Home > Reviews > Album Reviews > Cardinals- Masquerade
目の前にはパソコンがあってDAWがあって配信するプラットフォームがある。ひとりで完結できる時代においてバンドを組む理由はなんだろう? そんなことを3人のソロ・アーティストが組んだバンド、ボーイジーニアスの曲を聞きながら考えたことがあったけれど、その理由のひとつには自分の形を保ったまま離れた場所にいけるというのがあるのかもしれない。ジュリアン・ベイカーが『Loud And Quiet』の18年のインタヴューで「バンドを組むのはコントロールを放棄できるから最高」というようなことを語っていたが、まさにそうなのではないかと26年のいま再び思う。楽曲だけではなく、SNSを通しプロモーションやその曲が生まれた背景についてまで直接的に自身の言葉を届けられ、それが特殊なことだとは思わなくなったいまは様々なことがコントロール可能になった時代と言ってもいいだろう。だがそれを続けた結果少しばかりインターネット疲れのようなことが起こってしまっているかもしれない。演者にしても観客にしても(現代のネットの世界ではみなが演者で観客だ)言葉と選択の全てに意味が求められ、リスクとリターンを天秤にかけたやり取りをおこない眺め続けている。みんながみんなスマートに生きることを目標に力いっぱい舵を握りしめているような状態だ。そんななかで僕らは純粋な刺激を求めコントロールできないなにかをバンドのなかに見つけようとする。いまさらロックンロールがカウンターカルチャーだなんて思うことはないけれど、そうだとしても少しくらいは違うものを求めてもいいじゃないか、とそんな心が顔を出す(だってどこにバツ印があるかわからない広告だらけの世界なんてくだらないのだから)。完璧にコントロールできないもの、どんなふうに転がっていくのかわからない、価値の定まっていない未知なるものに僕らインディ・ミュージックのファンは夢を見、ロマンを感じるのだ。
そしていまとびきりにロマンを感じるバンドがある。そう赤黒く燃え続けるカーディナルズのことだ。若く、生意気で、繊細で憂いがありそれでいて野心も持ち合わせるアイルランドのギター・バンド。この特徴はもちろんデビュー当時のフォンテインズD.C.が持っていたものであり、実際にカーディナルズはフォンテインズD.C.のフィンズベリー・パーク公演のオープニング・アクトを務めている。しかしそうした共通の特徴を持っていながら決定的な違いがある。初期のフォンテインズD.C.の詩的な美しさは外に向かい自身と社会との間のいら立ちを攻撃的に描いていたが、カーディナルズのそれはより繊細に内的な思考へと向かうのだ。ギター・ヴォーカルのユーアン・マニング、その兄弟でアコーディオン奏者のフィン、ドラムを叩くイトコのダラ、子ども時代からの友人オスカー・グディノヴィックがギター、アーロン・ハーレーがベースを弾く5人組はバンドという小さなコミュニティのなかに思考を漂わせ、それを形にして外の世界に提示する。個人の頭に浮かんだ考えが、空気に触れ温度を持ってバンドのなかで解釈されていく。それは完璧にはコントロールできないもので、転がり跳ねていくものだからこそ美しい。セルフタイトルのEPに収録された “Twist And Turn” の「砕けて燃えるロック・アンド・ロール」というのはいささかストレート過ぎる気もするのだが、それもバンド、そして歴史のフィルターを通れば未成熟の青さと消費されていく情熱の「消えない光」へと変換されていくといった具合に。
そしてこの1stアルバム『Masquerade』はカーディナルズのその姿勢を見事に提示する。これまでの楽曲よりもよりアコーディオンを前面に出すことでバンドの持つ憂鬱なロマンティックさを加速させているのだ。“St. Agnes” でのそれは直線的なギターの躍動に重ねられ、曇り空の街に差し込む光ような表情を見せ、タイトル・トラック “Masquerade” ではささくれ立った陰鬱な心を現すバンド・サウンドのなかに影のように伸びた憂いをプラスする。それは優しく慈しむような響きを持って、カーディナルズをありふれた若手インディ・バンド以上の存在にする。これがシンセサイザーだったらどうだっただろうか? それではきっとここまでではなかった。風を送り込むことによって音を出すアコーディオンは人の持つ感情のニュアンスを伝えてくる。“Masquerade” や “I Like You” での柔らかな息遣いは誰かの視線を感じさせ、この曲の風景を眺める視点を提示する。それが曲の温度や色味を決めるのだ。思考のなかに温度はないが、外に出た物語のなかには温度がある。ロマンティックなカーディナルズの音楽はその解釈のなかに特別な景色を生み出している。人そのものではなく、人がいるという気配。アルバム最後の曲 “As I Breathe” はその最たるもので、物言わぬアコーディオンのその気配が後ろで見守るように付いてくる。自身と対話をするように呟くユアンのヴォーカルと合わさったそれは夕暮れの景色のように憂いを帯びて、訪れる別れの予兆を感じさせもする。
ザ・リバティーンズのラインに連なるようなガレージ・ロックとアイリッシュ・パンクを混ぜたような “Anhedonia”、心をかきむしるヘヴィーなギター・サウンドのバンガー “Big Empty Heart”、ひとつひとつの楽曲も不器用で粗削りだか確かな強度を感じさせる。あるいはアルバム全体として見ると、まとまりに欠けるという面はあるかもしれないがその乱雑さもデビュー・アルバムのこの段階では魅力に映る(それはやはりいつか失われる青さだといういうふうに頭のなかで変質していくのだ)。
『NME』のインタヴューでユアンはアートにとって脆さこそ価値あるものだと語っていたが、それが音となりこのアルバムのなかに現れている。キラキラとした輝きではないカーディナルズの音楽はある意味で解釈の音楽なのかもしれない。ストレートな言葉だがはっきりとしたものではないニュアンスが意味を決めるような。僕にはこの1stアルバムが夕暮れの音楽に聞こえる。夕暮れの風景は人の表情をわからなくし、漂う気配から想像する必要が出てくる。そう、感じ取ろうと解釈する曖昧さのなかに実体のない快感が生まれるのだ。あらゆるものが最適化されていこうとする時代のなかで、そうではない音楽を生み出そうとするバンドの魅力というものをここに感じる。
Casanova.S