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(松村正人)
河地依子さんの浩瀚なライブラリーと該博な知識に裏打ちされた、黒人音楽のヒストリーによりそいながら形式との相克でつくる音楽をていねいに聴き進めた『ソウル・ディフィニティヴ』、すでにみなさんの座右の書であろうが、その近年の動向をめぐる終章とそのひとつ前の章の導入文を要約しつつ私見をつけくわえるとこうなる。21世紀初頭のネオ・ソウルで電子音を有機的な音色で使う手法が浸透するとともに、エレクトロな方法論は当時のレゲトンやらダンスホールやらとむすびつき、そのビート感覚(とパーティ感覚)はのちのEDMを用意した、のみならず、ジェイ・ディラらのグルーヴの(再)発見をさかいに(政治性を含意した)ネオ・ソウルと合流していく、その合流地点こそ2010年代なかば現在であるのだとしたら――これ以上書くと河地さんの商売をじゃましそうなのでさしひかえたいが、R&Bが「エレクトロ~アンビエント~ドリーム」と形容すべき傾向をみせた2000年代なかば、河地さんのいうとおり「シーンの風景はまたガラリと変わった」。どのように変わったか、くわしくは本書を繙いていただきたいが、ひとつだけつけくわえると、ソウル、R&B、ジャズやヒップホップを問わず、たとえばグルーヴを軸に音楽を腑分けするのがたやすくなった反面、サウンドにおける形式の壁が液化する一方で、アンビエントやドリームといった主観性が幅を利かせる。
前作から単体では6年ぶりとなるオヴァルの『ポップ』は資料によれば「ポストR&B」だという。いやそのまえに、今作こそ、『o』(2010年)から数年の比較的みじかめの間隔だったがそのまえはというと2001年の『ovalcommers』までさかのぼらなければならない。10年――生まれたばかりの赤ん坊が学校にあがり、きょうから私はオヤジとは風呂に入らないと宣言するまでに成長する、この長きにわたり黙して語らなければ、たいていのひとなら、オヤジであっても忘れ去られる。ところがオヴァルはちがった。『o』で復活したオヴァルは『systemisch』や『94diskont.』といった90年代の諸作でつきつめた「デザインとしての音響」から反転し、音楽のほうへむかいはじめる。もっともオヴァルはかつて一度も音楽的でなかったことはなかった。CDの盤面に人為的に操作をくわえプレイヤーを誤作動させた音をもちいる、初期のオヴァルの代名詞となったこの方法を縦横に駆使したこれらの作品でも、「Textuell」なり「Do While」なり、聴けばたちどころに私のいう意味は了解いただける。マーカス・ポップの含羞とも韜晦ともつかないものがそのような言い方を避けさせてきたのだとしても、90年代の磁場がそう仕向けたふしはなくはない。ワイヤーのだれかがいったという「ロックでなければなんでもいい」なるフレーズとおなじく、私たちはマーカスのことばを箴言としてのみとらえてはならない。背景があるのだ。制度と方法と原理の基底部を思考する、(そもそもアポリアであるかもしれない)その解は得られなくとも一度それを経なければオヴァルはオヴァルたりえなかった、というのは、時制の起点からして命題たりえないが、このパラドキシカルな過程もふくめたプロセスがオヴァルだった。
なにせ『ポップ』はあざやかにポップなのである。ビートはくっきり輪郭を描き、楽曲はかつてないほど重層的に構造化している。とはいえそれはエレクトロニカの金科玉条だったレイヤーなる(きわめてデザイン的な)形容に収斂しない。IDM的レイヤーが薄い色紙を重ねたさいの色彩の重畳だとすれば、『ポップ』はもっとヴァーチカルである。奥行きがあり厚みがある。音色の選択とサウンド・プロデュースが立体感に拍車をかけるが、リズムの反復はあきらかにビートを指向している。つまるところポップかつダンサブルだが、ひたすら硬度をたもちつづけるアルヴァ・ノトと較べて――というのも、さっきまで渋谷でラスター・ノートンの20周年ライヴを観ていたのですね――有機的で滑らか。
その一因は声にある。マーカス・ポップは『ポップ』の大半で、かなり加工した声をとりいれているのだが、この声のあり方がこのアルバムのグルーヴの土台を担っている。もちろん声は純粋なリズム楽器ではないが、そしてマーカスは一聴してリズム楽器として加工した声をもちいてはいないようにみえるが、マテリアルと化した声がトラックの一部に埋め込まれることで、音響はシームレスなゆらぎをはらむ。鍵盤楽器と声をシンセサイズしたポルタメントな音の動きには現象だけとりだせば90年代のオヴァルを彷彿させるドローン的な側面があり、2000年代後半を劃したボカロを思い出させるのはいわずもがなである。オートチューンやボカロといった身体をなくした声の身体性の影と、ビートという身体性をもっとも呼びさますものを交錯させる方法を、米国市場の主導権をにぎるR&Bになぞらえ、そこにポストを冠するのも新規なジャンル名をつくってみせたといったたぐいのことではない。かもしれない。すくなくともそれはマーカス・ポップの音楽観の一端ではある、と同時に今日のテクノロジーの人間観の反映でもある。やがてそれが完全に調和した制度(システム)となったとき、マーカス・ポップの批評性は事後的に発見されるだろう、というのは時制の起点からして予測でしかないが、オヴァルのプロセスはそのようにして走りつづけてきた、かつて思弁的なコンセプトと併走しながら、いまはポップさを全開にして。
マーカス・ポップがこのアルバムに自身のファミリー・ネーム「popp」とつけたのはゆえなきことではないのである。(了)
松村正人
●ライヴ情報 OVAL Live in Japan 2016
12月20日(火)
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