「IR」と一致するもの

interview with YOSHIDAYOHEIGROUP - ele-king


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 聡明さで名高い編集部小林氏から「YYGの原稿どうですか?」とメールが届いた。はて、私はヤング・マーブル・ジャイアンツの原稿などたのまれていたであろうかと小首をかしげたが略称の綴りがちがう。「来週レコ発なのでそこにまにあうようにアップしたいです」とも書いてある。ああなるほど、YYGとは吉田ヨウヘイgroupのことね、とピンときたが、どうもYYGと聞くとフェラ・クティの「J.J.D.」が頭のなかでながれだすからいけない。「ようこそ、カラクタ共和国へ」フェラの口上とざわめき、パーカッションの乱打とポリっていくリズム――それらはむろん本稿とは関係ない。とはいえ完全に明後日の方向ではないのかもしれない。YYGこと吉田ヨウヘイgroupは前にも増してグルーヴィになった。以下の原稿をお読みいただければおわかりのとおり、本人はあまり自覚していないようだが、ヴォーカルとコーラス、ギターと鍵盤、ベースとドラム、シャープな各パートが集約する音の像の輪郭はより明確になった。アレンジに耳を転じると、2017年のサウンド・プロダクションをみわたしたエレクトロニックなニュアンスを端々にのぞかせながらホーンを巧みにちりばめたアンサンブルは吉田ヨウヘイgroupらしさを忘れない。指先とギターとアタッチメントで何重もの音の層を織りなすギターは肌理細やかな楽曲に多様性をもたらし、“ブールヴァード”や“新世界”や“ユー・エフ・オー”やそのほかもろもろにつづく新たな代表曲の誕生を予感する、吉田ヨウヘイgroupの道のりはけっして平坦だったわけではなく、4枚目の新作『ar』まではさまざまな紆余曲折があった。2015年6月リリースの『paradise lost, it begins』以後におとずれた活動休止と8ヶ月後の再開。バンドは生き物だが、休眠中の彼らになにがあり、動き出したあとは以前とどうちがうのか。吉田ヨウヘイと西田修大にその顛末と『ar』にいたる過程を問うロング・インタヴュー。
 諸般の事情でレコ発にはまにあいませんでしたが、彼らの演奏をみる機会が今後減ることはないだろう。吉田ヨウヘイgroupはいま心身ともに充実している。
 すごいぞ吉田ヨウヘイgroup、ようこそニューYYGワールドへ。

 

次のアルバムはめちゃくちゃいいものにしなければいけないという覚悟が自分たちのなかにあったので、そこに向き合っていたあいだに、いまの自分たちだとこれは達成できる気がしないぞ、ということになったんですよね。 (西田)

メンバーにがんばれといっていいものなのか迷う機会も増えてきていたんです。俺らはがんばろうと思っているけど、そういうことをするのに迷いが生じてきた。 (吉田)

去年の暮れ『別冊ele-king』でアート・リンゼイの原稿を依頼したときがちょうどライヴ活動を再開したころでしたよね。

吉田:ライヴの直前に原稿をお渡しして、そのあと観にきていただきましたね。

率直なところ、活動を休止した事情はなんだったんですか。

西田:結果論なのかもしれないけど、自分は休んだことも休んでからの状態もそんなにネガティヴには思っていないんです。2015年に『paradise lost, it begins』をつくって、あのアルバムはみんなで合宿するくらいけっこう根を詰めてつくったんですが、そのあとの10月にO-EASTでワンマンライヴがあって、そこまではなんとかムリしても駆け抜けようという感じだったんですね。

O-EASTも私拝見しました。

西田:『paradise lost~』という自分たちのなかでのいちばんの力作をつくったけど、FUJI ROCKに出たかったけど出られなかったり、届かないところがあったり、ほかのバンドに対して自分たちのほうが絶対にイケたという確信を得られていなかったところもあって、そのぶん迷いがあって、迷いがあるから余計にがんばっていたんですね。迷いをふりきるためにもとにかくいいものをつくらなきゃならないという状態がO-EASTまでつづいて、次をみなければならないという話になって、まためっちゃがんばったんですよ。根を詰めに詰めて(笑)。

それが2015年?

西田:休む前だから2015から2016年にかけてですね。ですごいやっていて、そうなるとこう(両手で視界を狭めるポーズ)なるからできないこととかみえないことが自分たちのなかに増えてきて、しかもそれが一朝一夕に解決するようなことではなかったんです。次のアルバムはめちゃくちゃいいものにしなければいけないという覚悟が自分たちのなかにあったので、そこに向き合っていたあいだに、いまの自分たちだとこれは達成できる気がしないぞ、ということになったんですよね。一回考え直さなきゃいけないんじゃないか、このままだと全員どんどん疲弊してしまうんじゃないかという状態になったんです。俺の認識としてはそんな感じですね。

吉田:フルートの若菜ちゃんが辞めちゃったというのがひとつのきっかけではあるんですが、メンバーにがんばれといっていいものなのか迷う機会も増えてきていたんです。俺らはがんばろうと思っているけど、そういうことをするのに迷いが生じてきた。最初はなんの迷いもなくがんばれといっていたんですが、それをどうしようかなと思いつつ、メンバーも僕と西田も迷ってつかれてきちゃっているなと思ったときメンバーが辞めてしまって。全体が疲弊しているといえる状況があるなら休んだほうがいいんじゃないかという認識だったと思います、当時は。

西田:うんうん。

メンバーのあいだに温度差があった?

吉田:難しいのはみんなそれぞれが音楽にしっかり強くやる気があって、ただぼくや西田のやる気とメンバーのそれには方向の違いみたいなのも感じたりして、でも僕自身も自分たちのやる気の出し方が正しいとは思えなくなっていたところもありました。こうがんばるのが本来のがんばる姿でしょといったりするのはムリがあるという気にもなっていたということですね。

ある種の閉塞感ですね。

吉田:そうですね。ほぼ全員のメンバーに、仮に自分たちとバンドやるのをやめても音楽をつづけるだろうなという感覚もしっかりあったし、その場合それががんばっていないとは全然言えない、ただの押しつけだなと感じていたというのもあります。

西田くんの話を総合するとバンドの理想像に到達するには各人のボトムアップが必要だということですか。

西田:完全にそうです。

ひとつの結論が出ていったん休止することになったあいだおふたりはなにを目標にしていたんですか。

西田:俺はバンドを休止するとき、自分のなかでもいろんなことをすごく考えたんですけど、いまに較べると迷いがすごく多かったです。それに気づけていないところがある一方で、自覚している課題もけっこうあった。みんなで楽しく自然にやればいいものができるんだよというのを俺は大正解だけど大間違いだとも思っていたんです。そのとおりだけどそれを音楽のなかでやるとき、絶対にできなきゃいけないことがでてきたり、根性出さなきゃいけない場面が出てきたり、逆に根性を出そうとするあまりできないことが出てきたりすると思っていました。そこらへんがすごいグチャグチャになっていて、それを整理したいとは思っていました。

西田くんっぽいね(笑)。

西田:(笑)。音楽をどのようにやるのが自分とバンドにとって最良なのかということですね。音楽にどういうふうに向き合うのかということを考えていました。

ことギターに限定していうと自分もスキルアップしなきゃいけないし、ということですか。

西田:それはずっと思っていました。ギターをスキルアップしなきゃいけないという悩みはいまのほうがポジティブに強いですけどね。

吉田くんはどうですか。

吉田:休止に入った直後に思ったんですが、自分の作曲がメンバーのプレイヤビリティを活かすようにつくっていた意識があったんですが、それはほんとうにそうなのかと考えました。打ち込みでいいならプレイヤビリティのシバリがなくなるじゃないですか。そのときにつくるものはちがうのかとか、自分がほんとうにつくりたいものがあるとして、いままで作った曲はそれに適合していたのか、それとも制限がかかっていたのか、どっちなんだろうとか考えました。ほんとうにいい曲を書けるようになりたいという話を(西田と)いちばんしていたので、自分がほんとうにいい曲を書けるようになりたいと思っていた気がします。

西田:ひととどういうふうにやっていくかというのは、休んでいるあいだふたりとも考えていたんですよ。俺たちにとってずっと大きな悩みだったから。

吉田:そうだね。

とりあえずの結論というかこういうふうにやっていこうというのが出たのがいつくらいで、どういう方向性をとると決めたんですか。

吉田:ふたりでは休止中も一緒にやってもいたんですが、10ヶ月ぐらいして吉田ヨウヘイgroupをもう一回やりたいなとなったときに、どういうふうにひとを誘うかというのにあらためて悩みました。もう一回やろうというのは、昔の曲をやろうとか、この延長線上でもっといいものをつくりたいよねという話が自分たちのなかで高まったので、ぼくももう一回やろうと思ったんですけど、前に思っていたメンバーとの関係だったり、どういうふうにバンドをやっていけばいいのかという悩みには答えが出ていなかったので、とりあえずベースとドラムはサポートで、やっているうちにかたちを見つけようとなりました。心の通い合いのようなものがあったほうがいいのかどうかもわからなくなっていたんです。すごく巧くて一回でやってくれるひとがベストなのか、そうじゃなくて融通の利くひとがベストなのか、どっちもあるひとじゃなきゃダメなのか、それにあてはまるひとがいてもそのひとがやってくれるのかもわかっていなかったんです。これはついこないだまで相談していたことでもあるんですよ。だから悩みつつスタートしたんです。

それで4人で再スタートすることになった。でもベースとドラムがいないのはバンドにとっては大きな変化ですよね。

吉田:今後かかわってもらう人との関係をどうするべきかには不安がありましたが、こと演奏に対しては、どういう演奏をしてほしい、どれくらいの水準であってほしいという理想のイメージはすでにあったんで新しい試みにわくわくしてもいました。

そのころはのちに『ar』につながる音楽の青写真はあったんですか。

吉田:なかったよね(と西田氏に)。

西田:あったけどなかったというか。俺はとにかく“ブールヴァード”とか“ユー・エフ・オー”とかやりたかったんです。吉田ヨウヘイgroupの曲は自分のなかではずっとやっていかなきゃならない曲、そうだよね吉田さん? とふたりで話してがまんできなくなって再開したんですよ。いろんな作り方があるけど結局、自分たちが目指していたもののつづきを見なきゃいけないよねということだったんです。それでメンバーに全員声をかけてひとりひとりと話し合って、いまのメンバーがのこって、じゃあどうしようかとなったときに、サポートのひとを呼んだらどうかとか、4人だからこそできるサウンドがあるかもしれないとなったり、それを一個一個悩みながら進めることだけを目標に再開したので『ar』のイメージはないままスタートしたのが実情です。

ダープロのリーダーのデイヴ・ロングストレスは今回のアルバムでソロみたいになって、生バンドでもなくなり女声コーラスもなくなり、自分の好きだった要素はごっそり抜けたはずなんですけど、あれ? いままでよりいいんじゃない、という衝撃があったんです。 (吉田)

アルバム制作に本腰をいれはじめたのはいつですか。

吉田:断言するのは難しいのですが、アルバムにはいっている“分からなくなる前に”は休止前にできていて、体制も決まっていないので音源をつくるのはきついから一曲だけデモを録ってそれをYouTubeに公開するのを、2016年9月に再開だったから、2016年の内にやろうと目標を立てました。

そういえば“分からなくなる前に”のソロ裏のコード進行はデートコース(現dCprG)の「ミラー・ボールズ」を参照した?

吉田:ああデートコースもそうですね! あのとき考えてたのはスライでした。

元ネタのほうだったんですね。『フレッシュ』の――

吉田:“イフ・ユー・ウォント・ミー・ステイ”です。

“分からなくなる前に”ができたら数珠つなぎに曲ができた?

吉田:それまでの3ヶ月ぐらいのあいだにフランク・オーシャンが話題になっているのを耳にしたりダーティ・プロジェクターズの今年出たアルバムのMVを見たりして、いままでとちがう音楽が出てきたんだなと思っていたときだったので、“分からなくなる前に”のデモを録り終えた2017年の1月あたりにそのへんをとりいれるべきか否か、自分たちで煮詰めていくところからはじまりました。

西田:あの時期毎晩のようにその話していたよね。

ダーティ・プロジェクターズは吉田くんの座右のバンドだもんね。

吉田:そうですね。ただダープロのリーダーのデイヴ・ロングストレスは今回のアルバムでソロみたいになって、生バンドでもなくなり女声コーラスもなくなり、自分の好きだった要素はごっそり抜けたはずなんですけど、あれ? いままでよりいいんじゃない、という衝撃があったんです。ドラムの音やプロダクションに感動したんですけど、吉田ヨウヘイgroupのいままでやってきたことの延長線上にこの凝り方は存在していないとも思いました。自分たちはこれまでも、これはいいけどべつにやらなくてもいいよね、というものはあっさり切り捨ててやりたい音楽に邁進してきたところもあったのでどうしようと悩みました。できないけど感動しちゃって、これやったほうがいいのかって。

そもそもやりたかったですか。

吉田:あれがやれないと自分たちのこともいいとは思えないんじゃないかと、そのときは考えたんです。凝った音像にじっさいに感動したわけだから、こういうものをつくれないと自分たちがいいアルバムをつくったとは思えなくなるだろうなと考えて、そういうことができるように成長しなくちゃいけないんじゃないかということですね。

西田:俺が思うのは、そうはいっても、吉田さんはやりたくないことがあまりないひとなんですよ。そこは気が合うんですけど、バンド・サウンドかそうじゃないかということにかかわらず、こういうのは俺たちはやんなくていいよというのがあまりなくて、決める基準としてはすごく乱暴な言い方をするとそのときいちばんいいとなっていることをやりたい。それを自分たちのフォーマットにどうあてはめるかというのをずっとやってきたつもりだったんですけど、今回は「これがいい」と思ったときに、自分たちのとったことのないプロセスがいちばん多い状態だったんですよ。

で、どうしたの?

吉田:西田くんがパソコンを買いました(笑)。

西田:そうなんですよ(笑)。

カタチからはいる派だ(笑)。

西田:その前にオーディオインターフェイスも買ってシステム自体をごっそり変えました。

それまでバンドのなかでPCを使うようなことあった?

西田:使っていないですし、なんならいまも使ってないっス。カオス・パッドをギターに通したことはありましたけど、システムごとごっそり変えないとムリじゃないという話を吉田さんにしていて、ようはギターを弾くような感覚でラップトップをあつかえないと(これからはダメなんじゃないと)。

吉田:サードのときの反省としてぼくはけっこうミックスも担当していたのでポストプロダクションのことも考えていたんですが、イメージの音があってシンセサイザーでできるだろうと思っていてもけっこうできなかったんですよね。シンセサイザーは自分のなかでは根性があればけっこういけるとイメージしてとりくんでみたんですけど。

根性をみせるポイントはどこ(笑)?

吉田:たとえばアルペジエイターに憧れてシンセサイザーを手に入れてそれに模した音はがんばればできると思ったんですが、すごい時間がかかるし、それにあんまり良くもならなかったんですよ(笑)。逆にギターやドラムの演奏とか、バンドにかかわるものだとしっかり時間をかければうまくいくので。だから音色をつくるのは難しいというか、(音楽をつくる)インターフェイスがちがうと難しいんだね、という話はよくしました(笑)。
 ダーティ・プロジェクターズを聴いて、(ああいった)ミックスとかキックの音づくりはパソコンをナチュラルに使えるようにならないとできないとなったときにふたりでPCをもちよって一緒に曲をつくるというのを週何回やるというバンド練みたいなことをやったこともあります。当時は新しい音源のリズムトラックをどうするかも決まっていなくて、定期的にはバンドの練習をしてなかったからそれにあたることをPCでやればできるようになんじゃないかって(笑)、曲もできていいんじゃないのとなったんです……けど。

その曲ってなに?

吉田&西田:“トーラス”です。

成果はあったということじゃないですか。

吉田:そうですね、でき上がったときは興奮して、しばらくしてからだめだったなぁってなったりしたけど。

西田:インタヴューのなかで、そういえばそうだったと気づくことが多いんですけど、いままでは「あれはやってみたけどちがった」と思っていたじゃない。

吉田:そう思ってた。

西田:でもいま話してみて(PCでの作業を)やったことがでかいのかなとも思った。

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“トーラス”をつくってわかったのは、あれは打ち込みでできた曲だけど生演奏でもいけるかもということだったんですね。 (吉田)

俺は吉田さんに打ち込みの適性がないとは思わないけど、その期間でベストを尽くそうとなったら生演奏しかなかったんですよ。 (西田)


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話は変わるけど、タイヨンダイは私のダチなんだけど。

西田:かっけえ(笑)!

吉田:ほんとうのダチはそういう言い方しなさそうですけど(笑)。

そうだよね(笑)。タイヨンダイはダーティ・プロジェクターズの新作にも参加していますが、彼も同じようなことをいっていましたよ。アナログシンセもギターも遊びのような手仕事の感覚だと。

吉田:ぼくらもがんばればそうなるのは感覚的にはわかっていて、ただ自分たちはギターについては一緒にいなくても練習するけど、どうしても打ち込みはひとりでは進まなかったんです。ひとりでやるのを目指したんですけど、会ってるときしかやらなかった(笑)。次作への課題ですね。でも時期がきたらやれる感覚もあります。

西田:目指していたのはフィジカルな状態だったんですけどね。悩めなかったんですよ、ギターのようには。わからなさすぎるものは悩めない(笑)。でもなにかをつくるには悩めなきゃいけないよね、とも思っていたから――といいながら、逆にいうと悩んで、悩んだままほかに楽しいことができたのかもしれない。

たとえば?

西田:ギターを弾くのがただ楽しいとかですよ(笑)。

それ以降はふつうの作り方に戻っていったんですか。

吉田:“トーラス”ができた段階でメンバーのクロちゃんがやっているTAMTAMが『EASYTRAVELERS mixtape』を出したんですね。TAMTAMの新譜はばっちりエンジニアの方に録ってもらっていて、聴いたら、“トーラス”とはキックの音のレベルがちがって、どっちがかっこいいかと100人に訊いたら100人ともTAMTAMのほうだというような音の質だったんですよ。ぼくはサンプルライブラリーからすごくかっこいいキックの音やスネアの音を選んで組み合わせれば自然と全体もかっこよくなるだろうと思っていたのにTAMTAMを聴いたら彼らの音のほうがかっこよかった。俺らはギターの音だったら録音した次の日改めて聴いて、あれ、かっこよくないぞと思うことはあんまりないんですが、打ち込みに対しては判断する力がまだないんだなとそのタイミングでわかってきたというか。逆にいままでに自分たちが得意だとも思っていなかったドラムやギターの音色にたいする判断のほうが点数高いんだなとわかったときがあって、そこでちょっと変えようということになったんですね。

そこで判断したんですね。

吉田:もっと慣れれば、この音を打ち込んだら全体がこうなるとわかるところまでくると思うんですけど、どれだけ時間がかかるかわからなかったので。“トーラス”をつくってわかったのは、あれは打ち込みでできた曲だけど生演奏でもいけるかもということだったんですね。TAMTAMのアルバムにも自分たちが打ち込みに求めていた質感もあったので、だったら生演奏が得意だからそっちをがんばろうと路線変更して一気につくりだしました。

のこりの曲は短い期間でつくったんですか。

吉田:アルバムのなかでは西田は“piece 2”も書いているんですが、感覚的には西田が平行して2、3曲書いてくれた感じで、自分が“トーラス”と“分からなくなる前に”、“フォーチュン”とかができていたから7曲か8曲書いた感じなんですけど、1ヶ月半で4曲ずつみたいな感じだったかな。

西田:吉田さんは後半にかけて尻上がりでした。今回は悩みながら決めずに進めたから、俺思ったのはさ、アルバムは今年絶対出したかったじゃん。

吉田:うん。

納期を設定していた?

西田:納期というより今年絶対音源出してそれをいいものにしたいという思いですね。俺は吉田さんに打ち込みの適性がないとは思わないけど、その期間でベストを尽くそうとなったら生演奏しかなかったんですよ。方向性を決めていくなかでやりたいことが出てきて、作曲にかんしてはどんどん尻上がりになったイメージです。制作が進むにつれ、やりたいことが明確になってきた。吉田さんが後半につくった曲については最初からブラッシュアップされていた気がします。

吉田:レコーディングが2回にわかれていて、リズム隊の録音は6月と8月でしたが、2曲宅録で10曲レコーディングしたイメージなんですよ。“piece 1”と“piece 2”は家でリアンプしたほぼ宅録なんですが、のこり10曲で5曲ずつ録音した感じで、6月に録音してそこで軽くミックスしてもらったんですけど、ドラムが完璧にイメージどおりの音になったんです。この音なら曲いっぱいできるなと思って自分のなかで加速がついた気がします。

ドラムの音が決まるとアルバムが像を結びますからね。

吉田:そうですね。

『ar』のドラムの音はこれまでよりちかいですね。

吉田:いままではほんとうにジム・オルークが理想だったので3メートルぐらいの距離で聴いているドラムの音が好きだったんです。それが50センチの音にしなきゃいけないと思って。生演奏でありながらドラムの音がちかいというイメージもTAMTAMのアルバムでついてはいたものの、自分たちにできるのかは半信半疑だったのが、録音を経てじっさいにできたのでこの音だったらこういう曲がかけるぞと一気にわかってきたところがあります。6月まではちょっと余裕があったのでそれほどハイペースではなかったんですが、6月のあと8月までに4、5曲書かなきゃいけないと決まっていたのでそこからハイペースだったよね。

西田:そうだね。後半は迷いもなかったからね。だけど最初から迷いなかったらつまらないアルバムになっていたかもしれない、と俺は思っていて、6月のレックのときにこれだったらできるとなってからは早かったんですが、悩んでいたのは“トーラス”がいちばんなんですよね。演るときにまた悩むんだけど、どちらが好きかといわれると両方好きだから、今回のアルバムには両方はいったんじゃないなかと思います。『ar』はだから、濃淡があると思いますよ。

期間が短いと演奏を詰めていく時間は足りなかったんじゃないですか。

吉田:それはサポートを含めてみんなが頑張って埋めてくれました。西田もいろんなひとに呼ばれてスタジオワークをこなしてお金をもらうようなこともあって、「1ヶ月練習して録音するのは、バンドだと短く感じるかもしれないけど演奏者としては短くはないんじゃないかな」と、教えてくれたのも大きかったです。

最初に話題にした、個々をどれくらいブラッシュアップするかという課題をクリアしていたということですね。

吉田:そうですね。

西田:それに加えて思うのは、短い期間でできた曲はデモの時点で演奏者がどういうことをすればいいのかわかるような音源だったんですよね。吉田さんのなかに明確なイメージがある感じがした。

それは西田くんだからじゃない?

西田:俺はもちろんそうだけど、曲自体がこういう演奏が理想だというのは楽器をがんばってやろうとしているひとならわかるものだったと思いますよ。“chance”という曲とか、「拡がった現実」はアレンジを悩んだけど、Bメロのパートとか、どういうふうにしたらいいのか明確でしたよ。その期間でできた曲で苦労したのは“1DK”だけでした。

“1DK”はなぜ苦労したの?

西田:ふつうに演奏が難しかったからです。テクニック的に難しかったから苦労したけど、それ以外そうでもなかったのは吉田さんがいうとおり信頼できていたのと曲自体が演奏に要請しているものがはっきりあったからなんですよね。

たとえば西田くんがほかの現場に行くときは、どのような演奏が理想かわかりづらいこともあるでしょ。

西田:それはありますね。

そういうときはどうする?

西田:うーん。困りますね(笑)。

そのあげくどうするの?

西田:がんばりますよ(笑)。でも俺は吉田ヨウヘイgroupの音楽については理解するべきだし、その自負もあるんですけど、『ar』について思うのは、くりかえしになりますが、デモの時点でどういうことをすべきかわかる曲が多かったんですよ。曲が「こういう演奏をしてほしいーよー」みたいな(笑)。それでできた曲はある意味全部フィジカルな仕上がりだと思います。それ以前の時期の“トーラス”や“サースティ”もフィジカルだとは思うんですけど、もうちょっとちがう質感だと思う。レコーディングの1ヶ月間を短く感じなかったのは曲がそういった感じだったからだと思います。

フィジカリティという感じだと『ar』はグルーヴを強調した曲が多い気がしました。

吉田:それはほかの方にもいわれましたけど、自分は正直わからないです(笑)。自分のイメージはグルーヴにかんしては以前とおなじくらいのものがみえていたはずで、再現度のちがいが大きいかもしれない。

さっきいったドラムの音色も相まってグルーヴ感をより感じるのかもしれない。

吉田:それはそうかもしれないです。いままでのドラムが3メートルぐらい離れて、オフマイク気味にベースやギターと一体に聞こえる感覚をめざしていたんですけど、ドラムが50センチのちかさになるとそれぞれが屹立して聞こえるのかもしれない、ポリスみたいに(笑)。各パートがそれぞれ前に出て、聴いているひとのなかで合わさるような音の作り方ですね。

次のアルバムどうするって話になったとき、ぼくがグラウンド・ゼロの『革命京劇』みたいにしたい、といったんですよ。 (吉田)

リズムにかんしていえば、西田くんのギターがこれまではメトロノミックに全体を引っ張る役割があったと思うんです。そういところから『ar』では西田くんのギターに自由なスペースが増えている気がしました。

吉田:それは完全にそうです。思っているとおりです。

演奏の個人的な聴かせどころはどこですか。

西田:難しいですね(笑)。全部です(笑)。

これ『ギター・マガジン』の取材じゃないよ(笑)。

西田:(笑)。いや全部なんですよ、ほんとうに。全部なんですけど、苦労せず自然に、自分のいままでやってきたことをやっと出せたぜ、この曲つくってくれてありがとうと思えたのは“Do you know what I mean? ”です。この曲がないとそのプレイができないんですよ。

それって冒頭のカッティングのところ?

西田:あとフレーズの組み方とか。

ああー。

西田:でも苦労してなくはないや(笑)。ヴォイシングにかんしてはめっちゃ苦労していて、今年受けた影響を出したかったし、考えてやった感じです。リズムにかんしては吉田さんが昔からこういうのかっこいいよねって進めてくれたのを超参考にしました。マサカーのフレッド・フリスとか。

ああー。

西田:そのカッティングをずっと曲で使いたかったけど、そういう曲がなかったのでそれをやっと曲で聴いてもらえますよ、どうですか、というのが“Do you know~”ですね。

フリスなんだ、これ。

西田:そうです完全に。それと石若駿くんと一緒にやっている影響が超でかくて、彼が教えてくれたヴォイシングをバンドの曲に取り入れたかった。新しいのと前からやりたかったのの両方がはいっているという意味では“Do You know~”だし“フォーチュン」もめちゃくちゃ気に入っているし“トーラス”のギターにかんしては苦労しました。“トーラス”については全部苦労したんですけど(笑)。

吉田:この一年西田くんはジャズ界隈のひとと仲良くなったんですよ。

ジャズ界隈のひととやるのはどう? 彼ら演奏が上手ですよね。

西田:すくなくとも自分がかかわっているミュージシャンは全員信じられないくらいすごいです。

シュンとしたことあった?

西田:俺は音楽、ギターをつづけられないんじゃないかと思ったことは何度もあります。いまも常にある。でもそういうのがあったからよかったんですよ。彼らと演奏するのになにができるとなると、こっちでやってきたことも極めていかなきゃいけないじゃないですか。そうなったとき、俺はバンドやってきているぞとか、ここにかんしてはけっこう考えてきたぞというのをみつけるきっかけにもなっていて、凹まされることもあるけど単純に教えてもらうことも多いですよ。

西田くんは“piece 2”も作曲していますね。この曲のアルペジオはなにで弾いているの?

西田:ウクレレです。“piece 2”はさっきいったみたいにシンセサイザーの使い方が自分たちは長けていないけどそういうふうにしたいとなったときに吉田さんに相談して、もしかしたらラップスティールだったらそういった感じになるかも、となってラップスティールを入れたんですけど、なにかものたりなくて、なにかを足したかったんですけどぜんぜん思いつかなくて吉田さんと話していたら、ラップスティールなんだからいっそウクレレでどう、といわれたんです。

ハワイつながりだ。

吉田:西田くんの家にラップスティールとウクレレがあったんです(笑)。

高木ブーさんみたいですね(笑)。

西田:ちょうどユニオンで『ブルーハワイ』ってレコードを100円で買って聴いていたのもあって(笑)、これなしだよね、というテンションで相談したら、いや意外と合うぞといわれてやってみたら合ったんですよ(笑)。

“piece 1” “piece 2”という小品もあり、『ar』は構成がすばらしいです。曲順はすんなり決まりましたか。

吉田:ぼくは忘れていてメンバーが2回ぐらいいってくれてうれしかったのが、去年メンバーと飲んでいて、次のアルバムどうするって話になったとき、ぼくがグラウンド・ゼロの『革命京劇』みたいにしたい、といったんですよ。

取材に立ち会った編集部小林:おー(と突然声をあげる)。

吉田:“Crossing Frankfurt Four Times”とか“Red Mao Book By Sony”とか、短い曲と普通の尺の曲が混在してるのがすっごいかっこいいじゃないですか、1分半~2分ぐらいの曲がいっぱいあるアルバムって。それだったらアルバムつくる負荷も低いと思ったんです。

それ大友さんに失礼じゃない! グラウンド・ゼロは制作の負荷が低いって吉田くんがいっていたって大友さんにいっちゃうよ(笑)。

吉田:(かぶりをふりながら)ちがいます、ちがいます。

西田:(とりなすように)ながれが意識できるということです。

吉田:(狼狽しながら)俺がつくると歌ものの4~5分ぐらいの曲がはいるので、6曲は4~5分台の曲、それと1分半の曲を6曲みたいなイメージのアルバムをつくりたかったということです。そのときは西田はまだ作曲していなかったけど、1分半の曲だったら力を発揮してくれるんじゃないかなというイメージがそのときあって、6曲ぐらいなら現実感もあると思ったんです。

なるほど。

吉田:それでアイデアのひとつとして『革命京劇』みたいにしたいといっていて、ただ結構間があったんで自分ではすっかり忘れていたんですけど、5月ぐらいに西田もクロちゃんも、『革命京劇』みたいにしたいんだったらこれはこうなんじゃないですか、といってくれたことがあって、ああそういったな、と思い出しました。アルバムの“シアン”や“chance”は“piece 3” “piece 4”でもいいかと最初思っていたんですよ。

たしかに尺は短いですね。

吉田:“Do you know~”も“トーラス”をつくったあとにふと思いついて2時間ぐらいで書いたんです。なので最初はこういうインタールードをつくりたいんだよね、ということで1分半の曲のつもりで書いて、それが気に入って倍くらいになったので別のインタールードつくらなきゃと思っていました。そもそも1分半ぐらいの曲を量産しようという気があったんです。

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ARはことばとして使われなくなるんだろうと思っていたんですよ。だからレトロフューチャー的な、廃れていくけど昔あった概念というニュアンスもちょっとこめていたんですね。 (吉田)


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そのようなアルバムの題名を『ar』にした理由はなんですか。そういえば、そのころライヴ会場で偶然会ったよね。

吉田:ジェフ・パーカーのコットン・クラブでのライヴです。

西田:あれがたしか7月だったから。タイトルを付けたのは9月ですね。

じゃあそのあとくらいですね。

西田:タイトルはもともと短い単語にしたいとは思っていたんですよ。とくに明確な理由があるわけではなくふわっとした気分だったんですが、それまでのタイトルが長かったのもあって短い字面でいいのないかなという話をしているなかで期限が迫って、わりと最初の段階で決まった気がします。吉田さんは悩んだと思いますけど。

吉田:そうだよ! さらっと見せたけど割と考えたよ!

西田:(笑)。最初にみたときにこれはいいと思いましたよ。

なぜ『ar』なんですか。

西田:SFっぽくしたくて、ここ1年ぐらいの気になる音楽には、ダープロなんかもそうだけどSF近未来感があるなと思っていて、AR(Augmented Reality=拡張現実)ということばは情報が映像にかさなる感じじゃないですか。それと、音楽を聴きながら歩いているときになんとなく情報量が付加される感じがちかいと思ったことがあったんです。みているものに色彩や情報を与えるのは、音楽はもとからそうだったんじゃないかなという考えをかさねて、「AR」ということばには両方の要件が備わっていると思ったんです。

そのことばは最新のテクノロジーとセットですが、テクノロジーの進歩について吉田くんは肯定的ですか。

吉田:その点で俺勘違いしていて、ARってなくなるんだと思っていたんですよ。以前は「VR(Virtual Reality=仮想現実)/AR」って書かれていたのに、ここ2年くらいPSVRとか、VRがらみの商品ばかりみるようになっていたので、ARはことばとして使われなくなるんだろうと思っていたんですよ。だからレトロフューチャー的な、廃れていくけど昔あった概念というニュアンスもちょっとこめていたんですね。そうしたらARの新機種をよくみるようになって、ARのほうが難しい技術で今後出てくるとわかってちょっとあてがはずれました。

西田:でもARってことばは吉田さんっぽいですよ。俺にとって吉田さんは機械に強いというか、理知的でコンセプトを立てるひとのイメージがあるんですよね。でも一方でARってエモーショナルに受け止めようと思えばいくらでもそうできることばで、吉田さんがレトロフューチャー感っていっていたのはそういうのとも関係あると思うんですよ。吉田さんの歌詞とかもほんとうにそういった感じだと思うんですよ。表現するのは人懐こかったり感覚的なことだったり、いったらエモいといわれるようなことかもしれないけど、表現するにあたってはそれだけじゃないんですよね。

歌詞の面では女性陣おふたりが作詞をしていますが、すごく吉田ヨウヘイgroupっぽい歌詞だと思いました。吉田くん以上に吉田くんっぽい気すらします。

吉田:ふたりには曲を書くから歌詞を書いてくれとお願いしたんですけど、俺は自分っぽくとか制約を与えると書けないと思ったので、なにも要求しなかったんですけど、結果的にふたりは吉田ヨウヘイgroupでやるならぼくの詞に寄せたほうがいいと思ったらしく、自分のなかでの通じるところを出そうと思いながら書いたみたいです。

まったく助言せず?

吉田:ぼくは自分で歌詞を書いたあと西田にみてもらうんですけど、ここは意味がわからない、どうとればいいのか、ということで直しがはいったりするんですね。それとおなじことは彼女らにもしてもらおうとは思っていて、書いた歌詞の筋が、だれにもわかるのは難しいですけど、ある程度わかる人が多いようにはしてくれとお願いして、ふたりとも二、三回やりとりした感じでした。

意図したとおりだった?

吉田:最初に“フォーチュン”の歌詞が届いたときにぼくに寄せようとして書いているのは分かりました。“フォーチュン”ってタイトルはちょっとかわい過ぎるかなと最初は思ったんですけど、割とすぐに慣れて、これはこれですごくいいなと思うようになりました。

私はまったく違和感なかったけどね。最初は音源だけを聴いたから、クロさんが歌っているのはわかったけど歌詞は吉田くんが書いているのだろうと思いましたから。

吉田:それはうれしいですね。

西田:歌詞にかぎらず、バンドのすべてをコントロールするのはムリだと思うんですよ。ドラムのチューニングとかベースの弦のどのポジションでEを弾くかなんて、なかなかこっちで全部は決め切れないけど、みんな吉田ヨウヘイgroupのなかでならどうすべきかということを今回やってくれているんですよね。いままでに較べたらそういった部分がすごく多いし、レックを二回にわけて、最初にできあがった音がよかったから、それでいいんじゃないといって後半に臨めたのもよかったですね。そのぶん余白みたいなものをのこした状態になったところもあって、それまでだと俺たちも細部にこだわっていたのが、もっとなにかいいものを足せないかなとか、ミックスや自分たちのプレイに集中したから単純にはいっているものが増えていると思います。

 といいのこして所用のため西田修大はギターを担いで颯爽と去っていった。12月に予定するレコ発(12月20日渋谷WWW X)をはじめ、たてこんでいる予定にそなえ、ふたりはスタジオでの練習帰りに取材に応じてくれていたのである。のこされた吉田ヨウヘイはもっていたギターを全部下取りに出して購入したご自慢のギブソン335への愛を蕩々と述べる。取材はすでに終了しているが、四方山話はひきもきらない。サブカルチャーに耽溺した人間にとって音盤コレクションや本棚がいかに聖域だったか、メタルのドラマーは凄く好きな人が多い訳ではないが、そのなかでミスター・ビッグのパット・トーピーは図抜けていた、いやあれはハードロックだから、でも彼はインペリテリにいたからメタルですよ、やっぱりいちばんかっこいいのはロリンズ・バンドみたいなバンドですよね、いややっぱりハイナー・ゲッベルスだよ、そもそもぼくは中学のときアルバート・キングの『ブルース・パワー』がほしくて近所のCD屋に毎日通い詰めたら哀れんだお店の方にPヴァインのカタログをいただいたんです、それなら私は――というテッペンまわった居酒屋さながら蜿蜒とくりひろげた会話から吉田ヨウヘイの歌詞への考え方を抜粋して以下に記す。

ぼくはあんまり強いこと言ったりDVなんて絶対できないけど、すぐ怒ったりしそうなやつのほうがモテるみたいな矛盾は日常生活でも映画とか見てても感じたり。そういうなんというか描きにくい曖昧なとこを描きだそうとしてみたらうまくいったことがあって。 (吉田)

私は吉田くんの歌詞には独特の不安定さがあって好きなんですが、歌詞を自己分析されたことはありますか。

吉田:音楽の音符とかリズムに対しては分析的な視点が自然と出てくるんですけど、たとえば映画だとカメラアングルとかカット割りとかまったくわからないんですよ。プロットがどうだとか。楽しむためでも、ロジカルな視点がいっさいはいってこなくて、ただ受け入れて、よかった、よくなかったで終わっちゃうんですよ。歌詞も自分のなかではずっとそうで、なんとなくいい、わるいくらいしかなくて、つみあげていけるものがないから、外から学ぶことができないんです。そうすると歌詞については自分の手法を洗練させるしかなくて、ことばにするに足るものと考えたとき、それに値するのは不安定さだったりするんです。ぼくの思っている不安定さって、日常会話で「俺こんなことを思っているんだよ」、って繰り返しいっちゃったら嫌われるヤツというか。曲という1年に一度ぐらいのアルバムの発表のタイミングにしか外に出ないことばで、音源というかたちでプレゼンテーションするなら出していいかなと思うんです。たまにしか出さないなら光るもの、そういったマテリアルがあると思っていて、自分はほんとうは話したいけど遠慮していることを歌詞というかたちで掬うとうまくいくなとある時期から思いはじめたんです。

ある時期っていつ?

吉田:このバンドをはじめてからです。三十になるちょっと前にはじめたんですけど、それぐらいからです。西田に「もうちょっと歌詞に起伏があったほうがいいんじゃないか」といわれていて。だから起伏を起こすときに自分がとれる手法として不安定さを象徴する場面をおりこんでいくとうまくいくなと思うようになりました。

題材は日常にありますか。

吉田:たとえば“chance”なら知り合いの女性がイギリス人と結婚して、もとの姓名の間にイギリス人のミドルネームが入ったんです。名前がおんなじまま、英語のミドルネームが追加されるって凄いな、どういう心境の変化なんだろう、と思ったことがあって。“chance”の歌詞は、それをディテールにして、鬱屈しているのを外国人と結婚して名前をマイナーチェンジして心機一転する、みたいなイメージで書きました。

吉田くんは、日本語で書く制約は世代的にも感じないですよね、きっと。

吉田:でも聴いたひとから字余りがあると指摘されたことはありますよ。

それもいいところだと思うけどね。

吉田:自分では制約は感じていなかったんですけど問題を指摘されることはあったので、今回はちょっと意識して、西田にも相談して大丈夫なんじゃないといわれたので許容できる範囲におさまっているといいなと思うんですけど。

字余り感もさほど気にしていなかったと。

吉田:ユーミンのメロディも英語で歌うとああいうメロディにはならないと思うんです。言語感覚から出てくるメロディは絶対あると思っていて、ユーミンっぽいメロディや細野さんの『HOSONO HOUSE』のときのメロディなんかは日本語でないと生まれないメロディで、そっちのほうに憧れているところがあるので日本語の制約は感じていないです。

作詞家で憧れているひとはいないんですか。というか、さっきの話だと作詞というものを分析することはないということか。

吉田:松山猛さん、松本隆さんは大好きです。自分も「一張羅の涙」みたいなことばを本当は書きたいんです。なにを言っているかよく分からなかったり、用法は正しくないけど素敵でイメージの広がりがあることば。それをやるには、本来その名詞を形容しない形容詞を前にもってきてハッとさせるという手法があるのは理解しているんです。でもそれには語彙が必要で、自分は語彙を身につけようと生きてきたのにぜんぜん身につかなかったんです。

編集の仕事もやったことあるんだから語彙はあるでしょう?

吉田:(苦笑)。語彙の部分で大事だったのは例えば「行く」ということばを使うときにあまり多用しないで同じ意味の別の言葉に書き換えるとか、そういったことだったんですよ。ふつうのひとが使わないことばは逆に使っちゃいけなかったんです。日常的なことばでスノッブじゃないように書くのが大事なので、それに慣れた自分にはそういった淡々としたことを書くほうが向いていました。

淡々としたことばの使い方でも、でも私が読むとおもしろいことばづかいを吉田くんはすると思うんですよね。たとえば、「動く」を「動き」にするように動詞を名詞化するのは語彙があると「律動」とかそういった難しいことばになっちゃうんだけど、そうしないことで動詞と名詞が二重化してことばの世界が厚みを増すというかね。

吉田:豊富な語彙を諦めてからは、逆に自分の歌詞の世界だと難しいことばが出てくると浮いちゃうので、そういったことばは使わないようにはしているんですよね。

たとえば微熱少年がいるなら平熱の淡々とした風景のよさもあると思うんですよ。

吉田:歌詞については、『ar』では書いたあとの感覚が前とはちがっていたんです。3枚目まではあえてほとんどの曲をラヴソングにするようにしていたんです。というのも、歌詞に起伏をつけるには女の子を主人公にしたラヴソングだとやりやすいと気づいたんです。ぼくはあんまり強いこと言ったりDVなんて絶対できないけど、すぐ怒ったりしそうなやつのほうがモテるみたいな矛盾は日常生活でも映画とか見てても感じたり。そういうなんというか描きにくい曖昧なとこを描きだそうとしてみたらうまくいったことがあって。

そういうことあるのかな、あるのかもねえ。

吉田:一回自分を完全に離れるからお話が作りやすいのかもしれなくて。身勝手なひとを好きになってしまうというような起伏の作り方だと歌詞がまわっていくなと思っていて、前回まではそれをモデルケースに書いていたんですけど、今回それをいつのまにか忘れていたのか、危ない場面を書こうとしなくても詞としての危なさが勝手にはいるように書けるようになっていた感じがして。

最初にいった不安定さを嗅ぎつける能力が恋愛にかぎらなくなったんじゃないかな。

吉田:感覚的にはそうですね。

セカイ系という言い方はかなり前の流行り言葉で、オタク的な文脈で使われることが多いけど、吉田くんの歌詞にはそれと似た空間性があると思いました。なにかが起こるかもしれない不安定さを皮膜一枚向こうに感じているような。

吉田:セカイ系って全体感ではなく一対一の関係が大事になってしまうということですか。

一体一の関係の背景があるという意味では全体感というより遠近感でしょうね。

吉田:ぼくは会話に没入したいんだけど周辺視野のことが気になってしまう、その場面のイメージはめちゃくちゃ強いですね。

おそらくそうだろうね。そうしてふとした所作の意味を考えてしまう。

吉田:喫茶店で大きな声で別れ話をするのはイヤみたいなのがあるかもしれません(笑)。ほんとはそんなこと考えずに相手の話に集中しないといけないはずなのに、周りがなぜか見えてしまう、みたいな(笑)。そういうのが詞の原動力になっているかもしれないです(笑)。

私はそんなとき、超越者の審判がくだされたと感じますが、それはさておき、吉田さんの歌詞では作中人物がよく後悔しますよね。夜考えていたことが朝起きると色褪せて思えるような感じ。

吉田:レイモンド・カーヴァーが好きなんですよね。予想よりわるいことが起きてそのまま終わるような話が多いじゃないですか。ぼくは自分の歌詞についてはできるだけハッピーエンドで終わらせようと思ってますけど。レイモンド・カーヴァーですごい好きな話が、夫婦喧嘩してる時に冷蔵庫が壊れて、冷凍したものとかがどんどん溶けてきちゃって、もういろいろ最悪っていう。

ほかに作家で好きなひとはいますか。

吉田:ヴォネガットです。ぼくは小説も分析的に読めなくて、どうして文学があるとか、ぜんぜんわからなかったんですが、ヴォネガットの『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』を読んだときに、いろいろやって最後子ども全員育てるじゃないですか。おそらくテーマは「ひとにはやさしくしよう」っていう凄いシンプルなことなのに、それをそのままいってもだれも聞いてくれない、でもこういうことがあるからやさしくしなくちゃいけないんだよいうメッセージを伝える。「ひとにはやさしくしよう」という一行のことを人の胸に響くように伝えるためにディテールがいろいろ必要で、それがこの小説なんだと感じたんですよね。歌詞でもその形式に則ることにしています。この歌詞のいいたいことはこれ、もちろん具体的に言い切れることじゃない場合もありますよ、でもそのうえで、これをいうにはそれが説得力をもつ文脈をつくらないと伝わらないと思い、それにはディテールへの共感がいるという観点からつくっています。“1DK”だったら一緒に暮らしてしあわせだったのが、あるきっかけでキツくなってきてそれをなんとかしたいというストーリーを設定していて、それに説得力をもたせるには、ふたりの喧嘩を描くのではなくて、家に行ったら仲がわるいのがまるわかりじゃんという状況を書くほうが共感度高いと思って。村上春樹を読んでいるときに思ったんですが、村上春樹の読者は小説のなかで起こっていることが、「これは自分にしかわからないことを書いてくれている」と思っている気がするんです。ただ、実際は100万部とか売れるわけだから、そう考えているひとが100万人いる。自分にしかわからないようにみえる表現というのがあって、歌詞を書くときはできるだけそういうものにしたいな、と思っています。

たとえばフィッシュマンズなんかはそうだったと思うんです。大勢いるんだけど舞台の上の佐藤伸治と一対一で向き合うようなありかたは、不特定の他者との共感が主流になるとなかなかなりたたない。最後に吉田くんのなかにロックシーンだけじゃなく日本の音楽の現状に対して思うことはありますか。

吉田:ぼくはほんとうに不満を感じないほうですね。ぼくの場合、本来才能に恵まれているのに世に出られなかったわけじゃなくて、二十歳ぐらいのときの音楽を聴くとじっさいにクオリティが低いんですよ。ふつうにクオリティが低くてライヴハウスで怒られていた(笑)。三十でようやくインディーズで出せるようになって。自分の実力と聴くひとの数が印象のなかではほとんど乖離していないんですよ(笑)。(了)

Mica Levi - ele-king

 いくつものサウンド・エレメントが接続・編集・加工されるミュジーク・コンクレート的な手法を援用しながら、「シネマティック=映画的」な感覚/情感の音楽/音響作品を構築する。2017年のエクスペリメンタル・ミュージックにおいて、そのような映画的なムードを感じさせる作品(アルバム/EP)がいくつもあった。
 それらは皆、音響的には複雑で、多層的で、ときにノイジーですらあっても、しかし聴感上は静謐だった。たとえば坂本龍一の新作『async』における「非同期」の概念とも交錯する。音、音楽、微細なノイズ、楽音などが、まるで映画のシークエンスのように、それぞれが別の層に、イマジネティヴに展開されているのである。
 そもそもミュジーク・コンクレート的な技法を援用することは(サンプリング全盛期の90年代コラージュとの差異だろう)、ヴェイパーウェイヴ~ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー以降、トレンドになっていたし、2010年代のフィールドレコーディング・ブームなども、この「シネマティック=映画的」へと繋がる潮流ともいえるだろう。

 しかし違う点もある。いくかの作品において極めてSF的/終末論的なムードが展開されていたのだ。これは2010年代的なインダストリアル/テクノなどのダークなムードを継承した結果といえよう。「世界の終わり以降の世界」へ。これはドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の映画『ブレードランナー2049』と共通するムードでもある。
 映画『ブレードランナー2049』は、『ブレードランナー』のように巨大な虚構世界から消えることのない大きな影響を受けた「子どもたち」(その影響を受けた作家、作品、無数のエピゴーネン、その観客のことだ。そう、われわれは「セカンド・チルドレン」「サード・チルドレン」なのだ)が、しかし、自分たちすべては「その本当の子」ではないという悲しみの映画である。そこにおいて人間/レプリカントの差異は無化してしまう点がポイントだ。主人公「K」もわれわれも正当な「子=続編」になりえないのだ。根拠は最初から剥奪されている。
 根拠を消失したヒトは衰退している。安易な快楽を注入し、遺伝子改良食品で生き延びる。未来都市を濡らす雨はヒトの涙のようだし、降り続ける雪は彼らのヒトの哀しみの結晶である。「涙」も枯れ果てた世界には乾いた砂塵が舞うだろう。そう、『ブレードランナー2049』は、巨大な歴史(文明と文化と科学)以降を生きる「ヒト」たちの「根拠なき生」の哀しみを、映像と音響の力を余すことなく使いながら、まるで約3時間の詩のように構成した映画なのである。

 さらに注目すべきは、そのような世界観/映像を表現するための音楽として、ドローン/ノイズ、アンビエント・サウンドが採用されていた点だ。『ブレードランナー2049』の音楽は当初、ヴィルヌーヴ監督と『ボーダーライン』『メッセージ』などの傑作でタッグを組み、素晴らしい音楽/音響世界を生み出したヨハン・ヨハンソンが手掛ける予定であった。が、しかしその後、ハンス・ジマーも音楽陣に加わったとアナウンスされ、結局、ヨハン・ヨハンソンは降板となり、ハンス・ジマーに一任されることになった。
 この変更には一抹の不安を抱いてしまったが、さすが現代ハリウッドの随一の音楽家の仕事である。完璧だ。この映画の音楽を、オウテカ以降の逸脱するテクノロジカル・ミュージックとしての2010年代的なエクスペリメンタル・ミュージックの潮流に組み込むことは決して不可能ではない。
 ゆえに私は『ブレードランナー2049』の世界観とムード、そして音楽/音響は、2017年の「シネマティックなエクスペリメンタル・サウンド」を考えるうえで重要なポイントと考えている。これらは同時代の作品なのだ。

 ミカチューことミカ・レヴィの新作『Delete Beach』も、そんな2017年的なムードを濃厚に持っているシネマティックな音響作品であった。もともとは日本人アニメーターが参加したノルウェイの短編SFアニメーションであり、本作はそのサウンドトラックである。
 短編SFアニメーション『Delete Beach』は、フィル・コリンズ監督と日本人アニメーター江口摩吏介による作品。制作には日本のSTUDIO 4℃も関わっているという。江口は1985年の杉井ギサブロー監督作品で、細野晴臣が音楽を手掛けた『銀河鉄道の夜』の作画監督を務めたベテラン・アニメーターだ。
 そしてミカ・レヴィにとっては『アンダー・ザ・スキン 種の捕獲』『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』に続く映画音楽の仕事となる。ハリウッド大作ともいえる前2作から日本アニメの「意匠」をまとった外国人による監督のアーティスティックな短編アニメという振れ幅が実に興味深い(ミカチューとしてインディペンデントな活動も展開するミカ・レヴィの魅力だろう)。リリースはデムダイク・ステアが主宰する〈DDS〉から。マスタリングは名匠マット・コルトンが手がけている。

 『Delete Beach』の作品世界の設定はSF/ディストピアなムードに満ちており、とても魅力的だ。舞台は「無炭素社会」になった地球の未来世界。そこにおいて「レミングス=バーナーズ」という反資本主義組織の活動に身を投じた少女が主人公である。「バーナーズ」は炭素由来の燃料が違法になった世界において、「オイルによって「スローバー」を描いてまわる」組織のこと。この「オイルの完全なムダ使い」がバーナーズからの欺瞞と搾取に満ちた世界へのメッセージらしい。本音源の中で彼女は語る。

私は飛ぼうとした。そして失敗した。地下組織の同志たちに合流して、時間と共にオイルになろうとしてた。海底のパラレルワードとも呼ばれる場所で。旅立って新しい元素として生まれ変わろうと思った。そのつもりだった。

 ミカ・レヴィによるこのサウンドトラックは、単に音楽を収録したものではなく、主人公である少女のモノローグが日本人声優によって語られ、そこにインダストリアル/ノイズなダーク・アンビエントな音響が映画の進行のように展開する音響作品となっている。
 ディストピアSFを思わせる世界観のダイアローグ/ナレーションとノイズ/インダストリアルなサウンドのマッチングが素晴らしく、聴いているだけで世界観の中に没入できる。インダストリアル/ノイズなサウンドにこのような方法論があったのかと驚いたほど。アニメ+ミュジーク・コンクレートだ。
 アルバムには日本語版“Delete Beach (Japanese)”に加えて、本編のサウンドから抜粋されたチェロの低音に電子音/ノイズを走らせるトラック“Interlude 1”、セリフを抜いた“Delete Beach (Instrumental)”、ミニマルで不穏な旋律と音響の“Interlude 2”、英語版“Delete Beach (English)”が収録されている。

 この『Delete Beach』は、ディストピア的な世界で存在の無根拠と生に引き裂かれる少女の存在と言葉を通じて、ポスト・インターネット社会・世界の不穏を想起させる極めてアクチュアルな作品に思えた(日本公開が待たれる)。

 そして、『Delete Beach』と同じくSF映画的なムードを放つアルバムが、謎に満ちたベルギーのサウンド・アーティストObsequiesのデビュー・アルバム『Organn』である。リリースは、〈Planet Mu〉傘下で、あのヴェックストのクエドが主宰する〈Knives〉。

 フランスの詩人ロートレアモンの詩「Les Chants de Maldoror」からインスピレーションを得たという本作は、電子ノイズ、そしてダーク・アンビエントの痕跡のような音楽的エレメントが、霞んだ空気感の中で交錯している。まるで21世紀初頭に復活したロマン主義者の深層心理の彷徨のように。レーベルからは「愛と二重性についての記録」とアナウンスされているが、電子ノイズ、アンビエント、インダストリアル、微かな楽器音などが、ときに複雑に、ときに細やかに、ときにノイジーに、ときにロマンティックに、しかし大胆に、繊細にコンポジションされていくことで、21世紀も都市生活者の実存的な不穏と不安を音響化していく。A4“Asthme”の掠れるような声と暴風のようなノイズの交錯は、孤独な魂の声にならない叫びのようにも思えた。その意味で2013年にリリースされたジェームス・レイランド・カーヴィーによるザ・ストレンジャーがアルバム『Watching Dead Empires in Decay』で展開した都市生活者の孤独な魂が憑依・継承したかのような作品だ。
 もしくは、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーの『ガーデン・オブ・デリート』以降の音響世界だろうか。『ガーデン・オブ・デリート』の音響空間は、バラバラに分断した世界を、ジャンクな音楽要素をコンクレートしていくことで、「引き裂かれた世界」を音響化/音楽化するようなムードがある。リリースから2年を経過した現在のエクスペリメンタル・ミュージックは、さらにディストピアな感覚を継承し、新たな音の結晶体として統合するかのような音響/音楽に変化を遂げているのだ(『ガーデン・オブ・デリート』がいかに重要なアルバムであったことか!)。

 そう、『Delete Beach』や『Organn』は、ダークな世界観のSF的ナラティヴによって、われわれ聴き手にロマンティックな哀しみ/悲しみの美学を生成し、人の荒んだ心を沈静化する力を持っている。これらの音楽/音響には、「終わりの世界以降の世界」を生きる「子」たちの悲哀があるのだ。『Delete Beach』と『Organn』が、映画『ブレードランナー2049』と同じ2017年にリリースされたことはやはり重要だ。かたやハリウッド大作、かたやインディペンデントの音響作品と、その規模も表現方法はまったく違いながらも、両極において同時代のムードが紛れもなく共有されているのである。優れた芸術作品は時代の無意識を反映してしまうものなのだ。

interview with Nick Dwyer (DITC) - ele-king

制限のあるなかで音楽を作らなければならなかったという点、いかに限られたテクノロジーのなかで境界線を押し広げていくか、という挑戦のようなところが魅力でもあった。


Various Artists
Diggin In The Carts

Hyperdub / ビート

Electronic8bitSoundtrack

Amazon Tower HMV iTunes

 たしかにデトロイト・テクノだ。デリック・メイも入っていれば、アンダーグラウンド・レジスタンスも入っている。『ベア・ナックル』シリーズ第1作のサウンドトラックを聴いてそう思った。スコアを担当した古代祐三は当時、西麻布のYELLOWでデトロイト・テクノを耳にし、そこで受けた影響をそのサントラに落とし込んだのだという。ときは1991年。URが「The Final Frontier」や「Riot EP」、「Punisher」といった初期の代表作を矢継ぎ早にリリースしていた頃である。当時のURの音源は『Revolution For Change』という編集盤に、また同時期のジェフ・ミルズやロバート・フッド、ドレクシアらのトラックは『Global Techno Power』というコンピレイションにまとめられているが、興味深いのは、それらをリリースした〈アルファ〉が『ベア・ナックル』のサントラを世に送り出したレーベルでもあったということだ。デトロイトのテクノと日本のゲーム・ミュージック――一見かけ離れているように見える両者の間に、そのような繋がりがあったことに驚く。
 でもそれはきっと偶然ではないのだろう。われわれがゲームをプレイするとき、そのBGMの作曲者やトラックメイカーに思いを馳せることは少ない。だが、それが音楽である以上必ず作り手が存在するわけで、となれば、その作り手がその時代の音楽からまったく影響を受けないと考えるほうが難しい。同時代の海外の音楽を貪欲に吸収し独自に消化していたからこそ、『ベア・ナックル』はその海外のリスナーたちの耳にまで届き、フライング・ロータスやハドソン・モホークといったいまをときめくプロデューサーたちの音楽的素養の一部となることができたのだと思う。

 このたび〈Hyperdub〉から届けられたコンピ『Diggin In The Carts』には、その古代祐三を含め、80年代後半から90年代前半にかけて制作されたさまざまなゲームの付随音楽が収められている。8ビットや16ビットで作られたそれらの楽曲は、たしかにレトロフューチャーな趣を感じさせるものでもあるのだけれど、そこはさすが〈Hyperdub〉、たんにノスタルジックだったりキャッチーだったりするトラックには目もくれない。もっともわかりやすいのは細井聡司“Mister Diviner”のライヒ的ミニマリズムだが、背後のノイズが耳をくすぐる蓮舎通治“Hidden Level”や、複雑に刻まれた上モノが躍動する吉田博昭“Kyoushin 'Lunatic Forest”、「これ本当にゲーム・ミュージック?」と疑いたくなるようなテクノ・サウンドを聴かせる新田忠弘“Metal Area”など、その選曲からはコンパイラーの強いこだわりを感じとることができる。藤田靖明“What Is Your Birthday?”なんて、「今年リリースされた新曲です」と言われたらそう信じ込んでしまいそうだ。
 ありそうでなかったこの斬新なコンピは、いったいどのような経緯で、どのような意図のもと編まれることになったのか? 3年前に公開された同名のドキュメンタリー・シリーズ『Diggin In The Carts』の監督であり、本盤の監修者でもあるニック・ドワイヤーに話を伺った。

 

機械のひとつひとつがそれぞれ性格の違う命を持っていて、それが泣いたり歌ったりして音を出しているというような感じがするんだよね。8ビット時代のそういった音に僕とコード9は魅力を感じていたんだ。

まずは、ニックさんの簡単なプロフィールを教えてください。

ニック・ドワイヤー(Nick Dwyer、以下ND):たくさん喋ってしまいそうだから、短くするね(笑)。僕はニュージーランド出身なんだけど、ずっと音楽に興味を持っていて、新しい音楽を発見することも大好きなんだ。14歳のときに自分のラジオのショウを持つようになって、15歳のときには音楽番組のTVプレゼンターをやるようになった。そのあとDJも少しやるようになったんだけど、『ナショナル・ジオグラフィック』のチャンネルでいろんな世界の音楽や文化を紹介するTVシリーズを手がけることになったんだよね。そのドキュメンタリーはニュージーランドの有名な曲をガーナやトリニダード・トバゴ、日本、ジャマイカなどに持っていって、現地のミュージシャンにカヴァーしてもらうという内容だったんだけど、それと同時に、その地域のアンダーグラウンド・ミュージックや文化を紹介するということもやっていた。それがいろんな音楽を深く知っていくきっかけになったんだ。日本に引っ越してきたのは3年前なんだけど、日本の素晴らしい文化をドキュメンタリーで伝えたいと思って、『DITC (Diggin In The Carts)』を始めたんだ。それから3年かかって、やっと今回のコンピレイションをリリースできることになって、ライヴ・ショウもやることになった、という流れだね。

なるほど。日本の文化を伝達しようと思ったときに、ゲーム音楽に着目したのはなぜですか?

ND:ニュージーランドに住んでいた7歳のときに、コモドール64というコンピュータを母が買ってくれて、それで初めてゲーム音楽に触れたんだよね。それまでの自分の人生で初めて――といってもまだ7年だったけど――ああいう音楽を聴いたんだけど、その音に衝撃を受けて興味を持つようになったんだ。兄のカセットテープを使ってそのゲームの音楽を録音して聴くくらい大好きだった。そのあと11歳のときに、兄が仕事で日本に行くことになった。兄は苗場で働いていたんだけど、ニュージーランドに戻ってくるときにスーパーファミコンを買ってきてくれたんだ。それが自分の人生を変えたね。メニュー画面が読めなかったから、ひらがなとカタカナを勉強した。それから学校でも日本語を勉強するようになった。あと、僕の家がホームステイをやっていたので、日本から子どもたちが泊まりに来ていたりしたんだけど、その子たちは世界のどの家庭にもスーパーファミコンのゲーム機があると思っていたのか、ゲーム(・ソフト)を持参していたんだよね(笑)。ニュージーランドにスーパーファミコンはなかったので、その子たちはラッキーなことに、ニュージーランドで唯一(スーパーファミコンを)持っている家に来たわけだ(笑)。みんな必ずロールプレイング・ゲームの『ファイナルファンタジー』や『ドラゴンクエスト』を持ってきていたから、そういうゲームに触れるきっかけができた。その音楽が美しくて、そこから興味を持つようになったんだよね。それが僕とゲーム音楽の出会い。

ニックさんはいまおいくつなんですか?

ND:37歳だよ。(日本語で)大丈夫? 大丈夫? ビックリした(笑)?

(笑)。では本当にゲーム直撃の世代なんですね。

ND:そうだね。ただ、もちろん『ファイナルファンタジーVI』や『クロノ・トリガー』、『ドラゴンクエストVI』なんかの音楽も大好きだったんだけど、僕はラジオやTVショウをやっていたし、レコード店で働いていたこともあって、ゲーム音楽に限らず日本の音楽全般に興味を持つようになったんだよね。ラジオでピチカート・ファイヴやユナイテッド・フューチャー・オーガニゼイション、キョウト・ジャズ・マッシヴ、ケン・イシイとかをかけるようになって、より日本の文化を好きになっていったんだ。いちばん大きかったのは、2010年に『ナショナル・ジオグラフィック』で東京に関する(ドキュメンタリーの)エピソードを作ったことだね。そのときに日本の歴史を調べて、田中宏和さんや下村陽子さんといった作曲家についても知ることになった。その頃には自分でも音楽を作るようになっていたから、年に1、2回日本へ行くときはクラブへ足を運ぶようにしていたんだけど、それと同じように秋葉原のスーパーポテトなんかのゲーム店でヴィンテージのゲームをディグして、それをニュージーランドに持ち帰ってサンプリングして、自分の音楽に使っていたんだ。それで、まだ日本から持ち出されていない名作がたくさんあることがわかったから、今回ドキュメンタリーを作る際に、そこにスポットライトを当てたいと思ったんだ。
 今回〈Hyperdub〉という素晴らしいエレクトロニック・ミュージックのレーベルからコンピレイションを出せることになってすごく光栄だったし、やるからにはしっかりやらなきゃいけないと思って、8ビットと16ビットの音楽はすべて聴いた。だからこそ時間がかかったね。

〈Hyperdub〉からリリースすることになったのはどういう経緯で?

ND:理由はいろいろあるけど、そのひとつに〈Hyperdub〉がエレクトロニック・ミュージックをちゃんと評価してリスペクトしているレーベルだから、というのがあるかな。コード9は新しいエレクトロニック・ミュージックのパイオニア的存在だしね。もうひとつの理由として、コード9が(『DITC』の)コンセプトをちゃんと理解してくれていたということもある。それは、このコンピレイションのコンセプトはノスタルジアではない、ということなんだよね。『マリオ』や『ソニック』、『ファイナルファンタジー』のような人気ゲームのグレイテスト・ヒッツを作るわけじゃなくて、やっぱりエレクトロニック・ミュージックとして日本のゲーム音楽の歴史のすべてを聴いて、そのなかから自分たちが新しいと思うものをコンピレイションとしてまとめたかったんだ。そのことをしっかり理解してくれていたのがコード9だった。
 あと、〈Hyperdub〉というレーベル自体が日本の文化に影響を受けているレーベルだということもあるね。たとえばデザインだったり、所属しているアーティストに日本のゲーム音楽から影響を受けている人が多かったり。彼らの音楽から日本のゲーム音楽の良い影響を聴き取ることができる、というのも理由のひとつだね。

たしかに、〈Hyperdub〉からはQuarta 330などチップチューンのアーティストのリリースもありますよね。

ND:そのとおり。(コード9の)“9 Samurai”のリミックスもそうだね。チップ時代の音楽のどこが好きかという点で、僕とコード9は共通していると思う。サウンド・パレットが大好きで、いい意味で安っぽい感じだったり、パチパチした音の質感だったり、ふたりともそういうキラキラした感じの音が好きなんだ。とくに8ビット時代の初期の頃。当時の音は、いまでは逆に未来的と感じられるような音だと思うんだけど、機械が自ら音を出しているような感じというか、機械のひとつひとつがそれぞれ性格の違う命を持っていて、それが泣いたり歌ったりして音を出しているというような感じがするんだよね。8ビット時代のそういった音に僕とコード9は魅力を感じていたんだ。

つまりリズムやメロディよりもテクスチャーに惹かれる、ということですか?

ND:魅力はたくさんあると思う。僕が魅力を感じている日本のゲーム音楽がなぜこんなにユニークなのかというと、やっぱりゲーム音楽のクリエイターたちがYMOや当時のジャパニーズ・フュージョン、カシオペアやT-SQUARE、あと久石譲さんの『風の谷のナウシカ』なんかで聴くことのできる暗い雰囲気の映画音楽とか、そういう音を聴いて影響を受けたからだと思うんだ。アメリカやイギリスではそういった音楽が存在しなかったので、彼ら(アメリカやイギリスのアーティスト)とは違うものを作ることができているんだよね。やっぱりそこがおもしろいところだと思う。チップ時代の音楽はパイオニアだと思うんだけど、制限のあるなかで音楽を作らなければならなかったという点、いかに限られたテクノロジーのなかで境界線を押し広げていくか、という挑戦のようなところが魅力でもあった。オーダーメイドのプログラムや性格の違うチップを使って、いかに他と違うものを作るかというところが素晴らしかった。でもCDの時代になってしまってからは制限がなくなってしまって、ゲーム音楽を作る人がふつうの音楽も作れるようになってしまった。それが悪いことだとは言わないけど、ちょっと魅力が失われてしまったように感じるね。それについては僕もコード9も同じように感じていた。このコンピレイションで何を見せたかったのかというと、日本の素晴らしいゲーム音楽というものを、日本から生まれたエレクトロニック・ミュージックとして提示したかった、ということだね。

欧米の方たちがこういった日本のゲーム音楽を聴くときは、やはり日本らしさやオリエンタルなものを感じとったりするのでしょうか?

ND:日本の70代後半から80年代前半や90年代の初めのバブルの頃って、すごくエキサイティングな音楽が生まれた時代だと思うんだよね。日本自体もおもしろかったし、その時代に素晴らしいシティ・ポップや、角松敏生さんや山下達郎さんのような素晴らしいアーティストがたくさん生まれていったと思うんだけど、日本は島国ということもあって、そういった音楽を国内だけで消化していったと思うんだよね。やっぱり言語の壁もあったと思うし。でも、いまになって海外の人がYMOを知ったり、ミニマル・ミュージックの高田みどりさんが60歳を超えたのにも拘らずアルバムをリリースして(註:リイシューのことと思われる)世界ツアーをやったり、『サルゲッチュ』で知られている寺田創一さんも80、90年代には素晴らしいハウス・ミュージックを作っているアーティストで、彼もいま世界ツアーをしていたりする。あと清水靖晃さんも最近作品をリリースしたばかりだし(註:こちらもリイシューのことと思われる)、いまになって初めて世界の人たちが日本の素晴らしい音楽を知り始めているところなんだよね。(そういった流れを)このコンピレイションからも感じることができると思う。
 それで、僕もスティーヴ(・グッドマン、コード9)も今回やりたかったことがあって。たとえばYMOが70年代の後半にリリースした音楽――とくにファースト・アルバムとセカンド・アルバムだね――は、チップを楽器として取り入れて新しいエレクトロニック・ミュージックを作り上げたと思うんだけど、その延長として、日本で作られたチップとシステムを使って、ゲーム音楽としてだけでなくエレクトロニック・ミュージックとして素晴らしいものを作った日本の文化というものを表現したかったんだよね。質問の答えになっているといいんだけど(笑)。

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「あれも知らないの? バカじゃないの?」って言われるのが想像できたんだ。だから「絶対にそうは言わせない」と思って、ファミコンやメガドライブ、PCエンジン、MSXなど、20万本のゲームの音楽を6ヶ月かけてすべて聴いたんだよね

先ほど「制限のあるなかで作られたところがおもしろい」という話が出ましたが、制限がなくなってしまってからのゲーム音楽にも興味深いと思えるものはありますか?

ND:魅力が失われてしまったとは言ったけど、もちろんそれですべての魅力が失われたとは思っていないよ。でもとくに最近のゲーム音楽というのは、クラシックやジャズ、ロックなんかだったりするから、いわゆる「ゲーム音楽」ではないんだよね。言い方は良くないけど、ロックならただの「ロック」という音楽になってしまっているというか。8ビット、16ビットの時代というのは、チップを使ったエレクトロニックな「ゲーム音楽」だったんだよね。そこがユニークだったと思う。今回のコンピレイションやヴィデオを作っていて、32ビットや64ビットのCD時代のセガ(サターン)やFM TOWNS、NINTENDO64やPlayStationの音楽にも触れてみたんだけど、そこから素晴らしい音楽を知ることもできた。いまのコンテンポラリーなゲーム音楽については、これからどんどんリサーチを進めて、その魅力に気づいていけたらいいなと思ってる。

最近だとスマートフォン向けのゲームもたくさん出ていますが、そのあたりも追っているんですか?

ND:ここ20年くらいは音楽のドキュメンタリーなどのためにたくさん旅行をしたりリサーチをしたりすることの繰り返しだったから、今回のプロジェクトのために日本のゲーム音楽を調べるようになったのは、ここ4、5年くらいの話なんだ。僕はゲーマーじゃないから、音楽のリサーチを通してどんどん詳しくなっていったんだよ。だからスーパーファミコンだとか、(旧)スクウェアや(旧)エニックスの時代のゲームのほうが影響は大きいね。僕に大きな影響を与えたゲーム機はスーパーファミコンと(初代)PlayStationなんだ。そこから「もっとゲーム音楽を掘り下げたい」と思ったので、ケータイ時代になってからのゲームのことはあまりよく知らないんだ。(いまは)リサーチがたいへんすぎてゲームをプレイするために時間を割けないので、いつかちゃんとプレイしてゲームを知ることができたらいいなと思う。(日本語で)電車に乗ったときは(スマートフォンのアプリで)漢字を勉強していますよ(笑)。

今回コンパイルした曲のゲームすべてをじっさいにプレイしている、というわけではない?


Various Artists
Diggin In The Carts

Hyperdub / ビート

Electronic8bitSoundtrack

Amazon Tower HMV iTunes

ND:すべてはプレイできていないな。でもリサーチはしたから、すべてのゲームに関して理解はしている。ゲーム音楽のファンたちって、とても熱い愛情を持っている人が多いから、そのファンたちに「あれも知らないの? バカじゃないの?」って言われるのが想像できたんだ。だから「絶対にそうは言わせない」と思って、ファミコンやメガドライブ、PCエンジン、MSXなど、20万本のゲームの音楽を6ヶ月かけてすべて聴いたんだよね(註:半年間不眠不休で、1時間あたり46タイトル分ものゲーム音楽を聴く計算になる)。そこからさらに300本のタイトルに絞って、コード9にプレゼンしたんだ。そのあとスティーヴと話し合いをして100本まで絞って、最終的には『グラディウス』、『アルカエスト』、『エイリアンソルジャー』などを含めた34タイトルになった。300本に絞った時点で、ここからさらに絞るためにはタイトルについてのすべてを知っておかねばならない、と思ったんだ。ちゃんと選ぶ基準を知っておかないといけないから、そこからはたくさんゲームをプレイしたし、その300本のゲームはすべて理解したよ。

すさまじいですね(笑)。

ND:(日本語で)ものすごく、たいへんだった(笑)。けど、大切だよね。

ヴィデオ・ゲーム・ミュージックは、たとえば映画のスコアのように、他の何かに付随する音楽なので、音が主役になってはいけないという側面があると思うんですが、その点についてはどうお考えですか?

ND:そのとおりだと思うよ。やっぱり、プレイヤーを疲れさせないループであることを意識して作られている音楽だとは思う。何時間遊んでも疲れないし、飽きない。レベルが上がったときとか死ぬときの音楽が当たり前のものだと飽きちゃうから、それを感じさせないように、(ゲームの)サポートとして作られているのがゲーム音楽の特徴だと思うね。

他方で、いわゆるエレクトロニック・ミュージックの多くは音が主役です。今回のコンピレイションには当然ゲームの要素はありませんので、本来脇役として作られたものを主役として聴かせることになります。つまり本作を編むにあたっては、リスニング・ミュージックとしての側面を意識したということですよね?

ND:そのとおりだよ。まさにそれは意識した部分なんだけど、ただゲームを楽しんでいるだけの若い頃って、その音楽を人が作っているということさえも意識していないと思うんだ。でも『DITC』のプロジェクトでは“ストーリー”をみんなに伝えたいと思っているんだ。(ゲーム音楽からは)フライング・ロータスサンダーキャットも影響を受けているし、ゲーム音楽というものがいかに影響力のある音楽であるかということを伝えたいんだよね。それはただのゲーム音楽ではなくて、チップというものを使った素晴らしいエレクトロニック・ミュージックでもあるという意味で、世界を超えた音楽として世に出したいという気持ちがあった。

ちょうどいま名前が挙がったのですが、『DITC』のドキュメンタリーにはフライング・ロータスやサンダーキャット、ファティマ・アル・ケイディリアイコニカなど、多くのエレクトロニックなミュージシャンが登場しますよね。彼らとはどのようにコンタクトを取っていったのでしょうか?

ND:たとえばフライング・ロータスとは2006年に会ったんだけど、ラジオやテレビで仕事をしていた関係で、彼らがニュージーランドに来るたびにインタヴューしたりしていたんだ。だから長年彼らを知っていたんだよ。彼らとは会うたびに音楽の話をしていたし、彼らがいかにゲーム音楽から影響を受けたかも知っていたんだ。

『ベア・ナックル』は1991年に発売されたんだけど、(コンポーザーの)古代祐三は西麻布のYELLOWでデトロイト・テクノを聴いて、その影響をゲームの音楽に反映させたんだ。

近年はデヴィッド・カナガハドソン・モホークなど、エレクトロニック・ミュージック畑のミュージシャンがゲーム音楽を手がける例も目立ちますが――

ND:最近『Diggin In The Carts』のショウをLAでやって、古代祐三さんや川島基宏さんに出てもらったんだけど、そこにハドソン・モホークが来てくれたんだよね。ハドソン・モホークは彼らの大ファンだったから。そういった日本の作曲家たちを世界に連れていけるのはとてもエキサイティングだよ! ごめん、質問がまだ途中だったね(笑)。

(笑)。ハドソン・モホークもおそらく幼い頃からゲームで遊んだりして、自然とゲーム音楽に触れていたと思うんですよね。

ND:そのとおりだよ! 彼は日本のゲーム音楽の大ファンなんだ! 日本ではあまり有名じゃないけど、セガの『ベア・ナックル』というゲームのサウンドトラックを古代祐三さんと川島基宏さんが手がけているんだよね。来週の金曜日(11月17日)に彼らがLIQUIDROOMでプレイするんだけど、そのときは25年前とまったく同じ音で『ベア・ナックル』の音楽をプレイしてもらう予定なんだ。そのサウンドトラックはハウスとテクノのイントロダクションになった作品でもあるんだけど、日本ではぜんぜん有名じゃないんだよね。でもフライング・ロータスやサンダーキャット、ハドソン・モホークたちはその作品のファンで、海外ではとても有名なんだ。『ベア・ナックル 怒りの鉄拳』(『ベア・ナックル』シリーズ第1作)は1991年に発売されたんだけど、(コンポーザーの古代祐三は)西麻布のYELLOWでデトロイト・テクノを聴いて、その影響をゲームの音楽に反映させたんだ。ハドソン・モホークにいちばん影響を与えたのがそのサウンドトラックで、フライング・ロータスとサンダーキャットにも大きな影響を与えているんだよ。だから(LAのショウは)川島さんももちろんハッピーだったけど、ハドソン・モホークのほうがそのショウを観ることができてもっとハッピーだったんだよね(笑)。

なるほど、そうだったんですね。そういったゲーム音楽で育ったエレクトロニック・ミュージシャンたちが、いまゲームの音楽を制作しているような状況についてはどう思いますか?

ND:とても素晴らしいし、エキサイティングなことだよね!

デトロイト・テクノの話が出ましたが、今回のコンピレイションには80年代後半から90年代前半までの音源が収められていて、その時期はちょうどデトロイト・テクノやアシッド・ハウスが出てきたり、レイヴ・カルチャーが盛り上がったり、あるいはアンビエント・テクノが生まれたりした時期ですよね。その同時代に日本でこのような音楽が生み出されていたことについてはどう思いますか?

ND:YMOやカシオペア、T-SQUAREから影響を受けたユニークなゲーム音楽がすごく日本で流行っている時代に、クラブ・シーンもすごくいいものだったんだよね。アンダーグラウンド・レジスタンスやドレクシア、デリック・メイらは未来を感じさせるベストな音楽を作ったわけだけど、シューティング・ゲームには未来の雰囲気を持った世界観が求められていたから、デトロイト・テクノから影響を受けて未来的なサウンドを作っていた人が多かったんだよね。当時のYELLOWなどのクラブでかかっていた音楽はEDMとは違って、本当に素晴らしいものが多かった。そういうベストな音楽に影響されて日本のコンポーザーたちはゲーム音楽を作っていたんだ。たとえば並木学さんは96年に発売されたシューティング・ゲーム『バトルガレッガ』の音楽を作っているけど、彼の音楽を聴けばそういったサウンドからすごく影響を受けているのがわかると思う。

本作のアートワークを手がけているのは、ケン・イシイやシステム7のMVで知られる森本晃司さんですが、彼に依頼することになった経緯を教えてください。

ND:僕は16歳のときにジャングルやドラムンベースのDJをやっていたんだけど、そのときにレコード店でケン・イシイのアルバムを見つけたんだ。その頃は音楽のテレビ番組をやっていたから、夜遅くのイギリスが稼働する時間まで起きておいて、レーベルに電話をしてその(“Extra”の)ヴィデオを送ってもらったんだ。そのヴィデオは毎回ショウで流すくらい大好きで、トラックとヴィジュアルがリンクしたパーフェクトな作品だと思う。彼の作品の特徴はそのダークな世界観だと思うんだけど、僕もコード9もその世界観が好きだった。今回のコンピレイションは「ゲーム音楽」としてよりも、「現在では失われた当時のエレクトロニック・ミュージック」として楽しんでもらいたかったんだけど、(森本さんは)その雰囲気と未来的な世界観が組み合わさったアートワークを見事にデザインしてくれた。ちなみに(11月17日の)ライヴ・ショウでは、森本さんの過去の作品をバック・ヴィジュアルとして観せながら、コード9がコンピレイションに収録されている楽曲をサンプリングして、みんなの前で新しい音楽を作る予定だよ。素晴らしいコラボレイションになるはず。ケン・イシイさんと森本さんも一緒にやる予定。

それでは最後に、「ゲーム音楽はこれまであまり聴いてこなかったけれど、今回のコンピレイションをきっかけに興味を持った」という人へ向けて、日本のゲーム音楽をどのようにディグすればいいのか、アドヴァイスをください。

ND:いっぱいあるからね(笑)。良くないものもたくさんあるんだよ(笑)。これは本当に! たくさんのバッド・ミュージックを聴いて、たくさんのクソゲーに出会ったよ(笑)。僕はラッキーなことに美しい音楽を見つけられたけど、僕のようなやり方ではやらないでほしいね(笑)。掘り進められないよ(笑)。いちばんはやっぱり、コンピレイションから入ることかな。僕は大量に聴いてそのなかから良いものを選んでいったので、それしかやり方がわからないんだけど、それは気の遠くなる作業だから(笑)。『DITC』のラジオ・ショウを聴いてもらうのもいいと思う。あと、素晴らしいサウンド・チームを抱えた会社があるんだよね。たとえばメガドライブだったら、トレジャーという会社が作っているゲームのサウンドトラックは素晴らしいし、PCエンジンだったらメサイヤ(MASAYA)というブランドが本当に素晴らしいサウンドトラックを出している。あとコナミでMSXのゲームのサウンドトラックを数多く制作したコナミ矩形波倶楽部というチームもある。僕がもっとも素晴らしいと思うのは斎藤学さんの作品だね。斎藤さんはPC-8801のゲームの音楽を多く手がけていたんだけど、22歳で亡くなってしまった。彼は87年から91年まで作曲活動をしていて、とても美しい楽曲を残している。彼の音楽にはノスタルジックな雰囲気があって、サウダージを感じるね。亡くならずにいまも生きていたら、日本でもっとも有名なアーティストのひとりになっていたと思う。彼の音楽は悲しくてメランコリックで、彼の生涯を知るとさらに音楽が重悲しく聴こえるようになるね。とても美しい音楽なんだけど、ちゃんと感情が入った音楽だとも思う。

DYGL - ele-king

 渋谷から明治通りを恵比寿方面に向かって歩いていたら、デイグローのライヴを初めて観た夜の記憶が急に蘇った。もっと暖かい10月の夜で、もっと小さいキャパシティのライヴハウスで、ワンマンではなく複数の出演者が演奏するイベントだった。前日にワイキキ・ビートを観て満足しきった後だったのに、デイグローのライヴがあまりにもフレッシュであまりにも良すぎて、物欲だけが先走ってしまい、聴けもしないカセットテープを買って帰った日。今日はその夜に前を素通りしたリキッドルームでの公演。手元にあるチケットの番号は800を超えていて、キャパシティはその時の約6倍。何だか少し感慨深い。

 今年の4月に待望のファースト・アルバム『Say Goodbye to Memory Den』をリリースした後、長いアジア・ツアーを経て、先週は念願のイギリスでのライヴも成功させたデイグローは、本公演が今年最後の締めくくりのライヴになるとのこと。『Say Goodbye to Memory Den』は以前からデイグローに注目していた人たちにとっては文句なしの見事な出来で、今年の日本のロック・バンドの作品を振り返ってみても、新人バンドと紹介するのも躊躇うような、とにかくその中でも頭ひとつ飛び抜けたクオリティを放つインディ・ロックの名盤だったと改めて思う。発売から半年以上経ってじわじわと自然に浸透していったのも当然の結果で、今夜はこの場所に同じ嗅覚をもった音楽好き達が新しいものを目撃する為に集まっているに違いない。会場に入るとすでにたくさんの人たちが中に押しかけていて、さっきまで寒空の下でコートを着ていたのが噓みたいな熱がこもり、誰もがそわそわとライヴのはじまりを待ち望んでいるのが伝わる。男女比は半々ってところ、半数以上が20代に見えるけれど3〜40代らしき人たちもちらほらといて親近感を覚える。開演時間が過ぎてSEが止まり、メンバーが出てくると同時にわーっと湧き上がる歓声。昨年発売されたEP収録の“I'm Waiting For You”の甘いギター・リフからゆったりとロマンチックにはじまったことが、この素晴らしい夜のひとつの手がかりだったような気がする。

 まだ1枚のアルバムしか出していないバンドというのは、リスナーとしてはそのアルバムを何度も繰り返して気に入れば気に入るほど、曲が足りない、もっとたくさん聴きたいという我儘な欲が出てくるけれど、その代わりライヴでは大体の収録曲の演奏を披露してもらえるのが嬉しいポイント。アルバムとは順番を逆にして“Take It Away”から“Let It Sway"へとすぐに繋がる絶妙な流れは何度観ても盛り上がるし、ギター炸裂のロックな新曲から続いたダブ調の“Boys On TV”あたりはロンドンパンクのようにシニカルで格好よく、さらに力強いバンドアレンジに進化していた“Thousand Miles”はいままで聴いたなかでもいちばん素敵だった。デイグローの曲は短いけれど、ライヴではあまりそう感じさせないように聴かせてくれるのが凄いところ。前回の5月のワンマンで観た時にはノリのいい曲の方が印象に残っていたけれど、今回のライヴでは後半のゆったりとした展開が効いていて、テンポをやや落とした“I've Got to Say It's True”や“Waste of Time”などのシンプルな曲はリズムの一音一音が厚みを増してしっかりとまとまり、この半年の間でこなしてきたライヴの数とともに、演奏力や見せ方がスケールアップしているのが伝わってくる。そして初期の曲“Nashville”の儚く繊細なサウンドと感情的なヴォーカルにその場にいたすべての人が酔いしれているさまは、光が交差した照明の美しさも加わってひときわ胸を掴まれた瞬間だった。スローな音がバンドのいまのモードに近いのだろうか。それともこちらの気分にたまたま合っていたのだろうか。師走のせわしなさから逃れたい気持ちも作用していたのかもしれない。

 アグレッシブな演奏中の姿と違って、MCは言葉を選びながら言いたいことはちゃんと言い、しかし言葉尻は丁寧なのがまたデイグローのいいところで、あと2曲でおしまいなんですけど、と告げた後、世の中への不満やものづくりについての熱意、今日は駄目でも明日は良くなるというようなことを言い聞かせるように話しながら、「いつもスピリチュアルなことを言って笑われている皆さんに捧げます」と残して、“Don't Know Where It Is”と“Come Together”でガレージ・ロックを叩きつけて熱く終わったのにはかなり痺れた。グッド・ミュージックを与えてくれる人たちの何気ない発言や佇まいは、弱った心を少しだけ動かしてくれる。メッセージを受け取った我らがその場で出来ることは、〈ボロボロの靴のまま、あのロックンロールに向かって踊る〉だけ。

 本編終了後に「よいお年を」と言ってステージから消えていき、アンコールを求めてやまない拍手のなかに再び現れて「あけましておめでとうございます!」と明るく挨拶をして笑わせてから「せっかくなので好きなバンドのカバーをやります。」と言うので、てっきり今月20日に発売されるカバー・コンピ盤『Rhyming Slang Covers』に収録されるバズコックスの曲をやるのかと思っていたら、なんとザ・クリブスの“Mirror Kissers”を披露してくれた。開演前のSEでも流れていたし、荒削りでメロディアスなところも共通しているし、デイグローにはクリブスのカバーをして欲しいとかねがね願っていたので、なんて嬉しい誤算だろうとここで感激。そして最後は上がりきったテンションを保ったまま、アルバムのなかで唯一まだ聴けていなかった“All I Want”のイントロに突入する。たちまち明るく照らされた観客は暴動のように感情をあらわにし、何が師走のモードだ知るか、と私も一瞬だけ前言撤回して騒ぐ羽目になった。2度目のアンコールは必要ないくらいの充実感。ライヴ終了後、以前ヴォーカルの秋山君がお気に入りだと紹介していたシェイムの“One Rizla”が会場に流れているのを聴き逃さずに出口へと向かった。

 外に出て、2年前の夜と同じように来た道を反対方向に戻る。相変わらずカセットテープはまだ聴けていないけれど、デイグローの音楽はあの時よりももっとたくさんの人たちの元に確かに届いていて、今日のような日が何度も訪れることを願いながら駅へと向かう私の足取りはより軽く、力強い。いい夜だった。

Various - ele-king

 80年代初頭のブラジル音楽がブライアン・イーノとリンクすることを熱望していたなんて、ちょっと面白いと思わない? まだ軍事政権下のブラジルでは、そもそもコンピュータの輸入に関して制限があった。音楽における電子機材(とくにドラムマシン)に関しては、一般的な見解としてサンバの伝統を損なうということで、それ相応の抵抗があったそうだ。独裁政権と伝統主義の両軸から、エレクトロニックな機材はうとまれていたという。このあたりの興味深い事実関係は、ジョン・ゴメスのライナーに詳しいので、ぜひ読んでいただきたい。素晴らしい研究の成果の断片が読める。すなわち、伝統的な文化に砂をかけることなく、伝統的な文化を無視することなく、しかし外(海外)に開けていく手立てはあるのか……と。つまり、過去や伝統を参照するばかりではなく、海外文化にも積極的に目を向けながらブラジル人としてのアイデンティティを更新することは可能なのか……と。
 なんにせよ『アウトロ・テンポ』は、2017年のベスト・コンピレーション・アルバムである。手短に言えば、1978年から1992年にかけてのブラジルでエレクトロニックな機材を用いて録音された曲を集めたコンピレーションで、軍事政権(1964年から1985年)から民主制に移行する時期の、長引く不況と政治的な不安定さのなかで生まれた楽曲、先にも書いたように、伝統と脱伝統の揺らぎのなかで生まれた楽曲──おもにエグベルト・ジスモンチという、日本でもお馴染みの、冒険心を忘れないアーティストに触発された人たちの楽曲が収録されている。

 驚くべきほど多彩な、いろんなタイプのブラジリアン・テクノ、アンビエント……がある。当たり前だが、電子機材の応用といってもスタイルは幅広いので、たとえば1990年のオス・ムリェーリス・ネグラスによる1973年のジルベルト・ジル“Eu So Quero Um Xodo”のカヴァーは、ディーヴォの“サティスファクション”を思い出さずにはいられないし、イーノへのメッセージを自らのアルバムに記したマルコ・ボスコの1983年の“Madeira II”はベーシック・チャンネルがリオにやって来たかのようなダブで、ナンド・カルネイロによる1983年の“G.R.E.S. Luxo Artezanal”はリズムマシンを走らせながら甘美なギター・アルペジオをミキシングする。
 もう2〜3例を挙げてみよう。ビートルズの“ウィズイン・ユー、ウィズアウト・ユー”をサンバに置き換えたような、サンパウロの実験的ロック・バンド、Os Mulheres Negrasによる1990年の“Só Quero Um Xodó”、同バンドのカンを彷彿させるほどユニークな“Mãoscolorida”もそうとう面白いし、フェルナンド・ファルカォンによる1981年の“Amanhecer Tabajara”やAnno Luzによる1988年の“Por Quê”のような、ミニマル/アンビエント/エクスペリメンタル系の曲も魅力たっぷり……というか、discogsで調べても1枚か2枚で消えている人も少なくないし、当然レコードを集めるだけでも相当な労力/出費がかかっているだろう。

 2017年でより、ますますはっきりしたことのひとつには「分断されている」ことがあると思う。ネオリベラリズムは分断を好む。そういうなかで、イーノとジョン・ハッセルの『第四世界』がふたたび語られはじめていることを興味深く思っている。それはテクノロジーと非西欧の民族音楽との混合によって描かれる「第三世界」を捻った想像上の世界のことだが、ここに収録されているいくつかの曲は、同時代のイーノに共鳴しながら、それをブラジル内部おいて実践してきたことの結実と言える。いろいろなスタイルの音楽が混合されているという点もそうだが、要するに、ここに収められている音楽はユートピアを夢見ているわけだ。

Satoshi & Makoto - ele-king

 ele-kingに寄稿したCHAI『PINK』のレヴューで、「いま、80年代のカルチャーが注目されている」と書いたが、それはエレクトロニック・ミュージックも例外ではない。なかでも特筆したいのは、ヴェロニカ・ヴァッシカが主宰する〈Minimal Wave〉の活動だ。〈Minimal Wave〉は、2000年代半ばから現在まで、チープで味わい深い電子音が映える80年代のミニマル・シンセやニュー・ウェイヴを数多くリイシューしてきたレーベル。いまでこそ、80年代の作品を発掘する流れはブームと言えるほど盛りあがっているが、そんな流れの先駆けという意味でも重要な存在だ。

 そうしたブームは、日本で生まれた音楽を再評価する動きにも繋がっている。この動きに先鞭をつけた作品といえば、ヴィジブル・クロークスが2010年に発表したミックス、『Fairlights, Mallets And Bamboo ― Fourth-World Japan, Years 1980-1986』だろう。細野晴臣やムクワジュ・アンサンブルなどの曲を繋ぎあわせたそれは、ここではない想像上の風景を示すレトロ・フューチャーな雰囲気が漂うもので、時間という概念から解き放たれた自由を感じさせる。
 その雰囲気はさまざまな人たちに伝染した。アムステルダムの〈Rush Hour〉は、パーカッショニストの橋田正人がペッカー名義で残した作品をはじめ、坂本龍一、吉田美奈子、大野えりといったアーティストの作品を再発して大いに注目された。さらに先述の〈Minimal Wave〉も、トモ・アキカワバヤが80年代に残した珠玉のミニマル・シンセが収められた、『The Invitation Of The Dead』をリリースしている。
 変わり種でいえば、ストックホルムを拠点とするナットリア・トゥナーも見逃せない。2016年にウクライナのウェブマガジン『Krossfingers』へ提供したミックスで彼は、アドバルーンス、比企理恵、インプル加工など、80年代のポップスやインディーものを繋いでみせたのだ。彼もまた、〈Rush Hour〉や〈Minimal Wave〉とは違う角度から、80年代の日本の音楽を再評価した1人と言える。

 そして2017年、またひとつ日本のアーティストに注目した作品が生まれた。サトシ&マコトの『CZ-5000 Sounds & Sequences』である。本作は、1986年から日本で活動してきた2人のアーカイヴ音源をまとめたアルバムで、全曲カシオのCZ-5000というシンセサイザーで制作されたそうだ。リリース元の〈Safe Trip〉が選曲し、マスタリングに至るまでの過程もサポートするなど、かなり熱烈なバックアップを受けている。〈Safe Trip〉を主宰するヤング・マルコが、YouTubeにアップされた音源を聴いてサトシ&マコトに連絡したのがリリースのキッカケという物語も、非常にドラマチックだ。
 こうした背景をふまえて聴くと、確かにヤング・マルコが好みそうな音だと感じた。彼はイタロ・ハウス好きとしても知られ、それが高じて『Welcome To Paradise (Italian Dream House 89-93)』というコンピを〈Safe Trip〉からリリースしている。このコンピは、リスナーの心を飛ばすトリッピーなサウンドが印象的で、それは本作にも見られるものだ。さらに本作は、ジ・オーブやYMOを引きあいに語られることも多い。確かに80年代から90年代前半のエレクトロニック・ミュージックの要素が随所で見られ、インターフェロンやフロム・タイム・トゥ・タイムといった、日本テクノ・シーンの礎を築いたアーティストたちの音が一瞬脳裏に浮かんだりもする。

 一方で本作は、2010年代以降の音楽とも共振可能だ。たとえば、本作を覆う夢見心地な音像は、チルウェイヴ以降に一般的となったドリーミーなインディー・ポップとも重なる。エレクトロニック・ミュージックに馴染みがない者でも、サファイア・スロウズや『Visions』期のグライムスなどを通過した耳なら、本作にもコミットできるだろう。
 もちろん、本作は過去の音源を集めた作品だから、現在の潮流を意識して作られたものではない。だが、その過去が時を越えて現在と深く繋がるのは非常に面白い。そこに筆者は、“表現”という行為のロマンと、それを残すことの尊さを見いだしてしまう。

B12 - ele-king

 げに許すまじ。ブラック・ドッグの『Bytes』が落選したことに関してはつい先日もぶうたれたばかりだけれど、件の『ピッチフォーク』のランキングからはもうひとつ、重要な作品が抜け落ちている。B12の『Electro-Soma』である。たしかにポリゴン・ウィンドウやオウテカ、ブラック・ドッグといった錚々たる顔ぶれが居並ぶA.I.シリーズのなかでは、相対的に地味で控えめなアルバムだったかもしれない。けれど当時、ある意味もっとも純粋にIDM~アンビエント・テクノを鳴らしていたのは、もしかしたら『Electro-Soma』だったのではないか。
 B12はマイケル・ゴールディングとスティーヴ・ラッターからなるユニットで、ふたりは同名のレーベルを主宰してもいる。00年代後半より鳴りを潜めていた彼らではあるが、近年は〈B12〉傘下の〈FireScope〉から精力的にシングルを発表している。今回ヴァイナルとしてリイシューされた彼らの記念すべきファースト・アルバムは、もともとふたりがミュジコロジーやレッドセルといった名義で発表していた曲を〈ウォープ〉のロブ・ミッチェルがコンパイルしたものなのだけれど、どうやらその選から漏れた音源も数多く存在したようで、『Electro-Soma』と同時に、彼らのレア・トラックをかき集めた『Electro-Soma II』という編集盤もヴァイナルでリリースされている。その2枚をまとめてパッケイジしたCDが、この『Electro-Soma I + II』である(ちなみに今回のリイシューはアナログのオリジナル盤が元になっているので、かつてのCD盤『Electro-Soma』に収録されていた“Debris”、“Satori”、“Static Emotion”の3曲は今回『II』の方に収められており、逆に当時CD盤でオミットされていた“Drift”が今回『I』の方に収められている)。
 改めて聴き直してみて思ったのは、やはりデトロイト・テクノからの影響が大きいということだ。このアルバムを聴いていると、かつてカール・クレイグがサイケ/BFC名義で発表していた曲たち(それらは『Elements 1989-1990』として1枚にまとめられている)を連想せずにはいられない。きめ細やかなハットに、どこまでもノスタルジックでメロディアスなシンセ、そこに加わるUKらしいベースライン……デトロイトから受けた影響を独自に咀嚼し、それを当時のUKの文脈に巧みに落とし込んだ作品がこの『Electro-Soma』と言えるだろう。そういう意味で本作は初期のカーク・ディジョージオやリロードの諸作とも通じる響きを持っている。このアルバムは、テクノが今日のように商業化され制度化されてしまう前の、ある意味で牧歌的とも呼びうる時代の風景を浮かび上がらせる。このようなセンティメントは、昨今のエレクトロニック・ミュージックからはなかなか感じられないものだ。

 今回のリイシューはおそらく、昨今のアンビエント・ブームあるいはIDM回顧の機運に乗っかって企画されたものなのだろう。〈ウォープ〉は今年エレクトロの波に乗ってジ・アザー・ピープル・プレイスもリプレスしているが、そこでひとつ心配なのが、最近ちょっと過去のクラシックに頼りすぎなんじゃないか、という点だ。もしかしたらかのレーベルはいま、リリースの方向性をめぐって大きな岐路に立たされているのかもしれない。……いや、『Electro-Soma』が名盤であることに変わりはないんだけどね(この時期のB12の音源をもっと掘りたい方は、『Prelude Part 1』を探すべし)。

ハテナ・フランセ - ele-king

 みなさんボンジュール。前回のエレクトロニック・ミュージックに続いて、ここ数年フランス音楽市場の最重要ジャンルとなっているフレンチ・ヒップホップについてお話したく。
 日本にはほとんど入ってくることはないが、90年代初頭からラップはフランス音楽市場で重要な位置を占めてきた。第一世代にはポエティックなMCソラー、フランスのもっとも柄の悪い港町マルセイユのIAM(アイアム)、映画「憎しみ」で有名になったパリ郊外のゲットー、サン・ドニのNTM(エヌテーエム)などがいた。フレンチ・ヒップホップのフロウはもちろんフランス語。そしてスラングを多用しているのでフランス語圏から外に出ることは滅多にない。だが、最近ではStromae(ストロマエ)がイギリスやアメリカでも若干話題になり、コーチェラに出演したこともあった。Stromaeは厳密にはベルギー出身なのだが、フロウはフランス語だしフランス人にとってはベルギーはほぼほぼフランス。なのでStromaeはフレンチ・ヒップホップと認識されている。
 そのStromaeに続いて2017年にコーチェラにブッキングされたのがPNL(ペーネヌエル)。兄Ademo(アデモ)、弟N.O.S(ノス)からなるアラブ系の兄弟2人組は、パリ郊外のレ・タルトレというフランス有数のゲットー団地出身。2015年3月にファーストEP ”Que la famille”(ファミリー・オンリーの意)をリリースし、程なくイタリア・マフィア、カモッラの本拠地スカンピアで撮ったクリップ”Le Monde Ou Rien”を公開。
 

「天国へのエレベーターは故障中? じゃ、階段でヤク売るわ」とゲットーでのドラッグ・ディーラー生活を極端なオートチューンに乗せて歌い、タイトル通り「世界制覇かゼロか」と高らかに宣言。その言葉通りフランスはあっという間に制覇した。そしてコーチェラを足がかりにアメリカにも上陸せんと目論んだが、その野望は逮捕歴のある兄Ademoにヴィザが下りなかったことによりあっけなく頓挫した。PNLのトラブルはそれだけではない。2016年6月にはセカンド・アルバムから先行して発表されたトラック”Tchiki Tchiki”のMVが1ヶ月もしないうちにYoutubeから削除されたのだ。坂本龍一の”Merry Christmas Mr. Lawrence"をサンプリングしたこの曲のMVは日本で撮影された。だがサンプリングの権利処理をきちんとしていなかったようで、結局御蔵入りとなってしまった。日本で撮影する手間を惜しまないならクリアランスくらいちゃんとすればいいものを...。これらを不遜ゆえの不手際ととるのか、DIYゆえのリスクと取るのか。どちらにしろPNLへのフランスのオーディエンスによる支持は現時点では揺らいでいない。
 その点フレンチ・ヒップホップ界きっての男前Nekfeu(ネクフュ)は、ストリート感やDIY精神はありながらもチンピラ臭はぐっと低め。2007年ごろからS-crewと1995、そしてその2つが合体した13人の大所帯l'Entourage(ロントゥラージュ)といったヒップホップ・クルーで活動を開始。2014年には早くもl'Entourageでパリの殿堂オランピア劇場をソールド・アウトにする人気を博した。2015年にメジャー・レーベルから満を持してリリースしたソロ・アルバム『Feu』が30万枚のセールスを記録し、その年のフランス版グラミー賞、Victoire de la Musiqueを獲得。メジャーで契約しつつも、活動初期からS-crewの仲間とレーベルSeine Zoo Recordsを立ち上げレコーディングからMVの撮影まで自前でこなしている。Seine Zoo Recordsの仲間と勝手に日本に行ってMVを撮影したり、なぜかクリスタルKと一緒にレコーディングしたりするものだから、状況や背景がよく理解できないメジャー・レーベルの担当者はすっかり振り回されて参っているようだ。

 クリスタルKをフィーチャリングしたこの”Nekketsu(熱血)”はセカンド・アルバム『Cyborg』に収録されている。パパへのリスペクト、ママンへのアムールを歌い、自らをドラゴンボールの悟空にたとえ、神龍を呼び出そうと念じたりしている。そのドラゴンボールを始めとする少年漫画はNekfeuの重要なバックグラウンドといえるようだ。S-crewの”Fausse Note”では「東京喰種トーキョーグール」の金木研に扮して「歪んだ音こそビューティ。俺たちがスタンダードを変えてやる」と息巻いている。

 そんなラッパーらしい俺様アティテュードの一方、フランソワ・リュファンの立ち上げた政治運動「Nuit Debout(夜、立ち上がれ)」でゲリラ・ライヴを敢行するするなど政治的グッド・ボーイな面も持ち合わせている。9月にはフランス映画界の至宝カトリーヌ・ド ヌーヴと共に主演を張った映画「Tout nous sépare」も公開され、オーバーグラウンドでの活躍は増す一方だ。
 ドラゴンボールが歌詞の中に登場するのはNekfeuだけではない。”Makarena”が2017年夏のアンセムの1曲となったDamso(ダムソ)もその一人。

”Makarena”で浮気な彼女への恨みつらみをメロウに(でも下品に)歌っていたのとは一転、”#QuedusaalVie”では自分がいかにヘンタイ(フランス語でエロマンガのこと)でバビディ(ドラゴンボールの悪役)のように悪辣かを、フランス版Fワード゙満載で歌っている。Damsoのような超マッチョ系バッドボーイ(男尊女卑ゲス系とも言う)ラッパーは、男女を問わず中高生を中心としたフランス中のコドモたちに人気だ。12歳の女の子が学校に向かう道すがらDamsoを口ずさんでいるのを同じクラスの子が軽蔑の眼差しで見ていたりする。そんな両極端が共存しているのがフランスのヒップホップを巡る現状だ。
「はーい、今から基本的なこと言うよ。じゃないとお前らクソバカはわからないからね!」と、Damsoとは別のベクトルで振り切ったイントロで度肝を抜くのはOrelsan(オエルサン)。

 OLさんをそのままアルファベットにした奇妙なMCネーム(本人談だが真偽のほどは不明)を持つこのラッパーは、毒舌フロウとポップで先鋭的なビートで日本でいうとDotama的立ち位置というとわかりやすいだろうか。
「よく知らない人と子供作っちゃダメ。政治家が嘘つくのはそうしないとお前らが投票しないから。あ、あとイルカはレイプするからね、見た目に騙されないこと」。
 サード・アルバムの先行シングルとなった「Basique(基本)」は、その他のラッパーとは一線を画したクリエイティヴなMVも相まって大ヒット。新陳代謝の激しいフレンチ・ヒップホップ界において、35歳、6年ぶり、サード・アルバム、と重なるネガティヴ要素を物ともせず、『La fête est finie』はリリース1週間でプラチナ・アルバムに認定された。そんなフレンチ・ヒップホップ界のスター、Orelsanは「ワンパンマン」のサイタマ役声優をしたり、アルバム・ジャケットで忍者の格好をして満員電車に乗ってみたりと日本愛がダダ漏れの様子。彼の日本贔屓への好感度は別にしても、今回紹介した中でもっともフランス語がわからなくても楽しめるサウンドだろう。よければ一度チェックしてみてほしい。

interview with Cassie Ojay (Golden Teacher) - ele-king


Golden Teacher
No Luscious Life

Golden Teacher / ビート

DiscoFunkDubAfroPost-Punk

Amazon Tower HMV iTunes

 昨年出たパウウェルのアルバムは、やはりひとつの画期だったのだろう。今年に入ってからというもの、チック・チック・チックマウント・キンビーキング・クルールやLCDサウンドシステムなど、80年代のポストパンク・サウンドを導入した作品のリリースがあとを絶たない。アラン・ヴェガの遺作もこの流れに位置づけることができるし、エンジニアにスティーヴ・アルビニを迎えたベン・フロストもまたこの趨向に従っていると言える。そんなポストパンク・イヤーを締めくくるかのように、オプティモに見出されたグラスゴーの6人組バンド、ゴールデン・ティーチャーがファースト・フル・アルバムを完成させた。
 シングルで展開していた実験的な側面はやや控えめに、よりダンサブルな方位を志向した『No Luscious Life』は、ESGやダイナソー・L、コンクやマキシマム・ジョイといった先輩たちのイメージを振り撒きつつも、クラブ・カルチャーを経由した今日的なプロダクションとアフリカ音楽の独自の解釈をもって、単なる回顧主義に留まらないポテンシャルの片鱗を覗かせている。
 今年はアンビエント~ニューエイジの領野でも80年代を参照する動きが目立ったが、それはおそらくいまの情況が、かつてのレーガン=サッチャー=中曽根の時代と似通っている、ということなのだろう。ゴールデン・ティーチャーのこのアルバムもそのような時代のムードに敏感だ。「甘い生活なんかない」と謳うアルバム・タイトルは昨今の世相を反映しているかのようだし、じっさい“Sauchiehall Withdrawal”では最低賃金で働かざるをえない人びとのことが歌われている。

   

いつだって一生懸命働いてる でもなんで?
いつだって一生懸命働いてる でもなんで?

 メンバーそれぞれで出自が異なるという彼らは、そもそもどのようにして出会い、ともに音楽を作り始めることになったのか。そして彼らはいまどのようなことを考えているのか。ヴォーカルのキャシー・オジェイが答えてくれた。

テーマは最低賃金で働くことについて。以前はストリートの組合があったから良かったんだけど、いまは存在していないから、労働条件が悪化しているの。ときに罠にはめられているような気がするのよね。

ゴールデン・ティーチャーはどのように結成されたのですか? アルティメット・スラッシュとシルク・カットというふたつのグループが母体になっていると聞いたのですが。

キャシー・オジェイ(Cassie Ojay、以下CO):私たちのほとんどがグリーン・ドア・スタジオ(若いミュージシャンたちのための育成コースを運営している拠点)で出会ったの。当時、オリヴァーとローリーはアルティメット・スラッシュ(Ultimet Thrush)にいて、サムとリッチはラヴァーズ・ライツ(Lovers Rights)っていうバンドにいた。チャーリーはブルー・サバス・ブラック・フィジー(Blue Sabbath Black Fiji)っていう素晴らしいバンドにいたんだけど、彼はその時点でツアーの経験も豊富で、曲もたくさん書きためていたの。一方私は、そのときまだ高校を卒業したばかりだった。まだ17歳で、歌うことが大好きだったから、そんな重要な時期に彼らと出会えたのはすごく良かったわ。いろんなことを学んで、たくさんのことを吸収している時期だった。みんな出会ってから、互いに成長し合ってきた。そして、自然にバンドを組むことになったの。それまではただ自由に一緒に音作りをしているだけだったんだけどね。チャーリーに初めて会ったときは、ほとんど話さなかった。暗い部屋に入って、自分たちが聴いたことのない、他のメンバーが作ったトラックの上から、ふたりでヴォーカルを乗せたの。それが結果的に3枚めのシングル「Party People」としてリリースされることになったのよ。

「ゴールデン・ティーチャー」というバンド名の由来を教えてください。

CO:由来はマジックマッシュルーム(笑)。でも、グリーン・ドア・スタジオを運営している人たちがみんなオズの魔法使いみたいだったから、ゴールデン・ティーチャーたちという意味も込めているのよ。私たちは先生たちからすごく影響を受けているし、レコーディングする機材を使わせてもらったりもした。そのふたつから来ているの。

バンド・メンバー全員に共通しているものは何でしょう?

CO:私たちって、みんな本当にキャラが違うのよね。それがこのバンドの利点になっていると思う。みんなが異なる音楽のテイストと世界観を持っていて、それがうまく機能している。自分たちで互いを刺戟し合っているのよ。たとえばチャーリーはファンクが大好きなんだけど、彼がファンクのトラックを作ろうとしても、他のメンバーの影響が入るから、ふつうのファンク・トラックには仕上がらない(笑)。共通点があるとすれば、それは音楽への情熱ね。その音楽が違っても、注ぎ込む愛情は同じなの。それが混ざり合っておもしろいものが生まれているんだと思う。

あなたたちの音楽からはESGやアーサー・ラッセルの影響が感じられます。バンド・メンバーはじっさいにはどのような音楽から影響を受けてきたのですか?

CO:さっきの答えとも繋がるけど、みんな影響を受けてきたものが違うの。私個人は、子どもの頃はゴスペルに影響を受けていた。あとはポール・ロブソンがお気に入りだった。そういった音楽がきっかけになって、自分も歌いたいと思うようになったの。あと、母親が〈Studio One〉のレコードをたくさん持っていたから、それも聴いていた。一方で、チャーリーはマイケル・ジャクソンとかプリンスとか、そういう音楽が好きなの。だから、ニューヨークからデトロイトまで、影響は本当に幅広いのよね。

通訳:ESGやアーサー・ラッセルの影響に関してはどう思いますか?

CO:ESGはよく言われる。でも、彼らのパンクの精神は私たちと共通していると思うけど、音楽的にあまり影響を受けているとは自分では思わない。一緒にツアーをしたからライヴも何度か見たけど、やっぱり共通しているのはパンク・スピリットだと思う。

じっさいに彼らとツアーをして接してみた感想は?

CO:すごく良い経験だった! ヒーローにはじっさいには会わない方がいいとか言われてるけど、会えて本当に良かったわ。一緒にツアーができて、すごく光栄だった。

通訳:彼らから何か学びましたか?

CO:学んだとは思うけれど、彼らってすごくプライヴェートを大切にする人たちで、私たちは逆にやかましいのよね(笑)。でも、バックステージの雰囲気はすごく良かった。互いのパフォーマンスも見られたし、私たちも彼らもそれを楽しむことができて本当にナイスだった。

かつてESGやダイナソー・Lといったバンドが成し遂げた最大の功績は何だと思いますか?

CO:いい質問ね。ESGは女性だけのバンドだったし、かつメッセージ性の強い音楽を作っていた。それは革新的だったと思う。あと、それなのに複雑すぎずシンプルだったのがすごく良かったと思う。そのふたつのバンドが、当時はふつうではなかったことをその時代にやっていたと思うの。彼らはその時代の柵を乗り越えた。そこが最大の功績だと思う。

あなたたちの最初の3枚の12インチは〈Optimo Music〉からリリースされています。オプティモのふたりとはどのように出会ったのでしょう?

CO:オプティモはかなり長い間グラスゴーで活躍しているんだけど、彼らが毎週日曜日にクラブ・ナイトをやっていたとき、メンバーの何人かがそれに通っていたの。私は若すぎて行けなかったんだけどね(笑)。10歳くらいだったから(笑)。それでエミリーが彼らを知っていて、私たちのEPを彼らに送ったの。それを彼らが気に入って、リリースが決まったのよ。私もそのクラブ・ナイト行きたかったな~(笑)。最初のEPを出したときも、高校を卒業したばかりでまだ17歳だった(笑)。だから、最初は若すぎることがコンプレックスだったのよね。でも、いまはもう24歳だから大丈夫(笑)!

2015年にはデニス・ボーヴェルとの共作12インチも出していますね。そのときのコラボはどういう経緯で実現したのですか?

CO:彼が誰か他のミュージシャンとグリーン・ドアでレコーディングしていて、それを知ったオプティモのキースが、私たちと彼を繋げてくれたの。それで、ゴールデン・ティーチャーの曲のヴァージョンをレコーディングすることになった。実際に彼とは会わなかったんだけど、彼がスタジオに入って、すでにでき上がったヴァージョンをアレンジしてくれたの。会ったことはないけど、すごくいい人って聞いてるわ。

スリッツやマキシマム・ジョイといったバンドからも影響を受けたのでしょうか?

CO:マキシマム・ジョイは受けていると思う。でもスリッツは……受けているとすれば、彼女たちのエナジーかな。うまく説明できないけど、彼女たちの型破りなところ。彼女たちがカヴァーしたマーヴィン・ゲイの“I Heard It Through The Grapevine”を聴いたとき、あのパッションとヴォーカルから感じられる怒りに驚かされたわ。あの本物な感じがすごく良かった。心を動かされた。マーヴィン・ゲイのソウルフルなヴォーカルにまったく引けを取らなかった。私たちのサウンドはもっと落ち着いているかもしれないけど、感情やパッションをそのまま出しているところはゴールデン・ティーチャーも同じね。

あなたたちにとって「ダブ」とは何ですか? 技法や技術でしょうか、それとも音楽のスタイルやジャンルのことでしょうか、あるいはもっと他の何かでしょうか?

CO:個人的には、ノスタルジックな気分にさせてくれるもの。自分が聴いて育ってきた音楽だから、本当に素晴らしいダブを聴いたときは、最高の気分になれる。レコーディングのテクニックとして、ダブ、ディレイなんかを使いはするけど、自分たちの音楽がダブっぽいとは自分では思わないの。だからバンドにとってダブはテクニック。私たちのスタイルではないわね。

その後〈Optimo Music〉からは離れ、2015年には12インチ「Sauchiehall Enthrall」と、最初の3枚をまとめたコンピレーション『First Three EPs』をご自身たちでリリースしています。そして今回のアルバムもセルフ・リリースです。そうすることにしたのはなぜですか?

CO:それが可能だからよ。最近はみんなDIYだし、自分たちがやりたいことに対してアクティヴ。だから、自分たちでできることは自分たちでやりたい。その方が自分たちでコントロールもできるし、自分たちにとってはそれが自然なことなのよね。

何かにインスパイアされることは誰もが許されていることだけど、何が盗みになるかはきわどいところ。それをクリアにするためには、アフリカに対するじゅうぶんな理解が必要だと思う。

新作1曲目の“Sauchiehall Withdrawal”は賃労働についての曲だそうですが、賃労働についてはどうお考えですか? 音楽制作と似ている点はありますか?

CO:そのタイトルは、グラスゴーのメイン・ストリートの名前なのよ。そのストリートへのオマージュなの。どちらかといえば、テーマは最低賃金で働くことについて。以前はストリートの組合があったから良かったんだけど、いまは存在していないから、労働条件が悪化しているの。ときに罠にはめられているような気がするのよね。音楽制作と繋がる部分はあると思う。だって、ここ数年の音楽業界ってボロボロでしょ(笑)? もう音楽でお金を稼ぐことって、できなくなってると思う。ニューヨーク、パリ、いろいろなところで演奏できているけど、それが終わればグラスゴーに帰ってレストラン・バーでバイトしてる。バンドにいるだけじゃもうお金は作れない。クリエイティヴになる空間と状況を得るにはお金も必要なのに、すごく残念なことよね。でも、それが現実なの。自分たちもそれを経験しているから、歌詞にそれが出てくるのよ(笑)。

2曲目“Diop”はセネガルの歌手アビー・ンガナ・ディオップ(Aby Ngana Diop)へのオマージュとのことですが、セネガルの音楽もゴールデン・ティーチャーに影響を与えているのでしょうか?

CO:セネガルだけじゃなく、西アフリカ全体の音楽に影響を受けているわ。

通訳:どのようにしてそういった音楽に触れるきっかけができたのでしょう?

CO:それはバンドのメンバーによって違うと思う。私の場合は、先祖が西アフリカ人だから、周りにあってつねに聴いて楽しんできた音楽なの。私は特にナイジェリアの音楽に影響を受けているわね。ハイライフ。たとえばフェラ・クティとか。オリヴァーとローリーはガーナによく行くから、ガーナの伝統的なドラムのリズムなんかに影響を受けている。みんなそれぞれ、アフリカの音楽とはパーソナルな繋がり方をしているの。

かつてトーキング・ヘッズが『Remain In Light』を出したとき、「欧米や先進国による第三世界の搾取だ」というような批判がありました。そういう見解についてはどうお考えですか?

CO:アフリカ音楽の要素の質問が出たとき、ちょうどこのことを話そうと思っていたところよ。じっさい、多くの白人ミュージシャンたちがアフリカ全体の音楽を取り入れていると思う。でも、彼らはそれでお金を稼いでいるけど、アフリカ現地のミュージシャンたちはじゅうぶんな稼ぎを得られていない。だから、文化の横領だといえば、それは否定できない。すごく難しい問題よね。何かにインスパイアされることは誰もが許されていることだけど、何が盗みになるかはきわどいところ。それをクリアにするためには、アフリカに対するじゅうぶんな理解が必要だと思う。トーキング・ヘッズの問題もすごく難しい問題だけど、多くの欧米のミュージシャンたちが第三世界のものを使って利益を得るという現象が続いているのは事実だと思う。この問題って、すごく複雑よね。エルヴィスもそうだと思う。ブラック・ミュージックを盗んで、お金を儲けたミュージシャンのひとりだと思うわ。でも、それによって黒人は何の利益も得られなかった。それは、いまも起こり続けているんじゃないかな。グラスゴーって、すごく白人が多いの。でもその中でも私たちって、メンバーそれぞれがいろいろな場所のミックスで、多種多様なバンドなのよね。そんな私たちの音楽がグラスゴーから世界に届いて、受け入れてもらえているのは嬉しいわ。

3曲目“Spiritron”では「We go interstellar, we never look back」と歌われていて、またシンセの一部はコズミックで、ギャラクシー・2・ギャラクシーのフュージョンを連想しました。これはどういうテーマで作られた曲なのでしょう?

CO:それはチャーリーに聞かないとわからない(笑)。私たちは互いのクリエイティヴさを尊敬して、その領域は邪魔しないようにしているから、私にはわからないの(笑)。みんなが自由に受け取ってくれたら、それがいちばんよ。

日本からはなかなか見えづらいのですが、いまグラスゴーのクラブ・カルチャーやアンダーグラウンドな音楽シーンはどのようになっているのでしょう? 注目しているアクトや動向があれば教えてください。

CO:グラスゴーの音楽シーンはすごくいいわよ。毎日ギグがあるし、チケットも高くない。街自体がクリエイティヴな街だし、音楽をやりやすい環境だと思う。周りの友だちにもアーティストやミュージシャンが多いから、互いを刺戟し合えるし、活動がやりやすいのよね。トータル・レザレット(Total Leatherette)っていうバンドがすごくいい。グラスゴーから出たこれまでのバンドの中で、いちばんエキサイティングなバンドだと思う。聴いたら衝撃を受けると思うわ。

ゴールデン・ティーチャーは2013年にフランツ・フェルディナンドのリミックスを手掛けていますが、今後リミックスしてみたいアーティストはいますか? あるいは逆に、自分たちの曲のリミックスを依頼したいアーティストがいれば教えてください。

CO:してもされても、ルーツ・マヌーヴァとコラボしたら、すっごいクールな作品が生まれると思う(笑)。

昨年のパウウェルのアルバム『Sport』から最近出たマウント・キンビーの『Love What Survives』まで、いま「ポストパンク」がひとつのトレンドになっているように思うのですが、2010年代後半にこういった80年代の音楽からインスパイアされた音楽をやる意義は何だと思いますか?

CO:わからないけれど、当時の音楽を新しいレコーディングの仕方や技術でやることでおもしろいものが生まれるんじゃないかしら。あと、2017年の音楽ってシンセばかりでオートチューンだらけでしょ? でも、アナログさや本物の音を求めると、いまでも80年代や昔の音楽にインスパイアされたものができ上がるんじゃないかしら。

他のバンドやDJにはない、ゴールデン・ティーチャーの最大の強みは何だと思いますか?

CO:やっぱり、私たちひとりひとりのパーソナリティがぜんぜん違うところね。もちろんみんな仲良しだけど、互いに妥協することがない。みんなが強い性格だから、全員の意見がすべて反映される。だからこそさまざまなジャンルが混ざった曲ができ上がるの。方向性もころころ変わる。ひとつのことにとらわれず、たくさんのものが詰まった大きな塊を作れるのが私たちの強みだと思うわ。

通訳:ありがとうございました!

CO:ありがとう! いつか、東京に行けるのを楽しみにしているわ!

Various Artists - ele-king

 だいぶ前の話になるが、映画『アトミック・ブロンド』を観た。来年公開予定の『デッドプール2』の監督も務めるデヴィッド・リーチが作りあげたこのスパイ映画は、壁が崩壊する前夜のベルリン、年代で言えば1980年代末を舞台にしている。物語は、世界情勢に深く関わる極秘リストを奪還するため、MI6によってベルリンに送り込まれたロレーン(シャーリーズ・セロン)を中心に進んでいく。厳しいトレーニングを積んだうえで臨んだというシャーリーズ・セロンのアクションなど、見どころが多い内容だ。なかでも圧巻だったのは、スパイグラス(エディ・マーサン)を逃がすときにロレーンが披露する体技。ビルの階段を移動しながらおこなわれるそれは7分以上の長回しで撮られており、華麗に立ちまわるロレーンの姿がとても美しかった。
 アクションでよくある、ご都合主義的な綺麗さが見られないことも特筆したい。華麗に敵をなぎ倒していく様は映画的でも、戦うごとに体のアザは増え、それを手当てするシーンも随所で挟まれたりと、生々しい描写が際立つ。そうして傷だらけになるロレーンだが、被虐的な様子はまったく見られない。むしろ、スパイとしての凛々しい姿とプロ意識を観客に見せつける。その姿を観て筆者は、“カッコいい……”という平凡極まりない感想を呟いてしまった。

 『アトミック・ブロンド』は、劇中で流れる音楽も魅力的だ。ニュー・オーダー“Blue Monday 1988”、デペッシュ・モード“Behind The Wheel”、パブリック・エネミー“Fight The Power”といった、80年代を彩ったポップ・ソングが取りあげられている。しかも、ただ流すだけじゃない。MI6のガスコイン(サム・ハーグレイブ)が殺されるシーンでは、イアン・カーティスの死について歌われた“Blue Monday 1988”を流すなど、曲の背景と劇中のシーンを重ねるような使い方なのだ。ここに筆者は、デヴィッド・リーチのこだわりを見た。

 そのこだわりをより深く理解するため、映画のサントラである『Atomic Blonde (Original Motion Picture Soundtrack)』を手にいれた。本作は先に挙げた曲群を収録しておらず、そこは非常に残念だが、それでもデヴィッド・ボウイ“Cat People (Putting out Fire)”、スージー・アンド・ザ・バンシーズ“Cities In Dust”、ネーナ“99 Luftballons”など、劇中で使われた曲はだいたい収められている。
 とりわり目を引くのは、ボウイとの繋がりが強い曲を数多く起用していることだ。ボウイは1976年から1978年まで西ベルリンに住み、そこで得たインスピレーションを元に『Low』『Heroes』『Lodger』というベルリン三部作が作られたのは有名な話だが、このことをふまえて映画ではボウイが象徴的な存在になっている。
 面白いのは、それを少々ひねりが効いた方法で示すところだ。その代表例が、ニュー・ロマンティック期のエレ・ポップど真ん中なサウンドを特徴とする、アフター・ザ・ファイアー“Der Kommissar”。もともとこの曲は、オーストリアのファルコというシンガーソングライターが1981年に発表したシングル。重要なのは、このシングルのB面に収められた曲だ。“Helden Von Heute”というそれは、ボウイの代表曲“Heroes”へ賛辞を送るために作られた曲で、メロディーは“Heroes”をまんま引用している。こういう婉曲的な仕掛けを通して、ボウイの偉大なる影を匂わせるのだ。

 その影は、ピーター・シリング“Major Tom (völlig losgelöst)”でもちらつく。タイトルからもわかるようにこの曲は、ボウイが1969年に発表したアルバム『Space Oddity』へのアンサー・ソングだ。もともとの歌詞はロケット発射の様子を描いたもので、深い意味はない。だが、『アトミック・ブロンド』の中では冷戦時代の一側面を表す曲になっている。1980年代末のベルリンは冷戦まっただ中であり、そんな時代に米ソ間でおこなわれた熾烈な宇宙開発競争を連想させるからだ。こうした既存の曲に新たな意味をあたえるセンスは、退屈な懐古主義に陥らない同時代性を漂わせる。
 この同時代性は、映画のために作られたいくつかのカヴァー曲にも繋がっている。特に秀逸なのは、映画のスコアを担ったタイラー・ベイツがマリリン・マンソンと共作したミニストリー“Stigmata”のカヴァー。殺伐としたドライな音質が耳に残る激しいインダストリアル・ロックで、マリリン・マンソンの金切り声を味わえる。もちろん、このカヴァーも映画と深い繋がりがある。オリジナル版“Stigmata”のMVにはスキンヘッドのネオナチが登場するが、そこに映画の核であるベルリンという要素との共振を見いだすのは容易い。

 そうした綿密な選曲において、ひとつだけ気になる点がある。ザ・クラッシュ“London Calling”を選んでいることだ。この曲は1979年にリリースされたもので、80年代でもなければ現在の曲でもない。しかしそこには、他の曲以上に重要な意味を見いだせる。
 “London Calling”は、ザ・クラッシュから見た当時の社会について歌った曲だ。1981年のブリクストン暴動、セラフィールド、フォークランド紛争といった、80年代のイギリスで起こることを予見するような言葉が歌詞に並んでいる。
 そんな予見的な曲が、映画ではベルリンの壁崩壊後の終盤で流れる。決着を迎えてめでたしのはずが、〈すぐさま戦争が布告され 戦いがやってくる(Now war is declared and battle come down)〉と歌われるのだから、なんとも興味深い。ここまで書いてきた映画と曲の深い繋がりから考えても、かなり意味深だ。ロレーンの次なる戦いが始まるから……とも解釈できるが、過去の要素に同時代性を見いだし表現する『アトミック・ブロンド』の特性をふまえると、この映画はあなたたちの現状であるという暗喩を込めた選曲ではないか。そう考えると、冷戦時代のベルリンが舞台であるにもかかわらず、それにまつわる物語じゃないと否定するグラフィティーが映画の冒頭で挟まれるのも納得だ。“London Calling”が流れた途端、西ドイツと東ドイツの間にあった経済格差や、壁によってもたらされた抑圧といった映画の時代背景には、新冷戦(New Cold War)なる言葉も飛び交うようになった現在を表象する機能が付与される。

 ここまで大胆な音楽の使い方を前にすれば、客寄せパンダ的にヒット・ソングを使ったという揶揄も跪くしかない。

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