二重のノスタルジアが存在する。ひとつ目は、ぼくが当時その曲をとおして呼び起こしたかったオリジナルのノスタルジア。そしてもうひとつは、自分がその曲をつくっていたときを思い出すノスタルジア。
ギターでこんなに独特の音楽を生み出すことができるのか──当時のリスナーはきっと、そう驚いたに違いない。本人の弁を借りて言えば、「エレクトロニック・ミュージックがどんどん完璧になっていっていたあの当時は、すごく新鮮に」感じた、と。
2006年に〈Mush〉から送り出されたビビオのセカンド・アルバム『Hand Cranked』が、このたびデラックス・エディションとなって蘇った。おなじく〈Mush〉からリリースされた記念すべきファースト『Fi』(2005年)のリイシュー(2015年)に続く復刻だ。
1997年に設立されたLAの〈Mush〉は、クラウデッドや(のちに〈Lex〉へと移ることになる)ブーム・ビップなどの、いわゆるアンダーグラウンド・ヒップホップをリリースしていたレーベルである。まだヒップホップのビートをとりいれてはいなかった初期ビビオの作品が、そのようなレーベルから出ていたという事実はなかなかに興味深い。
当時の彼はまた、みずからの歌声をほとんど披露していない。“Overgrown” に顕著なように、ライヒから影響を受けたギター・フレーズの反復と、何度も録音を重ねることによって得られるロウファイなテクスチャーのみで勝負に挑んでいる。シンプルではあるが、だからこそそれは今日まで続く彼の音楽の、根幹を成す要素となりえたのだろう。変わるものもあれば、変わらないものもある、と。
二重のノスタルジア──彼はそう表現している。15年前に思い出していた過去と、15年前に過去を思い出していたというその過去。『Hand Cranked』が奏でる特異なギター・サウンドは、折り重なる時間の迷宮へとわたしたちを誘う。まだまだ続く長い道のりで、ちょっと休憩をとりながら、これまでの来し方を振り返るように。
あのロウファイさは、ある意味ああなる以外の道はなかったんだ。自分が持っている機材の魅力に焦点を当てるということ。それを悟ったとき、ビビオという名前が生まれた。
■今回のリイシューにあたり『Hand Cranked』を聴き返してみて、当時は気づいていなかった、新しい発見はありましたか?
B:いや、そんなにないよ。自分のトラックは時間をかけてしっかりと聴き込んでいるから、曲のことは徹底的に理解してるんだ。古い作品だと、いま聴き返したときに、少しほかの人がつくったように聴こえることはあるかもしれない。そういう曲からは、魅力的でもあり同時に痛烈でもある自分の若さを感じるね。
■2006年から15年が経ちました。当時10歳の子どもはいま25歳です。あなたご自身はこの15年でどんなところが変わったと思いますか?
B:いろいろな意味で、ぼくは変わってないと思う。でもミュージシャン、そしてアーティストとしてはもっと自信がついた。それに、その自信がぼくをもっと進化させ、成長させてくれていると思う。いまは音楽的に自分がやりたいことを前よりも心地よくできているし、なにをすべきとか、どんなアーティストになるべきとか、そういうことを気にしなくなった。多様性を生み出せば生み出すほど、安心感が生まれる。ぼくの音楽を聴いてサポートしてくれているみんなにはもちろん感謝しているけれど、まずは自分自身のために音楽をつくっているということはつねに頭のなかに置いておかなければならないんだ。
■『Hand Cranked』には、当時のあなたの私的な思い出が込められていたそうですね。そのとき思い浮かべていた「パーソナル・ノスタルジア」と、そこから15年を経て、いま聴き返して蘇る「パーソナル・ノスタルジア」との間に、差はありますか?
B:ぼくの初期の作品には、いまでは二重のノスタルジアが存在する。ひとつ目は、ぼくが当時その曲をとおして呼び起こしたかったオリジナルのノスタルジア。そしてもうひとつは、自分がその曲をつくっていたときを思い出すノスタルジア。ある意味、この第二波のノスタルジアは、ぼくのなかで大きな存在になっている。20代半ばのぼくを思い出させてくれるんだ。
■その「パーソナル・ノスタルジア‐個人の経験」を共有することは意図していないと思いますが、話せるかぎりでそれは具体的にどのような体験だったのでしょう?
B:うーん、ことばで説明するのは難しいな。自分にとってパーソナルな経験だった特定の事柄をいくつか挙げることはできるけど、音楽の力というものは、ひとりひとりそれぞれに、そのひとにとっていちばん良い方法で作用するものだとぼくは感じている。だから、ぼくがことばで説明するより、音楽のほうがそれをうまくできるんじゃないかな。
■長い年月が経つと、たいせつなこともじょじょに記憶が薄れていきます。「いつまでも覚えていること、しっかり思い出せること」と、「忘れていくこと、変化していくこと」とでは、どちらが重要だと思いますか?
B:写真や映像がどんどんぼやけ、鮮明さがなくなり、色あせ、暗くなっていくように、記憶というものは時とともに小さくなっていく。「ノスタルジア」のなににハマってしまうかって、それはそれが持つほろ苦さかな。回想するには美しいんだけれども、痛みがあってこそ、そのノスタルジアが成り立っている。もう戻ることはできないと理解しながら、幸せな時期、とくに幼少期なんかを思い出すと、その思い出に内在する悲しみが付いてくるんだ。ノスタルジアを呼び起こすのには、音の質感やレコーディング技術もたいせつだけれど、メロディックでハーモニックな内容もかなり重要になってくる。悲しみと幸福感、そしてその間に存在するすべての感情、これらの感情が提示するニュアンスや陰影の混ざり合いをプレイすることは、激しく恋しがるというフィーリングを喚起させる上でとても重要な部分なんだ。
■この『Hand Cranked』や『Fi』の時期に、シンプルなギターの反復を多用していたのはライヒからの影響だったのでしょうか?
B:そのとおり。“Electric Counterpoint” を1998年に聴いたのとおなじ年に、初めてサンプラーを手にいれたんだ。小さくてベーシックなマシーンだった。コンピューターや Portastudio は持っていなかったから、ぼくはその小さなサンプラーを使ってサウンドのレイヤーをつくっていたんだ。そのやり方だとかなり制限があって、クオリティはロウファイで、できあがるものはかなり制限のかかったポリフォニー(多声音楽)になる。だから、ぼくはその制約と付きあいながら作業しなければならなかった。そして、ぼくにはサンプルをバックアップする術もなかったんだ。そういうわけで、一度つくられた曲はカセットかMDに録音され、新しいサンプルの容量をつくるために、そのメモリは削除されなければならなかった。“Electric Counterpoint” にインスパイアされたギター・ピースをつくりたかったけど、設備がじゅうぶんでなかったためにあのロウファイ・サウンドが生まれ、そしてカセットを使っていたこともあり、結果的に曲が「Camberwick Green」や「Trumpton」、「Bagpuss」のような70年代や80年代のイギリスの教育番組のオープニング・テーマみたいなサウンドになったんだ(編註:前二者は60年代にBBC1で、後者は70年代にBBC2で放送されていた子ども向けのテレビ番組。たしかに驚くほどビビオを想起させるサウンドなので、興味のある方はご検索を)。
■シンプルなギター・コードの反復は、それ自体を聴かせるためのみならず、あなた特有のロウファイな音色や音響を際立たせるために用いられているようにも聞こえますが、いかがでしょう?
B:ぼくは、使われている材料が正しければ、「簡潔さ」というものは独自の魅力を持つものだと思う。当時のぼくは、洗練されたサウンドをつくる機材を持っていなかった。だから、あのロウファイさは、ある意味ああなる以外の道はなかったんだ。意識したことは、よりプロフェッショナルなサウンドをつくろうとすることよりも、自分が持っている機材の魅力に焦点を当てるということ。それを悟ったとき、ビビオ(Bibio)という名前が生まれた。そのときまでに、ぼくは『Hand Cranked』の作業をはじめていて、その時点ではコンピューターと Logic を持っていたけど、初期のころに使っていた技術や機材はぼくにとってとてもたいせつな存在で、個人的発見のように感じていた。だから、ぼくはそれらを使い続けたんだ。じつは(2019年作『Ribbons』収録の)“Curls” や “It’s Your Bones” でも、『Fi』や『Hand Cranked』とおなじサンプラーを使ったんだよ。すごくユニークだと思うから、すべてのアルバムでおなじFXペダルのいくつかをずっと使い続けているんだ。
[[SplitPage]]ループは手で操作され、不完全であったということ。でも、ぼくはそれが魅力的だと思ったし、エレクトロニック・ミュージックがどんどん完璧になっていっていたあの当時は、すごく新鮮にも感じた。
■このアルバムのなかだと “Black Country Blue” が、テープ音によってつくられたミニマルなアート作品のようで異色に感じました。これはどのようにしてつくられたトラックなのでしょう?
B:『Hand Cranked』で何度も使ったテクニックのひとつは、レコーディングしたものをカセットに移し、それをまたコンピューターに戻して、それをカセットに戻して、そしてまたそれをコンピューターに戻し、またそれをカセットに……という繰り返し。それを繰り返せば繰り返すほど、よりロウファイになっていったんだ。
■「フォークトロニカ」ということばは、『Hand Cranked』をあらわすのにふさわしいと思いますか?
B:いや、ぼくは「フォークトロニカ」ということばが好きじゃない。この作品はエレクトロニック・アルバムではないと思う。もちろんエレクトロニックなデヴァイスを使ってはいるけど、そういう意味ではビートルズだって使ってるよね。
■あなたを〈Mush〉に紹介したのはボーズ・オブ・カナダのマーカス・オーエンです。なぜ彼はあなたのことを、クラウデッドなどのリリースで知られるアンダーグラウンド・ヒップホップのレーベルに推薦したのだと思いますか?
B:当時ぼくは彼と連絡をとっていて、彼がぼくの音楽を気に入ってくれていたんだ。で、ぼくが「だれにデモを送っていいものかわからない」と彼に話したら、彼がいくつかアメリカのレーベルを勧めてくれた。で、〈Mush〉が興味を持ってくれて、プロモーションのためにマーカスからなにか一言もらえないかとぼくに尋ねてきた。そしたら彼が親切に承諾してくれて、ちょっとした文章を書いてくれたんだ。
■あなたにとってボーズ・オブ・カナダはどういう存在だったのでしょう?
B:1999年にぼくが彼らの音楽と出会ったころは、すごく大きな存在だった。もちろんあのノスタルジックな要素もすごくパワフルだけど、彼らの音楽には隠された参照と意味がある。それが、リスナーの「もっと深くこの音楽を探りたい」という気持ちを駆り立てるんだ。もうひとつ好きだったのは、テープのようなハイファイのギアを使ってサウンドを加工しながら、昔っぽいダメージがかったサウンドをつくる技術。それに、彼らはよく、一度しか姿を見せない小さな要素を曲のなかに加えていた。あれは、彼らの音楽をより中毒的にしている要素のひとつだと思うね。
■2004年、あなたと契約したことを伝える〈Mush〉の文章では、「もしボーズ・オブ・カナダがインクレディブル・ストリング・バンドや初期ティラノザウルス・レックスをプロデュースしたら」と表現されています。それについて、いまどう思いますか?
B:うーん、それはぼく自身が書いたものではないと思う。ぼくはそういった描写があまり好きではないから。でもまあ、変わってるっていう意味ではありがたく思うかな。
■“Ffwrnais” とはウェールズの村で、あなたにとってとてもたいせつな場所だそうですね。“Marram” の鳥の鳴き声もそこに近い砂丘で採ったとか。あなたにとってウェールズとはどのような地域なのでしょうか?
B:ぼくが田舎に魅了された大きなきっかけはウェールズ。ウェールズには、小さな子どものころからずっと通い続けているんだ。とくに中部と西部。子どものころは、ウェールズの田舎で時間を過ごすのが大好きでいつも楽しみにしていた。空気は新鮮だし、芝は青いし、あのカントリーには、あそこでしか得られないヴァイブがある。いくつか似たヴァイブをもった場所に行ったことはあるよ。日本にもそんな場所がある。でも、ウェールズにはあの場所独特のユニークな個性があるんだ。個人的にはとくに渓谷や森のなか、渓流の側なんかにいるのが大好きだね。ああいった場所は、活気と自然のサウンドに満ちているから。ウェールズは湿地だから、ランドスケープが青々としていて、渓谷や森ではコケと地衣類をたくさん見ることができるんだ。あと、ヒツジの鳴き声はウェールズならではのサウンド。朝になると、キャンピングカーのなかで、モリバトやクロウタドリ(blackbird)のさえずり、ヒツジの鳴き声、川が流れる音を聴き、湿った芝生の匂いを感じながら目が覚める。それらは全部ぼくにとってマジカルなもので、すぐさま魂を元気にしてくれるんだ。ファーニス(Ffwrnais)は滝がある小さな村で、友だちと何度かキャンプをしにいって、すばらしい時間を過ごした。あのエリアを参照したトラックタイトルはほかにもある。“Dyfi”(ダビ)もそのひとつで、アイルランド海に続く谷を流れるメインの川の名前なんだ。エイニオン川(river Einion)はクーム・エイニオン(Cwm Einion)を流れる小さな川で、ファーニスの滝をとおりすぎて流れていき、ダビ川(river Dyfi)につながっている。アラスニス・ビーチ(Ynyslas beach)も近くにあって、砂丘、金色の砂、マーラム(植物)が広がるビーチで、春や夏には、砂丘の上で鳴くヒバリのさえずりが聞こえるんだ。
■このころはまだヒップホップのビートはとりいれていませんが、『Hand Cranked』の時点でJ・ディラやMFドゥーム、マッドリブの音楽にはもう出会っていたのですか?
B:彼らの音楽にはもう少し後で出会った。『Hand Cranked』の大半は2005年までに仕上がっていたんだけれど、『Fi』のほうが古かったから、先にそっちをリリースしたかったんだ。あと、当時のぼくはまだビートをつくることにじゅうぶんな自信を持っていなかった。そして、その少し後になってぼくはAKAIのサンプラーを買い、それからディラの影響が作品のなかに入ってくるようになったんだ。
■また、このころはまだご自身ではほとんど歌っていません。このアルバムでは唯一 “Aberriw” にだけ歌が入っています。当時この曲だけヴォーカルを入れようと思ったのはなぜ?
B:当時のぼくは、シンガーとしてはものすごくシャイだった。どんなふうに歌いたいかもわかっていなかったし、ほかのひとたちに囲まれて歌うのも嫌だった。自信がつくまでに何年もかかったし、訓練を積む時間を必要だったんだ。いまはスタジオもあるし防音だから、だれかに聴かれてることを気にせずに、その部屋のなかで好きなだけ歌える。だから歌にもっと時間を注げるようになったし、シンガーとしてより自信もついたし、前よりもずっとうまく歌えるようになった。でも、オーディエンスに観られながらステージの上で歌うまでの自信がつく日が来るのは想像できないな。
■今回ボーナスとして5曲が追加されます。なかでも “Cantaloup Carousel” は1999年の録音とのことで、あなたの原点といってもいいトラックのように思いますが、『Fi』収録のものとはだいぶヴァージョンが違いますよね。それぞれのヴァージョンにどういう狙いがあったか、教えてください。
B:“Cantaloup Carousel” ができたのは、ビビオという名前がつくよりも前のこと。大学の寮でレコーディングしたんだよ。なぜ『Fi』の別ヴァージョンをつくろうと思ったのかはわからない。じつは『Fi』のあのヴァージョンは、オリジナルとしてレコーディングで同時につくられたものなんだ。そのオリジナルをテープに録音して、それをスローダウンした。あのオリジナル・ヴァージョンはつねにぼくのお気に入り。だから、いまあの作品を世界にリリースすることができてすごく嬉しく思っているよ。
■『Hand Cranked』は、ぜんまいじかけのおもちゃや回転木馬の模型など、手回しの装置がテーマだそうですね。それらは機械のようでもありますが、こちらでなにかをしないと動きませんし、いつか止まってしまいます。そういった「不完全さ」に惹かれるのはなぜでしょう?
B:あれはどちらかというと音楽がまずできあがって、それがそういった装置を思い出させ、そこに魅力を感じたんだ。ぼくが使用したサンプラーにシーケンサーはついてなかったし、サンプルを量子化する方法はなかった(たとえばタイミングを正すとか)。つまりそれは、ループは手で操作され、不完全であったということ。でも、ぼくはそれが魅力的だと思ったし、エレクトロニック・ミュージックがどんどん完璧になっていっていたあの当時は、すごく新鮮にも感じた。ループする不完全なギター・フェイズがぼくに手回しの装置を思い起こさせる理由は、スピードが不安定であることと、アコースティックのサウンドがぼくにはすごく木の質感を感じさせるから。だから、ヴィクトリア朝の木製の機械仕掛けのおもちゃのイメージが想像されるんだよね。
■15年後、あなたはどんな音楽をつくっていると思いますか?
B:おっと! これは難しい質問だ。検討もつかないよ。そして、だからこそ昂奮する。15年前のぼくは、自分が〈Warp〉からさまざまなアルバムのコレクションをリリースすることになるなんて思ってもみなかった。自分が歌っているとも思っていなかったし、ミュージック・ヴィデオに出たり、ポップ・ソングをつくってるなんて想像もできなかった。だからぼくはただ、これからも川の流れに身を任せ続けるつもり。まだまだ掘りさげたいことがたくさんあるし、それがぼくの関心を保ち続ける。でもぼくは同時に、すでに学んだこと、すでにつくりだしたものをふたたび訪れることも好きなんだ。だから、『Fi』で使った技術や装置はいまだに使われているし、守られている秘密なんだよ。





