「W K」と一致するもの

Cybotron - ele-king

 サイボトロンこそ出発点だ。1981年、ホアン・アトキンスとリチャード・デイヴィスによって開始されたそのプロジェクトこそがテクノのはじまりだった──
 月日は流れ、サイボトロン最後のリリースとなったのが1995年のアルバム『Cyber Ghetto』。アトキンスは85年にサイボトロンを脱退しモデル500をスタートさせているので、そのときはメンバーではない。つまり今回は、アトキンス側がふたたびサイボトロン名義を復活させたということになる。現在の相方は、ローレンス・フォン・オズワルド。
 なお、レーベルの案内文を担当しているのはディフォレスト・ブラウン・ジュニアで、アトキンスがサイボトロンの未来的ファンカデリック・サウンドを「テクノ」と名づけたことがいかに重要だったか、再確認している。
 サイボトロンの新作12インチ「Maintain The Golden Ratio」は〈Tresor〉から10月13日発売。

〈Tresor〉公式ページ
https://tresorberlin.com/product/cybotron-l-maintain-the-golden-ratio-l-tresor313ep1-l-12/

バンドキャンプ
https://tresorberlin.bandcamp.com/album/maintain-the-golden-ratio

Brian Eno, Holger Czukay & J. Peter Schwalm - ele-king

 これは驚きの発掘だ。ブライアン・イーノCANホルガー・シューカイ、J・ペーター・シュヴァルムによるライヴ音源がリリースされる。タイトルは『Sushi! Roti! Reibekuchen!(寿司! ロティ! ライベクーヘン!)』で、1998年8月27日(木)にボンのクンストハレ(美術展示施設)の屋外でレコーディングされたもの。3時間のパフォーマンスからの抜粋が収録される。この3者によるコラボが聴けるのは、シューカイが参加したイーノ&シュヴァルム『Drawn from Life』(2001)くらいのはずなので、かなり貴重なアーカイヴだろう。
 とはいえ発売は2024年4月12日と、まだだいぶ先(ヴァイナル、CD、ディジタルの3形態)。レーベルは、これまでノイ!ミヒャエル・ローターハルモニア、ホルガー・シューカイ、デイヴィッド・シルヴィアンなどを手がけてきたベルリンの〈Grönland〉。首を長くして待っていよう。

https://www.groenland.com/product/brian-eno-holger-czukay-j-peter-schwalm-sushi-roti-reibekuchen/

Colleen - ele-king

 なんというか、どこのシーンにも属さない、しかしどこのシーンからも愛される音楽っていうのがたまにあるけど、コリーンはまさにそれ。フランス人の電子音楽家、セシル・ショットによるプロジェクト、OPNやローレル・ヘイローなどともに、2010年代のエレクトロニック・ミュージック・シーンを併走し、まったく独自の境地を開拓中の彼女が新作を出します。いわく「1台のモジュラー・シンセと2台のエフェクターのみで構築したミニマルでありながらゴージャスで多様性に富んだアルバム」だそうで、リリースに先行して公開されたシングル曲“Subterranean – Movement I – II – III”(https://orcd.co/xor00zp)について彼女はこんなことを言っている。
「潜在意識と感情の深さにちなんで名付けられた“Subterranean”の 3 つの楽章を楽しんでいただければ幸いです。第 1 楽章は再びロック バンドでギターを弾いているような気分になり、第 2 楽章はまるでギターを弾いているような気分になりました ダンスフロアのための音楽(*ほぼ*)、そして3番目は、非常に壊れやすいもの、おそらく壊れる可能性のあるもの、そしてそれが表面に出ようとしていたものに突然触れたような感じでした」

 アルバム『Le jour et la nuit du réel』(「現実の昼と夜」という意味)は9月22日に発売。

Artist: Colleen
Title: Le jour et la nuit du réel
Label: PLANCHA / Thrill Jockey
Cat#: ARTPL-202
Format: CD / Digital
Release Date: 2023.09.22

7038634357 - ele-king

 米国・ヴァージニア州を拠点とするネオ・ギブソンによるプロジェクトの名称である。実に記号的な名前だが、どうやら携帯電話の番号らしい。本当なのだろうか。軽いジョークだろうか。もちろん真意のほどは定かではない。
 ではこの名のとおり、本作が「記号的・抽象的な電子音響作品」なのかというとそうではない。確かに実験的な作風ではあるが、ネオ・ギブソンのヴォーカルが入った曲もあるし、聴きやすい旋律のミニマルな音楽もある。
 しかし一方、ノイズが炸裂する展開もある。持続「しない」アンビエントという不思議な曲もある。かといって、アルバム全体がカオスかといえばでそうもない。どこか慎ましやかで、奇妙な人懐こさもあるアルバムなのである。実験的ではあるが他人を拒絶するような作風でもないのだ。
 何より非常にパーソナルな音楽に思えた。アルバムには7曲が収録されているが、「ネオの7曲」という意味でのアルバム名『Neo Seven』だろうか。アルバム名に、自身の名を付けるということは、やはり自信作なのだろう。

 これまで名称違い(703 863-4357など)でエレクトロニックなトラックをセルフ・リリースしたり、7038634357名義でCD-Rや配信などを中心にエクスペリメンタルな楽曲を発表してきたが、本作は高柳昌行、ザ・シャドウ・リング、そのメンバーだったグラハム・ランキン小杉武久+鈴木昭男もリリースするニューヨーク・ブルックリンのエクスペリメンタル・ミュージック・レーベル〈Blank Forms Editions〉からのリリースである。マスタリングを名匠ステファン・マシューが手がけていることも注目したい。この点からも『Neo Seven』が特別なアルバムであることを伝わってくる(気がする)。
 確かにグリッチやアンビエントなど00年代のエレクトロニカへのノスタルジアも深く感じさせる作風だが、それを踏まえて新しいサウンドを作り出そうとしているようにも感じられるのだ。

 私が特に注目したいのがときおり訪れる「間」であり、一瞬の「静寂」である。アルバム冒頭の “Winded” ではアンビエント的な音響が流れては消え、流れては消えを繰り返す。そこにほんの少しのあいだ無音の「間」があるのだ。この種のアンビエントは持続によって聴き手に没入感を与えるものだが、この曲はそうではない。まるで波の満ち引きのように音が生成し消えていくさまを繰り返す。
 これは観客にあえて没入させないための「皮肉な」方法論なのだろうか。自分はむしろ逆にとる。聴き手を信頼しているからこその「間」ではないかと。静謐な時間。無音の時間。音楽が生成する手前の貴重な時間。それを共有させるというのは観客の聴く力と聴こうとする意志を信じているからではないか(わずか1秒に満たない間に大袈裟だろうか?)。
 2曲目 “Everytime” は水の音に導かれ、柔らかく穏やかな電子音が鳴り始める。音と音のレイヤーによって音階が生まれていく不思議な楽曲である。やがて音は次第に大きくなり、そこに変調された声による素朴な「歌」が加わる。心の深いところにあるノスタルジアが生成されていくような曲だ。シンプルな音像だがどこかフェネスのロマンティシズムに近いムードを感じる。続く3曲目 “Square Hear” もヴォーカルが加わる曲である。“Everytime” よりもメロディがはっきりとあり、シンガーソングライター的な楽曲だ(この曲にもところどころ無音になる「間」がある)。90年代のハイ・ラマズ/ショーン・オヘイガンのようなソングライティングに感じられた(つまりは典型的な「ベッドルーム・ポップ」の系譜とでもいうべきか)。
 4曲目 “Acolyte” も電子音による持続が無音の「間」を挟みながら展開する曲である。その音は次第に変化を遂げていく。この曲に限らず音色のトーンの変化によるコンポジションが本作の特徴だろう。続く5曲目 “Overbraid” はシンプルなコード進行を反復する曲だ。同じ進行を4分48秒続けるミニマルな楽曲だが、“Acolyte” と同じく音色が次第に変化していくため、まったく飽きることはない。2曲ともアンビエントともミニマル・ミュージックともテクノとも異なる不思議な印象の楽曲だ。
 6曲目 “Eraser” は1分54秒の短い曲ながらアルバム中もっともドローン的なトラックである。この曲も音色のセンスが抜群だ。そしてアルバム最終曲の7曲目 “Perfect Night” は、アンビエント、ミニマル、ヴォーカル、強烈なノイズが炸裂するトラックであり、本作を代表する曲である。中盤でノイズが炸裂し、そこに掻き消されそうになるヴォーカルが重なるのだが、あるとき不意にノイズが消失し、ヴォーカルと柔らかい電子音が残る。その瞬間、不意に耳の感覚が変わるのだ。なんと見事なコンポジションだろうか。

 『Neo Seven』を聴いたいま、2021年に自主リリースされた『Permanest』や『My Way Out』などを聴き直してみると、そこも「間」と「無音」のコンポジションや、さまざまなミニマルなドローンなどの実験音楽の方法論を慎ましく、かつエモーショナルに展開する技法などが展開されていたことに気が付く。いわば本作『Neo Seven』において、その方法論や技法がもう一段階深い「音楽」として結実したとすべきだろう。“Winded” にはじまり、“Perfect Night” に終わる完璧な円環を描く本作には、ネオ・ギブソンという音楽家の感情の彷徨が、慎ましやかに、しかし深いエモーショナルに刻印されている。同時にいくつもの音素材を用いて、柔らかい実験音楽を作り出そうとしているのだ。
 そう、ネオ・ギブソンは、さまざまな実験音楽の手法を用いて、しかし決して大袈裟にならず、慎ましやかなムードを湛えたミニマル/エモーショナルな電子音楽作品を作り上げたのだ。美しく、かけがえのない「ひとり」の時間から生まれたような珠玉のエクスペリメンタル・ミュージックである。

EL NINO - ele-king

 とにかく、ふだんは滅多に聴けないような、いろんな音楽がかかり、忘れがたいライヴが見れます(BLACK SMOKERSも出る)。いまエレキングで自らのきつい体験を綴ってくれているKLEPTOMANIACも出演します。チェックしましょう。

 『国産エクスペリメンタリズムの臨界 EL NINO がasiaに帰還』
 まるで黒い煙がかかっている。まっすぐに歩けないほどの音圧と、快楽に依存する耳と頭。驚異的な集中力が収穫する音楽の核と電子と即興が導く甘美な漆黒。フリー・ジャズやヒップホップ、ビートやダブ、テクノ、ノイズが融合する紛れもないオリジナリティを有しながらも、それは形容し難く、融通無碍の怪物に圧倒、翻弄される歓びに身をまかせる。

2003年5月の第1回から20年の節目を迎える、
BLACK SMOKER RECORDS主力イベントEL NINOがasiaに帰還だ。

LIVE:BLACKSMOKERS(K-BOMB, JUBE, BABA, DJ YAZI, CHI3CHEE) 、ENDON、鬼の右腕
DJ:Akie、Masa a.k.a Conomark、DJ Yazi(Black Smoker Records)、KLEPTOMANIAC、K8(TYO GQOM)、Lil Mofo、Lily、OG Militant B、Torei(Set Fire To Me)
特殊照明 VJ:ROKAPENIS
音響:Hironobu Kobayashi
舞台美術:HEAVEN HUG
Art work :Kosuke Kawamura
Food :マガリビ by kidotama

2023/9/23(sat)23:00-
@clubasia
DOOR(当日): 4,000yen
ADV TICKET(前売): 3,000yen
clubasia zaiko - https://cultureofasia.zaiko.io/buy/1veR:uQ2:8293a

Brainstory - ele-king

 EP「RIPE」が日本でも受けたあのバンド、マイルスやコルトレーンを敬愛し、新世代チカーノ・ソウル、ロック、ブラジルなどをミックス、鋭くもユーモア溢れる独創的なサウンドを展開する3人組、ブレインストーリーがついに来日です。10月、行きましょう。

BRAINSTORY:


photo by Carlos Garcia

 出身はインランド・エンパイアと呼ばれるロサンゼルスの郊外。ジャズをルーツに、ソウル、ロック、フォーク、ラテン、ブラジル、サイケデリアなど多種多彩な音楽/カルチャーに影響を受けて独創性高いサウンドを完成させた実力派。2014年、チカーノ・バットマンのベーシストであるエドゥアルド・アレーナスのプロデュースでEP『BRAINSTORY』を自主制作。2019年にはBIG CROWN RECORDSから『BUCK』を発表し、抜群の演奏・歌唱力による悦楽的なグルーヴと甘いサウンドは大きな話題に。続いてインストをメインにした傑作EP『ライプ』(国内発売MUSIC CAMP, Inc.)を2021年にリリース。日本でも多くのファンを獲得した。またレーベルメイトであるR&Bの歌姫、LADY WRAYのNPR タイニー・デスク出演時にバック・バンドとして登場してその実力を広く知らしめた。フィンランド出身でレーベルメイトである大人気歌手、ボビー・オローサのUSツアーでも共演している。来年早々には待望の新作を発表予定。今回が初来日となる。http://m-camp.net/brainstory2023.html

☆10/20(金)小岩 BUSHBASH
Open/Start:19:00☆予約¥6,500/当日¥7,000(+1D別)
LIVE: BRAINSTORY/FIXED☆DJ: Dopey/HANKYOVAIN
BUSHBASH (03-6657-9939)/紙チケット販売:BUSHBASH webshop
主催:RIVERSIDE READING CLUB/BUSHBASH

☆10/21(土)Peter Barakan's LIVE MAGIC
会場:恵比寿ガーデンプレイス
ザ・ガーデンホール / ガーデンルーム
OPEN 12:00 START 13:00(イベント開演時間)
主催・企画:Peter Barakan’s LIVE MAGIC!事務局

☆10/22(日)代官山 晴れたら空に豆まいて
Open:18:00/Live:19:30☆予約¥6,500/当日¥7,000(+1D別)
LIVE: BRAINSTORY/TINY STEP “Southside” Trio☆DJ: Trasmundo DJs/DJ Holiday/DJ Slowcurv
晴れたら空に豆まいて (03-5456-8880☆15-22時)/MUSIC CAMP, Inc. (042-498-7531☆10-20時)/Peatix/紙チケット販売:トラスムンド 

☆10/23(月)代官山 晴れたら空に豆まいて
Open:18:00 Live:19:30☆予約¥6,500/当日¥7,000(+1D別)
LIVE: BRAINSTORY/LES KHMERS☆DJ: Sato Mata/Takashi Shimada/El Shingon
晴れたら空に豆まいて (03-5456-8880☆15-22時)/MUSIC CAMP, Inc. (042-498-7531☆10-20時)/Peatix/紙チケット販売:トラスムンド

企画/制作:HARE MAME INTERNATIONAL/BARRIO GOLD RECORDS/MUSIC CAMP, Inc.
招聘:株式会社ベルリンの庭で 
☆Big thanks to Big Crown Records

創造の生命体 - ele-king

 連載第二回目は、KPTMがBZDによってどのような不調を経験し、やがてそれが処方薬の離脱症状によって引き起こされているということを認識するに至ったのかをたどる。話を聞いていると、BZD問題の極めて難しい点の一つは、そもそもの心身の不調や異常がBZDによって引き起こされていることを認識・自覚することであるようだ。

 どんな症状であれ、何よりもまずは原因を突き止めなければ、それを克服するための根本的な取り組みや努力もできない。しかしながら、BZDの副作用がどのようなものなのかがまだあまり周知されていないために、自覚のないまま原因不明の症状に苦しんでいる人も多い。KPTMもそんな一人だった。では、彼女の場合はどのようにしてそれを自覚するに至ったのか、彼女の体験を共有することが、周知のきっかけになれば幸いだ。

 とはいえ、ひとくちにベンゾジアゼピン系といっても、めまい、耳鳴り、肩こり、睡眠を促すものからパニック障害の緩和等々、様々な用途や強さの薬が様々な症状に対して処方されている。また、薬がどのように作用し、どのような反応を起こすかには個人差があり、長期服用しても離脱症状を経験せずに断薬できる人もいれば、服用し始めてからすぐに副作用を感知する人もいる。そのため、医師にも診断が非常に難しいのが現実である。ここに紹介するのは、KPTM一個人の体験であり、症状や服用歴が同じでも、必ずしも同じ副作用や離脱症状が引き起こされるわけではないことはあらかじめ強調しておきたい。また、これからこの連載でも掘り下げていくが、実際に不調の原因がBZDの副作用や離脱症状だったという判断に至っても、急な断薬や減薬は極めて危険なので、服用中の方はくれぐれも自己判断で行わないようくれぐれもお願いしたい。これは、KPTMが最も伝えたいメッセージの一つでもある。

PTSDとBZD

 BZD服用のきっかけは様々だ。レクリエーション、いわば遊びで気持ち良くなるために飲んでみる人もいれば、この薬なしでは日常生活に支障をきたすという人もいる。KPTMの場合は、海外で「怖い思い」をしたことが引き金となった。どのようなことがあったのかについては、彼女も語りたがらないので聞いていない。ここでは、めまいから始まり、後に「そのことを思い出すとパニック発作のような、胸が締め付けられて血の気が引いていくような」PTSD(心的外傷後ストレス障害)症状を緩和するために飲み始めた、という事実を踏まえるだけで十分だろう。KPTMがこのことを神経内科医に相談したところ、「セパゾン」というBZD系の薬が処方された。

 BZDを服用すると、その症状は抑えられた。それ以外はそれまで通りの生活・活動が続けられた。「私はもともと薬が嫌いなので、お医者さんに『飲みたくない』というと、『これは軽いやつだから、一生飲んでも大丈夫。いつ飲んでもいいし、頓服で使えるよ』って言ってました。『調子悪くなりそうな時に飲んで』みたいな感じでしたね。父が薬剤師なので聞いてみると、『うちの病院でもよく処方される比較的軽い薬だよ』って言ってました」

 これが2005年前後のことだ。当時、少なくとも日本においては、医師も薬剤師も厚労省も、この薬について継続的に服用することの危険性を認識していなかった。「軽い」薬だという説明を受けて、KPTMは1日1錠、これを服用するようになった。そうすることで、PTSD症状を起こす心配をしなくて良くなり、しばらくはまたスムーズに日常生活を送ることができるようになっていた。はじめから「依存したくない」という気持ちが強かったので、あらかじめ1日1錠以上は飲まないと決めていた。

『私に起きたこと①』

  • 1. 元々の私は、ストレスから心身を守ってくれるGABAのおかげで、どんな困難があってもたくましく元気に生きていた
  • 2. あるとき、あまりにも大きすぎるストレスを受けつづけ、私のGABAは働く能力を失ってしまった
  • 3. 長期のストレスでめまいや貧血を起こすようになり
  • 4. 病院に行って相談してみた。薬が嫌いだった私は「副作用が強く依存性のある薬は嫌だ」と医者に伝えると
  • 5. “セパゾン”というベンゾジアゼピン系の薬を処方された。医者が「とても軽くて安心安全なクスリだ」と強調していたのを信じ、中の自分(GABA)は嫌がっているのに、生きるために飲むことにした

何かがおかしい

 しかし、次第に何かがおかしいと感じるようになる。「自分もそうだったんですけど、多分みんな、この薬を飲んでいることをなるべく気にしないようにしているところがあると思います。飲んでいることが、なんとなく良くない気はずっとしているんですよ。ごまかしている感じがずっとある。良くないだろうなと思いながら、止められない。なんか体の調子がおかしいなあと思いながら、それを意識するとよけいに悪化するような気がして、なるべく考えないように、考えないようにしていましたね。多分、この薬を飲んでいる人の多くはそんな感じだと思います。『なんかヘンだな』と思いながら、それがこの薬のせいだという因果関係までは考えないようにして生活していた。(KPTMが牽引した女性アーティスト集団)WAG.のメンバーで、最も親しい友人の一人である○(マル)ちゃんにも言われました『KPTMちゃん、ずっと昔にもこの薬がおかしい気がするんだって言ってたよ』って。だから、やっぱりずっと感じてはいたんですよね」

 薬の作用により、その頃の記憶は混乱している。「離脱症状が出始めた頃の記憶はぐちゃぐちゃです。あまり思い出せません」そして心身の不調はさらに悪化していった。「薬剤師の父も、精神薬系のものは何がどういう症状に効くという情報としては把握していても、なぜその効果がもたらされるのか、『頭がぐちゃぐちゃになる』と訴えてくる患者さんを、どう理解していいのか分からなかった、と言っています。分からないから、やや避けてきたところがあるとも。お医者さんも同じだったのかもしれないと思います」

 「離脱症状」と言うと、薬を減らしたり、止めたりした瞬間から始まるのかと思っていたが、そうとは限らない。「私の場合は『常用量離脱』になったんですよね。つまり、それまで飲み続けてきた量では足りなくなる状態です。同じ量を飲んでいても効き目が十分ではなくなり、不調になり、普通は病院に行って処方量を増やしてもらうことになります。少し増やすことで、前と同じような落ち着いた状態に戻ることができるけれど、結局そうやって量は増え続けていくことになるわけです。でも、私の場合は基本的に飲みたくなかったので、1日1錠以上は増やさなかった。『これ以上はイヤだ』という気持ちが強かった。だから足りなくて不調になっていきました。それが薬が足りないせいだと認識していなかったので、もし認識して薬を増やしていれば、もっと状態は楽になったとも言えます。でも増やさなかったので、それによって引き起こされた不調を何年も我慢していた。少し出かけたりすると尋常じゃない疲労感に襲われて、家に帰ると何もできない。それがもう限界になって、動けなくなったのが2014年頃です」

 その状態で広島に帰ってきた。そのころは、自力では体温調整ができなくなっていて、33℃台になったかと思えば、40℃台がずっと続いたりしたという。常用量を増やすことを拒んだせいで離脱症状に苦しむことになったわけだが、では、その頃に医者に言われるがままに常用量を増やしていたとしたら、今頃はどうなっていたのだろうか。思いを巡らせずにはいられない。

 「増やし続けて飲み続けると、ゾンビみたいになってしまう場合がありますね。両親の近くにもそういう人がいて。ずっとボーッとしていて、『心ここに在らず』という状態が長い。意思がなくなって、感情もあまりなくなっていく。時間の経過とか空間の把握もよくわからなくなっていくんですよね。遠近感もぐちゃぐちゃになります。痛いとか辛いとかいう感覚は抑えられるけれど、そのぶん他のすべての感覚も鈍っていってしまうようです。少しオカルトっぽくもあるんですが、ここではない、異次元に入っていってしまうような奇妙な感覚に陥ったりして。自分だけがおかしくなったような感覚で、生きることが苦痛になってしまう。それがなぜ、どのようにしてそうなるなのかはまだ解明されていないようですが、少しでも、この世界にこういうことが起こっている、こういうことを経験している人がいるということだけでも、伝えることは大事なのかなと」

 しかし、先に触れたように個人差がかなりあるのも事実だ。「ラッパーの知り合いの子で、『15年間眠剤を飲み続けていたけど最近止めた』って言ってた人がいて、その人はなんともないって言ってるんですよ。びっくりしました。だから、飲み続けて量を増やしても、大丈夫な人もいるみたいです。かと思えば、私のインタビューを読んだ人から、『私も15年くらいずっと眠剤を飲んでいて、一度止めてみたらリアルに2ヶ月間一睡もできなかった。だから、また飲んでいるけどいずれ止めたい』という人が連絡をくれたりも。実は、密かに悩んでいる人がたくさんいて、『誰にも相談できなかったから、インタビュー読んで救われました』という連絡はいくつかもらいました。薬を飲んでいることって、なかなか人には言えないんですよね。私もほとんど話したことなかったです。『自分の中で何が起こっているんだろう?』って、自分だけで悩んでしまう」

『私に起きたこと②』

  • 6. 1日1粒ずつ飲んでいると、弱ったGABAの代わりにストレスからベンゾジアゼピンが守ってくれて、なんとかやり過ごせるようになったが、いつの間にかないと調子が悪くなるようになり、長期的に服用することになった
  • 7. 10年後、原因不明の高熱や低体温やめまいや貧血や疲労感がしょっちゅう起きるようになり、日常生活が困難になってきた
  • 8. よく観察してみると、守ってくれるはずのベンゾジアゼピンが自分のGABAを殺していて、自分で自分を守る機能がなくなっていることに気がついた
  • 9. これはまずいと思い、自分の機能を取り戻すため、ベンゾジアゼピンを飲むのを中止してみた
  • 10. ストレスから守ってくれていたベンゾがなくなり、自分のGABAも機能せず、誰も助けてくれない状態になり、あらゆる症状がどんどん出てきた
  • 11. この世界の全てがストレスに感じられ、いてもたってもいられない狂気の魔境世界へ突入してしまった。言葉にできない異常で奇妙な体験で、人間が入ってはいけないアンタッチャブルワールドにふみ込んだような感覚だった

常用離脱症状と減薬・断薬による禁断症状

 常用離脱症状は、いろんな形で出た。頭の中が混乱し、めまいも酷く、急激な体温の上昇や下降、神経痛で体のあらゆるところが痛く、内臓もおかしい。「あらゆる病院であらゆる検査をしました。お腹も変になるからエコー検査して、脳波も検査したし、脳脊髄液減少症じゃないかとか... でも検査結果には大した問題がなくて。なんでそんなに調子が悪いのか分からなかった。だから色んな健康に関する情報をチェックするようになって、例えば白砂糖が悪いんじゃないか、って白砂糖を抜いてみたり、色んなものを排除してみることも試したけど、全然良くなってこない。だから調べ続けていたら……出てきたんですよね、ネットで。『BZDの離脱症状』というものを知って、その症状の記述を見たらことごとく一致していた。『これだ』と確信しました」

 不調の原因が見つからぬまま苦しみ続け、消去法で最後に残ったのがBZDだったというわけだ。BZDを飲み続けることが良くないようだということは、ずっと薄々気づいていた。「確信は、多分ずっとあったんだと思います。でも疑いもあったというか」しかし、長かったのはそれを確信してからの道のりだった。この薬を「飲み続けることを止める」とどうなるのか、KPTMが思い知らされる出来事が起こる。

 「広島に弱って帰ってきたあとに、一度東京でWAG.のパーティーを企画したことがあって、ゲストにDJ YASさんが出てくれることになったんです。それで、せっかくのパーティーだし、クリーンな状態で楽しもうと思って、東京に行く7日前くらいに薬を抜いてみたんですよ。で、なんかどんどん体調が悪くなっているのを感じながらも東京へ行き、パーティー中に久しぶりに色んな人に会って、ワーッって楽しくやってるんだけど、だんだん誰が誰だか分からないような変な気分になってきて。どんどん『何かおかしい、ヤバイ!!』って、すごい危険を感じたんですよね。とにかくすごく怖くなって、イベントの途中でその日泊まらせてもらっていた友達の家にタクシーで一人で帰りました。お風呂に入って、BZDを飲んでから寝た。そしたら、次の日はまるで何もなかったみたいにケロッとしてたんですよ。逆に楽しいくらいの気分になっていた。その体験が強烈で。その時に初めて、アンタッチャブルな世界を体験してしまったと思ったんですよね。それが禁断症状というものだった」

 しかし、自分自身でそれを確信しても、それを医者を含む周囲の人に説明し、理解してもらうことが次なるハードルだった。「広島に帰ってきて病院に行って、『この薬を抜くと体が痙攣したり変になるから、この薬の方に問題があると思う』って言ったんですよ。経過報告として。そのころにはBZDの減・断薬に関する本とかも出始めていたので、その本を持っていってお医者さんに見せたりして。そしたら、後になって親に聞いたら、『あの子は総合失調症の気があって、妄想を言っている』ってその先生が言ったらしくて(笑)。それには『オイ!』と思いましたよね。でもそういう診断をされている人もいるかもしれない。本当のことを言っているのに、虚言だと思われてしまう。両親が薬のせいだと相談に行ったのに『時間の無駄だ』と言った医者もいました。この薬の問題点を訴えている人はかなりいるのかもしれないけど、『気が狂ってる』で処理されてきている人が潜在的にかなりいるかもしれないんですよね。でも、本当に妄想を言う人も診療に来るわけだから、お医者さんも難しいだろうなという気もしますが……」

『私に起きたこと③』

  • 12. これはとんでもなくヤバいことが自分に起きてると感じ、ベンゾジアゼピンを飲んで一晩寝ると症状は落ち着いた
  • 13. ベンゾジアゼピンがないと生きられない状態になっていることに愕然とし、自分がどこにもいなくなったように感じた
  • 14. 少し減薬しただけでも離脱症状が起きるため、水溶液タイトレーションという方法で少しずつベンゾジアゼピンを抜きながら自分を取り戻す決意をし、まずは1g(100%)から0.1g(90%)を抜いてみた
  • 15. 10%抜いた分の離脱症状にしばらくの期間耐え、自分の生命力を取り戻し、ある程度楽になるまで地獄の苦しみを我慢
  • 16. 少し離脱症状が落ち着いてから次の減薬に入る。前回と同じ0.1g(10%)ではキツすぎたから0.05g(5%)抜いてみた
  • 17. それでも地獄の苦しみを味わいつづけ、毎日限界で耐えられなかったが、なんとか根性で乗り越えた

精神科医療と精神薬処方

 KPTMは、そもそものメンタル・ヘルスの問題の診断や、薬の処方にまつわる難しさも指摘する。「メンタルのことってお医者さんも患者の言葉を通してしか症状が把握できないので、どの症状をこちらが言うかによって病名や処方される薬が変わってくる場合がある。患者本人が認識していない部分は分かりようがないので、処方の精度というのはその程度なんじゃないかと思うんですよね。私もいろんなお医者さんに診てもらいましたけど、結局、聞かれた質問に答えるから、違うことを聞かれたら他の医者に言ったことと違う答えになるじゃないですか。それで診断が決まっちゃうから『テキトー!!』って思いましたよね。何を引き出す先生かによって、処方される薬も変わる場合がある。『こういう症状の人にはこういう薬』っていうのがあらかじめ決まっているんだと思うから、ある程度目星をつけて、そのパターンに沿うように誘導尋問していくみたいなところもあるのではないか、と。多くの医者の診断って、前例のみに頼っていると思うんですよ。いまここにいる目の前の患者の症状ではなくて、過去を向いているんですよね。そういう意味では、患者だけが最先端を知っている」

 原疾患の診断ですらも難しさが伴うのだから、処方薬の効果や副作用を測ることはさらに輪をかけて難しくなる。薬からの離脱症状は原疾患を増幅させるので、薬を増やすことに繋がりがちになり、そのせいで薬が不調の原因になっている場合でもそれに気づきにくい。「BZDは原疾患を『ないこと』にしてしまう薬だと感じます。ないことにすると、やっぱり怒るんですよ、体が。人間って無視されたら傷つくのと同じで、人間の体の中もそうだと思います。自分の中からの叫びをないことにすると、めちゃめちゃ傷つくし怒るんですよ。(体からの)メッセージですから」

『私に起きたこと④』

  • 18. 抜けば抜くほど耐性がつくのに時間がかかり、少しの減薬でも耐えられないレベルの離脱症状が出るため、0.01g(1%)の極少量ずつ抜く方法にした
  • 19. 2年半の間、減薬しては離脱症状を耐え、また減薬しては離脱症状に耐えるという、先の見えない苦行を繰りかえし、残り50%にまで減らしたが離脱症状がひどくなるばかりで、これ以上減らすことができず身動きがとれずどうしていいかわからなくなった
  • 20. どん詰まりのある時、衝撃的な覚醒体験をして、狂気の世界に突入した
  • 21. 狂っていた私は無敵モードになり、これまで少しずつの減薬を頑張っていたのに、一気に30%も抜いてしまった
  • 22. 当然のごとくものすごい離脱症状が私を襲った。この世界の全てが恐怖に感じ、どんどん魔境へおちいり、異常な神経の痛みで何もかも全てが耐えられない極限状態になった
  • 23. 自我が崩壊し、3次元を認識できなくなり、目もろくに見えず、言葉を失い、痛み以外の全ての感覚がなくなってしまった。身体の中は火傷が剥き出しているような強烈な炎症状態で、家族とも誰とも地球の全てとコミュニケーションをとることができなくなり、まるで冥王星へぶっ飛ばされたような異常世界を1年間彷徨いつづけた

薬物中毒と薬物依存の違い

 薬物中毒と薬物依存の違い薬物依存に関しては、あまり縁のない人にとっては中毒との違いすら分かりにくいかもしれない。中毒となって止められない状態と、依存によって止められない状態は何が違うのだろうか。「普通の薬物中毒の場合は、成分が体から抜けて、いわゆるデトックスができたら終われると思うんですよ。シャブにしても、時間はかかるかもしれないけど、体の中から成分が抜けて、2度と同じものに手を出さなければ離脱症状から解放されるはず。でも、BZDの場合は神経そのものを傷つけてしまってそれが障害を起こすから、早く抜こうとするとよけい大変なことになってしまう。傷が治らないことには、薬だけ抜いても治らないので、傷を治しながら徐々に抜いていかないといけないんです。だから、意思とか気合いの問題ではないんです。我慢できないから飲むというのは精神的薬物依存ですが、飲まないと体がおかしくなってしまう、機能しなくなってしまう状態、要するに離脱症状が出るのが身体的薬物依存です。『(意思が)弱いから薬を飲んでしまう』という精神的依存ではない」と強調する。

周囲に理解者がいることの重要性

 「自分でネットでいろいろ調べて、最初に『アシュトン・マニュアル』(イギリスの精神薬理学者であるヘザー・アシュトン氏がBZDの作用や離脱症状、及びその治療メソッドをまとめた、1999年に発表されたマニュアル)を見つけた時に、『これは誰にも信じてもらえないんじゃないか』って思いましたね。私も基本的にはネットの情報はあまり信用しないようにしているんで、私自身も半信半疑で見ていたら、見事に自分の症状とビンゴで全て当てはまってしまって。でも、やっぱりネットって色んな人が色んな主張をしているから、『薬のせいにして逃げている』みたいな考えもけっこうあるし、これは絶対に親に分かってもらえないからどうしようか、と思いましたね。私は自分で調べた資料をまとめて、親にメモをいっぱい書くなどして伝えたんです。ベンゾの離脱症状だということに理解を示してくれた両親が、『協力するから微量減薬をがんばろう』って言ってくれて、それが一つの大きな安心になりましたよね。そこで分かってもらえなかったら、ずっと大変だったと思います」

 次のステップは、実際に断薬をするために薬を減らしていくことだったが、これが途方もないプロセスだった。意志が弱いから薬を飲んでいたわけではないのと同様に、身体的な薬への依存には、どんなに強い意志を持っていても逆らえない。「急に減らしたり抜いたりすると大変なことになるので、薬を水に溶かして、その水の量を1%ずつ減らして抜いていくという方法を父がネットで発見してくれました。『ワイパックス』の断薬に成功した方の個人ブログがあって、それを参考にしました。そのブログを参考にしている人は多いと思います。その方は、BZD問題を啓蒙する活動をされています。『アシュトン・マニュアル』には、離脱症状の原理みたいな部分は説明されて自分に何が起きているかについては理解できるんですが、具体的にどう抜いていくかという説明は不十分というか、人によってかなり差があるので」

 とにかく、離脱症状を訴えてもお医者さんには信じてもらえず、回復するために参考になるものは『アシュトン・マニュアル』しかなかったという。「両親は、2018年にできた『全国ベンゾジアゼピン薬害連絡協議会』という組織のメーリングリストには入っていたみたいです。私は自分自身にも疑いを持っていたというか、本当は違う理由なのに、『薬のせいにして逃げていないか、自分?』ていう自問自答を繰り返していました。だから、特に外部の組織などに相談を持ちかけることはなく、まず抜いてみてどうなるかを自分で実験してみよう、というところから始めました。減薬を始めた最初の半年くらいは、XX月XX日、これだけ抜いたらXX時にすごい耳鳴りがきた、みたいな記録をノートにびっしり書いたりしていたんですけど、嫌な症状ばかりだから、自分で自分にその記憶を植え付けているような気がしてきて、『これ良くないかも』と思って止めました。でも、記録して研究することで、自分でも私に起きてる体調不良は薬のせいだ、っていう確信を得たかったところもありますね。医者が頼れなかったから、自分で実験してみるしかなくて。バカなものも含め、色んな実験を自分でしてみた。もうトライしてみるしかなくて。『この状況を逆利用してやるわ!』って腹をくくったんです」

こうして、KPTMとBZDの長く壮絶な戦いと、そのための様々な実験が始まった。

『私に起きたこと⑤』

  • 24. あり得ない状態を根性で我慢し、耐え続けて1年後、言葉が少しずつ戻り、それと同時にこの世界を認識できるようになり、人としての自分が戻りはじめてきた。気がついたら身体の中には、激痛を走らせる巨大ムカデが生まれていた。
  • 25. ある日鍼灸師のP先生と出会い、田舎にあるP先生の鍼灸院へ住ませてもらうことになった。自分の意志も感情もわからなくなり、焦燥感と痛みでギリギリの状態の中、身体が勝手に動くことにただ従う日々を送った。
    畑仕事をしたり料理や家事をしたり、自分が何をしているのかわからない狂った状態のまま時間がすぎた
  • 26. 6ヶ月後、ギリギリ状態でもこの時点でまだ残り20%のベンゾジアゼピンを飲みつづけていることに絶望を感じ、強烈な離脱症状の地獄はわかっていたが、薬を抜かないことには自分が戻らないと思って、ある日勇気を持って思い切って完全断薬を決行した
  • 27. やはり地獄の離脱症状はとてつもなかったが、魔境の中で死に引っ張られ続け、強烈な痛みに唸りながらも自分の生命力を信じてなんとか生き続けた
  • 28. 離脱症状に耐え続け、1年後くらいから少しずつ家族のこと、友だちのこと、音楽や自然を感じられるようになってきた。自分がKLEPTOMANIACで絵と音楽をやる人だという本来の自分を思い出してきた
  • 29. 現在、まだまだ続く激しい離脱症状に耐えつづけ、自分の中のベンゾに破壊されたGABA(生命力)を再生しながら、ムカデと共に共存して生き抜くことを決意し、毎日を乗り越えている。歩くのも動くのも困難で、痙攣がたびたび起きる状態の中生き続けていられるのは、長い間応援して協力してくれて助けてくれる家族や友だちの存在のおかげ。遠くで応援してくれるみんなのおかげ。
    本当にありがとう!

■国産エクスペリメンタリズムの臨界 EL NINO がasiaに帰還!KLEPTOMANIACも出演を果たします!
https://clubasia.jp/events/4383

Dorothy Ashby With Frank Wesss - ele-king

Milford Graves With Arthur Doyle & Hugh Glover - ele-king

  森は、不可知の風景であり、深い知識が集積した生態系の謎が散乱しているが、その謎は生態系そのもののみが知り得る。森は、森自体が脈動する惑星で、自らを養い、存在し、再生していくことができる。一方、人間は年齢に関係なく怖がりの赤ん坊であり、真の自由に戸惑い、未知なるものへの不安に尻込みしてしまう。ミルフォード・グレイヴスによるこの黄金の宝に、なぜ「森の子どもたち」というタイトルがつけられたのかを想像してみると、ライナーノーツに書かれているように、グレイヴス自身が所有していた音源のテープは“Pygmy”(ピグミー)とラベリングされ、アルバムの内容とは関係のないオーディオ・ドキュメンタリーが収録されていたが、それは歴史と不安から自由になり、森に放たれた勇敢な子どもたちのみが本当の自由を体験し、知ることができるという意味なのかもしれない。それは形式を捨て去り、厳格な伝統を回避し、未知なる空間へと飛び込むフリー・ジャズ・プレイヤーたちが到達したいと望む種類の自由なのだ。子どもは真のユートピアを提示する隠喩なのである。

 ミルフォード・グレイヴスはレジェンド中のレジェンドだ。そして、地球上でもっとも重要な、忘れられたジャズの伝説である。教授という肩書のほか、心臓の類まれな研究者であり、武道家でもあった。ミルフォードの存在なしに、伝統的なブラック・ミュージックのドラム・スタイルと前衛音楽の間にある橋を乗り越えて理解することはできなかっただろう。ミルフォードなしでは、ドラミングが持つ、心臓の異常に対するヒーリング効果についての有効な研究や関心はほとんどなかったのではないか。ミルフォードなしには、アメリカのライトニング・ボルトや、日本、アメリカ、そしてヨーロッパの、そのほかのノイズ・ジャズ・バンドの存在もなかったかもしれない。ドラムスでの総攻撃をすることが可能で、最初は野蛮なパンクのように聴こえるかもしれないが、ミルフォードの演奏は、黒人の歴史、大陸、そして無数のディアスポラ文化が完全に繋がったものなのだ。今日もなお、彼がドラムをたたくか、カオスのようなヴァースを歌ったとしても、東京からラゴス、ロンドン、ニューヨークまでのクラブにいるあらゆる年齢層の人たちの共感を得られるだろう。世界共通言語のクリエイターであるミルフォードは、はじめこそ静かに活動を開始したが、1964年にニューヨーク・アート・カルテットで、アミリ・バラカと悪名高い『Black Dada Nihilismus』を録音し、歴史に名を刻むような評判を確立した。それ以降、彼はジョン・コルトレーンの葬儀やサン・ラーのレコーディングでジャムをし、セシル・テイラー、ソニー・シャロック、ルー・リード、日本のジャズ・レジェンドの阿部薫、アルバート・アイラ―など、“ジャズの神様”のサークルで演奏するようになり、その後自身のグループで、ミルフォードは『Babi』 や『Nommo』、『Meditation Among Us』などいくつかの正真正銘のジャズの名盤を録音した。日本のオーディエンスなら、偉大なる舞踏家、田中泯とのコラボレーションによる日本ツアーで自閉症の人のための学校や子どもと地元のお年寄りのためのコンサートなどでの演奏を覚えているだろう(YouTubeをチェック!!!)。ミルフォードの美学は、ジャズのみならずほかのジャンルのミュージシャンと比べてもじつに革命的だった。日本の地方の町の神社の舞台で、フリー・ジャズのレコードを買うことなど絶対に想像もできないような地元の高齢者に囲まれて演奏したばかりでなく、聴衆を巻き込んで一緒に演奏し、対話への参加を促したのだ。このようなことができるのは、ごく限られたミュージシャンだけである。

 私がミルフォードを発見したのは90年代。世界でフリー・ジャズが復活した頃で、とくに活動の中心地ニューヨーク・シティでは、伝説的なニッティング・クラブや多数の地元のフェスでも受け入れられ、知られていた。NYCで一番ホットなアーティストのジョン・ゾーンがダウンタウンでフェスをキュレートしたのだが、そのヘッドライナーのひとりで、黒人たちのヒーローである詩人のアミリ・バラカが30年以上ぶりにニューヨーク・アート・カルテットと再会し、舞台に上がることが発表された。これは過剰な宣伝が展開されたギグのひとつだった。『Black Dada Nihilismus』 を読んだ時の記憶が蘇り、逃してはならない公演となった。コンサート自体は猛烈に激しかったが、詩が轟くその先に佇むミルフォード・グレイヴスが注目をさらい、歴史的な結果をもたらした。こうして、私は初めてミルフォードを知った。私の父親と同じ姓を持つ男のことを。

 興味をそそられた私は、数か月後に興奮してミルフォードとゾーンのデュオを観に出かけた。この時期は、ミルフォードの音楽と哲学にとっての再生の時でもあった。80年代と90年代の多くの時期にも忘れられた存在だったが、激しいパフォーマンスと真新しいレコーディングでその名声を取り戻し、「彼はまだやれるのか?」という人々の疑問とのギャップを埋めてみせたのだった。

 ステージ上でのミルフォードは、プログレッシヴなビートのなかに多文化を宿し、やがてその無数のテンポがひとつに融合する。彼の百科事典のようなブラック・ミュージックの歴史、アフロ・キューバン・リズムとネイティヴ・アフリカン・ミュージックについての知識は、彼を神秘主義者のようにみせた。彼は決して単一文化を信仰、実践することはなかった。「彼はまだそんなことできるのか? まだあれを保ち続けているのか?」白髪頭で60歳を過ぎたミルフォードは、ステージ上でたくさんの魔法を呼び覚まし、30分以上、ノンストップのライヴ・セットの終わりに、何度もゾーンを肩車したのだ。その間も、ゾーンはメロディックな叫びを爆発させ続けた。この数年間がミルフォードの最後の美しい旅となった。目撃することができ、それについて彼と話しができたことは私にとって僥倖だった。

 だからこそ、この新しい録音がいかに貴重なものであるかということを否定するべきではない。私が観たのは、長年かけて収穫され、集積した知識の頂点であった一方、『Children of the Forest』は、彼の成熟期のはじめの頃を聴いているかのようだ。

 これらの録音は、猛烈だ。1976年に数か月にわたって行われた個別のセッションが収録されているが、それを受けとめるのには骨が折れる。とくに2023年に生きる私たちの、インスタグラムの5秒間に慣らされたマインドにとっては。悲しくなるほど、注意力が低下しているからだ。したがって、これらのセットの魔法は、歴史的かつ文化的であるというばかりでなく、高次元の力が私たちを内面の傷から救うべく提供してくれる、本物のソノリティ(響き)に耐えるレッスンでもあるのだ。

 ミルフォードは、ニューヨーク・シティという地球上で唯一の、磁石のようなエネルギーを自然に育む場所で、このように輝けるサウンドを提供できる演奏者たちを選んだ。アーサー・ドイルとヒュー・グローヴァーは、新しい音楽の文化と信念が浸透した、最盛期を迎えた男たちだった。絶え間なく疾走するミルフォードが、瞬時にジャンル間を行き来するのに追随し、補完することまで出来た彼らはミルフォードのもっとも有名な代表作のひとつ、『Babi』の録音にも参加した。そのため、この魔法の証拠にさらなるアクセスができるのは……とても刺激的なことだ。彼らのインタープレイの美を解するには、複数回の傾聴と、深い分析と審美眼が問われる。なにせ未来は、フリー・ジャズにとって何年も優しくなることはないからだ。

 ニューヨーク・ジャズ・シーン最盛期の1976年、レーガノミクス、クラック世代、エイズ世代、ヒップホップやヘヴィメタルの誕生など、80年代に突入する4年前に録音された『Children of the Forest』 は、ファイヤー・ジャズ/フリー・ジャズという芸術形式が一般社会での重要性を失いかけた時期を記録したともいえる。フリー・ジャズは60年代から70年代にかけても、常に広い尊敬を集めていたわけではないが、80年代には変化する文化力学により、大きく影を潜めることとなった。消滅こそしなかったものの、ジャズは大きく停滞した。この停滞期のはじめ頃、ミルフォード自身も姿を消した。学者としての活動と、家庭生活の中に行方をくらましたのだった。ドラム・キットを抱えてのツアーという厳しい道程は、ほぼ脇に追いやられた。ミルフォードは、90年代後半にゾーンと出会うまで、ほとんど何も録音することはなかった。入手可能なミルフォードの音源は、両手で数えられるほどだった。この状況をサン・ラーやセシル・テイラーと比べてみると、歴史的な重要性の高さを認識できる。私が最後にミルフォードを訪ねたのは、ジャマイカ郊外とニューヨークのクイーンズの、彼が自らの手で装飾した自宅で、私は録音の少なさを彼に訴えた。すると、彼は、地下室のコンパクトな書斎の片側に、リリースされたばかりのニューヨーク・アート・カルテットのボックス・セットとその他のものが山積みになっている所を指さし、希望を捨てるなと言った。まだほかに控えているものがある、と。幸いなことに、『Children of the Forest』で、私たちには彼の演奏芸術とビートセントリック(ビート中心主義)の世界観への新たな窓が残されている。


Kinnara : Desi La

The forest is an unknowable landscape deep in knowledge and littered with mysteries of ecosystems only the ecosystems themselves understand. The forest to itself is a pulsating planet that feeds itself and knows how to exist and regenerate. Humans on the other hand no matter their age are scared babies hesitant toward real freedom always held back by trepidation of the unknown. If I were to imagine why this golden treasure by Milford Graves were named “Children of the Forest,” besides the linear notes stating the original tape from Graves himself was labeled Pygmy and included unrelated documentary audio of said subject, it might be to say that courageous children released into the forest, free from history and apprehension, only can experience and know true freedom. The type of freedom that free jazz players who discard formality, avoid strict tradition, and dive into unknown spaces are eager to achieve. The child state a metaphor of real utopia.
Milford Graves is a legend above legends. And also one of the most important forgotten jazz legends on Earth. Besides being a professor, heart irregularity researcher and a martial artist. Without Milford, there would be no understanding of the bridges between traditional Black music drum styles and avant garde music. Without Milford, there would be little valid research or interest in the healing properties of drumming toward heart

irregularities. Without Milford, there would be no bands like Lightning Bolt (US) and other noise jazz bands in Japan, the US, and Europe. Capable of creating an all out of assault on drums that might mirror savage punk at first listen, Milford`s playing is a complete connection of Black history, continents and numerous diaspora cultures. Even today were he to drum or sing chaotic verses, it would be relatable to all ages in clubs from Tokyo to Lagos to London to New York. A creator of a universal language, Milford started off quieter but no less historic establishing his reputation with the New York Art Quartet in 1964 recording the infamous cut “Black Dada Nihilismus” with Amiri Baraka. From then on he was always in the “jazz god” circles playing at John Coltrane`s funeral, jamming and recording with Sun Ra, Cecil Taylor, Sonny Sharrock, Lou Reed, Japanese free jazz legend Abe Kaoru, Albert Ayler and then his own groups. Milford recorded several bonafide jazz classics like “Babi”, “Nommo,” and “Meditation Among Us.” Japanese audiences should remember well his collaborations with Japanese dance / acting legend Min Tanaka and their amazing tours around Japan at a school for autism, rural concerts to both kids and elderly locals, and concert stages. (check YOUTUBE!!!!). Milford`s aesthetic was more revolutionary than most musicians jazz or not. In the middle of a rural Japanese town, on a Shinto stage surrounded by elderly locals who would never know to buy a free jazz record, he not only played to the audience but played with them, encouraging them to join in the

dialogue. Few musicians have the language or confidence to do this.
When I discovered Milford, it was the 90`s. Free jazz resurging around the world and especially in its epicenter NYC, was appreciated and celebrated in the many clubs like the legendary Knitting Factory and numerous local festivals. John Zorn was one of the hottest artists in NYC and curated a seaside festival downtown. One of the headliners, Amiri Baraka. A hero poet to all Black people, the announcement that he would take the stage in a 30 year + reunion with the New York Art Quartet was one of the strongest hype gigs going round. Memories of reading “Black Dada Nihilismus” made the date impossible to miss. The concert itself was absolutely blistering but standing out beyond the bellows of poetry was the drummer. Milford Graves took the stage and the results were historic. And so I came to know of Milford for the first time. A man who had the same last name as my father.
Intrigued I excitedly ran to see Milford play in a duo with Zorn months later. This period would become a renaissance for Milford`s music and philosophy. Nearly forgotten in the 80`s and much of the 90`s too, he reclaimed his fame with blistering performances and brand new recordings that filled the gap of “could he still do that?”

On stage, Milford inhabited multi-cultures within a progressive beat that merged numerous tempos in one. His encyclopedic knowledge of black music history, afro- cuban rhythms and native African music as well made him almost a mystic. He was never monocultural in belief or practice. “Could he still do that? Does he still have it?” Milford, gray haired and past his 60`s conjured so much magic on stage and more than once lifted Zorn on his shoulders right at the end of the 30 minute nonstop live set while Zorn would continue blasting his melodic screams. These years would be Milford`s final beautiful journey. One I was blessed to witness and talk to him about.
So it should not be dismissed at how valuable this new recording is. While what I saw was the culmination of years of harvested knowledge, CHILDREN OF THE FOREST, on the other hand is like listening to him at the beginning of his maturity.
The recordings are brutal. Several separate sessions over months in 1976 but still it is a lot to take it. More so now in 2023 because of our 5 sec instagram minds. Our attention spans have incredibly deteriorated. Sadly. Hence the magic of these sets are not only historical or cultural but lessons in patience for the moments that higher powers provide us genuine sonorities to rescue us from our internal injuries.

Milford chose players who could provide these glorious sounds in New York City, the one place on Earth that naturally nurtured this type of magnetic energy. Arthur Doyle and Hugh Glover were men in their prime seeping in the culture and belief of the new music. Able to follow and compliment Milford`s continuous gallop between split second genres. These men would follow Milford in recording one of his most famous works, Babi. So having access to more evidence to the magic is .......so exhilarating.The beauty of their interplay demands multiple listenings and deep analysis and appreciation. Especially because the future would not be kind to free jazz for many years.
Recorded in 1976, at the height of the New York City jazz scene, 4 years before entering the 80`s, Reagonomics, the crack generation, the AIDS generation, the birth of hip hop and heavy metal, CHILDREN OF THE FOREST is a recording of the art form of fire jazz / free jazz at the end of its significance in general society. Free jazz was not always wildly respected in the 60`s or 70`s but in the 80`s it would largely be overshadowed by a shifting cultural dynamic. Jazz didn’t disappear but it did grow largely stagnant. At the beginning of this stagnancy, Milford himself disappeared. Disappeared into scholastic life and family life. The rough road of touring with a drum kit largely cast aside. Milford recorded almost nothing again til meeting with Zorn in the late 90`s. I think I can count the

number of available Milford recordings on 2 hands. Compare this situation to Sun Ra or Cecil Taylor and the gravity of historical importance is huge. When I last visited Milford at his self-styled home in a normal suburb in Jamaica, Queens, New York City, I complained about the lack of recordings available. He pointed to his just released New York Art Quartet box set and a pile of things accumulated in the other end of his compact study basement suggesting don’t give up hope. More is on the way. Luckily with CHILDREN OF THE FOREST we are left another window into the art of his playing and his beatcentric world view.

Minyo Crusaders - ele-king

 これはほんとに見て欲しい、我らが民謡クルセイダーズのドキュメンタリー映画、『ブリング・ミンヨー・バック!Bring Minyo Back!』が9月15日より、ヒューマントラストシネマ渋谷で上映されます。やった!
 もちろん、みなさんよく知っての通り、民謡クルセイダーズは素晴らしいバンドです。真の意味でハイブリッドで民衆的で、この国の宝石であり国境を越えたダンス・ミュージック・バンドである彼ら・彼女らの音楽は、すっかり国内外でファンを増やしているわけですが、映画『ブリング・ミンヨー・バック!Bring Minyo Back!』は、この大所帯バンドのもっとも本質的なところや文化的系脈をみごとに掘り起こし、J-POPでハイパーポップで再開発でクールな日本からは見えない日本をあぶり出して見せてもいます。素晴らしいです。後半の世界ツアーの映像なんかは、ほとんど『タージ・マハル旅行団「旅」について』の現代ラテン・ヴァージョンというか……あのDIYな文化交流の感じを彷彿させますよ〜。


「ブリング・ミンヨー・バック!Bring Minyo Back! 」
(2022年/日本/90分 /16:9/カラー/ステレオ)
プロデューサー・ディレクター・撮影・編集:森脇由二
出演:民謡クルセイダーズ、Frente Cumbiero、ピーター・バラカン、 久保田麻琴、岸野雄一、大石始、元ちとせ、俚謡山脈、東京キューバンボーイズ、コデランニー
配給:ALFAZBET
■公式Twitter@BringMinyoBack
■公式Instagram @bringminyoback
9月15日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開

民謡とは、⺠衆の生活の中から自然発生的に生まれ、伝承されてきた音楽である

 本作は、失われた音楽「日本民謡」をもう一度「民の歌」として蘇らせるため、クンビア、ラテン、アフロ、レゲエなど様々なダンス・ミュージックとの融合を試みるバンド、民謡クルセイダーズに5年間密着したドキュメンタリーである。民謡クルセイダーズは、東京・福生を拠点に活動するバンドで、日本各地の民謡にラテンやアフロビートをミックスして独自のアレンジを加えている。2017年に発売した1st アルバムは、ピーター・バラカン、ライ・クーダーなどから激賞され、2019年にはワールドツアーを行い、南米コロンビア、ヨーロッパ各国、オーストラリア、ニュージランドを回り、2021年にはアメリカの音楽業界で影響力のあるチャンネル「Tiny Desk Concert」に日本人として初めて出演している。
 本作の撮影は2017年から開始し、2019年のワールドツアーにも同行。彼らが民謡を再構築して現代のオーディエンスに「民謡を取り戻す」過程に密着している。コロンビアでは現地のバンド Frente cumbiero とセッションし、民謡のさらなるアップデートを模索する。
 また、元ちとせや久保田麻琴などの著名なミュージシャンや、ピーター・バラカンや岸野雄一などの評論家へのインタビューを通して、「民謡とは何か」を探っていく。2022年にピーター・バラカン氏が監修する音楽映画祭『Peter Barakan‘s Music Film Festival 2022』にて上映された際には「日本が誇る唯一無二のグルーヴをもつバンド!」「踊りたくなる最高のドキュメンタリー!」「皆で踊り唄えば世界は平和だよ!とまで思ってしまった」など絶賛が相次いだ本作。この度、2022年のヨーロッパツアーのライヴ映像を追加収録した完全版として待望の単独公開が実現した。

民謡クルセイダーズ【プロフィール】

 かつて戦後間もない頃、偉大なる先達――東京キューバンボーイズやノーチェクバーナが 大志を抱き試みた日本民謡とラテンリズムの融合を21世紀に再生させる民謡クルセイダー ズ。 東京西部、米軍横田基地のある街、福生在住のギタリスト田中克海と民謡歌手フレディ塚 本の二人を中心に2011年に結成。 失われた音楽「日本民謡」をもう一度「民の歌」として蘇らせるため、クンビア、ラテン、 アフロ、レゲエなど様々なダンス・ミュージックとの融合を試み、2017年にファースト・ アルバム『Echoes of Japan』をリリース。各方面で絶賛され、人気フェス出演を果た す。 2019年には同作がイギリスでリリースされ、コロンビアやヨーロッパ・ツアーを敢行。 今や世界中の音楽ファンを虜にする彼ら。民謡の魅力に目覚めること間違いなし。

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