「Low」と一致するもの

Purity Ring - ele-king

 だいぶギスギスしてきた。「あつまれ どうぶつの森」もいいけれど、こういう時は音楽なら「声」に着目したい。各国の感染症対策を見ると、メルケル(ドイツ)、アーダーン(ニュージーランド)、ツァイ(台湾)と女性リーダーの国が比較的うまくいっているという報道が多い。北欧もスウェーデン以外は女性がトップで(ゲイが首相を務めるアイルランドとともに)やはり評価が高い。ウイルスから身を守る時に「女性の声」で自粛を要請された方が国民も受け入れやすいという分析があり、ということは男性の声で「打ち克つ」とか「戦争だ」と勇ましいトーンで呼びかける国はあまり穏やかな気分にならず、実際、リーダーに対する評価も低い。うぐいす嬢が駆り出されて「選挙戦に勝とうとする」構図が繰り返されていると考えればいいだろう。「声」には「顔」や「思想」に匹敵する情報が含まれ、その効果は侮れない。ヴァリエーションもDNAの数だけ存在する。

 とはいえ、自分の「好きな歌声」を正確に把握することはは意外と難しい。言い方は悪いかもしれないけれど、「いい音楽」というファクターに騙されやすいのである。サウンドもある程度はいいものでないと音楽を聴いている意味がなくなってしまうので、そこは自分なりに線引きをすべきだろうけれど、「声」が前景化しているという意味ではラップがいい検討材料となる。去年、湯山玲子とヒップホップについてダラダラと話をしていた時に、サウンドに対して興味がなくても「好きな声」ならいつまででも聴けるという、身もふたもない結論に達してしまった。このサイトに掲載されたリトル・シムズの記事を読んでドハまりしたという湯山さんは『Grey Area』ばっかり聴くようになってしまったそうで、それだったら自分はなんだろうと考えた時に、自分の頭に浮かんだのはエミネムやスラッグ(アトモスフィア)といったハリのある声や、ちょっと変わった声、とくに鼻声ではないかと思い当たった。

 思想家の内田樹はかつてアメリカのポップスには「鼻声」が許容されていた時期があり、それは1977年でピタリとなくなったと書いていた。大国としての自信を失ってしまったアメリカはニール・ヤングやジェームス・テイラーの「鼻声」を受け入れる強さを失い、歌声は怒りや無機的な声に取って代わられたと氏は論じていた。「強い人間だけが、平気で泣くことができ」たし、そういう時代は終わってしまったのだと。世代が違うので、こうした考察を実感として受け入れるのは少しハードルが高いけれど、いわゆる「昔の曲はいい」という意見を聞く時に「昔の曲には現代に特有の感情が歌われていない」とはよく思うことだし、喜怒哀楽が他人事のようにしか感じられないとも思うので、僕がニール・ヤングやジェームス・テイラーの声に物足りなさを感じるのであれば、表現される「弱さ」の質も変化しているということが考えられるから、「怒りや無機的な声」の後で「鼻声」はどう変わったかを追ってみれば、内田樹の理屈にのることも可能になるだろう。そして、実際、僕が1977年以降、最もインパクトを感じた「鼻声」は戸川純とギャビン・フライデー(ヴァージン・プルーンズ)だった。彼らの声は明らかに「怒りや無機質を含んだ鼻声」であり、その延長線上にはビヨークがいたのでる。それこそ音楽はそれほど好きでなくても、僕にとっては「ついつい耳がいってしまう声」の持ち主がビヨークであり、その影響も世界規模に及ぶものだった。さらにいえば、先週、ブレイディ『Exeter』のレビューで、偶然にも書いたように僕が好きなラップはサイプレス・ヒルとTTCだった。声のことなど何も考えていなかったけれど、彼らも見事なほど鼻声である。僕は無意識に「鼻声」ばかり追いかけていたらしい。

 ピュリティ・リングのシンガー、ミーガン・ジェームズも最初から僕の耳を捉えて離さなかった。彼女の場合は「怒りや無機質を含んだ鼻声」ではなく、またしても時代が変わったのか、「甘えを含んだ鼻声」である。去年、繰り返し聴いたベイビーゴスもまったく同じくで、ウィズ・カリファをフィーチャーした“Sugar”は舌ったらずで甘えの要素をさらに強調するような鼻声である。ここまで来ると歌声を聴くためにしか聴いていないことは確かで、「鼻声」に興味がない人は……とっくに読んでいないだろう。ミーガン・ジェームズの歌声はかけらもアホっぽくなくなったというか、多少の無邪気さは失ったかもしれないけれど、軽く詰まったような鼻声はまったく変わっていない。コリン・ロディックによるグリッチを通過したシンセ~ポップ・サウンドも、以前の曲でいえば“Cartographist”を受け継ぐように重々しさを加え(ベースが太くなり、アウトロがしつこくなったかな)、暗くて巨大なものに押しつぶされながら小さなものが光っているという切ない存在感を以前よりも際立たせ、物悲しさやむせび泣くような哀愁をみっちりと伝えてくる。簡単にいえば、たくましくなっている。そして映画『シャイニング』を思わせると評された歌詞は、それこそ戸川純「赤い戦車」や「肉屋のように」とイメージがダブルほど生理的かつ内臓的で、アルバム・タイトルもずばり『子宮』となった。そう、ブレンダ・リー“The End of The World”やジュリー・ロンドン”Cry Me A River”にはない現代的な感情がここにはしっかりと刻み込まれている。

 同じ曲が人によっては違う効果を与えるということもあるだろう。新型コロナウイルスはDNAによって症状が変わるという仮説も浮上しているし、歌声に対する好みが千差万別であることは疑いがない以上、自分が好きな「歌声」は(サウンドとは分けて)自分でしっかりと探した方がいい。ソーシャル・ディスタンシングが叫ばれるなか、セクシャリティを有効に保つためにも(つーか、アベノマクスがまだ来ない〜)。

R.I.P. Tony Allen - ele-king

文:増村和彦

 誰よりもオリジナリティを湛えたドラミングで僕たちを踊らせて、何よりも僕たちを解放に導いてくれたトニー・アレンがいなくなってしまった。

 「一部のドラマーは、ソフトに演奏するという意味を知らない、彼らの辞書にないんだ」彼は2016年にそう言った。「私のドラムは派手に盛り上げることだってできる。が、しかしもっと繊細に叩くことだってできる。その音は、まるで川がながれるように聞こえるだろう」

 あらためてソフトに演奏するということに思いを馳せる。
 
 “アフロビート”の向こう側に見える“アフロなビート“の醍醐味のひとつは、ひとりひとりが叩き出すリズムはシンプルながら、それらが絡み合ったとき形成される大きなうねり。ダイナミック且つロジカルで、究極の共同分担作業。もうひとつは、うねり続けることによって得られる高揚感。いつの間にか思考が薄れ、渦のなかにただいるかのような感覚。繰り返しに気持ちよさを感じる経験は演奏しなくても誰しもきっとあると思う。そして、そのビートは多くの場合ダンスと密接な関係を持つ。
 トニーは、ドラムという楽器でこれをひとりでやってしまった。右手、左手、右足、左足にそれぞれドラマーを湛え、それらは絡み合ってタイトにうねる。そして、そのビートは踊らすこと以外のためにはないと語る。トニーが抜けたあとのアフリカ70に、複数のドラマーが必要だったという伝説も頷ける。
 “アフロビート”には大いに“アフロなビート“の影響があると思いたい。その上で“アフロビート”たらしめたのは、もう散々伝えられている通りジャズの影響だった。トニーは、バップ・ドラミングとりわけアート・ブレイキーのドラミングを聴いて、ひとりではなく、まるで複数人で叩いているように聞こえたそうだ。あなたのドラムを初めて聴いた時、全く同じことを思ったよ!
 たしかに、フレーズがバップまんまなところがあるというのはわからないでもないが、そんなことではなくて、キック・スネアもフレージングの一部にしていくバップのアイデアと、“アフロなビート“感覚の融合が、“アフロビート”を生み出す原動力になったのではないか。トニーのドラムは、いつも同じ匂いがしながらも、よく聴くとフレーズの多様さに溢れている。トニーが叩いていると一聴しただけでわかるのに、全く同じフレーズというものがない。覚えたフレーズを使うのではなくて、自在に四肢でフレージングさせていく。しかも、踊らせることを忘れることなく、複雑なことをやっているようで、その実はシンプルだ。これは本当にすごいことだ。あなたのドラムを初めて聴いた時、頭にスネアがバシッとくるだけで面食らったよ!
 もっともジャズに近いけど絶妙に所謂スイングはしないニクいハット、変幻自在で流れるようなスネアワーク、タイトなベードラ、嵐のようなフィルとそのあとのスネア頭一発、どれもしびれ上がるけど、どうやらそれらを操っている部分があることに段々気づいてきた。おでことおへそが、みぞおちの辺りで繋がっている感じ、第三のチャクラとかスポットとかいろいろな呼び方があるのだろうが、そういえば、ブレイキーも、ケニー・クラークも、バップドラムをさらに進化させたエルヴィン・ジョーンズもそこで叩いているような気がしませんか。常にリラックスしながら、たとえ音が小さくても太鼓がとても気持ちよく響き、フィルの瞬間風速は凄まじく、いつまでも止まらないかのようなビートで踊らせてくれる。

 ソフトに演奏するって、こんなことらなんじゃないかなって思いながら書いていたけど、きっとそれだけじゃないですよね。「川のように流れていく(flowing like a river)」ドラム、わかる気もするけど、まだわかっていないことのほうが多い。でも、これからも多くの気づきを与えてくれそうな感じがするのも楽しみで、ずっと聴き続けたくなります。
 60年代フェラ・クティと出会った頃すでに“アフロビート”ドラミングのスタイルを確立していたみたいだけど、フェラ・アンド・アフリカ70の映像を見ると結構ガシガシやっているのも見受けました。“アフロビート”は集団戦。強烈なクティの個性だけを聴く音楽ではなくて、数え切れないほどステージにいるもの全員が合わさって“アフロビート”だ。そしてそれをひとつにまとめあげたのが、トニー・アレンの発信と説得力の塊のようなドラミング。フェラ・クティとトニー・アレンが“アフロビート”を創り出した。
 トニーズベストに挙げる人も多いだろう、トニー・アレン・ウィズ・アフリカ70は、勢いとリラックスが同居して、まさに油の乗った様がかっこいい。"Jealousy"の鍵盤は何度聴いても気持ちよいです。その直後のトニー・アレン・アンド・ザ・アフロ・メッセンジャーズは、めちゃくちゃ渋い。『No Discrimination』というタイトルからしてもっとも勇気を与えてくれる作品のひとつだ。
 円熟味は増し続け、ジャンルを越えた様々なコラボレーションは、僕たちを解放へ向かわせてくれる。オネスト・ジョンズが熱心に再評価し続けたこともあり、南ロンドン勢の生きた影響を感じられる作品たちも興味深い。「でもさ、実はみんな同じものじゃない? ハウスにジャズ云々、いろいろとジャンルはあるものの、要は同じ。誰もがあらゆるものを分け隔てなく聴いている、と。ほんと、ソウルフルな音楽か、リズミックな音楽かどうかってことがすべてなんだしさ」カマール・ウィリアムスのこの言葉は、そのままトニーの軌跡にも当てはまるだろう。
 最近のジャズに還ってきたかのような作品群では信じられないほど四肢の動きが小さいまま、踊らせるのも見受けました。文字通り「to play soft」の極意が最高まで達したかのようなドラミング。

 「ベストであること。それは他の誰かと同じことすることではない。ベストであることとはつまり、他の誰かがそこから学べる、それまでなかった何かを創造し、残すことである」

 たしかに、あなたはいままでもこれからもあまりに大切なものを生み出して、変遷を辿れば辿るほどに、ボクたちに多くの気づきを与えてくれている。
 
 “I wanted to be one of the best — that was my wish,“
 たしかに、あなたは間違いなく最高中の最高だ!

文:小川充

[[SplitPage]]

文:小川充

 ワン・アンド・オンリーという言葉がこれほどふさわしいミュージシャンもいないだろう。アフロ・ビートの創始者であるドラマーのトニー・アレンが4月30日にパリのポンピドゥー病院で亡くなった。先日亡くなったカメルーン出身のマヌ・ディバンゴもそうだが、多くのアフリカ系ミュージシャンにとってパリは活動しやすい町のひとつで、ナイジェリア生まれのトニー・アレンも1980年代半ば以降はパリに居住していた。マヌ・ディバンゴの死因はCOVID-19によるもので、トニー・アレンの死因は今のところ公表されていないので何とも言えないが、現在の状況下ではその可能性も否定できない。
 1940年8月12日生まれのトニーは享年79歳だったが、つい先日もヒュー・マセケラとの共演アルバム『リジョイス』が発表されたばかりで(録音自体は2010年に行われたセッションが基となる)、現役で活躍していた印象が強いだけにこの死はあまりにも唐突である。

 今でこそトニー・アレンはフェラ・クティの盟友で、フェラと一緒にアフロ・ビートを生み出したパイオニアとして語られるが、その評価が定まってきたのは比較的近年のことだ。
 1970年代はフェラ・クティ率いるアフリカ70の一員として、『シャカラ』(1972年)、『エクスペンシヴ・シット』(1975年)、『ゾンビ』(1977年)などフェラの全てのアルバムに参加していたが、当時の欧米や日本ではフェラ・クティ自体がマイナーな存在で、トニー・アレンにまで認識が及んでいなかったというのが実情だ。これまでフェラ・クティはいろいろなタイミングで再評価されてきたが、ちょうど彼が死去した1997年前後のことを振り返ると、当時はジョー・クラウゼルやマスターズ・アット・ワークなどによるアフロ・ハウスが盛況で、そのルーツであるフェラの音楽にもクラブ・ミュージック方面からスポットが当てられていた。彼の息子のフェミ・クティの作品もそうした流れでDJプレイされたり、リミックスされるなどしていたが、同時にフェラ・クティのレコードもいろいろと再発され、さらにトニー・アレンの初リーダー作である『ジェラシー』(1975年)を筆頭に、『プログレス』(1977年)、『ノー・アコモデイション・フォー・ラゴス』(1979年)、ジ・アフロ・メッセンジャースを率いての『ノー・ディスクリミネーション』(1979年)が立て続けにリイシューされた。1999年のことだが、これらは世界で初めてのリイシューで(全てアナログ盤でリイシュー)、企画元であるPヴァイン(ブルース・インターアクションズ)には感謝しかない。それまでナイジェリア盤でしか聴くことができなかった音源なので、私を含めたほとんどの人にとってトニー・アレンの存在を知った瞬間ではないだろうか。『ノー・ディスクリミネーション』を除く3作は全てアフリカ70と録音したもので、フェラ・クティもエレピやサックスで参加していたのだが、フェラ・クティというカリスマがフロントに立たなくてもアフロ・ビートは成立していて、すなわちアフロ・ビートの核はトニーであることを証明していたわけだ。
 フェラ・クティは1980年代に入ると新しいバンドのエジプト80を結成するが、トニー・アレンはそこには参加せず、ソロ・ミュージシャンとして新たなステップを踏み出していく。ナイジェリアを離れてロンドン、パリと移り住み、より広い世界を視野に入れて活動をするようになる。

 これらリイシューが出た頃のトニー・アレンは60歳くらいだったが、そこから一気に再評価の波が広がり、当時はフランスの〈コメット〉というクラブ系レーベルから『ブラック・ヴォイシズ』(1999年)という久々の新作も出した。
 このアルバムはドクトール・Lというプロデューサーと組み、ブロークンビーツやニュー・ジャズとトニーのドラムを交えたものとなっているが、この手のクラブ系サウンドの中においてもトニーの存在感は抜群だった。
 さらに『ブラック・ヴォイシズ』を発展させる形でドクトール・Lらフランスの若手アーティストたちと組んだサイコ・オン・ダ・バスは、アフロ・ビートにフューチャー・ジャズ、ブロークンビーツやエクスペリメンタルなトリップ・ホップなどを融合したようなプロジェクトで、60歳ものトニーがよくこんな新しく実験的なことをやるなという印象を持ったものだ。
 フェラ・クティの息子のフェミ・クティやシェウン・クティは父の遺志を継ぐ正統的なアフロ・ビートをやっているが、彼らよりずっと年長のトニー・アレンのほうが音楽的には柔軟で、アフロ・ビートのオリジネイターという根っこはありながらも、今の新しい音楽や異ジャンルのミュージシャンとも積極的に交信していた。
 ジ・アレンコ・ブラザーフッド・アンサンブルというリミックス・プロジェクト的な企画では、トニー・アレンの生ドラムを介してザ・シネマティク・オーケストラ、カーク・ディジョージオ、ヨアキムなどの作品をリワークしていて、ミュージシャンでありながらリミキサーでもあるという現在の音楽シーンに見事に対応する姿も見せる。
 2002年の『ホーム・クッキング』ではブラーのデーモン・アルバーンやラッパーのタイたちと共演し、そこからデーモンとの交流が深まっていく。そしてデーモンのほかザ・クラッシュのポール・シムノン、サイモン・トングと組んだザ・グッド・ザ・バッド・アンド・ザ・クイーン、デーモンやレッチリのフリーと組んだロケット・ジュース・アンド・ザ・ムーンも始まった。ロケット・ジュース・アンド・ザ・ムーンの同名アルバム(2012年)にはサンダーキャットやエリカ・バドゥも参加して、オルタナ・ロックにアフロ・ビート、ヒップホップやエクスペリメンタルなファンクが混然一体となったまさにミクスチャーな音楽をやっている。
 2014年のソロ・アルバム『フィルム・オブ・ライフ』にはデーモンのほかにマヌ・ディバンゴも参加していて、こちらは比較的オーソドックスなアフロ・ビートをやりつつも、ダブやファンクの要素も混ぜたり、マリの音楽、グナワなどモロッコ音楽やエチオピアン・ジャズなどさらに広範なアフリカ音楽〜ワールド・ミュージックに取り組んでいた。

 意外なところではベーシック・チャンネルのモーリッツ・フォン・オズワルド率いるトリオにも参加し、『サウンディング・ラインズ』(2015年)でダブ・テクノやミニマルにも対応した演奏を行っている。トニーが〈オネスト・ジョンズ〉からリリースした2005年のアルバム『ラゴス・ノー・シェイキング』のミックス及びマスタリングをモーリッツが手掛け、その後もトニーの作品をリミックスするなどした縁から繋がった共演なのだが、当時は「どれだけ間口が広いんだ」と驚かされた。しかし、そうしたところでもアフロ・ビートの痕跡はしっかりと残していて、まさにワン・アンド・オンリーなミュージシャンである。
 ほかにもジンジャー・ベイカー、ジミー・テナー、セオ・パリッシュ、ジェフ・ミルズ、リカルド・ヴィラロボス、セローン、トム・アンド・ジョイ、アワ・バンド、ニュー・クール・コレクティヴ、ニコル・ウィリス、メタ・メタ、ニュー・ギニアなど様々なアーティストと共演やコラボを行ってきたトニー・アレンだが、自身のソロ活動としてはバック・トゥ・ルーツな方向性が近年は目立っていた。
 もともとアート・ブレイキーやマックス・ローチなどアメリカのジャズ・ドラマーに影響を受けてドラムを始め、その後フェラ・クティと出会ってクーラ・ロビトスを結成。最初はジャズやアフリカのハイ・ライフが混ざり合った演奏をしていたが、アメリカにツアーをした際にジェイムズ・ブラウンやスライのファンクの洗礼を受け、それからナイジェリアのラゴスに戻ったふたりはアフリカ70を結成し、アフリカン・リズムにファンク・ビートを融合したアフロ・ビートが生まれた、というのがトニー・アレンの初期のキャリアである。
 そうしたドラムを始めたきっかけとなったジャズのビ・バップやハード・バップ、アフロ・キューバン・ジャズや大らかなハイ・ライフの世界に戻ったアルバムが2017年の『ザ・ソース』で、これはフランスの〈ブルー・ノート〉から出ている。
 同じく〈ブルー・ノート〉からはアート・ブレイキー・アンド・ザ・ジャズ・メッセンジャーズのカヴァーEPも出していて、“チュニジアの夜”や“モーニン”といった往年の名曲を演奏していた。その一方で、昨年リリースされたヌビアン・ツイストの『ジャングル・ラン』にも客演するなど、まだまだ現役バリバリで活躍していた。そしてモーゼス・ボイドやエズラ・コレクティヴなど、トニーの影響を受けた新しいミュージシャンやバンドの活躍が注目を集め、さらなる再評価の波が訪れていた矢先だけに、彼の死は本当に残念でならない。

文:小川充

 毎年恒例のバースデイ・ライヴを自粛のため延期にした戸川純が「なにかしなくては!」と動画配信を始めました。しかも内容は得意の人生相談と本職の歌! 早くも第1回配信がゴールデンウィークから開始されています。ツイッターで募集した深刻な悩みに次から次へと意味不明の解決法を持ち出していきます。


戸川純の人生相談 令和弐年 第一回 前半


戸川純の人生相談 令和弐年 第一回 後半

Session Victim - ele-king

 レコード屋のセールス文句では「若き日のナイトメアズ・オン・ワックスやDJシャドウを連想させる」と表現され、RAでは「ドイツ人のデュオがダウンテンポへ、これは果たして成功か?」という見出しで語られるが、どんな表現をされようが超マイペースな彼らには関係のないことだ。昨年クルアンビンとリオン・ブリッジズのアルバム『Texas Sun』のリリースも好調なレーベル〈Night Time Stories〉(〈LateNightTales〉の姉妹レーベルでもある)から、ハウス・プロデューサー、セッション・ヴィクティムの最新アルバム『Needledrop』がリリースされた。

 ドイツ人プロデューサーのハウケ・フリーアとマティアス・レーリングのふたりはどちらも大のレコード・ディガーで、DJプレイもヴァイナル・オンリー。アーティストからのプロモ音源もレコードでなければほとんど受け取らない程の徹底ぶり。リリースの大半もいわゆる「ヴァイナル・オンリー」が大半を占め、過去に発表したアルバム3枚はジンプスター主宰のレーベル、〈Delusions Of Grandeur〉からのみ(アルバムはデジタルもリリース)という、とてつもなく限定的な活動を展開するが、エネルギッシュなライヴ・パフォーマンスと、独特なサンプリング・センスと生音を融合させたプロダクションが人気を集め、ハウス/ディスコ・シーンでは安定の位置を確立。今回は一気に舵を切り全編に渡りスローなジャムを展開している。

 11曲中10曲がインスト・トラックで、唯一のヴォーカル曲には98年にリリースされたエールのファースト・アルバム『Moon Safari』にも参加したベス・ハーシュをフィーチャー。“Made Me Fly (Ft. Beth Hirsch)” としてアルバムのリード・トラックに。なるほど、ハウス方面に限らず、エールを聴いていたようなリスナーにとってもどこか共感が持てるような角度をこのアルバムは潜めているかもしれない。というよりも元々彼らの聴いてきた音楽的なバックグラウンドや趣味嗜好がより反映されたアルバムになっているのかもと感じさせてくれる。

 個人的なオススメは6曲目の “Waller and Pierce” と9曲目の “Cold Chills”。ライヴでもベースを担当するマティアス・レーリングのレイドバックなベースラインと絶妙な雰囲気で重なる音のレイヤーは繰り返し聴いても飽きが来ない。アルバムとはいえ全編通して聴いても約30分程度。一周した後に「もう終わり?」と思いながらもう一度頭から針を落とす。(レコードはグリーンカラーのクリアヴァイナル。もちろんCDやデジタル、ストリーミングだってなんでも構わない。)

 トラックのタイトルには「Bad Weather」「Pain」「No Sky」「Cold」など決して明るくポジティヴなメッセージが込められているとは思えないが、楽しいだけが人生じゃない、あえて暗いムード、落ち着いた雰囲気のときに選んでほしい1枚な気がする。

Clear Soul Forces - ele-king

 2012年リリースのアルバム『Detroit Revolution(s)』によってデビューし、これまで 2nd 『Gold PP7s』、3rd 『Fab Five』を経て、昨年(2019年)には4年ぶりのアルバム『Still』をリリースした、デトロイトを拠点とする4人組のヒップホップ・グループ、Clear Soul Forces。ゴールデンエイジとも呼ばれる90年代のヒップホップから強い影響を受けた、いわゆるブーンバップ・ヒップホップの流れにあり、アメリカ国内だけでなく、ヨーロッパにも根強いファンを持っている彼らであるが、今回リリースされたこのアルバム『ForcesWithYou』をもって、グループとしての活動に終止符を打つという。

 グループのメンバーでもあるメイン・プロデューサーである Ilajide に加えて、7曲目 “Watch Ya Mouth” にもクレジットされている Radio Galaxy が2曲プロデュースを手がける本作だが、Clear Soul Forces のトラックの肝となっているのは、やはりビート(=ドラム)の部分だ。以前、筆者が彼らのアルバム『Fab Five』のライナーノーツを書いた際に、Ilajide のサウンドに関して「A Tribe Called Quest の後期の作品などにも繋がるような、’90年代後半の空気を強く感じる」と表現したのだが、シンプルでありながらも非常に練られたドラムの音色とパターンに、シンセを多用したシンプルな上ネタ、そしてベースのコンビネーションによって極上のファンクネスが生み出されている。同じくデトロイト出身である故 J Dilla からの強い影響を受けているのは、彼らの過去のインタヴューなどからも明らかであるが、さらに4MCによる巧みなマイクリレーが乗ることで Clear Soul Forces にしか出しえないグルーヴが完成している。

 アルバムの幕開けを飾るバトル・チューン “Gimme the Mic” やオリエンタルな雰囲気漂うキャッチーな “Chinese Funk”、PVも公開されているリード曲の “Chip$” など、アルバムの軸となっている曲はいくつかあるが、全体的にはミディアム・テンポが貫かれ、一定のトーンで進んでいくのが実に心地良い。全体のテンションもアゲすぎたり、また極端にレイドバックしたりということもなく、個々のフロウの変化でコントラストをつけながら、彼らの好きなゲームやSF、アニメの世界観が見え隠れし、それと同時にヒップホップへの愛というものがストレートに感じ取れる。

 すでに個々にソロでの作品リリースや客演などを展開しており、今後はソロ活動がますます盛んになっていくであろう彼らであるが、いずれまたリユニオンを果たして、4人での新作を出してくれそうな気がしてならない。そんな思いの残る、まだまだ何かが続きそうな Clear Soul Forces のファイナル・アルバムである。

Dominic J Marshall - ele-king

 現在のUKのジャズではサウス・ロンドン・シーンが注目を集めるが、その中にもいろいろなミュージシャンがいるわけで、すべてをシーンの一言で括ってしまうことはできない。たとえばドミニク・J・マーシャルもロンドンで活動するミュージシャンだが、シャバカ・ハッチングスモーゼス・ボイドらがいるトゥモローズ・ウォリアーズ周辺のサークルとは異なる出目である。そもそも彼はスコットランドのバンノックバーン出身のピアニスト/キーボード奏者で、2010年にリーズ音楽大学を卒業してプロ・ミュージシャンとなってからは、オランダのアムステルダムで始めたドミニク・J・マーシャル・トリオ(DJMトリオ)で活動してきた。このピアノ・トリオはその後ロンドンへと拠点を移すのだが、ジャズとインストゥルメンタル・ヒップホップの中間的なことをやっていて、『ケイヴ・アート』というシリーズ(2014年と2018年にリリース)ではJディラ、MFドゥーム、マッドヴィラン、フライング・ロータス、スラム・ヴィレッジ、9thワンダーなどのヒップホップ・トラックを人力でジャズへ変換した演奏をおこなっている。こうしたスタイルの作品自体は珍しいものでもないが、ジャズの緻密な演奏力とヒップホップ・センスの高さはなかなかのもので、同世代のアーティストではゴーゴー・ペンギンとかバッドバッドナットグッドあたりに比するものを感じさせた。

 ドミニクはソロでもいろいろ作品を作ってきて、そちらでもインストのヒップホップ的なことはやっているが、よりビートメイカーに近い作風となっている。2016年リリースのソロ名義作『ザ・トリオリシック』は、現DJMトリオのサム・ガードナーとサム・ヴィカリー、オランダ時代の旧DJMトリオのメンバーであるジェイミー・ピートとグレン・ガッダム・ジュニアも加わったトリオ編成を踏襲する部分もあるが、アコースティック・ピアノだけでなくシンセやいろいろなキーボード、そしてサンプラーやエレクトロニクスまで駆使し、全体としてはビート・ミュージックやエレクトロニカ的な方向性となっている。ロンドンを拠点とするピアニスト兼ビートメイカーではアルファ・ミストが思い浮かぶが、彼に近いセンスを持っているだろう。さらに2018年のソロ・アルバム『コンパッション・フルーツ』では、アナログ・シンセやビート・マシンを軸としたエレクトリック・サウンドの比重が増しており、ジャズとヒップホップの融合という世界からさらに進化し、1980年代的なエレクトロとフュージョンが結びついたシンセ・ウェイヴ~ヴェイパーウェイヴ的な新たな展開も見せていた。

 トリオとソロ活動以外でもドミニクの交流範囲は幅広く、ミゲル・アトウッド・ファーガソン、ベンジャミン・ハーマン、スチュアート・マッカラム、タウィアーらと共演している。スチュアート・マッカラムとの交流がきっかけになったのだろうか、近年はザ・シネマティック・オーケストラでも演奏していて、最新作の『トゥ・ビリーヴ』(2019年)にも参加していた。そして『コンパッション・フルーツ』から2年ぶりの新作ソロ・アルバムとなるのが『ノマズ・ランド』である。『コンパッション・フルーツ』の世界を発展させた作品と言えるだろうが、前回は元DJMトリオのジェイミー・ピートが1曲にフィーチャーされる程度で、ほぼひとりで作り上げたアルバムだったがゆえの一本調子な面も否めなかったけれど、今回はヴォーカリストや楽器プレイヤーなどいろいろな手助けを借りている。メンバーはジェイミー・ピート(ドラムス)のほか、同じく新旧DJMトリオのハンローザことサム・ヴィカリー(ベース)とグレン・ガッダム・ジュニア(ベース)、エレクトリック・ジャラバやフライング・アイベックスなどのロンドンのバンドで活動するナサニエル・キーン(ギター)、アムステルダムの新進R&Bシンガーのノア・ローリン(ヴォーカル)、ドラムンベースのプロデューサーとしても活動するセプタビート(エレクトリック・ドラムス)で、彼らの参加によってオーガニックなサウンドとエレクトリックなサウンドの融合が増え、音楽的にもより広がりと深みを感じさせるものとなっている。

 冒頭の “コールドシャワー(Coldshwr)” から驚かされるのだが、今回のアルバムはドミニク自身が全面的にヴォーカルをとっている。ノア・ローリンもデュエットというよりバック・ヴォーカルに近く、あくまでドミニクの歌が主役という感じだ。どのような理由からドミニクが歌を歌うに至ったかはわからないが、サンダーキャットが単なるベース・プレーヤーから脱却して、近年はシンガーとしても新境地を開拓している姿に重なるものだ。“ハーブ・レディ” での歌はヒップホップのラップからネオ・ソウル調へと遷移するもので、トム・ミッシュとかロイル・カーナーなどロンドンのシンガー・ソングライターにも通じる。全体的にはソウルフルな曲であるが、中盤以降はガラっと様相を変えてフライング・ロータスのように幻想的でコズミックな世界となる。ラップ調のヴォーカルをとる “タイム・アンリメンバード” は、シンセウェイヴとビート・ミュージックが融合したような曲。温もりのあるピアノやキーボードがエレクトロなサウンドやビートとうまく一体化していて、最近の作品ではカッサ・オーヴァーオールのアルバムと同じ感触を持つ。“ライオネス” とかもそうだが、ラップ・スタイルの歌が多い点や、自身の生演奏や歌をサンプリングして変化させたりループさせている点もカッサと重なる。

 “DMT” はセプタビートのエレクトリック・ドラムスが織りなす有機的なビート上で、ドミニクが美しいピアノ・ソロを展開する。ヴォーカルのテイストも含め、ジャズとソウルとヒップホップの中間的な作品だ。“フィーリング” はウーリッツァー・ピアノがどこかレトロなムードを奏でるインスト主体の曲で、ハービー・ハンコックやチック・コリアなどの1970年代前半のフュージョンにも通じるが、終盤でヴォーカルが入るあたりではロバート・グラスパー・エクスペリメント風にもなる。そして浮遊感に富むコズミック・ソウルの “オン・タイム” や “イニシエーション”、ティーブスジェイムスズーなど〈ブレインフィーダー〉勢やLAビート・シーンにも繋がるような “ストーリーライン”、ジャズ・ピアニストとしての神髄を見せるスピリチュアルな “ハイパーノーマライズ”。ロバート・グラスパー、フライング・ロータス、カッサ・オーヴァーオールなどいろいろなアーティストからの影響や通じる部分を感じさせるものの、それらを単なる模倣や物真似でなく自身の音楽にまで高め、オリジナルな世界を作り出した非常に密度の濃いアルバムだ。

Mahito The People - ele-king

 コロナ禍を受け、各地でさまざまなアイディアが試行錯誤されるなか、マヒトゥ・ザ・ピーポーによる無観客ライヴの配信が決定した。これは、もともと5月14日に WALL&WALL で予定されていた大友良英との公演の中止を踏まえての試みで、同日20時より開催される。CANDLE JUNE によるろうそくに囲まれて、弾き語りのパフォーマンスが披露される模様。配信サイトはこちら


マヒトゥ・ザ・ピーポー 配信ライブ開催のお知らせ

5月14日(木)、表参道 WALL&WALL で開催予定の「にじのほし15『one×one』大友良英×マヒトゥ・ザ・ピーポー」公演は、新型コロナウィルスの感染拡大防止のため、残念ながら一旦中止とさせていただきます。払戻の対応に関しての詳細は販売サイト Peatix より個別にご案内いたします。

これを受けて、同会場よりマヒトゥ・ザ・ピーポーによる無観客の電子チケット制ライブ配信を開催することになりました。
会場には日本のキャンドルアーティストの第一人者、CANDLE JUNE によるキャンドルの炎を囲んだ弾き語りライヴをお届けします。
普段のバンドサイドでの烈しさに内包された繊細さが顕になる、うたの世界とキャンドルの静かに燃え上がる美しいコラボレーションにご期待ください。

[ライブ詳細]
にじのほし16
Mahito The People × CANDLE JUNE "one" live streaming

出演:マヒトゥ・ザ・ピーポー(GEZAN)
装飾:CANDLE JUNE (キャンドル)
2020年5月14日(木)
配信開始20:00より
TICKET:¥1,000
配信サイト:https://nijinohoshi14.zaiko.io/_item/325805

チケット販売開始/終了日時:2020年4月23日20時~2020年5月17日21時
配信アーカイブ公開終了日時:2020年5月17日21時

※当日は会場の表参道 WALL&WALL にはお入り頂けません。
* 配信のURLは購入した ZAIKO アカウントのみで閲覧可能です。
* URLの共有、SNSへ投稿をしてもご本人の ZAIKO アカウント以外では閲覧いただけません。
* 途中から視聴した場合はその時点からのライブ配信となり、生配信中は巻き戻しての再生はできません。
* 配信終了後、チケット購入者は72時間はアーカイヴでご覧いただけます。

Bladee - ele-king

 ヒップホップが異形のサウンドだった頃が懐かしい。本当に懐かしい。いまとなってはそうは思えないだろうけれど、ランDMCでさえ「大丈夫なのかな、これで」と思うほど曲になっていないというか、途中で放り出したような音楽に聴こえたし、中村とうようではないけれど、最初は僕もとても長続きする音楽だとは思えなかった。初めてTVで観たのがファット・ボーイズのライヴだったせいで、余計にイロモノに思えてしまい、僕が本気になったのはLL・クール・Jを聴いてからだった(記憶が定かではないのだけれど、初めて観たラップはやはりTVで「サラリーマンが会社帰りに円陣を組んでその日あったことを思い思いにリズムをつけてマイクで順番に歌っています」というニュースの方が先だったかもしれない←このニュースのせいで、ラップの起源は長い間、ニューヨークのサラリーマンが始めたのかと思っていた)。

 途上国を見渡せば異形のサウンドを聴かせるヒップホップがまったくないわけではないし、ヒップホップの影響がないものを探す方が難しいと思うほどあらゆる音楽にヒップホップは浸透しきっているとは思うものの、異形のヒップホップはあきらかにメインストリームとは断絶していて、フィードバックの関係をつくりだすことはないこともわかっている。枝分かれしすぎてしまうと、もはや繋がりようはないということか。それこそメインストリームの新人に「新しさ」は感じても、初めてヒップホップを聴いた時の「異形さ」に想いがぶっ飛ぶことはない。オーヴァーグラウンドな音楽として認知されてしまうということはそういうことだろうし、ましてやロックよりも消費量では上回ったというのだから。それでもヒップホップに「異形さ」を求めてしまうのは……自分でも? ちなみに僕のオールタイム・ベストはそれぞれ1作目で、1にニッキー・ミナージュ、2にサイプレス・ヒル、3・4がアトモスフィアと4にTTCで、5がアール・スウェットシャーツで~す!(次点でスクーリー・D)。誰にも共感されなさそー。

 ブレイディー(またはブレイドと発音)のサード・ソロ・アルバムが、そして、どこにも辿りつかないクラウド・ラップと化していた。ファッション・デザイナーとしても知られるベンジャミン・ライヒヴァルトはミックステープがサウンドクラウドで注目され、スウェーデンではオート・チューン使いの代表格のようなものになったらしい。同じく2010年代のスウェーデンだと(冗談のようだけれどブレイディみかこが反応していた記憶があるスウィング・ヒップホップのモーヴィッツ!はなかったことにして)ディプロがプロデュースしたギャングスタ・ガールズのエリファント(Elliphant)とは好対照をなし、それこそブレイディーは彼女たちと入れ替わるようにして出てきた感もあり、初めからクラウド・ラップを志向しているぐらいで、まったく力強さはなく、抒情性に重きが置かれ、そこは素直にカーディガンズやトーレ・ヨハンソンの国だという感じではある(頻繁にコラボレイトしている同郷のヤング・リーンはノンクレジットでディーン・ブラント『Zushi』にも参加)。正直、だらだらし過ぎていて、弱さとフラジャイルを混同しているタイプだったと思うし、マンブル・ラップでさえもっと覇気があると思うようなものが、いきなり突き抜けて「異形」なトーンを醸し出すまでになってしまった。徐々にではなく、いきなり。

『Exeter』は冒頭からネジが緩んでいる。続く“Wonderland”でお花畑度は一気に上がる。クニャクニャと擦られるスクラッチ音にポワンポワンと浮かんでは消えるベース・シンセ。『Good Morning』や『Now Is The Happiest Time Of Your Life』をつくっていた時期のダヴィッド・アレンがもしもアシッド・フォークではなくヒップホップをやっていたらこうなったかなと。”Rain3ow Star (Love Is All)””Every Moment Special”“DNA Rain”と続く3曲はあまりにもスモーカーズ・デライトで、電子音のお風呂で体ごと溶けてしまいそう。前作にも参加していたグッド(Gud)が全曲でプロデュースにあたったことで、ここまで一気に変化したのだろうか。よくわからない。スウェーデンといえば昨年のベスト・ソングが僕はオートチューン全開のタミー・T“Single Right Now”であった。クィアーたちに局所的な喝采を浴びたタミー・Tも切実な思いをチープな曲にのせるという発想は同じで、スウェーデンのアンダーグラウンドでは何かクネクネとした音楽性が静かに押し寄せてるのだろうか。そんなことはないか……(ちなみに2010年代の個人的なベスト・ソングはアジーリア・バンクス“212”で、ベスト・ポップスはロード”Royals”です!)。

 時代を超えて存在するタンブリマンたちに『Exeter』は1曲も期待を裏切らないだろう。ブーツの踵がさまよい出すのを待っている。魔法の船に乗って旅行に行きたいね。自粛要請も出ていることだし、その場から一歩も動かずに旅をするとなると……(イギリスやニュージーランドで買い占められたのはトイレット・ペーパーだそうだけれど、オランダで買い占められたのはマリファナだったそうで……)。

Bim One Production - ele-king

 Bim One Productionが久しぶりの新作を出す(https://project.bim-one.net/)。ブリストルのグライム/ヒップホップMC、RIder Shafiqueをフィーチャーした10インチのアナログ盤、プレオーダーは本日(23日)から開始、デジタル/ストリーミングでも聴くことができる。スコーンと抜けたリズムにストイックな空間および瞑想的な言葉が格好いい曲で、映像(by 鷹野大/Tabbycat)があるのでまずはどうぞ。

 RIder Shafiqueは過去、BSOのために何度か来日しており、Bim One Productionとはかねてより親交あり。このコラボは2作目になり、映像には下北沢Disc Shop Zeroの店内がばりばりに写っている。曲の最後のほうには亡き飯島直樹さんも登場、じつはこの映像は飯島さんがまだ生きていたときに本人も確認しているという話で、Bim One ProductionとしてはZEROの27周年にあたる4月27日のリリースを前もって考えていた。
 新型コロナの影響で現在店舗は開けられず、無念のリリースとなったが、彼らのソウルが籠もったこのシングルは、たくさんの人に飯島さんのDIY精神をうながすことだろう。チェックよろしくです。
 

Bim One Production - Guidance feat. Rider Shafique
カタログ番号:BIMP003
デジタル配信:Bandcamp / Spotify / Apple Music / Amazon / ReggaeRecord Downloads 他 *4/24配信開始
レコードフォーマット:10inch Vinyl / スタンピング、ナンバリング付き 
限定100枚 *4/24プレオーダー開始 4/27発売
配信サイトまとめ: https://kud.li/bimp0003 (4/24公開)

Moor Mother & Mental Jewelry - ele-king

 怒りのことばはおさまらない。昨年は自身のアルバムアート・アンサンブル・オブ・シカゴゾウナルイリヴァーサブル・エンタンガルマンツにと、三面六臂の活動で大躍進を遂げたフィラデルフィアの詩人=ムーア・マザーが、ノイズ・プロデューサーのメンタル・ジュウェリーとタッグを組みバンド・プロジェクトに挑戦、初のフルレングス『True Opera』をリリースしている。
 両者によるコラボは今回が初めてではなく、2017年に一度「Crime Waves」なるEPが送り出されているが、エレクトロニックなエクスペリメンタル・ミュージックだった前作とは打って変わり、今回は彼らの音楽的ルーツのひとつであるパンクにぐっと寄った、荒々しいサウンドに仕上がっている(ムーア・マザーがヴォーカルとギターを、メンタル・ジュウェリーがドラムスとベースを担当)。2020年の見逃せないリリースのひとつ、ふたりの新たな船出に注目しよう。

artist: Moor Jewelry
title: True Opera
label: Don Giovanni
release date: April 20, 2020

Tracklist:
01. True Opera
02. No Hope
03. Look Alive
04. Judgement
05. Eugenics
06. Working
07. Westmoreland County
08. Le Grand Macabre
09. Boris Godunov
10. Shadow

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294