Home > Columns > 創造の生命体- 〜 KPTMとBZDとアートのはなし ② KLEPTOMANIACに起こったこと
連載第二回目は、KPTMがBZDによってどのような不調を経験し、やがてそれが処方薬の離脱症状によって引き起こされているということを認識するに至ったのかをたどる。話を聞いていると、BZD問題の極めて難しい点の一つは、そもそもの心身の不調や異常がBZDによって引き起こされていることを認識・自覚することであるようだ。
どんな症状であれ、何よりもまずは原因を突き止めなければ、それを克服するための根本的な取り組みや努力もできない。しかしながら、BZDの副作用がどのようなものなのかがまだあまり周知されていないために、自覚のないまま原因不明の症状に苦しんでいる人も多い。KPTMもそんな一人だった。では、彼女の場合はどのようにしてそれを自覚するに至ったのか、彼女の体験を共有することが、周知のきっかけになれば幸いだ。
とはいえ、ひとくちにベンゾジアゼピン系といっても、めまい、耳鳴り、肩こり、睡眠を促すものからパニック障害の緩和等々、様々な用途や強さの薬が様々な症状に対して処方されている。また、薬がどのように作用し、どのような反応を起こすかには個人差があり、長期服用しても離脱症状を経験せずに断薬できる人もいれば、服用し始めてからすぐに副作用を感知する人もいる。そのため、医師にも診断が非常に難しいのが現実である。ここに紹介するのは、KPTM一個人の体験であり、症状や服用歴が同じでも、必ずしも同じ副作用や離脱症状が引き起こされるわけではないことはあらかじめ強調しておきたい。また、これからこの連載でも掘り下げていくが、実際に不調の原因がBZDの副作用や離脱症状だったという判断に至っても、急な断薬や減薬は極めて危険なので、服用中の方はくれぐれも自己判断で行わないようくれぐれもお願いしたい。これは、KPTMが最も伝えたいメッセージの一つでもある。
BZD服用のきっかけは様々だ。レクリエーション、いわば遊びで気持ち良くなるために飲んでみる人もいれば、この薬なしでは日常生活に支障をきたすという人もいる。KPTMの場合は、海外で「怖い思い」をしたことが引き金となった。どのようなことがあったのかについては、彼女も語りたがらないので聞いていない。ここでは、めまいから始まり、後に「そのことを思い出すとパニック発作のような、胸が締め付けられて血の気が引いていくような」PTSD(心的外傷後ストレス障害)症状を緩和するために飲み始めた、という事実を踏まえるだけで十分だろう。KPTMがこのことを神経内科医に相談したところ、「セパゾン」というBZD系の薬が処方された。
BZDを服用すると、その症状は抑えられた。それ以外はそれまで通りの生活・活動が続けられた。「私はもともと薬が嫌いなので、お医者さんに『飲みたくない』というと、『これは軽いやつだから、一生飲んでも大丈夫。いつ飲んでもいいし、頓服で使えるよ』って言ってました。『調子悪くなりそうな時に飲んで』みたいな感じでしたね。父が薬剤師なので聞いてみると、『うちの病院でもよく処方される比較的軽い薬だよ』って言ってました」
これが2005年前後のことだ。当時、少なくとも日本においては、医師も薬剤師も厚労省も、この薬について継続的に服用することの危険性を認識していなかった。「軽い」薬だという説明を受けて、KPTMは1日1錠、これを服用するようになった。そうすることで、PTSD症状を起こす心配をしなくて良くなり、しばらくはまたスムーズに日常生活を送ることができるようになっていた。はじめから「依存したくない」という気持ちが強かったので、あらかじめ1日1錠以上は飲まないと決めていた。
しかし、次第に何かがおかしいと感じるようになる。「自分もそうだったんですけど、多分みんな、この薬を飲んでいることをなるべく気にしないようにしているところがあると思います。飲んでいることが、なんとなく良くない気はずっとしているんですよ。ごまかしている感じがずっとある。良くないだろうなと思いながら、止められない。なんか体の調子がおかしいなあと思いながら、それを意識するとよけいに悪化するような気がして、なるべく考えないように、考えないようにしていましたね。多分、この薬を飲んでいる人の多くはそんな感じだと思います。『なんかヘンだな』と思いながら、それがこの薬のせいだという因果関係までは考えないようにして生活していた。(KPTMが牽引した女性アーティスト集団)WAG.のメンバーで、最も親しい友人の一人である○(マル)ちゃんにも言われました『KPTMちゃん、ずっと昔にもこの薬がおかしい気がするんだって言ってたよ』って。だから、やっぱりずっと感じてはいたんですよね」
薬の作用により、その頃の記憶は混乱している。「離脱症状が出始めた頃の記憶はぐちゃぐちゃです。あまり思い出せません」そして心身の不調はさらに悪化していった。「薬剤師の父も、精神薬系のものは何がどういう症状に効くという情報としては把握していても、なぜその効果がもたらされるのか、『頭がぐちゃぐちゃになる』と訴えてくる患者さんを、どう理解していいのか分からなかった、と言っています。分からないから、やや避けてきたところがあるとも。お医者さんも同じだったのかもしれないと思います」
「離脱症状」と言うと、薬を減らしたり、止めたりした瞬間から始まるのかと思っていたが、そうとは限らない。「私の場合は『常用量離脱』になったんですよね。つまり、それまで飲み続けてきた量では足りなくなる状態です。同じ量を飲んでいても効き目が十分ではなくなり、不調になり、普通は病院に行って処方量を増やしてもらうことになります。少し増やすことで、前と同じような落ち着いた状態に戻ることができるけれど、結局そうやって量は増え続けていくことになるわけです。でも、私の場合は基本的に飲みたくなかったので、1日1錠以上は増やさなかった。『これ以上はイヤだ』という気持ちが強かった。だから足りなくて不調になっていきました。それが薬が足りないせいだと認識していなかったので、もし認識して薬を増やしていれば、もっと状態は楽になったとも言えます。でも増やさなかったので、それによって引き起こされた不調を何年も我慢していた。少し出かけたりすると尋常じゃない疲労感に襲われて、家に帰ると何もできない。それがもう限界になって、動けなくなったのが2014年頃です」
その状態で広島に帰ってきた。そのころは、自力では体温調整ができなくなっていて、33℃台になったかと思えば、40℃台がずっと続いたりしたという。常用量を増やすことを拒んだせいで離脱症状に苦しむことになったわけだが、では、その頃に医者に言われるがままに常用量を増やしていたとしたら、今頃はどうなっていたのだろうか。思いを巡らせずにはいられない。
「増やし続けて飲み続けると、ゾンビみたいになってしまう場合がありますね。両親の近くにもそういう人がいて。ずっとボーッとしていて、『心ここに在らず』という状態が長い。意思がなくなって、感情もあまりなくなっていく。時間の経過とか空間の把握もよくわからなくなっていくんですよね。遠近感もぐちゃぐちゃになります。痛いとか辛いとかいう感覚は抑えられるけれど、そのぶん他のすべての感覚も鈍っていってしまうようです。少しオカルトっぽくもあるんですが、ここではない、異次元に入っていってしまうような奇妙な感覚に陥ったりして。自分だけがおかしくなったような感覚で、生きることが苦痛になってしまう。それがなぜ、どのようにしてそうなるなのかはまだ解明されていないようですが、少しでも、この世界にこういうことが起こっている、こういうことを経験している人がいるということだけでも、伝えることは大事なのかなと」
しかし、先に触れたように個人差がかなりあるのも事実だ。「ラッパーの知り合いの子で、『15年間眠剤を飲み続けていたけど最近止めた』って言ってた人がいて、その人はなんともないって言ってるんですよ。びっくりしました。だから、飲み続けて量を増やしても、大丈夫な人もいるみたいです。かと思えば、私のインタビューを読んだ人から、『私も15年くらいずっと眠剤を飲んでいて、一度止めてみたらリアルに2ヶ月間一睡もできなかった。だから、また飲んでいるけどいずれ止めたい』という人が連絡をくれたりも。実は、密かに悩んでいる人がたくさんいて、『誰にも相談できなかったから、インタビュー読んで救われました』という連絡はいくつかもらいました。薬を飲んでいることって、なかなか人には言えないんですよね。私もほとんど話したことなかったです。『自分の中で何が起こっているんだろう?』って、自分だけで悩んでしまう」
常用離脱症状は、いろんな形で出た。頭の中が混乱し、めまいも酷く、急激な体温の上昇や下降、神経痛で体のあらゆるところが痛く、内臓もおかしい。「あらゆる病院であらゆる検査をしました。お腹も変になるからエコー検査して、脳波も検査したし、脳脊髄液減少症じゃないかとか... でも検査結果には大した問題がなくて。なんでそんなに調子が悪いのか分からなかった。だから色んな健康に関する情報をチェックするようになって、例えば白砂糖が悪いんじゃないか、って白砂糖を抜いてみたり、色んなものを排除してみることも試したけど、全然良くなってこない。だから調べ続けていたら……出てきたんですよね、ネットで。『BZDの離脱症状』というものを知って、その症状の記述を見たらことごとく一致していた。『これだ』と確信しました」
不調の原因が見つからぬまま苦しみ続け、消去法で最後に残ったのがBZDだったというわけだ。BZDを飲み続けることが良くないようだということは、ずっと薄々気づいていた。「確信は、多分ずっとあったんだと思います。でも疑いもあったというか」しかし、長かったのはそれを確信してからの道のりだった。この薬を「飲み続けることを止める」とどうなるのか、KPTMが思い知らされる出来事が起こる。
「広島に弱って帰ってきたあとに、一度東京でWAG.のパーティーを企画したことがあって、ゲストにDJ YASさんが出てくれることになったんです。それで、せっかくのパーティーだし、クリーンな状態で楽しもうと思って、東京に行く7日前くらいに薬を抜いてみたんですよ。で、なんかどんどん体調が悪くなっているのを感じながらも東京へ行き、パーティー中に久しぶりに色んな人に会って、ワーッって楽しくやってるんだけど、だんだん誰が誰だか分からないような変な気分になってきて。どんどん『何かおかしい、ヤバイ!!』って、すごい危険を感じたんですよね。とにかくすごく怖くなって、イベントの途中でその日泊まらせてもらっていた友達の家にタクシーで一人で帰りました。お風呂に入って、BZDを飲んでから寝た。そしたら、次の日はまるで何もなかったみたいにケロッとしてたんですよ。逆に楽しいくらいの気分になっていた。その体験が強烈で。その時に初めて、アンタッチャブルな世界を体験してしまったと思ったんですよね。それが禁断症状というものだった」
しかし、自分自身でそれを確信しても、それを医者を含む周囲の人に説明し、理解してもらうことが次なるハードルだった。「広島に帰ってきて病院に行って、『この薬を抜くと体が痙攣したり変になるから、この薬の方に問題があると思う』って言ったんですよ。経過報告として。そのころにはBZDの減・断薬に関する本とかも出始めていたので、その本を持っていってお医者さんに見せたりして。そしたら、後になって親に聞いたら、『あの子は総合失調症の気があって、妄想を言っている』ってその先生が言ったらしくて(笑)。それには『オイ!』と思いましたよね。でもそういう診断をされている人もいるかもしれない。本当のことを言っているのに、虚言だと思われてしまう。両親が薬のせいだと相談に行ったのに『時間の無駄だ』と言った医者もいました。この薬の問題点を訴えている人はかなりいるのかもしれないけど、『気が狂ってる』で処理されてきている人が潜在的にかなりいるかもしれないんですよね。でも、本当に妄想を言う人も診療に来るわけだから、お医者さんも難しいだろうなという気もしますが……」
KPTMは、そもそものメンタル・ヘルスの問題の診断や、薬の処方にまつわる難しさも指摘する。「メンタルのことってお医者さんも患者の言葉を通してしか症状が把握できないので、どの症状をこちらが言うかによって病名や処方される薬が変わってくる場合がある。患者本人が認識していない部分は分かりようがないので、処方の精度というのはその程度なんじゃないかと思うんですよね。私もいろんなお医者さんに診てもらいましたけど、結局、聞かれた質問に答えるから、違うことを聞かれたら他の医者に言ったことと違う答えになるじゃないですか。それで診断が決まっちゃうから『テキトー!!』って思いましたよね。何を引き出す先生かによって、処方される薬も変わる場合がある。『こういう症状の人にはこういう薬』っていうのがあらかじめ決まっているんだと思うから、ある程度目星をつけて、そのパターンに沿うように誘導尋問していくみたいなところもあるのではないか、と。多くの医者の診断って、前例のみに頼っていると思うんですよ。いまここにいる目の前の患者の症状ではなくて、過去を向いているんですよね。そういう意味では、患者だけが最先端を知っている」
原疾患の診断ですらも難しさが伴うのだから、処方薬の効果や副作用を測ることはさらに輪をかけて難しくなる。薬からの離脱症状は原疾患を増幅させるので、薬を増やすことに繋がりがちになり、そのせいで薬が不調の原因になっている場合でもそれに気づきにくい。「BZDは原疾患を『ないこと』にしてしまう薬だと感じます。ないことにすると、やっぱり怒るんですよ、体が。人間って無視されたら傷つくのと同じで、人間の体の中もそうだと思います。自分の中からの叫びをないことにすると、めちゃめちゃ傷つくし怒るんですよ。(体からの)メッセージですから」
薬物中毒と薬物依存の違い薬物依存に関しては、あまり縁のない人にとっては中毒との違いすら分かりにくいかもしれない。中毒となって止められない状態と、依存によって止められない状態は何が違うのだろうか。「普通の薬物中毒の場合は、成分が体から抜けて、いわゆるデトックスができたら終われると思うんですよ。シャブにしても、時間はかかるかもしれないけど、体の中から成分が抜けて、2度と同じものに手を出さなければ離脱症状から解放されるはず。でも、BZDの場合は神経そのものを傷つけてしまってそれが障害を起こすから、早く抜こうとするとよけい大変なことになってしまう。傷が治らないことには、薬だけ抜いても治らないので、傷を治しながら徐々に抜いていかないといけないんです。だから、意思とか気合いの問題ではないんです。我慢できないから飲むというのは精神的薬物依存ですが、飲まないと体がおかしくなってしまう、機能しなくなってしまう状態、要するに離脱症状が出るのが身体的薬物依存です。『(意思が)弱いから薬を飲んでしまう』という精神的依存ではない」と強調する。
「自分でネットでいろいろ調べて、最初に『アシュトン・マニュアル』(イギリスの精神薬理学者であるヘザー・アシュトン氏がBZDの作用や離脱症状、及びその治療メソッドをまとめた、1999年に発表されたマニュアル)を見つけた時に、『これは誰にも信じてもらえないんじゃないか』って思いましたね。私も基本的にはネットの情報はあまり信用しないようにしているんで、私自身も半信半疑で見ていたら、見事に自分の症状とビンゴで全て当てはまってしまって。でも、やっぱりネットって色んな人が色んな主張をしているから、『薬のせいにして逃げている』みたいな考えもけっこうあるし、これは絶対に親に分かってもらえないからどうしようか、と思いましたね。私は自分で調べた資料をまとめて、親にメモをいっぱい書くなどして伝えたんです。ベンゾの離脱症状だということに理解を示してくれた両親が、『協力するから微量減薬をがんばろう』って言ってくれて、それが一つの大きな安心になりましたよね。そこで分かってもらえなかったら、ずっと大変だったと思います」
次のステップは、実際に断薬をするために薬を減らしていくことだったが、これが途方もないプロセスだった。意志が弱いから薬を飲んでいたわけではないのと同様に、身体的な薬への依存には、どんなに強い意志を持っていても逆らえない。「急に減らしたり抜いたりすると大変なことになるので、薬を水に溶かして、その水の量を1%ずつ減らして抜いていくという方法を父がネットで発見してくれました。『ワイパックス』の断薬に成功した方の個人ブログがあって、それを参考にしました。そのブログを参考にしている人は多いと思います。その方は、BZD問題を啓蒙する活動をされています。『アシュトン・マニュアル』には、離脱症状の原理みたいな部分は説明されて自分に何が起きているかについては理解できるんですが、具体的にどう抜いていくかという説明は不十分というか、人によってかなり差があるので」
とにかく、離脱症状を訴えてもお医者さんには信じてもらえず、回復するために参考になるものは『アシュトン・マニュアル』しかなかったという。「両親は、2018年にできた『全国ベンゾジアゼピン薬害連絡協議会』という組織のメーリングリストには入っていたみたいです。私は自分自身にも疑いを持っていたというか、本当は違う理由なのに、『薬のせいにして逃げていないか、自分?』ていう自問自答を繰り返していました。だから、特に外部の組織などに相談を持ちかけることはなく、まず抜いてみてどうなるかを自分で実験してみよう、というところから始めました。減薬を始めた最初の半年くらいは、XX月XX日、これだけ抜いたらXX時にすごい耳鳴りがきた、みたいな記録をノートにびっしり書いたりしていたんですけど、嫌な症状ばかりだから、自分で自分にその記憶を植え付けているような気がしてきて、『これ良くないかも』と思って止めました。でも、記録して研究することで、自分でも私に起きてる体調不良は薬のせいだ、っていう確信を得たかったところもありますね。医者が頼れなかったから、自分で実験してみるしかなくて。バカなものも含め、色んな実験を自分でしてみた。もうトライしてみるしかなくて。『この状況を逆利用してやるわ!』って腹をくくったんです」
こうして、KPTMとBZDの長く壮絶な戦いと、そのための様々な実験が始まった。
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