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「昔の自分を思い出してみる/運転できるようになる前の、投票できるようになる前の/ずっと、恨みを抱えていた/知らなかったから、ひとが簡単に死んでしまうこともあると」
そんな言葉からウィルコの10作めのアルバムは幕を開ける。明らかに「投票したくない」という表明のようだ。ほとんど醜い取っ組み合いの様相を示しているテレビ討論会にツイッターのタイムラインが沸いたところで、あとに残るのは虚しさばかりだろう。もちろん、ウィルコのような政治的に誠実でリベラルなバンドが投票を棄権するとは思えないが、それでもエレクション・イヤーにこのような気だるい言葉で始まるアルバムを現代のアメリカン・ロックを代表するバンドが発表することに、示唆的なものを感じる。タイトルは“ノーマル・アメリカン・キッズ”――“アッシェズ・オブ・アメリカン・フラッグス(アメリカ国旗の灰)”以来はじめて「アメリカン」を冠したこの曲では、そして、こんな風に繰り返される――「ずっと嫌いだった、ああいう普通のアメリカの子どもたちは」。
アメリカの伝統的なフォークやカントリーをモダンでオルタナティヴなものに更新したウィルコの功績は、つまり「普通のアメリカ」を「普通」になれない子どもたちに開放したことだろう。だから“アメリカ国旗の灰”で燃やされていたのはそれまで(≒9.11以前は)良しとされていた伝統的なアメリカの価値観と強いアメリカの幻想だっただろうし、その前に立ちつくす人びとの悲しみを掬い取ってきたのが彼らの歌だった。
やけにロッキンなサウンドで攻めたフリーダウンロードの前作『スター・ウォーズ』から一転して、本作『シュミルコ』はアコースティックなフォーク・ナンバーが並ぶ小品だ。素朴なバンドの演奏の背後で歪んだギター音やノイズが見え隠れするのは、なるほどウィルコらしいひねくれたセンスを感じるが、それにしたってこのヴェテラン・バンドを長く聴いてきたリスナーからすれば驚くほどのことでもないだろう。スキルの安定した大御所が、リラックスした滋味深い1枚を放った……そんな音だ。だからそのディスコグラフィを見渡したとき、音として突出したアルバムとは言えない。安定のウィルコ印だ。……が、つまらない作品かと言われればそうとも言い切れず、僕はこれは言葉のアルバムだと思う。どうも本作を聴いていると、かつてイラク戦争前夜に「戦争につぐ戦争」と軽快なカントリーに乗せて歌っていた感覚を思い起こさせるのである。
やはり軽快なフォーク・チューンに乗せて「ぼくは泣く、一日じゅう、ひと晩じゅう」と歌う“クライ・オール・デイ”、「幸せは誰を悪者にするかで決まるんだ」というのはスロウな弾き語りに打楽器で少し味づけしたばかりの“ハピネス”、「誰が破壊するというんだろう/何も残っていないのに、愛でるんだ」と苦々しく告げるフォーキーなバラッド“シュラッグ・アンド・デストロイ”……。ネガティヴな現状認識がかろうじてエンジンになっているフォーク・ソング集というか……。極めつけはアルバム中ではもっともポップな部類の“ウィ・アーント・ザ・ワールド(セーフティ・ガール)”で、「We aren't the world, we aren't the children」とあの曲をそのままもじって直球を投げる。トランプが……ではなく、トランプがサーヴィスとして言ってしまう「強いアメリカ」に(それでも)すがってしまう人びとが根強くいるあの国にいま、「自分たちはいまでもないし、未来でもない」という歌があることを、心強く感じてもいいのだろうか。外側から「ショウ」をボンヤリ観るしかない僕にはわかりかねるが、少なくとも、自分たちを痛烈に批判する「ロック・バンド」がいまもいることにはアメリカン・カルチャーのタフな精神性を感じてしまう。『ピッチフォーク』が彼らを「アブストラクト・アメリカーナ」と評しているのに僕はなるほどと思ったものだが、それはサウンド面だけでなく、自分たちの国の歴史や政治をどのように認識すべきかにおいての複雑さのことも指すのだろう。
2004年にブッシュが再選された直後、「(知っての通り、)これは世界の終わり。ぼくはだいじょうぶ」と歌ったのはR.E.M.だった。彼らがいない2016年の選挙に響くロックの言葉があるとすれば、ひとつはこの「僕たちは世界じゃない」なのではないか。その強い否定、苦い現状認識からしか始まらないものがある。見落とされがちな作品かもしれないが、たしかに時代を切り抜いた1枚だと思う。
木津 毅