としてきたものを彼ら・彼女らが修復しようとしているように思えることもあります。よしもとよしともの『青い車』の紙の本が、この先出ないとは限らない時点にまで針は進んでいるとしたらどうでしょう。多少、時間の感覚が混乱することがあったとしても、失われたものを取り戻す作業だと思えば、逆にこれが2025年という現在なのではないでしょうか。

 インターネットでできることはまだあるのかもしれませんが、その弊害はあからさまに噴出しています。SNSは、炎上好きが興奮するデジタル・コロシアムで、もうヘタなことは書けない、人気者には盲従するしかない——最近ある記事を読んでいたら、ボビー・ギレスピーが消費者ガイドと化した近年の音楽メディアにずいぶんとご立腹しておりました。テオドール・アドルノによれば、ファシズムは「批評」という言葉を追放し、その代わりに「芸術考察」という概念を使わせたといいます。なぜなら文化は最終的にファシズムを追放するからです。アドルノいわく「文化は “潜在的に批判的なもの” としてのみ、真である」

 時代がどうなるかわかりません。Instagramがなくなるとは思いませんが、惑星の植民地化やAIの進化に誰もが興奮しているわけではないのです。1990年代、マライアやブランディではなく、オウテカやビョークなんかをなぜ選んだのかと言えば、そっちのほうに変革の匂いがあったからです。しかし、“いま”という時代のややこしいところは、90年代にキャット・パワーやソニック・ユースを支持していたような連中が近年のチャーリーなんかに感化されてか、当時眼中になかったブリトニーなんかを「イイネ〜」と言ったりするその他方では、目をひんむいて「変えてやるー」とやる気満々のイーロン・マスクやピーター・ディールみたいな人たちがいることです。「破壊せよ、とアイラーは言った」の時代ではなく、「破壊せよ、とイーロンは言った」の時代に生きているという、ああ、面倒な時代です。音楽が、そのすべてではないにしても、あるいはそれが過去への回帰だとしても、テクノ・ファシズムからの避難所として機能していることは、ひとまず、すばらしい事実でしょう。長々と書きました。紙エレキング、今回もどうぞドネーションだと思ってよろしくお願い申し上げます。レコ店/アマゾンは、本日(18日)発売、書店では、25日発売になります。
 最後にひと言、『青い車』には90年代のエレキングに短期連載していた「NO MORE WORDS」が収録されております。減速主義者、ワタクシ野田と、そして近い将来掲載予定の、『青い車』の書評を担当した杉田元一が出てくるのは、P120です。

【目次】
キャロライン、インタヴュー(ジェイムズ・ハッドフィールド/野田祐一郎/江口理恵)
二階堂和美、インタヴュー(水越真紀)
Tocago、インタヴュー(野田努/野田祐一郎)

特集:日本のシンガーソングライター、その新しい気配

「シンガーソングライター」とは何か?(野田努)
オルタナティヴとしてのフォーク主義(松永良平)
小さき者たちの矜持(岡村詩野)
中野ミホ、インタヴュー(風間一慶/川島悠輝)
井上園子の登場は衝撃だった(大石始)
井上園子が選ぶ2025年もっともよく聴いた5枚
ヘイムラコルトが漂わせるノスタルジー(峯大貴)
ヘイムラコルトが選ぶ2025年もっともよく聴いた5枚
新潮流ディスクガイド30
(天野龍太郎、峯大貴、松島広人、小林拓音、田中亮太、風間一慶、野田努、三田格)
ポップスにクィアの想いを溶けこませる(木津毅)
シンガーソングライターに惹かれない理由(三田格)
エクスペリメンタル系SSW(野田努)

2025年ベスト・アルバム30枚
リイシュー&アーカイヴ23選

■ジャンル別チャート
テクノ(猪股恭哉)│インディ・ロック(天野龍太郎)│ジャズ(小川充)│ヒップホップ(高橋芳朗)│ハウス(猪股恭哉)│エクスペリメンタル(ジェイムズ・ハッドフィールド/青木絵美)│ポスト・ハイパーポップ(松島広人)│レゲエ/ダブ(河村祐介)│アンビエント(三田格)
■コントリビューター・チャート
青木絵美、天野龍太郎、小川充、小山田米呂、Casanova.S、河村祐介、木津毅、緊那羅:Desi La、篠田ミル、柴崎祐二、柴田碧(パソコン音楽クラブ)、高橋智子、TUDA、つやちゃん、DJ Emerald、デンシノオト、橋本徹、ジェイムズ・ハッドフィールド、二木信、Mars89、イアン・F・マーティン、松島広人、三田格

コラム:2025年のオアシス現象、その拭いがたき違和感(野田努)

R.I.P. Ozzy Osbourne - ele-king

 デイヴィッド・ボウイといい、坂本龍一といい、自身の死期を見定めて人生の締めくくりに向かうアーティストが増えているようだ。そういう時代になってきたということなのだろう。7月7日、バーミンガムで行われた『Back To The Beginning: Ozzy’s Final Bow』は今世紀最大のメタル・フェスだった。長らくパーキンソン病を患っていたオジー・オズボーンが引退を宣言し、最終公演としてブラック・サバスのオリジナル・メンバーが代表曲中の代表曲4曲を演奏した。“War Pigs”で幕開けというのも彼らの意志を感じさせる。ほかにも新旧の様々なアーティストたちがオジーのために集結した。しばらくはSNSにバックステージで記念写真に興じる出演者たちの姿で溢れた。みんな楽しそうだし、オジーが大好きなのが伝わってきた。

 オジー・オズボーンことジョン・マイケル・オズボーンは英国の工業都市バーミンガムの労働者階級の出身で、10代にして酒浸りのやさぐれた生活を送る中でバンドを結成する。当初のバンド名は「ザ・ポルカ・タルク・ブルース・バンド」、まもなく「アース」と改名。もともとはブルース・バンドとしてスタートしており、サックスとスライドギター奏者のいる6人編成だったが、最終的にはギターのトニー・アイオミ、ベースのギーザー・バトラー、ベースのビル・ワードが残る。「アース」というバンド名はのちにディラン・カールソンが自身のバンド名として引用し、ドゥーム~ドローン・ミュージックのパイオニアとなる(それに対抗したのがスティーヴン・オマリーのSUNN O)))なのだが、それはまた別の話)。
 やがてイタリアのホラー映画『ブラック・サバス 恐怖!三つの顔』を観たギーザー・バトラーが、「怖いものは人気がある」と思いつき、バンド名をそのままいただくことになる。ビートルズにおけるインド思想やジミー・ペイジにおけるアレイスター・クロウリーといったガチな傾倒とちがい、サバスのオカルト/悪魔趣味は発端がホラー映画だったことからもわかるようにあくまでエンタメだった。
 1970年2月、13日の金曜日にファースト・アルバム『黒い安息日』をリリース。冒頭に収録されたタイトル曲“Black Sabbath”ではわずか三音のシンプルなリフながら、“トライトーン”と呼ばれる邪悪な音階による禍々しいリフと、オジーの切羽詰まった歌声が恐怖感を募らせる。60年代後半からメタルのルーツとされるようなハード・ロックが出現して人気を博してはいたし、ヘヴィ・メタルという言葉がジャンル名として定着するのは70年代後半のことだが、ヘヴィさと禍々しさを徹底して追求したブラック・サバスこそがヘヴィ・メタルの開祖だったとされている。
 ファースト・アルバムの時点では、まだブルース・バンドだった時代の名残を聴くこともできる。“The Wizard”ではオジーによるハーモニカがフィーチャアされているし、“Warning”と“Evil Woman”の2曲はブルースのカヴァーだ。
 以後、代表曲“Paranoid”と“Iron Man”を収録した2nd『パラノイド』、ギターのチューニングを一音半下げてより一層ヘヴィとなった『マスター・オブ・リアリティ』、より音楽性を広げていった『ブラック・サバス 4』『血まみれの安息日』と、名作を連発していく。
 歌詞のモチーフとしてはホラー/オカルト以外に反戦歌“War Pigs”やドラッグ・ソング“Sweet Leaf”“Snowblind”などがある。作詞を主に手掛けていたのはオジーではなくバトラーだった。バンド名の名付け親でもあり、バンドのコンセプトメーカーだったと言っていいだろう。それを具現化させたのがアイオミの作り出すリフであり、オジーの歌だった。

 バンドは次第にドラッグやアルコール問題が顕在化していき、70年代末にはついにオジーが脱退(解雇)。アメリカに拠点を移してソロ活動を開始し、若きギタリスト、ランディ・ローズをパートナーに迎えたソロ・アルバム『ブリザード・オブ・オズ〜血塗られた英雄伝説』『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』は、当時のLAメタルの流行もあって大成功を収める。
 当時のオジーはアルコールやコカインに溺れ滅茶苦茶な状態だった。よく語られる「鳩の首を食いちぎる」「ステージに投げ込まれたコウモリの死骸の首を食いちぎる」といった奇行エピソードはだいたいこの頃のことである。後に妻となる敏腕マネージャーのシャロンの助けもあり、次第に生活も立て直し安定したキャリアを築いていく。そのさまは2020年のMV「Under the Graveyard」でも描かれている(だいぶ美化されている気はするが)。

 オジーのソロ作は狼男に扮した『月に吠える』のアートワークやMVなどからもわかるようなホラー趣味を展開していたが、サバス時代以上にエンタメ度が高く、禍々しさよりは愛嬌のあるポップさが印象に残る。80年代のホラー映画ブームにも連動していたのだろう。一方で、“Good Bye to Romance”“Diary of a Madman”など内省的な曲が増えてくる。とはいえ作詞は依然としてオジー自身によるものよりは外部ライターや共作が多い。これはオジーが若い頃からディスクレシアに悩まされていたこととも関係があるかもしれない。

 オジーの脱退後、いわゆる「様式メタル」化の進んでいったブラック・サバスは、90年代前半ごろまでは日本ではレッド・ツェッペリンやディープ・パープルなどと比べて評価は低く、キワモノというかB級扱いだったように思う(メタル界での評価は別として)。だが、グランジ~オルタナティヴ・ロックの台頭にともなってオジー時代のサバスの再評価が始まった。カート・コベインがフェイヴァリットに挙げていただけでなく、サウンドガーデンやアリス・イン・チェインズなど明らかにサバス影響下にあるバンドが登場してくる。また、「世界一速いバンド」ナパーム・デスのシンガーだったリー・ドリアンが結成した「世界一遅いバンド」カテドラルも初期サバスを主要な参照元としており、その後のドゥーム・メタルの隆盛につながってゆく。
 90年代後半には自身の名を冠したロック・フェス「オズフェスト」の開催を始める。97年の第2回からはツアー形式をとり、オジーのソロとオリジナル編成によるブラック・サバスのダブルヘッド・ライナーとなった。旧来のヘヴィメタルにとどまらず、若手のメタルコアやオルタナティヴ・メタルなど新旧とりまぜたラインナップによる・ヘヴィ・ミュージックのショーケースとして人気を博した。2005年には日本からザ・マッド・カプセル・マーケッツが出演。2013年には日本でも開催された。2002年にはMTVでリアリティ番組「オズボーンズ」の放映が開始。オジーとその家族の生活に密着してお茶の間の人気者になる。

 はっきり言って「歌がうまい」という人ではない。なんでも歌いこなすというタイプではなく、何を歌ってもオジーにしかならない。ヘヴィメタルの帝王と呼ばれてはいるものの、独特の軽みのある声と粘っこい歌い方は、正統派のメタル・シンガーとはだいぶ異なる唯一無二のものだ。2005年のカヴァー・アルバム『Under Cover』では長年のビートルズ愛を発揮してビートルズおよびジョン・レノンの曲が3曲も収録されていたほか、キング・クリムゾン“21世紀の精神異常者”、ストーンズ“悪魔を憐れむ歌”、クリーム“サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ”といった捻りのない選曲に捻りのないアレンジで、楽しそうに歌ってるのが微笑ましい。
 2019年にパーキンソン病に罹患してからは明確に「締め」を意識し始めたように思う。とくに2020年のアルバム『オーディナリー・マン』は先述の“Under the Graveyard”のほか、「有名になる準備などできていなかった」「俺は平凡な男として死にたくはない」と歌われるタイトル曲など、自身の人生を振り返る曲が目立つ。

 最後のコンサートとなった『Back To The Beginning』チャリティコンサートとして総額2億ドル以上をあつめ、バーミンガム小児病院、エイコーン小児ホスピス、キュア・パーキンソンに寄付されたという。オジーはすでに歩行もままならない状態だったため椅子に座っての出演で、おそらく本当に最期の力を振り絞ってのパフォーマンスだったのだろうが、どの写真を観ても満面の笑顔ばかりでそんなことを微塵も感じさせない。だからこそ、あれからわずか2週間で亡くなってしまったことがいまでも信じられない。

Golem Mecanique - ele-king

「私たちは、皆、危険にさらされている」
 ピエル・パオロ・パゾリーニが最後のインタヴューで残した言葉だ。まもなく、彼はローマ近郊のオスティア海岸で暴行され、車で轢かれ命を落とすことになる。この謎めいたフレーズに触発され、フランスのドローン・アーティスト、ゴーレム・メカニック(カレン・ジェバン)はアルバム『Siamo tutti in pericolo』を制作した。タイトルはそのまま、「私たちは、皆、危険にさらされている」という意味を持つ。カレン・ジェバンがパゾリーニに出会ったのは14歳のとき。『アッカトーネ』(1961)、『テオレマ』(1968)を観て衝撃を受けた。静かな暴力、エロスと欲望、生々しい美学、神話的なモチーフ、そして怒り――そのすべてが彼女の内面に刻まれた。それ以来、パゾリーニの映画は「人生の伴侶」となった。

 カレン・ジェバンは、ドローン・アーティスト、ヴォーカリスト、実験音楽家として活動する一方、スイスの45人編成の音楽集団 Insub Meta Orchestra の一員でもある。ゴーレム・メカニック名義では2009年頃から音源を発表しており、2020年の『Nona, Decima et Morta』以降はスティーヴン・オマリー主宰のレーベル〈Ideologic Organ〉からリリースを続けている。本作は、2021年の『Luciferis』に続く、同レーベルからの3作目となる。
 2020年、パンデミックの最中のことだ。緊急事態宣言下、自室に籠もりながら聴いたオルガン、ハーディ・ガーディ、声によるドローン・サウンドは、私を深い瞑想状態へと導いてくれた。そのサウンドには、瞑想的でありながら儀式的でもあった。近代化によって切り捨てられてきた「音楽の魔術性」が蘇るようでもある。近代への抵抗――、地中海フォークとドローンの融合から生まれるサウンドスケープは、感情と無感情、ノイズと音楽、魔法と現実、フォークとフランス近代音楽が静かに共存していたのだ。

 『Siamo tutti in pericolo』でも、カレン・ジェバンはオルガン、ハーディ・ガーディ、ヴォイスといった楽器を駆使し、従来の作風を継承している。ただし、本作が特別なのは、敬愛するパゾリーニの “言葉” そのものをモチーフにしている点にある。サウンドは、過去作よりも整理され、簡潔に、そしてより豊潤に。ドローンを土台にしながらも、儀式性がより強調された印象がある。それはまるで、パゾリーニの「最後の言葉」を媒介に、その精神と幽霊を召喚しようとする試みに思える。カレンはレーベルのインフォメーションでこう記している。「私は、暗闇の中で見通す目になりたかった。彼の最後の昼と夜を語る声、記憶を呼び覚ます幽霊に」

 このスタンスは、あえて言うなら「スピリチュアル」だろう。しかしそれは、近代が排除してきた “残滓” であり、「抑圧されたものの回帰」でもある。無慈悲な死への救済――それは決して実現しない祈りであっても、捧げることはできる。ドローン音楽の瞑想性には、近代以前の “精神” への回帰がある。ゴーレム・メカニックの音に包まれていると、そんな感覚が静かに満ちてくる。今作では、過去作以上に「声=歌」の役割が大きい。ドローンとヴォーカルの鋭い対比により、私などは初聴で90年代以降のスコット・ウォーカー作品を思い出した。特に、彼とSunn O)))による『Soused』(2014)を連想したほどだ。実際、カレン自身も本作について「マリア・カラスとスコット・ウォーカー」の名を挙げている。

 収録は全6曲、計36分。短いが、密度は高い。1曲目 “La Notte” では、硬質なドローンと声が絡み合い、聴き手を現実の外へと誘う。続く2曲目 “Il giorno prima”、3曲目 “Teorema” もその延長線上にある。4曲目 “Il giorno” では、持続音が切れるとアカペラに移行する。その “空白” が際立ち、やがて高音のドローンが訪れる。和声感覚にはフランス近代音楽――ドビュッシーやラヴェルを思わせる浮遊感があり、前半のプリミティヴな儀式性が、20世紀初頭の音響へと移行する。その構成は見事だ。5曲目 “La tua ultima serata” は、前曲の余韻を引きずりながら、感情を排した硬質なドローンが支配する。そこに薄くレイヤーされる声が、やがて “歌” に変わっていく。アルバム前半への回帰だ。そして最後の6曲目 “Le lacrime di Maria” では、再びドローンにカレンの声が重なるが、今回はまるで讃美歌のように透明な響きを持つ。それは、パゾリーニの魂を浄化するようでもある。パゾリーニの「魂」と、カレン・ジェバンが「対話」をするような音楽作品とでもいうべきか。

 「私たちは、皆、危険にさらされている」パゾリーニが語った言葉であり、本作のタイトルでもある。だが2025年のいま、それは彼の死を越えて響く。戦争の暴力、ネット上の言説の混迷、身体と精神への静かな圧力……。私たちは、確かに “危険な時代” を生きている。けれどこのアルバムは、不安を煽るための作品ではない。その言葉の奥にある “祈り” の気配を、静かに響かせる音楽でもある。カレン・ジェバンはこう書いている。
 「私はただ、彼の遺体が、あの冷たい浜辺にひとりで横たわらないことを願った」

Senyawa - ele-king

 サウンドは物語を創造し、物語はサウンドを創造する。物語は本質的に音響的だ。進化の始まりにおいて、テクノロジーを持たない人類は、土の影響から直接、地球上でもっとも壮大ないくつもの物語を創造した。インターネット・ミームや陰謀論、拒食症やビタミンD不足を秘めたK-POPスターへの依存に縛られ、ほとんどの人間が太陽や月を見つめることを拒否しているいま、自然界と人間との間の溝は広がり、信念に基づく音楽でのストーリーテリングは脇役に追いやられている。
 インドネシアのデュオ、Senyawaが、2010年に最初の作品をリリースしてから、東京で何度か見かけたことがある。すでにインドネシアでは高い評価を得ていた彼らの音楽は、次なるものを求める日本人DJや音楽愛好家にも大いに受け入れられていたが、ヴォーカルのRully Shabaraと自家製楽器を操るWukir Suryadiという、あまりにもベーシックなデュオの背後にあるパワーをどう解釈すればいいのか完全に理解していたわけではなかった。私が最後にSenyawaのライヴを見たのは、代官山ユニットでのニューイヤーズ・カウントダウン・ライヴだった。ヴォーカリストと楽器奏者だけが中央に立つ広いステージは、ステージがそのエネルギーを処理しきれなくなるほど催眠術のようなパルスに完全に包まれていた。彼らの磁力だ。彼らの特異なライヴ・パフォーマンスは、静かな方に傾きがちな初期のレコーディングと対照的に、ヘヴィなのだ。しかし、それは大きく変わりはじめている。
 大きな話題となった『Alkisah 』(2021年)以来の最新作『Vajranala 』(2024年)は、彼らの集合的なサウンドが、運動性のあるフォーク・ソングから、より多人数のオーケストラへと拡大し、大きな進化を遂げている。
 ある物語がサウンドにインスピレーションを与えることもあれば、その逆もある。Senyawaの場合、どちらが先かはわからない。というのも、彼らがそれぞれのプロジェクトに取り入れる哲学的、神話的なテーマは、最終的に彼らが選ぶ音楽へのアプローチと密接に結びついているからだ。『Vajranala』では 、権力、権力の知識、知識の力という選ばれたテーマが、SlayerやSunn O))) と同じように、部屋を満たすようなよりドラスティックな音のアプローチを要求していることは間違いない。Senyawaの最近のリリースはどれも、ヘヴィ・メタルの新しいヴァージョンのように感じられ、ハードなクラッシュダウン・ビートのパワーとハーモニーと不協和音の海は、紛れもなく美しい。『Vajranala』という タイトルが、「vajra」を「thunderbolt」、「anala」を「flame」と訳しているのは間違いではない。このLPを聴いても、インドネシア語で歌われていることを(言葉の重要性にもかかわらず)口頭では理解できないファンが大半だろうが、間接的に理解できるほど、音楽にはアイデアが十分に込められている。そのようなスピリチュアルなチャージが、彼らから引き出されるのだ。

 これまでの録音とは異なり、『Vajranala』は 語られることなくともコンセプト・レコーディングのように感じられる。しかし、このアルバムにコンセプト・アルバムというレッテルを貼るのは恐れ多い。ときには人びとが、深い音楽の録音と同じことを目的とした書籍の価値を分けて考えていることに唖然とする。400ページの大著と同じように、私はこのようなアルバムにも敬意を払うような表現ができればいいと思う。

 『Vajranala』は 救世主的だ。彼らのライナーノートに記されているように、ここにはインドネシア、ジャワ島中部のブロジョルダン寺院(パウォン寺院)を取り巻く神話への熱烈な情熱と献身的な働きかけがある。神話を表現方法として取り入れることは、いまの時代ではユニークなことと言えるが、Senyawaはさらに進んで、インドネシアにヴァジュラナラ・モニュメント(『Vajranala』のジャケットをチェック)を建設した。火を放ち、高さ3.5メートル、幅2.8メートルもあると言われているが、信仰の信憑性を重視するそれを私には冗談だとは思えない。サン・ラーやラメルジーが自分たちの音楽を信じ、自分たちの作品が自分たちの生活のなかに重要な意味を与えていたということを思い出す。

 Senyawaは信念を貫いて生きている。彼らの音楽は真空のなかに存在するのではなく、彼らの環境、地域の歴史、個人的な歴史、そして強烈なイマジネーションから、彼ら自身とその周囲から紡ぎ出されたアイデアと物語から生まれる。すべてのサウンドとヴォーカルには、それらが由来し、引用された本の1ページがあるように感じる。この作品はから、レコード店とも図書館とも繋がりを見つけることができる。
 活気のある埃っぽいレコード店でこのレコードを発見し、壁沿いにあるレコードプレーヤーでほんの少し聴き、窓拭きで得た小遣いで即座に購入し、レコードをリュックに放り込み、夏の昼下がり、両親が仕事に行っているあいだに急いで家に帰り、家族のレコードプレーヤーにこのレコードをかける。10代の若き日の自分がSenyawaの生み出すダイナミクスの大きさに惚れ込んだとしたら、いったいどんな反応をしただろうか。それを思うと私は胸が痛む。これは過去にも、レコードやCDで何度も経験したことだが、こんにちの哀れな音楽クリエイターの経済では、私のこの文章それ自体が神話のようなもの。いまの時代、この神話のような存在を体験する子供はいないだろう。だとしたらとても残念なことだ。Senyawaは新しい世代にとって、このような象徴的な地位に値する。
 そのような磁力を、彼らは引き出しているのだ。


Some sounds create stories and some stories create sounds. Some stories are inherently sonorific. In the beginning of evolution, humans without technology created the greatest stories on earth based directly from earthen influence. Now as most humans refuse to stare into the sun or the moon bound by addiction to internet memes, conspiracy theories and kpop stars secretly anorexia and deficient in vitamin D, the chasm between the natural world and human beings widens and storytelling in music based on belief is relegated to a side note status.

I`ve seen the Indonesian duo Senyawa a few times in Tokyo ever since they released their first music in 2010. Already well regarded in Indonesia, their music was greatly embraced by local Japanese djs and music aficionados looking for the next thing and not knowing fully what to make of the power behind a duo so basic in their set up, Rully Shabara on vocals and Wukir Suryadi on homemade instruments . The last time I saw Senyawa live was at Daikanyama Unit for a New Years Countdown concert. The massive stage where only a vocalist and a instrumentalist stood center became so fully enveloped by hypnotic pulses to the point the stage couldn`t handle the energy they created. Such is the magnetic charge they elicit. In comparision, their singular distinctive live performances are heavy when contrasted to several of their early recordings which tended to lean on the quiet side. That though is starting to change greatly.

Vajranala (2024) , their newest release since the highly publicized Alkisah (2021) is a large evolution as their collective sound has expanded from kinetic folk songs to now more of a multi- member orchestra.

Some stories inspire sounds and vice versa. With Senyawa, I am unsure which comes first as the philosophic and mythical themes they embrace for each project are tightly intertwined with the approach to music they ultimately choose. With Vajranala there is no doubt that the chosen theme of power, the knowledge of power and the power of knowledge demands a more drastic sonic approach that fills a room in the same way maybe Slayer or Sunn O would. Each recent release by Senyawa feels like more like a new version of heavy metal, unmistakenable in the power of hard crushing downbeats and the beauty of oceans of harmonies and dissonance. It is by no mistake that the title Vajranala translates to `thunderbolt` for `vajra` and `flame` for `anala.` The majority of fans will not understand anything verbally (despite the importance of the words) sung in Bahasa Indonesian listening to this LP but the ideas are tucked sufficiently in the music enough to be understood indirectly. Such is the spiritual charge they elicit.

Unlike previous recordings, Vajranala feels like a concept recording even without being told. But I fear labeling this a concept album as that idea can be quite cliche and can produce more groans than excitement. I wish we could adopt wording that would give albums like these more respect in the same vain as 400 page books are. It dumbfounds me that the general public separates the value of deep musical recordings from books which aim to do the same thing.

Vajranala is messianic. Dually fervently passionate and a devotion work toward the mythology surrounding Brojonalan temple (Pawon Temple) of Central Java, Indonesia notated in their album notes. Embracing mythology as a form of expression is unique in today`s age but Senyawa go way way further having constructed the Vajranala Monument (check the cover of Vajranala) in Indonesia, a real shrine-like object “in the form of a stone relief that is placed on the ground where it was created, serving as an artifact for the future.” Said to emit fire and stand 3.5 meters tall and 2.8 meters wide, there is no underlying joke detected in the focus on belief authenticity. Only Sun Ra and Rammellzee come to mind believing so much in their music that their work becomes a significant outpouring into their lives.

Senyawa live in a commitment to belief. Their music doesn`t exist in a vacuum but usher out from ideas and stories they have woven from themselves and around themselves from their environment, their regional history, their personal history and their intense imagination. It feels that for every sound and vocal utterance there is a page in a book from which they are derived and taken from. I should be able to find this record in both a record store and library. It pains me to think how my younger teenage self would have reacted having discovered this in a vibrant, dusty record store, listened to only a brief snippet on the record player along the walls, instantly bought it with the allowance I got from washing windows, thrown the record in my backpack, raced home to put this on my family record player in the afternoon during summer while my parents would be at work and ultimately fall in love with the shear size of the dynamics Senyawa create. This happened to me many times with past records and cds but with today`s pathetic musical creator economy, my own paragraph is itself a myth. No child in today`s age will ever experience this now mythic existence and that is such a grand shame. Senyawa deserve this kind of iconic status with new generations.

Such is the magnetic charge they elicit.

R.I.P. Steve Albini - ele-king

 5月7日、スティーヴ・アルビニが心臓発作で死去。享年61歳。バンド、シェラックの10年ぶりの新作『To All Trains』の発売を今月に控えたあまりにも急で早すぎる死だった。

 80年代、学生時代にシカゴでジャーナリズムを学び、ファンジンのライターと並行して最初のバンド、ビッグ・ブラックの活動を開始。リズムマシーンとギター×2、ベースという編成。ドライなマシン・サウンドと金属的でノイジーなギター・サウンドをもってアンダーグラウンド・シーンで頭角を現した。

 彼のバンドとしての活動は、ちょうどCDの登場する時期と重なっていた。ジャケットで日本の劇画『レイプマン』の引用がされていることでも知られるアルバム『Songs About Fucking』の裏ジャケットには「The future belongs to the analog loyalists. Fuck digita」(未来はアナログ支持者のもの。デジタルなんぞ糞食らえ)と書かれている。この姿勢は終生変わらなかった。

 1987年にはその『レイプマン』をバンド名に冠した新バンド、レイプマンを結成。ビッグ・ブラックではラモーンズを念頭に置いたシンプルな曲に徹したと発言しているが、レイプマンはドラムも人間になり、レッド・ツェッペリンを凶悪にアップデートしたようなスタイルへと進化したものの、やはりバンド名が問題になり非難が殺到、解散を余儀なくされ、予定されていた来日もあえなく潰えた。

 レイプマンの “”Kim Gordon's Panties ” という曲でサーストン・ムーアとキム・ゴードンを揶揄し、サーストンに殴られたという話も有名だ。アルビニの死を受けてツイートされたサーストンの一連の発言を見たかぎりでは、もう長年にわたってアルビニとサーストンは没交渉だったようだが、その背景にはソニック・ユースがメジャーと契約したことに対するインディ原理主義者アルビニの憤りがあったように思える。

 この件でもわかるようにアルビは偏屈かつ辛辣なユーモア感覚の持ち主であり、それがしばしばミソジニーだったり差別的な形を取ることがあった。これについてはのちに反省し、謝罪もしている

 1992年には新たにシェラックを結成。ギター、ベース、ドラムスという最小編成。いよいよ研ぎ澄まされたシンプルなアンサンブルを極めていった。この頃には自分のバンドの録音にとどまらず、プロデューサー/レコーディング・エンジニアとしても活躍するようになっている。ピクシーズ、スリント、ジーザス・リザード、プッシー・ガロアにジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョン、フガジなどインディバンド中心に手掛けていたが、やはり彼を一躍有名にしたのはニルヴァーナの『イン・ユーテロ』だろう。

 もともとアルビニは『ネヴァーマインド』が引き起こしたオルタナ/グランジブームについてはかなり痛烈に批判もしていたのだが、自身の出自であるアンダーグラウンドへの回帰を望むバンド側からの熱望により起用が実現した。最終的にはアルビニの手が離れた後に手が加えられるなど、スムーズにはいかなかったようだが、20周年記念版にはアルビニ自身がミックス、マスタリングしたバージョンがリリースされている(これが当時のオリジナル・ミックスかどうかは不明)。この際にアルビニがバンドに送ったFAXの文面というのも後に公表されている。そこでは高額な印税支払いを断っている。自分が納得できるだけの金額をもらえればそれでいいとしており、配管工のように仕事をしたいと言っている。

 自宅をスタジオにして録音の仕事を始めたアルビニだが、その後設立したレコーディングスタジオ〈エレクトリカル・オーディオ〉でもエンジニア料金は明朗会計で、現時点でサイトに記載されている料金表によれば「$900/ day at EA、$1300/ day elsewhere」とある。頑張れば出せない金額じゃないところがいいなと思う(円安でなければ……)。

 アルビニは「プロデューサー」というクレジットを嫌い、あくまでも「レコーディング・エンジニア」という表記にこだわった。自身を「記録者」と位置づけており、マイクのセッティングにとにかく時間をかける一方で録音自体は一発録りであまりテイク数を重ねない。コンソールのフェーダーもほぼフラットだったという目撃証言もある

 アルビニはアラン・ローマックスに影響を受けたと公言している。アメリカの民俗音楽の収集家であり、全米各地で民謡を発掘・収集してウディ・ガスリーやレッドベリーといったアーティストの紹介に貢献した人物だ。フィールド・レコーディングのように音楽を録音するという意味で、その影響関係はよくわかる。

 訃報のあと、とりあえずシェラックのヴァイナルを何枚か爆音で聴き直したのだが、改めて音のよさに感嘆した。すべての楽器、とくにドラムがその場で鳴っているような生々しい録音。バンドの生の姿を捉えることに全力を注ぐその姿勢は、録音後のエフェクトや編集を重視するタイプのプロデューサーとは正反対だ。バンドの地力がもろに露呈するので、怖い面もあると思う。反時代的とも思えなくもないその姿勢は、インディ美学の掲げる理想のひとつの現れだったのだろう。

 日本でもアルビニが録音したアーティストは数多い。ゼニゲバの90年代前半の諸作品やメルト・バナナの初期作品は、アルビニの録音によって世界的な知名度につながった側面もあるだろう。当時、サーストン・ムーアやジョン・ゾーンと並んで日本のインディバンドが世界に認識されるきっかけになった人物でもあった。現在でも、いつかアルビニに録音されたいという夢を抱いていたバンドマンは数多くいただろう。

 最後に、個人的なアルビニ・ワークスのおすすめ盤を挙げておく。自身のバンドから3枚、エンジニアとしての仕事から10枚を選んでみた。なにしろ仕事量の多いひとなので筆者もその一部しか聴けていないのと、世代的にどうしても90年代のものが多いのはご容赦いただきたい。それと、お蔵入りになってしまったチープ・トリックの『蒼ざめたハイウェイ』再録盤は今からでもリリースしてもらえないだろうか。

Selected discs

Big Black / Songs About Fucking

Rapeman / Two Nuns A Pack Mule

Shellac / 100 Hurts

Jesus Lizard / Liar

Zeni Geva / DESIRE FOR AGONY (苦痛志向)

Space Streakings / 七徳

Melt Banana / scratch or stitch

Los Crudos/Spit Boy / split

PJ Harvey / Rid of Me

Tony Conrad / Slapping Pythagoras

The Ex / Starters Alternators

Neurosis / The Eye of Every Storm

SUNN O))) / Life Metal

VMO a.k.a Violent Magic Orchestra - ele-king

 「アート・ブラックメタル・テクノ・プロジェクト」、VMOことViolent Magic Orchestraが8年ぶりのアルバムを発表する。題して『DEATH RAVE』、ブラック・メタル、ハードコア、ガバ、ノイズなどがミックスされたサウンドに仕上がっているようだ(3/13リリース)。Vampilliaのメンバーはじめ、メイヘムやSunn O)))での仕事で知られるアッティラ・チハーら多くの面々が集結しており、Kentaro Hayashi、CRZKNYなども参加。新代田FEVERおよび東心斎橋CONPASSでのリリース・ライヴも決定している。詳しくは下記より。

VMOが8年ぶりのセカンドアルバム「DEATH RAVE」をベルリンのNEVER SLEEPより3月13日に発売決定。併せてリリース記念ライブの詳細も発表。

VMO a.k.a Violent Magic Orchestraが約8年ぶり、ザスターがボーカルを務める新体制後、初となるアルバム「DEATH RAVE」をベルリンのGabber Eleganza率いるレイヴ、ハードコアシーンの総本山 NEVER SLEEPよりリリースする。今作は世界中のメタル、テクノ、アートなどあらゆるジャンルのフェスに出演したVMOの経験とスタジオでの実験が爆発的な化学反応をおこしDEATH RAVEと呼ぶに相応しい作品が完成した。anoのちゅ、多様性を作詞/作曲したエンペラーaka真部脩一らVampilliaメンバーはもちろん、紅一点のボーカルザスター、ブラックメタルの伝説メイヘムのAttila Csihar、現代エクストリームハードコアの雄FULL OF HELLよりDylan Walker、アイスランドの新しい神秘Kælan Mikla、レーベルのボスGabber Eleganza、ビョークの最新作に参加したインドネシアのガムランガバユニットGabber Modus OperandiのIcan Harem、テクノの聖地TRESORからリリースするminimal violenceのinfinity devisionら海外勢に加え、アルセストことKentaro Hayashi、リヴァイアサンことCRZKNY、そしてMASF/ENDONのTaro Aikoら国内勢も参加したブラックメタル、テクノ、ハードコア、GABBER、ノイズがDEATH RAVEの名の下にネクストレベルで完成した。

そして、このアルバムを引っ提げて行われる5月末から7月頭までスペインのSONAR、北欧最大の野外フェスROSKILDEなど巨大フェスを含むリリースワールドツアーの前に、作品の世界を再現するDEATH RAVEを東京と大阪で開催。このリリースライブにはインドネシアより今作にも参加するGMOのIcan Haremも来日。ブラックメタルの暴力性とRAVEの快楽主義が奇跡的に融合する VMOのアルバムとライブを是非お楽しみください。

VMO presents
『DEATH RAVE リリース♾️メモリアル DEATH RAVE』

東京編
@新代田FEVER

2024/03/19 (火)
18:30open 19:00start
3500yen
4000yen
チケットURL
https://eplus.jp/vmo/

【ACT】
VMO
【special guest 】
Ican Harem from Gabber Modus Operandi
Jun Inagawa

大阪編
@東心斎橋CONPASS

2024/03/22 (金)
18:30open 19:00start
3500yen
4000yen
チケットURL
https://eplus.jp/sf/detail/4045710001-P0030001

【ACT】
VMO
【special guest 】
Ican Harem from Gabber Modus Operandi
KNOSIS(DJ set)


VMO a.k.a Violent Magic Orchestra「DEATH RAVE」
2024.03.13 Release | NSR014/VBR-VMO202403 |
Released by NEVERSLEEP (Japanese distribution by Virgin Babylon Records)
各種サブスクリクション同時配信
https://sq.lnk.to/NSR014_
アナログLP版発売日未定

Track List
1. PLANET HELVETECH
2. WARP
3. The Destroyer electric utilities version
4. Choking Persuasion
5. Kokka
6. Welcome to DEATH RAVE feat. Ican Harem - Gabber Modus Operandi
7. Satanic Violence Device feat. Dylan Walker - Full of Hell
8. MARTELLO MOSH PIT feat. Gabber Eleganza
9. VENOM
10. Abyss feat. Kælan Mikla
11. Ecsedi Báthory Erzsébet
12. SUPERGAZE
13. FYRE feat. Infinity Division
14. Song for the moon feat. Attila Csihar - MAYHEM
15. Flapping Dragon Wings


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 すごい面子が揃ったものだ。ロンドン発のイヴェント「MODE」が5/25から6/2にかけ東京で開催されることになったのだが、エクスペリメンタルな実力者たちのオールスターといった気配のラインナップとなっている。5/25はイーライ・ケスラーカフカ鼾ジム・オルーク石橋英子山本達久)、パク・ジハ。5/28は伶楽舎。5/30はベアトリス・ディロンルーシー・レイルトンYPY(日野浩志郎)。6/1はメルツバウスティーヴン・オマリー。6/2はFUJI|||||||||||TAと、初来日のカリ・マローン+オマリー+レイルトン。貴重な機会のアーティストも多いので、下記詳細を確認してぜひとも足を運びましょう。

[5月23日追記]
 上記イヴェントにふたつのプログラムが追加されることが決まりました。ひとつは、エイドリアン・コーカー&渡邊琢磨、アキヒラ・サノによるサウンド・インスタレーション(「MODE」の初回プログラム・ディレクターを務めた故・坂本龍一と、デイヴィッド・トゥープによる作品も同時上映されます)。もうひとつは、ポスポス大谷、リキ・ヒダカ、エイドリアン・コーカー&渡邊琢磨ほかが出演する下北沢SPREADでの公演。強力なランナップがさらに堅牢なものとなりました。実験音楽に浸る初夏!

[5/23追加情報]

MODE LISTENING ROOM & POP-UP at DOMICILE TOKYO

Adrian Corker & Takuma Watanabe、Akhira Sanoによるサウンドインスタレーションがドミサイル東京・ギャラリースペースにて発表。

また同会場にて、MODE 初回プログラムディレクターを務めた坂本龍一氏への追悼企画として、Ryuichi Sakamoto & David Toop のパフォーマンス映像(2018)が、NTSとの共同企画により放映される。

詳細:
実験音楽、オーディオビジュアル、パフォーミングアーツを紹介するイベントシリーズ『MODE』 のプログラムの一部として、5月29日~6月3日の期間、原宿のコンセプトストア「DOMICILE」(渋谷区神宮前4-28-9)に併設するギャラリースペースにて「MODE LISTENING ROOM」と題し、Adrian Corker & Takuma Watanabeによる新作インスタレーション『The Impossible Balance』、Akhira Sanoによるサウンドインスタレーション『Magnify Cyte』が発表されます。またストアでは、先行して5月26日より、MODE関連アーティストの音源やTシャツなど限定アイテムを集めたPOP-UPが開催されることが決定しました。

さらには、MODEの初回プログラムディレクターを務めた坂本龍一と、David Toopによる当時のパフォーマンス映像『Ryuichi Sakamoto & David Toop (2018)』をロンドン拠点のラジオプラットフォーム「NTS」との共同企画により放映することが決定いたしました。同企画は先日 逝去された坂本龍一の意志を引き継いだ、氏の所属事務所や家族によって立ち上げられた植樹のためのドネーションプラットフォーム「Trees for Sakamoto」への寄付プロジェクトの一環として開催されます。

【開催日程詳細】

MODE LISTENING ROOM
会期:5月29日(月)- 6月3日(土)12:00‒20:00
会場:DOMICILE TOKYO 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前4-28-9 チケット料金:入場無料

参加アーティスト:Adrian Corker & Takuma Watanabe (エイドリアン・コーカー & 渡邊琢磨/UK,JP)
Akhira Sano(アキヒラ・サノ/JP)(
上映作品:Ryuichi Sakamoto & David Toop (2018)

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実験音楽、オーディオビジュアル、パフォーミングアーツを紹介するイベントシリーズ 『MODE』の追加プログラムが、
5月31日に下北沢SPREADにて開催決定。 Posuposu Otani、Riki Hidaka、Takuma Watanabe & Adrian Corkerが出演。

Posuposu Otani/ Riki Hidaka/
Takuma Watanabe & Adrian Corker ‒ The Impossible Balance
feat. Atsuko Hatano (vn), Naoko Kakutani (va), Ayumi Hashimoto (vc), Tatsuhisa Yamamoto (ds), Takuma Watanabe (cond)

スロートシンガーソングライターで口琴演奏家、倍音印象派のPosuposu Otani(ポスポス大 谷)をはじめ、ギタリストのRiki Hidaka(リキ・ヒダカ)、映画音楽を数 多く手掛け、デイヴィッド・シルヴィアン、フェリシア・アトキンソンらなど海外アーティストと の協業でも知られるTakuma Watanabe(渡邊琢磨)と、音楽家であり、レーベルSN Variations、Constructiveを運営するAdrian Corker(エイドリアン・コーカー)の新プロジェ クトThe Impossible Balanceが発表されます。ライブには、波多野敦子(バイオリン)、角谷奈緒子(ヴィオラ)、橋本歩(チェロ)、山本達久(ドラム)、渡邊琢磨(コンダクト)が出演。

【開催日程詳細】
公演日時:5月31日(水)19:00開場/19:30開演 22:00終演
会場:SPREAD 〒155-0031 東京都世田谷区北沢2-12-6 リバーストーンビルB1F
チケット料金:前売3,000円 当日3,500円 U23 前売・当日 2,000円[全自由・スタンディング] ※ZAIKOにて販売中

出演者:
Posuposu Otani(ポスポス大谷/JP)
Riki Hidaka(リキ・ヒダカ/JP)
Takuma Watanabe & Adrian Corker (渡邊琢磨&エイドリアン・コーカー/JP, UK)
波多野敦子(バイオリン)、角谷奈緒子(ヴィオラ)、橋本歩(チェロ)、 山本達久(ドラム)、渡邊琢磨(コンダクト)

33-33 x BLISS present MODE TOKYO 2023
2023年5月25日 - 2023年6月2日

実験音楽、オーディオビジュアル、パフォーミングアーツをフィーチャーする
ロンドン拠点のイベントシリーズ「MODE」が東京にて開催。初の来日公演となるカリ・マローンはじめ、スティーブン・オマリー、イーライ・ケスラー、ベアトリス・ディロン、カフカ鼾、伶楽舎、FUJI|||||||||||TAなど、全5公演、11組のラインナップを発表。

ロンドンを拠点とする音楽レーベル兼イベントプロダクションの33-33(サーティースリー・サーティースリー)が贈る、実験音楽、オーディオビジュアル、パフォーミングアーツを紹介するイベントシリーズ『MODE』が復活。
2019年ロンドンでの開催以来となる2023年のエディションが、日本を拠点として実験的なアート、音楽のプロジェクトを展開するキュレトリアル・コレクティブBLISSとの共同企画により、東京都内複数の会場にて開催します。世界のアート、音楽シーンで評価を受けているアーティストたちが集結し、9日間にわたって国際的なアートプログラムを実施します。
今回の東京開催の背景には、主宰の33-33と日本の芸術や音楽との長年にわたるコラボレーションがあります。2018年にロンドンで発表された第一回のMODEでは、日本の作曲家、ピアニスト、電子音楽のパイオニアであり、先日3月28日に惜しまれつつ逝去された坂本龍一氏がプログラムキュレーターを担当しました。敬意と追悼の意を込め、MODEは今回のシリーズを氏に捧げます。

※公演チケットは各プログラム限定数での先着販売となっております、追加販売予定はございませんのでお早めにお買い求めください。


【開催日程詳細】

@The Jewels of Aoyama *Co-presented with Bar Nightingale
公演日時:5月25日(木)18:00開場/19:00開演 22:00終演 
チケット料金:前売6,000円[スタンディング]※ZAIKOにて販売中
出演者:Eli Keszler(イーライ・ケスラー/US)、カフカ鼾(Kafka's Ibiki/US, JP)、Park Jiha(パク・ジハ/KR)
会場:The Jewels of Aoyama 〒107-0062 東京都港区南青山5丁目3-2

一連のイベントシリーズの幕を開けるのは、NY拠点のエクスペリメンタル・パーカッショニストEli Keszler。Jim O’Rourke(ジム・オルーク)、石橋英子、山本達久によるトリオ、カフカ鼾。そして初の来日公演となる、韓国の伝統音楽を主軸とした現代音楽家 Park Jihaが出演するプログラム。また、このプログラムは世界中のアーティストらに支持される会員制の実験音楽バー「Bar Nightinegale」との共同企画で開催される。

@四谷区民ホール ※関連プログラム
公演日時:5月28日(日)15:30開場/16:00開演
チケット料金:前売3,000円・当日3,500円[全席自由]
https://reigakusha.com/home/sponsorship/4403 参照
出演者:伶楽舎(Reigakusha/JP)伶楽舎雅楽コンサートno.40 〜芝祐靖作品演奏会その4〜
会場:四谷区民ホール 〒160-8581 新宿区内藤町87番地

1985年に発足した雅楽グループ伶楽舎による『伶楽舎雅楽コンサートno.40 〜芝 祐靖作品演奏会その4〜』をMODE 関連プログラムとして紹介する。伶楽舎は現行の雅楽古典曲だけでなく、現代作品の演奏にも積極的に取り組み、これまでに湯浅譲二、一柳慧、池辺晋一郎、猿谷紀郎、伊左治直、桑原ゆうなど多くの作曲家に新作を委嘱。日本を代表する現代音楽家、武満徹作曲の雅楽作品『秋庭歌一具』の演奏でも複数の賞を受賞。長らく音楽監督を務めた芝祐靖は雅楽の世界に新風を送り続けた人物で、MODEで紹介される現代音楽表現のルーツの一部を体験できるプログラムとなっている。

@WALL & WALL
公演日時:5月30日(火)19:00開場/19:30開演 22:00終演
チケット料金:前売4,000円[スタンディング] ※ZAIKOにて販売中
出演者:Beatrice Dillon(ベアトリス・ディロン/UK)、Lucy Railton(ルーシー・レイルトン/UK)、YPY(ワイ・ピー・ワイ/JP)
会場:WALL & WALL 〒107-0062 東京都港区南青山3丁目18−19フェスタ表参道ビルB1

実験的電子音楽に焦点を当てたこの日のプログラムは、前作『Workaround' (PAN, 2020)』が、The Wire紙によって’Album of the Year’に選ばれた、ロンドン拠点の作曲家・サウンドアーティストのBeatrice Dillonと電子音楽レーベル「NAKID」主宰し、バンド「goat」の中心人物で作曲家・音楽家の日野浩志郎によるソロプロジェクトYPYが共演。イベントのオープニングを飾るのは、先日オランダのフェスティバルRewireにて世界初公開され反響を呼んだ アーティスト・詩人のパティ・スミスによるプロジェクト『Soundwalk Collective & Patti Smith』や、今回初の来日公演となるKali Maloneの作品にも参加する、イギリス人チェリスト・作曲家であるLucy Railtonの日本初公演。

@Shibuya WWW
公演日時:6月1日(木)19:00開場/19:30開演 22:00終演(予定)
チケット料金:前売4,500円[スタンディング] ※ZAIKOにて販売中
出演者:Merzbow(メルツバウ/JP)、Stephen O’Malley(スティーブン・オマリー/US, FR)
会場:WWW 〒150-0042 東京都渋谷区宇田川町13−17 ライズビルB1F

20年以上にわたり、SUNN O)))、 KTL、 Khanateなど数々のドローン/実験的プロジェクトの構想や実行に携わってきたStephen O'Malleyと、説明不要の世界的ノイズ・レジェンドであるMerzbow a.k.a. 秋田昌美によるダブルヘッドライナーショー。

@淀橋教会
公演日時:6月2日(金)18:00開場/19:00開演 21:00終演 
チケット料金:前売6,000円[全席自由] ※ZAIKOにて販売中
出演者:FUJI|||||||||||TA (フジタ/JP)、Kali Malone(カリ・マローン/US, SE) presents: 『Does Spring Hide Its Joy』 feat. Stephen O’Malley(スティーヴン・オマリー/US, FR)& Lucy Railton(ルーシー・レイルトン/UK)
会場:淀橋教会 〒169-0073 東京都新宿区百人町1-17-8

今シリーズのフィナーレは、新宿区大久保の多国籍な街中に位置する淀橋教会にて開催される。パイプオルガンによる作品で知られる作曲家・サウンドアーティストのKali MaloneがStephen O'Malley、Lucy Railtonとともに、国際的に高評価を得て、Billboard Classical Crossover 4位を獲得した最新作品『Does Spring Hide Its Joy (2023)』を日本初公演にて披露する。ダブルヘッドライナーとして、近年日本を拠点にヨーロッパ、アメリカで高い評価を得ている自作のパイプオルガン奏者でサウンドアーティストFUJI|||||||||||TAが登場。

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About 33-33:
33−33(サーティースリー・サーティースリー)は、ロンドン拠点のレコードレーベル兼イベントプロダクション。年間を通してイベントプログラムを企画制作するだけでなく、33−33レーベルからのレコードのリリースや、アーティストとともに個別のプロジェクトを制作するなどしている。
33−33は、イースト・ロンドンの教会にて2014年以来開催されているイベント『St John Sessions』を機に発足。過去にはガーナ、東京、ベイルート、カイロでイベントを開催している。2018年には音楽、アート、パフォーマンスを紹介するフェスティバル『MODE』を設立。2018年には坂本龍一氏がキュレーションを行い、2019年にはLaurel Halo(ローレル・ヘイロー)がプログラムを構成した。

About BLISS:
BLISS(ブリス)は、2019年に日本を拠点として設立されたキュレトリアル・コレクティブ。アートと音楽の分野において、実験的な展覧会、イベントなど行う。抽象性が高く、実験的な表現を社会に発表、共有し続けることが可能な環境をつくることを目的としている。主なプロジェクトに、Kelsey Lu at Enoura Observatory (2019)、INTERDIFFUSION A Tribute to Yoshi Wada (2021)など。

Works of BLISS:
Kelsey Lu at Enoura Observatory
INTERDIFFUSION A tribute to Yoshi Wada

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SUPPORTED BY
アーツカウンシル東京
グレイトブリテン・ササカワ財団
大和日英基金

PARTNER
EDSTRÖM OFFICE

Kali Malone featuring Stephen O’Malley & Lucy Railton - ele-king

 ストックホルムのドローン音楽家・実験音楽家カリ・マローンの新作アルバム『Does Spring Hide Its Joy』は、2019年にリリースされたパイプオルガン・ドローン作品『The Sacrificial Code』や、2022年の電子音響ドローン作品『Living Torch』などの近作と比べても、よりいっそうハードコアなドローン・アルバムだった。
 このアルバムの最大のポイントは、SUNN O))) のスティーヴン・オマリーと、〈Modern Love〉からのソロ作品もよく知られているチェロ奏者のルーシー・レイルトンというふたりの優れた音楽家・演奏家が参加している点だ。この3人がめざす音響は、エレクトロニック・ギターとチェロと、マローンによる微かな電子音の持続音が延々と続く、混じりっ気なしの純度100%の持続音、ドローン・ミュージックである。
 中途半端に音楽的な要素が入っていない持続音のみの音を聴取したいというドローン・マニアの方には絶対お勧めできるアルバムだし、同時に音楽に沈静・瞑想的な感覚を求める方にも深く推奨したいアルバムでもある。
 この『Does Spring Hide Its Joy』に収められた音のみに意識を向けて聴いているだけで、世俗の騒がしくも煩わしいあれこれを忘却することができる。世界から隔離されていく感覚こそ、本作の肝ではないかと私は考える(それについては後述する)。

 『Does Spring Hide Its Joy』は、CDでは3枚、LPでも3枚、デジタルでは総収録時間5時間という長大な作品である。フィジカル版では “Does Spring Hide Its Joy” のヴァージョン違い3曲、デジタル版では “Does Spring Hide Its Joy V1” と “Does Spring Hide Its Joy V2” のヴァージョン違いがそれぞれ、3トラックに分けて収録されている。簡単にいえば、『Living Torch』でコンパクトに提示されたドローンの作曲技法(高周波と持続音の交錯)を長時間に渡って展開したとでもいうべきか。ただ『Living Torch』に多少とも残っていた音楽的なハーモニーの要素が本作『Does Spring Hide Its Joy』はさらに希薄になっている。「音」とその「トーン」だけがある。
 だがもっとも重要なのは「時間」への意識だ。この長大な楽曲にはドローン音楽の夢である「永遠に続く音響」への希求があるように思えてならない。まるでラ・モンテ・ヤングの「永久音楽劇場」の精神を継承するかのようなドローンの真髄を聴かせてくれる作品なのだ。
 『Does Spring Hide Its Joy』が、ここまで純粋なドローン作品に仕上がったのは、エレクトリック・ギターのスティーヴン・オマリーとチェロのルーシー・レイルトンというふたりの演奏者との共演だからという側面もあるだろう。じっさいふたりの発する音は本作の印象を決定付けるほどのものだ。
 特にオマリーのエレクトリック・ギターのメタリックなトーンは本当に素晴らしい。硬質な音でありながら、ドローンという音響のに必要な微細な変化を常に生成しているのだ。むろんレイルトンのクールなチェロの響きも本作のマニシックなドローンのムードを促進させていく。電子音楽の伝説的作曲家ピーター・ジノヴィエフとの『RFG Inventions for Cello and Computer』や〈ECM〉からのリリースも有名なピアニスト/オルガン奏者キット・ダウンズとの『Subaerial』とはまた違ったマテリアルなチェロの音響を生成している。
 一方、マローンは本作ではパイプオルガンではなく、サインウェーヴ・オシレーターを用いている。マローンのサインウェーヴ・オシレーターはどこか影のようにふたりの音に寄り添っていく。まるでふたりの「音を影」のように。いわばドローンの作曲者として演者ふたりのコンダクターのようである。
 いずれにせよ3人が発するトーンが微妙な差異を発しつつもレイヤーされていく点がポイントに思える。3人の音が同時に、しかし異なる地平に存在するような多層感覚があるのだ。3人の音が微妙な差異を孕みつつ、一定の持続音として生成していくさまを集中して聴取していると深い瞑想感覚を得ることすらできる。まさにドローンの真骨頂とでいうべきリスニングを可能とするのが本作『Does Spring Hide Its Joy』なのである。

 『Does Spring Hide Its Joy』が録音されたのは2020年3月から5月というコロナウイルスの感染が世界的に増大した時期だ。当時ベルリンに滞在していたマローンたちはベルリンの複合スタジオ施設 Funkhaus(https://www.funkhaus-berlin.net)内にある「MONOM」に招かれて、本作を録音したという。いわば初期のコロナ禍、3人は世界から隔離するかのように、MONOM に滞在し、本作を作り上げたわけだ(アルバム・タイトル「春は喜びを隠すのか」という言葉も、コロナ・ウイルスが猛威をふるいはじめた2020年春の気分を伝えてくれる)。
 録音も MONOM のスタジオでおこなわれ、エディットと編集はステファン・マシュー(Schwebung Mastering)によっておこなわれた。リリースはオマリーが主宰する実験音楽レーベル〈Ideologic Organ〉である。
 ちなみに Funkhaus ではさまざまな先端的なコンサートやイベントがおこなわれ、アルヴァ・ノトと坂本龍一のコンサートも開催されたことでも知られている(https://www.funkhaus-berlin.net/p/jun18.html)。

 パイプオルガン・ドローン、ノイジーな電子音響ドローンなどで培った経験をもとに作曲された長時間ドローンを収録した本作は、コロナウィルス下で隔離されることで生まれた「停滞する時間」の感覚があるように思えた。
 時間を意識し続けることで、時が溶けていくような意識・感覚とでもいうべきか。3人は、MONOM の広い空間をほぼ占有しつつ、「時間」を考察するように本作を作り上げていったのであろう。「密室での隔離」という状況によって、マローンたちのドローン作曲・演奏技法がより研ぎ澄まされていったのではないか。
 気鋭のドローン作曲家と、ふたりの優れた演奏家が生み出す研ぎ澄まされた鋭利で美しい持続音がここにある。そしてコロナ・ウィルスの感染拡大という最悪な状況の中でも、人はこれほどまでに深い瞑想感覚をリスナーに与えてくれる芸術作品を生み出すことができることも教えてくれる。まさに希望のドローンでもある。
 『Does Spring Hide Its Joy』は、確かに長大な作品だが恐れることはない。フィジカルが3時間、デジタル版で5時間ものあいだ音に向かい合う経験は貴重だし、それでしか得られない絶対的な聴取体験はあるのだが(そして本来はそのように聴くべきなのだが)、いっぽうで聴きたいときに聴きたい時間だけ集中して聴くという方法でも本作の魅力を体験することはできるはずだ。
 ドローン音楽の現代最高峰ともいえる本作『Does Spring Hide Its Joy』。ぜひとも多くの音楽ファンに聴いてほしい。

boris - ele-king

 先月末に刊行されたele-king Books『現代メタルガイドブック』では、第1章の最初にBoris with Merzbowの『2R0I2P0』を掲載している。これは、序文でも述べたメタルの越境性、型を築きそれを足場にしながら遠く(様々な音楽領域、地域など)へ向かう音楽という特質を非常によく体現する作品だからで、本書のスタンスや広がりを示すものとしても、それにそのまま対応するBorisの広大なカタログへの導入としても、かなり的確なセレクトになったのではないかと思う。本書が刷り上がったタイミングでDOMMUNEのBoris特集(11月15日)が開催され、そこでAtsuoさんと宇川さんに見本誌をお渡しすることができたのだが、直後にAtsuoさんから頂いた感想は以下のようなものだった。「“メタル”という言葉は自分の中では“Heavy Metal”と同義で、“Heavy Metal”と言われるのが嫌だから“メタル”と崩して言っていたのだが、こちらの本ではMetalとHeavy Metalが別物として扱われていたのが衝撃、しかもそれが当たり前のような前提になっていることに驚いた」
 メタル界最大のデータベースサイト「Metal Archives」(別名Encyclopedia Metallum、バンド名+metallumで検索するのはメタル系ディガーの定石)にも「Genre: Heavy Metal」という区分があるように、狭義の「ヘヴィ・メタル」は「メタル」のサブジャンルの一つで、90年代に入るとジャンル全体を指す表現としては機能しなくなる。そこで本書では、80年代までのHR/HM(ハードロック/ヘヴィ・メタル)に対し、その枠に留まらない90年代以降のオルタナティヴ・メタル(MelvinsやKorn以降の系譜)などを「ポストHR/HM」という言葉でまとめ、それら全てを含む概念としての「メタル」の文脈を整理することに努めた。Borisの音楽性は「ポストHR/HM」にまたがる部分が多いが、「HR/HM」的な要素も全くないわけではない。そうした意味において、本書はBorisを聴き込むにあたっての包括的な資料集としても充実した内容になったと思う。

 これはつまり、Borisの音楽性には分厚いガイドブックでも網羅しきれない広がりがあるということでもある。実際、今年発表された3つのフルアルバムをみても、各々の音楽的なスタイルは大きく異なる。1月リリースの『W』はシューゲイザーやアンビエントを初期CANに寄せた感じの天上のドローン・ロックで、成層圏で夢心地になるような朦朧とした陶酔感に包まれていたが、8月リリースの『Heavy Rocks』(同タイトルで3作目)は、1968年以前のプロト・ヘヴィロックを意識しつつ、GASTUNKやトランス・レコード周辺〜初期ヴィジュアル系にも通じる混沌とした作風になっている。そして、12月にリリースされた小文字boris名義の『fade』では、ギターの野太い持続音が軸となり、ボーカルや打楽器の存在感は遠景に希釈されている。Sunn O)))の『Life Metal』や初期のEarthに近い作風の本作は、主なルーツの一つであるドローン・ドゥームに最も接近した仕上がりで、豊かな響きに浸っているうちに64分の長さがあっという間に過ぎていく。傑作の多いBorisのディスコグラフィにおいても、屈指の逸品ではないかと思われる。

 Borisの音楽性はかくのごとく多彩で、それぞれ別のバンドによる作品だと言われてもおかしくない描き分けがなされているのだが、その一方でどの作品にもBorisならではの強い記名性があり、続けて聴いてもほとんど違和感がない。こうした持ち味のなかで特に重要な役割を担っているのが、固有の“間”の感覚だろう。DOMMUNEのBoris特集でも「グリッドもカウントも要らない。バンドとはそういうもの」「リハも、能とか振り付けの稽古に近い」という発言があったように、Borisのリズム・アンサンブルは、伸び縮みやズレを肯定しつついかに息を合わせるかという方向に研ぎ澄まされている。このような特性が顕著に示されているのが『W』収録の“Drowning by Numbers”で、休符を活かしたベースのフレーズはファンク的なのに、そうした音楽に特徴的な“踊らせる”類のノリは殆ど出ておらず、靄のように漂い続ける居心地が生まれている。そして、本作においてはそれが正解だという説得力にも溢れている。こうした“間”の感覚や展開ペースの支配力、いわば“ドローンぢから”はどの作品にも濃厚に備わっていて、万華鏡のように変化する音楽性との対比で新たな表情を示し続ける。Borisがここまで無節操な音楽的変遷を繰り返しながらも大きな支持を得ることができている秘訣は、このあたりにもあるのではないかと思う。
 その上で、もう一つ重要なのが独特のリリカルなメロディ〜コード遣いだろう。『fade』の比較対象としてSunn O)))の『Life Metal』を挙げたが、響きの質感や時間の流れ方は似ていても、静かに泣き濡れるようなメロウな雰囲気は大きく異なる。これはむしろ裸のラリーズやCorruptedのような日本のバンドに通じる味わいで、ゴシック+ノイズ的な場面でも、Tim HeckerあたりよりもMORRIE(元DEAD END、ヴィジュアル系や日本のオルタナティヴロックの始祖的な重要人物)を想起させられたりもする。『fade』では、そうした雰囲気がドローン・ドゥーム形式のもとで程よく抽象化されることにより、湿っているけれどもべたつかない、哀切の残り香が漂うような居心地が生まれている。その意味で、本作はBorisのエッセンスを高純度で凝縮した一枚になっている。歌もの形式ではないので取っ付きづらく思う人もいるかもしれないが、表現力の面ではむしろ聴きやすく分かりやすい内容なので、ここから初めてBorisを聴いてみるのもいいかもしれない。

 Borisのインタヴューはいずれも非常に面白いが、そのなかでもとくに印象的な発言として、「日本の中にいるわけでも、海外にいるわけでもなく、色んなところに出入りが出来るというか、そういう境界を超えながら、どこにも属せない」というものがあった。上で述べた音楽性に加え、アニソンやボーカロイド、同人音楽まで何でも網羅するBorisは、音楽メディアのジャンル縦割り姿勢では確かに扱いづらい存在ではある。しかし、あらゆる音楽形式を網羅するディスコグラフィは、ポピュラー音楽からアンダーグラウンドシーンに繋がる地下水脈のようなネットワークを体現しており、どれか一つの作品を入り口としてどこにでも向かえる道筋を用意してくれている。『fade』1曲目のタイトル“三叉路”はそうした在り方を象徴するものだし、作編曲の面でも、その“三叉路”の最後2分ほどに『W』収録曲“Old Projector”のアウトロを引用、「(汝、差し出された手を掴むべからず)」の終盤ではBathory的な原初期ブラックメタルが聞こえてくる(これはSunn O)))の「Báthory Erzébet」を連想させる)、最終曲“a bao a qu - 無限回廊 -”は2005年の『mabuta no ura』にも同タイトルの曲が収録されているなど、様々な文脈が仕込まれている。境界を超えながらどこにも属さず、それらを俯瞰するところで個を確立し、様々な時間軸を繋げて新たなメランコリーを生み出していく。そうした創意が示された素晴らしい作品である。

灰野敬二/不失者 - ele-king

 70歳まではハードな音楽をやっていたい──そう公言していた灰野敬二、2010年代には Sunn O)))スティーヴン・オマリーオーレン・アンバーチとのバンド、ナゾラナイなどもやっているエクスペリメンタル・ミュージックの巨匠が、来る5月3日、ついに70歳を迎える。まさにその当日と翌日、不失者の2デイズ・ライヴが開催されることになった。3日は高円寺ShowBoatにて、4日は渋谷WWWにて。長きにわたる灰野の活動の、その次を目撃する二日間。

─70歳まではハードな音楽をやっていたい。
そう公言していた灰野敬二が、2022年5月3日、70歳になる。

ハードの次に、ロックの後に、
何がある のか。何になる のか。

その先を、目撃する2日間。

不失者 日.日

灰野敬二 / 不失者 2DAYS
不失者 日.日

DAY 1
日程:2022年5月3日(火・祝)
会場:高円寺ShowBoat
時間:開場15:00 開演16:00
問い合わせ:ShowBoat 03-3337-5745 (14:00~23:00)

DAY 2
日程:2022年5月4日(水・祝)
会場:渋谷WWW
時間:開場17:00 開演18:00
問い合わせ:WWW 03-5458-7685

チケット
一般発売:3月26日(土)10:00
販売URL:https://eplus.jp/fushitsusha-www/
・2DAYS チケット:¥8,500(全自由/ドリンク代別)
・DAY1 チケット(5月3日 高円寺ShowBoat):¥4,500(全自由/ドリンク代別)
・DAY2 チケット(5月4日 渋谷WWW):¥4,500(全自由/ドリンク代別)
https://www.fushitsusha.com/

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