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Home >  Interviews > interview with Traxman - ゲットー・ハウスの精神

interview with Traxman

interview with Traxman

ゲットー・ハウスの精神

──来日直前のトラックスマン、インタヴュー

野田 努    通訳: Kent Alexander(Pan Pacific Playa)    Aug 04,2014 UP

俺より上のロンやフランキーの時代にクラブに行ってた世代は、クラブで流れる曲に注目しただけで、DJのスキルやミックスのテクニックに注目はしていなかった。だがラジオDJは違った。例えば1曲かけるだけでも最初にインストゥルメンタルをかけて、じょじょにヴォーカル入りのヴァージョンにミックスして、そのあとダブミックスのブレイク部分をかけるなどして、ミキシングで展開を作った。

あなたがハウスにハマった理由について教えて下さい。

トラックスマン:いい質問だな。最初にChip Eの「Itz House」を聞いたときは全然好きになれなかったんだ。いまは大好きだけどね。同時期にChip Eが発表した「Time to Jack」がハウスにハマった大きなきっかけのひとつだな。電子的なシーケンス・パターンに完全にやられたよ。
 その前年にJesse Saundersが「On and On」を発表して、リズムマシンを使ってファンクを表現するスタイルを確立した。初期のハウスはTR-808リズムマシンのサウンドが多く使われていたんだけど、808のドラム・サウンドに本当に虜になった。その後1987年にハウス・ミュージックのサウンドに変化が見えはじめた。TB-303を用いたアシッド・ハウスが登場して、そのサウンドにも夢中にさせられたね。当時ちょうどティーンネイジャーだった俺は、ロン・ハーディらがDJしていた〈ファクトリー〉に遊びに行きだした。いまでも仲がいいHouseboyって友人とよく一緒に遊びに行っていたよ。〈ファクトリー〉はシカゴのウエストサイドにあったティーンのクラブで、Jammin Geraldとかがプレイしていた。
 あるとき〈ファクトリー〉で遊んだ帰り、夜中の2時くらいにHouseboyが「サウスサイドのクラブに行ってみよう」と誘ってきて行ってみたんだ。そこではロン・ハーディがDJしていて、初めてドラッグ・クイーンとかゲイのパーティ・ピープルを見て衝撃受けた。ロン・ハーディーは選曲のセンスはパワフルで人を引き付ける物があった。だけどDJとしてのテクニックはいまひとつだと感じたのを覚えてる。そのサウスサイドのクラブで流れていたのは、メロディやハーモニーが重視されたキレイ目な楽曲が多かった。いっぽうウエストサイドではビート重視でリズムマシンが多用された電子的な、さっき出たChip Eの楽曲のようなスタイルが好まれた。同じハウス・ミュージックでも、サウスがハウス・クラウド(客)、ウエストがビート・クラウドという風に言われていて、同じ市内でもビート系とハウス系ではまったく違うシーンだったよ。俺はもちろんビート・クラウドさ。

どうしてあなたは、ゲットー・ハウスの流れの方に進んだのでしょうか? たとえばディープ・ハウスではなく、ゲットー・ハウスの側に惹かれた理由を教えて下さい。

トラックスマン:最大の要因はまわりの人間だな。俺がいまでも住んでいるウエストサイドの人間、みんなビート系ハウスの流れを組んだゲットー・ハウスが好きだった。もちろん自分でも好きだったけど、パーティに遊びにくる人たちも、まわりのDJもみんなゲットー・ハウス好きだった。まわりの人たちを喜ばせるためにもゲットー・ハウスに進んだのは自然な流れだったね。80年台後半から90年代初頭にはハウス・ミュージックはシカゴでは落ち着いてしまって、ヒップホップの時代に突入した。そのかわりハウスは、世界中に波及して、当時シカゴを盛り上げていた尊敬していた先輩DJはイギリスやヨーロッパの国々に行ってしまった。
 ヒップホップが勢いを増すなか、シカゴに残ったプロデューサー、Armando、Steve Poindexter、Robert Armani、Slugo、Deeon、そして俺なんかは、ラジオでもすっかりプレイされなくなってしまったハウス・ミュージックを作り続けていた。つまり、ハウスはストリートに戻ったってことさ。その頃は400〜500ドルくらいの少額な契約金でレコード契約を地元レーベルと結んでいた、何より作品を発表し続けたかったからね。その頃から考えるといまの現状は考えられないね。

Traxmanを名乗ったのも、〈TRAX〉ものが好きだったからですよね?

トラックスマン:良くわったね。その通りだよ。〈TRAX〉レーベルから出ていた楽曲は的を得ていたというか、何か俺に語りかけているような魅力があったんだ。DJをやりだした頃はDJ Corky Blastっていう名前で、そのあと90年頃からDJ Jazzyっていう名前だったな、Jazzy Jeffが好きだったからね。93年頃にTRAXMANと名乗りだしたんだ。93年ごろにPaul Johnsonと知り合った。彼は銃で背中を撃たれた直後で車いす生活を余儀なくされたばかりだった。同時期にTraxmenメンバーのEric Martinと親しくなり同じくTraxmenのメンバーとして活動していたGant-manを紹介された、当時まだ13〜4歳の子供だったよ。仲間が増えてきた矢先に、俺たちの活動の場だったウェストサイドの〈ファクトリー〉が火事で焼失してしまい、〈ファクトリー〉の歴史は急に終わってしまった。その直後からJammin Gerald、DJ FUNK、Paul Johnsonなどがレコードをリリースしはじめて、その流れに乗って俺もリリースをはじめた。
 同時期にサウスサイドのDJ/プロデューサーの噂が耳に入るようになってきた。DJ Deeon、Slugo、Miltonとかだ、サウンドを聞いたら彼らは最高にイケてたよ。ちょうどこの時期が85年以降のハウスのオリジネーターとゲットー・ハウス世代の世代交代の時期だったな。その頃はギャング抗争がもの凄く激しくて、ストリートはとても危険だった。俺たちは音楽に救われていた、音楽にハマっていなかったらギャング抗争に巻き込まれて、殺されていてもおかしくなかったからな。実際に殺されてしまった友人もたくさんいる。音楽が俺を救ってくれたから、いまシカゴでくだらない争いに巻き込まれている若いヤツらだって、音楽に救われることが出来るんだということを伝えていきたいと本気で思っている。

DJとして活動するのは何年からですか?

トラックスマン:1981年だね。

DJ以外の仕事はしたことがありますか?

トラックスマン:それもいい質問だ。むかし、1989年から1年ちょっとのあいだ地元のトイザラスで働いて、それ以外の仕事は全部音楽に携わる仕事さ。レコード屋で働いたり、〈Dance Mania〉のディストリビューションの手伝いをしたりしてた。

あなたが〈Dance Mania〉からデビュー・シングルを発表するのは、1996年ですが、自分でトラックを作るようになったきっかけは何だったのでしょうか?

トラックスマン:俺の原点ともいえる初期のハウス・ミュージックに大きく影響されている。アシッド・ハウスも好きだったけど、ビートやシーケンスが強調されたスタイルがやはり好きで、作曲に関してはそれにもっとも影響を受けているな。〈ファクトリー〉でJammin Geraldがプレイしていたり、ラジオで流れていたSleazy Dの“Lost Control"を聴いて、俺もトラックを作ってみようと決めた。Adonisの“No Way Back"っていう曲もかなり影響を受けたな。
 当時は近所にリズムマシンを持っている人が本当に少なくて、87年か88年ごろにSlick Rick Da Masterと知り合い、彼がチャック(=DJ FUNK)を紹介してくれた。リズムマシンを持っていたのは、そのふたりだった。Fast Eddieも割と近所に居たけど、彼はヒップ・ハウスが流行ってきて忙しくなってきた頃だから全然会えなかった。当時はレコードはたくさん持っていたけど、リズムマシンは持っていなかったんだ。DJ Raindeerっていう仲間がいたんだけど、そいつは逮捕されしまって今度はそいつの弟とよく遊ぶようになって、ある日「俺、実はリズムマシンもターンテーブルも持ってるよ」と言ってきたんだ。その頃、DJ FUNKも近所に越してきていて、俺のターンテーブルとFUNKのカシオRZ-1を交換した。ついに機材が揃ったから曲作りが出来るようになった。そこからは夢中になって、トラック制作に取り組んだね。DeeonとかGantmanとかサウスサイドの連中ともどんどん仲良くなって、ゲットー・ハウスシーンが広がっていった。

「Westside Boogie Traxs - Vol I」を出してから、「vol.2」はいつ出たんですか?

トラックスマン:Vol.2はフランスの〈Booty Call〉から2012年に発表したよ。1と3は〈Dance Mania〉だね。

90年代末から2000年代の最初の10年前、あなたはとくに目立った作品のリリースはしていませんが、それは何故でしょうか?

トラックスマン:コンスタントに曲は作っていたんだけど、〈Dance Mania〉も止まってしまい、発表の場が無くなった。デトロイトのDJ Godfatherがそのあいだの時期にシカゴのアーティストの作品をリリースしていたが、俺は彼とはあまり繋がっていなかったからな。それからじょじょにフランスの〈Moveltraxx〉みたいなレーベルから声がかかるようになって、自分の作品を発表する場が出来てきた。

ゲットー・ハウスがどんどん発展して、音楽的に独創的になり、ジュークが世界的に認知されるまでのあいだ、シカゴのシーンはどんな感じだったのでしょうか?

トラックスマン:シーンはあったんだけど、前後の時期ほど盛り上がってはいなかったね。なんとなく続いていた感じかな。

ちなみにシカゴでは、いつぐらいからヴァイナルではなくファイルへと変わっていったのでしょう?

トラックスマン:それは他の連中がPCでDJをはじめて時期と一緒くらいだよ。2000年代半ば頃から、ちらほら増えだしたな。俺は筋金入りのヴァイナル・フリークでターンテーブリストだけど、昔からテクノロジーも好きだから、いまはPCも使っているよ。PCDJを否定する連中もいるけど、彼らはテクノロジーをどこか恐れている部分がある気がする。

取材: 野田努 / 海法 進平(2014年8月04日)

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