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歌謡曲の致命傷は本当の意味でのニヒリズムがないことだと言ったのは寺山修司だが、間章がニューヨークでスーサイドのライヴに涙したとき、アラン・ヴェガには“本当の意味でのニヒリズム”しかなかったのだろう。まあ、なにせ自殺者である。彼が昨年の7月16日に78歳で(自殺ではなく)眠りながら死んだとき、42歳にして最初のソロ・アルバムを発表し、身の毛もよだつほど天才的なまでに空回りしたロカビリーを歌った、他に類を見ない、圧倒的に特異なるこのアーティストの追悼文を書かなければ、書かなければ、書かなければ……と思いながら自分も病に伏してしまい、そして秋になったとき、ま、アラン・ヴェガほど感傷的な追悼文が似合わない人もいまいと自分勝手に納得することにした。
……にしても、考えてみれば、マーティン・レヴとのエレクトロニック・ミニマル・ロカビリー・ノイズ・バンド、スーサイドのフロントマンとして、マックス・カンサス・シティで“ロケットUSA”を歌っていたのが1976年だから、ヴェガはこのときすでに30代も後半どころか40手前。1938年生まれの彼はブルース・スプリングスティーンよりも11歳年上で、イギー・ポップより9歳も、ルー・リードより4歳も、ジョン・レノンより2歳も上なのだ。
本作『IT』はヴェガの最後の(11枚目の)ソロ・アルバムである。web上の記事を散見するところでは、2010年から2016年にかけて妻のLiz Lamereの協力のもとで録音されたそうだ。2012年、脳卒中で倒れたというヴェガだが、晩年は病苦に耐えながらの日々だったようで、彼もまた自らの死を予期しながらこのアルバムを録音していたのだろう。もっともここには、デヴィッド・ボウイともレナード・コーエンとも著しく異なるヴィジョンが描かれている。それはひとことで言えば「怒り」だ。彼の魂は平和に着地するどころか、狂暴で、挑発的で、激しく、そしてわめき散らしている。
“DTM”とは“Dead To Me(俺に死を)”の意味だそうで、そうなるとこれはたしかに自分の死を意識して作られた曲になる。すさまじいノイズも、スーサイドのアップデート版と言ってしまえばそれまでだが、70過ぎの老人の、この期に及んでの怒れるノイズ──まったく驚嘆に値する。“Screaming Jesus”なる曲では、電子ノイズをバックにアメリカを糾弾し、叫び続けているのだが、そうした政治性以前の、我らがアドレッセンスの問題として、思いだそう──かつて音楽にとって大切だったのは、夜も眠らぬむき出しの魂と、空しさと、烈火のごときパッションだったことを。
言うまでもなく、アラン・ヴェガは(そのときすでにいい歳でありながら)パンク・ロックの始祖のひとりであり、シンセ・ポップにおけるマイルストーンである。彼はもともとヴィジュアル・アーティストで、ヴェガが70年代にマンハッタンに開いたアート・ギャラリーは、当時のNYのパワフルなアンダーグラウンド・シーン(NYドールズ、テレヴィジョン、ブロンディなど)とリンクした。そのあたりは宇川直宏を彷彿させる彼だが、ギャラリーを通じてマーティン・レヴと知り合い、スーサイドを始動させた。突然変異的なブルース・ヴォーカルと極度にミニマルなエレクトロニック・サウンドをあり得ない姿で融合させた歴史的な1stとディスコ・パンクの青写真となった2ndを発表すると、ヴェガはロカビリーを基調にした美しくも空しいソロ・アルバムをリリースする。それは、ロカビリー全盛の夢の時代へのニヒリズムすなわちアンチ・アメリカン・ドリームの記録であり、彼の超越的なアンチ・アメリカン・ドリーム・バラード“ドリーム・ベイビー・ドリーム”はブルース・スプリングスティーンにもカヴァーされている。とはいえ、90年代以降のヴェガは、スーサイド再評価にかなうほどの作品を作れなかったかもしれない……が、本作『IT』によって、ボウイともコーエンともまた別の、これはこれでじつに強い意思による、なんとも凄みのある“最後”を見せつけたのである。
野田努