「W K」と一致するもの

Wilco - ele-king

「歓喜の歌」とのタイトルとは裏腹に、ウィルコの11枚めのアルバムはズン、ズン……というドラムの重たい音から始まる。小さい音量で揺れるギター。曖昧な感触の鍵盤。控えめで物憂げななジェフ・トゥイーディの歌。「ぼくはけっして変わらない/きみはけっして変わらない」……。エレクション・イヤーに強い否定の言葉をしたためた『シュミルコ』から3年、アメリカン・オルタナティヴのヴェテランはいま、メランコリーの渦中にいる。
 僕はいま、日本ではわりと大雑把に「アメリカの良心」などと表現されがちなリベラル白人男性によるロック・アクトの動向を気にかけている。マイノリティたちの主張が注目される昨今において、否が応でもマジョリティである彼らが何を言えるのか。ヴァンパイア・ウィークエンドザ・ナショナル、そしてボン・イヴェール……彼らはとにかく真面目に、ジェンダーや人種の融和を訴えることで次の時代を照らそうとしているようだ。いっぽうで、そのさらに先輩にあたるウィルコはどうも内省を深めている。そして、わたしたちも世界も簡単に変わることはないのだと憂えている。

『オード・トゥ・ジョイ』は音響のアルバムである。たとえば“Quiet Amplifier”ではシンプルなストンプ・ビートが下方で4分を鳴らし続けるなか、鍵盤やギターのざわめきが空間全体に散りばめるように広げられる。ウィルコの得意とするポップなフォーク・ロック“Everyone Hides”や“White Wooden Cross”においても、奥のほうで細かく鳴っているギター・ノイズや鍵盤楽器が立体的なサウンド・デザインと複雑なニュアンスを与えている。このことから多くのひとが連想するのが彼らの最高傑作『ヤンキー・ホテル・フォックストロット』(02)で、同作は「カントリー」というアメリカらしさを表象する音楽にモダンな感触を与えることで時代の音になった一枚だった。そして、「アメリカ」に対する失意とか弱い嘆きを音像化したものであったと。であるとすれば、この「歓喜の歌」たちはこの時代の何を示しているのか。
 本作を象徴する楽曲は、もっともヘヴィでブルージーな“We Were Lucky”だろう。ザリザリという雑音が繰り返し挿しこまれ、ギターが歌い上げようとするやいなやそれはブツリと途切れる。「僕たちは幸運だった」──過去形である。それは僕からすれば、過去に掲げられた理想がひとつずつ潰えていくことのメタファーにも思えるし、行き詰まったわたしたちの現在における苦悩そのもののようでもある。「もう手遅れなんだ」……トゥウィーディは苦々しげに吐き出す。このアルバムの現状認識は重い。ソロ作でトゥイーディは自分がもはや若くも新しくもないことを噛みしめ、老いていく「オルタナティヴ」を見つめているようだったが、ウィルコはいま、明らかに斜陽のフィーリングを捕まえようとしている。オルタナ・カントリーの功績はもはや過去のものになろうとしているのだと。
 本作は、ウィルコはだから、自分たちがもう新しくないことを受け入れているようだ。それでも繊細な音使いでどうにか「愛はどこにでもある」と歌う(“Love Is Everywhere (Beware)”)。ネルス・クラインの雄弁なギターとグレン・コッツェのデリケートで多面的なドラム。カントリー・ポップ“Hold Me Anyway”では「きみは思うわけ? すべてがうまくいくって」と疑念を示しながら、どうにか「okay」と繰り返して曲を締めくくってみせる。思えばウィルコはずっとそうだった。何も変わらないという諦念にどっぷり身を浸しながらも、ギリギリのところで顔を上げてみせるということ。埃のかぶった古めかしい音楽に、耳を澄ませば発見できる奥ゆきや複雑さを与えてみせること。
 僕はボン・イヴェールのようなタフな理想主義に鼓舞される人間だが、ウィルコのこの憂鬱──とても誠実な憂鬱──にも耳を傾けたいと思っている。彼らにはどこか、(いつだって、)アメリカという強さが称揚される国で隅に追いやられている誰かの弱さを拾い集めるようなところがあるから。

大崎剛 - ele-king

 なんと、食品まつりがレーベルを始動する。その名も〈Kuromon label〉。彼の地元・名古屋の友人たちをリリースする、というのがコンセプトだそうで、第1弾リリースはレーベルの共同設立者でもある、シンガーソングライターの大崎剛。時代の流れに左右されない、直球のポップ・ソングを奏でているとのことなので、チェックしておきましょう。発売は明日!

大崎剛『絵本』〈Kuromon label〉から
2019年10月22日配信リリース

食品まつりと大崎剛の立ち上げた新レーベル〈Kuromon label〉から
大崎剛の初アルバム『絵本』2019年10月22日配信リリース決定

名古屋を拠点に活動している電子音楽家の食品まつりと友人で名古屋でシンガーソングライターとして活動中の大崎剛が「地元の友達をリリースする」というコンセプトで立ち上げたレーベル〈Kuromon label〉から大崎剛の初のアルバムがリリース。
ジブリ映画の音楽にインスパイアされ音楽活動をスタートした大崎剛の、絵本のような優しくて誰もが口ずさみたくなるようなメロディと世界観、荒井由実や山崎まさよしにも通ずるメランコリックでノスタルジーを感じるサウンドと歌。
マルチプレイヤーである自身の演奏と名古屋のバンド「ミミコ」も全篇に渡りアレンジに参加。今の時代めずらしいくらいの、ど真ん中直球ひたすらに「いい曲」が全7曲収録。

大崎剛『絵本』
2019/10/22 Apple music、Spotify、各種サブスク、配信サイトで配信スタート

-収録曲-
1. ボンボヤージュ
2. 愛の
3. 明日晴
4. サーカス (feat.はやかわともみ)
5. 月見坂
6. 自問自答
7. 夢降街

10月25日@WWW X、LOW JACKのカセットテープ発売 - ele-king

 来週25日、C.E主催のパーティ〈C.E , TTT, Hinge Finger present〉の会場内で、LOW JACKのカセットテープが販売されます。同パーティにも出演するLOW JACKはフランスはパリを拠点に活動する、いま注目のプロデューサー、DJ。〈The Trilogy Tapes〉をはじめ、〈L.I.E.S.〉や〈Modern Love〉といった名だたるレーベルからリリースを重ねており、レーベル〈Editions Gravats〉を主宰している。いまもっともヤバいダンスホールの作り手なんで、編集部もこれが欲しくてたまりません。。。。


タイトル:LOW JACK
アーティスト:LOW JACK
フォーマット:カセットテープ
収録音源時間:60分(片面30分)
発売日:10月25日金曜日
販売場所:WWW X https://www-shibuya.jp/schedule/011756.php
問合せ先:C.E www.cavempt.com

interview with Floating Points - ele-king

 まず弦の響きに驚く。やがて極小の電子音が静かに乱入してくる。終盤、両者は混じり合い、高速スピッカートなのかエレクトロニクスなのか判然としない音の粒子が烈しく舞い乱れる。冒頭の“Falaise”が高らかに宣言しているように、弦(と管)がこのアルバムのひとつの個性になっていることは疑いない。ストリングスは4曲目“Requiem for CS70 and Strings”や10曲目“Sea-Watch”でも効果的に活用されており、そういう意味ではフローティング・ポインツによる4年ぶりのこのアルバムは、昨今のモダン・クラシカルの文脈から捉え返すことも可能だろう。
 が。やはり、それ以上にわれわれを惹きつけるのは、そのエレクトロニックかつダンサブルな側面だ。2曲目“Last Bloom”のエレクトロ、3曲目“Anasickmodular”や7曲目“Bias”におけるダブステップ~ジャングルの再召喚、そして先行シングルとなった“LesAlpx”の4つ打ちなんかを耳にすれば、いやでも身体を揺らさずにはいられない。他方で8曲目“Environments”の音の響かせ方はある時期のエイフェックスを想起させるし、穏やかな“Karakul”や“Birth”では細やかな実験が展開されている。サム・シェパードの雑食性が見事に花開いたアルバムと言えるが、ようするに、テクノなのだ。
 デビューから6年ものときを経て届けられたファースト・アルバム『Elaenia』(2015)によって、クラブ系以外のリスナーにまでその名を轟かせることになったフローティング・ポインツは、新たなファンの期待に応えるかのようにバンドを結成し、「Kuiper」(2016)や『Reflections』(2017)でロック的なアプローチを追究していったわけだけれど、ここにきて彼はふたたびダブステップやテクノの躍動と、実験に立ち戻っている。何か大きな心境の変化でもあったのだろうか?
 本作でもうひとつ注目しておくべきなのは、そのテーマだろう。たとえば“Environments”はリテラルに「環境」を意味しているが、「僕にとって、『Crush』は、じわじわと僕らを蝕んでいく破壊行為を想起させる」と、サム・シェパードはプレスリリースで語っている。「つまり、利己主義に凝り固まった政治的権力闘争、気候変動、抑圧された思想や人びとといった圧倒的に不可避な物事──日常的に僕らが怒りを覚えているこうしたすべてのことにたいし、無力だと感じてしまうような」。
 フローティング・ポインツがポリティカルな要素を直接的に作品とリンクさせたのは、おそらく今回が初めてだろう。プラッドがそうだったように、シェパード青年もまたこの暗黒の社会のなかで怒りに打ち震えている。その怒りが生み出した、しかしあまりに美しい音楽に、わたしたちは耳をすまさなければならない。(小林拓音)

今回、デジタルじゃなくて本物の楽器が使いたかったんだよね。本物の楽器を使って、その音をデジタルの楽器であるかのように扱いたかったんだ。僕からしたら同じなんだ。だから、このアルバムの曲の根本はぜんぶストリングスなんだよ。

今回ヴァイオリンやヴィオラ、チェロを入れようと思ったのは?

サム・シェパード(Sam Shepherd、以下SS):じつはヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、クラリネット、フルート、バスクラリネットとフレンチホルンを使ってるんだ。僕は1日じゅうストリングスを聴いていられるほどストリングスが大好きなんだ。天国の音に聴こえるんだよね。でも木管楽器って忘れられがちな気がするんだ。とくに僕自身が忘れてたりすることが多いんだけどね(笑)。トーク・トークのフロントマンのマーク・ホリスのアルバムに木管楽器の音がたくさん使われていて、僕自身はそのアルバムの曲のアレンジはそこまで好きだとは言い切れないんだけど、サウンドは大好きなんだ。すごくオリジナルで美しい音だったから僕もいつか自分の曲でそういう音を使ってみたいなと思ったんだ。

ローラ・カネルはご存じですか?

SS:知らないなぁ……名前のスペルは? 聴いてみるよ。

いまはエレクトロニック・ミュージック全盛の時代ですが、そういうヴァイオリンのようなストリングスの音が逆に求められているのかなという気もしていて。どう思います?

SS:僕は今回、デジタルじゃなくて本物の楽器が使いたかったんだよね。本物の楽器を使って、その音をデジタルの楽器であるかのように扱いたかったんだ。僕からしたら同じなんだ。1曲目はストリングスや木管楽器がふつうにスピーカーから鳴っていて、そこからブクラ(Buchla:モジュラー・シンセサイザー。かなり特定されたもの)に通して、リブートして、音を細かく切って、その切った音をデジタルな音として扱ったんだ。

エレクトロニクスとストリングスの融合が今回のテーマだった?

SS:まったくそのとおりだよ。

冒頭“Falaise”の最後のほうで鳴っているシンセはヴァイオリンのようで、まさに両者の区分が融解しているように聞こえます。

SS:モジュラー・シンセサイザーはすごくテクニカルなんだ。ほんとうはオシレイター(oscillator)っていう、シンセサイザーの音のもとになる波形をつくり出す発振器でベーシックな音をつくるんだ。そのベーシックな音をプロセシして、音楽的な音にするんだけど、今回はオシレイターの代わりにヴァイオリンを使ったんだよね。まるでヴァイオリンがこのデジタル機材の一部であるかのように扱った。だから、このアルバムの曲の根本はぜんぶストリングスなんだよ。機械でプロセスして、フェイドインさせたり、フェイドアウトさせたりしているストリングスの音なんだ。「プロセスする」っていうのは、フィルターに通したり、パンを振ったりしてるってことね。サラウンド・サウンドなんだ。

現代音楽、クラシカルはよく聴いていたんですか?

SS:クラシカルしか聴いてなかったね。エレクトロニック・ミュージックやジャズやソウルを聴きはじめたのは14歳か15歳のときだったかな。目覚めるのが遅かったんだ。僕がそのとき聴いてたエレクトロニック・ミュージックはカールハインツ・シュトックハウゼンとかモートン・サボトニックのようなクラシカル・エレクトロニック・ミュージックで、カール・クレイグとかそっち系ではなかったんだ。

ダブステップやジャングル的なリズムの曲もありつつ、全体としてはテクノのトーンで、それが見事にストリングスと合体している──今回こういうアルバムにしようと思ったのはなぜですか? 少し前まではバンド・サウンドを追求していましたよね?

SS:Elaenia』はエレクトロニックだったんだけど、バンド・サウンドになるポテンシャルがすごくあるアルバムだったんだ。ギターやドラムの音も入っててね。だからバンドにしたんだ。アルバムを聴いたときに「バンドとしてできる!」って思ったんだよね。バンドとして世界中をツアーでまわって、よりバンドっぽくなっていって、つねにライヴしてたんだ。毎日毎日ライヴ、ライヴ、ライヴ……。それで僕ら、いや、僕の音が変わったんだよね。サイケデリック・ロック・バンドのサウンドになってしまったんだ。そのツアーが2017年のコーチェラで終わって、僕は自分のスタジオに戻ってふたたび音楽をつくりはじめた。でも、もうこのときはバンドとしてっていうのは終わったので、ひとりで帰って、ひとりでつくりはじめたんだ。べつにバンドに飽きたわけじゃなくて、ちがうことをやりはじめただけなんだよね。『Elaenia』の前はテクノっぽい感じの音楽をずっとやってたし、『Elaenia』はちょっとしたバンド・フェイズだったってだけなんだ。ツアー終了と同時にそのフェイズが終わって、僕はひとりでスタジオに戻って、それまでやってきたことに戻ったんだ。だからこのアルバムは本能的というか、より直感的なものなんだよね。僕と機材だけ。僕が愛してる音楽はそういう音楽なんだ。サイケデリック・ロックも大好きだけど、テクノも大好きなんだ。

ユースセンターや更生施設に力を入れずに警察に権力を与えまくっていることが腹立たしいよ。理解不可能だ。あとは医療制度だね。お金がないと病院に行けないっていう制度には怒りを感じるよ。

今回の『Crush』はいつごろからつくりはじめたんですか?

SS:今年の2月だね。3月にはつくり終わってたよ。5週間でできたんだ。

制作にあたり「Shadows EP」(2011)を聴き返したそうですが、原点回帰のような意識が?

SS:僕は自分がつくった音楽はあまり聴かないんだ。だって世の中はもっといい音楽で溢れてるでしょ(笑)? べつに聴き飽きてるわけではないけど、つくってるときに聴きまくってるからちょっと離れたくなるんだよね。でも何年か後に聴いたりすると、なんか予想外というか……まったくちがう聴き方ができて、自分がつくったものじゃないかのような感じがしたりするんだ。わくわくするんだよね。深い意味があって聴いたりするわけじゃないんだけど、「Shadows」はもうちょっと長くやっていたかったって気持ちはあるんだ。その気持ちにたいする答えが『Crush』なのかなって思う。僕はいま「Shdows EP」がすごく好きなんだ。8年くらい前につくったんだけど、聴くといまでもわくわくするんだ。

『Crush』をつくる際にとくに参照した作品やアーティストはありましたか?

SS:ものすごいスピードでできたんだ。32年間音楽を聴いてきた僕がいて、ロンドンにある僕の大きな、機材がぜんぶ置いてあるスタジオがあって、機材が正常に動いているのを確認してくれるティムって言う仲間がいたから作業がすごく早くなった。このアルバムはスピーディに作業ができた結果みたいなものだと思うんだ。激しかったよ。音楽を聴いて「こういうふうにしたいなぁー」とかはなかったんだ。アルバム制作中は音楽を聴いてなかったからね。ゆっくりめの曲もピアノの前に座って淡々とできていった、溢れ出てきたって感じだったよ。

《Sónar 2019》でのDJはすごくダンサブルかつ多様なセットでしたが、今回のアルバムがこのようなスタイルになった理由は?

SS:いい質問だねぇ。僕の頭のなかでは、僕がいままで聴いてきた音楽が乾燥機状態になってるんだ。頭のなかで転がりまわってるんだよね。で、僕のスタジオのなかにはブクラやコルグやローランドのようなエレクトロニックな楽器がたくさんある。だから僕のつくる音楽がエレクトロニックなサウンドなんだ。たとえば僕がスタジオに行って、ヴァイオリニスト4人が座ってたとしたら、僕はきっとヴァイオリンの音楽だけをつくるだろう。たとえば「LesAlpx」のBサイドの“Coorabell”って曲なんかはドラムを全部ローランドの新しいドラム・マシーンでつくったんだ。それで8分もあるこの曲のベースを、淡々と10分でつくったよ。できちゃったんだよね。
 やっぱりエキサイティングじゃないといけないと思うんだ。エレクトロニック・ミュージックをつくるうえで僕がたいせつだと思うのは、たとえばチェロ奏者。チェロを弾くには、楽器を抱えて、包み込んで弾かないといけない。だから、チェロの演奏をみると、そのチェロの音を通り越して演奏者の心の音まで聞こえると思うんだ。エレクトロニックの機材だとそれが難しいと思うんだよね。自分と機械だからさ。リスナーがその機械を通り越してアーティストの心が聞こえるようにするには、機材のことを知り尽くさないといけないと思うんだ。これは絶対。

『Elaenia』は音響的にけっこうクリアでしたが、今回は良い意味で濁りがあって、たくさん細やかな音が入っています。それは意図的にやりました?

SS:それもつくりあげたスピードが関係してるんだと思う。今回使った機材はツアー中でも使ってる機材で、曲を早く流したり、ディテールを足すこともできるものなんだ。でもたまに、手を離したら何もコントロールできなくなる状態のセッティングにするんだ。だからつねに機材の舵を取ってないといけないんだよね。前作よりちょっと乱雑な音になっているのはそれが原因かな。ぜんぶセッティングして、機材に声を与えたんだ。でも舵は僕が握っている。野獣に手綱をつけて、暴れすぎたら引く感じって言えばいいのかな。

怒りの根本は、僕たち人間が時間を無駄にしていることからきてると思うんだ。でも希望はある。このアルバムをつくったときは絶望を感じていたし、怒ってたけど、希望がなければ何も正せないと思うんだ。希望は捨てちゃいけない。

本作の背景には「政治的権力競争」や「環境変動」などがあるようですが、やはりいまのUKの情況に影響されたんでしょうか?

SS:グローバルな情況だね。どの問題もちょっと似ていると思う。UKやアメリカ、ブラジルなどでは右派の政治が増えていて、それにしたがって独立主義も増えているんだよね。この世代にとってはほんとうに悲しいことだと思うし、それにたいして闘わないといけないと思うんだ。僕はこの問題についてなら延々と話せるよ。

そういったポリティカルなことを明確に作品とリンクさせたのは今回が初めてですよね?

SS:そうだね。このアルバム以外の作品はもっと抽象的なものばかりだったと思うな。「自分の信じているものを最前線に」っていう形でやったんだけど、それは自分の信じてることが正しいと思ってるからなんだよね(笑)。

いま何にいちばん怒ってる?

SS:毎日ちがうんだよね。たとえばUKでは青少年犯罪がすごく増えているのに、政府はどんどんユースセンターを減らしているんだ。ユースセンターや更生施設に力を入れずに警察に権力を与えまくっていることが腹立たしいよ。理解不可能だ。あとはヘルスケア・システム(医療制度)だね。僕はすべての人間がヘルスケアにアクセスできて当たり前だと思ってる。お金がないと病院に行けないっていう制度には怒りを感じるよ。ほかにも怒ってることはたくさんあるけど、僕が生きている限りずっと怒りを感じ続ける問題は、ヘルスケア・システムだろうね。いまでもつねに頭をよぎるからね。

なぜ今回のアルバムはそういうものとリンクしたんだと思いますか?

SS:リンクしているかどうかは正直はっきりわからない。今年の初めごろに僕は、人生でこれまで感じたことのないほどの絶望を感じていたんだ。その気持ちが僕の音楽に浸透したのは間違いないと思うけどね。修道士のように毎日スタジオにこもる。毎日毎日。僕はそこにいないといけないんだ。でもそれと同時に僕は、世界から自分を締め出してしまいたくないんだよね。だからつねにいろいろ読むんだ。僕自身がより意識するようになったからなのか、ニュースがどんどんひどくなっていってるからなのかわからないけど、確実に読むニュースのひどさに意識が向いているんだよね。そのニュースが僕に怒りを感じさせているし、その怒りから生まれてきた曲も確実にあるんだ。ピアノに向かって「よし、いまからボリス・ジョンソンについて曲を書くぞ」っていう感じでつくってるわけではないんだけど、自分の心が勝手に、つくる曲に反映されているとは思うんだよね。

今回アルバムをこのような構成にした意図は?

SS:けっこう難しかったよ。最初はアップテンポで次第にゆっくり、って順番で並べてみたりもしたんだけど、ぜんぜんしっくりこなかったんだよね。その並べ方だとソフトな曲を聴いてもリラックスできないって思ったんだ。友だちのキーレンとふたりでいろんなコンビネイションを聴いてみたりしたよ。キーレンはシーケンスをすごく助けてくれたんだ。“Sea-Watch”だけはちょっと多めにスペースを与えたいって思ってね。ほかの曲との距離感をたいせつにしたかったんだ。

“Sea-Watch”はアルバムのなかでもとくに静かな曲ですよね。

SS:人道的活動グループの曲なんだ。地中海に船を出して難民を救う団体なんだけど、イタリア政府は認めていない。キャロラ・ラケット(Carola Rackete)っていうドイツ人女性の船長がいて、彼女の船だけで500人の難民を救ってるんだよね。彼女やその団体の人たちはイタリアの政府からしたら犯罪者かもしれないけど、僕はほんとうのヒーローだと思ってるんだ。政治家は揉めているだけだけど、この人たちは危険な海に出て、行動を起こして、人を救っているからね。

8曲めはいきなり唐突に終わります。これは怒りですか?

SS:トラックリストある? 8曲めがどの曲かわからないんだ(笑)。……ああ、“Environments”か。このアルバムは、どの曲もけっこう重めでディテールが強いドラムスが入ってるんだよね。メロディのほうはけっこうピアニスティックでシンプルでメロンコリックだけど。“Environments”の場合はピアノがゆっくり忍び寄る感じで入ってきて、悲しみの感覚が曲の最初から最後まで存在してるんじゃないかな。でもその悲しみのうえに怒りもつねにいる感じなんだよね。曲の最後はすべてがぐるっと回転したかのような激しい怒りで終わるんだ。このアルバムをライヴでやるときがきたら、きっともっと大きな怒りを表現するんだろうなと思うよ(笑)。

そしてアルバムは“Apoptose”という連曲で終わります。「アポトーシス」と聞くと暗い印象を抱く人もいるかもしれませんが、これにはどういう意味が?

SS:僕は学校に行って生物学者になったから、こういう言葉は日常的に使うんだよね。家のキッチンから出てすぐの壁に、プログラムされた細胞死(アポトーシス)のポスターを貼ってるんだ。オタクっぽいって言われるんだよね。友だちとかが家にくると「なんでこんなポスター貼ってんだよ」って突っ込まれるし。だから僕はふだんから「アポトーシス」って言葉に触れてるんだよね。「アポトーシス」って言葉の響きが好きなんだ(註:黙字を発音して「アポプトーシス」と読むことも)。「ポップ!」ってさ、なんかシャボン玉がはじけるような、かわいい音というか。暴力的には聞こえないんだよね。なんか……良いことのようなさ。ぜんぜんいいことじゃないんだけどね(笑)。曲も悪いことを指してるし。でも言葉の響きはいい。「ポップ!」って。日本語だと風船が割れる音をどう表現するの? パン? パン! 英語だと「ポップ!」なんだよね。「ア・ポップ!・トーセス」。その響きが好きなんだ。曲中のドラムスの音もはじけてるような音になってる。ディデールがたくさん詰め込まれた曲だからいろんな音がはじけてるように聞こえると思うんだよね。アポトーシスは末期というか、細胞が死ぬ、ようするに終わりだからアルバムの最後に持ってきたんだけど、そんな悲しいとか暗い終わりって感じじゃなくて、単純に終わりって感じで最後にしただけなんだよね。

こちらの考えすぎだったかな?

SS:いや。この曲はたまたまゆるい感じの曲なんだ。逆に“Sea-Watch”とかにはすごく献身的な意味がある。クリアな意味というか。でも“Apoptose”はゆるめなんだ。

今回のアルバムは、オプティミスティックですか? それともペシミスティック?

SS:オプティミスティックだね。“Birth”は新しい命を祝福する曲だし、いま僕らが目の当たりにしている環境問題や政治問題は人間がつくってしまった問題で、だから人間で正せる問題なんだ。新しく生まれてくる人間たちでね。怒りの根本は、僕たち人間が時間を無駄にしていることからきてると思うんだ。でも希望はある。このアルバムをつくったときは絶望を感じていたし、怒ってたけど、希望がなければ何も正せないと思うんだ。希望は捨てちゃいけない。

Stereolab - ele-king

 1993年から2004年にかけてのステレオラブは、1970年代のデヴィッド・ボウイにも似た活躍を見せ、毎年、新しくて非凡な作品をリリースしていた。個々の作品は単体で見ても優れているのだが、全体として捉えてみると、それがバンドの成長と進化の記録そのものとなって我々を魅了する。

 今回のキャンペーンで再発されるのは、グループ(彼らはたびたび自分たちのことを“group”ではなく“groop”と称する。発音は同じだがgroopには「排水溝」という意味がある)がこの期間にリリースした7枚のスタジオ・アルバムだが、この数字だけでは、当時のステレオラブがどれほど旺盛に制作を行っていたかを説明するにはいささか物足りない。7枚のアルバム以外にも、2枚のミニアルバム、2作品からなるコンピレーション・シリーズ『Switched On』、さらには前衛音楽の伝説的バンド、ナース・ウィズ・ウーンドとコラボレーションした数枚のEPが、同じ時期に生み出されているのだから。彼らに関して興味深いのは、結成して活動を始めたときからバンドとしての完全な形態を成立させており、下積みの期間を飛び越えて、そのままデビューアルバム『Peng!』と複数のシングルとEPを完成させ、それを『Switched On』の1作目に繋げたことだ。

 ステレオラブの下地となっているのは、1980年代のイギリスおよびアイルランドのギター・ポップ・シーンである。このころティム・ゲインが中心メンバーだった騒々しく反抗的な左翼バンド、マッカーシーに、レティシア・サディエールが加入し、バンドにとって最後の(そして最高傑作である)アルバム『Banking, Violence and the Inner Life Today』が制作された。マッカーシーの歌詞は、1980年代のイギリス左派による政治闘争を主要なテーマとしており、しばしば皮肉を込めて、敵対する政治スタンスをあえて標榜し、そうすることで相手の明らかな不合理や偽善を風刺しようとした。マッカーシーの最後のアルバムを聴けば、そこからステレオラブのサウンドが芽生え始めていたことがわかる。ギターの騒がしい音はわずかに鳴りを潜め、それまで以上に瑞々しく多層的なキーボード主体のサウンドが“I Worked Myself Up from Nothing”などの楽曲に現れている。このアルバムでとりわけ興味深い楽曲が“The Well Fed Point of View”で、マッカーシーの定番とも言える、敵の立ち位置を歌に乗せて風刺する手法を採用している──この曲では、自身の幸福と感情の安寧は本質的に個人の問題だと捉えるべきだと聴き手をけしかける。反面、この世界にある残酷さと不公正さもまた、個人に帰する問題だとしている。マッカーシーが言外に主張しているのは、これらは本来、個人の問題ではなく社会の問題だということだ。こうして培われた思想の中核が、やがてはステレオラブの世界観の根幹を成すことになる。すなわち、個人の問題と、社会的もしくは政治的問題の間には、切り離せない相互関係があるということだ。

 ステレオラブが活動を始めたころ、バンドは主にロンドンのミュージシャンたちと交流を持っていた。こうした集まりは「自画自賛の界隈」などと軽蔑されながらも、後のブリットポップに繋がる、何でもありのインディー・ロックシーンを形成していた。当時ステレオラブの周辺には、スロウダイヴ、チャプターハウス、ラッシュなどのシューゲイザーのバンド、またはマッドチェスターの残り火から熱を受け取って早々に名を上げたブラーのようなバンド、そしてシー・シー・ライダー、ガロン・ドランク、ザ・ハイ・ラマズなどの一風変わったパフォーマンスをするバンドなどが存在していた。初期のステレオラブのサウンドには、周囲から受けたさまざまな影響が渾然となっていて、マッカーシーが築いたものをある程度引き継ぎながら、ギターポップとシンセサイザーを組み合わせるだけでなく、シューゲイザーや実験的ポップスの要素も取り入れられている。

 他に初期の彼らに多大な影響を与えたのがクラウトロック、とりわけノイ!というバンドの存在だった。1992年に壮大な叙事詩的傑作『Jehovahkill』をリリースしたジュリアン・コープとともに、ステレオラブは90年代初めにクラウトロックへの注目が再燃した際に中心的役割を果たした。その影響が何よりも華々しく描かれているのが、新たに〈Warp Records〉から再発される作品の中でもっとも古い『Transient Random-Noise Bursts with Announcements』である。再発されるアルバムの中でも──そしておそらくステレオラブの全アルバムのなかでも──これがバンドにとってもっとも荒削りで、獰猛なサウンドの作品だ。冒頭の曲“Tone Burst”は素っ気なく始まるが、次第にサウンドは分裂し不協和音の層に溶け込んでいく。それでいて、このサウンドを際立たせるのがサディエールによる幻想的で夢のような歌詞だ。このように粗さと優美さを並列させるスタイルは、次の“Our Trinitone Blast”でも続き、ヴォーカルは前面に出る声と後ろを支える声に分かれ、片方が粗野に歪めば一方が甘く歌うというように、まるでラッシュのようなハーモニーを奏でている。“Golden Ball”では、間断なくかき鳴らされるギターコードとともに、特定の箇所で明らかにテープが途切れたかのような効果が再現され、ノイ!のセカンド・アルバム後半で積極的に採用されているような、故意に曲のスピードを変化させる一筋縄では行かない演出を真似ている。対して“I'm Going Out of My Way”では、ほとんど若者向けのバブルガム・ロックと言っていいようなガレージ・ロックのグルーヴを取り入れ、ひたすら反復を続けることでトランス・ミュージックに似た作用を引き出している。

“Pack Yr Romantic Mind”では、ステレオラブの原動力を示す別の重要な一面が見られる。それは、情念もしくは冷笑主義のどちらかに裏打ちされたサディエールの抑揚のない平板な歌い方と、その後ろに聞こえるメアリー・ハンセンによる「ba ba ba」という歌声との間に生まれる相互作用だ。また、『Transient Random-Noise Bursts』が、ザ・ハイ・ラマズのメンバーだった(その前はアイルランドのインディー・バンド、マイクロディズニーのメンバーだった)ショーン・オヘイガンを正式に迎え入れ、初めてその存在を前面に出して制作されたステレオラブのフルアルバムだという点も見逃せない。この時点で、オヘイガンはギター・ポップからより実験的な方向へという自身の転向を踏まえてバンドを導いていた。そこにはブライアン・ウィルソン、ヴァン・ダイク・パークス、バート・バカラック、フィル・スペクターの他、多くのアーティストの影響があった。アルバムの持つ粗さにもかかわらず、“Pack Yr Romantic Mind”のような曲を聴くと、このころから前衛的なイージーリスニングの影響を受けるようになったことが明白だ。これは後にステレオラブの作品においてますます重要な特色となるものであり、ザ・ハイ・ラマズの1994年のアルバム『Gideon Gaye』にも、オヘイガンによる特色として現れている。それでもやはり、この歌とアルバムの他の曲との共通点をひとつ挙げるなら、それはマントラのような繰り返しに専念していることで、歌詞はひとつのフレーズを途切れることなく何度も復唱するものになっている。

 しかしながら、ノイ!が用いたような4ビートのモータリック・サウンドこそが、『Transient Random-Noise Bursts』の特徴としてもっとも強力なもので、楽曲“Jenny Ondioline”の要となっている。歓喜に満ちた18分の歌を構成するのは、のらりくらりと奏でられるキーボード、幾層にも重なるシューゲイザーのギター、反抗的でありながら純真さのあるサディエールの独特な歌声であり、そうした寄せ集めの中で、無限に広がる至福の音が神々しいまでの領域に達している。

 『Transient Random-Noise Bursts』がステレオラブのもっとも荒削りなアルバムであるとすれば、1994年の『Mars Audiac Quintet』は、もっとも激しい怒りが歌われているアルバムかもしれない。明るい曲調の“Ping Pong”の軽快なメロディーは、それまでにない都会的なポップ・サウンドで、同時期に日本で渋谷系と呼ばれ始めていたものと類似する。だが、表面的には前向きなこの曲も、歌詞を見ればその様相が一変する。マッカーシーの戦略を引き継いで、語り手は作詞者の真意とは対極にある考え方を持ち、安心させるような口調で、世の中のことで悩むのはやめるようにと聴き手を促す。

「心配いらない 歴史のパターンはもうわかっているから/経済のサイクルがどんなふうに回っていくか/何十年という周期の中で 3つの局面が繰り返し現れる/不況と戦争があっても そこから挽回して元に戻り さらに上を目指していく」

 この架空の語り手は、厳しい時代でも悩むことはないと聴き手を煽る。なぜなら「ものごとは自然に良くなっていく」からであり、「凄惨な戦争があって死ぬのは数百万人 だから心配いらない/せいぜい彼らの命とその次の世代の命が失われただけのこと」と強調する。最終的には、社会の現状に対してメンバーたちが抱く怒りや不安が、「悩まなくていい 何も言わず そのままでいい 受け入れて幸せになりなさい」という言葉で封殺されていることを明らかにする。

 “Three Longers Later”は、平和を実現するという名目で戦争を行うことの不合理について語る。これは、徴兵制度によって家族から父親を奪われた子供の目を通して描かれる──作詞をしたサディエールの祖国フランスでこの徴兵制度が終了したのは、アルバムリリースの2年後だった(そして本稿執筆時の2019年夏、現大統領エマニュエル・マクロンが何らかの形でこの制度を復活させようと試みている)。このテーマを表現するため、楽曲は童謡と言っていいほど穏やかなメロディーから始まり、やがて爆発してスペースロックと呼ぶにふさわしいクライマックスを迎える。

 “Transporte sans Bouger”では、ますます断片化していくように見える世界を嘆く。人びとは空しい「仮想の夢」の中で生き、「隣人のことを知る必要がない」夢の世界で「一定の距離を置いて愛し合う」。1994年には、まだインターネットが人びとの生活に深く浸透していなかったことを考えれば、これは見事な先見性ではないだろうか。徐々に失われていく友好的な地域社会を懐かしむというのは、いくぶん保守的な考え方だ。だが、ステレオラブは左派としてのスタンスにもかかわらず、現在の問題の解決策を探るために過去を振り返ることを決して厭わなかった。
“International Colouring Contest”は、エキセントリックな音楽家で塗り絵帳の制作者であるルチア・パメラの持つ、創造性と宇宙時代的な楽観主義に対する賛辞のようなものだ。曲の冒頭は、ルチア・パメラによる「私の頭の中はアイデアでいっぱい 最高のアイデアを教えてあげる!」という高らかな声のサンプリングから始まっている。ステレオラブは、創造性とは根本的な変革をもたらすものであり、自由の概念と密接につながっているという意識に繰り返し立ち返っている。

 反対に、想像力を発揮するための道筋を塞いでしまうものがあれば重苦しく感じられるだろう。“L'Enfer Des Formes”は、冷笑的な態度が、変化をもたらすための行動をどのように阻害するかということを述べ、クラウトロックの影響を受けた“Nihilist Assault Group”は検閲制度と道徳的な危機を題材に、それがいかに批評的な感性を潰えさせ、問題を効率的に対処するためのあらゆる現実的な手段が犠牲になるかということを描く。“Wow and Flutter”とアルバムを締めくくる“New Orthophony”は、現在の状況を避けられないものとして受け入れるのではなく、異議を唱えることの必要性に触れる。

 『Mars Audiac Quintet』では、前作同様クラウトロックのリズムセクションの技法に頼っているが、それとともに、紛れもなくアヴァンポップの分野に進んでいる。“Ping Pong”に加えて“L’Enfer Des Formes”もまた、表面的には明るいポップなメロディーを奏で、一方“The Stars Our Destination”と“Des Etoiles Electroniques”では、リズムマシンによる陽気なループ音と、夢幻的なシンセと、絡み合うヴォーカルのメロディーラインが組み合わさって流麗で重層的なサウンドを生み、バンドが進む新たな方向性を示している。

 歴史を辿る旅の次なる停車駅は、1996年の『Emperor Tomato Ketchup』だ。本作でこのバンドのサウンドは完全に刷新されているが、それにもかかわらずステレオラブとすぐに認識できる特徴が残っている。前作までと同様、バンドは前進する過程において過去の芸術を参考にしていて、例えばタイトルは日本の劇作家で映画監督の寺山修司による1971年の同名の映画(『トマトケチャップ皇帝』)から取られたものであり、ジャケットのアートワークは1960年代にリリースされたベラ・バルトーク作曲の『Concerto for Orchestra』のジャケットを下敷きにしている。やはりステレオラブにとってお馴染みの要素がアルバムの中核を成しており──繰り返しのリズム、多層的な音作り、あえて外した曲調のポップス、作用しあうサディエールとハンセンのヴォーカル、そしてマルクス主義を遠回しに表現する歌詞──たとえ今作でいっそう洗練された姿へと進化していても、その点は変わっていない。

 最初の“Metronomic Underground”では、クラウトロックの中でもファンク寄りの部分、つまりノイ!ではなくカンのようなサウンドを引き出しているが、フレーズの繰り返しとドラムのループが変わらず全体を包みながら、それぞれの歌がモータリックのリズムを刻み続ける。例えばアルバムと同タイトルの楽曲“Emperor Tomato Ketchup”や“Les Yper Sound”では、そこにヴォーカルが融合し、数々のアルバムのなかでもとくに甘美でポップなメロディーが用いられている。華麗な“Cybele's Reverie”はプルースト風の内省によって記憶を巡り、ステレオラブのポップ・ミュージックへの傾倒を踏まえて、より豪華でオーケストラ的な演出を志向している。一方他の場面では、バンドは繰り返しとループ再生を探求する中で、さらに新しくて興味深い手法を発見しており、それはミニマル・ミュージックの“OLV 26”や左右のギターが鏡合わせのように鳴らされる“Tomorrow is Already Here”といった曲で窺える。

 歌詞においては、それまでのアルバムと比べてさらに抽象的な世界を探求しているが、このアルバムが個人と社会の関係性というテーマをもっとも明示的に扱っていると言えるかもしれない(少なくとも、ステレオラブの全作品の中で、確実にこのアルバムが一番多く「社会」という言葉を使用している)。“Spark Plug”は、個々の人間やあるいは人間の集団が見せる内なる生命の輝きを、抽象的に捉えるのではなく、実際にあるものとして認識することの重要性を描く。“Tomorrow is Already Here”では、本来は社会に資するために用意された、いくつもの制度が、今では対象を抑圧する元凶となっていることに着目する。対して“Motoroller Scalatron”は、子供向けの歌のように質問と答えを歌詞にするという構成になっていて、社会というものが脆弱な基盤の上に成り立っているのだと語り、現在の社会を維持するには、脆弱な基盤が確かに存在し、そしてそれがしきりに変動しているという考えを共有するしかないと述べる──そして皮肉なことに「言葉の上に築かれた」社会では、我々が言った言葉、あるいは言わないことを選択した言葉が、最後には計り知れない結果を招くことがあるのだとも述べる。

 そしておそらく、さらに意義ある変革が、次のアルバム『Dots and Loops』で成された。『Emperor Tomato Ketchup』がリリースされたのと同時期に、シカゴ出身のバンド、トータスが画期的なアルバム『Millions Now Living will Never Die』をリリースし、その少し前にはドイツ生まれのデュオ、マウス・オン・マーズがセカンド・アルバム『Iaora Tahiti』をリリースしていた。3つのグループはいずれも、急速に拡大したにもかかわらず定義が曖昧なままだったポスト・ロックというジャンルのなかで大きな役割を担った。1990年代当時のポスト・ロックを理解するには、ジャーナリストのサイモン・レイノルズの記述がもっとも適しているだろう。「ロックの楽器編成をロックではない用途に使い、ギターはリフやパワーコードを奏でるのではなく、音色や響きを補助するものとして使用される」

 コラボレーション相手としてマウス・オン・マーズを選び、トータスのジョン・マッケンタイアをプロデューサーに迎えたことで、『Dots and Loops』はポスト・ロック黎明期の才能がぶつかり合う場となった。ディストーションのかかった電子音で始まり、そのまますぐに軽快なブレイクビーツに続く“Brakhage”では、サディエールが夢のような声で、消費主義の影響を受けて感覚が麻痺してしまうことを嘆く。一方、先行シングルの「Miss Modular」は、ラウンジ・ミュージックの美しい作品で、歌詞は、戯れや神秘、そして目の錯覚といった比喩に言及している──抽象的な比喩表現のために主題がわかりにくいかもしれないが、フランスの状況主義(人の行動は状況によって決定されるところが大きいとする考え方)の先導者ギー・ドゥボールが消費主義を批判したその著作『スペクタクルの社会』にバンドが親近感を抱いていることからも明らかなように、こうした比喩表現が暗示しているのは、人為的なもの──すなわちスペクタクル──が現実と想像、あるいは歴史と終わらない現在の違いを見極める人間の能力を圧倒してしまうときに、社会的な関係性がより広い意味を持つということであるのは確かだろう。このアルバムに特定のテーマがあるとすれば、それは孤立かもしれない。社会や近しい人たちからの孤立だけでなく(そして個人と社会は不可分だとするステレオラブの世界観を考えれば必然的に)自我や自身の感覚からの孤立もまたテーマである。

 マッケンタイアとの関係は続く2枚のアルバム、1999年の『Cobra and Phases Group Play Voltage in the Milky Night』と2001年の『Sound Dust』でも続き、その2作には、共同プロデューサーとしてジム・オルークが加わった。『Dots and Loops』に比べればエレクトロニック・サウンドはあからさまではなく、この2枚のアルバムでは、バンドはジャズの影響を取り入れて純然たるアヴァン・ポップの方向に進んでいった。

 『Dots and Loops』が孤立の感覚を携えているとすれば、『Cobra and Phases』はバンド史上もっとも希望に満ちた音が鳴るアルバムである。少なくともその要因の一端は、ゲインとサディエールの間に子供が誕生したことにある。それは“People Do it All the Time”ではっきりと言及されていて、歌詞では、創造的営みの混沌たる作用である生命の誕生を大いに喜んでいる。「混沌のなかから創造が生まれる/ひとつの形に結びついて/酒飲みが正気になるように」そして子供は希望で満たされるべき器であると位置づけ「あなたにはのびのびと育ってほしい/私たちが守っている古い考えを蘇らせて」と宣言する。

 自由に育っていくことは「古い考えを蘇らせる」ことと両立しなければならないという考え方は、ステレオラブが繰り返してきた、前に進むには振り返ることも必要になるだろうというテーマに対する新しい切り口だ。アルバム全体を通して、(単なる誕生や発見ではなく)生まれ変わりや再発見というイメージが繰り返し登場する。“The Free Design”でサディエールは「願いが届きいつでも復活させられる/私たちにできるのはプロジェクトを再生させるだけ」と歌い、過去のプロジェクトで未完成のまま残されたものがあることをほのめかしている。一方“Puncture in the Radax Permutation”に登場する「孤独に歩む人の形をしたもの」は、それが「五感を取り戻」そうとする姿を通して「自分の歩調を再発見する」ことの象徴として描かれる──新しさとは過去を振り返ることに結びついている、そして、生命のサイクルと生まれ変わりが意味するのは、新しいものは必ず何か古いものと同一であるということだ。そのような考えが、ここで再度強調されているのかもしれない。

 『Cobra and Phases』は官能的なアルバムで、最初と最後には愛についての歌が並び、大地と自然のイメージに何度も立ち返っている。本作は、サディエールが女性として生きることをはっきりと単刀直入に歌っている希有な事例であり、フェミニズムのテーマが「Caleidoscopic Gaze」や、クラウトロックにわずかながら回帰した「Strobo Accelleration」で前面に出ている。

 『Cobra and Phases』では楽観的な姿勢が念頭にあったが、『Sound Dust』はさまざまな意味でステレオラブのもっとも陰鬱なアルバムで、資本主義に内在する人間性の剥奪と社会の抑圧を扱うテーマに戻っており、“Gus the Mynah Bird”では「自己決定とは事実として存在しなければならない/本来は権利などではない」と断言して、資本主義は偽りの自由を提供し、嬉々として社会の抑圧と結託するのだと示唆する。“Space Moth”で参考にしているのは2人の映画監督、ジャン・ルーシュとエドガール・モランで、彼らによる1960年の映画『ある夏の記録』は、フランスの多様な人々、なかでもとりわけ労働者階級の人々にとっての幸福をテーマに、幸福とは政治と自由に密接な関連があるという考えのもと、戦争、検閲制度、人種の問題に触れ、ホロコーストを痛切に描いている。この歌の「人間はその職に応じて変わる」というフレーズは、再度、資本主義を自由と相反するものとして位置づける。

 “Nothing to Do with Me”の歌詞は、イギリスの風刺作家クリス・モリスによる陰気でシュールなコメディーから直接引用されている。そのテレビ番組『ジャム』は、不気味なアンビエントミュージックを短編コメディーに組み合わせ、タブーを破り、ドクターと呼ばれる人種は利他的な人々ではないという描写を用いたことで、イギリスで議論の的となった。モリスが描くドクターは、しばしば混沌の仲介者となる。それは自分たちに頼る人々の信頼を不明確な理由で悪用する権威の象徴である。「私の娘に1ポンドのヘロインを処方したの?」と歌の途中でサディエールは尋ねる。他の箇所では、顧客と依頼人という微妙に異なる立場の関連性に混乱が生じ、ひとりの女が配管工に頼みごとをする。「先日は本当に助かりました/おかげでボイラーが直りました/今度はうちの赤ちゃんを直してくれませんか/あの子はもう3週間も動かないの」どちらの例においても、社会的な関係性が悪用されているのだが、社会的に定められた当事者同士の関係性は、それでもなお形式的には妥当な手続きに守られており、穏やかで理性のある様子を見せることは、他者を威圧する非常識な人間に付け入られることに繋がる。

 だが、それ以上に『Sound Dust』は二重性についてのアルバムだと思われる。ステレオラブの曲の多くが、対立する概念を考察して真理に至ろうとする弁証法的アプローチを採用し、2つの対立する勢力や立場に折り合いをつけることを論じていて──命題とそのアンチテーゼがあってこそ、総合的な判断ができるということだ──その構造が変わらず存在する。「Baby Lulu」の歌詞は「両極端なものは一致していた/即興を奏でる/合理的にそして詩的に/すぐに矛盾を見極めながら」と述べている。そしてこれは、バンドにとって、これまででもっとも率直に邪悪という概念に向き合ったアルバムだということでもある。「Naught More Terrific than Man」の歌詞に「ふたつの対極点が人の歩みを導く」とあり、対極点のうちのひとつが邪悪そのものとして描かれる。そして「Suggestion Diabolique」では、邪悪の概念が明らかに聖書を意識した内容で表される。メロディーの華麗さや温かさや美しさは、歌詞の暗さや厳粛さと相まって、アルバムのテーマと同様の二重性を有している。

 このような特徴は、アルバムの音楽的な構成にも反映されており、多くの曲がふたつのパートで構成されている。曲の前半と後半では、メロディーもアレンジも、まったく別のものが展開される。もっとも際だった事例が、楽しげな“Captain Easychord”で、生と死のサイクルというテーマに戻り、それを突き詰めた結果、もっとも基本的な息を吸って吐くという行為のサイクルによってそのテーマを表現している。

 『Sound Dust』はメアリー・ハンセンが参加した最後のアルバムとなった。ハンセンが翌年、交通事故で他界したからだ。今回の再発キャンペーン最後のアルバムとなる2004年の『Margerine Eclipse』には、ハンセンに捧げるという側面がある。楽曲“Feel and Triple”では直接別れに言及し、“Need to Be”では、今あるものを認めるために、痛みや寂しさや死への恐れを受け入れることの必要性を語り、そして“…Sudden Stars”では、愛に向き合って喪失の悲しみを尊重することを伝える。

 当時のヨーロッパやアメリカの政治状況もまた、アルバムのあちらこちらに影を落としている。それは、アフガニスタンやイラクでの戦争、自分たちの中にムスリムという「他者」がいることで具体化したテロの恐怖の増大、そしてますます過度になる国家の監視という姿で現れている。“La Demeure”はこの他者への恐怖を描き、“Bop Scotch”は、我々は自由と安全を天秤にかけられるのかという問いかけを論じる。

 死と恐怖が影を落としているにもかかわらず(あるいは、だからこそと言うべきか)『Margerine Eclipse』はステレオラブのもっとも明るいアルバムのひとつでもあり、また、間違いなくもっともファンク寄りのアルバムで、豊かで濃密なシンセとベースのサウンドが派手に鳴らされながら推進する。そしてこれはもっとも明確に愛を謳ったアルバムであり、最後の曲“Dear Marge”では愛することと学ぶことを関連づけていて、反面、愛と共感が欠けていれば人は学ぶことも成長することもままならないという含みを持たせている。

 『Sound Dust』と同様、弁証法的な構成が『Margerine Eclipse』の基礎を作っている。『Margerine Eclipse』では、ミックス時にすべての楽器の音が極端に右か左にパンをした状態で配置されていて、左右それぞれのサウンドが独立して成立していながら、それでいて同時に聴いたときに2つが統合されるように設計されている。

 この期間に製作された作品を聴いた上で改めて問うてみよう。ステレオラブにとって、バンドとして本当に重要なことは何だろうか?

 このバンドを理解するためのひとつの手段は、同じ時代の見地から彼らを探ってみることだ。この7枚のアルバムは、ソビエト連邦の崩壊に始まり、2001年9月11日にワールドトレードセンターが攻撃され冷戦後のアメリカにもはや敵はいないという意識が粉砕された10年間と、密接に重なっている。

 経済学者フランシス・フクヤマによって「歴史の終わり」と表現されるこの時代には、社会全体が持つ大規模な想像力が通用しなくなったという特徴がある。20世紀に繰り広げられた巨大なイデオロギー同士の闘争は終焉を迎え、自由資本主義が勝利を収めた。それに取って代わるものは存在しなかった。そして評論家マーク・フィッシャーが「資本主義リアリズム」と呼んだ考え方が浸透した結果、さまざまな未来の展望が示されても、すべてが必ずしも「二番煎じ」とは限らなかったにもかかわらず、それらを一律に実現不可能なものとして扱う風潮が生まれた。

 この考え方こそ、ステレオラブが繰り返し非難してきた敵そのものだ。『Mars Audiac Quintet』収録の“Wow and Flutter”の歌詞が、それをもっとも明快に表現している。

 「IBMはこの世界とともに誕生したのだと思っていた/アメリカの旗は永遠に漂うのだろう/冷淡な敵対者は早々にいなくなった/資本家はこれからもついていかなくてはならない/それは永遠でも不滅でもない/そう きっと変わっていくだろう/それは永遠でも不滅でもない/化石のような法律なのだから」

 資本主義リアリズムは人の想像力に制限を加えることで、狡猾で抑圧的な力を持つ。そしてステレオラブにとって、これを克服するには、意識を高く持ち、独創的な(そして夢想的な)精神を発揮するより他にない。状況主義の誕生と、1968年のパリで起こった五月革命(学生たちの運動に端を発したフランスの社会的危機で、世界中の社会運動に多大な影響をもたらした)で示されたように、個人の創造性と構想力が発揮される類まれな瞬間に、社会にショックを与えて、ひとつのサイクルを終わらせ、世のなかを新しい段階へ引き上げることができる。ちょうど『Emperor Tomato Ketchup』のジャケットに描かれた螺旋のように、変わらず周回を続けながらも、常に空に向かって上昇するのである。この意味で、ステレオラブの展望には、フィッシャーが不慮の死の直前まで展開していた思想や、彼が「アシッド共産主義」と称した概念と共通する部分がある。この意味における共産主義とは、資本主義者の自己満足に向かって投げ込まれた修辞上の爆弾であり、20世紀の共産主義体制の再現ではない。そもそもスターリンの抑圧体制は、フィッシャーやステレオラブのような人びとにとっては常に恐怖の対象だった。むしろ彼らは五月革命の子供世代(フィッシャーとサディエールは共に1968年生まれ)であり、アシッド・ハウス全盛のときに成人を迎えた──両者の展望は、地域社会に分散した自発的な活動の影響を受けている。「アシッド共産主義」の「アシッド」という名称は幻覚剤から取られたものかもしれないが、その真の意味は、言葉が持つ以上のものがある。アシッドすなわちLSDは、意識を上昇させ新たな段階に引き上げる行為の同義語となっており、さらにその背後には実験や探求という意味合いも込められるようになった。これはまた、ステレオラブが新たな表現に至るために再三にわたって創造性を引き出そうとしていることと深く合致している。そして『Mars Audiac Quintet』では明確にこのテーマに向き合っており、“Three-Dee Melodie”にはこう歌われている。

 「存在することの価値は/宗教やイデオロギーによって与えられるのではない/意味があろうとなかろうとそれは崖っぷちに出現する/それこそが創造的に生きることで得られる唯一の力」

 では、フィッシャーが語っていたように「未来が取り消された」とき、それをもう一度、発見し直すにはどうすればいいだろうか? ひとつの手段は過去に目を向けることだ。

 取り消された未来の幻影は、現在を生きる我々を苛む。その姿は、あるときはノスタルジーとなり、あるときは俗悪なものとなり、あるときは我々の充実感を潰えさせるほどの威力を持ったままで現れる。フィッシャーは、過去と現在が共存する不自然なこの状況を「憑在論」と呼んだが、前を向く人々にとっては、このように未来が失われたことは、一旦退いた上で新たな道を探して前進するための好機となる。1960年代のヒッピーによるカウンター・カルチャー、1968年の五月革命、昔のサイエンスフィクション作家たちが描いた理想郷の姿というように──ステレオラブの美的価値観は、彼らが過去を掘り進め、独自の理想郷への道を開いていることから、ときに「レトロフューチャー」と評される。初期におけるクラウトロックへの執着もまた、過去の光景を想像しながら再訪し、その先に何か新しいものを追い求めることで、未来に目を向けるためのものである──この結果として、図らずもポスト・ロックが誕生する一助となったのである。

 往々にして革命の実体は幻影のようなものだ。なぜなら、それは現実となるまでは物質的な姿を持たない概念として存在し、静かに現在の体制を脅かしていくからだ。よく知られているように、マルクス自身が共産主義を「ヨーロッパに取り憑いた」亡霊であると表現したが、この場合のより適切な描写は、1819年のピータールーの虐殺(選挙法の改正を求めてマンチェスターの広場に集まった群衆を騎兵隊が鎮圧しようとして多くの死傷者を出した事件)で犠牲になった人びとについて急進的詩人パーシー・ビッシュ・シェリーが述べた「彼らの墓所からは輝かしい幻が飛び出してくるだろう」という表現だろう──果たされなかった革命は、それでもなお、いずれ蘇ってその目的を達成するかもしれないという脅威を孕んでいる。1960年代に成し得なかった革命の数々は、取り消されたその他のあらゆる未来と同じように、ステレオラブの楽曲に息づいている。

 ステレオラブの作品で中核となる弁証法的手法があるとするならば、彼らは問題を解決するために、常に意識を高めて創造性を抑制しないという方向性を目指しているように見受けられる──想像や創作から何か新しいものが生まれる希有な瞬間、それはより自由な世界へ突き進むための革命的手段として世界に登場する。そこに立ちはだかるのが、世界はともすると同じパターンやサイクルを繰り返してしまうという事実だ。例えば、不況で経済が落ち込み戦争が起こり回復していくように、愛が花開いて枯れていくように、そして死と再生のサイクルがあるというように。ステレオラブの音楽は、それ自体がこの世界に呼応している。その形式は繰り返しによって定められながら、創造的発見が生まれる類まれな瞬間に前進して新しいパターンを獲得する。あるいは別の言葉で表すなら、これはまさにアルバム『Dots and Loops』のタイトルのごとく「点とループ」が織りなすシンフォニーだ。

 

Stereolab in the years 1993 to 2004 were like David Bowie in the 1970s in that every year saw them release something new and extraordinary, each a wonderful record in its own right, but taken together adding up to a fascinating document of a band’s growth and development.

The current batch of re-releases encompasses the seven studio albums the group (or “the groop”, as they often referred to themselves) released over that period, although this slightly understates just how productive Stereolab were at that time, with two mini-albums, two volumes of their excellent “Switched On” compilation series, and a couple of collaboration EPs with avant-garde legend Nurse with Wound also falling within the same timeframe. What’s interesting about them is that they start off with the band fully-formed in their first incarnation, skipping over the period of finding their feet that that defined their debut album “Peng!” and the singles and EPs that made up the first “Switched On” compilation.

Stereolab’s background lies in the British and Irish 1980s guitar pop scene, with Tim Gane having been a key member of the jangly and defiantly left-wing McCarthy, joined by Laetitia Sadier for their last (and best) album “Banking, Violence and the Inner Life Today”. McCarthy’s lyrics mostly focused on the political struggles of the 1980s British left, often ironically adopting the stance of political enemies in order to satirise their perceived absurdities or hypocrisies. It was on that final McCarthy album that you start to hear the early murmurs of Stereolab, with the band dialing the guitar jangle back slightly in favour of a more lush, layered, keyboard-based sound on songs like “I Worked My Way Up from Nothing”. A particularly interesting song on this album is “The Well Fed Point of View”, which takes the standard McCarthy approach of satirically vocalising their enemy’s position – in this case, a voice encouraging listeners to see their happiness and emotional wellbeing as essentially individual issues, with the flipside of that being that the cruelty and injustice of the world is also the problem of individuals. McCarthy’s implied message, that these are actually social rather than individual issues, lays down a key idea that would become a key part of Stereolab’s worldview: the inseparable interrelationship between the personal and the social or political.

In Stereolab’s early days, they were connected to a cluster of musicians in London, known cynically as “the scene that celebrates itself”, as well as the eclectic pre-Britpop indie scene. Around them at that time were shoegaze bands like Slowdive, Chapterhouse and Lush, bands like Blur, who had risen to early fame heated by the dying embers of the Madchester scene, and oddball acts like See See Rider, Gallon Drunk and The High Llamas. The early Stereolab sound shows a mixture of these influences, picking up in part from where McCarthy left off, combining guitar pop with synthesisers, but also drawing on elements of shoegaze, and experimental pop.

The other big influence in these early days is krautrock, and Neu! in particular. Along with Julian Cope, whose epic cosmic masterpiece “Jehovahkill” came out in 1992, Stereolab were key figures in the revival of interest in krautrock that bloomed in the early ’90s. It’s this influence that and the expresses itself most spectacularly on the oldest of the new Warp Records re-releases, “Transient Random-Noise Bursts with Announcements”. Of all the re-releases – perhaps of all Stereolab albums – this is the band’s rawest and most sonically brutal. The opening song, “Tone Burst” begins simply, but gradually dissolves into layers of sonic discord, but set against this are Sadier’s deamily romantic lyrics. That juxtaposition of harsh and sweet continues on “Our Trinitone Blast”, with the vocals pinging back and forth, one part harsh and distorted and the other sweet, Lush-like harmonies. “Golden Ball”, with its relentless, clanging guitar chord, fakes an apparent tape breakdown at one point in a way that echoes the frequent, deliberately awkward speed-changes in side two of Neu!’s second album. Meanwhile, “I’m Going Out of My Way” takes a garage rock, almost bubblegum, groove and turns it into something trancelike through sheer repetition.

“Pack Yr Romantic Mind” showcases another key aspect of the Stereolab dynamic: the interplay between Sadier’s plain vocal delivery, uninflected by either passion or cynicism, and Mary Hansen’s backing “ba ba ba”s. It’s telling as well that “Transient Random-Noise Bursts” is Stereolab’s first full album to feature Sean O’Hagan of The High Llamas (formerly of Irish indie band Microdisney) as an official member. O’Hagan was at this point navigating his own transition from guitar pop to something more experimental, drawing on the influences of Brian Wilson, Van Dyke Parks, Burt Bacharach, Phil Spector and more. Despite the album’s harshness, tracks like “Pack Yr Romantic Mind” reveal the beginnings of an avant-garde easy listening influence that would become an increasingly important feature of Stereolab’s work, as well as O’Hagan’s on The High Llamas’ 1994 album “Gideon Gaye”. Nonetheless, one thing the song has in common with the rest of the album is its dedication to mantric repetition, with the lyrics just a single phrase repeated over and over again in a loop.

The motorik sounds of Neu! are what most powerfully define “Transient Random-Noise Bursts” though, and the centrepiece is Jenny Ondioline, a joyous 18 minutes of droning keyboard, layered shoegaze guitars, and Sadier’s uniquely disaffected-yet-wide-eyed vocals that punches through pastiche into a heavenly realm of cosmic sonic bliss.

If “Transient Random-Noise Bursts” is Stereolab’s harshest sounding album, 1994’s “Mars Audiac Quintet is perhaps their lyrically angriest. On the upbeat “Ping Pong”, the bouncy melody parallels the sophisticated emerging pop sounds that were starting to get called Shibuya-kei in Japan at this time, but the song’s superficial positivity is undercut by its lyrics. Following the McCarthy playbook, the narrator adopts a position opposed to the author’s true intentions, taking the reassuring tone of someone urging the listener to stop worrying about the world.

“It's alright 'cause the historical pattern has shown / How the economical cycle tends to revolve / In a round of decades, three stages stand out in a loop / A slump and war, then peel back to square one and back for more.”

The fictional narrator urges the listener not to worry about bad times because “things will get better naturally”, noting that “There's only millions that die in the bloody wars, it's alright / It's only their lives and the lives of their next of kin that they are losing,” and finally revealing their own anger and disquiet at seeing the status quo questioned by declaring, “Don't worry, shut up, sit down, go with it and be happy.”

“Three Longers Later” talks about the absurdity of waging war in order to achieve peace through the eyes of a child seeing their father ripped away from his family by military conscription – a system that wouldn’t be ended in lyricist Sadier’s home country of France until two years later (and which current president Emile Macron is, at the time of writing in summer 2019, trying to bring back in some form). It does this over a melody that begins quietly, almost like a nursery rhyme, and then explodes into a spacerock climax.

“Transporte sans Bouger” laments a world that seems to be becoming increasingly atomised, with people living in a lonely “virtual dream” with “no need to know your neighbour”, in which we “make love at a distance”. Given that the internet hadn’t penetrated people’s lives very deeply in 1994, this seems prescient. It is also rather conservative in its yearning for an increasingly lost sense of neighbourly community, but despite their leftist outlook, Stereolab were never averse to looking back to the past to find solutions to the problems of the present. “International Colouring Contest” is a tribute of sorts to the creativity and space-age optimism of eccentric musician and colouring book creator Lucia Pamela, who is sampled at the beginning of the song exclaiming, “I’m so full of ideas, and here’s a good one!” Repeatedly, Stereolab return to the notion that creativity is a fundamentally revolutionary act, and one inextricably bound up with the idea of freedom.

The inverse of that is that anything that closes off routes through which the imagination can travel is oppressive. “L’Enfer Des Formes” notes the way cynicism kills action for change, while the krautrock-influenced “Nihilist Assault Group” is concerned with censorship and moral panic, and how that annihilates critical sensibilities at the expense of effectively dealing with problems in any real way. “Wow and Flutter” and the closing “New Orthophony” both touch on the need to challenge rather than accept as inevitable the way things currently are.

While “Mars Audiac Quintet” relies on a similar toolbox of krautrock rhythms as its predecessor, things are also clearly moving forward into avant-pop territory. In addition to “Ping Pong”, “L’Enfer Des Formes” is another superficially upbeat pop melody, while “The Stars Our Destination” and “Des Etoiles Electroniques” both combine bubbly rhythm machine loops, dreamy synths and intertwining vocal lines into a smooth, layered sound that points a new way forward for the band.

The next stop on that journey was 1996’s “Emperor Tomato Ketchup” which completely blew apart the band’s sound while remaining instantly recognisable as Stereolab. As before, there are nods to the past in how the band move forward, with the title being drawn from Japanese playwright and director Shuji Terayama’s 1971 film of the same name and the cover artwork being based on a 1960s release of Bela Bartok’s “Concerto for Orchestra”. Nevertheless, the familiar Stereolab elements still make up the core of the album – the repetitive rhythms, the layered production, the off-kilter pop tunes, Sadier and Hansen’s vocal interplay, and the obliquely Marxist lyrical themes – albeit now developed into something far more sophisticated.

The opening “Metronomic Underground” draws from a funkier side of krautrock, more Can than Neu!, but still wrapped up in repetition and looping rhythms, while the songs that retain motorik rhythms, like the title track and “Les Yper Sound” marry it with vocal lines that employ some of the albums sweetest pop melodies. The gorgeous “Cybele’s Reverie” is a Proustian meditation on memory, that takes Stereolab’s pop inclinations in a more lushly orchestral direction, while elsewhere the band find ever more new and interesting ways to explore repetitions and loops, from the minimal “OLV 26” to the mirrored guitar clang of “Tomorrow is Already Here”.

Lyrically, it explores more abstract places than previous albums, but it’s perhaps the album most explicitly concerned with the relationship between the individual and society (certainly it’s the album in Stereolab’s catalogue that uses the word “society” most). “Spark Plug” is concerned with the importance of recognising the innate spark of life in an individual or collective group rather than viewing them in the abstract. “Tomorrow is Already Here” deals with institutions originally set up to serve society, now become something oppressive. Meanwhile, “Motoroller Scalatron”, with its children’s song-like question-and-answer structure talks about the fragile basis on which society is constructed, maintaining its existence only on a shared agreement that it exists, and constantly in flux – as well as the irony that, in a society “built on words”, the words we say, or choose not to say, can end up having huge consequences.

Perhaps an even more significant shift came with the next album, “Dots and Loops”. At around the same time that “Emperor Tomato Ketchup” was being released, Chicago-based Tortoise were releasing the landmark “Millions Now Living will Never Die” and German duo Mouse On Mars had recently released their second album “Iaora Tahiti”. All three were key acts in the burgeoning but nebulous genre of post-rock, which at this point in the 1990s can best be understood using journalist Simon Reynolds’ description as, "using rock instrumentation for non-rock purposes, using guitars as facilitators of timbre and textures rather than riffs and power chords."

Bringing in Mouse on Mars as collaborators and Tortoise’s John McEntyre as producer, “Dots and Loops” was a collision of early post-rock talent. Opening with a burst of electronic distortion, it swiftly moves into the skittering breakbeats of “Brakhage”, Sadier dreamily bemoaning the narcotising effects of consumerism. Lead single “Miss Modular”, meanwhile, is a beautiful slice of lounge pop with lyrics touching on imagery of games, mystery and tricks of the eye – abstract imagery with an opaque subject, but one that, for a band undoubtedly familiar with French situationist leader Guy Debord and his consumerist critique “The Society of the Spectacle”, surely hints at wider social relevance in the way the artificial – the spectacle – overwhelms our ability to discern a difference between reality and representation, history and endless present. If there’s a particular theme of the album, it might be that of alienation, not only from society and people close to you, but also (and necessarily given the way the individual and society are inextricable in Stereolab’s worldview) alienation from the self and one’s own feelings.

The collaboration with McEntyre continued over the next two albums, 1999’s “Cobra and Phases Group Play Voltage in the Milky Night” and 2001’s “Sound Dust”, with Jim O’Rourke joining as co-producer on both albums. Less explicitly electronic than “Dots and Loops”, these two albums see the band picking up on its jazz influences and advancing with them into pure avant-pop.

If “Dots and Loops” carried a sense of alienation, “Cobra and Phases” is the band’s most hopeful sounding album, with at least part of that coming from the birth of Gane and Sadier’s child, explicitly referenced on “People Do it All the Time”, which revels in the birth as a chaotic act of creation, “Out of chaos, a creation / Binding into one form / Lucid drunkenness” and positions the child as a vessel of hope, declaring, “I want you free when you grow, boy / Revive the old idea that we carry.”

The idea that growing up free should go together with “reviving an old idea” is a new angle on Stereolab’s recurring theme that moving forward may require looking back. Throughout the album, images of rebirth and rediscovery (rather than simply birth and discovery) keep cropping up. On “The Free Design” Sadier sings “The request is here ready to resurrect / What else can we do but recover the project” hinting at a past project left unfinished, while the “lonely walker humanoid” of “Puncture in the Radax Permutation” is described as “rediscovering your own pace” as it tries to “repossess the senses” – the idea of newness being linked to going back to something, and perhaps also of the cycle of life and rebirth meaning that everything new is something old just come round again.

“Cobra and Phases” is a sensual album, opening and closing with songs about love, and constantly returning to images of earth and nature. It’s also a rare example of Sadier singing explicitly and directly about being a woman, with feminist themes coming to the fore in “Caleidoscopic Gaze” and krautrock slight return “Strobo Accelleration”.

With the positive attitude of “Cobra and Phases” in mind, “Sound Dust” is in many ways Stereolab’s darkest album, returning to themes touching on the dehumanisation and oppression inherent in capitalism in songs like “Gus the Mynah Bird”, which declares “Self determination should be a fact / not essentially a right,” and suggests that capitalism offers false freedom, and will happily collude with oppression. “Space Moth” references the filmmakers Jean Rouch and Edgar Morin, whose 1960 film “Chronicle of the Summer” deals with the subject of happiness among various, mostly working class, people in France, touching on war, censorship, race, and poignantly the Holocaust, with the idea that happiness is closely linked to politics and freedom. The line in the song “L'homme est réduit à son travail” – “man is reduced to his job” – again positions capitalism as antagonistic to freedom.

The song “Nothing to Do with Me” takes its lyrics directly from the dark, surreal comedy of British satirist Chris Morris, whose TV show “Jam” combined eerie ambient music with comedy sketches and was controversial in the UK for breaking the taboo against portraying doctors as less than altruistic people. Morris’s doctors were often agents of chaos: figures of authority who abused the trust of people who relied on them, for opaque reasons. “Did you prescribe my daughter a pound of heroin?” asks Sadier at one point in the song. Elsewhere, the relationship between customer and client is turned on its head as a woman asks a plumber, “You did such a great job / With the boiler last time / Please can you mend my baby / He hasn't moved for three weeks.” In both instances, a social relationship is being abused, but the socially defined relationships between the participants are still followed in a formally proper way, the form and appearance of calm rationality put into the service of the terrifying and absurd.

More than this, though, “Sound Dust” feels like an album about duality. Many of Stereolab’s songs are dialectic in that they deal with reconciling two opposing forces or positions – the thesis and antithesis birthing a synthesis – and that structure is still present here. “Baby Lulu” delivers the line “extremes reconciled / improvisation / rational and poetical / summing up contradictions”. It’s also the most direct the band ever were about the notion of evil, referencing it as one of the “two poles guiding his step” in “Naught More Terrific than Man”, and giving it an explicitly Biblical face in “Suggestion Diabolique”. The lushness, warmth and beauty of the melodies works in a similar dualistic way with the darkness or gravity of the lyrics.

This is reflected in the musical structure of the album too, with many of the songs having a two–part structure, where the first and second half of the song follow quite different melodies and arrangements. The most striking example is the joyous “Captain Easychord”, which returns to the theme of the life and death cycle, boiling it down to its most basic representation in the cycle of inhaling and exhaling breath.

“Sound Dust” was the final album to feature Mary Hansen, who was killed in a road accident the following year. The last album of this current batch of re-releases, 2004’s “Margerine Eclipse” is in part a tribute to Hansen, with the song “Feel and Triple” a directly addressed farewell, “Need to Be” talking about the need to embrace pain, loneliness and fear of death in order to recognise the now, and ‘…Sudden Stars’ dealing with embracing love and respecting loss.

The political situation in Europe and America at the time also hangs over parts of the album, in the shape of the wars in Afghanitan and Iraq, rising fear of terrorism embodied in the “other” of the Muslim in our midst, and increasingly intrusive state surveillance. “La Demeure” references this fear of the other, while “Bop Scotch” deals with the question of whether we can trade freedom for security.

Despite (or perhaps because of) the death and fear hanging over it, “Margerine Eclipse” is also one of Stereolab’s most upbeat albums, and certainly their funkiest with its rich, thick, squelchy synth and bass sounds. It is the album that most explicitly addresses love, with the closing “Dear Marge” tying love up with learning, with the implied flipside that lack of love or empathy prevents us from learning or growing.

Like “Sound Dust” there is a dialectical structure underlying “Margerine Eclipse”, with the album being mixed with all the instruments panned to the extreme right or left, with each channel designed to work either independently or as a synthesis of the two made when both are listened to together.

After listening over this span of work, what is Stereolab really about as a band though?

One way to make sense of the band is to look at them through the prism of their times. These seven albums closely overlap with the ten-year period after the fall of the Soviet Union and the aftermath of the September 11th, 2001 attack on the World Trade Center that shattered America’s sense of post-Cold War invulnerability.

This period, described by Francis Fukuyama as “The End of History”, was characterised by a shutting down of the public imagination on a mass scale. The struggle between great ideological movements of the 20th Century was over and liberal capitalism had won: there was no alternative. A mindset took hold of what the critic Mark Fisher called “capitalist realism”, which made any vision of the future that didn’t essentially amount to “more of the same” seem impossible.

This mindset is the enemy against which Stereolab constantly rail. The lyrics to “Wow and Flutter” from “Mars Audiac Quintet” express it most clearly:

“I thought IBM was born with the world / The US flag would float forever / The cold opponent did pack away / The capital will have to follow / It's not eternal, imperishable / Oh, yes it will go / It's not eternal, interminable / The dinosaur law.”

The limits capitalist realism place on the imagination are what make it such an insidiously oppressive force, and one that, for Stereolab, can only be overcome by the lifting of consciousness and the opening up of the creative (and the romantic) mind. As with the situationists and the 1968 Paris Spring, unique moments of individual creativity and imagination can jolt society out of one of its cycles and elevate it to a new level, like the spiral on the cover of “Emperor Tomato Ketchup”, ever-circling but always reaching skyward. In this sense, Stereolab’s vision shares something in common with the ideas Fisher was developing before his untimely death, and which he referred to as “acid communism”. In this sense, communism is really functioning as a rhetorical bomb thrown into the midst of capitalist complacency rather than a recreation of the communist regimes of the 20th century. The repressiveness of Stalin would have been a horror to people like Fisher and Stereolab: rather they were children of the Paris Spring (both Fisher and Sadier were born in 1968), who came of age at the height of acid house – both visions of decentralised, spontaneous, communal action. The “acid” of “acid communism” may take its name from psychedelic drugs, but its true meaning perhaps lies more in what it represents. Acid or LSD has become synonymous with the act of elevating consciousness to a new level, with an underlying meaning of experimentation and exploration. This again locks in very well with Stereolab’s repeated invocation of creativity as a route to revelation. Again, “Mars Audiac Quintet” tackles the theme explicitly, this time on “Three-Dee Melodie”:

“The meaning of existence / Can't be supplied by religion or ideology / The sense or non-sense that will emerge from the precipice / Is only the impact of a creative activity”

So when, as Fisher put it, “the future has been cancelled”, how do we rediscover it anew? One way, is to look to the past.

The ghosts of cancelled futures haunt the present, sometimes as nostalgia, sometimes as kitsch, sometimes as something that still has the power to jolt us out of our complacency. Fisher referred to this uneasy coexistence of past and present as “hauntology”, but for those of us looking ahead, these lost futures can provide opportunities to step back and find a new route forward. The hippy counterculture of the 1960s, the 1968 Paris Spring, the utopian visions of old science-fiction authors – Stereolab’s aesthetic is often described as “retro-futurist” because of the way they mined the past for routes towards their own utopia. Their early obsession with krautrock is another way of looking to the future by revisiting past visions of what it might be like and pursuing those lines towards something new – in this case, helping to bring post-rock into existence in the process.

Revolution often takes the form of a ghost because, before it can become real, it will exist as an idea without corporeal form, silently threatening the status quo. Marx himself famously described communism as a spectre that “is haunting Europe”, but more pertinent in this case might be the radical poet Percy Bysshe Shelley’s depiction of the victims of the 1819 Peterloo Massacre as “graves from which a glorious Phantom may burst” – an unfinished revolution that nevertheless threatens to return and complete its work. The failed revolutions of the 1960s live on in Stereolab’s songs, as do all the other cancelled futures.

If there is a central dialectic process at work with Stereolab, the direction they seem to be trying to resolve it in always leans towards a kind of raised consciousness and unrestrained creativity – unique moments of imagination and creation bringing something new into the world as a revolutionary means towards pushing forward into a place of greater freedom. Against that lies a tendency of the world to fall into repeating patterns and cycles, whether they be destructive cycles of economic depression, war and recovery, the blooming and dying of love, or the cycle of death and rebirth. Stereolab’s music itself parallels this, its own forms defined by repetition, driven forward into new patterns by unique moments of creative revelation – or to put it another way, it is a symphony of “dots and loops”.

 北海道出身のエレクトロニック・ミュージシャンのNoahが新作 『Thirty』をリリースする。英『ガーディアン』も絶賛したファースト・アルバム『Sivutie』から4年ぶりとなるアルバムで、東京に移住してからの最初の作品。そして、 『Thirty』は東京の混沌としたさまざまなイメージが彼女の折衷的なエレクトロニカ・ポップによって表現されている。まったく……渋谷にそびえ立つ高層ビルを見ているとこの風景が冗談のように思えてくるが、まさにそんな、この現実から自分だけが取り残されていくような感覚が描写されている。ぜひ、チェックしてみてください!

■ Noah「Thirty」

タイトル:Thirty
アーティスト:Noah
CAT#: FLAU81
発売日:2019年10月18日

tracklist:
1. intro
2. 像自己
3. 夢幻泡影
4. 18カラット
5. メルティン・ブルー
6. 愛天使占
7. シンキロウ
8. 風在吹
9. 像自己 alternative ver

https://flau.jp/releases/thirty/


Noah

北海道出身の音楽家。子どもの頃から慣れ親しんできたピアノの繊細さ、印象的なビートとR&Bの要素、VaporwaveのLo-Fiさとノスタルジーが同居する彼女の楽曲には、妖艶さと可憐さを併せ持った独創的な個性が形作られている。3枚のミックステープに続くファースト・アルバム『Sivutie』を2015年にリリース。英ガーディアンでMura Masa、Little Simz、Tinkらと共に同年のBest New Bands5組に選ばれるなど注目を集める。イギリスのプロデューサーkidkanevilとのプロジェクトnemui pjや、Teams、Repeat Patternと共にコンセプトアルバム「KWAIDAN」のリリース、SELA.やJoni Voidへの客演を経て、4年ぶりの新作『Thirty』を今年リリース。

DJ Python - ele-king

 ニューヨーク、と聞くとやはりまずハウスのことを思い浮かべてしまう方が多いと思われるが、じつは近年かの地ではテクノのシーンが盛り上がりを見せている。ブルックリンのプロデューサーでありヴィジュアル・アーティストでありプロモーターでもあるオーロラ・ハラル、彼女の運営するパーティ《Mutual Dreaming》やフェスティヴァル《Sustain-Release》の成功はそのひとつの証左だが、クイーンズのDJパイソンことブライアン・ピニェイロも、そのようなNYアンダーグラウンドの勢いを体現するプロデューサーのひとりだ。

 エクアドルとアルゼンチンにルーツを持つ両親のもと、NYで生まれ育ったピニェイロは、14歳のときに兄からもらったハーバートの『Bodily Functions』とボーズ・オブ・カナダの『Music Has The Right To Children』がきっかけで、〈Warp〉や〈Rephlex〉、〈Kompakt〉といったレーベルの音楽を好むようになったという。同時にミックスマスター・モリスやクルーダー&ドルフマイスター、MLOなどのアンビエントも摂取していたようだが、高校時代にマイアミへと移り住んだ彼は、そこでレゲトンをはじめとするラテン・カルチャーの洗礼を受けることになる。その後NYへと舞い戻った彼は自分でも音楽をつくりはじめ、友人だったフエアコ・Sを介してアンソニー・ネイプルズと出会う。
 ディープ・ハウスとレゲトンとの融合を思いついたピニェイロは、2016年にネイプルズの〈Proibito〉から12インチ「¡Estéreo Bomba! Vol. 1」を送り出し、翌年おなじくネイプルズの〈Incienso〉からファースト・アルバム『Dulce Compañia』をリリース、「ディープ・レゲトン」なるスタイルを確立し、一気に高い評価を得ることとなる(その間、ディージェイ・ザナックスやDJウェイ、ルイスといった名義でこつこつとジャングルやハウスにも挑戦)。そんな彼が今年、アムスの〈Dekmantel〉から放ったEPがこの「Derretirse」だ。

 先行する「¡Estéreo Bomba! Vol. 1」や『Dulce Compañia』では軸足がハウスに置かれていたが、本作でレゲトンと融合させられているのはいわゆるIDMで、たとえばアンビエント・タッチのシンセで幕を開ける“Lampara”は、キックの外し方もおもしろいんだけど、全体のムードや細やかなノイズの散らせ方はボーズ・オブ・カナダを想起させる。あるいは“Cuando”の上モノは初期のエイフェックスを彷彿させるし、“Espero”や“Pq Cq”には初期のオウテカがこだましている。ようするに「Artificial Intelligence」シリーズである。
 そのような「部屋で聴くテクノ」がきれいにレゲトンのリズムと共存しているところこそ最大のミソで、その相互作用の結果だろう、EP全体は催眠的であると同時に妙な肉感も伴っていて、なんとも不思議な空気に覆われている。レゲトンの機能性がもっとも発揮されているのは“Tímbrame”だが、“Be Si To”にはたしかにハーバートっぽさもあるので、このEPはきっと、彼がマイアミで発見したラテンという、みずからのルーツの掘り下げであるとともに、初めて夢中になった電子音楽の回想でもあるのだろう。グローバル・ビーツの観点からもIDMの観点からも(そしてノスタルジーの観点からも)捉えられる、じつに興味深い作品である。

Lee "Scratch" Perry × Brian Eno × Adrian Sherwood - ele-king

 今年発表したアルバム『Rainford』が好評のリー・ペリーですが、同作のダブ盤『Heavy Rain』が11月22日に日本先行でリリースされます。ミックス担当はエイドリアン・シャーウッド。そんなわけで本日、収録曲“Here Come The Warm Dreads”が公開されたわけですけれども、なんとブライアン・イーノがフィーチャーされています(原曲は『Rainford』の“Makumba Rock”)。イーノのソロ・デビュー作(73年)をもじったタイトルに思わずニヤリとさせられますね。なお、『Heavy Rain』が発売される11月22日には、エイドリアン・シャーウッドの来日公演も予定されています。詳細は下記より。

[12月19日追記]
 現在好評発売中の『Heavy Rain』から、イーノとのコラボ曲“Here Come The Warm Dreads”(ちなみに、左チャンネルをエイドリアンが、右チャンネルをイーノがミックスしたそう)のMVが公開されました。このコラージュ・センス……ヤヴァいですね。なお、12月26日に発売される『ele-king vol.25』は、巻頭でリー・ペリーを大フィーチャー。「ダブは赤ん坊」と語る本人インタヴューも掲載しています。ぜひチェックを。

リー・スクラッチ・ペリー×ブライアン・イーノ×エイドリアン・シャーウッド
11/22に日本先行リリースとなる『HEAVY RAIN』より、レジェンドが集った新曲“HERE COME THE WARM DREADS”を解禁!
発売日にはエイドリアン・シャーウッド来日公演も!

伝説中の伝説、リー・スクラッチ・ペリーが、11月22日(金)に発売となる最新作『Heavy Rain』よりブライアン・イーノとコラボレーションした新曲“Here Come The Warm Dreads”を解禁!

Here Come The Warm Dreads (feat. Brian Eno)
https://www.youtube.com/watch?v=41nLDnHbdhc

今作『Heavy Rain』は、今年4月にリリースされ各所から大絶賛されている『Rainford』をエイドリアン・シャーウッドがダブ・ヴァージョンに再構築。またゲストにはブライアン・イーノが参加! 他にもボブ・マーリーの作品群に参加していることでも知られる伝説的トロンボーン奏者ヴィン・ゴードンが参加している。
本日解禁された今曲は、『Rainford』収録の“Makumba Rock”をダブ・ミックスしたもので、ブライアン・イーノのアルバム『Here Come The Warm Jets』 をもじったそのタイトルにリーとエイドリアンのいたずら心が見える。

俺たちがブライアンにこの曲への参加を持ちかけた時、彼は戸惑いもせず、リー・スクラッチ・ペリーと一緒に何かやることを喜んでくれた。 ──エイドリアン・シャーウッド

国内盤にはボーナス・トラックが追加収録され、解説書が封入。数量限定でオリジナルTシャツセットも発売! LPは通常盤に加え限定のシルバー・ヴァイナルも登場し、オリジナルである『Rainford』のゴールド・ヴァイナルと合わせてゲットしたいアイテムとなっている。11月22日(金)に日本先行リリース(海外は12月6日(金)リリース)。
そして日本先行リリース日に、エイドリアン・シャーウッドのヘッドライン公演が大決定!! 詳細は下記をチェック。

label: On-U Sound / Beat Records
artist: Lee "Scratch" Perry
title: Heavy Rain
release date: 2019.11.22 FRI ON SALE
日本先行リリース!

国内盤CD BRC-620 ¥2,400+税
国内盤CD+Tシャツ BRC-620T ¥5,500+税
限定盤LP(シルバーディスク) ONULP145X ¥OPEN

BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10538

TRACKLIST
01. Intro - Music Shall Echo
02. Here Come The Warm Dreads
03. Rattling Bones And Crowns
04. Mindworker
05. Enlightened
06. Hooligan Hank
07. Crickets In Moonlight
08. Space Craft
09. Dreams Come True
10. Above And Beyond
11. Heavy Rainford
12. Outro - Wisdom
13. Drown Satan (Bonus Track for Japan)

UKダブのゴッドファーザー、エイドリアン・シャーウッドのヘッドライン公演!!
自身のセットに加え、ゲスト・アクトのライヴのダブ・ミックスをその場で行うことが決定!

ADRIAN SHERWOOD and more
Time Boom X The Upsetter Dub Sessions

Exotico De Lago Live Dub Set by Adrian Sherwood
and more...

2019.11.22 Fri WWW X
Ticket Adv. ¥5,800
Open 18:00 / Start 18:30

UKダブのゴッドファーザー:エイドリアン・シャーウッドが、マイティ・アプセッター=リー・スクラッチ・ペリーとの過去35年間の冒険を総括するライヴをここ日本で行うことが大決定!!
オリジナルのマルチトラック等マスター音源を用いて、エイドリアンとリーとの大名盤『Time Boom X The Devil Dead』『Secret Laboratory』から『Dubsetter』『Rainford』 そして最新作『Heavy Rain』、さらには伝説的な Upsetter Productions、Black Ark のアーカイヴにまで潜り込み、生ダブ・ミックスを行う。
さらに、ゲスト・アクトとして長久保寛之を中心に結成され、ヴィンテージな質感とレイドバックした空気感、そして、ストレンジでムーディーなサウンドを展開するバンド、エキゾティコ・デ・ラゴの出演も決定し、なんとライヴのダブ・ミックスもその場でエイドリアンが行うことが決定! ダブに浸り、目の前で繰り広げられる伝説のミックス技に圧倒される夜。見逃せない体験となるだろう。
来場者特典として、エイドリアン・シャーウッドが今回のために録り下ろした特典 MIX CD をプレゼント!

チケット一般発売中!!
詳細はこちら:https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10536

象は静かに座っている - ele-king

 1行目を書き出すことがこんなにも楽しく、そして、どこから書けばいいのか皆目見当がつかない作品も珍しい。題材から書き始めれば重苦しい作品だという先入観が生まれてしまうだろう。特異な撮り方から説き始めれば過剰にシネフィル的な作品だという印象を与えるかもしれない(まあ、シネフィルだけど)。上映時間が4時間近いといえば何を想像するだろうか。どうしよう。どこから書こう。あー楽しい。

 中国の地方都市を舞台にした中国映画だけれど、仕上がりはヨーロッパ映画。始まってほどなく中期ヴィスコンティやベルトルッチの名前が思い浮かぶ。フー・ボー監督は実際にタル・ベーラに師事したそうで、ベーラが94年に撮った『サタンタンゴ』が奇しくも今年、日本で初公開となっている。こちらは上映時間が7時間。さすがに観ていない。気合が足りない。

 やはり題材から明確にしていこう。重慶が人口で上海を抜いたとか、発展的な側面ばかり伝えられる中国とはまるで無縁の地方都市(北京から南東に50キロ)。かつては炭鉱業で栄えたらしく、中途半端に飾り立てられたショッピング・モールが逆に物悲しさを増幅させる。経済成長から取り残された地方都市だと一目でわかるということは格差社会の実相をリアルタイムで記録したということであり、今年のカンヌでパルムドールを獲得したポン・ジュノ監督『パラサイト』が中国では格差社会を意識させるという理由で前日になって公開中止になったという事実と合わせて考えてみると、一時的に忘れられるようなことがあっても、歴史的な文脈を持ち出される時には何度も思い出される作品になるだろうということが予見できる(『パラサイト』は日本では来年1月公開予定)。

 公団なのか低所得アパートなのか、画一的な間取りの集合住宅で朝を迎えるいくつかの家族。かなりの大人数を絡ませる群像劇なので、いきなり誰が誰だかわからなくなりかけてしまい、しかも、老若男女のすべてが荒んでいて、キャラクター的にも見分けがつかない。チャン・ユー演じるユー・チェンが窓を開けると「ゴミを燃やすな!」と怒鳴る声が路上から聞こえる。ユー・チェンは声が聞こえた方向に「燃やせ!」とハッパをかけ、路上からは「下りてこい!」と恫喝する声が戻ってくる。フー・ボー監督は登場人物が誰かと会話している時に、会話の相手をほとんど映さない。会話だけでなく、登場人物が何をしているか、手の先にあるものとか、登場人物が見ているものをまったくといっていいほどフレームに収めない。監督が撮っているのは登場人物の意識で、誰かが登場人物に話しかけても、ほかのことを考えていて相手の話を聞いていなければ、相手にはフォーカスを合わせず、ぼんやりとしか画面に映し出されない。後半でユー・チェンたちが食事をしていた食堂のコックが火を出してしまい、危うく火事になりかけるシーンでもカメラは厨房に入らず、長々と白い壁を映し出して意識的に情報をカットしていく。これは最近でいえばネメシュ・ラースロー監督が『サウルの息子』(15)で誇張気味に採用した手法と近いものがある。『サウルの息子』はホロコーストに収容されたユダヤ人の視点でその世界を描くというもので、主役となる人間は写らないというものだったけれど、もう少しカメラを後方に引いて、登場人物の背後から写したのが、同監督による『サンセット』(18)だった。神の視点を排除したとしてもいいし、スマホの世界観で視界を切り取ったと考えてもいいけれど、この撮り方を群像劇に応用したのが『象は静かに座っている』という流れに見えてしょうがない(実際には『サンセット』の公開前に完成している)。人物の周囲をあまり映さないということは、周囲で起きていることが登場人物にどんな影響を及ばしているのかよく分からないということで、どの人の人生もとても不安なモードに包まれて感じられる(『サイタマノラッパー3』にも同様な手法が効果的に用いられていた)。そして、何かが起きるとすべてが突発的な出来事のような印象を持ちやすく、ユー・チェンの弟が階段から落ちたり、リー・ツォンシー演じるワン・ジンの飼っている犬がほかの犬に噛み付かれたりしても、すべてが終わってからでないと事態を把握することはできない。実際にも事件を「目撃する」人よりは、事故直後に現場を「見た」という人の方が多いように、ある意味、現実の把握の仕方は(映画的ではなく)現実に近いものになっている。

 登場人物は全員が過度に荒んでいて会話の多くは怒鳴り散らすだけ。ワン・ユーウェン演じるファン・リンと母親の会話がとくにヒドく、全体に子どもを持つ親たちの大人気なさは際立っている。このような家族をいくつか見せたあとで、ここにいては子どもの教育によくないといって文教地区に引っ越そうとする一家が映し出される。引っ越すためには祖父であるワン・ジンに老人ホームに入ってもらわねばならない。ワン・ジンは納得がいかず、その場から逃げるように犬を連れて散歩に出る。この辺りを見ていて、日本で起きた殺人事件について中国の人がツイッターでつぶやいていたことを思い出した。登戸でバスを待つ子どもたちの列に刃物で切りかかった男の事件があった頃だったと記憶しているけれど、そういったタイプの犯罪者は「まるで社会に復讐しているかのように見える」と、その人はつぶやいていた。池田小事件や秋葉原通り魔、相模原障害者施設殺傷事件なども話題に上がっていたかと思う。え、しかし、待てよ。中国にも刃物を持った男が小学校に乱入したというような事件は年に1~2回あるじゃないか。なのに、日本の事件だと「社会」との関係で起きたように見えるというのか。中国の事件についてはそうではないというのだろうか。また、登戸の事件があった時、ひきこもり差別はよくないという声が起きるほど日本のTV番組ではそのように「予備軍」についての議論が拡大していったけれど、僕が奇妙に思ったのは予備軍がいるということは、どうも全員が共有している前提なのである。誰ひとりとして「個人が起こした犯罪」とは思っていない(というか、中国の人がツイートしていたように「復讐されるような社会に住んでいる」という自覚があるということである)。文教地区に引っ越そうとしている一家が「その地区」を見限っていることはわかる。その時に、それが日本で「社会」と感じられるようなものが中国でも同じように意識されているかどうかが僕にはよくわからなかった。中国は個人主義だというし、一度だけ北京と大同を旅行した時に、そのようにも感じたこともあるのだけれど、『象は静かに座っている』に描かれている人たちが一様に荒んでいるのはもはや個人にはどうすることもできない範囲の問題なのか、それとも……

 最後に時間のことも。坂本龍一が「4時間近くと長い映画だが、無駄なショットがあった記憶はない」と本作にコメントを寄せている。僕も同感である。とんでもない構成力だし、テーマに合った長さだと思う。主には4人が主役のような動きをしていて、誰にでも感情移入できるし、誰にも感情移入しなくていい。KLFならぬセルロイド・リベラシオン・フロントが寄せた「ジョイ・ディヴィジョンの歌の執拗なベースラインのよう」という評価もなるほどだけれど、「パンクの身体化を忘れず、低下層の視点を写している」と結ばれると、ちょっと違和感が。『象は静かに座っている』は社会派というよりはもっと神話を映像化したものに思えたから。「この世界、ヘドが出る」と、人生に絶望しているセリフのオン・パレードは、だから、ある特定の社会や時代と不可分ではなく、ユビキタスな価値観として機能する。「ヘドが出る」からどうするのか。変えるのか。消えるのか。諦めるのか。死ぬのか。(以下、ネタバレ)長距離バスで満州里に向かうポン・ユーチャン演じるウェイ・ブーは同じように孫の手を引いて同じバスに乗りかけてやめたワン・ジンに「どこも同じだ。だから行く前に自分を騙すんだ」と諭される。ワン・ジンが孫を連れていることにもおそらくは意味があり、中国では子どもの将来を親が決めすぎるということがよく言われる。文教地区への引越しはまさに「孫」の将来をワン・ジンの息子夫婦が決めようとしているからで、孫娘は自分の意思でそこから逸脱しようとしている。息子夫婦が表しているものは経済成長であり、孫娘がそれを選択しなかったことによって、この作品には対立していない親子はひと組も出てこないという図式が出揃うことになった。引き裂かれている。この部分はまさにディヴィジョン(分断)である。ワン・ジンはブーに向かって、こう続ける。「お前はまだ期待してる。一番いい方法は、ここにいて向こう側を見ることだ。そこがより良い場所だと思え、だが行くな。行かないから、ここで生きることを学ぶ」と。ウェイ・ブーは、しかし、その言葉に納得しなかったのか、それとも納得した上でなのか、ワン・ジンたちにも一緒に行こうと誘い、4人を乗せてバスは満州里を目指して走り出す。彼らが目指しているのは象が静かに座っている場所である。象は一生を立ったまま過ごす動物で、「象が座っている」ということは、それは死を意味している。

 フー・ボー監督は本作品を完成したのち、自殺。29歳だった。
                                    

『象は静かに座っている』予告編

interview with Dego - ele-king

何もかもがトゥー・マッチだね。情報にしても、表現方法にしても、世間の評判だって誇張して伝えられることがある。そうしたものに対して自分の中からストレートに出てきた言葉がトゥー・マッチなんだ。

 ディーゴのニュー・アルバム『トゥー・マッチ』が、自身のレーベルの〈2000ブラック〉からリリースされた。その前のアルバム『ザ・モア・シングス・ステイ・ザ・セイム』から4年ぶりだが、2017年にはカイディ・テイタム(正確な発音ではテイサン)とのユニットであるディーゴ&カイディでアルバム『アズ・ソー・ウィ・ゴーウォン』をリリースしていて、ほかにもEPや12インチをいろいろ作るなど、ここ何年かのディーゴの活動は活発だ。ソロやディーゴ&カイディのほか、カイディ、アクワシ・メンサー、マット・ロードと組んだ『テイサン、メンサー、ロード&ランクス』(2012年)があり、ほかのアーティストの作品も出すなど、〈2000ブラック〉の運営も精力的におこなっている。かつての4ヒーロー時代にはドラムンベースの道を開拓し、その後ジャズやソウルなどさまざまな音楽を取り入れ、テクノやハウス、ヒップホップなどを融合してブロークンビーツの世界へと進んだのだが、そんなディーゴもいまや大ヴェテランの域に達している。4ヒーローの『パラレル・ユニヴァース』(1994年)は今年でリリースから25周年を迎え、そんなディーゴの時代を実体験していた人も年を取ってしまった。一方で、ロンドンからは常に新しいアーティストが登場し、いまはサウス・ロンドンのジャズが盛り上がっていたりする。かつては時代の最先端を走り、エレクトロニック・ミュージックの牽引者だったディーゴだが、現在の彼はどんなことを考え、音楽とどう向き合っているのだろうか? 『トゥー・マッチ』のリリース・ツアーで来日中のディーゴに、アルバムのことを中心にDJや最近の音楽、ロンドン・シーンのことなどを訊いた。

いまの若いアーティストたちは、どうも俺からすると自分のサウンドを磨いたり、進歩させたりすることに時間や労力をあまり割いているとは思えないんだ。

『トゥー・マッチ』はソロ・アルバムとしては『ザ・モア・シングス・ステイ・ザ・セイム』から4年ぶりですが、その間もディーゴ&カイディのアルバムや12インチやEPなどのリリースがありました。また〈2000ブラック〉の運営や今回のツアーのようなDJ活動などで充実していたと思いますが、改めて『トゥー・マッチ』をリリースしようと思い立ったきっかけは何でしょうか?

ディーゴ:アルバムというか曲作り自体はどんなときも常にやっているんだ。それが俺のライフスタイルだからね。アルバムは自分を表現するいちばんの方法だから、どのタイミングで出すかはずっと考えているんだ。今回はそれが十分に熟した機会だと思ったからリリースしたのさ。

いつ頃から制作に取りかかりましたか?

ディーゴ:去年の10月頃にはじめて、今年の1月までの3、4ヵ月で作ったよ。

あなたはたくさんの名義で活動をおこない、ディーゴ&カイディのようなコラボも多いのですが、そうした中でディーゴ名義での作品はどんな位置づけになりますか? もっともあなたらしさが出たプロジェクト、好きな音楽が表われたものということでしょうか?

ディーゴ:ソロは自分ですべてをコントロールできるから、単純に楽しいよね。自分らしくいられるプロジェクトで、好きなことを追求しているというのはそうだよ。でも、他人と一緒にやることも、お互いに刺激を与えて高め合っていけるから、ソロとは違う面白さがある。だからソロにしろ、コラボにしろ、自分にとってはどちらも大切なことなんだ。

アルバム・タイトルにもなっている『トゥー・マッチ』にはどんな意味が込められているのでしょうか? 個人的には情報などトゥー・マッチなことが多くて複雑な現代社会、そうした中で音楽もトゥー・マッチな方向に進みがちだけど、それらトゥー・マッチなものを捨ててシンプルに取り組んだアルバムではないかなという気がします。プロダクションも比較的にシンプルにしているようですし。

ディーゴ:何もかもがトゥー・マッチだね。情報にしても、表現方法にしても、世間の評判だって誇張して伝えられることがある。そうしたものに対して自分の中からストレートに出てきた言葉がトゥー・マッチなんだ。今回は特にシンプルに取り組んでいるというわけではないけど、今までのソロやコラボを振り返りながら今回はどうやっていこうかと考えて、ディーゴ&カイディとか4ヒーローとかをクロスオーヴァーさせて、どういった方法が自分にとって適しているかをいろいろと探りながら作っていったね。アルバムの最初はダウンテンポではじまって、それが中間でアップテンポに変わっていって、最後にまたダウンテンポに戻っていくという流れがシンプルに映っているのかもしれないけど。

『アズ・ソー・ウィ・ゴーウォン』はカイディの影響もあってか、レゲエやアフロ、カリビアンなどの色合いが出た曲が多く、またジャズ系ミュージシャンの参加もあってフュージョン風の作品も散見されたわけですが、『トゥー・マッチ』に関してはどんな色合いのアルバムになったと思いますか?

ディーゴ:『アズ・ソー・ウィ・ゴーウォン』は自分たちのルーツを映し出したものなんだ。俺やカイディにはジャマイカやカリビアンの血が流れていて、ロンドンで生まれ育ってきた。自分たちのルーツはどこにあって、アイデンティティは何なのか、そんなことを考えながら作ったアルバムなんだ。言わば俺たちのステイトメントなんだよ。『トゥー・マッチ』は俺のもっとパーソナルな部分がベースになっていて、自分自身への問いかけに対してナチュラルに出てきたサウンドなんだ。

いろいろなタイプの作品が収められていますが、個人的には“ア・ストロング・ムーヴ・フォー・トゥルース” “アイ・ドント・ワナ・ノウ” “ライフ・キャン・ビー・アンリアル”など女性シンガーをフィーチャーしたソウルフルなナンバーが印象的で、かつてのあなたのプロジェクトのシルエット・ブラウンに近いイメージかなと思ったのですが。

ディーゴ:俺自身はあまりそういったことを考えたことはなくて、自然に作った結果じゃないかな。まあ、ヒップホップやソウルのヴァイブスを注入していくというやり方は意識したから、シルエット・ブラウンでやっていたことが多少の影響はあるのかもしれないけど。

プロダクションにはカイディ・テイサン、アクワシ・メンサー、マット・ロードなど〈2000ブラック〉の仲間たちが参加していて、そうした点であなたの昨今のソロ作やディーゴ&カイディ、『テイサン、メンサー、ロード&ランクス』などとも繋がっていますが、ある意味で現在の〈2000ブラック〉を映し出したような作品でしょうか?

ディーゴ:〈2000ブラック〉の音をもっとも表現しているのが『テイサン、メンサー、ロード&ランクス』で、それに対して『トゥー・マッチ』は、さっきも言ったけどもっとパーソナルなものなんだ。だから両者には違いがある。

ということは、たとえば同じメンバーが参加していても、それが個人のソロ作か、コラボ作品か、単なるゲスト参加作かで内容も異なるということですか? 曲作りまでじっくり関わるのか、それともでき上がったトラックの上でキーボードとかのソロを演奏するとか、共演といってもいろいろありますが。

ディーゴ:それは曲によって全然変わってくるよね。誰が舵を取るかによって曲の方向性は変わる。『トゥー・マッチ』に関しては、アルバム全体の舵取りは俺がやっているわけだけど、カイディとは2曲くらい一緒にやっていて、その中においてはディーゴ&カイディに近いアプローチになっているかな。それを含めて最終的に1枚のアルバムに仕上げるのが俺の役割なんだけど。

シンガーではレディ・アルマ、シャーリーン・ヘクター、イヴァナ・サンティリなど2000年頃の昔から交流のある面々が参加し、また近年の作品でよく歌っているナディーン・チャールズほか、オベネワ、サリーナ・レア、サミーとヴァラエティに富んだ女性シンガーが参加しています。彼女たちはそれぞれの曲のタイプによって選んだのですか?

ディーゴ:うん、最初に曲を作って、それに合ったシンガーとコラボをするという流れだよ。サミーはここ2年くらいで知り合ったけど、だいたいのシンガーは〈2000ブラック〉を立ち上げた頃からの20年くらいの付き合いがあって、基本的に自分にとってのファミリーという感覚なんだ。そうした家族に対してはいろいろとサポートしてあげたいという気持ちは常にあって、だから今回のアルバムにフィーチャーしたりとか、〈2000ブラック〉のほかの作品に起用したりするわけさ。

この中でオベネワは〈2000ブラック〉からのブラックス&ブルースというプロジェクトにもフィーチャーするなど、最近とても注目しているシンガーのようですが。

ディーゴ:彼女は確かガーナ系の血筋で、世界的に見ればアンダーグラウンドな存在かもしれないけど、俺たちの地元では既にとても有名なシンガーになっているんだ。だから俺なんかがいまさらプッシュする必要もないけれどね(笑)。

4ヒーローを知っていて、いまもドラムンベースの曲を作ったりリミックスしてくれと頼むプロデューサーやレーベル関係者がいたりするけど、いまの俺はもう違うんだ。過去を振り返って懐かしむ暇はないんだ。

アルバムの前半はソウルフルなダウンテンポやブギー、ネオ・ソウルなどヴォーカル曲が並び、後半はジャジーなブロークンビーツやフュージョン・タッチのインスト曲が並ぶという構成になっていますが、これは意識的に作った流れなのですか?

ディーゴ:意識して曲の順番を決めたというわけではないけど、アルバム全体を見たとき、あまりデコボコにしないように気をつけて作っているから、似たような傾向の曲を前後にまとめたりとか、そうした流れというものができるんだろうね。

“オガワ・オカーサン・セッド・ジャスト・プレイ”というタイトルは日本にも馴染みの深いあなたならではですが、どんなエピソードから生まれた曲ですか?

ディーゴ:俺の日本人の友だちでオガワさんという人がいるんだけど、そのお母さんが琴をやっていたんだ。2年くらい前に琴をインターネットで買って、でもモノは届いたけれど思いつきで買ってしまったから、弾き方がわからない。そんなときにその友だちのお母さんのことが頭に浮かんで、彼女に琴の弾き方を尋ねてくれと頼んだんだ。そうしたらお母さん曰く、「いろいろ考えずに、ただ琴に触って弾けばいいのよ(just play)」ということだったんだよ(笑)。

ということは、後半にまるで琴のようなフレーズが出てくるなと思ったのですが、これはあなた自身で琴を演奏しているのですね? なんでまた琴を買ったのですか?

ディーゴ:うん、俺が弾いた琴の音だよ。俺は興味が沸いたら何でもやってみるんだ。ブラジル、ガーナ、ナイジェリアと、いろいろな国の民族楽器を試したことがあるよ。さっき言った「ジャスト・プレイ」という言葉も、最初はただ触って音を出すという行為が、音楽における初期衝動にも繋がっているんだなと、改めて教えてくれたと思うよ。

最近のDJではあなたや〈2000ブラック〉の曲以外ではどんなものをプレイしていますか? また最近のお気に入りのアーティストや好きな音楽にはどんなものがありますか?

ディーゴ:ここのところは1970年代や1980年代の古いレコードをたくさん買っているね。ジャズにソウルやファンクとか。今日もインタヴューの前にレコード屋に行って、7インチをいろいろ買ってきたところさ。DJではそういったレコードをかけるわけだけど、特にいま現在のお気に入りのアーティストは思いつかなくて、ひとりのアーティストでも曲によって好きだったり、そうでなかったりする。これまでの俺のキャリア全体では、マッドリブやジョシュ・ミラン、ルイ・ヴェガがフェイヴァリッツ・アーティストだと言えるかな。彼らの作るサウンドは素晴らしいし、そのプロダクションはいつも興味深いものだよ。いまの若いアーティストたちは、どうも俺からすると自分のサウンドを磨いたり、進歩させたりすることに時間や労力をあまり割いているとは思えないんだ。でも、中にはいいアーティストもいるかもしれないから、これからもいろいろと聴いていきたいとは思うけどね。

古いレコードだと、昔はロイ・エアーズとかマイゼル・ブラザーズのレコードとかをよくプレイしていたと思いますが、最近はどんなものを掘っていますか?

ディーゴ:いいレコードならなんでも買っているけど、ここ2年くらいはゴスペルにハマっているかな。

いま住んでいるのはロンドン市内でしたっけ? 最近は日本でもサウス・ロンドンのジャズ・シーンが注目を集めたりしていますが、あなたから見てロンドンのシーンはどんな感じでしょうか?

ディーゴ:俺はウェスト・ロンドンだけど、じつはサウス・ロンドンのことは好きじゃないんだ(笑)。まあ、個人的にサウス・ロンドンにはあまりいい思い出がないからなんだけど(笑)、音楽的にはいろいろと注目されていることはよく知っている。でも、メデイィアはサウス・ロンドンと括っていたりするけど、実際にはイーストに住んでいたり、ノース出身者がいたりするんだ。いまのサウス・ロンドンのジャズ・ムーヴメントに一役買っている〈ジャズ・リフレッシュド〉も、もともとウェスト・ロンドンでやってたパーティーからスタートしているからね。だから、サウス・ロンドンと限定するんじゃなくて、大きくロンドンとして見るべきだね。

そうした中で面白いと感じるアーティストはいますか?

ディーゴ:アシュリー・ヘンリーヌバイア・ガルシアココロコ、ユナイテッド・ヴァイブレーションズのウェイン・フランシスとユセフ・デイズ、ジュニア、エディ・ナッシュ、オマネとかかな。

逆にカマール・ウィリアムズとかテンダーロニアスとかは、あなたから大きな影響を受けているんじゃないかなと思うのですが。

ディーゴ:う~ん、そうかい? 俺はよくわかんないね(笑)。俺は自分は自分、人は人という考えだから、誰かの影響とかをあまり気にすることはないんだ。実際DJよりも制作活動がメインだから、人のレコードをあまりチェックする時間もないし。だから逆に俺が誰かに影響を与えたとか、そんなことは思ったりしないね。

ロンドンでは次々と新しいアーティスト、若い人たちが出てきていますが、一方であなたやカイディのようなヴェテランも息の長い活動をおこなっています。カイディ以外にも昔の仲間とセッションしたりすることはありますか? たとえばマーク・マックとかダズ・アイ・キューとか。

ディーゴ:いや、いま一緒にやっているのはカイディ、アクワシ、マットの3人だけで、ほかとは一切やっていない。マークもダズも全然やっていないね。

じゃあ、マークとの4ヒーローも今後の活動予定はないと?

ディーゴ:残念だけどないね(笑)。

そうですか……(笑)。いま4ヒーローの名前を出したのは、『パラレル・ユニヴァース』が今年でリリースから25周年を迎えたので、その話を訊こうかなと思ったからです。このアルバムについて何か思い出とか、当時のエピソードとかありますか?

ディーゴ:25周年? そうかい、知らなかったよ(笑)。うん、いいアルバムだったね(笑)。でも、それだけさ。正直なところ、当時の俺にはまだ未熟なところがあって、いまはプロデューサーとしてもっと成長している。だから確実にいまのサウンドの方が優れていると言える。あの当時の俺や4ヒーローを知っていて、いまもドラムンベースの曲を作ったりリミックスしてくれと頼むプロデューサーやレーベル関係者がいたりするけど、いまの俺はもう違うんだ。俺にとってはいまとこれからも成長していくことが大事で、過去を振り返って懐かしむ暇はないんだ。

なるほど、では最後に今後の活動や展望について教えてください。

ディーゴ:〈2000ブラック〉としては、カイディの新しい12インチがこれから後にすぐ出る予定だ。『トゥー・マッチ』に参加してくれたサミーのソロEPも出るし、テイサン、メンサー、ロード&ランクスのライヴ・アルバムも来年頭に出す予定だ。これは10年ほど前のスタジオ・ライヴ音源だよ。俺個人としてはシングルやEPの予定がいくつかあって、〈ネロリ〉からリリースすると思う。それとディーゴ&カイディでも新作をやると思うよ。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 374 375 376 377 378 379 380 381 382 383 384 385 386 387 388 389 390 391 392 393 394 395 396 397 398 399 400 401 402 403 404 405 406 407 408 409 410 411 412 413 414 415 416 417 418 419 420 421 422 423 424 425 426 427 428 429 430 431 432 433 434 435 436 437 438 439 440 441 442 443 444 445 446 447 448 449 450 451 452 453 454 455 456 457 458 459 460 461 462 463 464 465 466 467 468 469 470 471 472 473 474 475 476 477 478 479 480 481 482 483 484 485 486 487 488 489 490 491 492 493 494 495 496 497 498 499 500 501 502 503 504 505 506 507 508 509 510 511 512 513 514 515 516 517 518 519 520 521 522 523 524 525 526 527 528 529 530 531 532 533 534 535 536 537 538 539 540 541 542 543 544 545 546 547 548 549 550 551 552 553 554 555 556 557 558 559 560 561 562 563 564 565 566 567 568 569 570 571 572 573 574 575 576 577 578 579 580 581 582 583 584 585 586 587 588 589 590 591 592 593 594 595 596 597 598 599 600 601 602 603 604 605 606 607 608 609 610 611 612 613 614 615 616 617 618 619 620 621 622 623 624 625 626 627 628 629 630 631 632 633 634 635 636 637 638 639 640 641 642 643 644 645 646 647 648 649 650 651 652 653 654 655 656 657 658 659 660 661 662 663 664 665 666 667 668 669 670 671 672 673 674 675 676 677 678 679 680 681 682 683 684 685 686 687 688 689 690 691 692 693 694 695 696 697 698 699 700 701 702 703 704 705 706 707 708 709 710 711 712 713 714 715 716 717 718 719 720 721 722 723 724 725 726 727 728 729 730 731 732 733 734 735 736 737 738 739 740 741 742 743 744 745 746 747 748 749 750 751 752 753 754 755 756 757 758 759 760 761 762 763 764 765 766 767 768 769 770 771 772 773 774 775 776 777 778 779 780 781 782 783 784 785 786 787 788 789 790 791 792 793 794 795 796 797 798 799 800 801 802 803 804 805 806 807 808 809 810 811 812 813 814 815 816 817 818 819 820 821 822 823 824 825 826 827 828 829 830 831 832 833 834 835 836 837 838 839 840 841 842 843 844 845 846 847