はっぴいえんどリヴァイヴァルでまずいなと思うのは、なんだかんだ言って結局は、なんとなく叙情的で、なんとなく口当たりのいいフォーキーなポップスを肯定するしかないというどん詰まり感だ。ああそういえば、ソフトに死んでいく──と言ったのは誰だっけ?
岡田拓郎(そして増村和彦)の内には、そうした極めて表層的なはっぴいえんどリヴァイヴァルへの違和感があり、後期森は生きているのライヴにおける超越的な一瞬は、バランスを崩しながら、なにかしら彼らが乗り越えようとしていることの情熱のひとかけらだったとぼくは思っている。
![]() 岡田拓郎 ノスタルジア Hostess Entertainment |
どう来るのかとずっと楽しみにしていたところ、しかしながら彼のソロ・アルバム『ノスタルジア』は、自らの内に燃えるそうしたもの、ある種の熱狂を抑制し、メロウで口当たりのいいポップスとしての体裁を保っている、表向きには……。彼のことだから、考えに考えに考え抜いた結果、いまはこれなのだろう。まあ、コーネリアスが象徴的だったように、はからずともメロウなこの2017年らしい作品となった言えるのかもしれない。
26歳の青年の最初のソロ・アルバム『ノスタルジア』は、あさい夢に浸っているようだ。3曲目の“アモルフェ”のように。そして圧倒的に素晴らしい、7曲目の“手のひらの景色”のように。このアルバムにもっとも似合わないのがデジタル社会で、『ノスタルジア』は、その意味ではまさしくポスト・インターネットであり、楽曲は、かつてあった物思いに耽る時間を取り戻そうとしているかのようである。
せっかくなので、増村和彦も呼んで取材をすることにした。ele-kingのコラムでもお馴染みの偏愛的読書家のこのドラマーは、いうまでもなく岡田の音楽的同盟者である。
もっとフォーマットを置き換えて現代的なものにしたいと思ったんですね。それは日本語のフォーク・ロックとして新しいものにしたい、ということなんですけど。
■今回の作品が出来るのに時間がかかった理由、時間がかかった理由はたくさんあるとは思うんですが、それも今作の内容や方向性に関わるもっとも重要な理由とはなんですか?
岡田:単純に時間がかかった理由としては、森は生きているのときと完全に違うことをする意識のひとつとして、「フォーク」というフォーマットの音楽を新しいものとして落とし込みたかったというのがあります。それは森(は生きている)のときみたいに60、70年代の音楽の文脈はもちろんあるけど、それを全面に出すわけではなくて、もっとフォーマットを置き換えて現代的なものにしたいと思ったんですね。それは日本語のフォーク・ロックとして新しいものにしたい、ということなんですけど。
じゃあ、「新しいものってなんだ?」ってことになると難しい話ですけど、この2年間くらいの音楽の流れがすごく早すぎて、自分のなかで消化した途端に別のものになっているというか。これはUSに限った話かもしれないですけど、ボン・イヴェールを消化したと思ったら、次にフランク・オーシャンがいて、みたいな。いままでの森のときにやっていたのはいつの時代であろうと“自分が作っていた音楽”だったとは思うんですけど、今回はソロになって、90年代に生まれた自分が新しいフォークを作ろうと意識したときに、そこの流れを汲むのが困難な時代に対してどうアプローチしていくのか、というのがすごく難しかったし、時間がかかった大きな理由ですね。だから1ヶ月ごとにアルバムができ上がって、それを増村に送って「いいじゃん」と言われた途端にみんなが新譜をリリースして、そうすると途端に自分のアルバムが良くなく聴こえてきてしまう、だからそれをまた壊して曲をボツにするというのを繰り返していたんですけど、こんな作りかたをしていたらそりゃ2年はかかりますよね(笑)。
(一同笑)
■いまの話を聴くと、まあ2年でよくできたなって話ですけど(笑)。そもそも岡田君がフォーク・ロックをやるというのが面白くて、何故なら岡田拓郎とはアンダーグラウンド・シーンでは名の通ったインプロヴァイザーでもあるんですよね。新世代のね。そうしたラディカルな自分をどのようにポップとバランスを取っているんでしょうか?
岡田:僕のなかですべての音楽の中心になっているのはギターという楽器であって、それこそインプロを好きになったものは、(デレク・)ベイリーを初めに聴いて、高柳昌行とかもいたけど、一番好きなのは秋山徹次さんやローレン・コナーズなんですよね。あとは杉本拓さんのギターを全面に出したメロディックな響きのアルバムがあるんですけど、そういう音楽ってギター特有の牧歌的な音の響きがして、それはフォーク的な音楽に繋がりやすいんですね。そういうものと自分が作っているエクスペリメンタルなフォークというのはそう遠くないものというか、近いものではあるのかなと思いますね。
これは脱線ですが、レニー・トリスターノが49年にリー・コニッツやウォーン・マーシュとかと“Intuition”という、ビートも旋律もない、ちょっとイレギュラーなフリー・インプロヴィゼーションの走りのような曲を録音しているのですが、その後フリー・ジャズが栄えるまで時間が空きます。リー・コニッツがそれについいて「楽理の決め事が無いというのは、とても自由で刺激ではじめの2、3テイクは聴いた事がない音楽が飛び出すけれど、その後は、何回録音しても同じものに聴こえたから、再び和声と旋律のなかでのインプロヴィゼーションに戻った」みたいなことを言っていて。これが、すごく言っている意味がわかるというか、普通のポップスを聴く耳で聴けば、たぶんデレク・ベイリーもアート・リンゼイ、フレッド・フリスもどっちがどっちかなんてわかんないし、たぶんどっちだって良い(笑)。けど、そこにはそれぞれの違いがもちろんあるわけで、そういった観点はポップスを作るときは大切にしたいという意識はあります。「何を聴くか」ということはもちろん大切ですが、「どう聴くか」ということは、また違うことだと思っています。
■増村くんはこのアルバムを最初に聴いたときどう思った? でも、プロセスを知っているからね! いま岡田くんが言ったように、作っては壊してを聴いていたんでしょう?
増村:そうですね。やっぱり時間がかかった理由は単純にそこでしかなくて(笑)。普通はあんまりないですよね。
■率直な感想は?
岡田:はははは。
増村:率直な感想は、よくひとつのかたちにしたな、ですね。個人的にもすごく好きな作品になったんですけど、一番いいと思うのはプロセスで、プロセス自体が作品になっているようなところがある気がしていて。というのも例えばコンセプトとか、なにかを目指してそこに向けて作っていこうということではなくて、プロセスをやっている最中の火花が散る瞬間が格闘している姿自体が音楽や歌詞に反映されているんですよね。
■格闘している……それは一緒に作っていたからわかるんだろうね。
増村:そうですね。でもその瞬間が作品として残って、絶妙なカオスのなかでひとつ均衡を保っているところになんとか作り上げた、という感じがある作品ってけっこう少ないと思うんですよ。(森は生きているの)『グッド・ナイト』なんかもプロセスが大事ではあったんですけど、僕の歌詞なんかはもう見えていたところがあって、それをどうしようかというプロセスだったんですね。『ノスタルジア』はプロセスの最中にスパークしている瞬間がかたちをなしているというか(笑)、そこはおもしろいと思いましたね。
岡田:でも『グッド・ナイト』は俺には見えていなかったから、それは地続きかもしれない(笑)。
増村:地続きかもしれないね(笑)。それで音楽的なところだと、その瞬間瞬間にやりたいことがあると思うんです。だけどそれをまた壊すじゃないですか(笑)。壊して今度はどうするかっていう連続のなかでやっていて、最終的に出来たものにはやっぱりその瞬間瞬間が刻み込まれているというか。そういう感じがいまの時代の現代という意味ではなくて、彼のなかでいましか出来なかった作品じゃないかなという気はしましたね。これは勝手な解釈だけど(笑)。
岡田:ありがとうございます(笑)!
■いまベストなものを作ったと。
増村:そうですね。
■「森は生きているとは違うものをやる」ということを言っていたけど、例えば“手のひらの景色”という曲は、森は生きているとそんなに切れていないと思うんだけど、森は生きているから岡田くんのソロへの流れはどういう感じだったの?バンド活動が終わって、すぐにソロに切り替えられた?
岡田:切り替えられていたし、でも実際は(森は生きているの)3枚目が作りたくてしょうがなかったです。一応『グッド・ナイト』が出てから1年くらいはずっとライヴに回って、5曲くらいは新曲があったんです。“手のひらの景色”はそのなかの1曲で、次のアルバムに入れようとしていた曲だったんですね。イントロはいまのアルバムに入っているかたちで固まっていたんですけど、ただAメロ、Bメロ、歌メロ、歌詞は森のライヴをやっているなかでも2、3回変わっていて、最終的な落としどころが見つからないままバンドが解散しました。3枚目を作りたいという意識がすごくあったなかで、ただ『グッド・ナイト』を作ったはいいけど次にどうすればいいかわからなくなるくらい、作っているあいだの体験が強烈過ぎました。それは僕と増村は一緒だったと思うし、あれができたあとに次になにをするかというのが見つからなかったのがバンドを続けるのが難しかった要員のひとつだったんですよね。どう(笑)?
増村:いや、そうだと思います。
■森は生きているは難しいバンドじゃないですか。
増村:そうですか(笑)?
岡田:そんなことないですよ(笑)。
■自分たちが理想とするものと、現実で自分たちが出しているものとのズレみたいなものに対してすごく意識的だったし、言葉はよくないかもしれないけどあまりにもナイーヴというかね。
増村:まあ、わかります(笑)。
■「これでいいんじゃない?」という落としどころの共有って、森は生きているの場合はとくに難しかったんだろうなぁと。まあ、ふたりのなかでは意思疎通できていたんだろうけど。
岡田:『グッド・ナイト』は僕と増村の密な関係で作ったアルバムだったし、演奏とかみんなのアイデアでアルバムを作ったとはいえ、やっぱりどういう音楽を作るかというよりは、どうしてこの音楽を作ったかというところがポイントでした。明確に目に見えないものをどう捕まえるかという作業を常にしていたんですね。僕と増村で今後あるかどうかわからないくらい削りあった作業だった(笑)……だから作っているうちに、そこが共同体としてやっていくうえでの意識の差みたいなものに出てきてしまったのはありましたね。
増村:だからもう1回やろうとしたときに、そのままだと難しくなるんですよね。もう1回ふたりでなにかをするというには『グッド・ナイト』は一旦やりすぎた。サードを作るんだったらちょっとヘルプが欲しかったところもあるし、6人もいるから誰かが新しい曲を書いたらよかっただけの話だったのかもしれないし(笑)。
■森は生きているは、すごく甘くてメロウな音楽をやっていたんだけど、その音楽の背後には、演奏の技術もそうなんだけど、あと、すごくいろんな音楽を聴き込んでいるなっていう、リスナーとしてのスキルみたいなものもあるでしょ。だから、その両方から思考に思考を重ねながら作っている感じがあって……、本当にもう1枚作ってほしいと思っていたよ。ファンはみんな思っていたと思うよ。
岡田:でもあのバンドを引っ張るのはすごく辛かったし、後期のザ・バンドでロビー・ロバートソンだけみんな悪者扱いで叩くじゃないですか。ロビーの気持ちがすごくよくわかった(笑)。こいつらをどうケツを蹴ればいいんだろうと思って、ひとりでどうにか引っ張るには自分が前に出るしかないから、ライヴで40分くらいギター・ソロを弾いたりしていたんですけど。そんなのやりたくないけど、でもそうしないと引っ張れなかったから、最後は辛くて辛くてしかたなかったですね。
増村:悪循環みたいなものはあったよね。
岡田:だからいろんな要因が混ざり混ざって、やっぱりこのバンドのかたちではできないからいったん解体しなければならないということになったんです。でも案外その切り替えは早くて、最後のツアーのときには、バンドかソロかでは迷ってはいたんですけど、次の録音でやりたいメンバーとやりとりをしていました(笑)。薄情だとは思うんですけど、ツアー最後の広島に向かう車のなかで「来週のリハどうしよう?」みたいな電話を平気でできちゃうタイプではあったんですけどね。実際に制作に入ると、壁があまりにも多すぎて、『ノスタルジア』を作っているときにそういうのを思い返して辛くなってくるみたいなことはありましたね。
■なるほどねえ。
増村:ちょっと思い返しちゃったんだね(笑)。
[[SplitPage]]森は生きているの3枚目が作りたくてしょうがなかったです。一応『グッド・ナイト』が出てから1年くらいはずっとライヴに回って、5曲くらいは新曲があったんです。“手のひらの景色”はそのなかの1曲で、次のアルバムに入れようとしていた曲だったんですね。
■解散したのが2年前?
増村:そうですね。
岡田:けっこう経ってんだな。
増村:だから『グッド・ナイト』の発売からは3年ですね。
岡田:年間ベストに合わせたのに載らないっていう。
(一同笑)
■解散をファンのかたはどういうふうに受け止めていたのかは気になりますね。
増村:それは僕らも気になるところだけど(笑)。どうなんですかね。
岡田:ポーンとやめたからね。
■とはいえ、(『ノスタルジア』は『グッド・ナイト』と)違うものではあるけども、結果として(森は生きていると)メンバーは重なっているじゃないですか(笑)。そういう意味では、『ノスタルジア』は森は生きているの発展型としても聴けるんですよね。
ただ、最初に今作のタイトルとなった『ノスタルジア』という言葉を聞いたときに、一瞬戸惑ったんですよね。「らしいな」とも思ったんだけど。というのも、ポップ・ミュージックの世界にはいろんなトレンドやスタイルがある。森は生きているがそうだったけど、そのなかにあって自分たちは常にトレンドとは違うところにいるみたいな感覚というか、言い方を換えれば居心地の悪さというか……
岡田:日本語詞は情念がないほうが好きなんですけど、このタイトルにはあまりにも情念がこもりすぎていて(笑)。言わないほうがいいのかなって(笑)。
■ぼくも情念がこもっているのかなと思ったよ! 「ノスタルジー」という言葉のなかにはコマーシャルな響きと、アイロニーと、ある種の自虐性があるんじゃないかなと(笑)。
岡田:そこは誰も突かないんだけど、自虐性は意図していたかもしれないですね。
■だから複層的な意味が込められている「ノスタルジー」なわけでしょ?
岡田:コマーシャルでキャッチーな言葉、そして誰もが知っている言葉なぶん、イメージが人それぞれに浮かぶ言葉だと思ったんですね。いくつか要因はあるんですけど、自分は新しい音楽を作りたいと思うなかでも、やっぱり文脈的な音楽を作りたいとも思ったんです。それはフォーク・ミュージックがこれまであったような歌いかたを変えて更新されていく、楽器が変わって更新されていく、音響が変わって更新されていくポップスみたいなことへの「ノスタルジア」ですね。なぜならいまはそういう時代ではなくなっていて、とくに日本はそうであるという思いが強くあるからタイトルにしたということもあるし、もちろんやっていくなかでバンドに戻りたい「ノスタルジア」もあったと思う(笑)。
今回は新しい音楽を作りたいと言っても、結局一番参照にしたものは2010年前後のブルックリンなんですね。森のときの音楽的な参照になったのが6、70年代のフォーク・ロックと、00年代のポスト・ロックだったんですけど、それは2013年に1枚目を出したときにはある意味でもう「ノスタルジア」だったという。でもそれが新しいものになりうる可能性を秘めていて、普遍的なものにも感じたということもあって。もちろんほかにもいろんな意味合いはあるんですけど。
増村:いっぱい(意味が)こもっているから、僕は「ノスタルジア」にしてはすごく強度があると思うんですよ。あんまり儚くないというか、壊れやすくもないというか。歌詞を見ても「こぼれ落ちていくような感覚、これはなんだ」っていう希求している精神だったり、「ただの霧さ」(“アルコポン”)と言ってもただの霧だと認めたくないような雰囲気だったり、そういうものを感じるんですよね。『グッド・ナイト』のときにかたちにならないものをどうにかしようとしてみたものを、もう1回ひとりでやってみた、ということもあるかもしれないんですけど、『グッド・ナイト』のときと違って、そういう音楽的な欲求も含みつつ、岡田がさっき「情念がこもっている」と言ったのがおもしろいと思いました。「ノスタルジア」だけど言いたいことが混ざっているように感じたんですよね。さっきも言ったけど、希求していたり格闘していたりするところが反映されていると思うんですよ。それはアルバムを聴いていていいなと思いますね。
岡田:すごく言葉にしづらいよね。こんなアルバムばっかり作っているね(笑)。
■でもあんまりそこの部分はこれ以上説明しないほうがいいと思うよ。
(一同笑)
■ぼくは今回のアルバムを本当にうっとりするように聴いたんですね。1曲目のギターのイントロを聴いたときに「なんていい音楽だろう」と思ったよ(笑)。このメロウな感覚がたまらないと思って最後まで聴いたんだけど、また最初から聴きたくなるんだよね。ネガティヴな思いが全然聴こえないんですよ(笑)。
岡田:それを表に出したらやっぱりJポップになっちゃうから、そういう表現はしたくなかったですね。「辛い辛い辛い」って言って、「ああ、辛いね」って聴かれてもしょうがないし、僕はそういう音楽は例外なく嫌いだし。
■難しいことを難しいまま出さないよね。
増村:この人、その二点に関しては信じられないくらい敏感ですよ。
■はははは、そうなんだ(笑)。
増村:その見せ方の作戦もうまい(笑)。
■そうした作り手の苦労を考えずに、例えば普通に車のなかで聴いていたらすごく気持ちいい音楽だと思うんだよね。
岡田:あんまり難しくしたくなかったというのは意識としてありましたね。
■ただひとつ思ったのは、ヴォーカルとトラックの音量のバランスで言うと、通常よりもヴォーカルが低いと思ったんだよね。
岡田:それは大瀧詠一の影響ですね。
■はははは。
増村:大瀧師匠のやりかただよね(笑)。だけどはっぴえんどもそうとう小さいですよ。
岡田:はっぴいえんどはリヴァーブがかかっていないからけっこう前に出てくるけど、『ナイアガラ・ムーン』とかほとんど聴こえない(笑)。だから『ノスタルジア』をトラック・ダウンして半年経ったいまの自分がミックスをやるんだったらもっとヴォーカルを上げるんですけど、ただ恥ずかしがり屋というのがミックスのバランスにすごく関わっているんですよね(笑)。それとミックスをやりすぎて「自分の声が聴きたくない」と思って、だんだん小さくなっていったっていうシンプルな理由かもしれないですけど(笑)。
■歌詞は自分で書いているでしょ? 増村くんも書いているけど。
増村:僕は1曲だけですね。
岡田:いや、1曲半ですね。
増村:あの半分はもうほとんど岡田くんが書いたというか、(“手のひらの景色”は)森のときにやっていた曲で、そのときの歌詞が残っているという意味で半々なんですよね。実質は1曲ですね。
■ほとんど自分で書いているんだ?
岡田:そうですね。
■最後の曲は増村くんが全部書いたの?
増村:そうですね。あれは全部僕です。
岡田:僕が電池切れになって書けなくなったから……(笑)。
■歌詞に関してはどんなコンセプトがあったんでしょうか?
岡田:はっぴえんど特集をした『ユリイカ』が僕の日本語ロックのバイブルなんですけど、細野さんが「日本語ロックの情念を消したかった」ということを言っているんですね。僕がはっぴいえんどフォロワーや喫茶ロックと呼ばれている音楽にそんなに入れ込めなかったのは情念的なものが情報として多すぎて、自分のなかではトゥー・マッチに聴こえた。英語に比べて、日本語は音楽的な響きの語彙がすごく限られているように感じます。洋楽を聴く感覚で日本語の音楽を聴けないものかというのは常に考えています。
■情念というのはどういうものなんだろう。演歌的なものってこと?
岡田:情念の違和感ってどう説明すればいいんだろう(笑)。
増村:松本隆が言っていておもしろかったのは、「なにを歌うかじゃなくて、どう歌うかで俺らはやった」という話で。「なにを歌うか」というところがみんな強すぎるというか、そういうところなんじゃない?
■早川義夫じゃないってこと?
増村:そうそう、そうです。それではっぴえんどのときには日本のフォークのカウンターとしてあったんだとしたら、僕らにはJポップがあるんで、そうはなりたくないというのがひとつあるんじゃないんですか?
岡田:そうだね。
■ぼくなんか10代の頃はRCサクセションだったからなぁ。清志郎の反抗的でわかりやすいラヴ・ソングを聴いていたからね。
岡田:意外っすね。
■ライヴ行きまくって、“ようこそ”とか。ああいうので「うぉー」ってなっていたんだよ。
岡田:ああいうものが人の心を動かしたりするのはすごくわかるし、あれはあれで素晴らしい音楽だけど、僕はそれにただハマらなかったというだけの話であって。なにかが間違いということではないですね。うまく切り返せたかな(笑)。
増村:いいと思います(笑)
■でもJポップと言ってもいろいろあるからね。Jポップと言われたときに一番に思い浮かぶのはなんなの?
岡田:Jポップが何かというか……それとカウンターになるような日本のインディ・ロック自体もJポップとなにが違うんだと言えば、どちらもある種の情念で同じ共感を生んで客商売をするようなものだと思う。ポップ・ミュージックの要素のひとつとして娯楽があるとしたら、全然ある要素だということはわかるんですけど、ただすべてのJポップやインディ・ロックが娯楽であるべきかと言ったらぼくは別にそうは感じない。
そういう娯楽じゃない部分というのもやっていいはずなのに、そこは完全に売れないものとして流れ続けてきたのが日本のポップ・ミュージックの歴史として強く感じる部分なんですよ。USとかだったらインディ・ロックでたまにチャートに入ったりもするし、それは世界中にパイがあるからというのもあるとは思いますけど。じゃあそれで僕が好きな渚にてだったり、山本精一だったり、パドック(Padok)だったり、ランタンパレードが、向こうでファーザー・ジョン・ミスティーがポンとチャートに入ってくるような感覚で、強度があるから評価されるということは日本ではやっぱり少ないと思っています。
■じゃあ今回はそういう意味で言ったら、アジカンの後藤正文さんのレーベル・マネジメントというのは大きいよね。
岡田:そこはひとつチャンスに思った部分でもあるし、逆にゴッチさんはインディ・ロックと日本の大衆的な意識をリンクさせようというところで意識的にぼくを拾ってくれたとも思う。実際にそういうものを紹介したいということを常にやっている人ですけど。
[[SplitPage]]最後のツアーのときには、バンドかソロかでは迷ってはいたんですけど、次の録音でやりたいメンバーとやりとりをしていました(笑)。薄情だとは思うんですけど、ツアー最後の広島に向かう車のなかで「来週のリハどうしよう?」みたいな電話を平気でできちゃうタイプではあったんですけどね。
![]() 岡田拓郎 ノスタルジア Hostess Entertainment |
■日本の音楽を進めたいっていう話で言うと、欧米でものすごい日本の音楽ブームじゃないですか。90年代はコーネリアスやボアダムスみたいなバンドが海外で評価されたわけだけど、ここ1~2年は海外の人たちがいよいよ山下達郎さんやはっぴえんどに気が付いてきて、細野さんの作品でも『Pacific』あたりやアンビエント作品が人気だったり、それこそ大瀧さんであったり……。DJカルチャー的なとらえ方ではなくて、欧米のインディ・ロックの価値観で動いている人間が辿り着くには、あのあたりはジャケットのアートワークはなかなか難しいものがあるじゃない?
岡田:難しいですね。『A LONG VACATION』はともかく、『EACH TIME』とかはすごく難しい(笑)ああいうジャケは例外なくバレアリック・アメリカン・ポップス(笑)。
■だからバレアリックにしちゃえば簡単なんだけど。
増村:でも気づきはじめたという感じはいいですね。
■そう、だからこれからの時代、ドメスティックな評価/聴かれ方というが旧来通りあるなかで、海外からの評価/聴かれ方ももっと顕在化してくると思うんですよ。そこもひっくるめて面白がれるかどうかで、日本の音楽のあり方も違ってくるんじゃないかって。
話は戻るけど、増村くんは今回岡田くんが書いた歌詞をどう読んだの?
増村:話が戻るというか、繰り返しになっちゃうんですよね(笑)。
■最初にシングルで「硝子瓶のアイロニー」が公開されたときに、増村くんに「この歌詞、岡田くんなんだね」ってメール送ったら「岡田らしいっすね」って返してきたじゃない。その「らしい」って部分がどういうことなのかと。
増村:そんなこと言ってました?!(笑) でも本当にその通りで全部「らしい」んですよ。さっき情念を消そうとか、いろいろな方法論でやろうとか、音楽はすごくいいかたちでやろうとかって格闘し続けるんですけど、やっぱり完全に情念は消えていなくて。Jポップ的な情念は消えていますよ。だけど「どうにかしたい」というか、わかりやすく言えば「時代を打破したい」というか。それと、もうひとつ言えば、目には見えないような感覚を大事にしたいというのを、それをそのまま気持ちいいと感じるんじゃなくて、「これはなんなんだ! 自分の言葉で見つけたい!」という感じがするんです。そこに情念じゃないけど、ちょっと熱さが入るんですよね。そういうところが“らしい”なと思いますね。「すましたふりは終わりさ」(“硝子瓶のアイロニー”)とかね。
塩梅としてすごくいいと思うんですよね。もしかしたら僕が書くものとは、諦めているか諦めていないかの差だと思いますよ。僕の自分の歌詞だと「もういいや」とか言っちゃっていますしね(笑)。僕はわりと見えないものは見えないままでいいって感じなんですよ。あとは違うもので物象化したりして見つけたりあらわしていきたいなというところ。同じところを見ていたとしても、(岡田は)希求している感じが歌詞にあると思います。ぼくの「ノスタルジア」と彼の「ノスタルジア」の差はそこなんじゃないかな。
岡田:『グッド・ナイト』のときに(増村が)「もう俺は諦めているから」ってずっと言っていて、「俺は諦めていない」って話をずっとしていたんですよね。
増村:ぼくの場合は諦めて、同じところをグルグル回るようなところからなにか見えてくるんじゃないかということなんですよ。(稲垣)足穂じゃないですけどね。そういう意識があるんで、その差はあると思うんですよ。だから全体的に岡田くんの歌詞はそういう感じがある。
■なんだかんだ言いながら、熱いものが根本にあると(笑)。
増村:熱いと言ったらまた情念っぽくて嫌ですけどね。
■冷めてはいないと?
増村:冷めていないですねえ。でもぼくだって冷めてはいないんですよ(笑)。
■ただ捻くれている(笑)。
増村:捻くれているんですかね(笑)。はははは。
■まあそうだよね、これだけ強い思い持っているんだからね。1曲目の“アルコポン”ってどういう意味なんですか?
増村:それは亀之助だよね?
岡田:尾形亀之助の「アルコポン」って麻酔薬の言い違いみたいな詩から取りました。現代詩を読むのは好きですが、歌詞の影響となると僕は日本の誰よりも増村フォロワーかなあ(笑)
増村:はははは。友だちだからね(笑)。
■ホント? 増村くんの影響を受けて?
岡田:影響はすごく受けていますけど、明確に違うのはさっき増村が言ったようなことですね。僕は足穂じゃなくで三島由紀夫が好きだし(笑)。そういう感覚はあるかな。
増村:けっこう音とハマっているんですよね。“アルコポン”の「ただの霧さ」とか、音楽に乗るとけっこういいんですよね。
岡田:意味はないもんね。あるけど(笑)
増村:とくにフワッとする感じがけっこうよくて。「こぼれ落ちていく」ことと「求める」ことがけっこう多い(笑)。「求めてはこぼれ落ちて」みたいな(笑)。過程が歌詞に反映されているところもあるじゃないですか。一緒に作業したとかじゃなくて、いちリスナーとしての感想はそういうところにあります。そもそも歌詞は一緒にやっていないですし。
岡田:だいたい全曲一緒だもんな(笑)。
増村:でもこの表題曲の“ノスタルジア”の「ガラスを透かして見るものは/いつかの夏の/ささやき」ってスパークする瞬間なんですよ。ちょっと見えちゃっている感じ。そういうところがグッとくるんですよね。
岡田:その視点で見ていう人はいないね(笑)。
増村:こいつ、一瞬掴んだなって。基本的にこぼれているのにこのときは一瞬掴んだなって、そこが「ノスタルジア」かもしれないじゃないですか。
岡田:意図していないけど(笑)。
(一同笑)
増村:例えばですけどね(笑)。僕の印象ですけど。
■質問を変えますね。今作には「Side A」と「Side B」があるじゃないですか。これは『ノスタルジア』というタイトルとリンクして、わざとこういう古いことをやっているんですか?
岡田:いや、これはただ1枚のアルバムとして聴けるような作品にしたかったのが理由ですね。アナログ・レコードのいいところって曲が飛ばせないというところもあると思うんですけど、AとBに分けることで時間の区切りがつくじゃないですか。
B面の1曲目はいい曲が多いし、やっぱり1枚のトータル・アルバムとして聴くというカルチャーが僕の世代から少なくなっていると思うし、そういうもののちょっとした遊びって感じで入れましたね。ソフト・ロックはA面の1曲目だけいいけど、あとは全部下がり調子になっていくという。
増村:A面1曲目とB面6曲目の最後だけ(がいい)ってときがある。
岡田:ソフト・ロックって曲が短いから、B面が6曲まで入るんですよね。
増村:それでも30分くらいです。12曲ってなるとだいたいが聴けないよね。
岡田:聴かないね。サンドパイパース12曲とか聴きたくないし(笑)。
増村:(A面B面に)分けることによってかたちになるよね。
■森は生きているにしても岡田くんのソロにしても、ソフト・ロック的なものをうまく取り入れるじゃない? ソフト・ロックというのは、いわゆる名盤的なものから外されがちなジャンルでしょう?
岡田:まあソフト・ロックの名盤はミレニウム『ビギン』しかないですね(笑)。
■デレク・ベイリーを好きな人がソフト・ロックのどういうところがおもしろいと思っているんですか(笑)?
増村:ソフト・ロックは……、反省の音楽かな(笑)。
■反省?
岡田:だってあれはプロダクションとして高性能なブレーンたちがこぞって意図的に作った商品音楽じゃないですか。あれはカウンターというよりは、たぶんサイケ・カルチャーの流れに乗っとって職業作詞・作曲家、プロデューサーたちがとりあえず金を稼ぎたかったみたいな部分はあるというか。ワーナーのあの時代とか、ソフト・ロックはすごく単純な動機で始まった音楽の文脈だと思うんですけど。カート・ベッチャーとか、レオン・ラッセルも入っていたりするし、ヴァン・ダイクもそうですけど、ああいうソロでやったときにすごいアルバムを作るというのがその後に実証されてよかったなと思うんですね。そういう人たちが、やらされたのかも知れないですけど、ある種一攫千金を狙って作った音楽にも粗があるというか、そういうところを見つけるユーモアみたいなのがソフト・ロックを聴く楽しさのひとつでもあって。だから簡単に言うと、こうなるまい、みたいな(笑)。
■そうなんだ(笑)!
増村:そうそう(笑)。
岡田:そうだし、でもA面の1曲目だけはどのアルバムもすごいというのがソフト・ロックのすごさだと思うし、おもしろいところだと思いますね。とりあえず頭出し3秒だけで、いかに人の心を掴むかとか21世紀的(笑)。
増村:そういうところは活かせるし、こうなっちゃいけないってところももしかしたら活かせるかもしれないんですよ。逆の発想であのダサいところを使ってみるとか、落とし込みかたを変えれば気持ちよく聴こえるんじゃないかとか、もしくは彼らは本当はこうしたかったんじゃないかっていう勝手な解釈とか(笑)。
岡田:それが音楽を聴くときの楽しいところというか、音楽を聴くときの遊びみたいなところというか、ぼくらが好きだったのは。ソフト・ロックからの影響みたいなものは、やっぱりリスニングする楽しさという根源的なところで、ソフト・ロックは遊びの多い音楽だと思いますね。
増村:ソフト・ロックを四六時中聴いているヤツは逆にちょっと厳しいっすね(笑)
(一同笑)
岡田:ソフト・ロックしか聴かないやつとかヤバいね(笑)。ハーパーズとか1枚通して聴いたことないもんな。
増村:俺はハーパーズはイケるよ。
岡田:ある意味ではミレニウムしか好きじゃないかもしれない(笑)。
増村:そりゃそうだね(笑)。
[[SplitPage]]細野さんが「日本語ロックの情念を消したかった」ということを言っているんですね。僕がはっぴいえんどフォロワーや喫茶ロックと呼ばれている音楽にそんなに入れ込めなかったのは情念的なものが情報として多すぎて、自分のなかではトゥー・マッチに聴こえた。
■岡田くんは最近はどういうふうに音楽を楽しんでいるんですか?
岡田:すごくピンポイントで言うと、グリズリー・ベアーの新譜が久々にすごいと思った。なにがおもしろかったかと言うと、10年代のアフロ・ポップ文脈とは違うアフロ・ビートの感覚に。最近トニー・アレンのすごさを自分の中で発見して、フェラ・クティの何十枚ボックスとか聴いても、どれも同じ曲に聴こえるかもしれないけど、ビートのループの中でのスネアやキックの位置やパターンがどの録音も違う。ドラムという楽器の自由さを最も体現したのがトニー・アレンのビートだと思う。そういった自由度の高いドラム・パターンを再び抜き出してきて、それを完全にスクエアにグリッドさせる事で土臭さを現代的にして、ポップ・ミュージックに落とし込んでいるというところに感動しました。ドラム・パターンが自由というよりかは、ある程度ループになっていないと現代的に聴こえないと思うんですけど、2、4小節のループを繰り返しているところで、何箇所かに土臭いドラムのロールをパターンとして入れ込んで訛りっ気を出したり、けど全体はスクエアでやっているというのが聴いたことのないと思ったんですね。そういうものが過去にあったのかということを、案外ミーターズは近いと思いましたね。
■つーか、めちゃくちゃマニアックな聴きかたですね(笑)!
岡田:でもそれは遊びとしてですよ(笑)。
■普通はそんな細かく聴かないですよ。
増村:でもそれはポイントがあって、ここまで来た感があるんですよ。日本が気づかれはじめたって話があったじゃないですか。そういうのと同じで、アフロがアメリカに気づかれはじめた感があるんですよね。だからグリズリーがそれをやってというのはもちろんマニアックではあるんですけど、けっこう大事なことだと思うんですよね。みんなシンプルなビートのところに戻ってきているような感覚は正直あると思うんですよね。
岡田:ビート・ミュージックどうこうと言われたときに、グリズリーがやったのはわかりやすく訛る/訛らないの話じゃないですよ。もっとプリミティヴに、ビートを大きく捉えるかという所が気に入りました。そもそも歴史でみたらサンバもハイライフもルンバも日本人の感覚からしたらすでに訛ってる。たぶん訛りたくて訛ったのではなくて、踊れる気持ちよいポケットにたまたま入っちゃった、くらいなところかもしれない。ポストロックやフリー・フォークのときに、久しぶりにスネアの位置が変だったり、特殊なドラム・パターンみたいなのがロックの更新のひとつのやり方として取り上げられたように思えるけど、そうしたら行き着く先は特殊なパターンでありながら、そもそも気持ちよいビートみたいなハイブリットな所で、その手本にアフロやブラジルをひとつのファクターとして新しい引き金にしようとしているミュージシャンがいるのかなとは感じますね。そういう意味では、ブラジル的だったジョン・マッケンタイアのビート感と音響をアップデートさせるような感覚なのかなあ。
増村:うん、すごくあると思うね。
■なるほどね。質問の意図するところとはちょっと違ったんだけどね(笑)。いまどきの子みたいに君たちみたいな時代錯誤的な若い人もやはりスマホで聴くのかってところだったんだけど(笑)。
(一同笑)
増村:超マニアックな話になっちゃった(笑)。
岡田:そうしたら案外僕はDJ的な聴きかたをしているのかもしれないですね。サンプリングできるポイントを探るというのは、もしかしたら近いのかもしれない。そういうものとアルバム1枚をソフト・ロックみたいに楽しむという、そこは両方あるポイントかなあ。
増村:アップル・ミュージックはけっこうデカいよね。
岡田:アップル・ミュージックはすごくデカい。スマホのアップル・ミュージックでいいと思ったものを、わざわざアナログの新品で買って、なおかつ音楽解析とかをするときはレコードだと面倒くさいのでアップル・ミュージックで再生するから、ぼくはすごくミュージシャンにお金を払っているんですよね。配信でも買っているし、物でも買っているし、さらに研究するために毎日100回くらいストリーミングで聴いているので(笑)。
■すごいなあ(笑)。
増村:正直アップル・ミュージックに入ったあと、楽器がうまくなりましたもんね(笑)。
岡田:思った、思った(笑)。
■ああ、そう(笑)。
増村:いままでだったら「今月はCD1枚しか買えない」というときにもどんどん聴けきちゃうから、やっぱり勉強になりますよ。
岡田:60点くらいの音楽は買わなくなりましたね。それはみんな言っているけど。
増村:結局アナログしか買わないしね。
岡田:「63点だ」と思ったアルバムをわざわざ2500円出して買わないですよね。
増村:そもそもお金がないからね。
■では最後の質問。もし今回のアルバムのタイトルが『ノスタルジア』じゃなかったら、その言葉が使えないとしたら、なんてタイトルにしたと思う?
増村:意地悪だなあ(笑)。
岡田:意地悪ですねえ(笑)。
(一同笑)
岡田:僕がひとつやってみたかったのは、足穂の「六月の夜の都会の空」ってあるじゃん? 『グッド・ナイト』では見つからなかったから、そういうものを探してみようと思ったんですけど、足穂ってネーミングのセンスがめちゃくちゃうまいですよね。
増村:キラーフレーズ感はすごいね。
岡田:僕にはああいう語彙を生み出すような感覚がなかったから、使えなかったとしたらたぶん増村に一旦投げていましたね(笑)。
(一同笑)
増村:タイトル決めろと(笑)。重いなあ(笑)。でもタイトルって人に決めてほしいところはあるよね。
岡田:自分じゃ決められない。
■でもぼくは『ノスタルジア』というタイトルはすごくいいと思ったよ。
(一同笑)
増村:ええーー!!
■だってこれだけの博識をインタヴューで言う人のアルバムのタイトルにしたら、じつにあっけらかんとシンプルにまとまっているよ(笑)。
岡田:そうですね(笑)。これが一番的確な言葉だったと思います。
増村:そうだと思う(笑)。
(了)



アーティスト: Nils Frahm (ニルス・フラーム)




