「Low」と一致するもの

interview with KGDR(ex. キングギドラ) - ele-king


キングギドラ
空からの力

Pヴァイン

Hip Hop

20周年記念
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 80年生まれのサイプレス上野と79年生まれの東京ブロンクス a.k.a SITEが日本のラップ・ミュージックの名盤を解説した単行本『LEGENDオブ日本語ラップ伝説』(リットーミュージック、2011年)の、キング・ギドラ(現・KGDR)『空からの力』の回には、「やっと渡されたラップ教科書」というタイトルが付けられている。95年12月10日に同作が発表された頃には、日本のラップ・ミュージックはすでに10年以上の歴史を持っていたが――たとえば、黎明期の重要作である、いとうせいこうがラップを、ヤン富田がプロデュースを担当した楽曲“業界こんなもんだラップ”収録作『業界くん物語』は、そのちょうど10年前にあたる85年12月21日に発表――言わば、長い試行錯誤の時代に終わりを告げ、初めて表現の定型を提示し得たのが『空からの力』だったのだ。

 くだんの回において、東京ブロンクスは「オン・ビートで、韻は固く踏むっていう、誰でも真似できる基本スタイルをギドラはハッキリ打ち出した」「これが日本語ラップの骨格になってるのは間違いね」と振り返っている。そして、サイプレス上野は言う。「だからギドラは教科書でしたよね。〈やっと渡された教科書〉って感じ」。しかし、単純だが重要なのは、同作が教科書に喩えられるとしても、それは、押し付けられるものではなく、キッズが自ら進んで学びたくなる格好良さに満ちあふれていたということだ。

以後、20年。『空からの力』に感化された高校生が、〝サイプレス上野とロベルト吉野〟として5枚のオリジナル・アルバムを発表し、ベテラン・ラッパーとして認知されているように、日本のラップ・ミュージックの歴史を変えた同作は、そこからまた長い歴史を紡いできた。もしくは、『空からの力』に、戦後の歴史観が変容しつつあった90年代半ばという時代の空気が影響を与えていることについてはもっと検証されなければならないだろう。『20周年記念デラックス・エディション』のリリースを機にKGDRの3人――Kダブシャイン、Zeebra、DJ OASIS――に、グループ及び日本のラップ・ミュージックの、また、彼らが青春時代を過ごした80年代から彼らが世に出た90年代までのこの国の、歴史を振り返ってもらった。

■KGDR(ex. キングギドラ)『空からの力:20周年記念エディション』
Kダブシャイン、Zeebra、DJ OASISによって1993年に結成され、日本のヒップホップ・シーンにおいて大きな影響力を示してきたグループのひとつ、キング・ギドラ。その「日本語ラップの金字塔」とも称えられる95年のデビュー・アルバム『空からの力』が、リリース20周年を記念したリマスタリング盤となって登場。リマスタリングを施されたレアなリミックス音源やデモ音源、また当時の映像作品「影 The Video」のDVDがカップリング(DVDはデラックス盤のみ)されるばかりでなく、リマスタリングをトム・コイン(ビヨンセ、サム・スミスなどを手掛ける)が担当するなど、名盤を祝福するメモリアルな仕様になっている。

オレが〈ジャクベ〉に溜まり出したのは中2で、ディスコに行くようになったのもその頃。そこに、当時の中学生とか高校生とかが溜まってたんだよ。(Zeebra)

まず、3人の出会いからうかがいたいのですが、Zeebraさんは著作『ZEEBRA自伝』(ぴあ、2008年)で、中学生のときに渋谷で出会った3歳上のKダブさんについて「Kダブはいつもチャリで現れた」と書いていましたね。

Zeebra(以下Z):うん。いつもチャリだったね。

「チャリで現れた」っていうのは、要するに、地元だったと。

Kダブシャイン(以下K):そうそう。公園通りの〈ジャクベ〉を覗くといつもヒデ(Zeebra)たちがいて。

〈ジャクベ〉?

K:〈ジャック&ベティ〉。

Z:いま、〈ディズニー・ストア〉が建ってるとこにあったカフェ・テラス。

K:セルフ・サービスのね。

Z:そこに、当時の中学生とか高校生とかが溜まってたんだよ。オレが〈ジャクベ〉に溜まり出したのは中2で、ディスコに行くようになったのもその頃。まだ慶應(義塾普通部)に通ってて、一個上について遊び回ってた。

K:ということは、オレは17だね。一回、アメリカに留学して、帰ってきたときぐらい。〈ジャクベ〉には同じ学年の女子が溜まってたから覗きにいったら、ヒデたちもいて、「中学生なのにすげぇチャラいなぁこいつら」みたいな感じで見てた。

Z:ははははは。

そして、ZeebraさんとOASISさんは幼馴染み。

Z:小学校からずっといっしょで。

DJ OASIS(以下O):知り合ったのは5年ぐらいだったかな? それから遊ぶようになって……。

Z:6年とか中1とかの頃にはずっといっしょにいるっていう感じになってた。ほら、小学生って、はじめのうちは自分のクラスの奴としか遊ばないけど、高学年になってくるとクラスを跨いで趣味の合う奴と遊ぶようになるじゃん。オア(OASIS)とも、もともとはクラスがちがって。

遊んでいるうちにクラスを越境し、学校を越境し、地域を越境し……そして、いまにいたるまで仲間が増えているわけですよね。

Z:そうだね。その越境していく過程の最初の頃にオアと知り合ったのかな。

O:ガキの頃、オレはメタルが好きで。エレキを買ったりもしてたし、その頃から「音楽をやりたい」ってぼんやりと思ってたんだけど、明確になったのが5年の頃で、そこから、クラスを跨いでレコードの貸し借りをするようになったんだ。それで、ヒデとも仲良くなったんじゃないかな。

Kダブさんと、Zeebraさん、OASISさんは3歳ちがうわけですが、それぐらい空いていると世代がちがうという感覚なのでしょうか?

K:出会ったときは高校生と中学生だからね。その頃はだいぶギャップがあったと思う。でも、あとで話してみると『ベストヒットUSA』(テレビ朝日/81年~87年)とか、音楽の情報ソースは同じだったし、聴いていたものもそんなに変わらなかったんじゃないかな。

Z:まぁ、オレたちもちょっと早熟だったっていうか。

O:オレはコッタくん(Kダブ)と同い年の兄貴がいたから。もともと、音楽はその兄貴に教えてもらって。

Z:オレも親が家でそういうアメリカのヒット・チャートものをかけてたし、5、6年になるとクラスで目立つやつはみんなわっと洋楽を聴き出す感じもあったよね。その流れで、“スリラー”や“ロック・イット”のヴィデオを観てムーン・ウォークやブレイク・ダンスを真似てみたり、ヒップホップにもハマっていった。

〈ジャクベ〉ではまだ音楽の話にはなってないですよね?

K:そのときはまだ。でも、それから1、2年する間にラップ好きだっていうことがわかって。ヒデはオレの後輩だったライムヘッド(現・T.A.K THE RHHHYME)とツルんでたから、あいつに「ヒデもラップ好きなんですよ」みたいな話は聞いてたんだよね。

Z:オレはオレで、「コッタくん家にR&Bのレコード、すげぇいっぱいあるよ」「マジで? 行ってみたい!」みたいな感じで遊びに行って、「すげぇすげぇ、これ何? 聴かして?」って感じで仲良くなった。

渋谷によく溜まっていたビルがあったんですよね。

Z:あぁ、〈Rビル〉? コッタ君の一個上にとんでもなく悪い先輩がいて(笑)。オレがそのひとに会いに行くとコッタくんもいて、みたいな感じだったかな。〈Rビル〉に溜まってたから「Rズ」って呼ばれてたもん。

K:自称でもあるんだけどね。最初は〈Rビルディングス〉だった。

Z:それは初めて知った(笑)。


イタロ・ディスコなんかは、やっぱり、遊びながら知っていったし、そういった中で「音楽はディグるもの」っていう感覚が身に付いていったよね。先輩のテープが回ってきて、「格好いい!」と思った曲を自分でも必死で探すみたいな。(Zeebra)

当時の渋谷は、いわゆる「チーマー」文化の前夜と言っていいですよね。90年代に入って、チーマーがマス・メディアに取り上げられ、暴力的なイメージが再生産されていきますが、『渋谷不良20年史~Culture編』(少年画報社、2009)で、Zeebraさんに、それ以前のチーマー文化は、流行に敏感な私立校生を中心としたムーヴメントだったというようなことを語ってもらったことがありました。

Z:エイティーズのチーマーはそんなに暴力的ではなかったよ。もちろん、たまに喧嘩はあったけど、そんなに大事には至らなかった。

K:まぁ、遊び人の集まりだよね。

興味深いのは、いま、遊び人の若者が新しい音楽を聴いているとはかぎらないと思うんですけど、初期のチーマーは音楽にも詳しかったということで。

Z:それは、まず、当時は「ディスコでしかかからない音楽」っていうのがあったじゃん。それこそ、ユーロ・ビートにしてもハイ・エナジーにしても、普通に生活してたら聴くことがないような曲。デッド・オア・アライヴとかニュー・オーダーとか、ディスコでかかる曲がチャートに入ったりもしてたけど、イタロ・ディスコなんかは、やっぱり、遊びながら知っていったし、そういった中で「音楽はディグるもの」っていう感覚が身に付いていったよね。先輩のテープが回ってきて、「格好いい!」と思った曲を自分でも必死で探すみたいな。

遊び場に足を運ばないと聴くことができない音楽があったからこそ、遊び人の若者たちが音楽に詳しかったと。

Z:格好もそうだよ。遊んでいる奴らなでらはのコードみたいなものがあって、たとえば、みんなブーツを履いてたりとか。チームでスタジャンをお揃いで着たりとか。あと、スタジャンの下にジージャンを重ね着したりとかさ。

K:はいはい。ジャケットの下にジージャンを着たり、とにかく、ジージャンを重ね着してたよね(笑)。

Z:ポケットからバンダナを垂らしたりね。

そのコードの中で、いかに着こなすか、着崩すかが重要なわけですよね。

Z:そうそう。そのために、服もディグるし、音楽もディグるし。で、ディグりきれてないやつは浅いやつ、ダサいやつって感じで見られてた。

そうやって、街の中で遊んでいるうちに、3人は出会っていった。

Z:ここ(Z)とここ(K)はそうだね。

O:オレとコッタくんが会ったのは、ギドラを結成するちょっと前ぐらいだから。

なるほど。では、キャリアに関して、順を追って訊いていきたいと思います。


とりあえず、弦巻(世田谷)だよね。「ふたりで曲をつくろう」って話をして、実際にやりだしたのは。(DJ OASIS)

ZeebraさんとOASISさんはキング・ギドラの前に「ポジティヴ・ヴァイブ」というラップ・グループを組んでいましたが、『ZEEBRA自伝』には「ポジティヴ・ヴァイブという名前をいつ、どうしてつけたのか。はっきりは覚えてない」と書かれていますね。だいたい、いつぐらいの話なのでしょう?

Z:17、8だから、88年、89年ぐらいなのかな? そこから、2、3年はやってたと思う。

O:とりあえず、弦巻(世田谷)だよね。「ふたりで曲をつくろう」って話をして、実際にやりだしたのは。

Z:オレが17ぐらいから弦巻でひとり暮らしをしだして、88年の暮れにニューヨークに行った後、リリックを書き出したんで、正確には結成は89年か。

ポジティヴ・ヴァイブでは英語でラップをしていたんですよね?

Z:そう。ただ、ラップも、並行してやっていたDJも、20歳ぐらいでいったん、止めちゃうんだよね。ニューヨークに行って帰ってきて、89年の1月か2月ぐらいから〈六J〉(ディスコ〈J TRIP BAR〉の通称)でDJをはじめることになったんだけど、オレは89年の4月で18だから、本当は駄目で、ただ、店の方も「まぁ、もうすぐ18だから平気だろう」って感じで採用してくれたんだ。ところが、20歳でガキができて、向こうの親から「水商売の奴にうちの娘はやれねぇ!」って言われちゃって。当時、DJは水商売だったのよ。それで、ちゃんと9 to 5の仕事に着かなきゃいけなくなって、一回、DJもラップも諦めた。その頃って、ZOOの影響でヒップホップが盛り上がりはじめてたし、もったいなかったよ。オレは〈六J〉の火曜日をひとりで任されてたんだけど、そこも誰かに継がなきゃいけないっていうことになって、当時、オアもDJを本格的にはじめてたし、「代わりにやってくんない?」って頼んだんだ。

O:でも、〈六J〉ではヒップホップをかけてたといっても、客はBPMが早い曲にしか反応しなかったね。

Z:そうだね。オレらとしては、もっと遅い、カンカンタッ(BPM90)みたいなのが大好きだったんだけど、それはさすがに……。

O:好きなんだけどかけられない曲がたくさんあった頃だったな。現場では普通にハウスとかもかけてたし。

Z:ニュージャック(・スウィング)とかね。ある程度、音が固くないとノってくれない。ジャンブラ(ジャングル・ブラザーズ)でも反応があるのは“アイル・ハウス・ユー”(88年)だけみたいな。

一方、Kダブさんがリリックを書きはじめたのは?

K:英語で、真似事みたいな感じでやりはじめたのは、オレも、88年の終わりとか、89年の頭とかなのかな。もちろん、その前からラップは聴いてて、ラン・DMCとかLL・クール・Jとかが好きだったんだけど、(LLの)“ゴーイング・バック・トゥ・キャリ”(88年)を聴いて、「よし、オレもやってみよう」って英語でライムを書きだした。

やはり、ZeebraさんとKダブさんの重要な共通点として、まずは英語でリリックを書きはじめたということがあると思うんですが。

K:まぁ、正直、日本人でヒップホップをやれてる奴がいるとは思ってなかったから、アメリカのシーンだけを見てたし、向こうで人気のあるラッパーを好きだったしね。


要するに、当時の日本のヒップホップにはストリートを感じさせるものがなかったんだよね。(Kダブシャイン)

Kダブさんは著作『渋谷のドン』(講談社、2007年)で、「1980年代後半から世界中で隆盛していったヒップホップだが、果たして日本はどうだったか。藤原ヒロシや近田春夫、いとうせいこうら、ロンドン経由の軟弱なアパレル系のものしかなく、それはファッションのひとつとして紹介された」と書いています。また、Zeebraさんも『ZEEBRA自伝』で、「1988年にはメジャー・フォース(高木完、藤原ヒロシ、屋敷豪太などが参加したヒップホップのインディーズ・レーベル)ができた。/その前にも近田春夫さん、いとうせいこうさんがヒップホップを取り入れたりはしていた。/ただ、それはあくまでもミュージシャンが新しいジャンルを取り入れているというスタンスだったと思う」「自分のやりたいものとはちょっと違う。向こうのとっぽいヤツらとは確実に雰囲気が違う」と、日本語ラップ第一世代の表現に対して、違和感を感じていたことを振り返っています。2人がラップをするにあたって英語を選択したのは、彼らに対するカウンターの意味もあったのでしょうか?

Z:そもそも、当時の日本で、ラップでビッグになるってことなんて想像もつかなかったし、「日本の奴らにヒップホップが伝わるのはいつのことなんだろう?」ぐらいに思ってたからね。というか、はっきり、「伝わらないだろう」と思って、向こうでデビューしたいって考えてた。だから、英語でやりはじめたってことなのかな。

87年には〈ヴェスタックス・オール・ジャパン・DJ・バトル〉が、翌年には〈DJ・アンダーグラウンド・コンテスト〉がはじまり、前者ではECDが優勝、後者ではスチャダラパーが入賞するなど、日本語ラップ第2世代が登場しはじめていた時期でしたが、そういったシーンとは関わるつもりがなかった?

Z:まぁ、結局、オレらが日本のラッパーをどこで観ることになるかっていうと、外タレが来たときの前座で、ただ、そのパフォーマンスがどうにも「うーん……」っていう。

K:オレも〈メジャー・フォース〉のレコードを買ってみたりしたけど……。

O:オレも買ったよ。

Z:オレだって(タイニー・パンクスの)「ラスト・オージー」(88年)を買ってみて、プロダクションに関しては、DJ的観点でつくってあっておもしろかったんだけど、ラップに関しては「もうちょっと格好良くならないもんかねぇ」と思ってしまって。都々逸みたいに聴こえたっていうか。(高木)完ちゃん、いますげぇ仲いいからこういうこと言うのは気まずいんだけど(笑)。正直、当時はそう感じちゃったからさ。「いやいや、いまのヒップホップってもうちょっとフリーキーなフロウもあるし」って。だから、ラップに関しては、オレがやりたいと考えてたことの2歩ぐらい手前の感じがしたし、「これはちょっとちがうかなぁ」と思ったっていうところかな。

たとえば、いとうせいこうや近田春夫、タイニー・パンクス等にとっては、80年代半ばのラン・DMCに感化された部分が大きかったと思うんですよね。ただ、80年代も後半になるとラキムが出てきたり、ラップという表現がより進化していきましたよね。そういった現行のラップ・ミュージックを熱心に追っていただろうZeebraさんやKダブさんにとっては、ラン・DMCを引きずり続けているような日本のラッパーたちが古臭く思えたんじゃないでしょうか?

Z:もちろんそれはあったよね。話がいきなり飛ぶけど、『ソラチカ』(『空からの力』)でやっているデリヴァリー、ラップの譜割に関して言えば、収録曲のほとんどをつくった94年当時、向こうで流行っていた韻を置く場所を予測させないようなスタイルをすごく意識した。たとえばジェルー(・ザ・ダマジャ)とか、ケツ・ケツで踏まずに、ランダムに踏むっていう。そういう視点は英語でラップしていた80年代末から変わってない。

K:オレは85年にアメリカに留学して、地元の黒人と友だちになって。彼らと遊ぶ中で、アメリカにおける黒人の歴史や現在置かれている状況を知ったし、ブラック・ミュージックがそれに影響を受けていることも肌で感じて。それで、日本に帰ってきて日本人のラップを聴いたら、やっぱり、ブラック・ミュージックとしては物足りないと思っちゃったよね。

Z:本当にその通りだね。

K:そこに不満を感じて、日本でヒップホップをやることっていうか、日本語でラップをやること自体、不可能なんだなって決めつけちゃったんだ。英語もわかりはじめてたし、そもそも、文法がちがうじゃんって。80年代はそんな感じだったな。

Z:オレが思うに……当時、日本のヒップホップには2ラインあったじゃない? ひとつは、〈メジャー・フォース〉に代表される、ヒップホップにたどり着くまでにパンク/ニュー・ウェーヴを経て来たタイプ。もうひとつは、ユタカ君(DJ YUTAKA)たちみたいなブラック・ミュージックを経て来たタイプ。かたやファッション誌やカルチャー誌みたいなメディアに頻繁に登場するような華やかな世界で。片やディスコが現場で、客は基地のブラザーだったりして、いなたさもあって。オレにとっては、前者はコッタくんが言うようにブラック感が足りなかったし、後者はちょっと〝いま感〟が足りなかった。

そのどちらにも馴染めなかったと。

K:別の言い方をすると、当時、ヒップホップをカウンター・カルチャー的なものとして捉えるか、ポスト・モダン的なものとして捉えるかっていうちがいもあったと思うんだ。〈メジャー・フォース〉は後者だけど、オレはさっき話したようにアメリカでルーム・メイトの黒人からいろいろと聞かされたからさ。それで、ヒップホップのカウンター・カルチャー的な部分に共感するようになったし、ポスト・モダン的な見方っていうのはあまり好きじゃなかったんだよね。

Z:あとはあれだな。デ・ラ・ソウルの“ミー、マイセルフ・アンド・アイ”(89年)のPVがあるじゃん。学校でイジメられるやつ。あれのイジメる側だったからさ、オレらは(笑)。だから、スチャダラパーとかがステージに上がってるところの最前列でこう(煽るジェスチャー)やってるのがオレらの立ち位置だったの。どっちかっていうと。あと、当時、渋谷だの六本木だのでふらふらしてると、気がつけばひと回り上の先輩と知り合ってたりするじゃん。それで、そのひとたちは、車屋とかやってて、儲かってて、派手に遊んでるわけ。でも、日本のヒップホップの現場に行くと、そういう、悪い先輩と繋がってるひとはいないっていうか、こっちもとにかく若くて、何も知らないから、「お前ら誰なんだよ。オレはもっとヤバいひとたち知ってるし」みたいな感じもあったよね。

K:要するに、当時の日本のヒップホップにはストリートを感じさせるものがなかったんだよね。

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日本は日本の……いまで言うガラパゴス的なシーンで、そこに「ちゃんと本物を持って帰って来る」みたいな使命感はあった。(Kダブシャイン)

日本では〈メジャー・フォース〉のように、本来、オルタナティヴであるはずのものがメインになってしまっていたということでしょうか?

Z:イメージとしては、やっぱり、ファッションな感じがしてたかな。たとえば、オレがどーしても受け入れられなかったのが〈ヴィヴィアン・ウェストウッド〉。だから、あれがイイと言っているひとたちとは感覚がちがうわっていうのはあった。オレは〈ヴィヴィアン・ウェストウッド〉だったら、〈フットロッカー〉のほうが好きだったから(笑)。

タイニー・パンクス時代の藤原ヒロシはヴィヴィアンにアディダスを合わせたりしていましたよね。

Z:オシャレだとは思うけど、オーセンティックな、ストレートなヒップホップではないっていうところが自分の好みとはちがったな。

K:クイーンズ・ブリッジじゃそんな格好してるやついないよ、みたいなさ。

〈メジャー・フォース〉系には「ブラック感」が足りない。ディスコ系には「いま感」が足りない。自分たちがど真ん中だと思うもの〝だけ〟が日本のラップ・ミュージックからは欠けていたと。

K:ただ、オレはいとうせいこうさんがCMでやってた「ネッスルの朝ごはん」のラップ(87年)、あれは許容範囲だったんだよね(笑)。あと、88年か89年の年末に、横浜にあった〈グラン・スラム〉ってプリンスがプロデュースしたディスコでB-FRESHのライヴを観て、「こっちは〈メジャー・フォース〉よりはありだな」と思ったな。立ち居振る舞いとかも含めて。

Z:ちょっと悪そうだったもんね。

K:ブラザー感出てるっていうか、ファンキーな感じがして、可能性を感じた記憶がある。

Z:それで言ったら、オレは『ダンス!ダンス!ダンス』(フジテレビ、90年)を観てたらクラッシュ・ポッセが出てきて、オケが“ワイ・イズ・ザット?”(ブギー・ダウン・プロダクションズ、89年)か何かを使ってたのかな? 「おー、こういうやつらいるんだ!」ってアガったな。

K:実際には、いろいろなタイプのラッパーが出てきてたんだろうけど、自分のことで精一杯だったから目がいってなかったのもあるのかもしれないね。

ただ、〈メジャー・フォース〉は日本ならではのヒップホップの形を模索していたようなところもあったと思うんですよ。また、『ZEEBRA自伝』には、80年代のことを振り返る、「一時期、黒人になりたくて、なりたくて、しょうがなかった/もちろん無理なんだけどさ」という一節がありますが、ZeebraさんもKダブさんも、当初は英語でラップしていたのが、ある時期から日本語にスウィッチして、独自の表現を目指していきますよね。

Z:もちろん、それはいちばんはじめからわかっていたことであって、オレもブレイクダンスからヒップホップに入ってるし、「黒人ばかりじゃねぇよな」って印象はあって。「プエルトリカン、多いな」とか、何だったらアジア人のブレイカーだって、白人のブレイカーだっていたわけだし、オレは、もともと、この文化を黒人だけのものとしては捉えてない。だからこそ、「日本人の自分だって入っていけるはずだ」と思ってたっていうか。デカかったのは、88年に初めてニューヨークに行ったときに、ボビー・ブラウンとニュー・エディションとアル・ビー・シュアの3組がいっしょにやるっていうんで〈マディソン・スクエア・ガーデン〉に観にいったんだけど、真ん中のPA・ブースはエリック・Bをはじめヒップホップ・スターだらけで、「わー、ハンパねー」って感じで。それで、フロアは見渡す限りシスター。しかも、いまのビヨンセみたいな感じじゃなくて、みんな、格好が小汚いんだよ(笑)。そんな中で本編がはじまる前にビースティ・ボーイズがかかったら、どーん! どーん! って超盛り上がって。しかも、“ファイト・フォー・ユア・ライト”(87年)とかじゃなくて、“ポール・リヴェア”(86年)とかだよ? そのときに、「あ、ビースティ・ボーイズはちゃんと受け入れられてるんだ? ……ほう」と思った。オレはそれにだいぶ、背中を押された感じがある。

なるほど。つまり、名誉黒人になりたかったから英語でラップすることを選んだわけではなく、アメリカのヒップホップ・シーンは人種を問わず参戦可能だと思ったからこそ、共通言語である英語でラップすることを選んだのだと。

K:オレなんかは、高校の頃からアメリカで黒人とつるんでたし、なんとなく自分はもうアメリカ人だって気分でヒップホップを聴いてたんだよね。

Z:オレもそうだったな。

K:だから、キング・ギドラにしても、アメリカのヒップホップから枝分かれした存在というイメージで、対して日本は日本の……いまで言うガラパゴス的なシーンで、そこに「ちゃんと本物を持って帰って来る」みたいな使命感はあった。

O:ふたりの話を聞いてて思ったのは、『ソラチカ』をつくる上で、もちろん、刺激を受けた音楽が同じだったっていうのも重要なんだけど、昔の日本語ラップを聴いたときの違和感が同じだったっていうのもデカいのかなって。


キングギドラ
空からの力

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Hip Hop

20周年記念
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『空からの力』は、いまでこそ「名盤」だとか「教科書」だとか「王道」だとか言われますけど、やはり、リリース当時は日本のシーンに対するカウンターとしての側面も持っていたということですよね。

K:うん、そうなんだよね。


黒人の友だちに英語のラップを聴かせると、「まぁ、それはそれでいいけど、なんで日本語でラップしないの?」みたいなことを言われたしね。(Kダブシャイン)

Kダブさんが、「日本語でラップをやること自体、不可能なんだなって決めつけちゃったんだ。英語もわかりはじめてたし、そもそも、文法がちがうじゃんって」というところから方向転換をしたのはどうしてだったのでしょうか?

K:やっぱり、アメリカのラップを聴いてると、みんな、メイン・ターゲットが自分のコミュニティの人たちなんだよね。ブルックリンの奴らはブルックリンに向けて、クイーンズの奴らはクイーンズに向けて、サウスブロンクスの奴らはサウスブロンクスに向けてラップしている。西じゃ「ウェッサーイ!」とかさ。そういうふうに、自分の地域をレップして、その地域の奴らに聴かせるっていうのが基本なんだなっていうことがわかってくると、「〝日本から来て、アメリカに住んでいる日本人〟みたいなアイデンティティでは限界があるなぁ」と思いはじめて。あと、黒人の友だちに英語のラップを聴かせると、「まぁ、それはそれでいいけど、なんで日本語でラップしないの?」みたいなことを言われたしね。その意見が、自分の中で「どうするんだ、お前は?」っていう自問自答の声になっていってさ。それで、ある日、「じゃあ、日本語でやってみようかな」ってリリックを書きなぐってるうちになんとなく原型になるものができて。「あ、こういう感じで続けていけばいいのかな」って気づいたときにはもう夢中になっていて、半年とか1年とかひたすらやりつづけてたっていう感じかな。

つまり、先ほど、Zeebraさんが言っていたようにラップはマルチ・エスニックな、あるいは、グローバルなカルチャーでもあるわけですが、同時にローカルなカルチャーでもあって、それについて考えている中で、「やはり、日本語でやるしかない」という動機づけがされていったと。

K:そうだね。あと、やっぱり、アメリカに長くいることで、望郷の念みたいなものも膨らんでいってさ。日本人でいることを意識するようになったし、もちろん、アメリカにもいいところはいっぱいあるけど、「こういうところは日本のほうが良いよなぁ」と思うことも多くて、より日本を好きになっていったわけ。一方で、日本に帰るたびに、友だちがジャンキーになってたり、パクられてたり、死んじゃってたり、「ええー? 日本、大変なことになってるじゃん」って感じて。「いま、渋谷でこうなってるってことは、そのうち、全国的にこうなっていくんだろう」と思ったし、あるいは、アメリカでスラムを見て、「日本がこうなったらどうしよう」っていう危機感も持つようになった。そういうふうに、変わっていく日本に対して自分ができることはなんだろうって考えはじめた時期と、日本語のラップに取り組みはじめた時期がちょうど重なったんだよね。

アメリカがある種のディストピアに思えた。日本がこれから向かっていくような。

Z:当時、「日本が危ない感」みたいなものはいろんなところに感じてたよね。


当時、「日本が危ない感」みたいなものはいろんなところに感じてたよね。(Zeebra)

『空からの力』に顕著な雰囲気ですよね。

Z:それと、賛否両論はあると思うんだけど、当時、『ゴーマニズム宣言』(小林よしのり、92年~)とか、実際、おもしろかったし。

K:あぁ、オウムとか薬害エイズについて描いてたころだよね。

Z:隠されている真実をあからさまにするっていうことを、ヒップホップではパブリック・エナミーだったりがやってきたわけだけど、当時、『ゴー宣』にはそれに近い感覚があると思ったし、日本でもそういうものがパブリッシュされることで、そういう目線で物を見るひとが増えてるってことは、逆に言えば、「いま、パブリック・エナミーみたいなことを日本でやってもいけるんじゃねぇの?」って思わせてくれたし。

K:本当のことを言ったり、言いたいこと言ったりするのは当たり前だろうっていう。

『空からの力』をつくるにあたって、『ゴーマニズム宣言』に刺激を受けたようなところがあった?

Z:すごいでかいなぁと思って。たとえば、自虐史観みたいなことに関しても、「本当のことに気づかせてくれたな」っていう感じが、正直、オレはしたし。どこまでが真実で、どこまでが誰かがつくった虚構なのかっていうことはわからないけど、100%悪くないわけじゃないし、100%悪いわけじゃないしってことを知るだけでも、本当に意識が変わった。台湾のひとたちが日本をリスペクトしてるんだって知ったのも『ゴー宣』だったりするから。「あぁ、こういうことを、エンターテイメントとして世の中に伝えていくやり方があるのか。だったら、オレらもラップでそれをやればいいんじゃないか」っていうことは、当時、すげぇ思った。

なるほど。では、日本語でラップをはじめた頃に話を戻すと、『ZEEBRA自伝』には、「T.A.K THE RHHHYMEの家にたまに遊びに行った時に、(略)/「そういえば、この前、コッタ君(Kダブ)から電話あってさ」みたいな話になった。/「コッタ君、ラップ始めたらしいよ」/「しかも日本語でやってて、結構ライムがちゃんとしてたんだよ」って。/(略)その当時、Kダブはオークランドに住んでいたから、国際電話でラップを聴いたのかな。/あっ、これはこれまでの日本語ラップとは違うな。/聴いた瞬間に、そう思った」というエピソードが書かれています。そして、感化されたZeebraさん自身も日本語のリリックを書きはじめるという流れですよね。

Z:そうだね。(Kダブのラップは)ライムヘッド邸で聴いたんだと思う。

それって具体的に何年だったか覚えていますか?

Z:たぶん……92年くらい?

K:アメリカで黒人の友だちに聴かせて「何言ってるかわからないけど、いい感じだよ」みたいなことを言われたりとか、アメリカに住んでる日本人や、日本の友だちにも感想を求めたりとか、そういうふうにして、試行錯誤しながら自信をつけていってたんだよね。その流れでヒデにも聴かせたんだと思う。

ちなみに、『渋谷のドン』には、「次第にアメリカでオレの日本語ラップが認められるようになり、帰国した際にも、それを友だちに披露していたりした。その頃、汐留のレイブパーティでヒデ――Zeebraと再会」という記述があります。この、〝レイブパーティ〟とは?

Z:えー、何だっけそれ?

K:ああー、その電話のあとで偶然会ったのが、汐留っていうか、新橋の線路の下みたいなところでやってたレイヴで。

Z:はいはい。日本ではレイヴがまだこれからっていう頃だったんだけど、それはゲスト・リストに載ってないと入れないようなクローズドのパーティで、オレは友だちがみんな行くっていうからついていったら、たまたま、コッタくんに会って。

K:オレがうんざりして、「アメリカから帰ってきたばっかりなのに、こんな音楽聴くのエグいんだけど」って言ったら、「車の中でヒップホップ聴こうよ」みたいな話になったんだ。

いい話ですね!

K:当時、オレはオークランドの地元のファンク・バンドとかラッパーと交流があって、ちょうど、ベイエリアのシーンが目立ちはじめていた時期だったから、その車の中で、「とりあえず、日本よりはおもしろいことになってるよ。ラップやるなら、オークランドに来れば?」みたいに誘ったんじゃないかな。あと、同じ頃、友だちの結婚式の二次会で、ヒデとノリでワン・ヴァースづつラップしたらすげぇ場が盛り上がって、いいケミストリーだなっていうのを感じたこともあった。


オレは韻をハメて気持ちよくさせることがラップの愉しさなんだって考えながら、92年からリリックを書いてるんで、言いたいことをとりあえず言って、後から韻を踏んで聴こえるように細工してるものとはレヴェルがちがう。(Zeebra)

ところで、ZeebraさんがKダブさんのラップで惹かれたのはどんな部分だったのでしょうか? 『ZEEBRA自伝』には、Kダブさんにラップを聴かされた当時、「RHHHYMEは3Aブラザーズっていうグループを組んでいて、UBG(アーバリアンジム)のINOVADERと1-Low(イチロウ)というMCと一緒に日本語のラップをやってたんで、たまに聴かせてもらったりしてた。/でもライムに関しては、もっと違うやり方があるんじゃないかって思っていた」という一文があるように、周囲でも同時多発的に日本語による新しいライミングの仕方が模索されていたと思うのですが。

Z:当時のライムヘッドたちはまだ最後の1文字を合わせるぐらいで。それに対して、コッタくんが聴かせてくれたのは、単語単位で、3文字とか4文字とかで踏んでたから、「あ、ちゃんと韻として成立してるじゃん」と感じた上に、「これだったらオレにもできるじゃん」と思わせてくれたんだよね。

ただ、それまでの日本にも、単語で踏んでいたラッパーはいましたよね。たとえば、いとうせいこうのアルバム『MESS/AGE』(89年)に付属されていた、〝福韻書〟と題したアルバムの中で使ったライミングのインデックスには、単語がずらっと並んでいます。

Z:いや、それまで、3文字、4文字の単語で、すべて母音を合わせるってことをやってたひとは、そんなにはいなかったんじゃないかな。4文字の単語で、最後の2文字が合ってるとかはあったかもしれないけど。たとえば「~の剣幕」と「~が開幕」とか。

K:「逆境」と「東京」とか。

Z:でも、「剣幕」と「円卓」みたいな踏み方はあまりなかった。

K:オレは、それまでの日本語ラップは、語尾を毎回、「あ~」とか「わ~」とか「ど~」とか延ばして響きを似せることを韻と定義しているという印象があって、ただ、それは韻じゃないって英語のラップを聴いてわかっていたから、自分としては英語の韻の構造を日本語に当てはめたみたんだよね。

Z:オレたちとそれまでのひとたちとは韻に対する考え方がちがったんじゃないかな。オレたちにとっては踏むことがメイン。だから、それまでのひとが「ここは踏めないけど、言いたいことがあるからいいか」ってスルーしちゃうのは、オレらにとってはおもしろくも何ともない。そこをなんとか踏んで、なんとか意味を通すことがアートだって考えてるから。

K:それまでの日本のラップは、作文の途中に韻を踏む言葉が入ってたりするぐらいの感じだったと思うんだよ。

Z:以前、ラキムが「ラップのデリヴァリーは、ジャズでトランぺッターやサキソフォニストがソロを吹くときのパターンと同じだ」っていう話をしてたんだけど、まったくその通りで、たとえば、パララ♪、ツッタタッタ、パララ♪、ツッタタッタ、パララ♪の〝パララ♪〟ってところがラップにとっては韻なんだ。そういうふうに、オレは韻をハメて気持ちよくさせることがラップの愉しさなんだって考えながら、92年からリリックを書いてるんで、言いたいことをとりあえず言って、後から韻を踏んで聴こえるように細工してるものとはレヴェルがちがう。

ライミングをひとつの演奏として捉える。

K:欧米で詩を書くときに使う思考法を、それまでの日本人が持ち合わせていなかったのに対して、たまたま、アメリカに行って、英語でものを考えるくせがついていた若者がその思考法をパッと日本語に置き換えたのが、当初のオレのラップだったと思うんだよね。

『渋谷のドン』には「日本語のラップが成立するかもしれない。そう思い、ひとりで研究をはじめた。そして、中国の漢文が韻を踏んでいることを思い出す。漢文にならって音読みを用い、倒置法や体現止めを試してみた」とも書かれていますね。

K:うん。大学生のときに、日本語って「~です」とか「~でした」とか「~ました」とか、いわゆる韻ではないけれど、韻律を合わせた語尾で終わるようになっているから、そもそも、韻を踏む必要がない言語だっていうことに気づいたのね。でも、新聞の見出しみたいに体現止めにして、漢文みたいに熟語で踏んで行けば、日本語でも韻のおもしろさがわかりやすく伝えられるんじゃないかと思ったんだ。ただ、研究しているうちに、「~なった」と「~あった」でも踏めるとかさ、「有り触れた言い回しでも、しっかりしたラインだったらOK」とか、自分の中でのルールができていって。だって、“スタア誕生”の「スターになる夢見育った/素直でかわいい女の子だった」とか、ぜんぜん、体現止めでもないし、普通の1ラインじゃない。だから、体現止めや熟語で踏むことにこだわってると思われがちだけど、そうではなくて。

Z:でも、「育った」と「子だった」って、ちゃんと、「そ」と「こ」から踏んでるんだよね。

K:そうそう。そこが気がきいてるのを汲み取ってよ、みたいなさ(笑)。


大体のやつが「I Rhyme」って言うわけ。だから、オレは「ラップしてる」って言い方はあまり格好良くないんだなと思って。「I Rhyme」っていうのは、要するに、韻踏んでなきゃラップじゃないってことでしょう。(Kダブシャイン)

『空からの力』のいちばんのメッセージは「韻を踏むことがモラルである」ということだと言っていいと思うんですけど、それが、日本のラップ・ミュージックを変え、ひいては日本語を変えていったわけですよね。

K:オレがアメリカに行った頃、ラップしてるらしきやつに会うたびに、当時の拙い英語で「Do You Rap?」って訊いてたのよ。そうすると、大体のやつが「I Rhyme」って言うわけ。だから、オレは「ラップしてる」って言い方はあまり格好良くないんだなと思って。「I Rhyme」っていうのは、要するに、韻踏んでなきゃラップじゃないってことでしょう。実際、向こうのラップを聴くと、「Rhyming」「Rhyming」「Rhyming」ってみんな言ってるからさ。それで、オレの中で韻を踏むっていうことが大前提になっちゃったんだよ。

OASISさんは、最初にKダブさんとZeebraさんのラップを聴いたときどう思いましたか?

O:まず、「日本語でもこういうふうになるんだ」と思ったし、同時に「ラップってこういうことなんだ」とも思った。それまで、パブリック・エナミーのラップを聴くにしても、対訳を読んだり、辞書を引いたり、理解しようとはしてたんだけど、やっぱり、ちゃんとは理解できてなかったし、どうしても、音として聴いてるようなところがあって。でも、コッタくんとヒデのラップは、向こうのラップがそのまま日本語になっているような感じで、それを聴くことによって、ヒップホップっていうものをより深く理解できたし、もっとヒップホップを聴きたいって欲が出てきた。そういうことは、それまでの日本語ラップではなかったよね。

そして、OASISさんもラップを始めます。

O:うん。『ソラチカ』を聴いて「ラップをやりたい」と思ったひとがたくさんいたのと同じように、オレはリリースの1年前とか2年前にそれを体験していて。ふたりのラップを聴かなければ、自分がマイクを持つようなことにはならなかったんじゃないかな。

Z:オレらも、その後、先人たちがやってきたことを振り返って、「あぁ、もうこの段階でこういうことをやってるんだ」「あぁ、こういうこともやってるんだ」って気づいたし、ただ、当時のオレらにそれが届かなかったのは、たとえば〈ヴィヴィアン・ウェストウッド〉を着てたからとか、フロウがちょっと古かったとか、それだけのことだったのかもしれない。あるいは、彼らが試行錯誤を公開してくれたからこそ、オレらは同じ轍を踏まずに済んだし、オレらは試行錯誤を公開せずにスタイルが完成した後、『ソラチカ』として世に出したからこそ、あのアルバムがラップの教科書として機能したのかもしれないよね。

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日本のシーンはシーンで、ある程度動きはじめてたから、「その中でやっていった方がいいんじゃないか」っていう話はしてたよね。(Zeebra)


キングギドラ
空からの力

Pヴァイン

Hip Hop

20周年記念
デラックス・エディション

Tower HMV Amazon

20周年記念エディション

Tower HMV Amazon iTunes

95年12月18日刊行のヒップホップ専門雑誌『FRONT』(シンコーミュージック)6号に掲載されたキング・ギドラのインタヴューの聞き手は佐々木士郎(現・宇多丸/ライムスター)で、リードにはこう書かれています。「そのデモ・テープが東京のヒップホップ・シーンを駆け巡ったのは、今からちょうど2年前のことだ」「一聴した者はその瞬間から、実体すらはっきりしないこのグループの名前をしっかりと記憶せざるを得なかった。カセット・レーベルにはこう印刷されていたのだ。「KING GIDDRA 見まわそう/空からの力」」「彼らのファースト・アルバム『空からの力』は、あらかじめジャパニーズ・ヒップホップの新たなクラシックとなるべく義務づけられた作品だったと言っていい」。つまり、日本のシーンの中では、93年末頃から出回りはじめたデモ・テープによって、すでに『空からの力』の方向性は周知されていたということですけど、その「デモ・テープ」というのが、今回、ボーナス・トラックとして収録される音源なのでしょうか?

Z:そう。93年の3月にオークランドに行ってギドラを結成して、日本に帰ってきてから録ったデモだね。当時、UZIのお兄さんが練習スタジオをやってて、ひと部屋だけレコーディングもできるところがあって、そこを借りて。

キング・ギドラ 『空からの力:20周年記念エディション』 Trailer

なるほど。では、そのデモについて訊く前に、オークランドでギドラ結成に至った経緯を教えてください。

K:ヒデがオークランドに着いて、何日かいっしょにヒップホップ活動をしている内に、「グループになろうか?」っていう話になって。それまでは、お互いにひとりでやってたし、ソロMCっていう自覚もあって、ソロのヴァースも書いてたんだけど、ちょうど、ラン・DMCが『ダウン・ウィズ・ザ・キング』(93年)でカムバックした頃で、「やっぱり、2MCのライヴって1MCより迫力あるなぁ」と思ってたところだったんだ。あと、なんとなく、「オレたちだったらうまくいくんじゃないかな?」っていう予感もあって。そうしたら、ヒデが「もう1人いいやつがいるんだよ」ってオアの名前を挙げて、その2ヶ月後ぐらいに会ったのかな?

そのときにはすでに、日本でリリースするということは決めていたんでしょうか?」

K:うーん、とにかく「つくる」ってことしか考えてなかったかな。もちろん、日本の皆に聴かせたいけど、具体的に日本での音楽活動の仕方をイメージしてたわけではなく。オレが向こうで仲がよかったエレメンツ・オブ・チェンジってラップ・グループの片割れの彼女が『ギャビン』って雑誌で働いてて業界に詳しくて、「ショッピングしてみるわ」って言うから任せたら、1個か2個いい話を持ってきたりして。

〈デフ・アメリカン〉からデビューするという予定もあったみたいですね。

K:もう1個あったんだけど、何だったっけ? あぁ、〈イモータル(・レコーズ)〉って〈エピック〉系のレーベルかな。でも、やっぱり、ターゲットはなんとなく日本って決めてたから。

Z:もうその時点で、日本のシーンはシーンで、ある程度動きはじめてたから、「その中でやっていった方がいいんじゃないか」っていう話はしてたよね。

『空からの力』は、もちろん、傑作なんですが、必ずしもその時期における異端的な作品ではなくて、同じ年の6月にはライムスターの『エゴトピア』が、10月にはコンピレーション『悪名』がリリースされていますし、ギドラとライミングの方法論が近いラッパーたちが集まりはじめていたという印象があるのですが?

Z:たとえば、(『悪名』に収録されたラッパ我リヤの)Qなんかは「ギドラのデモ・テープを1000回ぐらい聴いた」と言ってて、そこから、あんな韻フェチが生まれたってことだと思うし。

K:三木道三も同じようなことを言ってたよね。

つまり、ギドラのデモ・テープとアルバムの間が2年空いたことで、デモ・テープの影響が表出するのと、アルバムのリリースとが重なり、ギドラとライミングの方法論が近いラッパーが同時多発的に現れたように見えた側面もあったと。

Z:そうなんじゃないかなって気はするんだけど。あと、それだけデモ・テープが広まったのは、(DJ)KEN-BOがオレらのプロモーションをやってくれたからでもあるんだよね。「とにかく、韻がヤバいんだよ」みたいな説明をしながらデモ・テープを配りまくってくれて。

K:あと、『Fine』(日之出出版)としっかり組んだのも大きかったよね。あの雑誌は、マニアックなラップ好きとか音楽好きだけじゃない、遊び人の子たちが読んでた雑誌だったから。

Z:それこそ、ギャル全盛期でさ。みんな『Fine』読んでますって時代だったし、あの雑誌に載ったり、〈Fine Night〉に出ることによってファン層も幅広くなった。


だからこそ、「これ(『空からの力』)を聴いたら変わるよ」ぐらいに思ってたし。(Kダブシャイン)

一方、『FRONT』の、ギドラのインタヴューが掲載されたのと同じ号では、佐々木士郎が連載「B-BOYIZM」において、「日本のヒップホップ・アーティストを取り上げるのを快く思っていない層」に対する反論を書いていたりと、遊び人の中で、日本語ラップに対するイメージはそこまでよくなかったのかなとも思うんですが。

Z:士郎くんが言ってたのは、おそらく、遊び人っていうよりは、いわゆる〝ブラパン〟みたいな層に対してだね。当時、「ブラック・ミュージックが好き、ヒップホップが好き、だけど、日本語ラップは……」っていう奴がけっこういたんだ。

K:いや、気持ちはわからなくもないんだよ、オレらだってそうだったんだから(笑)。だからこそ、「これ(『空からの力』)を聴いたら変わるよ」ぐらいに思ってたし。

Z:外タレのフロント・アクトに出まくったのも、「っていうか、オレらのほうがぜんぜん格好よくねぇ?」ってことをわからせたかったからだしね。

K:まぁ、エリック・サーモンにしても、ショウビズ&AGにしても、みんな、「何言ってるかわかんないけどイイよ」「これならぜんぜん行けるよ」って言ってくれたからね。

80年代末に、Zeebraさんは外タレの前座をやっていた日本人ラッパーたちに違和感を感じてたいたという話がありましたが、そこで、ギドラがUSと日本の差を埋めたとも言えますよね。

Z:そうだね。エド・O.G.に至ってはオレらが完全に食っちゃたし。あと、その頃のことで印象に残ってるのが、グレイヴディガズが〈ジャングルベース〉(六本木のクラブ)でライヴをやったとき、オレはバーカウンターに寄っ掛かって観てたの。そうしたら、途中でプリンス・ポールが「この中でラップできるやついないのか?」みたいなことを言って、前のほうにいた基地の奴が、まぁ、どうってことのないラップをしだして。だから、「しょうがねぇな」ってオレがマイクを持ったらフロアも盛り上がったし、グレイヴディガズも「おー」みたいな感じになってさ。それで、ステージから降りたら、黒人に後ろから抱きつかれてるブラパンが「やるじゃーん」って言ってきて。そのとき、「ついに勝ったぜ、ブラパンに」にと思ったよね(笑)。

K:そういう意味では、〈Pヴァイン〉からリリースしたのもよかったよね。ブラック・ミュージック好きに認められてたレーベルだからさ。

そして、ライムスターの『エゴトピア』で「口からでまかせ」にソウル・スクリームとともにフィーチャリングされたあと、95年7月にリリースされたコンピレーション『THE BEST OF JAPANESE HIP HOP VOL.2』収録のSAGA OF K.G.名義「未確認非行物体接近中」のアウトロでは「ライムスター、メロー・イエロー、イースト・エンド、ソウル・スクリーム、マイクロフォン・ペイジャー、ランプ・アイ、ユー・ザ・ロック&DJベン、雷クルー、ECD、キミドリ、ガス・ボーイズ、クレイジーA、DJビート、DJ KEN-BO、ライムヘッド」といったアーティストたちにシャウトアウトを送っていますね。

K:うわ、そういえば、言ったね~!

Z:うん。この頃には、皆でやっていこうという意識の中で動いてたから。

『空からの力』をレコーディングしはじめたのもその頃でしょうか?

K:95年の夏からスタジオに入ったんじゃなかったかな。暑かった記憶がある。

アルバムには、それまでデモ・テープに収録していた曲は全部入ってる?

Z:いや、入ってない曲もある。


「いくら日本で悪い子ちゃんだって言っても、ガンを持ってるわけじゃないし、ひとを殺したわけでもないし、向こうに行ったら普通だよ」と思ったら、ファーサイドの具合がちょうどいいなって感じたんだよね。(Zeebra)

今回、「見まわそう」のデモ・ヴァージョンだけ、事前に聴かせてもらったんですけど、Kダブさんがアルバムとあまり変わらないのに対して、Zeebraさんの発声はぜんぜんちがいますよね。

Z:そうなんだよね。まったくちがう。

Zeebraさんは、その時代その時代の、ラップのモードに合わせてスタイルを変化させてきたと思うのですが……。

Z:ただ、そのデモの頃は、それこそ試行錯誤している最中だったかな。自分のラップ・スタイルはどれがベストなのか探ってた感じ。あと、ファーサイドの影響がモロに出てる。いま振り返ると、自分たちとしては、不良っぽかったり、ストリートっぽさを持ってたりっていうのは大前提だったんだけど、もともとはUSでやろうとしていたので、「いくら日本で悪い子ちゃんだって言っても、ガンを持ってるわけじゃないし、ひとを殺したわけでもないし、向こうに行ったら普通だよ」と思ったら、ファーサイドの具合がちょうどいいなって感じたんだよね。

あの声の高さはファーサイドですか。

Z:ファーストの『ビザール・ライド・トゥ・ザ・ファーサイド』(92年)が出て、「パック・ザ・パイプ」って曲もあったり、楽しそうだったり、ドロドロしてたり、「何かおもしろいなぁ」と思ったのが、まさに、デモ・テープをつくる半年前ぐらいだったんだよね。でも、「日本のシーンの中でやる」っていうことを考えるんだったら、もっとストリート性みたいなものを出した方がいいかなと思って、だんだん、声のトーンも下がっていった。だから、デモ・テープから、ソロのセカンドの『BASED ON A TRUE STORY』(2000年)までをひとつの流れとして見ると、オレのラップがどんどん男っぽくなっていくのがよくわかるんじゃないかな。

なるほど。ちなみに、『空からの力』は、リリース当時、どれぐらい売れたんでしょうか?

Z:気がついたら、20000枚か30000枚ぐらいは売れてたよね。

では、長い時間をかけて浸透していったという感じではなく。

K:うん、最初の2、3ヶ月でけっこう売れたんじゃないかな。HMV渋谷店のチャートでは6週ぐらい連続で1位になったり、大騒ぎになってたって言ったら大袈裟かもしれないけど……。

最初に影響を自覚したのはいつですか?

K:やっぱり、〈さんピンCAMP〉(96年)のときは、あの大雨の中、満員の客が盛り上がっていて……もちろん、自分たちだけが出てたわけじゃないけど、「あぁ、日本でもヒップホップがここまで影響力を持つようになったんだな」と思ったよね。ちょっと怖いぐらい熱狂的な感じ。

『ZEEBRA自伝』では、「あの頃はデカいイベントが月に1回くらいのペースであったんで、いつものルーティンな感じだった」とも書いてありましたが。

Z:いや、それは、〈さんピンCAMP〉だけのおかげで日本のヒップホップが盛り上がったわけではなく、〈(クラブ)チッタ〉でやっていたようなオムニバスのイベントだったり、〈イエロー〉や〈ゴールド〉でやっていたようなパーティだったりの積み重ねでシーンが出来上がったってことを言いたかったんであって。ただ、〈さんピンCAMP〉のキャパがそれまでで最大だったのはたしかだから。それこそ、“未確認非行物体接近中”のイントロが鳴り出して、ぐわーって歓声が上がったときはゾクゾクッときたよね。「よっしゃー!」って。

K:オレはどのアーティストも同じぐらい盛り上がったっていう印象だったんだけど、ひとによっては、「ギドラのときがいちばんだった」って言ってくれるのはうれしいよね。それだけ、アルバムが受け入れられてたんだなって思った。

ただ、そのステージにOASISさんはいませんでしたよね。

O:あのときはKENSEIがDJをやったんだっけ?

K:KENSEIとKEN-BO。

O:あぁ、ダブルDJだったんだ。オレは現場にすらいなかったから。あとから映像で観た。

K:当時、オアは音楽から身を引こうとすら思ってたみたい。


アルバムの中では自分の役割を果たせたと思ってるし、やりたいことができてるなって、今回、聴き直して感じたね。(DJ OASIS)

当時の文字情報……たとえば、『HIP HOP BEST100』(Bad News、96年)を読むと、「もともとあまり表舞台に出ることは少なかったトラック・メーカーのDJ OASIS」というふうに書かれています。

O:うん。ほぼ、表舞台には出てないかな。アルバムを出した年に結婚もしたし、生活を取ったっていう感じで。音楽で金を稼ぐっていうことにまだピンときてなくて、バイトもしてたからね。

自分が参加していないうちに、キング・ギドラがどんどん大きくなっていったことに対して、何か感じることはありましたか?

O:やっぱり、すごい感じてたよ。音楽雑誌に出ることは当たり前かもしれないけど、その頃から、一般誌にも出るようになってたからね。何気なく雑誌をパラパラめくってて、パッとふたりの写真が出てくると、「あぁ、オレも本当だったらここにいたんだよな」っていうことは思ったし。だからと言って、自分が選んだ道は後悔してなかったから、日々の仕事を淡々とこなしてたけど、ギドラがでかくなっていく一方で、いつまでも変わらない自分には違和感を感じてたね。「悔しい」とか「クソ!」みたいな感じではなく、心にポカンと穴が空いてるような……。

なるほど。

O:ただ、たしかにライヴに関しては何年も参加できなかったし、『ソラチカ』に関しても仕事でスタジオに行けなかったときもあったんだけど、アルバムの中では自分の役割を果たせたと思ってるし、やりたいことができてるなって、今回、聴き直して感じたね。

一方で、ZeebraさんとKダブさんは、後年、『空からの力』のレコーディングの時期を、グループとしてはあまりいい関係ではなかったと振り返っていますね。たとえば、『渋谷のドン』には「空中分解の状態」だったと、『ZEEBRA自伝』にはKダブさんに対して「うーんと思うことも増えてきた」と書かれています。

K:うーん……蜜月が終わったというか……。最初は一気に近づいていっしょにやるようになったわけだけど、そりゃあ、時間が経つごとに意見の相違も出てくるし……。

名盤と言われている作品の裏では、じつは、OASISさんが音楽から離れようと考えていたり、KダブさんとZeebraさんの関係がよくなかったりしたというのは、リスナーとして興味深いです。

K:たぶん、オレもヒデも本能的に「これを出さないと次につながらない」ってことがわかってたから、アルバムに関しては「ビジネス・ネヴァー・パーソナル」でとにかく完成させようと。ただし、その後は袂を分かつことにはなるんだろうな……みたいな予感はしつつ、レコーディングは無我夢中だったよね。もし、完成させられなかったら、それまで積み重ねてきた努力も台無しになるし、他の奴らにもデモで影響を与えたんだとしたら彼らにも申し訳が立たないし。『エゴトピア』の「口からでまかせ」は言わば予告編みたいなものだったので、その後、本編が幻になっちゃうようなことだけはやっちゃいけないなっていうのもあって。そこは、〈Pヴァイン〉もよくサポートしてくれてたと思うよ。

(『空からの力』のブックレットを熟読しているZeebraに対して)当時、Zeebraさんはどんなことを考えていましたか?

Z:……いま考えてたのは、この写真を見ると、オアがいちばん顔が変わったかなって(笑)。

K:あー、たしかに。

O:……わかんないけど、2人がぶつかった時期があったんだとしたら、それは、たぶん、オレがいない時期で。だから、もしかしてオレがいたら、和らいだりもしたのかなって思うことはあるね。

Z:もしかしたらそれはあったかもしれないね。

K:そうだね。

Z:ただ、オレが、正直に思うのは、ギドラ以降もいろんなアーティストと友だちになったけど、いま話してたようなことは、アーティストは誰しもが持つ問題だと思う。

K:うん。

Z:やっぱり、エゴじゃん、アートって。自分が表現したいものを100%表現したいと思うのがアートだから。もちろん、ギドラみたいに3人でひとつのアートを完成させるっていうことも大事なんだけど、それと同時に、「オレはこういうことをやってみたい!」っていうエゴもあって、「ただ、それにはコッタくんは合わないかも」って思うかもしれないし、コッタくんはコッタくんで「ヒデは合わないかも」って思うかもしれないし、オアはオアで思うかもしれない。そういうエゴのぶつかり合いは、アーティストが集まれば必ず起こることで、だから、すごく健康的なことなんじゃないかな。その後、『最終兵器』(キング・ギドラのセカンド・アルバム、2002年)もつくって、いま、こうしていい関係になってるわけだし。


たとえば93年にはウータンのアルバムが出てるわけで、オレたちにしても、全員がソロというスタンスを守りながらユニットとしてやっていくっていうのは、最初から何となく決めていたことではあったんだよね。(Kダブシャイン)

そのぶつかりあいこそがケミストリーを生んだのかもしれないですよね。

O:ふたりとも、性格もちがうし、表現したいこともちがうんだけど、ヒップホップの意識レヴェルみたいなものは同じ高さで。だからこそ、どんなに喧嘩しても「もう絶対会わねぇ」みたいなことにはならない。たぶん、ヒップホップに関して、いちばん刺激的に反応してくれるのがお互いなんだよ。なので、当時も、いろんなひとがふたりの関係のことを訊いてきたけど、「ふたりは根底では同じだから、最終的には割れないだろうな」って思ってたよ。

Z:それこそ、「あれ聴いた?」とかいう話をするときに、いちばんオン・ポイントで意見を交換できるのがコッタくん。以前、Twitterでもつぶやいたけど「俺とコッタくんはヒップホップに対して持ってる尺度がちょっと違うからたまに相反するんだけど、根っこは一緒」みたいな。本当にそういうところはすごいあって。

K:あと、さっきのオレの言い方はちょっとネガティヴに聞こえたかもしれないけど、たとえば93年にはウータンのアルバムが出てるわけで、オレたちにしても、全員がソロというスタンスを守りながらユニットとしてやっていくっていうのは、最初から何となく決めていたことではあったんだよね。その方がお互いに依存しなくなるし、そもそも、それぞれに才能があるし。だから、このアルバムにもふたりともソロが入ってるわけじゃん?

Z:だって、デモの段階でコッタくんのソロが入ってたんだもん。この、『空からの力』を出すまでは、オレらにとってはギドラしか表現する場所がなかったから、どうしても、エゴのぶつかり合いにもなったんだよね。でも、その後、ソロで3者3様の表現をしたから、もうぶつかり合うことはなくて。『最終兵器』で「じゃあ、キング・ギドラでまた1枚つくりましょうか」ってなったときは、もうノー・エゴで、100%、グループとしてのアルバムをつくることに集中できた。


『最終兵器』はいろいろと物議も醸したわけだけど、それも、「パブリック・エナミーのようなグループを日本でやりたい」っていう、『空からの力』の頃の目標が、ようやく、達成できたんだとも言える。(Zeebra)

『ZEEBRA自伝』には「『最終兵器』は『空からの力』完成版という意識でつくった」とあります。

Z:そういう意識はものすごくあったね。

O:オレもようやくがっつり参加できたし。

K:ヒデがフィーチャリングされたドラゴン・アッシュ(『Grateful Days』、99年)のヒットの余波もあったりとか、映画(『凶気の桜』、2002年)も巻き込んだりとか、レーベルの〈デフ・スター〉が本気で金を使ってくれたりとか、大きいプロジェクトにできたし、やっぱり、あのときの達成感は何ものにも換えられないものがあったね。

Z:オレだって、セールス・レヴェルの話で言ったら、いちばん売れてるのはあのアルバムだし。あと、『最終兵器』はいろいろと物議も醸したわけだけど、それも、「パブリック・エナミーのようなグループを日本でやりたい」っていう、『空からの力』の頃の目標が、ようやく、達成できたんだとも言える。

K:だから、ここで『最終兵器』の話をするのは変かもしれないけど、あれがなかったら、この20周年記念盤も出せてなかったかもしれないから。

O:それはそうだね。

Z:「あー、20年経ったかぁ」なんて言って、そっぽ向いてたかもしれない(笑)。

K:『空からの力』をクラシックとして確実なものにしてくれたのは、じつは『最終兵器』なんだよね。というわけで、7年後にはまたインタヴューをお願いします。

えっ、『最終兵器』20周年記念盤? それも論じがいがありそうですね……。ちなみに、3人とも表現を更新しつづけているアーティストであるわけですけど、今回、『空からの力』という20年前のアルバムをあらためて聴き直してみてどう感じたのでしょうか?

Z:まぁ、可愛いな、よくやってるな、頑張ってるな、って感じ。これをつくってた24歳のオレに向けて「けっこう、頑張ってんじゃん」って思う。

K:10年前は子供の頃の写真みたいで恥ずかしいから閉まっときたい感じだったけど、それからまた10年ぐらい経って、「あぁ、ここが原点だったんだな」って思うし、本当に感慨深いよね。

O:昔からクラシックだって言ってくれるひとは多かったけど、自分としても20年経って初めて「すごいことやってたんだな」って認められるようになったね。

Z:それにしても、デラックス・エディションを出してもらえるっていうのはものすごい誇らしいよ。だって、そんなアーティストなんてほとんどいないし。オレは王道のアーティストが大好きだから、R&Bにしたって、マーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダーの「○○周年記念盤」とか「○○周年ボックス」とかよく買ってたもんね。自分たちがそこに並ぶことができたのは本当にうれしい。


■KGDR(ex.キングギドラ) 〜「空からの力」20th Anniversary〜

7月18日(土) 「NAMIMONOGATARI 2015」 @ Zepp Nagoya
https://www.namimonogatari.com/

8月15日(土) 「SUMMER BOMB produced by Zeebra」 @ Zepp DiverCity TOKYO
https://summer-bomb.com/

9月6日(日) 「23rd Sunset Live 2015 -Love & Unity-」 @ 福岡県・芥屋海水浴場
https://www.sunsetlive-info.com

CARRE - ele-king

 NAGとMTRというイカしたネーミングのふたりによる日本屈指のインダストリアル・ミュージック・デュオCARRE(ケアル)が、画家である近藤さくらに「絵を描くとき用にミックスを作ってほしい」と依頼されたことからはじまったという〈GREY SCALE〉なる試み。結果、ミックスではなくケアルの新曲が用意されることになったこの試み──いや、「試み」と呼ぶには両作家の表現にはあまりにも秘めたる共通点が多く、近藤のモノクロームの平面作品からゆるやかに見えてくる/聞こえてくる光沢のある陰り、冷たく熱狂する軋みは、まさにケアルの音楽そのものである。
なので、ここに摩擦と衝突のくり返しを期待するのは野暮な話であって、あるのは音の肌ざわり、そして、線と形の膚ざわりにこだわり抜いたケアルと近藤の意識の落ち合い。それが解体するのではなく伸び縮みしながらブレンドされ、目的を追い越してずるずるズレながら行ったり来たりする屈曲の連続にスリリングな醍醐味があるのだ。

 4月に恵比寿のKATAで開催されたエキシヴィジョン〈GREY SCALE〉展オープニング(なんと6時間にも及ぶライヴ+ペインティングを決行!)でのあれこれは倉本諒氏のライヴレヴューに詳しいので割愛させていただくが、いよいよケアル待望の新作であり、この展示の音楽をまとめた作品『GREY SCALE』がリリースされた。もちろんアートワークは近藤さくらによるものである。

 1曲め“Tin Reverb”から堂々たる金属的エレクトロニクスが打ち鳴らされ、ぬーっと目の前に灰色の光景が広がる。つづく“LFTM #1”ではうねるベースマシンの上を不穏なシンセが木霊しながらゆらり行き交い、まるでスロッビング・グリッスルの“20 ジャズ・ファンク・グレイツ”なんかを彷彿とさせる。そして3曲めの“Open”では、モジュラーシンセによるコズミックな音の粒が弾けてポコポコと転がり回り、その艶っぽいユーモアにこちらの耳も悦びの手をたたくではないか。

 ケアルと近藤さくらによる音と絵画の共同作業は、往復書簡という形でやりとりが行われ、3年もの時間を費やして完成されたというが、ここにある線の痕跡と騒音の記録にはその長き時間によって磨き抜かれた美しさと硬度がある。そして、そのインテンシティはアルバムの後半からますます顕著になる。リズムボックスとマシンの空っぽなビートによる立体的な折り重なりに膝をカックンとされる“Tepid Liquid”、カルトでカオティックな音響が妖しくプリミティヴな生命エネルギーを感じさせる密教音楽のごとき“Vertigo”、そして、本作のハイライトである“LFTM #2”では、低周波エレクトロニクスの快感に耳を揉みほぐされてとろとろになるところを、ピントを合わせるようにいぶし銀な旋律が立ち現れ、エッジーなミニマル運動が駆動する。ああ、機械になりたい……。

 ここには、まるで彼らが敬愛するドーム(ワイヤーのブルース・ギルバートとグレアム・ルイスによって創設されたポストパンク〜音響〜インダストリアル・デュオ)を偲ばせる辺境最先端の音楽を奏でつつも、古きよきインダストリアル・ミュージックの焼き直しに終わらない新しさがある。誤解を恐れずに言うと、音の質感こそ金属に付着した赤錆のようにざらついて不適でストレンジだけれど、組み立てられた音楽はまるで流麗なシティ・ポップを聴いているかのようにパーンと抜けがよいのだ。

 かつて、消費社会から産まれた都市の生理のいびつさを象徴した(とかなんとか書くとたちまち文章が大げさになりますよね)インダストリアル・ミュージック。日々アップデートを重ね(都合良く利用され?)、アンチテーゼであったはずの言葉そのものが大量消費されてしまい、いまやその実態を細かく把握することは至難の技である。でも、ケアルの音楽を耳にすると使い古された「インダストリアル」という言葉に、深くて重みのある灰色の光輝が甦るのを見とることができる。そして、どくどく胎動する即物的な機能美と筋の通った電気美学(彼らのステージ中央には、ルイジ・ルッソロのイントナルモーリよろしくメガフォン型の巨大スピーカーがそびえている!)──その粋な風情を漂わせるちゃきちゃきのインダストリアル気質に、退廃的ロマンティシズムの明るい未来を感じとることができるはずだ。

Satomimagae - ele-king

 うっとおしい梅雨ですが、曇った空や雨降りを味方につけてしまいそうな音楽もあります。しかも、日本のお寺でそれを聴くことは、
まるでトラベルマシンです。いつも利用している電車から降りて歩くいつもの風景だというのに、そこは異次元の入口です。
 昨年、USのグルーパーに匹敵する作品をリリースしたサトミマガエが、その作品『koko』のリリース・ライヴをやる。場所は、東京は大田区大森の成田山圓能寺。
 共演者は、ele-kingではお馴染みですよ。Family Basikの加藤りま、34423=ミヨシ・フミ、そして畠山地平伊達先生オピトープです。
 そう、これ、かなかり良いメンツなんですよ。しかも、何度も書いているように、お寺でのライヴは、本当に気持ちいいです。


■開催日時場所■
2015年7月4(土曜日)
open 15:30 / Start 16:00
入場料:AD:2,500 Door 3,000
会場:大森 成田山圓能寺 Ennouji (Omori St JR)
住所:東京都大田区山王1丁目6-30
1-6-30 Sannou Ota-Ku Tokyo
 JR京浜東北線大森駅北口(山王口)より徒歩3分
ホームページ https://ennoji.or.jp/index.html
(当イベントについて圓能寺へのお問い合わせはお控え下さい)


■前売り応募方法
下記メールアドレスまでお名前、人数を書いて、メールを送ってください。
katsunagamouri@gmail.com


■Live■
Satomimagae
加藤りま (Rima Kato)
34423
Opitope + 智聲(Chisei)


■Satomimagae
Satomimagae は1989年に生まれ、2003年から現在まで作曲を続けています。東京を中心に活動中です。2012年3月に初のアルバム「awa」をリリース、11月に映画「耳をかく女」の音楽担当。2014年12月にセカンド・アルバム『koko』をWhite Paddy Mountainよりリリース。現在精力的にライヴ活動を展開中。

■加藤りま Rima Kato
2009年よりライヴ活動を始める。ローファイ・ポップを通過しフリー・フォークを経たような哀愁を帯びながらも透明感のある歌声は、ぽつぽつと進むシンプルなアレンジの楽曲によって際立って響く。2010年ASUNA 主宰のカセット・テープ・レーベル WFTTapes から2本の作品をリリース。2012年同氏による3インチCDレーベル aotoao からミニ・アルバム 『Harmless』をリリース。2015年1月、フル・アルバム『faintly lit』をflauよりリリース。2月から5月にかけて日本各地、韓国と断続的に続いたツアーを無事終える。2014年11月に実兄とのユニット Family Basikのファースト・アルバム『A False Dawn And Posthumous Notoriety』をWhite Paddy Mountainよりリリースしている。

■34423
愛媛県出身、東京都在住のサウンドアーティスト。幼少より録音機器や楽器にふれ、音創りと空想が生活の一部となる。 切り取られた日常はサウンドコラージュによって独自のリズムを構築し、電子音に混ざり合い、より空間の広がりを感じさせる。 過去7枚の作品発表し、容姿と相対する硬派なサウンドと鮮烈なヴィジュアルイメージで注目を集め、2013年7月17日に待望の世界デビュー盤"Tough and Tender"(邂逅)をリリースし話題をさらった。その後も都内の大型フェスなどの参加や、ビジュアル面を一任するアートディレクターYU­KA TANAKAとのコラボ作を発表するなど勢力的に活動を重ね、2015年2月に最新作”Masquerade”(邂逅)をリリースした。
また、今夏上映、鈴木光司原作のホラー映画「アイズ」などをはじめ様々な映画の劇伴をつとめている。

■Opitope
Opitope は2002年の秋に伊達伯欣と畠山地平により結成。伊達伯欣はソロやILLUHA、Melodiaとして活動するほか、中村としまる、KenIkeda、坂本龍一、TaylorDeupreeとも共作を重ね、世界各国のレーベルから14枚のフルアルバムをリリース。 西洋医学・東洋医学を併用する医師でもある。漢方と食事と精神の指南書『からだとこころと環境』をele-king booksより発売。畠山地平はKranky、Room40, Home Normal, Own Records, Under The Spire, hibernate, Students Of Decayなど世界中のレーベルから現在にいたるまで多数の作品を発表。デジタルとアナログの機材を駆使したサウンドが構築する美しいアンビエント・ドローン作品が特徴。ヨーロッパ、オーストラリア、アメリカ、韓国など世界中でツアーを敢行し、2013年にはレーベルWhite Paddy Mountainを設立。

CMT - ele-king

20150606

interview with Bill Kouligas - ele-king


Lee Gamble
Koch

PAN / melting bot

ExperimentalTechnoMinimal

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M.E.S.H.
Scythians

PAN / melting bot

ExperimentalGrime

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Object
Flatland

PAN / melting bot

ExperimentalGrime

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 〈PAN〉がこの先〈WARP〉や〈MEGO〉のような、なかばカリスマ的な、エポックメイキングなレーベルになるのかどうはわからないが、そのもっとも近い場所にいることは間違いない。妥協を許さない冒険的な電子音楽、アートワークへのこだわり、そしてうるさ型リスナーへの信頼度もすでにある。うちで言えば、倉本諒、高橋勇人、三田格、デンシノオト、そしてワタクシ野田がレヴューを書いていることからも(この5人は、それぞれ趣味が違っている)、〈PAN〉がいかにポテンシャルを秘めたレーベルなのか察していただけるだろう。
 さて、6月13日の初来日を控えた、レーベルの主宰者ビル・コーリガスを話をお届けしよう。こういうのもアレだが、ハウスの次には必ずテクノが来る。ホリー・ハードン(Holly Herndon)は4ADに、パウウェルは〈XL〉に引っこ抜かれた。数ヶ月前までテクノを小馬鹿にしていた倉本も(本人に自覚があるかどうかはわからないけれど、ま、ライヴがんばれよー)いまではテクノである。ことさら煽るつもりはないのだけれど、時代は動いているってことです。

〈PAN〉にとってロンドンの滞在記はいちばん重要かもしれない。音楽とアートがとても強くて、その背景には何10年もの歴史がある。アンダーグランドはそのシーンに大きな役割を果たしていたし、そこから影響もどんどん受けて、素晴らしい人びとや音楽に出会えた。

ギリシアで生まれたあなたは、最初はデザインを学び、ヴィジュアル・アートの方面に進んだと聞きます。どのように実験音楽、アヴァンギャルド、エレクトロニック・ミュージックと出会ったのでしょうか?

ビル:はじめはバンドでドラムをやっていて、リスナーでもありプレイヤーでもあったね。その後電子楽器に切り替えて、実験音楽や電子音楽と呼ばれるようなタイプの音楽にハマっていった。キャバレ・ヴォルテール、23 スキドゥー、クローム、その他のパンク〜ニューウェイヴ /ポストパンク期に出て来た80年代の有名なバンドが好きになって、それが電子音楽、アヴァンギャルドやインプロヴィゼーションといった実験音楽の入り口になった。

ギリシャには何歳まで住んでいたのですか?

ビル:アテネに20歳まで住んでいてそれからロンドンに引っ越した。もう12年前の話になるね。

財政危機の緊張感は、あなたがギリシアに住んでいた頃からあったものだと思いますが、アテネにはどのようなカタチでアンダーグラウンド・シーンは存在しているのですか?

ビル:財政問題はずっとギリシャの中心にあって、この状況は何10年も前からある。いまとなってそのシステムが完全に崩れて、メディアが全面的に取り上げるようになった。その影響で不安、緊張、自暴自棄な雰囲気が人びとのあいだに充満していて、波紋のように広がり、文化や創造性の全てに反映している。多くの若者はそこから逃げ出そうとしているけどその問題と戦っている人もいる。たくさんのアートを生み出されているし、ユニークで結束力の強いアンダーグランドなシーンが形成されているけど、そういった活動やアーティストはギリシャ以外では全く知られていなくて、単純にシーンをサポートやプロモーションをしてくれるインフラが全くないんだよ。

あなたにとって、最初のもっとも大きな影響は何でしたか?

ビル:何がっていうのをひとつに絞るのは難しいけど、若い頃からバンドで演奏したり、友だちとアイデアや好きなものを交換していって、結果いま自分が信じてやっていることに影響を与えてきたと思う。

あなたが15歳ぐらいの頃からの付き合いだというジャー・モフ(Jar Moff)やムハンマド(Mohammad)のメンバーとは、どのように知り合ったのですか? アテネでは、アヴァンギャルドなシーンは活発だったのですか? 

ビル:そうだね。ジャー・モスとの付き合いはかなり長い。僕らは90年代の10代の頃にパンク・バンドをやっていて、ずっと友だちでもある。15年経ってまた音楽を一緒にやることになったわけだから、とても特別な関係だよね。
 ムハンマドはもうちょっと後で、彼らは10年くらい前から知っている。僕は彼らとライヴをいっぱいやってきたんだけど、ムハンマドのメンバーであるイオリス(ILIOS)のアルバムをレーベルの初期に出した。ギリシャのアヴァンギャルド・ミュージックはとても活気的だけど、小さなコミュニティで、けど大きさに関わらずその背景にある歴史はとても深くて、作曲家で名前をあげるならクリストウ(Christou)、ヤニス・クセナキス、 アネスティス・ロゴセティス(Anestis Logothetis)、ミカエル・アダミス,(Michael Adamis)とか、たくさんいる。

2000年代初頭、あなたはアートを学ぶためにロンドンに移住しましたよね。その頃、あなたが経験したロンドンのアンダーグラウンドなシーンについて話してもらえますか? 

ビル:〈PAN〉にとってロンドンの滞在記はいちばん重要かもしれない。音楽とアートがとても強くて、その背景には何10年もの歴史がある。アンダーグランドはそのシーンに大きな役割を果たしていたし、そこから影響もどんどん受けて、素晴らしい人びとや音楽に出会えた。電子音楽、ダンス・ミュージックはもちろんノイズ・シーンも当時は人気があったから、かなり初期の段階で深くシーンと関わっていたんだ。イヴェントをたくさん企画して、海外のアーティストのツアーを組んだり、ヨーロッパでは自分も一緒になってツアーをしたり、エキシビジョンのキュレーションもやっていたから、上昇していくシーンの一員となってアクティヴに活動していた。ヘルム(Helm)リー・ギャンブル(Lee Gamble)、ヒートシック(Heatsick)もそのシーンを通してロンドンで出会った最初のアーティストなんだ。それから一緒になって活動を続けている。

あなたがロンドンに住んでいた頃は、ダブステップやベース・ミュージックの人気がすごかったと思うのですが、当時あなたはロンドンのクラブ・カルチャーには関心がなかったんじゃないですか? あなたから見て、それは商業的に見えたからですか?

ビル:ダブステップ全体はとても面白かったし、活気に満ちていた。とくに初期はね。それから業界がコマーシャルなものにして、シーンをメインストリームにさせていったわけだど、僕がそこに参加することも夢中になることも難しかったね。本当に良いダブステップを完全に理解するにはすごく時間がかかった。最近だと初期のUKベース期からすごく良いものをどんどん発見してるよ。

日本でも決して有名とは言えないマージナル・コンソート(Marginal Consort)のような前衛的なコレクティヴと、あなたはどうして知り合ったのでしょう?

ビル:僕は日本のインプロや実験音楽の大ファンだからね。彼らは知っていた。小杉武久さんの作品はしっかりフォローしていたし、イースト・バイオニック・シンフォニア(East Bionic Symhonia/※70年代に小杉武久が主宰したグループ)というマージナル・コンソートの前身となったグループもよく聞いていた。2008年にグラスゴーのインスタル・フェスティバルに行ったとき、マージナル・コンソートが初めてヨーロッパで演奏した。自分が見て来たライヴのなかでも格段に印象的で頭に残るユニークな体験だったね。
 その後オーガナイザーのBarry Essonとコンタクトを取って、ゆっくりと時間をかけて最後にはリリースすることができたし、その2年後に彼らをまたヨーロッパに連れて来れる機会が出来て、南ロンドンのギャラリーでライヴをやって貰った。あのリリースは自分にとってたくさんの意味があって、形にするのに時間がかかったから尚更だね。

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とくにノイズやテクノをリリースするためにレーベルをはじめたわけでなく、新しく出て来る“重要”なシーンをドキュメントにするためにレーベルをはじめたんだ。

2009年にベルリンに住む決意をした理由を教えて下さい。

ビル:ベルリンに移ったのは単純に生活しやすいからね。よりクリエイティヴなプロジェクトに集中できるし、家賃も生活のコストもかからないからベルリンは楽だよ。大きな部屋でも借りれるし、そこにスタジオを作れる、そういった環境が揃っているから多くのアーティストが引っ越すんじゃないかな。余裕ができたおかげで個人的にも自分のペースやちゃんとした生活をここで見つけられたし、とにかくベルリンは住みやすいということに限るね。
 あとベルリンを拠点にしたということで、〈PAN〉はその音楽シーンにある多国籍で実験的な部分を反映し、上手く入り込めたと思う。このユニークな環境はよく知られているけれど、この都市はクリエイティヴなリスクを取れるし、実験したいことを育てることができるんだ。〈PAN〉の役割はその育んできた実験を幅広いインターナショナルなシーンに繋げることでもある。

レーベルの拠点をロンドンやアテネやニューヨークにしなかったのは何故ですか?

ビル:レーベルは、実際は2008年にロンドンでスタートして、自分が引っ越したからいまのベルリンになった。

〈PAN〉に関してですが、最初は、ファミリー・バトル・スネーク(Family Battle Snake)の作品を出すためにレーベルをはじめたのでしょうか? それともレーベルとしてのヴィジョンが最初からあったのですか?

ビル:レーベルはファミリー・バトル・スネーク(Family Battle Snake)とAstro (Hiroshi Hasewaga)のスプリットLPを出すところから元々ははじまっていて、とくに何かそれ以上のヴィジョンや大きなアイデアがあったわけじゃない。はじめてみたらとても面白くて、他のアーティストと一緒に作るのが好きだったから、自然にレーベルが軌道に乗って、いまのようにどんどんリリースできるようになっていった。

CDではなくヴァイナルでリリースするというレーベルのポリシーはどうして生まれたのですか?

ビル:全くポリシーはない。はじめた当時はCDが全く売れなくなってアナログが戻って来た時期だったから。去年からヴァイナルとCD、デジタルも出してるよ。

ラシャド・ベッカー(Rashad Becker)やNHK'Koyxeиらとはベルリンで出会ったと思います。ラシャド・ベッカーはハードワックス(※ベルリンの有名なレコ屋)を通じてなんでしょうが、NHKコーヘイとはどんな風に知り合ったのでしょう?

ビル:ラシャドはベルリンで10年前に会った。僕が演奏しているアルバムをプロデュースしているときときだね。そのときはまだロンドンに住んでいたんだけど、2週間くらいラシャドのスタジオでレコーディングのためにベルリンに滞在していた。それから近い友だちになってレーベルの立ち上げ時からアドヴァイスを貰ったり、いろいろ助けて貰った。コーヘイはラシャドの友だちで、自分のベルリンにいる友だちの友だちでもあったんだ。同じグループにみんないたから、近しい関係になってアルバムを出すことになった。

NHKコーヘイがそうですが、最初、彼はより実験的な音響を持っていましたが、2012年の「Dance Classics Vol.I」を契機にダンス・ミュージックへとシフトしていきました。何故彼に「ダンス」というコンセプトを与えたのでしょう?

ビル:それはちょっと事情が違っている。彼はすでにその作品にとりかかっていて、僕はそれがすごく気に入った。そのとき彼はベルリンにいたからよく会っていたし、新しい作品も全てチェックしていた。彼は僕の知っているアーティストのなかでも抜群に才能のある多作家だね。

〈PAN〉は2012年以降、リー・ギャンブル(Lee Gamble)やメッシュ(M.E.S.H.)のように、実験的ではあるもののダンス・サウンドを持っている作品を出すようになります。あなたのなかにどんな変化があったのでしょうか?

ビル:僕はカルチャーが生み出す独自の空間に影響受けることに興味がある。どういったことが自分のまわりで起きていて、それがどう自分に作用するのか。ベルリンではそれがすべてエレクトロニック・ダンス・ミュージックなんだ。とてもシーンが大きい。ロンドンはロンドンで独自のシーンがあって、ニューヨークもまた別のシーンがある。自分が惹かれているものを探し出して、それを混ぜ合わせることが重要だと思っている。

ちなみにレーベルで最初にヒットしたのは、リー・ギャンブルの「Dutch Tvashar Plumes」ですか? 

ビル:リー・ギャンブルの『Diversions 1994-1996』とキース・フラートン(Keith Fullerton)の『Whitman's Disingenuity』は初期のリリースで、シーンをクロスして評価された作品だね。オーディエンスやプレスからそういった反応があったことはありがたい。けどそれはそれで、僕は自分がリリースしてきたものすべてが公平に大好きだよ。

あなたは、ジェフ・ミルズやサージョンは好きですか? もしそうなら、彼らのどんなところに惹かれるのですか?

ビル:もちろんふたりとも尊敬している。ジェフ・ミルズはどの時代であっても大きな影響を受けていて、一番最近だと彼の「Sleeper Wakes」シリーズは相当ハマったね。

デトロイト・テクノからの影響について話してもらえますか?

ビル:テレンス・ディクソン(Terrence Dixon)とアンソニー・シェイク・シェイカー(Anthony Shake Shakir)は最高だね。

メッシュの作品にリミキサーとしてロゴス(Logos)も参加しているように、あなたはUKのグライムを好きだと思いますが、とくにあなたが評価している人は誰でしょう?

ビル:初期のころからグライムの大ファンだよ。新しいアーティストでいったらヴィジョ二スト(Visionist)がずば抜けている。彼は新しいグライムのシーンから出てきて作品はもちろんその影響が大きいんだけど、それと切り離して自分自身のサウンドを作っているね。とても面白いアルバムがもうすぐ出せると思う。

ここ最近もアフリカ・サイエンシーズ(Afrikan Sciences)やオブジェクト(Objekt)などユニークなアーティストの作品を出していますが、リリースするにいたる基準について教えて下さい。

ビル:僕は発端という点で音楽と深く関わっているわけで、それは直感ではなく、どうやって個々のアイデアが形になるかを見ていく場所にいるような感じかな。〈PAN〉のすべてのリリースはフィジカルな場所で起きているものが形になってでき上った結果のようなもので、もしそのレヴェルで音楽を見ていれば、コンセプトやコンテキストという点でも、〈PAN〉が形成されていく過程は首尾一貫していてロジカルであるとわかると思う。とくにノイズやテクノをリリースするためにレーベルをはじめたわけでなく、新しく出て来る“重要”なシーンをドキュメントにするためにレーベルをはじめたんだ。

イルなラッパーとして知られるスペクター(Spectre)のリリースにも驚いたのですが、これはコーヘイ(※Sensational名義のプロジェクト)繋がりなのでしょうか? それともあなたにとって彼は影響のひとつだったのでしょうか?

ビル:いや、もともと〈WordSound〉の古くからのファンで、長いあいだレーベルをフォローしてた。あのテープはずっと持っていて、去年久しぶりに聴いたときに、ふとオーナーのスキッズにコンタクトをとってライナーを付けてマスタリングをして、ちゃんとレコードで再発しないかと話を持ちかけたら、彼は気に入ってくれて直ぐに出すことになった。

こんどリリースされるTCFについてのコメントをお願いします。

ビル:TCFはアカデミックなアーティストで、レーベルのこれからの発展にとって大きな鍵となる存在だね。彼のライヴとリリースはサウンドだけでなく、テキスト、ヴィジュアル/イメージ、映画といったさまざまなとKろに関わるだろうし、またそれらがすべて繋がった面白いことになると思う。

NHKやマージナル・コンソートのような日本人アーティストの作品を出していますが、今後、リリースしてみたいと考えている日本人アーティストはいますか?

ビル:もちろん! 日本のツアーで新しい人たちと出会えることが楽しみだね。

今週の初来日への抱負をお聞かせ下さい。

ビル:このツアーを実現してくれた全ての関係者と〈melting bot〉に感謝します。初めて行くところだから本当に楽しみでしょうがない。いろんな人に来て貰いたいし、僕らが発表するものにどんな形でも関わってくれたらうれしい。



PAN Japanツアー日程

experimental rooms #19 Lee Gamble
6.10 WED at Golden Pigs Yellow Stage 新潟
ADV 3,000 yen / Door 3,500 yen
OPEN / START 19:30
出演 : Lee Gamble, I Wonder When It Will End, Jacob

goat presents PAN SHOWCASE IN OSAKA
6.12 FRI at Conpass 大阪
ADV 3,500 yen / Door 4,000 yen
OPEN / START 17:30
出演 : Bill Kouligas, Lee Gamble, M.E.S.H., TCF, goat, Ryo Murakami, Yosuke Yukimatsu

PAN Japan Showcase
6.13 SAT at LIQUIDROOM 東京
ADV 4,000 yen / Door 4,500 yen
OPEN / START 23:30
出演 : Bill Kouligas, Lee Gamble, M.E.S.H., TCF, Soichi Terada, DJ Sufflemaster, Compuma, Chis SSG, ENA, D.J. Fulltono, goat, DREAMPV$HER, Madegg + Shun Ishizuka, セーラーかんな子, MARI SAKURAI

total Info:
https://meltingbot.net/event/pan-japan-showcase-bill-kouligas-lee-gamble-m-e-s-h/

Special Talk : peepow × K-BOMB - ele-king


peepow A.K.A マヒトゥ・ザ・ピーポー
Delete Cipy

Blacksmoker

Hip HopExperimentalAbstract

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 目を閉じて想像したまえ。深夜、K-BOMBに呼び出され、マヒトゥ・ザ・ピーポーとの対談の司会を託された二木信の精神状態を。
 それはまるで……たまに電車で一緒の車両に乗り合わせる、名も知らぬあの美しき貴婦人から、いきなり電話をもらって、「いますぐ来て!」と言われるようなものだろう。そんなあり得ない、ウキウキした感情を以下の対談から読み取っていただけたら幸いである。
 もちろん賢明な読者には、これが先日〈Blacksmoker〉からリリースされたマヒトゥのラップ・アルバム『DELETE CIPY』に関する密談であることは、察していただいていることと思う。つまり、もう聴いている人はその余談として、まだ聴いていない人には聴くための契機としてある。

 まあ、悪名高きロック・バンド、下山のヴォーカリストのマヒトゥ(熱狂的なファン多し)が、名門〈Blacksmoker〉からK-BOMBをはじめとする素晴らしいトラックメイカーたちと共演していること自体が、すでに巷では話題となっているわけだが、そこでもっとも好奇心を掻き立てられることのひとつは、マヒトゥとK-BOMBがどのよう状態のなかで会話し、創造していったのかというそのプロセスなのだ。
 二木、この場にいられたお前が心底羨ましいぜ。(野田)

マサトはさ、靴下もさ、あってないんだ。オレと一緒なんだよね。──K-BOMB
たしかに揃ったことがないかもしれない。──peepow

二木:マヒトゥさんとK-BOMBが出会ったのはいつですか?

K-BOMB:わかんない。

peepow:あんまり思い出せないね、オレも。

K-BOMB:カルロス(・尾崎・サンタナ。GEZANのベース)に電話してみたら? 彼はそういうことを憶えている人だ。

二木:ライヴの現場?

peepow:ではない。

K-BOMB:わかるだろ? オレがいつも酔ってるのは。憶えてないな。KILLER-BONGに聞いてみたらいいんじゃねーか? 奴は家で寝てるよ。

二木:K-BOMBから見て、マヒトゥさんの才能とは?

K-BOMB:そういうのは、実のところよくわからない。魅力か。人物とか自由なとこ? かなぁ。

二木:自由とは?

K-BOMB:なんかスケボーにも近いような感じさ。

peepow:オレの〈Blacksmoker〉のイメージもスケボーのりにちょっと近い。好奇心の波みたいのがあって、いい風が吹いている。オレは人も場所もニュアンスでしか感じ取ってない感じがする。

K-BOMB:人といっぱい会うけどさ、才能って人物でしかないと思うんだ。そういうものの塊だと思う。目立つ、そういう雰囲気だ。

peepow:K-BOMBから最初「チャリ、かっこいいな」みたいな話をされたのを憶えてる。

K-BOMB:ママチャリでさ真っ赤に塗られててハンドルが片方無いんだ

二木:マヒトゥさんから見て、K-BOMBの表現者としての魅力は?

K-BOMB:オレとかさ、けっこう関西ノリなんだと思う。関西の人によく言われる。「K-BOMBくん、関西っぽいな」って。

peepow:いや、わかる。東京に来て、数字やデータみたいなもので足場を作ってる人が多いことにげんなりしていた時期にK-BOMBに会って、生き物感バーンって、純度あるなーって感じた。

K-BOMB:そういう軽いノリが似てんだと思うな。

peepow:恋に落ちる時もパッと一瞬目が合って、「あ、好きかも」ってなる。理屈や理由なんかそのだいぶん後でしょ。それは匂いやニュアンスとしか言えない。K-BOMBには細胞レベルの何かってやつを感じた。血なまぐさい獣の匂い。おいしそうなもの目の前に広がってたら、蛍光色でも1回つまんで食ってみる、みたいな感覚に近いな。ドキュメントがまじわるってことは。

K-BOMB:蛍光色っぽい感じだ。わかる?

peepow a.k.a マヒトゥ・ザ・ピーポー feat. K-BOMB「SUNDANCE」

二木:『Delete Cipy』を聴いたり、それこそ“SUNDANCE”のミュージック・ヴィデオを見ると、ふたりが色や感覚で何か感じ合っていることは伝わってくる。

K-BOMB:うん。そうだね。

peepow:利害とかじゃないすよ。

K-BOMB:でも一方で、数字も手にしとかないと、またその逆をというのもある。そういうところを無視してやっているようで、実のところ絡ませたい。そうじゃないとあんまり意味がない。それが数字を相手にした時の面白さなんじゃないか。

peepow:オレは〈Blacksmoker〉やK-BONBをアンダーグラウンドと思ったことはないですね。そういう文脈を超越しよう姿勢で数字と関わってる。いびつなストリート感でしょ。

K-BOMB:アンダーグランドだと言われるけどさ、俺もそういう感覚はまったくないんだ。ただちゃんとリスペクトもある。だからさ、試してる、やってみる、やりたい。ただ、それだけなんだ。

二木:その話につながると思うんですけど、マヒトゥさんはキレイな歌声も出せるし、上手く歌おうと思えばいくらでも歌えて、メロディアスなポップ・ソングも作れる人だと思うんですよ。ただ、今回のアルバムでも上手く歌ったり、ラップすることを追求してるわけじゃないですよね。そこが面白いなと。

K-BOMB:そういうことだと思う。オレにもそういう風に聴こえる。

peepow:ジキルとハイドじゃないけど、朝起きた時は世界も征服をできるかもしれないぐらいの無敵感でも、寝る前にはひとりぼっちで無気力で何もやる気が起きないことすらある。ひとつにキャラクターをまとめることなんて本当は誰も不可能なはずなんだ。オレはいろんな場所を歩いて、歌ったり、形にしながら、自分が思ってることを楽しみながら探してる。おれのなかにいる何人もの顔を解放してあげたいんだよね。だから、卑屈な感じとか悲壮感はない。結局、映画にした時にいちばんグッとくるほうを選ぼうって感覚あるな。最速で最短でキレイなゴールに行きたいわけじゃない。全感覚でいい匂いのするほうに流されてる。

K-BOMB:感覚は大事だよ。絵を描いても写真を撮っても、イイ感覚で見えてると違う。ナナメ感もあるけど、ちゃんとまっすぐしてる。そういう感覚なんだ。マサトはバランスがいいんじゃないか。

二木:さっきの歌の上手さの話で言えば、K-BOMBも上手くフロウするラップもできるわけじゃないですか?

K-BOMB:できる。

二木:でも、あえてやらないわけでしょ?

K-BOMB:やらない。やれちゃうからね、つまらない。オレがつまらないんだからさ、人を楽しませることができない。

peepow:だから、新しい正解のカタチみたいなのを落としたいっていうのはある。

K-BOMB:どんどん知りたいんだからさ、そこら辺が重要で感覚なんだろうね。

peepow:オレのK-BOMBの好きなところは、生き方としてK-BOMBというジャンルになっているところ。その人がそのまんま音楽の言葉とイコールにならないやり方は嘘だと思うから、そこはリスペクトあるね。オレも自分がやるんだから、全部正解って言わせるよ。それは当たり前のことなんだ。

K-BOMB:そういう感覚でチャレンジして、自分を持っている人がやれんだと思う。

peepow:今回『Delete Cipy』を作って、ヒップホップは簡単にできるもんじゃないなって感じた。ただ、ヒップホップは血や生き方や生活だと思うから、そういう意味で言えば、オレもある意味ヒップホップだと思う。自分のフィルターやノドを通ったものはすべてオレのカタチになっていくから。

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上手くなるっていうのは、下手になるっていうことでもある。だから、わざと変えていく。そうすりゃさ、オレははじめた時の気持ちが持続していく。オレがよく知らないものに触れることはラップをはじめた時と同じ感覚に戻ることなんだ。──K-BOMB


peepow A.K.A マヒトゥ・ザ・ピーポー
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二木:今回マヒトゥさんがラップ・アルバムを作ろうと思ったのはなぜですか? 

peepow:成り行きだと思うんですけど、自分も最初からそうありたいと思ったんですよね。ただ、オレのラップは、ヒップホップの人が言うラップなのかはわからない。ただ、少なくともオレが純度100%であることは間違いない

K-BOMB:ラップでしょ。

二木:ラップですね。

K-BOMB:うん。ラップにね、定義はないんだよね。韻踏んでりゃラップなんだから。そうだろ?

二木:韻を踏んでればラップか。うん。

K-BOMB:違うの?

peepow:ラップって何なんすか?

K-BOMB:ラップって何なの?

二木:フロウするのがラップじゃないですか。

peepow:オレのアルバム、ラップなんですか?

K-BOMB:だったら、そうとうフロウしてるからね。

二木:ラップですよね。だから。

K-BOMB:そうだね。いいアルバムだよ。

二木:そもそも表現者、ミュージシャンとしてのマヒトゥさんの原点はどこにありますか? 例えば、ロックなのか、パンクなのか、ブルースなのか。

peepow:そのどれでもないですね。何にも考えずに生まれた瞬間は、自分の感情と直結して言葉やルールがまったくわからないのにフロウがバーッと出てくるわけじゃないですか。オギャーって泣いて生まれてくるあの一発目のフロウですよ。いろんなルールや人と会っていく中で上手いこと表現しようとしているけど、オレは最初の、何も考えずに生まれた瞬間に近づきたい感覚がある。失っちゃったものを取り返しにいきたい。

K-BOMB:上手くなるっていうのは、下手になるっていうことでもある。だから、わざと変えていく。そうすりゃさ、オレははじめた時の気持ちが持続していく。オレがよく知らないものに触れることはラップをはじめた時と同じ感覚に戻ることなんだ。だからさ、新しくはじめたことをラップのようにやるだけだよ。何も変わらないんだよね、オレは。気分も変わらない。何をやってもそのうち上手くなっちゃうからな。ふっ(笑)。

二木:それこそ『Delete Cipy』にはK-BOMBの他に、KILLER-BONG、LORD PUFF、KILLA-JHAZZが参加していますよね。とくにLORD PUFFとKILLA-JHAZZは久々登場じゃないですか。

K-BOMB:彼らが連絡して来たんだよ。やらせてくれと。仕方ないよ。

二木:久々に連絡して来たのはなぜ? 

K-BOMB:JUBEくんがコンタクト取ってたみたいだ。そうでしょ?

JUBE:KILLA-JHAZZやLORD PUFFだけでなく、BUN君、WATTER、GURU、そしてKILLER-BONG。狂ったメンバーが集まりました。

二木:LORD PUFFとKILLA-JHAZZはかなり久々じゃないですか?

K-BOMB:だいぶ久しぶりだな。LORD PUFFはカリフォルニア辺りに行ってたらしーし。

peepow:オレも気になるとこですね。

K-BOMB:K-BOMB、KILLER-BONG、KILLA-JHAZZは三つ子だからさ。LORD PUFFはイトコだけど。アナル・ファイタ(ANAL FIGHTER)もイトコなんだ。そーゆーコトになってる。

JUBE:ファイタはTHINK TANKのP……

K-BOMB:彼はエグゼクティブ・プロデューサーだよ。

二木:やはりマヒトゥさんのキャラクターと才能を見て、今回はKILLA-JHAZZとLORD PUFFだと。

K-BOMB:だいたいさ、ヤツらの曲もその場でパッと作って、その場でパッとマサトがラップを入れる感じだったんじゃないか。KILLER-BONGのことも全然わからないからさ。オレ、K-BOMBだからさ。彼らにまた後日インタヴューしたらいいんじゃないの? KILLER-BONGはいま徳島辺りに行ってるんじゃないの? 

二木:なるほどね。アルバム制作はマヒトゥさん主導で作っていった感じですか?

K-BOMB:KILLER-BONGは50曲ぐらい作ったけど、50曲渡すということは、そのすべては完成形じゃない。KILLER-BONGは、他にもっと完成度の高いトラックがあるのに、マサトが20%ぐらいの完成度のトラックでどんどん勝手に歌ってしまったんだと。「なんでそれで歌うの? こっちにもっといいトラックがあるじゃねぇか」と。

peepow:食べ物だってすげぇおいしそうなスパイスの効いたカレーじゃなくて、パーキングエリアのカレーが食いたい時だってある。理屈じゃないんですよ。

K-BOMB:だから、KILLA-JHAZZやLORD PUFFがスパイスを注入する役だ。トマトとかセロリとか。ただ、KILLER-BONGは大変だったみたいだな。ライヴばかりの生活の中50曲近く作って渡すのは。

peepow a.k.aマヒトゥ・ザ・ピーポー feat. K BOMB 「blue echo」

二木:BUNさんがトラックを作った“sleepy beats”(KILLER-BONG『64』収録曲でpeepow a.k.a マヒトゥ・ザ・ピーポーが歌った楽曲をBUNが再構築している)で、マヒトゥさんはいろんな声を出してますよね。

K-BOMB:あれ、いいよね。

二木:もちろんすべてマヒトゥさんの声なんですよね。

peepow:そうです。

二木:これだけ多彩な声が出せるというのはマヒトゥさんのヴォーカリストとしての武器であり、魅力ですよね。

K-BOMB:そうなんだよ。オレも出したい。オレも歌とか歌いたいけど、やっぱヘタなんだ。いい声が出ない。

peepow:はははは。

Fumitake Tamura (Bun) / Sleepy instrumental [[SplitPage]]

K-BOMBと最初に会った頃に、K-BOMBがオレの弾き語りのソロのYouTubeの映像を〈Blacksmoker〉の事務所で観て、「狂ったことしかできないヤツはダメだ」と言っていて、スッと腑に落ちた。──peepow


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JUBE:マヒトゥはラップに初挑戦的なイメージだけど、GEZANのライヴを見たときに「もうラップしてるじゃねーか!」って思ったよ。色は違えど、常に挑戦し、すでに多彩な武器を備えてる。K-BOMBと重なったな。これは面白いと思ったよ。

K-BOMB:武器、いっぱいあるよ。声も七色ぐらい持ってる。オレもやっぱ物真似、上手いからさ。そう言えば、アルバムは13曲だけど、あと10曲ぐらいあった。だからさ、20数曲ぐらいラップを録音して、13曲に絞った。だって、マサトは1日に5曲とか録るんだ。似てるよな

peepow:トラックをもらって、その日にリリックを書いて、次の日には録音してる。そういう曲が入ってる。24時間オレなんだから時間はかからない。

K-BOMB:オレたちのスケジュールが合わないぐらい早かった。

JUBE:しかもだいたい一発録り。

K-BOMB:声の重ね方もラッパーのように上手いね。あと、マサトは少女マンガみたいなさ、雰囲気あるわけよ。

peepow:ははははは。

K-BOMB:ファッションもそうだし。

peepow:オレ、ファッション、少女マンガ感ある? 

K-BOMB:あるんじゃないの?

peepow:どこ?

K-BOMB:たまにあるんだよ。

二木:それ、髪長いとかそういうことじゃなくて?

K-BOMB:そうかもしれない。

peepow:そこじゃん(笑)。

K-BOMB:はっはっはっ。いや、だけど、マサトのファンや客は、いまのオレの意見に「わかります」って納得するはずだよね? マサトはロマンティストなのかもしれないな。ところで、君はマサトのアルバムをどう思ったんだい?

二木:相反する要素がせめぎ合っている作品だと思いましたね。混沌と秩序、理性と感情、上手いと下手、本当と嘘、美しさと醜さ、白と黒、そういうものが常にせめぎ合って闘っている。そのせめぎ合いが凄まじいなと。

peepow:2時間の映画じゃないから、そこで曲が完結したとしても、はじまりや終わりは、オレはないと思う。ずっと続いていて、はじまったり終わったりしている感覚がずっとある。だから、この作品も曲も続きのなかの最初の部分を切り取っただけかもしれない。K-BOMBと最初に会った頃に、K-BOMBがオレの弾き語りのソロのYouTubeの映像を〈Blacksmoker〉の事務所で観て、「狂ったことしかできないヤツはダメだ」と言っていて、スッと腑に落ちた。

二木:マヒトゥさんは、K-BOMBのラップする姿は見て、どういう印象を持ちました?

peepow:音との距離が近い。そう感じた。MPCを叩いている時も会話しながら叩いてるし、自然に手元で絵を描いたり、コラージュを切ったり、そういう速度や距離の近さが面白いと感じた。頭で先に考えて、遅くなる人が多いなかで、細胞レベルでバッと感じたことをそのまま行動に出せる。たとえば、今回のリリースもGEZANやオレのライヴを観て、何かの可能性を感じたとかではなくて、オレと会話している時のニュアンスで何かをやろうとなって実現している。その速度がK-BOMBや〈Blacksmoker〉の面白さだと思う。

二木:ということは、普段からけっこう会話してるんですね。

K-BOMB:してるね。メールもしてるしさ。

peepow:まあ、一向にマサトという呼び方が直らないけど。マヒトゥなのにマサトと呼ぶ(笑)。

二木:あ、本名がマサトじゃなかったの!!?

peepow:マヒトゥ。

K-BOMB:マサトで憶えちゃったんだよね。

peepow:はははは。

K-BOMB:マヒトゥって言う時もあるけど、オレのなかじゃ言いづらい。言いづらくて、会話が続かなくなっちゃう。

peepow:はははは。

二木:さすがですねー(笑)。最近、K-BOMBは自分より若い人とやる機会も当然増えていってますよね。

K-BOMB:若い人といろいろやると楽しいな。オレは知らないあいだ長いことやってるけど、いまでも同じ気持ちでずっとやっている。若者から大人になってそのままずっと続いていくんだろうなと思っていたし、そうやってきている。オレはそういうヤツが好きなんだ。マサトもそういうヤツだ。でも、世のなかはそういうヤツばかりではないってことに最近気づいたんだ。そういうのはつまらないよな。

peepow:あと、何かをテクニックだけで言ったり、やったりするのもつまらない。だからと言って、できない拙さみたいのを売りにするのもイヤだし、つまらない。今回のアルバムもそうはしたくなかった。

K-BOMB:あと、狂人を演じるようなヤツもつまらない。

peepow:狂人を演じるヤツはめちゃくちゃマトモだからね。真面目を絵に描いたようなヤツが狂人を演じる。つまらないからおれの半径10mにはいらない。

K-BOMB:オレの前に狂人ぶったヤツが現れやすいんだ。何故なのかわからねーけど狂人みたいなフリして荒々しい感じで近づいてくるんだけど、無視してると、そいつは普通に戻っちゃう。たまに本物の狂人もいるけどね。そういうヤツとは長年付き合っているよね。ある狂人はオレのライヴに10何年も来てくれている。あとさ、マサトはさ、靴下もさ、あってないんだ。オレと一緒なんだよね。

peepow:たしかに揃ったことがないかもしれない。

K-BOMB:オレもあまり揃ったことがない。そういう意味ではいろいろ似てて面白いんだよね。女物の靴下穿いてたりとかさ。おパンティも穿いてるかもしれないな。

二木:ははは。

K-BOMB:あと、マサトと俺は鼻のデザインが同じだ。

peepow:オレとK-BOMBとジャッキー・チェンの鼻のデザインは同じ。

K-BOMB:オレはけっこう鼻のデザインを見てるからね。HIDENKAも鼻のデザインがオレと似ている。オレは人と目を合わさないで鼻の部分だけ見て喋ったりするんだよね。

peepow:Phewさんがあるライヴで、いちばん簡単に人を騙せるのは目の色だ、みたいなことを話してたのを思い出した。目の色だけは嘘つけないってみんな思ってる分、目つきとかで真実味を出して人を騙すことがいちばん簡単だと。

二木:K-BOMBの目つき、ほんとに怖い時がある。

K-BOMB:ふっ(笑)。やめて。

peepow:鼻は嘘をつけない。

K-BOMB:うん。そうだと思う。

peepow:目は嘘をつける。

K-BOMB:オレは顔がいいのが好きだからね。一緒にやったり、何かをやってもらう時に、こいつがやるんだったらなんでもいいよって思える顔が好きなんだ。マサトもそう。

peepow:ずっとそういう表情で生きてきてるわけだから、自然とそういう顔になりますよね。

K-BOMB:顔に出てくる。顔がさ、輝きはじめる。汚い格好だろうが、シャネルとか、そういう豪華なパーティ会場にでも行ける顔っていうのがある。だから、売れていくヤツは顔がどんどん変わっていく。でも、会った時から顔が変わっていかないヤツっていうのは、わからないね。

peepow:プロフィールに具体名をどんどん出したり、誰々と知り合いとか出したり、そういうヤツはほんとに信用できない。基本的にそういうことを言っている時点で遅い。いや、その前にオレはもうお前の顔を見てるし、鼻も見ちゃってると思う。

K-BOMB:そうだよな。マサト。顔を見れば、だいたいさ、そいつがどれぐらいやってるのかわかるじゃない。そいつがどれだけ真剣にやってんのかは顔にも出てくるよね。

peepow:だからマサトちゃいますけどね。

(協力:みどりちゃん)

■■■■■■■ Release Party!! ■■■■■■■■
6/28(SUN)18:00-
at 中野HeavySickZero
ADV:2300yen+1D

LIVE
peepow special live set feat. GEZAN、skillkills、BUN
OMSB
NATURE DENGER GANG
skillkills
THE LEFTY

DJ
Fumitake Tamura(BUN)
WATTER
ひらっち(MANGA SHOCK)
イーグル・タカ


■前売りチケット
https://eplus.jp/sys/T1U90P006001P0050001P002155789P0030001P0007

interview with Mourn - ele-king


MOURN

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 この感覚、かつて体験したことがある、と過去の記憶をめぐらしてみて、あ、と思い出した。「僕はペイヴメントとかピクシーズが好きなだけ。ペイヴメントの歌詞をちゃんと理解できたらどんなにハッピーなんだろう! そんな気持ちで曲を作ってバンドで歌って……気がついたらいまここにいる。ほんとにそれだけなんだ」。1995年、最初のアルバム『グランポー・ウッド』を発表したベン・リーに最初に取材をしたときのことだ。彼は当時17歳、どんなにやんちゃな青年なんだろう、と想像して訊ねてみると、好きなバンドの影響を受けて、好きなように自分もギターを手にしてみただけなんだ、というあっけらかんとした回答。そのときの、肩すかしを食らいつつもどこか晴れ晴れとした感覚を、いま、このスペインの若き4人組を聴きながら思い出している。

 いや、もしかするとベン・リー以上に冷めているかもしれない。まだ全員10代というスペインはバルセロナを拠点にするモーン。結成からわずか2年でワールド・ワイド・デビュー、さらにはピッチフォークなどのメディアで高い評価を得るにいたった彼らにはたちまちのうちに注目が集まることとなった。パンクやオルタナティヴ・ロックに触発されたというそのスタイルだけ取り出せばたしかに稚拙ではある。成熟という言葉からはほど遠く、演奏を動画などで見るかぎりはあどけない様子も伝わってはくる。だが、どこまでむき出しにするのかと不安にさえなる荒削りな演奏、感情を闇雲に発露させる場所というより、感情を淡々と刻みつける場所といった感じで、不気味なまでに薄暗い表情を時折見せるヴォーカル、どこか冴えない生活や風景をひたすらに言葉に置き換えたような歌詞……これが果たして10代の姿か、と思えるほどに醒めた表情をうかがわせるのも事実。「ペイヴメントの歌詞を理解できるアイツはカッコいいな」と無邪気かつアイロニカルに歌っていたあの頃のベン・リーを部分的に思い出させるが、モーンは根底にもっと切実な何かを抱えている印象さえあるのだ。

 とはいえ、今回メールで取材をした際の下記回答を読んでもらえばわかるように、ほとんど難しいことを語らない、語りたがらない。その素っ気ない対応はモラトリアムとも思えるもので、この自我を包み隠したような態度がその成長と同時にどう崩壊し、再構築されていくのかを静かに見守っていたい、と、彼らの親世代である筆者は思うのだった。

■Mourn / モーン
バルセロナを拠点として活動する4人組バンド。〈キャプチャード・トラックス〉とサインし、2015年にファースト・アルバム『モーン』をリリース。デビュー前からメディアの高い評価を受けるなど注目を集めている。

ソニック・ユース、スーパーチャンク、アーチャーズ・オブ・ローフ、サニー・デイ・リアル・エステイト、カーシヴとかみたいな90年代のアメリカのバンドに浸かってたわね。

あなたがたはまだ15~18歳とのことですが、幼馴染みや学校の仲間同士なのでしょうか? いつ、どのようないきさつでバンドが結成されたのか教えてください。

カーラとジャズ(以下C&J):カーラとジャズは3年前から同じ学校で人文科学を学んでいたの。レイアとジャズは姉妹だからいっしょに育ってきたし、アントニオとジャズは11歳のときからの友だちなのよ。

あなたがたのホームタウンのバルセロナでは、あなたがたと同じ世代の友だちはどういう音楽をおもに聴いているのですか? スペインのドメスティックな音楽シーンはどういう状況なのでしょう?

C&J:うーん、地元のガレージ・ロックをたくさん聴いたけど、他にも商業的なものとか カタラン・ルンバ(catalan rumba)とかも聴いた……けどやっぱり、わたしたちはソニック・ユース、スーパーチャンク、アーチャーズ・オブ・ローフ、サニー・デイ・リアル・エステイト、カーシヴとかみたいな90年代のアメリカのバンドに浸かってたわね。他にもイギリス、スウェーデン、ベルギー、オランダのバンドも大好き。いまはインターネットがあるから、世界のどこにいてもそういう他国のバンドのレコードやニュースを簡単に見つけることができるでしょ。もちろん、スペインのミュージック・シーンもおもしろい。とくにバルセロナにはたくさんのクールなバンドがいるのよ。なかでもアニミック(Anímic)とBeach Beach(ビーチ・ビーチ)が好きだな。

わたしがある程度知っているかぎり、スペインには80年代頃から独自のインディ・シーン、インディ・レーベルがあり、日本でも古くは〈エレファント〉や〈マンスター(Munster)〉などがインディ・ロック・ファンの間で人気でした。最近では、〈マッシュルーム・ピロー(Mushroom Pillow)〉というレーベルや、デロレアン(Delorean)、ポロック(Polock)、エル・コルンピオ・アセシノ(El Columpio Asesino)、チャイニーズ・クリスマス・カーズ(Chinese Christmas Cards)などのバンドを個人的にはチェックしています。あなたがたはこうした他のスペインのインディ・ミュージック・シーンの中でどういうポジションにいるのでしょうか?

C&J:私たちは自分たちがバルセロナのインディ・ロック・シーンにいると思っているわ。私たち、町の小さなパブや会場で演奏をはじめたからね。マデイ(Madee)、オハイオス(Ohios)、レッド・ベアズ(Red Bears)、ザ・サワーズ(The Saurs)、ダ・サウザ(Da Souza)などとも共演したのよ。

私たちは自分たちがバルセロナのインディ・ロック・シーンにいると思っているわ。

スペインには「インディ・ミュージック・アウォード」という賞があるようですが、あなたがたの世代にとってもこうしたアウォードは一つの通過点、目標だったりするのですか? もしくは、もっと現場でホットなヴェニューやギグ、イヴェントやフェスなどがあれば教えてください。

C&J:賞は私たちにとってゴールではないわね。ただ曲を書いて演奏しているときに楽しみたいだけなの。ただ、〈アポロ(Apolo)〉という私たちのお気に入りの会場で演奏するのが本当に好きで、そこで演奏するときは気楽でいられるわ。前回そこで演奏したとき、本当にすばらしく魔法のようで、次にまたあそこで演奏するのが待ちきれないの。あと、〈プリマヴェラ・サウンド(Primavera Sound)〉っていう私たちが 好きなフェスの一つで演奏したときも興奮したわ。バルセロナには他にも〈ソナー〉っていうかっこいいフェスがあるんだけど、こっちはエレクトロ・ミュージック寄りね。

では、具体的にはどういうバンド、音楽にシンパシーを感じて楽器を手にしたりバンドを組もうと思ったのでしょうか? 

C&J:初めてわたしたちをギターを手に取って音楽を作るように駆り立てたのは、パンク・バンド。ラモーンズ、クラッシュ、セックス・ピストルズ……みたいな。私たちは本当にパンク・ミュージックが好きなの。わたしたちがいっしょに演奏をはじめたときは、PJハーヴェイ、ローリング・ストーンズ、ラナウェイズ、クラッシュ、エリオット・スミスなどのカバーをいくつかやっていたわね。でも、最終的に彼らのどういうところにインスパイアされたかっていうと、音と詩の力強さ、彼らが生きていた瞬間、彼らの働き方についての好奇心、彼らのいろいろな考え方、メッセージや彼らの感じ方、わたしたちができる見方、記憶に深く残って、素晴らしい! と思わせるいくつかのコード……それこそさまざまなの。それらのすべてがわたしたちを突き動かし、毎日楽器を弾かせつづけているんだと思うわ。

初めてわたしたちをギターを手に取って音楽を作るように駆り立てたのは、パンク・バンド。ラモーンズ、クラッシュ、セックス・ピストルズ……

あなたがたが実際にオリジナルの曲を作りはじめたとき、お手本にしたソングライターはいましたか? そして、いまのあなた方が最高と思えるソングライター、コンポーザーは誰ですか?

C&J:そうね、わたしたちはエリオット・スミスのようなリリックや、そしてパティ・スミスのパンク調のポエトリーが本当に大好きなのよ。後は、デヴィッド・ベイザン(ペドロ・ザ・ライオン)やマーク・コズレク(サン・キル・ムーン)なんかも本当にクールなリリックで大好きよ。私たちは物語を作るのが好きで、言葉で生活に対しての感じ方、不安感、いらだたせるものや話したいものについて表現しているの。もちろん、好きな映画や本、写真など影響されたものはなんでも曲にしたいけど、生活の中から感じることを歌にすることが好きなのよ。

それは、あなたがたの場合、スペインという国、バルセロナという町に暮らす一員としての社会への意識が活動のバネになっているということでしょうか?

C&J:そう。わたしたちはスペインのいまの状況に憤りを感じているわ。でも、政府に代わって主張しているつもりはないし、曲を書き演奏しているときはそういったことは避けているの。ただ、それが好きだからそうしているし、少なくともいままではそれが衝動的だったのは間違いないところ。私たちの必要性が評価されているとして、それがすべて社会に対してのそういう憤りの反映ではないとは思うけど、やっぱり社会に対して何かを感じてしまうのよ。おそらく、いつかわたしたちは音楽とこういう考え方、社会への見方を関わらせていくつもりよ。いままでは私たちはライヴではそういうことをとりあえずいっさい忘れて、演奏を楽しみたかったけど、いつかはちゃんとカタチにしたいわね。

僕たちは偽ることなしに誰よりもいいと思っているし、自分たちの音楽が好き、世界には好きなバンドも多くいるから演奏しているってだけなんだ。

あなたがたが〈キャプチャード・トラックス〉と契約することになったきっかけをおしえてください。マック・デマルコなど新たな世代のヒーローへのシンパシーもきっかけになりましたか?

C&J:きっかけはブランク・ドッグスのマイク・スナイパー(レーベル・オーナー)がニュースレターで私たちのスタジオでの映像を見てくれてね。興味を持ってくれてたらしいの。で、アルバムが出たときにわたしたちのスパニッシュ・レーベルである〈ソーンズ(sones)〉が連絡してくれたのよ。何が起こるかわからないわ。もし、彼が映像を見てくれてなかったらいまこうやって話せてないわね(笑)。

そのマック・デマルコには1月に日本に来たときに取材したのですが、そのときに彼はこのように話していました。「チープでロウ・ファイなサウンドにしているのには狙いがある。ウェルメイドな音作りに飽き飽きしてしまったのと、どこか“Weird”な音を出すことそのものが刺激的だから」。では、あなたがたの場合、たった2日間でアルバムを録音してしまうというようなその姿勢に、何か確信犯的な意識はありますか?

C&J:なるほどね。そうね、わたしたちの場合は多くの資金を持っていなかったからっていうのがまず一つめの理由。それとライヴを録音したかったからというのもあるわ。おかげでより楽しく、本当に新鮮で信頼のできるものができた。それはわたしたちのオリジナルなやり方であって、そこにいっさいの策略はないの。たしかにレコーディングはたった2日間だったんだけど充実していたし過不足もなくて。録音はバルセロナと私たちの町に近いアレニス・デ・マルという町の〈ノーチラス(Nautilus)〉というスタジオでしたわ。そこはとても美しくてたくさんのカーペットがあって、本当に高い天井の部屋で。ジャズの父親のバンドのドラマーでもある ルイース・コッツ(Lluís Cots)にプロデュースしてもらって、わたしたちはとても快適な雰囲気の中、作業をしたの。安心していられたわ。

ピッチフォークでも高い評価を得て、世界規模であなたがたのエネルギーが注目されるようになりましたが、そうした状況の変化についてどう受け止めていますか?

C&J:いやあ、そんな実感もまだわからないし、野望とかを抱くような感情もまだ持っていないんだよ。高い評価をもらってどうですか? って訊ねられることもあるけど……本当にまだ何もわからないんだ。そういうことを考えて活動しているわけじゃないからなあ。ただ、僕たちは偽ることなしに誰よりもいいと思っているし、自分たちの音楽が好き、世界には好きなバンドも多くいるから演奏しているってだけなんだ。

Downtown boys ダウンタウン・ボーイズ


photo by Y.Sawai

 ダウンタウン・ボーイズは、プロヴィデンス出身のバイリンガル、ポリティカル・サックス・パンク・パーティ・バンドだ。ここ2、3年の間、プロヴィデンスのバンドに関わらず、ブルックリンのローカル・バンドのように、ブルックリンで絶えずライブをやっている。サックス2人、ギター、ベース、ドラム編成で、英語、スペイン語を織り交ぜ、音楽的にはパンク、ロック、ジャズなどをミックス、最高のエネルギーを、純粋な楽しさを、ダンスフロアにぶちまける。
 DIY会場から、ラテン・レストラン、ハウス・パーティからSXSWなどのフェスにも出演。真のDIYの彼らが、スクリーミング・フィメールズと同レーベル〈Don giovanni Records〉から、デビュー・アルバム『フル・コミュニズム(完全共産主義)』をリリースした。アメリカや世界での現在の批判的瞬間、産獄複合体、人種差別、同性愛偏見、国家資本主義、ファシズムなど、自分の精神、目、心を閉ざそうとする全ての物を破壊するためのレコードである。

 5月15日、レコードリリースを記念し、ダウンタウン・ボーイズのレコ発に行った。ブシュウィックのパリセーズ(https://palisadesbk.com)というDIY会場で、数ヶ前にはダスティン・オングと嶺川貴子やパーケット・コーツなどの新鋭のインディ・バンドがプレイしている会場である。
 かれこれ10回ほど見ているダウンタウンボーイズだが、今回のショーは今まで見た中で一番人が多かった。一緒にプレイしたバンドにもよるが、パンク・キッズが多いクラウドで、目の周りを黒く塗っている女の子や、顔中にピアスをしている男の子(タンクトップ率高し)、キスしまくっている女の子たちなど、むせ返った会場の雰囲気に圧倒された。以前、ダウンタウン・ボーイズの別バンド、マルポータド・キッズを見た時と同じ雰囲気、それがさらに倍である。


photo by Alyssa Tanchajja


photo by Alyssa Tanchajja


photo by Alyssa Tanchajja


photo by Alyssa Tanchajja


photo by Alyssa Tanchajja


photo by Alyssa Tanchajja

 シンガー、ヴィクトリア・ルイズが、語り(叫び)はじめながらショーはスタート。パンクを注入したギター・ラインとコーラス、伝染性の強いサックス・ライン、ファンキーで不吉なホーン・ラインなど。ダウンタウン・ボーイズの曲は、エネルギーの塊だ。この世代が、時代に風穴を開ける力があることを証明する。彼らこそ、現在の声明である。
 ヴォーカルのヴィクトリアは、種差別やその他の差別、政治的なトピックを持ち出し、歌っているのと同じくらい喋ってる(叫んでいる)し、オーディエンスはそれに答え、前の方ではモッシュも起こり、会場全体が彼らのサポーターであるかのようだ。
 私自身は政治的な解説を加えるほどの知識を持たないが、この辺りは、アメリカのバンドを色濃く表しているように思える。レコードでこの熱気が伝わるかわからない。彼らが命を懸けているのは、そのパフォーマンスに、そして声を大にして叫びたいメッセージなのは間違いない。
 現在の音楽に対して、政治に対して、そして世の中に対する革命を主張する。いちどライヴ体験をすると、頭の中をスカッと風が吹く。彼らは何処でも100%だ。

 ダウンタウン・ボーイズのダニエルとノーランは、ホワット・チアー・ブリゲイドという19人バンドでもプレイしている。(https://www.whatcheerbrigade.com)
 彼らはビルディング16という会場を運営していたのだが、場所が取り壊されることになった。ラストショーに招待されたのだが、いつ見ても、彼らのストリート・バンドたる精神にど肝を抜かれる。
 人数が多いので(19人!)、ステージには入りきらない。フロアはもちろん、天井に通っているパイプによじ登ったり、手狭なステージから降り、マーチングをはじめ、会場の外で演奏を始めたり、お祭り騒ぎがオーディエンスを自然に巻き込むパフォーマンスになっている。

●ビルディング16でのホワット・チアー・ブリゲイドのラストショー:

●ビルディング16でのダウンタウン・ボーイズのショーが含まれたプロモ・ヴィデオ:

オフィサーが引張叩かれる度に、裸にされ、最後はバンドで歌ってる。

●Wave of History:

アメリカの小学校の社会の教科書に使われるべきだと思う。

 さらに、ヴィクトリアとジョーイは、マルポータド・キッズというラテン、エレクトロな別バンドもやっていて、6月全般はイースト・コーストからミッド・ウエストをツアーする。
https://www.facebook.com/MalportadoKids

 ダウンタウン・ボーイズと同郷プロヴィデンス出身の、ライトニング・ボルトは偶然にも、ダウンタウン・ボーイズのレコ発パーティの日に、ブルックリンの別会場のウィックでショーをやっていた。悩んで、ダウンタウン・ボーイズのショーに来たのだが、考えてみればダウンタウン・ボーイズとライトニング・ボルトには、たくさんの共通点がある。お互い自分たちの場所を持っていたし(ダウンタウン・ボーイズはビルディング16、ライトニング・ボルトはフォート・サンダー)、レコードよりライヴが一番、現場主義だし、とてつもないエネルギーを発散させるし、ビルディング16のラスト・ライブの時は、ライトニング・ボルトのメンバーも遊びにきていて、彼ら同士も交流がある。プロヴィデンスーブルックリンの関係も踏まえて、ダウンタウン・ボーイズが、彼らの直継承者であることは間違いない。

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Don Giovanni Records

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Don Giovanni Records

 3月29日の晩、代官山ユニットは超満員。オウガ・ユー・アスホールマーク・マグワイヤは初めて対バンした。この鼎談は、ライヴの翌日に収録したもの。
 ミュージシャン同士、それも国が違う者同士が話し合いあうと、面白い発見がある。たとえば、マーク・マッガイアの、オウガの音楽に「ソウル」、つまり、ブラック・ミュージックからの影響を感じたという感想は、いままで日本の音楽メディアで見られなかった。「ノイ!だ」と言うと思っていたのだが、マーク・マグワイヤは「シュギー・オーティスだ」と言った。
 それでは、前口上はこのぐらいにして、どうぞ楽しみを。ちなみに、彼らから最高のプレゼントもある。ライヴのアンコールでの、オウガの「ロープ」にマーク・マグワイヤがギターで参加した当日の動画だ。正直、この演奏を聴いたとき、ele-kingからまた12インチで出したいと思ったほどだったが、彼らは無料で公開しようと言った。なので、いま、みなさんは、この鼎談の最後に、そのブリリアントな演奏を聴くことができます。

オウガ・ユー・アスホール(出戸学、清水隆史、馬渕啓)×マーク・マグワイヤ
司会:野田努=■
通訳:高橋勇人=△


マーク:まだ知ったばかりのバンドだったけれど、一緒にやっても絶対にうまくいくなという確信もりました。一緒にやった曲の音階も好みでしたね。メジャーがきてマイナーがきて……、何という音階かはわからないんですけどね。

出戸:僕たちもわからないです(笑)。

まずは、なぜ今回オウガ・ユー・アスホールの方からマークさんと一緒にやりたいと思ったのかという話しを聞きましょうか。

出戸学(以下、出戸):ホットスタッフの松永くんという僕たちの都内でのライヴの制作をやってくれているひとと、代官山ユニットとの共同で今回の〈””DELAY 2015””〉をやったんです。対バンのツーマンで〈””DELAY””〉という企画をやっていこうと思っていて、それで誰がいいか相談したんですよ。みんなで会議をしていろんな候補が出たときに、「マーク・マグワイヤがいいんじゃないか?」「何とか日本に呼べるかも」ということになったんです。

マーク・マグワイヤ(Mark Mcguire以下、MM):実現してくれて本当に嬉しいです。

清水隆史(以下、清水):音もすごいディレイだし。

MM:ハハハハ。いつもですよね(笑)。

出戸:実際にやってみてどうでしたか?

MM:音も空間もいい会場でしたし、素晴らしいバンドとプレイできて光栄でした。実ははじまるまで少し緊張していたんですよ。ひともたくさん入っていましたからね。アンコールで一緒にオウガ・ユー・アスホールのみなさんとステージに立ったときは、自分の音が大きくなり過ぎないよう、バランスに常に気を使いました。自分ひとりでステージにたつときは、音が全部ミックスされてモニターから聴こえるから音の調性が容易にできます。でも、バンドとなるとその聴こえ方も全然違いますよね。

一緒に“ロープ”をやることはいつ決まったの?

出戸:前日くらいですね。

清水:前々日くらいから一緒にやる?って話がきて、ずっと迷っていたんだよね。

馬渕啓(以下、馬渕):どの曲でやるかということも話してましたね。

俺はたぶん共演するんじゃないかと思っていたけどね。 “ロープ”しかないだろうって。

マークさんはいつ曲を最初に聴いたんですか?

MM:どの今日をやるかはほんの数日前に聞ききました。そのとき僕は大阪のホテルにいて、ギターを弾きながらアイディアを練りました。

マークさんはライヴをやる前にオウガの音楽を聴いたことがあったんですか?

MM:新しいアルバムはまだ聴いていなかったんです。でも最近出た曲を聴かせてもらいましたよ。とても滑らかでサイケデリックなサウンドがとても好きです。まだ知ったばかりのバンドだったけれど、一緒にやっても絶対にうまくいくなという確信もりました。一緒にやった曲の音階も好みでしたね。メジャーがきてマイナーがきて……、何という音階かはわからないんですけどね。

出戸:僕たちもわからないです(笑)。

オウガは自分たちの大きなインスピレーションのひとつにクラウトロックがあって、そこがマークさんと共通するところなのかなと思います。

MM:そうなんですね。たしかに僕にとってもクラウトロックが重要な要素です。とても形式的で衝動的な部分もあり、それなりに技術も必要ですよね。

清水:クラウトロックはずっと聴いていたんですか?

MM:最初にクラウトロックを発見したときはとにかくたくさん聴きました。19歳のときだったと思います。当時に比べたらいまはそこまで聴いてはいませんが、自分自身の重要な核になっています。
きのうオウガのみなさんと話していたんですが、最近はシュギー・オーティスのようなソウルやファンクからもインスピレーションを感じます。

清水:きのうの夜にソウルの話をしたんですよね。

出戸:僕らも黒いのにハマってますからね。

MM:僕がはじめてオウガ・ユー・アスホールを聞いたときにブラックミュージックの要素を感じたんですよ。もちろん、それはひとつの要素に過ぎず、いろんな影響が交ざり合っていて、それらがクリエイティヴなサウンドを織り成しているんだと思います。一緒に“ロープ”を演奏したときには曲や歌から、様々な影響が生み出すダイナミズムを感じましたね。
 きのうも僕がシュギー・オーティスを感じた曲を演奏していたんですが名前が思い出せない……。ギターが印象的でテンポは遅い曲なんですけどね。

清水:なんだろうな“ムダが無いって素晴らしい””かな。

出戸:最近、僕も清水さんからシュギー・オーティスを教えてもらって聴いているんです。

清水:定番というか、再発見系ですよね。

90年代にデヴィッド・バーン発掘したんだよね。オウガはマークさんと一緒にやってみてどうでした?

清水:演奏がすごく丁寧ですよね。

出戸:ギターがすごく上手いと思いました。アンプを使わないでラインで音を出していることにもびっくりしました。そのギターの音色がやっぱり独特なんです。僕らもレコーディングでラインはかなり使いましたけど。

馬渕:ライヴだとやっぱりラインの音は異質感があって面白かったです。

出戸:ラインだけでギターを弾いているひとのライヴって初めてみたかも。

MM:実験的な音楽を演奏するようになってからはずっとラインで弾いていますね。自分はトーンに拘るタイプだったんですが、ラインのトーンに慣れてしまったのでアンプに戻ることはありませんでしたね。それでできたのがいまのスタイルです。

出戸:なるほど(笑)。とても綺麗な音でしたね。

僕もあなたのギターの音が好きです。とくにロングトーンがシンセサイザーみたいに聴こえるんですよね。

MM:ギターと他の音をミックスして出したりもしています。でも基本的にはギターだけでギターだとは思えないような音を作っていますね。よく僕のアルバムを聴いたひとが「あの部分はシンセを使っているんだよね?」って聴いてくるんですが、だいたいはギターだけで作った音なんですよ(笑)。

出戸:映像も自分で作っているんですか?

MM:そうですよ。自分で作った映像と見つけてきた映像を組み合わせて編集しています。映像と音楽を一緒に作るのは映画を作るみたいな感覚です。その異なるふたつの要素がうまく組合わせるのが楽しいんですよ。

出戸:じゃあ映像もバラバラではなくて同期させてセットで流しているんですか?

MM:はい。なので映像の長さに合わせて自分の曲の長さも調性することもあります。きのうもギターを弾きながら後ろをちょくちょく振り返って映像を確認していたんですが、そのためです(笑)。

では映像をコントロールしているひとがいたわけではないんですね?

MM:いません(笑)。映像が決まったときに再生されるようプログラミングをしているので、ちゃんと映像がはじまるのか気を使いますね。

最後の映像がすごかったよね(注:水爆実験や第二次世界大戦の映像、政府を批判するスピーチなどが引用されていた)。オウガは観てたの?

出戸:最後、見てました。

清水:激しい終り方でしたね。

MM:あの映像と曲を作っているとき、歴史的な出来事の裏で政治や宗教がどのように動いていたのかに関心がありました。たくさんのひとびとが様々な形でひとつの瞬間に関わっていたわけですからね。そして、そのなかで多くの考えや憶測が生まれました。あの映像のなかでは9.11は裏で大きな工作があったんじゃないかというスピーチも引用しています。
 ひとびとに学ばれる歴史は戦勝国などの大きな権力をもった者が作り出したものです。僕はアメリカ人でアメリカの教育を受けてきました。だからこそ、アメリカが他の国々にどんな影響を及ぼしたのかとても興味があるんです。2013年に広島の原爆ドームに行って深く感銘を受けました。過去を振り返ることによって明らかに間違いだと思うこともたくさんあり、そういうものを自分で学んでいきたいんです。(日本語で)コノオンガクヲヘイワノタメニ。

一同:おー!

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マーク:僕がはじめてオウガ・ユー・アスホールを聞いたときにブラック・ミュージックの要素を感じたんですよ。もちろん、それはひとつの要素に過ぎず、いろんな影響が交ざり合っていて、それらがクリエイティヴなサウンドを織り成しているんだと思います。

出戸:ギターがすごく上手いと思いました。アンプを使わないでラインで音を出していることにもびっくりしました。そのギターの音色がやっぱり独特なんです。僕らもレコーディングでラインはかなり使いました。

マークさんがはじめて来日したときのライヴはもっとアンビエント・フィーリングが強くて、きのうのライヴとは違う感じだったんだよね。もっとマニュエル・ゴッチング的だったというか。

MM:そのときに比べると、使っている機材にも変化があったので当然サウンドも変わっているでしょうね。サンプラーやドラムマシンなどを使かうようにもなりました。でも、「単に成長しているだけ」という風には捉えられたくはなかったので、またギターだけのスタイルに戻って新しいアイディアを試しつつアンビエント・テイストの曲を作ることはいまでもしますよ。そうやって違ったことにチャレンジしていきたいんです。

清水:マークさんはライヴとアルバムでアレンジを変えていますよね? きのうのライヴでやっていた曲と新しいアルバムに入っていた曲を比べてみても、どの曲が一致しているのかわからなかったりしました。

MM:レコーディングとライヴは別物ですからね。レコーディングは音のパーツのたくさんの層のように積み重ねていますが、ライヴをその単なる再現にはしたくないんです。それに再現してみても決して同じものにはならないでしょう。だから意識的にライヴをレコーディングとは違うものにしようと思っています。

エメラルズもそうだったけどマークさんの以前の作品はわりと自然がテーマだったりしたんだよね。リリースの形体自体も、アナログ盤とカセットテープしかないものもすごく多くて。たとえば『ギター・メディテーションズ』(2008年、〈Wagon〉)というアルバムはカセットでしか出ていないんですよ。それがすごくいい作品なんですけど、いまだにカセットでしか手に入らない。

MM:現代社会の毎日の多忙な生活から抜け出すためにアンビエントや自然は役割を果たしていると思います。たとえばヨガの瞑想にしてみても、現在ではなくて過去の意識を呼び起こすような効果がるので同じことが言えるでしょう。音楽にも自己の存在が消えてしまうような感覚をもたらすことがありますよね。

きのうのライヴは過去のものと比べたら、すごく抽象的な言葉で言うと力強いものを感じたというか。

MM:アグレッシヴな曲も最近は作っているんですが、さっきも言ったようにアンビエントな要素とのバランスも考えたうえで実験的な試みをやっています。ライヴに来てくれたお客さんにとってもそっちの方が変化があって面白いでしょうからね。

きのうみたいにライヴを一緒にやって、最後にギターを一緒に弾くことはアメリカではよくあるんですか?

MM:そんなに頻繁にあることじゃないですね。僕は基本的にいつもひとりでライヴをやるので、自分が演奏しているときに誰かがステージに入ってくるのは嫌なときもあります(笑)。

下村A&R: マークはアフガン・ウィッグスと共演しましたよね。

MM:そうですね。彼らのアルバムに参加していくつかライヴもやりました。フル・バンドで演奏したことはかなりためになりましたね。昨晩、オウガのステージに立てたことも同じです。素晴らしいエネルギーを感じることができました。曲を聴いているときの感覚と、実際に演奏してみる感覚とではやはり大きく異なるんですね。

清水:オウガもライヴで誰かと一緒に演奏するのは初めてだったんじゃないかな。メルツバウとやらせて頂きましたが、楽器を使ったセッションとは少し違ったし。

マークさんはメルツバウを知ってますか? オウガはいままでメルツバウとしか共演したことがないんですよ。

MM:はい、もちろん! ハハハハ。それはすごいですね。きのうは彼と同じくらいラウドにはプレイできませんでした(笑)。

清水:マークさんは共演することにむしろ慣れていると思っていました。

出戸:リハーサルのときの方がもっとアグレッシヴに弾いていたんですよ。本番のときは抑えていたんじゃないかな。

MM:本番は緊張しちゃったんです。リハーサル、すごく楽しかったですよね(笑)。リハーサルをするまでは、プレイヤーで曲を聴きながらしか練習をしていなかったので、僕のプレイを評価してくれたのはすごく嬉しいです。

音源を出してほしいですね。オウガは日本のなかですごく特殊というか、ある意味では孤立しているというか。

清水:そうですか(笑)。

アメリカのインディ・シーンにはエクスペリメンタルな音楽をやるひとやレーベルもたくさんあります。

MM:アメリカのシーンでも僕はある意味ではオウガと同じ状況にいますよ。僕のサウンドはエクスペリメンタル・シーンに完全に合うものでもないし、インディ・ロックに当てはまるものでもありません。どこに自分はいるべきなんだろうと居場所を探している感じがするんです。オウガの音はとてもユニークで様々な音楽の影響を隠さずに表現しているので、僕と同じようにどこにもフィットしないんでしょうね。
 アメリカのリスナーには自分が聴いている音楽をカテゴライズしたがる傾向が少なからずあって、未知なる音楽に出会ったときに「これは面白い曲だ!」ではなく「これは何ていう音楽なんだろう?」と反応するひとが多いんです。ジャンルが交ざり合うことを嫌うひともいますからね。それに対して日本のリスナーは音に対して心が広くて、「ジャンルで分ける」聴き方をしないひとが多いような気がしました。

清水:なるほど。ジャンルにこだわってはいないよね?

馬渕:わかりやすくジャンルが別れているロックって日本にあるのかな?

出戸:ヴィジュアル系くらいじゃないかな。

ガレージ・ロックとかポスト・ロックとかね。

MM:アシッド・マザーズ・テンプルを聴いてみても、やっぱりジャンル分けするのは不可能ですもんね。でもそれがいいところだと思うんです。

出戸:そうかもしれないけど、日本では逆にシーンが見えにくいということがありますよね。

清水:世界的な目で見たら、日本自体が全体的にサブカルチャーっぽいもんね。

MM:少し前のバンドですが、ファー・イースト・ファミリー・バンドは「ジャパニーズ・サイケデリック」というシーンを象徴するような存在です。そういうひとたちもいるにはいるんですけどね。

柴崎A&R:アメリカではジュリアン・コープが書いた『ジャップロックサンプラー』がすごく影響力が強いんですよ。

MM:僕も読みましたよ。

日本のなかで有名な日本のバンドと、海外で有名な日本のバンドって違うんだよね。

柴崎A&R:いわゆる、はっぴいえんど史観がないですからね。

もっと言うと、はっぴいえんどは海外ではあまり知られていないからね。

MM:細野晴臣はYMOのメンバーなので聴きましたが、はっぴいえんどのことはあまり知りません。日本の音楽の独自性みたいなものはYMOにも表れていると思いますね。海外の音楽を単なるコピーではなく、自分たちのオリジナリティを持ったミュージシャンもしっかりといるということです。そういうひとは海外で影響力をいまでも持っているんですよ。YMOもそうですがアメリカのシーンにはボアダムスみたいになりたいひとも多いです。多過ぎるくらいですね(笑)。

出戸:逆にいまの日本ではYMOのフォロワーはそんなにいないですよね。

清水:たしかに。はっぴいえんどは多いけどね。

今度はマークさんを長野に呼んだ方がいいんじゃない? 東京から車で2時間くらいかかるけど、自然がすごく綺麗な場所らしいですよ。

清水:出戸くんなんか標高1300メートルのところに住んでるんですよ。

出戸:家の前で鹿が寝てますからね。

すごいね(笑)。彼らはそこにスタジオを持っているんですよ。

MM:素晴らしいところですね! 是非行ってみたいです。

ジム・オルークさんも彼のスタジオによく行くみたいですよ。マークさんはジムさんと仲がいいんですよね。

MM:初めて日本に来たときにジムさんとは知り合ったんですよ。

出戸:ジムさんは新宿の飲み屋で会ったって言ってましたね。

MM:そうなんですよ。ピス・アレイ(ションベン横町)で会いました(笑)。

清水:英語でピス・アレイって言うんですね(笑)。汚くて治安が悪そうな名前ですね(笑)。

出戸:マークさんとジムさんが出会った飲み屋には僕らもたまに行きます。

MM:そうなんですか! 食べ物も美味しくて素晴らしいお店ですよね。

絶対に長野に呼んだ方がいいよ。

出戸:じゃあ次は呼びますね。

そこでセッションして曲をつくるとかね。

MM:実現したら最高ですね。(日本語で)ソンケイシマス。

今回、マークさんは大阪と新潟までギターを持ってひとりで行って、新潟から東京に戻って来たんですよね。

MM:はい。

清水:すごいな。よくわかりましたね。

MM:日本語が読めるわけではないんです。初めて来日したときにひとりで地下鉄に乗ったんですが、パソコンで事前に調べたり標識に書いてある言葉を携帯で調べたりして頑張りましたね(笑)。日本は標識がたくさんあるから比較的親切ですよ。

日本に住んでいてもたまに標識に迷うことがあるけどな(笑)。

清水:すごくマジメですね。

オウガにピッタリなアメリカのレーベルって何だと思いますか?

MM:良いレーベルはたくさんありますからね。うーん。自分は多くのレーベルに関わっているわけではないですが、〈ドラッグ・シティ〉なんかはやっぱり合っているんじゃないでしょうか? あのレーベルにはかなり幅広いスタイルのミュージシャンが所属していて、しっかりとサポートもしてくれます。ミュージシャンがどのような路線に進んだとしてもそれをしっかりと受け入れてくれるのは素晴らしいですよね。ジム・オルークも〈ドラッグ・シティ〉のことを評価していましたね。ジムさんはいろんな経験をしているから、やっぱり彼の意見は参考になりますね。僕も大きいレーベルと仕事をしたことがありますが、やっぱり小さいインディペンデント・レーベルの方が柔軟に対応してくれるんです。

清水:しかし……そもそもオウガ・ユー・アスホールって名前ですからね(笑)。

MM:名前の由来がすごく気になっていたところです(笑)。

それってUSのインディバンドからきてるんだよね?

出戸:前のドラマーが高校生のときに来日したモデスト・マウスのライヴに行ったんですよ。そのときに腕に「オウガ・ユー・アスホール」ってサインをもらって、それがバンド名の由来なんですよ。ちょうどそのときが自分たちのライヴの直前だったんですけど、名前を付けてなくて「あのサインでいいんじゃない?」ってなってから10年以上ずっと同じ名前です(笑)。

MM:すごいエピソードですね。とても目立つ名前だなと思っていました(笑)。初めて名前を見たときには「一体どんなサウンドなんだろう?」と想像力をかき立てられたのを覚えています。「オウガ」(「鬼」の意味)という言葉からラウドな演奏をするバンドなのかなとか思っていました(笑)。

清水:よく「パンク・バンドなの?」とか言われるんですよね。

今回の来日でレコードは買いましたか? 普段からよくレコードを買うそうですね。

MM:今回はレコード屋さんに行けていないんですよ。僕のレコードコレクションはいまのところ2、3000枚くらいですかね。初めて日本に来たときはJポップをとてもたくさん買いました。1枚200円くらいで買えるのに驚きましたね。一緒に行ったひとからは「そんなのお金のムダだよ!」って言われましたが(笑)。YMOや各メンバーの作品もけっこう買いました。日本以外のものでも安く売っているのは助かります。アメリカでは西海岸に住んでいたころはいつもレコードを買っていました。ですが引越をしたときにあまりにも荷物が多くなることに気付いて、最近は前に比べたらあまり買っていないんですよ(笑)。いまは故郷のクリーヴランドに住んでいます。

クリーヴランドは北東部なので西海岸とは全然違いますよね?

MM:大違いですね。かなり冬は寒いです。あとパンクの精神を持って、髭を生やしてに革ジャンを着たひとが多いと思います。ノイズ・ミュージックのシーンもあったりするんですよ。湖に面した地方都市で物価が安いのも特徴です。そして何より自分が生まれ育った場所なのでとても落ち着きます。あまりこういう街はアメリカにないので、この街の人間であることを誇りに思っているひとは多いですね。

出戸:長野も似たところがありますね。冬も寒いし、デカい湖もあるし(笑)。でもパンクとノイズのシーンはないですね(笑)。ヒッピーとかもいるんですけど、あんまり接触はしないです。

MM:西海岸に居た頃はポートランドやロサンゼルスによく行ってたくさんのヒッピーに会いましたけど、クリーヴランドにはそんなにいませんね。

そういえば最近マークさんには赤ちゃんができたんですよね?

MM:そうなんですよ。だからクリーヴランドに戻ったんですよね。この子です(携帯の写真を見せる)。

かわいいですね! いま何歳なんですか?

MM:いま生後6週間なんですよ。だから早く帰ってあげないといけませんね(笑)。

馬渕:昨日もその写真見せてもらったんですよ。でも生後6ヶ月だと思っていました。

MM:ブランニュー(超新しい)ですよ(笑)。面倒を見なきゃいけないので、ツアーの期間もいつもより短いんです。このツアーの間に奥さんから子供の動画が送られてきたんですが、離れてまだ5日しか経っていないのにすごく成長しているように感じました。

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マーク:とても目立つ名前だなと思っていました(笑)。初めて名前を見たときには「一体どんなサウンドなんだろう?」と想像力をかき立てられたのを覚えています。「オウガ」(「鬼」の意味)という言葉からラウドな演奏をするバンドなのかなとか思っていました(笑)。

清水:よく「パンク・バンドなの?」とか言われるんですよね。

エメラルズは解散してしまいましたが、マークさんはまたバンドをやらないんですか?

MM:ご存知かもしれませんが、エメラルズは昔からの友だちと自然な流れで結成したバンドでした。だからバンドが終ってしまったのも自然なことだったのかもしれません。もうエメラルズとして演奏することはないと思うと残念な気持ちにもなることもありました。バンドでも活動はやはりソロとは全く違うものなので、再びバンドをはじめてみたい気持ちもあります。バンドが解散してからいろいろと試してはいるんですが、まだまだバンドの「ケミストリー」を探している途中ですね。ちなみに、オウガのみなさんはバンドをはじめる前から知り合いだったんですか?

清水:馬渕くんと出戸くんが高校の同級生で、勝浦くんと自分が大学の先輩・後輩って感じですね。

そこはエメラルズみたいだね。

MM:音楽をはじめる前の関係ってやっぱり大事なんですね。エメラルズが解散した理由のひとつには、メンバーと友だちのままでいたいっていうのがあったんです。バンドを組んでいると、どうしても関係がぎくしゃくしてしまうこともありますからね。いまはそれで良かったと思います。仲の良い友だちと音楽や音楽ビジネスについて話せるんですからね。オウガはもう10年以上バンドを続けてきたわけですが、バンドを存続させるためのアドバイスみたいなものはありますか?

出戸:うーん、なんだろうな。あんまり会いすぎないとかかな。

ハハハハ。

出戸:バンドでたくさん会っていますからね。

清水:そうかな(笑)? 割と一緒にいる方だと思うけどね。みんなで暮らしてはいないけどね(笑)。

MM:わかります。ツアーとかではいつも同じ場所にいることになりますから、一緒に住む必要はないし、「どっかいけよ!」って言いたくなるときもありますよね(笑)。

出戸:あとバンドってマンネリ化してくるとダメになる感じもするから、メンバー間で刺激を与え合うような関係を心がけていますね。

MM:なおかつインスピレーションやアイディアを共有できる関係ですよね。

出戸:マークさんはいまもひとりでレコーディングをしているんですか?

MM:そうですね。毎日自宅で録音していますよ。楽器も全部自分で演奏しますね。

出戸:バンドだと刺激し合えて自分が考えてもないことができるわけじゃないですか?  でもひとりでやっているとそこには限界があるというか、自分から出てきたものしかないですよね。

MM:たしかにそうですよね。ギター以外の楽器を弾いてもそこから生まれてくるメロディーやリズムが自分っぽいなと思うことがあります。でも他人と演奏すると想像もつかないような展開を見せることがあります。

その「制限」はあなたにとってネガティヴなものなのでしょうか?

MM:必ずしもそうであるとは限りません。バンドでしかできないことがあるということは、ひとりでしかできないことも同時にあるということですよね? バンドとソロって全く違うフォーマットのものです。エメラルズのメンバーたちはバンド以外のところで次の段階に進みたいと思っていました。いまの僕がやりたいのはソロの可能性をとことん追求することなんです。

出戸:ひとりでやっているとどこがOKなのかわからなくなりそうだけど、自分の作っている曲が完成したとどのように確信が持てるんですか?

MM:自分がやっていることを客観的に見るのってひとりではすごく難しいです。だからアドバイスをくれるひとが近くにいることってすごく重要ですよね。
 僕の場合はひとりで曲を作っていると、そこから次の曲のアイディアが生まれてきたりするんですが、それを繰り返している気がします。(アイフォンの作曲中リストを見せながら)いまも何十曲を同時並行で作っている状態なんですよね(笑)。うーん、曲を完成したと判断するのは難しいです。とにかくできることをやりつくすのみですね。

そこはオウガと反対だね。オウガの場合は終わりはどうやって決めるの?

出戸:レコーディングの期間がだいたいきまっているから、そのなかで出たアイディアを使うんですよ。

馬渕:時間があったらあったでいっぱい作り過ぎちゃうんですよ。

MM:ちゃんと締切を作ると目の前のことに集中できますもんね。締切がなかったらなかったで、ガンズの『チャイニーズ・デモクラシー』みたいに自由になりすぎてヒドい作品ができることだってありますからね(笑)(このアルバムは制作に約14年をかけている)。

清水:また来日する予定はあるんですか?

MM:戻って来たいです。山田さん(プロモーター氏)のような日本での父親もいますからね(笑)。考えてみればこれで4回目の来日になるんですね。日本はもうすっかり僕のお気に入りの場所です。

次はオウガが長野に呼んでください。

山田:初来日のときに野田さんがオウガを勧めてくださったんですよね。

誰もが思うことだろうけど、オウガとマークさんは絶対に合うと思っていたんですよ。

清水:今回の対バンにはそんなに長く時間がかかっていたんですか(笑)。

本当に実現するとは思わなかったよ。

出戸:本当に一緒にできてよかったです。

マークさんから最後に何かありますか?

MM:昨日は同じステージに立てたし、こうして対談もすることができてとても嬉しいです。貴重な体験ができてリフレッシュすることができました。ソンケイシテイマス。





マーク・マグワイア、最新作情報。

Mark McGuire
Noctilucence

Dead Oceans/インパートメント

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OG from Militant B - ele-king

ラガラガ救出大作戦!

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